Soranoha

大切な芽

たいせつなめ

宮本 百合子

私は、友情というものに多くの夢をかけている者だ。どうかして一人でも一生の間には、これこそ自分の心の友として悦びや悲しみを倶にし得る人を得たいと常に思っていた。けれども、子供の時から私の生活は両親の保護でぐるりととりまかれ、その状態が長く続いたので、本当に自分の感情を流露させて深く交際する人を見出すことは難しかった。一つには、性格の傾向や趣味の問題もある。何かで読んだ通り、こちらで求めるときには、却ってよい友などは見つからないものなのかもしれない。一時、私は同性間の友情に、随分悲観的な見方をしたことがあった。女学校時分に相当親しかった友達などでも、だんだん時が経ち、生活の様子が異って来ると、どうもぴったり心が喰い合わない。正直なことをいうと感情を害し、自己の生活などを全然客観し得ない、あるままの而も綺麗なよそ行きな部面だけを照し合わせていき合って行かなければならないのは、私にとって苦痛であり、物足りなさが増す一方であった。

私は、それにいろいろ理窟をつけて考えて見た。女というものは、概して自分を発育させ、宏い確かな地盤の上で生きようとする本能的な熱意が男より少いのではないか、家が幸福で兄妹でもあって育てば、友達を求める切な望みは起るまいし、大きくなって結婚でもすれば、良人に承認されるだけの自分で大抵安心を得てしまう。友達との関係は第二次的のものになる。良人同士の社会的地位などが若し互の意識に這入りでもすれば友情は衰弱するばかりであろう。

仕事を持たない人、これだけは一生かかってどうにかしようという一つのものを持たない人は、その点呑気であると思った。仕事をするのは独りぽっちの業であると知っても、時々心の底を打ち破って思うだけを話し合う友達が欲しい。仲間が欲しいというのが適当であろう。趣味、余技などというなまやさしいところを抜け、百姓ならば汗だくだくになって振った鍬を一休みし、額や頸でも拭きながら腰を延して「やあ、どうだ、うまく行くか」と声をかけ合う、そういう交りが実に実に欲しいのだ。

男の人は誰でもそういう友達がある。女は、なかなかそういう友達は見出せない。それ故、女性で一つの特殊な道に進む人々、画家でも、(音楽家は数の多さから見て他の部門よりはましだろうと想像する)創作家でも孤立的な場合が多い。考えればつくづく寥しいことだ。そして、そういう孤立的な少数の女性は、一人や二人しんから解り合う友もない程、女性の世界は狭小で未熟である、自分の生れた国の乏しさを歎くより、とかく孤立の程度を自己の卓越の程度と同一視する。侘しい限りだ。

私は、四五年来、何処からかいつか相ふれて来るだろう友を待つことが切であった。近頃その宿望がやっとそろそろ日の目を見るようになって来たらしい。私は近いところに(感情の距離からいって。妙な表しかただけれども。)二人、それより一寸はなれて一人、よい仲間が出来始めた。方向をかえると、他にも二人ばかり。この人達は、皆生れつきが違っている、それで私を種々な方にのばしてくれる。私がよい友となれる希望を充分にもつのは、その人達と一緒にいると私は虚飾を忘れ、楽な、きのままの、それでいて決してうじゃじゃけてはいないいい心持になれるからだ。その人々と遊んだり、喋ったりすると、あとは爽やかで勇気づけられ、意気込んで来る。実生活の上でも、仕事の上でも、本当に友達の有難みを知ることの出来るのは、これからであろうと思っている。その人々とのつき合いが始ってからでも、もう私はかなり深くその感謝を感じていることもある。そんなことを一々具体的に、友の名を並べ面白く書いて欲しいのが、多分編輯の方の目的であったのだろうけれども、私の友情はやっとおそまきの、私にとっては大事な芽を地面の奥でふき出したばかりといってよい時期にある。私は、今迄待ち望んでいたものが到頭見出せるかというときなのだから、それを自然に育てようと真面目に考えている。自ら地面を破って現れる迄、私は滋養にとんだ沈黙で二葉を包んでおこう。

異性の友情も、私は微妙な陰翳のあるまま朗らかに肯定し暢々のびのび保って行きたい。けれども、むずかしいのは私の根性が思う通り垢抜けてくれないことだ。

〔一九二四年六月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「女性改造」
1924(大正13)年6月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「大切な芽」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十七巻』新日本出版社、1981年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003841_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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