主観的にはなしと思う。けれどもその人の生活した真実性、直接性の如何によって、客観的に、人類の裡に永久に、または或る期間、生きるものであると思う。
〔一九二二年四月〕
しごのせかいはあるかないか
宮本 百合子
主観的にはなしと思う。けれどもその人の生活した真実性、直接性の如何によって、客観的に、人類の裡に永久に、または或る期間、生きるものであると思う。
〔一九二二年四月〕
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913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c宮本 百合子「死後の世界は有るか無いか」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十七巻』新日本出版社、1981年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003713_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079