Soranoha

新世界の富

しんせかいのとみ

宮本 百合子

第二次世界大戦では、世界のあらゆる国々が大きい犠牲を払った。地球はこの戦争によって血みどろにされた。然し全人類的なこの闘争は、これまでの歴史にあったすべての戦争と全く種類を異にしている。人間のあらゆる智慧をふりしぼって、破壊の為の武器が作られその効果が験ためされた。けれどもこの戦争の人類の歴史に対してもっている最大の意義は野蛮な独善的な権力意慾に対して、人民の人間的理性の窮極の勝利が闘いとられたということである。世界の民主主義が、近代の仮面をかぶった封建性を打破ったということは、人類史の上での特筆大書されなければならない画期的事件である。人類の文化史はここで旧時代の一巻を終った。私達は、おさえることの出来ない歓喜と期待とをもって、明日の世界へと私達の新しい頁を切ろうとしている。

戦争の間日本の文化が置かれていた状態は今更いうまでもなく悲惨であった。その悲惨を脱却するために役だつ国際的な文化交換というようなものは勿論遮断されていた。日本の侵略戦争が進められているあいだに、私たちはどんなに度々フランスのことを思ったろう。ポーランドのことを思ったろう。そしてソヴェト同盟の人々が献身して愛する彼等の祖国、自分たちの手で、自分たちの生命で、一九一七年から築きあげて来た人民の祖国を侵略から防衛している姿を思いやったことだろう。

私の目の前には、ヴォルガ河が見えた。ヴォルガからスターリングラードへ入る埠頭の景色が思い出された。包囲されているときレーニングラードは、その美しい大通りと面白い数々の橋とでつい目の前に浮んできた。モスクワへ侵入軍が迫るという時、私はどんな憤りを以って侵入者の近寄る足音を想像したろう。そして、いつも想った。私がモスクワにいたころ、逢った幾人かの作家たち、ピオニェールたち、労働者たちは今日、どんな戦線にたっているであろうかと。

一九一七年から数年の間ソヴェト同盟の到るところで、国内戦が行われていた。飢餓があった。寒さとすべての不如意があった。それにもかかわらず、新しい社会に生れ変ったソヴェトの人々は、建設の熱意に溢れて、あらゆる面に自分たちの創造力を発揮した。戦法に於て驚くべきパルチザン闘争をした労働者、農民たちは、文化の面で全く新しい文学作品を送りだした。一人一人の人が当時のソヴェト同盟に於ては新社会建設の英雄であり、自身として喜びと誇りをもって語るべき何物かを持っていたのであった。

私が最も知りたく思ったことは一九四一年から始った祖国防衛戦の英雄的な経験と世界史的なその勝利との経験は、どんな新しいソヴェトの文学を生みだしているであろうかということであった。

偶然ワンダ・ワシレフスカヤの「虹」を読んだ。この作品は恐らく現代文学の最も勝れた収穫の一つであろう。この作品には自分たちの生命と、ともにある自分たちのソヴェトの生活を護ろうとして、言葉尠く、勇気と、智慧と、あらゆる堅忍とを以て侵略者と闘ったウクライナの男女農民の姿が見事に描きだされている。作者のワンダ・ワシレフスカヤは周知の通り、ポーランドの人民解放委員会の委員長として政治的経験も極めて深い婦人である。ソヴェト同盟の民主主義とその現実とは、生きた激しい歴史の過程の中で、ワンダ・ワシレフスカヤのような新しい作家の一典型を生み出している。この実例は多くの人の心を打ったと思う。何故なら、これまでの世界文学はいつも「政治と文学」の問題を、対立する二つの要素のように考えて、その課題の解決に議論を重ねて来ていたのであるから。ソヴェトの歴史と経験はこの問題を、その肉体で解決しているように見える。

自身の社会の建設と発展の為に生きること、その道の上に生じる闘いと、憩いと、憤り、悲しみ、喜び、一切の事象と情熱とは、とりも直さず生きてゆく必然の政治そのものからの照りかえしであり、人民の胸に燃える表現の欲望は、それらを自ずから物語ることで先ず文学の一歩を踏みだしている。自分達で創り、育て、守り、高めつつある社会に生きているという日常現実の中に、政治と文学とは融合ってしまっている。唯そこには、より文学的に、より芸術的に表現する才能の違いが存在しているばかりである。

これは、一九一七年以後のソヴェト社会が、この世界に齎もたらした一つの新しい人間性の豊富さである。一九一七年以来ソヴェトがたえず押し進めてきた人間の立体的な社会生活の方向が、このたびの防衛戦という大刺戟によって、破壊から巨大な建設へと、全人民の経験を転化させる可能を与えた。

一九三〇年頃のヴェラ・インベルは洗煉された一人のソヴェトの女詩人で、未来派出身らしいスタイルを持った才女であった。

彼女の作品は気が利いていた。フランスの匂いがした。けれども率直にいってそれ以上の何ものであったろうか。今次大戦が始ってから彼女の良人である映画監督者は、レーニングラードの前線で記録映画のために働いていた。レーニングラードは包囲された。モスクワにいたヴェラ・インベルは飛行機でレーニングラードに飛び立った。そして、包囲軍を撃退する迄そこに留った。当時の日記が整理されて、「殆ど三年」という題で出版された。

その大きい経験で、インベルの才能がどのように鞏固にされ、拡大されただろう。早く彼女の最近の収穫を読みたいと思う。そこには全ソヴェトの善戦の誇りがあるだろう。真の勝利とは、どういうものであるかということを鳴りひびかせている数行があるだろう。

私たちは一日も早くその本を手にとって、一つ一つの文字は充分によめないとしても、ここに疑いもなく、人間の理性の環飾りがもたらされているということを感じたいと思う。

最近、何人かの新しい婦人作家が活動している。一九四三年にモスクワで出版された文化紹介の冊子を見ると、オルガ・ベルホルツという女詩人の書いたものが載っていた。

侵略されたレーニングラード市民の記録である。彼女の写真がのっていた。薄色の髪の毛を簡単な断髪にして、黒っぽい上衣の胸に、彼女の功績を語る勲章がさげられている。衿もとには、昔のソヴェトに決して見られなかった美しいレースの衿がのぞいている。オルガ・ベルホルツの写真の中の顔は、私たちを感動させる表情をたたえている。彼女の目と、口もとと。それは、どんなにさまざまの光景をみているかを、雄弁に語っている目であり、この口もとがひとたび開かれた時、私たちはそこから、もっとも真実な、レーニングラードの市民たちの善戦の記録を聞くに違いないと思える口もとである。彼女の名は十年前には知られなかった。

マルガリータ・アリゲール。この女詩人は「ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤ」という作品を書いている。ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤはドイツ軍に対して組織されたパルチザンの戦いに参加した十八歳の女性であった。独軍につかまった時、彼女は、パルチザンの秘密を守って、拷問に耐え、一言も云わずに殺された。防衛戦の雄々しい英雄として彼女の物語りは映画にも作られた。ゾーヤも新しいソヴェトの娘であった。その物語りを書いたマルガリータも亦、新しいソヴェトの娘である。

封鎖されていた日本の窓は、東に向っても西に向っても、漸々ようよう開かれた。私たちは開かれた窓に向っている。そして、その窓に、もたらされてくるこれらのソヴェトの文学の収穫を待っている。私たちはその窓枠を飛び越えて、自分たちの生活の声をあげながら、世界の友だちに向って、子供のように熱心に駈けだしたいと思っている。

自由な、信頼にみちた、そして真面目な研究心に充実した、文化連絡の機関が確立されねばならない。アメリカの文化との交流、中国の文化の正しい再認識と評価。イギリスの、又フランスの、新しい生活力の開花して行く様子の反映。ソヴェトの文化の研究。これらすべては私たちの成長のために欠くことの出来ない栄養である。〔一九四六年五月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
1952(昭和27)年5月発行
初出:「ソヴェト文化」創刊号
1946(昭和21)年5月
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「新世界の富」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十三巻』新日本出版社、1979年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002963_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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