Soranoha

今年こそは

ことしこそは

宮本 百合子

わたしたち日本の人々は、いつもお正月になると、互に、おめでとう、と云いあって新年を祝う習慣をもっております。これまで戦争のなかで迎えた不安な、切ないいく度かの正月を、わたしたちは、おめでとうとも云えませんわね、と云って迎えながら、やはりその言葉のうちにはおめでとうという文句をいれていました。

一九四六年の正月、つまり一昨年のお正月は、ほんとに何年ぶりかで、まあまあ心からおめでとうと云えた新年であったと思います。もちろん、日本の歴史の複雑な切り替えのときにあたって、そのおめでとうのかげにはどっさりの思いがこめられました。特に、「ああ、やっと平和な元日が迎えられる。」と思ったとき、この平和な元日の朝にこそ、その顔をみたい大切な男の人々を団欒の中から失っている日本の数百万の婦人の胸のなかはどんなだったでしょう。

この深い思いは、決して日本の婦人、イタリーやドイツの婦人たちだけの思いではありませんでした。ファシズムに対してたたかって、それに勝利したすべての民主的な国々にも、戦争による未亡人はどっさり出来ました。一九四六年の新しい年は、世界じゅうの女性の、云いつくせない思いとともに、日本の私たちのおめでとうも云いかわされたのでした。

去年の正月、わたしたちはどんな気持で、おめでとうを云ったでしょう。あけましておめでとう、と云いながら、ほほえみ合う顔に疑問のかげがありました。一九四六年一年間の社会のなりゆきは、わたしたち婦人の生活に、まざまざとした疑問の種を植えたからでした。

第一、その一年のうちに物価が安定するどころか、きわめて急速に鰻のぼりの線を辿りはじめました。インフレーション防止のためにいろいろの対策が行われましたが、物価があがるのを防ぐことはできませんでした。いくら働いても給料は物価においつかなくて、あらゆるところで、賃銀の値あげ運動がおこりました。ところがみなさまよく御承知のとおり、やっと要求した賃銀までのぼったと思えば、もうそのときには物価がずーっと、先へ行ってしまっている有様でした。遅配、欠配、棚上げは改善されませんでした。人民の大部分が、筍生活から玉葱生活にうつってゆく深刻な段階の中途にたちどまって一九四七年のおめでとうは、云いかわされたのでした。

さて、ことし、わたしたちはどんなおめでとうを云ったでしょう。もしかしたら、今更そんな古めかしい挨拶を思い出したりすることを、ばかばかしく思うかたがあるかもしれません。何しろ、十五年前なら八十五円に当る千八百円ベースというもので、とどめをさされた収入なのに、物価は丸公の値上りで、あがる一方の一年でした。国民所得を戦前の百倍として、税は百二十六倍払わなければならず、経済安定本部の数字によれば、それでも去年十一月には、国民の家計は黒字になるはずだったそうです。黒字どころか、おしつまる年の瀬とともに、金のあるふところ、金のないふところの差別はまざまざとして、大晦日の新聞は、何と報道していたでしょう。キャバレーの床にシャンペンが流れ、高価な贅沢品はとぶように売れているのに、生活必需品の売れあしは、きわめてわるい、といっておりました。

天幕村の師走の夜に、つめたい青い月かげがさし、百万円の宝くじに当った人、一番ちがいで当らなかった人。そんなさわぎにまるで関係なく、燃料のとぼしい台所で、せめて子供のためにと、おいものきんとんを煮ていた主婦たち。さまざまの人の姿の上に一夜があけて、まずどうやら年を越した、おめでとう、と云い交すひとの心のなかには、あながち、古いしきたりばかりはありません。やはり、ことしという一年にかけている何かの新しい希望があるわけです。

ことしの三ガ日も例年どおり日本髪が多うございました。お正月の日本髪は吉例のようですが、ことしは、同じ日本髪でも、満艦飾ぶりが目だちました。日本服の晴着でも、いくらか度はずれの大盛装が少くなかったようです。あの混む省線で、押しあい、へしあいするなかに、かんざし沢山の日本髪、吉彌結びにしごきまで下げた娘さんがまじって、もまれている姿は、場ちがいで気の毒な感じでした。

美しくありたいという、青春のねがいが、こんな場ちがいな形でまで溢れ出さなければならない、ということや、その人として一番美しく飾った姿といえば、やはり高島田に振袖、しごき姿であるというところに、心をうたれるものがあります。自分を美しくするために、今日の日本の若い女性も、そういう旧い方法しかもちあわさないというわけでしょうか。

しかし、この反面には面白いことが一つあります。それは、ためしに、そういうしごき姿の娘さんの一人に向ってこうきいたら、その返事はどうでしょう。

もしもしお嬢さん、大変古風なおこのみですが、あなたの御盛装が意味しているとおり、民法が昔にかえって、婦人の地位を男子に隷属したものに戻すとしたら、どうお思いでしょうか、と。きかれた娘さんは、きっとしごきの房をはげしくゆるがして、そんなこと、ひどいわ、とおこるでしょう。こんななりと、そういう真面目な問題とは別です。それを、わざと一緒にしてもち出すなんて、意地わるね、と。

古いものはあちこちにのこっているにしても、日本の女性は、もう昔どおりの古さではないのです。

この面白い矛盾のなかに、ことしの、わたしたちのおめでとう、の種たねがひそんでいると思います。たしかに、どこからか仕合せがもたらされて来るのを待っているという意味での、のぞんでいるという形での希望は、去年、おととしで、きれいにうちくだかれました。

幸福を待っていても、それがもたらされないとわかったとき、わたしたちのすることは、たった一つしかのこっておりません。それは、待っていても当のない幸福なんか待たずに、どんな小さいものでも、自分たちでつくり出してゆけるよりよいものを確実に実現してゆこうとする決心です。

ことしこそ、婦人の生活のあらゆる場面で、この決心が新しく自覚される年だと思いますが、みなさまの御気もちはどんなでしょう。もう、これ以上ひどくなっては、やりきれない。実際だれでも、そこまで来ました。

たとえば、どこのお母さんでも、お子さんの学校の問題には頭をなやましておいでです。六・三制になって、校舎がない、教科書が足りない、という声は三年越しです。小学校の課目に社会科という科が出来ました。社会科の時間に、子供たちの輿論調査が行われました。学校生活で一番希望されていることは、学用品・運動靴の配給や、給食をもっとほしい、ということです、子供達が住んでいる町にのぞんでいる第一のことは、遊ぶところをつくってほしい、というねがいです。物をもっとやすくしてほしいという答もあります。家庭生活では、先ず米を沢山配給してもらいたい、が筆頭で、燃料・調味料をほしい。物価が安くなってほしい。読みものがほしい。家を建ててほしい。家の中を楽しいところにしたい。そして、母がいればよい、という希望が答えられてあるのをみたとき、私たちの心は、おのずからその母という字を父という字におきかえます。父がいればよい、と思っている子と母は、いまの日本に余り多勢です。お母さんがたは、子供たちの希望がこんなにそっくりそのまま、母であり主婦である御自分たちの希望と一致していることに、おどろきになりはしないでしょうか。

子供たちの課目のなかに社会科が出来たということは、子供と先生とだけのことではありません。学校を、町を、家庭を、すこしでも住みよいところにするためには、お母さんがたの力量が待たれています。子供たちと母親たちとが協力して、住んでいる町にたった一つ、子供の遊び場がこしらえられないでしょうか。家庭をたのしいところとしたいという子供の希望について、親たちが互の暮しぶりをうちあけて研究しあうことは無意味でしょうか。

読みものがほしい子供たちのために、このごろポツポツ出来はじめた婦人と子供の図書館の利用法を考えてゆくのは無駄でしょうか。

もとの日本では、子供の教育に責任をもつのは、父兄であるとされていました。けれども、日本の教育方針が改められて、軍国主義の教育をすて、国民の一人一人が社会を運営してゆく能力をもつために民主的な教育が要求されてから、母も父と並んで、子供の未来に重大な関係をもつものであることがはっきりして来ました。この頃、小学校に出来た「両親と先生との協議会」はそれです。日本の一人一人のお母さんは選挙権や被選挙権をもっているばかりでなく、ほんとに母として、子供と一緒にこの社会をよくしてゆく権利と責任をみとめられたわけです。

今日の日本の主婦はうちのことで精いっぱい、というのは事実です。だからこそ、ことしは、民主的に托児所をこしらえようとする動きもおこっても来ているわけです。インフレーションのせつなさはどこでも主婦の胸にこたえて、主婦も何かで家計の増収をはかりたい希望があります。子供をかかえた未亡人も、三年目のことしは、もう行きつくところまで来ました。子供があるからこそ、働く必要は一層痛切だのに、その子供のために勤められず、まとまった内職も出来ないという事情のために生れている悲劇はどんなに多いでしょう。民法が改正され、結婚の自由、離婚の自由が認められようとしていますが、現実の社会に、母と子の生存を守るしっかりした施設が一つもなければ、真面目な意味での結婚にも、さけがたい理由をもった正当な離婚にも、自由ということはなりたちません。子供の生活を本当にとりあげ、それをもりたててゆく社会施設の実現を問題にしない結婚や離婚の自由は、その自由がめざしているような人間らしい立派さをこの世にふやすものでないことは、わかりきっているのです。

ことしは、すべての主婦が、自分にむかって、もうこうしてばかりはいられない、という年だと思います。うちのことで精いっぱいだからこそ、その気をちょっと持ち変えて、一歩ふみ出し、気をひきたてて、何か一つ身近な改善にとりかかり、主婦のはりつめた心に、希望の窓をきりひらく年だと思います。〔一九四八年一月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
1980(昭和55)年5月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
1952(昭和27)年1月発行
初出:NHKラジオ
1948(昭和23)年1月12日放送
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/003276_000311/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/003276_000311/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/003276_000311/

宮本 百合子「今年こそは」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十五巻』新日本出版社、1980年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003276_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite