Soranoha

怪談牡丹灯籠

かいだんぼたんどうろう

三遊亭 円朝

一

寛宝かんぽう三年の四月十一日、まだ東京を江戸と申しました頃、湯島天神ゆしまてんじんの社やしろにて聖徳太子しょうとくたいしの御祭礼ごさいれいを致しまして、その時大層参詣さんけいの人が出て群集雑沓ぐんじゅざっとうを極きわめました。こゝに本郷三丁目に藤村屋新兵衞ふじむらやしんべえという刀屋かたなやがございまして、その店先には良い代物しろものが列ならべてある所を、通りかゝりました一人のお侍は、年の頃二十一二とも覚おぼしく、色あくまでも白く、眉毛秀ひいで、目元きりゝっとして少し癇癪持かんしゃくもちと見え、鬢びんの毛をぐうっと吊り上げて結わせ、立派なお羽織に結構なお袴はかまを着け、雪駄せったを穿はいて前に立ち、背後うしろに浅葱あさぎの法被はっぴに梵天帯ぼんてんおびを締め、真鍮巻しんちゅうまきの木刀を差したる中間ちゅうげんが附添い、此の藤新ふじしんの店先へ立寄って腰を掛け、列ならべてある刀を眺めて。

侍「亭主や、其処そこの黒糸だか紺糸だか知れんが、あの黒い色の刀柄つかに南蛮鉄なんばんてつの鍔つばが附いた刀は誠に善よさそうな品だな、ちょっとお見せ」

亭「へい〱、こりゃお茶を差上げな、今日は天神の御祭礼で大層に人が出ましたから、定めし往来は埃ほこりで嘸さぞお困りあそばしましたろう」

と刀の塵ちりを払いつゝ、

亭「これは少々装飾こしらえが破やれて居りまする」

侍「成程少し破やれて居おるな」

亭「へい中身なかごは随分お用もちいになりまする、へいお差料さしりょうになされてもお間まに合いまする、お中身もお性しょうも慥たしかにお堅い品でございまして」

と云いながら、

亭「へい御覧遊ばしませ」

と差出さしだすを、侍は手に取って見ましたが、旧時まえにはよくお侍様が刀を買めす時は、刀屋の店先で引抜ひきぬいて見て入らっしゃいましたが、あれは危あぶないことで、若もしお侍が気でも違いまして抜身ぬきみを振𢌞ふりまわされたら、本当に危険けんのんではありませんか。今此のお侍も本当に刀を鑒みるお方ですから、先まず中身なかごの反そり工合ぐあいから焼曇おちの有り無しより、差表さしおもて差裏さしうら、鋩尖ぼうしさき何や彼かや吟味致しまするは、流石さすがにお旗下はたもとの殿様の事ゆえ、通常なみ〱の者とは違います。

侍「とんだ良さそうな物、拙者せっしゃの鑑定かんていする処ところでは備前物びぜんもののように思われるが何どうじゃな」

亭「へい良いお鑑定めきゝで入いらっしゃいまするな、恐入りました、仰おおせの通り私共わたくしども仲間の者も天正助定てんしょうすけさだであろうとの評判でございますが、惜おしい事には何分無銘むめいにて残念でございます」

侍「御亭主やこれはどの位するな」

亭「へい、有難う存じます、お掛値かけねは申上げませんが、只今も申します通り銘さえございますれば多分の価値ねうちもございますが、無銘の所で金きん拾枚でございます」

侍「なに拾両とか、些ちっと高いようだな、七枚半には負まからんかえ」

亭「どう致しまして何分それでは損が参りましてへい、なか〱もちましてへい」

と頻しきりに侍と亭主と刀の値段の掛引かけひきをいたして居りますと、背後うしろの方かたで通り掛かゝりの酔漢よっぱらいが、此の侍の中間ちゅうげんを捕とらえて、

「やい何をしやアがる」

と云いながらひょろ〱と踉よろけてハタと臀餅しりもちを搗つき、漸ようやく起き上あがって額ひたいで睨にらみ、いきなり拳骨げんこつを振ふるい丁々ちょう〱と打たれて、中間は酒の科とがと堪忍かんにんして逆らわず、大地に手を突き首こうべを下げて、頻しきりに詫わびても、酔漢よっぱらいは耳にも懸けず猛たけり狂って、尚なおも中間をなぐり居おるを、侍はト見れば家来の藤助だから驚きまして、酔漢に対むかい会釈えしゃくをなし、

侍「何を家来めが無調法ぶちょうほうを致しましたか存じませんが、当人に成り代かわり私わたくしがお詫わび申上げます、何卒なにとぞ御勘弁を」

酔「なに此奴こいつは其の方の家来だと、怪けしからん無礼な奴、武士の供をするなら主人の側に小さくなって居おるが当然、然しかるに何なんだ天水桶てんすいおけから三尺も往来へ出しゃばり、通行の妨さまたげをして拙者を衝つき当あたらせたから、止やむを得ず打擲ちょうちゃくいたした」

侍「何も弁わきまえぬものでございますれば偏ひとえに御勘弁を、手前成り代ってお詫を申上げます」

酔「今この所で手前がよろけた処とこをトーンと衝つき当ったから、犬でもあるかと思えば此の下郎げろうめが居て、地べたへ膝を突かせ、見なさる通りこれ此の様に衣類を泥だらけにいたした、無礼な奴だから打擲ちょうちゃく致したが如何いかゞ致した、拙者せっしゃの存分に致すから此処こゝへお出しなさい」

侍「此の通り何も訳の解わからん者、犬同様のものでございますから、何卒なにとぞ御勘弁下されませ」

酔「こりゃ面白い、初めて承うけたまわった、侍が犬の供を召連めしつれて歩くという法はあるまい、犬同様のものなら手前申受もうしうけて帰り、番木鼈まちんでも喰わして遣やろう、何程なにほど詫びても料簡は成りません、これ家来の無調法を主人が詫わぶるならば、大地だいじへ両手を突き、重々じゅう〲恐れ入ったと首こうべを地つちに叩き着けて詫わびをするこそ然しかるべきに、何なんだ片手に刀の鯉口こいぐちを切っていながら詫をする抔などとは侍の法にあるまい、何だ手前は拙者を斬る気か」

侍「いや是は手前が此の刀屋で買取ろうと存じまして只今中身なかごを鑒みて居ました処ところへ此の騒ぎに取敢とりあえず罷出まかりでましたので」

酔「エーイそれは買うとも買わんとも貴方あなたの御勝手ごかってじゃ」

と罵のゝしるを侍は頻しきりにその酔狂すいきょうを宥なだめて居いると、往来の人々は

「そりゃ喧嘩だ危あぶないぞ」

「なに喧嘩だとえ」

「おゝサ対手あいては侍だ、それは危険けんのんだな」

と云うを又一人が

「なんでげすねえ」

「左様さ、刀を買うとか買わないとかの間違だそうです、彼あの酔よっぱらっている侍が初め刀に価ねを附けたが、高くて買われないで居いる処ところへ、此方こちらの若い侍が又その刀に価を附けた処から酔漢よっぱらいは怒おこり出し、己おれの買おうとしたものを己に無沙汰ぶさたで価を附けたとか何とかの間違いらしい」

と云えば又一人が、

「なにサ左様そうじゃアありませんよ、あれは犬の間違いだアね、己の家うちの犬に番木鼈まちんを喰わせたから、その代りの犬を渡せ、また番木鼈を喰わせて殺そうとかいうのですが、犬の間違いは昔からよくありますよ、白井權八しらいごんぱちなども矢張やっぱり犬の喧嘩からあんな騒動に成ったのですからねえ」

と云えば又傍そばに居る人が

「ナニサそんな訳じゃアない、あの二人は叔父おじ甥おいの間柄で、あの真赤まっかに酔払よっぱらって居るのは叔父さんで、若い綺麗な人が甥だそうだ、甥が叔父に小遣銭こづかいせんを呉れないと云う処からの喧嘩だ」

と云えば、又側にいる人は

「ナーニあれは巾着切きんちゃくきりだ」

などと往来の人々は口に任せて種々いろ〱の評判を致している中うちに、一人の男が申しますは

「あの酔漢よっぱらいは丸山本妙寺まるやまほんみょうじ中屋敷に住む人で、元は小出こいで様の御家来であったが、身持みもちが悪く、酒色しゅしょくに耽ふけり、折々おり〱は抜刀すっぱぬきなどして人を威おどかし乱暴を働いて市中しちゅうを横行おうぎょうし、或時あるときは料理屋へ上あがり込み、十分酒肴さけさかなに腹を肥ふとらし勘定は本妙寺中屋敷へ取りに来いと、横柄おうへいに喰倒くいたおし飲倒のみたおして歩く黒川孝藏くろかわこうぞうという悪侍わるざむらいですから、年の若い方の人は見込まれて結局つまり酒でも買わせられるのでしょうよ」

「左様そうですか、並大抵なみたいていのものなら斬ってしまいますが、あの若い方はどうも病身のようだから斬れまいねえ」

「ナニあれは剣術を知らないのだろう、侍が剣術を知らなければ腰抜けだ」

などとさゝやく言葉がちら〱若い侍の耳に入るから、グッと込み上げ、癇癖かんぺきに障さわり、満面まんめん朱しゅを注いだる如くになり、額に青筋を顕あらわし、きっと詰め寄り、

侍「是程までにお詫びを申しても御勘弁なさりませぬか」

酔「くどい、見れば立派なお侍、御直参ごじきさんか何いずれの御藩中ごはんちゅうかは知らないが尾羽おは打枯うちからした浪人と侮あなどり失礼至極、愈々いよ〱勘弁がならなければどうする」

と云いさま、ガアッと痰たんを彼かの若侍の顔に唾はき付けました故、流石さすがに勘弁強い若侍も、今は早はや怒気どき一度に面かおに顕あらわれ、

侍「汝おのれ下手したでに出れば附上つけあがり、ます〱募つのる罵詈暴行ばりぼうこう、武士たるものゝ面上めんじょうに痰を唾き付けるとは不届ふとゞきな奴、勘弁が出来なければ斯こうする」

といいながら今刀屋で見ていた備前物の刀柄つかに手が掛るが早いか、スラリと引抜ひきぬき、酔漢よっぱらいの鼻の先へぴかりと出したから、見物は驚き慌あわて、弱そうな男だからまだ引抜ひっこぬきはしまいと思ったに、ぴか〱といったから、ほら抜いたと木この葉の風に遇あったように四方八方にばら〱と散乱し、町々の木戸を閉じ、路地を締め切り、商人あきんどは皆戸を締める騒ぎにて町中まちなかはひっそりとなりましたが、藤新の亭主一人は逃場にげばを失い、つくねんとして店頭みせさきに坐って居りました。さて黒川孝藏は酔払よっぱらっては居りますれども、生酔なまえい本性ほんしょう違たがわずにて、彼かの若侍の剣幕けんまくに恐れをなし、よろめきながら二十歩ばかり逃げ出すを、侍はおのれ卑怯ひきょうなり、口程でもない奴、武士が相手に背後うしろを見せるとは天下の耻辱になる奴、還かえせ〱と、雪駄穿せったばきにて跡を追い掛ければ、孝藏は最早かなわじと思いまして、踉よろめく足を踏みしめて、一刀とうのやれ柄づかに手を掛けて此方こなたを振り向く処を、若侍は得たりと踏込みざま、えイと一声ひとこえ肩先を深くプッツリと切込む、斬られて孝藏はアッと叫び片膝を突く処をのしかゝり、エイと左の肩より胸元へ切付きりつけましたから、斜はすに三つに切られて何だか亀井戸かめいどの葛餅くずもちのように成ってしまいました。若侍は直すぐと立派に止とゞめを刺して、血刀ちがたなを振ふるいながら藤新の店頭みせさきへ立帰たちかえりましたが、本もとより斬殺きりころす料簡でございましたから、些ちっとも動ずる気色もなく、我が下郎に向い、

侍「これ藤助、その天水桶てんすいおけの水を此の刀にかけろ」

と言いつければ、最前さいぜんより慄ふるえて居りました藤助は、

藤「へいとんでもない事になりました、若もし此の事から大殿様のお名前でも出ますようの事がございましては相済みません、元は皆みんな私わたくしから始まった事、どう致して宜よろしゅうございましょう」

と半分は死人の顔。

侍「いや左様さように心配するには及ばぬ、市中を騒がす乱暴人、切捨きりすてゝも苦しくない奴だ、心配するな」

と下郎を慰めながら泰然として、呆気あっけに取られたる藤新の亭主を呼び、

侍「こりゃ御亭主や、此の刀はこれ程切れようとも思いませんだったが、なか〱斬れますな、余程能よく斬れる」

といえば亭主は慄ふるえながら、

亭「いや貴方様あなたさまのお手が冴さえているからでございます」

侍「いや〱全く刃物がよい、どうじゃな、七両二分に負けても宜よかろうな」

と云えば藤新は係合かゝりあいを恐れ、

「宜しゅうございます」

侍「いやお前の店には決して迷惑は掛けません、兎に角此の事を直すぐに自身番に届けなければならん、名刺なふだを書くから一寸ちょっと硯箱すゞりばこを貸して呉れろ」

と云われても、亭主は己おのれの傍そばに硯箱のあるのも眼に入いらず、慄ふるえ声ごえにて、

「小僧や硯箱を持って来い」

と呼べど、家内かないの者は先さきの騒ぎに何いずれへか逃げてしまい、一人も居りませんから、寂然ひっそりとして返事がなければ、

侍「御亭主、お前は流石さすがに御渡世柄ごとせいがらだけあって此の店を一寸ちょっとも動かず、自若じじゃくとしてござるは感心な者だな」

亭「いえナニお誉ほめで恐入ります、先程から早腰はやごしが抜けて立てないので」

侍「硯箱はお前の側わきにあるじゃアないか」

と云われてよう〱心付き、硯箱を彼かの侍の前に差出すと、侍は硯箱の蓋ふたを推開おしひらきて筆を取り、すら〱と名前を飯島平太郎いいじまへいたろうと書きおわり、自身番に届け置き、牛込のお邸やしきへお帰りに成りまして、此の始末を、御親父ごしんぷ飯島平左衞門へいざえもん様にお話を申上もうしあげましたれば、平左衞門様は宜よく斬ったと仰おおせありて、それから直すぐにお頭かしらたる小林權太夫こばやしごんだゆう殿へお届けに及びましたが、させるお咎とがめもなく切り徳どく切られ損ぞんとなりました。

二

さて飯島平太郎様は、お年二十二の時に悪者わるものを斬殺きりころして毫ちっとも動ぜぬ剛気の胆力たんりょくでございましたれば、お年を取るに随したがい、益々ます〱智慧ちえが進みましたが、その後のち御親父ごしんぷ様には亡くなられ、平太郎様には御家督ごかとくを御相続あそばし、御親父様の御名跡ごみょうせきをお嗣つぎ遊ばし、平左衞門と改名され、水道端すいどうばたの三宅みやけ様と申上げまするお旗下はたもとから奥様をお迎えになりまして、程なく御出生ごしゅっしょうのお女子にょしをお露つゆ様と申し上げ、頗すこぶる御器量美ごきりょうよしなれば、御両親は掌中たなぞこの璧たまと愛めで慈いつくしみ、後あとにお子供が出来ませず、一粒種の事なれば猶なおさらに撫育ひそうされる中うち、隙ひまゆく月日つきひに関守せきもりなく、今年は早はや嬢様は十六の春を迎えられ、お家いえもいよ〱御繁昌ごはんじょうでございましたが、盈みつれば虧かくる世のならい、奥様には不図ふとした事が元となり、遂ついに帰らぬ旅路に赴おもむかれましたところ、此の奥様のお附つきの人に、お國くにと申す女中がございまして、器量人並に勝すぐれ、殊ことに起居周旋たちいとりまわしに如才じょさいなければ、殿様にも独寝ひとりねの閨ねや淋しいところから早晩いつか此のお國にお手がつき、お國は到頭とうとうお妾めかけとなり済しましたが、奥様のない家うちのお妾なればお羽振はぶりもずんと宜よろしい。然しかるにお嬢様は此のお國を憎く思い、互たがいにすれ〱になり、國々と呼び附けますると、お國は又お嬢様に呼捨よびすてにされるを厭いやに思い、お嬢様の事を悪あしざまに殿様に彼是かれこれと告口つげくちをするので、嬢様と國との間何なんとなく落着おちつかず、されば飯島様もこれを面倒な事に思いまして、柳島辺やなぎしまへんに或ある寮を買い、嬢様にお米よねと申す女中を附けて、此の寮に別居させて置きましたが、そも飯島様のあやまりにて、是よりお家いえのわるくなる初めでございました。さて其の年も暮れ、明あくれば嬢様は十七歳にお成りあそばしました。こゝに予かねて飯島様へお出入でいりのお医者に山本志丈やまもとしじょうと申す者がございます。此の人一体は古方家こほうかではありますけれど、実はお幇間医者たいこいしゃのお喋しゃべりで、諸人助けのために匙さじを手に取らないという人物でございますれば、大概のお医者なれば、一寸ちょっと紙入かみいれの中にもお丸薬がんやくか散薬こぐすりでも這入はいっていますが、此の志丈の紙入の中には手品の種や百眼ひゃくまなこなどが入れてある位なものでございます。さて此の医者の知己ちかづきで、根津ねづの清水谷しみずだにに田畑でんぱたや貸長屋を持ち、その上あがりで生計くらしを立てゝいる浪人の、萩原新三郎はぎわらしんざぶろうと申します者が有りまして、生うまれつき美男びなんで、年は二十一歳なれどもまだ妻をも娶めとらず、独身で暮す鰥やもおに似ず、極ごく内気でございますから、外出そとでも致さず閉籠とじこもり、鬱々うつ〱と書見しょけんのみして居ります処ところへ、或日あるひ志丈が尋ねて参り、

志「今日は天気も宜よろしければ亀井戸の臥竜梅がりょうばいへ出掛け、その帰るさに僕の知己ちかづき飯島平左衞門の別荘へ立寄りましょう、いえサ君は一体内気で入らっしゃるから婦女子にお心掛けなさいませんが、男子に取っては婦女子位楽たのしみなものはないので、今申した飯島の別荘には婦人ばかりで、それは〱余程別嬪べっぴんな嬢様に親切な忠義の女中と只たゞ二人ぎりですから、冗談でも申して来ましょう、本当に嬢様の別嬪を見るだけでも結構なくらいで、梅もよろしいが動きもしない口もきゝません、されども婦人は口もきくしサ動きもします、僕などは助平すけべいの性たちだから余程女の方が宜しい、マア兎も角も来たまえ」

と誘い出しまして、二人打連うちつれ臥竜梅へまいり、その帰り路みちに飯島の別荘へ立寄り、

志「御免下さい、誠にしばらく」

という声聞き附け、

米「何方どなたさま、おや、よく入いらっしゃいました」

志「是はお米よねさん、其の後のちは遂ついにない存外の御無沙汰ごぶさたをいたしました、嬢様にはお変りもなく、それは〱頂上々々、牛込から此処こゝへお引移ひきうつりになりましてからは、何分にも遠方ゆえ、存じながら御無沙汰に成りまして誠に相済みません」

米「まア貴方あなたが久しくお見えなさいませんから何どうなすったかと思って、毎度お噂を申して居りました、今日は何方どちらへ」

志「今日は臥竜梅へ梅見に出かけましたが、梅見れば方図ほうずがないという譬たとえの通り、未まだ慊あきたらず、御庭中ごていちゅうの梅花ばいかを拝見いたしたく参りました」

米「それは宜よく入らっしゃいました、まア何卒どうぞ此方こちらへお入はいりあそばせ」

と庭の切戸きりどを開ひらきくれゝば、

「然しからば御免」

と庭口へ通ると、お米は如才じょさいなく、

米「まア一服召上りませ、今日は能よく入らっしゃって下さいました、平常ふだんは私わたくしと嬢様ばかりですから、淋さむしくって困って居いるところ、誠に有難うございます」

志「結構なお住いでげすな……さて萩原氏、今日君のお名吟めいぎんは恐れ入りましたな、何なんとか申したな、えゝと「煙草には燧火すりびのむまし梅の中なか」とは感服々々、僕などのような横着者おうちゃくものは出る句も矢張り横着で「梅ほめて紛まぎらかしけり門違かどちがい」かね、君のような書見しょけんばかりして鬱々うつ〱としてはいけませんよ、先刻さっきの残酒ざんしゅが此処こゝにあるから一杯あがれよ…何なんですね、厭いやです…それでは独ひとりで頂戴いたします」

と瓢箪ひょうたんを取り出す所へお米出いで来きたり、

米「どうも誠にしばらく」

志「今日は嬢様に拝顔はいがんを得たく参りました、此処こゝに居いるは僕が極ごくの親友です、今日はお土産みやげも何なんにも持参致しません、エヘヽ有難うございます、是は恐れ入ります、お菓子を、羊羹ようかん結構、萩原君召し上れよ」

とお米が茶へ湯をさしに行ったあとを見送り、

「こゝの家うちは女二人ぎりで、菓子などは方々から貰っても、喰い切れずに積上げて置くものだから、皆黴かびを生はやかして捨てるくらいのものですから、喰ってやるのが却かえって親切ですから召上れよ、実に此の家うちのお嬢様は天下に無い美人です、今に出て入いらっしゃるから御覧なさい」

とお喋しゃべりをしている処ところへ向うの四畳半の小座敷から、飯島のお嬢さまお露が人珍らしいから、障子の隙間すきまより此方こちらを覗のぞいて見ると、志丈の傍そばに坐っているのは例の美男びなん萩原新三郎にて、男ぶりといい人品ひとがらといい、花の顔かんばせ月の眉、女子おなごにして見まほしき優男やさおとこだから、ゾッと身に染しみ何どうした風の吹廻ふきまわしであんな綺麗な殿御とのごが此処こゝへ来たのかと思うと、カッと逆上のぼせて耳朶みゝたぼが火の如くカッと真紅まっかになり、何なんとなく間が悪くなりましたから、はたと障子をしめきり、裡うちへ入ったが、障子の内では男の顔が見られないから、又そっと障子を明けて庭の梅の花を眺める態ふりをしながら、ちょい〱と萩原の顔を見て又恥かしくなり、障子の内へ這入はいるかと思えば又出て来る、出たり引込ひっこんだり引込んだり出たり、もじ〱しているのを志丈は見つけ、

志「萩原君、君を嬢様が先刻さっきから熟々しけ〲と見ておりますよ、梅の花を見る態ふりをしていても、眼の球たまは全まるで此方こちらを見ているよ、今日は頓とんと君に蹴られたね」

と言いながらお嬢様の方を見て

「アレ又引込ひっこんだ、アラ又出た、引込んだり出たり出たり引込んだり、恰まるで鵜うの水呑みずのみ〱」

と噪さわぎどよめいている処ところへ下女のお米出いで来きたり

「嬢様から一献こん申し上げますが何もございません、真ほんの田舎料理でございますが御緩ごゆるりと召上り相変らず貴方あなたの御冗談を伺うかゞいたいと仰おっしゃいます」

と酒肴さけさかなを出いだせば、

志「何どうも恐入りましたな、へい是はお吸物誠に有難うございます、先刻さっきから冷酒れいしゅは持参致しておりまするが、お燗酒かんしゅは又格別、有難うございます、何卒どうぞ嬢様にも入いらっしゃるように今日は梅じゃアない実はお嬢様を、いやなに」

米「ホヽヽヽ只今左様申し上げましたが、お連つれのお方は御存じがないものですから間が悪いと仰しゃいますから、それならお止よし遊ばせと申し上げた処ところが、それでも往いって見たいと仰しゃいますの」

志「いや、此これは僕の真しんの知己ちかづきにて、竹馬の友と申しても宜よろしい位なもので、御遠慮には及びませぬ、何卒どうぞちょっと嬢様にお目にかゝりたくって参りました」

と云えば、お米はやがて嬢様を伴い来きたる。嬢様のお露様は恥かしげにお米の後うしろに坐って、口の中うちにて

「志丈さん入いらっしゃいまし」

と云ったぎりで、お米が此方こちらへ来れば此方へ来きたり、彼方あちらへ行ゆけば彼方へ行き、始終女中の後うしろにばかりくッついて居る。

志「存じながら御無沙汰に相成りまして、何時いつも御無事で、此の人は僕の知己ちかづきにて萩原新三郎と申します独身者ひとりものでございますが、お近づきの為ため一寸ちょっとお盃さかづきを頂戴いたさせましょう、おや何だかこれでは御婚礼の三々九度さかづきのようでございます」

と少しも間断たれまなく取巻きますと、嬢様は恥かしいが又嬉しく、萩原新三郎を横目にじろ〱見ない振ふりをしながら見て居ります。と気があれば目も口ほどに物をいうと云う譬たとえの通り、新三郎もお嬢様の艶容やさすがたに見惚みとれ、魂も天外に飛ぶ計ばかりです。そうこうする中うちに夕景になり、灯火あかりがちら〱点つく時刻となりましたけれども、新三郎は一向に帰ろうと云わないから。

志「大層に長座ちょうざを致しました、さお暇いとまを致しましょう」

米「何ですねえ志丈さん、貴方あなたはお連様つれさまもありますからまア宜よいじゃアありませんか、お泊りなさいな」

新「僕は宜よろしゅうございます、泊って参っても宜しゅうございます」

志「それじゃア僕一人憎まれ者になるのだ、併しかし又斯様かような時は憎まれるのが却かえって親切になるかも知れない、今日はまず是迄これまでとしておさらば〱」

新「鳥渡ちょっと便所を拝借致しとうございます」

米「さア此方こちらへ入いらっしゃいませ」

と先に立って案内を致し、廊下伝いに参り

「此処こゝが嬢様のお室へやでございますから、まアお這入り遊ばして一服召上って入っしゃいまし」

新三郎は

「有難うございます」

と云いながら用場ようばへ這入りました。

米「お嬢様え、彼あのお方が、出て入いらっしゃったらばお水ひやを掛けてお上げ遊ばせ、お手拭てぬぐいは此処こゝにございます」

と新しい手拭を嬢様に渡し置き、お米は此方こちらへ帰りながら、お嬢様があゝいうお方に水を掛けて上げたならば嘸さぞお嬉しかろう、彼あのお方は余程よっぽど御意ぎょいに適かなった様子。と独言ひとりごとをいいながら元の座敷へ参りましたが、忠義も度を外はずすと却かえって不忠に陥おちて、お米は決して主人に猥みだらな事をさせる積りではないが、何時いつも嬢様は別にお楽たのしみもなく、鬱ふさいでばかり入いらっしゃるから、斯こういう冗談でもしたら少しはお気晴きばらしになるだろうと思い、主人のためを思ってしたので。さて萩原は便所から出て参りますと、嬢様は恥かしいのが一杯で只茫然ぼんやりとしてお水ひやを掛けましょうとも何とも云わず、湯桶ゆおけを両手に支えているを、新三郎は見て取り、

新「是は恐れ入ります、憚はゞかりさま」

と両手を差伸さしのべれば、お嬢様は恥かしいのが一杯なれば、目も眩くらみ、見当違いのところへ水を掛けておりますから、新三郎の手も彼方此方あちらこちらと追おいかけて漸ようよう手を洗い、嬢様が手拭をと差出してもモジ〱している間うち、新三郎も此のお嬢は真しんに美しいものと思い詰めながら、ずっと手を出し手拭を取ろうとすると、まだもじ〱していて放さないから、新三郎も手拭の上からこわ〲ながらその手をじっと握りましたが、此の手を握るのは誠に愛情の深いものでございます。お嬢様は手を握られ真赤まっかに成って、又その手を握り返している。此方こちらは山本志丈が新三郎が便所へ行ゆき、余り手間取るを訝いぶかり

志「新三郎君は何処どこへ行ゆかれました、さア帰りましょう」

と急せき立てればお米は瞞ごまかし、

米「貴方あなた何なんですねえ、おや貴方あなたのお頭つむりがぴか〱光ってまいりましたよ」

志「なにさそれは灯火あかりで見るから光るのですわね、萩原氏々々」

と呼立てれば、

米「何なんですねえ、宜ようございますよう、貴方あなたはお嬢様のお気質も御存じではありませんか、お堅いから仔細しさいはありませんよ」

と云って居ります所へ新三郎が漸ようよう出て来ましたから、

志「君何方どちらにいました、いざ帰りましょう、左様なればお暇いとま申します、今日は種々いろ〱御馳走に相成りました、有難うございます」

米「左様なら、今日はまア誠にお草々そう〱さま左様なら」

と志丈新三郎の両人は打連うちつれ立だちて帰りましたが、帰る時にお嬢様が新三郎に

「貴方あなたまた来て下さらなければ私わたくしは死んでしまいますよ」

と無量の情を含んで言われた言葉が、新三郎の耳に残り、暫しばしも忘れる暇ひまはありませなんだ。

三

さても飯島様のお邸やしきの方かたにては、お妾お國が腹一杯の我儘わがまゝを働く間うち、今度抱かゝえ入れた草履取ぞうりとりの孝助こうすけは、年頃二十一二にて色白の綺麗な男ぶりで、今日しも三月二十二日殿様平左衞門様にはお非番でいらっしゃれば、庭先へ出いて「出いて」はママ、彼方此方あちらこちらを眺めおられる時、此の新参の孝助を見掛け。

平「これ〱手前は孝助と申すか」

孝「へい殿様には御機嫌宜よろしゅう、私わたくしは孝助と申しまする新参者でございます」

平「其の方は新参者でも蔭日向かげひなたなくよく働くといって大分だいぶ評判がよく、皆の受うけがよいぞ、年頃は二十一二と見えるが、人品ひとがらといい男ぶりといい草履取には惜しいものだな」

孝「殿様には此の間中あいだじゅう御不快でございましたそうで、お案じ申上げましたが、さしたる事もございませんか」

平「おゝよく尋ねて呉れた、別にさしたる事もないが、して手前は今まで何方いずかたへか奉公をした事があったか」

孝「へい只今まで方々奉公も致しました、先まず一番先に四谷よツやの金物商かなものやへ参りましたが一年程居りまして駈出かけだしました、それから新橋しんばしの鍜冶屋かじやへ参り、三月つき程過ぎて駈出し、又仲通なかどおりの絵草紙屋えぞうしやへ参りましたが、十日かで駈出しました」

平「其の方のようにそう厭あきては奉公は出来ないぞ」

孝「いえ私わたくしが倦あきっぽいのではございませんが、私はどうぞして武家奉公が致したいと思い、其の訳を叔父に頼みましても、叔父は武家奉公は面倒だから町家ちょうかへ往ゆけと申しまして彼方此方あちらこちら奉公にやりますから、私も面当つらあてに駈出してやりました」

平「其の方は窮屈な武家奉公をしたいというのは如何いかゞな訳じゃ」

孝「へい、私わたくしは武家奉公を致しお剣術を覚えたいのでへい」

平「はて剣術が好きとな」

孝「へい番町ばんちょうの栗橋くりはし様が御当家様こちらさまは、真影流しんかげりゅうの御名人ごめいじんと承わりました故、何どうぞして御両家の内へ御奉公に上あがりたいと思いましていました処ところ、漸々よう〱の思いで御当家様こちらさまへお召抱めしかゝえに相成り、念が届いて有難うございます、どうぞお殿様のお暇ひまの節には、少々ずつにてもお稽古が願われようかと存じまして参りました、御当家様こちらさまに若様でも入いらっしゃいます事ならば、若様のお守もりをしながら皆様がお稽古を遊ばすのをお側で拝見致していましても、型ぐらいは覚えられましょうと存じましたに、若様はいらっしゃらず、お嬢様には柳島の御別荘にいらっしゃいまして、お年はお十七とのこと、これが若様なれば余程よっぽど宜よろしゅうございますに、お武家様にお嬢様は糞くそったれでございますなア」

平「はゝゝ、遠慮のない奴、これは大おおきにさようだ、武家では女は実に糞ったれだのう」

孝「うっかりと飛んでもない事を申上げ、お気に障さわりましたら御勘弁をねがいます、どうぞ只今もお願い申上げまする通りお暇の節にはお剣術を願われますまいか」

平「此の程は役が替かわってから稽古場もなく、誠に多端たゝんではあるが、暇ひまの節に随分教えてもやろう、其の方ほうの叔父は何商売じゃの」

孝「へい彼あれは本当の叔父ではございません、親父おやじの店受たなうけで、ちょっと間に合わせの叔父でございます」

平「何かえ母親おふくろは幾歳いくつになるか」

孝「母親おふくろは私わたくしの四歳よッつの時に私を置去りに致しまして、越後の国へ往ってしまいましたそうです」

平「左様か、大分だいぶ不人情の女だの」

孝「いえ、それと申しまするのも親父の不身持ふみもちに愛想あいそうを尽かしての事でございます」

平「親父はまだ存生ぞんしょうか」

と問われて、孝助は

「へい」

と云いながら悄々しお〱として申しまするには、

「親父も亡くなりました、私わたくしには兄弟も親類もございませんゆえ、誰たれあって育てる者もないところから、店受たなうけの安兵衞やすべえさんに引取られ、四歳よッつの時から養育を受けまして、只今では叔父分となり、斯様かように御当家様へ御奉公に参りました、どうぞ何時いつまでもお目掛けられて下さいませ」

と云いさしてハラ〱と落涙らくるいを致しますから、飯島平左衞門様も目をしばたゝき、

平「感心な奴だ、手前ぐらいな年頃には親の忌日きにちさえ知らずに暮らすものだに、親はと聞かれて涙を流すとは親孝行な奴じゃて、親父は此の頃亡くなったのか」

孝「へい、親父の亡くなりましたは私わたくしの四歳よッつの時でございます」

平「それでは両親の顔も知るまいのう」

孝「へい、ちっとも存じませんが、私わたくしの十一歳の時に始めて店受たなうけの叔父から母親おふくろの事や親父の事も聞きました」

平「親父はどうして亡くなったか」

孝「へい、斬殺きりころされて」

と云いさしてわっとばかりに泣き沈む。

平「それは又如何いかゞの間違いで、とんでもない事であったのう」

孝「左様でございます、只今より十八年以前、本郷三丁目の藤村屋新兵衞と申しまする刀屋の前で斬られました」

平「それは何月幾日いくかの事だの」

孝「へい、四月十一日だと申すことでございます」

平「シテ手前の親父は何なんと申す者だ」

孝「元は小出様の御家来にて、お馬廻うまゝわりの役を勤め、食禄しょくろく百五十石を頂戴致して居りました黒川孝藏と申しました」

と云われて飯島平左衞門はギックリと胸にこたえ、恟びっくりし、指折り数うれば十八年以前聊いさゝかの間違いから手に掛けたは此の孝助の実父で有ったか、己おれを実父の仇あだと知らず奉公に来たかと思えば何なんとやら心悪く思いましたが、素知らぬ顔して、

平「それは嘸さぞ残念に思うで有ろうな」

孝「へい親父の仇討かたきうちが致しとうございますが、何を申しますにも相手は立派なお侍様でございますから、どう致しても剣術を知りませんでは親の仇討は出来ませんゆえ、十一歳の時から今日きょうまで剣術を覚えたいと心掛けて居りましたが、漸々よう〱のことで御当家様にまいりまして、誠に嬉しゅうございます、是からはお剣術を教えて戴いたゞき、覚えました上は、それこそ死にもの狂いに成って親の敵かたきを討ちますから、どうぞ剣術を教えて下さいませ」

平「孝心な者じゃ、教えてやるが手前は親の敵かたきを討つというが、敵の面体めんていを知らんで居て、相手は立派な剣術遣けんじゅつつかいで、もし今己おれが手前の敵だと云ってみす〱鼻の先へ敵が出たら其の時は手前どうするか」

孝「困りますな、みす〱鼻の先へ敵かたきが出れば仕方がございませんから、立派な侍でも何なんでもかまいません、飛とびついて喉笛のどぶえでも喰い取ってやります」

平「気性きしょうな奴だ、心配いたすな、若もし敵かたきの知れた其の時は、此の飯島が助太刀すけだちをして敵を屹度きっと討たせてやるから、心丈夫に身を厭いとい、随分大切に奉公をしろ」

孝「殿様本当にあなた様が助太刀をして下さいますか、有難う存じます、殿様がお助太刀をして下さいますれば、敵かたきの十人位は出て参りましても大丈夫です、あゝ有難うございます、有難うございます」

平「己おれが助太刀をしてやるのをそれ程までに嬉しいか可愛かわいそうな奴だ」

と飯島平左衞門は孝心に感じ、機おりを見て自みずから孝助の敵かたきと名告なのり、討たれてやろうと常に心に掛けて居りました。

四

さて萩原新三郎は山本志丈と一緒に臥竜梅へ梅見に連れられ、その帰るさに彼かの飯島の別荘に立寄り、不図ふと彼の嬢様の姿を思い詰め、互いに只手を手拭てぬぐいの上から握り合ったばかりで、実に枕を並べて寝たよりも猶なお深く思い合いました。昔のものは皆こういう事に固うございました。ところが当節のお方はちょっと洒落しゃれ半分に

「君ちょっと来たまえ、雑魚寝ざこねで」

と、男がいえば、女の方で

「お戯ふざけでないよ」

又男の方でも

「そう君のように云っては困るねえ、否いやなら否だと判然はっきり云い給え、否なら又外ほかを聞いて見よう」

と明店あきだなか何かを捜す気に成っている位なものでございますが、萩原新三郎はあのお露どのと更に猥いやらしい事は致しませんでしたが、実に枕をも並べて一ツ寝でも致したごとく思い詰めましたが、新三郎は人が良いものですから一人で逢いに行ゆくことが出来ません、逢いに参って若もし万一ひょっと飯島の家来にでも見付けられてはと思えば行ゆく事もならず、志丈が来れば是非お礼旁々かた〲行ゆきたいものだと思っておりましたが、志丈は一向に参りません。志丈も中々さるものゆえ、あの時萩原とお嬢との様子が訝おかしいから、若もし万一まんいちの事があって、事の顕あらわれた日には大変、坊主首ぼうずッくびを斬られなければならん、これは危険けんのん、君子くんしは危あやうきに近寄らずというから行ゆかぬ方がよいと、二月三月四月と過ぎても一向に志丈が訪ねて来ませんから、新三郎は独ひとりくよ〱お嬢のことばかり思い詰めて、食事もろく〱進みませんで居りますと、或日あるひのこと孫店まごだなに夫婦暮しで住む伴藏ともぞうと申す者が訪ねて参り。

伴「旦那様、此の頃は貴方様あなたさまは何どうなさいました、ろく〱御膳ごぜんも上あがりませんで、今日はお昼食ひるもあがりませんな」

新「あゝ食べないよ」

伴「上あがらなくっちゃアいけませんよ、今の若さに一膳半ぐらいの御膳が上あがれんとは、私わたくしなどは親椀おやわんで山盛りにして五六杯も喰わなくっちゃアちっとも物を食べたような気持が致しやせん、あなた様はちっとも外出そとでをなさいませんな、此の二月でしたっけナ、山本さんと御一緒に梅見にお出掛けに成って、何か洒落しゃれをおっしゃいましたっけナ、ちっと御保養をなさいませんと本当に毒ですよ」

新「伴藏貴様はあの釣つりが好きだっけな」

伴「へい釣は好きのなんのッて、本当にお飯まんまより好きでございます」

新「左様か、そうならば一緒に釣に出掛けようかのう」

伴「あなたは慥たしか釣はお嫌いではありませんか」

新「何なんだか急にむか〱と釣が好きになったよ」

伴「へい、むか〱とお好きに成って、そして何方どちらへ釣にいらっしゃるお積りで」

新「そうサ、柳島の横川で大層釣れるというから彼処あすこへ往ゆこうか」

伴「横川というのは彼あの中川へ出る処ところですかえ、そうしてあんな処で何が釣れますえ」

新「大きな鰹かつおが釣れるとよ」

伴「馬鹿な事を仰おっしゃい、川で鰹が釣れますものかね、たか〲鰡いなか〔魚+節〕たなごぐらいのものでございましょう、兎も角もいらっしゃるならばお供をいたしましょう」

と弁当の用意を致し、酒を吸筒すいづゝへ詰込みまして、神田の昌平橋しょうへいばしの船宿から漁夫りょうしを雇い乗出のりだしましたれど、新三郎は釣はしたくはないが、唯たゞ飯島の別荘のお嬢の様子を垣の外からなりとも見ましょうとの心組こゝろぐみでございますから、新三郎は持って来た吸筒の酒にグッスリと酔って、船の中で寝込んでしまいましたが、伴藏は一人で日の暮くれるまで釣を致して居ましたが、新三郎が寝たようだから、

伴「旦那え〱お風をひきますよ、五月頃は兎角冷えますから、旦那え〱、是は余りお酒を勧めすぎたかな」

新三郎はふと見ると横川のようだから。

新「伴藏こゝは何処どこだ」

伴「へい此処こゝは横川です」

と云われて傍かたえの岸辺を見ますと、二重の建仁寺けんにんじの垣に潜くゞり門がありましたが、是は確たしかに飯島の別荘と思い、

新「伴藏や一寸ちょっと此処こゝへ着けて呉れ、一寸行って来る所があるから」

伴「こんな所へ着けて何方どちらへ入らっしゃるのですえ、私わッちも御一緒に参りましょう」

新「お前は其処そこに待っていなよ」

伴「だってそのための伴藏ではございませんか、お供を致しましょう」

新「野暮やぼだのう、色にはなまじ連れは邪魔よ」

伴「イヨお洒落しゃれでげすね、宜ようがすねえ」

という途端に岸に船を着けましたから、新三郎は飯島の門の処へまいり、ブル〱慄ふるえながらそっと家うちの様子を覗のぞき、門が少し明いてるようだから押して見ると明いたから、ずっと中へ這入はいり、予かねて勝手を知っている事故ゆえ、だん〱と庭伝いに参り、泉水縁せんすいべりに赤松の生えてある処から生垣いけがきに附いて廻れば、こゝは四畳半にて嬢様のお部屋でございました。お露も同じ思いで、新三郎に別れてから其の事ばかり思い詰め、三月から煩わずらって居ります所へ、新三郎は折戸おりどの所へ参り、そっとうちの様子を覗のぞき込みますと、うちでは嬢様は新三郎の事ばかり思い続けて、誰たれを見ましても新三郎のように見える処へ、本当の新三郎が来た事ゆえ、ハッと思い

「貴方あなたは新三郎さまか」

と云えば、

新「静かに〱、其の後ごは大層に御無沙汰を致しました、鳥渡ちょっとお礼に上あがるんでございましたが、山本志丈があれぎり参りませんものですから、私わたくし一人では何分なにぶん間が悪くッて上りませんだった」

露「よくまア入いらっしゃいました」

ともう耻しいことも何も忘れてしまい、無理に新三郎の手を取ってお上あがり遊ばせと蚊帳かやの中へ引きずり込みました。お露は只もう嬉しいのが込み上げて物が云われず、新三郎の膝に両手を突いたなりで、嬉し涙を新三郎の膝にホロリと零こぼしました。これが本当の嬉し涙です。他人の所へ悔くやみに行って零す空涙そらなみだとは違います。新三郎ももう是までだ、知れても構わんと心得、蚊帳の中うちで互たがいに嬉しき枕をかわしました。

露「新三郎さま、是は私わたくしの母かゝさまから譲られました大事な香箱こうばこでございます、どうか私の形見と思召おぼしめしお預り下さい」

と差出さしだすを手に取って見ますと、秋野に虫の象眼入ぞうがんいりの結構な品で、お露は此の蓋ふたを新三郎に渡し、自分は其の身の方ほうを取って互に語り合う所へ、隔へだての襖ふすまをサラリと引き明けて出て来ましたは、おつゆの親御おやご飯島平左衞門様でございます。両人は此の体ていを見てハッとばかりに恟びっくり致しましたが、逃げることもならず、唯うろ〱して居る所へ、平左衞門は雪洞ぼんぼりをズッと差さしつけ、声を怒いからし。

平「コレ露これへ出ろ、又貴様は何者だ」

新「へい、手前は萩原新三郎と申す粗忽そこつの浪士でございます、誠に相済みません事を致しました」

平「露、手前はヤレ國がどうのこうの云うの、親父おやじがやかましいの、どうか閑静な所へ行ゆきたいのと、さま〲の事を云うから、此の別荘に置けば、斯様かようなる男を引きずり込み、親の目を掠かすめて不義を働きたい為ために閑地かんちへ引込ひきこんだのであろう、これ苟かりそめにも天下御直参ごじきさんの娘が、男を引入れるという事がパッと世間に流布るふ致せば、飯島は家事不取締かじふとりしまりだと云われ家名かめいを汚けがし、第一御先祖へ対して相済まん、不孝不義の不届ふとゞきものめが、手打てうちにするから左様心得ろ」

新「暫しばらくお待ち下さい、其のお腹立はらだちは重々じゅう〲御尤ごもっともでございますが、お嬢様が私わたくしを引きずり込み不義を遊ばしたのではなく、手前が此の二月始めて罷出まかりいでまして、お嬢様を唆そゝのかしたので、全く手前の罪でお嬢様には少しもお科とがはございません、どうぞ嬢様はお助けなすって私を」

露「いゝえ、お父様とっさま私わたくしが悪いのでございます、どうぞ私をお斬り遊ばして、新三郎様をばお助け下さいまし」

と互たがいに死を争いながら平左衞門の側へ摺寄すりよりますと、平左衞門は剛刀ごうとうをスラリと引抜ひきぬき、

「誰彼たれかれと容赦ようしゃはない、不義は同罪、娘から先へ斬る、観念しろ」

と云いさま片手なぐりにヤッと下くだした腕の冴さえ、島田の首がコロリと前へ落ちました時、萩原新三郎はアッとばかりに驚いて前へのめる処を、頬ほゝより腮あごへ掛けてズンと切られ、ウーンと云って倒れると。

伴「旦那え〱大層魘うなされていますね、恐おそろしい声をして恟びっくりしました、風邪を引くといけませんよ」

と云われて新三郎はやっと目を覚さまし、ハアと溜息ためいきをついて居るから。

伴「何どうなさいましたか」

新「伴藏や己おれの首が落ちては居ないか」

と問われて、

伴「そうですねえ、船舷ふなべりで煙管きせるを叩くと能よく雁首がんくびが川の中へ落っこちて困るもんですねえ」

新「そうじゃアない、己の首が落ちはしないかという事よ、何処どこにも疵きずが付いてはいないか」

伴「何を御冗談を仰おっしゃる、疵も何も有りは致しません」

と云う。新三郎はお露に何どうにもして逢いたいと思い続けているものだから、其の事を夢に見てビッショリ汗をかき、辻占つじうらが悪いから早く帰ろうと思い

「伴藏早く帰ろう」

と船を急がして帰りまして、船が着いたから上あがろうとすると。

伴「旦那こゝにこんな物が落ちて居ります」

と差出さしいだすを新三郎が手に取上とりあげて見ますれば、飯島の娘と夢のうちにて取交とりかわした、秋野に虫の模様の付いた香箱の蓋ばかりだから、ハッとばかりに奇異きたいの想おもいを致し、何どうして此の蓋が我手わがてにある事かと恟びっくり致しました。

五

話替かわって、飯島平左衞門は凛々りゝしい智者ちえしゃにて諸芸に達し、とりわけ剣術は真影流の極意ごくいを極きわめました名人にて、お齢とし四十ぐらい、人並ひとなみに勝すぐれたお方なれども、妾の國というが心得違いの奴にて、内々ない〱隣家となりの次男源次郎げんじろうを引込ひきこみ楽しんで居りました。お國は人目を憚はゞかり庭口の開ひらき戸を明け置き、此処こゝより源次郎を忍ばせる趣向しゅこうで、殿様のお泊番とまりばんの時には此処から忍んで来るのだが、奥向きの切盛きりもりは万事妾の國がする事ゆえ、誰たれも此の様子を知る者は絶えてありません。今日しも七月二十一日殿様はお泊番の事ゆえ、源次郎を忍ばせようとの下心したごゝろで、庭下駄を彼かの開き戸の側に並べ置き、

國「今日は熱くって堪たまらないから、風を入れないでは寝られない、雨戸を少しすかして置いてお呉れよ」

と云附いいつけ置きました。さて源次郎は皆寝静まッたる様子を窺うかゞい、そっと跣足はだしで庭石を伝わり、雨戸の明いた所から這はい上あがり、お國の寝間に忍び寄れば、

國「源次郎さま大層に遅いじゃアありませんか、私わたくしは何どうなすッたかと思いましたよ、余あんまりですねえ」

源「私わたくしも早く来たいのだけれども、兄上もお姉様あねえさまもお母様はゝさまもお休みにならず、奉公人までが皆熱い〱と渋団扇しぶうちわを持って、あおぎ立てゝ凉んでいて仕方がないから、今まで我慢して、よう〱の思いで忍んで来たのだが、人に知れやアしないかねえ」

國「大丈夫知れッこはありませんよ、殿様があなたを御贔屓ごひいきに遊ばすから知れやアしませんよ、あなたの御勘当ごかんどうが許ゆりてから此の家うちへ度々たび〱お出いでになれるように致しましたのも、皆私わたくしが側で殿様へ旨く取とりなし、あなたをよく思わせたのですよ、殿様はなか〱凛々りゝしいお方ですから、貴方あなたと私との間なかが少しでも変な様子があれば気取けどられますのだが、些ちっとも知れませんよ」

源「実に伯父さまは一通りならざる智者ちしゃだから、私わたくしは本当に怖いよ、私も放蕩ほうとうを働き、大塚おおつかの親類へ預けられていたのを、当家こちらの伯父さんのお蔭かげで家うちへ帰れるように成った、其の恩人の寵愛ちょうあいなさるお前と斯こうやっているのが知れては実に済まないよ」

國「あゝいう事を仰おっしゃる、あなたは本当に情じょうがありませんよ、私わたくしは貴方あなたのためなら死んでも決して厭いといませんよ、何なんですねえ、そんな事ばかり仰しゃって、私の傍そばへ来ない算段ばかり遊ばすのですものを、アノ源さま、こちらの家うちでも此の間お嬢様がお逝かくれになって、今は外ほかに御家督ごかとくがありませんから、是非とも御夫婦養子をせねばなりません、それに就ついてはお隣の源次郎様をと内々ない〱殿様にお勧め申しましたら、殿様が源次郎はまだ若くッて了簡りょうけんが定まらんからいかんと仰しゃいましたよ」

源「そうだろう、恩人の愛妾あいしょうの所へ忍び来るような訳だから、どうせ了簡が定まりゃアしないや」

國「私わたくしは殿様の側に何時いつまでも附いていて、殿様が長生ながいきをなすって、貴方あなたは外ほかへ御養子にでも入らっしゃれば、お目にかゝる事は出来ません、其の上綺麗な奥様でもお持ちなさろうものなら、國のくの字も仰しゃる気遣きづかいはありませんよ、それですから貴方が本当に信実しんじつがおあり遊ばすならば、私の願ねがいを叶かなえて、内うちの殿様を殺して下さいましな」

源「情があるから出来ないよ、私わたくしの為ためには恩人の伯父さんだもの、何どうしてそんな事が出来るものかね」

國「こうなる上からは、もう恩も義理もありはしませんやね」

源「それでも伯父さんは牛込名代なだいの真影流の達人だから、手前如きものが二十人ぐらい掛っても敵かなう訳のものではないよ、其の上私わたくしは剣術が極ごく下手へただもの」

國「そりゃア貴方あなたはお剣術はお下手へーたさね」

源「そんなにオヘータと力を入れて云うには及ばない、それだから何どうもいけないよ」

國「貴方は剣術はお下手へただが、よく殿様と一緒に釣つりにいらっしゃいましょう、アノ来月四日はたしか中川へ釣にいらっしゃるお約束がありましょう、其の時殿様を船から川の中へ突落つきおとして殺しておしまいなさいよ」

源「成程伯父さんは水練すいれんを御存じないが、矢張り船頭がいるからいけないよ」

國「船頭を斬ってお仕舞い遊ばせな、なんぼ貴方が剣術がお下手でも、船頭ぐらいは斬れましょう」

源「それは斬れますとも」

國「殿様が落ちたというので、貴方は立腹して、早く探させてはいけませんよ、いろ〱理窟りくつをなが〱と二時ふたときばかりも言っていてそれから船頭に探させ、死骸を船に揚あげてから不届ふとゞきな奴だといって船頭を斬ってお仕舞いなさい、それから帰り路みちに船宿ふなやどに寄って、船頭が麁相そそうで殿様を川へ落し、殿様は死去されたれば、手前は言訳いいわけがないから船頭は其の場で手打てうちに致したが、船頭ばかりでは相済まんぞ、亭主其の方も斬って仕舞うのだが、内分ないぶんで済ませて遣つかわすにより、此の事は決して口外致すなと仰しゃれば、船宿の亭主も自分の命にかゝわる事ですから口外する気遣きづかいはありません、それから貴方はお邸やしきへお帰りになって、知らん顔でいて、お兄様あにいさまに隣家となりでは家督かとくがないから早く養子に遣やってくれ〱と仰しゃれば、此方こなたは別に御親類もないからお頭かしらに話を致し、貴方を御養子のお届けを致しますまでは、殿様は御病気の届けを致して置いて、貴方の家督相続が済みましてから、殿様の死去のお届を致せば、貴方は此家こちらの御養子様、そうすると私わたくしは何時いつまでも貴方の側に粘へばり附いていて動きません、此方こちらの家うちは貴方のお家より、余程よっぽど大尽だいじんですから、召物めしものでもお腰のものでも結構なのが沢山ありますよ」

源「これは旨い趣向だ、考えたね」

國「私わたくしは三日三晩寝ずに考えましたよ」

源「是は至極しごく宜よろしい、どうも宜しい」

と源次郎は慾張よくばりと助平すけべいとが合併して乗気のりきに成り、両人がひそ〱語り合っているを、忠義無類の孝助という草履取が、御門ごもんの男部屋に紙帳しちょうを吊って寝て見たが、何分にも熱くって寝付かれないものだから、渋団扇しぶうちわを持って、

「どうも今年の様に熱い事はありゃアしない」

と云いながら、お庭をぶら〲歩いていると、板塀いたべいの三尺じゃくの開ひらきがバタリ〱と風にあおられているのを見て、

孝「締りをして置いたのに何どうして開あいたのだろう、おや庭下駄が並べてあるぞ、誰だれが来たな、隣家となりの次男めがお國さんと様子が訝おかしいから、ことによったら密通くッついているのかも知れん」

と抜足ぬきあししてそっと此方こなたへまいり、沓脱石くつぬぎいしへ手を支えて座敷の様子を窺うかゞうと、自分が命を捨てゝも奉公をいたそうと思っている殿様を殺すという相談に、孝助は大おおいに怒いかり、歳としはまだ二十一でございますが、負けない気性だから、怒りの余り思わず知らずガッと鼻を鳴らす。

源「お國さん誰たれか来たようだよ」

國「貴方あなたは本当に臆病おくびょうで入らっしゃるよ、誰たれも参りは致しません」

と耳を立てゝ聞けば人の居る様子ですから、

國「誰だれだえ、其処そこに居るのは」

孝「へい孝助でございます」

國「本当にまア呆あきれますよ、夜夜中よるよなか奥向おくむきの庭口へ這入はいり込んで済みますかえ」

孝「熱くッて〱仕様がございませんから凉みに参りました」

國「今晩は殿様はお泊番とまりばんだよ」

孝「毎月まいげつ二十一日のお泊番は知っています」

國「殿様のお泊番を知りながらなぜ門番をしない、御門番ごもんばんは御門をさえ堅く守って居いれば宜いいのに、熱いからといって女計ばかりいる庭先へ来てすみますか」

孝「へい御門番だからといって御門計りを守っては居おりませんへい、庭も奥も守ります、へい方々ほう〲を守るのが役でございます、御門番だからと申して奥へ盗賊どろぼうが這入り、殿様とチャン〱切合きりあっているに門ばかり見てはいられません」

國「新参者のくせに、殿様のお気に入りだものだから、此の節では増長して大層お羽振はぶりが宜いいよ、奥向を守るのは私わたしの役だ、部屋へ帰って寝てお仕舞い」

孝「そうですか、貴方が奥向のお守りをして、斯様かように三尺戸さんじゃくどを開けて置いて宜よろしゅうございますか、庭口の戸が開いていると犬が這入って来ます、何なんでも犬畜生の恩も義理も知らん奴が、殿様の大切にして入らっしゃるものをむしゃ〱喰っていますから、私わたくしは夜通し此処こゝに張番はりばんをしています、此所こゝに下駄が脱いでありますから、何でも人間が這入ったに違いはありません」

國「そうサ、先刻さっきお隣の源さまが入らっしゃったのサ」

孝「へえ、源さまが何なに御用で入らっしゃいました」

國「何なんの御用でも宜よいじゃアないか、草履取の身の上でお前は御門さえ守っていればよいのだよ」

孝「毎月まいげつ二十一日は殿様お泊番の事は、お隣の御次男様もよく御存じでいらっしゃいますに、殿様のお留守の処へお出いでに成って、御用が足りるとはこりゃア変でございますな」

國「何が変だえ、殿様に御用があるのではない」

孝「殿様に御用ではなく、あなたに内証ないしょうの御用でしょう」

國「おや〱お前はそんな事を言って私を疑ぐるね」

孝「何も疑ぐりはしませんのに、疑ぐると思うのが余程よっぽどおかしい、夜夜中女ばかりの処へ男が這入り込むのは何どうも訝おかしいと思っても宜よかろうと思います」

國「お前はまアとんでもない事を云って、お隣の源さまにすまないよ、余あんまりじゃアないか、お前だって私の心を知っているじゃアないか」

と、両人の争って居るのを聞いていた源次郎は、人の妾でも奪とろうという位な奴だからなか〱抜目ぬけめはありません。そして其の頃は若殿と草履取とはお羽振が雲泥うんでいの違いであります、源次郎はずっと出て来て、

源「これ〱孝助何を申す、是へ出ろ」

孝「へい何か御用で」

源「手前今承れば、何かお國殿と己おれと何か事情わけでもありそうにいうが、己も養子に行ゆく出世前の大切な身体だ、尤もっとも一旦放蕩ほうとうをして勘当かんどうをされ、大塚の親類共へ預けられたから、左様思うも無理もないようだが、左様な事を云い掛けられては捨置すておきにならんぞ」

孝「御大切ごたいせつの身の上を御存じなれば何故なぜ夜夜中女一人の処ところへおいでなされました、あなた様が御自分に疵きずをお付けなさる様なものでございます、貴方あなただッて男女なんにょ七歳にして席を同おなじゅうせず、瓜田かでんに履くつを容いれず、李下りかに冠かんむりを正さず位の事は弁わきまえておりましょう」

源「黙れ左様な無礼な事を申して、若もし用があったらどう致す、イヤサ御主人がお留守でも用の足りる仔細しさいがあったら何どうする積りだ」

孝「殿様がお留守で御用の足りる筈はずはありません、へい若しありましたら御存分になさいまし」

源「然しからば是を見い」

と投げ出す片紙はがみの書面しょめん。孝助は手に取上とりあげて読み下くだすに、

一筆ぴつ申入候もうしいれそろ過日御約束致置候いたしおきそろ中川漁船行こうの儀は来月四日と致度いたしたく就ついては釣道具大半なかば破損致し居候間おりそろあいだ夜分にても御閑おひまの節御入来之上ごじゅらいのうえ右釣道具御繕おんつくろい直し被下候様奉願上候くだされたくねがいたてまつりそろ。

飯島平左衞門

源次郎殿

と孝助がよく〱見れば全く主人の手蹟しゅせきだから、これはと思うと。

源「どうだ手前は無筆ではあるまい、夜分にてもよいから来て釣道具を直して呉れろとの頼みの状だ、今夜は熱くて寝られないから、釣道具を直しに参った、然しかるを手前から疑念を掛けられ、悪名あくみょうを附けられ、甚はなはだ迷惑致す、貴様は如何いかゞ致す積りか」

孝「左様な御無理を仰しゃっては誠に困ります、此の書付かきつけさえなければ喧嘩けんかは私わたくしが勝かちだけれども、書付が出たから私の方が負まけに成ったのですが、何方どっちが悪いかとくと貴方あなたの胸に聞いて御覧遊ばせ、私は御当家様の家来でございます、無闇に斬っては済みますまい」

源「汝うぬの様な汚けがれた奴やっこを斬るかえ、打殺ぶちころしてしまうわ、何か棒はありませんか」

國「此処こゝにあります」

とお國が重籐しげとうの弓の折おれを取出とりだし、源次郎に渡す。

孝「貴方様あなたさま、左様そんな御無理な事をして、私わたくしのような虚弱ひよわい身体に疵きずでも出来ましては御奉公が勤まりません」

源「えい手前疑ぐるならば表向きに云えよ、何を証拠に左様さようなことを申す、其のくらいならなぜお國殿と枕を並べている処ところへ踏み込まん、拙者せっしゃは御主人から頼まれたから参ったのだ、憎い奴め」

と云いながらはたと打ぶつ。

孝「痛いとうございます、貴方あなた左様な事を仰しゃっても、篤とくと胸に聞いて御覧遊ばせ、虚弱ひよわい草履取をお打ぶちなすッて」

源「黙れ」

といいざまヒュウ〱と続け打うちに十二三も打うちのめせば、孝助はヒイ〱と叫びながら、ころ〱と転ころげ𢌞り、さも恨うらめしげに源次郎の顔を睨にらむ所を、トーンと孝助の月代際さかやきゞわを打割うちわったゆえ黒血くろちがタラ〱と流れる。

源「ぶち殺してもいゝ奴だが、命だけは助けてくれる、向後こうご左様の事を言うと助けては置かぬぞ、お國どの私わたくしはもう御当家へは参りません」

國「アレ入らっしゃらないと猶なお疑ぐられますよ」

と云うを聞入きゝいれず、源次郎は是を機会しおに跣足はだしにて根府川石ねぶかわいしの飛石とびいしを伝いて帰りました。

國「お前が悪いから打ぶたれたのだよ、お隣の御二男様に飛んでもない事を云って済まないよ、お前こゝにいられちゃア迷惑だから出て行ってお呉れ」

と云いながら、痛みに苦しむ孝助の腰をトンと突いて、庭へ突き落おとすはずみに、根府川石に又痛く膝を打うち、アッと云って倒れると、お國は雨戸をピッシャリ締めて奥へ入いる。後あとに孝助くやしき声を震わせ、

「畜生奴ちくしょうめ〱、犬畜生奴、自分達の悪い事を余所よそにして私を酷ひどい目に逢わせる、殿様がお帰りになれば申上げて仕舞おうか、いや〱若もし此の事を表向きに殿様に申上げれば、屹度きっとあの両人と突合つきあわせに成ると、向うには証拠の手紙があり、此方こっちは聞いたばかりの事だからどう云うても証拠になるまい、殊ことには向うは二男の勢い、此方こちらは悲しいかな草履取の軽い身分だから、お隣となりづからの義理でも私はお暇いとまになるに相違ない、私がいなければ殿様は殺されるに違いない、これはいっその事源次郎お國の両人を槍やりで突き殺して、自分は腹を切ってしまおう」

と、忠義無二の孝助が覚悟を定めましたが、さて此のあとは何どうなりますか。

六

萩原新三郎は、独りクヨ〱として飯島のお嬢の事ばかり思い詰めています処ところへ、折おりしも六月二十三日の事にて、山本志丈が訪ねて参りました。

志「其の後ごは存外の御無沙汰を致しました、ちょっと伺うかゞうべきでございましたが、如何いかにも麻布辺からの事故ゆえ、おッくうでもあり且かつ追々おい〱お熱く成って来たゆえ、藪医やぶいでも相応に病家びょうかもあり、何や彼かやで意外の御無沙汰、貴方あなたは何どうもお顔の色が宜よくない、なにお加減がわるいと、それは〱」

新「何分にも加減がわるく、四月の中旬頃なかばごろからどっと寝て居ります、飯もろく〱たべられない位で困ります、お前さんもあれぎり来ないのは余あんまり酷ひどいじゃアありませんか、私わたくしも飯島さんの処ところへ、ちょっと菓子折かしおりの一つも持ってお礼に行ゆきたいと思っているのに、君が来ないから私は行ゆきそこなっているのです」

志「さて、あの飯島のお嬢も、可愛かわいそうに亡くなりましたよ」

新「えゝお嬢が亡くなりましたとえ」

志「あの時僕が君を連れて行ったのが過あやまりで、向うのお嬢がぞっこん君に惚れ込んだ様子だ、あの時何か小座敷で訳があったに違いないが、深い事でもなかろうが、もし其の事が向うの親父おやじさまにでも知れた日には、志丈が手引てびきした憎い奴め、斬って仕舞う、坊主首ぼうずッくびを打ぶち落す、といわれては僕も困るから、実はあれぎり参りもせんでいたところ、不図ふと此の間飯島のお邸やしきへまいり、平左衞門様にお目にかゝると、娘は歿みまかり、女中のお米も引続ひきつゞき亡くなったと申されましたから、段々様子を聞きますと、全く君に焦こがれ死じにをしたという事です、本当に君は罪造りですよ、男も余あんまり美よく生れると罪だねえ、死んだものは仕方がありませんからお念仏でも唱えてお上げなさい、左様なら」

新「あれさ志丈さん、あゝ往いって仕舞った、お嬢が死んだなら寺ぐらいは教えてくれゝばいゝに、聞こうと思っているうちに行って仕舞った、いけないねえ、併しかしお嬢は全く己おれに惚れ込んで己を思って死んだのか」

と思うとカッと逆上のぼせて来て、根が人がよいから猶々なお〱気が欝々うつ〱して病気が重くなり、それからはお嬢の俗名ぞくみょうを書いて仏壇に備え、毎日々々念仏三昧まいで暮しましたが、今日しも盆の十三日なれば精霊棚しょうりょうだなの支度したくなどを致してしまい、縁側へちょっと敷物を敷き、蚊遣かやりを薫くゆらして、新三郎は白地の浴衣ゆかたを着、深草形ふかくさがたの団扇うちわを片手に蚊を払いながら、冴さえ渡る十三日の月を眺めていますと、カラコン〱と珍らしく下駄の音をさせて生垣いけがきの外を通るものがあるから、不図見れば、先さきへ立ったのは年頃三十位の大丸髷おおまるまげの人柄のよい年増としまにて、其の頃流行はやった縮緬細工ちりめんざいくの牡丹ぼたん芍薬しゃくやくなどの花の附いた灯籠を提さげ、其の後あとから十七八とも思われる娘が、髪は文金ぶんきんの高髷たかまげに結い、着物は秋草色染あきくさいろぞめの振袖ふりそでに、緋縮緬ひぢりめんの長襦袢ながじゅばんに繻子しゅすの帯をしどけなく締め、上方風かみがたふうの塗柄ぬりえの団扇うちわを持って、ぱたり〱と通る姿を、月影に透すかし見るに、何どうも飯島の娘お露のようだから、新三郎は伸び上あがり、首を差し延べて向うを見ると、向うの女も立止まり、

女「まア不思議じゃアございませんか、萩原さま」

と云われて新三郎もそれと気が付き、

新「おや、お米さん、まアどうして」

米「誠に思いがけない、貴方様あなたさまはお亡くなり遊ばしたという事でしたに」

新「へえ、ナニあなたの方でお亡くなり遊ばしたと承わりましたが」

米「厭いやですよ、縁起の悪い事ばかり仰しゃって、誰が左様な事を申しましたえ」

新「まアおはいりなさい、其処そこの折戸おりどのところを明けて」

と云うから両人内へ這入はいれば、

新「誠に御無沙汰を致しました、先日山本志丈が来まして、あなた方御両人ともお亡くなりなすったと申しました」

米「おやまア彼奴あいつが、私わたくしの方へ来ても貴方がお亡くなり遊ばしたといいましたが、私の考えでは、貴方様はお人がよいものだから旨く瞞だましたのです、お嬢様はお邸やしきに入らっしゃっても貴方の事計ばかり思って入らっしゃるものだから、つい口に出て迂濶うっかりと、貴方の事を仰しゃるのが、ちら〱と御親父様ごしんぷさまのお耳にもはいり、又内にはお國という悪い妾がいるものですから邪魔を入れて、志丈に死んだと云わせ、互たがいに諦めさせようと、國の畜生がした事に違いはありませんよ、貴方がお亡くなり遊ばしたという事をお聞き遊ばして、お嬢様はおいとしいこと、剃髪ていはつして尼に成ってしまうと仰しゃいますゆえ、そんな事を成すっては大変ですから、心でさえ尼に成った気で入らっしゃれば宜よろしいと申上げて置きましたが、それでは志丈にそんな事をいわせ、互に諦めさせて置いて、お嬢さまに婿むこを取れと御親父さまから仰しゃるのを、お嬢様は、婿は取りませんからどうかお宅うちには夫婦養子をしてくださいまし、そして他ほかへ縁付くのも否いやだと強情をお張り遊ばしたものですから、お宅が大層に揉めて、親御おやごさまがそんなら約束でもした男があってそんな事を云うのだろうと、怒おこっても、一人のお嬢様で斬る事も出来ませんから、太い奴だ、そういう訳なら柳島にも置く事が出来ない、放逐ほうちくするというので、只今では私とお嬢様と両人お邸やしきを出まして、谷中やなかの三崎さんさきへ参り、だいなしの家いえに這入はいって居りまして、私が手内職などをして、どうか斯こうか暮しを付けていますが、お嬢様は毎日々々お念仏三昧ざんまいで入らっしゃいますよ、今日は盆の事ですから、方々ほう〲お参りにまいりまして、晩おそく帰る処ところでございます」

新「なんの事です、そうでございますか、私わたくしも嘘でも何なんでもありません、此の通りお嬢さまの俗名を書いて毎日念仏しておりますので」

米「それ程に思って下さるは誠に有難うございます、本当にお嬢様は仮令たとい御勘当に成っても、斬られてもいゝから貴方のお情なさけを受けたいと仰しゃって入らっしゃるのですよ、そしてお嬢様は今晩此方こちらへお泊め申しても宜しゅうございますかえ」

新「私わたしの孫店まごだなに住んで居る、白翁堂勇齋はくおうどうゆうさいという人相見にんそうみが、万事私わたくしの世話をして喧やかましい奴だから、それに知れないように裏からそっとお這入り遊ばせ」

と云う言葉に随い、両人共に其の晩泊り、夜よの明けぬ内に帰り、是より雨の夜よも風の夜も毎晩来ては夜の明けぬ内に帰る事十三日より十九日まで七日なのかの間重なりましたから、両人が仲は漆うるしの如く膠にかわの如くになりまして新三郎も現うつゝを抜かして居りましたが、こゝに萩原の孫店まごだなに住む伴藏というものが、聞いていると、毎晩萩原の家うちにて夜夜中よるよなか女の話声はなしごえがするゆえ、伴藏は変に思いまして、旦那は人がよいものだから悪い女に掛り、騙だまされては困ると、密そっと抜け出て、萩原の家うちの戸の側へ行って家の様子を見ると、座敷に蚊帳かやを吊り、床とこの上に比翼〔「蓙」の左の「人」に代えて「口」〕ひよくござを敷き、新三郎とお露と並んで坐っているさまは真まことの夫婦のようで、今は耻かしいのも何も打忘うちわすれてお互いに馴々なれ〱しく、

露「アノ新三郎様、私わたくしが若もし親に勘当されましたらば、米と両人をお宅うちへ置いて下さいますかえ」

新「引取ひきとりますとも、貴方あなたが勘当されゝば私は仕合しあわせですが、一人娘ですから御勘当なさる気遣きづかいはありません、却かえって後あとで生木なまきを割さかれるような事がなければ宜いいと思って私は苦労でなりませんよ」

露「私わたくしは貴方より外ほかに夫おっとはないと存じておりますから、仮令たとい此の事がお父とっさまに知れて手打てうちに成りましても、貴方の事は思い切れません、お見捨てなさるときゝませんよ」

と膝に凭もたれ掛りて睦むつましく話をするは、余よっぽど惚ほれている様子だから。

伴「これは妙な女だ、あそばせ言葉で、どんな女かよく見てやろう」

と差し覗のぞいてハッとばかりに驚き、

「化物ばけものだ〱」

と云いながら真青まっさおになって夢中で逃出にげだし、白翁堂勇齋の処ところへ往ゆこうと思って駈出かけだしました。

七

飯島家にては忠義の孝助が、お國と源次郎の奸策わるだくみの一伍一什いちぶしゞゅうを立聞たちぎゝ致しまして、孝助は自分の部屋へ帰り、もう是までと思い詰め、姦夫かんぷ姦婦かんぷを殺すより外ほかに手段てだてはないと忠心一途ずに思い込み、それに就ついては仮令たとい己おれは死んでも此のお邸やしきを出まい、殿様に御別条ごべつじょうのないように仕ようと、是から加減が悪いとて引籠ひきこもっており、翌朝よくちょうになりますと殿様はお帰りになり、残暑の強い時分でありますから、お國は殿様の側で出来たてのお供そなえ見たように、団扇うちわであおぎながら、

國「殿様御機嫌宜よろしゅう、私わたくしはもう殿様にお暑さのお中あたりでもなければよいと毎日心配ばかりしています」

飯「留守へ誰たれも参りは致さなかったか」

國「あの相川あいかわさまが一寸ちょっとお目通りが致したいと仰しゃって、お待ち申して居ります」

飯「ほウ相川新五兵衞しんごべえが、又医者でも頼みに参ったのかも知れん、いつもながら粗忽そゝっかしい爺さんだよ、まア此方こちらへ通せ」

と云っていると相川は

「ハイ御免下さい」

と遠慮もなく案内も乞わず、ズカ〱奥へ通り、

相「殿様お帰りあそばせ、御機嫌さま、誠に存外の御無沙汰を致しました、何時いつも相変らず御番疲ごばんづかれもなく、日々にち〱御苦労さまにぞんじます、厳しい残暑でございます」

飯「誠に熱い事で、おとくさまの御病気は如何いかゞでござるな」

相「娘の病気もいろ〱と心配も致しましたが、何分にも捗々はか〲しく参りませんで、それに就ついて誠にどうも……アヽ熱い、お國さま先達せんだっては誠に御馳走様に相成あいなりまして有難う、まだお礼もろく〱申上げませんで、へえ、アヽ熱い、誠に熱い、どうも熱い」

飯「まア少し落着おちつけば風が這入はいって随分凉しくなります」

相「折入おりいって殿様にお願いの事がございまして、罷出まかりいでました、何どうかお聞済きゝずみを願います」

飯「はてナ、どういう事で」

相「お國様やなにかには少々お話が出来兼できかねますから、どうか御近習ごきんじゅの方々を皆遠ざけて戴きとう存じます」

飯「左様か宜よろしい、皆あちらへ参り、此方こちらへ参らん様にするが宜しい、シテ何どういうことで」

相「さて殿様、今日態々わざ〱出ましたは折入って殿様にお願い申したいは娘の病気の事に就ついて出ましたが、御存じの通り彼かれの病気も永い事で、私わたくしも種々いろ〱と心配いたしましたけれども、病の様子が判然はっきりと解りませんでしたが、よう〱ナ昨晩当人が私わたくしの病は実は是々これ〱の訳だと申しましたから、なぜ早く云わん、けしからん奴だ、不孝ものであると小言は申しましたが、彼あれは七歳の時母に別れ今年十八まで男の手に丹誠して育てましたにより、あの通りの初心うぶな奴で何もかも知らん奴だから、そこが親馬鹿の譬たとえの通りですが、殿様訳をお話し申してもお笑い下さるな、お蔑さげすみ下さるな」

飯「どういう御病気で」

相「手前一人の娘でございますから、早くナ婿むこでも貰い、楽隠居がしたいと思い、日頃信心気けのない私わたくしなれども、娘の病気を治そうと思い、夏とは云いながら此の老人が水をあびて神仏かみほとけへ祈るくらいな訳で、ところが昨夜娘のいうには、私わたくしの病気は実は是々これ〱といいましたが、其の事は乳母おんばにも云われないくらいな訳ですが、其処そこが親馬鹿の譬たとえの通り、お蔑さげすみ下さるな」

飯「どういう御病気ですな」

相「私わたくしもだん〱と心配をいたして、どうか治してやりたいと心得、いろ〱医者にも掛けましたが、知れない訳で、是ばかりは神にも仏にも仕ようがないので、なぜ早く云わんと申しました」

飯「どういう訳で」

相「誠に申しにくい訳で、お笑い成さるな」

飯「何なんだかさっぱりと訳が解りませんね」

相「実は殿様が日頃お誉ほめなさる此方こちらの孝助殿、あれは忠義な者で、以前は然しかるべき侍の胤たねでござろう、今は零落おちぶれて草履取をしていても、志こゝろざしは親孝行のものだ、可愛かわいいものだと殿様がお誉めなされ、あれには兄弟も親族みよりもない者だから、行々ゆく〱は己おれが里方さとかたに成って他ほかへ養子にやり、相応な侍にしてやろうと仰しゃいますから、私わたくしも折々おり〱は宅うちの家来善藏ぜんぞうなどに、飯島様の孝助殿を見習えと叱り付けますものだから、台所のおさんまでが孝助さんは男振おとこぶりもよし人柄もよし、優しいと誉め、乳母おんばまでが彼是かれこれと誉めはやすものだから、娘も、殿様お笑い下さるな、私は汗の出るほど耻入はじいります、実は疾とくより娘があの孝助殿を見染みそめ、恋煩こいわずらいをして居ります、誠に面目めんぼくない、それをサ婆ばゞアにもいわないで、漸ようやく昨夜になって申しましたから、なぜ早く云わん、一合ごう取っても武士の娘という事が浄瑠璃本じょうるりぼんにもあるではないか、侍の娘が男を見染めて恋煩いをするなどとは不孝ものめ、仮令たとい一人の娘でも手打にする処ところだが、併しかし紺看板こんかんばんに真鍮巻しんちゅうまきの木刀を差した見る影もない者に惚れたというのは、孝助殿の男振の好いいのに惚れたか、又は姿の好いのに惚れ込んだかと難じてやりました、そうすると娘がお父とっさま実は孝助殿の男振にも姿にも惚れたのではございません、外ほかに唯たゞ一つの見所みどころがありますからと斯こういいますから、何処どこに見所があると聞きますと、あのお忠義が見所でございます、主しゅうへ忠義のお方は、親にも孝行でございましょうねえ、といいましたから、それは親に孝なるものは主へ忠義、主へ忠なるものは親へは必ず孝なるものだといいますと、娘が私わたくしの家うちはお高たかは僅わずか百俵二人扶持にんふちですから、他家ほかから御養子をしてお父さまが御隠居をなさいましても、もし其の御養子が心の良くない人でも来た其の時は、此方こちらの高が少ないから、私の肩身が狭く、遂ついにはそれがために私までが、倶ともにお父さまを不孝にするように成っては済みません、私も只今まで御恩を受けましたにより何どうか不孝をしたくない、就つきましては仮令たとい草履取でも家来でも志の正しい人を養子にして、夫婦諸共親に孝行を尽つくしたいと思いまして、孝助殿を見染め、寝ても覚めても諦められず、遂に病となりまして誠に相済みません、と涙を流して申しますから、私も至極しごく尤もっともの様にも聞えますから、兎に角お願いに出て、殿様から孝助殿を申受けて来ようと云って参りましたが、どうかあの孝助殿を手前の養子に下さるように願います」

飯「それはまア有難いこと、差上げたいね」

相「ナニ下さる、あゝ有難かった」

飯「だが一応当人へ申聞もうしきけましょう、嘸さぞ悦ぶ事で、孝助が得心の上で確しかと御返事を申上げましょう」

相「孝助殿は宜よろしい、貴方あなたさえ諾うんと仰しゃって下さればそれで宜しい」

飯「私が養子に参るのではありませんから、そうはいかない」

相「孝助殿はいやと云う気遣きづかいは決してありません、唯たゞ殿様から孝助行ってやれとお声掛りを願います、あれは忠義ものだから、殿様のお言葉は背そむきません、私わたくしも当年五十五歳で、娘は十八になりましたから早く養子をして身体を固めてやりたい、殿様どうか願います」

飯「宜しい、差上げましょう、御胡乱ごうろんに思召おぼしめすならば金打きんちょうでも致そうかね」

相「そのお言葉ばかりで沢山、有難うございます、早速娘に申し聞けましたら、嘸さぞ悦ぶ事でしょう、これがね殿様が孝助に一応申し聞けて返事をするなどと仰しゃると、又娘が心配して、仮令たとい殿様が下さる気でも孝助殿が何どうだかなどゝ申しましょうが、そうはっきり事が定きまれば、娘は嬉しがって飯の五六杯位も食べられ、一足飛そくとびに病気も全快致しましょう、善は急げの譬たとえで、明日みょうにち御番帰ごばんがえりに結納ゆいのうの取りかわせを致しとう存じますから、どうか孝助殿をお供に連れてお出で下さい、娘にも一寸ちょっと逢わせたい」

飯「まア一献いっこん差上げるから」

と云っても相川は大喜びで、汗をダク〱流し、早く娘に此の事を聞かせとうございますから、今日はお暇いとまを申しましょうと云いながら、帰ろうとして、

「アイタ、柱に頭をぶっつけた」

飯「そゝっかしいから誰たれか見て上げな」

飯島平左衞門も心嬉しく、鼻高々たか〲と、

飯「孝助を呼べ」

國「孝助は不快で引いて居ります」

飯「不快でも宜しい、一寸ちょっと呼んでまいれ」

國「お竹どん〱、孝助を一寸呼んでおくれ、殿様が御用がありますと」

竹「孝助どん〱、殿様が召しますよ」

孝「へい〱只今上あがります」

と云ったが、額の疵きずがあるから出られません。けれども忠義の人ゆえ、殿様の御用と聞いて額の疵も打忘うちわすれて出て参りました。

飯「孝助此処こゝへ来い〱、皆あちらへ参れ、誰たれもまいる事はならんぞ」

孝「大分だいぶお熱うございます、殿さまは毎日の御番疲れもありは致すまいかと心配をいたして居ります」

飯「其方そちは加減がわるいと云って引籠ひきこもっているそうだが、どうじゃナ、手前に少し話したいことがあって呼んだのだ、外ほかの事でもないが、水道端すいどうばたの相川におとくという今年十八になる娘があるナ、器量も人並に勝すぐれ殊ことに孝行もので、あれが手前の忠義の志に感服したと見えて、手前を思い詰め、煩わずらっているくらいな訳で、是非手前を養子にしたいとの頼みだから行ってやれ」

と孝助の顔を見ると、額に傷があるから、

飯「孝助どう致した、額の疵きずは」

孝「へい〱」

飯「喧嘩けんかでもしたか、不埓ふらちな奴だ、出世前の大事の身体、殊に面体めんていに疵を受けているではないか、私わたくしの遺恨いこんで身体に疵を付けるなどとは不忠者め、是が一人前ひとりまえの侍なれば再び門を跨またいで邸やしきへ帰る事は出来ぬぞ」

孝「喧嘩を致したのではありません、お使い先で宮邊みやべ様の長家下ながやしたを通りますと、屋根から瓦かわらが落ちて額に中あたり、斯様かように怪我けがを致しました、悪い瓦でございます、お目障めざわりに成って誠に恐入おそれいります」

飯「屋根瓦の傷ではない様だ、まアどうでもいゝが、併しかし必ず喧嘩などをして疵を受けてはならんぞ、手前は真直まっすぐな気性だが、向うが曲って来れば真直に行ゆく事は出来まい、それだから其処そこを避よけて通るようにすると広い所へ出られるものだ、何なんでも堪忍かんにんをしなければいけんぞ、堪忍の忍にんの字は刃やいばの下に心を書く、一ツ動けばむねを斬るごとく何でも我慢がまんが肝心かんじんだぞよ、奉公するからは主君へ上げ置いた身体、主人へ上げると心得て忠義を尽つくすのだ、決して軽挙かるはずみの事をするな、曲った奴には逆さからうなよ」

という意見が一々胸に堪こたえて、孝助は唯たゞへい〱有難うございますと泣々なく〱、

孝「殿様来月四日に中川へ釣つりに入いらっしゃると承わりましたが、此の間あいだお嬢様がお亡くなり遊ばして間まもない事でございますから、何どうか釣をお止やめ下さいますように、若もしもお怪我があってはいけませんから」

飯「釣が悪ければやめようよ、決して心配するな、今云った通り相川へ行ってやれよ」

孝「何方どちらへかお使つかいに参りますのですか」

飯「使つかいじゃアない、相川の娘が手前を見染めたから養子に行って遣やれ」

孝「へえ成程、相川様へどなたが御養子になりますのです」

飯「なアに手前が往ゆくのだ」

孝「私わたくしはいやでございます」

飯「べらぼうな奴だ手前の身の出世になる事だ、是ほど結構な事はあるまい」

孝「私わたくしは何時いつまでも殿様の側に生涯へばり附いております、ふつゝかながら片時へんじも殿さまのお側を放さずお置き下さい」

飯「そんな事を云っては困るよ、己おれがもう請うけをした、金打きんちょうをしたから仕方がない」

孝「金打をなすッてもいけません」

飯「それじゃア己が相川に済まんから腹を切らんければならん」

孝「腹を切っても構いません」

飯「主人の言葉を背そむくならば永ながの暇いとまを出すぞ」

孝「お暇に成っては何なんにもならん、そういう訳でございますならば、ちょっと一言ひとことぐらい斯こう云う訳だと私わたくしにお話し下さっても宜よろしいのに」

飯「それは己が悪かった、此の通り板の間へ手を突いて謝あやまるから行ってやれ」

孝「そう仰しゃるなら仕方がありませんから取極とりきめだけして置いて、身体は十年が間あいだ参りますまい」

飯「そんな事が出来るものか、翌日あす結納を取交とりかわす積りだ、向うでも来月初旬に婚礼を致す積りだ」

との事を聞いて孝助の考えまするに、己が養子にゆけば、お國と源次郎と両人で殿様を殺すに違いないから、今夜にも両人を槍やりで突殺つきころし、其の場で己も腹掻切かきゝって死のうか、そうすれば是が御主人様の顔の見納め、と思えば顔色がんしょくも青くなり、主人の顔を見て涙を流せば、

飯「解らん奴だな、相川へ参るのはそんなに厭いやか、相川はつい鼻の先の水道端だから毎日でも往来ゆききの出来る所、何も気遣きづかう事はない、手前は気強いようでもよく泣くなア、男子おとこたるべきものがそんな意気地いくじがない魂ではいかんぞ」

孝「殿様私わたくしは御当家様へ三月五日に御奉公に参りましたが、外ほかに兄弟も親もない奴だと仰しゃって目を掛けて下さる、其の御恩の程は私は死んでも忘れは致しませんが、殿様はお酒を召上ると正体なく御寝げしなさる、又召上らなければ御寝なられません故、少し上あがって下さい、余りよく御寝なると、どんな英雄でも、随分悪者の為に如何いかなる目に逢うかも知れません、殿様決して御油断はなりません、私はそれが心配でなりません、それから藤田様から参りましたお薬は、どうか隔日いちにちおきに召上って下さい」

飯「なんだナ、遠国えんごくへでも行ゆくような事を云って、そんな事は云わんでもいゝわ」

八

萩原の家うちで女の声がするから、伴藏が覗のぞいて恟びっくりし、ぞっと足元から総毛立そうけだちまして、物をも云わず勇齋の所へ駆込かけこもうとしましたが、怖いから先まず自分の家うちへ帰り、小さくなって寝てしまい、夜よの明けるのを待兼まちかねて白翁堂の宅うちへやって参り、

伴「先生々々」

勇「誰だのウ」

伴「伴藏でごぜえやす」

勇「なんだのウ」

伴「先生一寸ちょっとこゝを明けて下さい」

勇「大層早く起きたのウ、お前めえには珍らしい早起はやおきだ、待て〱今明けてやる」

と掛鐶かきがねを外はずし明けてやる。

伴「大層真暗まっくらですねえ」

勇「まだ夜よが明けきらねえからだ、それに己おれは行灯あんどうを消して寝るからな」

伴「先生静かにおしなせえ」

勇「手前てめえが慌あわてゝいるのだ、なんだ何しに来た」

伴「先生萩原さまは大変ですよ」

勇「何どうかしたか」

伴「何うかしたかの何なんのという騒ぎじゃございやせん、私わっちも先生も斯こうやって萩原様の地面内うちに孫店まごだなを借りて、お互いに住すまっており、其の内でも私は尚なお萩原様の家来同様に畑をうなったり庭を掃いたり、使い早間はやまもして、嚊かゝあは洒すゝぎ洗濯をしておるから、店賃たなちんもとらずに偶たまには小遣こづかいを貰ったり、衣物きものの古いのを貰ったりする恩のある其の大切な萩原様が大変な訳だ、毎晩女が泊りに来ます」

勇「若くって独身者ひとりものでいるから、随分女も泊りに来るだろう、併しかし其の女は人の悪いようなものではないか」

伴「なに、そんな訳ではありません、私わっちが今日用が有って他ほかへ行って、夜中やちゅうに帰けえってくると、萩原様の家うちで女の声がするから一寸ちょっと覗のぞきました」

勇「わるい事をするな」

伴「するとね、蚊帳かやがこう吊つってあって、其の中に萩原様と綺麗な女がいて、其の女が見捨てゝくださるなというと、生涯見捨てはしない、仮令たとい親に勘当されても引取ひきとって女房にするから決して心配するなと萩原様がいうと、女が私わたくしは親に殺されてもお前まえさんの側は放れませんと、互いに話しをしていると」

勇「いつまでもそんな所を見ているなよ」

伴「ところがねえ、其の女が唯たゞの女じゃアないのだ」

勇「悪党か」

伴「なに、そんな訳じゃアない、骨と皮ばかりの痩やせた女で、髪は島田に結って鬢びんの毛が顔に下さがり、真青まっさおな顔で、裾すそがなくって腰から上ばかりで、骨と皮ばかりの手で萩原様の首ったまへかじりつくと、萩原様は嬉しそうな顔をしていると其の側に丸髷まるまげの女がいて、此奴こいつも痩やせて骨と皮ばかりで、ズッと立上たちあがって此方こちらへくると、矢張やっぱり裾が見えないで、腰から上ばかり、恰まるで絵に描かいた幽霊の通り、それを私わっちが見たから怖くて歯の根も合わず、家うちへ逃げ帰けえって今まで黙っていたんだが、何どういう訳で萩原様があんな幽霊に見込まれたんだか、さっぱり訳が分りやせん」

勇「伴藏本当か」

伴「ほんとうか嘘かと云って馬鹿〱しい、なんで嘘を云いますものか、嘘だと思うならお前さん今夜行って御覧なせえ」

勇「己おらアいやだ、ハテナ昔から幽霊と逢引あいびきするなぞという事はない事だが、尤もっとも支那の小説にそういう事があるけれども、そんな事はあるべきものではない、伴藏嘘ではないか」

伴「だから嘘なら行って御覧なせえ」

勇「もう夜よも明けたから幽霊なら居る気遣きづかいはない」

伴「そんなら先生、幽霊と一緒に寝れば萩原様は死にましょう」

勇「それは必ず死ぬ、人は生きている内は陽気盛んにして正しく清く、死ねば陰気盛んにして邪よこしまに穢けがれるものだ、それゆえ幽霊と共に偕老同穴かいろうどうけつの契ちぎりを結べば、仮令たとえ百歳の長寿を保つ命も其のために精血せいけつを減らし、必ず死ぬるものだ」

伴「先生、人の死ぬ前には死相しそうが出ると聞いていますが、お前さん一寸ちょっと行って萩原様を見たら知れましょう」

勇「手前も萩原は恩人だろう、己おれも新三郎の親萩原新左衞門しんざえもん殿の代から懇意にして、親御おやごの死ぬ時に新三郎殿の事をも頼まれたから心配しなければならない、此の事は決して世間の人に云うなよ」

伴「えゝ〱嚊かゝあにも云わない位な訳ですから、何なんで世間へ云いましょう」

勇「屹度きっと云うなよ、黙っておれ」

其の内に夜よもすっかり明け放はなれましたから、親切な白翁堂は藜あかざの杖をついて、伴藏と一緒にポク〱出懸けて、萩原の内へまいり、

「萩原氏うじ々々」

新「何方どなた様でございます」

勇「隣の白翁堂です」

新「お早い事、年寄は早起はやおきだ」

なぞと云いながら戸を引明ひきあけ

「お早う入らっしゃいました、何か御用ですか」

勇「貴方あなたの人相を見ようと思って来ました」

新「朝っぱらから何なんでございます、一つ地面内うちにおりますから何時いつでも見られましょうに」

勇「そうでない、お日さまのお上あがりになろうとする所で見るのが宜よいので、貴方とは親御おやごの時分から別懇べっこんにした事だから」

と懐ふところより天眼鏡てんがんきょうを取出して、萩原を見て。

新「なんですねえ」

勇「萩原氏、貴方は二十日はつかを待たずして必ず死ぬ相そうがありますよ」

新「へえ私わたくしが死にますか」

勇「必ず死ぬ、なか〱不思議な事もあるもので、どうも仕方がない」

新「へえそれは困った事で、それだが先生、人の死ぬ時はその前に死相の出るという事は予かねて承わって居り、殊ことに貴方あなたは人相見の名人と聞いておりますし、又昔から陰徳いんとくを施ほどこして寿命を全くした話も聞いていますが、先生どうか死なゝい工夫はありますまいか」

勇「其の工夫は別にないが、毎晩貴方の所へ来る女を遠ざけるより外ほかに仕方がありません」

新「いゝえ、女なんぞは来やアしません」

勇「そりゃアいけない、昨夜覗のぞいて見たものがあるのだが、あれは一体何者です」

新「あなた、あれは御心配をなさいまする者ではございません」

勇「是程心配になる者はありません」

新「ナニあれは牛込の飯島という旗下はたもとの娘で、訳あってこの節は谷中の三崎村へ、米という女中と二人で暮しているも、皆みんな私わたくしゆえに苦労するので、死んだと思っていたのに此の間図はからず出逢い、其の後のちは度々たび〱逢引あいびきするので、私はあれを行ゆく〱は女房に貰う積りでございます」

勇「飛んでもない事をいう、毎晩来る女は幽霊だがお前知らないのだ、死んだと思ったなら猶更なおさら幽霊に違いない、其のマア女が糸のように痩やせた骨と皮ばかりの手で、お前さんの首ッたまへかじり付くそうだ、そうしてお前さんは其の三崎村にいる女の家うちへ行った事があるか」

といわれて行った事はない、逢引したのは今晩で七日目ですが。というものゝ、白翁堂の話に萩原も少し気味が悪くなったゆえ顔色がんしょくを変え。

新「先生、そんなら是から三崎へ行って調べて来ましょう」

と家うちを立出たちいで、三崎へ参りて、女暮しで斯こういう者はないかと段々尋ねましたが、一向に知れませんから、尋ねあぐんで帰りに、新幡随院しんばんずいゝんを通り抜けようとすると、お堂の後うしろに新墓あらはかがありまして、それに大きな角塔婆かくとうばが有って、その前に牡丹の花の綺麗な灯籠が雨ざらしに成ってありまして、此の灯籠は毎晩お米が点つけて来た灯籠に違いないから、新三郎はいよ〱訝おかしくなり、お寺の台所へ廻り、

新「少々伺うかゞいとう存じます、あすこの御堂おどうの後うしろに新らしい牡丹の花の灯籠を手向たむけてあるのは、あれは何方どちらのお墓でありますか」

僧「あれは牛込の旗下はたもと飯島平左衞門様の娘で、先達さきだって亡くなりまして、全体法住寺ほうじゅうじへ葬むる筈はずのところ、当院は末寺まつじじゃから此方こちらへ葬むったので」

新「あの側に並べてある墓は」

僧「あれはその娘のお附つきの女中で是も引続き看病疲れで死去いたしたから、一緒に葬られたので」

新「そうですか、それでは全く幽霊で」

僧「なにを」

新「なんでも宜よろしゅうございます、左様なら」

と云いながら恟びっくりして家うちに駈け戻り此の趣おもむきを白翁堂に話すと、

勇「それはまア妙な訳で、驚いた事だ、なんたる因果な事か、惚れられるものに事を替えて幽霊に惚れられるとは」

新「何どうもなさけない訳でございます、今晩もまたまいりましょうか」

勇「それは分らねえな、約束でもしたかえ」

新「へえ、あしたの晩屹度きっと来ると、約束をしましたから、今晩何どうか先生泊って下さい」

勇「真平御免まっぴらごめんだ」

新「占いでどうか来ないようになりますまいか」

勇「占いでは幽霊の所置しょちは出来ないが、あの新幡随院の和尚は中々に豪えらい人で、念仏修業の行者で私も懇意だから手紙をつけるゆえ、和尚の所へ行って頼んで御覧」

と手紙を書いて萩原に渡す。萩原はその手紙を持ってやってまいり、

「何どうぞ此の書面を良石りょうせき和尚様へ上げて下さいまし」

と、差出すと、良石和尚は白翁堂とは別ならぬ間柄ゆえ、手紙を見て直すぐに萩原を居間へ通せば、和尚は木綿の座蒲団に白衣はくえを着て、其の上に茶色の衣ころもを着て、当年五十一歳の名僧、寂寞じゃくまくとしてちゃんと坐り、中々に道徳いや高く、念仏三昧という有様ありさまで、新三郎は自然ひとりでに頭が下さがる。

良「はい、お前が萩原新三郎さんか」

新「へえ粗忽そこつの浪士萩原新三郎と申します、白翁堂の書面の通り、何なんの因果か死霊に悩まされ難渋なんじゅうを致しますが、貴僧の御法ごほうを以もって死霊を退散するようにお願い申します」

良「此方こちらへ来なさい、お前に死相が出たという書面だが、見てやるから此方へ来なさい、成程死ぬなア近々きん〱に死ぬ」

新「何どうかして死なゝいように願います」

良「お前さんの因縁は深しい訳のある因縁じゃが、それをいうても本当にはせまいが、何しろ口惜くやしくて祟たゝる幽霊ではなく、只たゞ恋しい〱と思う幽霊で、三世せも四世も前から、ある女がお前を思うて生きかわり死にかわり、容かたちは種々いろ〱に変えて附纒つきまとうて居いるゆえ、遁のがれ難がたい悪因縁があり、どうしても遁れられないが、死霊除よけのために海音如来かいおんにょらいという大切の守りを貸してやる、其の内に折角施餓鬼せがきをしてやろうが、其のお守まもりは金無垢きんむくじゃに依よって人に見せると盗まれるよ、丈たけは四寸二分で目方も余程あるから、慾の深い奴は潰つぶしにしても余程の値ねうちだから盗むかも知れない、厨子ずしごと貸すにより胴巻どうまきに入れて置くか、身体に脊負せおうておきな、それから又こゝにある雨宝陀羅尼経うほうだらにぎょうというお経をやるから読誦どくじゅしなさい、此の経は宝を雨ふらすと云うお経で、是を読誦すれば宝が雨のように降るので、慾張よくばったようだが決してそうじゃない、是を信心すれば海の音という如来さまが降って来るというのじゃ、この経は妙月長者みょうげつちょうじゃという人が、貧乏人に金を施ほどこして悪い病の流行はやる時に救ってやりたいと思ったが、宝がないから仏の力を以もって金を貸してくれろと云った所が、釋迦しゃかがそれは誠に心懸こゝろがけの尊とうとい事じゃと云って貸したのが即すなわちこのお経じゃ、又御札おふだをやるから方々ほう〲へ貼はって置いて、幽霊の入はいり所どころのないようにして、そしてこのお経を読みなさい」

と親切の言葉に萩原は有がたく礼を述べて立帰たちかえり、白翁堂に其の事を話し、それから白翁堂も手伝って其の御札を家うちの四方八方へ貼り、萩原は蚊帳かやを吊って其の中へ入り、彼かの陀羅尼経を読もうとしたが中々読めない。曩謨婆誐嚩帝嚩囉駄囉のうぼばぎゃばていばざらだら、婆誐囉捏具灑耶さぎゃらにりぐしゃや、怛陀孽多野たゝぎゃたや、怛儞也陀唵素噌閉たにやたおんそろべい、跋捺囉嚩底ばんだらばち。矒誐〔「口+「隸」の「木」に代えて「ヒ」〕阿左〔「口+「隸」の「木」に代えて「ヒ」〕阿左跛※[#「口+「隸」の「木」に代えて「ヒ」74-2]《ぼうぎゃれいあしゃれいあしゃにれい》。何なんだか外国人の譫語うわごとの様で訳がわからない。其の中うち上野の夜よの八ツの鐘かねがボーンと忍しのぶヶ岡おかの池に響き、向むこうヶ岡おかの清水の流れる音がそよ〱と聞え、山に当る秋風の音ばかりで、陰々寂寞いん〱せきばく世間がしんとすると、いつもに変らず根津ねづの清水の下もとから駒下駄こまげたの音高くカランコロン〱とするから、新三郎は心のうちで、ソラ来たと小さくかたまり、額ひたいから腮あごへかけて膏汗あぶらあせを流し、一生懸命一心不乱に雨宝陀羅尼経うほうだらにきょうを読誦して居ると、駒下駄の音が生垣いけがきの元でぱったり止やみましたから、新三郎は止よせばいゝに念仏を唱えながら蚊帳を出て、そっと戸の節穴から覗のぞいて見ると、いつもの通り牡丹の花の灯籠を下げて米が先へ立ち、後あとには髪を文金の高髷たかまげに結い上げ、秋草色染あきくさいろぞめの振袖ふりそでに燃えるような緋縮緬ひぢりめんの長襦袢ながじゅばん、其の綺麗なこと云うばかりもなく、綺麗ほど猶なお怖く、これが幽霊かと思えば、萩原は此の世からなる焦熱地獄しょうねつじごくに落ちたる苦しみです、萩原の家うちは四方八方にお札が貼ってあるので、二人の幽霊が憶おくして後あとへ下さがり、

米「嬢さまとても入れません、萩原さんはお心変りが遊ばしまして、昨晩のお言葉と違い、貴方あなたを入れないように戸締りがつきましたから、迚とても入ることは出来ませんからお諦め遊ばしませ、心の変った男は迚も入れる気遣きづかいはありません、心の腐った男はお諦めあそばせ」

と慰むれば、

嬢「あれ程迄にお約束をしたのに、今夜に限り戸締りをするのは、男の心と秋の空、変り果てたる萩原様のお心が情なさけない、米や、どうぞ萩原様に逢わせておくれ、逢わせてくれなければ私は帰らないよ」

と振袖を顔に当て、潜々さめ〲と泣く様子は、美しくもあり又物凄ものすごくもなるから、新三郎は何も云わず、只ただ南無阿弥陀仏なむあみだぶつ、南無阿弥陀仏。

米「お嬢様、あなたが是程までに慕うのに、萩原様にゃアあんまりなお方ではございませんか、若もしや裏口から這入はいれないものでもありますまい、入らっしゃい」

と手を取って裏口へ廻ったが矢張やっぱり這入られません。

九

飯島の家うちでは妾のお國が、孝助を追出すか、しくじらするように種々いろ〱工夫を凝こらし、この事ばかり寝ても覚めても考えている、悪い奴だ。殿様は翌日御番ごばんでお出向でむきに成った後あとへ、隣家となりの源次郎がお早うと云いながらやって来ましたから、お國はしらばっくれて、

國「おや、いらっしゃいまし、引続きまして残暑が強く皆様御機嫌よろしゅう、此方こちらは風がよく入りますからいらっしゃいまし」

源次郎は小声になり、

「孝助は昨夜ゆうべの事を喋しゃべりはしないかえ」

國「いえサ、孝助が屹度きっと告口つげぐちをしますだろうと思いましたに、告口をしませんで、殿様に屋根瓦が落ちて頭へ当り怪我をしたと云ってね、其の時私わたくしは弓の折おれで打ぶたれたと云わなければよいと胸が悸動どき〱しましたが、あの事は何なんとも云いませんが、云わずにいるだけ訝おかしいではありませんか」

と小声で云って、態わざと大声で、

國「お熱い事この節のように熱くっては仕方がありません」

又小声になり。

國「いえ、それに水道端の相川新五兵衞様の一人娘のお徳様が、宅うちの草履取の孝助に恋煩いをしているとサ、まア本当に茶人ちゃじんも有ったものですねえ、馬鹿なお嬢様だよ、それからあの相川の爺さんが汗をだく〱流しながら、殿様に願って孝助をくれろと頼むと、殿様も贔屓ひいきの孝助だから上げましょうと相談が出来まして、相川は帰りましたのですよ、そうして、今日は相川で結納の取交とりかわせになるのですとさ」

源「それじゃア宜よろしい、孝助が往いって仕舞えば仔細しさいはない」

國「いえサ、水道端の相川へ養子にやるのに、宅うちの殿様がお里に成たって遣やるのだからいけませんよ、そうすると、彼奴あいつが此の家うちの息子の風ふうをしましょう、草履取でさえ随分ツンケンした奴だから、そうなれば屹度きっとこの間の意趣いしゅを返すに違いはありません、何なんでも彼奴が一件を立聞たちぎきしたに違いないから、貴方あなた何どうかして孝助奴めを殺して下さい」

源「彼奴は剣術が出来るから己おれには殺せないよ」

國「貴方は何故なぜそう剣術がお下手だろうねえ」

源「いゝや、それには旨い事がある、相川のお嬢には宅うちの相助あいすけという若党が大層に惚れて居るから、彼あれを旨く欺だまかし、孝助と喧嘩をさせて置き、後あとで喧嘩両成敗だから、己おいらの方で相助を追い出せば、伯父さんも義理で孝助を出すに違いないが、就ついちゃア明日あした伯父様さんと一緒に帰って来ては困るが、孝助が独ひとりで先へ帰る訳には出来まいか」

國「それは訳なく出来ますとも、私わたくしが殿様に用がありますから先へ帰して下さいましといえば、屹度きっと先へ帰して下さるに違いはありませんから、大曲おおまがりあたりで待伏まちぶせて彼奴あいつをぽか〱お擲なぐりなさい」

大声を出して、

國「誠におそう〱様で、左様なら」

源次郎は屋敷に帰ると直すぐに男部屋へ参ると、相助は少し愚者おろかもので、鼻歌でデロレンなどを唄っている所へ源次郎が来て、

源「相助、大層精が出るのう」

相「オヤ御二男ごじなん様、誠に日々お熱い事でございます、当年は別してお熱いことで」

源「熱いのう、其方そちは感心な奴だと常々兄上も褒ほめていらっしゃる、主用しゅようがなければ自用じようを足し、少しも身体に隙すきのない男だと仰しゃっている、それに手前は国に別段親族みよりもない事だから、当家が里になり、大した所ではないが相応な侍の家うちへ養子にやる積りだよ」

相「恐れ入ります、何なんともはや誠にどうも恐れ入りますなア、殿様と申し貴方あなたと申し、不束ふつゝかな私わたくしをそれ程までに、これははや口ではお礼が述べきれましねえ、何ともヘイ分らなく有難うございます、それだが武士に成るにゃア私もいろはのいの字も知んねえもんだから誠に困るんで」

源「実は貴様も知っている水道端の相川のう、彼処あすこにお徳という十八ばかりの娘があるだろう、貴様を彼処の養子に世話をしてやろうと兄上が仰しゃった」

相「これははやモウどうも、本当でごぜえますか、はやどうも、あのくれえなお嬢様は世間にはないと思います、頬辺ほうぺたなどはぽっとして尻などがちま〱として、あのくれえな美いいお嬢様はたんとはありましねえ」

源「向うは高たかが寡すけないから、若党でも何なんでもよいから、堅い者なればというのだから、手前なれば極ごくよかろうとあらまし相談が整った所が、隣の草履取の孝助めが胡麻をすった為に、縁談が破談となってしまった、孝助が相川の男部屋へ行ってあの相助はいけない奴で、大酒飲おおざけのみで、酒を飲むと前後を失ない、主人の見さかいもなく頭をぶち、女郎は買い、博奕ばくちは打ち、其の上盗人ぬすっと根性があると云ったもんだから、相川も厭気いやきになり、話が縺もつれて、今度は到頭とうとう孝助が相川の養子になる事に極きまり、今日結納の取交とりかわせだとよ、向うでは草履取でさえ欲しがるところだから、手前なれば真鍮しんちゅうでも二本さす身だから、きっと宜よかったに違いはない、孝助は憎い奴だ」

相「なんですと、孝助が養子になると、憎にッこい奴でごじいます、人の恋路こいじの邪魔をすればッて、私わたくしが盗人根性があって、お負けに御主人の頭を打にやすと、何時いつ私が御主人の頭を打しました」

源「己おれに理窟を云っても仕方がない」

相「残念、腹が立ちますよ、憎にッこい孝助だ。只たゞ置きましねえ」

源「喧嘩しろ〱」

相「喧嘩しては叶かないましねえ、彼奴あいつは剣術きんじゅつが免許みんきょだから剣術は迚とても及びましねえ」

源「それじゃア田中たなかの中間ちゅうげんの喧嘩の龜藏かめぞうという奴で、身体中疵きずだらけの奴がいるだろう、彼あれと藤田ふじたの時藏ときぞうと両人ふたりに鼻薬をやって頼み、貴様と三人で、明日あした孝助が相川の屋敷から一人で出て来る所を、大曲りで打殺ぶちころしても構わないから、ぽか〱擲なぐりにして川へ投ほうりこめ」

相「殺すのは可愛相かわいそうだが、打にやしてやりてえなア、だが喧嘩をした事が知れゝば何どうなりますか」

源「そうさ、喧嘩をした事が知れゝば、己おれが兄上にそう云うと、兄上は屹度きっと不届ふとゞきな奴、相助を暇いとまにしてしまうと仰しゃってお暇に成るだろう」

相「お暇に成っては詰つまりましねえ、止よしましょう」

源「だがのう、此方こちらで貴様に暇を出せば、隣でも義理だから孝助に暇を出すに違いない、彼奴あいつが暇になれば相川でも孝助は里がないから養子に貰う気遣きづかいはない、其の内此方では手前を先へ呼返よびかえして相川へ養子にやる積つもりだ」

相「誠にお前様めえさま、御親切が恐れ入り奉ります」

というから、源次郎は懐中より金子きんす若干いくらかを取出し、

源「金子をやるから龜藏たちと一杯呑んでくれ」

相「これははや金子けんすまで、これ戴いてはすみましねえ、折角の思召おぼしめしだから頂戴いたして置きます」

これから相助は龜藏と時藏の所へ往ゆき此の事を話すと、面白半分にやッつけろと、手筈てはずの相談を取極とりきめました。さて飯島平左衞門はそんな事とは知らず、孝助を供につれ、御番からお帰りに成りました。

國「殿様今日は相川様の所へ孝助の結納でお出いでになりますそうですが、少しお居間の御用が有りますからお送り申したら、孝助は殿様よりお先へお帰し下さいまし、用が済み次第直すぐに又お迎いに遣つかわしましょう」

という飯島は

「よし〱」

と孝助を連れて相川の宅うちへ参りましたが相川は極ごく小さい宅で、

孝「お頼み申します〱」

相「ドーレ、これ善藏や玄関に取次が有るようだ、善藏居ないか、何処どこへ行ったんだ」

婆「あなた、善藏はお使いにおやり遊ばしたではありませんか」

相「己おれが忘れた、牛込の飯島様がお出いでに成ったのかも知れない、煙草盆へ火を入れてお茶の用意をして置きな、多分孝助殿も一緒に来たかも知れないから、お徳に其の事を云いな、これ〱お前よく支度をして置け、己が出迎いをしよう」

と玄関まで出て参り、

相「これは殿様大分だいぶお早くどうぞ直すぐにお上あがりを願います、へい誠に此の通り見苦しい所孝助殿も、御挨拶は後あとでします」

相川はいそ〱と一人で喜び、コッツリと柱に頭を打付ぶッつけ、アイタヽ、兎に角此方こちらへと座敷へ通し、

「さて残暑お熱い事でございます、又昨日さくじつは上あがりまして御無理を願ったところ、早速にお聞済きゝずみ下され有がとう存じます」

飯「昨日はお草々そう〱を申しました、如何いかにもお急ぎなさいましたから御酒ごしゅも上げませんで、大おおきにお草々申上げました」

相「あれから帰りまして娘に申し聞けまして、殿様がお承知の上孝助殿を聟むこにとる事に極って、明日あすは殿様お立合の上で結納取交とりかわせになると云いますと、娘は落涙らくるいをして悦びました、と云うと浮気の様ですが、そうではない、お父様とっさまを大事に思うからとは云いながら、只今まで御苦労を掛けましたと申しますから、早く丈夫にならなければいけない孝助殿が来るからと申して、直すぐに薬を三服ぶく立付たてつけて飲ませました、それからお粥かゆを二膳半食べました、それから今日はナ娘がずっと気分が癒なおって、お父様こんなに見苦しい形なりでいては、孝助さまに愛想あいそうを尽かされるといけませんからというので、化粧をする、婆アもお鉄漿はぐろを附けるやら大変です、私わたくしも最早もはや五十五歳ゆえ早く養子をして楽がしたいものですから、誠に耻入った次第でございますが、早速さっそくのお聞済きゝずみ、誠に有難う存じます」

飯「あれから孝助に話しましたところ、当人も大層に悦び、私わたくしの様な不束者ふつゝかものをそれ程までに思召おぼしめし下さるとは冥加至極みょうがしごくと申してナ、大概あらかた当人も得心いたした様子でな」

相「いやもう、あの人は忠義だから否いやでも殿様の仰しゃる事なら唯はいと云って言う事を聞きます、あの位な忠義な人はない、旗下はたもと八万騎の多い中にも恐らくはあの位な者は一人もありますまい、娘がそれを見込みましたのだ、善藏はまだ帰らないか、これ婆ア」

婆「なんでございます」

相「殿様に御挨拶をしないか」

婆「御挨拶をしようと思っても、貴方あなたがせか〱している者だから御挨拶する間まもありはしません、殿様、御機嫌様さまよう入いらっしゃいました」

飯「これは婆ばあやア、お徳様が長い間あいだ御病気の所、早速の御全快誠にお目でたい、お前も心配したろう」

婆「お蔭様かげさまで、私わたくしはお嬢様のお少ちいさい時分からお側にいて、お気性も知って居りますのに何なんとも仰しゃらず、漸やっと此の間分ったので殿様に御苦労をかけました、誠に有がとうございます」

相「善藏はまだ帰らないか、長いなア、お菓子を持って来い、殿様御案内の通り手狭でございますから、何かちょっと尾頭附おかしらつきで一献こん差上げたいが、まアお聞き下さい、此の通り手狭ですからお座敷を別にする事も出来ませんから、孝助殿も此処こゝへ一緒にいたし、今日は無礼講ぶれいこうで御家来でなく、どうか御同席で御酒ごしゅを上げたい、孝助は私わたくしが出迎えます」

飯「なに私わたくしが呼びましょう」

相「ナアニあれは私わたくしの大事な聟で、死水しにみずを取ってもらう大事な養子だから」

と立上たちあがり、玄関まで出迎え、

相「孝助殿誠に宜よく、いつもお健すこやかに御奉公、今日はナ無礼講で、殿様の側で御酒、イヤなに酒は呑めないから御膳を一寸ちょっと上げたい」

孝「是は相川様御機嫌よろしゅう、承ればお嬢様は御不快の御様子、少しはお宜よろしゅうございますか」

相「何を云うのだお前の女房をお嬢様だのお宜しいもないものだ」

飯「そんな事を云うと孝助が間まを悪わるがります、孝助折角の思召おぼしめし、御免を蒙こうむって此方こちらへ来い」

相「成程立派な男で、中々フウ、へえ、さて昨日は殿様に御無理を願い早速お聞済きゝずみ下さいましたが、高たかは寡すくなし娘は不束ふつゝかなり、舅しゅうとは知っての通りの粗忽者そこつもの、実に何なんと云って取る所はないだろうが、娘がお前でなければならないと煩わずらう迄に思い詰めたというと、浮気なようだが然そうではない、あれが七歳なゝつの時母が死んで、それから十八まで私わしが育そだった者だから、あれも一人の親だと大事に思い、お前の心がけのよい、優しく忠義な所を見て思い詰め病となった程だ、どうかあんな奴でも見捨てずに可愛かわいがってやっておくれ、私わたしは直すぐにチョコ〱と隠居して、隅すみの方ほうへ引込ひっこんでしまうから、時々少々ずつ小遣こづかいをくれゝばいゝ、それから外ほかに何もお前に譲る物はないが、藤四郎吉光とうしろうよしみつの脇差わきざしが有る、拵こしらえは野暮やぼだが、それだけは私の家うちに付いた物だからお前に譲る積りだ、出世はお前の器量にある」

飯「そういうと孝助が困るよ、孝助も誠に有難い事だが、少し仔細があって、今年一ぱい私の側で奉公したいと云うのが当人の望のぞみだから、どうか当年一ぱいは私の手元に置いて、来年の二月に婚礼をする事に致したい、尤もっとも結納だけは今日致して置きます」

相「へい来年の二月では今月が七月だから、七八九十十一十二正しょう二と今から八ヶ月間あいだがあるが、八ヶ月では質物しつもつでも流れて仕舞うから、余り長いなア」

飯「それは深い訳が有っての事で」

相「成程、あゝ感服だ」

飯「お分りに成りましたか」

相「それだから孝助に娘の惚れるのも尤もっともだ、娘より私が先へ惚れた、それは斯こうでしょう、今年一ぱい貴方あなたのお側で剣術を習い、免許でも取るような腕に成る積りだろう、是これは然そうなくてはならない、孝助殿の思うにはなんぼ自分が怜悧りこうでも器量があるにした処ところが、少すけなくも禄ろくのある所へ養子にくるのだから土産みやげがなくてはおかしいと云うので、免許か目録の書付かきつけを握って来る気だろう、それに違いない、あゝ感服、自分を卑下ひげした所が偉いねえ」

孝「殿様、私わたくしは一寸ちょっとお屋敷へ帰って参ります」

相「行ゆくのは御主用ごしゅようだから仕方がないが、何もないが一寸ちょっと御膳を上げます少し待ってお呉れ、善藏まだか、長いのう、だが孝助殿、又直すぐに帰って来るだろうが主用だから来られないかも知れないから、一寸奥の六畳へ行って徳に逢ってやっておくれ、徳が今日はお白粉しろいを粧つけて待っていたのだから、お前に逢わないと粧けたお白粉が徒むだになってしまう」

飯「そう仰しゃると孝助が間まをわるがります」

相「兎に角アレサどうか一寸逢わせて」

飯「孝助あゝ仰しゃるものだから一寸お嬢様にお目通りして参れ、まだ此方こちらへ来ない間うちは、手前は飯島の家来孝助だ、相川のお嬢様の所へ御病気見舞に行ゆくのだ、何をうじ〱している、お嬢様の御病気を伺うかゞって参れ」

といわれ孝助は間を悪がってへい〱云っていると、

婆「此方こちらへどうぞ、御案内を致します」

とお徳の部屋へ連れて来る。

孝「これはお嬢様長らく御不快の処ところ、御様子は如何様いかゞさまでございますか、お見舞を申し上げます」

婆「孝助様どうかお目を掛けられて下さいまし、お嬢様孝助様が入らっしゃいましたよ、アレマア真赤まっかに成って、今まで貴方あなたが御苦労をなすったお方じゃアありませんか、孝助様がお出いでに成ったらお怨うらみを云うと仰しゃったに、唯たゞ真赤に成ってお尻で御挨拶なすってはいけません」

孝「お暇いとまを申します」

と挨拶をして主人の所へ参り、

孝「一旦いったん御用を達たして、早く済みましたら又上あがります」

相「困ったねえ、暗くなったが何が有るかえ」

孝「何がとは」

相「何サ提灯ちょうちんがあるかえ」

孝「提灯は持って居ります」

相「何が無いと困るがあるかえ、何サ蝋燭ろうそくがあるかえ、何有るとえ、そんなら宜よろしい」

孝助は暇乞いとまごいをして相川の邸やしきを立出たちいで、大曲りの方を通れば、前に申した三人が待伏まちぶせをして居るのだが、孝助の運が強かったと見え、隆慶橋りゅうけいばしを渡り、軽子坂かるこざかから邸やしきへ帰って来た。

孝「只今帰りました」

というからお國は驚いた。なんでも今頃は孝助が大曲り辺で、三人の中間ちゅうげんに真鍮巻しんちゅうまきの木刀で打ぶたれて殺されたろうと思っている所へ、平常ふだんの通りで帰って来たから、

國「おや〱どうして帰ったえ」

孝「貴方様あなたさまがお居間の御用があるから帰れと仰しゃったから帰って参りました」

國「何処どこから何どうお帰りだ」

孝「水道端を出て隆慶橋を渡り、軽子坂を上あがって帰って来ました」

國「そうかえ、私わたしゃ又今日は相川様でお前を引留ひきとめて帰る事が出来まいと思ったから、御用は済ませて仕舞ったから、お前は直すぐに殿様のお迎いに行ゆっておくれ、そして若もしお前がお迎いに行ゆかない間うちにお帰りになるかも知れないよ、お前外ほかの道を行いって、途中でお目に懸らないといけない、殿様は何時いつでも大曲りの方をお通りになるから、あっちの方から行ゆけば途中で殿様にお目に懸るかも知れない、直に行いっておくれ」

孝「へい、そんなら帰らなければよかった」

と再び屋敷を立出たちいで、大曲りへかゝると、中間ちゅうげん三人は手に〱真鍮巻しんちゅうまきの木刀を捻ひねくり待ちあぐんでいたのも道理、来こようと思う方ほうから来ないで、後あとの方から花菱はなびしの提灯ちょうちんを提さげて来るのを見付け、慥たしかに孝助と思い、相助はズッと進んで、

相「やい待て」

孝「誰だ、相助じゃねえか」

相「おゝ相助だ、貴様と喧嘩しょうと思って待っていたのだ」

孝「何をいうのだ、唐突だしぬけに、貴様と喧嘩する事は何もねえ」

相「汝おのれ相川様へ胡麻ごまアすりやアがって、己おれの養子になる邪魔をした、そればかりでなくおれの事を盗人ぬすっと根性があると云やアがったろう、どう云う訳で胡麻を摺すって、手前てめえがあのお嬢様の処ところへ養子に行ゆこうとする、憎にッこい奴、外ほかの事とは違う、盗人根性があると云ったから喧嘩するから覚悟しろ」

と争って居る横合よこあいから、龜藏が真鍮巻の木刀を持って、いきなり孝助の持っている提灯を叩き落す、提灯は地に落ちて燃え上る。

龜「手前てまえは新参者の癖に、殿様のお気に入りを鼻に懸け、大手を振って歩きやアがる、一体いってえ貴様は気に入らねえ奴だ、この畜生め」

と云いながら孝助の胸むなぐらを取る。孝助は此奴等こいつらは徒党ととうしたのではないかと、透すかして向うを見ると、溝どぶの縁ふちに今一人踞しゃがんで居るから、孝助は予かねて殿様が教えて下さるには、敵手あいての大勢の時は慌あわてると怪我をする、寝て働くがいゝと思い、胸ぐらを取られながら、龜藏の油断を見て前袋まえぶくろに手がかゝるが早いか、孝助は自分の体からだを仰向あおむけにして寝ながら、右の足を上げて龜藏の睾丸きんたまのあたりを蹴返けかえせば、龜藏は逆筋斗さかとんぼうを打って溝どぶの縁へ投げ付けられるを、左の方ほうから時藏相助が打ってかゝるを、孝助はヒラリと体からだを引外ひきはずし、腰に差さしたる真鍮巻の木刀で相助の尻の辺あたりをドンと打ぶつ。相助打ぶたれて気が逆上のぼせ上あがるほど痛く、眼も眩くらみ足もすわらず、ヒョロ〱と遁出にげだし溝どぶへ駆け込む。時藏も打ぶたれて同じく溝へ落ちたのを見て、

孝「やい、何をしやアがるのだ、サア何奴どいつでも此奴こいつでも来い飯島の家来には死んだ者は一疋ぴきも居ねえぞ、お印物しるしものの提灯を燃やしてしまって、殿様に申訳もうしわけがないぞ」

飯「まア〱もう宜よろしい、心配するな」

孝「ヘイ、これは殿様どうしてこゝへ、私わたくしがこんなに喧嘩をしたのを御覧遊ばして、又私が失錯しくじるのですかなア」

飯「相川の方ほうも用事が済んだから立帰たちかえって来たところ、此の騒ぎ、憎い奴と思い、見ていて手前が負けそうなら己おれが出て加勢をしようと思っていたが、貴様の力で追い散らして先まず宜よかった、焼落やけおちた提灯を持って供をして参れ」

と主従連立つれだって屋敷へお帰りに成ると、お國は二度恟びっくりしたが、素知らぬ顔で此の晩は済んでしまい、翌朝よくあさになると隣の源次郎が済すましてやってまいり、

源「伯父様お早うございます」

飯「いや、大分だいぶお早いのう」

源「伯父様、昨晩大曲りで御当家の孝助と私共わたくしどもの相助と喧嘩を致し、相助はさん〲に打うたれ、ほう〱の体ていで逃げ帰りましたが、兄上が大層に怒り、怪けしからん奴だ、年甲斐もないと申して直すぐに暇いとまを出しました、就ついては喧嘩両成敗の譬たとえの通り、御当家の孝助も定めてお暇になりましょう、家来の身分として私わたくしの遺恨いこんを以もって喧嘩などをするとは以ての外ほかの事ですから、兄の名代みょうだいで一寸ちょっと念の為ためにお届とゞけにまいりました」

飯「それは宜よろしい、昨晩ゆうべのは孝助は悪くはないのだ、孝助が私の供をして提灯を持って大曲りへ掛ると、田中の龜藏、藤田の時藏お宅うちの相助の三人が突然いきなりに孝助に打ってかゝり、供前ともまえを妨さまたぐるのみならず、提灯を打落うちおとし、印物しるしものを燃もやしましたから、憎い奴、手打にしようと思ったが、隣となりづからの中間ちゅうげんを切るでもないと我慢をしているうちに、孝助が怒おこって木刀で打散うちゝらしたのだから、昨夕ゆうべのは孝助は少しも悪くはない、若もし孝助に遺恨があるならばなぜ飯島に届けん、供先ともさきを妨げ怪けしからん事だ、相助の暇に成るは当然あたりまえだ、彼あれは暇を出すのが宜よろしい、彼奴あいつを置いては宜しくありませんとお兄あにいさまに申し上げな、是から田中、藤田の両家へも廻文かいぶんを出して、時藏、龜藏も暇を出させる積りだ」

と云い放し、孝助ばかり残る事になりましたから、源次郎も当てが外はずれ、挨拶も出来ない位な始末で、何なんともいう事が出来ず邸やしきへ帰りました。

十

さて彼かの伴藏は今年三十八歳、女房おみねは三十五歳、互たがいに貧乏世帯じょたいを張るも萩原新三郎のお蔭かげにて、或時あるときは畑を耘うない、庭や表のはき掃除などをし、女房おみねは萩原の宅たくへ参り煮焚にたき洒すゝぎ洗濯やお菜かずごしらえお給仕などをしておりますゆえ、萩原も伴藏夫婦には孫店まごだなを貸しては置けど、店賃たなちんなしで住まわせて、折々おり〱は小遣こづかいや浴衣ゆかたなどの古い物を遣やり、家来同様使っていました。伴藏は懶惰なまけものにて内職もせず、おみねは独りで内職をいたし、毎晩八ツ九ツまで夜延よなべをいたしていましたが、或晩あるばんの事絞しぼりだらけの蚊帳かやを吊つり、この絞りの蚊帳というは蚊帳に穴が明いているものですから、処々ところ〲観世縒かんじんよりで括しばってあるので、其の蚊帳を吊り、伴藏は寝〔「蓙」の左の「人」に代えて「口」〕ねござを敷き、独りで寝ていて、足をばた〱やっており、蚊帳の外では女房が頻しきりに夜延をしていますと、八ツの鐘がボンと聞え、世間はしんと致し、折々清水の水音が高く聞え、何なんとなく物凄ものすごく、秋の夜風の草葉にあたり、陰々寂寞いん〱せきばくと世間が一体にしんと致しましたから、此の時は小声で話をいたしても宜よく聞えるもので、蚊帳の中うちで伴藏が、頻りに誰たれかとこそ〱話をしているに、女房は気がつき、行灯あんどうの下影したかげから、そっと蚊帳の中うちを差覗さしのぞくと、伴藏が起上おきあがり、ちゃんと坐り、両手を膝についていて、蚊帳の外には誰だれか来て話をしている様子は、何なんだかはっきり分りませんが、何どうも女の声のようだから訝おかしい事だと、嫉妬やきもちの虫がグッと胸へ込み上げたが、年若とは違い、もう三十五にもなる事ゆえ、表向おもてむきに悋気りんきもしかねるゆえ、余あんまりな人だと思っているうちに、女は帰った様子ゆえ何なんとも云わず黙っていたが、翌晩も又来てこそ〱話を致し、斯こういう事が丁度三晩の間続きましたので、女房ももう我慢が出来ません、ちと鼻が尖とんがらかッて来て、鼻息が荒くなりました。

伴「おみね、もう寝ねえな」

みね「あゝ馬鹿々々しいやね、八ツ九ツまで夜延をしてさ」

伴「ぐず〱いわないで早く寝ねえな」

みね「えい、人が寝ないで稼いでいるのに、馬鹿々々しいからサ」

伴「蚊帳の中へへいんねえな」

おみねは腹立はらたちまぎれにズッと蚊帳をまくって中へ入れば。

伴「そんな這入へいりようがあるものか、なんてえ這入へいりようだ、突立つッたって這入へえッちゃア蚊が這入へえって仕ようがねえ」

みね「伴藏さん、毎晩お前の所へ来る女はあれはなんだえ」

伴「何なんでもいゝよ」

みね「何なんだかお云いなねえ」

伴「何でもいゝよ」

みね「お前はよかろうが私わたしゃ詰らないよ、本当にお前の為に寝ないで齷齪あくせくと稼いでいる女房の前も構わず、女なんぞを引きずり込まれては、私のような者でも余あんまりだ、あれは斯こういう訳だと明かして云ってお呉れてもいゝじゃないか」

伴「そんな訳じゃねえよ、己おれも云おう〱と思っているんだが、云うとお前めえが怖がるから云わねえんだ」

みね「なんだえ怖がると、大方先の阿魔女あまっちょが何なんかお前まえに怖こわもてゞ云やアがったんだろう、お前が嚊かゝあがあるから女房に持つ事が出来ないと云ったら、そんなら打捨うっちゃって置かないとか何とかいうのだろう、理不尽りふじんに阿魔女あまっちょが女房のいる所へどか〱入へいって来て話なんぞをしやアがって、もし刃物三昧はものざんまいでもする了簡りょうけんなら私はたゞは置かないよ」

伴「そんな者じゃアないよ、話をしても手前てめえ怖がるな、毎晩来る女は萩原様に極ごく惚れて通かよって来るお嬢様とお附つきの女中だ」

みね「萩原様は萩原様の働きがあってなさる事だが、お前まえはこんな貧乏世帯びんぼうじょたいを張っていながら、そんな浮気をして済むかえ、それじゃアお前が其のお附の女中とくッついたんだろう」

伴「そんな訳じゃないよ、実は一昨日おとゝいの晩おれがうと〱していると、清水の方から牡丹の花の灯籠を提さげた年増としまが先へ立ち、お嬢様の手を引いてずっと己おれの宅うちへ入へえって来た所が、なか〱人柄のいゝお人だから、己のような者の宅へこんな人が来る筈はずはないがと思っていると、其の女が己の前めえへ手をついて、伴藏さんとはお前まえさまでございますかというから、私わっちが伴藏でごぜえやすと云ったら、あなたは萩原様の御家来かと聞くから、まア〱家来同様な訳でごぜえますというと、萩原様はあんまりなお方でございます、お嬢様が萩原様に恋焦こいこがれて、今夜いらっしゃいと慥たしかにお約束を遊ばしたのに、今はお嬢様をお嫌いなすって、入いれないようになさいますとは余あんまりなお方でございます、裏の小さい窓に御札が貼はってあるので、どうしても這入はいることが出来ませんから、お情なさけに其の御札を剥はがしてくださいましというから、明日あした屹度きっと剥して置きましょう、明晩みょうばん屹度お願い申しますと云ってずっと帰けえった、それから昨日きのうは終日いちにち畠耘はたけうないをしていたが、つい忘れていると、其の翌晩又来て、何故なぜ剥して下さいませんというから、違ちげえねえ、ツイ忘れやした、屹度明日あしたの晩剥がして置きやしょうと云ってそれから今朝畠へ出た序ついでに萩原様の裏手へ廻って見ると、裏の小窓に小さいお経の書いてある札が貼ってあるが、何なにしてもこんな小さい所から這入ることは人間には出来る物ではねえが、予かねて聞いていたお嬢様が死んで、萩原様の所へ幽霊になって逢いに来るのがこれに相違ねえ、それじゃア二晩ふたばん来たのは幽霊だッたかと思うと、ぞっと身の毛がよだつ程怖くなった」

みね「あゝ、いやだよ、おふざけでないよ」

伴「今夜はよもや来きやアしめえと思っている所へ又来たア、今夜はおれが幽霊だと知っているから怖くッて口もきけず、膏汗あぶらあせを流して固まっていて、おさえつけられるように苦しかった、そうすると未まだ剥してお呉くんなさいませんねえ、何どうしても剥しておくんなさいませんと、あなたまでお怨うらみ申しますと、恐おっかねえ顔をしたから、明日あしたは屹度剥しますと云って帰けえしたんだ、それだのに手前てめえに兎とや角こう嫉妬やきもちをやかれちゃア詰らねえよ、己おれは幽霊に怨みを受ける覚えはねえが、札を剥せば萩原様が喰殺くいころされるか取殺とりころされるに違ちげえねえから、己はこゝを越してしまおうと思うよ」

みね「嘘をおつきよ、何なんぼ何なんでも人を馬鹿にする、そんな事があるものかね」

伴「疑うたぐるなら明日あしたの晩手前てめえが出て挨拶をしろ、己おれは真平まっぴらだ、戸棚に入へいって隠れていらア」

みね「そんなら本当かえ」

伴「本当も嘘もあるものか、だから手前てめえが出なよ」

みね「だッて帰る時には駒下駄の音がしたじゃアないか」

伴「そうだが、大層綺麗な女で、綺麗程尚なお怖いもんだ、明日あしたの晩己おれと一緒に出な」

みね「ほんとうなら大変だ、私わたしゃいやだよう」

伴「そのお嬢様が振袖ふりそでを着て髪を島田に結上ゆいあげ、極ごく人柄のいゝ女中が丁寧ていねいに、己おれのような者に両手をついて、痩やせッこけた何なんだか淋しい顔で、伴藏さんあなた……」

みね「あゝ怖い」

伴「あゝ恟びっくりした、おれは手前てめえの声で驚いた」

みね「伴藏さん、ちょいといやだよう、それじゃア斯こうしておやりな、私達が萩原様のお蔭かげで何どうやらこうやら口を糊すごして居るのだから、明日あしたの晩幽霊が来たらば、おまえが一生懸命になって斯うおいいな、まことに御尤ごもっともではございますが、あなたは萩原様にお恨うらみがございましょうとも、私共わたくしども夫婦は萩原様のお蔭で斯うやっているので、萩原様に万一もしもの事がありましては私共夫婦の暮し方が立ちませんから、どうか暮し方の付くようにお金を百両持って来て下さいまし、そうすれば屹度きっと剥はがしましょうとお云いよ、怖いだろうがお前は酒を飲めば気丈夫になるというから、私わたしが夜延よなべをしてお酒を五合ばかり買っておくから、酔った紛まぎれにそう云ったら何どうだろう」

伴「馬鹿云え、幽霊に金があるものか」

みね「だからいゝやね、金をよこさなければお札を剥さないやね、それで金もよこさないでお札を剥さなけりゃア取殺とりころすというような訳の分らない幽霊は無いよ、それにお前には恨うらみのある訳でもなしさ、斯こういえば義理があるから心配はない、もしお金を持って来れば剥してやってもいゝじゃアないか」

伴「成程、あの位訳のわかる幽霊だから、そう云ったら得心して帰けえるかも知れねえ、殊ことによると百両持って来るものだよ」

みね「持って来たらお札を剥しておやりな、お前考えて御覧、百両あればお前と私は一生困りゃアしないよ」

伴「成程、こいつは旨うめえ、屹度きっと持って来るよ、こいつは一番やッつけよう」

と慾というものは怖おそろしいもので、明あくる日は日の暮れるのを待っていました。そうこうする内に日も暮れましたれば、女房は私わたしゃ見ないよと云いながら戸棚へ入るという騒ぎで、彼是しているうち夜よも段々と更ふけわたり、もう八ツになると思うから、伴藏は茶碗酒でぐい〱引っかけ、酔った紛まぎれで掛合う積りでいると、其の内八ツの鐘がボーンと不忍しのばずの池いけに響いて聞えるに、女房は熱いのに戸棚へ入り、襤褸ぼろを被かぶって小さく成っている。伴藏は蚊帳の中うちにしゃに構えて待っているうち、清水のもとからカランコロン〱と駒下駄の音高く、常に変らず牡丹の花の灯籠を提さげて、朦朧もうろうとして生垣いけがきの外まで来たなと思うと、伴藏はぞっと肩から水をかけられる程怖気立こわけだち、三合呑んだ酒もむだになってしまい、ぶる〱慄ふるえながらいると、蚊帳の側へ来て、伴藏さん〱というから、

伴「へい〱お出いでなさいまし」

女「毎晩参りまして、御迷惑の事をお願い申して誠に恐れ入りますが、未まだ今夜も御札が剥がれて居りませんので這入はいる事が出来ず、お嬢様がお憤むずかり遊ばし、私わたくしが誠に困りますから、どうぞ二人のものを不便ふびんと思召おぼしめしてあのお札を剥して下さいまし」

伴藏はガタ〱慄ふるえながら、

伴「御尤ごもっともさまでございますけれども、私共わたくしども夫婦の者は、萩原様のお蔭様で漸ようやく其の日を送っている者でございますから、萩原様のお体からだにもしもの事がございましては、私共夫婦のものが後あとで暮し方に困りますから、どうぞ後で暮しに困らないように百両の金を持って来て下さいましたらば直すぐに剥しましょう」

と云うたびに冷たい汗を流し、やっとの思いで云いきりますと、両人は顔を見合せて、暫しばらく首を垂れて考えて居ましたが。

米「お嬢様、それ御覧ごろうじませ、此のお方にお恨うらみはないのに御迷惑をかけて済まないではありませんか、萩原様はお心変りが遊ばしたのだから、貴方あなたがお慕したいなさるのはお冗むだでございます、何どうぞふッつりお諦あきらめあそばして下さい」

露「米や、私わたしゃ何うしても諦める事は出来ないから、百目ひゃくめの金子きんすを伴藏さんに上げて御札を剥がして戴いたゞき、何うぞ萩原様のお側へやっておくれヨウ〱」

といいながら、振袖ふりそでを顔に押しあて潜々さめ〲と泣く様子が実に物凄い有様ありさまです。

米「あなた、そう仰しゃいますが何うして私わたくしが百目の金子を持っておろう道理はございませんが、それ程までに御意ぎょい遊ばしますから、どうか才覚をして、明晩持ってまいりましょうが、伴藏さん、まだ御札の外ほかに萩原さまの懐ふところに入れていらっしゃるお守まもりは、海音如来かいおんにょらい様という有難い御守おまもりですから、それが有っては矢張やッぱりお側へまいる事が出来ませんから、何うか其の御守も昼の内にあなたの御工夫でお盗み遊ばして、外ほかへお取捨とりすてを願いたいものでございますが、出来ましょうか」

伴「へい〱御守を盗みましょうが、百両は何どうぞ屹度きっと持って来てお呉んなせえ」

米「嬢様それでは明晩までお待ち遊ばせ」

露「米や又今夜も萩原様にお目にかゝらないで帰るのかえ」

と泣きながらお米に手を引かれてスウーと出て行ゆきました。

十一

二十四日かは飯島様はお泊り番で、お國は只たゞ寝ても覚めても考えるには、どうがなして宮野邊みやのべの次男源次郎と一つになりたい、就ついては来月の四日に、殿様と源次郎と中川へ釣つりに行ゆく約束がある故、源次郎に殿様を川の中へ突落つきおとさせ、殺してしまえば、源次郎は飯島の家うちの養子になるまでの工夫は付いたものゝ、此の密談を孝助に立聞たちぎかれましたから、どうがな工夫をして孝助に暇いとまを出すか、殿様のお手打てうちにでもさせる工夫はないかと、いろ〱と考え、終しまいには疲れてとろ〱仮寝まどろむかと思うと、ふと目が覚めて、と見れば、二間けん隔へだっている襖ふすまがスウーとあきます。以前は屋敷方がたにては暑中でも簾障子すだれしょうじはなかったもので、縁側はやはり障子、中は襖で立て切ってありまするのが、サラ〱と開あいたかと思うと、スラリ〱と忍び足で歩いて参り、又次のお居間の襖をスラリ〱と開けるから、お國はハテナ誰かまだ起きて居るかと思っていると、地袋じぶくろの戸がガタ〱と音がしたかと思うと、錠じょうを明ける音がガチ〱と聞えましたから、ハテナと思う内スウーットンと襖をしめ、ピシャリ〱と裾すそを引くような塩梅あんばいで台所の方へ出て行ゆきますから、ハテ変な事だと思い、お國は気丈な女でありますから起上り、雪洞ぼんぼりを点つけ行いって見ると、誰もいないから、地袋の方を見ると戸が明け放してあって、お納戸縮緬なんどちりめんの胴巻が外の方へ流れ出して居たのに驚いて調べて見ると、殿様のお手文庫の錠前を捻切ねじきり、胴巻の中に有った百目めの金子きんすが紛失ふんじついたしたに、さては盗賊どろぼうかと思うと後あとが怖気立こわけだって憶おくするもので、お國も一時じ驚いたが、忽たちまち一計を考え出し、此の胴巻の金子の紛失したるを幸さいわいに、之これを証拠として、孝助を盗賊どろぼうに落し、殿様にたきつけて、お手打にさせるか暇ひまを出すか、どの道かに仕ようと、其の胴巻を袂たもとに入れ置き、臥床ふしどに帰って寝てしまい、翌日になっても知らぬ顔をしており、孝助には弁当を持たせて殿様のお迎いに出してやり、其の後あとへ源助げんすけという若党が箒ほうきを提さげてお庭の掃除に出てまいりました。

國「源助どん」

源「へい〱お早うございます、いつも御機嫌よろしゅう、此の節は日中にっちゅうは大層いきれて凌しのぎ兼ねます、今年のような酷きびしい事はございません、何どうも暑中より酷しいようでございます」

國「源助どん、お茶がはいったから一杯飲みな」

源「へい有難うございます、お屋敷様は高台たかだいでございますから、余程風通しもよくて、へい御門は何うも悉こと〲く熱うございまする、へい、これは何うも有難うございまする、私わたくしは御酒をいたゞきませんからお茶は誠に結構で、時々お茶を戴きまするのは何よりの楽たのしみでございまする」

國「源助どん、お前は八ヶ年前ぜん御当家へ来て中々正直者だが、孝助は三月の五日に当家へ御奉公に来たが、孝助は殿様の御意ぎょいに入いりを鼻にかけて、此の節は増長して我儘わがまゝになったから、お前も一つ部屋にいて、時々は腹の立つ事もあるだろうねえ」

源「いえ〱何どう致しまして、あの孝助ぐらいな善よく出来た人間はございません、其の上殿様思いで、殿様の事と云うと気違きちがいのように成って働きます、年はまだ廿一だそうですが、中々届いたものでございます、そして誠に親切な事は私わたくしも感心致しました、先達さきだって私の病気の時も孝助が夜よッぴて寝ないで看病をしてくれまして、朝も眠ねむがらずに早くから起きて殿様のお供を致し、あの位な情合じょうあいのある男はないと私は実に感心をしております」

國「それだからお前は孝助に誑ばかされているのだよ、孝助はお前の事を殿様にどんなに胡麻をするだろう」

源「ヘエー胡麻をすりますか」

國「お前は知らないのかえ、此の間孝助が殿様に云付いいつけるのを聞いていたら、源助は何どうも意地が悪くて奉公がしにくい、一つ部屋にいるものだから、源助が新参ものと侮あなどり、種々いろ〱に苛いじめ、私わたくしに何も教えて呉れませんで仕損しくじるようにばかり致し、お茶がはいって旨おいしい物を戴いても、源助が一人で食べて仕舞って私にはくれません、本当に意地の悪い男だというものだから、殿様もお腹をお立ち遊ばして、源助は年甲斐もない憎い奴だ、今に暇いとまを出そうと思っていると仰しゃったよ」

源「へい、これは何どうも、孝助は途方もない事を云ったもので、これは何うも、私わたくしは孝助にそんな事をいわれる覚えはございません、おいしい物を沢山に戴いた時は、孝助殿お前は若いから腹が減るだろうと云って、皆みんな孝助にやって食べさせる位にしているのに何なんたる事でしょう」

國「そればかりじゃアないよ孝助は殿様の物を掠くすねるから、お前孝助と一緒にいると今に掛り合いだよ」

源「へい何か盗とりましたか」

國「へいたッて、お前は何も知らないから今に掛り合いになるよ、慥たしかに殿様の物を取った事を私は知っているよ、私は先刻さっきから女部屋のものまで検あらためている位だから、お前はちょっと孝助の文庫をこゝへ持って来ておくれ」

源「掛り合いに成っては困ります」

國「夫それは私が宜よいように殿様に申上げて置いたから、そっと孝助の文庫を持って来きな」

といわれて、源助はもとより人が好いいからお國に奸策わるだくみあるとは知らず、部屋へ参りて孝助の文庫を持って参ってお國の前へ差出さしいだすと、お國は文庫の蓋ふたを明け、中を検あらためる振ふりをしてそっと彼かのお納戸縮緬の胴巻を袂たもとから取出とりだして中へズッと差込んで置いて。

國「呆あきれたよ、殿様の大事な品がこゝに入っているんだもの、今に殿様がお帰りの上で目張めっぱりこで皆みんなの物を検あらためなければ、私のお預あずかりの品が失なくなったのだから、私が済まないよ、屹度きっと詮議せんぎを致します」

源「へい、人は見かけによらないものでございますねえ」

國「此の文庫を見た事を黙っておいでよ」

源「へい宜よろしゅうございます」

と文庫を持って立帰たちかえり、元の棚へ上げて置きました。すると八ツ時、今の三時半頃殿様がお帰りになりましたから、玄関まで皆々みな〱お出迎いをいたし、殿様は奥へ通りお褥しとねの上にお坐りなされたから、いつもならば出来立てのお供そなえのようにお國が側から団扇うちわで扇あおぎ立て、ちやほやいうのだが、いつもと違って欝ふさいでいる故、

飯「お國大分だいぶすまん顔をしているが、気分でも悪いのか、何どうした」

國「殿様申訳もうしわけのない事が出来ました、昨晩お留守に盗賊どろぼうがはいり、金子が百目め紛失ふんじついたしました、あのお納戸縮緬の胴巻に入れて置いたのを胴巻ぐるみ紛失いたしました、何なんでも昨晩の様子で見ると、台所口の障子が明いたようで、外ほかは締りは厳重にしてあって、誰も居りませんから、よく検あらためますと、お居間の地袋の中にあるお文庫の錠前が捻切ねじきってありました、それから驚いて毘沙門びしゃもん様に願がんがけをしたり、占者うらないしゃに見て貰うと、これは内々うち〱の者が取ったに違いないと申しましたから、皆みんなの文庫や葛籠つゞらを検めようと思って居ります」

飯「そんな事をするには及ばない、内々の者に、百両の金を取る程の器量のある者は一人もいない、他ほかから這入はいった賊ぞくであろう」

國「それでも御門の締りは厳重に付けておりますし、只たゞ台所口が明いて居たのですから、内々の者を一ひト通り詮議をいたします、……アノお竹どん、おきみどん、皆みんな此方こちらへ来ておくれ」

竹「とんだ事でございました」

きみ「私わたくしはお居間などにはお掃除の外ほか参った事はございませんが、嘸さぞ御心配な事でございましょう、私なぞは昨晩の事はさっぱり存じませんでございます、誠に驚き入りました」

飯「手前達を疑ぐる訳ではないが、おれが留守で、國が預り中の事ゆえ心配をいたしているものだから」

女中は

「恐れ入ります、どうぞお検あらため下さいまし」

と銘々めい〱葛籠つゞらを縁側へ出す。

飯「たけの文庫には何どういう物が入っているか見たいナ成程たまかな女だ、一昨年おとゝし遣つかわした手拭てぬぐいがチャンとしてあるな、女という者は小切こぎれの端でもチャンと畳紙たとうへいれて置く位でなければいかん、おきみや、手前の文庫を一ツ見てやるから此処こゝへ出せ」

君「私わたくしのは何どうぞ御免あそばして、殿様が直じかに御覧あそばさないで下さい」

飯「そうはいかん、竹のを検あらためて手前のばかり見ずにいては怨うらみッこになる」

君「どうぞ御勘弁恐れ入ります」

飯「何も隠す事はない、成程、ハヽア大層枕草紙まくらぞうしをためたな」

君「恐れ入ります、貯ためたのではございません、親類内うちから到来をいたしたので」

飯「言訳いいわけをするな、着物が殖ふえると云うから宜いいわ」

國「アノ男部屋の孝助と源助の文庫を検あらためて見とうございます、お竹どん一寸ちょっと二人を呼んでおくれ」

竹「孝助どん、源助どん、殿様のお召めしでございますよ」

源「へい〱お竹どんなんだえ」

竹「お金が百両紛失ふんじつして、内々うち〱の者へお疑いがかゝり、今お調べの所だよ」

源「何処どこから這入はいったろう、何しろ大変な事だ、何しろ行って見よう」

と両人飯島の前へ出て来て、

源「承わり恟びっくり致しました、百両の金子きんすが御紛失ごふんじつになりましたそうでございますが、孝助と私わたくしと御門を堅く守って居りましたに、何どういう事でございましょう、嘸さぞ御心配な事で」

飯「なに國が預り中で、大層心配をするから一寸ちょっと検あらためるのだ」

國「孝助どん、源助どん、お気の毒だがお前方二人は何どうも疑うたぐられますよ、葛籠つゞらをこゝへ持ってお出いで」

源「お検あらためを願います」

國「これ切ぎりかえ」

源「一切合切さいがっさい一世帯ひとしょたい是切これぎりでございます」

國「おや〱まア、着物を袖畳そでだゝみにして入れて置くものではないよ、ちゃんと畳んでお置きな、これは何なんだえ、ナニ寝衣ねまきだとえ、相変らず無性ぶしょうをして丸めて置いて穢きたないねえ、此の紐ひもは何だえ、虱紐しらみひもだとえ、穢きたないねえ、孝助どんお前のをお出し、此の文庫切りか」

と是から段々ひろちゃくいたしましたが、元より入れて置いた胴巻ゆえ有るに違いない。お國はこれ見よがしに団扇うちわの柄えに引掛ひっかけて、すッと差上げ、

國「おい孝助どん此の胴巻は何どうしてお前の文庫の中に入っていたのだ」

孝「おや〱〱、さっぱり存じません、何う致したのでしょう」

國「おとぼけでないよ、百両のお金が此の胴巻ぐるみ紛失ふんじつしたから、御神鬮おみくじの占うらないのと心配をしているのです、是が失なくなっては何うも私が殿様に済まないからお金を返しておくれよ」

孝「私わたくしは取った覚えはありません、どんな事が有っても覚えはありません、へい〱何ういう訳で此の胴巻が入っていたか存じません、へえ」

國「源助どん、お前は一番古く此のお屋敷にいるし、年かさも多い事だから、これは孝助どんばかりの仕業しわざではなかろう、お前と二人で心を合せてした事に違いない、源助どんお前から先へ白状しておしまい」

源「これは、私わたくしはどうも、これ孝助々々、どうしたんだ、己おれが迷惑を受けるだろうじゃないか、私は此のお屋敷に八ヶ年も御奉公をして、殿様から正直と云われているのに年嵩としかさだものだから御疑念ごぎねんを受ける、孝助どうしたか云わねえか」

孝「私わたくしは覚えはないよ」

源「覚えはないといったって、胴巻の出たのは何どうしたのだ」

孝「何うして出たか私わたくしゃ知らないよ、胴巻は自然ひとりでに出て来たのだもの」

國「自然ひとりでに出たと云ってすむかえ、胴巻の方から文庫の中へ駆込かけこむやつがあるものか、そら〲しい、そんな優しい顔つきをして本当に怖い人だよ、恩も義理も知らない犬畜生とはお前の事だ、私が殿様にすまない」

と孝助の膝をグッと突く。

孝「何をなさいます、私わたくしは覚えはございません、どんな事が有っても覚えはございません〱」

國「源助どん、お前から先へ白状おしよ」

源「孝助、己おれが困る、己が智慧ちえでも付けたようにお疑ぐりがかゝり、困るから早く白状しろよ」

孝「私わたくしゃ覚えはない、そんな無理な事を云ってもいけないよ、外ほかの事と違って、大だいそれた、家来が御主人様のお金を百両取ったなんぞと、そんな覚えはない」

源「覚えがないと計ばかり云っても、それじゃア胴巻の出た趣意が立たねえ、己まで御疑念がかゝり困るから、早く白状して殿様の御疑念を晴はらしてくれろ」

とこづかれて、孝助は泣きながら、只たゞ残念でございますと云っていると、お國は先夜せんやの意趣を晴はらすは此の時なり、今日こそ孝助が殿様にお手打になるか追出おいだされるかと思えば、心地よく、わざと

「孝助どん云わないか」

と云いながら力に任せて孝助の膝をつねるから、孝助は身にちっとも覚えなき事なれど、証拠があれば云い解く術すべもなく、口惜涙くやしなみだを流し、

孝「痛いとうございます、どんなに突かれても抓つねられても、覚えのない事は云いようがありません」

國「源助どん、お前から先へ云ってしまいな」

源「孝助云わねえか」

と云いながらドンと突飛つきとばす。

孝「何を突き飛ばすのだね」

源「いつまでも云わずにいちゃア己が迷惑する、云いなよ」

と又突飛ばす。孝助は両方から抓ねられ突飛ばされたりして、残念で堪たまらない。

孝「突き飛ばしたって覚えはない、お前もあんまりだ、一つ部屋にいて己の気性も知っているじゃアないか、お庭の掃除をするにも草花一本も折らないように気を附け、釘一本落ちていても直すぐに拾って来て、お前に見せるようにしているじゃアないか、己おいらの心も知っていながら、人を盗賊どろぼうと疑ぐるとは余あんまり酷ひどいじゃアないか、そんなにキャア〱いうと殿様までが私わたくしを疑ぐります」

始終を聞いていた飯島は大声を上げて、

飯「黙れ孝助、主人の前も憚はゞからず大声おおごえを発して怪けしからぬ奴、覚えがなければ何どうして胴巻が貴様の文庫の中うちに有ったか、それを申せ、何うして胴巻があった」

孝「何うして有りましたか、さっぱり存じません」

飯「只たゞ存ぜぬ知らんと云って済むと思うかえ、不埓ふらちな奴だ、己おれが是程目を懸けてやるにサ、其の恩義を打忘うちわすれ、金子を盗むとは不届ふとゞきものめ、手前ばかりではよもあるまい、外ほかに同類があるだろう、さア申訳もうしわけが立たんければ手打にしてしまうから左様心得ろ」

と云放いいはなつ。源助は驚いて、

源「どうかお手打の処ところは御勘弁を願います、へい又何者にか騙だまされましたか知れませんから、篤とくと源助が取調べ御挨拶を申上げまする迄までお手打の処はお日延ひのべを願いとう存じます」

飯「黙れ源助、さような事を申すと手前まで疑念が懸るぞ、孝助を構い立てすると手前も手打にするから左様心得ろ」

源「これ孝助、お詫わびを願わないか」

孝「私わたくしは何もお詫をするような不埓をした事はない、殿様にお手打になるのは有難い事だ、家来が殿様のお手に掛って死ぬのは当然あたりまえの事だ、御奉公に来た時から、身体は元より命まで殿様に差上げている気だから、死ぬのは元より覚悟だけれど、是まで殿様の御恩に成った其の御恩を孝助が忘れたと仰しゃった殿様のお言葉、そればかりが冥途よみじの障さわりだ、併しかし是も無実の難で致し方がない、後あとで其の金を盗んだ奴が出て、あゝ孝助が盗んだのではない、孝助は無実の罪であったという事が分るだろうから、今お手打に成っても構わない、さア殿様スッパリとお願い申します、お手打になさいまし」

と摩すり寄ると、

飯「今は日のあるうち血を見せては穢けがれる恐れがあるから、夕景になったら手打にするから、部屋へ参って蟄居ちっきょしておれ、これ源助、孝助を取逃とりにがさんように手前に預けたぞ」

源「孝助お詫を願え」

孝「お詫する事はない、お早くお手打を願います」

飯「孝助よく聞け、匹夫ひっぷ下郎げろうという者は己おのれの悪い事を余所よそにして、主人を怨うらみ、酷むごい分らんと我がを張って自みずから舌なぞを噛み切り、或あるいは首をくゝって死ぬ者があるが、手前は武士の胤たねだという事だから、よも左様な死にようは致すまいな、手打になるまで屹度きっと待っていろ」

と云われて孝助は口惜涙くやしなみだの声を慄ふるわせ、

孝「そんな死にようは致しません、早くお手打になすって下さいまし」

源「これ孝助お詫びを願わないか」

孝「どうしても取った覚えはない」

源「殿様は荒い言葉もお掛なすった事もなかったが大枚だいまいの百両の金が紛失ふんじつしたので、金ずくだから御尤ごもっともの事だ、お隣の宮野邊の御次男様にお頼み申し、お詫言わびごとを願っていたゞけ」

孝「隣の次男なんぞに、たとえ舌を喰って死んでも詫言なぞは頼まねえ」

源「そんなら相川様へ願え、新五兵衞様へサ」

孝「何も失錯しくじりの廉かどがないものを、何も覚えがないのだから、あとで金の盗人ぬすみてが知れるに違いない、天てん誠まことを照てらすというから、其の時殿様が御一言でも、あゝ孝助は可愛相かわいそうな事をしたと云って下されば、そればっかりが私わたくしへの好よい手向たむけだ、源助どん、お前にも長らく御厄介になったから、相川様へ養子に行ゆくように成ったら、小遣こづかいでも上げようと心懸けていたのも、今となっては水の泡、どうぞ私わたしがない後のちは、お前が一人で二人前ふたりまえの働きをして、殿様を大切に気を付け、忠義を尽つくして上げて下さい、そればかりがお願いだ、それに源助どんお前は病身だから体からだを大切だいじに厭いとって御奉公をし、丈夫でいておくれ、私は身に覚えのない盗賊どろぼうにおとされたのが残念だ」

と声を放って泣き伏しましたから、源助も同じく鼻をすゝり、涙を零こぼして眼を擦こすりながら、

源「わび事を頼めよ〱」

孝「心配おしでないよ」

と孝助はいよ〱手打になる時は、隣の次男源次郎とお國と姦通し、剰あまつさえ来月の四日中川で殿様を殺そうという巧たくみの一伍一什ぶしゞゅうを委くわしく殿様の前へ並べ立て、そしてお手打になろうという気でありますから、少しも憶おくする色もなく、平常ふだんの通りで居る。其の内に灯あかりがちら〱点つく時刻と成りますと、飯島の声で、

「孝助庭先へ廻れ」

という。此の後あとは何どうなりますか、次囘つぎまでお預あずかり。

十二

伴藏の家うちでは、幽霊と伴藏と物語をしているうち、女房おみねは戸棚に隠れ、熱さを堪こらえて襤褸ぼろを被かぶり、ビッショリ汗をかき、虫の息をころして居るうちに、お米は飯島の娘お露の手を引いて、姿は朦朧もうろうとして掻消かきけす如く見えなく成りましたから、伴藏は戸棚の戸をドン〱叩き、

伴「おみね、もう出なよ」

みね「まだ居やアしないかえ」

伴「帰けえってしまった、出ねえ〱」

みね「何どうしたえ」

伴「何うにも斯こうにも己おれが一生懸命に掛合ったから、飲んだ酒も醒さめて仕舞った、己おらア全体ぜんてい酒さえのめば、侍さむれえでもなんでも怖おっかなくねえように気が強くなるのだが、幽霊が側へ来たかと思うと、頭から水を打ちかけられるように成って、すっかり酔よいも醒め、口もきけなくなった」

みね「私が戸棚で聞いていれば、何なんだかお前と幽霊と話をしている声が幽かすかに聞えて、本当に怖かったよ」

伴「己おれは幽霊に百両の金を持って来ておくんなせえ、私わっちども夫婦は萩原様のお蔭かげで何どうやら斯こうやら暮しをつけて居ります者ですから、萩原様に万一もしもの事が有りましては私共わたくしども夫婦は暮し方に困りますから、百両のお金を下さったなら屹度きっとお札を剥はがしましょうというと、幽霊は明日あしたの晩お金を持って来ますからお札を剥してくれろ、それに又萩原様の首に掛けていらっしゃる海音如来の御守おまもりがあっては入る事が出来ないから、どうか工夫をして其のお守を盗み、外ほかへ取捨てゝ下さいと云ったは、金無垢きんむくで丈たけは四寸二分の如来様だそうだ、己も此の間お開帳の時ちょっと見たが、あの時坊さんが何か云ってたよ、抑そも何なんとかいったっけ、あれに違ちげえねえ、何なんでも大変な作物さくものだそうだ、あれを盗むんだが、どうだえ」

かね「どうも旨いねえ、運が向いて来たんだよ、其の如来様はどっかへ売れるだろうねえ」

伴「何どうして江戸ではむずかしいから、何所どこか知らない田舎へ持って行って売るのだなア、仮令たとい潰つぶしにしても大たいしたものだ、百両や二百両は堅いものだ」

みね「そうかえ、まア二百両あれば、お前と私と二人ぐらいは一生楽に暮すことが出来るよ、それだからねえ、お前一生懸命でおやりよ」

伴「やるともさ、だが併しかし首にかけているのだから、容易に放すまい、何どうしたら宜よかろうナ」

みね「萩原様は此の頃お湯にも入らず、蚊帳かやを吊りきりでお経を読んでばかりいらっしゃるものだから、汗臭いから行水をお遣つかいなさいと云って勧すゝめて使わせて、私が萩原様の身体を洗っているうちにお前がそっとお盗みな」

伴「成程旨うめえや、だが中々外へは出まいよ」

みね「そんなら座敷の三畳の畳を上げて、あそこで遣わせよう」

と夫婦いろ〱相談をし、翌日湯を沸かし、伴藏は萩原の宅うちへ出掛けて参り、

伴「旦那え、今日は湯を沸かしましたから行水をお遣いなせえ、旦那をお初はつに遣わせようと思って」

新「いや〱行水はいけないよ、少し訳があって行水は遣えない」

みね「旦那此の熱いのに行水を遣わないで毒ですよ、お寝衣ねめしも汗でビッショリになって居りますから、お天気ですから宜ようございますが、降りでもすると仕方がありません、身体のお毒になりますからお遣いなさいよ」

新「行水は日暮方表で遣うもので、私わたくしは少し訳があって表へ出る事の出来ない身分だからいけないよ」

伴「それじゃアあすこの三畳の畳を上げてお遣つけえなせえ」

新「いけないよ、裸になる事だから、裸になる事は出来ないよ」

伴「隣の占者うらないの白翁堂先生がよくいいますぜ、何なんでも穢きたなくして置くから病気が起ったり幽霊や魔物などが這入はいるのだ、清らかにしてさえ置けば幽霊なぞは這入られねえ、じゞむさくして置くと内から病が出る、又穢くして置くと幽霊がへいって来ますよ」

新「穢くして置くと幽霊が這入って来るか」

伴「来る所どころじゃアありません両人ふたりで手を引いて来ます」

新「それでは困る、内で行水を遣うから三畳の畳を上げてくんな」

というから、伴藏夫婦はしめたと思い、

伴「それ盥たらいを持って来て、手桶ておけへホレ湯を入れて来い」

などと手早く支度をした。萩原は着物を脱ぎ捨て、首に掛けているお守まもりを取りはずして伴藏に渡し、

新「これは勿体もったいないお守だから、神棚へ上げて置いてくんな」

伴「へい〱、おみね、旦那の身体を洗って上げな、よく丁寧ていねいにいゝか」

みね「旦那様此方こちらの方をお向きなすっちゃアいけませんよ、もっと襟えりを下の方へ延ばして、もっとズウッと屈こゞんでいらっしゃい」

と襟を洗う振ふりをして伴藏の方を見せないようにしている暇ひまに、伴藏は彼かの胴巻をこき、ズル〱と出して見れば、黒塗くろぬり光沢消つやけしのお厨子ずしで、扉を開ひらくと中はがたつくから黒い絹で包くるんであり、中には丈たけ四寸二分、金無垢きんむくの海音如来、そっと懐中へ抜取ぬきとり、代り物がなければいかぬと思い、予かねて用心に持って来た同じような重さの瓦の不動様を中へ押込おしこみ、元の儘まゝにして神棚へ上げ置き、

伴「おみねや長いのう、余あんまり長く洗っているとお逆上のぼせなさるから、宜いい加減にしなよ」

新「もう上がろう」

と身体を拭ふき、浴衣ゆかたを着、あゝ宜いい心持こゝろもちになった。と着た浴衣は経帷子きょうかたびら、使った行水は湯灌ゆかんとなる事とは、神ならぬ身の萩原新三郎は、誠に心持よく表を閉めさせ、宵よいの内から蚊帳かやを吊り、其の中で雨宝陀羅尼経うほうだらにきょうを頻しきりに読んで居ります。此方こちらは伴藏夫婦は、持ちつけない品を持ったものだからほく〱喜び、宅うちへ帰りて、

みね「お前立派な物だねえ、中々高そうな物だよ」

伴「なに己おらたちには何なんだか訳が分らねえが、幽霊は此奴こいつがあると這入へいられねえという程な魔除まよけのお守まもりだ」

みね「ほんとうに運が向いて来たのだねえ」

伴「だがのう、此奴こいつがあると幽霊が今夜百両の金を持って来ても、己おれの所へ這入へいる事が出来めえが、是にゃア困った」

みね「それじゃアお前出掛けて行って、途中でお目に懸ってお出いでな」

伴「馬鹿ア云え、そんな事が出来るものか」

みね「どっかへ預けたら宜よかろう」

伴「預けなんぞして、伴藏の持物もちものには不似合だ、何どういう訳でこんな物を持っていると聞かれた日にゃア盗んだ事が露顕して、此方こっちがお仕置しおきに成ってしまわア、又質に置くことも出来ず、と云って宅うちへ置いて、幽霊が札が剥がれたから萩原様の窓から這入へいって、萩原様を喰殺くいころすか取殺とりころした跡をあらためた日にゃア、お守が身体にないものだから、誰たれか盗んだに違ちげえねえと詮議になると、疑うたぐりのかゝるは白翁堂か己おれだ、白翁堂は年寄の事で正直者だから、此方こっちはのっけに疑ぐられ、家捜やさがしでもされてこれが出ては大変だから何どうしよう、これを羊羹箱ようかんばこか何かへ入れて畑へ埋めて置き、上へ印の竹を立てゝ置けば、家捜しをされても大丈夫だ、そこで一旦身を隠して、半年か一年も立って、ほとぼりの冷めた時分帰けえって来て掘出ほりだせば大丈夫知れる気遣きづかいはねえ」

みね「旨い事ねえ、そんなら穴を深く掘って埋めてお仕舞いよ」

と、直すぐに伴藏は羊羹箱の古いのに彼かの像を入れ、畑へ持出もちだし土中どちゅうへ深く埋めて、其の上へ目標めじるしの竹を立置たておき立帰たちかえり、さアこれから百両の金の来るのを待つばかり、前祝いに一杯やろうと夫婦差向さしむかいで互たがいに打解うちとけ酌交くみかわし、最もう今に八ツになる頃だからというので、女房は戸棚へ這入はいり、伴藏一人酒を飲んで待っているうちに、八ツの鐘が忍ヶ岡に響いて聞えますと、一際きわ世間がしんと致し、水の流れも止り、草木も眠るというくらいで、壁にすだく蟋蟀こおろぎの声も幽かすかに哀あわれを催もよおし、物凄く、清水の元からいつもの通り駒下駄の音高くカランコロン〱と聞えましたから、伴藏は来たなと思うと身の毛もぞっと縮まる程怖ろしく、かたまって、様子を窺うかゞっていると、生垣いけがきの元へ見えたかと思うと、いつの間にやら縁側の所へ来て、

「伴藏さん〱」

と云われると、伴藏は口が利けない、漸々よう〱の事で、

「へい〱」

と云うと、

米「毎晩上あがりまして御迷惑の事を願い、誠に恐れ入りまするが、未まだ今晩も萩原様の裏窓のお札が剥はがれて居りませんから、どうかお剥しなすって下さいまし、お嬢様が萩原様に逢いたいと私わたくしをお責め遊ばし、おむずかって誠に困り切りまするから、どうぞ貴方様あなたさま、二人の者を不便ふびんに思召おぼしめしお札を剥して下さいまし」

伴「剥します、へい剥しますが、百両の金を持って来て下すったか」

米「百目の金子慥たしかに持参致しましたが、海音如来の御守おまもりをお取捨とりすてになりましたろうか」

伴「へい、あれは脇へ隠しました」

米「左様なれば百目の金子お受取うけとり下さいませ」

とズッと差出さしだすを、伴藏はよもや金ではあるまいと、手に取上とりあげて見れば、ズンとした小判の目方、持った事もない百両の金を見るより伴藏は怖い事も忘れてしまい、慄ふるえながら庭へ下おり立ち、

「御一緒にお出いでなせえ」

と二間梯子にけんばしごを持出もちだし、萩原の裏窓の蔀したみへ立て懸け、慄える足を踏締ふみしめながらよう〱登り、手を差伸ばし、お札を剥そうとしても慄えるものだから思う様ように剥れませんから、力を入れて無理に剥そうと思い、グッと手を引張ひっぱる拍子に、梯子がガクリと揺れるに驚き、足を踏み外はずし、逆さかとんぼうを打って畑の中へ転ころげ落ち、起上おきあがる力もなく、お札を片手に握つかんだまゝ声をふるわし、唯たゞ南無阿弥陀仏〱と云っていると、幽霊は嬉しそうに両人顔を見合せ、

米「嬢様、今晩は萩原様にお目にかゝって、十分にお怨みを仰しゃいませ、さア入いらっしゃい」

と手を引き伴藏の方を見ると、伴藏はお札を掴つかんで倒れて居りますものだから、袖そでで顔を隠しながら、裏窓からズッと中うちへ這入りました。

十三

飯島平左衞門の家うちでは、お國が、今夜こそ予かねて源次郎と諜しめし合あわせた一大事を立聞たちぎきした邪魔者の孝助が、殿様のお手打てうちになるのだから、仕すましたりと思うところへ、飯島が奥から出てまいり、

飯「國、國、誠にとんだ事をした、譬たとえにも七なゝたび捜して人を疑ぐれという通り、紛失ふんじつした百両の金子が出たよ、金の入れ所は時々取違えなければならないものだから、己おれが外ほかへ仕舞って置いて忘れていたのだ、皆みんなに心配を掛けて誠に気の毒だ、出たから悦んでくれろ」

國「おやまアお目出度めでとうございます」

と口には云えど、腹の内では些ちっとも目出たい事も何なんにもない。何どうして金が出たであろうと不審が晴れないで居りますと、

飯「女どもを皆みんなこゝへ呼んでくれ」

國「お竹どん、おきみどん皆みんなこゝへお出いで」

竹「只今承わりますればお金が出ましたそうでおめでとう存じます」

君「殿様誠におめでとうございます」

飯「孝助も源助もこゝへ呼んで来い」

女「孝助どん源助どん、殿様がめしますよ」

源「へい〱、これ孝助お詫事わびごとを願いな、お前は全く取らないようだが、お前の文庫の中から胴巻が出たのがお前があやまり、詫ごとをしなよ」

孝「いゝよ、いよ〱お手打になるときは、殿様の前で私わたくしが列ならべ立てる事がある、それを聞くとお前は嘸さぞ悦ぶだろう」

源「なに嬉しい事があるものか、殿様が召すからマア行こう」

と両人連立つれだってまいりますと、

飯「孝助、源助、此方こっちへ来てくれ」

源「殿様、只今部屋へ往って段々孝助へ説得を致しましたが、どうも全く孝助は盗とらないようにございます、お腹立はらだちの段は重々御尤ごもっともでござりますが、お手打の儀は何卒なにとぞ廿三日ちまでお日延ひのべの程を願いとう存じます」

飯「まアいゝ、孝助これへ来てくれ」

孝「はいお庭でお手打になりますか、〔「蓙」の左の「人」に代えて「口」〕ござをこれへ敷きましょうか、血が滴たれますから」

飯「縁側へ上がれ」

孝「へい、これはお縁側でお手打、これは有がたい、勿体もったいない事で」

飯「そう云っちゃア困るよ、さて源助孝助、誠に相済まん事であったが、百両の金は実は己おれが仕舞処しまいどころを違えて置いたのが、用箪笥ようだんすから出たから喜んでくれ、家来だからあんなに疑うたぐってもよいが、外ほかの者でもあっては己が言訳いいわけのしようもない位な訳で、誠に申しわけがない」

孝「お金が出ましたか、さようなれば私わたくしは盗賊どろぼうではなく、お疑うたぐりは晴れましたか」

飯「そうよ、疑りはすっぱり晴れた、己が間違いであったのだ」

孝「えゝ有がとうござります、私わたくしは素もとよりお手打になるのは厭いといませんけれども、只たゞ全く私が取りませんのを取ったかと思われまするのが冥路よみじの障さわりでございましたが、御疑念が晴れましたならお手打は厭いません、サヽお手打になされまし」

飯「己が悪かった、これが家来だからいゝが、若もし朋友ほうゆうか何かであった日にゃア腹を切っても済まない所、家来だからといって、無闇に疑うたぐりを掛けては済まない、飯島が板の間へ手を突いてこと〲く詫びる、堪忍して呉れ」

孝「あゝ勿体ない、誠に嬉しゅうございました、源助どん」

源「誠にどうも」

飯「源助、手前は孝助を疑うたぐって孝助を突いたから謝あやまれ」

源「へい〱孝助どん、誠に済みません」

飯「たけや何かも何か少し孝助を疑ったろう」

竹「ナニ疑りは致しませんが、孝助どんは平常ふだんの気性にも似合ないことだと存じまして、些ちっとばかり」

飯「矢張り疑ったのだから謝まれ、きみも謝まれ」

竹「孝助どん、誠にお目出度めでとう存じます、先程は誠に済みません」

飯「これ國、貴様は一番孝助を疑り、膝を突いたり何かしたから余計に謝まれ、己でさえ手をついて謝ったではないか、貴様は猶更なおさら丁寧に詫をしろ」

と云われてお國は、此度こんどこそ孝助がお手打になる事と思い、心の中うちで仕済ましたりと思っている処ところへ、金子が出て、孝助に謝まれと云うから残念で堪たまらないけれども、仕方がないから、

國「孝助どん誠に重々すまない事を致しました、何どうか勘弁しておくんなさいましよ」

孝「なに宜よろしゅうございます、お金が出たから宜いいが、若もしお手打にでもなるなら、殿様の前でお為になる事を並べ立たてて死のうと思って……」

と急込せきこんで云いかけるを、飯島は、

飯「孝助何も云って呉れるな己にめんじて何事もいうな」

孝「恐れ入ります、金子は出ましたが、彼あの胴巻は何どうして私わたくしの文庫から出ましたろう」

飯「あれはホラいつか貴様が胴巻の古いのを一つ欲しいと云った事があったっけノウ、其の時おれが古いのを一つやったじゃないか」

孝「ナニさような事は」

飯「貴様がそれ欲しいと云ったじゃないか」

孝「草履取の身の上で縮緬ちりめんのお胴巻を戴いたとて仕方がございません」

飯「此奴こいつ物覚えの悪いやつだ」

孝「私わたくしより殿様は百両のお金を仕舞い忘れる位ですから貴方あなたの方が物覚えがわるい」

飯「成程これはおれがわるかった、何しろ目出度めでたいから皆みんなに蕎麦そばでも喰わせてやれ」

と飯島は孝助の忠義の志こゝろざしは予かねて見抜いてあるから、孝助が盗み取るようなことはないと知っている故、金子は全く紛失ふんじつしたなれども、別に百両を封金ふうきんに拵こしらえ、此の騒動を我が粗忽そこつにしてぴったりと納まりがつきました。飯島は斯程かほどまでに孝助を愛する事ゆえ、孝助も主人の為ためには死んでもよいと思い込んで居りました。斯かくて其の月も過ぎて八月の三日となり、いよ〱明日あすはお休みゆえ、殿様と隣邸となりの次男源次郎と中川へ釣つりに行ゆく約束の当日なれば、孝助は心配をいたし、今夜隣の源次郎が来て当家に泊るに相違ないから、殿様に明日みょうにちの釣をお止やめなさるように御意見を申し上げ、もし何どうしてもお聞入きゝいれのない其の時は、今夜客間に寝ている源次郎めが中ちゅう二階に寝ているお國の所へ廊下伝いに忍び行ゆくに相違ないから、廊下で源次郎を槍玉やりだまにあげ、中二階へ踏込ふみこんでお國を突殺つきころし、自分は其の場を去らず切腹すれば、何事もなく事済ことずみになるに違いない、これが殿様へ生涯の恩返し、併しかし何うかして明日みょうにち主人を漁りょうにやりたくないから、一応は御意見をして見ようと、

孝「殿様明日みょうにちは中川へ漁に入いらっしゃいますか」

飯「あゝ行ゆくよ」

孝「度々たび〱申上げるようですが、お嬢様がお亡くなりになり、未まだ間まもない事でございまするから、お見合みあわせなすっては如何いかゞ」

飯「己おれは外ほかに楽たのしみはなく釣が極ごく好きで、番がこむから、偶たまには好きな釣ぐらいはしなければならない、それを止とめてくれては困るな」

孝「貴方あなたは泳ぎを御存じがないから水辺すいへんのお遊びは宜よろしくございません、それともたって入っしゃいますならば孝助お供いたしましょう、何うか手前お供にお連れください」

飯「手前は釣は嫌いじゃないか、供はならんよ、能よく人の楽みを止める奴だ、止めるな」

孝「じゃア今晩やって仕舞います、長々御厄介になりました」

飯「何を」

孝「え、なんでも宜しゅうございます、此方こちらの事です、殿様私わたくしは三月二十一日に御当家へ御奉公に参りまして、新参者の私を、人が羨うらやましがる程お目を掛けてくださり、御恩義の程は死んでも忘れはいたしません、死ねば幽霊になって殿様のお身体に附きまとい、凶事のない様に守りまするが、全体貴方は御酒を召上れば前後も知らずお寝やすみになる、又召上がらねば少しもお寝みになる事が出来ません、御酒も随分気を散じますから少々は召上がっても宜しゅうございますが、多分に召上ってお酔いなすっては、仮令たといどんなに御剣術が御名人でも、悪者がどんなことを致しますかも知れません、私はそれが案じられてなりません」

飯「さような事は云わんでも宜しい、あちらへ参れ」

孝「へえ」

と立上がり、廊下を二足ふたあし三足みあし行ゆきにかゝりましたが、是これがもう主人の顔の見納めかと思えば、足も先に進まず、又振返って主人の顔を見てポロリと涙を流し、悄々しお〱として行ゆきますから、振返るを見て飯島もハテナと思い、暫しばし腕拱こまぬき、小首かたげて考えて居りました。孝助は玄関に参り、欄間らんまに懸かゝってある槍をはずし、手に取って鞘さやを外はずして検あらためるに、真赤まっかに錆さびて居りましたゆえ、庭へ下おり、砥石といしを持来もちきたり、槍の身をゴシ〱研とぎはじめていると、

飯「孝助々々」

孝「へい〱」

飯「何なんだ、何をする、どう致すのだ」

孝「これは槍でございます」

飯「槍を研いで何どう致すのだえ」

孝「余あんまり真赤まっかに錆さびておりますから、なんぼ泰平の御代みよとは申しながら、狼藉ろうぜきものでも入いりますと、其の時のお役に立たないと思い、身体が閑でございますから研ぎ始めたのでございます」

飯「錆槍さびやりで人が突けぬような事では役にたゝんぞ、仮令たとえ向うに一寸幅すんはゞの鉄板てついたがあろうとも、此方こちらの腕さえ確たしかならプツリッと突き抜ける訳のものだ、錆ていようが丸刃まるはであろうが、さような事に頓着とんじゃくはいらぬから研ぐには及ばん、又憎い奴を突殺つきころす時は錆槍で突いた方が、先の奴が痛いから此方が却かえっていゝ心持こゝろもちだ」

孝「成程こりゃアそうですな」

と其の儘まゝ槍を元の処ところへ掛けて置く。飯島は奥へ這入り、其の晩源次郎がまいり酒宴さかもりが始まり、お國が長唄の地じで春雨はるさめかなにか三味線さみせんを掻きならし、当時の九時過まで興を添えて居りましたが、もうお引ひけにしましょうと客間へ蚊帳を一抔に吊って源次郎を寝かし、お國は中ちゅう二階へ寝てしまいました。お國は誰が泊っても中二階へ寝なければ源次郎の来た時不都合だから、何時いつでもお客さえあればこゝへ寝ます。夜よも段々と更け渡ると、孝助は手拭てぬぐいを眉深まぶかに頬冠ほおかむりをし、紺看板こんかんばんに梵天帯ぼんてんおびを締め、槍を小脇に掻込かいこんで庭口へ忍び込み、雨戸を少々ずつ二所ふたところ明けて置いて、花壇の中うちへ身を潜ひそめ隠し縁の下へ槍を突込つきこんで様子を窺うかゞっている。その中うちに八やツの鐘がボーンと鳴り響く。此の鐘は目白の鐘だから少々早めです。するとさらり〱と障子を明け、抜足ぬきあしをして廊下を忍び来る者は、寝衣姿ねまきすがたなれば、慥たしかに源次郎に相違ないと、孝助は首を差延さしのべ様子を窺うに、行灯あんどうの明りがぼんやりと障子に映るのみにて薄暗く、はっきりそれとは見分けられねど、段々中二階の方へ行ゆくから、孝助はいよ〱源次郎に違いなしとやり過すごし、戸の隙間すきまから脇腹を狙って、物をも云わず、力に任せて繰出くりだす槍先は過あやまたず、プツリッと脾腹ひはらへ掛けて突き徹とおす。突かれて男はよろめきながら左手ゆんでを延のばして槍先を引抜ひきぬきさまグッと突返つきかえす。突かれて孝助たじ〱と石へ躓つまずき尻もちをつく。男は槍の穂先を掴つかみ、縁側より下へヒョロ〱と降り、沓脱石くつぬぎいしに腰を掛け、

「孝助外庭へ出ろ〱」

と云われて孝助、オヤ、と言って見ると、恟びっくりしたは源次郎と思いの外ほか、大恩受けたる主人の肋骨あばらへ槍を突掛つきかけた事なれば、アッとばかりに呆あきれはて、唯たゞキョトキョト〱として逆上のぼせあがってしまい、呆気あっけに取られて涙も出ずにいる。

飯「孝助こちらへ来い」

と気丈な殿様なれば袂たもとにて疵口きずぐちを確しっかと押えてはいるものゝ、血のりは溢あふれてぼたり〱と流れ出す。飯島は血に染しみたる槍を杖として、飛石伝とびいしづたいにヒョロ〱と建仁寺垣の外なる花壇の脇の所へ孝助を連れて来る。孝助は腰が抜けてしまって、歩けないで這って来た。

孝「へい〱間違まちがいでござります」

飯「孝助己おれの上締うわじめを取って疵口を縛れ、早く縛れ」

と云われても、孝助は手がブル〱とふるえて思うまゝに締らないから、飯島自ら疵口をグッと堅く締め上げ、猶なお手をもって其の上を押え、根府川ねぶかわの飛石の上へペタ〱と坐る。

孝「殿様、とんでもない事をいたしました」

とばかりに泣出なきいだす。

飯「静かにしろ、他ほかへ洩れては宜よろしくないぞ、宮野邊源次郎めを突こうとして、過あやまって平左衞門を突いたか」

孝「大変な事をいたしました、実は召仕めしつかいのお國と宮野邊の次男源次郎と疾とくより不義をしていて、先月あとげつ廿一日お泊番とまりばんの時、源次郎がお國の許もとへ忍び込み、お國と密々ひそ〱話して居る所へうっかり私わたくしがお庭へ出て参り、様子を聞くと、殿様がいらっしゃっては邪魔になるゆえ、来月の四日中川にて殿様を釣舟から突落つきおとして殺してしまい、体能ていよくお頭かしらに届けをしてしまい、源次郎を養子に直し、お國と末長く楽しもうとの悪工わるだくみ、聞くに堪え兼ね、怒りに任せ、思わず呻うなる声を聞きつけ、お國が出て参り、彼此かれこれと言い合あいはしたものゝ、源次郎の方には殿様から釣道具の直しを頼みたいとの手紙を以もって証拠といたし、一時じは私わたくし云い籠められ、弓の折おれにてしたゝか打たれ、いまだに残る額の疵きず、口惜くやしくてたまり兼ね、表向おもてむきにしようとは思ったなれど、此方こちらは証拠のない聞いた事、殊ことに向うは次男の勢い、無理でも圧おさえ付けられて私はお暇いとまになるに相違ないと思い諦め、彼あの事は胸にたゝんでしまって置き、いよ〱明日みょうにちは釣にお出いでになるお約束日ゆえお止め申しましたが、お聞入れがないから、是非なく、今晩二人の不義者を殺し、其の場を去らず切腹なし、殿様の難義をお救い申そうと思うた事は鶍いすかの嘴はしと喰違くいちがい、とんでもない間違をいたしました、主人の為に仇あだを討とうと思ったに、却かえって主人を殺すとは神も仏もない事か、何なんたる因果な事であるか、殿様御免遊ばせ」

と飛石へ両手をつき孝助は泣き転がりました。飯島は苦痛を堪こらえながら、

飯「あゝ〱不束ふつゝかなる此の飯島を主人と思えばこそ、それ程までに思うてくれる志忝かたじけない、なんぼ敵かたき同士とは云いながら現在汝の槍先に命を果すとは輪廻応報りんねおうほう、あゝ実に殺生は出来んものだなア」

孝「殿様敵同士とは情ない、何なんで私わたくしは敵同志でございますの」

飯「其の方が当家へ奉公に参ったは三月廿一日、其の時某それがし非番にて貴様の身の上を尋ねしに、父は小出の藩中にて名をば黒川孝藏と呼び、今を去る事十八年前、本郷三丁目藤村屋新兵衞という刀屋の前にて、何者とも知れず人手に罹かゝり、非業の最期を遂げたゆえ、親の敵かたきを討ちたいと、若年の頃より武家奉公を心掛け、漸々よう〱の思いで当家へ奉公住ずみをしたから、どうか敵の討てるよう剣術を教えて下さいと手前の物語りをした時、恟びっくりしたというは、拙者がまだ平太郎と申し部屋住の折おり、彼かの孝藏と聊いさゝかの口論がもとゝなり、切捨てたるはかく云う飯島平左衞門であるぞ」

と云われて孝助は唯たゞへい〱とばかりに呆れ果て、張詰めた気もひょろぬけて腰が抜け、ペタ〱と尻もちを突き、呆気に取られて、飯島の顔を打眺うちながめ、茫然として居りましたが、暫しばらくして、

孝「殿様そう云う訳なれば、なぜ其の時にそう云っては下さいません、お情のうございます」

飯「現在親の敵と知らず、主人に取って忠義を尽す汝の志、殊ことに孝心深きに愛めで、不便ふびんなものと心得、いつか敵と名告なのって汝に討たれたいと、さま〲に心痛いたしたなれど、苟かりそめにも一旦主人とした者に刃向はむかえば主殺しゅうごろしの罪は遁のがれ難し、されば如何いかにもして汝をば罪に落さず、敵と名告り討たれたいと思いし折から、相川より汝を養子にしたいとの所望しょもうに任せ、養子に遣つかわし、一人前の侍となして置いて仇かたきと名告り討たれんものと心組んだる其の処ところへ、國と源次郎めが密通したを怒いかって、二人の命を絶たんとの汝の心底、最前庭にて錆槍を磨とぎし時より暁さとりしゆえ、機を外はずさず討たれんものと、態わざと源次郎の容かたちをして見違えさせ、槍で突かして孝心の無念をこゝに晴はらさせんと、かくは計らいたる事なり、今汝が錆槍にて脾腹を突かれし苦痛より、先の日汝が手を合せ、親の敵の討てるよう剣術を教えてくだされと、頼まれた時のせつなさは百倍増ましであったるぞ、定めて敵を討ちたいだろうが、我が首を切る時は忽たちまち主殺しの罪に落ちん、されば我髷まげをば切取って、之これにて胸をば晴し、其の方は一先ひとまずこゝを立退たちのいて、相川新五兵衞方へ行ゆき密々みつ〱に万事相談致せ、此の刀は先さきつ頃藤村屋新兵衞方にて買わんと思い、見ているうちに喧嘩となり、汝の父を討ったる刀、中身は天正助定なれば、是を汝に形見として遣つかわすぞ、又此の包つゝみの中うちには金子百両と悉くわしく跡方あとかたの事の頼み状、これを披ひらいて読下よみくだせば、我が屋敷の始末のあらましは分る筈、汝いつまでも名残なごりを惜しみて此所こゝにいる時は、汝は主殺しゅうころしの罪に落るのみならず、飯島の家は改易となるは当然あたりまえ、此の道理を聞分けて疾とく参れ」

孝「殿様、どんな事がございましょうとも此の場は退のきません、仮令たとえ親父おやじをお殺しなさりょうが、それは親父が悪いから、かくまで情なさけある御主人を見捨てゝ他わきへ立退たちのけましょうか、忠義の道を欠く時は矢張やはり孝行は立たない道理、一旦主人と頼みしお方を、粗相そそうとは云いながら槍先にかけたは私わたくしの過あやまり、お詫わびの為に此の場にて切腹いたして相果てます」

飯「馬鹿な事を申すな、手前に切腹させる位なら飯島はかくまで心痛はいたさぬわ、左様な事を申さず早く往ゆけ、もし此の事が人の耳に入いりなば飯島の家に係わる大事、悉くわしい事は書置かきおきに有るから早く行ゆかぬか、これ孝助、一旦主従しゅうじゅうの因縁を結びし事なれば、仇あだは仇恩は恩、よいか一旦仇を討ったる後あとは三世せも変らぬ主従と心得てくれ、敵同士でありながら汝の奉公に参りし時から、どう云う事か其の方ほうが我が子のように可愛くてなア」

と云われ孝助は、おい〱と泣きながら、

孝「へい〱、これまで殿様の御丹誠を受けまして、剣術といい槍といい、なま兵法に覚えたが今日却かえって仇となり、腕が鈍くば斯かくまでに深くは突かぬものであったに、御勘弁なすってくださいまし」

と泣き沈む。

飯「これ早く往け、往かぬと家は潰つぶれるぞ」

と急せき立てられ、孝助は止むを得ず形見の一刀腰に打込み、包を片手に立上り、主人の命めいに随って脇差抜いて主人の元結もとゆいをはじき、大地へ慟どうと泣伏なきふし、

孝「おさらばでございます」

と別れを告げてこそ〱門を出て、早足に水道端なる相川の屋敷に参り。

孝「お頼ん申します〱」

相「善藏や誰たれか門を叩くようだ、御廻状ごかいじょうが来たのかも知らん、一寸ちょっと出ろ、善藏や」

善「へい〱」

相「何なんだ、返事ばかりしていてはいかんよ」

善「只今明けます、只今、へい真暗まっくらでさっぱり訳がわからない、只今々々、へい〱、どっちが出口だか忘れた」

コツリと柱で頭を打ぶッつけ、アイタアイタヽヽヽと寝惚眼ねぼけまなこをこすりながら戸を開ひらいて表へ立出たちいで、

善「外の方がよっぽど明るいくらいだ、へい〱どなた様でございます」

孝「飯島の家来孝助でございますが、宜よろしくお取次を願います」

善「御苦労様でございます、只今明けます」

と石の吊してある門をがッたん〱と明ける。

孝「夜中やちゅう上あがりまして、おしずまりに成った処ところを御迷惑をかけました」

善「まだ殿様はおしずまりなされぬようで、まだ御本ごほんのお声が聞えますくらい、先まずお這入はいり」

と内へ入れ、善藏は奥へ参り、

善「殿様、只今飯島様の孝助様が入いらっしゃいました」

相「それじゃアこれへ、アレ、コリャ善藏寝惚てはいかん、これ蚊帳の釣手を取って向うの方へやって置け、これ馬鹿何を寝惚ているのだ、寝ろ〱、仕方のない奴」

と呟つぶやきながら玄関まで出迎え、

「これは孝助殿、さア〱お上あがり、今では親子の中何も遠慮はいらない、ズッと上れ」

と座敷へ通し、

相「さて孝助殿、夜中やちゅうのお使つかい定めて火急の御用だろう、承りましょう、えゝ何どう云う御用か、何なんだ泣いているな、男が泣くくらいではよく〱な訳だろうが、どうしたんだ」

孝「夜中上り恐れ入りますが、不思議の御縁、御当家様の御所望に任せ、主人得心の上私わたくし養子のお取極とりきめはいたしましたが、深い仔細がございまして、どうあっても遠国へ参らんければなりませんゆえ、此の縁談は破談と遊ばして、どうか外々ほか〱から御養子をなされて下さいませ」

相「はいナア成程よろしい、お前が気に入らなければ仕方が無いねえ、高は少なし、娘は不束ふつゝかなり、舅しゅうとは此の通りの粗忽家そゝッかしやで一つとして取り所がない、だが娘がお前の忠義を見抜いて煩わずらうまでに思い込んだもんだから、殿様にも話し、お前の得心の上取極めた事であるのを、お前一人来て破縁をしてくれろと云ってもそれは出来ないな、殿様が来てお取極めになったのを、お前一人で破るには、何か趣意がなければ破れまい、左様じゃござらんか、どう云う訳だか次第を承わりましょう、娘が気に入らないのか、舅が悪いのか、高が不足なのか、何なんだ」

孝「決してそういう訳ではございません」

相「それじゃアお前は飯島様を失錯しくじりでもしたか、どうも尋常たゞの顔付ではない、お前は根が忠義の人だから、しくじってハッと思い、腹でも切ろうか、遠方へでも行いこうと云うのだろうが、そんな事をしてはいかん、しくじったなら私わたくしが一緒に行って詫をしてやろう、もうお前は結納まで取交とりかわせをした事だから、内の者、云い付けて、孝助どのとは云わせず、孝助様と呼ばせるくらいで、云わば内の忰せがれを来年の二月婚礼を致すまで、先の主人へ預けて置くのだ、少し位ぐらいの粗相が有ったッてしくじらせる事があるものか、と不理窟をいえばそんなものだが、マア一緒に行こう、行ってやろう」

孝「いえ、そう云う訳ではございません」

相「何だ、それじゃアどう云う訳だ」

孝「申すに申し切れない程な深い訳がございまして」

相「はゝア分った、宜しい、そう有るべき事だろう、どうもお前のような忠義もの故、飯島様が相川へ行ってやれ、ハイと主命を背そむかず答こたえはしたものゝ、お前の器量だから先に約束をした女でもあるのだろう、所が今度の事を其の女が知って私が先約だから是非とも女房にしてくれなければ主人に駆込んで此の事を告げるとか、何とか云い出したもんだから、お前はハッと思い、其の事が主人へ知れては相済まん、それじゃアお前を一緒に連れて遠国へ逃げようと云うのだろう、なに一人ぐらいの妾はあっても宜しい、お頭かしらへ一寸ちょっと届けて置けば仔細はない、尤もっともの事だ、娘は表向の御新造ごしんぞとして、内々ない〱の処ところは其の女を御新造として置いてもいゝ、私わたくしが取る分米まいを其の女にやりますから宜しい、私わたくしが行って其の女に逢って頼みましょう、其の女は何者じゃ、芸者か何なんだ」

孝「そんな事ではございません」

相「それじゃア何んだよ、エイ何んだ」

孝「それではお話をいたしまするが、殿様は負傷ておいでいます」

相「ナニ負傷で、何故なぜ早く云わん、それじゃア狼藉者ろうぜきものが忍び込み、飯島が流石さすが手者てしゃでも多勢たぜいに無勢ぶぜい、切立きりたてられているのを、お前が一方を切抜けて知らせに来たのだろう、宜しい、手前は剣術は知らないが、若い時分に学んで槍は少々心得ておる、参ってお助太刀をいたそう」

孝「さようではございません、実は召使の國と隣の源次郎が疾とうから密通をして」

相「へい、やっていますか、呆れたものだ、そういえばちら〱そんな噂もあるが、恩人の思いものをそんな事をして憎い奴だ、人非人にんぴにんですねえ、それから〱」

孝「先月の廿一日、殿様お泊番とまりばんの夜よに、源次郎が密ひそかにお國の許もとへ忍び込み、明日みょうにち中川にて殿様を舟から突落し殺そうとの悪計わるだくみを、私わたくしが立聞たちぎゝをした所から、争いとなりましたが、此方こちらは悲しいかな草履取の身の上、向うは二男の勢いきおいなれば喧嘩は負まけとなったのみならず、弓の折にて打擲ちょうちゃくされ、額に残る此の疵きずも其の時打たれた疵でございます」

相「不届至極な奴だ、お前なぜ其の事を直すぐに御主人に云わないのだ」

孝「申そうとは思いましたが、私わたくしの方は聞いたばかり、証拠にならず、向うには殿様から、暇ひまがあったら夜よるにでも宅うちへ参って釣道具の損じを直して呉れとの頼みの手紙がある事ゆえ、表沙汰にいたしますれば、主人は必ず隣へ対し、義理にも私はお暇いとまに成るに違いはありません、さすれば後あとにて二人の者が思うがまゝに殿様を殺しますから、どうあっても彼あのお邸やしきは出られんと今日まで胸を摩さすって居りましたが、明日あしたは愈々いよ〱中川へ釣にお出いでになる当日ゆえ、それとなく今日殿様に明日あしたの漁をお止め申しましたが、お聞入れがありませんから、止むを得ず、今宵こよいの内に二人の者を殺し、其の場で私が切腹すれば、殿様のお命に別条はないと思い詰め、槍を提さげて庭先へ忍んで様子を窺うかゞいました」

相「誠に感心感服、アヽ恐れ入ったね、忠義な事だ、誠に何どうも、それだから娘より私わしが惚れたのだ、お前の志は天晴あっぱれなものだ、其の様な奴は突放つきッぱなしで宜いいよ、腹は切らんでも宜いよ、私わたしが何どのようにもお頭に届とゞけを出して置くよ、それから何うした」

孝「そういたしますると、廊下を通る寝衣姿ねまきすがたは慥たしかに源次郎と思い、繰出す槍先あやまたず、脇腹深く突き込みましたところ間違って主人を突いたのでございます」

相「ヤレハヤ、それはなんたることか、併しかし疵は浅かろうか」

孝「いえ、深手でございます」

相「イヤハヤどうも、なぜ源次郎と声を掛けて突かないのだ、無闇に突くからだ、困った事をやったなア、だが過あやまって主人を突いたので、お前が不忠者でない悪人でない事は御主人は御存じだろうから、間違いだと云う事を御主人へ話したろうね」

孝「主人は疾とくより得心にて、わざと源次郎の姿と見違えさせ、私わたくしに突かせたのでござります」

相「これはマア何ゆえそんな馬鹿な事をしたんだ」

孝「私わたくしには深い事は分りませんが、此のお書置に委くわしい事がございますから」

と差出す包を、

相「拝見いたしましょう、どれこれかえ、大きな包だ、前掛が入っている、ナニ婆ばあやアのだ、なぜこんな所に置くのだ、そっちへ持って行ゆけ、コレ本の間まに眼鏡があるから取ってくれ」

と眼鏡を掛け、行灯あんどんの明り掻き立て読下よみくだして相川も、ハッとばかりに溜息ためいきをついて驚きました。

十四

伴藏は畑へ転がりましたが、両人の姿が見えなくなりましたから、慄ふるえながらよう〱起上り、泥だらけの儘まゝ家うちへ駈け戻り、

伴「おみねや、出なよ」

みね「あいよ、どうしたえ、まア私は熱かったこと、膏汗あぶらあせがビッショリ流れる程出たが、我慢をして居たよ」

伴「手前てめえは熱い汗をかいたろうが、己おらア冷つめてえ汗をかいた、幽霊が裏窓から這入はいって行ったから、萩原様は取殺とりころされて仕舞うだろうか」

みね「私の考えじゃア殺すめえと思うよ、あれは悔しくって出る幽霊ではなく、恋しい〱と思っていたのに、お札が有って這入れなかったのだから、是が生きている人間ならば、お前さんは余あんまりな人だとか何なんとか云って口説くぜつでも云う所だから殺す気遣きづかいはあるまいよ、どんな事をしているか、お前見ておいでよ」

伴「馬鹿をいうな」

みね「表から廻ってそっと見ておいでヨウ〱」

といわれるから、伴藏は抜足ぬきあしして萩原の裏手へ廻り、暫しばらくして立帰たちかえり、

みね「大層長かったね、どうしたえ」

伴「おみね、成程手前てめえの云う通り、何だかゴチャ〱話し声がするようだから覗のぞいて見ると、蚊帳かやが吊って有って何だか分らないから、裏手の方へ廻るうちに、話し声がパッタリとやんだようだから、大方仲直りが有って幽霊と寝たのかも知れねえ」

みね「いやだよ、詰らない事をお云いでない」

という中うちに夜よもしら〱と明け離れましたから、

伴「おみね、夜が明けたから萩原様の所へ一緒に往って見よう」

みね「いやだよ私わたしゃ夜が明けても怖くっていやだよ」

というのを、

伴「マア往きねえよ」

と打連うちつれだち。

伴「おみねや、戸を明けねえ」

みね「いやだよ、何だか怖いもの」

伴「そんな事を云ったって、手前てめえが毎朝戸を明けるじゃアねえか、ちょっと明けねえな」

みね「戸の間から手を入れてグッと押すと、栓張棒しんばりぼうが落ちるから、お前お明けよ」

伴「手前てめえそんな事を云ったって、毎朝来て御膳を炊いたりするじゃアねえか、それじゃア手前手を入れて栓張だけ外すがいゝ」

みね「私ゃいやだよ」

伴「それじゃアいゝや」

と云いながら栓張を外し、戸を引き開けながら、

伴「御免ねえ、旦那え〱夜が明けやしたよ、明るくなりやしたよ、旦那え、おみねや、音も沙汰もねえぜ」

みね「それだからいやだよ」

伴「手前てめえ先へ入へいれ、手前はこゝの内の勝手をよく知っているじゃアねえか」

みね「怖い時は勝手も何もないよ」

伴「旦那え〱、御免なせえ、夜が明けたのに何怖いことがあるものか、日の恐れがあるものを、なんで幽霊がいるものか、だがおみね世の中に何が怖いッて此の位怖いものア無ねえなア」

みね「あゝ、いやだ」

伴藏は呟つぶやきながら中仕切なかじきりの障子を明けると、真暗まっくらで、

伴「旦那え〱、よく寝ていらッしゃる、まだ生体しょうてえなく能よく寝ていらッしゃるから大丈夫だ」

みね「そうかえ、旦那、夜が明けましたから焚たきつけましょう」

伴「御免なせえ、私わっちが戸を明けやすよ、旦那え〱」

と云いながら床の内を差覗さしのぞき、伴藏はキャッと声を上げ、

「おみねや、己おらアもう此の位くれえな怖いもなア見た事はねえ」

とおみねは聞くよりアッと声をあげる。

伴「おゝ手前てめえの声でなお怖くなった」

みね「何どうなっているのだよ」

伴「何うなったの斯こうなったのと、実に何なんとも彼かとも云いようのねえ怖こええことだが、これを手前てめえとおれと見たばかりじゃア掛合かゝりえいにでもなっちゃア大変てえへんだから、白翁堂の爺さんを連れて来て立合たちえいをさせよう」

と白翁堂の宅へ参り、

伴「先生〱伴藏でごぜえやす、ちょっとお明けなすって」

白「そんなに叩かなくってもいゝ、寝ちゃアいねえんだ、疾とうに眼が覚めている、そんなに叩くと戸が毀こわれらア、どれ〱待っていろ、あゝ痛いたゝゝゝ戸を明けたのに己の頭をなぐる奴があるものか」

伴「急いだものだから、つい、御免なせえ、先生ちょっと萩原様の所へ往って下せえ、何うかしましたよ、大変てえへんですよ」

白「何うしたんだ」

伴「何うにも斯うにも、私わっちが今おみねと両人ふたりでいって見て驚いたんだから、お前めえさん一寸ちょっと立合って下さい」

と聞くより勇齋も驚いて、藜あかざの杖を曳ひき、ポク〱と出掛けて参り、

白「伴藏お前めえ先へ入んなよ」

伴「私わっちは怖いからいやだ」

白「じゃアおみねお前めえ先へ入れ」

みね「いやだよ、私だって怖いやねえ」

白「じゃアいゝ」

と云いながら中へ這入ったけれども、真暗で訳が分らない。

白「おみね、ちょっと小窓の障子を明けろ、萩原氏、どうかなすったか、お加減でも悪いかえ」

と云いながら、床の内を差覗さしのぞき、白翁堂はわな〱と慄ふるえながら思わず後あとへ下さがりました。

十五

相川新五兵衞は眼鏡を掛け、飯島の遺書かきおきをば取る手おそしと読み下しまするに、孝助とは一旦主従しゅうじゅうの契ちぎりを結びしなれども敵かたき同士であったること、孝助の忠実に愛めで、孝心の深きに感じ、主殺しゅうころしの罪に落さずして彼が本懐を遂げさせんがため、態わざと宮野邊源次郎と見違えさせ討たれしこと、孝助を急ぎ門外もんそとに出いだし遣やり、自身に源次郎の寝室ねまに忍び入り、彼が刀の鬼となる覚悟、さすれば飯島の家うちは滅亡致すこと、彼等両人我を打って立退たちのく先は必定お國の親元なる越後の村上ならん、就ついては汝孝助時を移さず跡追掛け、我が仇あだなる両人の生首提ひっさげて立帰り、主しゅうの敵かたきを討ちたる廉かどを以もって我が飯島の家名再興の儀を頭かしらに届けくれ、其の時は相川様にもお心添えの程偏ひとえに願い度たいとのこと、又汝は相川へ養子に参る約束を結びたれば、娘お徳どのと互いに睦むつましく暮し、両人の間に出来た子供は男女なんにょに拘かゝわらず、孝助の血統ちすじを以て飯島の相続人と定めくれ、後あとは斯々云々こう〱しか〲と、実に細かに届く飯島の家来思いの切なる情なさけに、孝助は相川の遺書かきおきを読む間ま、息をもつかず聞いていながら、膝の上へぽたり〱と大粒な熱い涙を零こぼしていましたが、突然いきなり剣幕けんまくを変えて表の方へ飛出そうとするを、

相「これ孝助殿、血相変えて何処どこへ行ゆきなさる」

と云われて孝助は泣声を震わせ、

孝「只今お遺書かきおきの御様子にては、主人は私わたくしを急いで出し、後あとで客間へ踏込んで源次郎と闘うとの事ですが、如何いかに源次郎が剣術を知らないでも、殿様があんな深傷ふかでにてお立合なされては、彼が無残の刃の下に果敢はかなくお成りなされるは知れた事、みす〱敵かたきを目の前に置きながら、恩あり義理ある御主人を彼等に酷むごく討たせますは実に残念でござりますから、直すぐに取って返し、お助太刀を致す所存でございます」

相「分らない事を云わっしゃるな、御主人様が是だけの遺書かきおきをお遣つかわしなさるは何の為ためだと思わッしゃる、そんな事をしなさると、飯島の家いえが潰つぶれるから、邸やしきへ行ゆく事は明朝までお待ち、此の遺書の事を心得てこれを反故ほごにしてはならんぜ」

と亀の甲より年の功、流石さすが老巧ろうこうの親身の意見に孝助はかえす言葉もありませんで、口惜くやしがり、唯たゞ身を震わして泣伏しました。話かわって飯島平左衞門は孝助を門外もんそとに出し、急ぎ血潮滴したたる槍を杖とし、蟹のように成ってよう〱に縁側に這い上がり、蹌よろめく足を踏みしめ踏みしめ、段々と廊下を伝い、そっと客間の障子を開ひらき中へ入いり、十二畳一杯に釣ってある蚊帳の釣手つりてを切り払い、彼方あなたへはねのけ、グウ〱とばかり高鼾たかいびきで前後あとさきも知らず眠ねている源次郎の頬ほうの辺あたりを、血に染しみた槍の穂先にてペタリ〱と叩きながら、

飯「起おきろ〱」

と云われて源次郎頬が冷ひやりとしたに不図ふと目を覚さまし、と見れば飯島が元結はじけて散ちらし髪で、眼は血走り、顔色は土気色つちけいろになり、血の滴したたる手槍をピタリッと付け立っている有様を見るより、源次郎は早くも推すいし、アヽヽこりア流石さすが飯島は智慧者ちえしゃだけある、己と妾のお國と不義している事を覚さとられたか、さなくば例の悪計を孝助奴めが告げ口したに相違なし、何しろ余程の腹立はらだちだ、飯島は真影流の奥儀おうぎを極きわめた剣術の名人で、旗下はたもと八万騎の其の中に、肩を並ぶるものなき達人の聞えある人に槍を付けられた事だから、源次郎はぎょっとして、枕頭まくらもとの一刀を手早く手元に引付けながら、慄ふるえる声を出して、

源「伯父様、何をなさいます」

と一生懸命面色めんしょく土気色に変わり、眼色めいろ血走りました。飯島も面色土気色で目が血走りているから、あいこでせえでございます。源次郎は一刀の鍔前つばまえに手を掛けてはいるものゝ、気憶きおくれがいたし刃向う事は出来ませんで竦すくんで仕舞いました。

源「伯父様、私わたくしをどうなさるお積りで」

飯島は深傷ふかでを負いたる事なれば、震ふるえる足を踏み止めながら、

飯「何事とは不埓ふらちな奴だ、汝が疾とくより我が召使國と不義姦通いたずらしているのみならず、明日みょうにち中川にて漁船りょうせんより我を突き落し、命を取った暁に、うま〱此の飯島の家を乗取のっとらんとの悪だくみ、恩を仇なる汝が不所存、云おう様ようなき人非人にんぴにん、此の場に於おいて槍玉に揚げてくれるから左様心得ろ」

と云い放たれて、源次郎は、剣術はからっ下手ぺたにて、放蕩ほうとうを働き、大塚の親類に預けられる程な未熟不鍛錬ふたんれんな者なれども、飯島は此の深傷ふかでにては彼の刃に打たれて死するに相違なし、併しかし打たれて死ぬまでも此の槍にてしたゝかに足を突くか手を突いて、亀手てんぼうか跛足びっこにでもして置かば、後日ごにち孝助が敵討かたきうちを為する時幾分かの助けになる事もあるだろうから、何処どっかを突かんと狙い詰められ、

源「伯父さま私わたくしは何も槍で突かれる様な覚えはございません」

飯「黙れ」

と怒りの声を振立てながら、一歩ひとあし進んで繰出くりだす槍鋒やりさき鋭く突きかける。源次郎はアッと驚き身を交かわしたが受け損じ、太股へ掛けブッツリと突き貫き、今一本突こうとしましたが、孝助に突かれた深傷ふかでに堪たえ兼ね、蹌々よろ〱とする所を、源次郎は一本突かれ死物狂いになり、一刀を抜くより早く飛込みさま飯島目掛けて切り付ける。切付けられてアッと云って蹌ひょろめく処ところへ、又、太刀深く肩先へ切込まれ、アッと叫んで倒れる処へ乗し掛って、恰まるで河岸かしで鮪まぐろでもこなす様に切って仕舞いました。お國は中ちゅう二階に寝ていましたが、此の物音を聞き附け、寝衣ねまきの儘まゝに階子はしごを降り、そっと来て様子を窺うかゞうと、此の体裁ていたらくに驚き、慌あわてゝ二階へ上あがったり下へ下りたりしていると、源次郎が飯島に止とゞめを刺したようだから、お國は側へ駈付かけつけて、

國「源さま、貴方あなたにお怪我はございませんか」

源次郎は肩息をつきフウ〱とばかりで返事も致しません。

國「あなた黙っていては分りませんよ、お怪我はありませんか」

といわれて源次郎はフウ〱といいながら、

源「怪我はないよ、誰だ、お國さんか」

國「貴方あなたのお足から大層血が出ますよ」

源「これは槍で突かれました、手強てづよい奴と思いの外ほかなアにわけはなかった、併しかし此処こゝに何時迄いつまでこうしては居いられないから、両人ふたりで一緒に何処いずくへなりとも落延おちのびようから、早く支度をしな」

と云われてお國は成程そうだと急ぎ奥へ駈戻り、手早く身支度をなし、用意の金子や結構な品々を持来もちきたり、

國「源さまこの印籠いんろうをお提さげなさいよ、この召物めしものを召せ」

と勧められ、源次郎は着物を幾枚も着て、印籠を七つ提げて、大小を六本揷さし、帯を三本締めるなど大変な騒ぎで、漸々よう〱支度が整ったから、お國とともに手を取って忍び出いでようとする処ところを、仲働きの女中お竹が、先程より騒々しい物音を聞付け、来て見れば此の有様に驚いて、

「アレ人殺し」

という奴を、源次郎が驚いて、此の声人に聞かれてはと、一刀抜くより飛込んで、デップリ肥ふとって居る身体を、肩口から背びらへ掛けて斬付きりつける。斬られてお竹はキャッと声をあげて其の儘まゝ息は絶えました。他ほかの女どもゝ驚いて下流しへ這込むやら、又は薪箱まきばこの中へ潜もぐり込むやら騒いでいる中うちに、源次郎お國の両人りょうにんは此処こゝを忍び出いで、何処いずくともなく落ちて行いく。後あとで源助は奥の騒ぎを聞きつけて、いきなり自分の部屋を飛びだし、拳こぶしを振ふるって隣家となりの塀へいを打ち叩き、破れるような声を出して、

源「狼藉ものが這入りました〱」

と騒ぎ立てるに、隣家となりの宮野邊源之進はこれを聞附きゝつけ思う様よう、飯島のごとき手者てしゃの処ところへ押入る狼藉ものだから、大勢たいぜい徒党ととうしたに相違ないから、成るたけ遅くなって、夜が明けて往ゆく方がいゝと思い先まず一同を呼起よびおこし、蔵へまいって著込きごみを持ってまいれの、小手こて脛当すねあての用意のと云っているうちに、夜よはほの〲と明け渡りたれば、もう狼藉者はいる気遣きづかいはなかろうと、源之進は家来一二人にんを召連れ来て見れば此の始末。如何いかゞしたる事ならんと思うところへ、一人ひとりの女中が下流しから這上はいあがり、源之進の前に両手をつかえ、

「実は昨晩の狼藉者は、貴方様の御舎弟おしゃてい源次郎様とお國さんと、疾とうから密通してお出いでになって、昨夜殿様を殺し、金子衣類を窃取ぬすみとり、何処いずくともなく逃げました」

と聞いて源之進は大いに驚き、早速に邸やしきへ立帰り、急ぎお頭かしらへ向け源次郎が出奔しゅっぽんの趣おもむきの届とゞけを出す。飯島の方へはお目附が御検屍ごけんしに到来して、段々死骸を検あらため見るに、脇腹に槍の突傷つきゝずがありましたから、源次郎如き鈍き腕前にては兎とても飯島を討つ事は叶かなうまじ、されば必ず飯島の寝室ねまに忍び入り、熟睡の油断に附入つけいりて槍を以もって欺だまし討ちにした其の後のちに、刀を以て斬殺きりころしたに相違なしということで、源次郎はお尋ね者となりましたけれども、飯島の家いえは改易かいえきと決り、飯島の死骸は谷中新幡随院へおくり、こっそりと野辺送りをしてしまいました。こちらは孝助、御主人が私わたくしの為ために一命をお捨てなされた事なるかと思えば、いとゞ気もふさぎ、欝々としていますと、相川はお頭から帰って、

相「婆アや、少し孝助殿と相談があるから此方こちらへ来てはいかんよ、首などを出すな」

婆「何か御用で」

相「用じゃないのだよ、そっちへ引込ひっこんでいろ、これ〱茶を入れて来い、それから仏様へ線香を上げな、さて孝助殿少し話したい事もあるから、まア〱此方こっちへ〱、誰にもいわれんが、先以まずもって御主人様のお遺書かきおき通りに成るから心配するには及ばん、お前は親の敵かたきは討ったから、是からは御主人は御主人として、其の敵を復かえし、飯島のお家再興だよ」

孝「仰せに及ばず、もとより敵討の覚悟でございます、此の後のち万事に付き宜よろしくお心添こゝろぞえの程を願います」

相「此の相川は年老いたれども、其の事は命に掛けて飯島様の御家おいえの立つように計らいます、そこでお前は何日いつ敵討に出立しゅったつなさるえ」

孝「最早一刻も猶予致す時でございませんゆえ、明みょう早天そうてん出立致す了簡です」

相「明日あした直すぐに、左様かえ、余り早はや過ぎるじゃないか、宜しい此の事ばかりは留とめられない、もう一日々々と引き広ぐ事は出来ないが、お前の出立前ぜんに私わしが折入おりいって頼みたい事があるが、どうか叶かなえては下さるまいか」

孝「何どのような事でも宜しゅうございます」

相「お前の出立前に娘お徳と婚礼の盃だけをして下さい、外ほかに望みは何もない、どうか聞済きゝすんで下さい」

孝「一旦お約束申した事ゆえ、婚礼を致しまして宜しいようなれど、主人よりのお約束申したは来年の二月、殊ことに目の前にて主人があの通りになられましたのに、只今婚礼を致しましては主人の位牌へ対して済みません、敵討の本懐を遂とげ立帰り、目出度めでたく婚礼を致しますれば、どうぞそれ迄お待ち下さるように願います」

相「それはお前の事だから、遠からず本懐を遂げて御帰宅になるだろうが、敵の行方ゆくえが知れない時は、五年で帰るか十年でお帰りになるか、幾年掛るか知れず、それに私はもう取る年、明日あすをも知れぬ身の上なれば、此の悦びを見ぬ内帰らぬ旅に赴おもむく事があっては冥途よみじの障さわり、殊に娘も煩う程お前を思っていたのだから、どうか家内だけで、盃事さかずきごとを済ませて置いて、安心させてくださいな、それにお前も飯島の家来では真鍮巻の木刀を差して行ゆかなければならん、それより相川の養子となり、其の筋へ養子の届をして、一人前ひとりまえの立派な侍に出立いでたって往来すれば、途中で人足などに馬鹿にもされず宜よかろうから、何どうぞ家内だけの祝言を聞済んでください」

孝「至極御尤ごもっともなる仰せです、家内だけなれば違背いはいはございません」

相「御承知くだすったか、千万忝かたじけない、あゝ有難い、相川は貧乏なれども婚礼の入費の備えとして五六十両は掛ると見込んで、別にして置いたが、これはお前の餞別に上げるから持って行っておくれ」

孝「金子は主人から貰いましたのが百両ございますから、もう入りません」

相「アレサいくら有っても宜よいのは金、殊に長旅のことなれば、邪魔でもあろうがそう云わずに持って行ってください、そこで私が細こまかい金を選よって、襦袢じゅばんの中へ縫い込んで置く積りだから、肌身離さず身に著つけて置きなさい、道中には胡麻の灰という奴があるから随分気をお付けなさい、それに此の矢立をさしてお出いで、又これなる一刀は予かねて約束して置いた藤四郎吉光の太刀たち、重くもあろうが差してお呉れ、是と御主人のお形見天正助定を差して行ゆけば、舅と主人がお前の後影うしろかげに付添っているも同様、勇ましき働きをなさいまし」

孝「有りがとうございます」

相「何どうか今夜不束ふつゝかな娘だが婚礼をしてくだされ、これ婆、明日あしたは孝助殿が目出度めでたく御出立だ、そこで目出度い序ついでに今夜婚礼をする積りだから、徳に髪でも取り上げさせ、お化粧でもさせて置いてくれ、其の前に仕事がある、此の金を襦袢へ縫込んでくれ、善藏や、手前は直すぐに水道町の花屋へ行って、目出度く何か頭付かしらつきの魚を三枚ばかり取って来い、序でに酒屋へ行って酒を二升、味淋みりんを一升ばかり、それから帰りに半紙を十帖じょうばかりに、煙草を二玉に、草鞋わらじの良いのを取って参れ」

といい付け、そうこうするうちに支度も整いましたから、酒肴さけさかなを座敷に取並べ、媒妁なこうどなり親なり兼帯けんたいにて、相川が四海浪静かにと謡うたい、三々九度の盃事さかずきごと、祝言の礼も果て、先まずお開きと云う事になる。

相「あゝ〱婆ア、誠に目出度かった」

婆「誠にお目出とう存じます、私わたくしはお嬢様のお少ちいさい時分からお附き申して御婚礼をなさるまで御奉公いたしましたかと存じますと、誠に嬉しゅうございます、あなた嘸さぞ御安心でございましょう」

相「婆ア宜いゝかえ、頼むよ、おいらは明日あしたの朝早く起るから、お前飯を炊かして、孝助殿に尾頭付きでぽッぽッと湯気の立つ飯を食べさして立たせてやりたいから、いゝかえ、緩ゆるりとお休み、先ずお開ひらきと致しましょう、孝助殿どうか幾久しく願います、娘はまだ年もいかず、世間知らずの不束者だから何分宜しくお頼み申す、氷人なこうどは宵の中うちだから、婆アいゝかえ、頼んだぜ」

婆「貴方あなたは頼む〱と仰しゃって何でございます」

相「分らない婆アだな、嬢の事をサ、あすこへちょっと屏風を立廻たてまわして、恥かしくないように、宜しいか、それがサ誠に彼女あいつが恥かしがって、もじ〱としているだろうから旨くソレ」

婆「旦那様なんのお手付きでございますよ」

相「此奴こいつわからぬ奴だナ、手前だって亭主を持ったから子供が出来たのだろう、子供が出来たのち乳が出て、乳母に出たのだろう、ホレ娘は年がいかないからいゝ塩梅あんばいにホレ、いゝか」

婆「貴方は本当に何時いつまでもお嬢様をお少ちいさいように思召おぼしめしていらっしゃいますよ、大丈夫でございますよ」

相「成程目出たい、宜いいかえ頼むよ」

婆「旦那様、お嬢様お休み遊ばせ」

と云っても、孝助はお國源次郎の跡を追い掛け、兎とや斯こうと種々いろ〱心配などして腕こまねき、床の上に坐り込んでいるから、お徳も寝るわけにもいかず坐っているから、

婆「左様なれば旦那様御機嫌様宜しく、お嬢様先程申しました事は宜しゅうございますか」

徳「貴方少しお静まり遊ばせな」

孝「私は少し考え事がありますから、あなたお構いなくお先へお休みなすって下さいまし」

徳「婆ばあやア一寸ちょっと来ておくれ」

婆「ハイ、何なんでございます」

徳「旦那様がお休みなさらなくって」

と云いさして口ごもる。

婆「貴方お静まりあそばせ、それではお嬢様がお休みなさる事が出来ませんよ」

孝「只今寝ます、どうかお構いなく」

婆「誠にどうもお堅過かたすぎでお気が詰りましょう、御機嫌様よろしゅう」

徳「あなた少しお横におなり遊ばしまし」

孝「どうかお先へお休みなさい」

徳「婆やア」

婆「困りますねえ、あなた少しお休みあそばせ」

徳「婆やア」

とのべつに呼んでいるから孝助も気の毒に思い、横になって枕をつけ、玉椿たまつばき八千代やちよまでと思い思った夫婦中なか、初めての語らい、誠にお目出たいお話でございます。翌日あしたになると、暗いうちから孝助は支度をいたし、

相「これ〱婆アや、支度は出来たかえ、御膳を上げたか、湯気は立ったかえ、善藏に板橋まで送らせて遣やる積りだから、荷物は玄関の敷台しきだいまで出して置きな、孝助殿御膳を上あがれ」

孝「お父様とっさま御機嫌よろしゅう、長い旅ですからつど〱書面を上あげる訳にも参りません、唯たゞ心配になるのはお父様のお身体、どうか私わたくしが本懐を遂げ帰宅致すまで御丈夫にお出いであそばせよ、敵かたきの首を提さげてお目に掛け、お悦びのお顔が見とうございます」

相「お前も随分身体を大事にして下さい、どうか立派に出立して下さい、種々いろ〱と云いたい事もあるが、キョト〱して云えないから何も云いません、娘何なんで袖を引張ひっぱるのだ」

徳「お父様、旦那様は今日お立ちになりましたら、いつ頃お帰宅になるのでございますのでしょう」

相「まだ分らぬ事をいう、いつまでも少ちいさい子供のような気でいちゃアいけないぜ、旦那さまは御主人の敵討に御出立なさるので、伊勢参宮や物見遊山に往ゆくのではない、敵を討ち遂げねばお帰りにはならない、何だ泣なきッ面つらをして」

徳「でも大概いつ頃お帰りになりましょうか」

相「おれにも五年かゝるか十年かゝるか分らない」

徳「そんなら五年も十年もお帰りあそばさないの」

と云いながら潜々さめ〲と泣き萎しおれる。

相「これ、何が悲しい、主しゅうの敵を討つなどゝ云う事は、侍の中うちにも立派な事だ、かゝる立派な亭主を持ったのは有難いと思え、目出度い出立だ、何故なぜ笑い顔をして立たせない、手前が未練を残せば少禄の娘だから未練だ、意気地いくじがないと孝助殿に愛想あいそを尽かされたら何どうする、孝助殿歳がいかない子供のような娘だから、気にかけて下さるな、婆ア何を泣く」

婆「私わたくしだってお名残なごりが惜しいから泣きます、貴方も泣いて入らっしゃるではございませんか」

相「己は年寄だから宜しい」

と言訳をしながら泣いていると、孝助は、

「さようならば御機嫌よろしゅう」

と玄関の敷台を下おり草鞋を穿はこうとする、其の側へお徳はすり寄り袂たもとを控え、涙に目もとをうるましながら、

「御機嫌様よろしく」

と縋すがり付くを孝助は慰なだめ、善藏に送られ出立しました。

十六

白翁堂勇齋は萩原新三郎の寝所ねどこを捲まくり、実にぞっと足の方から総毛立つほど怖く思ったのも道理、萩原新三郎は虚空を掴つかみ、歯を喰いしばり、面色土気色に変り、余程な苦しみをして死んだものゝ如く、其の脇へ髑髏どくろがあって、手とも覚しき骨が萩原の首玉くびったまにかじり付いており、あとは足の骨などがばら〱になって、床の中うちに取散とりちらしてあるから、勇齋は見て恟びっくりし、

白「伴藏これは何なんだ、おれは今年六十九に成るが、斯こんな怖ろしいものは初めて見た、支那の小説なぞにはよく狐を女房にしたの、幽霊に出逢ったなぞと云うことも随分あるが、斯様かような事にならないように、新幡随院の良石和尚に頼んで、有難い魔除まよけの御守おまもりを借り受けて萩原の首を掛けさせて置いたのに、何どうも因縁は免のがれられないもので仕方がないが、伴藏首に掛けて居る守を取って呉れ」

伴「怖いから私わっちゃアいやだ」

白「おみね、こゝへ来な」

みね「私わたくしもいやですよ」

白「何しろ雨戸を明けろ」

と戸を明けさせ、白翁堂が自ら立って萩原の首に掛けたる白木綿の胴巻を取外とりはずし、グッとしごいてこき出せば、黒塗光沢消つやけしの御厨子にて、中を開けばこは如何いかに、金無垢の海音如来と思いの外ほか、いつしか誰か盗んですり替えたるものと見え、中は瓦に赤銅箔しゃくどうはくを置いた土の不動と化けしてあったから、白翁堂はアッと呆れて茫然と致し、

白「伴藏これは誰が盗んだろう」

伴「なんだか私わっちにゃアさっぱり訳が分りません」

白「これは世にも尊とうとき海音如来の立像にて、魔界も恐れて立去るという程な尊い品なれど、新幡随院の良石和尚が厚い情なさけの心より、萩原新三郎を不便ふびんに思い、貸して下され、新三郎は肌身放さず首にかけていたものを、何どうして斯様かようにすり替えられたか、誠に不思議な事だなア」

伴「成程なア、私わっちどもにゃア何なんだか訳が分らねえが、観音様ですか」

白「伴藏手前を疑る訳じゃアねえが、萩原の地面内うちに居る者は己と手前ばかりだ、よもや手前は盗みはしめえが、人の物を奪う時は必ず其の相そうに顕あらわれるものだ、伴藏一寸ちょっと手前の人相を見てやるから顔を出せ」

と懐中より天眼鏡を取出され、伴藏は大きに驚き、見られては大変と思い。

伴「旦那え、冗談いっちゃアいけねえ、私わっちのような斯こんな面つらは、どうせ出世の出来ねえ面だから見ねえでもいゝ」

と断る様子を白翁堂は早くも推すいし、ハヽアこいつ伴藏がおかしいなと思いましたが、なまなかの事を云出して取逃がしてはいかぬと思い直し、

白「おみねや、事柄の済むまでは二人でよく気を付けて居て、成なるたけ人に云わないようにしてくれ、己は是から幡随院へ行って話をして来る」

と藜あかざの杖を曳きながら幡随院へやって来ると、良石和尚は浅葱木綿あさぎもめんの衣を着ちゃくし、寂寞じゃくまくとして坐布団の上に坐っている所へ勇齋入いり来きたり、

白「これは良石和尚いつも御機嫌よろしく、とかく今年は残暑の強い事でございます」

良「やア出て来たねえ、此方こっちへ来なさい、誠に萩原も飛んだことになって、到頭とうとう死んだのう」

白「えゝあなたはよく御存じで」

良「側に悪い奴が附いて居て、又萩原も免のがれられない悪因縁で仕方がない、定まるこッちゃ、いゝわ心配せんでもよいわ」

白「道徳高き名僧智識は百年先の事を看破みやぶるとの事だが、貴僧あなたの御見識誠に恐れ入りました、就つきまして私わたくしが済まない事が出来ました」

良「海音如来などを盗まれたと云うのだろうが、ありゃア土の中に隠してあるが、あれは来年の八月には屹度きっと出るから心配するな、よいわ」

白「私わたくしは陰陽おんようを以もって世を渡り、未来の禍福を占って人の志を定むる事は、私承知して居りますけれども、こればかりは気が付きませなんだ」

良「どうでもよいわ、萩原の死骸は外ほかに菩提所も有るだろうが、飯島の娘お露とは深い因縁がある事故ゆえ、あれの墓に並べて埋めて石塔を建てゝやれ、お前も萩原に世話になった事もあろうから施主に立ってやれ」

と云われ白翁堂は委細承知と請うけをして寺をたち出いで、路々みち〱も何どうして和尚があの事を早くも覚さとったろうと不思議に思いながら帰って来て、

白「伴藏、貴様も萩原様には恩になっているから、野辺の送りのお供をしろ」

と跡の始末を取り片付け、萩原の死骸は谷中の新幡随院へ葬ってしまいました。伴藏は如何いかにもして自分の悪事を匿かくそうため、今の住家すまいを立退たちのかんとは思いましたけれども、慌あわてた事をしたら人の疑いがかゝろう、あゝもしようか、こうもしようかとやっとの事で一策を案じ出いだし、自分から近所の人に、萩原様の所へ幽霊の来るのを己が慥たしかに見たが、幽霊が二人でボン〱をして通り、一人は島田髷しまだまげの新造しんぞで、一人は年増で牡丹の花の付いた灯籠を提さげていた、あれを見る者は三日を待たず死ぬから、己は怖くて彼処あすこにいられないなぞと云触いいふらすと、聞く人々は尾に尾を付けて、萩原様の所へは幽霊が百人来るとか、根津の清水では女の泣声がするなど、さま〲の評判が立ってちり〲人が他ほかへ引起ひっこしてしまうから、白翁堂も薄気味悪くや思いけん、此処こゝを引払ひきはらって、神田旅籠町かんだはたごちょう辺へ引越ひっこしました。伴藏おみねはこれを機しおに、何分怖くて居いられぬとて、栗橋くりはし在は伴藏の生れ故郷の事なれば、中仙道栗橋へ引越しました。

十七

伴藏は悪事の露顕を恐れ、女房おみねと栗橋へ引越ひっこし、幽霊から貰った百両あれば先まずしめたと、懇意の馬方久藏きゅうぞうを頼み、此の頃は諸式が安いから二十両で立派な家うちを買取り、五十両を資本もとでに下おろし荒物見世あらものみせを開きまして、関口屋せきぐちや伴藏と呼び、初めの程は夫婦とも一生懸命働いて、安く仕込んで安く売りましたから、忽たちまち世間の評判を取り、関口屋の代物しろものは値が安くて品がいゝと、方々ほう〲から押掛けて買いに来るほどゆえ、大いに繁昌を極きわめました。凡夫盛んに神祟りなし、人盛んなる時は天に勝つ、人定まって天人に勝つとは古人の金言宜うべなるかな、素もとより水泡銭あぶくぜにの事なれば身につく道理のあるべき訳はなく、翌年の四月頃から伴藏は以前の事も打忘れ少し贅沢ぜいたくがしたくなり、絽ろの小紋の羽織が着たいとか、帯は献上博多を締めたいとか、雪駄せったが穿はいて見たいとか云い出して、一日あるひ同宿の笹屋さゝやという料理屋へ上あがり込み、一盃ぱいやっている側に酌取女しゃくとりおんなに出た別嬪べっぴんは、年は二十七位だが、何どうしても廿三四位としか見えないという頗すこぶる代物しろものを見るよりも、伴藏は心を動かし、二階を下りて此の家やの亭主に其の女の身上みのうえを聞けば、さる頃夫婦の旅人りょじんが此の家へ泊りしが、亭主は元は侍で、如何いかなる事か足の疵きずの痛み烈はげしく立つ事ならず、一日々々との長逗留ながどうりゅう、遂ついに旅用りょようをも遣つかいはたし、そういつ迄も宿屋の飯を食ってもいられぬ事なりとて、夫婦には土手下へ世帯しょたいを持たせ、女房は此方こちらへ手伝い働き女として置いて、僅わずかな給金で亭主を見継みついでいるとかの話を聞いて、伴藏は金さえ有れば何うにもなると、其の日は幾許いくらか金を与え、綺麗に家に帰りしが、これよりせっ〱と足近く笹屋に通い、金びら切って口説くどきつけ、遂に彼かの女と怪しい中になりました。一体此の女は飯島平左衞門の妾お國にて、宮野邊源次郎と不義を働き、剰あまつさえ飯島を手に掛け、金銀衣類を奪い取り、江戸を立退たちのき、越後の村上へ逃出しましたが、親元絶家ぜっけして寄るべなきまゝ、段々と奥州路を経囘へめぐりて下街道しもかいどうへ出て参り此の栗橋にて煩わずらい付き、宿屋の亭主の情なさけを受けて今の始末、素もとより悪性あくしょうのお國ゆえ忽たちまち思う様よう、此の人は一代身上いちだいじんしょう俄分限にわかぶげんに相違なし、此の人の云う事を聞いたなら悪い事もあるまいと得心したる故、伴藏は四十を越して此のような若い綺麗な別嬪にもたつかれた事なれば、有頂天界うちょうてんがいに飛上り、これより毎日こゝにばかり通い来て寝泊りを致しておりますと、伴藏の女房おみねは込上こみあがる悋気りんきの角も奉公人の手前にめんじ我慢はしていましたが、或日あるひのこと馬を牽ひいて店先を通る馬子を見付け、

みね「おや久藏さん、素通りかえ、余あんまりひどいね」

久「ヤアお内儀かみさま、大きに無沙汰を致しやした、ちょっくり来るのだアけど今ア荷い積んで幸手さってまで急いでゆくだから、寄っている訳にはいきましねえが、此間こないだは小遣こづかいを下さって有難うごぜえます」

みね「まアいゝじゃアないか、お前は宅うちの親類じゃないか、一寸ちょっとお寄りよ、一ぱい上げたいから」

久「そうですかえ、それじゃア御免なせい」

と馬を店の片端に結ゆわい付け、裏口から奥へ通り、

久「己おらア此家こっちの旦那の身寄りだというので、皆みんなに大きに可愛かわいがられらア、この家うちの身上しんしょうは去年から金持になったから、おらも鼻が高い」

と話の中うちにおみねは幾許いくらか紙に包み、

みね「なんぞ上げたいが、余あんまり少しばかりだが小遣こづかいにでもして置いておくれよ」

久「これアどうも、毎度めいど戴いてばかりいて済まねえよ、いつでも厄介やっけえになりつゞけだが、折角の思し召しだから頂戴いたして置きますべい、おや触さわって見た所じゃアえらく金があるようだから単物ひとえものでも買うべいか、大きに有難うござります」

みね「何なんだよそんなにお礼を云われては却かえって迷惑するよ、ちょいとお前に聞きたいのだが、宅うちの旦那は、四月頃から笹屋へよくお泊りなすって、お前も一緒に行って遊ぶそうだが、お前は何故私に話をおしでない」

久「おれ知んねえよ」

みね「おとぼけで無いよ、ちゃんと種が上あがっているよ」

久「種が上るか下さがるか己おらア知んねえものを」

みね「アレサ笹屋の女のことサ、ゆうべ宅うちの旦那が残らず白状してしまったよ、私はお婆さんになって嫉妬やきもちをやく訳ではないが旦那の為を思うから云うので、あの通りな粋いきな人だから、悉皆すっかりと打明けて、私に話して、ゆうべは笑ってしまったのだが、お前が余あんまりしらばっくれて、素通りをするから呼んだのさ、云ったッて宜いいじゃアないかえ」

久「旦那どんが云ったけえ、アレマアわれさえ云わなければ知れる気遣きづけえはねえ、われが心配しんぺいだというもんだから、お前さまの前へ隠していたんだ、夫婦の情合じょうあいだから、云ったらお前めえも余あんまり心持も好よくあんめえと思ったゞが、そうけえ旦那どんが云ったけえ、おれ困ったなア」

みね「旦那は私に云って仕舞ったよ、お前と時々一緒に行くんだろう」

久「あの阿魔女あまっちょは屋敷者だとよ、亭主は源次郎さんとか云って、足へ疵きずが出来て立つ事が出来ねえで、土手下へ世帯しょたいを持っていて、女房は笹屋へ働き女をしていて、亭主を過すごしているのを、旦那が聞いて気の毒に思い、可愛相にと思って、一番始め金え三分くれて、二度目の時二両後あとから三両それから五両、一ぺんに二十両やった事もあった、ありゃお國さんとか云って廿七だとか云うが、お前めえさんなんぞより余程よっぽど綺き…ナニお前まえさまとは違ちげえ、屋敷もんだから不意気ぶいきだが、なか〱美いい女だよ」

みね「何かえ、あれは旦那が遊びはじめたのは何時いつだッけねえ、ゆうべ聞いたがちょいと忘れて仕舞った、お前知っているかえ」

久「四月の二日からかねえ」

みね「呆れるよ本当にマア四月から今まで私に打明けて話しもしないで、呆れかえった人だ、どんなに私が鎌を掛けて宅うちの人に聞いても何なんだの彼かだのとしらばっくれていて、ありがたいわ、それですっかり分った」

久「それじゃア旦那は云わねえのかえ」

みね「当前あたりまえサ、旦那が私に改まってそんな馬鹿な事をいう奴があるものかね」

久「アレヘエそれじゃアおらが困るべいじゃアねえか、旦那どんが己おれにわれえ喋しゃべるなよと云うたに、困ったなア」

みね「ナニお前の名前は出さないから心配おしでないよ」

久「それじゃア私わしの名前なめえを出しちゃアいかねえよ、大きに有難うござりました」

と久藏は立帰る。おみねは込上こみあがる悋気りんきを押え、夜延よなべをして伴藏の帰りを待っていますと、

伴「文助ぶんすけや明けてくれ」

文「お帰り遊ばせ」

伴「店の者も早く寝てしまいな、奥ももう寝たかえ」

といいながら奥へ通る。

伴「おみね、まだ寝ずか、もう夜なべはよしねえ、身体の毒だ、大概にして置きな、今夜は一杯飲んで、そうして寝よう、何か肴さかなは有合ありあいでいゝや」

みね「何もないわ」

伴「かくやでもこしらえて来てくんな」

みね「およしよ、お酒を宅うちで飲んだって旨くもない、肴はなし、酌をする者は私のようなお婆さんだから、どうせ気に入る気遣きづかいはない、それよりは笹屋へ行ってお上あがりよ」

伴「そりゃア笹屋は料理屋だから何なんでもあるが、寝酒ねざけを飲むんだから一寸ちょいと海苔のりでも焼いて持って来ねえな」

みね「肴はそれでも宜いいとした所が、お酌が気に入らないだろうから、笹屋へ行ってお國さんにお酌をしてお貰いよ」

伴「気障きざなことを云うな、お國が何どうしたんだ」

みね「おまえは何故そう隠すんだえ、隠さなくってもいゝじゃアないかえ、私が十九つゞや廿はたちの事ならばお前の隠すも無理ではないが、こうやってお互いにとる年だから、隠しだてをされては私が誠に心持が悪いからお云いな」

伴「何をよう」

みね「お國さんの事をサ、美いい女だとね、年は廿七だそうだが、ちょっと見ると廿二三にしか見えない位な美い娘こで、私も惚々ほれ〲するくらいだから、ありゃア惚れてもいゝよ」

伴「何なんだかさっぱり分らねえ、今日昼間馬方の久藏が来きやアしなかったか」

みね「いゝえ来やアしないよ」

伴「おれも此の節は拠よんどころない用で時々宅うちを明けるものだから、お前めえがそう疑ぐるのも尤もっともだが、そんな事を云わないでもいゝじゃアねえか」

みね「そりゃア男の働きだから何をしたっていゝが、お前のためだから云うのだよ、彼あの女の亭主は双刀りゃんこさんで、其の亭主の為にあゝやっているんだそうだから、亭主に知れると大変だから、私も案じられらアね、お前は四月の二日から彼の女に係かゝり合っていながら、これッぱかりも私に云わないのは酷ひどいよ、そいっておしまいなねえ」

伴「そう知っていちゃア本当に困るなア、あれは己が悪かった、面目ねえ、堪忍してくれ、おれだってお前めえに何か序ついでがあったら云おうと思っていたが、改まってさてこういう色が出来たとも云いにくいものだから、つい黙っていた、おれも随分道楽をした人間だから、そう欺だまされて金を奪とられるような心配はねえ大丈夫だ」

みね「そうサ初めての時三分やって、其の次に二両、それから三両と五両二度にやって、二十両一ぺんにやった事があったねえ」

伴「いろんな事を知っていやアがる、昼間久藏が来たんだろう」

みね「来やしないよ、それじゃアお前こうおしな、向むこうの女も亭主があるのにお前に姦通くッつくくらいだから、惚れているに違いないが、亭主が有っちゃア危険けんのんだから、貰い切って妾にしてお前の側へお置きよ、そうして私は別になって、私は関口屋の出店でみせでございますと云って、別に家業をやって見たいから、お前はお國さんと二人で一緒に成ってお稼ぎよ」

伴「気障きざな事を云わねえがいゝ、別れるも何もねえじゃアねえか、あの女だって双刀りゃんこの妾、主ぬしがあるものだから、そう何時いつまでも係り合っている気はねえのだが、ありゃア酔った紛まぎれにツイ摘食つまみぐいをしたので、己がわるかったから堪忍してくれろ、もう二度と彼処あすこへ往ゆきさえしなければ宜いいだろう」

みね「行っておやりよ、あの女は亭主があってそんな事をする位だから、お前に惚れているんだからお出いでよ」

伴「そんな気障な事ばかり云って仕様がねえな………」

みね「いゝから私わたしゃア別になりましょうよ」

と、くど〱云われて伴藏はグッと癪しゃくにさわり、

伴「なッてえ〱、これ四間けん間口の表店おもてだなを張っている荒物屋の旦那だア、一人二人の色が有ったってなんでえ、男の働きで当前あたりめえだ、若わけえもんじゃあるめえし、嫉妬やきもちを焼くなえ」

みね「それは誠に済みません、悪い事を申しました、四間間口の表店を張った旦那様だから、妾狂いをするのは当前あたりまえだと、大層もない事をお云いでないよ、今では旦那だと云って威張っているが、去年まではお前は何なんだい、萩原様の奉公人同様に追い使われ小さな孫店まごだなを借かりていて、萩原様から時々小遣こづかいを戴いたり、単物ひとえものの古いのを戴いたりして何どうやら斯こうやらやっていたんじゃアないか、今斯うなったからと云ってそれを忘れて済むかえ」

伴「そんな大きな声で云わなくってもいゝじゃアねえか、店の者に聞えるといけねえやナ」

みね「云ったっていゝよ、四間間口の表店を張っている荒物屋の旦那だから、妾狂いが当前だなんぞと云って、先せんのことを忘れたかい」

伴「喧やかましいやい、出て行きやアがれ」

みね「はい、出て行きますとも、出て行きますからお金を百両私におくれ、これだけの身代になったのは誰のお蔭かげだ、お互にこゝまでやったのじゃアないか」

伴「恵比須講の商いみたように大した事をいうな、静かにしろ」

みね「云ったっていゝよ、本当にこれまで互に跣足はだしになって一生懸命に働いて、萩原様の所にいる時も、私は煮焚にたき掃除や針仕事をし、お前は使つかいはやまをして駈かけずりまわり、何うやら斯うやらやっていたが、旨い酒も飲めないというから、私が内職をして、偶たまには買って飲ませたりなんどして、八年以来このかたお前のためには大層苦労をしているんだア、それを何なんだえ、荒物屋の旦那だとえ、御大層らしい、私ゃア今こう成ったッても、昔の事を忘れない為に、今でもこうやって木綿物を着て夜延よなべをしている位なんだ、それにまだ一昨年おとゝしの暮だっけ、お前が鮭しゃけのせんばいでお酒を飲みてえものだというから……」

伴「静しずかにしろ、外聞げえぶんがわりいや、奉公人に聞えてもいけねえ」

みね「いゝよ私ゃア云うよ、云いますよ、それから貧乏世帯を張っていた事だから、私も一生懸命に三晩みばん寝ないで夜延をして、お酒を三合買って、鮭のせんばいで飲ませてやった時お前は嬉しがって、其の時何と云ったい、持つべきものは女房だと云って喜んだ事を忘れたかい」

伴「大きな声をするな、それだから己はもう彼処あすこへ行かないというに」

みね「大きな声をしたっていゝよ、お前はお國さんの処ところへお出いでよ、行ってもいゝよ、お前の方で余あんまり大きな事を云うじゃアないか」

と尚々なお〱大きな声を出すから、伴藏は

「オヤこの阿魔」

といいながら拳こぶしを上げて頭を打うつ、打たれておみねは哮たけり立ち、泣声を振り立て、

みね「何を打ぶちやアがるんだ、さア百両の金をおくれ、私ゃア出て参りましょう、お前は此の栗橋から出た人だから身寄もあるだろうが、私は江戸生れで、斯こんな所へ引張ひっぱられて来て、身寄親戚たよりがないと思っていゝ気に成って、私が年を取ったもんだから女狂いなんぞはじめ、今になって見放されては喰方くいかたに困るから、これだけ金をおくれ、出て往いきますから」

伴「出て往ゆくなら出て往くがいゝが、何も貴様に百両の金を遣やるという因縁がねいやア」

みね「大層なことをお云いでないよ、私が考え付いた事で、幽霊から百両の金を貰ったのじゃないか」

伴「こら〱静しずかにしねえ」

みね「云ったっていゝよ、それから其の金で取りついて斯う成ったのじゃアないかそればかりじゃアねえ、萩原様を殺して海音如来のお像を盗み取って、清水の花壇の中へ埋めて置いたじゃアないか」

伴「静にしねえ、本当に気違きちげえだなア、人の耳へでも入ったら何どうする」

みね「私ゃア縛られて首を切られてもいゝよ、そうするとお前も其の儘まゝじゃア置かないよ、百両おくれ、私ゃア別に成りましょう」

伴「仕様が無ねえな、己が悪かった、堪忍してくれ、そんなら是迄お前めえと一緒になってはいたが、おれに愛想あいそうが尽きたなら此の宅うちはすっかりとお前にやってしまわア、と云うと、なにか己があの女でも一緒に連れて何処どこかへ逃げでもすると思うだろうが、段々様子を聞けば、あの女は何か筋の悪い女だそうだから、もう好加減いゝかげんに切りあげる積り、それともこゝの家うちを二百両にでも三百両にでもたゝき売って仕舞って、お前を一緒に連れて越後の新潟あたりへ身を隠し、もう一と花咲かせ巨でっかくやりてえと思うんだが、お前最もう一度跣足はだしになって苦労をしてくれる気はねえか」

みね「私だって無理に別れたいと云う訳でもなんでもありませんが、今に成ってお前が私を邪慳じゃけんにするものだから、そうは云ったものゝ、八年以来このかた連添っていたものだから、お前が見捨てないと云う事なら、何処どこまでも一緒に行こうじゃアないか」

伴「そんなら何も腹を立てる事はねえのだ、これから中直なかなおりに一杯ぺい飲んで、両人ふたりで一緒に寝よう」

と云いながらおみねの手首を取って引寄せる。

みね「およしよ、いやだよウ」

川柳せんりゅうに「女房の角を□□□でたゝき折り」で忽たちまち中も直りました。それから翌日は伴藏がおみねに好きな衣類きものを買って遣やるからというので、幸手へまいり、呉服屋で反物たんものを買い、こゝの料理屋でも一杯やって両人ふたり連れ立ち、もう帰ろうと幸手を出て土手へさしかゝると、伴藏が土手の下へ降りに掛るから、

みね「旦那、どこへ行ゆくの」

伴「実は江戸へ仕入しいれに行った時に、あの海音如来の金無垢きんむくのお守を持って来て、此処こゝへ埋めて置いたのだから、掘出ほりだそうと思って来たんだ」

みね「あらまアお前はそれまで隠して私に云わないのだよ、そんなら早く人の目つまにかゝらないうちに掘ってお仕舞いよ」

伴「これは掘出して明日あした古河こがの旦那に売るんだ、何なんだか雨がポツ〱降って来たようだな、向うの渡し口の所からなんだか人が二人ばかり段々こっちの方へ来るような塩梅あんべいだから、見ていてくんねえ」

みね「誰も来きやアしないよ、どこへさ」

伴「向うの方へ気を付けろ」

という。向うは往来おうらいが三叉みつまたになっておりまして、側かたえは新利根しんとね大利根おおとねの流ながれにて、折おりしも空はどんよりと雨もよう、幽かすかに見ゆる田舎家いなかやの盆灯籠ぼんどうろうの火もはや消えなんとし、往来ゆきゝも途絶とだえて物凄ものすごく、おみねは何心なにごゝろなく向うの方へ目をつけている油断を窺うかゞい、伴藏は腰に差したる胴金造どうかねづくりの脇差を音のせぬように引ひっこ抜き、物をも云わず背後うしろから一生懸命力を入れて、おみねの肩先目がけて切り込めば、キャッとおみねは倒れながら伴藏の裾すそにしがみ付き、

みね「それじゃアお前は私を殺して、お國を女房に持つ気だね」

伴「知れた事よ、惚れた女を女房に持つのだ、観念しろ」

と云いさま、刀を逆手さかてに持直し、貝殻骨かいがらぼねのあたりから乳の下へかけ、したゝかに突込つきこんだれば、おみねは七顛八倒の苦しみをなし、おのれ其の儘まゝにして置こうかと、又も裾へしがみつく。伴藏は乗掛のしかゝって止とゞめを刺したから、おみねは息が絶えましたが、何どうしてもしがみついた手を放しませんから、脇差にて一本々々指を切り落し、漸ようやく刀を拭ぬぐい、鞘さやに納め、跡をも見ず飛ぶが如くに我家わがやに立帰り、慌あわたゞしく拳こぶしをあげて門かどの戸を打叩うちたゝき、

伴「文助、一寸ちょっとこゝを明けてくれ」

文「旦那でございますか、へいお帰り遊ばせ」

と表の戸を開く。伴藏ズッと中うちに入り、

伴「文助や、大変だ、今土手で五人の追剥おいはぎが出て己の胸むなぐらを掴つかまえたのを、払って漸く逃げて来たが、おみねは土手下へ降りたから、悪くすると怪我をしたかも知れない、何どうも案じられる、どうか皆みんな一緒に行って見てくれ」

というので奉公人一同大いに驚き、手に〱半棒はんぼう栓張棒しんばりぼうなぞ携たずさえ、伴藏を先に立て土手下へ来て見れば、無慙むざんやおみねは目も当てられぬように切殺されていたから、伴藏は空涙そらなみだを流しながら、

伴「あゝ可愛相な事をした、今一ト足早かったら、斯こんな非業な死はとらせまいものを」

と嘘を遣つかい、人を走はせて其の筋へ届け、御検屍ごけんしもすんで家うちに引取り、何事もなく村方へ野辺の送りをしてしまいましたが、伴藏が殺したと気が付くものは有りません。段々日数ひかずも立って七日目の事ゆえ、伴藏は寺参りをして帰って来ると、召使のおますという三十一歳になる女中が俄にわかにがた〱と慄ふるえはじめて、ウンと呻うなって倒れ、何か譫言うわことを云って困ると番頭がいうから、伴藏が女の寝ている所へ来て、

伴「お前めえどんな塩梅あんべいだ」

ます「伴藏さん貝殻骨から乳の下へ掛けてズブ〱と突つきとおされた時の痛かったこと」

文「旦那様変な事を云いやす」

伴「おます、気を慥たしかにしろ、風でも引いて熱でも出たのだろうから、蒲団ふとんを沢山たんとかけて寝かしてしまえ」

と夜着よぎを掛けるとおますは重い夜着や掻巻かいまきを一度にはね退のけて、蒲団の上にちょんと坐り、じいッと伴藏の顔を睨にらむから、

文「変な塩梅あんべいですな」

伴「おます、確しっかりしろ、狐にでも憑つかれたのじゃアないか」

ます「伴藏さん、こんな苦しい事はありません、貝殻骨のところから乳のところまで脇差の先が出るほどまで、ズブ〱と突かれた時の苦しさは、何なんとも彼かとも云いようがありません」

と云われて伴藏も薄気味悪くなり、

伴「何を云うのだ、気でも違いはしないか」

ます「お互に斯こうして八年以来このかた貧乏世帯を張り、やッとの思いで今はこれ迄になったのを、お前は私を殺してお國を女房にしようとは、マア余あんまり酷ひどいじゃアないか」

伴「これは変な塩梅あんべいだ」

と云うものゝ、腹の内では大いに驚き、早く療治をして直したいと思う所へ、此の節幸手に江戸から来ている名人の医者があるというから、それを呼ぼうと、人を走はせて呼びに遣やりました。

十八

伴藏は女房が死んで七日目に寺参りから帰った其の晩より、下女のおますが訝おかしな譫言うわことを云い、幽霊に頼まれて百両の金を貰い、是迄の身代に取付いたの、萩原新三郎様を殺したの、海音如来のお守を盗み出し、根津の清水の花壇の中へ埋うずめたなどゝ喋しゃべり立てるに、奉公人たちは何なんだか様子の分らぬ事ゆえ、只たゞ馬鹿な譫語うわことをいうと思っておりましたが、伴藏の腹の中では、女房のおみねが己に取り付く事の出来ない所から、此の女に取付とッついて己の悪事を喋らせて、お上かみの耳に聞えさせ、おれを召捕めしとり、お仕置しおきにさせて怨うらみをはらす了簡に違いなし、あの下女さえいなければ斯様かような事もあるまいから、いっそ宿元やどもとへ下げて仕舞おうか、いや〱待てよ、宿へ下げ、あの通りに喋られては大変だ、コリャうっかりした事は出来ないと思案にくれている処へ、先程幸手へ使つかいに遣やりました下男の仲助なかすけが、医者同道で帰って来て、

男「旦那只今帰けえりやした、江戸からお出いでなすったお上手なお医者様だそうだがやっと願いやして御一緒に来てもらいやした」

伴「これは〱御苦労さま、手前方は斯こう云う商売柄店も散らかっておりますから、先まず此方こちらへお通り下さいまし」

と奥の間へ案内をして上座かみざに請しょうじ、伴藏は慇懃いんぎんに両手をつかえ、

伴「初めましてお目通りを致します、私わたくしは関口屋伴藏と申します者、今日こんにちは早速の御入おいりで誠に御苦労様に存じまする」

医「はい〱初めまして、何か急病人の御様子、ハヽアお熱で、変な譫語うわことなどを云うと」

と言いながら不図ふと伴藏を見て、

「おや、これは誠に暫しばらく、これはどうも誠にどうも、どうなすって伴藏さん、先まず一別以来相変らず御機嫌宜しく、どうもマア図はからざるところでお目に懸りました、これは君の御新宅ごしんたくかえ、恐入ったねえ、併しかし君は斯かくあるべき事だろうと、君が萩原新三郎様の所にいる時分から、あの伴藏さんおみねさんの夫婦は、どうも機転の利きき方、才智の廻る所から、中々只の人ではない、今にあれはえらい人になると云っていたが、十指じっしの指さす処鑑定めがねは違わず、実に君は大した表店おもてだなを張り、立派な事におなりなすったなア」

伴「いやこれは山本志丈さん、誠に思い掛けねえ所でお目にかゝりやした」

志「実は私も人には云えねえが江戸を喰い詰め、医者もしていられねえから、猫の額ひたえのような家うちだが売って、其の金子を路用として日光辺の知己しるべを頼って行ゆく途中、幸手の宿屋で相宿あいやどの旅人りょじんが熱病で悩むとて療治を頼まれ、其の脉を取れば運よく全快したが、実は僕が治したんじゃアねえ、ひとりでに治ったんだが、運に叶かなって忽たちまちにあれは名人だ名医だとの評が立ち、あっちこっちから療治を頼まれ、実はいゝ加減にやってはいるが、相応に薬礼をよこすから、足を留とめていたものゝ実は己ア医者は出来ねえのだ、尤もっとも傷寒論しょうかんろんの一冊位は読んだ事は有るが、一体病人は嫌きれえだ、あの臭い寝床の側へ寄るのは厭いやだから、金さえあればツイ一杯呑む気になるようなものだから、江戸を喰い詰めて来たのだが、あの妻君さいくんはお達者かえ、イヤサおみねさんには久しく拝顔はいがんを得ないがお達者かえ」

伴「あれは」

と口ごもりしが、

「八日あとの晩土手下で盗賊どろぼうに切殺されましたよ、それから漸ようやく引取って葬式とむらいを出しました」

志「ヤレハヤこれはどうも、存外な、嘸さぞお愁傷しゅうしょう、お馴染なじみだけに猶更なおさらお察し申します、あの方は誠に御貞節ないゝお方であったが、これが仏家ぶっかでいう因縁とでも申しますのか、嘸まア残念な事でありましたろう、それでは御病人はお家内ではないね」

伴「えゝ内の女ですが、なんだか熱にうかされて妙な事を云って困ります」

志「それじゃア一寸ちょっと診みて上げて、後あとで又いろ〱昔の話をしながら緩ゆるりと一杯やろうじゃアないか、知らない土地へ来て馴染の人に逢うと何だか懐かしいものだ、病人は熱なら造作ぞうさもないからねえ」

伴「文助や、先生は甘い物は召上がらねえが、お茶とお菓子と持って来て置け、先生此方こっちへお出いでなせえ、こゝが女部屋で」

志「左様か、マア暑いから羽織を脱ごうよ」

伴「おますや、お医者様が入いらっしゃったからよく診みていたゞきな、気を確しっかりしていろ、変な事をいうな」

志「どう云う御様子、どんな塩梅あんばいで」

と云いながら側へ近寄ると、病人は重い掻巻かいまきを反はね退のけて布団の上にちゃんと坐り志丈の顔をジッと見詰めている。

志「お前どう云う塩梅で、大方風がこうじて熱となったのだろう、悪寒さむけでもするかえ」

ます「山本志丈さん、誠に久しくお目にかゝりませんでした」

志「これは妙だ、僕の名を呼んだぜ」

伴「こいつは妙な譫語ばッかり云っていますよ」

志「だって僕の名を知っているのが妙だ、フウンどういう様子だえ」

ます「私はね、此の貝殻骨から乳の所までズブ〱と伴藏さんに突かれた時の」

伴「これ〱何を詰らねえ事をいうんだ」

志「宜しいよ、心配したもうな、それから何どうしたえ」

ます「貴方あなたの御存じの通り、私共夫婦は萩原新三郎様の奉公人同様に追い使われ、跣足はだしになって駈かけずり廻っていましたが、萩原様が幽霊に取付かれたものだから、幡随院の和尚から魔除の御札を裏窓へ貼付けて置いて幽霊の這入はいれない様にした所から、伴藏さんが幽霊に百両の金を貰って其の御札を剥はがし」

伴「何を云うんだなア」

志「宜しいよ、僕だから、これは妙だ〱、へい、そこで」

ます「其の金から取付いて今はこれだけの身代となり、それのみならず萩原様のお首に掛けてる金無垢の海音如来の御守を盗み出し、根津の清水の花壇に埋め、剰あまつさえ萩原様を蹴殺けころして体ていよく跡を取繕とりつくろい」

伴「何を、とんでもない事を云うのだ」

志「よろしいよ僕だから、妙だ〱ヘイそれから」

ます「そうしてお前、そんなあぶく銭ぜにで是までになったのに、お前は女狂いを始め、私を邪魔にして殺すとは余あんまり酷ひどい」

伴「どうも仕様がないの、何をいうのだ」

志「よろしいよ、妙だ、心配したもうな、これは早速宿へ下げたまえ、と云うと、宿で又こんな譫語を云うと思し召そうが、下げれば屹度きっと云わない、此の家うちに居るから云うのだ、僕も壮年の折おりこういう病人を二度ほど先生の代脉だいみゃくで手掛けた事があるが、宿へ下げれば屹度云わないから下げべし〱」

と云われて、伴藏は小気味が悪いけれども、山本の勧めに任せ早速に宿を呼寄せ引渡し、表へ出るやいなや正気に復かえった様子なれば、伴藏も安心していると今度は番頭の文助がウンと呻うなって夜着をかむり、寝たかと思うと起上り、幽霊に貰った百両の金でこれだけの身代になり上り、といい出したれば、又宿を呼んで下げてしまうと、今度は小僧が呻り出したれば又宿へ下げてしまい、奉公人残らずを帰し、あとには伴藏と志丈と二人ぎりになりました。

志「伴藏さん、今度呻ればおいらの番だが、妙だったね、だが伴藏さん打明けて話をしてくんなせえ、萩原さんが幽霊に魅みいられ、骨と一緒に死んでいたとの評判もあり、又首に掛けた大事の守りが掏代すりかわっていたと云うが、其の鑑定はどうも分らなかった、尤もっとも白翁堂と云う人相見の老爺おやじが少しは覚けどって新幡随院の和尚に話すと、和尚は疾とうより覚さとっていて、盗んだ奴が土中どちゅうへ埋め隠してあると云ったそうだが、今日きょう初めて此の病人の話によれば、僕の鑑定では慥たしかにお前と見て取ったが、もう斯こうなったらば隠さず云ってお仕舞い、そうすれば僕もお前と一つになって事を計はからおうじゃないか、善悪共に相談をしようから打明け給え、それから君はおかみさんが邪魔になるものだから殺して置いて、盗賊どろぼうが斬殺きりころしたというのだろう、そうでしょう〱」

といわれて伴藏最早隠し遂おおせる事にもいかず、

伴「実は幽霊に頼まれたと云うのも、萩原様のあゝ云う怪しい姿で死んだというのも、いろ〱訳があって皆みんな私わっちが拵こしらえた事、というのは私が萩原様の肋あばらを蹴けって殺して置いて、こっそりと新幡随院の墓場へ忍び、新塚を掘起し、骸骨しゃりこつを取出し、持帰って萩原の床の中へ並べて置き、怪しい死しにざまに見せかけて白翁堂の老爺おやじをば一ぺい欺込はめこみ、又海音如来の御守もまんまと首尾好よく盗み出し、根津の清水の花壇の中へ埋めて置き、それから己が色々と法螺ほらを吹いて近所の者を怖がらせ、皆あちこちへ引越ひっこしたを好よいしおにして、己も亦またおみねを連れ、百両の金を掴つかんで此の土地へ引込ひっこんで今の身の上、ところが己が他わきの女に掛り合った所から、嚊かゝアが悋気りんきを起し、以前の悪事をがア〱と呶鳴どなり立てられ仕方なく、旨く賺だまして土手下へ連出して、己が手に掛け殺して置いて、追剥に殺されたと空涙で人を騙だまかし、弔とむらいをも済すまして仕舞った訳なんだ」

志「よく云った、誠に感服、大概の者ならそう打明けては云えぬものだに、己が殺したと速すみやかに云うなどは是は悪党アヽ悪党、お前にそう打明けられて見れば、私はお喋りな人間だが、こればッかりは口外はしないよ、其の代り少し好このみがあるが何どうか叶えておくれ、と云うと何か君の身代でも当てにするようだが、そんな訳ではない」

伴「あゝ〱それはいゝとも、どんな事でも聞きやしょうから、どうか口外はして下さるな」

と云いながら懐中より廿五両包を取出し、志丈の前に差置いて、

伴「少すくねえが切餅きりもちをたった一ツ取って置いてくんねえ」

志「これは云わない賃かえ薬礼ではないね、宜しい心得た、何なんだかこう金が入ると浮気になったようだから、一杯ぺい飲みながら、緩ゆるりと昔語むかしがたりがしてえのだが、こゝの家うちア陰気だから、これから何処どこかへ行って一杯やろうじゃアねえか」

伴「そいつは宜よかろう、そんなら己おいらの馴染の笹屋へ行ゆきやしょう」

と打連立うちつれだって家うちを立出たちいで、笹屋へ上り込み、差向いにて酒を酌交くみかわし、

伴「男ばかりじゃア旨くねえから、女を呼びにやろう」

とお國を呼寄せる。

國「おや旦那、御無沙汰を、よく入いらっしゃって、伺うかゞいますればお内儀かみさんは不慮の事がございましたと、定めて御愁傷な事で、私も旦那にちょいとお目に懸りたいと思っておりましたは、内の人の傷も漸ようやく治り、近々きん〱のうち越後へ向けて今一度ひとたび行ゆきたいと云っておりますから、行った日には貴方にはお目に懸ることが出来ないと思っている所へお使つかいで、余あんまり嬉しいから飛んで来たんですよ」

伴「お國お連つれの方に何故御挨拶をしないのだ」

國「これはあなた御免遊ばせ」

と云いながら志丈の顔を見て、

國「おや〱山本志丈さん、誠に暫しばらく」

志「これは妙、何どうも不思議、お國さんがこゝにお出いでとは計らざる事で、これは妙、内々ない〱御様子を聞けば、思うお方と一緒なら深山みやまの奥までと云うようなる意気事筋いきごとすじで、誠に不思議、これは希代きたいだ、妙々々」

と云われてお國はギックリ驚いたは、志丈はお國の身の上をば精くわしく知った者ゆえ、若もし伴藏に喋べられてはならぬと思い、

國「志丈さんちょっと御免あそばせ」

と次の間へ立ち。

國「旦那ちょっと入っしゃい」

伴「あいよ、志丈さん、ちょいと待ってお呉れよ」

志「あゝ宜しい、緩ゆっくり話をして来たまえ、僕はさようなことには慣れて居るから苦しくない、お構いなく、緩くりと話をして入っしゃい」

國「旦那どう云うわけであの志丈さんを連れて来たの」

伴「あれは内に病人があったから呼んだのよ」

國「旦那あの医者の云う事をなんでも本当にしちゃアいけませんよ、あんな嘘つきの奴はありません、あいつの云う事を本当にするととんでもない間違いが出来ますよ、人の合中あいなかを突つッつく酷ひどい奴ですから、今夜はあの医者を何処どっかへやって、貴方あなた独りこゝに泊っていて下さいな、そうすれば内の人を寝かして置いて、貴方の所へ来て、いろ〱お話もしたい事がありますから宜ようございますか」

伴「よし〱、それじゃア内の方をいゝ塩梅あんべいにして屹度きっと来きねえよ」

國「屹度来ますから待っておいでよ」

とお國は伴藏に別れ帰り行ゆく。

伴「やア志丈さん、誠にお待ちどう」

志「誠にどうも、アハヽあの女はもう四十に近いだろうが若いねえ、君もなか〱お腕前うでめえだね、大方君はあの婦人を喰っているのだろうが、これからはもう君と善悪を一ツにしようと約束をした以上は、君のためにならねえ事は僕は云うよ、一体君はあの女の身の上を知って世話をするのか知らないのか」

伴「おらア知らねえが、お前めえさんは心安いのか」

志「あの婦人には男が附いて居る、宮野邊源次郎と云って旗下はたもとの次男だが、其奴そいつが悪人で、萩原新三郎さんを恋慕こいしたった娘の親御おやご飯島平左衞門という旗下の奥様附づきで来た女中で、奥様が亡くなった所から手がついて妾と成ったが今のお國で、源次郎と不義をはたらき、恩ある主人の飯島を斬殺きりころし、有金ありがね二百六十両に、大小を三腰とか印籠を幾つとかを盗み取り逐電ちくでんした人殺しの盗賊どろぼうだ、すると後あとから忠義の家来藤助とうすけとか孝助とか云う男が、主人の敵かたきを討ちたいと追おっかけて出たそうだ、私の思うのは、あれは君に惚れたのではなく、源次郎が可愛かあいいからお前の云う事を聞いたなら、亭主のためになるだろうと心得、身を任せ、相対間男あいたいまおとこではないかと僕は鑑定するが、今聞けば急に越後へ立つと云い、僕をはいて君独り寝ている処へ源次郎が踏込んでゆすり掛け、二百両位の手切れは取る目算に違ちげえねえが、君は承知かえ、だから君は今夜こゝに泊っていてはいけねえから、僕と一緒に何処どっかへ女郎買に行ってしまい、あいつ等ら二人に素股すまたを喰わせるとは何どうだえ」

伴「むゝ成程、そうか、それじゃアそうしよう」

と連立つれだってこゝを立出たちいで、鶴屋という女郎屋へ上あがり込む。後あとへお國と源次郎が笹屋へ来て様子を聞けば、先刻さっき帰ったと云うことに二人は萎しおれて立帰り、

源「お國もうこうなれば仕方がないから、明日あしたは己が関口屋へ掛合いに行ゆき、若もし向うでしらをきった其の時は」

國「私が行って喋りつけ口を明かさずたんまりとゆすってやろう」

と其の晩は寝てしまいました。翌朝よくちょうになり伴藏は志丈を連れて我家わがやへ帰り、種々いろ〱昨夜ゆうべの惚気のろけなど云っている店前みせさきへ、

源「お頼ん申す〱」

伴「商人あきんどの店先へお頼ん申すと云うのは訝おかしいが、誰だろう」

志「大方ゆうべ話した源次郎が来たのかも知れねえ」

伴「そんならお前めえ其方そっちへ隠れていてくれ」

志「弥々いよ〱難かしくなったら飛出そうか」

伴「いゝから引込ひっこんでいなよ……へい〱、少々宅うちに取込とりこみが有りまして店を閉めて居りますが、何か御用ならば店を明けてから願いとうございます」

源「いや買物ではござらん、御亭主に少々御面談いたしたく参ったのだ、一寸ちょっと明けてください」

伴「左様でございますか、先まずお上あがり」

源「早朝より罷まかり出いでまして御迷惑、貴方あなたが御主人か」

伴「へい、関口屋伴藏は私わたくしでございます、こゝは店先どうぞ奥へお通りくださいまし」

源「然しからば御免を蒙こうむる」

と蝋色鞘ろいろざや茶柄ちゃつかの刀を右の手に下げた儘まゝに、亭主に構わずずっと通り上座かみざに座す。

伴「どなた様でござりますか」

源「これは始めてお目に懸りました、手前は土手下に世帯しょたいを持っている宮野邊源次郎と申す粗忽そこつの浪人、家内國事こと、笹屋方にて働女はたらきおんなをなし、僅わずかな給金にてよう〱其の日を送りいる処、旦那より深く御贔屓を戴くよし、毎度國より承わりおりますれど、何分足痛そくつうにて歩行も成り兼ねますれば、存じながら御無沙汰、重々御無礼をいたした」

伴「これはお初にお目通りをいたしました、伴藏と申す不調法もの幾久しく御懇意を願います、お前様の塩梅あんばいの悪いと云う事は聞いていましたが、よくマア御全快、私わっちもお國さんを贔屓にするというものゝ、贔屓の引倒しで何なんの役にも立ちません、旦那の御新造ごしんぞがねえ、どうも恐れ入った、勿体もっていねえ、馬士まごや私のようなものゝ機嫌気づまを取りなさるかと思えば気の毒だ、それがために失礼も度々たび〱致しやした」

源「どう致しまして、伴藏さんにちと折入って願いたい事がありますが、私共わたくしども夫婦は最早旅費を遣つかいなくし、殊ことには病中の入費いりめ薬礼や何やかやで全く財布さいふの底を払はたき、漸ようやく全快しましたれば、越後路へ出立したくも如何いかにも旅費が乏しく、何どうしたら宜よかろうと思案の側から、女房が関口屋の旦那は御親切のお方ゆえ、泣附いてお話をしたらお見継みつぎくださる事もあろうとの勧めに任せ参りましたが、どうか路金ろぎんを少々拝借が出来ますれば有り難う存じます」

伴「これはどうも、そう貴方のように手を下げて頼まれては面目がありませんが」

と中は幾許いくらかしら紙に包んで源次郎の前にさし置き、

伴「ほんの草鞋銭わらじせんでございますが、お請取うけとり下せえ」

と云われて源次郎は取上げて見れば金千疋びき。

源「これは二両二分、イヤサ御主人、二両二分で越後まで足弱あしよわを連れて行ゆかれると思いなさるか、御親切序ついでにもそっとお恵みが願いたい」

伴「千疋では少ないと仰しゃるなら、幾許いくら上げたら宜よいのでございます」

源「どうか百金お恵みを願いたい」

伴「一本え、冗談言っちゃアいけねえ、薪まきかなんぞじゃアあるめえし、一本の二本のと転がっちゃアいねえよ、旦那え、こういう事こたア一体たえ此方こっちで上げる心持次第しでいのもので、幾許いくらかくらと限られるものじゃアねえと思いやす、百両くれろと云われちゃア上げられねえ、又道中もしようで限きりのないもの、千両も持って出て足りずに内へ取りによこす者もあり、四百の銭ぜにで伊勢参宮をする者もあり、二分の金を持って金毘羅参こんぴらまいりをしたと云う話もあるから、旅はどうとも仕様によるものだから、そんな事を云ったって出来はしません、誠に商人あきんどなぞは遊んだ金は無いもので、表店おもてだなを立派に張って居ても内々ない〱は一両の銭に困る事もあるものだ、百両くれろと云っても、そんなに私わっちはお前めえさんにお恵みをする縁がねえ」

源「國が別段御贔屓になっているから、兎とやかく面倒云わず、餞別として百金貰おうじゃアねえか、何も云わずにサ」

伴「お前めえさんはおつう訝おかしな事を云わっしゃる、何かお國さんと私わっちと姦通くッついてでもいるというのか」

源「おゝサ姦夫まおとこの廉かどで手切てぎれの百両を取りに来たんだ」

伴「ムヽ私わっちが不義をしたが何どうした」

源「黙れ、やい不義をしたとはなんだ、捨て置き難がたい奴だ」

と云いながら刀を側へ引寄せ、親指にて鯉口こいぐちをプツリと切り、

「此の間から何かと胡散うさんの事もあったれど、堪こらえ〱て是迄穏便沙汰おんびんざたに致し置き、昨晩それとなく國を責めた所、國の申すには、実は済まない事だが貧に迫って止やむを得ずあの人に身を任せたと申したから、其の場において手打にしようとは思ったれども、斯こう云う身の上だから勘弁いたし、事穏おだやかに話をしたに、手前てめえの口から不義したと口外されては捨置きがてえ、表向きに致さん」

と哮たけり立って呶鳴ると、

伴「静しずかにおしなせえ、隣はないが名主のない村じゃアないよ、お前めえさんがそう哮り立って鯉口を切り、私わっちの鬢びんたを打切うちきる剣幕を恐れて、ハイさようならとお金を出すような人間と思うのは間違まちげえだ、私なんぞは首が三ツあっても足りねえ身体だ、十一の時から狂い出して、脱ぬけ参めえりから江戸へ流れ、悪いという悪い事は二三の水出し、遣やらずの最中もなか、野天丁半のでんちょうはんの鼻はなッ張ぱり、ヤアの賭場どばまで逐おって来たのだ、今は胼ひゞ皹あかぎれを白足袋しろたびで隠し、なまぞらを遣つかっているものゝ、悪い事はお前より上だよ、それに又姦夫々々まおとこ〱というが、あの女は飯島平左衞門様の妾で、それとお前がくッついて殿様を殺し、大小や有金ありがねを引攫ひっさらい高飛たかとびをしたのだから、云わばお前も盗みもの、それにお國も己なんぞに惚れたはれたのじゃなく、お前が可愛いばッかりで、病気の薬代やくだいにでもする積りで此方こっちに持ち掛けたのを幸いに、己もそうとは知りながら、ツイ男のいじきたな、手を出したのは此方の過あやまりだから、何も云わずに千疋を出し、別段餞別はなむけにしようと思い、これ此の通り廿五両をやろうと思っている処、一本よこせと云われちゃア、どうせ細ほそった首だから、素首そっくびが飛んでも一文もやれねえ、それにお前よく聞きねえ、江戸近ぢかのこんな所にまご〱していると危ねえぜ、孝助とかゞ主人の敵かたきだと云ってお前を狙っているから、お前の首が先へ飛ぶよ、冗談じゃアねえ」

と云われて源次郎は途胸とむねを突いて大いに驚き、

源「さような御苦労人とも知らず、只の堅気かたぎの旦那と心得、威おどして金を取ろうとしたのは誠に恐縮の至り、然しからば相済みませんが、これを拝借願います」

伴「早く行ゆきなせえ、危険けんのんだよ」

源「さようならお暇いとま申します」

伴「跡をしめて行ってくんな」

志丈は戸棚より潜もぐり出し、

志「旨かったなア、感服だ、実に感服、君の二三の水出し、やらずの最中もなかとは感服、あゝ何どうもそこが悪党、あゝ悪党」

これより伴藏は志丈と二人連れ立って江戸へ参り、根津の清水の花壇より海音如来の像を掘出す処から、悪事露顕の一埓らつはこの次までお預りに致しましょう。

十九

引続きまする怪談牡丹灯籠のお話は、飯島平左衞門の家来孝助は、主人の仇あだなる宮野邊源次郎お國の両人が、越後の村上へ逃げ去りましたとのことゆえ、跡を追って村上へまいり、諸方を詮議致しましたが、とんと両人の行方が分りませんで、又我が母おりゑと申す者は、内藤紀伊守ないとうきいのかみの家来にて、澤田右衞門さわだうゑもんの妹いもとにて、十八年以前に別れたが、今も無事でいられる事か、一目お目に懸りたい事と、段々御城中の様子を聞合きゝあわせまする処、澤田右衞門夫婦は疾とくに相果て、今は養子の代に相成って居おる事ゆえ母の行方さえとんと分らず、止やむを得ず此処こゝに十日ばかし、彼処あすこに五日逗留いたし、彼方此方あちこちと心当りの処ところを尋ね、深く踏込んで探って見ましたけれども更に分らず、空むなしく其の年も果て、翌年に相成って孝助は越後路から信濃路へかけ、美濃路へかゝり探しましたが一向に分らず、早はや主人の年囘ねんかいにも当る事ゆえ、一度江戸へ立帰らんと思い立ち、日数ひかずを経て、八月三日江戸表へ着ちゃくいたし、先まず谷中の三崎村なる新幡随院へ参り、主人の墓へ香花こうげを手向たむけ水を上げ、墓原はかはらの前に両手を突きまして、

孝「旦那様私わたくしは身不肖ふしょうにして、未まだ仇あだたるお國源次郎に𢌞めぐり逢わず、未だ本懐は遂げませんが、丁度旦那様の一周忌の御年囘に当りまする事ゆえ、此の度たび江戸表へ立帰り、御法事御供養をいたした上、早速又敵かたきの行方を捜しに参りましょう、此の度は方角を違え、是非とも穿鑿せんさくを遂げまするの心得、何卒なにとぞ草葉の蔭からお守りくださって、一時いっときも早く仇の行方の知れまするようにお守り下されまし」

と生きたる主人に物云う如く恭うや〱しく拝はいを遂げましてから、新幡随院の玄関に掛りまして、

「お頼み申します〱」

取次「どウれ、はア何方どちらからお出いでだな」

孝「手前は元牛込の飯島平左衞門の家来孝助と申す者でございますが、此の度主人の年囘を致したき心得で墓参りを致しましたが、方丈様御在寺ございじなればお目通りを願いとう存じます」

取「さようですか、暫しばらくお控えなさい」

と是から奥へ取次ぎますると、此方こちらへお通し申せという事ゆえ、孝助は案内に連つれられ奥へ通りますると、良石和尚は年五十五歳、道心堅固の智識にて大悟だいご徹底致し、寂寞じゃくまくと坐蒲団の上に坐っておりまするが、道力どうりょく自然に表に現われ、孝助は頭がひとりでに下がるような事で、

孝「これは方丈様には初めてお目にかゝりまする、手前事は相川孝助と申す者でございますが、当年は旧主人飯島平左衞門の一周忌の年囘に当る事ゆえ、一度江戸表へ立帰りましたが、爰こゝに金子五両ございまするが、これにて宜しく御法事御供養を願いとう存じます」

良「はい、初めまして、まアこっちへ来なさい、これはまア感心な事で…コレ茶を進ぜい…お前さんが飯島の御家来孝助殿か、立派なお人でよい心懸け、長旅を致した身の上なれば定めて沢山の施主せしゅもあるまい、一人か二人位の事であろうから、内の坊主どもに云い付けて何か精進物を拵こしらえさせ、成るたけ金のいらんように、手は掛るが皆此方こちらでやって置くが、一ヶ寺じの住職を頼んで置きますが、お前ナア余り早く来ると此方で困るから、昼飯ひるはんでも喰ってからそろそろ出掛け、夕飯ゆうはんは此方で喰う気で来なさい、そしてお前は是から水道端の方へ行ゆきなさろうが、お前を待っている人がたんとある、又お前は悦び事か何か目出度めでたい事があるから早う行って顔を見せてやんなさい」

孝「へい、私わたくしは水道端へ参りまするが、貴僧あなたは何どうしてそれを御存じ、不思議な事でございます」

と云いながら、

「左様ならば明日あした昼飯を仕舞いまして又出ますから、何分宜しくお願い申しまする、御機嫌よろしゅう」

と寺を出ましたが、心の内に思うよう、何うも不思議な和尚様だ、何うして私わたしが水道端へ行ゆく事を知っているだろうか、本当に占者うらないしゃのような人だと云いながら、水道端なる相川新五兵衞方へ参りましたが、孝助は養子に成って間もなく旅へ出立し、一年ぶりにて立帰りました事ゆえ、少しは遠慮いたし、台所口から、

孝「御免下さいまし、只今帰りましたよ、これ〱善藏どん〱」

善「なんだよ、掃除屋が来たのかえ」

孝「ナニ私だよ」

善「おやこれはどうも、誠に失礼を申上げました、いつも今時分掃除屋が参りまするものですから、粗相を申しましたが、よくマア早くお帰りになりました、旦那様々々孝助様がお帰りになりました」

相「なに孝助殿が帰られたとか、何処どこにお出いでになる」

善「へい、お台所にいらっしゃいます」

相「どれ〱、これはマア、何なんで台所などから来るのだ、そう云えば水は汲んで廻すものを、善藏コレ善藏何をぐる〱廻って居おるのだ、コレ婆ばゞア孝助どのがお帰りだよ」

婆「若旦那がお帰りでございますか、これはマア嘸さぞお疲れでございますだろう、先まず御機嫌宜しゅう」

孝「お父様とっさまにも御機嫌宜しゅう、私わたくしも都度々々つど〱書面を差上げたき心得ではございまするが、何分旅先の事ゆえ思うようにはお便たよりも致し難がたく、お父様は何うなされたかと日々お案じ申しまするのみでございましたが、先ずはお健すこやかなる御顔おんかおを拝しまして誠に大悦たいえつに存じまする」

相「誠にお前も目出たく御帰宅なされ、新五兵衞至極満足いたしました、はい実にねえ烏からすの鳴かぬ日はあるがと云う譬たとえの通りで、お前のことは少しも忘れたことはない、雪の降る日は今日あたりはどんな山を越すか、風の吹く日はどんな野原を通るかと、雨につけ風につけお前の事ばかり少しも忘れた事はござらん、ところへ思いがけなくお帰りになり、誠に喜ばしく思いまする、娘もお前のことばかり案じ暮らし、お前の立った当座は只ただ泣いてばかりおりましたから私がそんなにくよ〱して煩わずらいでもしてはいかないから、気を取り直せよといい聞かせて置きましたが、お前もマア健かでお早くお帰りだ」

孝「私わたくしは今日江戸へ着き、すぐに谷中の幡随院へ参詣さんけいをいたして来ましたが、明日あしたは丁度主人の一周忌の年囘にあたりまするゆえ、法事供養をいたしたく立帰りました」

相「そうか、如何いかにも明日あしたは飯島様の年囘に当るからと思ったが、お前がお留守だから私でも代参に行ゆこうかと話をしていたのだこれ婆ア、こゝへ来な、孝助様がお帰りになった」

婆「あら若旦那様お帰り遊ばしませ、御機嫌様よろしゅう、貴方あなたがお立ちになってからというものは、毎日お噂ばかり致しておりましたが、少しもお窶やつれもなく、お色は少しお黒くおなり遊ばしましたが、相変らずよくまアねえ」

相「婆ア、あれを連れて来なよ」

婆「でも只今よく寝んねしていらッしゃいますから、おめんめが覚めてから、お笑い顔を御覧に入れる方が宜しゅうございましょう」

相「ウンそうだ、初めて逢うのに無理にめんめを覚さまさして泣顔ではいかんから、だが大概にしてこゝへ連れて抱いて来い」

娘お徳は次の間に乳児ちのみごを抱いて居りましたが、孝助の帰るを聞き、飛立つばかり、嬉し涙を拭いながら出て来て、

徳「旦那様御機嫌様よろしゅう、よくマアお早くお帰り遊ばしました、毎日々々貴方のお噂ばかり致しておりましたが、お窶れも有りませんでお嬉しゅう存じまする」

孝「はい、お前も達者で目出たい、私が留守中はお父様の事何かと世話に成りました、旅先の事ゆえ都度々々便りも出来ず、どうなされたかと毎日案じるのみであったが、誠に皆みんなの達者な顔を見るというは此の様な嬉しいことはない」

徳「私は昨晩旦那様の御出立になる処を夢に見ましたが、よく人が旅立たびだちの夢を見ると其の人にお目にかゝる事が出来ると申しますから、お近いうち旦那様にお目にかゝれるかと楽しんで居りましたが、今日お帰りとは思いませんでした」

相「おれも同じような夢を見たよ、婆アや抱いてお出いで、最もうおきたろう」

婆々ばゞは奥より乳児ちのみごを抱いて参る。

相「孝助殿これを御覧、いゝ児こだねえ」

孝「どちらのお子様で」

相「ナニサお前の子だアね」

孝「御冗談ばかり云っていらっしゃいます、私わたくしは昨年の八月旅へ出ましたもので、子供なぞはございません」

相「只たった一ぺんでも子供は出来ますよ、お前は娘と一つ寝をしたろう、だから只一度でも子は出来ます、只一度で子供が出来るというのは余程よっぽど縁の深い訳で、娘も初はじめのうちはくよ〱しているから、私が懐姙をしているからそれではいかん、身体に障さわるからくよ〱せんが宜しいと云っているうちに産み落したから、私が名付け親で、お前の孝の字を貰って孝太郎こうたろうと付けてやりましたよ、マアよく似ておる事を、御覧よ」

孝「へい誠に不思議な事で、主人平左衞門様が遺言に、其の方養子となりて、若もし子供が出来たなら、男女なんにょに拘かゝわらず其の子を以もって家督と致し家の再興を頼むと御遺言書にありましたが、事によると殿様の生れ変がわりかも知れません」

相「おゝ至極左様かも知れん、娘も子供が出来てからねえ、嬉し紛れにお父様私は旦那様の事はお案じ申しまするが、此の子が出来ましてから誠によく旦那様に似ておりますから、少しは紛れて、旦那様と一つ所におるように思われますというたから、私が又余あんまり酷ひどく抱締めて、坊の腕でも折るといけないなんぞと、馬鹿を云っている位な事で、善藏や」

善「へい〱」

相「善藏や」

善「参っています、何なんでございます」

相「何だ、お前も板橋まで若旦那を送って行ったッけな」

善「へい参りました、これは若旦那様誠に御機嫌よろしゅう、あの折は実にお別れが惜しくて、泣きながら戻って参りましたが、よくマアお健かでいらっしゃいます」

孝「あの折は大きにお世話様であったのう」

相「それは兎も角も肝腎の仇あだの手掛りが知れましたか」

孝「まだ仇には廻めぐり逢いませんが、主人の法事をしたく一先ず江戸表へ立帰りましたが、法事を致しまして直すぐに又出立致します」

相「フウ成程、明日あす法事に行ゆくのだねえ」

孝「左ようでございます、お父様と私わたくしと参りまする積りでございます、それに良石和尚の智識なる事は予かねて聞き及んではいましたが、応験解道おうけんげどう窮きわまりなく、百年先の事を見抜くという程だと承わっておりまするが、今日和尚の云う言葉に其の方は水道端へ参るだろう、参る時は必ず待っている者があり、且かつ慶よろこび事があると申しましたが、私の考えは、斯かく子供の出来た事まで良石和尚は知っておるに違い有りません」

相「はてねえ、そんな所まで見抜きましたかえ、智識なぞという者は趺跏量見智ふかりょうけんちで、あの和尚は谷中の何とか云う智識の弟子と成り、禅学を打破ったと云う事を承わりおるが、えらいものだねえ、善藏や、大急ぎで水道町の花屋へ行って、おめでたいのだから、何かお頭付かしらつきの魚を三品ばかりに、それからよいお菓子を少し取ってくるように、道中には余り旨いお菓子はないから、それから鮓すしも道中では良いのは食べられないから、鮓も少し取ってくるように、それから孝助殿は酒はあがらんから五合ばかりにして、味淋みりんのごく良いのを飲むのだから二合ばかり、それから蕎麦そばも道中にはあるが、醤油したじが悪いから良い蕎麦の御膳の蒸籠せいろうを取って参れ、それからお汁粉も誂あつらえてまいれ」

と種々いろ〱な物を取寄せ、其の晩はめでたく祝しまして床に就つきましたが、其の夜よは話も尽きやらず、長き夜も忽たちまち明ける事になり、翌日刻限を計り、孝助は新五兵衞と同道にて水道端を立出たちいで切支丹坂きりしたんざかから小石川にかゝり、白山はくさんから団子坂だんござかを下おりて谷中の新幡随院へ参り、玄関へかゝると、お寺には疾とうより孝助の来るのを待っていて、

良「施主が遅くって誠に困るなア、坊主は皆みんな本堂に詰懸つめかけているから、さア〱早く」

と急せき立てられ、急ぎ本堂へ直りますると、かれこれ坊主の四五十人も押並おしならび、いと懇ねんごろなる法事供養をいたし、施餓鬼せがきをいたしまする内に、もはや日は西山せいざんに傾く事になりましたゆえ、坊様達ぼうさんたちには馳走なぞして帰してしまい、後あとで又孝助、新五兵衞、良石和尚の三人へは別に膳がなおり、和尚の居間で一口飲むことになりました。

相「方丈様には初めてお目にかゝります、私わたくしは相川新五兵衞と申す粗忽な者でございます、今日こんにち又御懇ごねんごろな法事供養を成しくだされ、仏も嘸さぞかし草葉の蔭から満足な事でございましょう」

良「はいお前は孝助殿の舅御しゅうとごかえ、初めまして、孝助殿は器量と云い人柄と云い立派な正しい人じゃ、中々正直な人間で余程怜悧りこうじゃが、お前はそゝっかしそうな人じゃ」

相「方丈様はよく御存じ、気味のわるいようなお方だ」

良「就ついては、孝助殿は旅へ行ゆかれる事を承わったが、未まだ急には立ちはせまいのう、私が少し思う事があるから、明日あす昼飯ひるめしを喰って、それから八やツ前後に神田の旅籠町はたごちょうへ行ゆきなさい、其処そこに白翁堂勇齋という人相を見る親爺おやじがいるが、今年はもう七十だが達者な老人でなア、人相は余程名人だよ、是これに頼めばお前の望みの事は分ろうから往いって見なさい」

孝「はい、有り難う存じます、神田の旅籠町でございますか、畏かしこまりました」

良「お前旅へ行ゆくなれば私が餞別を進ぜよう、お前が折角呉れた布施は此方こちらへ貰って置くが、又私が五両餞別に進ぜよう、それから此の線香は外ほかから貰ってあるから一箱進ぜよう仏壇へ線香や花の絶えんように上げて置きなさい、是れだけは私が志じゃ」

相「方丈様恐れ入りまする、何どうも御出家様からお線香なぞ戴いては誠にあべこべな事で」

良「そんな事を云わずに取って置きなさい」

孝「誠に有り難う存じます」

良「孝助殿気の毒だが、お前はどうも危い身の上でナア、剣つるぎの上を渡るようなれども、それを恐れて後あとへ退さがるような事ではまさかの時の役には立たん、何なんでも進むより外ほかはない、進むに利あり退しりぞくに利あらずと云うところだから、何でも憶おくしてはならん、ずっと精神を凝こらして、仮令たとえ向うに鉄門があろうとも、それを突切つッきって通り越す心がなければなりませんぞ」

孝「有難うござりまする」

良「お舅御さん、これはねえ精進物だが、一体内で拵こしらえると云うたは嘘だが、仕出し屋へ頼んだのじゃ、甘うもうもあるまいが此の重箱へ詰めて置いたから、二重とも土産に持って帰り、内の奉公人にでも喰わしてやってください」

相「これは又お土産まで戴き、実に何ともお礼の申そうようはございません」

良「孝助殿、お前帰りがけに屹度きっと剣難が見えるが、どうも遁のがれ難いから其の積りで行ゆきなさい」

相「誰に剣難がございますと」

良「孝助殿はどうも遁れ難い剣難じゃ、なに軽くて軽傷うすで、それで済めば宜しいが、何うも深傷ふかでじゃろう、間が悪いと斬り殺されるという訳じゃ、どうもこれは遁れられん因縁じゃ」

相「私わたくしは最早五十五歳になりまするから、どう成っても宜しいが、貴僧あなた孝助は大事な身の上、殊ことに大事を抱えて居りまする故、どうか一つあなたお助け下さいませんか」

良「お助け申すと云っても、これはどうも助けるわけにはいかんなア、因縁じゃから何うしても遁るゝ事はない」

相「左様ならば、どうか孝助だけを御当寺ごとうじへお留とめ置きくだされ、手前てまいだけ帰りましょうか」

良「そんな弱い事では何うもこうもならんわえ、武士の一大事なものは剣術であろう、其の剣術の極意というものには、頭の上へ晃きらめくはがねがあっても、電光いなづまの如く斬込んで来た時は何うして之これを受けるという事は知っているだろう、仏説ぶっせつにも利剣りけん頭面ずめんに触ふるゝ時如何いかんという事があって其の時が大切の事じゃ、其の位な心得はあるだろう、仮令たとえ火の中でも水の中でも突切つッきって行ゆきなさい、其の代りこれを突切れば後あとは誠に楽になるから、さっ〱と行きなさい、其のような事で気怯きおくれがするような事ではいかん、ズッ〱と突切って行くようでなければいかん、それを恐れるような事ではなりませんぞ、火に入いって焼けず水に入って溺おぼれず、精神を極きよめて進んで行きなさい」

相「さようなれば此のお重箱は置いて参りましょう」

良「いや折角だからマア持って行ゆきなさい」

相「何方どちらへか遁路にげみちはございませんか」

良「そんな事を云わずズン〲と行ゆきなさい」

相「さようならば提灯ちょうちんを拝借して参りとうございます」

良「提灯を持たん方が却かえって宜しい」

と云われて相川は意地の悪い和尚だと呟つぶやきながら、挨拶もそわ〱孝助と共に幡随院の門を立出たちいでました。

二十

孝助は新幡随院にて主人の法事を仕舞い、其の帰り道に遁のがれ難き剣難あり、浅傷あさでか深傷ふかでか、運がわるければ斬り殺される程の剣難ありと、新幡随院の良石和尚という名僧智識の教えに相川新五兵衞も大いに驚き、孝助はまだ漸ようやく廿二歳、殊ことに可愛いゝ娘の養子といい、御主おしゅうの敵かたきを打つまでは大事な身の上と、種々いろ〱心配をしながら打ち連れ立ちて帰る。孝助は仮令たとえ如何いかなる災わざわいがあっても、それを恐れて一歩でも退しりぞくようでは大事を仕遂げる事は出来ぬと思い、刀に反そりを打ち、目釘めくぎを湿しめし、鯉口こいぐちを切り、用心堅固に身を固め、四方に心を配りて参り、相川は重箱を提さげて、孝助殿気を付けて行ゆけと云いながら参りますると、向うより薄すゝきだゝみを押分けて、血刀ちがたなを提げ飛出して、物をも云わず孝助に斬り掛けました。此の者は栗橋無宿の伴藏にて、栗橋の世帯しょたいを代物付しろものつきにて売払い、多分の金子かねをもって山本志丈と二人にて江戸へ立退たちのき、神田佐久間町かんださくまちょうの医師何某なにがしは志丈の懇意ですから、二人はこゝに身を寄せて二三日逗留し、八月三日の夜よ二人は更ふけるを待ちまして忍び来きたり、根津の清水に埋うずめて置いた金無垢の海音如来の尊像そんぞうを掘出し、伴藏は手早く懐中へ入れましたが、伴藏の思うには、我が悪事を知ったは志丈ばかり、此の儘まゝに生いけ置かば後のちの恐れと、伴藏は差したる刀抜くより早く飛びかゝって、出し抜けに力に任して志丈に斬り付けますれば、アッと倒れる所を乗のし掛り、一刀逆手さかてに持直し、肋あばらへ突込つきこみこじり廻せば、山本志丈は其の儘にウンと云って身を顫ふるわせて、忽たちまち息は絶えましたが、此の志丈も伴藏に与くみし、悪事をした天罰のがれ難く斯かゝる非業を遂げました、死骸を見て伴藏は後あとへさがり、逃げ出さんとする所、御用と声掛け、八方より取巻かれたに、伴藏も慌あわてふためき必死となり、捕方とりかたへ手向いなし、死物狂いに斬り廻り、漸ようやく一方を切抜けて薄すゝきだゝみへ飛込んで、往来の広い所へ飛出す出合がしら、伴藏は眼も眩くらみ、是これも同じ捕方と思いましたゆえ、ふいに孝助に斬掛けましたが、大概の者なれば真二まっぷたつにもなるべき所なれども、流石さすがは飯島平左衞門の仕込で真影流に達した腕前、殊ことに用意をした事ゆえ、それと見るより孝助は一歩あし退しりぞきしが、抜合ぬきあわす間もなき事ゆえ、刀の鍔元つばもとにてパチリと受流し、身を引く途端に伴藏がズルリと前へのめる所を、腕を取って逆に捻倒ねじたおし。

孝「やい〱曲者くせもの何なんと致す」

曲「へい真平御免まっぴらごめん下さえまし」

相「そら出たかえ、孝助怪我は無いか」

孝「へい怪我はございません、こりゃ狼藉者ろうぜきものめ何等なんらの遺恨で我に斬付けたか、次第を申せ」

曲「へい〱全く人違いでごぜえやす」

と小声にて、

「今この先で友達と間違いをした所が、皆みんなが徒党をして、大勢で私わっちを打殺うちころすと云って追掛おっかけたものだから、一生懸命に此処こゝまでは逃げて来たが、目が眩んでいますから、殿様とも心付きませんで、とんだ粗相を致しました、何どうかお見逃しを願います、其奴そいつらに見付けられると殺されますから、早くお逃しなすって下されませ」

孝「全くそれに違いないか」

曲「へい、全く違ちげえごぜえやせん」

相「あゝ驚いた、これ人違いにも事によるぞ、斬ってしまってから人違いで済むか、べらぼうめ、実に驚いた、良石和尚のお告げは不思議だなアおや今の騒ぎで重箱を何処どこかへ落してしまった」

と四辺あたりを見𢌞している所へ、依田豊前守よだぶぜんのかみの組下にて石子伴作いしこばんさく、金谷藤太郎かなやとうたろうという両人の御用聞ごようきゝが駆けて来て、孝助に向い慇懃いんぎんに、

捕「へい申し殿様、誠に有難う存じます、此の者はお尋ね者にて、旧悪のある重罪な奴でござります、私共わたくしどもは彼処あすこに待受けていまして、つい取逃がそうとした処を、旦那様のお蔭で漸ようやくお取押えなされ、有難うございます、どうかお引渡しを願いとう存じます」

相「そうかえ、あれは賊かい」

捕「大盗賊おおどろぼうでござります」

孝「お父様とっさま呆れた奴でございます、此の不埓者め」

相「なんだ、人違いだなぞと嘘をついて、嘘をつく者は盗賊どろぼうの始りナニ疾とうに盗賊にもう成っているのだから仕方がない、直すぐに縄を掛けてお引きなさい」

捕「殿様のお蔭で漸く取押え、誠に有り難う存じます、何どうかお名前を承わりとう存じます」

相「不浄人を取押えたとて姓名なぞを申すには及ばん、これ〱〱重箱を落したから捜してくれ、あゝこれだ〱、危なかったのう」

孝「然しかしお父様、何分悪人とは申しながら、主人の法事の帰るさに縄を掛けて引渡すは何うも忍びない事でございます」

相「なれども左様そう申してはいられない、渡してしまいなさい、早く引きなされ」

捕方は伴藏を受取り、縄打って引立て行ゆき、其の筋にて吟味の末、相当の刑に行われましたことはあとにて分ります。さて相川は孝助を連れて我わが屋敷に帰り、互に無事を悦び、其の夜よは過ぎて翌日の朝、孝助は旅支度の用意の為ため、小網町こあみちょう辺へ行って種々いろ〱買物をしようと家うちを立ち出いで、神田旅籠町へ差懸る、向うに白き幟のぼりに人相墨色すみいろ白翁堂勇齋とあるを見て、孝助は

「はゝアこれが、昨日きのう良石和尚が教えたには今日の八ツ頃には必ず逢いたいものに逢う事が出来ると仰せあった占者うらないしゃだな、敵かたきの手掛りが分り、源次郎お國に廻めぐり逢う事もやあろうか、何にしろ判断して貰おう」

と思い、勇齋の門辺かどべに立って見ると、名人のようではござりません。竹の打ち付け窓に煤すゝだらけの障子を建て、脇に欅けやきの板に人相墨色白翁堂勇齋と記して有りますが、家の前などは掃除などした事はないと見え、塵ごみだらけゆえ、孝助は足を爪立つまだてながら中うちに入いり、

孝「おたのみ申します〱」

白「なんだナ、誰だ、明けてお入はいり、履物はきものを其処そこへ置くと盗まれるといけないから持ってお上あがり」

孝「はい、御免下さいまし」

と云いながら障子を明けて中うちへ通ると、六畳ばかりの狭い所に、真黒まっくろになった今戸焼いまどやきの火鉢の上に口のかけた土瓶どびんをかけ、茶碗が転がっている。脇の方に小さい机を前に置き、其の上に易書えきしょを五六冊積上げ、傍かたえの筆立ふでたてには短かき筮竹ぜいちくを立て、其の前に丸い小さな硯すゞりを置き、勇齋はぼんやりと机の前に座しました態さまは、名人かは知らないが、少しも山も飾りもない。じゞむさくしている故、名人らしい事は更になけれども、孝助は予かねて良石和尚の教えもあればと思って両手を突き、

孝「白翁堂勇齋先生は貴方様あなたさまでございますか」

白「はい、始めましてお目にかゝります、勇齋は私だよ、今年はもう七十だ」

孝「それは誠に御壮健な事で」

白「まア〱達者でございます、お前は見て貰いにでも来たのか」

孝「へい手前は谷中新幡随院の良石和尚よりのお指図さしずで参りましたものでございますが、先生に身の上の判断をしていたゞきとうございます」

白「はゝア、お前は良石和尚と心安いか、あれは名僧だよ、智識だよ、実に生仏いきぼとけだ、茶は其処そこにあるから一人で勝手に汲んでお上り、ハヽアお前は侍さんだね、何歳いくつだえ」

孝「へい、二十二歳でございます」

白「ハア顔をお出し」

と天眼鏡を取出し、暫しばらくのあいだ相を見ておりましたが、大道の易者のように高慢は云わず

白「ハヽアお前さんはマア〱家柄の人だ、して是まで目上に縁なくして誠にどうも一々苦労ばかり重なって来るような訳に成ったの」

孝「はい、仰せの通り、どうも目上に縁がございません」

白「其処そこでどうも是迄の身の上では、薄氷はくひょうを蹈ふむが如く、剣つるぎの上を渡るような境界きょうがいで、大いに千辛万苦しんばんくをした事が顕あらわれているが、そうだろうの」

孝「誠に不思議、実によく当りました、私わたくしの身の上には危あやうい事ばかりでございました」

白「それでお前には望みがあるであろう」

孝「へい、ございますが、其の望みは本意が遂げられましょうか如何いかゞでございましょう」

白「望事のぞみごとは近く遂げられるが、其処そこの所がちと危ない事で、これと云う場合に向いたなら、水の中でも火の中でも向うへ突切つッきる勢いがなければ、必ず大望たいもうは遂げられぬが、まず退しりぞくに利あらず進むに利あり、斯こういう所で、悪くすると斬殺きりころされるよ、どうも剣難が見えるが、旨く火の中水の中を突切って仕舞えば、広々とした所へ出て、何事もお前の思う様になるが、それは難かしいから気を注つけなけりゃいけない、もう是切り見る事はないからお帰り〱」

孝「へい、それに就つきまして、私わたくし疾とうより尋ねる者がございますが、是は何どうしても逢えない事とは存じて居りますが、其の者の生死しょうしは如何いかゞでございましょう、御覧下さいませ」

白「ハヽア見せなさい」

と又相そうして、

白「むゝ、是は目上だね」

孝「はい、左様さようでございます」

白「これは逢っているぜ」

孝「いゝえ、逢いません」

白「いや逢っています」

孝「尤もっとも今年こんねんより十九年以前に別れましたるゆえ、途中で逢っても顔も分らぬ位でありまするから、一緒に居りましても互いに知らずに居りましたかな」

白「いや〱何でも逢って居ます」

孝「少ちいさい時分に別れましたから、事に寄ったら往来で摩すれ違った事もございましょうが、逢った事はございません」

白「いや〱そうじゃない、慥たしかに逢っている」

孝「それは少さい時分の事故ゆえ」

白「あゝ煩うるさい、いや逢っていると云うのに、外ほかには何も云う事はない、人相に出ているから仕方がない、屹度きっと逢っている」

孝「それは間違いでございましょう」

白「間違いではない、極きめた所を云ったのだ、それより外に見る所はない、昼寝をするんだから帰っておくれ」

とそっけなく云われ、孝助は後あとを細かく聞きたいからもじ〱していると、また門口より入いり来るは女連れの二人にて、

女「はい御免下さいませ」

白「あゝ又来たか、昼寝が出来ねえ、おゝ二人か何一人は供だと、そんなら其処そこに待たして此方こっちへお上り」

女「はい御免くだされませ、先生のお名を承わりまして参りました、どうか当用とうようの身の上を御覧を願います」

白「はい此方こっちへお出いで」

と又此の女の相をよく〱見て、

「これは悪い相だなア、お前はいくつだえ」

女「はい四十四歳でございます」

白「これはいかん、もう見るがものはない、ひどい相だ、一体お前は目の下に極ごく縁のない相だ、それに近々きん〱の内屹度きっと死ぬよ、死ぬのだから外に何なんにも見る事はない」

と云われて驚き暫しばらく思案を致しまして、

女「命数は限りのあるもので、長い短かいは致し方がございませんが、私わたくしは一人尋ねるものがございますが、其の者に逢われないで死にます事でございましょうか」

白「フウム是は逢っている訳だ」

女「いえ逢いません、尤もっとも幼年の折に別れましたから、先でも私わたくしの顔を知らず、私も忘れたくらいな事で、すれ違ったくらいでは知れません」

白「何なんでも逢っています、もうそれで外に見る所も何なにもない」

女「其の者は男の子で、四つの時に別れた者でございますが」

という側から、孝助は若もしやそれかと彼かの女の側に膝をすりよせ、

孝「もし、お内室様かみさんへ少々伺いますが、何いずれの方かは存じませんが、只今四つの時に別れたと仰しゃいます、その人は本郷丸山辺あたりで別れたのではございませんか、そしてあなたは越後村上の内藤紀伊守様の御家来澤田右衞門様のお妹御ではございませんか」

女「おやまアよく知ってお出いでゞす、誠に、はい〱」

孝「そして貴方あなたのお名前はおりゑ様とおっしゃって、小出信濃守様の御家来黒川孝藏様へお縁附かたづきになり、其の後ご御離縁になったお方ではございませんか」

女「おやまア貴方は私わたくしの名前までお当てなすって、大そうお上手様、これは先生のお弟子でございますか」

と云うに、孝助は思わず側により、

孝「オヽお母様かゝさまお見忘れでございましょうが、十九年以前、手前四歳の折お別れ申した忰せがれの孝助めでございます」

りゑ「おやまアどうもマア、お前がアノ忰の孝助かえ」

白「それだから先刻さっきから逢っている〱と云うのだ」

おりゑは嬉涙うれしなみだを拭い、

りゑ「何どうもマア思い掛かけない、誠に夢の様な事でございます、そうして大層立派にお成りだ、斯こう云う姿になっているのだものを、表で逢ったって知れる事じゃアありません」

孝「誠に神の引合せでございます、お母様お懐かしゅうございました、私わたくしは昨年越後の村上へ参り、段々御様子を伺うかゞいますれば、澤田右衞門様の代も替り、お母様のいらっしゃいます所も知れませんから、何うがなしてお目に懸りたいと存じていましたに、図はからずこゝでお目に懸り、先まずお壮健すこやかでいらッしゃいまして、斯こんな嬉しい事はございません」

りゑ「よくマア、嘸さぞお前は私を怨んでおいでだろう」

白「そんな話をこゝでしては困るわな、併しかし十九年ぶりで親子の対面、嘸話があろうが、いらざる事だが、供に知れても宜よくない事もあろうから、何処どこか待合まちあいか何かへ行ってするがいゝ」

孝「はい〱、先生お蔭様で誠に有難うございました、良石様のお言葉といい、貴方様の人相のお名人と申し、実に驚き入りました」

白「人相が名人というわけでもあるまいが、皆こうなっている因縁だから見料けんりょうはいらねえから帰りな、ナニ些ちっとばかり置いて行くか、それも宜かろう」

りゑ「種々いろ〱お世話様、有り難う存じました、孝助や種々話もしたい事があるから斯うしよう、私は今馬喰町ばくろちょう三丁目下野屋しもつけやという宿屋に泊っているから、お前よ一ト足先へ帰り、供を買物に出すから、其の後あとへ供に知れないように上あがっておいで」

白「嘸さぞ嬉しかろうのう」

孝「さようならば、これから直すぐ見え隠がくれにお母様のお跡に付いて参りましょう、それはそうと」

と云いつゝも懐中より何程か紙に包んで見料を置き、厚く礼を述べ白翁堂の家を立出たちいで、見え隠れに跡をつけ、馬喰町へまいり、下野屋の門辺かどべに佇たゝずみ待って居おるうちに、供の者が買ものに出て行ゆきましたから、孝助は宿屋に入はいり、下女おんなに案内を頼んで奥へ通る。

りゑ「サア〱〱此処こゝへ来な、本当にマアどうもねえ」

と云いながら孝助をつく〲見て、

「見忘れはしませぬ幼顔おさながお、お前の親御孝藏殿によく似ておいでだよ、そうして大層立派におなりだねえ、お前がお父様とっさまの跡を継いで、今でもお父様はお存生ぞんしょうでいらッしゃるかえ」

孝「はい、お母様此の両隣の座敷には誰も居りは致しませんか」

りゑ「いゝえ、私も来て間もないことだが、昼の中うちは皆みんな買物や見物に出かけてしまうから誰もいないよ、日暮方は大勢帰って来るが、今は留守居が昼寝でもしている位だろうよ」

孝「フウ、左様なら申上げますが、お母様は私わたくしの四つの時の二月にお離縁になりましたのも、お父様があの通りの酒乱からで、それからお父様は其の年の四月十一日、本郷三丁目の藤村屋新兵衞と申す刀屋の前で斬殺きりころされ、無慙むざんな死をお遂げなされました」

りゑ「おやまア矢張やっぱり御酒ごしゅゆえで、それだから私アもうお前のお父とっさんでは本当に苦労を仕抜いたよ、あの時もお前と云う可愛い子があることだから、別れたいのではないが、兄が物堅い気性だから、あんな者へ付けては置かれん、酒ゆえに主家しゅかをお暇いとまに成るような者には添わせて置かんと、無理無体に離縁を取ったが、お行方の事は此の年月としつき忘れた事はありませぬ、そうしてお父様が亡くなっては、跡で誰もお前の世話をする者がなかったろう」

孝「さアお父様の店受たなうけ彌兵衞と申しまする者が育てゝ呉れ、私わたくしが十一の時に、お前のお父さんはこれ〱で死んだと話して呉れました故、私も仮令たとえ今は町人に成ってはいますものゝ、元は武家の子ですから、成人の後のちは必ずお父様の仇あだを報いたいと思い詰め、屋敷奉公をして剣術を覚えたいと思っていましたに、縁有って昨年の三月五日、牛込軽子坂に住む飯島平左衞門とおっしゃる、お広敷番ひろしきばんの頭をお勤めになる旗下屋敷に奉公住ずみを致した所、其の主人が私をば我子わがこのように可愛がってくれましたゆえ、私も身の上を明あかし、親の敵かたきが討ちたいから、何どうか剣術を教えて下さいと頼みましたれば、殿様は御番疲れのお厭いといもなく、夜よまでかけて御剣術を仕込んで下されました故、思いがけなく免許を取るまでになりました」

りゑ「おやそう、フウンー」

孝「すると其の家うちにお國と申す召使がありました、これは水道端の三宅のお嬢様が殿様へ御縁組になる時に、奥様に附いて来た女でございますが、其の後ご奥様がお逝かくれになりましたものですから、此のお國にお手がつき、お妾となりました所、隣家となりの旗下はたもとの次男宮野邊源次郎と不義を働き、内々ない〱主人を殺そうと謀たくみましたが、主人は素もとより手者てしゃの事故ゆえ、容易に殺すことは出来ないから、中川へ網船あみぶねに誘い出し、船の上から突落つきおとして殺そうという事を私わたくしが立聞しましたゆえ、源次郎お國をひそかに殺し、自分は割腹しても何うか恩ある御主人を助けたいと思い、昨年の八月三日の晩に私が槍を持って庭先へ忍び込み、源次郎と心得突懸つッかけたは間違いで、主人平左衞門の肋あばらを深く突きました」

りゑ「おやまアとんだ事をおしだねえ」

孝「サア私わたくしも驚いて気が狂うばかりに成りますと、主人は庭へ下りて来て、ひそ〱と私への懴悔話ざんげばなしに、今より十八年前の事、貴様の親父おやじを手に掛けたは此の平左衞門が未まだ部屋住にて、平太郎と申した昔の事、どうか其の方の親の敵と名告なのり、貴様の手に掛りて討たれたいとは思えども、主殺しゅうころしの罪に落すを不便ふびんに思い、今日までは打過ぎたが、今日こそ好よい折からなれば、斯かくわざと源次郎の態なりをして貴様の手にかゝり、猶なお委細の事は此の書置に認したゝめ置いたれば、跡の始末は養父相川新五兵衞と共に相談せよ、貴様はこれにて怨うらみを晴してくれ、然しかる上は仇あだは仇恩は恩、三世せも変らぬ主従しゅうじゅうと心得、飯島の家いえを再興してくれろ、急いで行ゆけと急せき立てられ、養家先なる水道端の相川新五兵衞の宅へ参り、舅と共に書置を開いて見れば、主人は私を出した後あとにて直すぐに客間きゃくのまへ忍び入り源次郎と槍試合をして、源次郎の手に掛り、最後をすると認めてありました書置の通りに、遂ついに主人は其の晩果敢はかなくおなりなされました、又源次郎お國は必ず越後の村上へ立越すべしとの遺書にありますから、主しゅうの仇を報わん為ため、養父相川とも申し合せ、跡を追いかけて出立致し、越後へ参り、諸方を尋ねましたが一向に見当らず、又あなたの事もお尋ね申しましたが、これも分りません故、余儀なく此の度たび主人の年囘をせん為めに当地へ帰りました所、不図ふと今日御面会を致しますとは不思議な事でございます」

と聞いて驚き小声に成り、

りゑ「おやマア不思議な事じゃアないか、あの源次郎とお國は私の宅うちにかくまってありますよ、どうもまア何なんたる悪縁だろう、不思議だねえ、私が廿六の時黒川の家うちを離縁になって国へ帰り、村上に居ると、兄が頻しきりに再縁しろとすゝめ、不思議な縁でお出入の町人で荒物の御用を達たす樋口屋ひのくちや五兵衞へえと云うものゝ所へ縁付くと、そこに十三になる五郎三郎ごろさぶろうという男の子と、八ツになるお國という女の子がありまして、其のお國は年は行いかぬが意地の悪いとも性しょうの悪い奴で、夫婦の合中あいなかを突つッついて仕様がないから、十一の歳とし江戸の屋敷奉公にやった先は、水道端の三宅という旗下でな、其の後ご奥様附づきで牛込の方へ行ったとばかりで後あとは手紙一本も寄越さぬくらい、実に酷ひどい奴で、夫五兵衞が亡くなった時も訃音しらせを出したに帰りもせず、返事もよこさぬ不孝もの、兄の五郎三郎も大層に腹を立っていましたが、其の後ご私共は仔細有って越後を引払い、宇都宮の杉原町すぎはらまちに来て、五郎三郎の名前で荒物屋の店を開いて、最早七年居ますが、つい先達せんだってお國が源次郎と云う人を連れて来ていうのには、私が牛込の或るお屋敷へ奥様附で行った所が、若気の至りに源次郎様と不義私通いたずらゆえに此のお方は御勘当となり、私わたくし故に今は路頭に迷う身の上だから、誠に済まない事だが匿かくまってくれろと云って、そんな人を殺した事なんぞは何とも云わないから、源次郎への義理に今は宇都宮の私の内にいるよ、私は此の間五郎三郎から小遣こづかいを貰い、江戸見物に出掛けて来て、未だこちらへ着いて間も無くお前に巡り逢って、此の事が知れるとは何たら事だねえ」

孝「ではお國源次郎は宇都宮に居りますか、つい鼻の先に居ることも知らないで、越後の方から能登へかけ尋ねあぐんで帰ったとは、誠に残念な事でございますから、どうぞお母様がお手引をして下すって、仇を討ち、主人の家の立行たちゆくように致したいものでございます」

りゑ「それは手引をして上げようともサ、そんなら私は直すぐにこれから宇都宮へ帰るから、お前は一緒にお出いで、だがこゝに一つ困った事があると云うものは、あの供がいるから、是これを聞き付け喋られると、お國源次郎を取逃がすような事になろうも知れぬから、こうと……」

思案して、

「私は明日あすの朝供を連れて出立するから、今日のようにお前が見え隠れに跡を追って来て、休む所も泊る所も一つ所にして、互に口をきかず、知らない者の様にして置いて、宇都宮の杉原町へ往ったら供を先へ遣やって置いて、そうして両人で相図あいずを諜しめし合あわしたら宜よかろうね」

孝「お母様有り難う存じます、それでは何うかそういう手筈てはずに願いとう存じます、私わたくしはこれより直すぐに宅たくへ帰って、舅へ此の事を聞かせたなら何どのように悦びましょう、左様なら明朝早く参って、此の家うちの門口に立って居りましょう、それからお母様先刻つい申上げ残しましたが、私は相川新五兵衞と申す者の方かたへ主人の媒妁なかだちで養子にまいり、男の子が出来ました、貴方様には初孫の事故お見せ申したいが、此の度たびはお取急ぎでございますから、何いずれ本懐を遂げた後あとの事にいたしましょう」

りゑ「おやそうかえ、それは何なにしても目出度い事です、私も早く初孫の顔が見たいよ、それに就ついても、何どうか首尾よくお國と源次郎をお前に討たせたいものだのう、これから宇都宮へ行ゆけば私がよき手引をして、屹度きっと両人を討たせるから」

と互に言葉を誓い孝助は暇いとまを告げて急いで水道端へ立帰りました。

相「おや孝助殿、大層早くお帰りだ、いろ〱お買物が有ったろうね」

孝「いえ何も買いません」

相「なんの事だ、何も買わずに来た、そんなら何か用でも出来たかえ」

孝「お父様とっさまどうも不思議な事がありました」

相「ハヽ随分世間には不思議な事も有るものでねえ、何か両国の川の上に黒気こくきでも立ったのか」

孝「左ようではございませんが、昨日良石和尚が教えて下さいました人相見の所へ参りました」

相「成程行ったかえ、そうかえ、名人だとなア、お前の身の上の判断は旨く当ったかえ〱」

孝「へい、良石和尚が申した通り、私わたくしの身の上は剣つるぎの上を渡る様なもので、進むに利あり退くに利さあらずと申しまして、良石和尚の言葉と聊いさゝか違いはござりません」

相「違いませんか、成程智識と同じ事だ、それから、へえそれから何なんの事を見て貰ったか」

孝「それから私わたくしが本意を遂げられましょうかと聞くと、本意を遂げるは遠からぬうちだが、遁のがれ難がたい剣難が有ると申しました」

相「へえ剣難が有ると云いましたか、それは極ごく心配になる、又昨日のような事があると大変だからねえ、其の剣難は何どうかして遁れるような御祈祷でもしてやると云ったか」

孝「いえ左ような事は申しませんが、貴方あなたも御存じの通り私わたくしが四歳の時別れました母に逢えましょうか、逢えますまいかと聞くと、白翁堂は逢っていると申しますから、幼年の時に別れたる故、途中で逢っても知れない位だと申しても、何なんでも逢っていると申し遂ついに争いになりました」

相「ハアそこの所は少し下手糞だ、併しかし当るも八卦はッけ当らぬも八卦、そう身の上も何もかも当りはしまいが、強情を張ってごまかそうと思ったのだろうが、其所そこの所は下手糞だ、なんとか云ってやりましたか、下手糞とか何とか」

孝「すると後あとから一人四十三四の女が参りまして、これも尋ねる者に逢えるか逢えないかと尋ねると、白翁堂は同じく逢っているというものだから、其の女はなに逢いませんといえば、急度きっと逢っていると又争いになりました」

相「あゝ、こりゃからッぺた誠に下手だが、そう当る訳のものではない、それには白翁堂も恥をかいたろう、お前と其の女と二人で取って押えてやったか、それから何うした」

孝「さア余り不思議な事で、私わたしも心にそれと思い当る事もありますから、其の女にはおりゑ様と仰しゃいませんかと尋ねました所が、それが全く私わたくしの母でございまして、先でも驚きました」

相「ハヽア其の占うらないは名人だね、驚いたねえ、成程、フム」

是より孝助はお國源次郎両人の手懸りが知れた事から、母と諜しめし合わせた一伍一什いちぶしじゅうを物語りますると、相川も驚きもいたし、又悦び、誠に天から授かった事なれば、速すみやかに明日あすの朝遅れぬように出立して、目出度く本懐を遂げて参れという事になりました。翌朝よくちょう早天に仇討あだうちに出立を致し、是より仇討は次に申上げます。

二十一

孝助は図らずも十九年ぶりにて実母おりゑに廻めぐり逢いまして、馬喰町の下野屋と申す宿屋へ参り、互に過すぎし身の上の物語を致して見ると、思いがけなき事にて、母方にお國源次郎がかくまわれてある事を知り、誠に不思議の思いをなしました処、母が手引をして仇あだを討たせてやろうとの言葉に、孝助は飛立つばかり急ぎ立帰り、右の次第を養父相川新五兵衞に話しまして、六日の早天水道端を出立し、馬喰町なる下野屋方へ参り様子を見ておりますると、母も予かねて約したる事なれば、身支度を整え、下男を供に連れ立たち出いでましたれば、孝助は見え隠がくれに跡を尾つけて参りましたが、女の足の捗はかどらず、幸手、栗橋、古河、真間田まゝだ、雀すゞめの宮みやを後あとになし、宇都宮へ着きましたは、丁度九日の日の暮々くれ〲に相成りましたが、宇都宮の杉原町の手前まで参りますと、母おりゑは先まず下男を先へ帰し、五郎三郎に我が帰りし事を知らせてくれろと云い付けやり、孝助を近く招ぎ寄せまして小声になり、

母「孝助や、私の家うちは向うに見える紺こんの暖簾のれんに越後屋えちごやと書き、山形に五の字を印しるしたのが私の家だよ、あの先に板塀があり、付いて曲ると細い新道のような横町よこちょうがあるから、それへ曲り三四軒行ゆくと左側の板塀に三尺の開ひらきが付いてあるが、それから這入はいれば庭伝い、右の方ほうの四畳半の小座敷にお國源次郎が隠れいる事ゆえ、今晩私が開きの栓せんをあけて置くから、九ツの鐘を合図に忍び込めば、袋の中うちの鼠同様、覚さとられぬよう致すがよい」

孝「はい誠に有り難うぞんじまする、図はからずも母様はゝさまのお蔭にて本懐を遂げ、江戸へ立帰り、主家しゅうか再興の上私わたくしは相川の家いえを相続致しますれば、お母様をお引取申して、必ず孝行を尽す心得、さすれば忠孝の道も全うする事が出来、誠に嬉しゅう存じます、さようなれば私は何方どちらへ参って待受けて居ましょう」

母「そうさ、池上町いけがみまちの角屋すみやは堅いという評判だから、あれへ参り宿を取っておいで、九ツの鐘を忘れまいぞ」

孝「決して忘れません、さようならば」

と孝助は母に別れて角屋へまいり、九ツの鐘の鳴るのを待受けて居ました。母は孝助に別れ、越後屋五郎三郎方へ帰りますと、五郎三郎は大きに驚き、

五「大層お早くお帰りになりました、まだめったにはお帰りにならないと思っていましたのに、存じの外ほかにお早うござりました、それでは迚とても御見物は出来ませんでございましたろう」

母「はい、私は少し思う事があって、急に国へ帰る事になりましたから、奉公人共への土産物も取っている暇もない位で」

五「アレサなに左様御心配がいるものでございましょう、お母っかさまは芝居でも御見物なすってお帰りになる事だろうから、中々一ト月や二タ月は故郷こきょう忘ぼうじ難がたしで、あっちこっちをお廻りなさるから、急にはお帰りになるまいと存じましたに」

母「さアお前に貰った旅用の残りだから、むやみに遣つかっては済まないが、どうか皆みんなに遣やっておくれよ」

と奉公人銘々めい〱に包んで遣わしまして、其の外ほか着古しの小袖半纒はんてんなどを取分け。

五「そんなに遣らなくっても宜よろしゅうございます」

と申すに、

母「ハテこれは私の少々心あっての事で、詰らん物だが着古しの半纒は、女中にも色々世話に成りますからやっておくれ、シテお國や源次郎さんは矢張奥の四畳半に居りますか」

五「誠にあれはお母様かゝさまに対しても置かれた義理ではございません、憎い奴でございますが、強しいて縋すがり付いて参り、私故にお隣屋敷の源次郎さんが勘当をされたと申しますから、義理でよんどころなく置きましたものゝ、嘸さぞあなたはお厭いやでございましょう」

母「私はお國に逢って緩ゆっくり話がしたいから、用もあるだろうが、いつもより少々店を早くひけにして、寝かしておくれ、私は四畳半へ行って國や源さんに話があるのだが、是でお酒やお肴を」

五「およし遊ばせ」

母「いや、そうでない、何も買って来ないから是非上げておくれよ」

五「はい〱」

と気の毒そうに承知して、五郎三郎は母の云付けなれば酒肴さけさかなを誂あつらえ、四畳半の小間へ入れ、店の奉公人も早く寝かしてしまい、母は四畳半の小座敷に来たりて内にはいれば、

國「おや、お母様はゝさま、大層早くお帰り遊ばしました、私わたくしは未まだめったにお帰りにはなりますまいと思い、屹度きっと一ト月位は大丈夫お帰りにはならないとお噂ばかりして居りました、大層お早く、本当に恟びっくり致しました」

源「只今はお土産として御酒肴ごしゅこうを沢山に有り難うぞんじます」

母「いえ〱、なんぞ買って来ようと思いましたが、誠に急ぎましたゆえ何も取って居る暇ひまもありませんでした、誰も外ほかに聞いている人もないようだから、打解けて話をしなければならない事があるが、お國やお前が江戸のお屋敷を出た時の始末を隠さずに云っておくんなさい」

國「誠にお恥かしい事でございますが、若気の過あやまり、此の源さまと馴染なれそめた所から、源さまは御勘当になりまして、行いき所のないようにしたは皆みんな私わたしゆえと思い、悪いこととは知りながらお屋敷を逃出し、源さまと手を取り合い、日頃無沙汰を致した兄の所に頼り、今ではこうやって厄介になって居りまする」

母「不義淫奔いたずらは若い内には随分ありがちの事だが、お國お前は飯島様のお屋敷へ奥様付になって来たが、奥様がおかくれになってから、殿様のお召使になっているうちに、お隣の御二男源次郎さまと、隣りずからの心安さに折々おり〱お出いでになる所から、お前は此の源さまと不義密通いたずらを働いた末、お前方が申し合せ、殿様を殺し、有金大小衣類きるいを盗み取り、お屋敷を逃げておいでだろうがな」

と云われて二人は顔色変え、

國「おやまア恟びっくりします、お母様かゝさま何をおっしゃいます、誰が其の様な事を云いましたか、少しも身に覚えのない事を云いかけられ、本当に恟り致しますわ」

母「いえ〱いくら隠してもいけないよ、私の方にはちゃんと証拠がある事だから、隠さずに云っておしまい」

國「そんな事を誰が申しましたろうねえ源さま」

と云えば、源次郎落着おちつきながら、

源「誠に怪けしからん事です。お母様もし外ほかの事とは違います、手前も宮野邊源次郎、何ゆえお隣の伯父を殺し、有金衣類いるいを盗みしなどゝ何者がさような事を申しました、毛頭覚えはございません」

母「いや〱そうおっしゃいますが、私は江戸へ参り、不思議と久し振りで逢いました者が有って、其の者から承わりました」

源「フウ、シテ何者でございますか」

母「はい、飯島様のお屋敷でお草履取を勤めて居りました、孝助と申す者でなア」

源「ムヽ孝助、彼奴あいつは不届至極な奴で」

國「アラ彼奴はマア憎い奴で、御主人様のお金を百両盗みました位の者ですから、どんな拵こしらえ事をしたか知れません、あんな者の云う事をあなた取上げてはいけません、何どうして草履取が奥の事を知っている訳はございません」

母「いえ〱お國や、その孝助は私の為には実の忰せがれでございます」

と云われて両人ふたりは驚き顔して、後あとへもじ〱とさがり、

母「さア、私が此の家やへ縁付いて来たのは、今年で丁度十七年前の事、元私の良人つれあいは小出様の御家来で、お馬廻り役を勤め、百五十石頂戴致した黒川孝藏と云う者でありましたが、乱酒らんしゅ故に屋敷は追放、本郷丸山の本妙寺ほんみょうじ長屋へ浪人していました処、私わたくしの兄澤田右衞門が物堅い気質で、左様な酒癖さけくせあしき者に連添うているよりは、離縁を取って国へ帰れと押おして迫られ、兄の云うに是非もなく、其の時四つになる忰を後あとに残し、離縁を取って越後の村上へ引込ひきこみ、二年程過ぎて此の家に再縁して参りましたが、此の度たび江戸で図らずも十九年ぶりにて忰の孝助に逢いましたが、実の親子でありますゆえ、段々様子を聞いて見ると、お前達は飯島様を殺した上、有金大小衣類まで盗み取り、お屋敷を逐電したと聞き、私は恟りしましたよ、それが為飯島様のお家は改易になりましたから、忰の孝助が主人の敵かたきのお前方を討たなければ、飯島の家名を興おこす事が出来ないから、敵を捜す身の上と、涙ながらの物語に、私わたしも十九年ぶりで実の子に逢いました嬉し紛れに、敵のお国源次郎は私の家に匿かくまってあるから、手引をして敵を打たせてやろうと、サうっかり云ったは私の過り、孝助は血を分けた実子なれども、一旦離縁を取ったれば黒川の家の子、此の家に再縁する上からは、今はお前は私の為に猶更なおさら義理ある大切だいじの娘なりや、縁の切れた忰の情なさけに引かされて、手引をしてお前達を討たせては、亡くなられたお前の親御樋口屋五兵衞殿の御位牌へ対して、何うも義理が立ちませんから、悪い事を云うた、何うしたら宜よかろうかと道々も考えて来ましたが、孝助は後あとになり先になり私に附きて此の地に参り、実は今晩九時こゝのつどきの鐘を合図に庭口から此家こゝに忍んで来る約束、討たせては済まないから、お前達も隠さず実はこれ〱と云いさえすれば、五郎三郎から小遣こづかいに貰った三十両の内、少し遣つかって未まだ二十六七両は残ってありますから、これをお前達に路銀として餞別に上げようから、少しも早く逃げのびなさい、立退たちのく道は宇都宮の明神様の後山うしろやまを越え、慈光寺じこうじの門前から付いて曲り、八幡山わたやまを抜けてなだれに下りると日光街道、それより鹿沼道かぬまみちへ一里半行いけば、十郎ろうヶ峰みねという所、それよりまた一里半あまり行ゆけば鹿沼へ出ます、それより先は田沼道たぬまみち奈良村ならむらへ出る間道かんどう、人の目つまにかゝらぬ抜道ぬけみち、少しも早く逃げのびて、何処いずこの果なりとも身を隠し、悪い事をしたと気がつきましたら、髪を剃そって二人とも袈裟けさと衣ころもに身を窶やつし、殺した御主人飯島様の追善供養致したなら、命の助かる事もあろうが、只不便ふびんなのは忰の孝助、敵の行方の知れぬ時は一生旅寝の艱難困苦かんなんこんく、御主おしゅうのお家も立ちません、気の毒な事と気がついたら心を入れかえ善人に成っておくれよ、さア〱早く」

と路銀まで出しまして、義理を立てぬく母の真心まごゝろ、流石さすがの二人も面目めんぼくなく眼と眼を見合せ、

國「はい〱誠にどうも、左様とは存じませんでお隠し申したのは済みません」

源「実に御信実ごしんじつなお言葉、恐れ入りました、拙者も飯島を殺す気ではござらんが、不義が顕あらわれ平左衞門が手槍にて突いてかゝる故、止むを得ず斯かくの如きの仕合しあわせでございます、仰せに従い早々逃げのび、改心致して再びお礼に参りまするでございます、これお國や、お餞別として路銀まで、あだに心得ては済みませんよ」

國「お母様はゝさま、どうぞ堪忍してくださいましよ」

母「さア〱早く行ゆかぬか、かれこれ最早もはや九ツになります」

と云われて二人は支度をしていると、後うしろの障子を開けて這入りましたはお國の兄五郎三郎にて、突然いきなりお國の側へより、

五「お母様少しお待ちなすってください、これ國これへ出ろ〱、本当にマア呆れはてゝ物が云われねえ奴だ、内へ尋ねて来た時なんと云った、お隣の次男と不義をしたゆえ、源さんは御勘当になり、身の置所がないようにしたも私ゆえ、お気の毒でならねえから一緒に連れて来ましたなどと、生嘘なまぞらを遣つかって我をだましたな、内に斯こうやって置く奴じゃアねえぞ、お父様とっさまが御死去ごしきょに成った時、幾度いくたび手紙を出しても一通の返事も遣よこさぬくらいな人でなし、只たった一人の妹いもとだが死んだと思ってな諦めていたのだ、それにのめ〱と尋ねて来やアがって、置いてくれろというから、よもや人を殺し、泥坊をして来たとは思わねえから置いてやれば、今聞けば実に呆れて物が云われねえ奴だ、お母様はゝさま誠に有り難うございまするが、あなたが親父へ義理を立てゝ、此奴等こいつを逃がして下さいましても天命は遁のがれられませんから、迚とても助かる気遣きづかいはございません、いっそ黙っておいでなすって、孝助様に切られてしまう方が宜しゅうございますのに、やいお國、お母様かゝさまは義理堅いお方ゆえ、親父の位牌へ対して路銀まで下すって、そのうえ逃路にげみちまで教えて下さると云うはな実に有り難い事ではないか、何なんとも申そう様ようはございません、コレお國、この罰当ばちあたりめえ、お母様かゝさまが此の家へ嫁にいらッしゃった時は、手前てめえがな十一の時だが、意地がわるくてお父様とお母様と己との合中あいなかをつゝき、何分家が揉めて困るから、己がお父やじさんに勧めて他人の中を見せなければいけませんが、近い所だと駈出して帰って来ますから、いっそ江戸へ奉公に出した方が宜かろうと云って、江戸の屋敷奉公に出した所が、善事いゝことは覚えねえで、密夫いろおとこをこしらえてお屋敷を遁にげ出すのみならず、御主人様を殺し、金を盗みしというは呆れ果てゝ物が云われぬ、お母様が並の人ならば、知らぬふりをしておいでなすッたら、今夜孝助様に斬殺きりころされるのも心がら、天罰で手前達てめえたちは当然あたりまえだが、坊主が憎けりゃ袈裟までの譬たとえで、此奴こいつも敵かたきの片割かたわれと己までも殺される事を仕出来しでかすというは、不孝不義の犬畜生め、只たった一人の兄妹きょうだいなり、殊ことにゃア女の事だから、此の兄の死水しにみずも手前てまえが取るのが当前あたりまえだのに、何の因果で此様こんな悪婦あくとうが出来たろう、お父様やじさまも正直なお方、私も是までさのみ悪い事をした覚えはないのに、此の様な悪人が出来るとは実になさけない事でございます、此の畜生め〱サッサと早く出て行ゆけ」

と云われて、二人とも這々ほう〱の体ていにて荷拵にごしらえをなし、暇乞いとまごいもそこ〱に越後屋方を逃出しましたが、宇都宮明神の後道うしろみちにかゝりますと、昼さえ暗き八幡山、況まして真夜中の事でございますから、二人は気味わる〱路みちの中ばまで参ると、一叢むら茂る杉林の蔭より出てまいる者を透すかして見れば、面部を包みたる二人の男おのこ、いきなり源次郎の前へ立塞たちふさがり、

○「やい、神妙しんびょうにしろ、身ぐるみ脱いて置いて行いけ、手前達てめえたちは大方宇都宮の女郎を連出した駈落者かけおちものだろう」

×「やい金を出さないか」

と云われ源次郎は忍び姿の事なれば、大小を落し差ざしにして居りましたが、此の様子にハッと驚き、拇指おやゆびにて鯉口を切り、慄ふるえ声を振立ふりたって、

源「手前達てまえたちは何だ、狼藉者」

と云いながら、透すかして九日の夜よの月影に見れば、一人は田中の中間喧嘩の龜藏、見紛みまごう方かたなき面部の古疵ふるきず、一人は元召使いの相助なれば、源次郎は二度恟びっくり、

源「これ、相助ではないか」

相「これは御次男様、誠に暫しばらく」

源「まア安心した、本当に恟りした」

國「私も恟りして腰が抜けた様だったが、相助どんかえ」

相「誠にヘイ面目ありません」

源「手前は未まだ斯様かような悪い事をしているか」

相「実はお屋敷をお暇いとまに成って、藤田の時藏と田中の龜藏と私と三人揃そろって出やしたが、何処どこへも行いく所はなし、何どうしたら宜かろうかと考えながら、ぶら〱と宇都宮へ参りやして、雲助になり、何うやら斯こうやらやっているうち、時藏は傷寒しょうかんを煩わずらって死んでしまい、金はなくなって来た処から、ついふら〱と出来心で泥坊をやったが病付やみつきとなり、此の間道かんどうはよく宇都宮の女郎を連れて、鹿沼の方へ駈落するものが時々あるので、こゝに待伏せして、サア出せと一言ひとこといえば、私は剣術を知らねえでも、怖がって直じきに置いて行くような弱い奴ばっかりですから、今日もうっかり源様と知らず掛かりましたが、貴方に抜かれりゃアおッ切られてしまう処、誠になんともはや」

源「これ龜藏、手前も泥坊をするのか」

龜「へい雲助をしていやしたが、ろくな酒も飲めねえから太く短くやッつけろと、今では斯こんな事をしておりやす」

と云われ、源次郎は暫しばし小首を傾かたげて居りましたが、

「好いい所で手前達に逢うた、手前達も飯島の孝助には遺恨があろうな」

龜「えゝ、ある所じゃアありやせん、川の中へ放り込まれ、石で頭を打裂ぶっさき、相助と二人ながら大曲りでは酷ひどい目に逢い、這々ほう〱の体ていで逃げ返った処が、此方こっちはお暇いとま、孝助はぬくぬくと奉公しているというのだ、今でも口惜しくって堪たまりませんが、彼奴あいつはどうしました」

源「誰たれも外ほかに聞いている者はなかろうな」

相「へい誰たれがいるものですか」

源「此の國の兄の宅たくは杉原町の越後屋五郎三郎だから、暫しばらく彼処あすこに匿かくまわれていたところ、母というのは義理ある後妻だが、不思議な事でそれが孝助の実母であるとよ、此の間母が江戸見物に行った時孝助に廻めぐり逢い、悉くわしい様子を孝助から残らず母が聞取り、手引をして我を打たせんと宇都宮へ連れては来たが、義理堅い女だから、亡父五兵衞の位牌へ対してお國を討たしては済まないという所で、路銀まで貰い、斯こうやって立たせてはくれたものゝ、其処そこは血肉を分けた親子の間、事によると後あとから追掛けさせ、やって来きまいものでもないが、何どうしてか手前てめえらが加勢して孝助を殺してくれゝば、多分の礼は出来ないが、二十金やろうじゃないか」

龜「宜しゅうございやす、随分やッつけましょう」

相「龜藏安受合やすうけあいするなよ、彼奴あいつと大曲で喧嘩した時、大溝おおどぶの中へ放り込まれ、水を喰くらってよう〱逃帰ったくらい、彼奴ア途方もなく剣術が旨いから、迂濶うっかり打たゝき合うと叶かなやアしない」

龜「それは又工夫がある、鉄砲じゃア仕様があるめえ、十郎ヶ峰あたりへ待受け、源さまは清水流れの石橋の下へ隠れて居て、己達おらたちゃア林の間に身を隠している所へ、孝助がやって来くりゃア、橋を渡り切った所で、己が鉄砲を鼻ッ先へ突付けるのだ、孝助が驚いて後あとへさがれば、源さまが飛出して斬付けりゃア挟はさみ打ち、わきアねえ、遁にげるも引くも出来アしねえ」

源「じゃアどうか工夫してくれろ、何分頼む」

と是から龜藏は何処どこからか三挺ちょうの鉄砲を持ってまいり、皆々連立ち十郎ヶ峰に孝助の来るを待受けました。

二十一の下

さて相川孝助は宇都宮池上町の角屋へ泊り、其の晩九ツの鐘の鳴るのを待ち掛けました処、もう今にも九ツだろうと思うから、刀の下緒さげおを取りまして襷たすきといたし、裏と表の目釘めくぎを湿しめし、養父相川新五兵衞から譲り受けた藤四郎吉光の刀をさし、主人飯島平左衞門より形見に譲られた天正助定を差添さしぞえといたしまして、橋を渡りて板塀の横へ忍んで這入りますと、三尺の開き戸が明いていますから、ハヽアこれは母が明けて置いてくれたのだなと忍んで行ゆきますと、母の云う通り四畳半の小座敷がありますから、雨戸の側わきへ立寄り、耳を寄せて内の様子を窺うかゞいますと、家内は一体に寝静まったと見え、奉公人の鼾いびきの声のみしんといたしまして、池上町と杉原町の境に橋がありまして、其の下を流れます水の音のみいたしております。孝助はもう家内が寝たかと耳を寄せて聞きますと、内では小声で念仏を唱えている声がいたしますから、ハテ誰だれか念仏を唱えているものがあるそうだなと思いながら、雨戸へ手を掛けて細目に明けると、母のおりゑが念珠ねんじゅを爪繰りまして念仏を唱えているから、孝助は不審に思い小声になり。

孝「お母っかさま、これはお母様のお寝間でございますか、ひょっと場所を取違えましたか」

母「はい、源次郎お國は私が手引をいたしまして疾とくに逃がしましたよ」

と云われて孝助は恟びっくりし、

孝「えゝ、お逃し遊ばしましたと」

母「はい十九年ぶりでお前に逢い、懐かしさのあまり、源次郎お國は私の家うちへ匿かくまってあるから手引きをして、私が討たせると云ったのは女の浅慮あさはか、お前と道々来ながらも、お前に手引きをして両人を討たしては、私が再縁した樋口屋五兵衞どのに済まないと考えながら来ました、今こゝの家の主人五郎三郎は、十三の時お國が十一の時から世話になりましたから実の子も同じ事、お前は離縁をして黒川の家いえへ置いて来た縁のない孝助だから、両人ふたりを手引をして逃がしました、それは全く私がしたに違いないから、お前は敵かたきの縁に繋つながる私を殺し、お國源次郎の後あとを追掛けて勝手に敵をお討ちなさい」

と云われ孝助は呆れて、

孝「えゝお母様、それは何ゆえ縁が切れたと仰しゃいます、成程親は乱酒でございますから、あなたも愛想あいそが尽きて、私の四ツの時に置いてお出でになった位ですから、よく〱の事で、お怨み申しませんが、私わたくしは縁は切れても血統ちすじは切れない実のお母さま、私は物心が付きましてお母様はお達者か、御無事でおいでかと案じてばかりおりました所、此度こんど図はからずお目にかゝりましたのは日頃神信心かみしんじんをしたお蔭だ、殊ことにあなたがお手引をなすって、お國源次郎を討たせて下さると仰しゃッたから、此の上もない有難いことと喜んでおりました、それを今晩になってお前には縁がない、越後屋に縁がある、あかの他人に手引をする縁がないと仰しゃるはお情ない、左様なお心なら、江戸表にいる内に何故なぜこれ〱と明かしては下さいません、私も敵の行方を知らなければ知らないなりに、又外々ほか〱を捜し、仮令たとえ草を分けてもお國源次郎を討たずには置きません、それをお逃がし遊ばしては、仮令今から跡を追かけて行いきましても、両人ふたりは姿を変えて逃げますから、私には討てませんから、主人の家を立てる事は出来ません、縁は切れても血統ちすじは切れません、縁が切れても血統が切れても宜しゅうございますが、余りの事でございます」

と怨みつ泣きつ口説き立て、思わず母の膝の上に手をついて揺ゆすぶりました。母は中々落着おちつきものですから、

母「成程お前は屋敷奉公をしただけに理窟をいう、縁が切れても血統ちすじは切れない、それを私が手引きをして敵を討たなければ、お前は主人飯島様の家を立てる事が出来ないから、其の言訳いいわけは斯こうしてする」

と膝の下にある懐剣を抜くより早く、咽喉のどへガバリッと突き立てましたから、孝助は恟びっくりし、慌あわてゝ縋すがり付き、

孝「お母様っかさま何故なにゆえ御自害なさいました、お母様ア〱〱」

と力に任せて叫びます。気丈な母ですから、懐剣を抜いて溢あふれ落おちる血を拭ぬぐって、ホッ〱とつく息も絶え〲になり、面色めんしょく土気色に変じ、息を絶つばかり、

母「孝助々々、縁は切れても、ホッ〱血統ちすじは切れんという道理に迫り、素もとより私は両人ふたりを逃がせば死ぬ覚悟、ホッ〱江戸で白翁堂に相みて貰った時、お前は死相が出たから死ぬと云われたが、実に人相の名人という先生の云われた事が今思い当りました、ホッ〱再縁した家の娘がお前の主人を殺すと云うは実に何なんたる悪縁か、さア死んで行ゆく身、今息を留めれば此の世にない身体、ホッ〱幽霊が云うと思えば五郎三郎に義理はありますまい、お國源次郎の逃げて行った道だけを教えてやるからよく聞けよ」

と云いながら孝助の手を取って膝に引寄せる。孝助は思わずも大声を出して

「情ない」

と云う声が聞えたから、五郎三郎は何事かと来て障子を明けて見れば此の始末、五郎三郎は素もとより正直者だから母の側に縋り付き、

五「お母様っかさま〱、それだから私が申さない事ではありません、孝助様後あとで御挨拶を致します、私はお國の兄で、十三の時から御恩になり、暖簾のれんを分けて戴いたもお母様のお蔭、悪人のお國に義理を立て、何故なぜ御自害をなさいました」

と云う声が耳に通じたか、母は五郎三郎の顔をじっと見詰め、苦しい息をつきながら、

母「五郎三郎、お前はちいさい時から正当しょうとうな人で、お前には似合わない彼あのお國なれども、義理に対しお位牌に対し、私が逃がしました、又孝助へ義理の立たんというは、血統ちすじのものが恩義を受けた主人の家が立たないという義理を思い、自害をいたしたので、何どうかお國源次郎の逃げ道を教えてやりたいが、ハッ〱必ずお前怨んでお呉れでないよ」

五「いゝえ、怨む所ではありません、あなたおせつないから私が申しましょう、孝助様お聞き下さい、宇都の宮の宿外しゅくはずれに慈光寺という寺がありますから、其の寺を抜けて右へ往ゆくと八幡山、それから十郎ヶ峯から鹿沼へ出ますから、貴方あなたお早くおいでなさい、ナアニ女の足ですから沢山は行ゆきますまいから、早くお國と源次郎の首を二つ取って、お母様っかさまのお目の見える内に御覧にお入れなさい、早く〱」

と云うから孝助は泣きながら、

孝「はい〱お母様、五郎三郎さんがお國と源次郎の逃げた道を教えて呉れましたから、遠く逃げんうちに跡追っかけ、両人ふたりの首を討ってお目にかけます」

という声漸ようやく耳に通じ、

母「ホッ〱勇ましい其の言葉何どうか早く敵を討って御主人様のお家いえをたてゝ、立派な人に成って呉れホッ〱、五郎三郎殿此の孝助は外ほかに兄弟もない身の上、また五郎三郎殿も一粒種だから、これで敵は敵として、これからは何うか実の兄弟と思い、互に力になり合って私の菩提を頼みますヨウ〱」

と云いながら、孝助と五郎三郎の手を取って引き寄せますから、両人ふたりは泣く〱介抱するうちに次第々々に声も細り、苦しき声で、

母「ホッ〱早く行ゆかんか〱」

と云って血のある懐剣を引き抜いて、

「さア源次郎お國は此の懐剣で止とゞめを刺せ」

と云いたいがもう云えない。孝助は懐剣を受取り、血を拭い、敵を討って立帰り、お母様に御覧に入れたいが、此の分では之これがお顔の見納めだろうと、心の中うちで念仏を唱え、

孝「五郎三郎さん、どうか何分願います」

と出掛けては見たが、今母上が最後の際きわだから行ゆき切れないで、又帰って来ますと、気丈な母ですから血だらけで這出しながら、虫の息で、

母「早く行ゆかんか〱」

と云うから、孝助は

「へい往ゆきます」

と後あとに心は残りますが、敵を逃がしては一大事と思い、跡を追って行ゆきました。先刻からこれを立聞きして居た龜藏は、ソリャこそと思い、孝助より先さきへ駆けぬけて、トッ〱と駆けて行ゆきまして、

龜「源さま、私わっちが今立聞をしていたら、孝助の母親おふくろが咽喉のどを突いて、お前なれ「お前なれ」はママさん方の逃げた道を孝助に教おせえたから、こゝへ追掛おっかけて来るに違ちげえねえから、お前めえさんは此の石橋の下へ抜身ぬきみの姿なりで隠れていて、孝助が石橋を一つ渡った所で、私共が孝助に鉄砲を向けますから、そうすると後あとへ下さがる所を後から突然だしぬけに斬っておしまいなさい」

源「ウム宜しい、ぬかっちゃアいけないよ」

と源次郎は石橋の下へ忍び、抜身を持って待ち構え、他ほかの者は十郎ヶ峰の向むこうの雑木山ぞうきやまへ登って、鉄砲を持って待っている所へ、かくとは知らず孝助は、息をもつかず追掛おっかけて来て、石橋まで来て渡りかけると、

龜「待て孝助」

と云うから、孝助が見ると鉄砲を持っている様ようだから、

孝「火縄を持って何者だ」

と向うを見ますと喧嘩の龜藏が、

龜「やい孝助己を忘れたか、牛込にいた龜藏だ、よく己を酷ひどい目にあわせたな、手前てめえが源様の跡を追っかけて来たら殺そうと思って待っているのだ」

相「いえー孝助手前てめえのお蔭で屋敷を追出されて盗賊どろぼうをするように成った、今此処こゝで鉄砲で打ち殺すんだからそう思え」

と云えばお國も鉄砲を向けて、

國「孝助、サア迚とても逃げられねえから打たれて死んでしまやアがれ」

孝助は後あとへ下さがって刀を引き抜きながら声張り上げて。

孝「卑怯ひきょうだ、源次郎、下人げにんや女をこゝへ出して雑木山に隠れているか、手前てめえも立派な侍じゃアないか、卑怯だ」

という声が真夜中だからビーンと響きます。源次郎は孝助の後うしろから逃げたら討とうと思っていますから、孝助は進めば鉄砲で討たれる、退しりぞけば源次郎がいて進退此こゝに谷きわまりて、一生懸命に成ったから、額と総身そうしんから油汗が出ます。此の時孝助が図らず胸に浮んだのは、予かねて良石和尚も云われたが、退ひくに利あらず進むに利あり、仮令たとえ火の中水の中でも突切つッきって往ゆかなければ本望ほんもうを遂げる事は出来ない、憶おくして後あとへ下さがる時は討たれると云うのは此の時なり、仮令一発二発の鉄砲丸だまに当っても何程の事あるべき、踏込んで敵かたきを討たずに置くべきやと、ふいに切込み、卑怯だと云いながら喧嘩龜藏の腕を切り落しました。龜藏は孝助が鉄砲に恐れて後あとへ下さがるように、わざと鼻の先へ出していた所へ、ふいに切込まれたのだから、アッと云って後あとへ下さがったが間に合わない、手を切って落すと鉄砲もドッサリと切落して仕舞いました。昔から随分腕の利きいた者は瓶かめを切り、妙珍鍛みょうちんきたえの兜かぶとを割きった例ためしもありますが、孝助はそれほど腕が利いておりませんが、鉄砲を切り落せる訳で、あの辺は芋畑が沢山あるから、其の芋茎ずいきへ火縄を巻き付けて、それを持って追剥おいはぎがよく旅人りょじんを威おどして金を取るという事を、予かねて龜藏が聞いて知ってるから、そいつを持って孝助を威かした。芋茎だから誰にでも切れます。是これなら圓朝にでも切れます。龜藏が

「アッ」

と云って倒れたから、相助は驚いて逃出す所を、後ろから切掛きりかけるのを見て、お國は

「アレ人殺し」

と云いながら鉄砲を放り出して雑木山へ逃げ込んだが、木の中だから帯が木の枝に纒からまってよろける所を一刀ひとたちあびせると、

「アッ」

と云って倒れる。源次郎は此の有様を見て、おのれお國を斬った憎い奴と孝助を斬ろうとしたが、雑木山で木が邪魔に成って斬れない所を、孝助は後うしろから来る奴があると思って、いきなり振返りながら源次郎の肋あばらへ掛けて斬りましたが、殺しませんでお國と源次郎の髻もとどりを取って栗の根株に突き付けまして、

孝「やい悪人わりゃア恩義を忘却して、昨年七月廿一日に主人飯島平左衞門の留守を窺うかゞい、奥庭へ忍び込んでお國と密通している所へ、此の孝助が参って手前と争った所が、手前は主人の手紙を出し、それを証拠だと云って、よくも孝助を弓の折おれで打ぶったな、それのみならず主人を殺し、両人ふたり乗込んで飯島の家を自儘じまゝにしようと云う人非人にんぴにん、今こそ思い知ったか」

と云いながら栗の根株へ両人ふたりの顔を擦付すりつけますから、両人とも泣きながら、

「免ゆるせえ、堪忍しておくんなさいよう」

というのを耳にも掛けず、

孝「これお國、手前はお母様っかさまが義理をもって逃がして下すったのは、樋口屋の位牌へ対して済まんと道まで教えて下すったなれども、自害をなすったも手前故だ、唯たった一人の母親をよくも殺しおったな、主人の敵親の敵、なぶり殺しにするから左様心得ろ」

と、これから差添さしぞえを抜きまして、

孝「手前のような悪人に旦那様が欺だまされておいでなすったかと思うと」

といいながら顔を縦横たてよこズタ〱に切りまして、又源次郎に向い、

孝「やい源次郎、此の口で悪口あっこうを云ったか」

とこれも同じくズタ〱に切りまして、又母の懐剣で止とゞめをさして、両人ふたりの首を切り髻たぶさを持ったが、首という物は重いもので、孝助は敵を討って、もうこれでよいと思うと心に緩ゆるみが出て尻もちをついて、

孝「あゝ有難い、日頃信心する八幡築土明神まんつくどみょうじんのお蔭をもちまして、首尾よく敵を討ちおおせました」

と拝みをして、どれ行ゆこうと立上ると、

「人殺ひとごろし々々」

という声がするからふり向くと、龜藏と相助の二人が眼が眩くらんでるから、知らずに孝助の方へ逃げて来るから、此奴こいつも敵の片われと二人とも切殺して二つの首を下げて、ひょろ〱と宇都宮へ帰って来ますと、往来ゆきゝの者は驚きました。生首を二つ持もって通るのだから驚きます。中には殿様へ訴える者もありました。孝助はすぐに五郎三郎の所へ行って敵を討った次第をのべ、殊ことに

「母がまだ目が見えますか」

と云われ、五郎三郎は妹いもとの首を見て胸塞ふさがり、物も云えない。母上様おっかさまは先程息がきれましたというから、この儘まゝでは置けないというので、御領主様へ届けると、敵討かたきうちの事だからというので、孝助は人を付けて江戸表へ送り届ける。孝助は相川の所へ帰り、首尾よく敵を討った始末を述べ、それよりお頭かしら小林へ届ける。小林から其の筋へ申立て、孝助が主人の敵を討った廉かどを以もって飯島平左衞門の遺言に任せ、孝助の一子し孝太郎を以て飯島の家を立てまして、孝助は後見となり、芽出度く本領安堵ほんりょうあんどいたしますと、其の翌日伴藏がお仕置になり、其の捨札すてふだをよんで見ますと、不思議な事で、飯島のお嬢さまと萩原新三郎と私通くッついた所から、伴藏の悪事を働いたということが解りましたから、孝助は主人の為ため娘の為め、萩原新三郎の為めに、濡ぬれ仏ぼとけを建立こんりついたしたという。これ新幡随院濡れ仏の縁起えんぎで、此の物語も少しは勧善懲悪かんぜんちょうあくの道を助くる事もやと、かく長々とお聴きゝにいれました。

(拠若林玵藏筆記)

底本 / Source edition

底本:「圓朝全集 巻の二」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年7月10日発行
底本の親本:「圓朝全集 巻の二」春陽堂
1927(昭和2)年12月25日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼《あ》の」と「彼《あの》」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2010年2月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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TEI
/works/002577_000989/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/002577_000989/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/002577_000989/

三遊亭 円朝「怪談牡丹灯籠──04 怪談牡丹灯籠」(新字新仮名)、底本『圓朝全集 巻の二』近代文芸資料複刻叢書、世界文庫、1963年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002577_000989, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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