Soranoha

カメラの焦点

カメラのしょうてん

宮本 百合子

写真機についての思い出は、大層古いところからはじまる。

私が九つになった年の秋に、イギリスに五年いた父親がかえって来た。横浜へ迎えにゆくというので、その朝は暗いうちに起きて、ラムプの下へ鏡台を出して母は髪を結った。私は当時ハイカラであった白いぴらぴらのついた洋服を着せられて行ったが、船宿へついた時は雨であった。俥で波止場へ向ったが、少し行ったところで俥が逆もどりした。幌がかかっていて何が何だか分らなかったが又船宿の土間におりたら、そこへ別な俥から下りた父が立っていたので、びっくりしたし嬉しく甚だきまりがわるかった。

大人が多勢ガヤガヤしていて傍へもよりつけないので、私は、父が肩へかけて呉れた茶皮のケース入りの写真機を枕にして横浜からの汽車の中で眠ってしまった。それはコダックの手札形であった。

弟が十八九の頃、写真にこった。家族のものや静物をその父の古いコダックでよくとった。自分では写真機を余りもたず、外国を旅行したとき伯林ベルリンでこんな笑い話を友達からきいた。ドイツの小学生に先生が質問した。日本人と米国人とはどこがちがいますか? 子供の答えに曰く。年よりで、ズボンに筋がなくて、眼鏡をかけて、写真機をもっているのが日本人です。アメリカやドイツへ行くと、レンズがよいのが魅力で税のかからぬところで誰でも買おうと思うのだろう。

モスクヷで、私の暮したホテルはパッサージという名で、今ゴーリキイ通となった大通りにあった。冬の凍った三重窓に青く月の光がさして、夜の十二時にクレムリから大時計の音楽の一くさりが響いて来た。窓の前は、モスクヷ夕刊新聞の屋上で、クラブになっていた。着いた年の冬は、硝子張りの屋根が破れたまま鉄骨がむき出しになっていた。雪がそこから降る。春の北国の重い雪解水がそこから滴っている。荒々しい淋しい心のひきむしられる眺めであった。二年後に、その屋根はすっかりガラスが嵌めこまれて新しいものになった。ライラック色のルバシカに金髪を輝やかした青年と、黒い上着を着て白っぽいハンティングをかぶったもう一人の青年とが、或る日その屋上へ出て来て愉快そうに談笑しながら、小さいカメラを出して互に互の写真をとりあっている。こっちの窓から其光景を遠く眺めやっている私の胸に、抑えがたい欣びがあるのであった。

ピオニェールたちの間にも段々写真が普及しはじめた頃、私はかえって来たのであった。

この間うち新聞社の主催で大々的に行われたカメラ祭というものは、未曾有の催しであった。下岡蓮杖の功績が新しく人々の科学常識の間にとりいれられたのは結構であったし、カメラを愛好する若い人々にとって、ターキーの舞台姿のポーズをとられたのも、鎌倉の波うちぎわで舞う女の躍動をうつせたのも、楽しいことの一つであったにちがいない。

私はヴォルフの写真帖などを一つ二つ知っているだけであるが、カメラの美しさについては無関心ではないのである。軍需工場に働いている青年労働者は、昨今、景気のいい方の組で、かなりの金が手に入る。金はあるが、つかい道に困る。急に金は持ったが、これまでの文化はそういう若者の日常生活にとざされていたので、所謂気の利いたつかい道が見当つかず、女遊びをすると云ってもやはりこれまでの工場の若者が通った私娼窟へ金を流すという風であるそうだ。

カメラが、こういう青年層へ急激にひろがって行きつつある。手近で、集団的な生活に小さい愉しみをもたらす手段ともなるのであるから、地味な気質の勤労青年たちがカメラにひかれるわけも分る。午ごろ、お濠ばたを通りかかると一時間の休み時間を金のかからない外気の中で過そうとするあの辺の諸官庁会社の、主として若い連中が三々五五、芝草の堤にもたれたり、お濠の水を眺めたりしている。なかに、小型写真機を胸の前にもって、松の樹の下に佇んでいる同僚をうつしているつつましい背広姿もよく見かける。外国であったら、その時松の樹を背景として立っているのは、陽気に皓しろい歯並をキラメかせている同僚の女の子であるだろうのに、お濠のまわりの人目の多いところでは、殆どいつも男が男の仲間をとってやっているのも如何にも日本らしい。

特別議会が終ったが、ここで臨時増税が決定した。新たに増税されるものの種目に、写真機及その附属品、原料というのがある。フィルム、原像液、引延機、みんな其々に税がかかるのであろう。写真機の大衆化は、その生産過程の特殊性から或る方面の支持によったのであるそうだが、ずうっとひろげておいて今度はそこから零細なようでつもると大きいものを〔二字欠〕上げて来るという方法である。例えばどんなに税が高くあろうとも妻や妹はウビガンの香水を常用しているという部分の人々にはどういう感じをおこさせるかしらないが、都会の人口の大多数を占める下級中級の若いサラリーマン、勤労青年たちが、いささかの慰みとしてアパートの部屋でかけて聴いている蓄音器、レコードその他の楽器に新しく税がかかったり、写真機に税がかかったりすることは、直接月給が減ったのと同じような切ない感情を呼びさまされるのである。

〔一九三七年十月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「作品」
1937(昭和12)年10月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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宮本 百合子「カメラの焦点」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十七巻』新日本出版社、1981年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003936_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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