１

チャーチルが、その特使の出発に際して念を押していった。

「ええかね。なるたけ凄い<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">やつ</span>を<ruby><rb>買取</rb><rt>かいと</rt></ruby>るんじゃ。世界一のやつでなけりゃいかんぞ」

そしてそっぽを向いて（これからは、<ruby><rb>何</rb><rt>なん</rt></ruby>でも世界一主義で行って<ruby><rb>一釜</rb><rt>ひとかま</rt></ruby>起すんだ）と<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>いた。

ルーズベルトが、その特使の出発に際して<ruby><rb>竹法螺声</rb><rt>たけぼらごえ</rt></ruby>で<ruby><rb>命</rb><rt>めい</rt></ruby>をふくめた。

「あの手におえないダブル・ヴイの三号に、博士を附けて買ってしまえ。第一手段に失敗したら第二手段、第二手段に失敗したら第三手段……。第十手段まで行くうちには、必ず成功するように<ruby><rb>検算</rb><rt>けんざん</rt></ruby>はしてあるからねえ」

二人のいうことも、この節では前とは大分違って来た。

そこで特使と特使が、中国大陸の○○でぱったり<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>き<ruby><rb>逢</rb><rt>あ</rt></ruby>ったわけだが、初めのうちはどっちもそれと気がつかない。それというのがチャーチルの特使は、不潔なモルフィネ中毒患者を<ruby><rb>装</rb><rt>よそお</rt></ruby>って、よろよろ歩いていたし、一方ルーズベルトの特使の方は、<ruby><rb>男使</rb><rt>だんし</rt></ruby>と<ruby><rb>女使</rb><rt>じょし</rt></ruby>の二人組で<ruby><rb>街頭</rb><rt>がいとう</rt></ruby>一品料理は如何でございと<ruby><rb>屋台</rb><rt>やたい</rt></ruby>を引張って触れて歩いていたのである。

チャーチルの特使チーア<ruby><rb>卿</rb><rt>きょう</rt></ruby>は<ruby><rb>機甲中佐</rb><rt>きこうちゅうさ</rt></ruby>であった。ルーズベルトの<ruby><rb>女特使</rb><rt>おんなとくし</rt></ruby>ルス嬢は、この間まで南太平洋の輸送機隊長をしていた航空大佐であり、その相棒たる<ruby><rb>男特使</rb><rt>おとことくし</rt></ruby>ベラントはリード商会の若番頭の一人で、ちゃきちゃきの手腕を<ruby><rb>謳</rb><rt>うた</rt></ruby>われている人物だった。

「よう。料理は何が出来るのかね」

チーア卿は、ろれつの廻らない舌で、ベラントとルス嬢の屋台に呼びかけた。

「お好みの料理を作りますぜ。殊に<ruby><rb>燻製</rb><rt>くんせい</rt></ruby>料理にかけては、世界一でさあ」

ベラントはぬかりなく宣伝にかかる。

「世界一かね。じゃあ、それを作って貰おうか。早いところ頼むぜ。それからウィスキーにミルクだ。コーヒーはジャワのを。シェリー酒も出してくれ。いや心配するな、金はもっているぜ」

チーア卿は、ポケットから、何枚かの<ruby><rb>法幣</rb><rt>ほうへい</rt></ruby>をつかみだして、<ruby><rb>皺</rb><rt>しわ</rt></ruby>をのばす。

「へいへい。<ruby><rb>有難</rb><rt>ありがと</rt></ruby>うございます。おっしゃったものは皆そろって居ります」

「へえ、皆そろって居るって、本当かね」

「嘘じゃありません。まあ、ごゆっくり召上って頂きましょう」

うすきたない屋台から、途方もない<ruby><rb>絶品佳肴</rb><rt>ぜっぴんかこう</rt></ruby>がとりだされたのには、チーア卿も目をぱちくりであった。

「燻製も、一番うまいのはカンガルーの燻製ですな。第二番が<ruby><rb>璧州</rb><rt>ぺきしゅう</rt></ruby>の<ruby><rb>鼠</rb><rt>ねずみ</rt></ruby>の子の燻製。三番目が、大きな声ではいえませんが、プリンス・オヴ・ウェールス号から流れ出した英国士官の○○の燻製……皆ここに並べてございまさあ」

「ええっ、何という……」

チーア卿は顔をしかめた。

「旦那。おどろくのは後にして、一番から順番に召上ってごらんになすったら。おいしくなかったら、燻製屋の看板は叩き割られても文句を申しませんわよ」

と、ルス嬢も口を出す。

「いや、わしは……おれは、一番と二番とで沢山だ。ううい、いい酒だ」

チーア卿は酒に酔ったふりをして、その場のおどろきを<ruby><rb>胡魔化</rb><rt>ごまか</rt></ruby>す。

「<ruby><rb>勘定</rb><rt>かんじょう</rt></ruby>をしてくれ。いくらだい」

チーア卿は、<ruby><rb>几帳面</rb><rt>きちょうめん</rt></ruby>に精算をし、<ruby><rb>小銭</rb><rt>こぜに</rt></ruby>の釣銭までちゃんと取って、街を向うへふらふらと歩いていった。

「うまく行ったわね。これであの人は、うちの名代燻製料理を<ruby><rb>吹聴</rb><rt>ふいちょう</rt></ruby>してくれるわね」

と、ルス嬢は涼しい顔。

「とんでもない。<ruby><rb>彼奴</rb><rt>あいつ</rt></ruby>は<ruby><rb>油断</rb><rt>ゆだん</rt></ruby>のならない喰わせ者だよ」

「へえ、喰わせ者」

「そうよ。器用な<ruby><rb>早業</rb><rt>はやわざ</rt></ruby>で、カンガルーの<ruby><rb>股燻製</rb><rt>ももくんせい</rt></ruby>を一<ruby><rb>挺</rb><rt>ちょう</rt></ruby>、<ruby><rb>上衣</rb><rt>うわぎ</rt></ruby>の下へ隠しやがった。あいつは<ruby><rb>掏摸</rb><rt>すり</rt></ruby>か、さもなければ<ruby><rb>手品師</rb><rt>てじなし</rt></ruby>だ」

「まあ、そんな<ruby><rb>早業</rb><rt>はやわざ</rt></ruby>をやったのかね、あの半病人のふらふら先生が……」

「まあいい。それよりは商売だ。<ruby><rb>金博士</rb><rt>きんはかせ</rt></ruby>の耳に<ruby><rb>一刻</rb><rt>いっこく</rt></ruby>も早く届くように、世界一の燻製料理の宣伝にかかることだ。さあいらっしゃい。世界一屋の燻製料理。種類の多いこと世界一。味のよいこと世界一。しかも値段のやすいこと世界一。さあいらっしゃい。早くいらっしゃってお<ruby><rb>験</rb><rt>ため</rt></ruby>しなさい」

気の軽い<ruby><rb>碧眼</rb><rt>へきがん</rt></ruby>夫婦の呼び声に、この<ruby><rb>陋巷</rb><rt>ろうこう</rt></ruby>のあちこちから腹の減った連中が駆けよって来た。屋台の前は、たちまち栄養不良患者の展覧会のようになった。

燻製料理世界一屋の商売は<ruby><rb>大繁昌</rb><rt>だいはんじょう</rt></ruby>だ。

しかしベラントの顔にもルス嬢の顔にも、一抹の不満の色が低迷している。

「だめじゃないか」

「どうしたんでしょうね、あの人は……」

あの人は……。あの人とは二人の期待している人物が現れないことである。あの人は世界一の燻製好きだ。そして世界一の科学兵器発明家だ。その名前を金博士という。その人こそ二人が、いやチーア卿も<ruby><rb>亦</rb><rt>また</rt></ruby>、はるばるこの地へやって来て、何とか取り<ruby><rb>縋</rb><rt>すが</rt></ruby>ろうという目的の大人物だった。金博士は、この陋巷のどこかに住んでいる筈だった。

２

「ふむ、ふむ、ふむ」

生返事をするばかりで、すこしもはっきりしたことを言わない金博士だった。それも道理、今、博士は燻製のカンガルーを喰べることに夢中になっている。

「……そういうわけでしてのう。お礼の点については、<ruby><rb>憚</rb><rt>はばか</rt></ruby>りながら世界一の巨額をお払いしますじゃ。チャーチルも申しとりましたが都合によっては、カンガルーの産地オーストラリア全土を博士に<ruby><rb>捧</rb><rt>ささ</rt></ruby>げてもよいと申して居りますぞ。どうぞその代り、博士が今お手持ちの発明兵器で、世界一なるものを余にお譲りねがいたい。そこに大英帝国の最後の機会がぶら<ruby><rb>下</rb><rt>さが</rt></ruby>って居るというわけでしてな、どうぞ御同情を<ruby><rb>賜</rb><rt>たまわ</rt></ruby>りたい。いかがですな、目下お手持の発明兵器で世界一と<ruby><rb>思召</rb><rt>おぼしめ</rt></ruby>すものは……」

「ふむ、ふむ、ふむ」

博士は、猫が魚のあらと取組んでいるように<ruby><rb>只</rb><rt>ただ</rt></ruby><ruby><rb>呻</rb><rt>うな</rt></ruby>るばかりである。カンガルーの燻製が、<ruby><rb>悉</rb><rt>ことごと</rt></ruby>く博士の胃袋に<ruby><rb>収</rb><rt>おさま</rt></ruby>るまでは、まず何にも言わないつもりらしい。

こんなわけで、早いところ餌をもって押掛けたチーア卿の<ruby><rb>早業</rb><rt>はやわざ</rt></ruby>は、街頭を<ruby><rb>血眼</rb><rt>ちまなこ</rt></ruby>になって金博士の姿を探し求めているルーズベルトの男女特使を、今も<ruby><rb>尚</rb><rt>なお</rt></ruby>失望させている。

「まだ現れんね」

「どうしたんでしょうか。居ないわけはないんですけれどね」

地下二百尺の金博士の部屋では、今や博士は大きな<ruby><rb>逆吃</rb><rt>しゃっくり</rt></ruby>をたて始めた。

「ひっく。ひっく。ああ、うまかった。久しぶりじゃったからのう。ひっく、ひっく。どりゃすこし睡るとしよう」

遠慮を知らぬ金博士のことであるから、あわてるチーア卿を相手にせず、ごろりと横になると、<ruby><rb>早</rb><rt>はや</rt></ruby>ぐうぐうと<ruby><rb>大鼾</rb><rt>おおいびき</rt></ruby>。

「もしもし博士、喰い逃げとは、そりゃひどい……」

と、卿は立上って博士をゆすぶり起そうとしたが、待てしばし。ここで無理に起して、<ruby><rb>臍</rb><rt>へそ</rt></ruby>まがりの博士に又えらく臍をまげられては特使の目的を達することは出来ないと、苦しい我慢を張る。したがチーア卿とて只の鼠ではない。幸いあたりに睡る博士の<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>に人はなし、秘密の研究室は自分の外に<ruby><rb>人眼</rb><rt>ひとめ</rt></ruby>というものがない。この機会に<ruby><rb>乗</rb><rt>じょう</rt></ruby>じて、金博士の最近の発明兵器を調べておいてやろうと、たちまちチーア卿は先祖から継承の<ruby><rb>海賊眼</rb><rt>かいぞくまなこ</rt></ruby>を<ruby><rb>炯々</rb><rt>らんらん</rt></ruby>と輝かし、そこらをごそごそやりだしたことである。

おどろいたことに、部屋の扉はみんな鍵がかかっていない。だからどの部屋へも入れた。金博士の実験室は、あまりにも雑然としていて、どれが研究の主体だか分らない。すばらしい毒<ruby><rb>瓦斯</rb><rt>ガス</rt></ruby>製造装置だと思って、たかの知れたキップの水素瓦斯発生装置を持って帰って笑われても<ruby><rb>詰</rb><rt>つま</rt></ruby>らないと思ったチーア卿は、実験室には手をつけないことにして、更に次の部屋へ。

次の部屋は模型室だった。四方の壁に棚が吊ってあって、その上に博士の発明になる新兵器の模型の数々が、まるで玩具屋の店頭よろしくの光景を呈して並んでいた。それを一つ一つ見ていく卿は、溜息のつきどおしだ。それというのがどれもこれも<ruby><rb>垂涎</rb><rt>すいぜん</rt></ruby>三千<ruby><rb>丈</rb><rt>じょう</rt></ruby>の価値あるものばかり。三段式の上陸用舟艇あり、超ロケット爆弾あり、潜水飛行艇あり、地底戦車あり、<ruby><rb>珊瑚礁架橋機</rb><rt>さんごしょうかきょうき</rt></ruby>あり、都市防衛電気<ruby><rb>網</rb><rt>もう</rt></ruby>あり、組立式戦車<ruby><rb>要塞</rb><rt>ようさい</rt></ruby>あり、輸送潜水艦列車ありというわけで、どれもこれも買って行きたいものばかりで目うつりして決めかねる。さてこそ出るは<ruby><rb>溜息</rb><rt>ためいき</rt></ruby>ばかりで、卿の心臓はごとごとと鳴って<ruby><rb>刻々</rb><rt>こくこく</rt></ruby>変調を来たす。

「困ったなあ。この中で一体どれが世界一であろうか」

それは分りかねる。分りかねるならば、<ruby><rb>択</rb><rt>えら</rt></ruby>んで行く途なし。さらばやはりみんな買って行こうとすると、これだけ<ruby><rb>嵩</rb><rt>かさ</rt></ruby>ばったものを<ruby><rb>到底</rb><rt>とうてい</rt></ruby>持ち出しかねる。

「困った。どうすればいいのか」

卿は、顔一面にふき出た<ruby><rb>脂汗</rb><rt>あぶらあせ</rt></ruby>を拭うことも忘れて、いらいらと部屋中を歩きまわる。結局決ったのは、もっと別の部屋を探してみようということだった。

そのチーア卿が、五番目の部屋に侵入したときに、<ruby><rb>漸</rb><rt>ようや</rt></ruby>く満足すべき結果に達した。

「ああ、これだ、これだ」

卿の駈けよったのは、部屋の壁全部を占領している大金庫であった。この中にこそ、金博士の重要書類がぎっしり入っているに違いない。

幸いにして金庫破りにかけてはチーア卿は非凡なる技倆を持っている。彼はこの方では英国に於ける第一人者といって<ruby><rb>差支</rb><rt>さしつか</rt></ruby>えないほどの研究者である。その大金庫は、<ruby><rb>僅々</rb><rt>きんきん</rt></ruby>十一分のうちに見事にぎいっと開かれた。

ところが、この金庫の中に、卿をひどく当惑させるものが待っていた。というのは、予想どおり設計書が一件ごと別々の袋に入ったものが、三百何十種収められて居り、その袋の表面を見ると、「世界一の発明。引力<ruby><rb>相殺装置</rb><rt>そうさいそうち</rt></ruby>」とか「世界一の発明、宇宙線を<ruby><rb>原動力</rb><rt>げんどうりょく</rt></ruby>とせる<ruby><rb>殲滅戦</rb><rt>せんめつせん</rt></ruby>兵器」とかいった具合に、どれを見ても、名称の上に「世界一」を附してあることだった。これではチャーチルの命令に応じて、最も<ruby><rb>勝</rb><rt>すぐ</rt></ruby>れたる世界一の発明兵器として、どれを択んで持ち帰りなばよろしきや、さっぱり分らない。チーア卿たる者、宝の山に入りながら、あまりに<ruby><rb>夥</rb><rt>おびただ</rt></ruby>しき宝に酔って急性神経衰弱症に陥ったきらいがないでもない。

こうなると人間はいやでも単純に帰らざるを得ない。つまり、何でもよいから、持てるだけ持って帰ろうということだ。チーア卿は両手に抱えられるだけの設計書袋の束を二つ<ruby><rb>拵</rb><rt>こしら</rt></ruby>えて、それをうんこらさと<ruby><rb>抱</rb><rt>かか</rt></ruby>えあげると後をも見ずに金博士の部屋からおさらばを告げたのであった。盗み出した設計書の件数、しめて五十三件、さりとは慾のないことではある。

３

チャーチルの泥棒特使が仕事を終って去ったが、ルーズベルトの特使二人の方は、いつまでもまごまごしていた。

が、彼らにもようやくチャンスは<ruby><rb>巡</rb><rt>めぐ</rt></ruby>り<ruby><rb>来</rb><rt>きた</rt></ruby>り今や彼等は<ruby><rb>駿馬</rb><rt>しゅんめ</rt></ruby>の<ruby><rb>尻尾</rb><rt>しっぽ</rt></ruby>の一条を<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>んだような状況にあった。というのは、たまたま燻製屋台へ買いに来た金博士の若いお手伝いの<ruby><rb>鉛華</rb><rt>えんか</rt></ruby>をルス嬢が勘のいいところで発見、そこへベラントが特技を<ruby><rb>注</rb><rt>そそ</rt></ruby>ぎ込んで、たちまち鉛華をおのれたちの<ruby><rb>薬籠中</rb><rt>やくろうちゅう</rt></ruby>のものとしてしまったからである。

「旦那さまぐらい燻製ものに理解がおありになり、そして燻製ものをお好みになる方は世界に<ruby><rb>只</rb><rt>ただ</rt></ruby>お一人でございますわよ」

と、鉛華も<ruby><rb>遂</rb><rt>つい</rt></ruby>に本当のことをぶちまける。いよいよチャンスは来たぞと、燻製屋に化けこんで苦労のかぎりを今日まで<ruby><rb>尽</rb><rt>つく</rt></ruby>していたルスとベラントは、うれしさが腹の底からこみあげてくるのを一生懸命に押し戻し、

「まあ、そういう<ruby><rb>頼母</rb><rt>たのも</rt></ruby>しい御方さまに巡り会いますなんて、神様のお引合わせですわ」

「そうだとも。それに……ちょっとこっちへ来てください、美しい鉛華さん」

「あら、お口がお上手なのね。警戒しますわ」

「いやなに、ざっくばらんの話ですが、<ruby><rb>貴女</rb><rt>あなた</rt></ruby>が金博士にわれわれをとりもって下されば、博士の貴女に対する信頼は五倍も十倍も増しますよ。<ruby><rb>俸給</rb><rt>ほうきゅう</rt></ruby>も上るでしょうし、うまいものも喰べられる。そればかりじゃない、われわれも儲けの一部を貴女に配当します。もちろんこれは断じて闇取引じゃない、正当なる利得ですし、それにねえ鉛華さん……」

と、ベラントは<ruby><rb>此所</rb><rt>ここ</rt></ruby>を<ruby><rb>先途</rb><rt>せんど</rt></ruby>と商才のありったけをぶちまけて、遂に鉛華を完全に手に入れてしまったのである。

そうなると、一刻も早く本当の商売に突入しなければならない。ルスは各種の燻製料理をぎっしり詰めこんだ食品容器をさげベラントに<ruby><rb>目配</rb><rt>めくば</rt></ruby>せをする。そこで三人は<ruby><rb>打連</rb><rt>うちつ</rt></ruby>れだって金博士の住む地下室へと下りていった。

金博士は、睡眠から覚めて、部屋の中をよぼよぼと歩きまわっていた。

<ruby><rb>骸骨</rb><rt>がいこつ</rt></ruby>のように大きい頭、黒い眼鏡、特徴のある<ruby><rb>口髭</rb><rt>くちひげ</rt></ruby><ruby><rb>頬鬚</rb><rt>ほおひげ</rt></ruby><ruby><rb>頤髯</rb><rt>あごひげ</rt></ruby>、黒い中国服に包んだ痩せた体――一体この体のどこからあのようなすばらしい着想とおそるべき精力とが出て来るのであろう。

「ふふふん、ふふふん、ふふふん」

金博士は、妙な<ruby><rb>咳払</rb><rt>せきばら</rt></ruby>いをつづけさまにして、部屋の中を動きまわっている。失意か、得意か、さっぱり分らない。チーア卿が開け放しにしていった大金庫の前を幾度か行き過ぎるが、その方には見向きもしない。

そこへ鉛華が入って来た。

「先生、町に素敵な燻製料理を売っていましたので、買って参りました」

「燻製か。燻製はもうたくさんじゃ」

「あらっ、先生のお好きな燻製でございますよ」

鉛華は博士の答に、意外な面持。うしろではルスとベラントが心配そうな顔を見合わせる。

「燻製はもうたくさんじゃというのに。さっき、いやというほどカンガルーの燻製を喰ったよ。腹一杯になった」

「まあ、どうして召上ったのですか」

「泥棒がここへ持って来て、わしに喰えといった」

「泥棒が……」

「そうだよ。チーア卿といってな、チャーチル<ruby><rb>奴</rb><rt>め</rt></ruby>の特使じゃよ。モヒ中毒を装った<ruby><rb>苦</rb><rt>に</rt></ruby>が<ruby><rb>苦</rb><rt>に</rt></ruby>がしい男じゃ」

「それが泥棒でございますか」

「大泥棒じゃ。あれを見よ。わしの大金庫から新兵器の設計書袋を二<ruby><rb>抱</rb><rt>かか</rt></ruby>えも持って逃げよった。怪しからん奴じゃ」

「まあ、それで先生は、その泥棒をお捕えにはなりませんでしたの」

驚きは鉛華よりも、後に控えたルーズベルトの特使ルス嬢とベラントの胸の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>だった。<ruby><rb>折角</rb><rt>せっかく</rt></ruby>来たが、チャーチルの特使に一足お先へやられてしまったとあっては、甚だ<ruby><rb>拙</rb><rt>まず</rt></ruby>い。

「あの泥棒は逃がしてやった。それにわしはすっかり腹がくちくなって、指一本動かすのも<ruby><rb>大儀</rb><rt>たいぎ</rt></ruby>じゃったからなあ」

「まあ、いつもの先生なら、決してお逃がしになるのではありませんでしたのに……」

ルス嬢はこのときそっと鉛華の袖を引いた。それで鉛華はわれに帰って、金博士に燻製をすすめる役を引受けたことを思出したが、こうなってはどうにもすすめようがない。その困り切った顔を見て取ったベラント、すかさず前にとび出し、博士に<ruby><rb>倚</rb><rt>よ</rt></ruby>り<ruby><rb>添</rb><rt>そ</rt></ruby>って聞き始める。

「金博士。私達は、燻製料理を持って伺いましたが、実はルーズベルトの特使でございまして……」

と、<ruby><rb>臆</rb><rt>おく</rt></ruby>せず底をぶちまけるアメリカ流に、博士は驚くかと思いの<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>、

「分っとるよ。ベラントにルス嬢じゃろう。わしの発明兵器を、わしごと買い取りに来たのじゃろう」

と、ずばり<ruby><rb>図星</rb><rt>ずぼし</rt></ruby>をさした。ベラントの愕き、

「ええっ……」

といったまま、あとが続かない。

こういうときに婦人は<ruby><rb>度胸</rb><rt>どきょう</rt></ruby>のある者、ベラントがノック・アウトされたと見て、前にとびだして博士の腕を抑える。

「今お呼び下すったルス嬢でございます。<ruby><rb>仰有</rb><rt>おっしゃ</rt></ruby>ったとおりのわけですから、ぜひ契約して頂きとうございます。その代り博士のお望みは何なりと……それに特別精製のアメリカ名産バイソンの燻製を一口召上って下さいまし。これこそ世界最高の珍味でございます」

金博士をくどくには、いつの時代にあっても燻製料理によるのが<ruby><rb>捷径</rb><rt>しょうけい</rt></ruby>だという鉄則を、ルス嬢もはずさない。はずさないばかりか、ルス嬢は<ruby><rb>躊躇</rb><rt>ちゅうちょ</rt></ruby>の色もなく、博士の前に燻製バイソンなどを詰めあわせた食料容器の蓋をぽかんと払ったものである。

４

やっぱり<ruby><rb>効目</rb><rt>ききめ</rt></ruby>があった。燻製料理は、金博士にとって、<ruby><rb>恰</rb><rt>あたか</rt></ruby>もジーグフリードの<ruby><rb>頸</rb><rt>くび</rt></ruby>に貼りついた<ruby><rb>椎</rb><rt>しい</rt></ruby>の葉の跡のようなものであった。それが巨人に只一つの弱点だった。博士は今や羊のように<ruby><rb>温和</rb><rt>おとな</rt></ruby>しくなって、前にルス嬢とベラント氏を座らせている。<ruby><rb>尤</rb><rt>もっと</rt></ruby>も博士自身は、両人提供のバイソンの燻製を大皿にうつして、盛んにぱくついている有様だった。

人見知りをしないで、<ruby><rb>核心</rb><rt>かくしん</rt></ruby>にとびこんでいく心臓人種のアメリカ人のことなれば、嬢も氏も、こうなっては燻製屋の仮面をさらりとかなぐり捨て、ルーズベルトの特使でござると名乗りあげて、金博士の前に陣を構えているわけである。事は早くなければならない。「博士。飛切り上等の物凄い新兵器として何を提供して頂けましょうか」

「うむ。むにゃむにゃ……」

「それを使えば、敵側は全く<ruby><rb>処置</rb><rt>しょち</rt></ruby>なしという<ruby><rb>凄</rb><rt>すご</rt></ruby>いものを御提供願いたい。そのお礼の一つとして、博士をアラスカへ御案内したいですな。エスキモーの燻製など、天下の珍味でございますよ」

「わしは人間は喰わぬ」

と、人を喰った博士が、コップから水をごくりと飲んでいった。

「今のはベラントの<ruby><rb>失言</rb><rt>しつげん</rt></ruby>でございます。博士、世界をたちまち<ruby><rb>慴伏</rb><rt>しょうふく</rt></ruby>させる新兵器といたしましては、どんなものを<ruby><rb>御在庫</rb><rt>ございこ</rt></ruby>になっていましょうか」

「分っているよ。では案内しよう」

博士は、今日は珍らしく<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby>の外御機嫌<ruby><rb>斜</rb><rt>なな</rt></ruby>めならず、両特使を引連れて、研究室へ導く。

「ここにあるのが、訪問者の<ruby><rb>身許透視器</rb><rt>みもととうしき</rt></ruby>だ」

と、博士は壁に<ruby><rb>嵌</rb><rt>は</rt></ruby>めこんである複雑な弱電装置を指し「入口の扉に近づくと、この人体周波分析器が働いて、その人物のあらゆる特徴と思想を分解し、こっちの自記記録紙の上にプリントするのだ。ほら、これが例のチーア卿の分だ。あとの二つが君達両人の分だ」

と、自動ピアノの<ruby><rb>鑽孔布</rb><rt>さんこうふ</rt></ruby>のようなものを引張り出して示す。ルスとベラントは、どっと冷汗をかく。

次の部屋は模型室だ。そこへ一歩を踏み入れた両特使は、棚にぎっちりと並んだ夥しい兵器模型にたちまち魂を奪われた。

「これは何でしょうか」

「これは何ですの」

「ああ、それは<ruby><rb>陳腐</rb><rt>ちんぷ</rt></ruby>なものばかりじゃ。今列国の兵器研究所が、秘密に取上げているものばかりだよ。今頃そんなものに手をつけては<ruby><rb>手遅</rb><rt>ておく</rt></ruby>れじゃ。こっちへ来なさい」

博士は興味のない顔で次の<ruby><rb>室</rb><rt>へや</rt></ruby>へ。

「この大金庫の中には、世界一を<ruby><rb>呼称</rb><rt>こしょう</rt></ruby>する新兵器の設計書袋が五百五十種入って居る」

「ほう、五百五十種もですか」

「そうじゃ。さっき泥的チーア<ruby><rb>卿</rb><rt>きょう</rt></ruby>が、この中の五十三種を<ruby><rb>攫</rb><rt>さら</rt></ruby>っていってしまったよ」

「ええ、チーア卿が……あの、五十三種も……。それはたいへんだ」

「なあに、愕くには当らんよ。もうあと三十分もすれば、チーア卿は後悔するだろう」

「と申しますと……」

「あの五十三種の書類はあと約三十分すれば、自然発火するんじゃ」

「自然発火？」

「そうじゃ。この書類は一定の温度と湿度と気圧のところに在る限り安全じゃ。つまりこの部屋はその適切なる恒久状態においてある<ruby><rb>恒温湿圧室</rb><rt>こうおんしつあつしつ</rt></ruby>なのじゃ。したが、一旦他へ搬ばれ温度と湿度と気圧が違ってくると、一定時間の後には用紙が変質して自然発火するのじゃ。チーア卿は、さっきの装置で調べると、今飛行機にあれを積んでインド方面へ向けて飛行中だが、見ていなさい、あと三十分で飛行機は空中火災を起して墜落じゃ。泥棒にはいい<ruby><rb>懲</rb><rt>こら</rt></ruby>しめじゃよ」

「へえん、それはそれは……」

ベラントとルスとは、目を三角にして、互いに顔を見合わせた。

「わしは元来淡白じゃ。君たちの要求をもう一度改めて聞いて、すぐそれに<ruby><rb>適</rb><rt>かな</rt></ruby>ったものを売ってあげよう。希望をいってみなさい」

「はあ、それは有難うございます。博士、アメリカの欲しいものは、世界一の物凄い破壊新兵器で、これを防ぐに方法なしというものを頂きとうございますの」

「そうなんです。戦艦と<ruby><rb>雖</rb><rt>いえど</rt></ruby>も飛行機には弱く飛行機と雖もロケーターには弱く、ロケーターと雖も逆ロケーター式ロケット爆弾には弱い、金博士と雖も燻製料理には……いや、これは失礼……というわけですが、ルーズベルトのお願いしたいと申す新兵器は絶対に弱味のない<ruby><rb>不死身</rb><rt>ふじみ</rt></ruby>の手のつけられないハリケーンの如き凄い奴を、どうぞ御提供願いまする」

「そうか。そういうことなら<ruby><rb>共軛回転弾</rb><rt>きょうやくかいてんだん</rt></ruby>が条件にぴったり合っている」

「えっ、共軛回転弾。ああ、なんというすばらしい名称でしょう。大統領はどんなにおよろこびになることでしょうか」

「ええと、あれは第五十四号だったな」

と、博士は大金庫の中から設計書類の一つを引張りだした。袋の口から中を覗いていたが、するりと抜きだした折畳んだ大きな紙。それを机の上に拡げる。

「あら、<ruby><rb>白紙</rb><rt>しらかみ</rt></ruby>だわ」

ルスが愕いた。

博士は<ruby><rb>無頓着</rb><rt>むとんちゃく</rt></ruby>に、その大きな紙の四隅をピンでとめた。それから机の下をさぐっていたが押し<ruby><rb>釦</rb><rt>ボタン</rt></ruby>の一つをぷつんと押した。すると紙がぱっと<ruby><rb>蛍光色</rb><rt>けいこうしょく</rt></ruby>を呈して光りだした。<ruby><rb>空白</rb><rt>くうはく</rt></ruby>の紙上にはありありと図面が浮び上る。

「共軛回転弾というのは、こういう<ruby><rb>具合</rb><rt>ぐあい</rt></ruby>に、二つの<ruby><rb>硬</rb><rt>かた</rt></ruby>い球が、<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby><ruby><rb>鎖</rb><rt>くさり</rt></ruby>の<ruby><rb>環</rb><rt>わ</rt></ruby>のように互いに九十度に結合して、猛烈な高速で回転するのだ。そして互いに相手を<ruby><rb>励磁</rb><rt>れいじ</rt></ruby>して回転を促進し、永久に停まらない。この硬い球は、原子核の<ruby><rb>頗</rb><rt>すこぶ</rt></ruby>る大きいものだと思えばよろしい、わしが五年かかって特製したものだ。硬いこと重いことに於て正に世界一。そしてこれを共軛回転させてスピード・アップすると、その速力は音波の速力の約三十倍となる。そこへ持って来て、これは一名『鉄の呪い』という名があるくらいで、鉄材を追駆けて走りまわるのじゃ。じゃによって、いかなる戦車群、いかなる<ruby><rb>大艦群</rb><rt>だいかんぐん</rt></ruby>、いかなる武装軍も、たちまちこの回転弾のために粉砕されてしまうというわけだ。この共軛回転弾によって破壊し得ないものは、この地上に一つもない。どうじゃ、聞いているのか」

「ええ、聞いていますとも、まあなんというすばらしい新兵器でしょう」

「ああ、一千億ドルの値打があるよ。<ruby><rb>現物</rb><rt>げんぶつ</rt></ruby>はこっちにある。来てみなさい」

金博士は<ruby><rb>悠揚迫</rb><rt>ゆうようせま</rt></ruby>らず、更に奥の部屋に案内する。そこは倉庫のようなところだった。博士の立停って指すところに、一つの<ruby><rb>木箱</rb><rt>きばこ</rt></ruby>があった。箱の大きさは二<ruby><rb>米</rb><rt>メートル</rt></ruby>立方。

「これじゃ。この中に入っとる」

「まあ、危くありませんの」

「いや、まだ<ruby><rb>起動</rb><rt>きどう</rt></ruby>して居らぬから危くない。この棒を抜くと、まず一部分に静かなる化学変化が起り始める。その化学変化がだんだん発達して、小さな歯車が動きだす。電気が起る。小さいモーターが廻る。だんだんと大きな<ruby><rb>牽引力</rb><rt>けんいんりょく</rt></ruby>が起り、電力が発生し、やがて二つの<ruby><rb>硬球</rb><rt>こうきゅう</rt></ruby>が双方から寄って来て、ぐるぐると回転をはじめる。するとこの箱がめりめりと壊れる。中から回転弾が、ぼうんと飛び出す。あとはめりめりもりもりと破壊が始まる」

「すげえもんだなあ」

「目的地にこの箱がつく時刻が分って居れば、この<ruby><rb>時限管</rb><rt>じげんかん</rt></ruby>の適当なるものを壊しておいてから起動棒を抜くと、ちゃんと所定の時刻に回転を始める仕掛になって居る。目的地へこの箱のつくのは何時間後じゃな」

博士は二人の特使の方をふりかえった。

「はい。目的地へつくのは、これから輸送機を呼んで、一時間後には当地を出発できますから、あとワシントンまで六千九百九十九キロを平均時速八百キロで飛んで、八時間と四十五分。飛行場から直ちに<ruby><rb>白堊館</rb><rt>はくあかん</rt></ruby>まで自動車で<ruby><rb>搬</rb><rt>はこ</rt></ruby>んで大統領に謁見するとしてその時間が十五分。合計<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby>十時間。十時間です。博士」

「十時間、ああよろしい。正確に十時間後と調整して置こう」

５

ルーズベルトの両特使は、鬼の首をとった以上の<ruby><rb>悦</rb><rt>よろこ</rt></ruby>び方で、直ちに電報をうって、「共軛回転弾を持ちて帰国する」<ruby><rb>旨</rb><rt>むね</rt></ruby>を大統領に<ruby><rb>報</rb><rt>しら</rt></ruby>せるやら、輸送機を呼びよせるやら、<ruby><rb>俄</rb><rt>にわか</rt></ruby>に中国大陸<ruby><rb>土産</rb><rt>みやげ</rt></ruby>を<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>き集めるやらで、こま<ruby><rb>鼠</rb><rt>ねずみ</rt></ruby>のようにきりきり舞いをしていたが、それでも一時間後には、ちゃんと輸送機上の人となっていた。もちろん共軛回転弾の箱は、機上に大事に保管されていた。

大陸を出発。成層圏まで一気に上昇して、逆流をついて東へ飛行をつづけ、予定のとおりワシントンへ<ruby><rb>凱旋</rb><rt>がいせん</rt></ruby>したのであった。

それから後の話は、むしろ金博士の部屋に於て描写するのがよいであろう。

金博士は、珍らしく新聞を読んでいる。その翌日の夕刊紙だった。

新聞の上段ぶっとおしの<ruby><rb>特初号活字</rb><rt>とくしょごうかつじ</rt></ruby>の白ぬきで伝える大事件の特報……

“ワシントン、一夜のうちに<ruby><rb>崩壊</rb><rt>ほうかい</rt></ruby>す――白堊館最初に<ruby><rb>犠牲</rb><rt>ぎせい</rt></ruby>となる。危機一髪、ル大統領、身を以て<ruby><rb>遁</rb><rt>のが</rt></ruby>れる。崩壊事件の真相全く不明”

“ワシントン崩壊事件の原因は、不可視怪戦車か。――崩壊は引続き<ruby><rb>蔓延中</rb><rt>まんえんちゅう</rt></ruby>――軍需工場地帯を南進中”

“被害<ruby><rb>遂</rb><rt>つい</rt></ruby>にニューヨーク市に<ruby><rb>波及</rb><rt>はきゅう</rt></ruby>。高層建築地帯は昨夜のうちに全壊”

“不可視戦車の音を聞くの記――特派決死記者アーノルド手記”

“不可視戦車鎮圧に出動の第五十八戦車兵団全滅す。空軍の爆撃も無力。鎮圧の見込全然なし”

“怪犯人の容疑者たるルス嬢とベラント氏は昨夜<ruby><rb>私刑</rb><rt>しけい</rt></ruby>さる”

鉛華女が、無線電話のかかって来たのを金博士に伝えたので、博士は新聞を<ruby><rb>机上</rb><rt>きじょう</rt></ruby>へ放りだして、送話器に向った。

「はいはい。金博士じゃが。なに、あの件は何度<ruby><rb>訊</rb><rt>き</rt></ruby>いても変った返事は出来ぬよ。ルーズベルト君。一体共軛回転弾の発明は未完成でな、起動法は考え出したが、停止法はまだ考え出さんのじゃ。じゃから処置なしじゃ。……すぐ考え出せといっても、そうはいかん。今までに一年も考えたんだが、さっぱりよい停止方法がないのじゃ。当分<ruby><rb>暴</rb><rt>あば</rt></ruby>れたいだけ回転弾に暴れさせて置く外ないね。……それは駄目だよ。君んところには自慢の学者のアインシュタインがいるじゃないか。あの男に相談してみた方が早いよ。なに、彼も<ruby><rb>匙</rb><rt>さじ</rt></ruby>をなげて自殺したと。<ruby><rb>莫迦</rb><rt>ばか</rt></ruby>な奴……とにかくわしに責任はないよ。君の特使が申出たとおりにやったばかりじゃ。そんなに文句をいうのなら、これから君がわしのところへやって来たらいいじゃないか。電話には、<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>もう出ないよ。では失敬」

金博士は、送受話器のスイッチをぴちんと切ると、髭をふるわせて<ruby><rb>呵々大笑</rb><rt>かかたいしょう</rt></ruby>した。そして<ruby><rb>独言</rb><rt>ひとりごと</rt></ruby>をいった。

「莫迦な奴らだ。目的地についたとき共軛回転弾が活動するようにと、時限装置を合わせるぞといってやったじゃないか。目的地といえば、戦場にきまっとる。あれをわざわざワシントンへ持って行く莫迦もないもんだ。アメリカ人というやつはどうしてああそそっかしいのだろうか」

それからごくりと<ruby><rb>咽喉</rb><rt>のど</rt></ruby>を鳴らし、

「それにしても、ルスとベラントという燻製料理の名人を二人も同時に<ruby><rb>喪</rb><rt>うしな</rt></ruby>ったことは、世界の大損失じゃ。そうそう、まだどこかにバイソンの燻製がまだ少し残っていたっけ」

金博士はにやりと笑って立上ると、冷蔵庫の中へ頭を<ruby><rb>突込</rb><rt>つっこ</rt></ruby>んだ。