Soranoha

矛盾の様な真実

むじゅんのようなしんじつ

梶井 基次郎

「お前は弟達をちつとも可愛がつてやらない。お前は愛のない男だ。」

父母は私によくそ(ママ)う云つて戒めた。

實際私は弟達に對して隨分突慳貪であつた。彼等を泣かすのは何時でも私であつた。彼等に手を振り上げるのは兄弟中で事實私一人だつた。だから父母のその言葉は一應はもつともなのであるが私は私のとつてゐた態度以外にはどうしても彼等が扱へなかつた。

私はどちらかと云へば彼等には暴君であつた。然しとにかく弟達はそれの或程度迄には折れ合つて、私對弟等の或る一定した關係の朧ろな輪廓が出來てゐた。

然しその標準から私は時々はみ出たことをした。――と云ふよりも事實いけないと思ふ樣なことをした記憶をもつてゐる。

三年程以前のことだと思ふ。その勘定だと、上の方の弟が十三で、その次が十の時だつた筈である。

その下の方の弟がこんなことを云つて戸外そとから歸つて來た。

「勇ちやん――(上の方の弟の名)――今そとでよその奴に撲られたんだよ。」

譯をきいて見れば、勇が自轉車につきあたられて、そしておまけに「この間拔け奴。」と云つてその乘つてゐた男に頭を撲られたと云ふのである。

私はそれをきくとむら〱とした。年をきいて見ると四十程の男だと云ふ、私はその男を自轉車からひきずり卸(ママ)して思ひ切りこらしめてやりたかつた。

私は、氣が弱くて恐らくは抵抗出來なかつた弟がどんなに口惜しく思つてゐるだらうと思つた。そんな奴はどれだけこらしめてやつてもいゝと思つた。そして私は何時のまにか、うんと顏を陰氣にしてしまつてゐた。

然し母はやはり年の功だけのことを云つた。つまり勇にもいけない所があつたにちがひないと云ふ風なことを云ひ出した。

私はそれをもつともだとは思つたが、十三位の家の弟をよその大人が撲るといふ樣なことはどうしても許せないと思つた。

「お母さん! そ(ママ)う云つてあなたはそれで堪忍出來るのですか。」と私は母に喰つてかゝつたのを覺えてゐる。私は不愉快で不愉快で堪らなかつたのだつた。

そこへその本人が歸つて來た。顏を見ると悄げかへつてゐる。そして泣いたあとらしく頬がよごれてゐた。私はそのしよぼしよぼした姿を見ると可哀さうには思つたが、なほさら不愉快が増した。

私が問ふと弟は話し話しまた涙をためた。――きいてゐる中にふと私はその話に少し嘘があるのを感じた。勝手のいゝ胡麻化しがある樣に思つた。

その弟は常からよく勝手のいゝ嘘を云つた。私はそれがいやで堪らなかつた。

――私はその氣持には純粹に嘘を忌むといふ氣持もあるにはあつたらうが、それよりももつと私に應へるのは弟に私の戲畫カリカチユアを見せられることであつた。

包まず云ふが、私自身はこれでかなりの嘘(ママ)言家なのである。そして虚榮家の素質も充分持つてゐる。私は自分の卑しい所、醜い所、弱い所をかくすためによく嘘を云つた。

私は自分のこの性格が忌々しくてならないのである。

その思ひ出したくない急所に、弟の淺墓な嘘が強く觸れる。そこを殊更に醜く擴大した私自身のポンチ繪を見せつけられる樣な悔(ママ)辱を感じる。

私のその氣持にはそれが私の肉親であるといふことも大分手傳つてゐるのだと思ふ。――つまりポンチ繪と云ふよりも本當の私の姿だと思へるためではないかと思ふ。またもう一歩進めば――「勇さんは嘘つきだ。兄弟は爭へない。あの直ぐ上の兄さんも。」といふ風になつて、あまり明瞭ではなかつた私のその嫌な性格が、弟のそれではつきり世間の人にわかつてしまふといふ懸念が、或は働いてゐるのではなからうか。

やはりこれが肉親の故でもあらうし、永く一緒に暮して來た故でもあらうが、第一は性格の相似から、私には弟の嘘が、その顏付や語調から、手にとる樣に――丁度私自身がその嘘を云つてゐる樣にわかる樣に思へるのである。そして事實は十中八九それの正鵠を證明してゐる。

そんな譯で私は弟が物を云ふとその話の中途で「それは嘘だ。」と云ひ切つたりすることがある。――こんな無禮なことは弟だからと云つて許さるべきものではない。然し私は不愉快のあまり憎惡さへ募らせて、意地惡くそれを云ふのである。そして弟の話の腰を折つてしまふ。

またあまり堪へ切れなくなると、私はむらむらと前後を忘れて、「馬鹿! また嘘を云つてる。」などゝ怒鳴りつけずにはゐられなくなる。――つまり私はその時、情ない氣持で歸つて來た弟にこれを浴せかけたのだつた。

「またお前も意氣地なしだ。それで默つてゐるつてことがあるかい。何故一つでも撲り返さなかつたのだ。」

私は弟の苦しい胡麻化しをその場合許せばよかつたのだつたが、その卑怯な嘘を感じると私は意地惡くなつて、ついそんなつかぬことを云つてしまつたのだつた。一つはあまりの口惜しさから。

「……でも石を一つ投げてやつた。……」

その時私は、その聲の弱さに、また顏の頼りなさに、私の嫌な嫌な、眞赤な嘘の證據を見たのだつた。

私の先程から積つてゐた不愉快は、それに出喰はすと新たに例の不愉快を加へて一時にはづんで來た。そして猛烈なはけ口を求めた。私はこの壓力で爆發する樣に「馬鹿‼」をやつてしまつた。

私はこれを思ひ出すと、その時の弟が可哀さうで堪らなくなる。本當にそ(ママ)うだ。

弟はそんなことでも云つて見なければ、あまりに口惜しく、自分がみぢ(ママ)めだつたにちがひない。

私がその時それを信じてやれば幾分かは、彼の無殘に傷けられた心も慰められただらうのに。

私はその時の弟が可哀相でならない。

惡いことをしたと思ふ。

*     *    *

私がその三年程も以前のことを思ひ出したのは、今日往來で子供の喧嘩を見てからのことである。私はその喧嘩を見ていろんなことを思つた。その思ひの辿るまにまにふとその記憶にぶつかつたのだつた。

その喧嘩といふのはかうである。

私は學校から熊野神社の方へ歩いてゐた。

雨模樣の空の間から射し出す太陽がいやに蒸暑くてあの單調な路が殊更長く思へた。顏や首から油汗がねつとり滲み出てゐたが、手拭を忘れて來てゐたので、と云つても洋服の汚れた袖で拭くのはなほのこと氣味がわるく、私はやけ氣味に汗まみれであるいてゐた。晝過ぎだつた。道は小學校の生徒が四五人と中學の生徒が二三人と、そして私だけだつた。埃にまみれたポプラの葉が動かうともしない。

はじめ自分はそれをほかの事だと思つてゐた。――が、それが喧嘩だつた。

一人の運動シヤツを着た子供が小學校歸りらしい子供とつかみあつてゐる。中學の生徒が二人程、あまり熱心でもなくそれを留めや(ママ)うとしてゐる。

歩きながら見てゐると、どうやら運動シヤツの子供の方が優勢らしく見えた。片方の子供はいかにも弱さうだつた。

なんとか云つてシヤツの兒が相手の脛のあたりを蹴つた。するとも一人は横面を撲つた。いかにもそれが頼りなささうで撲つたとは云へない位のものだつた。攻撃のためではなく自分の威嚴のため止むを得ずその形をしてゐる。――撲りながらも心では「もうこらへて呉れ。」と云つてゐる――といふ風に見えた。

一方は毒々しい程積極的だつた。弱い者いぢめをしてゐるにちがひなかつた。

一瞬間私は、私が幼い時經驗した無念さや恐怖を、やはりそんなに迫害されてゐる私の姿を憶ひ浮べた。

さきの方は顏を紅潮させてゐて、それが變に歪んでゐた。泣き出しさうにも見えた。然し消極的にせよ一つ一つ報いてゐた。一つに一つ。私はそれがいぢらしくて見てゐられない樣な氣がした。もうその上續けさせておき度くなかつた。

とめてやらうと思つて獨でに歩調を速めた時中學生等がやつと彼等をひき離した。

小學生の方は直ぐに、顏を少し伏せる樣にして走り去つた。――それも片足だけでけんけんをしつゝ一種踊る樣な恰好を身體につけながら。

私はその瞬間そんな恰好をせずにゐられないその兒の氣持が、私自身の氣持の樣に、ぐんと胸へ來た。

「敗けて逃ぐるのんか。何や、泣てやがる。」とそのシヤツの兒がその背後から叫んだ。

そしてそこに立つて見てゐた、その小學生の連れらしい、それもやはり學校歸りらしく鞄を下げた二三人が、獨りで走り去つた友達を追ふともなく、その後からその方角へ歩いて行つた。

――それは時間にすれば僅か二分かそこらのちよつとしたことだつた。

然し私にはそれがびんと響いた。

「男らしさ」への義理立てだけといつた風に振り上げられたその兒の弱々しい拳や、歪められた顏や、殊にけんけんで踊る樣にした恰好が何度となく眼に浮んで來た。

その兒がいぢらしくて堪らなかつた。

何だかその兒の顏が私の一番末の弟に似てゐる樣にも思へた。

「父親のない、母親だけが家に待つてゐるといふ風の兒なのぢやないか。」

そんなことまで空想したりした。

そして蒸暑い天候のことなど忘れてしまつてゐた。

底本 / Source edition

底本:「梶井基次郎全集 第一巻」筑摩書房
1999(平成11)年11月10日初版第1刷発行
入力:高柳典子
校正:小林繁雄
2002年11月10日作成
2003年5月11日修正
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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梶井 基次郎「矛盾の様な真実」(旧字旧仮名)、底本『梶井基次郎全集 第一巻』筑摩書房、1999年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003058_000074, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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