Soranoha

日記

にっき

宮本 百合子

ある夜

細長い土間のところへ入って右手を見ると、そこがもう座敷で、うしろの壁いっぱいに箪笥がはめこんである。一風変った古風な箪笥で、よく定斎屋がカッタ・カッタ環を鳴らして町を担いで歩いた、ああいう箪笥で、田舎くさく赤っぽい電燈の光に照らされ、引手のところの大きい円い金具が目立っている。郵便局の家であった。

目立つ箪笥を背にして、ずらりと数人の男が並んで坐っている。きちんと膝をそろえて坐っている一人一人の男の前に黒塗の足高膳が出ている。誰も喋っていず、食べてもいない。ただそうやって顔をこちらに向け並んでいる。知った顔は一つもない。

私は黙って土間から上った。並んでいる男の人達とは鍵のてになった四角い座敷の方に宮本がいる。わたしはそちらへ行った。こちらには膳が出ていない。新聞のようなものが畳の上に無雑作に出しぱなしになっていて、其処にいるだけの人々は一つの安心した気分で結ばれている。その気配が私にも感じられて、ゆとりのあるいい心持がした。

髪の毛や肩の上へ、箪笥を照していると同じ赤っぽい電燈の光を受けながら、和服で胡坐あぐらをかいた宮本が、そこにあった紙型をとりあげて私にその拵えかたを説明した。紙がしめっているうちに細かくたたいて字を出すんだと云うようなことを話し、話しながら自分も表をかえし、裏を返し、紙型を眺めている。その様子を私がある感情をもって眺めている。

やがて宮本が楽しそうに体を伸してそこへ横になった。一寸経って私もそのそばへ横になった。膳を控えて並んでいる男の人達はやはりそこに膝を並べていて、今は顔を動かし何か話している。言葉はききとれないが、その話は何かそっちだけの話だということが分り、こちらはこちらで横になり、全くこだわりなく、自然である。独特にゆったりとして息つくのにらくな雰囲気を深く感じながら私は目をつぶっていたようだ。

夢がさめると一緒に私は眼をあけて、びっくりしたように自分のまわりを見まわした。今に起きて仕事をしようと思って点けっぱなしにして置いたスタンドの緑色が動かず静かに枕元に灯っている。

夢の中で或る間隔を置いて並んで横になっていた私に感じられていた宮本の体の量感が、さめてのちもはっきりと私の横に残っている。深夜の天井を大きく見ひらいた目で眺めながら、私はその感じに沈んで寝ているのであったが、次第に強く感情を動かして来るものを心の中に感じ、私は大きく寝がえりをうち、暫くして起き出した。

面会に行ったとき、面会所の窓の切り穴から看守につきそわれ編笠を足もとにおいてあらわれる宮本の現実の姿は、頭をクルクル刈りにして着ぶくれ、背が低くなったように見えるのである。

鶯

一月末のある夜明けがた起きて仕事をしているうちに、いつか外は朝になった。

前の井戸ばたでポンプの音がきこえ、子供の声が微かにした。雨戸をしめたままでなお書いていたら、どこかでホーホケキョ、ケキョとふっくりした鶯の鳴音がした。私は覚えず耳を欹そばだてた。余りつづけては鳴かず、その一声きりであったが、その声は、私に或るいくつかの特殊な朝を思い出させた。

警察の裏にあるコンクリートの建物の中の一室で、〔十二字伏字〕布団を敷き、〔十三字伏字〕毛布を〔四字伏字〕かけ、一人の色情狂を混えて三人の女が寝ていた。五時になると起き出すのであったが、〔七字伏字〕向いあった側に〔二字伏字〕、そこは男ばかり〔九字伏字〕が並んでいる。男等は〔六字伏字〕十八人から二十三四人も〔五字伏字〕いたから誰も〔十七字伏字〕。高いところの金網ばりの窓に朝の清げな光があるが、其〔三字伏字〕の内は〔七字伏字〕人いきれと影とでどす暗く澱んで、〔二十三字伏字〕蒼い髪の伸びた男の顔と体とが〔五字伏字〕見えるのである。

女の方は幾分明るく、〔九字伏字〕、〔十五字伏字〕あったが、朝のその刻限には、毎日きまってホーホケキョ、ケキョケキョと明晰な丸い響で高い窓から鶯の声が落ちて来るのであった。鶯の音のする方からは、夕方揚げものをする油の芳ばしい匂いも流れて来た。その匂いを深く鼻の穴に吸いこんで嗅ぐと、半歳近く湯にいれられぬ皮膚が、ほのかにうるおい、食慾も出るように感じるのであった。

商売

帳簿を立て並べた長い台に向って、土間に、白キャラコの覆いのよごれた粗末な腰かけが三四脚おいてある。薄禿げで、口のまわりに大きい皺のある小柄な主人が縞の着物に黒ラシャ前垂をかけ、台に坐り筆で何か書いている。主人の背後には、差入れをたのまれた書籍類が数冊ずつ細い紐でしばっておいてある。

この差入屋の店へ私はあとから入って来たので、今主人が応待しているのは若い女のひとであった。若い女のひとはすっかりよそ行きの化粧と盛装で、白いショールをはずし、それを両手にからみつけるように持って立ち、

「何がよろしいんでしょうねえ、何でもいいっておっしゃるんですよ」

と、ものを書いている主人に、馴れない、すがりつくような様子で云っている。束髪の鬢を乱して黒っぽいコートを着た四十がらみの大きい女がこのひとの伴れらしいが、そのひともショールをはずして膝の上へまるめこみ、沈んだ風で体をねじり、煉炭火鉢に両手をかざして、黙っている。

「サア……何か暖いものがいいでしょうが……」

主人は顔を下に向けゆっくりと毛筆を運びながら、応答している。

「やっぱり、外であがるようには行きませんでしてね」

「そうでしょうねエ」

感慨をこめて答えているが、その若い女のひとには、どんな風にそれが外で食べるようには行かないのか、はっきり、具体的に分っているのではないことが口調から感じられる。暫く沈黙がつづいたが、しまいにその女のひとは思案にあまって投げすてたというように、コートにつつんで立っている体を捩り、

「じゃ、何でもようございますわ、おみつくろい下されば……」と云った。

「お弁当をお入れしましょうか」

「ええ」主人は女のひとの方を見ないまま別の紙をひき出し、又その上に筆を動かしている。受取りをさし出されてガマ口を懐からとり出しながら、

「あのう――この次面会するときにも又こちらへおよりすれば、紙を書いていただけますか」

と若い女のひとがたずねた。

私は、差入屋が面会願いを書くということを、その言葉からはじめて知った。

「お書きします。――あれは、御自分でおかきになってもいいんですがね」

主人は釣銭を出しながら後の文句を軽くそう答えたのであったが、私はそれをきいていて商売の細かさと合わせ、同じ商売でもこういう特別な商売におのずから滲み出している官僚風な特色をつよく感じた。自分でお書きになってもいいんですというところまでは、この主人が、差入屋としては親切な部だという評判をいつしか得ている点であろうが、進んでその書き方を若い女に教えてやろうとせず、また敢て教えて下さいと云おうともしないところに、商いのかけひきと同時に、その煩瑣な形式で普通人を戸惑わせ、自身を無力な者のように錯覚させている〔十八字伏字〕。

私は余りいい心持がせずに襟巻を顎の下にひきつけ、そこにかけているのであった。もう一ヵ月以上も〔二十九字伏字〕。そのことを、今日になってやっと知ったのである。

主人は、〔九字伏字〕ならないもんですからと、口のまわりの大きい皺をうごかして云うであろう。それはそうであるが、〔三十九字伏字〕知らしてやるものは無かった。そんな些細な日常身のまわりのことにまで、〔二十一字伏字〕困難は横わっているのである。

〔一九三五年三月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「文芸」
1935(昭和10)年3月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「日記」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十七巻』新日本出版社、1981年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003913_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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