１

今私は、一人の客人を<ruby><rb>伴</rb><rt>ともな</rt></ruby>って、この<ruby><rb>上海</rb><rt>シャンハイ</rt></ruby>で有名な<ruby><rb>風変</rb><rt>ふうがわ</rt></ruby>りな学者、<ruby><rb>金博士</rb><rt>きんはかせ</rt></ruby>の許へ、案内していくところである。

博士の<ruby><rb>住居</rb><rt>すまい</rt></ruby>が、どこにあるか、知っている人は、ほんの僅かである。人はよく、博士が<ruby><rb>南京路</rb><rt>ナンキンろ</rt></ruby>の<ruby><rb>雑鬧</rb><rt>ざっとう</rt></ruby>の中を、<ruby><rb>擦</rb><rt>す</rt></ruby>れ切った<ruby><rb>紫紺色</rb><rt>しこんしょく</rt></ruby>の<ruby><rb>繍子</rb><rt>しゅうし</rt></ruby>の服に身体を包み、ひどい<ruby><rb>猫脊</rb><rt>ねこぜ</rt></ruby>を一層丸くして歩いているのを見かけるが、博士の住居を知っている者は、殆んどない。

金博士の住居は、南京路でも一等値段がやすく、そして一等<ruby><rb>繁昌</rb><rt>はんじょう</rt></ruby>している<ruby><rb>馬環</rb><rt>ばかん</rt></ruby>という下等な<ruby><rb>一膳飯屋</rb><rt>いちぜんめしや</rt></ruby>の地下にあるのだ。

「さあ、ここがその馬環です。どうです、たいへんな繁昌でしょうが」と私は、客人をふりかえった。「足の踏み入れようもないというのが<ruby><rb>正</rb><rt>まさ</rt></ruby>にこの店のことだが、第一このむーんとする異様な匂いには、慣れないものは<ruby><rb>大閉口</rb><rt>だいへいこう</rt></ruby>で、とたんにむかむかしてくる。だが、とにかくこの中へ入っていかねば、博士に会えないのだから、一時鼻をつまんで、息をしないようにして、私についていらっしゃい。邪魔になるお客さんは、遠慮なく突きとばしてよろしいのである。お客さんは、突きとばされて<ruby><rb>丼</rb><rt>どんぶり</rt></ruby>の中に顔を<ruby><rb>突込</rb><rt>つっこ</rt></ruby>もうと、誰も怒るものはいないであろう。遠慮していれば、いつまでたっても、奥へ通れない。さあ遠慮なく、こうして突きとばすですな。しかし<ruby><rb>懐中物</rb><rt>かいちゅうもの</rt></ruby>だけは<ruby><rb>要慎</rb><rt>ようじん</rt></ruby>したがいいですぞ。突きとばされるのを<ruby><rb>予</rb><rt>あらかじ</rt></ruby>め待っていて、突きとばされると、とたんにこっちの懐中物を失敬する油断のならぬ客がいるからね。あれっ、もうやられたって。ああ待った。もうさわいでも駄目です。一度やられると、たとえやった犯人の顔がわかっていても、二度とお<ruby><rb>宝</rb><rt>たから</rt></ruby>は出て来ないのです。さわぎたてると、どうせろくなことにはならない。また何か<ruby><rb>盗</rb><rt>と</rt></ruby>られます。<ruby><rb>生命</rb><rt>いのち</rt></ruby>などは、盗られたくないでしょうから。

さあ、ようやく奥へ来ました。ここには<ruby><rb>小房</rb><rt>しょうぼう</rt></ruby>が、いくつか並んでいる。こっちへ来てください。ここへ入りましょう。はいったら入口のカーテンを引きます。さあ、椅子に腰をおかけなさい。そして、両手でこの大きな<ruby><rb>円卓子</rb><rt>まるテーブル</rt></ruby>を、しっかりと<ruby><rb>抑</rb><rt>おさ</rt></ruby>えていてください。しっかりつかまっていないと、あとで舌を<ruby><rb>噛</rb><rt>か</rt></ruby>んだり、ひっくりかえって腰をうったりしますよ。はい、今うごきます。秘密の<ruby><rb>釦</rb><rt>ボタン</rt></ruby>を今押しましたから。そら床もろとも、<ruby><rb>下</rb><rt>お</rt></ruby>りだしたでしょう。しっかり卓子につかまっていなさいといったのは、ここなんだ。そうです、この<ruby><rb>小室</rb><rt>しょうしつ</rt></ruby>全体が、エレベーター<ruby><rb>仕掛</rb><rt>じかけ</rt></ruby>になっているのです。床も天井も壁も、一緒に落ちていくのです。もう今はたいへんなスピードで落ちていますよ。なにしろ、これがエレベーターなら、地階三十階ぐらいに相当する下まで下りるのです。なにしろ、地面から測って、二百メートルもあるそうですからね。

<ruby><rb>爆撃</rb><rt>ばくげき</rt></ruby>をさけるためですかって。もちろんそれもありましょうが、もう一つの理由は、金博士は宇宙線を<ruby><rb>極度</rb><rt>きょくど</rt></ruby>に<ruby><rb>避</rb><rt>さ</rt></ruby>けて生活していられるのです。あの宇宙線なるものは、二六時中、どんな人間の身体でも、<ruby><rb>刺</rb><rt>さ</rt></ruby>し<ruby><rb>貫</rb><rt>つらぬ</rt></ruby>いているので……」

話の途中に、エレベーターは<ruby><rb>停</rb><rt>とま</rt></ruby>った。

私は客人の手をとって、エレベーターを出ると、しばらくは真の<ruby><rb>闇</rb><rt>やみ</rt></ruby>の中の通路を、手さぐりで歩いていった。

二百メートルばかり歩いたところで、通路は行き停りとなる。そこで私は、今切り取ったばかりのような土の壁を、ととんとんと叩いた。すると、ぎーいと音がして、私たちは<ruby><rb>眩</rb><rt>まぶ</rt></ruby>しい光の中に、放り出された。

そういう<ruby><rb>段取</rb><rt>だんどり</rt></ruby>になれば、私は<ruby><rb>間違</rb><rt>まちがい</rt></ruby>なく、闇の<ruby><rb>迷路</rb><rt>めいろ</rt></ruby>をうまく<ruby><rb>選</rb><rt>よ</rt></ruby>り通ってきたことになるのである。下手をやれば、いつまでたっても、この光の壁にぶつからないで、しまいには、進むことも戻ることもならず、腹が減って、頭がふらふらになる。

私は、はげしい目まいをおさえて、しばらく強い光の中に、うつ<ruby><rb>伏</rb><rt>ぶ</rt></ruby>していた。<ruby><rb>土竜</rb><rt>もぐら</rt></ruby>ならずとも、この<ruby><rb>光線浴</rb><rt>こうせんよく</rt></ruby>には参る。これも博士の警戒手段の一つである。

私は、ようやく光になれて、顔をあげることが出来た。

「やあ金博士。とつぜんでしたが、ロッセ氏を案内して、お<ruby><rb>邪魔</rb><rt>じゃま</rt></ruby>に<ruby><rb>参</rb><rt>まい</rt></ruby>りました」

「ほう、その人は、<ruby><rb>英国人</rb><rt>えいこくじん</rt></ruby>じゃないだろうな。英国人なら、ここには無用だから、さっさと帰ってもらおう」

と、金博士は、大きなウルトラマリン色の<ruby><rb>色眼鏡</rb><rt>いろめがね</rt></ruby>を手でおさえながら、椅子のうえから立ち上ったのであった。

２

博士は、大の英国嫌いである。英国人と酒とは、大嫌いであった。

「ああ博士。ロッセ氏は日本人です」

「本当か、<ruby><rb>綿貫</rb><rt>わたぬき</rt></ruby>君。氏は、日本人にしては色が黒すぎるではないか」

綿貫とは、私の名前だ。

「氏は、<ruby><rb>帰化</rb><rt>きか</rt></ruby>日本人です。その前は、<ruby><rb>印度</rb><rt>インド</rt></ruby>に<ruby><rb>籍</rb><rt>せき</rt></ruby>がありました」

「どうぞよろしく」

ロッセ氏は、<ruby><rb>流暢</rb><rt>りゅうちょう</rt></ruby>な日本語で、金博士にいんぎんな<ruby><rb>挨拶</rb><rt>あいさつ</rt></ruby>をした。

博士は、無言のまま<ruby><rb>肯</rb><rt>うなず</rt></ruby>いて、私たちに椅子を指すと、自分は再び椅子に腰をおろした。私たちの囲んだ机の上には、何をやっているのか分らないが、<ruby><rb>夥</rb><rt>おびただ</rt></ruby>しい<ruby><rb>紙片</rb><rt>しへん</rt></ruby>が散らばっていた。そして紙片の上には、むずかしい数字の式が、まるで<ruby><rb>蟻</rb><rt>あり</rt></ruby>の行列のように、<ruby><rb>丹念</rb><rt>たんねん</rt></ruby>に書き込んであった。

「きょうお連れしたロッセ氏は、電気砲学の権威です」と、私は紹介の労をとって、「ロッセ氏は、三ヶ月程前に、<ruby><rb>初速</rb><rt>しょそく</rt></ruby>が一万メートルを出す電気砲の設計を完成されたのですが、残念にも、今日本では、それを引受けて作ってくれるところがないために、すっかりくさってしまわれたんです。それでこの<ruby><rb>上海</rb><rt>シャンハイ</rt></ruby>へ、<ruby><rb>憂鬱</rb><rt>ゆううつ</rt></ruby>な胸を抱いて、なにか気分をほぐすものはないかと、遊びに来られたのですが、私は、博士を御紹介するのがよいと思ったので、実は、ロッセ氏には<ruby><rb>事前</rb><rt>じぜん</rt></ruby>に何にも申さないで、とつぜんここへお連れしたわけですから、どうぞ話相手になってあげていただきたい」

私が思いがけなくすっかり底を割ってしまったので、ロッセ氏は、私の話の途中、いくたびも<ruby><rb>仰天</rb><rt>ぎょうてん</rt></ruby>して、私の<ruby><rb>袖</rb><rt>そで</rt></ruby>をひいて、話をやめさせようとしたほどであった。

博士は、かるくうなずいていたが、私の話を聞き終ると、

「それは、くさるのも無理ではない」

と、同情の言葉を<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>らし、

「わしは、あなたがロッセ氏であることは、今綿貫君の紹介で初めて知ったわけだが、しかしあなたのことは、電気砲の論文を読んで、前から知っていたよ」

と、たいへんいい<ruby><rb>機嫌</rb><rt>きげん</rt></ruby>の様子で、立ち上ってロッセ氏の黒い手を握った。

ロッセ氏の<ruby><rb>面上</rb><rt>めんじょう</rt></ruby>には、いたく感激の色が現れた。

「だが、ロッセ君。そんなに初速の早い電気砲をこしらえて、どうするつもりなんかね」

「これはしたり、そのような御たずねでは恐れ入ります。初速の大きいことは、すなわち<ruby><rb>射程</rb><rt>しゃてい</rt></ruby>が長いことである。しからば、われは敵の<ruby><rb>砲兵陣地</rb><rt>ほうへいじんち</rt></ruby><ruby><rb>乃至</rb><rt>ないし</rt></ruby>は軍艦の射程外にあって、敵を砲撃することが出来るのです。こんなことは常識だと思いますが……」

と、ロッセ氏は、<ruby><rb>羞</rb><rt>はじ</rt></ruby>らいながら<ruby><rb>応</rb><rt>こた</rt></ruby>えた。金博士からメンタルテストをされたように感じたからであろう。

「そういう考えじゃから、命中率はだんだん低下し、砲弾代などが、やたらにかかるのじゃ。射程には、<ruby><rb>自</rb><rt>おのずか</rt></ruby>ら限度がある。ただ砲弾を遠方へ飛ばすだけなら、射程をいくらでも伸ばし得られるが、砲門附近の<ruby><rb>風速</rb><rt>ふうそく</rt></ruby>と、<ruby><rb>弾着地点</rb><rt>だんちゃくちてん</rt></ruby>附近の風速とを考えてみても、かなりちがうのである。射程長ければ、命中率わろしである。そうではないか」

金博士は、鉛筆を握って、紙のうえに、しきりに<ruby><rb>弾道曲線</rb><rt>だんどうきょくせん</rt></ruby>を描きつつ<ruby><rb>喋</rb><rt>しゃべ</rt></ruby>る。

「ですが、金博士。僕はぜひともいい大砲を作りたいと思って、そのような初速の大きい電気砲を設計したのです。一発撃ってみて、命中しなければ、二発目、三発目と、<ruby><rb>修整</rb><rt>しゅうせい</rt></ruby>を加えていきます。十発のうち、二発でも一発でも命中すれば、しめたものです」

「そういう<ruby><rb>公算的</rb><rt>こうさんてき</rt></ruby>射撃作戦は、どうも感心できないねえ。なぜ、そんなに<ruby><rb>焦</rb><rt>あ</rt></ruby>せるのであるか。もっと落着いて、命中しやすい方針をとってはどうか。ロッセ君、あなたの話を聞いていると、聞いているわしまで、なんだかいらいらしてくる。それでは、戦闘に勝てない。ロッセ君、あなたは日本人だというけれども、あなたの電気砲設計の方針は、日本人的ではないですぞ。それとも、近代の日本人は、そんなにいらいらして来たのかな」

<ruby><rb>色眼鏡</rb><rt>いろめがね</rt></ruby>の底に、金博士の眼が光る。

ロッセ氏は、<ruby><rb>次第</rb><rt>しだい</rt></ruby>に<ruby><rb>沈痛</rb><rt>ちんつう</rt></ruby>な表情に移っていって、しきりに唇を<ruby><rb>噛</rb><rt>か</rt></ruby>んでいる。私は、それをとりなそうにも、いうべき言葉を知らなかった。――ロッセ氏が、或る<ruby><rb>秘</rb><rt>ひ</rt></ruby>め<ruby><rb>事</rb><rt>ごと</rt></ruby>を、ここで告白するのでなければ、どうにもならないのであった。

しばらく、息づまるような沈黙が、金博士の書斎に続いたが、やがて博士は、やおら椅子から立ち上って、室内をこつこつと歩きだした。

「ねえ、ロッセ君」

「はあ」

「わしは君に、一つのヒントを与える。砲弾の速度を、うんと低下させたら、どんなことになるか」

「射程が短縮されます。技術の<ruby><rb>退歩</rb><rt>たいほ</rt></ruby>です。ナンセンスです」

「いや、わしのいっているのは、射程は、うんと長くとるのだ。ただ砲弾の速度を、<ruby><rb>極</rb><rt>きわ</rt></ruby>めて遅くするのだ。そして命中率を、百パーセントに上げることが出来る。それについて、一つ考えてみたまえ。解答が出来たら、また訪ねてきなさい、わしは相談に乗ろうから」

「砲弾の速度を下げるのは、ナンセンスですが……とにかく<ruby><rb>折角</rb><rt>せっかく</rt></ruby>のおすすめですから、一つ考えて来ましょう」

「そうだ。そうしたまえ。それが、うまくいくようなら、あなたの<ruby><rb>企図</rb><rt>きと</rt></ruby>している<ruby><rb>英国艦隊一挙撃滅戦</rb><rt>えいこくかんたいいっきょげきめつせん</rt></ruby>も、うまくいくだろう」

「えっ、なんですって」

「いや、あなたの<ruby><rb>懐中</rb><rt>かいちゅう</rt></ruby>から<ruby><rb>掏</rb><rt>す</rt></ruby>った<ruby><rb>財布</rb><rt>さいふ</rt></ruby>をお返しするよ。これは上から届けて来たものだが、いくら<ruby><rb>暗号</rb><rt>あんごう</rt></ruby>で書いてあるにしても、英艦隊撃滅作戦の書類を中に<ruby><rb>挟</rb><rt>はさ</rt></ruby>んでおくなんて、不注意にも、程がある」

３

外へ出ると、ロッセ氏は、<ruby><rb>大昂奮</rb><rt>だいこうふん</rt></ruby>の面持で、私を<ruby><rb>捕</rb><rt>とら</rt></ruby>えて、放そうとはしなかった。

「ねえ、<ruby><rb>綿貫</rb><rt>わたぬき</rt></ruby>君。われわれは、もっと語ろうではないか。<ruby><rb>素敵</rb><rt>すてき</rt></ruby>なブランデーをのませる家を知っているから、これからそこへ案内しよう」

私は、初めから覚悟をしていたので、ロッセ氏のいうがままに、ついていった。

ホテル・クナンの、しずかな<ruby><rb>酒場</rb><rt>さかば</rt></ruby>の<ruby><rb>片隅</rb><rt>かたすみ</rt></ruby>に、ロッセ氏は、私を連れていった。

「この<ruby><rb>卓子</rb><rt>テーブル</rt></ruby>は、僕の特約の席なんだ。では、お互いの健康を<ruby><rb>祝</rb><rt>しゅく</rt></ruby>して……」

と、ロッセ氏は、<ruby><rb>琥珀色</rb><rt>こはくいろ</rt></ruby>の液体の入ったグラスを高くさしあげて、唇へ持っていった。

「ふう、これでやっと落着いた。金博士も、ひどいところを<ruby><rb>素破</rb><rt>すっぱ</rt></ruby>ぬいて、<ruby><rb>悦</rb><rt>よろこ</rt></ruby>んでいるんだねえ。<ruby><rb>宿敵艦隊</rb><rt>しゅくてきかんたい</rt></ruby>の一件が、あそこで<ruby><rb>曝露</rb><rt>ばくろ</rt></ruby>するとは、思っていなかった」

「まあいいよ。私も、すこし<ruby><rb>独断</rb><rt>どくだん</rt></ruby>だったけれど、あなたを早く、博士に紹介しておいた方がいいと思ったもんだから、黙って連れていったんだ」

「ああ、金博士は、<ruby><rb>驚異</rb><rt>きょうい</rt></ruby>に<ruby><rb>値</rb><rt>あたい</rt></ruby>する人物だ。一体あの人は、中国人かね、それとも日本人かね」

「そのことだよ」

と、私は、グラスの酒を、きゅうとのみ<ruby><rb>乾</rb><rt>ほ</rt></ruby>して、

「一体、金という名前は、中国にもあるし、日本人にもある。それから朝鮮にもあるんだ。もちろん満洲にもあることは、君も知っているだろう。ところで博士は、その中の、どこの人間だか知らないといっている。博士は<ruby><rb>捨児</rb><rt>すてご</rt></ruby>だったんだ。たしかに東洋人にはちがいないが、両親がわからないから、日本人だか中国人だか分らないといっている」

「赤ちゃんのときは、何語を話していたのかね」

「それは<ruby><rb>広東語</rb><rt>カントンご</rt></ruby>だ。もっとも、博士がまだ<ruby><rb>片言</rb><rt>かたこと</rt></ruby>もいえないときに、広東人の金氏が拾い上げて、博士を育てたんだからねえ、赤ちゃんのときに広東語を<ruby><rb>喋</rb><rt>しゃべ</rt></ruby>ったのは、あたり前だ」

「ふしぎな人物だ。そして、あの<ruby><rb>穴倉</rb><rt>あなぐら</rt></ruby>の中でなにをしているのかね」

「博士は、科学者だ。いや、もっと説明語を入れると、国籍のない科学者だ。国籍のない人といっても、ユダヤ系というわけではない。博士は<ruby><rb>曰</rb><rt>いわ</rt></ruby>く、わしは国籍こそ無けれ、あくまで東洋人だといっている」

「で、博士は一体、毎日どんなことをやっているのか」

「博士は、なんでも、気に入った科学をとりあげて、どんどん研究を進めている。今は、宇宙線と<ruby><rb>重力</rb><rt>じゅうりょく</rt></ruby>との関係を研究しているが、今までにも、たくさんの発明がある。その中で、かなり<ruby><rb>古臭</rb><rt>ふるくさ</rt></ruby>くなった発明を、方々の国に売って、<ruby><rb>莫大</rb><rt>ばくだい</rt></ruby>な金を得ている。博士の<ruby><rb>資産</rb><rt>しさん</rt></ruby>は、何百億円だか見当がつかない。が、それよりも驚異に値するのは、博士の自主的研究は独得なる発展を<ruby><rb>遂</rb><rt>と</rt></ruby>げ、今世界中で一等科学の進んだアメリカや、<ruby><rb>次位</rb><rt>じい</rt></ruby>のドイツなどに<ruby><rb>較</rb><rt>くら</rt></ruby>べると、少くとも四五十年先に進んでいると、或る学者が高く評価している。だから、博士は、科学に関しては、世界の<ruby><rb>人間宝庫</rb><rt>にんげんほうこ</rt></ruby>であるともいわれている」

私が最大級の<ruby><rb>讃辞</rb><rt>さんじ</rt></ruby>を博士に<ruby><rb>捧</rb><rt>ささ</rt></ruby>げていると、ロッセ氏は、そうかそうかと、ペルシャ<ruby><rb>猫</rb><rt>ねこ</rt></ruby>のように<ruby><rb>澄</rb><rt>す</rt></ruby>んだ<ruby><rb>瞳</rb><rt>ひとみ</rt></ruby>をくるくるうごかして、しきりに<ruby><rb>感服</rb><rt>かんぷく</rt></ruby>の<ruby><rb>面持</rb><rt>おももち</rt></ruby>だった。

「だから、博士がうんといえば、あなたの設計した電気砲も、博士の秘密工場の手で実際に作ってくれるだろう。そうすれば、あなたの念願している<ruby><rb>英艦隊</rb><rt>えいかんたい</rt></ruby>の<ruby><rb>撃滅</rb><rt>げきめつ</rt></ruby>のことも――」

「いや、博士は、初速の速い電気砲が気に入らないらしい。むしろ、速度の遅い、そして射程の長い砲弾を考え出せといわれたが、僕には、何のことだか分らないのだ。なぜなら、速度を遅くすることと、射程を長く伸ばすこととは、互いに<ruby><rb>相</rb><rt>あい</rt></ruby><ruby><rb>傷</rb><rt>きず</rt></ruby>つける条件なんだからねえ」

「うむ、まるで<ruby><rb>謎々</rb><rt>なぞなぞ</rt></ruby>だね」

「そうだ、謎々だ。それも解答のない謎々を出題されたような気がする。博士は、ひょっとしたら、僕をからかったのかもしれない」

「そんなことはないよ。博士は、からかうなんて、そんな人のわるいことはしない。ああまで真剣で、<ruby><rb>大真面目</rb><rt>おおまじめ</rt></ruby>なんだ。謎々をかけたにしても、博士は必ずその解答のあることを<ruby><rb>確</rb><rt>たしか</rt></ruby>めてあるのだと思う」

「そうかなあ。速度の遅くて、射程の長い、そして命中率百パーセントの砲弾！　そんなおそろしいものが、この世の中にあるとは、どうしても思われないが……いや、僕たちは、<ruby><rb>既成</rb><rt>きせい</rt></ruby>科学に対し、すっかり<ruby><rb>囚人</rb><rt>しゅうじん</rt></ruby>になっているのがいけないのかもしれない」

ロッセ氏は、そういって、ぶるぶると<ruby><rb>身顫</rb><rt>みぶる</rt></ruby>いをすると、急いでグラスを唇のところへ持っていった。

４

私たちが外に出たときは、夜もだいぶん更けて、さすがの<ruby><rb>南京路</rb><rt>ナンキンろ</rt></ruby>も、人影が<ruby><rb>疎</rb><rt>まば</rt></ruby>らであった。

二人は、アルコールにほてった頬を夜風に当てながら、別に当てもなく、路のあるままに、ぶらぶら歩いていった。私たちの話題は、やはり金博士と、そして博士よりロッセ氏に与えられた奇怪なる謎々とに<ruby><rb>執着</rb><rt>しゅうちゃく</rt></ruby>していた。

それはもう、四五丁も歩いた<ruby><rb>揚句</rb><rt>あげく</rt></ruby>のことだったと思うが、ロッセ氏は、急に両の手を頭の上にのばし、<ruby><rb>拳固</rb><rt>げんこ</rt></ruby>をこしらえて、まるで夜空に<ruby><rb>挑</rb><rt>いど</rt></ruby>みかかるような<ruby><rb>恰好</rb><rt>かっこう</rt></ruby>で、はげしく振り廻しはじめた。たいへん<ruby><rb>昂奮</rb><rt>こうふん</rt></ruby>の様子である。

「おい、ロッセ君。一体、どうしたのか」

「うん。やっぱり、われわれは、金博士に<ruby><rb>騙</rb><rt>だま</rt></ruby>されたんだ。あんなばかばかしいことが出来てたまるものか。砲弾が低速で走れば、たちまち落ちるばかりではないか。高速であればこそ、遠いところへも届く」

「それはそうだね」

「あの金博士の<ruby><rb>意地悪</rb><rt>いじわる</rt></ruby>め。僕は、英艦隊を<ruby><rb>一挙</rb><rt>いっきょ</rt></ruby>にして<ruby><rb>撃沈</rb><rt>げきちん</rt></ruby>したいため、うまうまと博士の見え<ruby><rb>透</rb><rt>す</rt></ruby>いた<ruby><rb>悪戯</rb><rt>いたずら</rt></ruby>に乗せられてしまったんだ。ちくしょう、ひどいことをしやがる」

「……」

ロッセ氏は、天に向って、しきりに博士の名を呪いながら、停っては歩き、そして又停っては歩きした。よほど<ruby><rb>口惜</rb><rt>くや</rt></ruby>しそうだった。

私は、博士のことを、そんな人物だとは思わないが、ロッセ氏から、のろのろ砲弾についての討論を聞いているうちに、だんだんと氏のいうところも<ruby><rb>尤</rb><rt>もっとも</rt></ruby>だと思うようになった。

「なるほど、反対条件だねえ」

「博士よ、豚に<ruby><rb>喰</rb><rt>く</rt></ruby>われて死んでしまえ」

「まあ、そういうな。<ruby><rb>背後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>をふりかえってから、ものをいって貰おうかい」

ふしぎな声が、とつぜん、私たちのうしろから聞えたので、私ははっと思った。

「誰だ？」

「あっ！」

生れてからこの方、私はこんなに<ruby><rb>愕</rb><rt>おどろ</rt></ruby>いたことは初めてだった。悲鳴をあげると共に、私は愕きのあまり、<ruby><rb>鋪道</rb><rt>ほどう</rt></ruby>のうえに、腰をぬかしてしまった。なぜといって、私が振り返ったとき、そこには声をかけた<ruby><rb>筈</rb><rt>はず</rt></ruby>の誰もいなかった。しかし何物も居ないわけではなかった。私は、まっ黒の、大きな<ruby><rb>筒</rb><rt>つつ</rt></ruby>のようなものが、私の背中にもうすこしで突き当りそうになっているのを発見して、愕いたのである。それは、どう見ても、<ruby><rb>口径</rb><rt>こうけい</rt></ruby>四十センチはあると思う大きな砲弾であったのである。

「どうだ。この砲弾が見えるかね」

砲弾が、ものをいった。ふしぎな砲弾であった。そういいながら、砲弾は、私の<ruby><rb>鼻先</rb><rt>はなさき</rt></ruby>を<ruby><rb>掠</rb><rt>かす</rt></ruby>めてそろそろと向うへ、宙を飛んでいった。大体地上から一メートルばかり上を、上から見えない<ruby><rb>針金</rb><rt>はりがね</rt></ruby>で<ruby><rb>吊</rb><rt>つ</rt></ruby>られたかのように落ちもせず、すーっと向うへいってしまった。そして最後に、私は、その砲弾が<ruby><rb>辻</rb><rt>つじ</rt></ruby>のところを、<ruby><rb>交通道徳</rb><rt>こうつうどうとく</rt></ruby>をよく<ruby><rb>弁</rb><rt>わきま</rt></ruby>えた紳士のように、大きく<ruby><rb>曲</rb><rt>まが</rt></ruby>ったのを見た。そして間もなくその<ruby><rb>怪</rb><rt>あや</rt></ruby>しい砲弾は、ビルの蔭に見えなくなってしまった。なんというふしぎなものを見たことであろうか。夢か？　<ruby><rb>断</rb><rt>だん</rt></ruby>じて夢ではない。

ふと、<ruby><rb>傍</rb><rt>かたわら</rt></ruby>を見ると、ロッセ氏も、<ruby><rb>鋪路</rb><rt>アスファルト</rt></ruby>のうえに、じかに坐っていた。氏も、私と同様に、腰を抜かしたのにちがいない。

「見ましたか、今のを……。ねえ、ロッセ君」

私は、氏の肩を、ぽんと<ruby><rb>叩</rb><rt>たた</rt></ruby>いた。

するとロッセ氏は、とつぜん吾れにかえったらしく、ふーっと、<ruby><rb>鯨</rb><rt>くじら</rt></ruby>のようにふかい<ruby><rb>溜息</rb><rt>ためいき</rt></ruby>をついた。そして私に<ruby><rb>噛</rb><rt>かじ</rt></ruby>りついたものである。

「ロッセ君、しっかりしたまえ」

「見ました、たしかに見ました。しかし、僕は気が変になったのではないだろうか。大きなまっ黒な砲弾が、通行人のように、落着きはらって、向うへいったのを見たんだからね」

「それは、私も見た」

「砲弾が、ものをいったでしょう。あの声は、たしかに金博士の声だった。金博士が、砲弾に<ruby><rb>化</rb><rt>ば</rt></ruby>けて通ったんだろうか。わが<ruby><rb>印度</rb><rt>インド</rt></ruby>では、<ruby><rb>聖者</rb><rt>せいじゃ</rt></ruby>が、<ruby><rb>一団</rb><rt>いちだん</rt></ruby>の<ruby><rb>鬼火</rb><rt>おにび</rt></ruby>に化けて空を飛んだという伝説はあるが、人間が砲弾になるなんて……」

「ほう、なるほど。あの声は、金博士の声に似ていた。それは本当だ」

私は、ロッセ氏には答えず、思わず自分の膝を叩いた。

５

金博士<ruby><rb>秘蔵</rb><rt>ひぞう</rt></ruby>の潜水軍艦<ruby><rb>弩竜号</rb><rt>どりゅうごう</rt></ruby>の<ruby><rb>客員</rb><rt>きゃくいん</rt></ruby>となって、中国大陸の<ruby><rb>某所</rb><rt>ぼうしょ</rt></ruby>を離れたのは、それから、約一ヶ月の後だった。

もちろんロッセ氏も、共に博士の客であった。

弩竜号は、おどろくべき<ruby><rb>精鋭</rb><rt>せいえい</rt></ruby>なる<ruby><rb>武装船</rb><rt>ぶそうせん</rt></ruby>であった。総トン数は、一万トンに近かったが、潜水も出来るし、浮かべばちょっとした貨物船に見えた。弩竜号に関しては、ぜひ報告したい驚異がいろいろあるが、本件の筋にはあまり関係がないから、ここには記さない。

弩竜号は、大陸を離れて五日目には、<ruby><rb>灼熱</rb><rt>しゃくねつ</rt></ruby>の<ruby><rb>印度洋</rb><rt>インドよう</rt></ruby>に抜けていた。その日のうちに、セイロン島の南方二百<ruby><rb>浬</rb><rt>カイリ</rt></ruby>のところを通過し、翌六日には、早やアラビア海に入っていた。

「ソコトラ島とクリアムリア群島との、<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby><ruby><rb>中間</rb><rt>ちゅうかん</rt></ruby>のところへ浮き上るつもりです」

と、金博士が、地図の上を指でおさえながらいった。

「博士、もっと、例の<ruby><rb>反重力弾</rb><rt>はんじゅうりょくだん</rt></ruby>のことについて、話をしていただきましょう」

「ああ、あなた方を愕かしたあのものをいう、のろのろ砲弾のからくりのことかね。印度洋へ入ったら、いう約束だったから、それでは話をしようかね。からくりをぶちまければ、<ruby><rb>他愛</rb><rt>たあい</rt></ruby>もないことなのさ。砲弾が、ものをいったのは、砲弾の中に、小型の<ruby><rb>受信機</rb><rt>じゅしんき</rt></ruby>がついていて、わしの声を放送したんだ」

「それは、もう分っています。それよりも、なぜ、あのように低速で飛ぶのですか。落ちそうで、<ruby><rb>一向</rb><rt>いっこう</rt></ruby>落ちないのが、ふしぎだ」

「それは、大したからくりではない。重力を<ruby><rb>打消</rb><rt>うちけ</rt></ruby>す<ruby><rb>仕掛</rb><rt>しかけ</rt></ruby>が、あの砲弾の中にあるのだ。これはわしの発明ではなく、もう十年も前になるが、アメリカの学者が、ピエゾ<ruby><rb>水晶片</rb><rt>すいしょうへん</rt></ruby>を振動させて、油の中に<ruby><rb>超音波</rb><rt>ちょうおんぱ</rt></ruby>を伝えたのだ。すると重力が打消され、油の中に放りこんだ金属の棒が、いつまでたっても、下に沈んでこないのであった。その話は、知っているだろう」

「ええ、その話なら、知っています」

「そのアメリカ人の<ruby><rb>着想</rb><rt>ちゃくそう</rt></ruby>に<ruby><rb>基</rb><rt>もとづ</rt></ruby>いて、わしが低速砲弾に応用したんだ。つまり、砲弾の中に、それと似た<ruby><rb>重力打消装置</rb><rt>じゅうりょくうちけしそうち</rt></ruby>がある。もし重力を完全に打消すことができたら、砲弾は、地球と同じ速さで、地球の廻転と反対の方向に飛び去るわけだが、それはわかるだろう」

「なるほど、なるほど」

と、私も前へのり出した。

「しかし、重力をそれほど完全に打消さず、或る程度打消せば、それに相当した速度が得られる。低速砲弾においては、ほんのわずか重力をうち消してあるばかりだ。それでも、途中で地面に落ちるようなことはない」

「それはいいが、砲弾の飛ぶ方向は、どうするのですか」

ロッセ氏が、息をはずませて<ruby><rb>訊</rb><rt>き</rt></ruby>く。

「それは飛行機や<ruby><rb>艦船</rb><rt>かんせん</rt></ruby>と同じだ。<ruby><rb>舵</rb><rt>かじ</rt></ruby>というか帆というか、そんなものをつけて置けば、いいのだ。操縦は遠くから電波でやってもいいし、砲弾の中に、<ruby><rb>時計仕掛</rb><rt>とけいじかけ</rt></ruby>の<ruby><rb>運動制御器</rb><rt>うんどうせいぎょき</rt></ruby>をつけておいてもいい。――それはまあ大したことがないが、わしの自慢したいのは、この砲弾は、はじめに目標を示したら、その目標がどっちへ曲ろうが、どこまでもその目標を追いかけていくことだ。だから、百発百中だ」

「ほう、おどろきましたな。目標を必ず追いかけて、<ruby><rb>外</rb><rt>はず</rt></ruby>さないなんて、そんなことが出来ますか」

「くわしいことは、ちょっといえないが、軍艦でも人間でも、目標物には特殊な<ruby><rb>固有振動数</rb><rt>こゆうしんどうすう</rt></ruby>というものがあって、これは皆違っている。最初にそれを<ruby><rb>測</rb><rt>はか</rt></ruby>っておいて、それから砲弾の方を合わせて置けば、砲弾は、どこまでも、目標を追いかける。<ruby><rb>先夜</rb><rt>せんや</rt></ruby>、あなたがたを追いかけていったのも、その仕掛けのせいだ。<ruby><rb>尤</rb><rt>もっと</rt></ruby>も、君たちに会えば、用がないから、わしのところへ戻ってくるように調整しておいたのだ。これはわしの自慢にしているからくりじゃ」

「なるほど。そんなことになりますかな」

と、感心しているとき、<ruby><rb>監視部</rb><rt>かんしぶ</rt></ruby>から電話がかかってきた。敵艦隊が遂に現れたというのである。博士は、すぐさま弩竜号に、<ruby><rb>浮揚</rb><rt>ふよう</rt></ruby>を命じた。

「二百発の低速砲弾を、敵の四<ruby><rb>隻</rb><rt>せき</rt></ruby>の<ruby><rb>巡洋戦艦</rb><rt>じゅんようせんかん</rt></ruby>に集中する。一艦につき五十発ずつだ。五十発の命中弾をくらえば、どんな<ruby><rb>甲鈑</rb><rt>かんぱん</rt></ruby>でも、<ruby><rb>蜂</rb><rt>はち</rt></ruby>の巣になるじゃろう。しかも、第一発が命中した<ruby><rb>個所</rb><rt>かしょ</rt></ruby>を、次の第二弾が又同じ個所を<ruby><rb>狙</rb><rt>ねら</rt></ruby>って命中するのだから、まるで、<ruby><rb>錐</rb><rt>きり</rt></ruby>でボール紙の函に穴をあけるようなものじゃ。まあ、見ていたまえ」

博士は、テレビジョンの<ruby><rb>映幕</rb><rt>スクリーン</rt></ruby>を見ながら、八<ruby><rb>門</rb><rt>もん</rt></ruby>の四十センチ砲の射撃を命じたのであった。二百発の砲弾は、まるでいたずら<ruby><rb>小僧</rb><rt>こぞう</rt></ruby>の<ruby><rb>群</rb><rt>むれ</rt></ruby>を襲う<ruby><rb>熊蜂</rb><rt>くまばち</rt></ruby>の群のように、敵艦にとびついていったが、まことにふしぎな、そして奇怪な光景であった。それから十五分ほどたって、四隻がてんでに<ruby><rb>舷側</rb><rt>げんそく</rt></ruby>から火をふきながら、仲よく揃って、ぶくぶくと<ruby><rb>波間</rb><rt>なみま</rt></ruby>に沈み去ったその<ruby><rb>壮観</rb><rt>そうかん</rt></ruby>たるや、とても私の<ruby><rb>筆紙</rb><rt>ひっし</rt></ruby>に<ruby><rb>尽</rb><rt>つく</rt></ruby>し得るものではなかった。

ロッセ氏は、<ruby><rb>映幕</rb><rt>スクリーン</rt></ruby>の前に、金博士の手を握り、子供のように<ruby><rb>慟哭</rb><rt>どうこく</rt></ruby>した。<ruby><rb>余程</rb><rt>よほど</rt></ruby><ruby><rb>嬉</rb><rt>うれ</rt></ruby>しかったものと見える。無理もない、それは確実に、印度民族<ruby><rb>奮起</rb><rt>ふんき</rt></ruby>の輝かしき序幕を闘いとったことになるのであったから。

しかしその日の新聞電報は、地中海から<ruby><rb>廻航中</rb><rt>かいこうちゅう</rt></ruby>の英艦隊が、例によってドイツ潜水艦のため、多少の<ruby><rb>損傷</rb><rt>そんしょう</rt></ruby>を<ruby><rb>蒙</rb><rt>こうむ</rt></ruby>ったとだけ報ぜられ、四隻とも<ruby><rb>即時</rb><rt>そくじ</rt></ruby><ruby><rb>撃沈</rb><rt>げきちん</rt></ruby>されたことにも、また金博士の弩竜号が活躍したことについても、全然<ruby><rb>触</rb><rt>ふ</rt></ruby>れていなかったのは、どうしたわけか、私には一向分らないところである。