Soranoha

女性の書く本

じょせいのかくほん

宮本 百合子

小さい年表をこしらえる仕事がきっかけとなって、先頃古い出版年鑑をくりかえして見た。直接には、婦人がどんな文学的労作を出版しているかということを知りたかったのだけれども、年鑑をくってゆくうちに、様々の感想にうたれた。

大体に云って、最近まで、女性が本を出している割合は大変すくない。どの年でも、出版の一番多くの割合を占めて来たのは文学関係であるけれども、その中で女性によって著わされた本の数は実に僅かなもので、年によれば只の一冊もとるに足る書物があらわれていない年さえある。

僅かながら年々絶えず出版されていたのは家事・家政・料理・育児・裁縫・手芸などの本で、それにしろ程度から云うと大体は補習書めいたものが多い。

これらの状態を、ひとめでわかる統計図にして、今日の日本の若い女性たちが眺めたら、彼女たちは自分たちの文化上の実力の伝統について、どんな感懐をもつであろうか。

日本は、知られているとおり出版物の数の多いこと、種類の夥しいことでは、世界でも屈指であった。夥しい良書悪書の氾濫にもかかわらず、女性の著作のしめている場所は、狭く小さく消極的で、波間にやっと頭を出している地味の貧しい小島を思わせる。やっと、やっと、絶え絶えの声を保って来ているのである。

そして、なお興味のあることは、おや、すこし活溌に女性も本を出しているな、とその年を考えてみると、それは何かの意味で日本の社会全体に一種の積極な新文化への翹望のあった年々である。たとえば大正初期であるとか、昭和初期であるとか。

これまで、こんなに女性の著作が少くしかなかったということには、どういう原因があったのだろう。女性全体が、ぐったり無気力で怠慢であったのだろうか。表現すべき何の意欲も感じていなかったのだろうか。社会の気分が女の書いた本なんかに目もくれなかったというわけだったのだろうか。

最近の二三年を眺めると、この点ではびっくりするほどの変化が現れて来ている。女のひとの書いた本は相当どっさり出ている。大量に売れている。毎日の新聞に女性の著書の広告が出ていない日はないような有様だし、すこし大きい本屋ではこの頃婦人の書いた本だけ並べた場所をこしらえたりしている。文学作品も多いけれども、はっきりそうとも云えない雑書風のものもまことに多い。

数年来云われて来たインフレ出版の現象は、急速な社会全般の情勢のうつりかわりとともにこれ迄の文化伝統が変動しつつあることの一つの相貌として、云ってみればこれ迄出版業者にとって未開拓の地であった女性の世界へ次第に進出して来たのだと思える。

豊田正子の「綴方教室」小川正子の「小島の春」などが、この波頭であった。これらの本は、文学では生産文学、素材主義の文学が現れて生活の実感のとぼしさで人々の心に飢渇を感じさせはじめた時、玄人のこしらえものよりも、素人の真実な生活からの記録がほしいという気持から、女子供の文章の真率の美がやや感傷的に評価されはじめたとき、あらわれて、出版部数の大さでも一つの記録をこしらえた本なのであった。

今日では、同じ下らない本なら著書が若い女の方がいい、と何処かで誰かが云ってでもいるように、女性の著作が次から次へと出版される。本を出したら、という考えが若い女性の心に閃くとき、そこには万ガ一当ればという経済事情も伴って浮ぶようになって来ている。

今日のこういう現象の複雑さでは、つまるところ儲けが眼目で本屋は当りそうな女の本をあさっているのだとばかり単純に云い切れないところがあるだろうと思う。

この頃になって何故そんなに女性の書いた本に注意がひかれているのだろうか。女の書いた本というのは、どちらかというとまだめずらしい。それも理由の一つだろう。それとともに何となし社会の息づかいが乾いていて、何か素朴な、原形のままの人間感情のやさしさや、しなやかさや弾力を感じとりたくて、案外のような人も本を買っている。購買力が高まり、読書する人の層が全く従来の範囲から溢れて来ていることも明白で、そのことはとりも直さず、自分の腕で、自分でつかっていい金を稼ぐ若い男女の増大を示している。そしてこのことは、若い女性の生活にある種々の問題が、これまでより一層めいめいにはっきりと自覚されて来ている事実を語っているし、それらの問題が社会の中で普遍性をもった問題となって一般の目に映って来ていることをも語っていると思う。

女性が女性として語ろうとしている本が消化されるのは、女性が置かれている新しい社会的な境遇について、自分たちにあるあれこれの問題について知りたい、自分たちの生活に問題があることを肯定してリアルに語る言葉にふれてみたいという願望からであると思われる。

女性の書く本と、それを読む心理にこういう今日の生活の現実に立つ動機があるものだから、ごく最近では男のひとで、婦人の職業や結婚の問題を扱った本を出すひともあらわれて来た。

医術では、女のお医者より男のお医者の方がたよりになる気がする場合もあるというのが今日の私たちの正直な実感だけれど、女性の生活に即したことを語る本で、女の著書より肩書きのある男の著書の方が立派そうに思えるという時代は過ぎているであろう。今日の女性はもっと自分たちの生活の現実から本を読むし、漫然とした感想風な著作にあき足りないひとは、そこに専門的な精密さをもとめて、例えば谷野せつ氏の最近の女子労務者の生活調査を扱ったパンフレットなどをも深い関心で見ていると思う。

それがどういう事情からにせよ現在のように女性が出版の可能を割合もっているとき、女性はあらゆる種目と範囲に亙ってたくさんの本を出して行くべきだろう。質を縦にもふかめて、専門的な、時間の経過に耐える労作を、もっともっと生み出して行っていいと思う。

女性の勤労がひろまり高まるにつれて、文化の面でも女性の動きが現れるのは自然だけれども、その勤労が女性の歴史の成長にとってただの消耗であってはならないように、女性の書く本が目の先の過ぎゆく文化的泡沫であったりしては悲しいと思う。

もしこれ迄がインフレ出版であったというならば、それとして、その現実のなかで一番新鮮で肥沃で誠意もこもった成長の可能をもつ部分の一つが女性の著作の分野であっていいだろう。特別な本つくりめいた一部の文筆家をのぞいて、日本の女性一般はまだ本を書くことにすれていない。下らない本にも、その人としての最大の努力が傾けられている。そこに、最低の水準が次第に育ちのびようとする無視出来ない力がひそめられているのだと思われる。〔一九四一年九月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「東京堂月報」
1941(昭和16)年9月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/003141_000311/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/003141_000311/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/003141_000311/

宮本 百合子「女性の書く本」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十四巻』新日本出版社、1979年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003141_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite