湯島の境内　（婦系図―戯曲―一齣）

〽<ruby><rb>冴</rb><rt>さ</rt></ruby>返る春の寒さに降る雨も、暮れていつしか雪となり、

<ruby><rb>仮声使</rb><rt>こわいろつかい</rt></ruby>、両名、登場。

〽上野の鐘の<ruby><rb>音</rb><rt>ね</rt></ruby>も氷る細き流れの<ruby><rb>幾曲</rb><rt>いくまがり</rt></ruby>、すえは田川に<ruby><rb>入谷村</rb><rt>いりやむら</rt></ruby>、

その仮声使、料理屋の<ruby><rb>門</rb><rt>かど</rt></ruby>に立ち随意に仮色を使って帰る。

〽<ruby><rb>廓</rb><rt>くるわ</rt></ruby>へ近き<ruby><rb>畦道</rb><rt>あぜみち</rt></ruby>も、右か左か<ruby><rb>白妙</rb><rt>しろたえ</rt></ruby>に、

この間に早瀬<ruby><rb>主税</rb><rt>ちから</rt></ruby>、お<ruby><rb>蔦</rb><rt>つた</rt></ruby>とともに仮色使と<ruby><rb>行逢</rb><rt>ゆきあ</rt></ruby>いつつ、登場。

〽<ruby><rb>往来</rb><rt>ゆきき</rt></ruby>のなきを<ruby><rb>幸</rb><rt>さいわい</rt></ruby>に、人目を忍び<ruby><rb>彳</rb><rt>たたず</rt></ruby>みて、

仮色使の退場する時、早瀬お蔦と<ruby><rb>立留</rb><rt>たちどま</rt></ruby>る。

お蔦　<ruby><rb>貴方</rb><rt>あなた</rt></ruby>……貴方。

早瀬　ああ。（と驚いたように返事する。）

お蔦　いい、月だわね。

早瀬　そうかい。

お蔦　御覧なさいな、この景色を。

早瀬　ああ、成程。

お蔦　<ruby><rb>可厭</rb><rt>いや</rt></ruby>だ、はじめて気が付いたように、貴方、どうかしているんだわ。

早瀬　どうかもしていようよ。月は晴れても心は<ruby><rb>暗闇</rb><rt>やみ</rt></ruby>だ。

お蔦　ええ、そりゃ、世間も暗闇でも構いませんわ。どうせ日蔭の<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>ですもの。……

早瀬　お蔦。（とあらたまる。）

お蔦　あい。

早瀬　済まないな、今更ながら。

お蔦　水臭い、貴方は。……<ruby><rb>初手</rb><rt>しょて</rt></ruby>から覚悟じゃありませんか、ねえ。内証だって夫婦ですもの。私、苦労が<ruby><rb>楽</rb><rt>たのし</rt></ruby>みよ。月も雪もありゃしません。（<ruby><rb>四辺</rb><rt>あたり</rt></ruby>を<ruby><rb>眗</rb><rt>みまわ</rt></ruby>す）ちょいとお花見をして<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>きましょうよ。……誰も居ない。腰を掛けて、よ。（と肩に軽く手を掛ける。）

〽<ruby><rb>慥</rb><rt>たしか</rt></ruby>にここと見覚えの門の<ruby><rb>扉</rb><rt>とぼそ</rt></ruby>に立寄れば、（早瀬、引かれてあとずさりに、一脚のベンチに憩う。）

お蔦　（並んで掛けて、嬉しそうに膝に手を置く）感心でしょう。私も素人になったわね。

〽風に<ruby><rb>鳴子</rb><rt>なるこ</rt></ruby>の音高く、

時に、ようようと蔭にて二三人、ハタハタと拍手の音。

お蔦　（肩を離す）でも不思議じゃありませんか。

早瀬　何、月夜がかい。

お蔦　まあ、いくら二人が内証だって、世帯を持てば、雨が漏っても月が<ruby><rb>射</rb><rt>さ</rt></ruby>すわ。月夜に不思議はないけれど、こうして一所におまいりに来た事なのよ。

早瀬　そうさな、不思議と云えば不思議だよ、世の中の事は分らないものだからな。

お蔦　急に雪でも降らなけりゃ<ruby><rb>可</rb><rt>い</rt></ruby>い。

早瀬　（懸念して）え、なぜだ。

お蔦　だって、ついぞ一所に連れて出てくれた事が無かったじゃありませんか。珍しいんだもの。

早瀬　…………

お蔦　ねえ、貴方、私やっぱり、亡くなった親の<ruby><rb>情</rb><rt>なさけ</rt></ruby>が貴方に<ruby><rb>乗憑</rb><rt>のりうつ</rt></ruby>ったんだろうとそう思いますわ。……こうして月夜になったけれど、今日お<ruby><rb>午</rb><rt>ひる</rt></ruby>過ぎには暗く曇って、おつけ晴れて出られない<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>にはちょうど<ruby><rb>可</rb><rt>い</rt></ruby>い空合いでしたから、貴方の留守に、お<ruby><rb>母</rb><rt>っか</rt></ruby>さんのお墓まいりをしたんですよ。……<ruby><rb>飯田町</rb><rt>いいだまち</rt></ruby>へ行ってから、はじめてなんですもの。身がかたまって、<ruby><rb>生命</rb><rt>いのち</rt></ruby>がけの<ruby><rb>願</rb><rt>ねがい</rt></ruby>が<ruby><rb>叶</rb><rt>かな</rt></ruby>って、<ruby><rb>容子</rb><rt>ようす</rt></ruby>の可い男を持った、お蔦はあやかりものだって、そう云ってね、お<ruby><rb>母</rb><rt>っか</rt></ruby>さんがお墓の中から、貴方によろしく申しましたよ。邪険なようで、可愛がって、ほうり放しで、行届いて。

早瀬　お蔦。

お蔦　でも、<ruby><rb>偶</rb><rt>たま</rt></ruby>には一所に連れて出て下さいまし。<ruby><rb>夫婦</rb><rt>いっしょ</rt></ruby>になると<ruby><rb>気抜</rb><rt>きぬけ</rt></ruby>がして、意地も<ruby><rb>張</rb><rt>はり</rt></ruby>もなくなって、ただ<ruby><rb>附着</rb><rt>くッつ</rt></ruby>いていたがって、困った田舎嫁でございます。江戸は本郷も珍しくって見物がしたくってなりません。――そうお<ruby><rb>母</rb><rt>っか</rt></ruby>さんがことづけをしたわ。……何だかこの二三日、<ruby><rb>鬱込</rb><rt>ふさぎこ</rt></ruby>んでいらっしゃるから、貴方の氏神様もおんなじ、天神様へおまいりをなさいまし、私も一所にッて、とても<ruby><rb>不可</rb><rt>いけ</rt></ruby>ないと思って<ruby><rb>強請</rb><rt>ねだ</rt></ruby>ったら、こうして連れて来てくれたんですもの。草葉の蔭でもどんなに喜んでいるか知れませんよ。

早瀬　堪忍しな。嘘にも<ruby><rb>誉</rb><rt>ほ</rt></ruby>められたり、嬉しがられたりしたのは、私は<ruby><rb>昨日</rb><rt>きのう</rt></ruby>、<ruby><rb>一昨日</rb><rt>おととい</rt></ruby>までだ、と思っているんだ。（嘆息す。）

お蔦　何だねえ、気の弱い。<ruby><rb>掏賊</rb><rt>すり</rt></ruby>の手伝いをしたッて、新聞に出されて、……自分でお役所を辞職した事なんでしょう。私が云うと、月給が取れなくなったのを気にするようで<ruby><rb>口惜</rb><rt>くや</rt></ruby>しいから、何にも口へは出さなかったけれど、貴方、この間から<ruby><rb>鬱</rb><rt>ふさ</rt></ruby>いでいるのはその事でしょう。<ruby><rb>可</rb><rt>い</rt></ruby>いじゃありませんか。<ruby><rb>蹈</rb><rt>ふ</rt></ruby>んだり<ruby><rb>蹴</rb><rt>け</rt></ruby>たりされるのを見ちゃ、掏賊だって助けまいものでもない、そこが男よ。ええ、私だって柳橋に居りゃ助けるわ。それが悪けりゃ世間様、勝手になさいな。またお役所の事なんか、お墓のお<ruby><rb>母</rb><rt>っか</rt></ruby>さんもそう云いました。蔦がどんな苦労でも<ruby><rb>楽</rb><rt>たのし</rt></ruby>みにしますから、お世帯向は<ruby><rb>決</rb><rt>け</rt></ruby>して御心配なさいますなって、……云ってましたよ。

早瀬　<ruby><rb>難有</rb><rt>ありがた</rt></ruby>い、<ruby><rb>俺</rb><rt>おい</rt></ruby>ら嬉しいぜ。

お蔦　女房に礼を云う人がありますか。ほんとうにどうかしているんだよ。

早瀬　馬鹿な。お前のお<ruby><rb>母</rb><rt>っか</rt></ruby>さんに礼を云うのよ。しかし世帯の事なんか、ちっとも心配しているんじゃない。

お蔦　じゃ何を鬱ぐんですよ。

早瀬　何という事はない、が、月を見な、時々雲も<ruby><rb>懸</rb><rt>かか</rt></ruby>るだろう。星ほどにも無い人間だ。ふっと<ruby><rb>暗闇</rb><rt>やみ</rt></ruby>にもなろうじゃないか。……いや、家内安全の<ruby><rb>祈祷</rb><rt>きとう</rt></ruby>は身勝手、<ruby><rb>御不沙汰</rb><rt>ごぶさた</rt></ruby>の御機嫌うかがいにおまいりしながら、<ruby><rb>愚痴</rb><rt>ぐち</rt></ruby>を云ってちゃ境内で相済まない。……さあ、そろそろ帰ろう。（立ちかける。）

お蔦　（引添いつつ）ああ、ちょっと、待って下さいな。

早瀬　何だ。

お蔦　あの、私は<ruby><rb>巳年</rb><rt>みどし</rt></ruby>で、かねて、弁天様が信心なんです。……ここまで来て御不沙汰をしては気が済まないから、石段の下までも行って拝んで来たいんですから、貴方、ちょっとの<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>よ、待っていて下さいな。

早瀬　ああ、行くが<ruby><rb>可</rb><rt>い</rt></ruby>い、ついで、と云っては失礼だが、お前<ruby><rb>不忍</rb><rt>しのばず</rt></ruby>まで行ってはどうだ。一所に行こうよ。

お蔦　まあ、珍しい。貴方の方で一所なんて、不思議だわね。（顔を見る）でも、悪い方へ不思議なんじゃないから私は嬉しい。ですがね、弁天様は一所は悪いの。それだしね、私貴方に<ruby><rb>内証</rb><rt>ないしょ</rt></ruby>々々で、ちょっと買って来たいものがありますから。

早瀬　お心まかせになさるが<ruby><rb>可</rb><rt>い</rt></ruby>い。

お蔦　いやに優しいわね。よしましょうか、私、……よそうかしら。

早瀬　なぜ、<ruby><rb>他</rb><rt>ほか</rt></ruby>の事とは違う、信心ごとを<ruby><rb>止</rb><rt>よ</rt></ruby>しちゃ<ruby><rb>不可</rb><rt>いけ</rt></ruby>ない。

お蔦　でも、貴方が寂しそうだもの。何だか災難でもかかるんじゃないかと思って、私気になって仕ようが無い。

早瀬　<ruby><rb>詰</rb><rt>つま</rt></ruby>らん事を。災難なんか張倒す。

お蔦　おお、<ruby><rb>出来</rb><rt>でか</rt></ruby>した、宿のおまえさん。

早瀬　お茶屋じゃない。場所がらを知らないかい。

お蔦　嬉しい、久しぶりで叱られた。だけれど、声に力がないねえ。（とまた案ずる。）

早瀬　早く行って来ないかよ。

お蔦　あいよ。そうそう、<ruby><rb>鬱陶</rb><rt>うっとう</rt></ruby>しいからって、貴方が脱いだ<ruby><rb>外套</rb><rt>がいとう</rt></ruby>をここに置きますよ。夜露がかかる、着た方が<ruby><rb>可</rb><rt>い</rt></ruby>いわ。

〽気転きかして奥と口。

お蔦　（<ruby><rb>拍手</rb><rt>かしわで</rt></ruby>うつ。）

天神様、天神様。

早瀬　何だ、ぶしつけな。

お蔦　（それには答えず）やどをお頼み申上げます。

早瀬　（ほろりと泣く。）

お蔦　（<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>きかけつつ）貴方、見ていて下さいな、石段を下りるまで、私一人じゃ<ruby><rb>可恐</rb><rt>こわ</rt></ruby>いんですもの。

早瀬　それ見ろ、弱虫。人の事を云う癖に。何だ、<ruby><rb>下谷</rb><rt>したや</rt></ruby>上野の一人あるきが出来ない娘じゃないじゃないか。

お蔦　そりゃ<ruby><rb>褄</rb><rt>つま</rt></ruby>を取ってりゃ、鬼が来ても<ruby><rb>可</rb><rt>い</rt></ruby>いけれども、今じゃ<ruby><rb>按摩</rb><rt>あんま</rt></ruby>も<ruby><rb>可恐</rb><rt>こわ</rt></ruby>いんだもの。

早瀬　<ruby><rb>可</rb><rt>よ</rt></ruby>し、大きな目を<ruby><rb>開</rb><rt>あ</rt></ruby>いて見ていてやる。大丈夫だ、早く<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>きなよ。

お蔦　あい。

〽互に心合鍵に、

早瀬見送る。――お蔦<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>く。――

…………………………

〽はれて逢われぬ恋仲に、人に心を奥の間より、しらせ嬉しく<ruby><rb>三千歳</rb><rt>みちとせ</rt></ruby>が、

このうたいっぱいに、お蔦急ぎあしに引返す。

早瀬、腕を<ruby><rb>拱</rb><rt>こまぬ</rt></ruby>きものおもいに沈む。

お蔦　（うしろより）貴方、今帰ってよ。兄さん。

早瀬　ああ。

お蔦　私は……こっちよ。

早瀬　おお早かったな。

お蔦　いいえ、お待遠さま。……私、何だか、案じられて気が<ruby><rb>急</rb><rt>せ</rt></ruby>いて、貴方、ちょっと顔を見せて頂戴（背ける顔を目にして<ruby><rb>縋</rb><rt>すが</rt></ruby>る）ああ（嬉しそうに）久しぶりで逢ったようよ。（さし<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>く）どうしたの。やはり屈託そうな顔をして。――こうやって一所に来たのは嬉しいけれど、しつけない事して、――天神様のお<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>はよし、ここを離れて途中でまた、魔がさすと<ruby><rb>不可</rb><rt>いけ</rt></ruby>ません。急いで電車で帰りましょう。

早瀬　お前、せいせい云って、ちと休むが<ruby><rb>可</rb><rt>い</rt></ruby>い。

お蔦　もう沢山。

早瀬　おまいりをして来たかい。

お蔦　ええ、<ruby><rb>仲町</rb><rt>なかちょう</rt></ruby>の角から、（軽く合掌す）手を合せて。

早瀬　何と云ってさ。

お蔦　まあ、そんな事。

早瀬　聞きたいんだよ。

お蔦　ええ、話すわ。貴方に御両親はありません、その御両親とも、お主とも思います。貴方の大事なお師匠さま、<ruby><rb>真砂町</rb><rt>まさごちょう</rt></ruby>の先生、奥様、お二方を第一に、御機嫌よう、お達者なよう。そして、可愛いお嬢さんが、<ruby><rb>決</rb><rt>け</rt></ruby>して決して<ruby><rb>河野</rb><rt>こうの</rt></ruby>なんかと御縁組なさいませんよう。

早瀬　それから。

お蔦　それから？

早瀬　それから、……

お蔦　だって、あとは分ってるじゃありませんかね。ほほほほ。

早瀬　（ともに寂しく笑う）ははは、で、何を買って来たんだい、買いものは。

お蔦　（無邪気に<ruby><rb>莞爾々々</rb><rt>にこにこ</rt></ruby>しつつ）いいもの、……でも、お前さんには気に入らないもの、それでも、気に入らせないじゃおかないもの、嬉しいもの、憎いもの、ちょっと<ruby><rb>極</rb><rt>きま</rt></ruby>りの悪いもの。

早瀬　何だよ、何だよ。

お蔦　ああ、悪かった。……坊やはお土産を待っていたんだよ。そんなら、何か買って上げりゃ<ruby><rb>可</rb><rt>よ</rt></ruby>かった。……堪忍おしよ。いい<ruby><rb>児</rb><rt>こ</rt></ruby>だねえ。

早瀬　<ruby><rb>可</rb><rt>い</rt></ruby>いから、何を買ったんだよ。

お蔦　見せましょうか、叱らない？

早瀬　…………

お蔦　叱ったって、もう買ったんだから構わない、（風呂敷より紙づつみを出す）<ruby><rb>髷形</rb><rt>まげがた</rt></ruby>よ、<ruby><rb>円髷</rb><rt>まるまげ</rt></ruby>の。仲町に評判な内があるんですわ。

早瀬　髷形を、お蔦。（思わずそのつつみに手を掛く）<ruby><rb>俺</rb><rt>おれ</rt></ruby>の<ruby><rb>位牌</rb><rt>いはい</rt></ruby>でも買や<ruby><rb>可</rb><rt>い</rt></ruby>いのに。

お蔦　まあ、お位牌はちゃんと飾って、貴方のおふた親に、お気に入らないかも知れないけれど、私ゃ、私ばかりは嫁の気で、届かぬながら、朝晩おもりをしていますわ。

早瀬　樹から落ちた俺の<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>だ。……優しい嫁の孝行で、はじめて戒名が出来たくらいだ。俺は勘当されたッて。……何をお前、両親がお前に不足があるものか。――位牌と云うのは俺の位牌だ。――

お蔦　ええ。

早瀬　お蔦、もう俺ゃ死んだ気になって、お前に話したい事がある。

お蔦　（聞くと<ruby><rb>斉</rb><rt>ひと</rt></ruby>しく<ruby><rb>慌</rb><rt>あわただ</rt></ruby>しく両手にて両方の耳を<ruby><rb>蔽</rb><rt>おお</rt></ruby>う。）

早瀬　ちょっと、もう一度掛けてくれ。

お蔦　（ものも言わず、頭をふる。）

早瀬　よ。（と胸に手を当て、おそうとして、火に触れたるがごとく、ツト手を引く）死ぬ気になって、と聞いたばかりで、<ruby><rb>動悸</rb><rt>どうき</rt></ruby>はどうだ、震えている。稲妻を浴びせたように……<ruby><rb>可哀相</rb><rt>かわいそう</rt></ruby>に……チョッいっそ二人で巡礼でも。……いやいや先生に誓った上は。――ええ、俺は困った。どうしよう。（倒るるがごとくベンチにうつむく。）

お蔦　（見て、優しく擦寄る）聞かして下さい、聞かして下さい、私ゃ心配で<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>がすくむ。（と<ruby><rb>忙</rb><rt>せわ</rt></ruby>しく）早く聞かして下さいな。（と<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>に云う。）

早瀬　俺が死んだと思って聞けよ。

お蔦　<ruby><rb>可厭</rb><rt>いや</rt></ruby>。（<ruby><rb>烈</rb><rt>はげ</rt></ruby>しく再び耳を<ruby><rb>圧</rb><rt>おさ</rt></ruby>う）何を聞くのか知らないけれど、<ruby><rb>貴下</rb><rt>あなた</rt></ruby>この二三日の様子じゃ、雷様より私は<ruby><rb>可恐</rb><rt>こわ</rt></ruby>いよ。

早瀬　（肩に手を置く）やあ、ほんとに、わなわな震えて。

お蔦　ええ、たとい弱くッて震えても、貴方の身替りに死ねとでも云うんなら、喜んで聞いてあげます。貴方が死んだつもりだなんて、私ゃ死ぬまで聞きませんよ。

早瀬　おお、お前も殺さん、俺も死なない、が聞いてくれ。

お蔦　そんなら、……でも、<ruby><rb>可恐</rb><rt>こわ</rt></ruby>いから、目を<ruby><rb>瞑</rb><rt>ふさ</rt></ruby>いで。

早瀬　お蔦。

お蔦　…………

早瀬　俺とこれッきり別れるんだ。

お蔦　ええ。

早瀬　思切って別れてくれ。

お蔦　早瀬さん。

早瀬　…………

お蔦　<ruby><rb>串戯</rb><rt>じょうだん</rt></ruby>じゃ、――貴方、なさそうねえ。

早瀬　<ruby><rb>洒落</rb><rt>しゃれ</rt></ruby>や串戯で、こ、こんな事が。俺は夢になれと思っている。

〽跡には二人さし<ruby><rb>合</rb><rt>あい</rt></ruby>も、涙<ruby><rb>拭</rb><rt>ぬぐ</rt></ruby>うて三千歳が、恨めしそうに顔を見て、

お蔦　ほんとうなのねえ。

早瀬　俺があやまる、頭を下げるよ。

お蔦　切れるの別れるのッて、そんな事は、芸者の時に云うものよ。……私にゃ死ねと云って下さい。蔦には枯れろ、とおっしゃいましな。

ツンとしてそがいになる。

早瀬　お蔦、お蔦、俺は決して薄情じゃない。

お蔦　ええ、薄情とは思いません。

早瀬　誓ってお前を<ruby><rb>厭</rb><rt>あ</rt></ruby>きはしない。

お蔦　ええ、厭かれて<ruby><rb>堪</rb><rt>たま</rt></ruby>るもんですか。

早瀬　こっちを向いて、まあ、聞きなよ。<ruby><rb>他</rb><rt>ほか</rt></ruby>に何も<ruby><rb>鬱</rb><rt>ふさ</rt></ruby>ぐ事はない、この二三日、顔を色を<ruby><rb>怪</rb><rt>あやし</rt></ruby>まれる、屈託はこの事だ。今も言おう、この時言おう、口へ出そうと思っても、朝、目を<ruby><rb>覚</rb><rt>さま</rt></ruby>せば俺より前に、<ruby><rb>台所</rb><rt>だいどころ</rt></ruby>でおかかを掻く音、夜寝る時は俺よりあとに、あかりの下で針仕事。心配そうに<ruby><rb>煙管</rb><rt>きせる</rt></ruby>を<ruby><rb>支</rb><rt>つ</rt></ruby>いて、考えると見ればお<ruby><rb>菜</rb><rt>かず</rt></ruby>の献立、<ruby><rb>味噌漉</rb><rt>みそこし</rt></ruby>で豆腐を買う後姿を見るにつけ、位牌の前へお<ruby><rb>茶湯</rb><rt>ちゃとう</rt></ruby>して、合せる手を見るにつけ、<ruby><rb>咽喉</rb><rt>のど</rt></ruby>を切っても、胸を裂いても、唇を破っても、分れてくれとは言えなかった。<ruby><rb>先刻</rb><rt>さっき</rt></ruby>も先刻、今も今、優しいこと、嬉しいこと、可愛いことを聞くにつけ、云おう云おうと胸を衝くのは、罪も報いも無いものを<ruby><rb>背後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>からだまし<ruby><rb>打</rb><rt>うち</rt></ruby>に、岩か<ruby><rb>玄翁</rb><rt>げんのう</rt></ruby>でその<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>を打砕くような思いがして、俺は冷汗に血が交った。な、こんな<ruby><rb>思</rb><rt>おもい</rt></ruby>をするんだもの、よくせきな事だと<ruby><rb>断念</rb><rt>あきら</rt></ruby>めて、きれると承知をしてくんな。……お前に、そんなに<ruby><rb>拗</rb><rt>す</rt></ruby>ねられては、俺は<ruby><rb>活</rb><rt>い</rt></ruby>きてる空はない。

お蔦　ですから、死ねとおっしゃいよ。切れろ、別れろ、と云うから<ruby><rb>可厭</rb><rt>いや</rt></ruby>なの。死ねなら、あい、と云いますわ。私ゃ<ruby><rb>生命</rb><rt>いのち</rt></ruby>は<ruby><rb>惜</rb><rt>おし</rt></ruby>くはない。

早瀬　さあ、その生命に、俺の生命を、二つ合せても足りないほどな、大事な方を知っているか。お前が<ruby><rb>神仏</rb><rt>かみほとけ</rt></ruby>を念ずるにも、まず第一に拝むと云った、その言葉が嘘でなければ、言わずとも分るだろう。そのお方のいいつけなんだ。

お蔦　（消ゆるがごとく<ruby><rb>崩折</rb><rt>くずお</rt></ruby>れる）ええ、それじゃ、貴方の心でなく、別れろ、とおっしゃるのは、真砂町の先生の。（と<ruby><rb>茫然</rb><rt>ぼうぜん</rt></ruby>とす。）

早瀬　<ruby><rb>己</rb><rt>おれ</rt></ruby>は死ぬにも死なれない。（身を<ruby><rb>悶</rb><rt>もだ</rt></ruby>ゆ。）

お蔦　（はっと泣いて、早瀬に<ruby><rb>縋</rb><rt>すが</rt></ruby>る。）

〽一日逢わねば、千日の思いにわたしゃ煩うて、針や薬のしるしさえ、<ruby><rb>泣</rb><rt>なき</rt></ruby>の涙に紙濡らし、枕を結ぶ夢さめて、いとど思いのますかがみ。

この間に、早瀬、ベンチを立つ、お蔦縋るようにあとにつき、双方涙の目に月を仰ぎながら<ruby><rb>徐</rb><rt>しずか</rt></ruby>にベンチを一周す。お蔦さきに腰を落し、立てる早瀬の<ruby><rb>袂</rb><rt>たもと</rt></ruby>を控う。

お蔦　あきらめられない、もう一度、泣いてお膝に縋っても、是非もしようもないのでしょうか。

早瀬　実は<ruby><rb>柏家</rb><rt>かしわや</rt></ruby>の奥座敷で、胸に<ruby><rb>匕首</rb><rt>あいくち</rt></ruby>を刺されるような、御意見を<ruby><rb>被</rb><rt>こうむ</rt></ruby>った。<ruby><rb>小芳</rb><rt>こよし</rt></ruby>さんも、<ruby><rb>蒼</rb><rt>あお</rt></ruby>くなって涙を流して、とりなしてくんなすったが、たとい泣いても縋っても、こがれ<ruby><rb>死</rb><rt>じに</rt></ruby>をしても構わん、おれの命令だ、とおっしゃってな、二の句は続かん、小芳さんも、俺も畳へ倒れたよ。

お蔦　（やや<ruby><rb>気色</rb><rt>けしき</rt></ruby>ばむ）まあ、死んでも構わないと、あの、ええ、死ぬまいとお思いなすって、……小芳さんの<ruby><rb>生命</rb><rt>いのち</rt></ruby>を懸けた、わけしりでいて、水臭い、芸者の<ruby><rb>真</rb><rt>まこと</rt></ruby>を御存じない！　私死にます、柳橋の蔦吉は男に<ruby><rb>焦</rb><rt>こが</rt></ruby>れて死んで見せるわ。

早瀬　これ、飛んでもない、お前は、血相変えて、<ruby><rb>勿体</rb><rt>もったい</rt></ruby>ない、意地で先生に<ruby><rb>楯</rb><rt>たて</rt></ruby>を突く気か。俺がさせない。待て、落着いて聞けと云うに！――死んでも構わないとおっしゃったのは、先生だけれど、……お前と切れる、女を棄てます、と誓ったのは、この俺だが、どうするえ。

お蔦　貴方をどうするって、そんな無理なことばッかり、情があるなら、実があるなら、先生のそうおっしゃった時、なぜ<ruby><rb>推返</rb><rt>おしかえ</rt></ruby>して出来ないまでも、私の心を、先生におっしゃってみては下さいません。

早瀬　血を吐く思いで俺も云った。小芳さんも、<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>で聞く俺が<ruby><rb>極</rb><rt>きま</rt></ruby>りの悪いほど、お前の心を取次いでくれたけれど、――四の五の云うな、一も二もない――俺を棄てるか、<ruby><rb>婦</rb><rt>おんな</rt></ruby>を棄てるか、さあ、どうだ――と胸つきつけて言われたには、何とも返す言葉がなかった。今もって、いや、<ruby><rb>尽未来際</rb><rt>じんみらいざい</rt></ruby>、俺は何とも、<ruby><rb>他</rb><rt>ほか</rt></ruby>に言うべき言葉を知らん。

お蔦　（間）ああ、分りました。それで、あの、その時に、お前さん、女を棄てます、と云ったんだわね。

早瀬　堪忍しておくれ、済まない、が、<ruby><rb>確</rb><rt>たしか</rt></ruby>に誓った。

お蔦　よく、おっしゃった、男ですわ。女房の私も嬉しい。早瀬さん、男は……それで立ちました。

早瀬　立つも立たぬも、お前一つだ。じゃ<ruby><rb>肯分</rb><rt>ききわ</rt></ruby>けてくれるんだね。

お蔦　肯分けないでどうしましょう。

早瀬　それじゃ別れてくれるんだな。

お蔦　ですけれど……やっぱり私の早瀬さん、それだからなお未練が出るじゃありませんか。

早瀬　また、そんな無理を言う。

お蔦　どッちが、無理だと思うんですよ。

早瀬　じゃお前、私がこれだけ事を分けて頼むのに、肯入れちゃくれんのかい。

お蔦　いいえ。

早瀬　それじゃ一言、清く別れると云ってくんなよ。

お蔦　…………

早瀬　ええ、お蔦。（あせる。）

お蔦　いいますよ。（きれぎれに且つ涙）別れる切れると云う前に、夫婦で、も一度顔が見たい。（胸に<ruby><rb>縋</rb><rt>すが</rt></ruby>って、顔を見合わす。）

〽見る度ごとに<ruby><rb>面痩</rb><rt>おもや</rt></ruby>せて、どうせながらえいられねば、殺して行ってくださんせ。

お蔦　見納めかねえ――それじゃ、お別れ申します。

早瀬　（涙を払い、気を替う）さあ、ここに<ruby><rb>金子</rb><rt>かね</rt></ruby>がある、……下すったんだ、受取っておいておくれ。（渡す。）

お蔦　（取ると<ruby><rb>斉</rb><rt>ひと</rt></ruby>しく）手切れかい、失礼な、（と<ruby><rb>擲</rb><rt>なげう</rt></ruby>たんとして、腕の<ruby><rb>萎</rb><rt>な</rt></ruby>えたる<ruby><rb>状</rb><rt>さま</rt></ruby>）あの、先生が下すったんですか。

早瀬　まだ借金も残っていよう、当座の小使いにもするように、とお心づけ下すったんだ。

お蔦　（しおしおと押頂く）こうした時の気が乱れて、勿体ない事をしようとした、そんなら私、わざと頂いておきますよ。（と帯に納めて、落したる<ruby><rb>髷形</rb><rt>まげがた</rt></ruby>の包に目を注ぐ。じっと泣きつつ拾取って砂を払う）も、荷になってなぜか重い。<ruby><rb>打棄</rb><rt>うっちゃ</rt></ruby>って行きたいけれど、それでは<ruby><rb>拗</rb><rt>す</rt></ruby>ねるに当るから。

早瀬　で、お前はどうする。

お蔦　私より貴方は……そうね、お源坊が<ruby><rb>実体</rb><rt>じってい</rt></ruby>に働きますから、当分我慢が出来ましょう。私……もう、やがて、船の<ruby><rb>胡瓜</rb><rt>きゅうり</rt></ruby>も出るし、お前さんの好きなお<ruby><rb>香々</rb><rt>こうこう</rt></ruby>をおいしくして食べさせて<ruby><rb>誉</rb><rt>ほ</rt></ruby>められようと思ったけれど、……ああ何も言うのも<ruby><rb>愚痴</rb><rt>ぐち</rt></ruby>らしい。あの、それよりか、お前さんは私にばかり我ままを云う癖に、遠慮深くって女中にも用はいいつけ得ないんだもの。……これからはね、思うように用をさして、不自由をなさいますな。……<ruby><rb>寝冷</rb><rt>ねびえ</rt></ruby>をしては<ruby><rb>不可</rb><rt>いけ</rt></ruby>ませんよ。私、山百合を買って来て、早く咲くのを見ようと思って、<ruby><rb>莟</rb><rt>つぼみ</rt></ruby>を吹いて、ふくらましていたんですよ、水を<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>って下さいな……それから。

早瀬　（うつむいて<ruby><rb>頷</rb><rt>うなず</rt></ruby>いてのみいる、<ruby><rb>堪</rb><rt>たま</rt></ruby>りかねて）俺も世帯を持っちゃいないよ。お前にわかれて、何の<ruby><rb>洒落</rb><rt>しゃれ</rt></ruby>に。

お蔦　まあ、どうして。

早瀬　それでなくッてさえ、<ruby><rb>掏賊</rb><rt>すり</rt></ruby>の同類だ、あいずりだと、新聞で<ruby><rb>囃</rb><rt>はや</rt></ruby>されて、そこらに、のめのめ居られるものか。長屋は<ruby><rb>藻</rb><rt>も</rt></ruby>ぬけて、静岡へ<ruby><rb>駈落</rb><rt>かけおち</rt></ruby>だ。少し考えた事もあるし、当分<ruby><rb>引込</rb><rt>ひっこ</rt></ruby>んでいようと思う。

お蔦　遠いわねえ。静岡ッて箱根のもッと先ですか。貴方がここに待っていて、石段を下りたばかりでさえ、気が<ruby><rb>急</rb><rt>せ</rt></ruby>いてならなかったに、またいつ、お目にかかれるやら。（と膝にうつむく。）

早瀬　お蔦、お前は、それだから案じられる。忘れても一人でなんぞ、江戸の土を離れるな。静岡は箱根より遠いかは心細い。……ああ、親はなし、兄弟はなし、伯父叔母というものもなし、俺ばっかりをたよりにしたのに、せめて、<ruby><rb>従兄妹</rb><rt>いとこ</rt></ruby>が一人ありゃ、俺は、こんな思いはしやしない！……よう、お蔦、そしてお前は当分どうするつもりだ。

お蔦　（顔を上ぐ）貴方こそ、水がわり、たべものに気をつけて下さいよ。私の事はそんなに案じないが<ruby><rb>可</rb><rt>よ</rt></ruby>うござんす。<ruby><rb>小児</rb><rt>こども</rt></ruby>の時から髪を結うのが好きで、商売をやめてから、御存じの通り、<ruby><rb>銀杏返</rb><rt>いちょうがえ</rt></ruby>しなら人の手はかりませんし、お源の島田の真似もします。慰みに、お<ruby><rb>酌</rb><rt>しゃく</rt></ruby>さんの<ruby><rb>桃割</rb><rt>ももわれ</rt></ruby>なんか、お世辞にも<ruby><rb>誉</rb><rt>ほ</rt></ruby>められました。めの字のかみさんが幸い<ruby><rb>髪結</rb><rt>かみゆい</rt></ruby>をしていますから、八丁堀へ世話になって、<ruby><rb>梳手</rb><rt>すきて</rt></ruby>に使ってもらいますわ。

早瀬　すき手にかい。

お蔦　ええ、修業をして。……貴方よりさきへ死ぬまで、人さんの髪を<ruby><rb>結</rb><rt>ゆ</rt></ruby>ましょう。私は尼になった気で、（風呂敷を髪に<ruby><rb>姉</rb><rt>あね</rt></ruby>さんかぶりす）<ruby><rb>円髷</rb><rt>まるまげ</rt></ruby>に<ruby><rb>結</rb><rt>い</rt></ruby>って見せたかったけれど、いっそこの方が似合うでしょう。

早瀬　（そのかぶりものを、<ruby><rb>引手繰</rb><rt>ひったぐ</rt></ruby>ってつつと立つ）さあ、一所に帰ろう。

お蔦　（外套を羽織らせながら）あの……今夜は内へ帰っても<ruby><rb>可</rb><rt>い</rt></ruby>いの。

早瀬　よく、<ruby><rb>肯分</rb><rt>ききわ</rt></ruby>けた、お蔦、それじゃ、すぐに、とぼとぼと八丁堀へ行く気だったか。

お蔦　ええ、そうよ。……じゃ、もう一度、雀に<ruby><rb>餌</rb><rt>えさ</rt></ruby>が遣れるのね、よく<ruby><rb>馴染</rb><rt>なじ</rt></ruby>んで、<ruby><rb>欞子窓</rb><rt>れんじまど</rt></ruby>の中まで来て、可愛いッたらないんですもの。……これまで別れるのは辛かったわ。

早瀬　何も言わん。さあ、せめて、かえりに、好きな<ruby><rb>我儘</rb><rt>わがまま</rt></ruby>を云っておくれ。

お蔦　（<ruby><rb>猶予</rb><rt>ためら</rt></ruby>いつつ）手を<ruby><rb>曳</rb><rt>ひ</rt></ruby>いて。

〽いえど<ruby><rb>此方</rb><rt>こなた</rt></ruby>は水鳥の浮寝の床の水離れ、よしあし原をたちかぬれば、

この間に早瀬手を取る、お蔦振返る早瀬もともに、ふりかえり伏拝む。

さて<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>かんとして、お蔦<ruby><rb>衝</rb><rt>つ</rt></ruby>と一方に身を離す。

早瀬　どこへ行く。

お蔦　一人々々両側へ、別れたあとの心持を、しみじみ思って<ruby><rb>歩行</rb><rt>ある</rt></ruby>いてみますわ。

早瀬　（<ruby><rb>頷</rb><rt>うなず</rt></ruby>く。舞台を左右へ。）

お蔦　でも、もう我慢がし切れなくなって、私もしか倒れたら、<ruby><rb>駈</rb><rt>か</rt></ruby>けつけて下さいよ。

早瀬　（頷く。）

お蔦　切通しを帰るんだわね、おもいを切って通すんでなく、<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>を裂いて分れるような。

早瀬　（頷く。）

お蔦しおしおと<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>きかかり、胸のいたみをおさえて<ruby><rb>立留</rb><rt>たちど</rt></ruby>る、早瀬ハッと向合う。両方おもてを見合わす。

〽<ruby><rb>実</rb><rt>げ</rt></ruby>に寒山のかなしみも、かくやとばかりふる雪に、積る……

幕外へ。

〽思いぞ残しける。

男は足早に、女は<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>に。

――幕――

大正三（一九一四）年十月