Soranoha

今日の文学の鳥瞰図

こんにちのぶんがくのちょうかんず

宮本 百合子

本年の建国祭を期して文化勲章というものが制定された。これは人も知る如く日本で始めてのことである。早速絵では竹内栖鳳や横山大観がその文化勲章を授与され、科学方面でも本多博士その他が比較的困難なく選ばれた。文学の分野に於ては、まだこの勲章を授与された作家がない。これは、非常に興味ある点であると思う。何故なら、どこの国でも文化のことが言われる場合、科学の方面と文学の面とは常に車の両輪のように考えられて来ているし、知識人の日常生活の文化を内容づけているものの比率から言っても、文学は重大な一半を占めているのであって、実際に即して見れば、今日の少なからぬ人々が、絵の展覧会は観にゆかないけれども、小説は読んでいるという状態でさえあるだろうと思う。現代の小説家に、果して絵画に於ける栖鳳や大観と比肩し得る作家が一人もいないと言い得るであろうか。例えば、島崎藤村、徳田秋声等は、日本の資本主義が勃興の途についたロマンチシズムの時代から、自然主義の時代、白樺等によって唱えられた人道主義の時代、更に社会の推進につれて生じた新たな階級の文学運動の開始等、明治から昭和に至る日本文化の縦走をその一身の芸術のかげに偲ばせる現代の古典として評価すべき作家である。これらの作家を、栖鳳の貰った文化勲章に価しない芸術家であると言うことの方が寧ろ困難である。作家には文化勲章が与えられず、日本歴史の研究その他で知られている徳富蘇峰氏等の名が候補者として噂にのぼっているのはどう言う訳であろうか。

ここに文学そのものの、特に小説というものの本質の問題が横よこたわっていると思われるのである。文学の創作が現実を反映すると言うこと、作家の人間的な全面がおのずからそこに露出しているということ、しかも芸術家である人々は、それぞれの時代や自身の制約の中にありながらも比較的常に敏感に自分と周囲との人間生活を観察しているので、小説は傑出したものであればあるほど謂わば人間臭さが強い。栖鳳が人間臭い生活はそれとしてやって、画布に向った時は一種の芸術的境地とも言うべき雰囲気の中に入って花だの蛙だの鹿だのというものを画いてゆくのと、例えば藤村、秋声の作品とは大いに違ったところがある。日本画家が今日尚住んでいることの出来る風韻の世界を、日本文学は既に四五十年以前失っているのである。

文学作品が現実を語るという本質から、今日、日本の文化勲章が簡単に作家に与えられないという事情は、文学の側から言えば名誉であろうとも、不名誉であることは決してないのである。

文学作品の本質は、この文化勲章の場合のように文学と当代の文化政策との関係の中に反映されるばかりでなく、小説が現実を反映し自然また現実へも照り返してゆく本質を持っているということは、文学自体の発展の問題の中にも、歴史の一定の時期には微妙な作用をもって現れて来る。今日文学は前代にない動揺を経験しつつある。かつても文学の流派と流派との間の論争や衝突は日本の文学に於ても激しいものがなくはなかった。しかし、それらの時期に文学に従事していた人々は、いずれも根本に於ては文学そのものの人間生活に於ける価値に確信を持っていたのであるし、その確信の上に立って自分の主張する文学の流派の存在意義を押し出していたのであった。プロレタリア文学運動とブルジョア文学との関係では、プロレタリア文学というものが一つの流派ではなく、本質に於てブルジョア文学の批判的発展者として登場して来たので、この両者の関係でブルジョア文学は初めて自身の理解して来た範囲での文学と言うものを先ずその価値評価の基準から動揺を受けたのであった。

それでも、両者の或る点での対立を含みつつ、文学全体としての文化の面に於ける存在の確固性というものは明瞭に意識されていた。ある人は文学のためにプロレタリア文学運動等というものは「花園を荒すものである」と思っていたであろうし、反対に、文学のためにこそ行くべき道はプロレタリア文学であるという風に考えた人もあったのであった。

今日私たちの見る文学の貧困の事情は全く以上のものと性質を異にしている。即ち、文学に従う人々の間に文学そのものの意義や価値を疑う傾向が生じており、そのことは文学を文学以外の現勢力に従属させることで、作家の日々の存在を安定せしめようとする傾向をも引き起して来ている。このことと現代のインテリゲンツィアの社会的・文化的存在の自信の欠乏と見通しの欠如とは切り離せない関係に置かれている。

私は、この文章の中で今日の文学の現実の姿を粗描し、文学以外の専門に従事する人々のためにも今日の文学的討論や作品の健全な理解に役立ちたいと思う。

昨今林房雄、小林秀雄、河上徹太郎その他の作家・評論家によって、今日の大衆が文学的関心を失っているという点が注目されている。この頃の普通人はどうも小説――純文学の作品に対して興味を失っている。大衆小説は読んでも、真面目な小説は読まなくなって来ている。この対策として、作家が文学青年を目あてにして書いたような過去の「私小説」をやめ、大いに社会性のある、大衆にとっても面白い小説を書かねばならないという意見が出されている。林房雄氏はその具体案として「大人の文学」を提案し、真面目な作家は現代の官吏、軍人、実業家の中心問題とするところを文壇の中心問題として、二年でも三年でも根気よくそれを繰り返すべきであると言っているのである。

評論家谷川徹三氏は、現代の日本では大衆の持っている文化水準と一部の作家が持っている文化水準とはひどく懸隔している。そこに文学が大衆の生活との繋りを失う原因があるのであるから、新しい文学の方向としては、この両者の距離を埋めるような均衡を見出してゆくようなものが求められると言っている。

作家武田麟太郎氏は、日本文学の庶民性を主張しつつある作家である。日本の文学は庶民の生活の中から生れたものであるとし、現代作家の任務は現代の庶民の生活にとけ込んでその朝夕のいとなみとその涙と笑いとをあるがままに描き徹することに於て庶民の生きるべき方向と道とが自ら示されるという見解である。『人民文庫』の人々の作品に共通な風俗描写の根柢にはこういう大衆というものの見方が横わっている次第である。徳川時代の文学作品のあるものは、一種の町人文学として当時の官学流の硬い文学、経綸文学に対立し、庶民の日暮しの胸算用、常識を鋭く見て、例えば西鶴等はその方面の卓抜なチャンピオンであった。しかし、日本文学全体の歴史を通じて庶民の文学であるというのは明らかな無理である。王朝時代の記録は、文学の優れた作家の生涯についてさえ、その人々が高貴な御方でなければ詳述していない。紫式部の伝記を満足するように書けない原因は、この当時の記録のないことである。林房雄氏等は日本のロマンチストとして「抽象的な情熱」に従って王朝文学を読むと言っているのであるが、王朝の文学に当時の民衆は何と描かれているであろうか。「もののあわれ」を知るみやびやかな上流人に対して「むくつけき賤山がつ」として見られており、耳に喧しく「さえずる」ものらとして地に這うものとしての姿が写されているに過ぎない。

文学は、最も原始的な時代に口から口へと語られた。聞き手として当時にあっても一定の大衆は予想されたのであったし、文学が印刷されるようになってからは、読者としての大衆は或る場合には民族と国境とを越えて考え得る状態になった。文学と読者大衆との関係はしかく密接なのであるが、従来のブルジョア文学に於ては漫然読者という表現の中に込めて考えられていた大衆というものの存在が、昨今作家にとって特別に見直され、しかもその見方に幾つかの異った傾向が見えるのは見落すべからざる点であると思う。林、小林、河上氏等はその「大人の文学」の提案の半面で、大衆というものを文化上の被供給者、被統制的な立場に置いて見ているのである。作家を軍人、官吏、実業家の活動中心と結びついたものとして文化的にも上位にあるものとして考えているのである。何か役人風な見方がここには感じられる。

谷川氏の意見も穏当な態度で表現されてあるけれども、文化の上で従来の作家と大衆とが歩み寄るということは、ブルジョア作家の理解の中で見られている大衆の性質が元のままである限り、作家性が元のまま自覚されている限り、作家の側からの困難が予想される。「私小説」を否定して客観小説を提唱し、より広い社会性を作品に齎す必要は、大衆について理解がそれぞれに違っている作家たちの間にも、共通な一つの翹望として今日彼等の関心の前面に置かれている。今日の紛糾した社会情勢の中で、現実の諸事情を文学作品の中に客観的に描くことは非常に困難である。よしんば一作家がそれに充分の芸術的力量を持ち、素材も持ち、歴史の見通しを持っているとして尚その可能を疑わせる特別な事情が今日の日本に支配している。単純に個々の作家の才能の力で解決し突破することの出来ない柵がある。客観小説を提唱する人々が今日作品の実際では申合せたように歴史小説の分野に紛れ込んだり、通俗的な大衆文学、通俗文学に入って行っていることも、複雑な観察を求める現象である。

多くの作家によって今日大衆は自身の文学を作る可能を持った者としてその面での有機的関係で見られておらず、或る意味ではプロレタリア文学の運動が起らなかった以前のままの内容で作家は大衆を取上げているのである。このことはどうして起って来たのであろうか。五六年の歳月を過去に遡って、簡単に経過を眺めたいと思う。

一九三二年以来日本では内外の事情によってプロレタリア文学が運動としての形態と機能とを失ったことは既に知られている通りである。左翼の運動は日本の資本主義社会の特殊な人工培養性に従って全く独得な歴史を持つものであるが、プロレタリア文学運動の消長もこの全体的な特徴に影響を受けている。客観的情勢が満州事件と同時に急転した。このことと団体に被った被害の甚大であったこと、他の一面には若いその運動が指導方針の中に持っていた未熟なものとが絡み合って、プロレタリア文学者達の間に分裂と動揺とを来した。折から、かつてはプロレタリア文学運動の主唱者の一人であった林房雄氏等から旺さかんに文芸復興の叫びがあげられた。

この文芸復興の叫びには、プロレタリア文学の仕事に当時従っていた人々の中から呼応するものが現れたのみならず、ブルジョア文壇の数年来沈滞していた空気にも一味新鮮な刺戟を与えたように見えた。文芸復興は当時にあっては素朴な形で言われた。小説家は小説を書きさえすればよいのである。作家は作品が第一である。何を恐るるところがあろう。さあ諸君、今こそ諸君の才能を思うままに伸したがよい。そういう意味の強いて名づければ芸術の一般性を土台とした鼓舞が、プロレタリア文学運動が作家に課題として来た諸実践、創作方法を発展せしめるための努力、芸術評価の規準の客観的な確立等に対立するものとして、強調されたのであった。

文芸復興の呼声は自身の創作方法としてリアリズムの提唱をしたのであった。しかしながら、その時期これらの人によって言われたリアリズムというものは、前後して日本にも紹介され始めた社会主義的リアリズムの理解とは性質を異にしていた。この人々の云うリアリズムとは、大体次のようなものであった。若しその作家が忠実に現実を描写するならば、現実そのものが含んでいる矛盾は必ず芸術作品に反映するものである。故に、作家は作家であれば足りるのであって特別な現実を観る眼、世界観等というものは不用である、作品は作品である限り進歩的な役割を自ら果すものであるという風な論がリアリズムについてなされた。このことに連関して、バルザックは王党派であったにも拘らず、プロレタリアの歴史的意味を正しく作品の中に反映していた、それは彼が傑れた芸術家であったからだという風に、簡単な反映論や無意識論が擡頭した。この傾向は、自然主義が日本に移植されてから、その社会的事情に従って次第に低俗な写実主義に陥って来ている文学の伝統と計らずも微妙な結合を遂げ、今日一部の作家に見られる些末的な、或は批判なき風俗小説を生むに至っている。散文精神という言葉はこれらの作家達によって言われているのであるが、ロマンティシズムに対する、又は常套的な詩的精神に対する現実の強調、勇気ある散文の精神を対置している意味は何人にも明かであるとして、現実と作家との関係を方向づけている上述のような理解は出来上った作品をよむ読者の胸に或る逸脱の危険を感ぜしめているのである。

さて一方社会主義的リアリズムも当時の日本の事情によって必ずしも順調に理解されたとは言えなかった。社会主義的リアリズムは、日本に紹介されたと同時に、その基本的な点で極めて特徴的な転調をされた。ある一部の紹介者は社会主義的リアリズムをもって、芸術に於ける世界観の抹殺と小市民性、インテリゲンツィア性のあるがままの形での認容であると誤って理解した。これは全く正反対のものである。この誤解は、その半面に、さっきもそれについて触れた些末的写実主義の潮流とより添って流れたために、当時作家達が所謂自由になってのびのびと書き始めた諸作品は、要するに低調な日常茶飯的身辺小説、主観的な私小説の域を遠く出ることが出来なかったのであった。

続いて作家と教養の問題が起った。これは、華やかなるべき文芸復興の芸術的内容の貧寒さからその打開策として言われて来たのであった。同じ頃古典の摂取ということが文壇でやかましく言われ、バルザック、スタンダール、ドストイェフスキー等が読み直され始めた。だがこの古典の摂取も作家の豊富さを増すためにはあまり役に立たなかった。それには理由があった。これらの作家達は既に文芸復興の声を挙げたと同時に、厳密な意味での評価の規準を我にも人にも否定し去っていたのであったから、古典を読むに当っても当然の結果として読む人々の作家的主観の傾向に準じて、謂わば鑑賞する態度に止まらざるを得ないのであったから、一般文学の創作力の豊饒化という、客観的な影響にまでその研究を高めることには、そもそも読む腰の据えかたに普遍性を欠いたのも必然なのであった。

今日特に私たちの注意を引くことは既に当時日本文学の古典に対する教養のことが云々され始めていたこと。しかしながら、当時にあっては単に文学の教養としての範囲に於て言われていただけであったという事実である。谷崎潤一郎、永井荷風、佐藤春夫等の作家は彼等の古典文学の教養を土台として例えば「盲目物語」「春琴抄」「つゆのあとさき」等の作品を示し、文芸復興はさながらブルジョア老大家の復興であるかの如き外観を呈した。当時にあっては、佐藤春夫は芸術の技法の面から日本文脈の研究について一つの見解を示していたが、それは今日の佐藤春夫が「もののあわれ」を云々する内容、傾向とはその社会的性質に於て遙かに淡白な作家気質によったのであった。横光利一氏が本年一月『改造』に発表した「厨房日記」は日本的なるものとして又人間の知性の完全無欠な形として、封建時代の義理人情を随喜渇仰する小説であって、常識ある者を驚かしたが、当時にあっては、彼の復古主義も情勢の在りように従って「紋章」の中に茶道礼讚として萌芽を表しているに止った。

かくて、作家は教養を求めんとして机にしばりつけられたのであったが、古典作品の鑑賞に於ては或る意味でのペダンティシズムが跳梁するばかりであるし、作品の現実はその関心の中心が益々技巧専一の職人的傾向に陥り、しかもそれらについての是非の論は結局文壇の机上論に終始する傾きにあった。これにあきたらず、作家に生活的・文学的能動の精神を要求して起った一団の作家達があった。舟橋聖一、小松清、豊田三郎の諸氏で、これらの人々は雑誌『行動』によって行動の文学を創らんとしたのであった。

彼等は作家のより広汎な社会生活と生活に対する積極性と若き時代のモラルとを自身に求めたのであった。けれども、第一これらの人々が社会と文学とに階級を認めざるを得ない今日の現実に反して、能動精神というものを抽象化してこれも漠然たる一般社会性の上に強調したことは、折角若き時代のモラルを創らんとしつつ、パン種の入っていないパンをふくらがそうと焦慮するに等しい本来的な無理があった。従って作品の実際に当っては、最も手近なかつ日常的な恋愛の推移の過程を、些かは感傷ぬきに雄々しく描こうとする努力、又は俗世間の利害の焦点の推移によって権力も推移する浮世の姿を描くという試みの限度に置かれたのであるが、この能動精神の主観的理解には、例えば肉体の慾望と精神の能動性とが現実の中で対立するもののような、精神が能動を欲することから、肉体の慾望にも従うというような観念的な観方も作品に反映しているのであった。イギリスの作家D・H・ローレンスの作品の紹介等もなされた。しかし、それはイギリスという国情、キリスト教の伝統、及ヨーロッパ戦争という諸条件の後に炭坑夫の息子ローレンスを生んだのであって、日本の自由主義と民主主義とを知らず、又一方に於てキリスト教の女性崇拝の伝統をも持たない社会の現実の中では、生活的にも文学的にも生新なものを生むことは不可能であった。

一九三五年以降のフランスの社会的事情の変遷、人民戦線の拡大等は、文化の上にヒューマニズムの提唱をもたらした。小松清氏等によってヒューマニズムの提唱は日本にも移された。日本に於けるヒューマニズムの紹介は、社会主義的リアリズムがかつてそのように扱われたと同じに紹介の抑々そもそもから紹介者の意志の方向を加えて説明された。ヒューマニズムは、あらゆる人間的なるものを抑圧する強権に抗することを、そして人間性の新たなる主張を支持し、ファシズムに賛成しないものであるが、従来理解されていた意味でのマルクス主義の傾向とは異ったものである。プロレタリア文学ではない、もっと広いものである。として提唱された。

ここで私たちは誠に興味深い現象に遭遇した。能動的精神といい、ヒューマニズムといい、それぞれ熱心に討論されたのではあったろうが、社会全般の中で見ればやはり文壇をめぐっての抽象的な専門家間の論議に終っていたことである。この一二年来、日本の大衆の日常生活と生活感情とは、少なからずショックを受けるような出来事があった。経済的に、軍需工業関係者以外の一般人は、物価騰貴のため急速に貧困化している。文化的の面にもその貧困は響いて来ていると同時に、大衆の文化的内容そのものの質が、「依らしむべし。知らしむべからず」的事情の下に貧困化し低下しつつある。大衆の多くを語らぬ口と、広く、深く視る便宜を益々縮められつつある眼とは、十分にその由って来るところをも究明しかねる日常生活の悪条件に囚われ勝ちである。政治と民衆とは決して近い隣りにはいない。経済の枢軸の廻転は民衆にとっては増税としてのみ最もはっきり感得されるという状態である。小説は、果してこの急激な底潮を感じさせる時代の空気と動向とを芸術化しているであろうか。

文学の仕事に従事するのは何時の時代にもそれぞれの階級の知識的な分子である。ブルジョア文学はブルジョアのインテリゲンツィアによって作られて来た。プロレタリア文学は、日本の事情の下ではその出生の階級を揚棄しようとするインテリゲンツィアと勤労階級の中からの少数の知識分子とによって作られて来たのであった。日本の左翼運動の退潮はインテリゲンツィアを或る意味で全面的に動揺させ帰趨を失わしめた。文学の仕事に従うインテリゲンツィアにもこのことは強烈に作用している。しかも日本には日本文学の伝統として、近代文学の確立と同時に文学者は一般官吏、実業家、軍人等の社会活動と全く切り離された別個の道或は並行の道或は対蹠をなす道を歩かざるを得ない事情に置かれて来たという事情がある。

周知の如く近代国家としての日本は独特な発展の過程をとり所謂いわゆる開化期の文化の自由民権的傾向というものは明治二十三年国会が開かれると同時に一種の反動期に入り、今日とはその質を異にするが、官僚「官員さん」の横行時代を現出した。日清、日露の両戦争の後には漱石がそれ等に対して猛烈な反撥を示した成金が現れ、実業家も権力に加った。日本で文学の仕事に従った人が同時に時の権力の精神的、文化的指導者であったのは、極めて短い開化期の文化建設の時期に於てのみであって、明治文学が口語文の様式を堅めた頃は、既に文学者の生活は直接な政治経済の網目の中からは外へ押し出されてしまっていた。つまり「経国美談」や「雪中梅」の翻訳文学が一方にあり、福沢諭吉の新興ブルジョアジーの啓蒙者としての活動が重大な指針となった時代が去った後は、徳川末期の戯作者の気風、現実に対する無批判な妥協的態度が、西欧の文学的潮流の移植の側かたわらにあって、常に日本の近代性の中に含まれている非近代的なものの姿を我々に示して来ている。このような形で残されている日本的なものの中の知的ならざる影は、今日のような作家の受動的気分の時期に案外にもゆるがせに出来ない退嬰性、無批判性となって甦っていることが認められる。近代日本が、政治経済に於て官製であったと同じように文化も官製の性質を持っており、明治中葉以後のインテリゲンツィアに依って作られた文学は、主として官製なるものに、或は過去の儒的なものに対して、自覚された人間性の自由と自我の尊厳とを主張したものであった。先に述べたように、それより以前文学者の生活は社会の政治経済面での活動から閉め出されているのであったから、この人間性の主張、自我の自覚の社会的土台というものは全くインテリゲンツィアとしての書斎の生活に置かれ、或は家庭内、身辺の客観的には小範囲の人的交渉の間に置かれざるを得なかった。

このことは、夏目漱石の作品の題材の範囲の狭さにも見ることが出来る。人間関係、社会の現実を経済政治の関係の中で横に眺め得ず、狭い身辺の間口から心理の奥行深く眺め渡しているのである。

森鴎外は傑出した智能を持った人であり、科学と文学との美を当時の水準では最高に身に具えた人であった。軍隊の衛生、クラウゼヴィッツの戦争論を訳した筆は即興詩人を訳し、「舞姫」「埋木」「雁」等を書いた。鴎外が晩年伝記を主として執筆したことは、彼の現実の装飾なき美を愛した心からだけ選ばれた道であったろうか。彼の帝国博物館総長図書頭という官職は果して彼の文学的達成にプラスとなっているのみであろうか。伝記を読むと彼はその官職に就いて辞令をうけた日、従来一個の文学者としての立場からその学芸欄に関係を持っていた諸新聞と、改めて関係を断っている。このような些細なことに現れる不自由は、作家としての彼に闊達な振舞を内面的にも外部的にも拘束しがちであったろう。ドイツではゲーテが宰相であれ程の文学者であったというような例は、事情の違う日本では現在までの歴史の性質に於ては有り得ないのが自然とさえ思われる。

以上のような歴史を持って日本の純文学が私小説の伝統の中に生き、今日に至る間に、インテリゲンツィアとしての作家が政治経済の活動への参加から切り離されていると同時に被動的な社会的立場に置かれて来た大衆の日常ともその知性によって切り離され、次第に芸術の内容を非社会的な、主観と理念と弱小な自我の輾転反側の中に萎縮させて来たことは、見易い現実の推移であった。

今日、林、小林その他一部の作家によって或る意味では愕然としたようにブルジョア作家の大衆からの游離が注目せられ、しかもその対策として、現在勢力ある官吏、軍人、実業家の中心課題を文学の課題として、「大人の文学」を作らんとすることは、これまで述べて来た日本の文学の特質から見て、どういうことになるであろうか。権力というものに対する事大主義的な追随や、機械的な政治の文学に対する優位の承認を結果するであろうという危険は、誰の目にも明かである。プロレタリア文学が、方針に於て或る時期機械的な政治の優位を認めたと云って、文学を死滅さすものだと非難した人を顧ればその筆頭は林房雄氏であった。同じ人が僅か四五年の後に進んで現行勢力の下位に文学を置こうとすることは理解に困難である。

室生犀星氏が近衛公や一部の顕官に逢い、一夕文学談を交したことで、軍人、官吏も文学を理解しようとする誠意を持っていると感激し、庶民出生の長い艱難多かった自身の閲歴をも忘却して、忻然きんぜんとして「行動の文学」を提唱し、勇躍して満州へ行く悲喜劇的な姿も、結局はこれまでそれ程に作家の生活には世間人並のつきあいがなかったと言うことであり、それ程政治家等の文学に就いての関心が欠けていたことを語るに過ぎない。日本に於ける作家の社会的立場の特異性、貧弱さは、このことにも充分に現われているのである。

岸田国士氏等によっても、文学及び作家の真の発展のために文壇が今は妨げとなっていることが言われている。これまでの狭い職業組合的な文壇が、個々の作家に与えるものを多く持っていないという事実は誰しもこれを認めなければならない。文壇の外に出るということが言われているのであるが、抽象的な文壇はその人々の経済生活を支えるための出版活動をしていたというのではないから、執筆は従来も営利的な出版物の上にされていた訳である。作品の市場としての今日の新聞雑誌、単行本出版のことは、その中へ文壇を出た作家というものを吸収するどのような能力を持っているのであろう。文壇を出るという言葉は成行として、出てから何処へか行くという感じを私たちに抱かせるのであるが、政府は作家の役人をどの位必要としているのであろうか。五・一五以来、世間の耳目は少壮云々の形容詞で何となく男の血気を刺戟して来ている。今日「大人の文学」を唱え、文壇を出たいという心持を何処にか持っている作家達は、年配から言っても所謂少壮の幹部どころの年齢であり、文学者の従来の生活には少なかった政治家、軍人等との接触の物珍らしさは、一部の作家が過去に於ては国際的な政治経済知識を著しく欠いていたという一面の無識から受ける驚きと相俟って、意外に安易な卑近な傾倒の感情を引き起していることも見られるのである。

これらの作家は同時に文学の進展を害するものとして文学青年の存在を否定しているのであるが、文学の現状を見れば、そこには大きい実際の矛盾がある。この三四年来、芥川賞、直木賞、文芸懇話会賞等々夥おびただしい賞が懸けられ新人を招いている。ところで今日までこれらの賞を受けた人々は果して本質的な新人であったろうか。賞を与える側がその新人でないことに就いて消極的な言葉を添える有様であった。或る賞のために努力した若い作家は、多くの場合その賞の審査員である諸作家の影響というものに対して、全く自立的な感情を持ち得ないであろうし、又私などはそのことで自身の芸術の素直な発展を阻害されている何人かの人を知っている。

今日の国家経済の方針に依って、文化の大衆化に重大な関係を持っている紙と印刷費用とは高騰する一方であるから、一時のように同人雑誌の刊行も困難になり、他面発表機関も困難になることから、雑誌を持っていてその誌上を割き与えることの出来る作家の周囲には今後も益々文学志望者がその習作と共に蝟集いしゅうするであろうと思う。それらの文学愛好者達は、発表の機会を考えてそこに集り、だが必ずしもその統率者に対して人間及作家としての尊敬を全幅的に捧げているとは限らない。或る場合には自分の本性と反撥するものをも感じつつ尚悲しき利害から毅然たる態度も示しかねる自分に自嘲を感じることもあろう。そのような生きる感情の状態から、新たな文学が生れ得ると考えれば、あまり作家と作品との生活面に於ける統一の重大性を無視したことである。夏目漱石は周囲に多くの後輩の出入があった。勿論作品の発表のために尽力している。けれどもその時代のことと今日の右の事情とは、二十年の歳月が日本と私たちとを変えているように、質を変えているのである。

これらの曲折の間に、プロレタリア文学はどのような存在を続けて来ているであろうか。文学運動としての形を失いつつ、作品は書き続けられ、読者を持ち続けて今日に及んでいる。ブルジョア文学の一部が社会的動揺によって文学の独自性をも危くしかけている時期に、プロレタリア文学は人間の心に潜んでいる合則的なもの、合理的なものを愛する心、或は現代の生活に種々の疑いを抱くものの心に触れるその本質に依って存在を価値づけられて来ている。青野氏は最近の論文で、プロレタリア文学の存在の根強さの上に安んじ、刻下の社会事情の中にあって闊達自在の活動をし得る自信こそプロレタリア作家の持つべき生活力の強さという風に言われているのであるが、この闊達自由ということに就いてはその響きが今日の万人にとって望ましいことであるために、一層周密にその方向や内容が調べられる必要があると思う。青野氏が自身の解釈に従って自身進退せられることは、もとより氏の主観的な自由である。しかし、それが必ずしも客観的な望ましき内容に於ける闊達自在の活動であるかどうかということに就いては自ら異る見解もあろう。

プロレタリア作家の文学に於ける任務は、その芸術の中で、今日やかましい大衆の問題を正当に理解し表現して行くこと、芸術に於ける民族的な特徴を広い偏見のない目で現実の中に見極めて形象化してゆくこと、及び芸術作品に描かれる人間性というものに就いての統一的な掘り下げ等を通じて、新しき時代に役立つヒューマニズムの文芸思潮の内容づけをしてゆくことであろうと思う。今日過去の私小説を否定するものとして、社会的な客観小説が提唱されているが、この文学に従来の近代的扮装に身をかくした戯作者風な無批判な行動の追跡に代る真に大衆的と言われるべき内容を与えて行くこと一つでもプロレタリア文学の作品が求められている責任は軽くないのである。

〔一九三七年四月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「唯物論研究」
1937(昭和12)年4月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「今日の文学の鳥瞰図」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第十一巻』新日本出版社、1980年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002770_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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