Soranoha

小林多喜二の今日における意義

こばやしたきじのこんにちにおけるいぎ

宮本 百合子

小林多喜二全集第一回配本を手にしたすべての人々が、まず感じたことは何だったろう。これで、いよいよ小林多喜二の全集も出はじめた。そのことにつよい感動があった。つづいて、小林多喜二全集の編輯は、実に周密、良心的に努力されていて、ただうりものとして現在刊行されている各種の全集類とは、まるで趣をことにした実質をもっていることを、当然のことながら新しい意義でそれぞれの心と行動の上にうけとる思いがある。直接編輯にあたって、解題を書いている手塚英孝は、小林多喜二がプロレタリア文学の領域に活動した時期、最も親しい仲間の一人であった。小田切進は、小林多喜二をふくむ日本の人民解放運動とその文学運動の成果を最もよく今日と明日の歴史の発展のうちに生かそうとしている若い世代の代表である。小林多喜二全集は、世代の発展的意欲の表現として、思いもかけない人々からの協力をうけながら発刊の運びになった。

小林多喜二が虐殺された一九三三年二月からきょうまでの十五年間、全集刊行のことは忘れようにも忘れられなかった。小林の死の直後日本プロレタリア作家同盟と日本プロレタリア文化連盟とは、小林多喜二全集刊行委員会を組織した。各団体から委員が出て、作家同盟からは、小林の死、その葬儀をとおしてほんとうに同志らしく行動した江口渙をはじめわたしをもふくむ数人の委員があげられた。刊行基金として、予約募集の仕事がはじめられた。その頃の金で全額五十円ぐらいであったろうか。予約募集は決して不成功ではなかったにかかわらず、刊行事務はちっとも進行しなかった。一九三三年と云えば、プロレタリア文化運動に集注破壊の向けられた年で、小林多喜二の虐殺は、ファシズム権力の兇猛さで、国内にも国外にも心からの憤怒をよびおこした。が、その一面プロレタリア文化団体は、小林多喜二の死によってうけた震撼と恐慌によって崩壊を早めつつあった。文学団体が機関誌さえも順調に刊行できず、団体解散の理由を、直接治安維持法の暴力によるものと明言し得ないで、指導者と指導理論の批判に藉口しゃこうするために汲々としている雰囲気の中で、小林多喜二全集刊行がどうして実現しよう。客観的にも主観的にも全集刊行は不可能であった。十五年もの間、小林多喜二全集が刊行されなかったという事実は、その十五年間に、日本のすべての人民の運命が、どんなに無惨な天皇制ファシズムのくびきの下につながれていたかという証左である。

一九四五年の無条件降伏によって、一応ファシズム権力は退場したように見えた。けれども日本の社会の実質がどれほどファシズムの無思想性と反歴史性に毒されているかという証拠は、民主主義運動と同時に、一部の人々が精力的に小林多喜二の生涯と文学に対して、歴史的基準のない「批判」を横行させた事実に見られる。この三年間に、反小林多喜二の慣用語として、主体性を云い、人民的民主主義の方向を抹殺して、個人を云い自我を云いたてた人々は、現在、その人々の目にもあきらかなように、反動的農民組合の分派が、自分たちを主体派とよび、労働組合の分裂工作が民主化同盟とよばれていることについて、どんな感想を与えられているだろうか。

小林多喜二の生涯と文学とは、民主主義陣営の間においてさえも、まだ全面的な正常さでうけとられていると云えない。それは、最近行われた「小林多喜二的身構え」という言句をめぐる論争の性格を検しらべて見てもよくわかる。小林多喜二は人民解放史と文学史との上にうけとられているというより、もっと生々しく、現代の心理のなかに生きている。不幸にして、その心理は、日本人民がファシズム権力にひしがれつづけて来た被抑圧的屈従の複雑なコムプレックスをふくんでいる。その心理的コムプレックスには率直にふれそこから解放されようとしないで、「文学理論」で饒舌に表現するよくない習慣ものこっている。

全集の普及は、わたしたちすべての人民が、歴史における運命を一歩前進させるための足がかりとして小林多喜二の生涯と文学とを、あらゆる角度から多面的に摂取するための何よりの機会である。

〔一九四九年二月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
1952(昭和27)年5月発行
初出:「小林多喜二全集月報」第二号
1949(昭和24)年2月
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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宮本 百合子「小林多喜二の今日における意義」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十三巻』新日本出版社、1979年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002999_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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