## 眠られぬ少年

深夜の大東京！

まん中から半分ほど欠けた月が、深夜の大空にかかっていた。

いま大東京の建物はその青白い光に照されて、<ruby><rb>墓場</rb><rt>はかば</rt></ruby>のように睡っている。地球がだんだん冷えかかってきたようで、心細い気のする或る秋の夜のことだった。その月が、<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby><ruby><rb>宿</rb><rt>やど</rt></ruby>っている一つの窓があった。その窓は、五階建ての、ネオンの看板の消えている、銀座裏の、とある古いビルディングの屋上に近いところにあって、まるで猫の目玉のようにキラキラ光っていた。

もし今ここに、<ruby><rb>羽根</rb><rt>はね</rt></ruby>の<ruby><rb>生</rb><rt>は</rt></ruby>えた人間でもがあって、物好きにもこの窓のところまで飛んでいったとしたら、そしてその光る<ruby><rb>硝子</rb><rt>ガラス</rt></ruby>窓のなかをソッと<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>いてみたとしたら、そこに一人の少年が<ruby><rb>寝床</rb><rt>ねどこ</rt></ruby>に<ruby><rb>横</rb><rt>よこた</rt></ruby>わったまま、目をパチパチさせて起きているのを発見するだろう。<ruby><rb>敬二</rb><rt>けいじ</rt></ruby>――といった。その少年の名前である。

大東京の三百万の住民たちは今グウグウ睡っているのに、それに大東京の建物も街路も電車の<ruby><rb>軌道</rb><rt>きどう</rt></ruby>も黄色くなった<ruby><rb>鈴懸</rb><rt>すずか</rt></ruby>けの樹も睡っているのに、それなのに敬二少年はなぜひとり目を覚ましているのだろうか。

「本当にそういうことがあるかも知れないねえ――」

と、敬二は<ruby><rb>独</rb><rt>ひと</rt></ruby>り<ruby><rb>言</rb><rt>ごと</rt></ruby>をいった。なにが本当にあるかも知れないというのだろうか。

「――<ruby><rb>原庭</rb><rt>はらにわ</rt></ruby>先生が嘘をおっしゃるはずがない」少年は、何かに<ruby><rb>憑</rb><rt>つ</rt></ruby>かれたように、誰に聞かせるとも分らない言葉を寝床の中にくりかえした。

少年を、この深夜まで只ひとり睡らせないのは、ひるま原庭先生がクラスの一同の前でなすった、一つの奇妙なお話のせいであった。

では、そのお話とは、どんなものであったろうか。――

「だからねえ、みなさん」と、原庭先生は目をクシャクシャとさせておっしゃったのである。それは先生の有名な癖だった。「世の中に、人間ほど<ruby><rb>豪</rb><rt>えら</rt></ruby>いものがないと思ってちゃ、それは大間違いですよ。この広い宇宙のうちに、何万億の星も<ruby><rb>漂</rb><rt>ただよ</rt></ruby>っているなかで、地球の上に住んでいるわれわれ人間が一番賢いのだなんて、どうして云えましょうか。人間よりもっと豪い生物が必ずいるに遺いないのです。そういう生物が、いつわれわれの<ruby><rb>棲</rb><rt>す</rt></ruby>んでいる地球へやって来ないとも限らない。彼らは、その<ruby><rb>勝</rb><rt>すぐ</rt></ruby>れた頭脳でもって、人間たちを立ち<ruby><rb>処</rb><rt>どころ</rt></ruby>に征服してしまうかもしれない。丁度山の奥に<ruby><rb>蟻</rb><rt>あり</rt></ruby>の一族が棲んでいて、天下に俺たちぐらい豪いものはなかろうと思っていると、そこへ突然<ruby><rb>狩人</rb><rt>かりゅうど</rt></ruby>が現れ、蟻は<ruby><rb>愕</rb><rt>おどろ</rt></ruby>くひまもなく、人間の足の裏に踏みつけられ、皆死んでしまったなどというのと同じことです。人間もひとりで豪がっていると、今に思いがけなくこの<ruby><rb>哀</rb><rt>あわ</rt></ruby>れな蟻のような愕きにあうことでしょう。みなさん、分りましたか」

教室に並んでいた生徒たちは、ハイ先生、分りましたと手をあげた。敬二も手をあげたことはあげたんだが、彼は先生の話がよくのみこめなかった。ただ彼は、人間よりずっと豪い生物がいる筈だと聞かされて、非常に恐ろしくなった。そしてなんとなく原庭先生が、地球人間ではなく、地球人間より豪い他の天体の生物が、ひそかに原庭先生に化けて教壇の上から敬二たちを<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>んでいるように思えて、急に身体がガタガタふるえてきたことを覚えている。

先生のお話になったようなことがあっていいものだろうか。

## 不思議の音響

敬二少年は、もうすっかり目が<ruby><rb>冴</rb><rt>さ</rt></ruby>えてしまった。寝ていても無駄なことだと思ったので、彼は寝床から起き出して、<ruby><rb>冷々</rb><rt>ひえびえ</rt></ruby>した<ruby><rb>硝子</rb><rt>ガラス</rt></ruby>窓に近づいた。月はいよいよ<ruby><rb>明</rb><rt>あきら</rt></ruby>かに、<ruby><rb>中天</rb><rt>ちゅうてん</rt></ruby>に光っていた。なぜ月は、あのように薄気味のわるい青い光を出すのだろう、どう考えたって、あれは墓場から抜け出して来たような色だ。さもなければ、<ruby><rb>爬虫類</rb><rt>はちゅうるい</rt></ruby>の卵のようにも思える。敬二には、今夜の月がいつもとは違った、たいへん気味のわるいものに思えてくるのだった。

そのときだった。

ビビビーン。奇妙な音響が敬二の耳をうった。そう大きくない音だが、肉を切るような<ruby><rb>異様</rb><rt>いよう</rt></ruby>に鋭い音だった。

「今時分、何の音だろう？」硝子窓の方に耳をちかづけてみると、その窓硝子がビビビーンと鳴っているのだった。

なぜ窓硝子は鳴るのだろう、彼はこれまでにこの窓硝子の鳴ったのを一度も聞いたことがなかった。だからたいへん不思議なことだった。だが窓硝子はひとりで鳴るはずがない。必ず何処かに、この窓硝子を鳴らすための力がなければならぬ。その力の元は何であろうか。

「はて、何だろう？」敬二は窓越しに、深夜の地上を見やった。どの建物の屋根も壁も窓も、すっかり熟睡しているように見える。怪しき力の元は、どこにも見当らない――と思ったそのとき、ふと敬二の注意をひくものが……。

「おや、あれは何だろう」それは<ruby><rb>芒</rb><rt>ぼう</rt></ruby>ッと、ほの赤い光であった。二百メートルほど先の、東京ビルの横腹を一面に照らしている<ruby><rb>一大火光</rb><rt>いちだいかこう</rt></ruby>であった。はじめは火事だろうかと思った。火事ならたいへんだ。火は一階から四階の間に拡っているんだから、だが火事ではない。赤い光ではあるが、ぼんやりした薄い色なんだから。

その大火光は、ときどき息をしていた。ビビビーン、ビビビーンと窓硝子の音が息をするのと同じ<ruby><rb>度数</rb><rt>どすう</rt></ruby>で、その大火光もパパーッ、パパーッと息をした。だから敬二は、窓硝子の怪音と東京ビルの<ruby><rb>横腹</rb><rt>よこばら</rt></ruby>を照らす火光とが同じ力の元からでていることを知った。さあ、こうなるとその火光がどうして見えるんだか、早く知りたくなった。

敬二は、<ruby><rb>寝衣</rb><rt>ねまき</rt></ruby>を着がえて、<ruby><rb>早速</rb><rt>さっそく</rt></ruby>あの東京ビルの横にとんでいってみようかと思った。でも、すぐそうするには及ばなかった。というのは、その怪しき大火光の元が分るような、不思議な怪物が、敬二の視界のなかにお目見得したからである。それは丁度、東京ビルの横に、<ruby><rb>板囲</rb><rt>いたがこ</rt></ruby>いをされた広い<ruby><rb>空地</rb><rt>あきち</rt></ruby>の中であった。そこには黄色くなった雑草が<ruby><rb>生</rb><rt>は</rt></ruby>えしげっていて、いつもはスポンジ・ボールの野球をやるのに、近所の<ruby><rb>小供</rb><rt>こども</rt></ruby>や<ruby><rb>大供</rb><rt>おおども</rt></ruby>が使っているところだった。その<ruby><rb>平坦</rb><rt>へいたん</rt></ruby>な草原の中央とおぼしきところの土が、どういうわけか分らないが、敬二の見ている前で、いきなりムクムクと下から持ちあがって来たから、さあ大変！　東京ビルの横腹を染めていた大火光は、その盛りあがった<ruby><rb>土塊</rb><rt>どかい</rt></ruby>のなかから、<ruby><rb>照空灯</rb><rt>しょうくうとう</rt></ruby>のようにパッとさし出ているのであった。地面の下からムクムクと頭をもちあげてきたものは、一体何だろう。

## 深夜の探険

敬二はもうじッとして居られなかった。

「――原庭先生のおっしゃったのは、これじゃないかなア。人間の知らない変な生物が、地面の下をもぐって出てきたのではなかろうか。ウン、そうだ。もっと近くへ行って、何が出てくるか、よく見てやろう」もう、敬二は<ruby><rb>怕</rb><rt>おそ</rt></ruby>れ<ruby><rb>慄</rb><rt>ふる</rt></ruby>えてばかりいなかった。何だか訳のわからぬ不思議なことが始まったと気づいた彼は、その怪奇の正体を一秒でも早くつきとめたいと思う心で一杯だった。

敬二は<ruby><rb>寝衣</rb><rt>ねまき</rt></ruby>をかなぐりすてると、<ruby><rb>金釦</rb><rt>きんボタン</rt></ruby>のついた半ズボンの服――それはこの東京ビルの<ruby><rb>給仕</rb><rt>きゅうじ</rt></ruby>としての制服だった――を<ruby><rb>素早</rb><rt>すばや</rt></ruby>く着こんだ。そしてつっかけるように<ruby><rb>編</rb><rt>あみ</rt></ruby>あげ<ruby><rb>靴</rb><rt>くつ</rt></ruby>を<ruby><rb>履</rb><rt>は</rt></ruby>いて、階段を<ruby><rb>転</rb><rt>ころ</rt></ruby>がるように下りていった。彼の右手には、用心のたしにと思って、この夏富士登山をしたとき記念のために買ってきた一本の太い<ruby><rb>力杖</rb><rt>ちからづえ</rt></ruby>が握られていた。敬二が一生懸命にいそいで、例の空地の<ruby><rb>塀</rb><rt>へい</rt></ruby>ぎわに駈けつけたときには、空地の草原を下からムクムクと動かしていた怪物は、すでに半分以上も地上に姿を現わしていた。敬二はハアハア息をはずませながら、それを塀の<ruby><rb>節穴</rb><rt>ふしあな</rt></ruby>から認めたのである。

「おおッ。あれは何だろう。――」土を<ruby><rb>跳</rb><rt>は</rt></ruby>ねとばして、ムックリと姿をあらわしたのは、まるで<ruby><rb>機械水雷</rb><rt>きかいすいらい</rt></ruby>のような大きな鋼鉄製らしい球であった。球の表面は、しきりにキラキラ光っていた。よく見るとそれは怪球の表面が<ruby><rb>ゴム</rb><rt>まり</rt></ruby>毯のようにすべすべしていないで、まるで<ruby><rb>鱗</rb><rt>うろこ</rt></ruby>を<ruby><rb>重</rb><rt>かさ</rt></ruby>ねたように、小さい鉄片らしいものに<ruby><rb>蔽</rb><rt>おお</rt></ruby>われ、それが息をするようにピクピク動くと、それに月の光が当ってキラキラ<ruby><rb>閃</rb><rt>ひらめ</rt></ruby>くのであった。その怪球はグルグルと、相当の速さで廻っていたが、その上に一つの<ruby><rb>漂</rb><rt>ただよ</rt></ruby>う眼のようなものがあった。それは人間の目と同じに、思う方向へ動くのであった。例の薄赤い火光も、その眼のような穴から出ている光だったのである。

「何だろう。あれは機械なのだろうか。それとも生物なのだろうか」<ruby><rb>片唾</rb><rt>かたず</rt></ruby>をのんでいた敬二少年は、思わずこう<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>いた。<ruby><rb>全</rb><rt>まった</rt></ruby>く<ruby><rb>得態</rb><rt>えたい</rt></ruby>のしれない怪球であった。鋼鉄ばりらしく堅く見えるところは機械のようであり、そして蛇の腹のように息をするところは生物のようでもあった。

さあ、この怪球は、機械か生物か、一体どっちなんだろう？

## 二つの怪球

怪球は、敬二少年の<ruby><rb>愕</rb><rt>おどろ</rt></ruby>きを<ruby><rb>余所</rb><rt>よそ</rt></ruby>に、ずんずん地面の土下から<ruby><rb>匍</rb><rt>は</rt></ruby>いあがってきた。ビビビーン、ビビビーンという例の高い音が、<ruby><rb>鼓膜</rb><rt>こまく</rt></ruby>をつきさすようだった。

「あれッ、あの機械水雷のお化けは、横に転がってゆくよ」敬二が愕きつくすのは、まだ早すぎた。

草原にポカッと<ruby><rb>明</rb><rt>あ</rt></ruby>いた穴の中から、なにかまた、黒い丸い頭がムクムクともちあがってきた。

「おや、まだ何か出てくるぞ」ムクムクムクとせりあがってきたのは、始めの怪球と形も色も同じの<ruby><rb>双生児</rb><rt>ふたご</rt></ruby>のようなやっぱり大怪球だった。

「<ruby><rb>呀</rb><rt>あ</rt></ruby>ッ、二つになった。二つがグルグル廻りだした。ああ、僕は夢を見ているんじゃないだろうな」

夢ではなかった。敬二は自分の<ruby><rb>頬</rb><rt>ほ</rt></ruby>っぺたをギュッとつねってみたが、やっぱり目から涙が<ruby><rb>滾</rb><rt>こぼ</rt></ruby>れおちるほどの痛みを感じたから。

二つの真黒な怪球は、二条の赤い光を宙に<ruby><rb>交錯</rb><rt>こうさく</rt></ruby>させつつ、もつれあうようにクルクルと廻りだした。その速いことといったら、だんだんと速さを増していって、やがて敬二少年のアレヨアレヨと呆れる間もなく、二つの大怪球は煙のように消えてしまった。と同時に、<ruby><rb>照空灯</rb><rt>しょうくうとう</rt></ruby>のように<ruby><rb>燿</rb><rt>かがや</rt></ruby>いていた赤光も、どこかに見えなくなった。ただあとには、さらに高い怪音が、ビビビーン、ビビビーンと、<ruby><rb>微</rb><rt>かす</rt></ruby>かに敬二の耳をうつばかりになった。

「あれッ。どうも変だなア。どこへ行っちまったんだろう」敬二は二つの黒い大怪球が、宙に消えてゆくのを見ていて、あまりの奇怪さに全身にビッショリ汗をかいた。

双生児の怪球はどこへ行った？

敬二は、まるで狐に<ruby><rb>化</rb><rt>ば</rt></ruby>かされたような気もちになって、掘りあらされた<ruby><rb>空地</rb><rt>あきち</rt></ruby>の草原をあちこちとキョロキョロと<ruby><rb>眺</rb><rt>なが</rt></ruby>めわたした。

怪球はどこにも見えない。だが、ビビビーンと<ruby><rb>微</rb><rt>かす</rt></ruby>かな怪球の<ruby><rb>呻</rb><rt>うな</rt></ruby>り声だけは聞える。どこかその辺にいるんだろうが、こっちの目に見えないらしい。

そのときであった。カリカリカリという木をひき裂くような音が聞えだした。鋭い連続音である。

「さあ何か始まったぞ」敬二はその異変を早く見つけたいと思って目を皿のようにして方々を眺めた。<ruby><rb>遂</rb><rt>つい</rt></ruby>に彼は発見したのである。

「あッ、あそこの<ruby><rb>板塀</rb><rt>いたべい</rt></ruby>が……」板塀に、今しもポカリと穴が明いている。フットボールぐらいの大きさだ。その穴が、どうしたというのだろう、見る見るうちに大きく拡がってゆくのである。やがてマンホールぐらいの大きさの穴になり、それからまだ大きくなって自動車のタイヤぐらいの大きな穴となった。しかし何が穴を明けているのか更に見えない。

怪奇は、まだ続いた。板塀の穴がもう大きくならぬと思ったら、こんどはまた別の大きな音響が聞えだした。カチカチカチッという硬いものをぶっとばす音だ。その音は、ずっと手近に聞える。敬二はハッとして、後をふりかえった。

ところがどうであろう、彼はいとも恐ろしきことが、すぐ後に始まっているのを知らなかったのだ。敬二の顔は<ruby><rb>真青</rb><rt>まっさお</rt></ruby>になった。そして思わずその場に<ruby><rb>尻餠</rb><rt>しりもち</rt></ruby>をついてしまった。ああ彼は、そこにいかに<ruby><rb>愕</rb><rt>おどろ</rt></ruby>くべき、そして恐るべきものを見たのだろうか。

この深夜の怪奇を生む魔物の正体は何？

## 崩れる東京ビル

敬二少年は、石を積みかさねてつくられたビルディングが、<ruby><rb>溶</rb><rt>と</rt></ruby>けるように消えてゆくのを見た。――なんという怪奇であろう。

「……」敬二少年は、愕きのあまり、叫び声さえも<ruby><rb>咽喉</rb><rt>のど</rt></ruby>をとおらない。

彼が見た光景を、もっとくわしくいうと、こうである。――

彼は、東京ビルを背にして立っていたのであった。ところがうしろにカチカチカチッと硬いものをはげしく叩くような音がしたので、うしろをふりかえってみると、さあ何ということであろう。東京ビルの入口に立っている太い柱の一本が、下の方からだんだん<ruby><rb>抉</rb><rt>えぐ</rt></ruby>られてくるのであった。柱はみるみる抉られてしまって、メリメリと、大きな音をたててゴトンと下に落ちた。そして中心を失って、スーッと横に<ruby><rb>傾</rb><rt>かたむ</rt></ruby>くと、<ruby><rb>地響</rb><rt>じひびき</rt></ruby>をたてて地上に<ruby><rb>仆</rb><rt>たお</rt></ruby>れ、ポーンと粉々にこわれてしまった。

敬二少年は、わずかに身をかわしたので、<ruby><rb>辛</rb><rt>かろ</rt></ruby>うじてその柱の下敷きになることから救われた。

カチカチカチッ。――また怪音がする。

「おやッ――」と、音のする方をふりかえった少年の目に、また大変な光景が目にうつった。

それは、東京ビルの玄関が、下の方からズンズン抉られてゆくことであった。まるで砂糖で作った菓子を下の方から何者かが喰べでもしているように見えた。<ruby><rb>堅牢</rb><rt>けんろう</rt></ruby>なコンクリートの壁が、みるみる消えてゆく。そのうちにガラガラと音がして、ぶったおれた。

「ややッ、これは……」<ruby><rb>寝坊</rb><rt>ねぼう</rt></ruby>の<ruby><rb>宿直</rb><rt>しゅくちょく</rt></ruby>が、やっと目をさまして、とびだしてきた。彼はあまりのことに、まだ夢でもみている気で、目をこすっていた。

警官が<ruby><rb>駈</rb><rt>か</rt></ruby>けつけてきた。

通りがかりの<ruby><rb>酔</rb><rt>よ</rt></ruby>っ<ruby><rb>払</rb><rt>ぱら</rt></ruby>いが、酔いもさめきった青い顔をして、次第に崩れゆく東京ビルを<ruby><rb>呆然</rb><rt>ぼうぜん</rt></ruby>と見守っていた。警官にも、何事が起っているのか、ハッキリしなかったが、ただハッキリしているのは見る見るうちに東京ビルが崩れてゆくという奇怪な出来ごとだった。火災報知器が鳴らされた。ものすごい物音に起きてきた野次馬の一人が、気をきかしたつもりで、その<ruby><rb>釦</rb><rt>ボタン</rt></ruby>を押したのだろう。

その騒ぎのうちに、ビルディングはすこしずつ崩れていって、やがて大音響をたてると、<ruby><rb>月明</rb><rt>げつめい</rt></ruby>の夜が、一瞬に真暗になるほど恐ろしい砂煙をあげてその場に<ruby><rb>崩潰</rb><rt>ほうかい</rt></ruby>してしまった。まるで爆撃されたような<ruby><rb>惨澹</rb><rt>さんたん</rt></ruby>たる光景であった。

「一体、これはどうしたというわけだ」と、駈けつけた人々は叫んだ。

「まさか白蟻がセメントを喰べやしまいし、ハテどうも合点のゆかぬことだ」

誰も、この東京ビル崩壊事件の真相を知っている者はなかった。

まるで夢のような、銀座裏の怪奇事件であった。

## 蟹寺博士の鑑定

東京ビルの崩壊は、崩れおちるまでに相当時間が懸ったので、幸いにも人間には死傷がなかった。警視庁からは、<ruby><rb>水久保</rb><rt>みずくぼ</rt></ruby>捜査係長が主任となって、この原因の知れないビルの崩壊事件を調べることになった。

「どうも分らない。殺人事件の犯人を捜す方がよっぽど楽だ」と、智慧の神様といわれている水久保係長も、あっけなく<ruby><rb>冑</rb><rt>かぶと</rt></ruby>をぬいでしまった。

山ノ内総監も「分らない」という報告を聞いて<ruby><rb>不興気</rb><rt>ふきょうげ</rt></ruby>な顔をしてみせたが、さりとてこれがどうなるものでもなかった。

「水久保君。分らないというだけでは、帝都三百万の市民にたいして、<ruby><rb>申訳</rb><rt>もうしわけ</rt></ruby>にならないぞ。分らないにしても、もっと何か方法がありそうなものじゃないか。こんな風にしてみれば或いは分るかもしれない、といった何か思いつきはないかネ」

「そうでございますネ」と水久保係長はしきりに頭をひねっていたが、急に思いついたという風に手をうって「そうだ。これは一つＱ大学の変り者博士といわれている<ruby><rb>蟹寺</rb><rt>かにでら</rt></ruby>先生に鑑定をねがってみてはどうでしょう」

「おお、蟹寺博士か。なるほど、そいつはいい思いつきだ。先生は非常な<ruby><rb>物識</rb><rt>ものし</rt></ruby>りだから、きっとこの不思議をといて下さるだろう。ではすぐ博士に電話をかけて、おいでを願おう」

山ノ内総監も、急に元気づいて、水久保係長の言葉に賛成したのだった。

それから一時間ほどして、いよいよ博士が東京ビルの崩れおちた前にあらわれた。博士は強い<ruby><rb>近眼鏡</rb><rt>きんがんきょう</rt></ruby>をかけて、鼻の下から<ruby><rb>頤</rb><rt>あご</rt></ruby>へかけてモジャモジャ<ruby><rb>髯</rb><rt>ひげ</rt></ruby>を生やしていた。

「なるほど話に聞いたよりひどい光景じゃ」と博士は目をみはりながら、崩れたビルの<ruby><rb>土塊</rb><rt>どかい</rt></ruby>を手にとりあげたりしていたが「これはなかなか強い道具で<ruby><rb>壊</rb><rt>こわ</rt></ruby>したと見える」

「先生、強い道具でとおっしゃっても、それを見ていた人間の話によると、道具はおろか、<ruby><rb>現場</rb><rt>げんじょう</rt></ruby>には犬一匹いなかったそうです」

「何をいうのだ。<ruby><rb>儂</rb><rt>わし</rt></ruby>のいうことに間違いはないのじゃ。たしかに強い道具で、これを壊したにちがいない。やがてそれがハッキリするときが来るにきまっている」

「そうですかねえ。だがどうも変だなア。見ていた連中は、誰も彼も、いいあわしたように、<ruby><rb>傍</rb><rt>かたわら</rt></ruby>には何にも見えないのに、ビルだけがボロボロ壊れていったといっているんだが……」

水久保係長には、博士のいうことがよく<ruby><rb>嚥</rb><rt>の</rt></ruby>みこめなかった。

しばらくすると博士は、腰をのばして、

「この現場は、まあこれくらいで分ったようなものじゃ。では、今盛んに崩れているところを見たいから、案内して下さらんか」

「今崩れているところ？」係長は側をむいて警官隊に、今崩れているところがあるかどうかたずねた。

「さあ、只今そういうところはありません。今のところ、東京ビルだけで崩れるのは停ったようです」蟹寺博士はそれを聞いていたが、やがて首を大きく左右にふっていった。

「この事件は、崩れているところを見ないことには、なぜそんなことが起るか説明できないじゃろう。こんどそういうことがあったら、急いで知らせて下さいよ」博士は、そういいすててスタコラ帰っていった。

## 新聞記事

敬二少年は、その夜の異変を思いだしてはゾッとするのだった。

――空地の草原を上へおしあげてムクムクと現れた機械水雷のような大怪球！　しかも一つならず二つも現れた。それがビビーンビビーンと互いにグルグル廻りながら、やがて煙のように消えてしまった。その怪球には、眼玉のような赤い光の窓がついていたが、それも見えなくなった。二つの大怪球はどこへ行ったのだろう。

――東京ビルがカチカチカチッと崩れはじめたのは、それから間もなくのことだった。

――赤い眼をもった二つの大怪球と、東京ビルの崩壊とは、別々の異変なのであろうか。それともこの二つは同じ異変から出ているのであろうか。

翌日の朝刊新聞には、東京ビルの崩壊事件が三段ぬきの大記事となって、デカデカに書きたてられていた。

「深夜の怪奇！　東京ビルの崩壊！　解けないその原因！」という<ruby><rb>標題</rb><rt>ひょうだい</rt></ruby>があるかと思うと、他の新聞にはまた、「科学的怪談！　蟹寺博士もついに<ruby><rb>匙</rb><rt>さじ</rt></ruby>を投げる。人類科学力の敗北！」

などと、大々的な文字がならべてあった。

敬二少年は、東京ビルの崩れた前でその新聞を一つのこらず読みあさった。しかしその新聞記事のどこにも、例の二つの大怪球のことは出ていなかった。敬二少年は不思議でならなかった。なぜあのことを書かないのだろうか。

「オイ給仕、この騒ぎのなかで、新聞なんか読んでいちゃいけないじゃないか。そんな<ruby><rb>遑</rb><rt>ひま</rt></ruby>があったら、壊れた壁を一つでも取りのけるがいい」

<ruby><rb>喧</rb><rt>やかま</rt></ruby>し屋の支配人<ruby><rb>足立</rb><rt>あだち</rt></ruby>は、敬二少年を見つけて、名物の雷を一発おとした。

「ははッ――」と、敬二は<ruby><rb>鼠</rb><rt>ねずみ</rt></ruby>のように逃げだしてビルの崩れた<ruby><rb>土塊</rb><rt>どかい</rt></ruby>の上によじあがった。

「敬坊、てへッ、やられたじゃねえか。ふふふふッ」

「なんだ、ドン助か。こんなところにいたのか」

「ふふふふッ。さっきから、ここで働いているんだ。もう大分掘ったよ」そういったのは、同じ東京ビルのコックをしていたドン助こと<ruby><rb>永田純助</rb><rt>ながたじゅんすけ</rt></ruby>という敬二の仲よしだった。彼はおそろしく身体の大きなデブちゃんであった。

「ずいぶんよく働くネ。いつものドン助みたいじゃないや」

「ふン、これは内緒だがナ、この<ruby><rb>真下</rb><rt>ました</rt></ruby>に、おれの作っておいた別製の<ruby><rb>林檎</rb><rt>りんご</rt></ruby>パイがあるんだ。腹が減ったから、そいつを掘り出して喰べようというわけだ。お前も手伝ってくれれば、一切れ<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れてやるよ」

## 怪しき盗聴者

「泥まみれのパイなんか、僕は好きじゃないんだよ。ねえドン助さん。それよか、もっと重大なことがあるんだ」

「重大？　重大だなんて、心臓の弱いおれを<ruby><rb>愕</rb><rt>おどろ</rt></ruby>かすなよ。重大てえのは何事だ」

「うん、それはネ――」と敬二少年は、昨夜この東京ビルの崩壊したことは新聞に書いてあるが、彼がそのすこし前に見た二つの大怪球のことについては、何も記事が出ていないのはなぜだろうと、昨夜の愕くべき光景をくわしくドン助に話をしたのだった。

「ははア、そういうことなら分ったよ。つまりそのグルグル鬼ごっこをする大怪球――どうも大怪球なんて云いにくい言葉だネ、<ruby><rb>○○獣</rb><rt>マルマルじゅう</rt></ruby>といおうじゃないか。――その○○獣を見たのは、お前一人なんだ。新聞記者も知らないんだ。もちろん何とかいった<ruby><rb>髯博士</rb><rt>ひげはかせ</rt></ruby>も知らないんだ。これはつまり特ダネ記事になるよ。特ダネは売れるんだ。よオし、おれに<ruby><rb>委</rb><rt>まか</rt></ruby>せろよ。○○獣の特ダネを<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>かの新聞記者に売りつけて、お<ruby><rb>金儲</rb><rt>かねもう</rt></ruby>けをしようや」

「特ダネて、そんなに売れるものかい」

「うん、きっと売って見せるよ」そういっているときだった。

「その特ダネ、ワタクシ、貫います。お金、たくさんあげます」と、突然二人のうしろに声がした。

ハッと敬二とドン助が顔をあげてみると、そこには見慣れない若い西洋人の女が立っていた。背はそれほど高くはないが、<ruby><rb>鳶色</rb><rt>とびいろ</rt></ruby>の<ruby><rb>縮</rb><rt>ちぢ</rt></ruby>れた毛髪をもち、顔は林檎のように赤く、そして男が着るような<ruby><rb>灰白色</rb><rt>かいはくしょく</rt></ruby>のバーバリ・コートを着て<ruby><rb>頤</rb><rt>あご</rt></ruby>を<ruby><rb>襟</rb><rt>えり</rt></ruby>深く隠していた。そして眼には、大きな黒い眼鏡をかけ、いままで崩れた土塊をおこしていたらしく、右手には長い金属製の<ruby><rb>尖</rb><rt>とんが</rt></ruby>り<ruby><rb>杖</rb><rt>づえ</rt></ruby>をもっていた。

「えッ、あなたが買うんですか」

「買います。これだけお金、あげます。ではワタクシ買いましたよ。<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>の人に話すこと、なりません。きっと話すことなりません」

そういって、ドン助の手に<ruby><rb>素早</rb><rt>すばや</rt></ruby>く<ruby><rb>握</rb><rt>にぎ</rt></ruby>らせた紙幣――<ruby><rb>掌</rb><rt>てのひら</rt></ruby>をあけると、十円札が二枚入っていた。

「ほほう、二十円――」

「ドン助さん。これ<ruby><rb>偽</rb><rt>に</rt></ruby>せ<ruby><rb>札</rb><rt>さつ</rt></ruby>じゃないのかい」

ドン助は偽せ札と聞いて、天の方にすかしてみたが、やがてかぶりをふって、その一枚を敬二の懐中にねじこんだ。

怪しき黒眼鏡の外国婦人は何者だろう？

蟹寺博士は、この大秘密をうまく解くことができるだろうか。

それに○○獣は、今どこへ隠れてしまったんだろうか。そも○○獣とは何ものだろう。

## また新聞記事

あの不思議な<ruby><rb>○○獣</rb><rt>マルマルじゅう</rt></ruby>は、一体どこへいってしまったんだろう。

それからまた、硬いコンクリートや鉄の柱がはげしい音をたてて消えてゆくビルディングの奇病は、その後どうなったんであろうか。

敬二少年は、思いがけなく十円紙幣が<ruby><rb>懐中</rb><rt>ふところ</rt></ruby>に<ruby><rb>転</rb><rt>ころ</rt></ruby>がりこんだので、彼はしばし夢ごこちであったが、いくど懐中から出して改めてみても、十円紙幣はいつも十円紙幣に見えた。<ruby><rb>化</rb><rt>ば</rt></ruby>け<ruby><rb>狸</rb><rt>たぬき</rt></ruby>がくれた紙幣ならもうこのへんで<ruby><rb>木</rb><rt>こ</rt></ruby>の<ruby><rb>葉</rb><rt>は</rt></ruby>になっていいころだったが、そうならないところを考えると、なるほどやはり本当に十円<ruby><rb>儲</rb><rt>もう</rt></ruby>かったのだと分った。

そうなると敬二は、この十円をどういう具合につかったらいいのだろうかと、また考えこまなければならなかった。

いろいろ考えた末、彼はいいことを考えついた。それはカメラを手に入れることだった。カメラを手に入れるといっても、十円のカメラを買ったのでは、みすぼらしい器械しか手に入らない。それではつまらぬと思ったので、たいへん考えた末、ちかごろ高級カメラとして名のあるライカを借りることにした。ライカを一週間借りて<ruby><rb>損料</rb><rt>そんりょう</rt></ruby>十円――ということにきまった。この店は、敬二がよく使いにゆく店だったので、店でもたいへん<ruby><rb>便宜</rb><rt>べんぎ</rt></ruby>をはかってくれて、十円の損料だけでよいということだった。

敬二はすっかり嬉しくなって、<ruby><rb>速写</rb><rt>そくしゃ</rt></ruby>ケースに入ったライカを首にかけて離さなかった。使いにゆくときも、食事をするときも寝るときも、彼はカメラを首にかけていた。カメラを離しているのは、お風呂に入るときだけだった。彼はこの一週間のうちに、十円以上の値打のあるなにか素晴らしい写真をとりたいものと、それをのみ<ruby><rb>念</rb><rt>ねん</rt></ruby>じていた。

ドン助はどうしたのか、さっぱり姿を見せなかった。

十円儲かったその次の日の朝のことだった。配達された朝刊を見て、敬二は目を丸くして愕いた。

社会面のトップへもって来て、三段ぬきのデカデカ活字で○○獣のことがでていたのである。

――ビル崩壊の謎はこれか？　○○獣を見た東京ビル主任永田純助氏語る――

という標題で、「私は昨夜この眼で不思議なけだもの○○獣を見ました。これは<ruby><rb>雪達磨</rb><rt>ゆきだるま</rt></ruby>を十個合わせたぐらいの丸い大きな目をもった恐ろしい<ruby><rb>怪物</rb><rt>かいぶつ</rt></ruby>です。そいつは空からフワリフワリと下りて来て、私を<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>みつけたのです。私は日本男子ですから、勇敢にも○○獣を睨みかえしてやりましたが、その○○獣の身体というのは、狐のように<ruby><rb>胴中</rb><rt>どうなか</rt></ruby>が細く、そして長い<ruby><rb>尻尾</rb><rt>しっぽ</rt></ruby>を持っていまして、身体の全長は五十メートルぐらいもありました。しかし不思議なのはその身体です。これはまるで<ruby><rb>水母</rb><rt>くらげ</rt></ruby>のように透きとおっていて、よほど傍へよらないと見えません。とにかく恐ろしい<ruby><rb>獣</rb><rt>けだもの</rt></ruby>で、私の考えでは、あれはフライにして喰べるのがいちばんおいしいだろうと思いました。云々」

敬二はそこまで読むと、ドン助の<ruby><rb>大法螺</rb><rt>おおぼら</rt></ruby>にブッとふきだした。ドン助はいうことが無いのに困って、こんな<ruby><rb>出鱈目</rb><rt>でたらめ</rt></ruby>をいったのだろうが、フライにして喰べるといいなどとはコックだというお里を丸だしにしていて笑わせる。

## ローラ嬢の立腹

その日、お昼が近くなったというのに、ドン助が帰ってこないので、足立支配人はプンプンの大プリプリに怒っていた。

「こら給仕お前は永田の<ruby><rb>居所</rb><rt>いどころ</rt></ruby>を知っているくせに、俺にかくしているのだろう。早くつれてこい。もう三十分のうちにつれてこないと、お前の首をとってしまうぞ。あいつにはウンといってやらんけりゃならん。俺という支配人が居るのに、東京ビルの主任だなんて新聞にいいやがって、<ruby><rb>怪</rb><rt>け</rt></ruby>しからん奴だ」

プリプリと足立支配人は怒りながら、向うへいってしまった。日ごろ怒るのが商売の支配人ながら、今日は本当に足の裏から頭のてっぺんまで本当に怒っているらしかった。

「困ったなあ、ドン助のおかげで、僕まで<ruby><rb>叱</rb><rt>しか</rt></ruby>られて、ああつまんないな」

敬二は、腹だちまぎれに向うへ帰ってゆく支配人の後姿にカメラを向けて、パチリと一枚写真をとった。機関銃でタタタタとやったように。いい気持になった。これで支配人の禿げ頭がキラキラと光っているところがうつってでもいれば、もっと胸がスーッとすくだろうに。

敬二は、壊れた<ruby><rb>石塊</rb><rt>いしころ</rt></ruby>の上に腰を下ろして、ドン助がどこへいったのだろうかと、心あたりを一つ一つ数えはじめた。

「あ、あなたです。ワタクシ、よく覚えています――」

物思いにふけっていた敬二は、いきなり黄いろい女の<ruby><rb>金切</rb><rt>かなき</rt></ruby>り声とともに、腕をムズとつかまれた。

顔をあげてみると、それは十円紙幣をくれた<ruby><rb>鳶色</rb><rt>とびいろ</rt></ruby>のちぢれ毛の外国婦人だった。やっぱり大きい黒眼鏡をかけて、白っぽいコートをひきずるようにきていた。

「この間は、どうも有難う」と、敬二はお礼をのべた。

「あなた、ひどい人ありますね。なぜ約束、破りました」

「えッ、約束なんて――」

「破りました。ニュースを二十円で、ワタクシ買いました。<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>の人にきっと話すことなりません、約束しました。ところが今日の新聞、みな○○獣のこと書いています。大々的に書いています。それでもあなた大嘘つきありませんか」

「ま、待って下さい。ぼ、僕はなにも知らないのです。<ruby><rb>喋</rb><rt>しゃべ</rt></ruby>ったとすれば、ドン助が喋ったのかもしれません。僕は喋らない」

「ドン助？　ああ、あの太った人ですね。ドン助どこにいます。ワタクシ会います。彼にきびしく云うことあります。すぐつれて来てください」

「ドン助をですか。わーッ」またドン助だ。ドン助は一体どこに行ってしまったんだろう。敬二はローラというその外国婦人の前を逃げるようにしてすりぬけた。ローラは<ruby><rb>拳</rb><rt>こぶし</rt></ruby>をふりあげながら、あとから追いかけてくる。<ruby><rb>捉</rb><rt>つかま</rt></ruby>ってはたいへんと、敬二は、ビルの裏へにげこんだ。

でもローラの金切り声はおいかけてくる。

さあ、そうなると逃げるところがなくなった。といって捉ってはどんな目にあうかもしれない。そのとき敬二はいい隠れ場所をみつけた。それは外国人がホテルへついて荷物を大きな荷造りの箱から出したその<ruby><rb>空箱</rb><rt>あきばこ</rt></ruby>がいくつも重ねてある場所であった。敬二はそのうちで一番大きい箱に見当をつけて、腕をすりむくのも<ruby><rb>構</rb><rt>かま</rt></ruby>わず、夢中になって空箱のなかにとびこんだ。

そのとき彼は、箱の奥に、なんだかグニャリとするものにつきあたってハッとした。

## ドン助の行方

空き箱の奥のグニャリとするものにつきあたって、敬二少年は心臓がつぶれるほどおどろいた。何だろうと思って目をみはったとき「ごーッ」という音が耳に入った。大きな<ruby><rb>鼾</rb><rt>いびき</rt></ruby>であった。

「なんだ、こんなところに寝ているんだもの、どこを探したって分る筈がない」空き箱の中に<ruby><rb>窮屈</rb><rt>きゅうくつ</rt></ruby>そうに、身体を、<ruby><rb>縮</rb><rt>ちぢ</rt></ruby>めて寝こんでいるのは、行方不明になったドン助だった。酒の<ruby><rb>香</rb><rt>におい</rt></ruby>が箱のなかにプンプンにおっていた。

敬二はドン助をそっと<ruby><rb>揺</rb><rt>ゆ</rt></ruby>りおこした。ところがそんなことで目のさめるような<ruby><rb>御当人</rb><rt>ごとうにん</rt></ruby>ではなかった。といって箱のなかであるから、あまり音をたてては、ローラに知れる。そこで<ruby><rb>一策</rb><rt>いっさく</rt></ruby>をかんがえて、ドン助のはりきった<ruby><rb>太</rb><rt>ふと</rt></ruby>ももをギューッとつねってやった。

「ああ、あいてて……」<ruby><rb>膨</rb><rt>ふく</rt></ruby>れかけた<ruby><rb>鼻提灯</rb><rt>はなちょうちん</rt></ruby>が、急にひっこんで、その代りドン助はバネ人形のように起きあがった。そこは<ruby><rb>狭</rb><rt>せま</rt></ruby>い狭い箱の中だった。彼はいやというほど頭をぶっつけて、とうとう本当に眼をさました。

「やっ、貴様か。貴様はなんというひどい――」<ruby><rb>大口</rb><rt>おおぐち</rt></ruby>開いてつかみかかってくるドン助を、敬二はあわててつきとばした。ドン助は赤ん坊のように、どたんと倒れた。

敬二が<ruby><rb>早口</rb><rt>はやくち</rt></ruby>に、あの黒眼鏡のローラがいまそこまで追っかけてきていることを告げると、さすがのドン助もこれが大いに<ruby><rb>効</rb><rt>き</rt></ruby>いたと見え、彼はたちまち頭をかかえて羊のごとくおとなしくなってしまった。

「そうか。そいつは弱ったな」

敬二はこれまでの話を、手みじかに話してやった。それを聞いていたドン助は、

「いや、俺が慾ばりすぎて失敗したんだ。でもあの外国の女には第一番に話をしたんだから、あれは二十円の値打はあると思うよ。第二番以後は二円ずつ安くして、ニュースを売ってやったのだ。あれから皆で四、五十円も儲かったよ。だからつい<ruby><rb>呑</rb><rt>の</rt></ruby>みすぎちまったんだ。わるく思うなよ」あの<ruby><rb>出鱈目</rb><rt>でたらめ</rt></ruby>ニュースを、そんなに幾軒もの新聞に売ったと聞いて、敬二はドン助の心臓のつよさにおどろいた。

「へへえ、支配人が俺をとっちめるといってたかい。そいつは困ったな。あいつは柔道四段のゴロツキあがりだから、いま見つかりゃ<ruby><rb>肋骨</rb><rt>ろっこつ</rt></ruby>の一本二本は折られると覚悟しなきゃならない。そいつは痛いし――」と腕をこまねいて、

「どうも弱った。仕方がない。夜になるまでここに隠れていよう」ドン助はごろりと音をたてて横になった。すると間もなく平和な鼾が聞えてきた。すっかりアルコールの<ruby><rb>擒</rb><rt>とりこ</rt></ruby>となった彼の身体は、まだまだねむりをとらなければ足りないのであった。

## <ruby><rb>○○獣</rb><rt>マルマルじゅう</rt></ruby>の再来

恐ろしいビルディング崩壊が再び始まったのはその日の午後であった。

あれよあれよと見る間に、例のカリカリカリという怪音をあげて、東京ホテルの裏に立っている大きな自動車のガレージを<ruby><rb>噛</rb><rt>かじ</rt></ruby>りはじめた。

敬二少年が外に走りでたときは、もはやガレージの横の壁が、まるで<ruby><rb>達磨</rb><rt>だるま</rt></ruby>を横にしたように<ruby><rb>噛</rb><rt>か</rt></ruby>みとられ、そして中にある修理中の自動車がガリガリやられているところだった。じっと見ていると、それらの壁や自動車が、音をたてて自然に消えてゆくとしか見えないのであった。もちろんドン助が新聞記者に<ruby><rb>喋</rb><rt>しゃべ</rt></ruby>ったように、怪物の<ruby><rb>尻尾</rb><rt>しっぽ</rt></ruby>もなんにも見えなかった。

敬二はいまさらながら、この出来事を眼の前に見て、気味がわるかったが、思いついて、首にかけていたカメラでパチリと写真を一枚とった。露出はわずか千分の一秒という非常な短かい撮影だった。

「やあ、これかい。なるほどなるほど」と突然大きな声がしたので、その方をふりむいてみると、誰がいつの間に知らせたのか、蟹寺博士が来ていた。博士は例の強い近眼鏡を光らせて、崩壊してゆく自動車を熱心にじっと見つめていた。

自動車も消えてしまうと、そこらに集って見物していた人達は、にわかに<ruby><rb>狼狽</rb><rt>ろうばい</rt></ruby>をはじめた。さあ、こんどはどこが崩壊するかしれないからです。もし自分の身体が崩壊しはじめたらどうしよう。

カリカリカリカリ。

突然また例の怪音がおこって、人々の耳をうった。

## カメラの手柄

敬二少年が、わずか千分の一秒という短かい露出でもって、○○獣の動いていると思われるところをうまく写真にとったことは、前にいった。少年は、どんな写真が<ruby><rb>撮</rb><rt>と</rt></ruby>れたかを一刻も早く見たくてたまらなかった。それで<ruby><rb>目下</rb><rt>もっか</rt></ruby>、東京ホテルの裏口を暴れまわっている○○獣のことは、折から現場に着き例の強い近眼鏡をひからせながら熱心に観察している蟹寺博士にまかせてしまって、敬二はカメラをもったまま、友だちの三ちゃんというのがやっている写真機屋の店をさして<ruby><rb>駈</rb><rt>か</rt></ruby>けだした。

「おう、三ちゃん、たいへんだたいへんだ」

「な、なんだ。おや敬ちゃんじゃないか。顔いろをかえてどうしたんだ」三ちゃんは<ruby><rb>現像室</rb><rt>げんぞうしつ</rt></ruby>からとびだしてきて、敬二少年を<ruby><rb>呆</rb><rt>あき</rt></ruby>れ顔で見やった。

「うん、全くたいへんなんだよ。○○獣の写真をとってきたんだ。すまないが、すぐ現像してくれないか」

「えっ、なんだって、あの○○獣の写真をとってきたんだって。まさかね。あははは」と、三ちゃんは本気にしない。それもそうであろう。誰にも見えない○○獣が写真にうつるわけがないからである。敬二少年は、それからいろいろと説明をして、やっと三ちゃんに<ruby><rb>納得</rb><rt>なっとく</rt></ruby>してもらうことができた。

「ああそうだったのか。千分の一秒で……。うむ、これなら或いはなにか見えるかもしれないね。ではすぐ現像してみよう」そういって三ちゃんは、敬二のフィルムをもって、現像室にもぐりこんだ。

それから二、三十分も経ったと思われるころ、三ちゃんは<ruby><rb>水洗平皿</rb><rt>すいせんひらざら</rt></ruby>に、黒く現像のできたフィルムを浮かして現れた。

「おい三ちゃん、どうだったい」

「うん。なんだかしらないけれど、とにかく妙なものがぼんやり出ているようだぜ。いまそれを見せてやるから、待っていなよ」そういって三ちゃんは、水に浮いているフィルムを、そっと水中でひっぱってみせた。

「ほら、ここんところを見てごらん。なんだか白い<ruby><rb>環</rb><rt>わ</rt></ruby>のようなものが、ぼんやりと見えるだろう。これはたしかに○○獣らしいぜ」

フィルムのままでは、白と黒とがあべこべになっているので写真を見つけない敬二にはよく見えなかった。そこで三ちゃんは、水洗をいい加減にして急に乾かすと、それを<ruby><rb>印画紙</rb><rt>いんがし</rt></ruby>にやきつけた。すると肉眼で見ていると同じ光景が、写真の面にあらわれた。

「ああっ、これだ。この輪が○○獣なのだ」

それは崩壊してゆくガレージの壁をとった写真だったが、その壊れゆく<ruby><rb>壁土</rb><rt>かべつち</rt></ruby>のそばになんとも奇妙な二つの輪がうつっていた。かなり太い環であった。それは丁度噛みあった指環のような<ruby><rb>恰好</rb><rt>かっこう</rt></ruby>をしていた。どうして○○獣は、こんな形をしているのだろうか。

## ○○獣の謎

敬二少年は、ついに○○獣の撮影に成功したのだった。

この写真をよく見てるうちに、彼はこの事件が起った最初、裏の広場の土をもちあげて、機械水雷のような形をした二つの<ruby><rb>球塊</rb><rt>きゅうかい</rt></ruby>がむっくり現れたことを思いだした。

○○獣の正体は、やはりこれだったのである。

何だかしらないが、その二つの球塊が、たがいにくるくると廻りあっている。一方が水平に円運動をすると、他の方は垂直に円運動をする。つまり二つの指環を噛みあわせたような恰好の運動になるのであった。それは二つの球が、お互いに運動をたすけあって、いつまでもぐるぐる廻っていることになるのであった。○○獣のおそろしい力も、こうした運動をやっているからこそ、起るのであった。

今では○○獣の姿が、<ruby><rb>一向</rb><rt>いっこう</rt></ruby>人々の眼に見えないが、これは○○獣がたいへん速く廻転しているせいであった。たとえば非常に速く廻っている車が見えないのと同じわけであった。敬二少年は、○○獣がこれから廻ろうとしていたその最初から見ていたのであった。

「まったく不思議な○○獣だ」と、敬二は自分で撮った写真をじっと見つめながら、<ruby><rb>長大息</rb><rt>ちょうたいそく</rt></ruby>をした。

○○獣というのは、二つの大きな球塊がぐるぐる廻っているものだということは分ったけれど、さてその大きな球塊は一体どんなものから出来ているのか、また中には何が入っているのかということについては、まだ何にも知れていなかった。そこに実に大きい疑問と<ruby><rb>驚異</rb><rt>きょうい</rt></ruby>とがあるわけであったが、敬二には何にも分っていない。いや敬二ばかりが分らないのではない。おそらく<ruby><rb>世間</rb><rt>せけん</rt></ruby>の誰にもこの不思議な○○獣の正体は見当がつかないであろう。

敬二が○○獣の写真をもって、再び東京ホテルの裏口に帰ってきたときには、そこには物見高い群衆が十倍にも<ruby><rb>殖</rb><rt>ふ</rt></ruby>えていた。その間を押しわけて前に出てみると、ホテルの建物はひどく<ruby><rb>傾</rb><rt>かたむ</rt></ruby>き、今にも<ruby><rb>転覆</rb><rt>てんぷく</rt></ruby>しそうに見えていた。その前に、蟹寺博士が、まるで生き残りの<ruby><rb>勇士</rb><rt>ゆうし</rt></ruby>のように只一人、<ruby><rb>凛然</rb><rt>りんぜん</rt></ruby>とつっ立っていた。警官隊や消防隊は、はるかに離れて、これを<ruby><rb>遠巻</rb><rt>とおま</rt></ruby>きにしていた。

そのとき敬二は、胸をつかれたようにはっと感じた。それは<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>でもない。ホテルの裏口に積んであった<ruby><rb>空箱</rb><rt>あきばこ</rt></ruby>の山が崩れて、そのあたりは雪がふったように真白に、<ruby><rb>木屑</rb><rt>きくず</rt></ruby>が飛んでいることであった。

「ドン助は、どうしたろう。この空箱の中に酔っぱらって眠っていたわけだが……」

彼は急に心配になって、恐ろしいのも忘れて前にとびだした。そして残った空き箱の一つ一つを手あたり次第にひっくりかえしてみたが、たずねるドン助の姿はどこにも見あたらなかった。ぞーッとする不吉な予感が、敬二の背すじに<ruby><rb>匍</rb><rt>は</rt></ruby>いあがってきた。

## 再びドン助の行方

「おいおい、君は何をしとるのか。こんなところにいると危いじゃないか」

と、蟹寺博士がつかつかと敬二のところへやってきた。

「ああ<ruby><rb>博士</rb><rt>せんせい</rt></ruby>。僕はドン助を探しているのです」

「ドン助？　はて、そのドン助というのは、誰のことじゃ」

「ドン助というのは、僕の親友ですよ。コックなんです。すっかり<ruby><rb>酔払</rb><rt>よっぱら</rt></ruby>って、ここに積んであった空箱のなかに寝ていたはずなんですがねえ」

「なに、この空箱のなかに寝ていたというのかね」博士は目をぱちくりして「そしてドン助は見つかったかね」

「だから今も云ったとおり、そのドン助を探しているのですよ。ところがどこにも見つからないんです」

「ふむ、そうか」と博士は腕ぐみをして考えていたが、

「これはひょっとすると、たいへんなことになったかもしれないぞ」

「えッ、たいへんとは何です。早くいって下さい」

「実はな、さっき○○獣が、この空箱の山をカリカリ音をさせて喰いあらしたのじゃ。空箱はつぎからつぎへと下へ崩れおちてくる。そこをカリカリカリと○○獣は喰いつづけたのじゃ。ひょっとすると、そのドン助というのは、そのときこの○○獣に喰われてしまったかもしれないよ」

「ええっ、ドン助が○○獣に喰べられてしまいましたか」

それを聞くと、敬二は頭がぼーっとしてきた。人もあろうに、ドン助が○○獣に喰われてしまうなんて、なんということだろう。ドン助は喰われてしまって、どうなったであろうか。

「<ruby><rb>博士</rb><rt>せんせい</rt></ruby>、○○獣に喰べられて、どうなっちまったんでしょうか」

「さあ、そこがどうも分らんので、いま研究中なのじゃ」

敬二は思いついて、博士に○○獣の写真を出してみせた。こいつは博士を興奮させたこと、非常なものであった。

「おお、これじゃ、これじゃ。<ruby><rb>儂</rb><rt>わし</rt></ruby>の想像していたとおりじゃった。二つの球体が互いにぐるぐる廻っているのがよく分る。はて、こういうわけなら、○○獣を<ruby><rb>生擒</rb><rt>いけどり</rt></ruby>に出来ないこともないぞ」

「○○獣を生擒にするんですか」

敬二は<ruby><rb>我</rb><rt>われ</rt></ruby>をわすれて躍りあがった。○○獣の生擒なんて、いまのいままで考えていなかったことだ。もし生擒にできたなら、○○獣の謎の正体もはっきり分るだろう。

二人が○○獣の生擒の話で夢中になっているとき、二人の傍には、いつ何処から現れたかしらないが、例の黒眼鏡の<ruby><rb>断髪</rb><rt>だんぱつ</rt></ruby>の外国婦人が忍びよって、そこらに散らかっている雪のように白い木屑を、せっせと掃きあつめてはメリケン粉袋にぎゅうぎゅうつめこんでいた。

## <ruby><rb>陥穽</rb><rt>おとしあな</rt></ruby>

「おーい！　消防隊」

蟹寺博士は、すこぶる興奮のありさまで、向うに陣をしいている消防隊の方へ駈けだした。そして隊長らしいのをつかまえて、しきりに手真似入りで話をやっているのが見えた。すると消防隊は、にわかに<ruby><rb>活溌</rb><rt>かっぱつ</rt></ruby>になった。大勢の隊員が、さらに呼びあつめられた。

「一体なにが始まるのかしら」敬二はそれが知りたくて<ruby><rb>仕方</rb><rt>しかた</rt></ruby>がなかった。それで傍へ近づいていった。

蟹寺博士は、地面に図を描いて、消防隊長に説明をしていた。

「いいかね。このとおりやってくれたまえ」

「ずいぶん大きな穴ですね。もっと人数を<ruby><rb>増</rb><rt>ま</rt></ruby>さなきゃ駄目です」

と、隊長の一人がいった。

「要ると思うのなら、すぐ手配をして集めてきたまえ。○○獣の<ruby><rb>生擒</rb><rt>いけどり</rt></ruby>がうまくゆかなければ、この事件の被害はますます大変なことになるのだ。井戸掘機械なりとなんなりと、要ると思うものはすぐ集めてきて、早くこのとおりの穴を掘ってくれたまえ」

蟹寺博士は気が気でないという風に、消防隊を<ruby><rb>激励</rb><rt>げきれい</rt></ruby>した。

その甲斐があってか、まもなく東京ホテルを中心として、その周囲に深い穴がいくつとなく掘られていった。

「<ruby><rb>博士</rb><rt>せんせい</rt></ruby>。こんなに穴をあけてどうするんですか」

「おう、敬二君か。これは<ruby><rb>陥穽</rb><rt>おとしあな</rt></ruby>なんだよ。○○獣をこの穴の中におとしこむんだよ」

「へえ、陥穽ですか。なるほど、ホテルの周囲にうんと穴を掘って置けば、どの穴かに○○獣が墜落するというわけなんですね」

「そのとおりそのとおり」

「<ruby><rb>博士</rb><rt>せんせい</rt></ruby>、穴の中に落っこっただけでは駄目じゃありませんか。なぜって、穴の中で○○獣が暴れれば、穴がますます大きくなり、やがて東京市の<ruby><rb>地底</rb><rt>じぞこ</rt></ruby>に<ruby><rb>大穴</rb><rt>おおあな</rt></ruby>が出来るだけのことじゃないんですか」

「うん、まあ見ていたまえ。<ruby><rb>儂</rb><rt>わし</rt></ruby>の胸にはちゃんと生擒りの手が考えてある」蟹寺博士は、大いに自信のある顔つきであった。

そのうちに穴はどんどん掘りさげられていった。千五百人の人が働いて、五十六の大穴が掘れた。もうあとは、○○獣が外へ出てきて、<ruby><rb>陥穴</rb><rt>あとしあな</rt></ruby>におちるばかりであった。蟹寺博士はじめ大勢の見物人は、それがいつ始まるだろうかと、首を長くして○○獣の出てくるのを待ちわびた。

「おお、あそこから○○獣が出てきたっ！」敬二が突然大きな声で叫んで、ホテルの南側の窓下を<ruby><rb>指</rb><rt>ゆびさ</rt></ruby>した。

## 女流記者

敬二の指した方を、大勢の人々は見てはっとした。

今やホテルの南側の窓下が、がりがりごりごりと盛んに<ruby><rb>噛</rb><rt>かじ</rt></ruby>られてゆき、見る見る大きな穴が<ruby><rb>明</rb><rt>あ</rt></ruby>いてゆく。

「うわーッ、あれが○○獣だ」

「危いぞ。<ruby><rb>皆</rb><rt>みんな</rt></ruby>下がれ下がれ」

見物人は顔色をかえて、後へ<ruby><rb>尻込</rb><rt>しりご</rt></ruby>みをするのだった。

勇敢なのは、蟹寺博士だった。

博士はその前に、前かがみになって、じっと見つめている。

そのとき、敬二少年はドン助の行方が気になるので、しきりにそのあたりを探しまわってたが、何処を探してみてもいない。博士はドン助が<ruby><rb>木函</rb><rt>きばこ</rt></ruby>ごと○○獣に噛られてしまったといったが、始めはそれが冗談と思っていたのに、だんだん冗談ではないことが敬二に分ってきた。

「もし、<ruby><rb>貴女</rb><rt>あなた</rt></ruby>はなぜその木屑をメリケン袋の中にぎゅうぎゅうつめこんでいるんですか」

と、黒眼鏡の外国婦人に声をかけた。

すると、かの外国婦人は、怒ったような顔を敬二の方に向けると、

「あなた、分りませんか。この木屑の中に、あなたの友達の身体が粉々になってありますのです。おお、<ruby><rb>可哀</rb><rt>かわい</rt></ruby>そうな人であります。わたくし、こうして置いて、後で<ruby><rb>手篤</rb><rt>てあつ</rt></ruby>く<ruby><rb>葬</rb><rt>ほうむ</rt></ruby>ってやります。たいへんたいへん、気の毒な人です。みな、あの○○獣のせいです」

「すると、ドン助は○○獣に殺されて、身体はこの木屑と一緒に粉々になっているというのですか。本当ですか、それは――」

「本当です。わたくし、あなたたちのように嘘つきません」

「僕だって嘘なんかつきやしない」

と、敬二少年は腹を立ててみたが、とにかくもしそれが本当だとすると、この外国婦人は親切なひとだと思われる。

「貴女は一体どういう身分の方なんですか」

と、敬二は彼女に聞きたいと思っていたことを<ruby><rb>訊</rb><rt>たず</rt></ruby>ねてみた。

「わたくしはメアリー・クリスという英国人です。タイムスという新聞社の特派員です。この○○獣の事件なかなか面白い、わたくし、本国へ通信をどんどん送っています。いや本国だけではない、世界中へ送っています」

「ははあ、女流新聞記者なのですか」

敬二は始めて<ruby><rb>合点</rb><rt>がてん</rt></ruby>がいったという顔をした。

## ○○獣<ruby><rb>生擒</rb><rt>いけどり</rt></ruby>

そのとき、大勢の群衆がうわーっと<ruby><rb>鬨</rb><rt>とき</rt></ruby>の声をあげた。

「<ruby><rb>騒</rb><rt>さわ</rt></ruby>ぐな騒ぐな」

と、蟹寺博士は群衆を一生懸命に制しているが、なかなか<ruby><rb>鎮</rb><rt>しず</rt></ruby>まらない。

「さあ、セメントを入れろ！」

消防隊員は<ruby><rb>総出</rb><rt>そうで</rt></ruby>でもって、穴の中にしきりにセメントの溶かしたものを<ruby><rb>注</rb><rt>つ</rt></ruby>ぎいれている。もちろんそれは蟹寺博士の<ruby><rb>指図</rb><rt>さしず</rt></ruby>によるものであった。

「どうしたんです」

と、敬二が見物人に聞くと、

「いや、とうとう○○獣が穴の中に<ruby><rb>墜</rb><rt>お</rt></ruby>ちたんだとよ」

「えっ、○○獣が……」

敬二が<ruby><rb>愕</rb><rt>おどろ</rt></ruby>いているうちにも、セメントは後から後へと流しこまれる。しかしそのたびに穴の中から真白な霧みたいなものがまい上ってくる。

セメントはどんどん、穴の中に注がれた。

敬二は心配になって、蟹寺博士のそばに駈けだしていった。

「<ruby><rb>博士</rb><rt>せんせい</rt></ruby>。○○獣が墜っこったって本当ですか」

「おお敬二君か。本当だとも」

「穴の中へセメントを入れてどうするんですか」

「これか。これはつまり、○○獣をセメントで<ruby><rb>固</rb><rt>かた</rt></ruby>めて、動けないようにするためじゃ」

「なるほど――」

敬二には、始めて合点がついた。○○獣はもともと二つの大きな球が、たいへん速いスピードでぐるぐると廻っているものだった。そのままでは人間の眼にも<ruby><rb>停</rb><rt>と</rt></ruby>まらないのだった。その廻転を停めるためには、セメントで○○獣を固めてしまえばいい<ruby><rb>理窟</rb><rt>りくつ</rt></ruby>だった。なるほど蟹寺博士は<ruby><rb>豪</rb><rt>えら</rt></ruby>い学者だと敬二は舌をまいて感心した。

しかしそのとき<ruby><rb>不図</rb><rt>ふと</rt></ruby><ruby><rb>不審</rb><rt>ふしん</rt></ruby>に思ったのは、セメントは<ruby><rb>乾</rb><rt>かわ</rt></ruby>くまでになかなか時間が<ruby><rb>懸</rb><rt>かか</rt></ruby>るということだ。ぐずぐずしていれば、○○獣はまた穴のなかからとびだして来はしまいか。そう思ったので、敬二は心配のあまり蟹寺博士にたずねた。

すると博士は、眼鏡の奥から目玉をぎょろりと光らせて云った。

「なあに大丈夫だとも。今穴の中に流し込んでいるセメントは、普通のセメントではないのだ。永くとも一時間あれば、すっかり硬くなってしまうセメントなんだよ。そのセメントのなかで○○獣は暴れているから、<ruby><rb>摩擦熱</rb><rt>まさつねつ</rt></ruby>のため、セメントは一時間も<ruby><rb>罹</rb><rt>かか</rt></ruby>らないうちに固まってしまうだろう」

なるほどそういうものかと敬二は、また感心した。

「そんなセメントがあるのは知らなかった。これも博士の発明品なのですか」

「そうじゃない。この<ruby><rb>早乾</rb><rt>はやかわ</rt></ruby>きのセメントは前からあるものだよ。歯医者へ行ったことがあるかね。歯医者がむし歯につめてくれるセメントは五、六分もあれば乾くじゃないか。一時間で乾くセメントなんて、まだまだ乾きが遅い方なんだよ」

あっそうか。むし歯のセメントのことなら、敬二もよく知っていた。じゃあ○○獣は、そろそろセメント詰めになる頃だぞ。

## <ruby><rb>大椿事</rb><rt>だいちんじ</rt></ruby>

「ほほ、敬二君。いよいよ○○獣がセメントの中に動かなくなったらしいぞ。見えるだろう。さっきまで穴の中から白い煙のようなセメントの粉が立ちのぼっていたのが、今はもう見えなくなったから」

「えっ、いよいよ○○獣が捕虜になったんですか」

博士の云うとおり、○○獣の落ちた穴の中からは、最前までゆうゆうと立ち<ruby><rb>昇</rb><rt>のぼ</rt></ruby>っていた<ruby><rb>白気</rb><rt>はっき</rt></ruby>は見えなくなっていた。

博士は穴の方へ飛びだしていった。

「おおい、皆こっちへ集ってくれ。○○獣を掘りだすんだ」

さあ、いよいよ問題の○○獣を掘り出すことになった。消防隊はシャベルや<ruby><rb>鶴嘴</rb><rt>つるはし</rt></ruby>をもって、穴のまわりに集ってきた。蒸気で動くハンマーも、レールの上を動いてきた。

がんがんどすんどすんと、○○獣の<ruby><rb>埋</rb><rt>うず</rt></ruby>まっている周囲が掘り下げられていった。セメントはもはや硬く固っていた。

やがて掘りだされたのは、背の高い<ruby><rb>水槽</rb><rt>タンク</rt></ruby>ほどもあるセメントの円柱だった。

「うむ、うまくいった。この中に○○獣がいるんだ。よかったよかった」

と蟹寺博士はもみ手をしながら、そのまわりをぐるぐると歩きまわる。

警備の隊員も見物人も、ざわざわとざわめいたが、折角の○○獣も、セメントの壁に<ruby><rb>距</rb><rt>へだ</rt></ruby>てられて見えないのが物足りなさそうであった。

「<ruby><rb>博士</rb><rt>せんせい</rt></ruby>。○○獣はセメントで固めたまま<ruby><rb>抛</rb><rt>ほう</rt></ruby>って置くのですか」

「うん、分っているよ、敬二君。こいつは用心をして扱わないと、飛んだことになるのだ。まあ<ruby><rb>儂</rb><rt>わし</rt></ruby>のすることを見ているがよい」

蟹寺博士は、セメント詰めの○○獣をトラックの上に積ませた。そしてそのトラックは騒ぎを後に、東京ホテルの広場から走りだした。その<ruby><rb>後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>からは、幾十台の自動車がぞろぞろとつき従ってゆく。

やがてこのセメント詰めの○○獣は、帝都大学の構内に<ruby><rb>搬</rb><rt>はこ</rt></ruby>びこまれた。

蟹寺博士は先頭に立って、<ruby><rb>指図</rb><rt>さしず</rt></ruby>をしていた。まずＸ線研究室の<ruby><rb>扉</rb><rt>ドア</rt></ruby>がひらかれ、その中に○○獣を閉じこめたセメント<ruby><rb>柱</rb><rt>はしら</rt></ruby>が搬びこまれた。室内は直ちに暗室にされた。ジイジイとＸ線が器械から放射され、うつくしい蛍光が輝きだした。

「ああ、見えるぞ」

博士は叫んだ。蛍光板の中にぼんやりと二つの丸い球が見えだした。

後からついてきた人たちも、それっというので眼を<ruby><rb>瞠</rb><rt>みは</rt></ruby>った。

「どうもこの<ruby><rb>儘</rb><rt>まま</rt></ruby>では危い。この二つの○○獣を互いに離して置かないと、いつまた前のようにぐるぐる廻りだすか分らない。さあ、この辺から、セメントの柱を二つに<ruby><rb>鋸引</rb><rt>のこぎりび</rt></ruby>きをしてくれたまえ。柱が<ruby><rb>壊</rb><rt>こわ</rt></ruby>れないようにそろそろやるように注意を頼む」

## 恐ろしき謎

鋸引きの音が、ごりごりいっている間に、敬二は博士のそばへいって声をかけた。

「<ruby><rb>博士</rb><rt>せんせい</rt></ruby>、なぜ○○獣を別々に離して置かないと危いのですか」

「うん。これは○○獣の運動ぶりから<ruby><rb>推</rb><rt>お</rt></ruby>して、そういう理屈になるんだよ。つまり○○獣というのは二つの球が互いに相手のまわりに廻っているんだ。<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby>二つの<ruby><rb>指環</rb><rt>ゆびわ</rt></ruby>を噛みあわしたような恰好に廻っているんだ。こういう風に廻ると、二つの球は互いに相手に廻転力を与えることになるから、二つの球はいつまでも廻っているんだ。だから二つの球を静止させるには、二つの球の距離を遠くへ離すより外ないのだ。見ていたまえ。もうすぐ<ruby><rb>○獣</rb><rt>マルじゅう</rt></ruby>と<ruby><rb>○獣</rb><rt>マルじゅう</rt></ruby>とが切り離せるから」

<ruby><rb>鋸引</rb><rt>のこぎりび</rt></ruby>きが<ruby><rb>済</rb><rt>す</rt></ruby>んで、セメント柱は二つに切られた。博士の指図によって、消防隊の人々が一方のセメント柱に手をかけて、えんやえんやと引張った。

「これは駄目だ。中々動きそうもない」

「そんなに強いかね。じゃあ、もっと皆さんこっちへ来て手を貸して下さい」

更に人数を<ruby><rb>殖</rb><rt>ふ</rt></ruby>やして、えんやえんやと引張った。するとセメント柱は、やっと両方に離れだした。

「しめた。もっと力を出して。そら、えんやえんや」

うんと力を合わせて引張ったので、セメント柱はごろごろと台の上から下に転がり落ちた。

あっと思ったが、もう遅かった、ぐわーん、どどーんと大きな音とともに真白な煙が室内に立ちのぼった。

人々の悲鳴、壁や天井の崩れる音。思いがけないたいへんな<ruby><rb>椿事</rb><rt>ちんじ</rt></ruby>をひきおこしてしまった。

敬二少年も、この大爆発のために、しばらくは気を失っていた。<ruby><rb>暫</rb><rt>しばら</rt></ruby>く<ruby><rb>経</rb><rt>た</rt></ruby>ってやっと気がついてみると、壁も天井もどこかへ吹きとんでしまって、頭上には高い空が見えていた。あたりを見ると、そこには大勢の人が倒れていた。セメントの破片が白く飛んでいた。

しかし不思議なことに、○○獣の姿はどこにも見当らなかった。

なぜ大爆発が起ったのやら、なぜ○○獣がいなくなったのやら、そこに居合わせた誰にもさっぱり解らなかったけれど、ずっと後に、やはりあのとき重傷を負った蟹寺博士が病院のベッドの上で<ruby><rb>繃帯</rb><rt>ほうたい</rt></ruby>をぐるぐる捲きつけた顔の中から細々とした声で語ったところによると、

「儂の失敗じゃ。○○獣を切り離したのがよくなかった。○○獣が互いに傍にいる間に、お互いの引力で小さくなっているんだが、あれを両方に離してしまうと、引力がなくなってしまうから、それで急に大きく<ruby><rb>膨</rb><rt>ふく</rt></ruby>れて、あのとおり爆発してしまったのだ。○○獣はもともと<ruby><rb>瓦斯体</rb><rt>ガスたい</rt></ruby>だったが、ああして廻りだすようになってから形が小さくなって鉄の<ruby><rb>塊</rb><rt>かたまり</rt></ruby>みたいに固くなっていたんだ。だから二つを両方に離すと、どっちももとの瓦斯体になり、後には何にも残っていないのだ。じゃ○○獣というのは何物だったかといえば、あれは宇宙を飛んでいる二つの小さい星雲が或るところで偶然出会い、それからあの激しい<ruby><rb>収縮</rb><rt>しゅうしゅく</rt></ruby>と強い廻転とが生じて、それがたまたま地球の中をくぐりぬけていったのだよ。全く珍らしい現象だ。随分恐ろしいことだった」

博士はベッドの中で大きな<ruby><rb>溜息</rb><rt>ためいき</rt></ruby>をつきながら、そういうのであった。