Soranoha

九州の東海岸

きゅうしゅうのひがしかいがん

宮本 百合子

細い流れがうねって引込んである。奥の植込みに、石南花が今を盛りに咲いていた。海、砂、五月の空、互になかなか美しい、もう一本目を牽く樹があった。すんなり枝を延ばし梢高く、樹肌がすべすべで薄紅のに、こちゃこちゃ、こちゃこちゃとかたまって濃緑、臙脂、ぱっとした茶色などの混った若芽が芽ばえ出している。ちょうど若葉の見頃な楓もあったが、樹ぶりが皆、すんなり、どちらかというと細めで素直だ。石南花など、七八年前札幌植物園の巖の間で見た時は、ずんぐりで横にがっしりした、まあ謂わば私みたいな形だったのに、ここで見ると同じ種類でもすらりとし、背にのびている。

これは、別府でふと心づいたことだが、九州を歩いて見、どこの樹木でも大体本州の樹より細幹とでも云うのか、すらりと高く繊細な感じをもっているのは意外であった。勿論釣合の上のことで、太い大木だって在る。けれども決して、北国の樹のように太短くはない、太ければ太いだけ梢を高く高く冲している。それらが房々青葉をつけて輝いている。いかにも軽やかに、明るい。大分臼杵という町は、昔大友宗麟の城下で、切支丹渡来時代、セミナリオなどあったという古い処だが、そこに、野上彌生子さんの生家が在る。臼杵川の中州に、別荘があって、今度御好意でそこに御厄介になったが、その別荘が茶室ごのみでなかなかよかった。臼杵川は日向灘とつながって潮の満干が極めて著しい。臼杵へ出入りする船の便宜を計って、川と中島との間に橋というものは一つもない。軽舟に棹さして悠暢に別荘への往復をするのだが、楓樹の多いこの庭が、ついた日の暮方夕立に濡れて何ともいえない風情であった。植込まれた楓が、さびてこそおれ、その細そりした九州の楓だから座敷に坐って、蟹が這い出した飛石、苔むした根がたからずっと数多の幹々を見透す感じ、若葉のかげに一種独特な明快さに充ちている。茶室などのことを私は何も知らないが東京や京都で茶室ごのみというと、清々しくはあるが余り暗い茶室。暗い、木下暗、なんだかそういう連想がある。光線が暗いという上心持の晦渋さをも幾分含む。それには、植込の樹にも大分関係あるらしいことが九州へ来て分った。九州の樹は前にも云う通りすらりと高い。木によって違うだろうが楓なら、坐った高さで先ず若葉ごしの日光を受ける幹が目に入る程よくこみ合い、根を張った樹の幹の眺めは、心を落つかせ、実によいものだ。樹幹の風致を充分味わせながら、当然青葉若葉も瞳に映る。明るく、確しっかりしてい、同時に溢れる閑寂を感じる。

私の狭い経験で東京や京都の凝った部屋の植込みが、こんなところは知らない。坐ると、第一に植込みの葉面が迫って来る。種々錯綜した緑の線、葉の重なり。ここでは緑に囲まれて坐るというところによさがあり、九州――臼杵で見た庭は、心が自ら樹間を逍遙する宏やかさがある。

九州へ一度も行かない人は、九州という処をどう想像するだろう。樹木なんぞこんなに細そり、山は円く、入江の多い、こまやかな景色の処と考えるだろうか。私は滑稽なことだが九州というと、線の太い、何処か毛むくじゃらなところがある土地のように思っていたから、自然でも随分思いがけぬ優しさ、明るさにおどろいた。雪の降らない暖国では樹木がこうも、さやさや軽く真直ぐ育つものか。かえりに京都へ寄り、急に思い立って大原へ行った。これはまた、何と低い新緑の茂み! 背の低い樹々が枝から枝へ連って山々、谿々を埋めている。寒い土地の初夏という紛れない感じで感歎した。

青島は、なかなか有名だ。大抵の人が知っていた、是非行って見ろと云う。去年両親が旅行した時もわざわざ宮崎へ泊って見物した由、帰っての話題に相当大きい役割を持っていた。

私共はそもそも初めの予定では鹿児島の方へは廻らない積りだった。廻ったらとても旅費が足りない。ところが、別府が危ぶんでいた通り思わしくなかったので、それではと鹿児島廻りで長崎へ行こうとたったのであった。どうせ大淀を通るなら、一寸汽車を工面して見るのも悪くない。四時間ばかり余裕を見て、大淀駅から青島行自動車に乗った。豊後から日向に入ると、景色が変った。豊後の、海沿いに島があったり、入江があったり、実に所謂いい景色にちんまりしていたのが、日向にかかると、風景がずっと放胆で平原的になった。広々した畑、関西風な村を抜けて自動車が青島へ向い駛るにつれ、私は段々愉快で堪らなくなって来た。別府、臼杵、経て来た町にないおおどかさが日向という国には満ちている。日向と書く文字に偽りなく、ここは明るい。平明に、こだわりなく天と地とがぽーっと胸を打ち開いて、高らかな天然の樹木、人間の耕作物をいだきのせている。自動車という文明の乗物できまった村街道を進むのではあるが、外の自然を見ていると、空気に、日光に、原始的な、神代めいた朗かさ、自由さ、豊富さが横溢して指の先へまで伝わって来るのだ。

青島も、確に珍しい見物の一つではあろう。太平洋に面した海岸の巖石が、地質の関係で、亀甲形や菊皿のような形に一面並んでいる、先に南洋の檳榔樹、蘭科植物などが繁茂した小島が在る。その巖の特殊な現象と、その小島に限って南洋植物が生育しているのとが、青島を著名にしているのだが、私共は大してびっくりしなかった。宮崎県では、大事な名所の一つとしているのだろうが、島中に青島神社を祭ったぎり、その特徴ある島の成因について、科学的な説明を与えた印刷物などはどこにも売っていない。潮流の工合で、南洋からそういう植物をのせたまま浮島が漂って来て、大仕掛の山葵卸のようなそれ等の巖のギザギザに引っかかったまま固着したのか、または海中噴火でもし、溶岩が太平洋の波に打たれ、叩かれ、化学的分解作用で変化して巖はそんな奇妙なものとなり、熱い地面に南洋の木の実が漂いついて根を卸したのか、わからない。それ故何だか物足りない。ただ、九州に来て、線の素直な、簡明な樹幹ばかり眺めていたところへ、いやに動物的にうねくって縺れ合った檳榔樹の体やばさばさふりかぶった葉を見、暗く怪奇な印象を与えられたのは面白い。なるほど、南洋土人が、この樹の下で踊るには、白く塗ったところへぞッとする模様を描いた巨大な仮面でもかぶらなければ追つくまいと思う。

また大淀まで、今度は軽便鉄道で戻るのだが、道々、私共は本当に見渡す限り快闊な日向の風好を愛した。高千穂峯で最初の火を燃したわれ等の祖先が、どんなに晴れやかさの好きな自然人であったか、またこの素朴な大海原と平野に臨んでどんなに男らしく亢奮したか。その感情が今日の我々にさえ或る同感を以て思いやれる程、日向の日光は明かで生活力がとけ込んでいる。

武者小路さんが新しき村を創るに日向を選んだ。これなど、あすこへ行って見て、ただ都会から遠いとか何とかいう原因でない、武者小路さんらしさをしみじみ感じた。(氏自身の理由とされるところは知らないけれども)武者小路さんと日向の天地と、本質がどこか相似ている。九州中を求めて歩いても、外に定める場所はなかりそうに思える。大分県は私の見ただけのところでは小規模にちんまり安住しすぎ、鹿児島は明るく、人の気質が篤く覇気はあるらしいが、既成の或るものがある。日向にだけは、男神が甦生しても大して意外でない悠々さがある。

熊本は、寝て素通りしたから何も知らず、長崎へゆくと、更に人々の気持、自然の雰囲気が異なって来る。

そういう方面だけ思い出しても、九州の旅行は楽しく、たっぷりしたものであった。

〔一九二六年六月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「読売新聞」
1926(大正15)年6月1~3日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/003864_000311/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/003864_000311/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/003864_000311/

宮本 百合子「九州の東海岸」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十七巻』新日本出版社、1981年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003864_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite