１

およそ新兵器の発明にかけては、今日世界に及ぶものなしと称せられる<ruby><rb>金博士</rb><rt>きんはかせ</rt></ruby>が、とつぜん謎の<ruby><rb>失踪</rb><rt>しっそう</rt></ruby>をとげた。

おどろいたのは、ここ<ruby><rb>上海</rb><rt>シャンハイ</rt></ruby>市の地下二百メートルにある博士の実験室に日参していた世界各国の兵器スパイたちだった。

実験室は、きちんと取片づけられ、そして五分置きに、どこからともなくオルゴールが<ruby><rb>楽</rb><rt>がく</rt></ruby>の<ruby><rb>音</rb><rt>ね</rt></ruby>を響かせ、それについで、

“<ruby><rb>余</rb><rt>よ</rt></ruby>は<ruby><rb>当分</rb><rt>とうぶん</rt></ruby>失踪する。これは<ruby><rb>遺書</rb><rt>いしょ</rt></ruby>である。ドクトル金”

と、姿は見えないが、特徴のある博士の声で、この文句がくりかえし響くのであった。

録音による遺書が、オートマティックに<ruby><rb>反復</rb><rt>はんぷく</rt></ruby>放送されているのだった。

あの新兵器発明王金博士のとつぜんの失踪！

博士を監視していた五十七ヶ国のスパイは、いずれも各自の<ruby><rb>胸部</rb><rt>きょうぶ</rt></ruby>に、<ruby><rb>未</rb><rt>ま</rt></ruby>だ<ruby><rb>貫通</rb><rt>かんつう</rt></ruby>せざる死刑銃弾の<ruby><rb>疼痛</rb><rt>とうつう</rt></ruby>を<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かに感じたことであった。

一体、博士はどこへ行ってしまったのであろうか。

人騒がせな博士の失踪は、精神<ruby><rb>錯乱</rb><rt>さくらん</rt></ruby>の結果でもなく、<ruby><rb>況</rb><rt>いわ</rt></ruby>んや海を越えて<ruby><rb>和平勧告</rb><rt>わへいかんこく</rt></ruby>に行ったものでもなかった。しかし金博士の上陸したところは、スコットランドであって、グラスゴー市の西寄りにある<ruby><rb>秘港</rb><rt>ひこう</rt></ruby>グリーノックであった。

金博士は、上陸に際し、右足の<ruby><rb>踵</rb><rt>かかと</rt></ruby>に<ruby><rb>微傷</rb><rt>びしょう</rt></ruby>を負ったが、それは<ruby><rb>折柄</rb><rt>おりから</rt></ruby><ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby>、英軍の高射砲が<ruby><rb>襲来独機</rb><rt>しゅうらいどくき</rt></ruby>を射撃中であって、その高射砲弾の<ruby><rb>破片</rb><rt>はへん</rt></ruby>が、この<ruby><rb>碩学泰斗</rb><rt>せきがくたいと</rt></ruby>の右足に当り、呪いにみちた傷を負わしめたのであった。が、まあ大したことはなかった。

「上陸第一歩に際し、イギリス官憲のみならず、イギリス高射砲隊からもこの<ruby><rb>鄭重</rb><rt>ていちょう</rt></ruby>なる<ruby><rb>挨拶</rb><rt>あいさつ</rt></ruby>をうけようとは、余の予期せざりしところである」

と博士は、折から空襲実況中継放送中のＢＢＣのマイクを通じて、訪問の初挨拶をしたのであった。

<ruby><rb>接伴</rb><rt>せっぱん</rt></ruby>委員長のカーボン<ruby><rb>卿</rb><rt>きょう</rt></ruby>は、金博士が、あまりにも<ruby><rb>空爆下</rb><rt>くうばくか</rt></ruby>に無神経でありすぎるのに<ruby><rb>愕</rb><rt>おどろ</rt></ruby>き、<ruby><rb>周章</rb><rt>あわ</rt></ruby>てて<ruby><rb>持薬</rb><rt>じやく</rt></ruby>のジキタリスの<ruby><rb>丸薬</rb><rt>がんやく</rt></ruby>をおのが<ruby><rb>口中</rb><rt>こうちゅう</rt></ruby>に放りこむと、金博士を<ruby><rb>桟橋</rb><rt>さんばし</rt></ruby>の上に積んだ<ruby><rb>偽装火薬樽</rb><rt>ぎそうかやくだる</rt></ruby>のかげに引張りこんだ。

「ああカーボン卿、ドイツ空軍のために、こんなに<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>き<ruby><rb>亘</rb><rt>わた</rt></ruby>って爆撃されたのでは、<ruby><rb>借間</rb><rt>しゃくま</rt></ruby>が高くなって、さぞかし市民はたいへんであろう」

「おお金博士。<ruby><rb>仰有</rb><rt>おっしゃ</rt></ruby>るとおりです。借間の<ruby><rb>払底</rb><rt>ふってい</rt></ruby>をはじめ、そのほかわれわれイギリス国民を困らせることが実に<ruby><rb>夥</rb><rt>おびただ</rt></ruby>しいのです。このときわれわれは、はるばる東洋から博士を迎え得て、千万トンのジャガ<ruby><rb>芋</rb><rt>いも</rt></ruby>を得たような気がいたしまする」

「ジャガ芋とは失礼なことをいう、この<ruby><rb>玉蜀黍</rb><rt>とうもろこし</rt></ruby>め」

と、博士は中国語でいって、

「この空爆の<ruby><rb>惨害</rb><rt>さんがい</rt></ruby>を、余にどうしろというのかね」

「いやいや、余は何とも申したわけではない。博士どの。イギリス上陸のとたんに、ぜひとも御注意ねがわねばならぬことが二つありまする」

「二つ？　何と何とかね」

「一つは、さっき申し遅れましたが、味方の撃ちだす高射砲弾の害。もう一つは、おそろしきスパイの害。――とにかく街上でもホテルでも寝床の中でも、おそるべきスパイが耳を澄して聞かんとしていると<ruby><rb>思召</rb><rt>おぼしめ</rt></ruby>して、一切語りたもうなよ」

「本当かね。まるでわが<ruby><rb>上海</rb><rt>シャンハイ</rt></ruby>そっくりじゃ」

「<ruby><rb>故</rb><rt>ゆえ</rt></ruby>に、物事を、スパイや敵国人のため妨害されないで、うまく<ruby><rb>搬</rb><rt>はこ</rt></ruby>ぼうと欲すれば、それ、決して何人にも機密を<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>らすことなく、自分おひとりの胸に<ruby><rb>畳</rb><rt>たた</rt></ruby>んで、黙々として実行なさることである」

「お前さんのいうことは、むずかしくて、余には分らんよ」

「いや、つい<ruby><rb>騎士倶楽部風</rb><rt>きしクラブふう</rt></ruby>の言葉になりましたが、要するに、自分の思ったとおり仕事をやりとげるためには、機密事項は一切お<ruby><rb>喋</rb><rt>しゃべ</rt></ruby>りなさるなという忠言です」

「なるほど、壁に耳あり、後にスパイありというわけじゃね。よろしい。今日只今より、大いに気をつける。<ruby><rb>尤</rb><rt>もっと</rt></ruby>も、わしはスパイ<ruby><rb>禍</rb><rt>か</rt></ruby>をさけることなら、上海でもって、相当修業して来ておりますわい」

「それを<ruby><rb>伺</rb><rt>うかが</rt></ruby>って、安心しましたわい」

折から高射砲は、<ruby><rb>撃</rb><rt>う</rt></ruby>ち<ruby><rb>方</rb><rt>かた</rt></ruby>やめとなり、往来はようやく安心できる状態となった。そこで<ruby><rb>瘠躯鶴</rb><rt>そうくつる</rt></ruby>の如きカーボン卿は、樽のかげから外に出て、一応頭上を見上げたうえで、樽のかげの金博士の手を取って、引張り出したのであった。

「さあ、今のうちに急いで参りましょう」

「はて、余はどこへ連れていかれるのじゃな」

「行先は、今も申したように、スパイを警戒いたして申せませぬ。しかし、向うへ到着すれば、そこが何処だかお分りになりましょう。グローブ・リーダーの巻三には、『ロンドン見物』という<ruby><rb>標題</rb><rt>ひょうだい</rt></ruby>の<ruby><rb>下</rb><rt>もと</rt></ruby>に、写真入りでちゃんと<ruby><rb>詳</rb><rt>くわ</rt></ruby>しく出て居ります場所です」

「ありゃ、行先はロンドンですかい」

「ロンドン？　あっ、それをどうして<ruby><rb>御存知</rb><rt>ごぞんじ</rt></ruby>ですか。博士は、<ruby><rb>読心術</rb><rt>どくしんじゅつ</rt></ruby>を心得て居らるるか、それともスパイ学校を卒業せられたかの、どっちかですなあ」

「あほらしい。お前さんが今、ロンドン見物の標題で<ruby><rb>云々</rb><rt>うんぬん</rt></ruby>といったじゃないか。お前さんがたのここんところは、連日連夜のドイツ軍の空爆で、だいぶん焼きが廻っていると見える」

そういって、金博士は、自分の頭を、防毒マスクの上から、こつこつと叩いてみせた。

２

ロンドンの地下ホテルの大広間で、国防<ruby><rb>晩餐会</rb><rt>ばんさんかい</rt></ruby>が<ruby><rb>催</rb><rt>もよお</rt></ruby>されている。

その大広間は、<ruby><rb>一見</rb><rt>いっけん</rt></ruby>ひろびろとしていた。ただ真中のところに、一つの<ruby><rb>卓子</rb><rt>テーブル</rt></ruby>と、それを取囲む十三の椅子とが、まるで盆の真中に<ruby><rb>釦</rb><rt>ボタン</rt></ruby>が落ちているような<ruby><rb>恰好</rb><rt>かっこう</rt></ruby>で、集っていた。そして卓上には、<ruby><rb>贅沢</rb><rt>ぜいたく</rt></ruby>な料理が、大きな鉢に、山の如く盛り合わされ、そしてレッテルを見ただけで酔っぱらいそうな古いウィスキーやコニャックが、林のように並んでいた。

そのとき、広間の北側の<ruby><rb>扉</rb><rt>ドア</rt></ruby>が、さっと左右に開いて、金ぴかの将軍が十二人と、それから<ruby><rb>肘</rb><rt>ひじ</rt></ruby>のぬけそうな<ruby><rb>黒繻子</rb><rt>くろじゅす</rt></ruby>の中国服を着た金博士とが、ぞろぞろと立ち現れて、その<ruby><rb>設</rb><rt>もう</rt></ruby>けの席についた。

「さあ、ぼつぼつ始めましょう」

「各自、お好きなように、セルフ・サーヴィスをして頂きましょう」

ボーイたちは、完全にこの大広間から追い出されていた。しかもこの料理は、五百パーセントの<ruby><rb>闇値段</rb><rt>やみねだん</rt></ruby>で集められた豪華な料理であって、これ<ruby><rb>全</rb><rt>すべ</rt></ruby>て、<ruby><rb>遠来</rb><rt>えんらい</rt></ruby>の金博士――いや、イギリス政府及び軍部が今は命の綱と頼む新兵器発明王の金博士に対する最高の<ruby><rb>饗応</rb><rt>きょうおう</rt></ruby>であったのである。

「さて、<ruby><rb>早速</rb><rt>さっそく</rt></ruby>ではあるが、金博士に相談にのっていただくことにする」

と、座長格の世界戦争軍総指揮官ゴンゴラ大将が口を開いた。

「なるべくなら、この御馳走を全部頂戴してののちに願いたいものじゃが」

金博士は残念そうにいう。

「いや、事が事とて、ぐずぐずして居れないのです」

と、総指揮官ゴンゴラ大将は、かまわず話をすすめる。

「これは今夜はじめて諸君にかぎり発表する最高の機密であるが、実は、わがイギリス軍は、<ruby><rb>最早</rb><rt>もはや</rt></ruby><ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>ともすべからざる<ruby><rb>頽勢</rb><rt>たいせい</rt></ruby>を一挙に<ruby><rb>輓回</rb><rt>ばんかい</rt></ruby>せんがために、ここに<ruby><rb>極秘</rb><rt>ごくひ</rt></ruby>の作戦を研究しようとしている。それは<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる作戦であるか」

と、ゴンゴラ大将は、そこで大いに気を持たせて、一座を見廻した。

（おや、十三の座席は、<ruby><rb>縁起</rb><rt>えんぎ</rt></ruby>でもない）

将軍は、ちょっと顔を曇らせたが、胸の前で十字を切って、

「それは外でもない。十三――いや、諸君、<ruby><rb>愕</rb><rt>おどろ</rt></ruby>いてはいけない。<ruby><rb>吾輩</rb><rt>わがはい</rt></ruby>は、ここに極秘の<ruby><rb>独本土上陸作戦</rb><rt>どくほんどじょうりくさくせん</rt></ruby>を<ruby><rb>樹立</rb><rt>じゅりつ</rt></ruby>しようと思う者である」

一座は、<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かにざわめいた。将軍のなかには愕いて、手にしていた<ruby><rb>盃</rb><rt>さかずき</rt></ruby>を取落とす者もあり、<ruby><rb>嚥</rb><rt>の</rt></ruby>み下ろしかけていた<ruby><rb>若鶏</rb><rt>わかどり</rt></ruby>の肉を<ruby><rb>気管</rb><rt>きかん</rt></ruby>の方へ送りこんで目を白黒する者もあった。ただ平然として色を変えず、飲み<ruby><rb>且</rb><rt>か</rt></ruby>つ<ruby><rb>喰</rb><rt>くら</rt></ruby>う手を休めなかったのは金博士ばかりだった。

「独本土上陸作戦、それは<ruby><rb>英</rb><rt>えい</rt></ruby>本土上陸作戦の<ruby><rb>誤植</rb><rt>ごしょく</rt></ruby>――いや<ruby><rb>誤言</rb><rt>ごごん</rt></ruby>ではないか」

「<ruby><rb>否</rb><rt>いな</rt></ruby>、断じて、独本土上陸作戦である」

「ほほっ、ゴンゴラ総指揮官の精神状態を医師に鑑定せしめる必要ありと思うが、如何に」

「いや、もう一つその前に、全国の空軍基地に対し、<ruby><rb>単座戦闘機</rb><rt>たんざせんとうき</rt></ruby>にゴンゴラ将軍を<ruby><rb>搭乗</rb><rt>とうじょう</rt></ruby>せしめざるよう<ruby><rb>厳重</rb><rt>げんじゅう</rt></ruby>命令すべきである」

「その必要はあるまい。なぜといって、ゴンゴラ将軍は、<ruby><rb>幸</rb><rt>さいわ</rt></ruby>いにして飛行機の操縦が出来ないから、安心してよろしい」

ゴンゴラ総指揮官は、頬をトマトのように<ruby><rb>赧</rb><rt>あか</rt></ruby>くして、<ruby><rb>卓</rb><rt>たく</rt></ruby>を<ruby><rb>叩</rb><rt>たた</rt></ruby>いた。

「<ruby><rb>何人</rb><rt>なんびと</rt></ruby>が何といおうと、独本土上陸作戦を決行する吾輩の決意には、最早変りはない。ドイツを<ruby><rb>屈服</rb><rt>くっぷく</rt></ruby>せしめる途は<ruby><rb>只</rb><rt>ただ</rt></ruby>一つ、それより外に残されていないのである」

一座は、尚も<ruby><rb>喧々囂々</rb><rt>けんけんごうごう</rt></ruby>、<ruby><rb>納</rb><rt>おさ</rt></ruby>まりがつかなくなった。あちこちで、<ruby><rb>同志討</rb><rt>どうしうち</rt></ruby>までが始まる。

「なにも、そんな危い芸当をやらないでも、もっと確実に、しかも安全にドイツをやっつける方法があるんだ」

「そんなことはないでしょう。自分は総指揮官の作戦に同意する」

「それは<ruby><rb>愚劣</rb><rt>ぐれつ</rt></ruby>きわまる。よろしいか。わしの考え出した作戦というのは、<ruby><rb>至極</rb><rt>しごく</rt></ruby><ruby><rb>簡単明瞭</rb><rt>かんたんめいりょう</rt></ruby>である。それは、ドイツに対して『わがイギリスは貴国を援助するぞ』と申入れれば、それでよろしいのじゃ」

「なんだ、それは。敵国ドイツを助ければ、わがイギリスはいよいよ負けるばかりだ」

「それだから<ruby><rb>貴公</rb><rt>きこう</rt></ruby>は、駄目だというんだ。ちと歴史を勉強しなされ、歴史を。今度の世界戦争以来、わがイギリスが援助をすると申入れた先の国で、滅びなかった国があるかね。ベルギーを見よ、<ruby><rb>和蘭</rb><rt>オランダ</rt></ruby>を見よ、チェッコを見よ、ポーランドを見よ、それからユーゴを見よ。ギリシヤを見よ、<ruby><rb>蒋介石</rb><rt>しょうかいせき</rt></ruby>を見よ。だから、われわれイギリスが、『ドイツよ、お前を助ける』と申入れただけで、ドイツも<ruby><rb>亦</rb><rt>また</rt></ruby>、滅びざるを得ないであろう。これ、歴史上の事実から<ruby><rb>帰納</rb><rt>きのう</rt></ruby>した最も正確にして且つ安全な作戦じゃ」

仲々一座の納りがつかないので、ゴンゴラ総指揮官は、席を立って、金博士のところへやって来た。

「金博士。吾輩の切なるお願いである。新奇なる兵器を作って、わがイギリスの<ruby><rb>沿岸</rb><rt>えんがん</rt></ruby>から発し、独本土へ上陸せしめられたい」

このとき、金博士は、ようやく卓上の料理を<ruby><rb>悉</rb><rt>ことごと</rt></ruby>く胃の<ruby><rb>腑</rb><rt>ふ</rt></ruby>に送り終った。博士は、ナップキンで、ねちゃねちゃする両手と口とを<ruby><rb>拭</rb><rt>ぬぐ</rt></ruby>いながら、

「ああ余は遠く来た<ruby><rb>甲斐</rb><rt>かい</rt></ruby>があったよ。ほう、<ruby><rb>美味</rb><rt>びみ</rt></ruby><ruby><rb>満腹</rb><rt>まんぷく</rt></ruby>だ。はて、何といわれたかね」

と、取り済ました顔である。

「おお金博士。今も申すとおり、吾輩の切なるお願いである。新奇なる兵器を作り、わがイギリスの沿岸より発し、独本土へ兵を上陸せしめられたい」

ゴンゴラ総指揮官は、<ruby><rb>声涙共</rb><rt>せいるいとも</rt></ruby>に<ruby><rb>下</rb><rt>くだ</rt></ruby>って、この東洋の<ruby><rb>碩学</rb><rt>せきがく</rt></ruby>に頼みこんだ。すると博士は、

「ああ、それくらいのことなら、<ruby><rb>至極</rb><rt>しごく</rt></ruby>簡単にやって見せるよ」

「えっ、本当に出来る見込みがありますか」

「ありますとも。そんなことは、人造人間戦車の設計などに<ruby><rb>較</rb><rt>くら</rt></ruby>べれば訳なしじゃ」

「おお、それが真実なれば、吾輩は天にものぼる<ruby><rb>悦</rb><rt>よろこ</rt></ruby>び――いや、とにかく大きな悦びです」

「しかしのう、ゴンゴラ大将。それについて、余は、<ruby><rb>篤</rb><rt>とく</rt></ruby>と貴公と打合わせをしたいのじゃが、この席ではなあ。つまり、こう沢山の人々の耳に入れては、それスパイに買収せられた耳も<ruby><rb>交</rb><rt>まじ</rt></ruby>っているかもしれない。二人切りになれないものかな」

「ああ、そのことなら、吾輩としても、願ってもないことです。よろしい。では他の将軍たちを退場させましょう。おい諸君。君たちは<ruby><rb>一時</rb><rt>いちじ</rt></ruby>別室へ遠慮せよ」

さすがに総指揮官の一声で、他の将軍たちは、ぶつぶつがやがやいいながら、ゴンゴラ大将と金博士をそこに残して、元来た<ruby><rb>扉</rb><rt>ドア</rt></ruby>から出ていってしまった。

「さあ、もう一杯、いきましょう」

「すこし廻りすぎたが、もう一杯頂戴するか」

あとは二人が<ruby><rb>水入</rb><rt>みずい</rt></ruby>らずで向い合った。

金博士は、そのとき顔を将軍に近づけていった。

「今誓約したことは、必ずやります。しかし一体、独本土へ上陸といって、どこへ上陸すればいいのかな。ブレーメンかキール<ruby><rb>軍港</rb><rt>ぐんこう</rt></ruby>のあたりまで行かなければ満足しないのか、それともドイツの占領地帯で、お<ruby><rb>手近</rb><rt>てぢ</rt></ruby>かのドーヴァ<ruby><rb>海峡</rb><rt>かいきょう</rt></ruby>を越えて<ruby><rb>旧</rb><rt>きゅう</rt></ruby>フランス領のカレーあたりへ上陸しただけでも<ruby><rb>差支</rb><rt>さしつか</rt></ruby>えないのか、一体どっちを望むのかね」

金博士に大きく出られて、ゴンゴラ総指揮官は、<ruby><rb>碧</rb><rt>あお</rt></ruby>い目玉をぐりぐり廻わし、

「どっちでも結構ですが、一つ早いところ上陸して貰いたいですねえ。ドイツ兵のいる陸地へ、こっちからいって上陸したということになれば、そのニュースは、ビッグ・ニュースとして全世界を<ruby><rb>震駭</rb><rt>しんがい</rt></ruby>し、<ruby><rb>奮</rb><rt>ふる</rt></ruby>わざること<ruby><rb>久</rb><rt>ひさ</rt></ruby>しきイギリス軍も勇気百倍、<ruby><rb>狂喜乱舞</rb><rt>きょうきらんぶ</rt></ruby>いたしますよ」

「狂喜乱舞するかな。それはどうかと思う」

「いや、狂喜乱舞することは<ruby><rb>請合</rb><rt>うけあ</rt></ruby>いです」

「そうかね。そこのところは、余にはよく呑みこめないが、とにかく、上陸作戦をやるについて、<ruby><rb>予</rb><rt>あらかじ</rt></ruby>め<ruby><rb>種々</rb><rt>しゅじゅ</rt></ruby>、<ruby><rb>貰</rb><rt>もら</rt></ruby>うものは貰って置きたい」

「ああ、これは申し遅れて失礼をしました。成功の<ruby><rb>暁</rb><rt>あかつき</rt></ruby>は、博士の<ruby><rb>測</rb><rt>はか</rt></ruby>り知られざるその<ruby><rb>勲功</rb><rt>くんこう</rt></ruby>に対し、いかなる<ruby><rb>褒賞</rb><rt>ほうしょう</rt></ruby>でも<ruby><rb>上奏</rb><rt>じょうそう</rt></ruby>いたしましょう。いかなる勲章がお<ruby><rb>望</rb><rt>のぞ</rt></ruby>みかな。ダイヤモンド<ruby><rb>十字章</rb><rt>じゅうじしょう</rt></ruby>はいかがですな。また、何もイギリスの勲章に限ったことはない。<ruby><rb>和蘭</rb><rt>オランダ</rt></ruby>の勲章はいかが、それともポーランドの勲章は。エチオピヤの勲章でもいいですぞ。それともフランスの勲章にしますか」

「勲章など貰っても、持って帰るのに<ruby><rb>面倒</rb><rt>めんどう</rt></ruby>だから、いやじゃ。それよりも、<ruby><rb>当国</rb><rt>とうごく</rt></ruby><ruby><rb>逗留中</rb><rt>とうりゅうちゅう</rt></ruby>は、イギリス製のウィスキーを思う<ruby><rb>存分</rb><rt>ぞんぶん</rt></ruby><ruby><rb>呑</rb><rt>の</rt></ruby>ませてくれればそれでよろしい。今のうちに呑んでおかないと、きっとドイツ兵に呑まれてしまうからね」

「縁起でもありませんよ」

「しかしのう、ゴンゴラ将軍。さっき余が、貰うものは貰って置きたいといったのは、そんなものではないのじゃ」

「え、勲章の話ではなかったのですか」

「東洋人というものは、お<ruby><rb>主</rb><rt>ぬし</rt></ruby>のように、<ruby><rb>左様</rb><rt>さよう</rt></ruby>に<ruby><rb>貪慾</rb><rt>どんよく</rt></ruby>ではない。余の欲しいのは、<ruby><rb>白紙命令書</rb><rt>はくしめいれいしょ</rt></ruby>だ。それを百枚ばかり貰いたい」

博士は妙なことをいいだした。白紙命令書というのは、まだ命令の文句が書いてない命令書のことであった。

「白紙命令書百枚もよろしいが、何にお使いですかな」

と、ゴンゴラ将軍は腑に落ちない顔。

「知れたことじゃ。お主から頼まれた一件を果すためには、万事極秘でやらにゃならん。だから余だけが計画内容を知っているということにするには、白紙命令書を貰ったのが<ruby><rb>便宜</rb><rt>べんぎ</rt></ruby>なのじゃ。尚その命令書には『<ruby><rb>追</rb><rt>おっ</rt></ruby>テ<ruby><rb>後日</rb><rt>ごじつ</rt></ruby>何等カノ命令アルマデハ本件ニ関シ総指揮官部へ報告ニ及バズ』と<ruby><rb>但書</rb><rt>ただしがき</rt></ruby>を書くから、予め<ruby><rb>諒承</rb><rt>りょうしょう</rt></ruby>ありたい」

３

ゴンゴラ総指揮官は、<ruby><rb>遂</rb><rt>つい</rt></ruby>に白紙命令書百枚を金博士に<ruby><rb>手交</rb><rt>しゅこう</rt></ruby>して、博士の手腕に大いに期待するところがあった。

ところが、それから一週間たっても、二週間たっても、金博士が一向動きだしたという知らせに接しないのであった。

将軍のところへ出入する情報局<ruby><rb>蒐集官</rb><rt>しゅうしゅうかん</rt></ruby>たちは、<ruby><rb>決</rb><rt>きま</rt></ruby>って、将軍から同じ<ruby><rb>趣旨</rb><rt>しゅし</rt></ruby>の質問を受けるのだった。

「おい、金博士の<ruby><rb>動静</rb><rt>どうせい</rt></ruby>についてのニュースはないのか。すくなくとも一巻のニュース映画になるくらいのものは持って来い」

将軍は、金博士の行動のニュースに<ruby><rb>飢</rb><rt>う</rt></ruby>えているのであった。

情報蒐集官たちは、残念ながら、博士についてのニュース材料の持ち合わせがなかった。それで次回から、せいぜい気をつけることにして、金博士の<ruby><rb>身辺</rb><rt>しんぺん</rt></ruby>を<ruby><rb>猟犬</rb><rt>りょうけん</rt></ruby>の如く、或いはダニの如く、或いは空気の如く<ruby><rb>搦</rb><rt>から</rt></ruby>みついて、何を博士が実行に移しているかを調べたのであった。

その結果は、毎日毎夜それぞれの情報蒐集官から、ゴンゴラ総指揮官のところへ集ってきた。

「金博士は、本日午前十時、セバスチァン料理店に現れ、午後二時まで四時間に<ruby><rb>亘</rb><rt>わた</rt></ruby>り<ruby><rb>昼酒</rb><rt>ひるざけ</rt></ruby>をやり、大いに<ruby><rb>酩酊</rb><rt>めいてい</rt></ruby>せり」

「ふん、大いにやっとるな」

と、ゴンゴラ将軍は次の報告書を取上げる。

「金博士は、本日午後二時十五分より、カセイ・ホテルに現れ、飲酒三時間に及べり。午後五時三十分、<ruby><rb>退出</rb><rt>たいしゅつ</rt></ruby>す」

「よく飲むなあ。身体をこわさなきゃいいが……」

次の報告書には、こう書いてあった。

「金博士は、本日午後五時四十五分、ピカデリー街に於て、数名の東洋人に襲撃せられ……」

「おや、これはニュースらしいニュースだ」

と、総指揮官は、思わず前に乗りだして、さてその次を読むと、

「……<ruby><rb>街上</rb><rt>がいじょう</rt></ruby>に於て、ウィスキーのラッパ呑みを強要されしが、それより博士の提案により、会場をコルコット<ruby><rb>街</rb><rt>がい</rt></ruby>裏通りのバー、ホーンに於て一同揃って<ruby><rb>痛飲会</rb><rt>つういんかい</rt></ruby>が<ruby><rb>開催</rb><rt>かいさい</rt></ruby>せられることとなり、同夜午後十一時まで、<ruby><rb>通計</rb><rt>つうけい</rt></ruby>五時間……」

将軍は、<ruby><rb>苦</rb><rt>にが</rt></ruby>り切って、その報告で<ruby><rb>洟</rb><rt>はな</rt></ruby>をちんとかむと、<ruby><rb>紙屑籠</rb><rt>かみくずかご</rt></ruby>へ投げこんだ。

「金博士は、<ruby><rb>地酒窟</rb><rt>じざけくつ</rt></ruby>ランタンに現れ、午後十一時十五分……」

どこまで読んでいっても、金博士が酒を飲む報告書ばかりであった。将軍は、うんざりしてしまった。

気をつけていると、毎日毎夜、集ってくるどの報告書も、飲酒の実績報告ばかりであって、その中に只の一枚も、「金博士は、机に向い、設計用紙を前にして、<ruby><rb>計算尺</rb><rt>けいさんじゃく</rt></ruby>をひねりつつあり」とか「金博士、只今、バーミンガムの<ruby><rb>特殊鋼</rb><rt>とくしゅこう</rt></ruby>工場へ、マンガン<ruby><rb>鋼</rb><rt>こう</rt></ruby>五十トンの注文を発せり」などという工作関係のニュースは入っていなかったのである。ゴンゴラ総指揮官は、飛行機にのって特殊飛行をやってみたい<ruby><rb>衝動</rb><rt>しょうどう</rt></ruby>に<ruby><rb>駆</rb><rt>か</rt></ruby>られて、弱った。

ついにゴンゴラ総指揮官の<ruby><rb>勘忍袋</rb><rt>かんにんぶくろ</rt></ruby>の<ruby><rb>緒</rb><rt>お</rt></ruby>が切れ、警衛隊に命令して、金博士をオムスク酒場から引き立て、官邸へ連れて来させたのであった。そのとき金博士は、へべれけに大酩酊のていたらくであった。

「うーい。こら、こんな面白くない酒場へ<ruby><rb>引張</rb><rt>ひっぱ</rt></ruby>って来やがって。こーら、そこにいる大将。早くジンカクを持ちこい」

ゴンゴラ大将は、<ruby><rb>仁王様</rb><rt>におうさま</rt></ruby>がせんぶりの<ruby><rb>粉</rb><rt>こな</rt></ruby>を<ruby><rb>嘗</rb><rt>な</rt></ruby>めたような顔をして博士のぐにゃぐにゃした肩を<ruby><rb>鷲</rb><rt>わし</rt></ruby>づかみにした。

「これ、金博士。いかに酒好きとはいえ、酒ばかり呑んで、吾輩との約束を無にするとは<ruby><rb>遺憾</rb><rt>いかん</rt></ruby>である」

総指揮官は、<ruby><rb>極力</rb><rt>きょくりょく</rt></ruby>腹の虫を殺して、春の海のように<ruby><rb>穏</rb><rt>おだや</rt></ruby>かに云った。

「おお、お主はゴンゴン<ruby><rb>独楽</rb><rt>こま</rt></ruby>のゴン将軍じゃったな。今聞いてりゃ、聞いちゃいられねえことを<ruby><rb>余</rb><rt>よ</rt></ruby>に向っていったな」

「吾輩は、三週間、いらいらして暮した。その間博士は酒ばかり飲んで暮した。例の仕事には、すこしも手がついていないではないか」

「あっはっはっはっ」と博士は笑って、「お主は、そのことを心配しているのか。余はイギリス人のように、やるといって置いてやらん人間とは違う。疑うなら、見せてやるものがある。さあ、余の右足をもって、力一杯引張れ。おい、早くやれ。酒を飲む時間が少くなる。なにしろイギリス製ウィスキーとも、間もなくお別れだからな。おい、引張れ」

ゴンゴラ総指揮官は、博士に<ruby><rb>催促</rb><rt>さいそく</rt></ruby>されて、床に膝をつき、博士の右足をつかんで、えいと引いた。すると、すぽんと音がして、博士の右脚が、<ruby><rb>太腿</rb><rt>ふともも</rt></ruby>のあたりから抜けた⁉

４

……と見えたが、驚くことはない、実は金博士が右脚に<ruby><rb>履</rb><rt>は</rt></ruby>いていた肉色の<ruby><rb>超長靴</rb><rt>ちょうながぐつ</rt></ruby>が、すぽんと抜けて、ゴンゴラ将軍の手に残っただけのことであった。

「ひゃーっ」

<ruby><rb>千軍万馬</rb><rt>せんぐんばんば</rt></ruby>の将軍も、これには<ruby><rb>胆</rb><rt>きも</rt></ruby>を<ruby><rb>潰</rb><rt>つぶ</rt></ruby>し、博士の一本脚――ではない実は超長靴を、<ruby><rb>絨毯</rb><rt>じゅうたん</rt></ruby>の上に放り出した。博士は、それを<ruby><rb>無造作</rb><rt>むぞうさ</rt></ruby>に拾いあげ、その中に手を入れると、やがて一枚の青写真を引張りだした。

「ゴンゴラ将軍。これをお目にかけよう」

将軍は目をぱちくり。膝の上に青写真を<ruby><rb>展</rb><rt>ひろ</rt></ruby>げて、二度びっくり。

「これは、素晴らしい新兵器だ。一人乗りの<ruby><rb>豆潜水艇</rb><rt>まめせんすいてい</rt></ruby>のようだが……」

「将軍よ。これは初めて貴官と会見した日、宿に帰ってすぐさま設計した<ruby><rb>渡洋潜波艇</rb><rt>とようせんはてい</rt></ruby>だ」

「ああ実に素晴らしい。さすがは金博士だ。これを<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>に使うのですかな」

「これはつまり、一種の潜水艇だが、深くは沈まない。海面から、この<ruby><rb>艇</rb><rt>ふね</rt></ruby>の背中が<ruby><rb>漸</rb><rt>ようや</rt></ruby>く<ruby><rb>没</rb><rt>ぼっ</rt></ruby>する位、つまり数字でいえば、<ruby><rb>波面</rb><rt>はめん</rt></ruby>から二三十センチ下に<ruby><rb>潜</rb><rt>くぐ</rt></ruby>り、それ以上は潜らない一人乗りの潜波艇だ」

「ふむ、ふむ」

「これを作ったわけは、如何なる<ruby><rb>防潜網</rb><rt>ぼうせんもう</rt></ruby>も海面下二メートル<ruby><rb>乃至</rb><rt>ないし</rt></ruby>十数メートル下に張ってあるから、普通の潜水艦艇では、突破は困難だ。また普通の潜水艦艇では、<ruby><rb>機雷</rb><rt>きらい</rt></ruby>にぶっつけるかもしれないし、警報装置に<ruby><rb>引懸</rb><rt>ひっかか</rt></ruby>って所在が知れるし、どうもよくない。そこでこの渡洋潜波艇は、海面とすれすれの浅い水中を快速で安全に突破するもので、つまり水上と防潜網との<ruby><rb>隙間</rb><rt>すきま</rt></ruby>を<ruby><rb>狙</rb><rt>ねら</rt></ruby>うものである」

「ほう、素晴らしいですなあ」

「しかし、これは試作しただけで、余は取り捨てたよ」

「おや、<ruby><rb>勿体</rb><rt>もったい</rt></ruby>ない。使わないのですか」

「駄目じゃ。やっぱり相手方に知れていけないのじゃ。つまり海面と防潜網との隙間を行くものではあるが、こいつを何千何万<ruby><rb>隻</rb><rt>せき</rt></ruby>とぶっ放すと、<ruby><rb>彼岸</rb><rt>ひがん</rt></ruby>に達するまでに、<ruby><rb>彼我</rb><rt>ひが</rt></ruby>の水上艦艇に突き当るから、<ruby><rb>直</rb><rt>ただ</rt></ruby>ちに警報を発せられてしまう。従ってドイツ本土上陸以前に、<ruby><rb>殲滅</rb><rt>せんめつ</rt></ruby>のおそれがある。これはやめたよ」

「惜しいですなあ。すると、これは取りやめて、<ruby><rb>以来</rb><rt>いらい</rt></ruby><ruby><rb>自暴酒</rb><rt>やけざけ</rt></ruby>というわけですか」

「とんでもない。余はイギリス人とは違うよ。余は既に、ちゃんと自信たっぶりの新兵器を作った」

「それは、どういう……」

「<ruby><rb>莫迦</rb><rt>ばか</rt></ruby>。現行兵器の機密が、他人に<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>らせるものか」

「でも、吾輩は総指揮官……」

「総指揮官とて信用は出来ない。とにかく余は貴官と約束したところに従い、現実に独本土上陸をやって見せた上で帰国しようと思う。百の議論よりも、一の実行だ。実績を見せれば、文句はないじゃろう」

「なるほど。すると博士御発明の独本土上陸用の新兵器は、目下<ruby><rb>続々</rb><rt>ぞくぞく</rt></ruby>と<ruby><rb>建造</rb><rt>けんぞう</rt></ruby>されつつあるのですな」

ゴンゴラ将軍の瞳が<ruby><rb>燿</rb><rt>かがや</rt></ruby>いた。

「その建造は、二週間前に終った。それから、<ruby><rb>搭乗員</rb><rt>とうじょういん</rt></ruby>の募集にちょっと手間どったが、これも一週間前に片づき、<ruby><rb>目下</rb><rt>もっか</rt></ruby>わが独本土上陸の決死隊二百名は、<ruby><rb>刻々</rb><rt>こくこく</rt></ruby>独本土に近づきつつあるところじゃ。これだけは話をしてやってもええじゃろう」

「人員二百名は少いが、とにかく刻々独本土に近づきつつあるとは快報です。大いに期待をかけますが、果してうまくいくですかな」

「なにしろ、独本土へ上陸しようというイギリス軍人の無いのには<ruby><rb>愕</rb><rt>おどろ</rt></ruby>いた。<ruby><rb>折角</rb><rt>せっかく</rt></ruby>作ったわが新兵器も、無駄に終るかと思って、一時は酒壜の底に<ruby><rb>一滴</rb><rt>いってき</rt></ruby>の酒もなくなったときのような<ruby><rb>暗澹</rb><rt>あんたん</rt></ruby>たる気持に襲われたよ」

「しかしまあ、二百名にしろ、決死隊員の<ruby><rb>頭数</rb><rt>あたまかず</rt></ruby>が揃ったは何よりであります。本官の名誉はともかくも<ruby><rb>保</rb><rt>たも</rt></ruby>たれました」

「さあ、どうかなあ」

「えっ」といっているとき、<ruby><rb>幕僚</rb><rt>ばくりょう</rt></ruby>が部屋へとびこんで来た。

「総指揮官。只今ドイツ側がビッグ・ニュースの放送をやって居ります。<ruby><rb>事重大</rb><rt>ことじゅうだい</rt></ruby>ですが、お聴きになりますか」

「重大事件？　ははあ、あれだな。スイッチを入れなさい」

スイッチが入って、ドイツ放送局のアナウンサーの声が<ruby><rb>高声器</rb><rt>こうせいき</rt></ruby>から流れだした。

「……<ruby><rb>繰返</rb><rt>くりかえ</rt></ruby>して申上げます。本日午後五時、二百名より成るドイツ将校下士官兵の一隊は、イギリス本土よりわが占領地区カレー市へ無事<ruby><rb>帰還</rb><rt>きかん</rt></ruby>いたしました。これは、目下イギリスに在る金博士の発明になる<ruby><rb>深海歩行器</rb><rt>しんかいほこうき</rt></ruby>によって、ドーバー海峡四十キロの海底を突破し、無事帰還したものでありまして、実に<ruby><rb>劃期的</rb><rt>かっきてき</rt></ruby>な大陸連絡でありました。<ruby><rb>因</rb><rt>ちなみ</rt></ruby>に金博士の深海歩行器というのは、直径三メートルばかりの丈夫なる<ruby><rb>金属球</rb><rt>きんぞくきゅう</rt></ruby>でありまして、中に一人の人間が入り、<ruby><rb>局所照明灯</rb><rt>きょくしょしょうめいとう</rt></ruby>により、前方の機雷や防潜網を<ruby><rb>避</rb><rt>さ</rt></ruby>けながら歩行機械により海底を歩行出来る仕掛けになって居りますが、<ruby><rb>十分</rb><rt>じゅうぶん</rt></ruby>ドーバー海峡下の水圧には耐えるようになって居ります。その他のことについては、機密になって居りまして、詳細をここに述べられませんのは<ruby><rb>遺憾</rb><rt>いかん</rt></ruby>でありますが、<ruby><rb>尚</rb><rt>なお</rt></ruby>今回の<ruby><rb>壮挙</rb><rt>そうきょ</rt></ruby>のエピソードといたしまして、最初金博士は、この大発明兵器深海歩行器に搭乗する決死隊を、イギリス軍隊の中に求めましたが、何分にも<ruby><rb>赫々</rb><rt>かっかく</rt></ruby>たるドイツ軍の戦績とダンケルクの敗戦を<ruby><rb>想起</rb><rt>そうき</rt></ruby>し、一人の<ruby><rb>応募者</rb><rt>おうぼしゃ</rt></ruby>もありませんので、遂に金博士は腹を立て、<ruby><rb>予</rb><rt>かね</rt></ruby>て捕虜として収容されありし前記二百名のドイツ軍人に独本土上陸の希望を<ruby><rb>問合</rb><rt>といあ</rt></ruby>わしたところ、一同大喜びにて、決死隊に応募し、遂に今回の大成功を見たものであります。……」

ゴンゴラ総指揮官が<ruby><rb>真赤</rb><rt>まっか</rt></ruby>になって金博士の方に振返った時には、既に博士の姿は卓上の酒壜と共に、かき消すように消え<ruby><rb>失</rb><rt>う</rt></ruby>せていた。