Soranoha

春桃

チュンタオ

宮本 百合子

一

情報局、出版会という役所が、どんどん良い本を追っぱらって、悪書を天下に氾濫させた時代があった。日配が、それらのくだらない本を、束にして、配給して各書店の空虚な棚を埋めさせた。今から三年ばかり前は、その絶頂であった。本らしい本をさがす心と眼とは、駄本の列の上に憤りをもって走ったのであった。

そういう時期に、都電が故障した偶然から、神明町のわきの本屋へ入った。何心なく見まわしていたら、「春桃チュンタオ」中国文学研究会編という一冊が目にとまった。

その赤い文字の「春桃チュンタオ」という題を特別な気持で見たのには、いわれがあった。ざっと一ヵ月も前のことであったろう。護国寺わきの本屋に、この「春桃」が例により十何冊が一束げになって棚に並べられていた。そうもどっさり無感興に並んで、「米鬼を殺せ」という風な本の間にはさまれていては「春桃」という文字が訴える情趣もそがれている。わたしは、惰性めいた微かな反撥の気分のまま、この赤い二つの文字も通りすぎてしまった。

たった一冊「春桃」と、今は、はっきり読める本を見た刹那、護国寺の本屋のことがすぐ思い浮んだ。全く違う好奇心を感じた。ぬき出してみると、その「春桃」は新本ではなく、誰かが金沢市の本屋で買ったものであった。そして、この本屋かどこかへ、売ったものである。そのことにも、一種の懐しみがある。買って帰って来た。

中国文学研究会という集りに対しては、随分古くから、ぼんやりした興味と期待とをよせていた。私たちの精神のなかには、所謂漢文学者を通してでない中国文学を知りたい欲望が非常につよい。現代中国文学の相貌について、深い関心が潜んでいる。その文学が、私共にも読めそうでいて、実は読めない。なまじ、魯迅を知り、魯迅の文学論を読む機会があっただけ、そしてエドガア・スノウの「支那の上の赤い星」の描写が刻みつけられているだけ、この自分でも読めそうで読めない現代中国文学は、不断の魅力となっているのである。

「春桃」は昭和十四年に支那現代文学叢書第一輯として出されたものである。七篇の作品が収められている。落華生「春桃」、冰心女士「超人」「うつしえ」、葉紹鈞「稲草人かかし」「古代英雄の石像」、郭沫若「黒猫」「自叙伝」等である。

これら七篇の作品を読み、一貫してつよく心を打たれたのは、これらの中国の作家たちはおそらく小説で飯をたべてはいまい、というリアリスティックな印象であった。

一つ一つの作品については、それぞれ異った印象があるし、おのずから出来、不出来がある。しかし、七篇をとおして流れている云うに云えない生真面目な、本気な、沈潜した作者たちの創作の情熱は、少くとも日本の、浅い文学の根が、ジャーナリズムの奔流に白々と洗いさらされている作品たちとは、まるで出発点からちがったものであることを痛感させた。

ここに集められている作品の作家たちは、おそらく皆、どの人も、中国の文学を愛する人々からは尊敬され、親愛の情をもって期待されている人々であろう。私のように、中国文化について知らない者でさえも、謝冰心女士の名は聞いて久しいし、郭沫若と云えば、彼が日本の家の内に愛妻と愛子たちとをのこし故国へ向って脱出した朝の物語までを、心に銘して知っている。

だが、中国の社会の歴史は、近代企業としてのジャーナリズムというものを、日本ほど発達させていないのではないだろうか。日本のように、明治以来、よろめきつつ漸々前進しつつある近代の精神を、精神の自立的成長よりテムポ迅い営利的企業がひきさらって、文学的精励、文壇、出版、たつき、と一直線に、文学商売へ引きずりおとしてしまう現象は、中国文学にまだ現れていないのではないだろうか。

バルザックの「幻滅」は十九世紀において、ヨーロッパに出版業が企業として擡頭し始めた時代に、作者たちが、どんなにその営利業の本性をむき出した奸策と闘い、打算に抵抗し、頑強に作家として闘わなければならなかったかということを、暑くるしいほどに描き出している。

芥川龍之介が馬琴を描いた作品の中には、版元が、為永春水と馬琴とを張り合わせようとする苦々しさが、馬琴の感想として語られている。淡く、語られている。

バルザックの小説を読むと、ヨーロッパの近代文学の作家たちはあくのつよい近代出版業者たちと日夜もみ合いながら、上向する社会全般の経済関係の中で、互に勁つよくなって来ているように思える。文学者の力量は文学者として十分生活上の経済的基盤を与えるし、そのことは作家の思想性をも確立させ、強大な出版企業に対抗するだけの社会性を身にそなえたものとして来ているかと思える。

日本の作家の事情は、少くともこれまでは、中途半端であった。一定の文学的力量は、比較的たやすく彼及び彼女たちを食わせるようになる。けれども、その食わせかたは、日本的水準で、謂わば、手から口へ、という状態からあまり遠くない。一人の作家が、時流におされて、或る程度日常生活を世俗的に膨脹させてしまうと、そのふくらんだ日暮しを、ころがしてゆくために、執筆は稼ぎとならざるを得ず、稼ぎともなれば、注文に敏感ならざるを得ない。

戦時中、日本の文学者たちが示したおどろくべき文学精神の喪失は、日本の野蛮な権力による文化圧殺の結果として見られるものであるけれども、兇悪な権力が出版企業と結合して、薄弱な日本文化・文学を底から掘りかえして来た過程は、惨憺たるものがある。

「春桃」一巻は、私たち日本の作家に、それらの事情について思いをめぐらせずにはおかない迫力をもっている。

中国の文化はまだ甚しく不均衡で、民衆の文盲率は高く、文章によって生計を保ちがたい状態かもしれない。出版ということは、利潤追求の手段となっていない程度であるかもしれない。しかし、文化のその状態は「春桃」に集められた作家たちの心に、食う食わぬをぬきにした創作の誠意を湧き立たせているように見える。

みずから山河巨大な中国に生れ合わした人民の一人として、中国の民衆生活を衷心から愛し、おかれている苦渋の生活を哀惜し、その未来の運命の発展に対して限りない関心をもっている。そのこころが溢れている。ロシア文学史の十八世紀末から十九世紀の間に見られるロシアとロシア人の運命に対する、文学者たちのナロードニキ風の限りない関心が、「春桃」の作者達の行文の間に漲っている。魯迅によって切りひらかれた近代中国の優秀な文学は、そうした意味で、生粋の人民の文学の要素をもっている。

アメリカの文学は、ブルジョア民主社会内の個性と理性とが発展し得る道行きの様々な経過と摩擦とを鋭く反映している。その意味で、世界的性格を帯びて来ている。ソヴェト文学は、より先の民主社会の創造力を表現している。半ば眠り半ばは確乎と覚醒している厖大なアジアの一国、中国で、資本主義以前にありながら、しかも、目下の急速な世界情勢の動きにつれて、豊饒な民族資源が才能さえも含めていきなり最も民主的方法で開発される十分の可能をもっているという事実は、私たちにとって、興味以上の感動すべき注目事である。

二

春桃は、徳勝門ドーションメンの城壁に沿った廂房に暮している三十歳ばかりの、すっきりとした清潔ずきの屑買い女である。崩れのこった二間の廂房の外には、黄瓜きゅうりの棚と小さい玉蜀黍とうもろこし畑とがあり、窓下には香り高い晩香玉ワンシャンユイが咲いている。劉向高リウシャンカオという、同じ年ぐらいの少しは文字のよめる男が、春桃と同棲している。向高は、春桃が一日の稼ぎを終って廂房に戻って来ると、いつも彼女の背をもみ、足をたたいてやった。そして商売の上では、価のある紙質や書類をよりわける。向高は、春桃をどうしても女房や、と呼びたい。そして、実際にそう呼ぶ。けれども春桃はその度毎に、「女房、女房って、そう呼んじゃいけないって云ってるじゃないか、ええ?」と、うけつけないのであった。春桃は、向高と自分とは天地も拝せず三々九度の盃も交さず、ただ故郷の兵火に追われて偶然遁にげのびて来た道づれの男女が、とも棲みしているばかりだと主張していた。しきたり通りの婚礼をした春桃の良人は李茂リイマオという男だった。やっと婚礼の轎が門に入ったばかりの時、大部隊の兵が部落に乱入して来て、逃げ出した新夫婦は、二日目の夜馬賊に襲撃されて又逃げるとき、遂にちりぢりとなった。その時より四五年経った。彼女の几帳面さと清潔とを見出されて、或る西洋人の阿媽となったが、春桃には、どうしても西洋の体臭に添いかねて、やめてしまった。大きな屑籠を背負い、破れた麦稈むぎわら帽子に、美しい顔の半分をかくした春桃は、「屑イ、マッチに換えまァす」と呼んで暑い日寒い日を精出した。そして帰れば夏冬の区別なく必ず体を拭いた。その湯を用意して待っているのは向高である。葱五六本、茶碗一杯の胡麻醤油を買って来て二人で食べる。「彼等のこの数年間の同居生活は、鴛鴦おしどりのようだと云っていけなければ、一対の小さな雀のようであったと云えよう。」

ところが或る日のことであった。午砲ドンの鳴る頃、春桃は、いつもの通り屑籠を背負ってとある市場へ来かかった。突然入口で「春桃、春桃!」と呼びとめた者があった。春桃は、向高でさえ、年に何度としか呼ばないそういう呼び方で、誰が自分を呼ぶかと、おどろいた。振返って、春桃の愕おどろきは、物も云えない動悸に高まった。破れた軍服を着て、云いようない軍帽を斜にかぶって、両脚のない乞食こそは、李茂なのであった。

春桃は人力車をやとって、李茂と屑籠とをのせた。そして、廂房のわが家へ帰った。李茂は、小ざっぱりとした廂房の内部と、春桃の生活につよい好奇心がある。

「お前とその劉リウという人とは一緒にこの部屋に住んでいるのかい?」

「そうですよ。わたしたちは二人ともこの炕おんどるの上で寝ます」春桃は少しもためらう風を見せなかった。

「じゃ、お前はその人に片附いたのかね?」

「そうじゃないんだよ。いっしょに暮しているだけのことだよ」

「じゃ、お前は今でもまだおれの女房というわけだね?」

「いいえ、わたしは誰の妻でもないんだよ」春桃のこころのうちには、うまく云い表せこそしないが、誰のものでもない春桃の感じがあるのであった。「李茂の夫権意識は激しく動いた。」

「そんなら、ひとがきっと生きている王八ワンパ(女房をとられた男)と笑うだろう」

「王八」ちょっとふくれた春桃は、しかしやはりおだやかに云った。「金もあり勢力もある人しか、王八になる心配はないんだよ」「今、わたしの体は、わたしのものだよ。わたしのすることが、あなたに恥をかかせることは決してない筈だよ」

李茂は、「一夜の夫妻は百日の情」というけれども、その百日はもう十以上も過ぎた。春桃は一人で住んで仕事を見つけ、手伝いに向高を見つけた。「情愛から云えば、むろん、李茂に対しての方がずっと薄い」春桃が李茂を連れて来たのは、親たちのつき合い仲間への義理や同郷のよしみからであった。「あんたがわたしを女房だと云っても、わたしは云いません」そして、春桃は泣いた。

「あんたが片輪だからって、にべない仕打ちは私に出来ない。ただわたしは、あの人をすてかねるんだよ。みんな一緒に暮して、誰が誰を食わしてやってるなんて考えないことにしたら、いいじゃありませんか?」

李茂と向高とは、春桃と三人で暮しはじめた。向高は、少し本をよんだので「先に小人、後に君子」の道理をのみこめたし、生存の利害はきっちり春桃に結ばれていたし、嫉妬してはならないと云ったから、彼はその種子さえも踏みにじってしまった。李茂にしても、春桃のところから出てほかのどこへ行きたかろう。李茂は、家の内にいて、切手や紙のよりわけが上手になって行った。

けれども二人の男と一人の女とが、一つ炕の上に寝るのは、どうもあまり便利ではなかった。二人の男の間に、微妙な不安があった。二人は、春桃をゆずり合い、幾度も字のかける向高は「赤い書付」をかいた。春桃は、何度もそれをやぶいた。そういうおだやかだが、こころにかかるいきさつのうちに或る夕方、向高の姿が見えなくなった。その姿をさがしても見当らず、がっかりして帰って来た春桃が見つけたのは、窓の欞子れんじに自分の体をつり下げている李茂であった。彼は息をふきかえした。二日経って、春桃が商売からかえると、部屋からとび出して来る向高の姿を見た。

「あんた、帰ったのかい……」春桃の頬を涙が流れた。

「おれは、もう向哥シャンさんと相談して、そうきめたよ、あの人が戸主で、わたしは同居人だ」

瓜棚の下で、又商売の話が賑やかに始められた。彼等の廂房に、戸口証が貼られた。戸主劉向高、妻劉代。李茂はもうぐっすり眠っていた。天の川はすでに低くなっていたからである。晩香玉ワンシャンユイの香の高いひっそりとした暗やみの中で、かすかに「女房や」と云いかけるのと「聞きたくもない。わたしはあんたの女房じゃないよ」という答えが聞かれた。

こういう風趣の作品を書いた作者落華生が、コロンビア大学、オクスフォード大学に遊学して、専門は印度哲学の教授であるというのは面白い。余技のように作品を書いて来ていて、初めの頃は異国情調や宗教的色彩の濃いロマンティシズムに立つ作品であったという人が、一九三四年七月の『文学』にこの「春桃」を発表した。

新しい中国の知識人として、彼が享けた西欧の教養が、初めは漫然とヨーロッパ文明に対する東洋というものを意識させ、彼の作品が余技であれば尚更のこと異国情調という程度に止っていたのだろう。しかし中国人民の目ざめとともに、人民生活は、つよくひたひたと彼の紳士であり大先生である皮膚にしみ入って来たと思える。彼はそこに血のぬくもりと、折れども折れぬ民衆の生活力と、学問ならざる愛すべき人間叡智とを感じ直しているように思える。「人に依頼する者と人から掠奪する者のみが所謂風俗習慣を遵守し得る」親愛の情をもって、作者は春桃の生活態度を肯定している。ひとが何と云ったってかまわないし、妙なことを云えば、ねじこんでやればいい、という春桃の頸骨のつよさは、中国独特の肌理きめのこまかい、髪の黒い、しなやかな姿のうちにつつまれている。

パール・バックは、中国の庶民の女の生きる力のつよさ、殆ど毅然たる勇猛心を実によく感得した。それら中国の妻たち、母たちは、高い身分から低い身分の女に到るまで、親愛と敬歎をもって描かれている。しかし、文学というものの微妙さ、民族性というものは、云うに云えなく興味ふかい。パール・バックの筆は沈着、精密、精彩をもっているけれども、そして時に偉大に近いけれども、落華生が「春桃」一篇に漂わしている中国のうっすり黄色い、柔かい滑らかな靭つよさは、パール・バックの生れつきの皮膚とはちがった手ざわりをもっている。

封建の伝統をもたない国の女性であるパール・バックが中国の婦人のおどろくべき強靭な生活力を、主として、妻、母という極めて重い軛くびきの担い手としての姿の裡に発見し、描き出した。春桃は、深い伝統の波の底にあって、しかも習俗の形に支配されきってはしまわない一個的婦女として、自覚しない独立の本能に立って見られていることも深い深い意味を感じる。あまりの貧しさ、貧しさ極った無一物から漂然とした従来の中国庶民の自由さとちがって、春桃は、稼業を見つけ出す賢さ、男二人をそれぞれに役立ててゆく才能、小さい店もひろげてゆく実際能力をもつ女であるからこその「誰のものでもない」こころもちを通して生きてゆく。中国文学において、この作品のモティーヴはこの点から観察しただけでも、或る前進の足どりを示していると思える。

本もののヨーロッパを知っている落華生は、中国の有閑モダン女性というものに、赤面を感じるところが少くないらしい。短い、辛辣な文句が「春桃」のうちに散在している。

中国の社会を歴史の遠近もはっきりつけてヨーロッパの心の上に、くっきり映してみせたパール・バックの作品は、世界文学の上にも意義をもっている。彼女の芸術は、東洋をうつす卓抜な鏡の一つであった。

近代日本の権力が、中国に対してはいつも侵略者であったという悲しむべき事実から、同じ東洋のわたしたちも、パール・バックの鏡によって、真実の中国への愛をよびさまされたのであった。

「春桃」の中に一篇の「うつしえ」という作品がある。冰心女士の作品である。この短篇を読んで、小さくはあるが非常に深いおどろきにうたれるのは、私一人ではなかろうと思った。パール・バックの作品を近代の堂々とした三面鏡にたとえるならば、冰心女士のこの小説は、紫檀の枠にはめこまれた一個の手鏡というにふさわしい。けれども、このつつましい、繊手なおよくそれを支える一つの手鏡が何と興味つきない角度から、言葉すくなく、善良な一人のアメリカ婦人の衿あしにみだれかかる幾筋かのおくれ毛を見せてくれているだろう。東と西とが団欒する客間の椅子では語られず、聴かれない、おくれ毛の人生的なそよぎが「うつしえ」一篇にみちている。「うつしえ」の女主人公は、ニューイングランド出の婦人宣教師C女史である。彼女が二十五歳で中国のキリスト教女学校に赴任して来たとき、一番若い、一番美しくてやさしいC女史は、どんなに崇拝の的になったろう。P牧師も、きっと彼女の良人になる人だろうと思われるほど、彼女を崇拝した。しかし三年たってP牧師が休暇帰国して来たときには、快活な牧師夫人を伴っていた。やがて、時が経つうちに、次々と新しく若い女教師も来るようになり、C女史は小さなとある胡同ホウトンの家に移った。「そこで彼女は一匹の小犬を飼い、幾株かの花を植え」「春の日は花の下に坐し、冬は煖炉にうずくまって、心情は池水のように、静かに、小さく、絶望的で、一生はこうして終ってしまうのだと、自ら悟った様子でした」

そこへ思いもかけず、学者の孤児となった淑貞シューチョンがひきとられ育てられることとなった。彼女は「柳の花のように」C女史の「感情の園生に飛びこんだ」

十年の間C女史の身辺で、「あたかも静かな谷間の流れのようであった」淑貞はC女史にとって「天使のような慰め」である。中国を心から愛し、評価するC女史は、淑貞を、教養深いが純粋な中国の女性として育てあげて来たのであった。

十八歳で女学校が終ったとき女史は淑貞をつれてニューイングランドの故郷の家へ戻った。もし淑貞がニューイングランドを好きならば、そちらの大学に入れてもよいと思ったのである。

どこへ来ても、淑貞のはにかみがちな、しとやかさは同じであった。マダムたちが好意をもっておくりものなどをしてくれる。しかし、彼女は、時々「心乱れて、云い知れぬ淋しさを感ずることが」あった。淑貞はおとなしすぎてニューイングランドの若い青年には面白くない。淑貞にとっても、金髪で碧あおい眼の面々、中国にいるアメリカ人とはどことなく違うここのアメリカ人である人々は、やはり退屈に思える。

或る日、C女史の晩餐に李リー牧師とその息子の天錫ティンシイが招待されて来た。天錫の静かな慎しみぶかさや、生粋な中国の聰明さにみちた風貌は、淑貞のこころに東洋の香りを充満させた。

天錫はまた一目で見てとった。なつかしい故郷の化身のように生々と自分の前に現れた淑貞も、自分と同じようにここで孤独なのだ、ということを。天錫の純潔な心の苦痛は、彼がニューイングランドの人々にとっていつも一人の「中国の模範青年」であることであった。中国から帰って来た教育家たちが、教会で神学作興資金の演説をしたあとでは、きまって天錫を壇上に呼び上げて、会衆に紹介する。「『之が、我々の教育で出来た中国の青年です。ごらん下さい』と云わんばかりです。これは猿まわしみたいなものではないですか」「私は敢て云います、もしわたしにたとえ少しでもとるべきいいところがあっても、決して彼等の訓練で出来たものではありません」

たいまつのように目を輝かせ、亢奮している天錫をみて、淑貞の眼には、いつか清らかな涙が流れた。その涙をこぼすまいとして、淑貞は元の姿勢で、無理に微笑を浮べて天錫を見上げている。淑貞の感動は強烈である。けれども、彼女の分別は、やはりしずかで、もち前の落着きを失うことがない。「しかし、私からみますと、ひとの考えも皆わるくはないと思いますの。」「もしも冷静に考えて、心静かにこの刺戟を故国へもち帰り、我々を鼓舞して仕事をし、国際上の接触においてもよく光栄ある祖国のために働かせ、心の健全な人を作るべきではないでしょうか」

淑貞がニューイングランドへ来てから半年経った。外面から見た日常生活に大した変化はないのに、淑貞は何と変ったろう。C女史は「手を額に当てて、懺悔に似た心もちで呆然と窓の外を眺めた」淑貞の窈窕ようちょうたる体には活溌な霊魂が投げ入れられて、豊満になった肉体とともに、冗談を云う娘となって来た。

二十八年間を中国に暮したC女史にとって、故郷の天気は却って体に合わなくなっている。C女史はものうくベッドにもたれていた。軽快な足どりでそこへ入って来た淑貞はいつものように、C女史をやさしく劬いたわり、笑いながら「母さん御覧なさい、これ、あたし達が前にピクニックに行った時の写真よ、天錫さんが私の知らないうちにとったのがあるのよ」

C女史は、ものうくその写真をとりあげた。八枚の最後の一枚を手にとりあげたとき、C女史は突然目を見はった。

若葉でいっぱいに飾られたゴムの大樹、一面の芝原、うつむいて御馳走のふたをとろうとしていた淑貞が、にわかに頭を擡げた瞬間にシャッターがきられている。淑貞の「顔一杯の嬌笑、それは驚きと喜びと情熱の哄笑です。生々とした眸、むき出された雪白の歯、こうした笑いをC女史は十年この方絶えて見たことがありませんでした」戦慄が、C女史の体を貫いて走った。名状しがたい感激がわき上った。「驚きではない、怒りでもない、悲しみでもない。彼女はただしっかりとこの一枚のうつしえを抱きしめました」

再びその部屋に入って来た淑貞の咲きみちた花のような姿は、C女史に「一団の春意屋中に在りて流転す」とでもいう感銘を与える。ふと目をあげて向いの化粧鏡に映った自分の姿、その髪は乱れ、毛糸のシャツを着て蒼ざめた顔、眼はいくらか血走って、眼尻に多い皺。淑貞は又その写真を手にとって無邪気に云った。「母さん、この人たちこんなに活溌でかわいいのね。わたし達そう云ったのよ。みんなで一緒に大学へ入学しましょうって、きっと……」C女史は答えない。C女史はそっと下唇をかみ、涙ぐんだ眼を、窓の外に向けた。そして心配そうに「母さん何を考えていらっしゃるの?」ときく淑貞の手を軽くとって云った。「淑貞や、私は中国へ帰ろうかと思っているんだよ」

冰心女士は、読み終った人々の心の中に同情と哀愁とを湛えさせたまま、そっと自分はものかげへ退いてしまう。ここには、何と東と西とがまざまざと在り、しかも同時に、その東と西とをひとくるみにする人間らしさが流れているだろう。字が読めない中国の女も、必ずそれは巧みであるとされている中華刺繍の一片は、絹の糸のよりかたから、糸目の並べかた、色の配合、すっかりそれはフランスの刺繍と違う。アメリカのドローン・ワアクとも違っている。違うことにある美しさ、美しさ故に世界の心にしみ透ってゆくまともな迫力。これは、私たちを感動させ考えさせる。芸術の民族性と世界性について沈思させる。正しく調整された民族自主の国々が自由にゆき来し、いろいろな作家が、いろいろの鏡、いろいろの角度で、内と外からそれぞれの国の生活を互に映し、互に表現し合い芸術化してゆく愉しさこそは、この地球に生れ合わしたそれぞれの時代の人間の真の歓喜と富貴であると思う。

アンデルセンの童話を、所謂童話と思ってよむ人はない。葉紹鈞の「稲草人かかし」「古代英雄の石像」を童話として紹介すれば、人々は、中国の誠実な一つの心情がその中に流している暗涙の重みにおどろくだろう。

ガルシンの「赤い花」は昔のロシアの苦しい、つきつめた正直なこころの破局的な象徴として、文学史の上に、今日一つのゆるがない場所をしめている。「稲草人」「古代英雄の石像」などが、中国文学史の上で中国の悲傷、誠意、人民の惨苦への愛と民衆創造の希望を象徴した作品として、高く評価され記念さるべき時が近づきつつある。

昼間はもちろんのこと、夜じゅう田圃に立って、天の星や月の美しさ、露の味を知りつくしているのは身動きもしないで、ゆるやかに手の団扇をうごかしている稲草人である。夜も眠らない稲草人の前に、一つ一つくりひろげられる貧しい農家の老婆が害虫と闘い生活と闘う姿や、飲んだくれの夫に売られることを歎いて、投身して死ぬ漁婦の独白は読者の心魂に刻み込まれて消すことの出来ないリアリティーをもって描かれている。

その左腕を内側にまわしていかにも力強く群集をその下に抱きかかえているように、又右腕の拳はぐっと前につき出して、敢て彼を侵さんとする者は何人たりとも来ってこの刑具――拳を受けよ! という風な英雄像に彫り上げられた一塊の石にしかすぎぬものが、余り市民の崇敬を受けてその栄耀に傲慢となり、もとは一つ石の塊であった台座の石ころたちと抗争しつつ、遂に自身の地位に幻滅してこっぱみじんに砕けてゆく物語は、平静に、諷刺満々と語られている。

同じ作者によってかかれた「稲草人」の悲しい絶望と、この作品の展望的な結果の対照とは、私たちに、中国文学が進んでいる明日への方向について示唆するところがある。魯迅の大きい、嘘というもののない人間及び文学者としての投影のなかから、既に、魯迅自身は歩まなかった新しい中国文学の一歩がふみ出されている。丁度ゴーリキイの巨大な懐の中から、夥しい民衆の文学創造力が、かもし出されて、今日のソヴェト文学をゆたかならしめているように。

私たちは、中国文学研究会が、「春桃」を第一輯とした次の第二輯を、出版されることを切望する。蕭軍、蕭紅たちは、きょう、どういう作品を生んでいるだろうか。延安の洞窟のなかで生れる文学はどういうものであろうか。それを知りたいと思っているのである。

附記 「春桃」一巻の本文、特に主人公たちの名前を、編者は親切に中国の発音に準じてフリガナをつけていてくれる。しかし、作者たちの名に、それがついていない。日本の読者の悲しみは、愛する落華生を、忘れられない葉紹鈞を、どう発音したら、中国及び外国の人々に、その人と知らせることが出来るのか分らない歎きである。これから私たちの読む中国文学は作者の名もはっきりと、世界に通じる発音において学ばなければならないと思う。〔一九四六年二、四月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
1952(昭和27)年5月発行
初出:「近代文学」2、3号
1946(昭和21)年2、4月
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/002961_000311/

宮本 百合子「春桃」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十三巻』新日本出版社、1979年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002961_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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