Soranoha

きのふけふの草花

きのうきょうのくさばな

南方 熊楠

今年は気候不順でさきおくれた花が多く、又、秋開く花が初夏から盛りをるのもあるが、兎に角自分の家庭には石竹科の花がいと多く咲き乱れをる。その中で一番妙な伝説をもつのは眼皮がんぴだ。枕の草紙に、かにひ(異本にがむひ)の花とあるはこれらしいが、色は濃からねど藤の花にいとよくにて、春秋と二度さくいとをかしとは眼皮と違ふ。達磨大師九年面壁の時、眠くてならぬから自分で上下のまぶたを切つて捨てた処に翌朝この草がはえあつた、花が肉色でまぶたの様だつたので、眼皮と名づけたと、和漢三才図会に俗伝をのせある。

石竹を仏語でアレ(小さい目)、英語でピンク(細目でまたゝく)と呼ぶのも、花びらが肉色で端の歯が長くて細目のマツゲの体ゆゑの名といふ。和漢三才図会出板の少し前に、本邦へきたケムペルの外国見聞録には、達磨が切捨たまぶたからはえた植物の葉を用ふると眠くなくなつた、その葉のヘリにマツゲ様の歯ありてマブタに似をる、是が茶の初まりだと日本で聞いたと、存分人を茶にした話を記す。

オランダ石竹

英語でカーネイションといふは肉色の義で、その花の色によると説くが、本もとはコロネイションといつたので、昔、花冠にしたから冠といふ意味が正しき由。花の香が丁子の様だからイタリーでジロフリエル、英国で中世ジロフル、共に丁子花の義だ。チョーサーの詩などにある通り、十四世紀頃専ら酒を匂はし、又、料理にも高価の丁子に代用した。この花の砂糖漬は非常な強壮剤で、時々食へば心臓を安んじ、又熱疫を治すといふ。イタリーの百姓、これを熱愛の象とし、彼得ペルピトロ尊者特に好むとて、その忌日(六月廿九日)をカーネーション日と称ふ。

石竹はもと瞿麦と別たず、日本でも撫子、又は常夏とこなつは撫子属の諸種の総称だつたが、後には花びらの歯が細く裂けたを瞿麦、和名ナデシコ又、常夏、細く裂けぬを石竹と日本で定めた。清少納言が、なでしこ、唐のは更なり大和もいとをかしといふた通り、ナデシコは野山に自生多いから大和撫子、石竹は支那から入たゆゑカラナデシコといふ。金源三の歌に「もろこしの唐くれなゐにさきにけり、わが日の本の大和撫子」。これ近代の秀歌なれば、定家卿が新勅撰集を編む時、我日本とはこの輩の口にすべきでない、この日本と直さば入れようといふと、一字でも直されてはいけない、且つ日本人はみな皇民なれば天子を我君といふ、この国に生れて我日本といはん事、其人を差別すべきでないといひ張つて、直さず入れられなんだとは余程えらい。無闇にデモクラなど説く輩、わが日本に生れてこんな故事に盲らで外国の受売りのみするは、片腹どころか両腹痛いとこゝに書くと、二た月も立たぬ内に、きつとわが物顔に「金源三の平等観」など題して書立つる者が出る筈、それは盲が窃盗を働らくのだ。

さて松嶋の雲居は、盗人に取られた残つた金を渡しに立ちかへつたといふから、右の金源三の一条は塵添埃嚢鈔七巻二章にあると、出処までも教えおく。

俊頼の歌に「唐くにゝ有ける事はいざしらず、あづまの奥におぶる石竹」。この歌の心は、昔嶋田の時主てふ勇士が、霊有て人を悩ます石を射ると矢が石に立つて抜けず、撫子の花を開いたと藻塩草に出す。その頃は撫子と石竹を別たなんだのだ。石竹をカラナデシコといふから全く、支那から来たと思ふ人も有らんが、故矢田部博士の日本植物編に、本邦自生のコナデシコ、花は淡紅で、栽培する石竹の原種だとみゆ。熊楠按ずるに、菅公の知人嶋田忠臣が禁中の瞿麦花を詠んだ詩が二つある。花紅紫赤、又、濃き淡きあり、春末初めて発し夏中最も盛り、秋冬凋まず、続々開拆す、四時翫好蕪靡愛すべし、今年初めて禁離に種ゆ、物、地を得て美を増す、数十の名花ありと雖も傍色香なき若し。蓋し此花、大山川谷に生じ好家名処にあらずと叙べ、ばら刺あるを嫌ひ、芍薬光りなきを愧づと無上にほめたてた。大山川谷に生ずとは陶弘景の説で、支那での事ゆゑ忠臣が詠んだは、支那より渡つた四季咲の石竹を宇多帝が初めて宮中に栽させられたとみえる。林述斎曰く、桜の前の彼岸桜、牡丹の後の芍薬、カキツバタの後の花菖蒲、撫子の前の石竹、菊の後の寒菊、何れも品格は劣れども、又すて難くやとは、憲政会連が若槻首相を評する様に聞える。

今さきをる石竹科の花に、道灌草は昔、江戸の道灌山に植たといふ。漢名王不留行、本草綱目にその薬性走つて止まらず、婦人服し了つて乳長く流るといふ語あり、王命ありと雖もその行をとゞむる能はず、ゆゑに名づくと釈く。下学集には、この草本は剪金花と名づく、蜀主もとよりこの花を好む、宋に降り汴に遷さるゝによつて、人この花を王不留行といふと記す。支那書に見えぬが足利時代にそんな噂が伝はり居たのだ。

ムシトリナデシコ、英名キャッチ・フライ(蝿取)、その茎に粘液を出し蝿がとまると脱さぬ。それを面白がつて十七世紀にロンドンの花園に多く植えたさうだ。その学名シレネは、古ギリシヤの神シレヌスに基づく。禿頭の老人鼻低く体丸く肥え、毎も大きな酒袋を携ふ。かつて酒の神ヂオニソスを育て、後その従者たり。貌醜くきも聖智あればソクラテスに比べらる。栄利に構はず酒と音楽と眠りのみ好む。過去と未来の事を洞視する故、人その酔眠れるに乗じ花を聯ねて囲み迫つて予言し、又唄はしむ。かゝる智神も酒といふ世の曲物には叶はないのだ。この神、酔うて涎ばかり垂らしをるに比べてムシトリナデシコの一属をシレネと呼んだ。只今山野にさくフシグロや、維新後入来のシラタマソウなどこの属の物だ。シラタマソウは英国等に自生し、若芽が莢豌豆とアスパラガスの匂ひを兼ぬるからそれらに代用する。札幌辺に生えるといふから料理に使ひ試すべしだ。

パースレイ

只今花さく。至つてまづい花だが、古ギリシヤ人はヘルキュレス初めてこれを冠つたとて、極めてこれを尊び、乾からびたパースレイの冠をイスミヤ競技の勝者に授けた。これを佩ると、心落ちつき食慾が進むとて会席の客がその冠を戴いた。又、死骸にこの草の枝を撒いたから、人が死際にあるをパースレイが入用だといつた。プルタルクス説に、パースレイを負ふた驢馬に会つた軍隊が敗軍の凶兆と心得て大騒ぎしたと。又、畑を作るに先づパースレイとヘンルウタをその縁に植た。因つてまだ実行に取かゝらぬといふ代わりに、やつとパースレイとヘンルウタの段だといつた。ヘンルウタも今さき、これもまづい花だ。匂ひが強いので諸虫の毒を消し、眼を明らかにし智を鋭くし、女が食ふと操が固まるというた。昔、マルセイユでペスト流行の際、盗賊四人、この草で酢を作り飲んで少しも感染せず、片つ端しからペストの家に入つて大窃みをした。アリストテレスは、イタチがこの草を食つて後蛇と戦ふに、蛇その匂ひに堪へず必ず負けると云うた。英国で古く、この草を隣から盗んで植ればよく茂るといつた。紀州田辺でも蓮芋とヒトモジ葱は盗んで植よといふ。

ダーリヤ

白井博士教示に天保十三年初めて輸入され、初めは蘭名ラノンケルで通用したが、葉花共にやや牡丹に近いゆゑ天竺牡丹と俗称したと、舶上花譜に出づと。今年紀元節号「日本及日本人」に、山内嵒氏いはく、雲南の大理府はこの草の原産地で、外国人はじめてこの花を広東で見た時、何の花ぞと問ふと大理牙ダリヤ(ダリヤです)と答へたるをそのまゝ花の名としたのだと。本邦諸所にドーレの木といふ物あり、妙な木ゆゑ、名をとふとドーレ(何れ)の木と問返したのを、その木の名としてしまつたといふ類だ。併し植物名実図考など最も南支那の草木を満載した物に、ちつともダリヤを出さず。斯学の玉条たるエングレル及びブラントルの自然分科編に、ダリヤの九種みなメキシコの原産とあり、一七八九年にイスパニアの僧カヴアニュスが、瑞典の植物学者ダールの姓に由てダーリアと命名した事、その著西班牙植物図説一と二の説に明かなれば、支那の原産でないは論を俟たず。

底本 / Source edition

底本:「日本の名随筆 別巻14 園芸」作品社
1992(平成4)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「南方熊楠全集 第七巻」乾元社
1952(昭和27)年5月
入力:渡邉つよし
校正:染川隆俊
2001年8月1日公開
2006年4月23日修正
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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南方 熊楠「きのふけふの草花」(新字旧仮名)、底本『日本の名随筆 別巻14 園芸』作品社、1992年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003208_000093, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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