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<ruby><rb>北原</rb><rt>きたはら</rt></ruby>さん。

「アルス新聞」に<ruby><rb>子規</rb><rt>しき</rt></ruby>のことを書けと云ふ<ruby><rb>仰</rb><rt>あふ</rt></ruby>せは<ruby><rb>確</rb><rt>たしか</rt></ruby>に拝誦しました。子規のことは仰せを受けずとも書きたいと思つてゐるのですが、今は用の多い為に<ruby><rb>到底</rb><rt>たうてい</rt></ruby>書いてゐる<ruby><rb>暇</rb><rt>ひま</rt></ruby>はありません。が、<ruby><rb>何</rb><rt>なん</rt></ruby>でも書けと云はれるなら、子規に関する<ruby><rb>夏目</rb><rt>なつめ</rt></ruby>先生や<ruby><rb>大塚</rb><rt>おほつか</rt></ruby>先生の談片を紹介しませう。これは子規を愛する人人には<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>に合せの子規論を聞かせられるよりも興味のあることと思ひますから。

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「<ruby><rb>墨汁一滴</rb><rt>ぼくじふいつてき</rt></ruby>」だか「<ruby><rb>病牀</rb><rt>びやうしやう</rt></ruby>六尺」だかどちらだかはつきり覚えてゐません。しかし<ruby><rb>子規</rb><rt>しき</rt></ruby>はどちらかの中に夏目先生と散歩に出たら、先生の稲を知らないのに驚いたと云ふことを書いてゐます。或時この稲の話を夏目先生の前へ持ち出すと、先生は「なに、稲は知つてゐた」と云ふのです。では子規の書いたことは<ruby><rb>譃</rb><rt>うそ</rt></ruby>だつたのですかと反問すると「あれも譃ぢやないがね」と云ふのです。知らなかつたと云ふのもほんたうなら、知つてゐたと云ふのもほんたうと云ふのはどうも少し<ruby><rb>可笑</rb><rt>をか</rt></ruby>しいでせう。が、先生自身の説明によると、「僕も稲から米のとれる位のことはとうの昔に知つてゐたさ。それから<ruby><rb>田圃</rb><rt>たんぼ</rt></ruby>に生える稲も<ruby><rb>度</rb><rt>たび</rt></ruby>たび見たことはあるのだがね。唯その<ruby><rb>田圃</rb><rt>たんぼ</rt></ruby>に生えてゐる稲は米のとれる稲だと云ふことを発見することが出来なかつたのだ。つまり頭の中にある稲と眼の前にある稲との二つをアイデンテイフアイすることが出来なかつたのだがね。だから<ruby><rb>正岡</rb><rt>まさをか</rt></ruby>の書いたことは<ruby><rb>一概</rb><rt>いちがい</rt></ruby>に譃とも云はなければ、一概にほんたうとも云はれないさ」！

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それから又夏目先生の話に<ruby><rb>子規</rb><rt>しき</rt></ruby>は先生の俳句や漢詩にいつも批評を加へたさうです。先生は<ruby><rb>勿論</rb><rt>もちろん</rt></ruby>子規の<ruby><rb>自負心</rb><rt>じふしん</rt></ruby>を多少<ruby><rb>業腹</rb><rt>ごふはら</rt></ruby>に思つたのでせう。或時英文を作つて見せると――子規はどうしたと思ひますか？　<ruby><rb>恬然</rb><rt>てんぜん</rt></ruby>とその上にかう書いたさうです。――ヴエリイ・グツド！

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これは大塚先生の話です。先生は帰朝後西洋服と日本服との美醜を比較した講演か何かしたさうです。すると直接先生から聞いたかそれとも講演の筆記を読んだか、<ruby><rb>兎</rb><rt>と</rt></ruby>に<ruby><rb>角</rb><rt>かく</rt></ruby>その説を知つた子規は大塚先生にかう云つたさうです。――

「君は人間の立つてゐる時の服装の美醜ばかり論じてゐる。坐つてゐる時の服装の美醜も<ruby><rb>并</rb><rt>あは</rt></ruby>せて考へて見なければいかん。」わたしのこの話を聞いたのは大塚先生の美学の講義に出席してゐた時のことですが、先生はにやにや笑ひながら「それも<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>に考へて見ると、子規はあの通り寝てゐたですから、坐つた人間ばかり見てゐたのでせうし、わたしは又外国にゐたのですから、坐らない人間ばかり見てゐましたし」と<ruby><rb>御尤</rb><rt>ごもつと</rt></ruby>もな註釈をもつけ加へたものです。

ではこれで<ruby><rb>御免</rb><rt>ごめん</rt></ruby><ruby><rb>蒙</rb><rt>かうむ</rt></ruby>ります。それからこの<ruby><rb>間</rb><rt>あひだ</rt></ruby>お<ruby><rb>出</rb><rt>いで</rt></ruby>になつた方にもちよつと申し上げて置いたのですが、どうか「子規全集」の予約者の中にわたしの名前を加へて置いて下さい。以上。

（大正十三年四月）