Soranoha

ソヴェトの芝居

ソヴェトのしばい

宮本 百合子

――この頃は、ぼつぼつソヴェト映画が入って来るようだね。「アジアの嵐」なんか猿之助の旗あげにまで利用されて賑やかだった。あれはあっちでも、勿論傑作の部なんだろう?

――そりゃそうさ。はじめてモスクワの「コロス」っていう優秀映画館で公開された時は素敵だった。伴奏は特別作曲された音楽だったし。

帝国主義と植民地とがどういう関係におかれているかということの真実が堂々としたプドフキンの芸術的手腕で把握されていた。

ところがね、面白いことには、それから数ヵ月経ってパリへ行ったら、シャンゼリゼーの目抜な映画館で、その「アジアの嵐」をやっているのだ。秋の、雨の降っている晩でね。入って見たら、タイトルは英語だ。しかも、フランスは旧教の国だから、「アジアの嵐」のなかの最も皮肉で愉快な場面、よだれをたらした赤坊のラマに帝国主義国の将軍が勲章をつけてお辞儀したり、おべっかつかったりする場面、反宗教的な場面をあらかた切ってしまってあった。暖いぷかぷかな場席へ、所謂シークなパリの中流男女、金をつかいに来たアメリカ女が並んで、ソヴェトから買って来て骨をぬいた「アジアの嵐」を観ている。仏領インド支那の農民が反抗すると、フランス政府は瀟洒な飛行機から毒ガスを撒いて殺した。だから原作のままの「アジアの嵐」なんぞ上映することを許さないんだ。日本だって、あの作品や「トルクシブ」は「思想善導」されてカットされているんだろう?

ソヴェト映画だからって観る側としては無条件によろこべないんだ。

――それは相当みんな勘定にいれて見ると思う。ソヴェトじゃ映画製作は、計画的生産だってきいたが、そうか?

――鉄、石炭、麦、靴のような消耗品に至るまでソヴェトはすべての生産を計画的にやっている。映画みたいな芸術的生産も大体一年に何本、どういう種類のものをつくると予定してやっている。

――芝居の方はどうなんだ? キノと同じかい?

――人民文化委員会の芸術部が、その年の予算の中から、劇場のためにはいくら金を使うかという予算をたてる。各劇場にその予算がわりあてられる。それでやって行くんだ。――余談だが、ソヴェトでは、全露作家団体連盟に対しても、作家の技術と生活改善のために人民文化委員会芸術部が巨額な補助予算をもっているよ。画家だって、社会組織が違うから昨今の日本みたいに大小ブルジョアが小遣緊縮しはじめたおかげで閉口するようなことはない。これも、やっぱり人民文化委員会が調整して、やって行く。

――いやに窮屈みたいじゃないか。計画。計画。それに、誰だったかやっぱりソヴェトへ行って来た人が云っていたよ、ソヴェトの映画でも芝居でも、宣伝ばっかりで面白くもなんともない。一つ二つ見りゃうんざりだって。大体、お前はソヴェトびいきすぎるよ。悪口を云ったためしがないじゃないか。本当のところを云えよ! つまらないかい? 事実。――

――そりゃ数のなかだもの、つまらないんだって、ばからしいのだってあるさ。功績ある共産党の中にだって一人一人見ればいやな奴がいるのと同じこった。

だがね。つまらない、下らないというのもいろいろだよ。芸術的な技術が下手で、捕えた主題もヤワでつまらない。そりゃ本当につまらない。客観的につまらない。ところが、もう一つつまらないと云われる場合がある。それは、ソヴェト芸術のもっている明瞭な階級性を、観る者が理解しない場合か、意識の底でそれに反抗している場合にだ。ソヴェトはプロレタリア農民、知識労働者――つまり働く人民のソヴェト国家だ。プロレタリアを先頭として、真剣に社会主義社会の建設に向って努力している。あらゆる芸術は、自然こういう民衆の実生活を積極的に反映しているのだ。ソヴェトは世界の芸術史上に、全く新しい一頁を開いているのだ。

従って、階級的にアカの他人であり、プロレタリアートが目標としているものとは反対な利害をもって生きている者に、ソヴェトの芝居が面白くない場合も万々あるだろう。面白くないのを通りこして、うなされちまうかもしれない。ハハハハ。そういう外国人たちは、第一国立オペラ舞踊劇場(昔の大劇場)でオペラばっかり見ているよ。「ローヘングリーン」や「カルメン」。「オニェーギン」「スペードの女王」「サドコ」はこわくないからね。

――ふーむ。そんな古典をやってるところもあるのかな。古典をすてた訳じゃないんだな。

――ソヴェトの芝居は大体三種類に分けられると思う。第一群は、この第一国立オペラ舞踊劇場。スタニスラフスキーのオペラ劇場。ダンチェンコの指導する音楽劇団。チェホフとゴーリキーとで世界に馴染なじみのモスクワ芸術座。国立アカデミー小劇場のように、革命以前からの古い伝統をもち、現在でも次に来るべき若いソヴェト演劇技術家指導に重大な役割を演じている劇場だ。

第二群は、革命以前から存在し、現在はソヴェト作家の脚本を上演し、プロレタリアートとその党の線に沿ってはいるが、大して独特な存在意義はもっていないもの。ここでは、諷刺劇場、コルシュ劇場などがあげられる。

第三群は、生え抜きの新しいソヴェト劇団だ。プロレタリアートの第一労働者劇場。МОСПСエムオーエスペーエス劇場。「劇場労働青年トラム」劇場。青襯衣座シーニャヤ・ブルーザ。革命劇場。メイエルホリド座。センペランテ劇場。モスクワに三つあって、プロレタリア児童のために健康な娯楽と啓蒙を呈供している児童劇場。上演目録内容の広汎で直接な社会性から云っても、新様式の熱心な探究の点でも、注目すべきはこれらの劇団だ。

それにソヴェトには、夥しい数の移動劇団がある。モスクワにだけでも四十足らずある。大きい労働者クラブには所属劇団がある。小さいクラブでも、ソヴェトのプロレタリアートはそこで、いろんな科学・政治研究会と合わせて劇研究会をもっている。

ソヴェトの生産拡張五ヵ年計画は、演劇にも重大な影響を及ぼした。

――劇場も拡張しようというのか?

――大劇場の新設。全ソヴェトの劇場管理を職業組合と集団農場中央と、人民文化委員会芸術部との協力によってしようとする計画。及び、これまでは革命前の通り、クレムリンに近い所謂劇場広場を中心として、モスクワ河の北(元の中心地域)に主な劇場があった。それを、工場の多い河向うへ、生産の場所へ近く持って行こう。そして、シーズンを秋から春の終りまでで切らず一年中芝居をやろうという計画などがある。

五ヵ年計画の影響は、だが、そういう経営法の変更に現れるばかりじゃない。ソヴェト一般演劇の実質を変えた。五ヵ年計画の実施はソヴェト市民の全生活を変えたからね。日常生活の中でいろんな新しい建設的問題、階級的見地からの見なおしが行われている。早い話が、集団農場組織の問題が、あらゆるソヴェト市民の関心事となったのはいつからだ? 一九二八年末からだ。生産能率増進のためのウダールニクが各工場役所の内部に組織され、それに参加した各員が、てんでんの場所で反革命分子との激しい闘争の経験をもつようになったのはいつからだ? 矢張り一九二八・九年からだ。

ソヴェトの劇場で、程度の差こそあれ、この新しい生活を反映していないものはない。一九三〇年の上演目録はひどく変ったよ。三年前とくらべると。

――……。社会的生活と芸術とががっちり歩調を合わせて、進もうとしているわけだな。

――だからね、例えば一九三〇年の春は愉快な美しい光景があったよ。春だ。キラキラ日が照りだして雪がとけはじめた。モスクワを中心とする黒土地方一帯、ヴォルガ地方、シベリア、北コーカサス地方。そこいらじゅうの集団農場では春の蒔つけ時だ。都会の工場から農村手伝いの篤志労働団が、長靴をはいて、麻袋を背負って特別列車にのっかって、八方へひろがった。

同時に、芸術篤志団、劇場労働篤志団が組織された。耕作用トラクターと一緒にひろいソヴェト全土に文化の光をまき散らそうというわけだ。作家、画家、映画労働者、劇場労働者、みんな出かけたが、技術家揃いだから、自分たちの乗って行く列車だって無駄にはしない。三等列車の外っ側を、溌溂たるプラカートや、絵で装飾して、所謂宣伝列車を仕立てて何百露里というところをころがって行った。

集団農場にはクラブがある。そこで人形芝居、即興劇その他で、刻下の社会的問題を芸術化して農民に見せるのだ。同時に、農村ではどんな芝居がよろこばれ、要求されているかということを専門的な立場から研究する。

――聞いているだけでも一寸わるくないな。儲けばっかり考えている会社につかわれて映画をつくったり、芝居しているのとはちがいがひどすぎる。だが、検閲はどうだい? 喧しいんだろう? 築地の左翼劇場では、警官が出張して台本と首っ引で坐っているよ。あの通りを行ってるんじゃないか? それに近いような噂だぜ。

――……実にデマが利いているんだなあ。

――嘘かい?

――ソヴェトのプロレタリアートや彼等の党は偏執狂じゃないよ。あらゆる人間の才能を十分発揮させようとしているのだ。ただ、ソヴェトは今特殊な歴史的過程を生きつつある。

緊張した社会主義建設期にある。終局の目的に向って社会を押しすすめて行く上に、必要なもの、役に立つものと、そうでないものとがある。それはどうしたって区別して、それはそれとして扱って行かなくちゃならない。常識で考えたって明かなことさ。そうだろう? だから、直接大衆に呼びかけ、気分に作用する映画、芝居の上演目録に対して注意ぶかいのは当然だ。それは組織的にされている。中央上演目録検閲委員会というのがあって、各劇場の上演目録を研究する。そして決定する。でも、一言念を押しておくが、これは日本の内務省の検閲課じゃないんだよ。有名な劇団人、俳優、作家、劇作家、画家それに文化専門の人があつまっている委員会なのだ。

――クラブの劇場研究会なんぞも、そこで統制されて行くんだろうか?

――それは別だ。クラブのは、МОСПСエムオーエスペーエス劇場――モスクワ地方職業組合ソヴェト劇場が責任を負っている。

――なるほどね。ところで、どうだい、作者はやっぱりソヴェトでも作者かい? 給金なんかどんな風なんだろう。……所謂大部屋連、下まわりっていうようなものは、存在してるのかしら。

――現在のソヴェトでは、まだあらゆる生産の部門に、革命以前からの技術家がのこっている。芝居の方でもそうだ。だから古い大家連の中には、革命までの数十年間にしみ込んだ俳優気質っていうようなものを持ち越して生きてるものもあるらしいな。そういう面はありながら実際舞台に働いている大家連は、それは歌右衛門や仁左とはちがうさ。社会主義からきりはなされて存在しているのじゃない。大部屋、下まわりにしたって、大家連と同じ芸術労働組合員ラピスだもの。聞いただろう? ソヴェト政府は、過去に功労あった芸術家たちに、「人民芸術家ナロードヌイ・アルチスト」「功績ある芸術家」っていう二種類の称号を与えて優遇しているのを。モスクワの劇団にだけでも「人民芸術家」が十一人ばかりいる。「功績ある芸術家」は四十人以上ある。

例えばモスクワ芸術座のルージュスキーなんか、役柄は西洋の松助みたいなところだが、革命前、アルバート広場の裏んところへ大きな邸宅をもって暮していた。革命当時一旦邸宅は没収されたらしいが、直ぐ、過去の功績に対して邸宅を与えられた。――すっかり政府がくれたんだ。今、ルージュスキーは、広い前庭のある立派なその家で、ゆったり暮している。画家でも、作家でも、科学者でも、ソヴェトの文化に真に価値ある功献をしたものは、こういう待遇をうけるのだ。

それにしても古くからの俳優と、МОСПСエムオーエスペーエス劇場、「劇場労働青年トラム」劇場の連中との違いは、全く歴史的相異だね。

はじめっから出来が違うんだから、МОСПСエムオーエスペーエスにしろ、「トラム」にしろ、俳優演劇労働者は、みんな本当に工場の職場で働いていた連中だ。大部分がコムソモールだ。「トラム」のグループなんかは日常生活まで共産制にしてやっている。ソヴェトには、劇場の標準形態とでもいうようなきめがある。工場や役所にあると同じ「赤い隅」「図書部」「討論」「研究会」定期的集会。それ等管理の委員制を各劇場はもっていなければならない。「研究会」は必ず専門の芸術的研究と並行して、政治教程ポリト・グラーモタの勉強をやっているのだ。従って演技も古い連中とは違う。故小山内薫氏が革命十年記念祭にモスクワへ来て、いろんな芝居見て、結局役者の上手なのはモスクワ芸術座しかないと云ったという噂をきいた。或る意味では真実だ。しかし問題もあるんだ。

現代ソヴェト共産青年、若い農民、学生、労働者。男女にかかわらず彼等のもっている明るさや、ものを考える考えかたの新しい綜合的能力、たとえば芸術と社会との関係なんかについてもはっきりそれがわかるが――それにユーモア、テンポなどは、小劇場の「功績ある芸術家」総出でも表現出来ない空気だ。俳優としてのもちものが気分からしてちがうんだ。一九一九年第一回の芸術労働者大会がひらかれて賃銀標準がきめられた。芸術労働者組合として、産業組合連合へ加盟したのだ。一九二七年に賃銀割出しの方法をいろいろ改正し、それをいま実行している。

歌舞伎の内部のように、だから封建的な秘密給金制は当然ないわけだ。云わば、芸術労働者の俸給も、ソヴェトではパンと同じに国定相場で支払われているわけだ。

――じゃ勿論、最低賃銀というものも、はっきり規定されてるわけだね。悪くないな……それで、大体どの位の収入があるんだ?

――話したね、さっき。――各劇場は、めいめい割りあてられた予算をもっているって。ここでも、その予算が出て来る。ソヴェトの劇場はその予算額に応じて、凡およそ五つのグループに分けられてる。グループ一で、一ヵ月二万ルーブリ以上の予算、労働賃銀支払基金を一万五千ルーブリ持ってるような大劇場だと、第一級の俳優=芸術労働者は三百五十ルーブリから五百ルーブリ。芸術労働者の資格も八級ばかりにわかれていて、その位の劇場だと、ビリで七十五ルーブリから八十五ルーブリとるんだ。

――ふーん。……じゃあ舞台監督だの、振りつけ、照明、そんな技術家は?

――舞台監督はなかなかいいよ、第一グループの劇場で六百ルーブリ、第五グループで三百ルーブリ。装置をやる美術家が二百五十ルーブリから五百ルーブリ。振りつけ、大体百ルーブリから二百五十ルーブリ見当。

――下まわりはどうなんだい? 舞台裏だけ働いてるような連中……そこが大切だ。

――そうだ。それはまた別な賃銀標準ではらわれてるんだ。劇場労働の種類が三つに分類されている。働くものの資格が十級あって、やる労働の種類の基本賃銀に資格を示すパーセントをかけたものだけ貰うんだ。

職業組合に加盟しているから、不熟練労働者で五十ルーブリ位もらってるものでも、失業保険その他で保護されている。「休みの家」の利用も出来る。若し有料診療を受けなけりゃならない場合は半額だ。おまけに、ソヴェトでは家賃というものが、月給に応じた割合で払えばいいことになっているんだからな。

――そうかい! そりゃききものだ。どの産業の労働者も、家賃なんか、そういうやりかたで払ってるのか?

――見ろよ! お前だってムキになって来ただろう。

――ふーむ。

――お前みたいなピーピー銀行員なんか勿論そうだよ。

――ふーむ。……

――ひどく、うなるじゃないか。この例一つで、おれが社会主義の宣伝をしているんでないってことは、はっきりしたさ。社会主義の現実がみんなにおしえるんだ。資本主義とどうちがうかってことを。――

――こうなっちゃ、いよいよきかずにすまされないよ。ところでね、そういう劇場だって、運転資金となる利益は矢張り切符のうりあげだろう?

――そうだ。が、全部ではないよ。ソヴェトの劇場は、松竹御儲けのためにあるんじゃない。本当に大衆の楽しみと文化向上の目的をもって建てられている。だから各劇場は毎日、全座席の中の一定数を必ず各職業組合と赤軍(劇場の種類によっては学生)のために、呈供している。半額と無料の切符を出しているのだ。

モスクワのメーデーは、あの賑やかさと、全市に翻る赤旗の有様だけでもほんとに見せたいようだが、次の日の五月二日は休みだ。疲れやすみだね。町々には、まだ昨日の装いものがある。労働者市民は、胸に赤い花飾りなんかつけて、三人四人ずつ散歩している。いくらか、昨日の今日で街が埃っぽいのも、わるくない。昼間はしまっている各劇場の戸口に日に照らされながら札が出ている。「本日、劇場はただ労働者諸君のためにだけ開場する」――職業組合がモスクワじゅうの劇場の切符を労働者に分けるんだ。五月二日、モスクワじゅうの数万人の労働者が、昼間はのんびり散歩して、夜は芝居を観る。これは、小さなことか?

――……あんまり感動させてくれるなよ。――ふだんは、どんなんだろう。いつも労働者の見物で芝居は一杯かい?

――劇場によるな。いつか統計が出ていたが、МОСПСエムオーエスペーエス劇場の見物なんか、九十八パーセントまで勤労者だ。女優がパリの流行雑誌まるうつしの扮装でマネキンみたいに舞台をのたつく悪習をもつと云われている諷刺劇場なんか六十パーセントだ。

ソヴェトの劇場は、今までいつも一つ大きな困難をもって来た。劇場建築が旧式で小さいということだ。昔はそれでもよかっただろう。金のある者だけ見たんだからね。現在じゃこまる。出来るだけ大勢の労働者に芸術をわかち、出来るだけ一枚ずつの切符の値段は下げなければならない。劇場の建物がこの目的とは逆につくられている。五ヵ年計画の中に、大劇場建築計画のあるのは当然なんだ。

――どの位するかい? 切符は。――

――場所によるが、五十カペイキから六、七ルーブリだ。

――間に段々があるんだろうが、高いな。

――高い。ソヴェトも断然それは認めている。だから、これまでだってやすくすることに一生懸命んなって来た。舞台装置に金をかけるな。無駄に手をふやすなって、メイエルホリドは、知ってる通りの凝りようだから。どうしても舞台装置に金をかける。それで叱られたことがあったそうだよ。

そうそう、メイエルホリドで思い出したが、エイゼンシュテインがアメリカでデマをとばされて、つかまったってね。ああいう映画監督の俸給どの位だろう……いくぶんゴシップ趣味だが……

――待ってくれ、虎の子を出して見るから、こりゃ多い。七百五十ルーブリだそうだ。映画俳優のところも見て御覧、ついでに。主役で三百ルーブリから六百ルーブリだ。一寸エピソードへ出るのが百五十ルーブリ位。――

――古いことだが、プドフキンが映画の「生ける屍」で主役をやったことがあったね。監督も自分だったろう? するとどうなるんだろう。両方分で千何百ルーブリか?

――さあ、どうなるんだろう。わからないな。そういう場合は。――だが、こんなこともあるよ、エイゼンシュテインが「戦艦ポチョムキン」を撮影した時、老いぼけた坊主が十字架もって出て来るんだ。反乱が起って坊主は勇敢な水兵に追いこくられ、艦橋ブリッジからころげおちるところがある。エイゼンシュテインのことだから、ほんとに、老いぼけてひょろひょろな坊主見つけて来たんだって。いざ、高いところからころがる段になって、骨があぶないってわけさ。本物ではね。エイゼンシュテインが、直ぐ坊主の装をして、俺が落っこちてやるって、簡単にころがりおちちまったんだとさ。

――無料で、ころがりおちまでした例だ。

――ハハハハ、さっぱりしているな。ところで芝居の話へ戻るんだが、職業組合に入っている勤労者は半額で見られる。お前みたいな外国人はどうするんだ?

――芝居の窓口へ行くのさ。そして、その日の、または前売切符を買う。一九二八年頃、おもだった売場にある案内所が切符一枚について十五カペイキか二十カペイキの手数料をとって切符のとりつぎ販売をしていたことがある。この頃それはない。

――割引なしか?

――なしだ。だから、行った当座は高いのに閉口して、舞台から遠いところを買った。観えはするが科白せりふがわからない。降参して、しまいには段々近くまで進出した。

――電話かけて切符を届けさせることは、出来ないのか?

それはしない。こんなことがあった。劇場は市じゅうとびとびだからね、いちいちそこをまわって買うのは骨なんだ。時間がえらくかかる。その上前売切符を売る時間が、まちまちだ。そうかと云って、其日では、手に入らない。誰かから、国立第一オペラ舞踊劇場の後に、まとめて各劇場の前売切符を売ってるところがあるってことをきいた。行って見ると、成程ある。狭い入口の外へはみ出るほどの男女がいく重にも列をつくってしずかに順を待っている。普通十日ずつの上演目録が往来などには出ているが、ここではもう十日先のつまり二十日間のプログラムまではり出されている。それを見る時は、嬉しいんだよ。

人込みの間をやっと、のびあがってプログラムを調べ、見たいと思うのを手帳へかきつけ、一時間ばかり列に立った。体の大きいソヴェト市民が標準だから窓口が高い。チビは、そこへのび上ってね、後から急せき立てられながら、欲しい劇場の日どりと坐席の列番号をのべたてる。「売れきれです」「それは三階の後から二番目の席しかありません」そんなことでやっと二箇所の切符が買える段になって、窓口の女が云うんだ。「手帳をお出しなさい」自分はわからないのさ、芝居の切符にまさかパンと肉の手帳でもないだろうし。――「どんな手帳です?」「職業組合の手帳ですよ」「私は組合員じゃないんです」「何か手帳はありますか?……でも……」その女は親切なんだ。そう訊いてくれたから、はい、といって出したよ。大日本の外国旅券を!

――パスポートを持って歩いてたのか?

――ああ。そしたら、その女は笑ったよ、そして「まあいい」って云った。後からこの様子を見下していた大きい労働者風の男が、「そうとも! それだって一種の手帳だ」と云った。笑っちゃった。

――切符貰えたか?

――貰えたとも! しかも半額で。……そこは職業組合員のためだけの、切符取次所だったのを知らなかったんだ。

――パリでも芝居見たか?

――見た。

――ドイツでは?

――見た。

――ソヴェトの劇場と比べてどうだね、面白さは。

――ドイツの演劇では、機械的な技術がすぐれてるだろうし、演劇の歴史でソヴェト演劇と近い関係があるんだろうが、びっくりさせられるような点がなかったな。実はびっくりしたかったんだが、そういうものには出会わなかった。ラインハルトの近代ロココ趣味や、ピスカートルの上手さあまって反社会主義的効果をもたらしたようなものを見た。

――パリのグラン・ギニョールを見たか? 有名じゃないかあれは、ああいうものはソヴェトにあるかい?

――無くて仕合わせだ。ひどいので、その点でびっくりした。凄くも、こわくも、綺麗でも、きたなくもない。うんと陳腐な所謂変態心理と性慾を、最も拙劣な筋書きで見せてる。

――レヴューは?

――ソヴェト式レヴューがあるよ。

――オペレットは?

――ある。でも、やっぱりソヴェト式だ。

――……ついでだから、どうだい一つ見て来た芝居、例えば、モスクワ芸術座なら芸術座、МОСПСエムオーエスペーエスそれぞれについての印象を話してきかせないか?

――素人だからな。……でも、若し興味があるんなら、この手帳みてくれないか。

――ほう、よくも貼りつけたね。一杯、貼ってあるじゃないか、……これがみんなモスクワで見た芝居の切符かい? これ何だろ。

――ああ、『イズヴェスチア』へ毎日出る芝居の広告を、見本としてきりぬいといたんだ。

――何だい、この一等したの、大きな字で印刷してあるのは。

――ベガ――……競馬の広告だ。

――競馬もあるのかい? 行ったか?

――行って凍えて来た。

――金をかけるのか?

――かける。馬種改良の目的だから、馬は二輪車をつけて走るんだ。

――お前に競馬のことを聞いたって、ものにならないのは、わかってるよ。――おや、これは?

――劇場は、どこでもそこの壁新聞をもっている。工場や役所、学校と同じに。――劇場壁新聞の展覧会の写真だ。

――ふーむ。この一冊の帳面は全体が観劇日記みたいなものなんだね。

――ソヴェトでは、歴史の進展が実に速いからね。もう四五年してごらん、芝居だって、きっと随分変るだろうと思うんだ。面白いだろう? ソヴェトを愛する一人の外国の素人が一九二八年から三〇年頃の劇場を、どんな風に見ていたか。――

第一国立オペラ舞踊劇場ゴトブ

バレー「蹴球選手フットボーリスト」

グルジューモフ作

中国革命と中国の美しい娘。帝国主義と軍国主義とを主題にした「赤いけし」がソヴェトの新しいバレーとして紹介されてから数年たつ。

ソヴェト市民は新来の外国人を見ると、先ずいつも訊くだろう。

――赤いけしを観ましたか?

しかし、それを観てしまうと、もうほんとに新しいソヴェトのバレーは種ぎれだった、昔ながらの「眠り姫」を見物しなければならない。――ソヴェトは、もう革命から十三年目ではないか。それだのに、バレーの状態は国立オペラ舞踊劇場の保守性を示してるのか。或はよい舞踊劇の作者がソヴェトにはまだ生れないということなのか。

所謂ロシア舞踊は世界的名声を博していた。ソヴェトの全生活は急テンポに社会主義社会に向って前進しているのに、バレーがその動きをまるっきり反映しないというのは妙だ。――

勤労大衆だって思っていることは同じだった。だから、五ヵ年計画第二年めに新作バレー「蹴球選手フットボーリスト」の上演が発表されるとそれは一般的な亢奮で迎えられた。

――どうでした?

――御承知のとおり何しろまるっきり新しいもんですからね。

――ようござんしたか?

――さあ。……とにかく見て御覧なさい。

成程。――

筋は蹴球選手と掃除女である女子共産青年コムソモールカとの変愛に非階級的なメシチャニン(小市民)の若い男と女とがからむという組み合わせだが、本質的にこれが、王子、姫君、横恋慕をする髯面武士の配列とどう違うだろうか。王子が、ソヴェト製の黒と黄色い縞の運動襯衣シャツをつけたフットボーリストに代っただけで、新しいソヴェトのプロレタリアートの生活感情は把握されてない。

ただ、フットボール競技場前の広場へ、アルバート広場に群っている通りな、いろんな物売りが出ていて、あっちから巡査がやって来るのを見るとパッと蜘蛛の子ちらすように逃げ出すところは、活々した日常生活の光景からの断片で、そこのところで笑わないものがなかった。

しかし、滑稽なことに、この一等活々したエピソードの場面は、実は「フットボーリスト」全三幕を通じて最もバレーらしくない部分なのだ。踊る物売りなんぞ一人もいない。卵の入った籠を抱えた婆さんや新聞売子が、ドタバタと、大きな第一オペラ舞踊劇場の舞台の右から左へ埃を立てて駈けこむだけ。地で行っている。それで思わず笑う。――

ここでは現在及未来の新鮮なソヴェト社会生活を直感させるようなバレーの技術も欠けている。フットボーリストも箒をもった若々しい婦人労働者も、踊りかたは全く古典的なバレーの方法で、アンナ・パブロヷの弟子だ。コムソモールカが昔のバレーの白鳥のようにやっぱりああいう風に爪立って、チョチョチョチョと歩いて、キュッと片脚をのばしている。

服装だけのコムソモーレツとコムソモールカとが、超現実的に追いつ追われつ、爪先踊りをやって、メデタシ、メデタシになって、最後の五ヵ年計画バレー化に到っては、問題の外だ。

五ヵ年計画を表徴するものが何だと思う? 変てこなヴェールをかぶった五人の女だ。その五人の女が、全然古風な、運命のつかわしめみたいな踊りをクネクネ踊っていると、舞台の奥へ、耕作用トラクターと数人の踊り子が出て来る。入りまじって踊り出す。トラクターが出たから農村の集団化を意味しようとしていることは確かだ。

次に、仕掛の滝がザーザーおちはじめる。銀色の女がヒラヒラととび出して来る。独り舞踊をやる。――これがソヴェトの「電化」であることを理解しなければならぬ。

パッと照明がかわると、滝は忽ち燃ゆる焔の輝きだ。焔色の装をした男がそこいら中をとびまわる。

「石油だ! 石油だ!」見物席で謎をといたという風にそういう声がした。

鉄、石炭。五六人の男の踊り手が、黒い装で、ちょんびり人体力学ビオメカニズムの真似をやる。

が、諸君、おどろくな。この最後の一幕を通じて、凡そ二百人ばかりの、白いシャツを着た大群集が(プログラムによればスポーツ青年たちだ)順ぐり高さの違う台の上にキレイに立ち並ばせられたまま、滝が落ちようが、石油が燃えようが、ろくに足一つ動かさず、終に幕という想像外の事実があるのだ。きっとこれはアメリカの大レヴューの舞台が裸娘のダンピングをする真似だろう。

一七七六年以来の第一国立オペラ舞踊劇場だ。今更「青襯衣シーニャヤ・ブルーザ」劇団やメイエルホリドの真似でもない。独特の訓練と技術とが活かされなければならない。

しかし、この「蹴球選手フットボーリスト」の舞台に現れた破綻は「ゴトブ」にとって、厳密に自己批判されなければならないものだ。二百人もの「青年」を立ちん坊にだけ、背景の代りにだけつかったことは、舞台監督の上手下手をこえて社会主義の社会での芸術というものの本質についての認識不足を示している。こけおどしの舞台効果のために、人間のエネルギーの浪費が平気でされているとは「ゴトブ」の舞台認識の中にブルジョア劇団の因習がのこっている証明だということを、彼等は理解しているだろうか。テーマに対して群集の有機的な活かしかたこそ、芸術座の「装甲列車」を成功させたのに。

大体、日本にいるとオペラを見る機会がごく少い。いつもレコードでオペラの音楽の抜萃を聞いているぐらいだから、音楽としての美しさだけをつよく局部的にうちこまれる。ハルビンあたりから来たロシアオペラだって、人々は、高い金をだして聞いた。

モスクワへ来て、大ものの「ボリス・ゴドノフ」も「サドコ」も「デモン」も舞台から聞くことが出来、バレーもいろいろ観た。そしたら、日本にいたときとは違う考えをオペラやバレーに対してもつようになった。

概して昔ながらのオペラというものは、既にソヴェトの生活にぴったりした芸術形式ではなくなってしまった、ということだ。

オペラがつまらなくては、西洋音楽がわからないのかと思っていた。でも、モスクワできき、ベルリンできき、大いにやかましく云々されるスカラ座のオペラをきいて、オペラという音楽の形式そのものが過去のものになりかかっていて、我々には退屈な部分があるということを云ってもあやまりとは考えられないことを発見したのだ。

オペラを生んで、これほど大規模なものに育てあげたワグナー自身がドイツ皇帝ウィルヘルム一世にあてて書いた手紙をよむと、きょうのわれわれのオペラへの疑問が説明される。

ワグナーは晩年には、音楽は民衆をたやすく統治するための有効な手段だと皇帝に書いて、オペラの隆盛を援助させた。愚民政策としてすすめている。しかも一九三〇年には生みの親のブルジョア社会の感覚が古典的オペラへの興味からくずれ出してレヴューだの軽音楽と、うつって来ているところがある。オペラとバレーがどしどし新形式を発見せず、主題においても停滞しているのに第一次大戦後からより近代的なアメリカの興行資本家によって提供されるレヴューが派手にドンドンのびてゆくのはブルジョア社会の崩壊期に入った文化の必然な現象なのだ。

ソヴェトで、オペラは、過去からの遺産というはっきりした観点から扱われている。ソヴェトの新しい音楽家は、その大きな遺産をどう利用し、社会主義的な社会の感覚にふさわしい新形式へ進めるかという点で、大きな課題を与えられているわけなのだ。

第一国立オペラ舞踊劇場でも、オペラの長い幕間には、本を出してよんでいるソヴェト市民男女をよく見かける。

バレーの「フットボーリスト」では、その扱いの失敗の典型を見せられたが、ソヴェトのオペラで感服した一つのことはオペラ舞台では、演劇的に群衆が集団の力の表現として生かされていたということだ。

これはスカラ座のカルメンの舞台群衆と比べると直ぐわかる。

「ゴトブ」も、こけおどしめいて大群集を色彩豊かに舞台の上に並べたてるが、その一幕の中心となる情景に向って、数百人の人間の動きを統一させ、照明とともにあくまでもテーマに即した感情表現・姿態をさせている。主役の補助、舞台効果の奥ゆきとしてつかっている。これは、オペラ特有の大きく賑やかな舞台の上のゴタゴタを整理して効果がある。「ボリス・ゴドノフ」にしろ、新しい舞台装置とこの群集=合唱団の巧みな扱いかたで、新鮮さを出しているのだ。

ベルリンでスカラ座のカルメンを見たとき、スカラとも云われるものが、あんまり群集をぞんざいに扱っているのにおどろいた。合唱こそしているが群集の男女の気分もバラバラ、眼のつけどころもバラバラ、いかにも、はい、わたしの役割はこうして歌うだけです、という風だった。

歌舞伎の群集は筋の説明の上にだけ役立てられ、所謂「土地の者、数人」がガヤガヤで、群集の力として迫って来るものがない。民衆の運命は計算されていない。

革命によって洗い出されたソヴェトの演劇は、表現の上で、過去の「かたまり合った人間たち・群集」を明瞭に「意志する民衆の集団」に置きかえた。

「ゴトブ」のオペラでもバレーでも同じように合唱団=集団の統制を、こういう自主性をもって扱われることだと思っていたのだ。

「蹴球選手フットボーリスト」は、反対のことを我々に知らせた。「ゴトブ」の幹部連は、ブルジョア舞台芸術の個人主義、個人偏重からなかなかぬけられないでいることを。「ゴトブ」には、クリーゲルや、ゲリツェル・ソービノフ等々先輩の「人民芸術家」たちの下に、なったばかりの花形、或はなろうとしている花形が多勢いる。彼女、彼が機会あるごとに過去のバレーやオペラの形式を利用して「自分」を、見物に印象づけようとする熱心さがつよい。(その結果、ここの見物がモスクワの数多い劇場の観客の中で一番、個人的にヒイキをもっている。フットボーリストが、球を抱えて舞台へとび出して来ると、いきなり声がかかる。――スモーリツォフ! スモーリツォフ!)

「蹴球選手フットボーリスト」において、「ゴトブ」の連中の爪先で踊る技術からぬけ出られなかったと同時に、このプリマドンナ・ソロイストの個人主義を清算しきれなかった。第三幕目大詰は、ソヴェトの生産の拡大、社会主義の前進、ウラー! ソヴェト市民の日常は一九二九年末、新しい光りで照らされている。それに対する鼓舞の熱い燃え輝く力で観衆を一かたまりに高揚すべき大切な場面だった。それにもかかわらず彼等はそれをどう表現したか? 必要とは全然逆に表現した。――彼等は考えた。大詰だ。ここで、えーと、誰と誰、誰を踊らしてやらなければなるまい。だが、滝のザンザと落ちる前で銀色のヴェールをふって、水の精が踊り、数人の火の精がとびはねるだけのこととなった。自然の可能性を人間の幸福に役立てようとする巨大な意志と計画とその実現であるソヴェト五ヵ年計画とその完成に向って捧げられているソヴェト大衆の団結した努力、意志は、大詰の舞台では表現されず花形舞踊手一人の手でふりまわすヴェールの幅だけに萎縮されてしまった。

現代のソヴェトに於て筋肉たくましい二百人の青年が、スポーツ・シャツと股引といういでたちで、徒いたずらに台の上に並んで腕組みをしたまま、勝手に跳ねる石油や石炭を傍観しているというような情景は、全く観客の共感をよびおこさない。むしろ腹立たしく思わせる。

我々の一列前に、大毎のモスクワ特派員が来ていた。幕間に、わたしたちに向って、

――どうです?

ときいた。

――さあ。

――なかなかよく踊りますね。

そして、クリーゲル一行七人かが、最近日本へ出かけることに略ほぼ確定したと云った。歌舞伎がモスクワへ来たおかえしみたいな意味なのだそうだ。

――クリーゲルは何しろ「人民芸術家ナロードヌイ・アルチスト」だからきっといいでしょう。

わたしは、日本の大衆がソヴェトからの芸術として待ってるものは、ただ「よく解る」ということや称号ではないと信じる。

クリーゲルが行って、七円も八円も切符代のする帝劇かどっかの舞台で古典的なバレーの型を演じることと、二百万の失業者をふくむ日本のプロレタリアートとの間に、どんなつながりがあるであろうか。

(後で、この計画は中止された。理由はよくわからない。しかし、クリーゲルの芸術が古典的すぎることも再吟味されたらしい話であった。)

メイエルホリド劇場の三晩

1

ソヴェト・ロシアの劇団で、モスクワ芸術座の次に、世界にひろく知られているのはメイエルホリド劇場だ。

日本でも、「吼えろリチ! 支那キタイ」「Dデー・Eエー」などはメイエルホリド劇場の模写が上演された。

「吼えろ! 支那」は、なかなか宣伝的効果があった。中国を植民地化している帝国主義の国の権力と、中国の勤労人民の姿がよくわかるばかりでなく、メイエルホリドの若い俳優たちは、アメリカ人、イギリス人の真似がうまい。言葉の調子にしろ、身振りの癖にしろうまい。もとから紹介されてる人体力学ビオメカニズムとともに、これは確にメイエルホリド劇場の特徴の一つだ。

「吼えろ! 支那」だって、帝国主義国の海軍士官たちが真に迫っていて、思わず中国のプロレタリアートと一緒にその横暴ぶりを憤慨してしまった。

メイエルホリド劇場は、一体に研究心がつよい。革命直後、メイエルホリドが南露からモスクワへ帰って来て、教育人民委員会の演劇部議長になってから段々今日までやって来た仕事ぶりを見て、それはハッキリ云える。

ソヴェトの劇団を揺すぶりかえした有名なゴーゴリの「検察官」の全然新しい演出。失敗に終った「知慧の悲しみ」の同じような試み。ただ物ずきでメイエルホリドはそれ等をやったのではなかった。十九世紀の「検察官」の記念碑的内容を、ソヴェトの音で、ソヴェトの形で、社会主義建設にたずさわるソヴェト・プロレタリアートの社会的自己批判にたたきつけようとしたものだ。

実際、メイエルホリドの「検察官」をはじめて観るといい加減びっくりする。最後の幕切れに、昔からの「一同仰天」の型で一応きまる。がメイエルホリドはそこで幕にしない。つづけて直ぐ市長が発狂する。ピーピーつづけざま呼笛が鳴る。狭窄衣がとび出す。赤いプラカートがスルスルと舞台一杯におりて来て、舞台からとびおりて俳優が観客席の間を右往左往、小鬼みたいに叫びながら馳けずりまわり、パッとそれが消え、再び舞台が明るくなったと思うと、映画のフラッシュ・バックの手法で、そこにもとのまんま「一同仰天」の型で何とも云えずかたく人形ぶりで凝固した例の市長夫人、郵便局長以下の面々がいる。

オヤ、本物かしらん? それにしては早がわりすぎる。何だかへんだ。――人形だ。とわかった瞬間、舞台は真暗になって、見物の心には、焔で引っかきまわしたような、

検察官が来た! 検察官が来た!

ピーッ! ピーッ!

という印象と、仰天したまんま人形にまでかたまってしまった市長夫婦以下、郵便局長なんかの姿が、頭痛のする程強烈な感銘でのこされる。

検察官が来た! 社会主義の検察官がやって来た! ピーッ! ピーッ! そして、そういう検察官の到着にびっくりして固まっちまう種類の人間群が、階級として、典型として人形にまですっかり固定されたことを感じるのだ。

「検察官」の大詰におけるほど印象的で強烈な大詰を、メイエルホリドは、ほかのどの脚本にもそう度々は繰りかえしていない。

「検察官レビゾール」では、本舞台の上へ後へ行くほど高くて幅の狭ばまった、扇形の斜面置舞台がつくられている。その病的に、薄暗く、しかしつよい照明に照し出された狭い置舞台の上を、華美な着付でうごくことでフレスタコフと市長夫人、娘の恋愛的情景に非常に圧縮された濃い深い雰囲気を出した点、メイエルホリド一流の好みで、ロイド眼鏡をかけたフレスタコフが、ゆきつ戻りつ、ステッキをふって市長宅へ出かける場面で、大胆至極な赤銅ばりの柵で舞台を横断させ、動く人間を一本の強い線の左右にキッチリ統一させた手際、平凡ではない。だが、大詰の場面にパッと本物、次には全く本ものかと思うような、しかし人間で結んだところは奇抜で、メイエルホリドが、写真で見ても一風かわった風貌をもっている所以がうなずけるようだ。

動かない人形。つめたい人形。そういうものがもっている劇的効果を大がかりに、而も百パーセントの技術でつかったのはメイエルホリド一人だ。(日本のおかめの面はエイゼンシュテインによって映画「十月オクチャーブリ」の中で極めてイデオロギー的に利用されているが)

それにしても、「検察官」の舞台に漂ったメイエルホリドの、底なしのデカダンスの肉感と、オストロフスキーの「森」の舞台の牧歌的朗らかな恋愛表現、哄笑的ナンセンスとの対照。又「Dデー・Eエー」の黒漆でぬたくったような暗い激しい圧力と「吼えろ! 支那」の切り石のような迫力との対照は、メイエルホリドがひととおりの才人でないことを知らされる。

「お目出度い亭主」は粉挽小舎だが、小舎のうしろの二つの風車は、粉をひくためばかりに廻っているのではない。舞台の上の劇的感情の高揚につれ、赤い大きい風車はグルリと舞台の上でまわり出し、遺憾なく波だつ感情の動的な、視覚的表現の役に立てられている。――

メイエルホリドは昔、モスクワ芸術座にいたことがあった。そこを出て、一九〇〇年代がはじまったばかり――ゴーリキーがそろそろ小説家として働きはじめる頃のロシアのどこかを放浪していた時分、まだチェホフが生きていた。チェホフもメイエルホリドの才能は感じていたと見える。誰かにあてた手紙の中に、チェホフらしい内輪な云いぶりで「彼の本当の道を発見させてやりたい」と書いた。

われわれにとって意味ふかく考えられるのは、このチェホフのこの単純に云われているが重大な言葉が、今日のメイエルホリドにとっても、まだ決定的に答えられていない点だ。

同じ頃モスクワ芸術座にいたスタニスラフスキー、メイエルホリドより年もずっと上だが、モスクワ芸術座のリアリズムを確立させ、しかも「装甲列車」などでは着実な発展の可能を示していた。ソヴェト同盟の「人民芸術家」としてもう完成された演出家である。現在のスタニスラフスキーに動揺する要素や未知を感じてこの先彼がどうなろうかと、心配したりする者はソヴェトの観衆の中にまあないだろう。

メイエルホリドも、「人民芸術家ナロードヌイ・アルチスト」だ。ソヴェト同盟から、革命前及革命後の彼の演劇に対する探究的な努力に対して、その最高の称号を与えられた。が、メイエルホリドの場合では、この称号が彼の才能を一定の場所に繋ぎとめるどんな材料ともなっていない。

メイエルホリドの天分の豊かなこと。それはソヴェトの観衆が十分知りぬいているどころか、世界に知られている事実。常に研究的で、新しい試みに対して大胆であること。それも、例えば一九二一年から二八、九年までの仕事ぶりを見れば分る。メイエルホリドの特徴はこの点に集約されていると云える。

ところで、まだ誰にも、ハッキリ分らないことが一つある。それはソヴェトの五ヵ年計画と――刻々に前進する社会主義の社会の現実とメイエルホリドが独特性としている芸術理解の特色=極端な様式化と構成派風な偏奇さ、誇張、一種の病的さなどが労働と互にどういう関係において発展してゆくかという問題だ。

生産拡張の五ヵ年計画は、ソヴェト生産を十倍、六十倍という凄い率で増加させるとともに、工業では生産の九二パーセントを、農業では六五パーセントを社会化する。これは社会生活全線の社会主義的前進を意味する。五ヵ年計画がはじまって、第二年目の一九三〇年にはソヴェトの生産と文学との関係が、「十月」以来どの時期にもなかった程緊密になった。

生産に従事するソヴェト労働者、農民、一般勤労者の文化水準はめきめき盛りあがって来て、生産の実践から、唯物弁証法的創作方法が、一般芸術の方法とされて来た。

メイエルホリドは、彼の「劇場の再建設」といういくつかの演説をあつめたパンフレットの中で、熱心に、再建設期のソヴェト劇場の任務について云っている。

「劇場には、新しい任務がある。

劇場は上演を通して観衆の、オブローモフ主義、色情狂、悲観主義に対して闘おうとする意志を強める役に立つような仕事をやらなければならない。」

ソヴェトは劇場の数でベルリンやニューヨークより劣っているとしても、観衆の質は全然違う。ソヴェトの観衆、特に若い観衆は、クラブの芸術教育によって、未来の発展を見とおす階級の武器としての演劇に対して意識的な要求をもっている。

社会主義の社会を建設しつつある人民のものとしての演劇は、上演に一貫した現実の生活感情に共感を与える感銘を要求する。観客は、何のためにこの劇が演ぜられ、自分の心にどう感じられたかということを、はっきりとらえようと欲している。つまりほんとに自分たちのものとして観るためにこれを上演している舞台監督と俳優とは何を云い表わそうとしているかということを追求する。

舞台監督と俳優とは舞台の上で自分たちと一緒に行動し、考え、問題を提出し、それをときほごし批判し、論議するものとして観衆から期待されている。そして、それが芝居であるからには、舞台そのものが観衆の感情に、心持にぴったりと作用することを求めている。

メイエルホリドはこの歴史的意義のあるソヴェトの社会主義への再建設期において、ソヴェトの人民大衆を観衆とする芝居がこの二つの方面で成功するために「舞台の美」が再吟味されなければならないことを力説している。

「舞台から美を追っ払え!」というローズング〔スローガン〕がソヴェトには久しい前からある。ブルジョア演劇の、必要以上にでかでかと金をかける舞台装置や女優の衣裳への堕落した習慣に反対して云われた言葉だ。メイエルホリドも、旧いブルジョア風の、美観は、彼の明暗のきつい構成派の舞台の上から、追っぱらって来た。

「Dデー・Eエー」「森」「お目出度い亭主」のそれぞれ成功したメイエルホリドの舞台にどんな仕掛けがあったろう。どんな豪華な衣裳があったろう?「Dデー・Eエー」には茶色の木の塀と、幾枚かの木の衝立があっただけだった。登場人物は白と黒との統一であった。「森」の舞台には、ひとすじの思い切って長く美しい線をもった木橋と、小っぽけな木にペンキを塗った門とブリキ茶罐。バラン、バランとひどい音を立てて鳴らされたブリキ板、一つのブランコがあっただけだ。銀鼠色の木綿服を着た若いアクスーシャとピョートルは、流れる手風琴ガルモシュカの音につれて、そのブランコを揺りながら、今にも目にのこる鮮やかで朗らかな愛の場面を演じた。

第二芸術座、ワフタンゴフ劇場、カーメルヌイ劇場、諷刺劇場は、舞台を飾ることそのもののための飾りずき、衣裳のための衣裳ずきで、一度ならず行きすぎてきた。メイエルホリド劇場ではあるとき舞台装置にこりすぎる位で殆どそういう浪費の経験はなかった。

今、「舞台の美」の再吟味で、メイエルホリドは、彼の最初からの宣言を撤回していない。装置は、劇的表現の構成部分として必要以上の扱いを受けるべきではないという。メイエルホリドは、ソヴェト演劇の舞台は、がっしりよく組たてられた自動車、フォードが持つ美を、もたなければならないと、云っている。

この点について、非常に微妙な一つの面白い観察が下される。

成程自動車は、実用の美をもっている。全体の構成の上に不必要な、どんなネジも持っていないし、あまったどんな偶然のデッパリもない。どの部分も、自動車が自動車としてあるために必要なものだ。だが、メイエルホリド君! 君は、自動車消費者の立場で、それを眺め、ボディーの美しさを味い、このみの色にエナメルする者の立場で、自動車の美について云っているのか、または、エンジンの発達を先ず根本におく自動車製作者の立場でその美をつかみ理解しているのか?

五ヵ年計画とともにプロレタリア芸術が獲得しつつある唯物弁証法的な、リアリズムとメイエルホリドのややこけおどしの気味がなくもない様式化、そこにあるエクゾチシズムや誇張性とはどういう関係で発展するものだろうか。現代のソヴェト大衆が実感している文化の生活的な現実性と、その演劇的な表現者であり、鼓舞者であるべきメイエルホリド劇場のもっている特色とは、どういう関係をもっているものだろうか。メイエルホリドの「本当の道」がまだはっきりきまらないという理由は、ここにある。

2

「南京虫」

「風呂」   マヤコフスキー作

この二つはメイエルホリドが、一九二八年・三〇年のシーズンにつづけて上演した、最初の、五ヵ年計画に関係をもつ脚本だ。

「南京虫」は、現在のソヴェト生活に、決して珍らしい虫ではない。南京虫と同様に、飲酒、喫煙、官僚主義、恋愛からの自殺も、決して珍しいものじゃない。

「南京虫」の第二部は、五十年後のソヴェト社会の場面である。前時代の遺物として南京虫が、たった一匹標本的に棲息をつづけている。舞台へ、つくりものの巨大な南京虫があらわれる。

官僚主義者なんかも五ヵ年計画後のソヴェト社会には見たくてももういない。やっと一人、第一部からの中心人物である、プリスィプキンが、その見本に、博物学教室で飼われている。

五十年後のソヴェト社会では、重大事件がすべてラジオで投票決議されるということになっている。清潔な社会主義社会にとって有毒な官僚主義、俗人趣味のバチルスとしてのプリスィプキンは仮死状態で発見されたがそれをどう処理するか。やっぱり全СССРエスエスエスエルのラジオの決議で活きかえらすことになり、珍動物として厳重な檻の中で試育され、マスクをかけた一九七九年代の社会主義教授が男女学生に官僚主義という珍しい習性について説明してやるという筋だ。

五幕九場のこの喜劇は、ソヴェトが、五ヵ年計画のはじまり、実際大仕掛に官僚主義撲滅と、労働の規律のためにアルコーリズム反対をやった時代に「左翼戦線」の詩人マヤコフスキーによって書かれたものだ。

メイエルホリドは、彼の「再建設期のソヴェト劇場の任務」を、この左派同伴者パプツチキ詩人の作品で、どんな工合に実現して行ったろうか?

主題は、たしかにソヴェト大衆がその労働でそれとたたかって来た官僚主義との闘争だし、メイエルホリドの演出も、喜劇的な誇張に反撥しなければ幕から幕へ観てゆくに退屈はしない。

だが、一九七九年代のソヴェトにおける社会主義の社会生活の内容というものは、ラジオによる全同盟の決議という空想からはじまって、どれもこれもひどく架空的な印象を与える。つまり、五〇年後のソヴェト社会のものとして現わされている批判が、一九二九年代の現実性から発展した事実としての必然性、具体性を一向もっていない。機械的に、一九二九年の現実の否定な面に対する否定だけが示されている感じだ。ソヴェトの一九二九年は南京虫と官僚主義だけで代表されてもいない。

まして、ソヴェトの勤労人民の誰が、五ヵ年計画を十度やったあとの社会には、一匹の南京虫と一人官僚主義的俗人が、博物学の標本としてのこるような世の中に成ると思っているだろう!(帝国主義諸国が地球の大部分をしめて、その利害を必死に守ろうとしているとき。)

メイエルホリドは、作者マヤコフスキーといっしょに一九七九年の社会主義社会の文化を示そうとして、いろんな機械を舞台の上へもち出して来る。それにも、実感がない。社会主義の社会に生きる人民が機械ずきなのだけは分る。然し、ほんとに、進歩したプロレタリアートが、生産・生活ときっちりむすびついたものとして、科学的な用具としてわがものにした機械らしい活々として真実性のある表現はなされていない。それらからはオモチャとしての、物ずきとしての機械が、先ず感じられるのだ。その意味では現在の機械化の逆諷刺の結果さえふくんでいる。

「風呂ワンナ」で、マヤコフスキーは、労働者青年の中からのソヴェト・エジソンの出現、小市民趣味と盲目的な外国、資本主義国崇拝の排撃、最後に社会主義の勝利、社会主義の「風呂」で、はじめて人間がきれいにされるということを主張した。

メイエルホリドは、この六幕の戯曲を、特色のある廻り舞台と、人体力学ビオメカニズムとで演出している。

一九三〇年は、あっちこっちの劇場で、廻り舞台を応用した年だった。日本の歌舞伎が一九二八年にソヴェトに来た影響とも思える。メイエルホリドは「風呂」で舞台に一定の直径をもつ円い切り目を入れた。中心部は動かない。そのまわりの相当ひろい輪が、いろんな場面をのせて、グルリとまわる。或るところでその輪は、急速力で一回転二回転して、メイエルホリドらしい、群集の心理激動の描写をやる。

仕事着を着たチュダコフ(プロレタリア大発明家)と数人のその仲間の動作は、常に綜合的にリズミカルに統一され、チュダコフの発明した何かの機械は、舞台の上へは形を現わさない。発明家とその同志が、手を組み合せ、大事に、重そうに、やっこらと物を運ぶしぐさでだけ暗示的に表明される。

大詰は、社会主義国の首府から迎えの飛行機がやって来る。飛行機は、未来のアメリカの屋上着陸所みたいな高い高いところで止っているのだそうで、見物席からは見えない。銀と赤の飛行服をつけて上空からやって来た、中央からの婦人使節スワーボダに率いられて、チュダコフ一隊はその飛行機に向って、舞台中央に組み立てられたヤグラを一段一段と高くよじのぼってゆく。くっついて社会主義首府へのりこもうとした俗人、反社会主義的人間は、ひどい爆音がして煙が立ったと見ると何か科学の力できれいにヤグラから舞台の下へ落っことされている。あれよあれよという間に、社会主義の首府に向って、飛行機は飛び去り、芝居は終るというわけである。

マヤコフスキーの科学力に対する翹望と愛好は「風呂」で一層率直に示されてる。実際ソヴェト科学の発展は、社会主義生産の建設事業に何より必要なものだ。耕作用トラクターからはじまって、飛行機は勿論、どこかに成長しつつある同志、チュダコフの強力な発明の可能性に至るまで、一九三〇年代の自覚ある全プロレタリアートの関心事であることに間違いない。

現在ソヴェトはアメリカから、イギリスから機械を買っている。革命的プロレタリアートは知ってる。ソヴェトは、社会主義生産の技術を高めて、やがて、一台のトラクターも外国から買い込まないようにするために、今暫く、国営農場「ギガント」に、アメリカ人技師の指導をうけているのだと。

「風呂」で、マヤコフスキーは大胆に、ソヴェトの建設事業に非同情的な外国人と、いい布地の外套を着た外国人とさえ見ればペコつく対外文化連絡協会案内人の卑屈さを、漫画化してやっつけている。

マヤコフスキーが、ソヴェトを愛し、その発達を熱望し、それを自分の戯曲の中で目の前に見るように描きたがった心持。彼の所謂、「よく丈夫に組立てられたフォードの美」をその演出で把握しようとしたメイエルホリドの意志。どっちも理解出来る。二人は自分たちの才能を、五ヵ年計画遂行というソヴェトの歴史的情勢において試みている。

然し、残念ながら、そのいずれもが成功したとは云えない。作者と演出者とは腕を組んで、またここでも架空で観念的な社会主義と科学の空想の中へ辷りこんでしまった。

ほんとに職場で、鎚を振い、トラクターを運転して自分たちの体と心で社会主義建設に努力しているソヴェトの勤労者たちにとって、この芝居はどこやら擽くすぐったく、余り空想的で今日の現実と結ばれた実体がなくて、主題は現実的な力を欠いているとしか感じられない。全く、机の上で想像した作品だし、観念で模型的に演出された芝居だ。舞台から溢れて観客に燃えうつってゆく熱い焔――メイエルホリド自身が最も重大な演劇的要素としている「感情のつかみ」は、完全に失敗した。

「南京虫」を観たのは、丁度マヤコフスキーが自殺した数日後だった。

わたしは告別式のとき、全露作家団体協議会クラブの広間に据えられた棺の中に横わっているマヤコフスキーを見た。顎骨のつよくはった彼の顔、体を包んでいる赤い旗、胸の上におかれているバラの花。それ等は写真にとられ、ソヴェト文学史の第何頁かにのこるだろう。静粛にしかし門外にまでつづいている告別の群集に混って列になって棺の足許を通りすぎながら、わたしは思いがけないものを見た。

マヤコフスキーの靴をはいた足の先が偶然赤い旗からニュッとこちらを向いて突き出していた。ごくあたり前の黒鞣の半編上げだ。この靴にたった一つ、あたり前でないものがある。それは、その大きい平凡なソヴェト靴の裏にうちつけてある鉄の鋲だ。

ヘリをとめるに、鋲は普通靴の踵にうたれるものだ。マヤコフスキーの屍のはいている靴には、鋲が、爪先の真先にガッチリうちこまれ、それも減ってつるつるに光っている。

煌々たる広間の電燈は、自身それに追いつきかねながらも最後までソヴェト権力と社会主義の勝利を信頼して自殺した詩人マヤコフスキーの体を覆う赤旗をくっきり照らしている。同時に、そのはきへらした靴の爪先の小さい二つの鋲をもキラキラ照らしている。彼の生涯を表象しているようなこの小さい二つの鋲の意味に数千人の哀悼者の内何人が心をとめて見ただろう。

いつだったか古いことだ。何かで、下駄の前歯が減るうちは、真の使い手になれぬと剣道の達人が自身を戒めている言葉をよんだ。

マヤコフスキーの靴の爪先にうたれた鋲は、彼の先へ! 先へ! 常に前進するソヴェト社会の更に最前線へ出ようと努力していた彼の一生を、実に正直に語っている。

彼はそこから自分を解放することに成功しなかった個性的才能の型に圧しつぶされて自殺しながら、自分をのりこえ、階級の芸術家としての自分を生きこして邁進するソヴェト文化の勝利に向って万歳を叫んだだろう。わたしはそう感じた。

だから、「南京虫」にある彼の観念的な破綻にしろ、わたしに軽蔑を感じさせるより先に、ソヴェト社会の発展の足どりの猛烈なテンポを痛感させた。

作者マヤコフスキーにとって「南京虫」や「風呂」は芸術家としての飛躍の最後の句読点ピリオードだった。けれども、演出者メイエルホリドにとっては、五ヵ年計画とともに前進すべき仕事の第一歩のふみだしだ。

これから、彼が並々でない才能を現実に向ってどう立てなおし、真実のプロレタリア演劇として必要な現実性を把握してゆくか。機械、科学、生産を、彼の云う「フォードの美」をどうプロレタリアの建設的実状の中から掴みなおすか。ここに大きい未知数がある。

マヤコフスキーの作品と前後して、プロレタリア詩人ベズィメンスキーの「射撃ウィストレル」がメイエルホリド劇場で上演された。

ソヴェトの五ヵ年計画の実現につれて、工場の労働者の間に、生産能率増進のウダールニクが組織された。共産青年コムソモール男女を中心として、党員でない積極的分子が自発的にあつまった。

生産の現場で、こういうウダールニクが社会主義建設のために行った階級的なたたかいは、五ヵ年計画ときりはなせない歴史的事実だ。ベズィメンスキーは或る電車製作工場内で、組織されたばかりのウダールニクが経験した闘争、犠牲、勝利を、詩劇にした。

この演出をやったのは、メイエルホリド自身ではない。ザイチコフ、コジコフ、その他二三人の共同だ。

いつものメイエルホリド自身の演出から見ると、ずっとリアリスティックで、荒けずりの重さがあり、革命劇場と似た舞台の印象だった。詩劇だから、科白は詩だが、この「射撃」に出演したメイエルホリド劇場の若手の俳優たちが、モスクワ芸術座の俳優のように鮮明な発音で朗読法をこなすまでには、大分時間がかかるという感じだった。

詩劇として、ベズィメンスキーのこの制作は、ソヴェトのプロレタリア文学の問題として各方面で問題にされた。

マヤコフスキーとは別な意味で、社会的現象のつかみかたが弁証法的でない、という点が論議の中心であった。衝撃隊員は一人のこさずソヴェト式の善玉。妨害分子は一人のこさず悪玉ぞろい。その二つの型の間に、機械的なマルクシズム応用の対立があるだけで、真のボルシェビキらしい具体的な悪玉への働きかけや、職場の動揺している労働者へのよびかけ、親切な導きが一つも扱われていない。職場の現実は、決してそういうものではないというのだ。

この批判は、当っている。

しかし、「射撃」は少くとも、ウダールニクを中心として扱った最初の作品だった。メイエルホリド劇場が、五ヵ年計画によって新しく生れた社会現象を現実的な主題で上演した、第一のものでもあった。

メイエルホリド劇場の観客席は粗末な板ばりの椅子だ。脚へぐっと一本の棒を通して、十脚ぐらいずつ動かないようにしてある。その六列目にかけて見物していたら、幕間に――と云っても、メイエルホリド劇場にはするすると下りて来るカーテン幕はないから、つまり舞台から俳優が引っこんで、電車製作工場内部を示す構成だけ舞台の上にのこったとき、作者ベズィメンスキーが挨拶に出た。

大きいおでこだ。手の指が細くしなしなしていて、受け口だ。鼠色フランネルのカラーに背広を着て、ベズィメンスキーが出て来た。そして次のような挨拶をのべた。

今日は(一九三〇年三月十日)『プラウダ』も『イズヴェスチア』も第一面に、ソヴェトの最も功労あるマルクシストの一人であり、レーニン研究所長をしている同志タワーリシチリャザーノフの光栄ある誕生第六十回記念日について書いている。われわれ、ソヴェトのプロレタリアート、生産と文化の建設に従事する労働者は、彼のような同時代人をもつことを、心からの悦びとする。幸、今夜は、この劇場の観客席で同志リャザーノフがわれわれの謙遜な努力、「射撃」の上演を見物していられる。この記念すべき機会に、どうか一言、同志リャザーノフに挨拶を願いたい。――

ベズィメンスキーは、詩の朗読でよくねれた柔軟な響く声で云い終って、舞台から下の観客席へ向って腰をかがめた。

拍手。拍手。見物は亢奮して拍手がやまない。後の観衆はリャザーノフを見ようとしてのびあがった。

ベズィメンスキーが体をかがめた見当は、わたしの座席から遠くない。気をつけて前に並んでいる肩の間から眺めると、後頭部に白髪がのこっている一つの禿げた頭がポーッと赫らんで、しずかに坐席の中へ沈みこんだ。リャザーノフは第三列目に来ていたのだ。

ベズィメンスキーは、なお二三度、体をかがめて、舞台の上へ誘ったが、リャザーノフは動かない。

あきらめて、ベズィメンスキーは手をあげ、まだやまぬ拍手を制して、自分の云いたいことを喋りだした。

この詩劇は、五ヵ年計画のごく初期、ウダールニクがモスクワにたった十三しか組織されていなかった時に書かれた歴史的な作品であること。欠点があるとすれば、主としてそういう客観的情勢が原因であること。そして、ロシア・プロレタリア作家同盟の機関紙『文学前衛』が十ヵ月もこの作品について沈黙を守っていたことを非難した。

ベズィメンスキーは、雄弁だ。ところが、自分の隣の席に、一人党員らしい若い女が、男の伴れと見物している。男はずっと年上で、黒いルバーシカ着て、金の腕時計をつけている。女の手を自分の手の中にもって、ベズィメンスキーが舞台の上から云っているこなど耳に入れず、女に囁いている。

――ね、一日おのばしよ。私があっちへは電報うってあげるから。――

――いいえ、駄目、不可能なの。

――お前一人じゃないじゃないか、何とかなるよ、ね、おのばしよ、一晩!

――駄目よ! 絶対に駄目!

舞台では、ベズィメンスキーが、まだ話している。不図前方を見たら、白髪を垂れたリャザーノフが、真白いハンケチをだして禿をふいていた。

汗かいたのだろうか……

わたしは思わず微笑した。〔一九三一年三、四月〕

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
1980(昭和55)年9月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
1952(昭和27)年12月発行
初出:「改造」
1931(昭和6)年3、4月号
※「――」で始まる会話部分は、底本では、折り返し以降も1字下げになっています。
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「ソヴェトの芝居」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第九巻』新日本出版社、1980年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002733_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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