櫻の花がかすかなひかりを含んで散りそめる。風が輝く。その頃から私のこゝろは何となくおちつきを失つてゆく。毎年の癖で、その頃になると必ずの樣に旅に出たくなるのだ。また、大抵の年は何處かへ出かけてゐる。

櫻の花の散りゆくころ、やはらかく萌えわたる若葉の頃、その頃の旅の好みを私は海よりもおほく山に向つて持つ。山と云つても、青やかな山と山との大きな傾斜が落ち合ふ樣な、深い溪間が戀しくなる。

上州の<ruby><rb>吾妻川</rb><rt>あがつまがは</rt></ruby>は澁川町で沼田の方から來た利根川と落ち合つてゐるが、その澁川町から十里ほど溯つたあたりに普通に關東耶馬溪と呼びなされてゐる溪谷がある。兩岸は切り立つた樣な斷崖で、その斷崖には意外なほど多くの樹木が生えてゐる。その相迫つた斷崖の底に極めて細く深く青み湛へた淵は、時にまた雪白な飛沫をあげた奔湍となつて流れ下る。

溪流そのものも矢張り他に見られぬ面白さを持つて居るが、私はことにその流を挾む兩岸の斷崖に茂つて居る木立を愛するものである。樹は多く年を經た老樹で、土氣とぼしい岩の間に、殆んど鑛物化した樣なその根を張り枝を伸ばして、形あやしく立つて居る。私が初め其處を見たのは秋の末、落葉の頃であつた。いはゆる<ruby><rb>寒巖枯木</rb><rt>かんがんこぼく</rt></ruby>の<ruby><rb>風情</rb><rt>ふぜい</rt></ruby>は充分に眺められたが、それを見るにつけても若葉の頃がなほ一層にしのばれた。で、その翌年の五月、はる〲とまた其處へ出かけて、山櫻が咲き、山櫻が散り、とりどりの木の芽が萌え、躑躅が咲き、藤の花の咲き出すまで、二十日ほども其處に程近い川原湯温泉に泊つてゐて、毎日々々その溪間の眺めを樂しんだものであつた。川原湯温泉から直ぐその不思議な眺めを持つ峽谷に入つて出はづれるまで約一里、出はづれると遙かに大きな吾妻川の流域が見渡された。野原とも云ひたいこの廣大な溪谷にももく〱とした若葉の呼吸が萌え立つてゐるのであつた。

朝づく日峯をはなれつわが歩む溪間のわか葉青みかがやく

朝づく日さしこもりたる溪の瀬のうづまく見つつ心しづけき

溪合にさしこもりつつ朝の日のけぶらふところ藤の花咲けり

荒き瀬のうへに垂りつつ風になびく山藤の花の房長からず

溪間と云へばおほく其處に多い温泉を見逃がすわけにはゆかぬ。谷にそつた川原湯温泉は吾妻川に臨んだ斷崖の上に在つて、非常に靜かな、景色もいゝ所である。其處から、少し下つて中之條町より左折した一支流の谷間には<ruby><rb>四萬</rb><rt>しま</rt></ruby>温泉がある。また、澁川から利根川の方へ溯ればその本流に沿うて十幾個所かの温泉が出てゐるのだ。私の其處を𢌞り歩いたは秋であつたが、若葉の頃、ことに細かな雨のそゝぐ<ruby><rb>曙</rb><rt>あけぼの</rt></ruby>など、人知らぬそれら谷間の湯にひつそり浸つてゐるのは決して惡くあるまいと思ふ。

東京近くの溪では<ruby><rb>秩父</rb><rt>ちちぶ</rt></ruby>であらう。信越線熊谷驛から入つて三峰山に登る間の溪流、それから東京山手線の池袋驛から武藏野を横切つて<ruby><rb>飯能</rb><rt>はんのう</rt></ruby>に到り、其處から沿うて上つてゆく名栗川の溪流、共に秩父の山から出て、前のはやゝ大きく、後者は極めて小さい流であるが、小さいなりにいかにも清らかなすが〱しい溪である。名栗川の上流には名栗鑛泉がある。杉木立の青々した中に、ちよろ〱と流れる水を控へて二軒の湯宿があつた。

朝ばれのいつかくもりて眞白雲峰に垂りつつ蛙鳴くなり

下ばらひ清らになせし杉山の深きをゆけばうぐひすの啼く

つぎつぎに繼ぎて落ちたぎち杉山のながき<ruby><rb>峽間</rb><rt>はざま</rt></ruby>を落つる溪見ゆ

しらじらとながれてとほき杉山の<ruby><rb>峽</rb><rt>かひ</rt></ruby>の淺瀬に河鹿なくなり

湖もいゝ。山の奧の靜かな湖、新樹がひそかに影をひたして、羽蟲の群がひくゝ水の上にまひ、小魚がをり〱跳ね、郭公が岸の木立の中で啼く。さうした景情を私は<ruby><rb>榛名山</rb><rt>はるなさん</rt></ruby>の上の湖で心ゆくまで味つた事がある。

その湖には伊香保温泉を經て登つてゆくのだ。伊香保の若葉のよさは多くの人が知つて居ることゝおもふ。温泉町附近の木立の深いのもよく、其處から見渡した前面の廣々しい雜木原の新緑は全く心を躍らせた。人はよく伊香保の紅葉といふが、紅葉は何と云つても感じが乾いてゐる。枯れてゐる。

其處から湖までたしか二里か二里半の登りであつたと思ふ。その間、多くは松や落葉松の植林地を行くのであるが、その林の中に郭公がよく啼いた。松林を通り越すと、一里四方もありさうな廣い草原が見出された。其處の山窪の上の空には夏雲雀が無數に啼いてゐた。その草原を通り過ぎると湖の輝きが岸の木立がくれに見えて來るのだ。

湖岸に在る宿屋も氣持のいゝものであつた。宿の前の湖でとれた魚や<ruby><rb>蜆</rb><rt>しじみ</rt></ruby>をいろいろに料理してたべさせてくれたのも嬉しかつた。私の行つた日の夕方からはら〱と雨が落ちて來て、翌朝はまたこの上ない晴であつた。

みづうみのかなたの原に啼きすます郭公の聲ゆふぐれ聞ゆ

<ruby><rb>湖</rb><rt>うみ</rt></ruby>ぎはにゆふべ<ruby><rb>靄</rb><rt>もや</rt></ruby>たち靄のかげに魚の飛びつつ郭公きこゆ

吹きあぐる溪間の風の底に居りて啼く郭公の煙らひきこゆ

となりあふ二つの溪に啼きかはしうらさびしかも郭公聞ゆ

それは山上の湖、これは例の『あやめ咲くとはしほらしや』の唄で<ruby><rb>潮來</rb><rt>いたこ</rt></ruby>あたりの水の上を船で𢌞つたも同じく初夏の頃であつた。香取の宮から河とも湖ともつかぬ所を漕いで鹿島の宮へ渡り、更に<ruby><rb>浪逆</rb><rt>なさか</rt></ruby>の浦を潮來へ横切る時には小雨が降つてゐた。『潮來出島の眞菰のなかで』といふ眞菰や蒲の青々した蔭にはあやめはやゝ時過ぎてゐたが、<ruby><rb>薊</rb><rt>あざみ</rt></ruby>の花の濃紫が雨に濡れて咲き亂れてゐた。舟はあやめ踊を以て聞えて居る潮來の<ruby><rb>廓</rb><rt>くるわ</rt></ruby>の或る引手茶屋の庭さきの石垣下に止つた。そして船頭の呼ぶ聲につれて茶屋の小女は傘を持つていそ〱舟まで迎ひに來たのであつた。

明日漕ぐと樂しみて見る沼の面の闇のふかみに<ruby><rb>行々子</rb><rt>よしきり</rt></ruby>の啼く

わが宿の灯かげさしたる沼尻の<ruby><rb>葭</rb><rt>よし</rt></ruby>のしげみに風さわぐなり

苫蔭にひそみつつ見る雨の日の<ruby><rb>浪逆</rb><rt>なさか</rt></ruby>の浦はかきけぶらへり

雨けぶる浦をはるけみひとつ行くこれの小舟に寄る浪聞ゆ

さきに私は若葉の頃になれば旅をおもふといふことを書いた。さういふ言葉の裏にはその季節に啼く鳥の聲、山ふかく棲むいろいろな鳥の啼聲をおもふ心がかなり多分に含まれてゐるのを自分では感じてゐる。

先づ郭公である。次いで杜鵑である。筒鳥である。呼子鳥である。その他山鳩の啼く音、駒鳥の啼く音、それからそれと思ひ出されて來て、斯う書いてゐながらも何處やらにそれらの鳥のそれぞれの寂しい聲の聞えてゐるのを感ずるのだ。まつたく若葉のころの山にはいろ〱な鳥が啼く。しかも何處にか似通つた韻律を持ち、その韻律の中にはまた同じ樣な寂しさが含まれてゐるのを思ふ。杜鵑、駒鳥は鋭くて錆び、郭公、筒鳥、呼子鳥、山鳩のたぐひはすべて圓みを帶びた聲の、しかも消しがたい寂しさをその啼聲の底に湛へてゐる鳥である。筒鳥と呼子鳥とは同じものだといふ人もあるが、よく聞くと矢張り違ふ。筒鳥は大きく、呼子鳥の聲は小さい。初め私はこれを親鳥雛鳥のちがひだと思うたが、耳を澄ませば確かに違つて居る。筒鳥は大きく、呼子鳥は小さい。一は晝間の日の光りかがよふ溪間によく、一は日暮方の木立の奧に聞くべき鳥である。杜鵑は空を横切る姿がよく、思はずも聞きつけたその一聲二聲が甚だいゝ。續けば或は耳につくかも知れない。郭公のたぐひには私は終日耳を傾けてなほ飽きない。

それらの鳥を最も多く聞いたのは山城の比叡山々中の古寺に泊つてゐた時であつた。彼處は全山が寺領で、それこそ空を掩ふ大きな杉がぎつちりと生ひ茂り、銃獵を許さぬのであゝまで鳥が多いのだらうと思はれた。然し、少し山深い所に行けば大抵の所ではこのうちのどれかは聞ける。郭公はなかなか姿を見せぬ鳥だといふが、上州の草津から信州の澁へ白根山の中腹を縫うて越した時、其處の噴火の山火事あとの落葉松林の梢から梢へ移る姿を見た。年老いた案内者は、『はアあれかね、あれはハツポウ鳥だよ』と事もなげに言ひすてた。澁峠の頂上に近づくと五月の中ばすぎといふに、雪は一面に<ruby><rb>栂</rb><rt>とが</rt></ruby>や<ruby><rb>樅</rb><rt>もみ</rt></ruby>の森林を埋めつくし、その梢ばかりが僅かに表はれてゐる荒涼たる原野の樣な中で、杜鵑と郭公とはかたみがはりに啼いてゐたのであつた。

山深いところなどで<ruby><rb>不圖</rb><rt>ふと</rt></ruby>聞きつけた松風の音や遠い谷川のひゞきに我等はともすると自分の寄る邊ない心の姿を見るおもひのすることがある。然し、松風や水のひゞきは<ruby><rb>終</rb><rt>つひ</rt></ruby>に餘りに冷たく、餘りに寄る邊ないおもひがしないではない。それに比べて私は遙かにこれらの鳥の啼く音に親しみを持つのである。カツコウ、カツコウと啼くあの靜かな寂しい温かい聲を聞いてゐると、どうしても私は眼を瞑ぢ頭を垂れ、其處に自分の心の迷ひ出でて居る寂しさ温かさを覺えずにはゐられないのだ。

うき我をさびしがらせよ閑古鳥

芭蕉の閑古鳥はたしかに郭公鳥の事であらねばならぬ。東北の或る地方ではまたこの鳥を豆蒔鳥とも呼ぶさうだ。ソレあの鳥が啼く、豆を蒔けといふのであらう。いゝ名だとおもふ。

海も<ruby><rb>強</rb><rt>あなが</rt></ruby>ちにいけないのではない。海ならば岬が好きだ。また、島もいゝ、入江も若葉にふさはしく、奧深い港もこの頃靜かである。外洋そのものはどうも秋の風の冴えた頃がいゝ樣に思はれる。

紀州の熊野浦、勝浦の港に入らうとする頃であつた。五月雨の雲の斷間に遙かの山腹に奈智の瀧の見えた時の感興を忘れ得ない。そしてその勝浦港の港口、崎山の茂みの蔭にある赤島温泉に二三日雨に降りこめられながら鰹の大漁に舌鼓を打つたことも思ひ出さるゝ。

瀬戸内海の中でも鯛漁の本場だと言はれてゐる備前沖の直島に鯛網を見に行つたも五月であつた。島は極めて小さい島だが、其處に崇徳上皇の流され給うた遺跡があつた。島の八幡宮の神官に案内せられて其處へ行くと、何のそれらしい面影もなく、たゞ一面に小松の立ち並んでゐる浪打際の山の蔭であつた。伸び揃うた小松のしんの匂ひが寂しい心を誘ふのみであつた。琴彈濱といふ所で鯛を取つて、これも折からの雨に濡れながら松蔭の海人の小屋で、さま〲に料理して貪り喰うた事も忘れ難い。夜に入つて小松ばかりの島山の峯づたひに船着場まで歸らうとすると、ちやうど晴れそめた<ruby><rb>望</rb><rt>もち</rt></ruby>の夜の月が頭上にあつた。うち渡す島から島への眺めに時を忘れて、定期の發動機船に乘り遲れ、わざ〱小舟をしたてゝ備前路までその月の夜を漕がせた事をも思ひ出す。

繁山の岬のかげの<ruby><rb>八十島</rb><rt>やそしま</rt></ruby>をしまづたひゆく小舟ひさしき

したたかにわれに喰はせよ名にし負ふ熊野が浦はいま鰹時

むさぼりて腹な破りそ大ぎりのこれの鰹の限りは無けむ

琴彈の濱の松かぜ斷えぬると見れば沖邊を雨のゆくなり

山や海の事ばかり書いてゐた。京都の嵯峨から御室、嵐山から清涼寺大覺寺を經て<ruby><rb>仁和寺</rb><rt>にんなじ</rt></ruby>に到るあたりの青葉若葉の靜けさ匂はしさを何に譬へやう。單に青葉若葉と云はない、あのあたり一面におほい松の林の松の花、<ruby><rb>蕪村</rb><rt>ぶそん</rt></ruby>が歌うた

若竹やゆふ日の嵯峨となりにけり

の<ruby><rb>篁</rb><rt>たかむら</rt></ruby>つゞきの竹の秋の<ruby><rb>風情</rb><rt>ふぜい</rt></ruby>、思ひ起すだに醉ふ樣な心地がする。

また、新藥師寺唐招提寺の古い御寺をたづね歩いて、過ぎ去り過ぎゆく『時』のかをりに身を沈め、奈良の春日の森の若葉の中に入り行く心を誰に告げやう。鹿の子の群れあそぶ廣い〱<ruby><rb>馬醉木</rb><rt>あしび</rt></ruby>の原は漸くあの可憐な白い花に別れやうとする頃である。若草山のみどりは漸く深く、札所九番の南圓堂の鐘の音に三笠山の峯越しの雲の輝きこもる頃である。

<ruby><rb>吾子</rb><rt>あこ</rt></ruby>つれて來べかりしものを春日野に鹿の群れをる見ればくやしき

葉を<ruby><rb>喰</rb><rt>は</rt></ruby>めば馬も醉ふとふ春日野の<ruby><rb>馬醉木</rb><rt>あしび</rt></ruby>が原の春すぎにけり

奈良見人つらつら續け春日野の馬醉木が原に寢てをれば見ゆ

つばらかに木影うつれる春日野の五月の原をゆけば鹿鳴く

思ひ起し、書きつらねて行けばまことに際がない。

私のこの文章を書いてゐるのもまた旅さきに於てである。伊豆天城山の北の麓、狩野川の上流に當る湯ヶ島温泉にもう十日ほど前から來てゐるのだ。來た頃に咲きそめた山ざくらは既に名殘なく散つて、宿の庭さきを流るゝ溪川に鳴く河鹿の聲が日ましに冴えてゆく。晴れた日に川原に落つる湯瀧に肩を打たせながら見るとなく、仰ぎ見る山の上の雲の輝きは何と云つてももう夏である。

彼處か此處か、行つて見度いところを心に描いてゐると、なか〱斯うぢつとしてゐられない氣持である。旅にゐてなほ旅を思ふ、自づと苦笑せずにはゐられない。（四月十一日、湯ヶ島湯本館にて）