春さき、はんの木山を歩くと、かげろふの糸のやうな白い毛がふわりと飛んで來て、顏や頭にひつかかる。ねば〱してうるさいので、取りすてようとしても中々離れぬ。地震蜘の糸だ。いぼとり蜘とも言つてゐる。巣へさはると、おこつて網全體を震動させる。はじめ巣をかける時、五六尺位長い糸を尻から手ぐり出して、空中に飛ばすのである。飛ばされた糸が何かに引つかかると、蜘の巣の幹線となるのだ。高い處からぶらんこして遠くへ渡す糸は大してねばらない、飛ばして引つかける糸は必要上ねばるやうに見える。林中を歩む時、毛蟲から針毛を植ゑられることには驚かないが、この蜘の糸には弱らされる。和漢三才圖會に、或る蜘の吐いた糸で前の物を縛ると其處から腐つて落ちるとあつたが、まんざら跡方のない話でも無ささうである。  熊蜂を投げて見ると、掴まへると同時にりぼんのやうな廣い糸を尻から繰り出して、くる〱と蜂をまはし〱眞白に卷いてしまふ。熊蜂を放りあげると、引つかかつた糸を切り放して蜂を落してよこすし、でなければ蜂の羽や脚には蜘の巣にへばりつかぬ作用でもあるかして、網のはしまで歩いて來てひとりで離れてしまふ。さいかち蟲やかぶと蟲でさへ、どうかかうか喰つて角や羽だけ下へ落すけれど、蜂には先天的にまゐつてゐるらしい。蜂の方でも隨分遠くまで尺とり蟲を探して歩くのを見かけるが、蜘の巣だけはなるたけ避けて通るかに見える。  ただ一種蜂の中のべつ甲蜂だけは蜘を捕る。  ある日の事だ、私は裏庭の日ざしを戀ふて離れの縁に坐つて、見るともなしに榧の木末を仰ぐと、おいらん蜘が中天にかかつてゐる。日ざしのせゐで網は見えない。榧の木の洞に寄生した棕梠は枯れたか知らと見當をつけて探すあたりに、一匹のべつ甲蜂がひよつくり飛んでゐる。と小石のやうに、一直線においらん蜘の網のあたりに、突きあたる。忽ち網にひつかかつた。と見るが早いか蜘は電光の如く蜂に飛びついた。蜘と蜂は一かたまりになつて、私のぢき手前三尺とも隔たらぬ地上に落ちて、ぢき放れた。蜘は動かない。蜂は最初蜘の周りを這ひ廻つてゐたが、やがて蜘をかかへて二三寸飛び上つたまま、庭の上をぶん〱めぐり初めた。  暫くさうしてゐたが、牡丹の根方のくろぼくの上へ止つて蜘をおろした。蜘は死んだやうに身じろきもしない。  蜂はくろぼくの日あたりのいい陰へ下りて口で土を掘ぢくり出した。少しづつ、少しづつ口で掻き〱土を退けはじめた。  私はぢつと見てゐた。蜘は脚を張つたなりやはり動かなかつた。蜂はだん〱と小さな穴をこしらへて、いつか逆立になつて、からだを半分土の中にかくして、せつ〱と動いてゐる。凡三十分はたつたらう。蜂はからだごと土の中へ這入つて、頭だけ出しては土をくはへ出し、飛び上つては土を運び出して、人間の人さし指位はかくせさうな穴を掘りあげた。  穴が出來ると、蜂はくろぼくの上へ置いた蜘をかかへて、またはひつて行つた。  ぢき出て來た。蜘を穴の中へかくして來た。出て來ると、穴のふちをぐる〱歩いて今度は土をかぶせ出した。一しきりかぶせ終ると、自分の尾端で、はた〱と穴の上を叩いて固めて行つた。  蜂の作業は終つた。蜂は疲れた容子もなく羽や脚をこすつて泥をすつかり落してからすうつと飛び去つた。  それから何日たつても蜂は來なかつた。 蜘のいのちの   はかなさ 軒の褄なるや赤樫の樫の枝から 人の首 締むれば締まる糸かけて だいきちがな けらがな かからば喰はんと待ちけるが 蜘のいのちの   はかなさ 落葉のかさと鳴りてさへ 白き目を疲らすに 蝶も久しく飛ばねば はらはへりにけり 蜘のいのちの   はかなさ さても生きつつ 飛んで來てかかつた べつ甲蜂を捕へよと 糸は繰る繰る蜂と共に はたと音して落ちにけり 蜘のいのちの   はかなさ 夢の寢ざめの風の音 驚く夜もなき土室に 蜂の仔のかへるまで 眠る日月の長からず