Soranoha

若きいのちを

わかきいのちを

宮本 百合子

この間うちの上野駅の混雑というものは全く殺人的なひどい有様であったようだ。その混雑の原因の一つは、お盆にあたって故郷へかえる男女の産業戦士たちの出入りであると云われ、密集して改札口につめかけている大群集の写真も新聞にのった。

東京駅にも棒をもった少女たちが並んで交通整理に当っているようなニュースが出たけれども、こちらは混むと云っても少女が整理を手伝える程度であったのだろう。幾十万の産業戦士たちは大部分が上野を玄関口とする東北地方から出て来ている。このことは、やっぱり私たちに何かの感銘を与えたと思う。

丁度このころに、新聞はもう一つの報道をのせた。それは少年少女の病気が俄かに激増して来ているという事実であった。この一ヵ年間に東京の五百人以上を使用している大工場に働いている職工さんたちの罹病率は、前年度に比べて約二三割の増加を示しているそうだ。そして、病気の筆頭は結核で、その次は脚気、視力障害がつづいている。十六歳以下の少年少女工は、あらゆる部面に働いているのだが、機械工場、化学工場などに働く少女工は三人に一人、或は二人に一人の割合で病気にかかっているのである。

東京の街をすこし歩けば誰にでも判るように、五百人以上も働いている工場などでない小さい下請工場の数は実に夥おびただしい。調査の手のゆき届かない、職工さんというより徒弟じみた条件で働いている少年少女工の数はどれ程だろう。そして、その稚い成長盛りの肉体に医学の鏡が向けられたら、果して何割が健康な体をもっているのだろうか。

雇主たちは、働いている人々が病気になると三ヵ月は置いておくそうだ。健康保険は三ヵ月医者にかかれることになっているから。その期間がすぎると、結核でも決して結核とは云わず、脚気だから故郷の土を踏めば癒ると国へかえしてしまう。元より病勢はどしどし進んで、若い命は故郷の家へ悲しみと病菌とをのこして死んでしまうわけである。

上野の駅頭に密集した産業戦士たちの盆帰りの写真は、一方でその記事をよんでいる一般の人々の胸に、どんな感想をもって迫っただろうか。バスケットや小鞄、風呂敷づつみを下げ、汗にまびれ、気の揉める心配そうな顔で改札口の方へ首をのばしている群集の中に、何割もうそれぎり国へかえってしまおうとしている少年少女たちがまじっていただろう。

故郷はそのようにして帰った息子や娘をどんなに迎えてやることだろう。あのおそろしい人波の底には若い生涯を蝕んだ悲哀と不安とが流れていたにちがいないと思われる。

空気の清純な田舎に育った青少年は結核菌に対して免疫が体内に出来ていない。生れたままの美しい肉体は病菌には非常にもろい。田舎の子は丈夫だ。田舎暮しからみたら東京の生活は比較にならないほどいい、と云われる言葉は、都会の空気に代々馴れて、結核なども陽性反応を示す体質になっている人々の放言である。

勤労青少年たちの体はよくない。中国地方の或る工業地帯が故郷である若い人が、この間の徴兵検査で、一年前肺炎をやっている体で甲種になって、おどろいている。自分がその体で甲種になったおどろきは、同じとき裸になって並んだ工場の青年たちが余りひどい体をしていたこととの対比で、一層深刻にされているのである。

新しい国民生活への動きは、この頃急に目立って来た。贅沢の排撃は結構だが、国民の比率で云えば贅沢という贅沢をしている人の数よりも、例えば無言のうちに都会の隅々で健康を破壊されて行っている若者の方が、どれだけか多かろう。

つい先夜も、玉の井あたりの小路をうろついていた若いものたちが二百何人か説諭をうけた写真が出ていた。そういう忠告も、勿論意味がある。けれども、忠告を与えている人々は、例えばテニス・コートなどが、工場の若い人たちのために夕刻から夜へ開放されていないという事実を、どんなに考えているのであろうか。

してはいけない、という面のことは細々と示されていると思う。それは示しやすい面である。若いもの稚いものが、一日の働きの後で何か求める体と心との渇えを、体と心との望郷を暖くみたしてやり、休めてやり生気を与えてやる方法は、真剣に誠意をもって新しい国民生活のなかに具体化するように努力されなければなるまいと思う。日本の未来を大切にするということを別に云い表わせば、青春の尊重ではないだろうか。

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:不詳
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「若きいのちを」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十四巻』新日本出版社、1979年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003195_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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