Soranoha

地球はまわる

ちきゅうはまわる

宮本 百合子

封建社会のモラルは、日本でもヨーロッパでも、簡単な善と悪とのふたすじにわけられていた。そこでは、君主、家長の絶対権力をより維持しやすくする考え方や行動が善であり、その反対に、支配者の絶対権に何かの不安や疑問をさしはさむことは、最もはなはだしい悪とされていた。鴎外その他の作家の歴史小説には、この消息がまざまざと描かれている。封建時代に、君主にその非行を直言しようと決心した臣下は、いつも切腹を覚悟しなければならなかった。「直諫の士」が戦場の勇士よりも、ある場合にはより勇気ある武士とされた理由である。

日本の人民は、東條時代を通じて、もっとも非合理野蛮な侵略主義者の善と悪との規準で支配されてきた。「聖戦」に対して、いくらかでも疑問をもち、侵略行為の人類的悪についてほのめかしでもしようものなら、憲兵と警察と密告者の餌じきにされた。その上、野蛮な権勢を守るための言論封鎖の特徴として、そういう人権蹂躙が行われているという事実にふれて語ることさえ、犯罪行為として罰した。ナチスのドイツが同じこと、あるいは、もっとひどいことをした。第二次大戦の結果は、言論を封鎖し、出版統制を狂的に行ったすべてのファシズム国家の権力は、窮極には倒れざるをえないことを証明した。なぜなら、どんな力でそれについて語り、書く自由を禁じたとしても、「事実」の力が現実に歴史の推移に作用しずにはいないからである。人間は社会的生物である。この基本的な事実から発言の抑圧は直接人間の生存の自由に加えられる抑圧となる。人間というものは感じること、判断したことについて黙っていられないものとして生れている。だからこそ、人類社会は発展して来た。“地球はまわる”この真実は今日子供たちでも知っている。だが十七世紀の法王庁はこの真理を語ったかどでガリレオ・ガリレーを重罪に問うた。ガリレーは以後そのことについては語らないと裁判で答えたが、彼はひそやかにつぶやいた、「しかしそれは動く」と。そしてそれはそのとおりなのだ。徒らに言論を抑圧するということが自然と社会のすべての事実に対して、どれほど目さきのききめしかなく、しかも大局からみて聰明な処置でないかということについての真実がここに示されている。

討議(ディスカッション)という意見の発表と研究の方法を日本の人民は学ぶべきであるといわれはじめてから、まだ五年しかたたない。五年後のきょうの実状をみると、日本の一般には開放的でまた探求心のつよい討議の習慣がつくられるよりも早く、過去の半封建的日本のモラルの標準語であった善とか悪とかいう表現での片づけかたが、流布しそうである。善かさもないものはただちに悪と、固定された、ただふたすじのみちが、もし、特定のものの便宜のために日本の人民の理性の上に敷設されるなら、それは、人を生き埋めにした上につくられた滑走路のようなものになるだろう。社会の発展の過程にあらわれる善と悪とは馬琴の勧善懲悪小説の善玉、悪玉であらわされるよりはるかに動的で互の関係のうちに質の変化を経験してゆくものである。そこにわれわれの実践と客観的な観察と批判が必要となって来る。

言論の自由を奪うということは、ただそのときその人がいおうとしている意見をひっこめさせる役割を果すだけではない。思うことのいえない人間はだんだん無気力になり自分で判断しようともしない無責任になれて来る。社会的自主性のよわいひきまわされ放題な人となる。日本人の性格のよくない特徴として、敗戦後、あらゆる外国人から指摘された一つに「自分の意見をはっきりあらわさない」という点があげられている。そのことを忘れてはならない。内と外からの愚民教育に対して、わたしたち人民の男女は責任あるたたかいをつづけなければならない。〔一九五〇年八月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
1952(昭和27)年1月発行
初出:「全農林」
1950(昭和25)年8月10日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「地球はまわる」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十六巻』新日本出版社、1980年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003491_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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