Soranoha

暮の街

くれのまち

宮本 百合子

銀座の通りを歩いていたらば、一つの飾窓の前に人だかりがしている。近よって見るとそこには法廷に立っているお定の写真が掲げられているのであった。

数日前には、前陸軍工廠長官夫人の虚栄心が、良人の涜職とくしょく問題をひきおこす動機となっているという発表によって、そのひとの化粧した写真が新聞に出た。

それより前には、志賀暁子の嬰児遺棄致死罪についての公判記事が写真入りでのっており、又、解雇されたことを悲しんで省電に飛び込み自殺をしかけて片脚を失った少女の写真があった。新潟から身売娘が三十人一団となって上京した写真も目にのこっている。

これらの写真にのぼされている女の生活の姿は、昨今歳暮気分に漲って、クリスマスのおくりものや、初春の晴着の並べられている街頭の装飾と、何という際立った対照をなしている事であろう。

先頃前進座で「噛みついた娘」という現代諷刺喜劇が上演されて、好評を博した。なかに新聞記者が記事作成の上に加えられる不便をかこった科白せりふがある。日独協定のことについて、書かれるべき感想は更に多くあるのであろうが、お定の記事が、一等国の大新聞社会欄をあれほどの場面で占め得るということは、その一面に何を暗示しているのであろう。私共は、自分等の置かれている社会とその文化とは、果してかくも低い貧弱なものであるのかと、疑わずにはいられない。

昔の武士は、女を社会的に軽く、従属的に扱った。しかしながら、この慣習は女を物件化したと同時に、女の影響によって男の行動が支配されたということは、男の側としてあるまじきことという戒律が厳存した。女子供という表現は、人格以前としての軽侮を示すとともに、男の被保護的な存在と見られていたのであった。様々の面で復古趣味が見られるが、武人とその妻との関係も、今日では女の虚栄心が良人の行為の教唆者或は責任者として押し出されているというまことに興味ある新例が、前工廠長官夫人の場合に示されたと思う。虚栄心は実際多くの大小不幸の源泉となって来ている。女の虚栄心の生む災害とは、金色夜叉のお宮以来、一番大衆の耳に入りやすい結びつきをもって通俗化されているのである。何しろあいつの女房は見栄坊だったからね。そういわれると、何か納得されるものが聞く者の感情の中に用意されているようなのであるが、現代の心理学者は、虚栄心というものを抑々そもそも何と解釈するであろうか。

虚栄心は何故起るのだろう。栄華を求める心が取るまじき金をとったとして、そこに取り得る金があったということは何を語るのであろう。曲った金品を取らせようとする人間とそれを取るか、取らぬかの判断は、当事者の廉潔心によるしかない立場におかれる人間との関係というものは、社会的などういう相互利害の関係から生じるのであろうか。最も根底的なこれらの人間関係の腐敗の原因は何処にあるのであろう。一人の見栄坊な婦人がどうこうということで解決のつくことではないことは、複雑な今日の片よった景気の派生物である事件の弁明に際して、その夫人の虚栄心云々が余り強調せられる結果、却って当然の推理となって一般人の常識に反映しているのである。

就職線は拡大せられたと軍需工場について新聞は報じているが、私達の目前には解雇によって生涯を不具になった一少女が立っている。私たちは謙遜に偏見なしに自分たちのおかれている周囲の現実を眺める。そして所謂いわゆる日本の国際的進出によって、どの位女の生活はましになっているのであろうか。その答えを具体的に得たいと希望する。交換学生としてイタリーへ一人の日本の若い女性が派遣される誇りは、新潟から売られて東京へ出て来る三十人の少女の心が理解するには余り縁の遠い文化の一ポーズなのである。〔一九三六年十二月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「輝ク」
1936(昭和11)年12月17日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「暮の街」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十四巻』新日本出版社、1979年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003089_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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