Soranoha

浮浪

ふろう

葛西 善蔵

一

「また今度も都合で少し遅くなるかも知れないよ。どこかへ行つて書いて来るつもりだから……」と、朝由井ヶ浜の小学校へ出て行く伜のFに声をかけたが、「いゝよ」とFは例の簡単な調子で答へた。

遠い郷里から私につれられて来て建長寺内のS院の陰気な室で二人で暮すことになつてから三月程の間に、斯うした目には度々会はされてゐるので、Fも此頃ではだいぶ慣れて来た様子であつた。私が出先きで苦労にしてゐるほどには気にしてゐない風である。近くの仕出し屋から運んで来るご飯を喰べ、弁当を持つて出かけて、帰つて来ると晩には仕出し屋の二十二になる娘が泊りに来て何かと世話をしてゐて呉れてるのであつた。

二月一日の午後であつた。鎌倉から汽車に乗り、新橋で下りて、銀座裏のある雑誌社で前の晩徹夜をして書きなぐつた八枚と云ふ粗末な原稿を金に代へ、電車で飯田橋の運送店に勤めてゐる弟を訪ねると丁度退ける時分だつたので、外へ出て早稲田までぶら〱話しながら歩るくことにした。神楽坂で原稿紙やインキを買つた。

「近所の借金がうるさくて仕様が無いので、どこかに行つて書いて来るつもりだ。……大洗の方へでも行かうと思ふ」と、私は弟に云つた。

「うまく書けるといゝですがねえ……」と、斯うした私の計画の度々の失敗を知つてゐる弟は、不安な顔して云つた。

その晩は弟夫婦の借間の四畳半で弟と遅くまで飲み、その翌日も夕方まで飲んで、六時過ぎ頃の汽車で上野を発つた。水戸へ着いたのは十一時頃であつた。すぐ駅前の宿屋へ飛び込んだ。

駅前から大洗まで乗合自働車も通つてゐるが、私はやはり那珂川を汽船で下らうと思つた。大洗のK楼と云ふ家に十三年前――丁度Fが郷里で生れた年、半年余り滞在してゐたことがある。やはり無茶な日を送つてゐたものであつた。その家を指して行つて見ようと思つた。川の両岸の竹藪や葦、祝町近くの高い崖、海運橋とか云つた高い長い橋、茶屋と貸座敷ばかし軒を並べた古めかしい感じの祝町を通つて、それから数町の間の松林の中の砂路――それらが懐かしく思はれないでもないのである。が朝一泊の宿料を払つて見ると、私の財布の中が余りに心細く思はれ出した。それに曇つた、今にも雪でも降り出しさうな、寒い厭な天気だつたので、私はまた一時間ばかし汽車に乗つて助川駅に下りた。そして町の方に小さな呉服屋を出してゐる内田を訪ねて行つた。

場末の、小さな茅葺屋根の家で、店さきの瀬戸物の火鉢を前にして、内田は冴えない顔色してぼんやり往来を眺めてゐた。小さな飾窓には二三反の銘仙物や半襟など飾られ、店には安物の木綿縞やネルなど見すぼらしく積まれてゐた。七八年前彼が兄の家から分家して開店した時分私が一寸訪ねたことがあつたが、その時分と較べてさつぱり品物が殖えたやうにも見えなかつた。

「どうして来たの?」と、彼は私の顔を疑ぐり深い眼して視ながら云つた。

「いや実は……」と私は訪ねて来た事情を話して、「そんな訳だからどこか十日ばかし置いて呉れるやうな宿屋を案内して貰ひたいんだがね……」

「まあそれではあがり給へ」と云つて、次ぎの室の長火鉢の傍へあげた。

この前会つた細君を離縁して、一昨年小学教師の娘の若い細君を貰つたが、半月程前女の子を産んだと云つて、細君は赤んぼと蒲団に寝てゐた。近所から手伝ひに来てゐる細君の妹だと云ふ十七八の娘が酒の用意をした。内田は飲めない方だが私の相手をして、その間に細君の湯たんぽやおしめの取代へなどにまめ〱しく動いてゐた。内田は私より一つ年上の三十六で、初めて父親になつたのであつた。

丁度節分の日であつた。三時頃から雪が降り出した。日が暮れてから私たちは小僧が「福は内鬼は外!」と大きな声で叫びながら豆撒きしてるのを聞きながら外へ出た。海岸の宿屋まで十町ばかしの間雪に吹かれながら歩るいた。

その晩は案内されたS閣と云ふ宿屋で、私たちは、芸者やお酌をよんで飲んだり騒いだりした。「お客さんを五六日……」斯う内田は宿のお内儀に云つた。

家構へも大きく、室数もかなりあつて、殺風景な庭ながら大きな池もあつた。座りながら障子のガラス越しに青い海が眺められた。が海水浴専門の場所なので私のほかには客は一人もなかつた。女中もゐなかつた。老夫婦と若夫婦と風呂番の爺さんとご飯炊き――それだけであつた。この村での相当の地主だつたが十年程前に自分所有の田を埋めて普請をして今の商売をやり出したのだと云ふ赭ら顔の、頭の禿げた六十近い主人は、頬髯など厳めしく生やして、中風で不自由な足して、日向の庭へ出ては、悪戯好きな若い犬を叱りつけたりなどしてゐた。若主人は養子であつた。それが料理番をした。一人娘の若いお内儀は子の無い三十近い女で、平べつたい赭ら顔のがさつな女であつた。「あなたは、こゝへ斯う云ふ風に頬髯を生やすと、あなたのお父さんそつくりですね」と、私は両手で自分の頬に鐘馗髯を描く手真似をして、余り応柄なのが癪に障つて酔つた時に云つてやつたことがあつた。何事にもつけ〱云ふ彼女も、さすがに怯んだ態であつた。

二

雪の中なぞ歩るいたせゐか、私はその翌日から風心地で、昼間は寝床の中で過し、夕方近くなつて起きては遅くまで酒を飲んだ。雪がかなり積つてゐた。ひとりで波の音を聞きながら酒を飲んでゐると、Fのことがしきりに思ひ出されて来る。鎌倉の方でも降つたゞらうが、寺から学校までは十五町程もあるので、今朝は困つたゞらうと云ふやうなことが考へられる。昨年の暮に死んだ従兄のことが考へ出されてならない。……

その従兄のことを、私は前にある雑誌へ発表した未完原稿の続きとして書くつもりであつた。がその原稿では私はかなり手古摺つてゐた。書く気分はまつたく無くなつてゐるのだが、投つて了ふ訳に行かない事情もあつた。それで、今度はどんなことをしても、二十枚でも三十枚でも書いて帰らねばならないと思つた。その原稿が書けない為めに、此頃の私の気持がかなり不自由なものにされてゐた。その原稿では多く知人の悪口めいたことばかし書き立てたので、そんなことが祟つて、それで斯う書けないのではないか知らと、私は呪はれてゐるやうな気さへしたのだ。

三日目の晩私はいよ〱思ひ切つて晩酌をやめて、二時過ぎまで机に向つて六七枚書いた。その朝、朝昼兼帯のお膳を持つて来たお内儀が、私が箸を置くのを待つて、

「今日は旧の大晦日だもんですから、払ひの都合もあるもんですから、ご勘定を頂きたいと申して居るんですが……」と云ひ出した。

「さうですか。それは困りましたね。実は私は金は持つてないんですがね、それで内田君に頼んでつれて来て貰つたやうな訳なんですが……」

「いや、それはね、内田さんがつれて来て下すつたお客さんのことですから、内田さんから頂戴すれば手前の方では差支えない訳なんですけどね、ご都合でどうかと思ひましたものですからね、それに内田さんとは顔は知つてると云ふだけで大して懇意と云ふ訳でもありませんし、あの人の停車場前の兄さんの店からは近いのでちよい〱した買物位ゐはしてるんですが、あの内田さんの方とはそんなこともないんですからね……」とお内儀は厭な顔して云つて、内田のこともひどく見縊つた様子を見せた。

「いや決して御迷惑をかけるやうなことはありませんから。少し急ぎの仕事があつて来たのですが、この通りあと五六日で書きあがるのですから……」と、私は茶湯台の上の原稿を見せて弁解するやうに云つた。

「一体内田さんとはどんなお知合なんですか……お友達でゝも?」と、お内儀は二人の職業や風体の相違から二人の関係を不審に考へてる風でもあつた。

「え、旧い友人なんですよ」と、私は云ふほかなかつた。

「あの人、兄さんや親御さんたちともちつとも似てゐませんね」

「さうですか。僕親御さんたちのことはよく知らないが、兄さんとは似てゐないやうだけど、親御さんたちともさうですか」

「えゝ親御さんたちもあんな顔はしてゐませんよ」お内儀は斯んなやうなことまで云つてお膳をさげて出て行つた。

内田の人相のことなど余計な話ぢやないかと、私は鳥渡した反感を抱かされたが、兎に角内田も余り信用されてなさゝうなのが心細く思はれた。が今の自分の話でお内儀は納得したことゝ思つて机に向つてゐると、夕方内田は気忙しさうな様子でやつて来て、

「こんな手紙が来たよ」と、宿からの手紙を懐ろから出した。

「さうか。やつぱし何とかやかましいことを云つてるのか」と、私は手紙を読んで見たが、成程なか〱鹿爪らしい文句を並べ立てゝゐた。毎晩遅くまで酒を飲み、日中もおやすみになり――云々と云つたやうな文句も見えた。

「この通りやう〱書き始めたところなんだから、もう五六日のところ君から話して呉れよ」

「何枚位ゐ出来たんだ?」

「いや昨晩から書き出したんでまだ六七枚しか書いてないが、これからずん〱書けるんだから」

「ぢや兎に角帳場へ行つて話して来よう」

それで、五六日延期と云ふことになり、其後二晩ばかし徹夜などして十五六枚まで書き続けたところ、パツタリと筆が進まなくなつた。晩酌をやめたり徹夜なんかの習慣がほとんどなかつたのに、二晩も続けた為めに頭も身体の調子もすつかり狂はして了つた。一二日ぼんやり机の上を眺めてゐたが厭になつて原稿を破ぶいて了つた。その晩私は自棄気味で酒を飲んでゐると内田がやつて来た。

「気に入らなくて破ぶいたが二三日にも二三十枚でも書きあげるつもりだから心配するなよ。どうせ金が足りなければ僕の小さな本の版権でも売つて払ひをするから。何しろこの原稿では実に厭になつてるんで、金の問題でなくどうしても今度は片附けて帰りたいと思つてるんだから……」

「いや実は今帳場へも寄つて来たんだがね、何しろ七十円からになつてるさうだからね、それに君は遅くまで酒を飲んでは芸者々々なんて云ふてんで、ひどく厭がつてるやうだから、兎に角ひと勘定して貰ひたいと云ふんだがね……」

「そいつは困つたね。兎に角君からもう一度話して呉れよ。何だつたら明日東京の本屋へ手紙を出して交渉してもいゝから」

二人で帳場へ行つて話をすることにしたが、何しろ私はひどく酔つてゐたので、却つてまずい印象を与へることになつたらしい。がその晩の事は私にはよく分らなかつた。それで其翌朝はいつになく早起きして、机に向ふ気になつた。

「ゆうべはすつかり酔払つて了つてよく分らなかつたが、内田君何とか云つてゐましたか?」と、私はお膳を持つて来たお内儀に訊いた。

「え、今日お見えになる筈です。今に見えませう」と、お内儀も何気ない顔して云つた。

晴れたいゝ天気であつた。海が青く輝いてゐた。床の間の大花瓶の梅が二三輪綻びかけたのも風情ありげに見えた。猟銃の音など聞えた。斯んな気持なら書けるぞ! と云ふ気がされた。あの不幸な従兄が最後まで人をも世をも怨まず、与へられた一日々々の生を感謝するやうな気持で活きてゐた静かな謙遜な心境が同感出来るやうな思ひが、私の胸にも動きかけてるのを感じた。「これでいゝのだ。斯う云ふ気持で素直に書いて行けばいゝのだ」斯う思つて私はまた新らしく原稿紙に題を書きつけた。この小説で私は従兄の霊に懺悔したいことがあるのだが、世間的な羞恥心から私はいつも躊躇を感じてゐる。それで彼の霊魂から責められてる気がする。霊魂を欺くことは出来ない。霊魂を否定したところが、自分の良心の苦痛は去らない。私がこの小説を書き続けられないのは単に技巧などで困つて居るせゐではなく、さうした根本的な欠陥、自責の念から書き渋つて了ふのらしい。やつぱし素直な謙遜な気持にならなければいけないと思つた。さう思ふと気分が軽くなつて、筆を持つ勇気が出て来た。斯うして雑念を去つて机に向つてゐられると云ふことだけでもたいへんな幸福なことではないか、さう思つて二三枚書き続けて行つた。

が午後内田がやつて来て、帳場で相談でもして来たか険しい顔して座るなり、

「今度はたゞでは延ばすまいから君の持つてるものを質入れして幾らかでも入れることにするから、君の持つてるものを出せ」と云ひ出した。

「そんな馬鹿なこと出来やしないよ。後幾日のことでもなし、そんな訳なら東京へ手紙を出して金を拵へることにする……そんなこと出来るもんか」と、私もムツとして云つた。

「そんなら俺の方でも引受けられないよ。何が馬鹿なことなんだ。金が無くて払へなければ、さうするのが当然ぢやないか」

「そりやさうかも知れないが、しかし二三日中にも片附けられるんだから、そんなことまでせんだつていゝ」

「だつて宿で待たないと云つてるから仕方がないぢやないか」

「だからそこを君からもう一度話して呉れたらいゝぢやないか」

「俺としてもたゞでは話が出来ないぢやないか。幾らか内金でも入れて、それで後二三日待つて呉れとでも云はなければ、宿でだつて聞き入れやしないよ。だから出せ……」

「厭だよ……」

「わからないなあ君も。兎に角宿では君のやうなお客さんはご免だと云つてるんだから、金を入れると云つたつて今度は何と云ふか知れやしないんだぜ。だから兎に角品物を出せ」

「仕様が無いなあ。ぢや兎に角さう云ふことにして呉れ」と云つて、私は外套と羽織と時計の三品を出した。

「外套は暮に百円で拵へたばかしなんだぜ」

「だつて質屋へ持込むとなると幾らも貸しやしないよ。この銘仙の羽織なんか幾らになるもんか。時計は幾ら位ゐしたものなんだ?」

「買ふとなると二十五円もするが」と私はすつかり愛想の尽きた投げ出した調子になつて云つた。

彼がその包みを持つて帳場へ下りて行つた後私は一人で煙草を自棄に吸ひながら、先刻の幸福な気分のすぐ後だつたゞけに、自分に対して皮肉な気持を感じない訳に行かなかつた。が何しろ相手は細かしい商人なんだからと思ひ返した。お内儀が気にした人相のことなど考へられた。突出た狭い額、出歯の醜い歯並、尖つた頤、冴えない顔色、一重瞼の吊りあがつた因業さうな眼付――が兎に角自分が頼りにして来たのがいけなかつたのだ。帳場へ行つてどんな風に話をしてゐるのかと疑はれる気もしたが、やつぱし帰つて来ると、

「帳場では幾らか内金を入れても君のやうなお客はご免だと云ふから、兎に角君はこれから東京へ帰つて金を拵へて来るか、金を送るかどつちかにしたらいゝだらう」と卒気なく云ひ放つた。

「そんなこと出来やしないよ。こんなことで東京へ帰られやしないぢやないか。だから斯んなことにして呉れないか。どうしてもこゝで厭だと云ふんだつたら、僕は他の旅館へ行つて二三日滞在して金を拵へることにするから、その間の費用として十五円ばかし心配して呉れないか。外套を質に置くか、それでなかつたら町の方の安い宿屋へ二三日のところ話して呉れないか」と私は懇願的に出た。

「真平ご免だ」と、彼は勝誇つた調子で云つた。

「ご免だと云つて、それならば僕の方でも金は拵へて払ふから品物を渡すのはご免だよ」

「それならば俺の方でもこゝの保証はご免蒙るよ」

「それは勝手だ。僕の方では警察にでも立合つて貰ふから。その方がまだ気持がいゝよ」

お内儀も這入つて来て二人の問答の間に口を入れたりしたが、やつぱし内田の方から断らせるやうに宿へ話し込んだものに違ひないことが明瞭になつて来た。彼としてはこゝで突放すのが一番有利だと思へるのも尤もでもある。それで話が難かしさうになると、彼はさつさと室を出て行つた。無理解と云ふ以外に私のやうな職業に対する反感も手伝つてゐるやうに見えた。

「私の方では内田さんと話がついたのですから、兎に角出て頂きます」お内儀は斯う云つて内田が残して行つたと云ふ羽織だけ持つて来た。

「内田さんだから羽織だけでも置いて行つたんで、警察の立合となると何一つだつて残しやしませんよ」

「しかしその方がまだ気持がよかつた。それであの品物は内田君が持つて行つたんですね?」

「え持つて行きましたよ」

「さうですか。それでは兎に角内田の兄さんとこへでも行つて話して見よう。何しろ馬鹿々々しい話だ」

「さうですねえ、兄さんにはまた兄さんだけの考へもありませうから」と、お内儀も幾らか同情したやうな調子で云つた。

三

兄さんの家は停車場近くであつた。その辺は鉱山と同時に新らしく開けた、長家風の粗末な建物がごちや〱軒を並べたやうな町であつた。店さきに座つてゐた四十一二の兄さんは「まあおあがり……」斯う云つて私を奥へ案内しかけたが、先刻と同じやうに険悪な顔した内田が奥から出て来て、私を外へ引張り出した。

「何しに来たんだ?」

「兄さんへでも相談して見ようと思つて来たさ」

「兄さんなんか相手にするもんか。それよりも東京へ帰つたらいゝだらう」

「帰られはしないよ。それに汽車賃だつてありやしないさ」

「汽車賃位ゐなら貸してやらう」

「ご免だ」

「そんなら勝手にするさ。しかしこれ以上はどんなこと云つて来たつて俺の方では相手にしないからね、そのつもりでゐ給へ。営業妨害だよ。君なんかの相手になつてゐられるもんか」彼は斯う云ひ棄てゝ歩るいて行つた。

何と云ふ可笑しな男だらう、しかし自分なんかの生活では有勝ちのことなんだが、あの男にとつては非常に真剣な一大事なのかも知れないと思ふと、彼の後姿を見送つて、私には苦笑以上に憤慨の気も起らなかつた。そして店さきに引返して土間の腰掛に腰をかけながら、兄さんに今度の事情を話した。

「そんな訳なもんですから、これから手紙を出して金を取寄せる間、二三日のところどうかしたいと思ふんですけど、それで内田君が持つて来た品物を質入れした内から十五円ばかり借りたいと思ふんですけど、何しろ内田君はひどく激昂してゐるんで、それであなたから何とか内田君に話して貰ひたいと思ふんですが……」内田も多分品物は宿屋に渡してあることゝ思はれたが、此際斯う云ひ出すほかなかつた。

「あれは何しろあの通りいつこくな奴でして、商売上のことでは私の方でも干渉もするし、また干渉もせずにゐられませんが、その他のことでは、一切干渉しないことにしてゐるんで、こつちで親切で云ふことでもすぐ反抗して来ると云つたやうな訳ですから、私が行つて見ても何と云ふか知れませんがね、それでは私は今すぐ後から出かけますから、あなたひと足さきに行つてゝ呉れませんか。一寸しかけた用事を片附けてすぐ後から参ゐりますから……」

斯う云はれて私はまたひとりで内田の店まで十町近くのところを歩るいて行つた。店さきには鉱山の印半纏の上に筒袖の外套を着て靴を穿いた坑夫の小頭とでも云つた男が立ちながら、襦袢の袖を出さして見てゐた。縮緬と絹との一対づゝであつた。

「幾らに負かるんかね?」

「お値段のところはどうも。まつたくお取次ぎ値段でして、昨年の高い時分には十二三円からした品物なんですから、七円と云ふのはまつたくもうお取次ぎの値段を申しあげたんで、他所を聞いてご覧になつて高いやうなことがありましたらいつでもお返しになつて差支えありませんから、まつたくどうもお値段のところは……さうですね、それではほんのお愛嬌に十銭だけお引きしませう」

「十銭と云ふと、やつぱし七円だな」

「へえ、まつたくどうもお値段のところは……随分お安く申しあげてあるんで」

斯んな調子で、彼は算盤を弾いて見たりして三十分程も相手をして骨を折つたが、結局「それではまた後で……」と云ふことで男は出て行つた。傍で見てゐた私も気の毒な気がした。この二対しかない絹物の袖の売れる機会は、斯うした店では稀なことに違ひなかつた。私が来合せた為め売れなかつたのだと、この男のことだから思ひ兼ねないものでもないと云ふ気もされた。彼は不機嫌さうに起つて後ろの棚へ品物を蔵つて、

「何しに来た?」と、一層険しい顔して云つた。

「すぐ後から兄さんも来る筈だから」

「兄さんが来たつて誰が来たつて、俺の方では一切この交渉はご免を蒙る。営業妨害だよ。この忙がしい身体を君のことなんかに構つてゐられないよ。兎に角早速東京へ帰るなり別の宿屋へ行くなりそれは勝手だが、すぐ金を拵へて来て貰はないと俺が迷惑する。君のやうな非常識な人間相手は真平ご免だ」剣もほろろの態度で、斯う云つてぷいと奥へ引込んで了つた。

私は店さきに座つてもゐられないし、また最早彼と交渉する気力も興味の余地も無い気がして、また兄さんの方へ引返して来た。内田とは十五年程前、私が大学病院で痔の手術を受けた時、彼は陰嚢水腫の手術を受けに出て来て、その時からの知合であつた。二月上旬の霙の降つた寒い日であつた。一番目が兵隊あがりのやはり痔の患者、二番目が彼で、やがてまだ死人のやうに睡つてゐる彼が手押車で廊下から患者の控室に運び込まれたが、時々不気味な呻り声を出して出歯の口を開けた蒼醒めた顔は、かなり醜い印象を私に与へたものであつた。その時附添つて来たのが兄さんであつた。それから六十日程の間私達は隔日に顔を合はして、お互ひに訪問し合つたりするほど懇意になつた。そして病院の裏の桜の咲き初めた時分、ほんの二三日の違ひで病院から解放されることになり、若かつた私達は互ひに懐しい気持で別れることになつた。それから不思議にも二三年置き位ゐに私達は会つてゐた。私が帰郷の途中彼のところへ寄つたり、彼が上京の度に下宿に訪ねて来たりした。四五年前であつた。彼は慢性の花柳病治療の為め上京して、私が案内して神田の方の某専門大家を訪ねて診察を受けたところ、彼の予算とは何層倍の費用がかゝりさうなのに嚇かされて、彼は治療を断念した。そして、彼が持つて来た金で二人で神楽坂の待合で遊んだ。その割前を厳しく彼から請求されたが、私はその時分家を持つてゐたのだつたけれどひどい困窮の場合で、その工面がつかなかつた。その結果二人はやはり今度のやうな罵り合ひの状態で物別れになり、私の方では絶交のつもりであつた。ところが昨年の夏、団体で横須賀へ軍艦の進水式を見に来た序でだと云つて、十四五人の同勢と突然に訪ねて来た。ビールなぞ飲んで一時間ばかり休んで行つた。それから二度東京へ出た序でだと云つて訪ねて来て、半日位ゐ遊んで行つた。

「それではやつぱし、鎌倉へ来たのもたゞ遊びに来たのではなく、割前の貸しを請求するつもりで来たのだが、さすがに云ひ出せなくて帰つたのかも知れないな」と、私は思ひ当る気がした。

私はまた兄さんと店さきで話した。

「何しろ非常に激昂してゐて駄目なんですがね。あなたに行つていたゞいても駄目だらうと思ひますよ。それで、先刻も話したやうな訳で今度はどうしても書かずには帰れないやうな事情になつて居るので、東京の本屋に版権でも売つて金を取寄せることにしますから、二三日滞在するだけの金を――十五円ばかし貸していたゞけないでせうか。値ひは無いんですけど羽織と袴をお預けすることにしますから……」私は内田の方は諦めて、今度は兄さんに頼んで見た。

「それでは兎に角どう云ふ事情になつて居るのかあれにも訊いて見ませう。何しろ見かけのやうでなく商人なんてものは内が苦しいもんですから……」兄さんは斯う熱のない調子で云つて出て行つた。

二時間ばかしも寒い店さきに腰をかけて待つてゐた。旧暦の年始客が手拭買ひに寄つたり、近所の内儀さんが子供の木綿縞を半反買ひに来たりして、十六七の小僧が相手になつてゐた。

「遅くなりまして。途中で年始客の酔払ひにつかまつたものですから、……どうも失礼しました」兄さんは幾らか赤い顔して帰つて来たが、

「いや、あれも別段激昂してると云ふ訳でもないやうですが、さうした方が、あなたの為めにもいゝと云ふんでして。……やはり一応お帰りになつて金策なさつた方がいゝでせう」

「さうでしたか。どうもご苦労さまでした」と、私も予期してゐたことながら当惑して、

「どうも仕方がありませんね。それで、帰るとしてももう時間が遅いし、どこか他の宿屋へ行つて事情を話して返事の来る間置いて貰ひたいと思ふんですが、それで誠に申し兼ねますが袴をお預けしますから五円だけ貸していたゞけますまいか」と、今度は五円と云ひ出した。

「いや、袴はいゝですから……」と云つて、帳場机の上の銭箱から出して、私の前に置いた。

私はそれを懐ろに入れると、逃げるやうにしてそこを出た。乗客以外にも通行出来るやうになつてゐる駅の架橋を渡つて行くと、中程の改札口のところに外套を着た鳥打帽の人相の好くない男が二人も立つてゐて、私の風体をじろ〱睨むやうに視た。この四五日前にもまた鉱山で三百人からの坑夫を解傭したので、万一を警戒してゐる刑事だなと、私にもすぐ感じられた。停車場前の駄菓子や蜜柑など並べた屋台店の火鉢に婆さんと話してゐる印半纏の男、その前で自転車を乗り廻してゐる同じ風体の男に、

「G館はどつちでしたかね?」と訊くと、

「G館?……」と、二人の男はほとんど同時に斯う云つて、私の顔に近寄つて来さうな風を見せたので、私もハツと気がついてさつさと通り過ぎた。

十年ばかし前に一泊したことのあるG館へと暗い海岸の砂路を歩るいて行くと、すぐそこに近年新らしく普請された鉱山の御用旅館の広い玄関が眼に入つたので、却つて大きな家の方が話が解るだらうと思ひ直して、そこへ這入つて行つた。

四

「僕はS閣に滞在してゐたんだが、少し間違ひが出来て持物を取られてやつて来た訳なんだがね、決して怪しい者ではないから、東京へ手紙を出して返事の来る間二三日置いて貰ひたいと思ふんだが、どうだらう、一寸番頭さんに来て貰ひたいんだが?……」

お膳が出て、酒を一二本ばかし飲んだところで、京都弁の若い女中に斯う云つて頼んだ。主人も奉公人もすべて京都から来てるのださうで、出て来た若い番頭も京都弁で、

「いや実は私はまだ来たばかしのものでござんして、斯う云ふことにはよう慣れませんもんやで、ほかの者をよこしますよつて……」番頭は私の話を聞いたが、斯んなやうなことを云つてはこそ〱出て行つた。

「いや、君のところが一番こゝでは大きい家と見込んでやつて来た訳なんだがなあ」と私は後姿を見送りながら云つたが、最早望みがないと思つた。

今度は印半纏の客引の男が来たが、

「それでは今夜一晩だけお宿をしますから、明日はお宿替へを願ひたいと云ふことで、主人の方ではさう申して居りますので……」私が幾度も同じやうなことを云つて頼んだが、先方でもやはり斯ういつまでも同じことを繰返した。

「どうもそれでは仕方がないな」と、私も云ふほかなかつた。

一寸綺麗な女中で、それでも感心に遅くまで耳に柔かい京都弁で相手をしてお酌をした。兎に角明日は東京の本屋へ電話をかける決心をして、酒の力で睡つた。

九時頃寝床の中で電話帳を見て、女中にかけさせた。それから朝昼兼帯の遅い朝飯を喰べて、電話の通じるのを待つ間起きてるのに堪へない気持から、また床の中にもぐり込んで女中に借りた講談の雑誌など読んでゐたが、なか〱電話が通じなかつた、幾度も局へ催促させたが、最初からほんとに申込んであつたのか、係り合ふのを厭がつて申込まなかつたのか、たうとう電気のつくまで通じなかつた。もう一晩と頼んで見たが聴き入れさうな様子も無いので、私は日暮れ方そこの電燈の明るい玄関から外へ出た。例の新開町を寒い風に吹かれて、途中の汚ない物置めいた建物の劇場の曾我廼家五十九郎丈へとか曾我廼家ちやうちんへとかの幟など佗しい気持に眺めながら、通りがゝりに見知つてゐた内田の家の近所の商人宿を指して行つた。ほんの電報を打つたりする位ゐの金しか残つてゐなかつた。

翌日は二月の十五日で、私が鎌倉を出てから丁度十五日経つてゐた。九時頃に起きて早速東京の弟のところへ二十円電報為替で送るやうに書いた電報を女中に頼んだが、すると早速また女中がお勘定をと云つてやつて来た。酒を三合飲んで三円五銭と云ふ勘定であつた。

「海岸の方の宿にゐたんだが、予算を狂はして金が無いんだけれど、明日までには屹度来るんだからもう一晩置いて呉れつて帳場へ話して呉れ」

斯う云つてやると四十越した働き者らしい、しかし正直さうなお内儀が出て来て、やはりお宿替へを請求したが、私は羽織と袴を渡してもう一晩の猶予を乞ふた。

「私は毎晩酒を飲まないと睡れないものだから、やはり酒は三合宛つけて下さい」私は斯う附け足したが、それも承知して呉れた。

私は三合のおつもりの酒を手酌で飲みながら、今晩店から弟が帰つて電報を見て明日は屹度何とか云つて来るだらうと、ホツと一息ついた気持で、割箸に挟まつた都々逸の辻占を読んで見たりしたが、それは、私は籠の鳥と諦めては居るが時節待てとは気が永い――と云つたやうなものだつたので、これは少し辻占が好くないと思つた。

日当りのいゝ、わりに小綺麗な気持のいゝ六畳の室であつた。斯うしてる間に十枚でも十五枚でも兎に角に書きあげてしまひたいと思つて、私は朝から原稿紙をひろげて返事の来る間やつて見たが、やはり五六枚書くと後が続かなかつた。午後の三時頃まで待つたが返事がないので、またお内儀がやつて来た。

「もう一晩だけ! 屹度返事が来る筈になつてるんですから……」

私は袷も脱ぎ、綿入一枚へ宿の褞袍を着て、質入れを頼むと十円借りて来た。それで今明晩の宿料を払つた。そしてまた電報を打つた。晩酌の時の辻占は、花の方に誠があればいつか鳥だつて来て啼くだらうと云つた意味のやはり心細いものであつた。

三日目は朝から曇つた寒い日であつた。いよ〱明朝こそは否応なしに出なければならないのだ。午後の三時頃まで待つたがやはり何の信りもなかつた。今日のうちに警察の保護を願つて電話をかけて貰はうかとも思つたが、その前にもう一度内田に頼んで見ようと思つて、これが最後の財産の万年筆を懐ろにして出かけて行つた。警察署は宿から五六軒離れてゐた。そこの、これも鉱山の寄附だと云ふ銅で出来た門や柵を眺めながら、内田との結果で今にもそこをくぐらねばならぬことを考へて、綿入れ一枚の自分の姿がさすがに惨めに顧られた。

「まだ居たのか?……たうとう君は兄さんに借りたさうだね。どこまで押しが太いんだか、おつ魂消た話だよ」と彼は例の調子で、店さきで私の風体をじろ〱視ながら、冷笑を浮べて云つた。

「なあに大したことぢやないさ。普通のことだよ」と、私も相手を冷笑の気持で云つた。

「君等には普通のことか知れないが、吾々の眼から見てはまるで無茶だね。そんな非常識な人間の相手は出来ないよ。なぜ東京へ帰らないんだ。愚図々々してゐてはもつとひどいことになるんだと云ふことがわからないのかねえ……」

「わからないね。それに斯んな態で東京へも帰られはしないよ」

「今どこに居るんだ?」

「M屋に居る。……それで」と云つて、私は今電報を待つてる事情を述べ、万年筆を提供するから五円貨して呉れと云つた。

「今夜にも屹度来るんだよ。金の来る来ないが別としても、返事だけは屹度来る筈なんだからな。何しろ手紙を出してる間が無かつたんで、電報でばかし居所を云つてやつてあるんで、そんなことで行違ひが出来てるのかも知れないが、しかし屹度今夜にも来ると思ふから……」

「M屋の勘定が幾ら位ゐになつてゐるんだ?」

「十円ばかし……」

「それではその十円と汽車賃だけあると東京へ帰れるんだね?」

「まあまあさうだな」

「それでは万年筆をよこせ。あとはM屋の方は俺が引受けるから、すぐ東京へ帰るんだ。S閣の方を早く片附けて貰はないと俺が迷惑するからな」

「そりや帰るには帰るけれど、今まで待つたんだからな、明日まで待つて見る。宿料も明日までは払つてあるんだから」

「いや今日すぐこれから発つんでなくつちやご免だよ」

「ぢや仕方が無い、発つてもいゝ」

「それでは今すぐ後から行くから君はさきに帰つてゐ給へ」

斯う云はれて私は宿に帰つてゐると、彼は間もなくやつて来たが、また二言三言云ひ合つてるうちに、私でさへ来るか来ないか疑つてゐる為替の受取の委任状を書けとか、何日までにS閣の払ひの金を送らないと品物を勝手に処分してもいゝと云ふ証書を書けとか、面倒臭いことを云ひ出したので、癪に障る気もなくつい「そんな厭なことばかし云ふんだつたら、いゝから帰つて呉れ。万年筆を置いて帰つて呉れ」と云ひ出した。

「なあんだ、人の忙しいところを引張り出して来やがつて。帰るとも。しかし後でどんなことになつたつて俺はもう知らんぞ」

「あゝいゝとも。帰つて呉れ」と、私も今度は幾らか痛快だつた気がして、云ひ放つた。

夕方から霙混りの雨になつた。晩酌の時の辻占は「逢ふての帰りか逢はずの行きか、寒い月夜のかとう節」と云つたものであつた。考へて見たが今度は判断がつかなくなつた。いよ〱明日は警察の厄介になるか、万年筆眼鏡兵古帯古帽子など屑屋に売払つて木賃宿へ行き改めて手紙を出すか、その二つの手段ほかないと思つた。それにしても弟から何の信りもないと云ふことが不審であつた。内田も居ることだし、いかに何でもまさか斯んな目に会つてることゝは思ふまいから、それで放つてあるのか、それとも勤め先きの用事で留守にでもして細君が途方に暮れてゐるのか、さうでもなければ何とか信りがある筈なのだが、やはりもつと底まで落込めとの神の戒めかとも思はれた。警官との応待、留置場で慄えてゐる姿、木賃宿で煎餅蒲団にくるまつてゐる光景など想像された。それも、そんな世界も死んだ従兄も一度は通つたのだと思ふと、満更親しみのない場所ではない気がされて、従兄のことが新らしく思ひ出されたりした。それにしても生憎の雨のことが気になり出した。雪にでもなつてゐたら敵はないと思ひながら寝床に就いたが、翌朝起きて見ると空はカラリと霽れあがつて、日が暖かく窓に射してゐたので、私は兎に角今日の天候に感謝した。そして遅い朝飯を喰べて、午後の二時頃までと決心を極めて、机の上の原稿紙を風呂敷につゝみ、静座をして心を落付けてゐた。

が一時近い頃であつた、女中が廊下を駈けて来て、「来ましたよ!」と云つて電報為替の封筒を持つて這入つて来た。来たのが不思議だと云つた顔して私の顔を視た。

「幾ら来たの?」と、女中は田舎者の馴れ〱しさで云つた。

「二十円と云つてやつたんぢやないか」と、私も嬉しさを隠して当然のことのやうに云つた。

早速質受けを頼んだ。あとに十円残る勘定である。昨日内田に断つてよかつたと思つた。私はこの金を宿に渡して、東京の本屋と交渉を始めようかとも思つて見た。この宿の人達は私の気に入つてゐた。私はやはりこの宿で原稿を書きあげて帰らうかとも思つた。このまゝ空手で帰るのが如何にも残念に思はれ、またこゝを出てどこに落付けると云ふ当もない気がした。が一方またこれ以上こゝに踏み止まると云ふことは、少し駄々張り過ぎるやうな気もされた。

「どうしたものでせう、僕その金を渡して置いて、その間に別なところから金を取寄せて仕事を片附けて帰りたい気もするんですがねえ?」と、お内儀に相談的に云つて見た。

「さうですねえ、しかし何でせう、斯う云ふことの後ですからねえ、却つてお気持よくお発ちになつた方がいゝでせうが」と、お内儀も穏かな調子で云つた。

「さうですね。ではやつぱし発つことにしませう」

私も斯う云つて、気持よくそのM屋を出た。

五

一時幾らの汽車で助川を発つたのであつたが、ふと思ひついて、かなり躊躇されたのであつたが、途中のA駅で下りた。そこには私には未見の人ではあるがS氏と云ふ有名な作家が別荘生活をしてゐる。私はその人を訪ねて、事情を話してどこか宿屋を紹介して貰はうと思つたのだ。余りに残念でもあり、弟夫婦に会はせる顔もない気がされるのだ。停車場前に俥がゐないので、私は道を訊ねて歩るいて行つた。五時近くで寒い風が吹いてゐた。寂れた感じの町であつた。四五町も行つて、教へられた火の見櫓の下から右に細い路を曲つて畠へ出て、ぬかるみの路を二三町来てまた右に岐れて沼の方へとだら〱と下りて行つたが、すぐそこの百姓家の上の方にペンキ塗の小さな建物があるので、多分それだらうと思つて垣根の廻りを一廻りしたが、門らしいものがなく、人の住んでるらしい気配もないので、また畠の中の路に出て、それから小学校の建物にぶつかつたり、やう〱一人の百姓に会つて、あれがさうだと茅葺屋根の家を教へられて麦畑の中を行つて見ると違つた人の名札であり、それから諦めて引返しかけると、他所行きの身装をした百姓の内儀さんらしい女に会つて、東京の人の別荘ならもつと先だと教へられ、今度こそはと松林の中など通つて行つて見ると、新らしい建物の玄関が締つてゐて門内には下駄の跡もないので、それでは東京へ引揚げてゐるのだらうと引返しかけたが念の為めに門前の百姓家に声をかけて訊いて見ると、さつきの茅葺屋根の家の前の小径を下りて沼の畔に出るのだと教へられた。

「Sさんは此頃お見えになつてるやうですか?」と、私はその爺さんに訊いた。

「二三日前にお見かけしましたが、多分居りますでせう」

もうすつかり暮色が立こめてゐた。私はまた引返して麦畑の中を通つてさつきの茅葺屋根の家の前の小径を下りて行つたが、かなりの大きさらしい沼を前にして、一軒の百姓家に並んでS氏の質素な建物の別荘があつた。斯うしてやう〱のことで尋ね当てたが、勇気が挫けて、しばらく玄関の外に立つてゐたが、思ひ切つて声をかけた。すると年増の女中らしい人が出て来て、

「東京へ行つてゝお留守ですが、明日は帰る筈です」と云つた。

「さうですか。では失礼しました。……私はKと云ふ者ですが」

「Kさん……?」

「さうです。実は初めてあがつた者ですが、……失礼しました」

私は斯う云つて、名刺も置かず逃げるやうにあわてゝ引返して、ホツと太息を吐いた。留守でよかつたと思つた。斯うした行動が耻ぢられた。が思ひ立つたことは兎に角一度はぶつかつて見なければ気の済まない、抑制を知らない自分の性質を知つてゐる私は、これも仕方がない、これで遺憾なく失敗して東京へ帰れるのだと思ふと、心が慰められる気がした。そして駈けるやうに暗いぬかるみの路を急いだが、やつぱし最初に見たペンキ塗りの家の方へ出て来た。ぐる〱と円を描くやうにして、狐につまゝれた人間のやうにそこら中を歩るいてゐた訳である。

弟のところに着いたのは九時過ぎであつた。彼は遅く帰つて来て今ご飯を済ましたばかりだと云つて、疲れた顔をしてゐた。

「いや、とんだ目に会つて来た」と、私は無頓着な調子で云つたが、心から弟夫婦に申訳ない気がした。

最初の電報は何枚かの附箋がついて夜遅く配達になつてゐた。弟はその翌日の昼頃電報為替を出したので、無論遅くもその日の中には配達になるものと思つて、別に私の方へは電報も打たなかつたのであつた。それがその翌日の昼頃私の手に入つたのであつた。

「何しろ失敗だつた」と、私達はそれから酒を飲み出したが、私は斯う繰返すほかなかつた。

「こつちではまさかそんなことになつてることゝは思はないし、多分どこかへ飲みにでも行つて、その金まで内田さんに立替へて貰ふ訳に行かなくて電報でも打つたんだらう位ゐに思つてゐたので、大したことに考へてゐなかつたのですよ。それに、やつぱし内田さんにしてもまるつきり商売が違ふんだから、それだけの理解もつかない訳で、どん〱勘定が登つてはと心配し出したのも無理もないでせうよ」

「いや何しろ大失敗だつた。やつぱし鎌倉を出て来ない方がよかつたかな。それが、今度こそは屹度書けると思つたものだからな、実際金の問題ばかしでなく、あの原稿が気になつて仕様がないもんだからね、ほんとに癪に障るから明日にでも本屋に交渉して金が出来たら、またどこかへ出かけようとも思つてゐる」

「もう止した方がいゝでせうよ。金が出来たらばやつぱしお寺へ帰る方がいゝと思ふがなあ、Fちやんもどんなに心配してるか」

「ほんとにねえ、Fちやんが気の毒ですわ」と、気の弱い細君は眼をうるませて云つた。

「Fには会ひたい。もう小遣ひも無くなつてるだらう」と、私にもFのことばかしは気がゝりであつた。

六

二三日経つて、私は鎌倉八幡前の宿屋から使ひをやつて、Fを呼んだ。仕出し屋の娘も一緒に来たので三人で晩飯を喰べた。日が暮れるとFだけさきに帰つて行つた。「お前も一緒に帰つて呉れよ」と云つたが娘は聴かなかつた。

「Fさんあなたそれではさきに帰つてゝ下さいね。わたしどうしてもお父さんを伴れて帰りますからね。それでないとわたしうちへ帰つて叱られるんですもの」娘はFを送り出しながら斯う云つた。

「そんなこと云つたつて駄目だよ。金どころかこの通り外套も時計も取られて来た始末で、兎に角もう一度方面を変へて出かけて来る。そして今度こそは屹度一週間位ゐで書きあげて金を持つて帰つて来るから、うちへ帰つてさう云つて呉れ」

「困るわ、そんなことでは。うちではたいへん怒つてるんだから。Fさん一人置いといてもう二十日にもなるのに何のたよりも無いつて、今日もポン〱怒つてゐたところなんだから、どうしてもあなたに来ていたゞいて極りをつけて貰ひたいと云つてよこしたんですから、わたし一人では帰らりやしないわ」と娘は泣き出しさうな顔して云つた。

「だからさ、頼む。金が無いんだからね、寺へ帰つたつてまた毎日のやうに怒つて来られたんでは仕事は出来ないし、結局また飛び出さなければならないことになるだらう。さうなると益々困るばかしだ。お前のとこだつてそれだけ迷惑が大きくなる訳だからね。それにどうしてもこの原稿だけは今度片附けて了ひたい。これさへ片附けると、どんな方法でも講じて金を拵へて帰るからね、もう一度一週間か十日ばかしの間我慢して呉れつて、お前が帰つてさう云つて頼んで呉れよ。ね、いゝだらう?」私は斯う繰返したが、娘は承知しなかつた。

「そんならいゝわ、わたしどこまでもついて行くから。そしてお金の出来る間待つてゐるから」と、娘は私が相当に金の用意がしてあると思つたらしく、離れた小さな眼に剛情な色を見せて云ひ出した。

「そんならさうしなさい。しかし僕はこれから御殿場の方へ行くつもりなんだぜ。それでもいゝかね?」

「よござんすわ。うちでもさう云つてよこしたんですから、構はないわ」

その晩は泊つて明朝発つつもりだつたのだが、相手になつてるのがうるさくなつて、私はかなり酔つてもゐて大儀だつたが、宿の勘定を済まして外へ出た。斯うは云ひ張るものゝまさか娘は汽車までついて来るやうなこともあるまいと私はたかをくゝつて歩るきながら冗談など云ひかけたが、娘の様子が真気らしくもあるので、私は少し怖くなりかけた。東京行きの汽車が間もなくやつて来た。汽車の音を聞きながら、

「ほんとに行く気なんか?」と、私は念を押さずにゐられなかつた。

「ほんとですとも。あなたが帰つて下さらないんですもの……」と、娘は泣き出しさうな顔しながらも、思ひ詰めた眼付を見せて云つた。

「ぢやあ二枚買ふよ」

「いゝわ、汽車賃位ゐはわたしのとこにもありますから」

私はまたも狐につまゝれたやうな気持で、一枚を娘に渡して改札口を出て汽車に乗り、向ひ合つて腰掛に座つた。娘は紡績に汚れた銘仙の羽織を着た平常の身装であつた。「いや大船まで行つたら、下りると云ひ出すだらう。しかし下りないとなると困つたことだぞ」と、汽車が動き出すと私も不安になつた。ほんとにあのいつこく者の親父にどこまでもついて行けと云ひつけられて来たのかも知れないと思ふと、不憫にもなり、またこの娘一人を頼りにしてゐるFが娘の帰りを待つてるだらうと思ふと、Fが可哀相にもなつた。「ほんとに大船で下りないやうだつたら俺も帰らうか知ら。浮浪ももう沢山ぢやないか」と云ふ気もされたが、しかし構やしないと云ふ気にもなつた。自然に揺れ止むまで揺られてゐるか――と、自分と糞度胸を煽る気にもなつた。

「大船で乗替へて向うへ着くと十二時一寸過ぎになるんだが、宿屋で起きるか知ら?……」と私は話しかけたが、

「さうですかねえ」と、襟に頤を埋めて、黙りこくつた表情を動かさなかつた。

やはり十四五年前富士登山の時、山を下りて腹を痛めて一週間ばかし滞在してゐたずつと町の奥の、古風なF屋と云ふ宿屋の落付いた室が思ひ出されたりした。

底本 / Source edition

底本:「ふるさと文学館 第九巻【茨城】」ぎょうせい
1995(平成7年)年3月15日初版発行
底本の親本:「葛西善蔵全集 2」津軽書房
1975(昭和50)年発行
初出:「国本」
1921(大正10)年5月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:小林繁雄
2002年12月3日作成
2011年2月18日修正
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リリース / Release
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TEI
/works/003212_000984/tei
プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/003212_000984/

葛西 善蔵「浮浪」(新字旧仮名)、底本『ふるさと文学館 第九巻【茨城】』ぎょうせい、1995年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003212_000984, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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