Soranoha

先駆的な古典として

せんくてきなこてんとして

宮本 百合子

昨今の複雑で又変動の激しい世相は、一方に真面目な歴史研究への関心を刺戟しているが、若い婦人たちの間にも、益々多岐多難な女性の日常生活についての自省とともに、人類の長い歴史の消長のなかで女はどのような社会的歩きかたをして来たものかという女性史についての探求心が旺になっているのは、現代日本の興味ある一つの現象であると思う。その方面に関心をもっている人々は、明らかに自分たちの今日から明日への現実的な生き方を念頭において研究をも試みているのであり、日本の女性史の一瞬にパッと閃いて、やがてより濃い闇に埋められた「青鞜時代」のロマンティックな女性史への興味とは、おのずから本質がちがって来ている。

今度古典的なバッハオーフェンの『母権論』の序文とエーリッヒ・フロンムという人のその批判とが合わせて翻訳されたことは、女性の歴史・家族の歴史・近代社会の発生とその社会内における婦人の現実的関係を知ろうとする読書人にとって、疑いなく一つの価値ある文献を加えられたことである。

訳者富野敬照氏は日本の上代の歴史との連関においても『母権論』の古典的文献的価値を認めて居られる。モルガンの「古代社会」や家族、私有財産及び国家の起源に関するエンゲルスの著作などは、その見解に対する賛否はいずれにせよ、その部門での古典として何人も読まざるを得ないものであるから、既にこれらの極めて具体的でありリアリスティックな諸研究のうちに十分とりあげられ、その先駆的な労作としての評価と発展的な批判とがなされているバッハオーフェンのこの「宗教をもって世界史の決定的な槓杆とした」研究も、未踏であった先史の中に第一歩を印した古典として、読まるべき意義を失ってはいないのである。

一八六一年に書かれたこの『母権論』の功績は、著者バッハオーフェンが自身の神秘的な観念に制約されつつも、熱心にギリシア、ローマ等の古典文学を跋渉し、章句を引用し、彼以前には、全く空白ブランクに等しかった先史の分野に、一夫一婦制以前の社会が単に無規律性交の行われていた原始状態であったのではなくて、その「血統が母系において――母権によって」辿られたこと、その結果、女子が重い尊敬をうけた女性支配を齎していたことを証明した点にあった。訳出されているのは序文だけである由だが、バッハオーフェンの思索とその方法と表現とのかかる古典的特色は満喫し得る。ギリシア神話と英雄伝とを日常生活の伝統に持っていない日本人にとっては、全く訳者の云われている通り訳すにも労多く、感情をもって理解するにも当然或る困難を伴うのである。同時に、今日の世界に生きている読書人にとっては、例えばギリシア人の間で母権から父権への推移が生じた原因を、バッハオーフェンの説明したように、宗教的観念の発達した結果新しい神々が旧いギリシアの神々の間にわり込んで来て勝利したからであると考えることも、亦不可能であろう。男女相互の社会的関係が歴史的な変化をうけて「女性の世界史的敗北として」の母権顛覆が起ったのは、バッハオーフェンがエスキュロスの悲劇の章句によって説明したように女神アテネが良人アガメムノンと良人の父とを殺害した母親クリテムネストラを殺して復讐した息子オレステスを無罪にしたことから由来しているというよりは、人間の現実生活の諸条件の発達に起因しているという今日普通の観察が、より現実の姿であることを承認せざるを得まいと思う。バッハオーフェンの労作の価値及びその訳出の価値は、疑いもなく、彼以後の七十八年間の人類文明の貴重な進歩は、彼によって印された家族に関する研究の第一歩を、いかなる具体的・現実的研究にまで推し出して来ているかという、正確にしてよろこばしき知識に照りかえされて、初めて真価を発揮するものと思う。

現代の婦人の翹望と努力とは、過去の或る時代に素朴に考えられていた平等化、男性化の方向とは全く反対に向っている。あらゆる女は、心から最も調和的に、最も人間らしい自然さで女らしく生きたいと希っている。花咲き溢るる女らしさの全幅をもって経済的にも精神的にも生き貫いて行くことを欲している。訳書の前がきの言葉にある通り「女子が活溌な生産的労働や仕事にたずさわって」所謂「貴女達レディーズを包む弱々しい女性らしさとは全く別性質の」美しい自他ともに幸福な「独立の気風」で朗らかに生きることを望んでいる。しかも、現実においては、今日「女子の隷属の起り得ない」「原始女性は実にその活溌な労働性の故に独立的なのであり」得る原始的社会は、訳者の云われている通り恐らく「パプア島の食人種」のところぐらいにしか残存していまい。正に近代の娘、妻、そして母たちは「実にその活溌な労働性の故に」夫婦愛より歴史性の古いと云われているその母性感情の故に、最も高度に錯綜した社会諸関係の辛苦にふれているという深刻な事実の裡にこそ、このバッハオーフェンの一巻が古典として存続し得る必然がかくされているというのは、意味深いことであると思う。

〔一九三九年三月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「母性」ブリッフォート著・富野敬照訳、白揚社
1939(昭和14)年3月発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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宮本 百合子「先駆的な古典として──バッハオーフェン『母権論』富野敬照氏訳」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十七巻』新日本出版社、1981年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003946_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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