Soranoha

病菌とたたかう人々

びょうきんとたたかうひとびと

宮本 百合子

いまはもう鹿児島県に入らない土地となった奄美大島の徳之島という島から十二歳の少女が収容船にのって国立癩療養所星塚敬愛園にはいって来た。十歳のとき発病して、小学校の尋常四年までしかいかなかった松山くにというその少女は、入園したときからもう病状が軽くなくて、あまり運動などもできず、いつも机に向って本をよんだり、作文をかいたりしていた。その作文は、療養所の発刊している『南風』にのって、療養所の人たちに愛読されていた。

松山くにが十八歳になったとき、彼女は結核性脳炎にかかって、数日のわずらいで亡くなった。

彼女には、「あの包み」といって大事にしている一つの包みがあった。その包みの中には、彼女が療養所生活の中であきずにかき綴った作文の帳面がいく冊かしまわれていた。自分が死んだあとでも、お国の近い井藤先生(看護婦)にたのんでおいて、一つでも包みからえらんで星塚の文学の本にのせてもらおう、と十八歳の彼女は、もっとずっと年の小さい少女のような筆つきで「床の中」という題の文章のうちにかいている。

松山くにというその少女が短い生涯を終ってから四年たったとき、彼女の『春を待つ心』が出版された。そしてその桃色地に黄色い菜の花を描いた表紙の本が、いま、わたしたちの前にある。

川端康成氏の序文は、この写生文集の本質をよく語っている。松山くにという少女の素直さ、弾力のある感受性。だが「癩療養所という世間離れのために」「あるいは読書と教育との変則のために、この子は年相当の成長はしなかったのだろう」その子供のこころのまま生きた療養所の周囲の自然や人々の姿が『春を待つ心』の中に小さい子供の話のようにいきいきと動いていて、しかし全体とするとどこか客観的なつかみかたの足りない話しかたで書かれている。この少女にとって、療養所の生活が、精神年齢の成長をおくらせていたということは『春を待つ心』の「床の中」と「故郷を離れる」をよみくらべると、はっきりわかる。十二歳のとき書いた「故郷を離れる」の方が、十七八歳でかかれたものよりも生活的であり描写に現実の重量がある。

『春を待つ心』についての書評は、もうあちこちにのっている。それらの批評は、どれも好意的である。それは自然なことだと思う。この『春を待つ心』に対して、誰しも、やさしくされた心でしか物は云えない。

子供のままのこころと云っても十七八歳になった少女として、故郷を離れ、療養所の集団的な生活の中に「お母さん」や姉さんたち「お父さん」をもって暮している松山くにの胸の中には、やはり、十二の子供にはない思いが去来している。「お母さんの入室」「かいせん焼」「碁」「月蝕」「草履つくり」「着物のがら」「一本松」「目」「鼻」「悪口」「闇取引き」「散歩」などじっくりよむと、文章をあふれて深くせまって来る情景や生の思いがある。

ほとんど同時に、やはり国立癩療養所である多磨全生園の文芸協会が編輯した『癩者の魂』も出版されている。これは、大人の作品であり『春を待つ心』とは全然ちがう。『春を待つ心』が大人にならない少女の心によって自然の日が照るように自然の雨が降るように書かれた文章とすれば『癩者の魂』はおとなの文学作品という意識によって筋をたてられ、描写され、まとめられている作品である。読者は、それらの作品が、現代ジャーナリズムに氾濫している読みもの風な小説の影響をあまり多くうけていることについて、何かの感想を与えられはしないだろうか。限られた生活環境で、これらの人々の受動的にならざるを得ない読者の性質ということをまじめに考えさせられる。

われわれが、こういう特殊な性格の本をよみ、その批評をする場合、そういうことをするほんとうの意義というものは、どこにあるのだろう。『春を待つ心』のまえがきで、星塚敬愛園長の塩沼氏が「園内の子供たち」もどんなにこの本が世に出ることをよろこんでいるかしれないと言われている。この「園内の子供たち」という言葉は、訴えにみちている。『癩者の魂』のそれぞれの作品がほとんどペンネームで発表されているところにも、これらの人々の生の深い思いがある。

このような本が出版されることそのことが一つの社会的なアッピールではないだろうか。そして、これらの本を書評にとりあげることの本質には、これらの人々の切実な生のよび声を、わたしたちの社会連帯の感覚のうちによりひろく伝える義務がふくまれていると感じる。健康な人間が健康な人間を殺戮するために科学の精髄をつくして研究している、その莫大なエネルギーと費用の幾分でもが、人類にとって不幸きわまりないこの病菌からの解放のためにふりむけられることこそ、ヒューマニティーの義務であると思わずにいられない。〔一九五〇年四月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
1952(昭和27)年5月発行
初出:「日本読書新聞」
1950(昭和25)年4月12日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「病菌とたたかう人々」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十三巻』新日本出版社、1979年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 003015_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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