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        <title type="main" xml:lang="ja">新しい文学の誕生</title>
        <title type="reading" xml:lang="ja-Hira">あたらしいぶんがくのたんじょう</title>
        <title type="sub" xml:lang="ja">若い人に贈る</title>
        <title type="sub-reading" xml:lang="ja-Hira">わかいひとにおくる</title>
        <author><persName xml:lang="ja"><surname>宮本</surname><forename>百合子</forename><idno type="aozora-person-id">000311</idno></persName><persName xml:lang="ja-Hira"><surname>みやもと</surname><forename>ゆりこ</forename></persName><persName xml:lang="ja-Latn"><surname>Miyamoto</surname><forename>Yuriko</forename></persName></author>
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        <bibl><title>宮本百合子全集　第十三巻</title><publisher>新日本出版社</publisher><date>1979（昭和54）年11月20日</date><note type="input-edition">1986（昭和61）年3月20日第5刷</note></bibl>
        <bibl type="first-publication">「勤労者文学」創刊号、1948（昭和23）年3月</bibl>
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      <refsDecl xml:id="source-spans"><p>A note of type source-span has an xml:id of the form source-START-END, giving the extent in UTF-8 bytes of the decoded primary text identified in sourceDesc. <ptr target="https://w3id.org/soranoha/ns/tei"/></p></refsDecl>
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      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-447-1143">文学に心をひかれる人は、いつも、自分がかきはじめるより先にかならず読みはじめている。しかも、わたしたちがはじめて読んだ小説や、詩はどんな工合にして手にふれたかと云えば、それは十中八九偶然である。そういう人は大抵よむのがすきで、年の小さいときからいつとはなしに、あれやこれやの文学をよんで来ているのだが、はじめて読んだ小説をいまわたしたちがわきまえているような意味では、小説だとさえ知らずに読みはじめたような場合も多いと思う。ふとよんだものに不思議にひきつけられ、</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-1143-1161"><rb>犢</rb><rt>こうし</rt></ruby><seg source="#source-1161-1505">がうまい草にひかれてひろい牧場の果から果へ歩くように、段々そういう種類の本をさがして読みすすんで、あるとき、ほんとに自分は文学が好きなのだった、と自分に発見する。こういう過程は、私たちのすべてが経験していることではないだろうか。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-1505-1835">文学の発端とでもいうような、こういういきさつを、思いかえしてみると、わたしの少女時代の遠い記憶のなかには、一つの棚があって、そこにゴタゴタにつみこまれていた無数の雑誌や本が浮んで来る。文芸倶楽部、新小説、ムラサキ、古い</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-1835-1859"><rb>女鑑</rb><rt>じょかん</rt></ruby><seg source="#source-1859-1913">という雑誌。浪六の小説本。紅葉全集の</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-1913-1934"><rb>端本</rb><rt>はほん</rt></ruby>。馬琴の「白縫物語」、森鴎外の「埋木」と「舞姫」「即興詩人」などの合本になった、<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-2054-2087"><rb>水泡集</rb><rt>みなわしゅう</rt></ruby>と云ったと思うエビ茶色のローズの厚い本。『太陽』の増刊号。これらの雑誌や本は、はじめさし絵から、子供であったわたしの生活に入って来ている。くりかえし、くりかえしさし絵を見て、これ何の絵？　というようなことを母にきいているうちに、年月がたつままに、その中のどれかを偶然によみはじめて、少女雑誌から急速に文学作品へ移って行った。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-2575-3111">わたしたちの文学にふれはじめる機会が、多くの場合は偶然だ、ということについて、深く考えさせられる。わたしの母が本ずきであったために、父の書斎になっていた妙な長四畳の部屋の一方に、そんな乱雑な、唐紙もついていない一間の本棚があった。わたしの偶然は、そういう家庭の条件と結びついたのだったが、ほかのどっさりの人々の偶然は、どこでどんな条件と結び合うのだろう。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">マクシム・ゴーリキイの「幼年時代」は、幼年時代について書かれた世界の文学のなかで独特な価値をもっている。あれをよむと、おそろしいような生々しさで、子供だったゴーリキイの生きていた環境の野蛮さ、暗さ、人間の善意や精力の限りない浪費が描かれている。その煙の立つような生存の渦のなかで、小さいゴーリキイは、自分のまわりにどんな一冊の絵本ももたなかった。ゴーリキイが、はじめて、本をよむことを学んだのは、彼が十二三歳になってヴォルガ河通いの蒸汽船の皿洗い小僧になってからだった。同じ船に年配の、もののわかった船員がいて、一つの本をつめた箱をもっていた。彼は少年のゴーリキイと一緒に、自分の読み古した本をよみはじめ、やがて、ゴーリキイが勝手にそこから本を出して読んではかえして置くことを許すようになった。そして、その男は、ゴーリキイに<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-4200-4224"><rb>屡々</rb><rt>しばしば</rt></ruby><seg source="#source-4224-4295">云った。ここはお前のいるところじゃあない、と。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4295-4834">ゴーリキイの人生に、こうして、入って来た文学は、大したものではなく、ロシアの民衆の間にある物語の本だった。それにしても、ゴーリキイは、本を読むということが、自分の生きている苦しさや悩みを救い、またその苦しさや悩みについて、ほかのどっさりの人はどう感じ、考え、そこから抜け出そうともがいているかということについて知り、慰めと希望とよろこびを見出したのだった。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4834-5495">この本をよみはじめた時代の思い出のなかで、ゴーリキイは、きょうのわたしたちにとって極めて暗示にとんだ回想をしている。わたしの生活はこのようにあんまり野蛮で苦しかったから、読む本は英雄的なものや、空想的なものが面白かった。そういう本をよんでいる間は現実の苦しさからはなれることが出来たから、と。そういう意味を書いている。このことも、わたしたちが文学にふれる機会が、多く偶然からはじまる、という事実とともに、考えさせられる第二のことである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5495-6979">資本主義の社会では、出版という仕事も企業としてされる。資本主義の企業は、本質として利潤をもとめている。一定の量の紙をつかって一冊の雑誌をこしらえるために或る資本がいる。その投資を出来るだけ利まわりよく回収するためには、一冊の雑誌が高くてもどっさりうれるようにしなければならず、売れる、ということのためには、日本の人口の大部分を占める人々――大衆のこのみに合うことが必要となって来る。大衆のこのみとはどういうものだろう。こまかくしらべれば大変複雑で、音楽好き、映画好き、スポーツ好き、様々ではあるが、大体、人間として一応興味をひかれることがらというものはある。衣、食、住のこと、それから恋愛など、愛と憎しみの諸問題。その素朴ないくつかの主題は、その社会がそのときおかれている歴史的な条件で、さまざまに表現をかえて来る。衣、食、住、愛憎の問題だけを見ても、戦争中は、人間的な欲求の一切を抹殺した権力によって、そういうテーマは、すべて自然の文明的な主張をかくし、軍国主義への献身だけが強調された。小説にしろ、そうだった。大衆のこのみは、そこに追いこまれ、すべての出版物がそういう傾向であった。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-6979-7788">だから、そういう時代に本をよみはじめる年ごろになった若いひとたちは、偶然よんだ小説が、竹田敏彦であったり、尾崎士郎の従軍記であったり、火野葦平の麦と兵隊であったりした。本をよむことそれ自体が、一人の人間の生活の環のひろがりを意味するし、心の世界の拡大を意味することは、ゴーリキイの思い出に云われているとおりだから、あの時代、ひとは、一冊の本をよめば、よむほど、その偶然によって戦争気分へひきこまれた。戦争について考え直して見ようとする本、戦争について日本の権力が語るひとりよがりを不審とする論文、そういうものは発表されなかったのだから。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-7788-8988">さて、戦争が終って、ポツダム宣言が受諾され、日本は人民の幸福のための民主国にならなければならないことになった。三年経った今日、わたしたちの周囲に、いまはじめて、文学にふれてゆく人のために、最も多い偶然として氾濫している雑誌、小説類は、どんな種類のものだろう。衣、食、住、愛憎の主題に戻って、今日の出版物の多くを眺めると、戦争が社会の安定を破壊し、個々の人の物質と精神のよりどころを粉砕した、その乱脈ぶりと、傷口とが、まざまざ反映している。既成の文学のなかで、愛憎の問題は、人間の発展のモメントとして、まともに扱われる基礎を失ってしまった。こういうテーマに熱中していたのは中産階級の作家であり、文学であり、またその読者であったのだが、今日、日本の中産階級というものの実態はどうだろう。経済的に破滅した。経済上、精神上の闇が洪水のように、最もよわいこの社会層をつきくずしている。戦争中、非人間的な抑圧に</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-8988-9003"><rb>呻</rb><rt>うめ</rt></ruby><seg source="#source-9003-9731">いていた気分の反動で、すべての人間としての欲望をのばしたい衝動がある。その半面、経済的な社会生活の現実では、その激しい衝動を順調にみたしてゆく可能が奪われているから、虚無的な刹那的な官能のなかに、生存を確認する、というようなデカダンス文学が生れた。封建的な人間抑圧への反抗ということも、理由とされているが、それは、その第一歩、第一作の書かれた動機のかげにあった一つのぼんやりしたバネであったにすぎない。二作、三作、ましてそれで儲かって書きつづけてゆく作品のモティーヴになってはいない。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9731-9929">わたしたちのきょうの生活をリアリスティックに見つめれば、人民の殆んどすべてが日向と日かげの境で暮している。わるいことといいこととの</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-9929-9971"><seg source="#source-9929-9938">まだら</seg></hi><seg source="#source-9971-10277">を身につけて生きざるを得ない状態である。今日の生活としてだれしもやむを得ないことは、その程度のちがいだけであるところまで辷りこむと、本質をかえて社会悪となり、また犯罪的性格をもつようになってしまう。公然の</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-10277-10313"><seg source="#source-10277-10283">うそ</seg></hi><seg source="#source-10313-10355">が、わたしたちの生活にある。</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-10355-10391"><seg source="#source-10355-10361">うそ</seg></hi><seg source="#source-10391-10460">であることを政府も人民も知っている。だけれども</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-10460-10496"><seg source="#source-10460-10466">うそ</seg></hi><seg source="#source-10496-10499">は</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-10499-10553"><seg source="#source-10499-10514">わるいこと</seg></hi><seg source="#source-10553-11743">とも知っている。モラルの基準もぐらついている。百万円の宝くじに当った人はバクチ打ちとして捕えられない。けれども、バクチは千葉県の競馬場でも大騒動して検挙されているし、新宿もそれでさわいだ。五十円の宝くじを買って、百万円あたる、ということはバクチでないだろうか。勤労の所得と云えるかしら。政府が赤字やりくりのために思いついて、先ず五十円券をどっさり買わせ、それで第一段儲け、ついで五人のひとに百万円あてさせて、こんどは売れのこりに一本あったから四百万円だけはらって、それが何かの形でまた逆にかえって来て、金まわりを助けてゆく。こういうことは、わたしたちの常識にとっては異状に見える。堅実に、堅実に、耐乏して生産復興と云われ、勤労者はその気で生きている傍で踊子たちが宝くじのぐるぐる廻るルーレットを的に矢を射ている。しかし、きょう勤労するすべての人に企業整備の大問題が迫っている。税の問題がある。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-11743-11911">社会のこういう矛盾と撞着、それをみんなが知っているくせに、いちいちおどろいたり、苦しんだりしないような顔でいる</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-11911-11947"><seg source="#source-11911-11917">くせ</seg></hi><seg source="#source-11947-12923">になってしまった。しかも心は晴れていない。ロシア文学の古典の中でも、いま日本に流行しているのは、プーシュキンやゴーゴリの作品でなく、その文学の世界が、永久の分裂で血を流しているドストイェフスキーであるという事情には、いまの日本のこの社会的な心理がかかわっている。解決のない人間の間の利害や心理の矛盾、無目的な情熱の絡み合いの世界を、坂口安吾より太宰治より濃厚に戦慄的に描き出しているドストイェフスキーの文学は、目的のはっきりしない社会混乱のなかに生きているきょうの若い人の心をひきつける。その相剋の強烈さで。その暗さの深さで。自分が感じている明るくなさや、ひとも自分も信じがたさを、刺戟し、身ぶるいさせる自虐的な快感でひきつけられているのだと思う。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-12923-13123">ここで、再びわたしたちは、文学にふれてゆく機会が偶然であるという事実と、ある文学にひきつけられるモメントの問題に立ちかえってみる。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-13123-13881">こういう現実の事情で、人々のうちにある文学の種や芽は全く今日戦争後の廃墟の間にばらまかれている有様だと云えると思う。わたしたちが激しい現実を生きてゆく道で、偶然に接触するいろいろの現象を箱入り風にあらかじめ選んでゆけるわけはない。肉体とともに精神も、実に荒っぽくもまれる。エロティックなものにもふれ、人格分裂の風景にふれる。その、それぞれに反応する生きた心を生きている。その波風の間で、では、何がわたしたちの日夜、まともに伸びたいとねがっている人間性の砦となり、その人の文学の足場となってゆくのだろう。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-13881-14321">平凡だと思われるほどすりへることのない一つの真実がある。それは、一人一人のひとが、自分のまともに生きようとする願望について不屈であることである。過去の文学談では、こういう問題は、文学以前のことという風に扱われる習慣があった。いまでも、そういう流儀はのこっている。しかし、それは間違っている。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-14321-15376">わたしたちが、ほんとにこの社会でまともに生きようとするとき、現実とその願望との間には忽ち摩擦がおこって、いやでも応でも私たちに、自分のこの社会での立場、属している階級の意味を目ざまさせる。勤労して生きているものの人生の内容と、徒食生活の男女の生活内容の絶対のちがいは、一つの恋愛小説をよめば、まざまざとしている。二十四時間を、八時間から九時間以上職場にしばられ、千八百円でしめつけられつつ家族の生活をみている正直な勤労者の青春にとって、きょうの猟奇小説と、ロシアの人民が暗黒のなかに生を苦しんでいた時代のドストイェフスキーの世界は、何を与えるだろう。しかし、偶然は、そういう作品をも或る休みの日の夜、人々の手にとらせるのだ。その人は、何の気もなしに読む。そして何と思うだろう。どんな感じがしただろう。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-15376-15487">勤労して生きるすべての人の新しい文学の胎動と可能のめざめは、この単純な、</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-15487-15565"><seg source="#source-15487-15514">どんな感じがしたか</seg></hi><seg source="#source-15565-16002">、というところに源泉をもっているのである。読ますことは読ますが、どうも。そういう感じもある。ドストイェフスキーってなるほど大したものらしいが、しかし、カラマゾフの世界が、これからの現実に再びあるとしたらどうだろう。社会の歴史は、どっち向きに動くはずのものなんだろう。そういう疑問もあり得る。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-16002-16835">どれも、文学の作品批評とは云えないかもしれない。そんなにまとまってはいない。だけれども、どだい文学というものは、非常に複雑な世界の底を、びっくりするほど単純で、しかもまじりけないもので支えられているのがその本質である。それは、どうしてだろう？　という疑問と、何故？　という問いかけである。バルザックの世界、トルストイの世界、小林多喜二の世界の底に、一つの、どうして？　が存在する。この根本的な疑問を、それぞれの作家が、どんな歴史の見かたで、どんな歴史のなかで、どんな階級の人として、どんな方法で追究し、芸術化して行ったかが、作品形成の一つの過程である。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-16835-17393">きょう作品を読む人々は、自分が現代の日本の現実の中に働いて生きるものとして生きているという社会的な本質にたって、まともに生きようと欲している、という人生のテーマと、そこにある感覚をしっかりもって、ふれる文学作品の一つ一つについて、心にひきおこされる直感的な判断を大切に保って、それを社会的に文学的に成長しつつ深め展開させて行ってこそ、はじめて、その人としての文学が生れる</seg><hi rend="bouten 傍点 right" source="#source-17393-17429"><seg source="#source-17393-17399">めど</seg></hi><seg source="#source-17429-17851">がつかまれて来る。そういう心でよんでみれば、古典から現代作家の、国内国外のあらゆる作家が、それぞれに見事な業績をのこしながらも、ほんとに自分の云いたいこと、あらわしてみたい心、描きたい情景だけは、誰もかいていないことを見出して、どんなおどろきと、新しい世界の発見にうたれるだろう。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-17851-18876">多くの文学作品をよんだあと、人はやがて自分で書くようになる、という事実は、決してただ書きかたがわかった結果ではない。他の人々が精神こめて、一生かかって芸術化した世界は、これほどどっさりあるのに、こんな小さい自分の人生であっても、やっぱりほかの誰にもかかれていず、自分しか書けないことがあるのだ、という発見こそ、その人を謙遜な勇気にふるいたたせ、人生の豊富さと人間社会の歴史の貴重さに感動させる。歴史が前進しないものなら、過去の天才は文学のテーマをかきつくしてしまえたろう。その人が自分の社会的・階級的人生を発見したからこそ、そこにおこるすべてのことの人間らしい美醜、悲喜の歴史的意味を知り、自分をもある時代の階級的人間の一典型として、客観的に描き出してゆく歓喜を理解するのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-18876-19814">わたしたちの人生と文学の偶然はこうして、偶然から意味ふかい必然に移ってゆく。リアリズムは、人間の生きる社会とその階級の歴史と個人の複雑な発展の諸関係を、社会の歴史と個人の諸要因の綜合的な動きそのものの中で現実的に掴もうとする本質によって、文学の最も強固な手法である。リアリズムが人間の芸術表現にとって大地のような性質だということは、すべての架空な物語、幻想をとりあげてしらべてみるとわかる。どんな虚構、どんな作為のファンタジーにしても、それが文学として実在し、読者の心に実在感をもってうけいれられるためには、力をつくして、そのファンタジーや、ディフォーメーションにそのものとしての現実性を与えることに努力しているのである。</seg></p>
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        <p><seg source="#source-19832-19859">〔一九四八年三月〕</seg></p>
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        <note type="source-attribution" source="#source-19867-20239"><seg type="source-line">底本：「宮本百合子全集　第十三巻」新日本出版社</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1979（昭和54）年11月20日初版発行</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1986（昭和61）年3月20日第5刷発行</seg><lb/><seg type="source-line">底本の親本：「宮本百合子全集　第十一巻」河出書房</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1952（昭和27）年5月発行</seg><lb/><seg type="source-line">初出：「勤労者文学」創刊号</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1948（昭和23）年3月</seg></note>
        <note type="transcriber-note" source="#source-20239-20556"><seg type="source-line">入力：柴田卓治</seg><lb/><seg type="source-line">校正：米田進</seg><lb/><seg type="source-line">2003年4月23日作成</seg><lb/><seg type="source-line">青空文庫作成ファイル：</seg><lb/><seg type="source-line">このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（http://www.aozora.gr.jp/）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。</seg></note>
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      </div>
      <note type="parser-completion" n="true">The n attribute is true when no parser diagnostic of error severity was raised for this source. What the converter could not interpret is recorded in the interpretation-problem and parser-diagnostic notes.</note>
      <note type="source-decoding">windows-31j</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-0">{
  "coordinate_system": "decoded_utf8",
  "end": 10391,
  "end_line": 25,
  "line": 25,
  "start": 10361
}</note>
      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-0">bouten_target_ambiguous</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-1">{
  "coordinate_system": "decoded_utf8",
  "end": 10496,
  "end_line": 25,
  "line": 25,
  "start": 10466
}</note>
      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-1">bouten_target_ambiguous</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-2">{
  "coordinate_system": "decoded_utf8",
  "end": 10553,
  "end_line": 25,
  "line": 25,
  "start": 10514
}</note>
      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-2">bouten_target_ambiguous</note>
      <note type="source-span" xml:id="parser-source-3">{
  "coordinate_system": "decoded_utf8",
  "end": 11947,
  "end_line": 26,
  "line": 26,
  "start": 11917
}</note>
      <note type="parser-diagnostic" subtype="warning" n="bouten-target-ambiguous" source="#parser-source-3">bouten_target_ambiguous</note>
    </back>
  </text>
</TEI>