Soranoha

マクシム・ゴーリキイの伝記

マクシム・ゴーリキイのでんき

宮本 百合子

前書

一九三六年六月十八日。マクシム・ゴーリキイの豊富にして多彩な一生が終った。恰度ソヴェト同盟の新しい憲法草案が公表されて一週間ほど後のことであった。ゴーリキイはこの新憲法草案の公表によって引き起されたソヴェト同盟内のよろこびと、世界のそれに対する意味深い反応とを見て生涯を終った。それより前に、ゴーリキイが重病であるという記事を新聞で読み、毎朝新聞を開く毎にその後の報知が心にかかっていた。新しい憲法草案公表のことが報道された時、私はその事から動かされた自分の感情の裡に、ゴーリキイが自分の生涯の終りに於てこの輝かしい日に遭遇したということを思い合せ、ゴーリキイは出来るだけ生かしておきたい。しかし、もし死んだとしても、彼は歴史の一つの祝祭の中に葬られる。これは美しいよろこびにみちた生涯の結びでなくて何であろうか。そう思い、そしてゴーリキイの馴染み深い、重い髭のある顔と、広い肩つきとを思い浮べるのであった。

一九三二年以後のゴーリキイ、芸術に於ける社会主義リアリズムの問題がとり上げられるようになって後のゴーリキイは、世界の文化にとって独特の影響を与えていた。五ヵ年計画の達成と、それによって引き起されたソヴェト同盟の社会的現実の変化は、さながら一つの強大な動力となって、マクシム・ゴーリキイが六十有余年の間に豊かに蓄えた人間的経験、作家としての鍛錬、歴史の発展に対する洞察力と確信などのすべてを溶かし合わせ、すべての価値を発揮させ、世界の進歩的な文化を守るために活動させたと観察される。「どん底」を書いたのは四十年近く前であり、その頃から各国語に翻訳されて読まれるという意味ではゴーリキイは若い時から世界的作家であった。しかし、最近数年ゴーリキイが世界的であったという意味は、それよりもっと深まったものであった。多くの人の興味を引くという意味で世界的であった彼は、晩年に於ては特に人類文化の正当な発展のために、今日の地球になければならない楔の一つとして、われわれ文化の進歩を確信するものすべてによって愛し、尊敬される存在となっていたのである。

私がゴーリキイに会ったのは一九二八年であった。彼が七年ぶりに、イタリーからソヴェト同盟へ帰って来た時の事で、当時ゴーリキイは、ソヴェト同盟に自分が永住するかどうかということについても、はっきり心を決めていなかったようであったし、彼としては予想したよりはるかに盛大な、心からの歓迎に感動しつつ、今日から考えると、日の出前の空が、濃いとりどりの色で彩られているような、ある複雑な不決定と、期待、歓喜が彼の感情を満していたように察せられる。

レーニングラードの六月の静かな朝。ヨーロッパ・ホテルの一室、十月大通りを見下す方に大きな窓が開いている。赤っぽい、そう新しくない絨毯が敷いてある。隣室へ通じるドアの近くにゴーリキイが腰かけている。シャツも上衣も薄い柔かい鼠色で、それは深い横皺のある彼の額や、灰色がかって、勁さと同時に感受性の鋭さを示している瞳の表情、特徴のある髭などとよく調和して感じられた。彼は、低い平凡なホテルの客間用肘掛椅子にかけている。大きいさっぱりと温い手を自分の前で自然に組み合せている。斜向いのところに丸テーブルがあって、その上にはもうさめ切った一片のトーストが皿にのったまま忘られたように置かれている。

私は細い赤縞の服を着てそのテーブルに向い、わきに立って私の上にかがみかかっている友達に、時々綴りを訊きながら、本の扉にロシア語を下手な字で書きつけている。私はゴーリキイに自分の小説を一冊贈るために持って行った。その扉に「予想されなかった遭遇の記念のために。マクシム・ゴーリキイへ」と日本字で書いてそれをゴーリキイに見せたら、彼は、日本字が読めなくて残念だと云い、その意味をロシア語で書いてくれと云った。私はそれを書いているのであった。書きあげて、子供より下手だと笑いながら見せた。するとゴーリキイは真面目な、親密な調子で「なに、結構よめる」と、別に笑いもせず答えた。その云い方と声とが今も心に残っている。

ゴーリキイがもういず、彼によって残された沢山の蔵書の中に交って何処かに、私のあの本もあるのかと思うと、何か一口に云い現せない心持が私をみたす。何故なら私の記憶の前には、中川一政氏によって装幀された厚い一冊の本と、ゴーリキイの如何にも彼らしい「なに、結構読める」と云った声とがまざまざと結びついて生きていて、その思い出はゴーリキイという一人の大きい作家の生涯の過程を私に会得させるために、驚くほど微妙な作用をしているのである。

ソヴェト同盟の文学史に於て、マクシム・ゴーリキイは、例えて見れば最後の行までぴっちりと書きつめられ、ピリオドまでうたれた本の大きい一頁のような存在である。私たちは、自分たちに課せられている頁の数行をやっと書いたに過ぎない。ゴーリキイの生き方、作家的経験から若い時代の生活者、作家の汲みとるべき教訓は実に多いと思われる。今日までに刊行されているゴーリキイの作品の全集や、最近の文化、文学運動に対する感想集等の外に、今後はおそらく周密に集められた書簡集、日記等も発表され、ますます多くの人にゴーリキイ研究の材料と、興味とを与えることであろう。

既にソヴェト同盟ではゴーリキイの文学的遺産の整理、研究のためにステツキイを委員長として特別な委員会が組織された。

マクシム・ゴーリキイの生涯は、人類の歴史が今日の段階に於て輝やかしき実を結ばせた文学的大才能の一典型として、過去の世界文学史に現れたいかなる天才者に比べても、本質的に全く新しい意義をもっている。下層階級出身のゴーリキイが波瀾多いジクザクの道を経てその晩年には遂に人類的な規模で進歩的文化の地の塩となり得た迄の過程には、とりも直さず十九世紀後半(明治元年頃)から今日まで、夥しい犠牲に堪えつつ不撓な精神と情熱とをもって、自身を縛る鎖を断ち切るために闘いつづけているロシア大衆の意志とその勝利がまざまざと反映している。ゴーリキイは歴史の正しい進展のために文学の仕事をもって献身し、その歴史の光輝ある達成のうちに作家としての彼自らをも完成させた。歴史性と箇性・才能との相互関係について未曾有の典型を示しつつ、彼の六十八年の生涯を終ったのである。

マクシム・ゴーリキイの人間及び作家としての全業績、及びその上に包括されるものとして生涯の或る時期に一度ならず経験された絶望、動揺、逸脱の性質などを若き時代が十分の尊敬と判断力とをもって究明すべき所以は、それらの現象の殆ど悉くが古い文化の重圧的影響と身をもって組みうつ未熟な而も驚くべき発展性をもったプロレタリア文化の一歩後退二歩前進の姿であるからである。窮極に於て箇性はいかなる過程によって完成されるものであるかという歴史的事実を語る高貴な人間記録であるからなのである。

幼年時代

マクシム・ゴーリキイは、一八六八年(明治元年)三月二十八日、ロシアでは最も古くから発達した中部商業都市の一つであるニージニ・ノヴゴロド市に生れた。本名は、アレクセイ・マクシモヴィッチ・ペシコフと云った。父親はマクシム・ペシコフ。母の名はワルワーラと呼ばれ、彼は二人の長男として生れたのであった。若い、しっかりした指物師であった父親のマクシムはゴーリキイが五つの時ヴォルガ河を通っている汽船の中でコレラで死んだ。この若い父も当時のロシアの社会に生きる勝気な青年らしい短い物語をもった人であった。

マクシムの父親というのは陸軍将校であったが、或る時その部下を虐待した廉でシベリヤに流されたという男である。その時分のロシア軍隊生活と云えば有名なひどいものであったにもかかわらず、その中で部下に対する虐待を問題とされ、処分されたということは、この将校の惨酷が一通りのものでなかったことを想像させる。息子であるマクシムは、家庭における父親の悪い性質の目標とされた。彼は堪え切れず十七歳になる迄に五度も家出をし、最後に、そして永久に父の家を見捨てることに成功した時には、ニージニの町へ落付いた。二十歳の時、もうマクシムは一人前の指物師、壁紙貼職人であった。彼が働いている仕事場は偶然、ニージニの職人組合の長老、染物工場主カシーリンの隣りである。

或る夏のことであった。カシーリンの妻アクリーナが娘のワルワーラと一緒に庭で何心なく夷苺のいちごをとっていると、隣家との境の塀をやすやすのり踰えて一人の逞しい立派な若者がこっちの庭へ入って来た。見ると、髪を皮紐でしばった仕事姿のマクシムである。アクリーナが、おどろきながらも天性の温かい調子で訊いた。

「どうしたね、若い衆、道でもないところから来てよ!」

するとマクシムはアクリーナの前に跪いて云った。

「アクリーナ・イワーノウナ。俺達を助けて下さい。俺達は結婚したいんだ」

ワルワーラはと見れば、自分の手にある籠の夷苺のように体じゅう真赤にして、庭の林檎の樹蔭にかくれながら、マクシムに何か合図しながら、眼には涙があふれそうになっている。

「私たちはもう、とうに結婚しました。私たちは只婚礼をしなくちゃならないの」

「ワシリー・ワシリーエフが俺にワーリャを呉れねえことはわかっている。だから、俺はあの娘を盗みます。唯お前は俺たちを助けて下さい。石で打ってもいい。どっちみち俺はゆずらない」

ひっくり返るほどたまげながら、「こうなりゃ、ほかになんとしよう」アクリーナは「マクシムの額とワルワーラの編髪に祝福した」

若い者たちはアクリーナの思いやりのある才覚で、こっそり教会で婚礼の式をあげることが出来たのであった。が、ヴォルガの曳舟人足から稼ぎためて、今は九年間も改選なしの職人組合長老にまでなっているワシリー・カシーリンにとって、謂わば渡り職人のようなマクシムに一人娘を呉れてやることなど我慢出来るものではない。ワシリーの日頃の自慢は、ワーリャは貴族へ、旦那へ嫁入らすということなのであった。若夫婦はゴーリキイが生れる迄勘当の扱いであった。

孫アリョーシャ(ゴーリキイ)の誕生は、一時、気狂いのように荒々しく慾張りな、カシーリン爺さんの心持をも和らげたように見えた。若い夫婦は老人の家へ来て暫く一緒に暮したが、確かりしたマクシムに対するワーリャの兄弟共ミハイロとヤーコブの嫉妬が恐ろしい奸計を企てさせた。或る厳冬、マクシムを誘ってこの義兄弟どもは池へ出かけ、スケートと見せかけて、氷の裂け目からマクシムを水の中へ突落した。マクシムは氷のふちへ手をかけて浮き上ろうとする。ミハイロとヤーコブとは、ここぞとばかりその手の指を踵で踏みたくる。

マクシムの命を救ったのは彼の沈着で豪毅な気性と素面しらふであったことであった。この椿事のためにマクシムは七週間も患った。その夏ヴォルガ河口に在るアストラハン市で凱旋門を建てる仕事があって、マクシムは妻子をつれ移住した。四年ぶりでニージニへ戻る船中で彼はコレラで倒れたのであった。

父親が死んでから、小さいアリョーシャ(ゴーリキイ)は母親のワルワーラと一緒に祖父の家で暮すことになった。が、この鋭い刺のあるような緑色の眼をした老人は、一目見たときからゴーリキイの心に本能的な憎みを射込んだと同時に、この祖父を家長といただいて生活する伯父二人とその妻子、祖母さんに母親、職人達という一大家族の日暮しは、幼いゴーリキイにとって悪夢のような印象を与えた。

深くかぶさった低い屋根のある、薔薇色ペンキで塗った穢い家の中には二六時中怒りっぽい人達が気忙しく動き廻り、雀の群のように子供達が駈けずり廻った。ワルワーラが不意に戻って来たので、伯父たちの財産争いは一層激しくなった。食事の間に祖父さんを中心に掴み合いが始ることさえ珍しくなかった。

たまにおとなしく台所にかたまっていると思うと、この大人達は自分が先棒になって、半分盲目になっている染物職人のグレゴリーの指貫をやいて置いて哀れな職人が火傷するのを見て悦ぶ有様である。子供らは、家にいれば大人の喧嘩にまきこまれ、往来での遊戯といえば乱暴を働くことと殴り合いとであった。小さいゴーリキイは、心の疼くような嫌悪、恐怖、好奇心を湧き立たせながら「濃いまだら」のある妙な生活を観察し、次第に自分や他人の受ける侮蔑や苦痛に対し、心臓をひんむかれるような思いを抱いた。

悪態、罵声、悪意が渦巻き、子供までその憎悪の中に生きた分け前を受ける苦しい毎日なのであるが、その裡で更にゴーリキイを立腹させたのは、土曜日毎に行われる祖父の子供等に対する仕置であった。鋭い緑色の目をした祖父は一つの行事として男の子達を裸にし、台所のベンチの上へうつ伏せに臥かせ、樺の鞭でその背中をひっぱたくのであった。ゴーリキイはこの屈辱に堪えることが出来なかった。死んだ父親のマクシムはゴーリキイを打擲したことはなかった。だと云って、五つの子供が一週間何一つ折檻の種をつくらずに暮すことなど、どうして出来よう。或る土曜日、ゴーリキイは猛烈に抵抗して猶更祖父さんからひどくひっぱたかれ、最後まであやまらないで気絶したことがあった。このことでゴーリキイは熱病にかかり、永い間寝床から起きられなかった。ほかの従兄弟らは、依然として土曜日になると樺の鞭をくって泣き声を立てつづけたが、ゴーリキイの抵抗は遂に祖父さんを屈服させることが出来たのであった。

アレキサンドル二世が形式的な農奴解放を行ったのは一八六一年であった。ゴーリキイが生れた時分、農奴制そのものは廃止されていた。しかしながら、二百五十年間に亙ってロシアの大衆の生活を縛りつけていた封建性は実に深く日常の習慣に滲みこんで、家庭内における父親の専横、主人と雇人との関係の専制的なことは、恐ろしいばかりであった。ゴーリキイの祖父の家の生活は、その息づまるような一つの標本なのであった。

こういう幼年時代の暗い荒々しい境遇の中でゴーリキイの敏感な心に一縷の光りと美の感情を吹きこんだのは、祖母アクリーナの一種独特な存在であった。子供の時分は母親につれられて乞食をして歩いたアクリーナ。八つ位からレース編の女工になって素晴らしい腕をもっていたアクリーナは、二十二歳でヴォルガの船夫頭をしていたカシーリンの母親に見込まれて嫁入って来たのであった。祖母は小さいゴーリキイに物語ってきかせた。

「祖母さまのおっ母がそれとなし気をつけておらを観ておったのだ。おらは女工だ。乞食の娘だ。だからおとなしくすべえ。……おっ母というのは錠形カラーチパンみたいで悪い心の女であった。口にも云えねえ。……」

だが、この祖母は、自分の辛酸な閲歴の中から慾心のない親切と人間の生活の智慧に対する信頼とを見つけ出して来た稀有な心の持主であった。ロシアの古い民謡を実にどっさり知っていてそれを上手に唄い、祖父のいない晩の台所での団欒がはじまると、ふだんは太った重い体がどうしてああも不思議な魅力を示すかと驚くような踊りをおどった。特にその物語は、すべての聴きてを恍惚とさせる熱と抑揚とを持っているのであった。台所の炉辺で、或は家じゅうを荒れている気違い騒ぎから逃げ込んだ屋根裏の祖母さんの小部屋の箱の上で、ゴーリキイが話して貰ったロシアの沢山の伝説、聖者物語、又祖母さんの見て来た様々な生活の物語は、窒息するような生活にはさまれているゴーリキイの心に、広い世の中への漠然とした憧れ、生活の歓び、期待を養ったのであった。

祖母さんは朝、目をさますと、先ず荒い鼻息を立てて顔を洗い、さて聖像の前に立った。猫背の背中を真直にし、頭をふりあげ、愛想よくカザンの聖母の丸い顔を眺めながら、彼女は大きく念を入れて十字を切り、熱心に囁くのであった。

「いと栄えある聖母さま、今日もあなたの恵みを与え給え。おん母さま」

地べたにつく程低くお辞儀をすると、のろくだんだんに背中をのばして、再び次第に熱心に感動的にささやいた。

「喜びの泉よ、いと浄き美女よ、花咲く林檎の樹よ……」

祖母は殆ど毎朝、新しい賞讚の言葉を発見した。そしてそれが小さいゴーリキイの心に快い緊張をよび醒した。言葉の流れる温い美しさ、真実のこもった単純な心から賞讚にじっと聴きいるのは心持よかった。

ゴーリキイは「非常に早くから祖父はある神をもっており、祖母は又別の神をもっていることを理解した。」緑色の鋭い賢い眼をした祖父の神は、常に人間の誤ちに目をとめていて、それを罰したり、こらしめたりするのが仕事の、威嚇的な形式的な神であった。祖父から朝夕の祈祷をおそわって、しっかり覚え込んでいたゴーリキイは、体を振り、甲高い声で祖父が祈るのを聞いていた。そして「祖父が間違えはしまいか、一言でも抜かしはしまいか?」と一生懸命跡をつける。たまにそういうことがあると、ゴーリキイの心に「人の失敗を喜ぶ意地のわるい感情を呼び醒した。」

「お祖父さん、今日は『満たすものなり』を抜かしたよ」

「嘘だろう?」不安そうに疑りぶかく祖父は訊いた。

「抜かしたんだよ!」

ゴーリキイは宙で祖父が忘れた祈祷のきまり文句をとなえる。祖父は極りわるそうに瞬きしながらゴーリキイの記憶のよさを褒めた。やがて祖父さんは、こういう揚足とりに対しては何かできっとこっぴどくゴーリキイに仕返しをするのであったが、暫くでも祖父さんをまごつかせたことで、ゴーリキイは「凱歌をあげた。」

これにくらべて祖母さんアクリーナの神は、何と親密で、人間のようで、苦痛を慰め、若返らす力をもっているものであったろう。祖母さんの神は、この世の中のことで分らないことと知らないことを持っている神であった。ゴーリキイは、少しびっくりして訊ねるのであった。

「神だって知らないことがあるの?」

すると、祖母は静かに、悲しげに答えた。

「もし神様が何でも御存じなら、きっと、人間だとてこんなにどっさり悪いことはすめえ。神様は多分、天上から地上のおれ達皆を眺めて、時にはどんなに涙をこぼしたり、声をあげて泣いたりしなさるこったろう。『お前ら人間達よ、人間達よ、可愛い俺の人間たちよ! おおどんなに俺にはお前達が憐れじゃろう!』」

こういう神はゴーリキイに近く、又わかり易かった。時々ゴーリキイが大人の醜い争いに義憤を感じて、例えばよその上さんが穴蔵へ下りたところを上から揚げぶたを卸して封じこめたりすると、祖母はゴーリキイの肚にしみとおるような言葉を優しく云った。

「いいか、レニーカ、可愛い子や。大人に混っちゃならねえ。お前、このことはしてはならねえことと自分で禁じるだよ。な、大人は損われた人達よ、あの人たちはもう神に滅ぼされた、だが、お前はまだそうじゃねえ――だから、子供の智慧で暮しな。誰がどんなにわるかろうと、それはお前のことじゃねえ」

この活々とした祖母さんは又、悪魔を見ることも稀でなかった。悪魔が屋根からもんどりうって飛ぶ様子を想像して、ゴーリキイが笑うと、祖母も笑い出し、

「悪魔はふざけるのが好きだからなあ。全く小ちゃな子供のようさ」

家から火事が出かかった時、火の子のように活動してそれを消しとめたのはこの祖母さんであった。胡瓜の漬けかた、クワスの作りかた、赤坊のとりあげかたを誰にでも親切に教えてやるのも、この祖母さんなのであった。

祖父の家には、荷馬車屋、韃靼人の従卒、軍人と、お喋りで陽気なその細君などが間借りしていて、中庭では年じゅう叫ぶ声、笑う声、駈ける足音が絶えないのであったが、台所の隣りに、窓の二つついた細長い部屋があった。その部屋を借りているのは、痩せた猫背の男で、善良そうな眼をもち、眼鏡をかけた一人の男であった。

何か祖母から云われる度にその下宿人は「結構です」と挨拶するので「結構さん」というあだ名がついている。小さいゴーリキイは、この下宿人の暮しぶりに非常な好奇心を動かされた。彼はよく物置きの屋根の上に這い上っては、中庭ごしにその下宿人の窓の中の生活を観察した。

その部屋にはアルコール・ランプがあった。いろいろの色の液体の入った罎、銅や鉄の屑、鉛の棒などがあった。それらのゴタゴタの間で「結構さん」は、朝から晩まで鉛を溶かしたり、小さい天秤で何かをはかったり、指の先を火傷をしてうんうんとうなったり、すり切れた手帳をとり出して、それへ何かしきりに書き込んだりしている。

ゴーリキイは興味を押えられず、或るときお祖母さんに聞いた。

「あの人は何してるの?」

するとお祖母さんはこわい声で、

「お前の知ったこっちゃない、だまっていな」

と言い、おばあさんが奇妙に警戒するばかりでなく、家中の者、下宿人仲間まで揃ってこの毛色の変った下宿人を愛さなかった。みんな「結構さん」をかげでは嗤わらった。贋金つくり、魔法師、背信者だのと云って噂している。

ゴーリキイはだんだんこの「結構さん」と仲よくなった。ある晩、有名な物語上手である祖母の話を聞いているうちに、この「結構さん」は激しく涙を落しはじめ、興奮して長くしゃべった揚句、いきなり恥かしそうに、皆のいる部屋から出て行った。人々は極り悪るげに見交しながら苦笑した。荷馬車屋が「旦那方はみんなあんな風じゃ。」不機嫌に、毒々しく云い放った。翌日その「結構さん」が祖母の傍へぴったりよって、驚くほどの単純さで「僕は恐ろしいほど一人ぼっちです。」と云っているのをゴーリキイは聞いた。その言葉がゴーリキイの心につきささった。家中で、幼いゴーリキイのいうことに耳を傾けてくれるのは祖母をのぞいてはこの「結構さん」ばかりであった。祖父はゴーリキイを怒鳴りつけた。

「無駄口しゃべるな。悪魔の水車め!」

だが「結構さん」は、ゴーリキイの話を注意深く聞くばかりでなく、微笑しながら、しばしば彼に云った。「ふむ、そりゃ兄弟、そうじゃないよ、そりゃお前が自分で思いついたのさ。」或は、二つの優しい打撃で「嘘つけ兄弟!」そしてゴーリキイの話の中に織り交るすべての余計な不信実なものを切り去るのであった。又この「結構さん」は、極くありふれた云い方で、しかも野蛮な環境の中で暮している幼いゴーリキイの智慧の芽生えを刺戟するようなことを云った。例えば、彼は云う。

「あらゆるものを取ることが出来なくちゃならない――分るかい? それは非常にむずかしいことだ、取ることが出来るということは……」

まだ字も書くことを知らない小僧であるゴーリキイには「結構さん」のその言葉はすぐ分らなかった。しかし、言葉は心の中に残っていて、何か特別な心持を伴って繰かえし思い出された。何故なら、この簡単な「結構さん」の言葉の中には彼の心をひきつけ忘らることの出来ない秘密があった。石っころだの、パンのかたまりだの、茶碗、鍋だのをとるだけのことであるならば何も「結構さん」のむずかしがる特別な意味はある筈はないのだから。

祖母の家の中庭の隅に、誰にも見捨てられた苦蓬にがよもぎの茂った穴がある。ゴーリキイは「結構さん」と並んでその穴に腰かけている。ゴーリキイは「結構さん」に訊いた。

「何故あの人達は誰もお前を愛さないの?」

「結構さん」はゴーリキイを自分の温い脇腹に抱きよせ、目くばせしながら答えた。

「他人だからさ――分るかい? つまりそれだからさ。ああいう人達でないからさ」

彼等とは異った一人の者「他人」として「結構さん」はゴーリキイの、騒々しくて、悪意がぶつかり合っているような幼年時代の生活の中に現れた最初のインテリゲンツィアであった。が遂にこの「結構さん」が祖父の家から追い出される時が来た。それは或る家畜の群の中に一匹たちの違う動物がまぎれ込んだ揚句、やがていびり出されるのに似ていた。はっきり説明もつかないような憎悪が、「結構さん」を追ったのであった。ゴーリキイは深い悲しみの感情をもって「幼年時代」の中に書いている。「自分は故国にいる無限に多い他人――その他人の中でもよりよい人々の中の最初の人間と私との親交は、このようにして終った。」

この物語はゴーリキイにとって記憶から消えぬものであったと共に、今日の読者である私たちの心をも少なからず打つものがある。一八六〇年の終り、七〇年代の初頭にかけてのロシアの民衆生活の重い暗さと、そこへ偶然まぎれ込み、光りの破片となって落ちこんで来たのは「結構さん」のような知識人のタイプ、「おお、他人の良心で生きるものではない」と嘆く一種の敗残者であったということ。しかも、同じ貧窮と汚穢の中に朝から晩までころがされながら、尚民衆は「結構さん」の中に「旦那」「他人」を嗅ぎわけて、本能的な仲間はずれに扱ったということ。それらが、幼いゴーリキイの知性の目覚まされてゆく生活の過程として、私共の心を打つのである。

更にこの「結構さん」とのことで、計らずゴーリキイの全生涯の方向を暗示するまことに面白いエピソードが「幼年時代」に語られている。

或る日、「結構さん」の部屋で、「結構さん」は煙の立つ液体をいじって部屋中えがらっぽい匂いで一杯にしている。ゴーリキイはボロのしまってある箱の上に腰かけている。そして、二人は話している。

「お祖父さんは、お前はもしかしたら贋金を拵えてるんだって云ってるよ」

「お祖父さんが?……うむ、そう。――それはあの人がいい加減をいってるんだ! 金銭なんぞと云うものは、兄弟――下らんものさ」

「じゃ何でパンの代払う?」

「うむ、そうだね――パンの代は払わなくちゃならない。まったくだ……」

「そうだろう? 牛肉代だっておんなじさ」

「牛肉代だってか……」

彼は静かに、驚嘆するほど可愛く笑い、まるで猫にするように私の耳を擽って云う。

「どうしても僕はお前と口論は出来ない――お前は私を参らせるよ、兄弟。それよりも、さあ、黙ってよう……」

この小さいが逞しい人生についての問答は、後年チェホフが云った一つの言葉を思い起させる。二十四歳で、ロマンティックな作家として世に出たゴーリキイに向って、チェホフが「知っていますか? 君はロマンティストじゃない、リアリストですよ。知っていますか?」と云った、そのことを思い起させるのである。

七歳になってゴーリキイは祖父から教会用の古代スラヴ語で読み書きの手ほどきをされた。八つで小学校に入れられたが、この時代、既に祖父は破産し、染物工場は閉鎖され、祖父、祖母、ゴーリキイの三人は、地下室住いにうつった。

吝しわくて狂人のようになった祖父と五十年連添った祖母との間に不思議な生活ぶりが始った。

祖父は倒産した家を始末する時、祖母の分としては、家じゅうの小鉢と壺と食器とをやっただけであった。年より夫婦は茶から、砂糖から、聖像の前につける燈明油まで、胸がわるくなるほどきっちり半分ずつ出しあって暮しはじめた。その出し前について、いつも狡い計略をするのは祖父である。アクリーナ祖母さんは、再びレース編をやり出した。そして、ゴーリキイも「銭を稼ぎはじめた。」

休日毎に朝早くゴーリキイは袋をもって家々の中庭や通りを歩き、牛骨、襤褸ぼろ、古釘などを拾いあつめた。襤褸と紙屑とは一プード二十哥カペーキ。骨は一プード十哥カペーキか八哥カペーキで屑屋が買った。彼はふだんの日はこの仕事を学校がひけてからやった。

屑拾いよりもっと有利な仕事は材木置場から薄板をかっ払うことであった。一日に二三枚は窃ぬすんで来られた。いい板一枚に家持の小市民は十哥カペーキずつ呉れる。この仕事には仲のいい徒党があつまっていた。モルトヷ人の乞食の十歳になる息子のサーニカ。大きい黒い目をした身よりのないカストローマ。十二歳の力持ちのハーヒ。墓地の番人で癲癇持ちのヤージ。一番年かさなのは後家で酒飲みの裁縫女の息子グリーシュカ。これは分別の深い正しい人間で、熱情的な拳闘家である。

後年、ゴーリキイは当時を回想して書いている。かっ払いは「半飢の小市民にとって生活のための殆ど唯一の手段、習慣となっていて、罪とはされていなかった。非常に多くの尊敬すべき一家の主人が、『川で稼ぎ足した。』大人は自分の首尾を誇った。子供はそれを聞いて学んだ」のであった、と。

ゴーリキイの小学生生活は、断続した五ヵ月の後全くやめになってしまった。或る士官に再婚していた母のワルワーラが良人に捨てられた状態で死ぬと、祖父はその葬式を終えて数日後ゴーリキイに云った。

「さて、レクセイ、お前は俺の首にかかったメダルじゃねえ――お前のいる場処はここにはないんだ。」

かくて、八歳のゴーリキイに愈々「人々の中」での生活が開始するのであるが、これらの多彩で苦しい幼年時代の思い出を、ゴーリキイは一九一三年(四十五歳)有名な「幼年時代」に描いた。野蛮のロシアの生活の鉛のような醜悪さ、「賢くない一族」の残忍に満ちた暗い生活をゴーリキイは「根ぐるみ、記憶から、人間の魂から、我々を重い苦しい愧ずべきすべての生活からそれを引抜かんがためには、根まで知らなければならないところの真実」、「憐憫にまさる真実」の姿として描いた。

更に、「もっと積極的な理由」――

このような豊富で脂濃い生活の獣的な屑を貫いて、「猶新鮮で健康な創造的なものがやっぱり勝を制して芽生えること、明るい人間的な生活に対する我等の再生に対する破壊し難い希望を呼び醒しつつ、善きもの――人間的なものが生い立つ」ロシア民衆の生活力の驚きと愛とを伝えようとして、ゴーリキイは、非常に特色的な「幼年時代」を書いたのであった。「十月」以前のロシア文学は、二種類の忘れることの出来ぬ「幼年時代」の貴重な典型を今日にのこした。その一つは、レフ・トルストイの「幼年時代」である。

「一八××年八月十二日――私が満十歳の誕生日というので、いろんな素晴らしい贈りものを貰ってから、ちょうど三日目のことである」という華やかな雰囲気の冒頭によって始められたこの貴族の子息の幼年時代の追想は筆者トルストイの卓抜鮮明なリアリスティックな描写によって、何という別世界の日常を読者の前に展開させつつ、ゴーリキイの「幼年時代」に描かれている民衆の現実と対立していることであろう!

少年時代

――人々の中――

ヤーコブ伯父の息子のサーシャが、ニージニの町の靴屋へ勤めていた。祖父カシーリンは、母が亡くなると僅か数日で、十歳に満たぬゴーリキイをもその店の小僧奉公に出した。

カシーリンが自分でゴーリキイをその店へ連れて行った。そして、サーシャにこの子の面倒を見てやってくれと頼んだ。すると、赤っぽい上着に、ワイシャツ、長ズボンといういでたちのサーシャは勿体ぶって眉根をよせ、

「この児が僕の云うことを聞かないと困るがね」

祖父はゴーリキイの頭へ手をかけて、首を下げさせた。

「サーシャの云うことを聞くんだ。お前より、年も上だし、役目も上なんだから……」

古参ぶったサーシャは出目を突出して、云うのであった。

「祖父さんの云ったことを忘れちゃ駄目だよ」

従兄サーシャの上にもう一人番頭がいるという程度のその靴店で、ゴーリキイの仕事というのは、毎朝サーシャより一時間早く起きて、先ず主人達、番頭、サーシャの靴を磨く。皆の服にブラッシをかけ、サモワールを沸かし、家じゅうの煖炉に薪を運んでおいて、食卓用の薬味入れを磨く。これだけが家での用事であった。店では床磨き、掃除、お茶の用意、お得意への品物配達、昼飯を家から運んで来ること。これらの仕事が、玄関番の役の上に加るのであった。主人はずんぐりな、眼の小汚い男で、よくゴーリキイをたしなめた。

「ほら、また腕なんか掻いてる! お前は町の目抜の商店に勤めてるんだ。これを忘れちゃいけねえ。小僧ってものは扉口んところへ木偶でくのようにじっと立っているもんだ」

凝っと立っていることが、活々した子供のゴーリキイにはなかなか出来ない。しかも両腕は肱の辺までべた一面痣やかさぶたで、掻くなと云われても、掻かずにはいられないのであった。主人が、新参小僧であるゴーリキイの両手を視ながら訊く。

「お前は家で何をしていた?」

ゴーリキイは、あった通りのことを云った。

「屑拾い――そいつは乞食よりよくない。泥棒よりよくねえ」

「――泥棒もやったよ!」

主人は猫のように両手を帳場の上へ置いてびっくりした。そして、声を変え、

「なんだ? 泥棒もやった? 何を? どんな風に?」

薄板をかっぱらうことについてゴーリキイは説明する。

「いや、それっくらいのことは取立てて云う程のこっちゃねえ。が、この店で靴や金を盗みでもしようものなら、よしか、お前を監獄へ叩き込んで、大人になる迄出られねえようにしてやる!」

ゴーリキイは、一層主人がいやになった。玄関番をして立ちながら、観察する商売の作法も彼の性に合わなかった。番頭は婦人客の前へ跪き、妙な恰好に指をひろげて靴の寸法を計る。婦人客の足にさわる時は、まるで、今にもその足がこわれるかと思うように大切に扱う。ところが「その女の足ときたら――太くてまるで撫で肩の徳利を逆にしたようだ。」

時によると、女客が仰山な声で、

「あら、いやだ。擽ったいわ!」

などと叫んだ。

「どう致しまして! これは……その、丁重に致しましたんで……」

或る日のことであった。主人やサーシャが店の裏の小室にいて、店に番頭が一人女客を対手にしていた時、番頭は赫ら顔のその女客の足にさわって、それを摘むように接吻した。

「マア……」溜息をついて「何て人でしょう!」

「そ、その……」

そっと腕を掻きながらその光景を眺めていた小僧ゴーリキイは、思わずふき出して、笑いすぎ、足許がふらついて扉のガラスを一枚こわしてしまった。番頭が怪しからん小僧を足蹴にした。主人は重い金の指環で頭を殴りつけた。サーシャは厳しく云うのであった。

「何もおかしいことなんかないじゃないか! 女ってものはな、靴なんかいらなくったって、好きな番頭の顔さえ見れば、欲しくないものまで買うんだ。それをお前は――何だい、分りもしない癖して!」

ゴーリキイの心を更に苦しめ、腹立たしくするのは、女客に対する店じゅうの者の恥知らずな蔭日向であった。黒毛皮の外套の素晴らしい美しい女が店へ入って来る。主人、番頭、サーシャ「三人が三人とも、鬼の子みたいに店を駆け廻り」あたりのものが燃え出したかと思うような亢奮の後、高価な靴を何足か選び出してその女客が店を出るや否や、主人は舌打ち一つして、

「チェッ! 畜生!……」

と掠れ声を出す。

「マア、女優ってところですな」

蔑んだ調子で番頭が合槌を打つ。そして、散々いかがわしい話をする。

小僧ゴーリキイは「そんな時には、店から駈け出して行って、婦人客に追い縋り、彼等についての陰口をぶちまけてやりたい心持に駆り立てられる」のであった。

三人の者が、心に激しい猜みを抱いて暮していて誰のことでも、何か悪いところしか拾い出さないのが、彼に嫌悪を催させた。一日中暇のない程忙しいのだが、ゴーリキイの心は重く、馴染深いオカ川の河岸や、お祖母さんが懐しく、一緒に屑を拾った仲間のチュールカそのほかの徒党に会いたい。

ゴーリキイはお払箱になるために、何か計画を立てたいと思うようになった。主人の時計の機械に酢をさした。これは、主人を狼狽させたが追い出される役には立たず、全く予想外のことからゴーリキイの若い希望は達せられる羽目になった。或る午飯の時、石油コンロの上でスープを煮ていた鍋をひっくり返して両手に大火傷をした。これで病院に入れられ、家へかえされたが、火傷の原因は、小僧ゴーリキイが、どうしてもその晩、靴屋を逃げ出そうと考え耽っていて、ついぼんやりしてしまったからであり、彼をそんな思いつめた心にしたのはサーシャの死んだ雀の祭壇と、ピンの植えられた靴とであった。その数日前の或る夕方靴屋の主人のところに働いていた病身の料理女が、サモワールを持ち上げようとして跼んだ拍子にのめったまま、全く突然死んでしまった。目の前でこれを見たサーシャとゴーリキイとは深い恐怖に打たれた。警官が来て、少し歩き廻って、心づけを貰うと出て行った。暫くすると、今度は荷車人夫と一緒にやって来て、料理女の足の方と頭の方に手をかけ、往来へ運び出して行った。

「ペシコフ、床を拭いて置きなよ!」

主人が命令した。

「夕方死んでくれて、まあ助かった……」

どうして夕方死んだからいいのか。小僧ゴーリキイには分らない。

夜、台所の隅で寝る時になると、サーシャがこれまでになく優しい調子で、

「ランプは消さないんだよ」

と云った。

「こわいのかい?」

サーシャは黙っている。やがて蒲団の中から頭を出して云った。

「煖炉の上へ行って並んで寝ようじゃないか」

「煖炉の上は熱いよ」

夜は静かな夜で、何だか夜そのものがきき耳を立てて何かを待っているようだ。

サーシャがやがて又云った。

「眠れないや」

「俺も、眠れない」

二人はいろいろ死人について云われている話をした。あたりは次第に寂しく、暗くなって来た。するとサーシャがいきなり、

「おい、僕の鞄を見せてやろうか」

と云い出した。小僧ゴーリキイは、疾とうからサーシャの鞄には好奇心を動かされていた。番頭とサーシャとが時々しめし合わせて、店のものをちょろまかした。そのことをゴーリキイは見ているのであった。

サーシャは勿体ぶって寝台の上に坐ったまま、ゴーリキイにその鞄をもって来させ、十字架と一緒に胸に下げている鍵で鞄をあけた。錠をあけ「熱いものか何かみたいに鞄の蓋を吹いて」中から下着をとり出した。鞄の中ほどまで色様々な茶の錫紙のレッテル、靴墨、鰯の空罐などがぎっしり詰っていた。

「何があるの?」

「今わかるよ……」

サーシャは鞄を両足で抱え、その上へかがみかかって祈祷をとなえた。「天の王様……」

今に玩具が現れるだろうと、ゴーリキイは思った。ゴーリキイは写真をとられたことがないと同時に、玩具というものは持ったことがなかった。玩具なんか軽蔑していたが、それは表向きで、玩具をもっているものを見ればやっぱり羨しかった。こんなひとかどの人間になったようにしているサーシャが玩具を持っているということは非常に嬉しかった。彼が恥しがっているとして、その極りわるさは、やさしい同感をゴーリキイに湧かせるのであった。

最初のボール箱が開かれた。中から、緑だけの眼鏡が出た。サーシャはそれをかけ、キットした様子でゴーリキイを見ながら云った。

「球がなくったって一向平気だ。これは、こういう眼鏡なんだから!」

ゴーリキイがたのんだ。

「どれ、俺にも見せて!」

「お前の目にゃ合わないよ、これは黒眼用だ。お前の眼は何だか白っぽいや」

次に出た空罎にはいろんなボタンがつまっている。サーシャはその三十七箇のボタンをみんな街路で拾ったのであった。第三番目の箱からは、これまた街路で拾った大きな真鍮ピン、長靴にうつ平鋲のちぎれたの、靴やスリッパーの扣金とめがね、真鍮の扉のハンドル、ステッキについている骨製の頭、「夢判断の神籤」その他の、つまり屑が沢山つまっているのであった。

「私が屑拾いや骨拾いをすれば、こんな下らないものなんか一と月のうちに十倍も集めることが出来る」サーシャの持物を見せて貰ってゴーリキイは、がっかりした。たよりない気がした。そして、堪らなくサーシャが可哀想になった。だが、サーシャはその一つ一つを丹念に眺めまわし大事そうに指先で撫でている。

この晩、自分の宝物で年下の小僧であるゴーリキイを驚かし、羨ませることの出来なかったサーシャは、庭が乾いたら、とても素晴らしいものをゴーリキイに見せる約束をした。次の祭日のとき、主人一家が午睡している隙に、サーシャがこっそりゴーリキイを誘った。

「行こう!」

二人は、庭へ出て、家と家との間の露路へ行った。そこにはひどく古い菩提樹が十五六株生えていた。どの樹の幹にも青苔がついていて、枝は黒く枯れたようにむき出しになっている。そういう菩提樹の一本の根元にサーシャは止った。それから、出目をグリグリ動かして隣の家の窓に人気のないのを見澄してから、根元の落葉をかきのけ、二つの煉瓦をどけた。ゴーリキイの目の前には一つの洞の入口が現れた。サーシャはマッチを擦って、蝋燭の燃えさしに火をつけ、洞の中へ差入れて、さて、云った。

「見ろよ! こわがるな」

ゴーリキイは大事をとりながら菩提樹の根の奥まったところを覗き込んだ。

サーシャの点つけた三本の燃えさし蝋燭の青い光に満たされたその桶のなかぐらいの大さの洞の横手は、色硝子のこわれや茶器のかけらで一面に飾られている。真中の小高いところは赤い布で包まれていて、その上に小さい棺が安置されているのであった。棺には銀紙が貼られているが、そこから突出ているのは雀の小さな灰色の爪と鋭い嘴であった。棺の後方の聖台、その上の銅製の十字架。三本の燃えさし蝋燭のともっている燭台にはどれもお菓子の金紙や銀紙がはりつけられてある。洞の中には、燃える蝋の匂い、腐ったものの臭気、湿った地べたの匂いなどが一杯である。ぎごちない驚異の感情がゴーリキイをとらえた。然し、恐怖は起らない。サーシャが貪慾に訊いた。

「いいだろう?」

だが、一体これらは皆何のためなのだろう? ゴーリキイは率直にその疑問を呈出した。

「何にするんだい?」

「辻堂さ、似てるだろう?」そして「雀から聖骸がとれるかもしれないよ。罪科もないのに苦しみを受けた致命者なんだから……」

ゴーリキイは、いかにも彼の性質らしい現実的な問いを発した。

「あの雀は死んでいないのかい?」

「いや、物置に飛んで来たのを帽子でおさえてしめ殺したんだ」

「何だってさ!」

「何てことはないけど……」サーシャは、ゴーリキイの顔を覗き込んだ。

「いいだろう?」

「いいや!」

「どうして気に入らないんだ?」

「雀が可哀そうだもの」

この論判から掴み合いが持ち上った。ゴーリキイがサーシャの辻堂を破壊した。忽ち翌朝からサーシャの魔法――小僧ゴーリキイが朝磨かなければならない靴という靴の中の、ちょうど手を怪我せずにはいられないところにピンが植わっているという復讐がはじまった。スープをひっくりかえして火傷をする程、ゴーリキイはその靴屋の小僧という境遇、奇妙な従兄のサーシャを嫌悪し逃亡を欲したのであった。

後年ゴーリキイは、「人々の中」で、この插話の思い出を非常に色濃く、感情をこめ、ディッケンズの俤を浮ばしめるような筆致で描いている。

ゲーテが五つ六つの時、父親の鉱物標本を譜面台の上に積み重ねて祭壇をこしらえ、レンズで集めた太陽の光で香をたいて、その前に燻じ、万有の神に捧げたという話は、世界文学史の上に「黄金のように輝いた少年」ゲーテにふさわしい逸話として或る意味では伝説的な誇張をもって伝えられている。ゲーテの祭壇とサーシャの辻堂との間には殆ど一世紀近い歳月が流れている。ゴーリキイを憤怒させた哀れな中小僧サーシャの雀の聖骸の物語は欧州の科学的文化の進歩に対してロシアの社会の封建制、ギリシア正教がどのようにおくれたものであったか、そして、そのために民衆の想像力はどのような形で迷信に縛りつけられていたかということを、今日の読者である我々に驚きをもって啓示するのである。

靴屋の小僧をやめて後、ゴーリキイは製図師の見習小僧をさせられた。ヴォルガ通いの汽船の皿洗いをし、聖画屋の小僧となり、ニージニの定期市での芝居小屋で、馬の脚的俳優となったりした。日本では西南の役があった次の年、一八七八年(十歳)からの五、六年は少年ゴーリキイにとって朝から晩まで苦しい労働の時代であった。この時代、大人の利己心、仲間の性わるさにこづきまわされつつ彼は「多く労働した。殆どぼんやりしてしまうまで働いた。」

背中に繩をつけられた小猿のように、ゴーリキイの後についた紐のはじは、祖父か祖母の手に握られており、ゴーリキイの給料ともいえない僅の銭は皆そういう人々の掌に入ってしまうのであった。

祖母さんの妹息子の製図師のところから、虐待に堪えかねゴーリキイが二十哥握って逃げ出した後、働くことになったヴォルガ通いの汽船での皿洗いの仕事も十一のゴーリキイにとって決して楽な勤めではなかった。給料月二留。朝六時から夜中までぶっ通しの働きであった。ここでも四辺に満ちているのは暗い野蛮、卑猥、飽きもせず繰返されている喧騒とであったが、計らず「母なるヴォルガ」はその洋々とした流れの上で、ゴーリキイの生涯にとって実に意義深い「最初の教師」をひき会わせることになった。

皿洗いゴーリキイにとっての上役、太って大力な料理人スムールイが、年にあわせては背の伸びた、泣ごとを云ったことのないゴーリキイの天性に何か感じるものがあり、彼に目をかけた。午後の二時頃、暫く手がすくと、彼は号令をかけた。

「ペシコフ、来い!」

スムールイの船室に行くと、彼は小さい皮表紙の本を渡した。

「読んで見な!」

ゴーリキイはマカロニ箱の上に腰かけて声高く読む。「……左胸のあらわなるはハートの無垢なるを示し……」

すると、煙草をふかしつつ仰向に横になっているスムールイが、口を挾む。

「誰のがあらわなんだ?」

「書いてないよ」

「女の胸だろう……。チェッ、放蕩者ばっかりだ!」

最初のうち、この「ペシコフ、来い」の号令はゴーリキイを苦しめた。読んでいるうちにスムールイが眠ってしまったように見える。すると彼は音読をやめた。否応なく読ませられることから胸のわるくなるような思いのするその本を眺めまわしていると、スムールイは、嗄れ声で皿洗い小僧に催促した。

「お――、読みな」

スムールイの黒トランクの中には『ホーマー教訓集』『砲兵雑記』『セデンガリ卿の書翰集』『毒虫・南京虫とその駆除法、附・此が携帯者の扱い方』などという本があった。始めの方がちぎれて無くなってしまっている本。終りがない本。そういう本がつまっている。

スムールイはゴーリキイに向って「口癖のように云いきかせた。」

「本を読みな。わからなかったら七度読みな。七度でわからなかったら十二遍読むんだ!」

そして、自分や、周囲のものが日から日へと過している無駄な生涯を顧みて、肥った獣のように呻き、深い物思いと当途のない憤りに沈んで荒っぽく怒鳴るのであった。

「そうだ! お前には智慧があるんだ。こんなところは出て暮せ!」

「豚の中にいては、お前の身が台無しだ。俺はお前が可哀そうでならねえ。奴等もみんな可哀想でならねえ」

このスムールイは、呆れる程ウォツカを飲むが酔っぱらったためしがなかった。水夫長も料理人も、船じゅうのものがこの男の怪力と一種変った気風に一目置いていた。夕方、スムールイが巨大な体をハッチに据えて、ゆるやかに流れ去って行くヴォルガの遠景を憂わしげに眺めながら、何時間も何時間も黙って坐っているような時があった。こういう時の、スムールイを皆が特別に怖れた。

禿頭の料理番が出て来て、そうやって坐っているスムールイを見ると、やや暫く躊躇した後、遠くの方から声をかけるのであった。

「――魚がどうもよくねえんだが……」

スムールイは顔も振向けず歯の間から返事した。

「そんなら漬物で和あえろ……」

「でも魚スープか蒸焼を注文されたら?」

「作れ。どうせ食う」

ゴーリキイには、こういう場合のスムールイの心持が通じた。スムールイを憐む感情が湧いた。ゴーリキイは自分の心にも似たような黒い、激しいものが答えられない疑いとして煮え立つことを既に幾度か経験しているのであった。

例えば、汽船の皿洗い小僧として、自分という人間は朝から夜中まで皿を洗う。鉢を洗う。ナイフを磨き、フォークと匙を光らせなければならない。だが、一方には、全く別にそうやって洗われた皿を一つ一つよごし、鉢を使い、テーブルに向ってナイフや匙をきたなくしてゆく人間がいる。それらの人は平気に、当然なこととして笑いながらタバコをふかしながら、それをやっているのだが、何故これが当然なのだろう? 何故、一方には何でも辛棒してしなければならない人間があり、もう一方にはそれらの人々に何でもさせたその結果を利用していることの出来る人々が存在するのであろうか。彼の周囲には、泥酔や喧嘩や醜行やが終りのない堂々めぐりで日夜くりかえされている。だが、それらすべては何のために在るのだろう。

スムールイは、麦酒を飲みながらしみじみとゴーリキイに云った。

「お前がもう少し大きかったら、いろんなことを教えてやるのだがなあ。俺は人に語るべきものを持っている。俺は馬鹿じゃない。……マア、お前は本を読むこった。本の中には何でも必要なことがある。本はいいもんだ」

或る時はこうも述懐した。

「俺が金持だったら、お前を勉強に出してやるんだがなあ。無学な人間は牛と同じこった。軛くびきをかけられるか、つぶしにされるんだ。それでいて御本人は尻尾を振るばっかりと来ていらあ」

スムールイの云う言葉は、ゴーリキイの感受性の鋭い心の中に落ちて、反響をおこし、その現実観察力と発育の肥料となった。

月が皎々とヴォルガとその岸の草原の上を照らしている深夜、皿洗いゴーリキイは船尾に坐りこんで、「涙が出そうになるまで夜の美観にうたれた。」汽船の後から長い綱にひかれて艀舟はしけぶねがついて来てる。それは赤く塗ってあり、甲板に鉄格子が出来ている。追放や苦役に決った囚人がそこに入れられて輸送されているのであった。舳先に歩哨の銃剣が燭火のように光っている。艀舟の中は静寂で月の光が豊かに濯そそいでいる。ゴーリキイは、昼間の疲れと景色の美しさに恍惚としつつ思うのであった。「善良な人間になりたい。沢山の人々にとって大切な人間になりたい――。」『タラス・ブーリバ』を読み、『アイヷンホー』をよみ『捨児トム・ジョーンズの物語』を読み、知らず知らずの間に読み馴れて、ゴーリキイには今や本を読むことが何よりの楽しみになって来た、「本に物語られてあることは気持よい程生活とかけ離れていた。」ところで毎日の実際の生活といえば、それは益々辛くなって行くばかりである。

汽船では働いている仲間が、精神を痺らす奴隷的な労働と泥酔との暇に、仲間同士性悪な悪戯をしかけるばかりでなく、袋を背負い、背中を曲げ、十字を切りながら乗りこんで来る船客たちも、十二歳のゴーリキイの心に一種名状し難い侮蔑的な重苦しい感じで圧えつけ、夜眠っても忘れることの出来ない深い憂鬱をひろげた。船のどっかで喧嘩が始ったとなると、船客たちは忽ちそのまわりに集った。そして口笛を吹いたり、嗾けしかけたり。その喧嘩が厭わしく痛ましければ痛ましい程喜びに酔ったように見える彼等。船の機関の何処かが破裂して甲板が水蒸気で濛々となったりした時、実際の危険はなくても、その予感でもう怯え、戸惑い、喚き立てる船客等の恐怖心のつよさ。しかも、喧嘩も、恐慌もない時には、低いテントの下に坐り、或は寝そべりながら飲んだり食ったりし、親しげに真面目に語り合いながら河の面を見たりしている彼等。

ゴーリキイにはこれらの人々が「善人なのか、悪人なのか、平和好きなのか、悪戯好きなのか、又どうしてこんなに酷い、飽くことない意地悪なのか、どうしてこう意久地なくおとなしいのか」分らない。そして、この如何にもおとなしく、見るも気の毒な程素直な灰色の人々が、突然「その従順の殼を突き破って、むごたらしい、無分別な、そして大抵は不愉快極まる乱暴を爆発させるのを見るのは、実に意外であり」ゴーリキイの心に不可解な人生の姿の怖ろしさを覚えさせるのであった。

声をあげて泣き出しそうな心持でスムールイとわかれ、下船した後、ゴーリキイは再び因業な嫁姑のいがみ合っている元の製図師のところで働くことになった。

日夜妻と母親との口論に圧しつけられながら食堂のテーブルに製図板をのせて、ニージニの商人の倉庫だの店の修繕だのの図を引いている主人は、遠縁のゴーリキイに、約束どおり製図の修業をさせようとした。耳に鉛筆を挾み、長い髪をした主人が、或る日、両手に厚紙の巻いたのと、鉛筆、曲尺、定規とをもってゴーリキイの居場所である台処へやって来た。

「ナイフ磨きがすんだら、これを描いて御覧」

手本の紙には、沢山の窓と優美な飾のついた二階建の家の正面が画いてある。ゴーリキイは「本当の仕事と修業の始ったのを悦び」すぐ手を洗って修業にとりかかった。定規をつかってすべての水平線を引いたところまでは上出来であった。ところが縦に垂直線を引くと、恐るべき結果が生じた。窓がすっかり壁の中仕切のところへ飛び込んでしまったばかりか、明り窓は煙突の上にのっかってしまっている。ゴーリキイは、その時の困惑をまざまざと回想しながら書いている。「私は、長い間泣き面をして、その修正し難い奇怪事を眺めていた。」どうにも仕方なく遂に「想像力でもって修正することにした。」ゴーリキイは鉛筆をとり、先ず家の正面のすべての蛇腹と屋根の棟飾の上に烏や鳩、雀などを描いた。窓の前の地べたの上には洋傘をさしている歪み足の人間。それから全景の上に斜の線を引いて、出来上ったものを主人のところへ持って行った。

眉をつり上げて、気むずかしげに主人が訊いた。

「こりゃ一体何だ?」

「雨が降ってるところなんです」ゴーリキイは説明した。「雨降りの日にはどんな家でも曲って見えるよ。雨はいつでも曲っているから。それから鳥は――蛇腹にかくれたところ。雨の日にはいつもこうです。それからこれは、家へ駈け込んでゆく人で、女が一人ころんで、こっちのがレモン売りで……」

「や、大変ありがとう」主人は紙へ髪をすりつけるようにして大笑いをはじめたが、細君は夫を嗾し立てた。

「マア、なぐりつけてやんなさいよ!」

図をもう二度引直した時には、ゴーリキイも製図道具と自分の活溌な空想力とを制御する術を会得した。ところが、思わぬ妨害から、この修業が奪われた。ゴーリキイにとってはあの忘れ難いお祖母さんの妹でありながら似も似ない鬼の姑婆さんが台処へ来た。一種何ともいえない気味わるい訊きようで訊いた。

「図引をやるのかい」

ゴーリキイが返事しない間に、婆さんはゴーリキイの髪の毛を引掴んでゴッツンと卓子に顔をぶつけた。猶も台処じゅう荒れ狂って、道具をはたき落し、製図を引裂き、叫んだ。

「態ざまを見な! そんな真似をさせちゃ置かないんだよ。他処の者に働かせて、たった一人の血を分けた弟を追っぱらおうたって、そうは行かないんだ!」

製図師の家での仕事は、台所働き、洗濯、二人の子供の守り。ゴーリキイにとってこの雰囲気は気が遠くなるばかりに退屈である。教会へ行って「心地よい悲哀に胸を搾られるような時」また日々の細かい屈辱に心を咬まれるとき、ゴーリキイは、自分の不愉快な負担をじっと考えさえすれば、骨を折らないでも哀訴の言葉が詩の形で流れ出した。ゴーリキイが晩年に及んでも忘れなかったこの時代の「自分の祈祷文」の中に一つこういう詩があった。

神様、神様、遣り切れない

はやく大人にして下さい

このまんまでは辛抱が出来ない

首をくくっても、見遁して下さい。

見習も、うまく行かない。

鬼の人形マトリョーナ婆

吠える、吠える 狼のようだ

ほんとに生きててもはじまらない!

書物はこの境遇の中で、ゴーリキイに生きる力の源泉となったと同時に、限りない屈辱、軽侮、不安を蒙る原因となった。

製図師一家と同じ建物に住んでいる裁縫師のお洒落で怠者の妻からゴーリキイはこっそり本を借りた。それはフランスの通俗小説であった。主人達の目を掠めて、頬骨の高い、鼻の低いおでこに青痣のついた小僧ゴーリキイは皆の留守の間に、或は夜、窓際で月の光で読もうとした。活字がこまかすぎて、明るい月の光も役に立たぬ。そこで棚の上から銅鍋をもち出し、月の光をそれに反射させて読む工夫をした。これは却っていけないので、ゴーリキイは台処の隅の聖像の下へ突立ったまま、燈明の光で読んだ。この頁では歓喜し、次の頁で憤激しつつ読むうちに疲れが出て、床にころげたまま寝込んでしまった。眼がさめて見ると、鬼のマトリョーナ婆が怒鳴っている。落ちていた大切な借り物の黄色い本でゴーリキイの肩をどやしつけ、飯の時は家じゅうが、主人迄も、読書の有害無益と危険とを説教した。

「鉄道を破壊したり、人殺しを企てたりするのも本を読んだ男だ」

こういう家の大人共の態度によって、ゴーリキイは本というものに対し、一層重大な秘密な価値を感じるようになった。ゴーリキイは、教会の懺悔僧に「禁止の本は読まなかったかね」と訊かれたことを思い出した。スムールイが大きな腹をゆすりながら「正しい書物に出くわさなけりゃならねえ」と云ったのを思い出す。小僧ゴーリキイの頭の中では、漠然とそれらの印象が混り合って燃え、秘密の門の前に立っているような、どこか気がふれたような調子になった。

裁縫師の女房から本が借りられなくなると、ゴーリキイは若いのらくら男女の寄り合い場となっている街のパン屋で、副業に春画を売ったり猥褻な詩を書いてやったり、貸本をしたりしている店から、一冊一哥カペイキの損料で豆本を借り出した。そこの本はどの本も下らない、嘘とわかるようなものばかりだった。少しましなのは昔の伝説、聖者の物語である。ゴーリキイは薪割りに行った物置で読み、屋根裏で読み、蝋燭をつけて夜中に読むのであったが、婆さんは木片で燃えのこりの寸法を計った。ゴーリキイがうまく木片を見つけてそれを燃やした蝋燭の長さに合わせて切りちぢめて置かないと、翌朝、台処、家じゅうに罵声の龍巻が流れた。婆さんは、屋根裏へかけ上りゴーリキイの持ち物をほじくり返し、借本を見つけ出し、引裂いて腹いせにするのであった。

主人一族とのこういう戦いをつづけながら、「あらゆる智慧を搾って」ゴーリキイは読書をつづけた。が、本を裂かれるので、貸本屋に四十七哥カペイキという「巨額の借金」が出来てしまった。ゴーリキイの一年六留ルーブリの給金は祖父がとっていた。ゴーリキイには金の出どころがない。貸本屋の汗かきで唇の厚い、白っぽい主人は、ゴーリキイの困りはてた云いわけを聞き終ると、脂ぎって腫んだ手をゴーリキイの前に突出して云った。

「この手に接吻しな。そうしたら待ってやろう!」

物も云わず、ゴーリキイは机にのっていた分銅をとって、主人目がけて振り上げた。主人は平ったくなって叫んだ。

「な、なにをするんだ――冗談じゃないか!」

冗談に云ったのではない。それは分っている。いやらしい貸本屋と手を切るためにゴーリキイは五十哥だけ盗むことにきめた。三日ばかりというものゴーリキイは深くこの計画で苦しんだ。いつか主人が、妻や婆に反対して「この子は盗みなんかしないさ。ちゃんとわかっている」その言葉が甦って、ゴーリキイの手を縛るのであった。ゴーリキイは平常の顔色をなくして来た。それに心付いたのは一家の中で少しは人間らしいところのある主人であった。

「ペシコフ。お前元気がなくなったぞ。体がわるいのか?」

ゴーリキイは、自分の困っているあらいざらいをぶちまけた。

「それ見ろ、本なんぞ読むからこんなことになるんだ」

彼は五十哥をゴーリキイに握らせ、念を押した。

「いいか、妻にも阿母さんにも口を辷らしちゃいけない。――騒動が持ち上る。」そして悪気のない調子でつづけた。

「お前は強情な奴だな。だが、それは、それでいいんだ。心配することはない。然し本だけはやめろ」

主人が家で『モスクヷ新聞』をとるようになった。お茶から夕飯までの時間、ゴーリキイは口論しないときには「退屈し切っている人々の胃の働きをよくするために」『モスクヷ新聞』の隅から隅まで音読して聞かせた。皆は熱心にそれを聞いた。その癖片はじから忘れたり、事件を混同したりして呻くのであった。

やがて、ゴーリキイは主人達の寝台の下へ突込まれたままになっている『絵画評論』『火』などという雑誌を、台処へ持ちこむ権利を獲得した。しかし、台処の蝋燭は毎晩居間へ持って行かれてしまった。ゴーリキイは、さりとて蝋燭を買う金がない。ゴーリキイは一工夫をこらした。燭台の蝋をそっとかき集め、それを鰯の空罐に溜め、少し燈明油を加えて、糸の縛ったのを燈心にした。それは毎夜煖炉の上で燻った燈火となってゴーリキイと本とを照した。本の頁を繰るたびに、弱い赤っぽい焔は揺れ、顫える。ひどく臭く、煙は目にしみた。けれどもこういう不便は彼の前に次第に拡がりゆく世界の知識に対する歓喜の前には、決して堪えられぬものではなかった。本と一緒にいる時だけゴーリキイがそこから逃げ出したいと思いつづけている製図師一家のだらけて、悪意がぶつかり合っている環境が遠のいた。塵芥ごみ捨場となっている穢い窪地。青いどろどろの水溜り。サーシャの呪や、番頭の盗みや、忘られぬ靴屋の主人の褐色の家が絶えず真向うに見えているという窒息的な目の前は広々と拡大せられ、プラーグやロンドンの都市の美しさが、そこで行われている生活がゴーリキイの世界の中のものとなって来た。そこには、市街の真中で無遠慮に悪臭を放っている塵芥捨場などはない。又、半年の間続く厳しい冬もなければ、本を読むことさえ罪になるという正教の大斎週間のような納得のゆかない習慣もない。パリでは、馬車の御者、労働者、小僧のような「下層民」でもゴーリキイが毎日目撃しているニージニの町などのそれとは違った暮しをしており、「下層民」でも極めて大胆に紳士と口をきき、あっさりした態度で自由に振舞っている。ゴーリキイは大デューマの小説を読んだ。グリンウッドを読み、バルザック、ゴンクール、オータア・スコットなどの作品を、貪り読んだ。そして「屡々読みながら泣いた。これらの人々はそれ程愛らしく親しかった。そして、馬鹿げた仕事でひきずり廻され、馬鹿げた悪態で辱しめられる小僧であった私は、大きくなった時には、これらの人々を助け、正直に彼等の役に立とうと云うおごそかな誓を立てたのであった。」

辛い日常生活が与える現実の苛責ない鍛錬によって十三のゴーリキイは、書物に対しても鋭い独特の観察と批判とを蓄積するようになった。新しい翻訳の本を読むごとにロシアの生活と外国の生活との違いが彼にはっきり理解されて来たばかりでない。どの国で書かれた本にしろ多くの物語風の書物の中には、善玉、悪玉があってそれが勧善懲悪的な筋で終りを結ばれている。が、ゴーリキイが実際の民衆生活の中で自分の体で経験しつつある人間は、そういう善玉・悪玉のどれにもあてはまらない。例えば書物はよく悪漢、慾深、卑劣漢などが出現するのであるが、本に出て来る悪漢その他は、いかに惨忍であるにしろ、その惨忍さはどっちかというと事務的で、何故その男がこんなに惨忍なのか大抵その理由や動機がわかるように書かれている。ところがゴーリキイが幼年時代に祖父の家で観た惨忍、靴屋の小僧時代経験させられたサーシャその他の惨忍、更にヴォルガ通いの汽船の上で数限りなく目撃し、自分の身をさらした惨忍性は「無目的な無意味なものだ。それによってどうしようというのではない。ただ慰みのためにするものなのだ。」本の中にはゴーリキイにとって忘れ得ぬスムールイのように獣的な粗野なものと優しさとの混りあった人物は出て来ない。本に描かれている多くの主人、司祭は、実際のものといつもきっと、どこか違う。――

指導してのないために乱読せざるを得なかった十三歳のゴーリキイが、現実と文学との間に在るこの微妙な一点に観察を向け得たという事実は、注目すべきことであると思う。まだ五つ六つだった頃、祖父の家の下宿人「結構さん」とゴーリキイが取交したあのいかにも生活的な、ユーモアと生活力とに満ちた問答が思い出されるのみならず、後年のゴーリキイが作家として現実に向って行った態度の根本的な面が、既にこの献身的な読者としてのゴーリキイの判断の現実性の裡に強く閃いている。当時彼の手に入った本の作者の中で型にはまった善玉・悪玉がなく「あるのは只人々だけ。不思議に活々した人々」の生活だけを描いたのは、僅にゴンクールとバルザックだけであると思われたという回想は、今日彼の全生涯を見とおす立場に置かれている我々にとって、実に意味深い示唆を与えるのである。

この年配において、ゴーリキイが善玉・悪玉を人間的な心持から嫌悪したばかりでなく、本が少数の例外を除いて「皆、主人の家の者共と同じように人々を厳しく叱ったり、したり顔で批判したりしている」ことに歴然とした反撥を示していることも亦将来において展開された芸術家としての特質の萌芽として見落されてはならない一点である。ここには、本を読んだからと云って殴られる台処働きの小僧の中に燃えている人間的尊厳の抗議、給料を祖父にとられる貧しい小僧だから、淫売をする洗濯女といちゃついて、酔倒れた兵卒のポケットから財布を掠めもするだろうと思われ、全然事実とは違うその卑俗な偏見によって昏倒する迄彼を殴りつけた周囲の人々の独善的な小市民気質に対する歯に衣きぬきせぬ反撥が語られているのである。

農奴解放、それに引続く資本主義の発達に伴い、この時代(一八七〇年代末――八〇年代)ロシアには偽瞞的な自由を獲得した稍々やや富める農奴から転じた無学な小市民層と、主人と住家耕地を失って都会、工業地帯に移行する農奴出身の労働者層とが急速に増大した。当時からロシアの主要工業地帯であったモスクヷ県、イワノヴォ・ヴォズネシェンスク市、ハリコフ、オデッサ、ペテルブルグ市その他では、ナポレオン侵略の一八一二年頃に比べ、全住民の四パーセントしかなかった労働者が一八九七年には十三パーセントにのぼった。少し目ぼしい各都市では、手工業的生産が近代資本主義経営へ移り、そういう小市民の暇つぶしのための絵入新聞が未曾有に発刊された。その時代の波はゴーリキイの育っているニージニ・ノヴゴロド市にも打ちよせた。祖父カシーリンが、ヴォルガの曳舟人夫から稼ぎ上げた財産、職人組合長老の位置などは、この全ロシアを動かした経済事情の変転によって失われた。手工業生産者から産業資本家にうつることが出来ず、破産没落した一つの典型なのであった。

こういう家と時代に生れ、ゴーリキイは生粋下層民の子供として人生と闘いつつ、親族に労働者として働いている者が一人もなかったため、小僧働きの環境はいつも手近な縁を辿って都市的な小市民的雰囲気に限られていたこと、その窒息的に濃い重い執こい空気の中で少年ゴーリキイが、天成の素質の健康さによって二六時中身をもがきつつ、而も成長の或る時期迄避け難くその中に縛りつけられていたことは、彼の生涯の発展のジクザクな道を知るについて十分の洞察をもって理解されなければならぬ不幸な事情である。

まして、ニージニは半アジア風な商業都市であった。年一度、遠くペルシャやアルメニヤ、コーカサス辺から迄地方物産を集めて開かれる世界に有名な定期市ヤールマルカで、(一九二八年迄数世紀間つづいた)謂わばニージニという町全体が生きていた。田舎風な都会、一年の最高頂の時期は、罵声と殴り合いの合奏する巨額な金の集散、そのおこぼれにあずからんとする小人の詭計の跳梁、泥酔、嬌笑に満ち、平日は通俗絵入新聞が地方客に向って撒く文化を糧としつつ、ヴォルガ沿岸の農民対手の小商売で日暮しているとすれば、全住民を包む気分の性質は今日の我々の想像にも尚活々と会得されるものがある。ゴーリキイは彼の胸をムカムカさせる小市民と、善良な人々ではあるが貧と無恥、野蛮の中にとめられているヴォルガ河岸の家のない羊の塊りのような自由労働者の生活としか知らなかった。

この生活環境の特徴的な事情は、十三歳頃のゴーリキイの成育の中に微妙な反映を与えている。「人々の中」で朝から夜までこき使われる者、理由もなく殴られ得る下積の存在として、天質の豪気さ、敏感さ、熟考的な傾向と共に、少年ゴーリキイの生活及び人間に対する観察力は非常に発達している。殆ど辛辣でさえある。現実は強く彼を鍛え、書物に対する判断、芸術における現実性の価値の評価についてまで、少年らしい夢の底で正しい本質をついている。パリやベルリンのいろいろな生活についても知っていた。しかし、彼は当時の自分の力では打ち破ることの出来なかった周囲のごまかし、小市民の毒によって、少なからず制約されている。自分で知らずに、鋭い心の目覚めを遅らされた。この興味ある一例は一八八一年三月一日に、農奴解放を行って後全く反動化したアレキサンドル二世が「人民の意志」党員グリニェヴィツキーのテロルに殪れた時の記憶の描写に現れている。「人々の中」でゴーリキイはこう書いている。

「思い起せば、丁度そのような詰らない時に(製図師の家での不幸な小僧生活)生じた一つの不思議な出来事がある。或る晩、皆の者が寝鎮った時、急に本会堂の鐘が鳴り出した。家の者は皆一度に起き上った。半裸体の人々が窓ぎわへ飛んで行って、訊き合っている。

『火事かしら?……警鐘はやがねのようだが……』

よそでも騒いでいるらしい。扉をどたんばたんと鳴らす音が聞えた。誰かが屋敷内で馬の手綱をひいて駈けて行く。老婆が、本会堂へ泥棒が入ったんだよ、と怒鳴る。主人がそれを制し、

『おっ母さん怒鳴るなよ。あれは警鐘はやがねじゃないよ!』

主人の弟ヴィクトルが寝棚から降りて来て、着物を着ながら呟いている。

『俺には何が起ったのか解っている。ちゃあんと分っている!』

主人は、火の手が見えるか屋根へ登って見ろと云いつけた。」

ゴーリキイは屋根へ出て見たが火の手は見えぬ。静かな冷たい夜気の中で、ゆるやかに鐘が鳴っている。暗くて姿の見えない人々が雪を軋ませながら走った。橇の滑り木が鳴る。鐘は気味悪く鳴りつづけている。この夜の地方の町らしい描写を、ゴーリキイは実感をもって記憶に呼びおこしている。主人が戸外へ出ようとすると、主婦がこわがって、

「貴方行かないで! ね、行かないで……」

とすがりつく。男連はそれを振り払って往来へとび出した。ゴーリキイがサモワールの仕度を云いつけられて台処で働いているところへ主人が玄関へ飛び込んで来て「太い声で云った。

『皇帝が殺されたんだ!』

ヴィクトルは帰って来ると、詰らなそうに外套をぬぎながら怒って云った。

『俺は戦争だろうと思ったのに!』

皆は揃ってお茶を飲んだ。そして安らかに、とは云え、声を潜めて用心深く語り合った。」

「二日の間彼等はひそひそと囁き合っては何処かへ出て行った。またこちらへも客が見えた。そして何か詳細に語りあった。私は何事が起きたのか知りたかった。けれども家の者は私から新聞を隠した。そこで」知り合いの兵卒に「皇帝の殺されたわけを訊いて見た。彼は声を潜めて答えた。

『そのことは口にしちゃいけないんだ』」

そして、ゴーリキイは、「これらのことは忽ち消えて日常の瑣事に覆われてしまった。」とその含蓄ある条を結んでいるのである。その事件があってから三十四年の後(一九一五年)に至ってゴーリキイは「人々の中」でこの記憶に触れているのであるが、この事件の経験のしかたからはっきり自覚される筈の当時の彼の事情――一箇の小さな人間として彼自身が息苦しく封じ込まれていた環境の小市民性、及びそれが彼の旺盛な内的発展の一面を直接間接に鈍らせていたこと等については、特別何ごとをも云っていない。このことは、一九一五年代の作家ゴーリキイが階級性というものに対して持っていた態度の或る現れとして、二重に興味ある将来の観察を刺戟されるのである。

同じ歴史上の事件は、ペテルブルグのような首都の工場労働者の家庭では些か違った風に受けとられた。マクシム・ゴーリキイより三歳年下であったシャポワロフは、一八八一年の三月頃はまだペテルブルグの市立小学校へ通っていた。その日、教師はひどく亢奮してわけも話さずいつもより早く授業をすました。そして子供達を家へ追い帰した。街では巡査が恐ろしい顔付をして軒並に店を閉めさせている。街中妙にそわそわした様子であった。家へ着いた頃は往来に人通りもなくなってしまった。

「おっかさん」とシャポワロフは訊ねた。「先生はどうしてこんなに早く家へ帰れって云ったんだろ。何故町じゅう店を閉めてんの?」するとシャポワロフのおふくろは、びくびくしながらも息子にはっきり云った。「皇帝を殺したんだよ。社会主義者が殺したんだよ」

さて、ゴーリキイは、製図師のところを出てから、今度は月七留ルーブリの給料で又ヴォルガ通いの汽船ペルミ号の炊夫をやった。この船には嘗てのスムールイとは全く違って、しかもゴーリキイの心を魅した一人の男がいた。ヤコヴという胸幅の広い角張った火夫であった。カルタが巧くて、大食で、この男がへこたれたり、考え込んだりしたのを見たことがない。毛むくじゃらの口からは常に言葉が流れ出している。それでいて、彼の中には何となく人と違ったところがあった。それは昔の「結構さん」の中にあったものとどこか似ている。彼は自分でも自分の特質をよく知り抜いており、また人々に理解して貰えないということを、ちゃんと弁えていた。この男の言葉づかいには一つの癖があり、他人なら善いとか悪いとか、拙いとかいうところを、ヤコヴは大概、興味がある、面白い、珍しいという云い方で表現した。この男がゴーリキイに初めてカルタの勝負を教えた。そして、忽ちゴーリキイが負けた金の半額、ジャケツ、長靴などをかえして云った。

「遊びだよ、これは遊びだよ。楽しみだよ。それだのにお前はまるで喧嘩腰で来る。喧嘩だってやたらむきになったんじゃ駄目だ。一度しくじってもいい。五度しくじってもいい。七度でもいい――それが何だ! 止すさ。引込むだけのことさ。そして、冷めきってからまたやるんだ! それが遊びだ」

ゴーリキイには益々この男が気に入り、彼の話しぶりは、輝やかしい祖母さんの物語を連想させる程である。しかし、どうしてもこの男には気に入らぬところがあった。それは人々に対する深刻な冷淡さ、これが断然ゴーリキイの性分に合わぬ。しかし、ヤコヴはゴーリキイからお前は石だねと云われた時、ゴーリキイの心臓に注ぎ込まれて忘られぬ言葉を云った。

「おかしな男だな! 石と来たか?――だが、お前は石をも可哀想に思う人になってくれ。石もそれ相応の役に立つ。街なんか石で敷きつめる。どんなもんでも可哀想に思わなけりゃならない。砂だって――何だろう。その上に小さい草が生えるだろう……」

このヤコヴにゴーリキイはプーシュキンの詩を読んでやった。パリの物語を読んでやった。ヤコヴが、偶然ペルミ号にのり込んで来たシベリアの去勢宗教のところで働くことにきめ下船する時、ゴーリキイを誘った。

「俺と一緒に行かないか? 一言話せばあの鳩ぽっぼはお前もつれて行くぞ」

生気のない眼をした、ぐにゃぐにゃした感じの男は、ゴーリキイの心に嫌悪を生んだ。ヤコヴ・シュモフは、ゴーリキイの心に「穏やかならぬ複雑な感情を残して、熊のように体を揺りながら立去ってしまった。――」

秋、ヴォルガの河の水瀬が落ちる。船が通わなくなる。冬の屋根を求めて、ゴーリキイがもぐり込んだのは聖画工場の見習であった。

毎朝、番頭と一緒に寒い暁方の街を歩いて商店街からニージニの市場の陳列場の二階にある店へ通い、陳列場の土間を重く歩いている人々に向って、細い声を出して、利益をのべたてて聖画を買わせる。それがゴーリキイの役目なのであった。

「旦那、何か如何でございます? 聖像もお値段はいろいろですが、品は上等落付いた塗になっております。御注文も頂きまして、どんな聖人方でも聖母様でもお描き申します」

これはゴーリキイにとって恥しかった。客は犬でも見るように小僧のゴーリキイを眺め、やがて隣りの店へ行ってしまう。

「逃しゃがった! いい売子だよ!」

番頭が怒った。すると、隣の店からは軟かい、甘ったるい、うっとりさせる口上が流れて来る。

「手前共は、羊皮や長靴などの商いではございません。金銀にまさる神様のお恵みを御用立てるのでございます。これには、もう値段はございません」

「畜生! うまく百姓をたらし込んでいやがる。覚えとけ! 覚えとけ!」

店へ来る百姓は皆貧乏そうで、空腹な人々のように見えた。それだのに聖詠経一冊に三ルーブリ半も払う。それはゴーリキイに奇怪な感じを抱かせた。そういう人々の無智から儲ける聖画売の商売、又、珍らしい古代の作品を売りに来る者をちょろまかして儲ける悪辣なやり口もゴーリキイの心を苦しめた。

聖画屋の小僧が本を読む。そのことをぺてん師の鑑定家の爺と番頭とがあくどく揶揄した。

「さて、学問のあるお前のことだ。この問題を噛み分けて見な。ここに、千人の裸坊主がいる。五百人が女で、五百人が男だ。この中にアダムとエヴァがいるが、お前はどこで見分けるかい?」

ゴーリキイを、散々卑猥な説明で悩してから爺は教えた。

「つまりはお前も馬鹿な小僧さんだね。アダム、エヴァは生れた人間じゃなくて、造られた人だから、臍が無いじゃないか!」

ニージニの肥え太った商人達は、冬期は特に退屈に圧されて惨忍な馬鹿気た慰みをやった。商人の生活ぶりはゴーリキイの気に入らない。また所謂信心深い連中、殉教者というのが実はただ意志を固定させているだけで未来に向ってちっとも伸びようともせず、伸びるだけの能力を持ってもいないこと、翼をもがれ、手足をとられていても狭苦しい偏見や独断に馴れた精神と感情とは、習慣で徒に真理の墓を守っている。信仰の堅いという連中は、その生活の中ではちっとも愛の光に照されていず、寧ろ喜んで互に圧迫しあっている。これらの毎日の観察は、ゴーリキイの生涯に譲ることのない確信として、習慣による信仰が最も悲しむべき有害な現象であることを理解させる土台となったのであった。

ゴーリキイは、手帖にいろいろのことを書きこむことを始めた。本からの感想、日々の出来事からの強烈な印象、又は詩などを。聖画屋の番頭はそれを知ると、この反り鼻の小僧を呼びつけて言いわたした。

「お前は抜萃帖か何か作ってるそうだが、そんなことはやめちまわなくちゃいけない。いいかね? そんなことをするのは探偵だけだ」

聖画店の主人は五留ルーブリの給金を無駄にしないようにゴーリキイを働かした。ゴーリキイは主人が家具、敷物、鏡その他に執着し、こせこせとそれらを自分の家の中に詰め込むのが厭わしかった。市場の倉庫からサモワールだの箱だの鋏までくすねて来るのを見るのは厭しかった。その不恰好な置かたや塗料の匂いまで癪にさわった。彼のまわりでは主人が盗むばかりか、職人達が主人をちょろまかしている。ゴーリキイは何も所有したくなかった。ベランジェの小さい一巻とハイネの詩集ぐらいが彼の全財産である。

彼の周囲の人々はすべて、卑劣な奴も、智慧のある奴も狡い奴も、ゴーリキイに、彼等と一緒に住むことは出来ないと思わせるような人々ばかりであった。「何とか他に生きようはないものだろうか? 何処へ行ったらいいだろう。」ゴーリキイの全心にこの堪え難い囁きが、日夜響くようになって来た。ゴーリキイが折々心の内を打あける老職人のオシプはゴーリキイにすすめた。

「啄木鳥きつつきは頑固だが、怖ろしくない。誰もあんな鳥を恐れはしない。そこで俺は心からすすめる、修道院へ行きな」

然し、修道院へは行きたくない。ゴーリキイは泣きたいような気持になり、十五歳になったばかりの自身を、もう永く生きた者のように感じる。酒を飲まず「女に絡まらず」青年になったゴーリキイの気紛れを遮っているのは書籍なのであったが、読書すればする程、一般人の暮しているような詰らない必要のない生活をして行くのがいやになるばかりである。しかも、心の内側にぎっしりつめこまれている人生からの雑多な印象、驚くべき多読からの不秩序な蓄積、いろんな疑問、悩みを択り分けるだけの力も手段もない。それらの精神の重荷が、ゴーリキイをひょろつかせた。不幸、病気、泣きごと、流血、殴打、ひどい言葉の愚弄、それらはどれもゴーリキイに堪え難く、肉体的な苦痛を引起すのであった。だが、彼の生きる暗い環境の中ではその苦しさが常に極度にまで緊張させられるようなことが頻々として起った。苦痛が嵩じて「一種冷やかな狂暴に生れ変って来ると、今度は若い」ゴーリキイ自身が「獣のように荒れくるった。そして後から胸の痛い程恥しく思う。」

心に痛みをもってゴーリキイは店から抜け出し、悠大なヴォルガの落日を眺めた。本で知った他の都会の生活のこと、風変りな生活をしている外国のこと、地上の大さの感じがいつしかゴーリキイの心を鎮め、彼の周囲でゆっくり単調に煮えている臭いような生活とは違った生活の可能性が想われて来る。

大地全体に、そして自分自身に、程よい一撃をくらわしてやりたくなる。そうしたら一部のものは、自分自身も、悦ばしい旋風のように動き出すだろう。ゴーリキイは、苦痛と期待との間で揺れる心で沈思するのであった。

「此の自分を何とかしなければならない。さもないと、俺は破滅してしまう……」

人生の袋小路からの脱け路を求めつつ、ゴーリキイは自分が小さい時分、秋、日暮れ近い森で道に迷った時のやりかたを思い出した。そういう時彼は、茂みの中で朽ちた枝の上でも、沼地の滑り易い凸凹の上でも所きらわず真直行くといつかは道に出ることが出来た。ゴーリキイはその通りにやろうと決心した。その秋、ゴーリキイは、遂に大学のあるカザンへ出発することにしたのであった。

青年時代

――私の大学――

自身の裡に夥しく蓄積され、殆ど彼を圧し潰しそうに感じられる人生からの濃厚な印象、湧き起る様々の疑問は、十五歳のゴーリキイを抑え難い力で、どこかへ、ここニージニでないところへ、もっと広い、もっと息のつけるところへと押し出しつつあったのであるが、その方角をカザン市ときめたのには、彼より四つ年上の中学生エフレイノフの影響があった。

当時、市場の建築工事場の若い事務員をしていたゴーリキイと同じニージニの或る屋根裏部屋を借りてエフレイノフが住んでいた。ゴーリキイの天質と驚くべき読書慾とが、エフレイノフとゴーリキイとを特別の友情で結びつけるに至った。エフレイノフは美しい長髪を振りながら、善良な心に燃えてゴーリキイを説得した。

「君は生れつき科学に奉仕するために作られているんだ。――大学は正に君のような若者を必要としているのだ」

そして、エフレイノフの言葉に従えば、カザンへ行ったらゴーリキイは彼の家で一緒に暮し、秋と冬との間に中学卒業の資格をとって、幾つかの試験を受ける。カザン大学はゴーリキイのような若者に官費をくれる。五年も経てば、ゴーリキイはきっと「学者」になれるというのである。

現実生活から読書からの印象と、目覚め発育を意識する知性の渾沌で苦しんでいたゴーリキイにとって、エフレイノフのこれ等の言葉が強い刺戟を与えたのはまことに自然である。彼はこの時、ヴォルガ通いの汽船の上で、皿洗い小僧をしていた自分に云った料理人スムールイの言葉をも記憶の中に思い起したことであろう。スムールイも繰返し云った。「お前には智慧がある。ここはお前のいるところでない。出て行って暮せ!」又「俺に金があったら勉強させてやるんだがなあ……」

何とかしてカザン大学に入る。――

ところが、カザンへ着いてゴーリキイがそこに見出したのは大学への道ではなくて、早速の飢餓であった。善良なエフレイノフと更に勉強だけに没頭している弟とには、貧しい恩給暮しの母親が、どんなからくりをして、息子二人と、どこの誰ともはっきりしない体の大きい、粗野な若者を食わしているのか一向に分らない。が、ゴーリキイは最初の日から母親の面している困難を一目で見透した。ゴーリキイには、この母親がどんなに気を張り智慧をしぼってその日その日三人の健康な若者の胃をなだめているかということがわかり「一片のパンさえも石となって」彼の心にのしかかるのを感じる。

昼食をしないために朝から家を出た。天気の悪い日には、焼跡の原に向った一つの廃墟の広大な地下室の中に坐っていた。そこでは野良犬や野良猫が生きて、死んでゆき、それらの犬猫の死骸の臭いが、雨や風の音の下で漂っている。

飢えないためにゴーリキイはヴォルガへ、波止場へ出かけて行った。独特な「私の大学」時代が始まった。波止場で十五哥カペイキ、二十哥カペイキを稼ぐことは容易であった。そこで、荷揚人足、浮浪人、泥棒の間に自分を置き、ゴーリキイは後年この時代のことを、次のように書いている。「私は赤熱された石炭の中に入れられた鉄の一片としての自分を感じた」「そこでは私の前に裸にされた貪欲な人々、粗暴な本能の人々が渦巻いていた」と。

もとは師範学校の学生で職業的な泥棒であり、ひどい肺病になっているバシュキンは新顔のゴーリキイに向って雄弁に吹き込んだ。

「何だい、お前は。まるで娘っ子みたいにちいさくなってさ。それとも礼儀を無くしたくないんか? 娘っ子にとっちゃ礼儀が全財産さ、だがお前にとっちゃ、それは軛だ。牛には礼儀がある。それっていうのも、奴は満腹しているからさ!」

彼等が極端な無一物でありながら、飢えと悲しみとの境遇の中で愚痴を云わず自分たちの拘束されない生きかたを愛していること、又、この人生に対して露骨な辛辣さを抱きそれを表明していること。それらがゴーリキイの心に好奇心を動かし、同情を惹きおこした。彼等の生活はゴーリキイがこれまでこき使われ、愚弄されて来た小商人達、小市民連のこせついた独善的な日暮しとは全く別なものであった。彼等は自分達の全生活でもって、ゴーリキイ自身が嘔気を催す程厭悪している。生ぬるい、厚顔な町人根性に反撥し、それを軽蔑している。この人々にゴーリキイはつよく惹きつけられた。そして「彼等の辛辣な環境に沈潜して見ようという希望」に捕えられた。

ゴーリキイは屡々泥棒のバシュキンやけいず買いのトルーソフなどとカザンカ川を越えて野原へ、灌木の茂みの中に入ってゆき、いかがわしい彼等の商売のこと、更にもっと頻繁に、生活の複雑さについて、人間の関係の不思議な縺れ合いについて、何よりも多く女について話しながら、飲んだり食べたりした。世界のすべてに対して嘲笑的に敵意をもっているこれ等の人々の話、自分自身について無関心なこれ等の人々の物語には、町人生活の息づまる暗さから脱しようとし、而も大学で勉強しようという輝いた空想――高まろうとする欲望を貧という現実の力で思いやりなく砕かれたゴーリキイの若く激しい感情を掴むものがある。彼等の人生に対する抗議に、ゴーリキイは自分の憤りにみちた傷心がこめられているように感じる。けいず買いのトルーソフは、こういう人生の微妙な岐路にあるゴーリキイを眺めて、そして、云うのであった。

「マクシム、お前は泥棒の悪戯わるさには入るな! 俺は考えるんだが、お前には他ほかの道がある。お前は精神的な人間だ」

「精神的って、どういう意味だい?」

「何に対しても羨望ということがなくて、唯、知りたいっていう心だけ在る人間のことを云うんだ……」

ゴーリキイは、これは当っていないと思う。だが、彼の天質に蔵されている健全な生活力が、この虚無的な雰囲気との摩擦の間に、一つの新しい疑問の形をとって、徐々にその働きを現した。これらの連中は、いつ、何を話しても、とどのつまりは「何々であった」「こうだった」「ああだった」と万事を過去の言葉でだけ話す、その事実にゴーリキイの観察と疑惑がひきつけられた。意味深い彼等のこの特性の発見は次第にゴーリキイの鋭い心に或る恐怖を感じさせた。ゴーリキイの精神は激しく、よりよい人生の可能を求めてここに来ているのであった。彼は未来を、これからを、よりましな「何ものかであろう」ところの明日から目を逸らすことが出来ない。ゴーリキイは彼等のように生きてしまった人々の一人ではなかった。ゴーリキイは生きつつある者、しかも熱烈に生きんとしているものの一人なのである。「このことが、彼等から私を去らしめた。」マクシム・ゴーリキイは、その自伝的な作品「私の大学」(一九二三年作)の中で活々と当時を回想している。「私は外部からの助力を待たず、幸福な機会というものにも望みをかけなかったが、私の中には次第に意志的な執拗さが発達し、生活の条件が困難になればなる程、それだけ堅固な賢くさえある自分を感じた。私は非常に早くから人間を作るものは周囲の環境への抵抗であるということを理解した」のであったと。

しかも、ゴーリキイはこういう意味深い記述の間に、当時まだプロレタリアートの力が階級として確立していなかったロシアの民衆の中にあって、彼のような立場の若者が、経なければならなかった社会的な危機とその歴史的な価値とを自覚して十分描き出していないことは、今日の読者の注目をひくところである。まだ階級としての小市民を知らず、ただそれに対して本能的な、執拗な反抗をしつつ、その反抗を系統づけ、方向を決めるプロレタリアの力が情勢として育っていないために危くも虚無的な、社会の破壊力の裡へ堕落しそうになった一箇の才能の踠もがきは、私達に最も厳粛な同情と真面目な省察とを促すのである。

今や、ゴーリキイは「ぼんやりした、しかしこれまで見たすべてよりももっと意義のある何ものかへの欲求」に燃えて、カザン市の貧民窟「マルソフカ」の一部に大学生プレットニョフと暮しているのであった。が、プレットニョフとゴーリキイとが暮しているのは、その有名な貧民窟の中にあっても部屋と名づけられない階段下の廊下の一隅であった。屋根裏へのぼる階段の下の廊下にプレットニョフの寝台が一つ置いてあり、廊下のつき当りの窓のところに机、椅子。それっきりしかなかった。ゴーリキイは夜その寝台に眠った。プレットニョフは昼間。

貧しいこの大学生はカザンの新聞社へ夜間校正係として働き、一晩十一カペイキずつ稼いで来た。ゴーリキイに稼ぎのなかった日、この心を痛ましめる睦しい同居者たちは四切のパンと二カペイキの茶、三カペイキの砂糖だけで一日を凌ぐことも珍しくない。ゴーリキイは波止場稼ぎを屡々やすんだ。プレットニョフは若い孤独なゴーリキイの生活の困難と危険とを知って、彼と一緒に暮し、田舎の小学校教師になる試験を受けるようにとすすめたのであった。

プレットニョフとゴーリキイが夜を眠り昼を眠る廊下の隅の巣の外に三つのドアがある。二つの扉のかなたには淫売婦が、三つ目の扉のかなたには、数字から出発して神の存在を証明しようとしている肺病の神学出の数学者が時々恐ろしい喚き声を挙げつつ暮している。ゴーリキイは非常な困難をもって「科学を克服」する仕事にとりかかった。全体むずかしいこの仕事の中でも特に手に負えないのは、ゴーリキイにとって文法であったというのは面白い。彼は、幾分極りわるげに、しかし或る誇りを潜めて書いている。「私はその中に、生きた、困難な、気儘で柔軟なロシア語をどうしてもはめこむことが出来なかった」と。この科学との取組みは案外早く終りを告げた。小学教師の試験を受けるにゴーリキイは、まだ若すぎることがわかったのであった。

ところで、ある朝、この「過ぎ去った人々や未来の人々の騒々しい植民地」の一隅に一つの出来事が起った。そこの住人であった一人の廃兵と労働者とが憲兵に引っぱって行かれた。プレットニョフはこのことを知ると、興奮してゴーリキイに叫んだ。

「おい! マクシム! 畜生! 走ってけ、兄弟、早く!」

ゴーリキイは、合図の言葉を知らされて「燕のように迅く」或る場末町へ走って行った。そこに小さな銅器工の仕事場があった。暗い仕事場の中には異様に青い眼をもった一人の縮毛の男がいて、鍋に錫をかけている。――が、ゴーリキイは、勤労者の若者の炯眼で見破った。労働者には似ていない。――ゴーリキイは銅器工に訊いた。

「こちらに仕事はありませんか?」

「こちらにゃ、あるが、お前の仕事は、ないね!」

若い縮毛の男はちらりとゴーリキイを見て、再び鍋の上へ頭を下げた。ゴーリキイは、こっそり足でその男の足を突いた。若い男はびっくりしたように怒って鍋をふり上げたが、ゴーリキイが彼に瞬きをするのをさとると、静かに言った。

「行け……行け……」

往来へ出てゴーリキイが待っていると、その男も出て来てタバコをふかしつつ、黙ってゴーリキイを見詰めた。

「あなたはチーホンですか?」

「そうだよ」

「ピョートルがやられたんです」

「どこのピョートルだね」

「長い、寺僧に似た男ですよ」

「で?」

「それだけです」

すると、その銅器工は、

「ピョートルだの、寺僧だの何だのって、俺に何の関係があるんだね?」

と訊いたが、この訊きかたそのものがゴーリキイに彼の労働者でないこと、しかし彼の使命は果されたことを一層はっきり感じさせた。

これがきっかけとなり、当時のカザンに於けるナロードニキを主とする急進的なインテリゲンツィアとゴーリキイとの接触がはじまった。ゴーリキイは、墓場の濃い灌木の茂みの中でもたれる彼等の集りに行った。すると、彼等は波止場稼ぎの若者であるゴーリキイが「何を読んだかということを厳重に問いただした上で」彼等の研究会でゴーリキイも勉強するように決定した。そこではゴーリキイが一番年若であった。後に自殺した或る師範学校の生徒の家へ集って、チェルヌイシェフスキイの註解付のアダム・スミスの書物を研究するのであった。アダム・スミスの読解は、ゴーリキイをひきつけなかった。「よその小父さん」の幸福と安逸とのために自分のすべてを消耗しているものにとっては実に明らかな事実について、むずかしい言葉でこんな大きい本を書く必要はなかったという風に、ゴーリキイには考えられた。スミスが提出する経済学の命題は、生活から直接獲得されたものとして、ほかならぬ彼自身の皮膚の上に書かれている。――

然しながら、マクシム・ゴーリキイはその退屈をこらえ「絶大な緊張をもって、草鞋虫の這っている窖の壁を見つめ、坐りつづける。」彼の内心に答を求めて疼いている数限りのない「何故?」がそこから彼を去りかねさせるのであった。マクシムは、抑え難い感動をもってゲルツェン、ダーヴィン、ガリバルジなどの肖像を眺めた。そして、息苦しい室内に集って真理を擁護しながら議論をわき立たせるこれら一団の人々が、よりよい人間の生活の招来のために献身していること、彼等の言葉の中には彼の無言の思いも響いていることを感じ「自由を約束された囚人のような狂喜で」これらの人々に対したのであった。

同時に、これまで経験したことのない妙なばつわるさ、居心地のわるい瞬間が、ゴーリキイの生活に混りこんで来た。これらの学生達は目の前へ彼を置いて「まるで指物師が並々ならぬものを作ることの出来る木の一片でも見るよう」な眼付でゴーリキイを眺めた。「子供が道傍でひろった大きい銅貨でも見せ合うように、誇りをもって」彼を皆に紹介し合った。これは、ゴーリキイの淡白な気質にとって工合わるかった。更に彼等は、ゴーリキイを「生えぬきだ!」「まったくの民衆の子だ!」と褒める。これもゴーリキイの気を重く、また考えぶかくさせた。ナロードニキである学生達は民衆を叡智と精神美と善良との化身、「すべての美なるもの、正義あるもの、崇厳なものの原理の所有者」のように話すのであったが、ゴーリキイが物心つくとからその中に揉まれ、それと闘って来た現実生活の下で、彼は「このような民衆を知らなかった。」

この事実こそ、最も明白にナロードニキ(民衆派)の学生達の善意はあるが、抽象的な世界観の内容とゴーリキイの現実的な社会の認識との間に横たわる歴史性の本質的な相異を語るものである。然し、この価値の高い現象も当時にあっては、ゴーリキイに或る不安な驚きと自分に対する一種の不信とを感じさせるにとどまった。

学生達はゴーリキイを、生えぬきの民衆の子としてばつが悪い位珍重しながら、一方ではゴーリキイを、彼等流の教育で鍛えようとした。教師たちは、ゴーリキイに勝手に好きな本をよむことを許さなかった。読んだものについてのゴーリキイらしい批評を注意ぶかく聞こうとしなかった。彼等は云うのであった。

「君はこっちからやる本を読めばいいんだ。君に適しない領域には――首を突込むなよ」

例えば、ゴーリキイはその頃『社会科学のABC』という本を読んだのであったが、そこでは文化的生活の組織の中でインテリゲンツィアの役割が著者によって誇張されて書かれており、進歩的な浮浪人や猟人などの存在が著者によって恥かしめられているように感じられた。ゴーリキイはその疑問を率直にある言語学の学生に伝えた。すると、その学生は「女のような仰山な表情」で「批評の権利」について説明した。

「批評する権利を持つためには――どれかの真理を信じる必要がある。君はどの真理を信じるかね?」

後年ゴーリキイはつつみかくすところなく回想の中に洩している。「こういう粗暴さは、私を焦立てた」と。

この時代からゴーリキイの心は溢れて詩になりはじめた。それが重苦しくて、荒削りなのはゴーリキイ自身にも感じられた。けれども、ゴーリキイにとって「自分の思想の最も深い渾沌を表現するのには」ほかならぬ自分の言葉で語るしかなく思われ、しかも、ゴーリキイは自分の詩を書く場合、彼を「いら立たせている何ものかに対する抗議の意味で殊更粗暴なものに」するのであった。この生々しく切迫し、本源的に八〇年代のインテリゲンツィアの非行動的な煩瑣饒舌に反抗している若者の内面的吐露を、彼の教師の一人であった数学の学生は、さて、どう理解したであろうか。

「言葉じゃないよ、錘おもりだ!」

これがその学生の批評である。ゴーリキイは「生活の継児として自分を感じ」た。そして、時には「自分の智慧の発達を導いている力の重苦しさを経験」せざるを得ない。

そういう時、若いゴーリキイの奔放な空想と憧れとは彼をヴォルガの河岸へ運ぶのであった。そこに渦巻き展開される色彩のつよい労働、河の面を風にのって流れる荒っぽい、だが声量の豊かな俗謡。目的は何であるにせよ、たといそれが浪費であるにせよ、そこにはゴーリキイをよろこばせ、自身の生命の力をも鮮やかに感覚させる、むき出しな人間の肉体の動きと、それを縁どる自然とがある。

生れつき非常に感覚的な、多彩なゴーリキイが既にロシアの現実的情勢におくれはじめたナロードニキの学生達の観念とヴォルガとの間で揺れ、言葉のからくりの熟達者であった当時のインテリゲンツィアに対し、秘かに、だが、頑強に民衆の真情、飾らぬ言葉を主張していたところに、彼の読者である我々は彼の初期の芸術的情熱の深い根源を見出すのである。

独習者である自分に対しては学生達が「かなり厳格な態度」をとる。このことが、ゴーリキイにいまいましい思いを幾度かさせるが、彼等の言葉の一つ一つを裏付けている「人類愛」の感情は、ゴーリキイの心に全く新たな一面を開発する力をもっていた。人間の精神の裡にこういう感情があるという発見、そして、その感情に身を献げて暮し得る一群の誠意ある人々が此世にいるという事実。これは、ゴーリキイが今まで何処でもめぐりあったことのない驚異である。この力がゴーリキイをさし招く。ゴーリキイは、塵芥のいっぱいな崖の上にある小さいデレンコフ食料品店へ出かけてゆく。デレンコフのところには一種の図書館があり、そこには貴重な文献、手書きで写した本などが蒐集されていた。カザン市のあらゆる段階の進歩的見解の持主がこの穢い崖上の一点へ向って出入した。明るい色の髯の中に善良な顔と賢い眼とをもった瘠せた手のアンドレイ・デレンコフは、民衆派ナロードニキで食料品商売から得る僅かの儲けを全部「先ず第一に、民衆の幸福」を信じている人々を扶けるために費している男なのであった。

デレンコフの家で本当の主人はアンドレイではなかった。カザン大学や宗教学校、獣医学校などの学生達及び「未来のロシアについての絶間ない不安の中に生活していた人々の騒がしい集り」であった。この集りの中に「神学校の学生でパンテレイモン・サトウという日本人さえいた」というのは、何と興味ある歴史の一頁であろう!

ゴーリキイに、彼等の論争はよく分らなかった。真理らしいものは言葉の氾濫に溺れて消えた。しかし、生活を良い方へ向けようとしている人々を見、自分もその中に伍しているのだという自覚、何にもまして、彼等が解決しようとしているのが何であるかということは、ゴーリキイにとって明瞭に理解されている。ここで論じられていることが成功的に解決されることにゴーリキイ自身の個人的な問題の解決もふくまれていること、それをまざまざと感じているのであった。

ゴーリキイが、人間生活を観る持ち前の鋭い目で、学生達とデレンコフとの関係を省察している叙述は様々の時代的な示唆や、ゴーリキイの誇高い、不屈な気質の一面を示して興味がある。ナロードニキに対するデレンコフの態度はゴーリキイのそれと同じであったが、「デレンコフに対する学生の態度は」ゴーリキイには「主人が下男に対し、酒場の給仕に対するような粗暴さのある無関心なもののように思われた。が、彼自身はそれに気がついていなかった。」客達を送り出しておいてから彼はよくゴーリキイを泊らせた。ゴーリキイとデレンコフとは「部屋を掃除し、それから床ゆかの絨毯の上に横わりながら、わずかに燈明の光りだけに照らされた暗の中で長いこと親しく囁き声で話し合った。」デレンコフは信頼のこもった静かな喜びをもって、ゴーリキイに語るのであった。

「こういう人達が幾百、幾千と殖え、ロシアで重要な地位を占め、直きに生活の全部を変えてしまうだろう」

デレンコフはゴーリキイより十歳年上で、独身であった。店の収入は僅かだのに、物質的援助をしなければならない「仕事をする人々」の数は益々増して来た。一八八一年三月一日、全く予告なく突発した事情の下に帝位に即かせられることになった酒飲みのアレキサンドル三世は、有名なポヴェドノスツェフと共に極端な反動的政治をはじめ、そのために従来ナロードニキの社会的支柱であったブルジョア自由主義者は甚しく畏縮して来た。更に一八八四年に公表された大学規定は大学生のこれまで持っていた学内自治権を奪い「学生生活のあらゆる微細な点まで干渉する学監、副監督、守衛等によって監視され、更に警察の監視の下に置かれるようになった」のである。この事情が、デレンコフの収支を次第に激しく喰いちがわせる。デレンコフは配慮ぶかく明るい色の髯をひねりながら云った。

「何とか考えなけりゃならない」

そして、罪ありげに微笑し、重々しく溜息をついた。ゴーリキイは、デレンコフが負っている重荷を見た。彼は一度ならず、いろいろな云いまわしでデレンコフに訊くのであった。

「何故そんなことをするんです?」

デレンコフはその答えとして民衆の苦しい生活について「本からとって来たように、不得要領に答えた」

「でも――みんなは知識を望んでいるんですか?」

「どうして。勿論さ! 第一、君は望んでいるだろう?」

そうだ。ゴーリキイは――望んでいた。

だが、この陰翳に富んだ、逆説的な分子のこもった会話は、当時のゴーリキイが民衆、学生、デレンコフや彼自身の関係に対して抱いていた複雑な感情の深淵を何と微妙な閃光で我々に啓いて見せることであろう。

これは、ゴーリキイが、セミョーノフのパン焼工場で、一日十四時間ずつ労働し、肉体的に苦しく、道徳的には一層苦しい生活の時代のことである。冬になって、ヴォルガの稼ぎのなくなったゴーリキイが「外側から犇々ひしひしと鉄格子で覆われ」「日の光は粉の埃で一面の窓硝子をとおしては届かない」地下室に降りて行った時、彼にとって「それを見、それを聞くことが既に必要となった人々との間には『忘却の壁』が生い立った。」「私の大学」の中で、ゴーリキイは自制した悲しみをもってこの頃を追懐している。「彼等の中の誰も私のところに、仕事場に来てくれるものはなく、私は一昼夜十四時間も仕事をしているので、普通の日にはデレンコフの所へ行くことが出来なかった。休みの日には或は眠り、或は仕事仲間と一緒にいた。」と。

生活のためパン焼工場へ行った十七、八のゴーリキイが、既に彼等に会わなかった前のゴーリキイではなくなっているという重大な事実、及び暗愚と無恥との中におしこめられて精神的に孤独な境遇に暮すことがゴーリキイにとって、従前とは異った苦痛となっていることなどを不幸にも彼の教師達はちょっとも洞察しなかった。

ロシアの民衆の中に蔵されている健康な人間性、大きい才能の強力な発芽として歴史の上に登場した若いゴーリキイが、計らずも当時の情勢に制約され、苦しんだ内的過程の有様は今日の私達をも様々の示唆によってうつものがある。もし、無智と従属とを意味する名辞として解釈するその時代の習俗に従えば、ゴーリキイは既に盲目な民衆ナロードの一員ではなくなっている。さりとて、当時の民衆派たちナロードニキが、自身を解放の指導者、口火として、外部から民衆に接触して行った、そういう資格において彼を評価しようとすれば、ゴーリキイはそのようなインテリゲンツィアとして、うけいれられない。又、その必要もなかったと思われたであろう。何故なら、彼等ナロードニキの伝統的見解に従えば、ゴーリキイは波止場から来たから、民衆の中からの生粋の子として存在しているところに自然発生的な価うちがあるのであったから。ゴーリキイが、民衆の中から出ているからこそ民衆に加えられる抑圧とその暗さとに対し不撓な闘志を抱き、その故にこそ彼の若い生命は高価である所以を、当時の民衆派達ナロードニキは理解し得なかったのである。彼等は、自分たちが訪問することさえ思いつかなかったセミョーノフの不潔きわまる地下室「日がな一日沸ぎっている湯が眠そうに、気懶るそうにピストンを動かし」「濃い、臭い、いきれ立つ湯気の中で」日頃彼等の夢想しつつある民衆の新たな一典型が成長しつつあるという現実の豊富な営みを知ることが出来なかった。もとより、ゴーリキイ自身は知りようもない。

ゴーリキイの地下室仲間は一般に、当時急進的インテリゲンツィアのもっている革命的な値うちを素直にうけ入れられない程生活に圧しひしがれていた。パン職人たちの唯一の歓びは、給金日に淫売窟へ出かけることであった。すると、そこの「喜びのための娘たち」は酔っぱらいながら彼等に、学生や官吏や「一般に小綺麗な連中に」対する悪意のある哀訴をした。それをきくと「教育のある人達に対する片輪の伝説」で毒されているパン焼仲間は不可解なものへの嘲笑と敵対心を刺戟され、毒々しい喜びで目を閃かせながら叫ぶのであった。

「ウー、……教育のある連中は俺達よりわるいんだ!」

後年書かれた短篇小説「二十六人と一人」(一八九九)「赤いワシカ」(一九〇〇)等にはこのセミョーノフのパン焼職人の生活の印象づよい具体的な描写、插話が芸術化されている。

パン焼職人達は「最初の日から、彼をおかしな道化者、又は面白い話をするひとに対して子供が示すような素朴な愛でもって」若い、力持ちの新しい仲間を見た。ゴーリキイは、彼等の気に入る物語の間に、「もっと楽な、意義のある生活の可能に対する希望をふき込もう」とした。しかし、時に、彼等は猛烈に悪意をもってゴーリキイに反駁した。

「だが、娘達が奴等について云うことたあ、まるっきり違うぞ!」

彼等の性わるな嘲弄の中には、ゴーリキイがまだ女の愛撫を経験したことがないことが、最も容赦ない材料としてとりあげられるのであった。

崖上の小さい、だがその存在の意味は大きいデレンコフの店では、やがてパン屋を開くことを考え出した。この事業はアンドレイ・デレンコフによって精密に計画され、一留ルーブルごとに三分五厘の利益を得るように企図された。ゴーリキイはセミョーノフの大きい汚い地下室から、いくらかましな小さいデレンコフの地下室へ移って来た。「四十人の職人仲間の代りに、一人のパン焼職人ルトーニンの『助手』兼仲間のものとして」パン焼が麦粉、卵、バタ、出来上ったパンなどを盗まないように注意するのが今やゴーリキイの仕事となった。

パン焼職人は、勿論、盗んだ。仕事の最初の夜に卵を十箇、三斤ばかりの麦粉とかなり大きいバタの塊とを別にして置いた。

「これは――何にするんだね?」

「これはある娘っ子につかうんだよ」親しげにそう言い、ルトーニンは鼻柱を顰めてつけ加えた。「とてもいい娘っ子だ!」

この男は、どれだけでも、どんな恰好ででもシャベルによりかかってでも眠ることが出来た。そして、眠りながら彼は眉を挙げ、彼の顔は不思議に変って、皮肉に驚いた表情をした。地べたの底に埋められている宝物の話、夢の話、それがこのパン焼の話題である。パン店の方では仕事に不馴れなデレンコフの妹マリアとその友達の、バラ色の頬をした娘とが商売している。

ゴーリキイは、朝早く、焼きあげたパンをデレンコフの店へ運び、更にいろんなパンの詰った二プードの籠をもって神学校へ走って行った。時によると、その白パン籠の下に帳面が入っていることがある。それを、ゴーリキイは或る学生の手へうまく押し込んでやらなければならぬ。時には、行った先で、学生達が本や紙片を、ゴーリキイの籠の中にいそいで突こむ。――

夕方の六時から真夜中まで働かなければならなかった。僅の暇をぬすんで本を読む。

「お前は本なんか読まないで、寝る方がいいんだ!」

ルトーニンの忠告は全然当はずれではなかった。力の過剰のために、無細工な若者ゴーリキイが疲労で鈍くなるまでの労働であった。

この時期に、ゴーリキイの心持にとって代えるもののなかった祖母が死んだ。葬式がすんで七週間後に従兄から手紙が来て、それを知らせた。句読点のない短い手紙の中には、祖母さんが教会の入口で施物を集めて倒れながら足を折った、と書いてあった。丹毒にとりつかれた、と書いてあった。もっと後になって、ゴーリキイの知った祖母の生涯の終の有様は彼を震撼した。二人の従兄弟と子もちのその妹――健康な若い者ども――が祖母の首にかかり、彼女の集めた施物によって食っていたのであった。八つの時ゴーリキイが、五哥カペイキ、十哥カペイキを稼いでやった、その祖母さんに。

ゴーリキイは「私の大学」の中に短く圧縮した表現で書いている。「私は――泣かなかった。唯――思い出す――まるで氷の風で私は捉えられたようだった」と。祖母がどんなに心から賢く、「すべての人々にとっての母であったかということについて」ゴーリキイは誰かに語りたいという切ない願望を感じたが、その対手は当時のゴーリキイの周囲にいなかった。「私は幾年か過ぎて、自分の息子の死について馬と話す馭者についてのチェーホフの驚く程真実な短篇を読んだ時に、これらの日を思い出した。そして、鋭い哀愁の、これらの日に私のまわりには馬もなく、犬もなかったこと、そして鼠と悲しみを分つことを考えつかなかったことを惜んだ――それはパン焼場に沢山いて、私は彼等と良い親しい関係にあったのだが。――」

ゴーリキイのまわりには巡査のニキフォールウィッチが鳶のように廻りはじめた。カザンの町では「手から手へと何か感動的な本が渡ってゆき、人々はそれを読んで――論じ合った。」

或る夜、或る空屋へ人々が集った。口笛を吹き、歌を唱い、ほろ酔い職人のふりをしたゴーリキイも加った。朗読されたものは、以前の「民衆の意志ナロードノ・ヴォーレツ団員」ゲオルギー・プレハーノフの「我等の意見の対立」というものである。そうパン焼のゴーリキイはきかされた。朗読がすすむにつれ暗闇の中で、

「愚論!」

と吼える者がある。「本読みは退屈な程長くつづく。」ゴーリキイは聴き草臥くたびれる。それにもかかわらず、彼にはその挑戦的な鋭い言葉が気に入った。それらの云われていることは「容易に簡単に、説得的な思想に編みこまれて行く。」ところが、突然読みての声が遮られ、暗い朦朧たる部屋の中は憤怒の声に満たされた。

「裏切者!」

「ガアガア云う銅羅!」

「それは――英雄達によって流された血に痰を吐くようなもんだ」

「ゲネラーロフ、ウリヤーノフの処刑の後に……」

「諸君! 漫罵の代りに、真面目な、本質的な反駁をやる訳にはゆかんのか?」

その一夜から五十年近く経った今日顧れば、ゴーリキイの参加したこの空屋での会合、読まれたプレハーノフの論文「我等の意見の対立」こそ、ロシアの民衆の歴史にとって画期的な内容をもつ重大なものであったことが理解される。当時三十歳前後であったプレハーノフは、一八八五年、外国で出版されたこの論文によって民衆派ナロードニキの各分派が従来その根本的土台としていたところのロシアの現実には資本主義がない、発展しないという誤った観念を徹底的に覆した。ナロードニキのその考え方は余り執拗にそれを繰返されたので、マルクスさえ或る時期に非常にその判断に迷ったという程強力、支配的なものであった。プレハーノフは、当時手に入る限りの統計、材料を集め、科学的マルクシスムの立場からそれを調べ、資本主義はロシアにおいて支配者となりつつあることを明かに示した。農村の旧土地制はそれによって崩壊しつつあること、ロシアの未来は工場の労働者に基礎を置かれなければならぬということ、労働者党が必要でありそれが過去において陥ったインテリゲンツィアの矛盾をも解決するであろうこと等をプレハーノフはその論文の中で語っているのであった。これは、従来の「仕事をする人々」が誰も踏んだことのない土台であった。しかも、一九一七年の十月まで進んで行ったその道に立ったものなのであった。

「私の大学」の中で、この歴史的瞬間は何と素朴に、しかも何と興味ふかく描かれていることであろうか。レーニンの兄、ウリヤーノフが一八八七年にアレキサンダー三世に対する企計に失敗し、処刑された。その失敗によって与えられたテロリズムの非科学性についての深刻な教訓、プレハーノフ、つづいてレーニンによって発展せられようとしている新たな運動の方向。その客観的価値を判断し得ないナロードニキの憤怒。十九世紀におけるロシア、世界の歴史の渦はカザンの町はずれの一軒家の中に激しく渦巻いているのであったが、ゴーリキイは、当時の自分の関係を極めて自然発生的に率直にこう書いている。「私は論争を好まない。私はそれをきくことが出来ない。私は昂奮した思想の気まぐれな飛躍を追うことが困難である。そしていつも論争者の自愛心が私を焦立たせる。」

ここでまことに面白いことは、この夜プレハーノフの論文を朗読し、漫罵の代りに本質的な反駁をやることは出来ないかと特に注意した一人の青年フェドセーエフが、喧々囂々の中で苦しそうにしているゴーリキイに目をとめた。彼は云った。

「君は――パン屋のペシコフですか?――僕はフェドセーエフだ。我々は知り合いにならなければならなかったのです。実を云うと――こんなところでは何もすることはない、この騒ぎは――長くて、利益は少いだろう。行きませんか?」

デレンコフ・パン屋の仕事は、益々酷いものとなると同時に、悪いことには段々仕事の意味が失われて来た。ナロードニキの連中は、パン店の仕事の工合をも考えず、麦粉の代さえのこさず、不規律に会計から金を引出して行った。デレンコフは、明るい髯をむしりながら、痛ましくも薄笑いした。

「破産しちまうよ」

デレンコフの生活も亦苦しかった。彼は時々訴えた。

「みんな不真面目だ、何もかも持って行っちまう。お話にならない。靴下を半ダース買って置いたら、すぐ失くなってしまった」

この温和な、無慾な男が有益な仕事をうまくさせようとして努力しているのに、周囲の誰も彼もがその仕事に対して軽率な冷淡な態度をとってそれを破壊させつつある有様はゴーリキイの心を痛めた。デレンコフの父親は宗教上のことから半狂人になった。弟は放蕩をはじめ、マリアのところには何か芳しくないロマンスがある。そのマリアに、ゴーリキイは自分が恋しているように思われた。ゴーリキイの二十歳という年齢、たっぷりした強い感覚的な性格、生活の錯雑が、女の愛撫を要求した。女の親切な注意がほしかった。それによって自身の連絡のない思想の混乱を、印象の渾沌を捌いてゆきたかった。

だが、愛することの出来る女も、友達もゴーリキイは持たなかった。「加工を必要とする素材」としてゴーリキイを眺めている人々は、ゴーリキイの同感を呼び起す力を失った。彼等が当面興味をもっていないことについてゴーリキイが話しはじめると、彼等は遮った。

「そんなことはやめてしまえ」

だが、ゴーリキイにとって話したい、打ちあけたい生活の苦痛、錯綜した印象の回旋そのものはやまらない。減りもしない。当時は又夥しくトルストイアンが現れ「眼には憎悪と軽侮とを現わしながら『真理――それは愛です』と叫び」ながら客観的にはポヴェドノスツェフの反動政策の支柱を与えつつ、消極的な八十年代の人々の間を横行した時代であった。彼等はゴーリキイに向って説教した。

「人間が低いところにいればいるだけ、それだけ生活の本当の真実に、その聖なる叡智に近い……」

実際生活における彼等の虚偽と偽善を目撃することが、ゴーリキイの心に憎みを煮え立たせた。人間の生活において愛と慈悲との役割はどういうものであろうか。ゴーリキイにはこの生活は余すところなく愚かで、殺人的に退屈なように見えた。人々は言葉の上でだけ慈悲深く親切だが、実際の上では我知らず一般的な生活の秩序に屈服しているように思える。自分が尊敬し信じていたナロードニキの人達の暮しも例外でないという感想は、ゴーリキイを一層暗くするのであった。インテリゲンツィアの中にはもっと質のわるい毒気をふきかける人々もいた。彼等は飲んだくれながら、嗄れ声で云った。

「君は何だ? パン焼き――労働者、不思議だ。そうは見えない。俺はパリで、人類の不幸の歴史、進歩の歴史を勉強した。そうだ、書きもした。――おお、こんなことがみんなと何と……」

彼は、ゴーリキイに、アンデルセンの有名な「見っともない雄鴨」の話を知っているかと訊いた。

「この話は――誘惑する。君ぐらいの年には僕も、自分は白鳥じゃないか? と考えたもんだ。進歩――それは気休めだよ。人間が求めているのは忘却、慰安であって、知識ではない」

この時分、ゴーリキイは彼を「俺のレクセイ・マクシモヴィッチ、俺の可愛い錐、新しい人間!」と呼んで親密にするモローゾフ紡績工場の老職工ルブツォフを知っていた。クレストッフニコフの労働者で指物師のシャポーシニコフとも知り合っていた。「ドイツ人」という綽名のあるルブツォフは、辱められた晴やかさに満ちて、ゴーリキイに思い深げに叫ぶのであった。

「俺の可愛い錐。お前の考えはよ、正しい考えだ。だが、だあれもお前の云うこたあ、信じやしねえ。損だ……」「俺達んところで、モローゾフの工場でよ――こんなことがあった。前の方へ行く奴は額を殴られる、ところが額は尻じゃあねえ、傷は永えこと残らあな。唯――主人に対する俺の権利をよこせ」

シャポーシニコフは、腐った肺の血を四方に吐き散らしながら、目の眩むような神の否定を叫んだ。

「ええ、俺は殆ど二十年も信心して来た。耐こらえて来たんだ。縛られて生きて来た。バイブルに噛りついて来た。そして、気がついて見ると――拵こさえ事だ! 拵えごとだよ」

そして、手を振廻し泣かんばかりに叫んだ。

「見ろ――そのために俺は実際より早く死ぬんだ!」

おお、何んと汚い、悲しい、そして不思議に斑まだらな人々を見せられているのだろう。ゴーリキイはそれに疲れた自分を感じた。「すべての人間の中に、言葉や行為のみならず感情の矛盾が、角ばって具合わるく同棲している。」その気まぐれな跳梁が自分自身の裡にも感じられる。これがゴーリキイを苦しめ、圧した。「初めて魂の疲労と、心臓の中の毒々しい黴を感じた。」ロシアの民衆にとって、行くべき道がまだはっきりと示されなかった時代の悲傷が遂に強健なゴーリキイをも害した。彼は書いている。「その時から私は自分をより悪く感じ、自分を何か脇の方から、冷たく、他人のような敵意をもった眼で眺めるようになった」と。

では純粋な工場労働者の生活というものは、この時代に果してどんなであったのだろう。一八八五年に行われたモロゾフ工場のストライキの結果、幼少年者の搾取の制限、婦人の夜業禁止、二週間目毎に賃銀を支払うこと、罰金はこれまでのように二十五パーセントとらず賃銀の五パーセントに止めるというような工場法めいたものがきめられたが、工場監督は工場内の「秩序を保つ」に役に立つ警部であった。マクシム・ゴーリキイがカザンへ出て来た時分、十三ばかりであったシャポワロフは、ペトログラードの鉄道工場で朝七時から夜の十時半まで働いていた。給料は一日三十哥カペイキであった。工場の大人共はシャポワロフに「仕事を教えるかわりに、朝から晩までウォツカを買いに走らせた。」皆で出しあって銭が出来ると、怒鳴った。「サーシュカ、半壜買って来い!」何か機会がある毎に皆が酔っぱらった。特に、当時は「どの工場にもある聖者の像の前で礼拝のある日はひどかった。こんな日は礼拝がすむとみんなは気を失うまで酔っぱらう」のであった。

一八七〇年代の高揚は去り、工場の中で「同志」とか「同僚」とか云う言葉はこの時代には個人的な意味しかもたなかった。密告は工場内では普通のことになっていた。職場で使う道具さえ、目をはなせば盗まれた。ポヴェドノスツェフの影は工場の内へも圧倒的に差し込んで来た。ナロードニキ達をシベリアへ、要塞監獄へどしどし送る一方で、坊主が工場の中へ入りこみ、「凡て疲れたる者、重荷を負へるもの、我に来れ。我汝を憩はせん」と叫びながら「禁酒会」を組織しているのであった。一八九〇年代に入ってロシアに正当な労働運動が成長した時、「インテリゲンツィア十人に対する一人」の労働者として卓抜な活動をしたシャポワロフは、その価値高い自伝の中で、飾りなく、しかも忘れ難い憤りによって歯の間から云っている。「毎日毎日、私は烈しい労働をした。そして私の頭の働きは鈍って行った。」「禁酒会が私を誘惑した。労働者の孤立はそんなにもひどかった。その頃の工場には政党も、協同組合も相互扶助金庫もなければ、どんなアジテーションもプロパガンダも行われなかった。」十六歳だったシャポワロフは、原始キリスト教の理想を実現して、貧富の相異が消せるかと思ったのであった。

ゴーリキイがカザンで、デレンコフの店の裏の小部屋に坐ってナロードニキの討論に耳を傾けている、その時、シャポワロフは遠くペテルブルグにあって仲間の労働者に聖書の説明をしてやりながら、その中から次第に自然科学へ関心をひかれて行きつつあった。最も熟練工の多いワルシャワ鉄道大工場の金属工のなお沢山の者が、地球は円いのか、扁平なのか、動かないのか、それとも太陽の周囲を廻転するのか等とシャポワロフに質問した。バイブルはこれらのことを正確に説明するには何の役にも立たない。その上工業恐慌の影響で、どの工場でも労働者の賃銀が下がる一方であった。賃銀切下げは親方の勝手な才量で行われた。キリスト教とトルストイとは悪に報ゆるに悪をもってするなと云う。禁酒会員であるシャポワロフは、この教義と一日一ルーブルの稼ぎで、母、妹、二人の弟を養わねばならない現実生活が彼の全身に囁き込む生きた抗議との間に生じる矛盾で苦しんだ。

ゴーリキイは、恐ろしい乱読と廻り路を通してではあったが、ともかくこの時代には世界の代表的古典文学の或る物を読み、チェルヌイシェフスキイを読み、それを理解すべきように理解出来なかったとは云え、プレハーノフの論文朗読をも聴く機会を持っていた。毎朝、かの歴史的なプチロフ工場のサイレンで目を醒すシャポワロフが、辛うじていくらかでも自由主義的な同時代の著作物に近づくことが出来たのは、何という愉快な皮肉であろう! 労働者が公然読むことを許されている『グラジュダニン』や『ルッチ』のような極反動的な新聞が、繰返し、痛烈にそれ等の著作をこき下していることから、彼の好奇心が刺戟されたのであった。

シャポワロフは様々の苦しい、いきさつの後、「きっぱりとこれまでの生活方法を変えた。教会へ通うことも、祈ることも、聖像の前で帽子をとることもやめた。」文筆の仕事の中で感情を誇張する悪癖を持たぬ素朴さで、シャポワロフは当時の決心を表現している。

「神が存在しないとなれば、今度は社会主義者をさがし出さなければならない」――。

一八八三年頃、スウィスでプレハーノフを中心として小さいながら「労働解放団」が組織されていた。その二年位後にはペテルブルグの「労働者」というグループが、解放団との関係をもっていたが、勿論、そのことはワルシャワ鉄道工場の一青年労働者であったシャポワロフには知られなかった。彼のまわりには、夜学校の中にも、彼の求めているそれらしい人の片影すら見出せなかったのであった。

ところで、ゴーリキイが、カザンの町端れの空屋の中でプレハーノフの論文朗読を聴いた時、それに対するナロードニキの爆発的反撥の声の中に最もつよく叫ばれた「ウリヤーノフの処刑」は、引続いて行われためちゃめちゃな学生狩のため、アレキサンドル三世の政府が、初めてぶつかったインテリゲンツィアの全国的反抗を喚起する結果になった。大学生騒動はモスクワから始って、各都市に波及した。

カザンで、ゴーリキイのまわりは空虚になった。カザン大学でも騒動がはじまった。(十八歳のウラジミル・イリイッチ・ウリヤーノフ(レーニン)がカザン大学の学生の指導者であった。)だが、その意味はゴーリキイにとって不明であった。動機は、漠然としたもののように感じられた。沸き立つ学生の群を眺めると、ゴーリキイには自分がもし「大学で勉強する幸福」を得られたらそのためには「拷問さえも辞しはしない」のにと、考えられるのであった。

元働いていたセミョーノフのパン焼場へ行って見ると、パン焼職人たちは、学生を打ちに大学へ押しかけようとしているところであった。

「おお、分銅でやっつけるんだ!」

彼等は嬉しそうな悪意で云った。たまらなくなって、ゴーリキイは彼等と論判をはじめた。が、結局自分に学生を護り得るどんな力があるというのであろうか。ゴーリキイの全心を哀傷がかんだ。自分がどこへ行っても、誰にとっても必要のない存在であるという考えが、病的に彼を捕虜にした。夜、カバン河の岸に坐り、暗い水の中へ石を投げながら、三つの言葉で、それを無限に繰返しながら彼は思い沈んだ。

「俺は、どうしたら、いいんだ?」

哀傷からゴーリキイはヴァイオリンの稽古を思い立った。劇場のオーケストラの下っぱヴァイオリンを弾いていたその先生は、パン店の帳場から金を盗み出してポケットへ入れようとしているところを、ゴーリキイに発見された。彼は唇をふるわし、色のない目から油のように大きい涙をこぼしながら、ゴーリキイに訴えた。

「さあ、俺を打ってくれ」

二六時中彼を不愉快にいら立たせるところのすべてに反抗したい希望が、静かに執拗につきまとった。空虚への反感が喉をつまらせるのであった。

この堪え難かった年の十二月の或る晩、ゴーリキイは雪の積ったヴォルガ河の崖によりかかりピストルを自分の胸にあてて、発射した。弾丸が肋骨に当ってそれた。彼は生きた。

我々読者に今日無限の示唆を与えるのは、ゴーリキイほどの強靭な天質と生活力とを持つ者でさえも、歴史の或る時期には自殺をしようとしたという一事実を踰えて、更に、人及び芸術家としてのゴーリキイが、自分のこの記念的経験をちゃんと短いながら一つの作品「マカールの生涯の一事件」になし得たのは、二十五年の後、『プラウダ』に参加するようになった一九一二年のことであるという事実である。「マカールの生涯の一事件」の結末に於て、ゴーリキイは「病んだ心臓の奥底から」「春の最初の花のような」人生への希望が甦って来たこと、決して「どっちにしろ同じ」じゃないということを、全身に感じたこと、最後に、パン焼職人の荒々しい手を確り握って笑いながら、涕泣しながら、このマカールと仮の名をつけられた逞しい、だが小路へ迷い込んだ民衆の一人が「長い剛情な人生の上に本復したことを感じた」美しい瞬間を、脈うつ歓喜の調子で描いているのである。

小説として観察すると「マカールの生涯の一事件」は、主人公の内面的推移、心持の多岐な複雑さを分析し、描写する上に、作者がまだ或る程度混乱していることが直感される。抽象的に書かれているというばかりでなく、主人公の心持に対する作者の角度がきまっていないことが感じられるのである。「私の大学」はこの小説が書かれてから更に十一年を経て執筆されたのであるが、この中でも、ゴーリキイはこの経験について触れている。小説について、自身の不満足を示している。しかし、不撓な生きてであったゴーリキイの面目を躍如と語る評価を「マカールの生涯の一事件」に対して自ら下している「もしもこの小説の文学的価値について云わないならば――その中には私にとって、ある快よい何物かがある。あたかも私が自分自身を乗越えたかのように」と。ゴーリキイの短いこの言葉は十分に真実である。

この出来事の後に、ゴーリキイは、却って生活に対する溌溂さを取戻したように見える。非常に気まずく、自分を愚かしいものに感じながらデレンコフのパン店で働いていると、三月の或る日、集会で知り合い、その沈着な様子でゴーリキイの心にひそかな信頼を抱かせていたロマーシが訪ねて来た。彼は静かに話しだした。

「ところで俺のところへやって来る気はないかね? 俺はヴォルガを四十露里ばかり下ったクラスノヴィードヴォの村に住んでいるんだが、そこに俺の小店があるんだ。君は俺の商売の手伝いをする。これには大した時間をとりゃしない。俺はいい本を持っているし、君の勉強を助けてあげる――いいかね?」

「ええ」

「金曜日の朝六時にクルバートフの波止場へ来てクラスノヴィードヴォからの渡船を訊きたまえ。主人は、ワシリー・パンコフだ」

立ち上り、ゴーリキイに幅の広い掌をさし出し片手で重そうな銀の饀パン時計を取出して云った。

「六分で済んじまった! そうだ、俺の名は――ミハイロ・アントーノフ、苗字はロマーシ。そうだ」

こうして二日後には、クラスノヴィードヴォに向ってやっと解氷したばかりのヴォルガを下った。桶や袋や箱を重く積込んだ渡船は帆をかけ、舵手席に、平静で、冷やかな眼をしたパンコフが坐り、舷には灰色の脆い早春の氷塊が濁った水に漂いながらぶつかる。北風が岸に波によせて戯れ、太陽が氷塊の青く硝子のような脇腹に当って明るく白い束のように反射しながら目眩く輝やいている。

ゴーリキイは、ロマーシと並んで帆の下の箱の上に腰かけていた。ロマーシは静に云う。

「百姓達は俺を好かない。特別――金持ち連中は! この嫌悪は君も自分で経験させられるだろう」

長い鉤竿で、羊の群を放ったように川面に浮いている氷を押しやりながら、パンコフのところに使われている髪蓬々の、坊主の古帽をかぶったククーシュキンが、二人の方へ顔を向け、有頂天に云った。

「アントーヌィッチ、殊に坊主があんたを好きませんや……」

「そりゃあ確かだ」パンコフが裏書きする。

「貴方はあの犬にとっちゃ、喉にひっかかった骨だからね」

「だが俺には友達もある――それが君の友達になるだろう」

ゴーリキイにはロマーシの平静で、単純で、重味のある言葉が気に入った。何故、自殺しようとしたのだ、と訊かないのが、特に愉快だった。ほかの連中ならきっと訊いたであろう。

クラスノヴィードヴォは、高い、峻しい崖の上に、教会の青い屋根が聳え、それからずっと山の端沿いに丈夫そうな小屋が金色に藁屋根を輝やかしている村であった。

真直な大きい鼻のついた紅色の顔に、碧色を帯びた眼が厳格に光っている、背の高い、いかにも美しい一人の漁師が崖下の船着きへ下りて来た。声高く優しく云った。

「よくおいでやした」

このイゾートはロマーシに対して親切に、配慮ぶかく、保護するようにさえ振舞っているのがゴーリキイにわかった。ロマーシは、これらの百姓パンコフや漁師イゾートなどとこの村で「人間に理性をつぎ込む仕事」百姓と小地主とを組織して農業組合をつくり、買占人の手から彼等をきりはなそうと試みているのであった。ロマーシは、手はじめにクラスノヴィードヴォの村にこれまでからある二軒の店よりやすく品物を売ることにした。

ロマーシは、ゴーリキイがデレンコフの店で知り合っていたナロードニキの人々とは民衆に対して異った考えを持っているのであった。

「あすこの君達のところじゃ、学生達が民衆への愛についていろいろ喋っている。俺はそれについて云いたい。愛する――というのは、妥協し、寛容し、黙認し、許すことだ。が、民衆の無知を黙認し、その迷妄と妥協し、そのすべての卑屈さを寛容し、その野獣性を許すことが出来るかね? ニェクラーソフに溺れていたんじゃ何一つ出来ない。百姓は教えられなければいけない――お前が殴られないように生活することを学べってね」

ロマーシの蔵書には科学的なものが多かった。彼はチェルニゴフの鍛冶屋の息子であった。キエフ駅の油差しとして労働しているうちに運動に入り、労働者の研究会を組織した。捕縛されて二年の牢獄生活の後、シベリアのヤクーツクに流刑された。十年間そこに暮した。革命的学生として同じ頃流刑されていたコロレンコを知っていた。

苦しい動揺の後、自分にとって余り誇りとならない事件の後のゴーリキイにとって、このロマーシの着実な、人間的な処理ぶりは非常にためになった。「それは私を真直にした」と、ゴーリキイは顧みて書いている。「忘れ得ない日々であった。」

日曜日に、礼拝の後ロマーシとゴーリキイとは店をあけた。店の入口に百姓が集りはじめた。往来を晴着を着た娘達が通り、釣竿をかついだ子供が走り、がっしりとした百姓たちが、店の連中、そこにかたまっている群を斜に見、黙って縁なし帽やフェルト帽をあげながら通って行った。その夕方、ロマーシはどこかへか出て行った。小屋に独りいたゴーリキイは、十一時頃、不意に往還で射撃の音をきいた。どこか、近くで発射されたのであった。雨が降り出していた。闇へとび出して見ると、ロマーシが、大きく、黒く、急がず水の流れをよけて、門の方へ歩いて来るのを見た。誰か、棒材を持った奴がロマーシを襲った。

「どけ、撃つぞ、と云ったがきかないんだ。で、俺は空へ向けて撃ってやった。――空にゃ傷がつかないからな」

ゴーリキイは非常によく生活しはじめた。規則正しい読書。一日一日が新しい重要なものを齎した。ヴォルガの漁師イゾートの快い、感動的な素朴さは、ゴーリキイの心を動かした。イゾートは孤児で、土地を持たない百姓で、漁師の仕事でも孤立していた。イゾートは百姓について云った。

「奴等が親切だなんて思わねえがいいよ、ありゃ、ごまかしの狡い人間共だ。――農民は、群れで仲よく生活しなけりゃならねえ。そうすりゃ力になる! ところが金のある奴等は村を割っちまいやがる。全く! 自分で自分の敵になるんだ」

美しい、貧しいヴォルガの漁夫イゾートのこれらの言葉は、鋭く当時のロシアの農村の現実につき入っている。ナロードニキ出のロマーシは、他の農村派の人々よりは、現実的に農民を理解していたであろう。彼は、農奴解放が行われて僅か三十年しか経たないロシア農民には、まだ自由とは何かということを理解するには困難であること。農民は政治上の自治権を獲得しなければならないこと。自分達の組合をもたねばならないこと。それ等をよく理解していたらしい。けれども当時ロシア関税政策の結果として起った農村の窮乏。地代の騰貴。七分、八分五厘という高利の「農民銀行」を利用する富農の強化などによって、驚くべき勢で農村の階級的分裂が促進されつつあった。ロシアには一千万の労働者と、その二倍の貧農が発生しつつあった。ロマーシとゴーリキイのまわりに親密な感情をもって集ったのは、クラスノヴィードヴォの村での、そういう貧農たちと、進歩的な、中農なのであった。

村での実際の生活とその観察とは、ゴーリキイにナロードニキ達によって知らされていた大ざっぱで、理想化された農民というものの考えかたに変化を与えた。農村では、都会よりもずっと健康に、誠実をもって人々が生きていると聞かされ、又多くの本はそう書いている。然しその生活の裡に入ってみると、ゴーリキイに「農民の生活はそんな単純なものには見えな」かった。「それは土地に対する緊張した注意と人々に対する多くの敏感な狡猾さを要求している。そしてこの理性の貧しい生活は誠実ではない。村のすべての人々がまるで盲人のように触感で生活し、皆が何物かを恐れ、互に信ぜず、何か狼のようなものが彼等の中にある。」ゴーリキイにとっては「理性的に生活しようと欲する人々を何故あれ程執拗に愛さないのかを、理解するのが困難であった。」労働者と全く違う農民の気質、農村に対する都会の知的、文化的優越をゴーリキイはまざまざと感得した。田舎はゴーリキイの「気に入らない」のであった。

ヴォルガの村々へ、林檎の花とともに咽ぶような春の季節がやって来た。月の夜、軽い風に蝶のような花は揺れ、微かに音をたて、そして村全体が金を帯びた碧色の重々しい波に揺れているように見える。休みの日の夕暮、娘達や若い女達は雛鳥のように口を開けて歌をうたいながら、村の往還を行った。微かに酔っているような笑いを笑う。村の女たちにいつも愛されているイゾートもまたまるで酔っているように微笑する。彼は痩せ、一層厳しく、美しく、神々しくなった。

或る休み日の朝、ロマーシの小屋の煖炉用薪に火薬をつめこんだ者があり、それが爆発して、あやうく下女を殺しかけた。窓ガラスが皆こわれた。通りを子供らが叫んで馳けまわった。

「ホホール(ウクライナ人の蔑称)の家が火事だ! 焼けちまうぞ!」

「奴等を村から追っ払え!」

小さい、赤毛の百姓が、片手に斧をもって窓から小屋へ入りこもうと藻がいている。薪を手に持ったまま、平静至極にロマーシがその赤毛の百姓に訊いた。

「お前何処へ行く?」

「消しに行くんだよ、とっさん!」

「どこも焼けてやしないよ」

それから、ロマーシは店の入口へ行って、細工のされた薪を群集に示しながら云った。

「お前たちの中の誰かがこの棒へ火薬をつめて、それを俺達の煖炉の中へ突込んだんだ。だが火薬が少ないんで、害はなかった」

「私の大学」に、ゴーリキイは、卓抜な洞察をもって描写している。「人々はあたかも何物かを惜むように、ゆっくりと、いやいやに散って行った」と。「戦争だ!」とパンコフがやって来て、こわされた煖炉を見て呻ったのは真実であった。果樹園所有者組合の組織に成功しはじめたロマーシに対する「戦争」は、もとより村の富農から挑まれた。富農に買われる酔いどれの悪党としてはあつらえむきの兵士コスチンがある。

七月半ばロマーシがカザンへ行った留守に、イゾートが殺された。ゴーリキイの心を魅していたヴォルガの漁師は、頭をうしろから破わられ、ボートの底に穴をあけられて、死んだ。水に洗われているイゾートの死体を見下す崖の上に「陰鬱に、緊張して、二十人ばかりの富農が立っていた。貧農たちはまだ耕地から帰って来ていなかったのである。」その間を「狡そうで臆病な村長が、杖をふりながら動きまわり」読むような調子で、

「ああ、何という乱暴だ! おい、百姓たち、いけないねえ!」

と云っている、それらの姿は、「私の大学」中最も読者の心に深く刻み込まれる描写の一つである。

署長が村へ呼ばれた。署長は富農の家へとまった。そして、イゾートの死体の発見された夕刻、群集の中で一人の商人を殴ったククーシュキンを、穴蔵へ入れるように命じた。それぎりであった。村は、自身の犯罪を深く呑みこんだ。

ひと月たたない或る朝、店の倉庫代用につかわれていた納屋から火が出た。そこには、石油、タール、バタ等の商品が入れてあった。ゴーリキイが、火をくぐって納屋へとび込みタールの樽をころがし出し、石油の桶へ手をかけたら――樽の栓はあいていた。そして、地面に石油が流れている。火事は四つの小屋を焼いた。ロマーシとゴーリキイとは百姓達を指揮して消火に奮闘した。ロマーシの命令は「おとなしく聞かれたが、彼等はまるで、他人の仕事をするように、恐る恐る、何だか絶望的に働く」のであった。往還の末に、村長と村の商人を先頭とする金持の塊が認められた。彼等は見物人のように何もせずに立って、手や棒を振りながら叫んでいる。

「火つけだ!」

金持連の中から悪意ある叫びが聞こえた。

商人が云った。

「奴の風呂場に気をつけなけりゃいけねえ」

十軒ほどの家をやいて火事が一応消し止められると、十人ばかりの金持が、二人の百人長にロマーシの手をとらせ、村長を先に立てて、谷の方にあるロマーシの風呂場へ行った。

「風呂場をあけろ!」

「錠をこわせ――鍵はない」

ロマーシは、棒をもって駈けつけて来たゴーリキイに云った。

「奴等は俺が風呂場へ商品を隠して自分で店に火をつけたんだと云うんだ」

「お前えら二人がよ!」

「壊せ!」

「正教徒が……」

「責任は負う!」

「俺達の責……」

ロマーシは囁いた。

「俺の背を合わせて立って呉れ! 後から殴られないように……」

風呂場は、勿論空なのであった。

「何んもない!」

「何も?」

「ああ、畜生!」

「よせばいいのに、百姓達は――」

いくつかの声がそれに答えて、劇しく酔いどれのように、

「何が――よせばいいのにだ?」

「火にくべろ!」

「謀反人むほんにん……」

「組合をたくらんでやがる!」

「黙れ!」

大声でロマーシが叫んだ。

「どうだ。風呂場に商品のかくされていないことは見ただろう。それ以上、何が必要なんだ? 何も彼も焼けてしまった。残ったのは、それ、この通りだ。自分の財産に火をつけて何になるんだ!」

「保険がついているんだ!」

「奴等を眺めていてどうするんだ?」

見知らぬ、小さい、跛の百姓が、聞えるように踊りながら、劇しく金切声をあげた。

「煉瓦で奴等をやっちまえ! 遠慮するな!」

その百姓は実際に煉瓦をとって、手を振って、それをゴーリキイの腹へ投げつけた。パンコフ、ククーシュキンそのほか十人ばかりの者が駆けつけたとき、商人クジミンは勿体らしく云い出した。

「ミハイロ・アントーノフ。お前は賢い男だから、火事が百姓を気狂いにする位のことは、分っているだろう……」

ロマーシは、焼けのこったものを皆パンコフが新しく出そうとしている店へ売り、ヴャートカへ行くことに決した。

「そして、幾日か経ったら君を呼ぶことにする、いいかね?」

「考えて見ます」

この時ロマーシは、カザンのマリア・デレンコフと結婚しようとしていた。その報告をロマーシからきいた時から、ゴーリキイは既にロマーシと一緒に生活する時の終ったのを感じていた。何故なら、兄のパン店で本をよむ女売子として働いていたマリアを、ゴーリキイは恋していた。しかもマリアという彼女の名を父や兄や夫が呼ぶようにマーシャと呼び得る機会は、自分の一生に決して到達しないことを全身で理解しつつ。そのマリアがロマーシの妻となり、猶ゴーリキイが嘗て彼女を恋していたということを、彼女がロマーシに話した――恐らく現在の幸福を一層甘美にする笑いと共に。それらのことは、ゴーリキイに、彼等とは別に暮した方がいいと思わせるのであった。

ロマーシは遂にクラスノヴィードヴォを去った。ゴーリキイは、この別離から深い哀愁をうけた。

「また会おう、友達!」

そう云って別れたロマーシとゴーリキイが再会したのはそれから十五年後、ロマーシが「民衆の意志」党の事件でヤクーツクで更に十年の流刑を終ってからのことであった。

秋になってから、ゴーリキイは村を去りカスピ海の岸「汚いカルムイッツの漁場、カバンクール・バイの漁師の小さい組合に入ることが出来た」のであった。

クラスノヴィードヴォの農村生活に於けるこれらの強烈な経験の描写は、「私の大学」の中で芸術的に優れた部分をなしているばかりでなく、私共の特別な興味を唆る点は、このゴーリキイによって描かれた農村生活の数十頁が、歴史的にはツルゲーネフの「処女地」とショーロホフの「開かれた処女地」との間をつなぐ社会的事情を反映していることである。「処女地」は知られているとおりナロードニキの活動の高揚期を捕え、インテリゲンツィアの側から、若き先進者たちの内的矛盾を描きつつ農村を観察して行った作品である。農民はここでは一様に、灰色なものとして現れている。無知、狡智の錯綜が、一般性においてとりあげられている。

ゴーリキイがそこに生きて、そして殺されかかって観た一八八〇年末のロシアの農村には、既に階級があらわれ、農民の気分も、その人々が村で置かれている位置に従って変化をもっていることが、描写の中に十分反映している。先進者の努力は、農村のどういう人々の群の利害と対立し、どういう人々の幸福と結合し得るものであるかということの実際を、ゴーリキイは、恐らく自覚した以上の鮮明さで描き出しているのである。しかしながら、そこにはまだ「開かれた処女地」に於て輝き出した新しい世界観、組織の力は見出せない。

同時に、ゴーリキイの生涯を通じて(最後の数年間をのぞき)持たれた彼の農民に対する考えかたの根が、このヴォルガ河畔の村落生活の経験によって植えつけられたことも、見落せないところであると思う。ゴーリキイは、ナロードニキが民衆を想像したようにでなく、民衆を自身その中の一人として理解していたように、農民をトルストイ的傾向と、全然反対に観破した。特に、富農らが、どんなに「理性を憎悪」するかということ、その富農らに百姓はどんなに瞞着され、ふりまわされるかということ。猶農民の一般的な貪慾さなどというものを、ゴーリキイは嫌悪し、農村の暗さ、野蛮さ、農民の愚痴っぽさに対して都会の優越を、都会の労働者の積極性を対立させ、より高く評価しているのである。急速に没落した小市民の家族から出生したと云っても境遇の必然からプロレタリア的な暮しの中で成長しつつある青年ゴーリキイの心持がよくわかるのである。が、このことの中には私共を誘って、更にもう一歩奥まったゴーリキイの精神の内部へと立ち入らせるモメントを含んでいる。それは一九二三年「私の大学」の中でこれ等の生彩ある部分を書きながら、ゴーリキイが、では、何故、都会と農村との間にはこのような反撥が生じているのか、何故、農民は概括的単純に労働者の協力と云うことは出来ないかという問いを、たとい、自分自身に向ってでも提出していないかということである。少年時代から「何故に?」という疑問をたぐって現実をかき分けて来たようなゴーリキイにとって、これは、何となくふさわしくなく思われる。都会と農村との反撥について、農民の抱いている理性への反逆について、クラスノヴィードヴォの村で受けた印象は二十一歳のゴーリキイに余り強烈であったと見える。「煉瓦でやっつけろ!」という熱い喚き声の感銘は、作家ゴーリキイの中で一つの固定的見解となったかのようである。ゴーリキイは農村に関するこの個人的、肉体的見解、感情のために、ロシアの現実の大局的理解を誤った時期さえある。その最も顕著な例は一九一七年の十月以後であった。

歴史的には古い文化に対する新しい文化の擡頭、その発展のための闘争としてゴーリキイの生涯に反映したインテリゲンツィアと大衆との相互関係についての微妙な歴史、大衆と個人との関係についての評価の推移等の端緒は、既にデレンコフのパン焼場で汗を流していたゴーリキイの中に、イゾートの死骸を眺め、ロマーシの背中へ自分の背中をぴったり合わせて立ったゴーリキイの中に芽生えはじめていたのであった。

未完

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「多喜二と百合子」第14~19号、多喜二・百合子研究会
1956(昭和31)年2~9月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月21日作成
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
/works/002879_000311/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/002879_000311/

宮本 百合子「マクシム・ゴーリキイの伝記──幼年時代・少年時代・青年時代」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十巻』新日本出版社、1980年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002879_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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