Soranoha

蓬生

よもぎう

与謝野 寛

(一)

貢みつぐさんは門徒寺もんとでらの四男よなんだ。

門徒寺もんとでらと云いつても檀家だんかが一軒けんあるで無ない、西本願寺派にしほんぐわんじはの別院並べつゐんなみで、京都の岡崎にあるから普通には岡崎御坊で通つて居る。格式は一等本座いつとうほんざと云ふので法類仲間はふるゐなかまで幅はヾの利きく方だが、交際つきあひや何かに入費いりめの掛る割に寺の収入しうにふと云ふのは錏一文びたいちもん無かつた。本堂も庫裡くりも何時いつの建築だか、随分古く成つて、長押なげしが歪ゆがんだり壁が落ちたり為して居る。其れを取囲とりかこんだ一町四方もある広い敷地は、桑畑や大根畑に成つて居て、出入でいりの百姓が折々をり〱植附うゑつけや草取くさとりに来るが、寺てらの入口の、昔は大門だいもんがあつたと云ふ、礎いしずゑの残つて居る辺あたりから、真直まつすぐに本堂へ向ふ半町ばかりの路は、草だらけで誰だれも掃除の仕手が無い。

檀家の一軒も無い此寺このてらの貧乏は当前あたりまへだ。併し代々だい〲学者で法談はふだんの上手じやうずな和上わじやうが来て住職に成り、年としに何度なんどか諸国を巡回して、法談で蓄ためた布施ふせを持帰つては、其れで生活くらしを立て、御堂みだうや庫裡くりの普請をも為する。其れから御坊ごばうは昔願泉寺と云ふ真言宗しんごんしうの御寺おてらの廃地であつたのを、此の岡崎は祖師親鸞上人しんらんしやうにんが越後へ流罪るざいと定きまつた時、少時しばらく此地こヽに草庵さうあんを構へ、此の岡崎から発足はつそくせられた旧蹟だと云ふ縁故ゆかりから、西本願寺が買取つて一宇を建立こんりふしたのだ。其時在所ざいしよの者が真言しんごんの道場だうじやうであつた旧地へ肉食にくじき妻帯さいたいの門徒坊もんとぼんさんを入れるのは面白く無い、御寺の建つ事は結構だが何どうか妻帯を為なさらぬ清僧せいそうを住持じうぢにして戴いたゞきたいと掛合かけあつた。本願寺も在所の者の望み通どほりに承諾した。で代々だい〲清僧せいそうが住職に成つて、丁度禅寺ぜんでらか何なにかの様やうに瀟洒さつぱりした大寺たいじで、加之おまけに檀家の無いのが諷経ふぎんや葬式の煩わづらひが無くて気楽らくであつた。

所が先住の道珍和上どうちんわじやうは能登国のとのくにの人とやらで、二十三で住職に成つたが学問よりも法談が太層巧うまく、此の和上わじやうの説教の日には聴衆きヽてが群集ぐんじふして六条の総会所そうぐわいしよの縁えんが落ちるやら怪我人が出来るやら、其れ程に評判であつた。又また太層美僧びそうであつた所から、後家や若い娘で迷ひ込んだ者も大分にあつた。在所の年寄仲間は、御坊さんの裏うらの竹林たけばやしの中なかにある沼ぬまの主ぬし、なんでも昔むかし願泉寺の開基が真言の力ちからで封ふうじて置かれたと云ふ大蛇だいじやが祟たヽらねば善いが。あヽ云ふ若い美くしい和上わじやうさんの来こられたのは危あぶないもんだ。斯う噂をして居たが、和上に帰依きえして居る信者しんじやの中なかに、京きやうの室町錦小路むろまちにしきのこうぢの老舗しにせの呉服屋夫婦が大たいした法義者はふぎしやで、十七に成る容色きりやうの好い姉娘あねむすめを是非ぜひ道珍和上どうちんわじやうの奥方おくがたに差上さしあげ度たいと言出いひだした。物堅ものがたい和上も若わかいので未まだ法力はふりきの薄うすかつた故せゐか、入寺にふじの時の覚悟を忘れて其の娘を貰もらふ事に定きめた。

其頃御坊ごばうさんの竹薮たけやぶへ筍たけのこを取りに入はいつた在所ざいしよの者が白い蛇くちなはを見附けた。其処そこへ和上の縁談が伝はつたので年寄としより仲間は皆眉を顰ひそめたが、何どう云ふ運命まはりあはせであつたか、愈いよ〱呉服屋の娘の輿入こしいれがあると云ふ三日前みつかまへ、京から呉服屋の出入でいりの表具師や畳屋の職人が大勢おほぜい来て居る中なかで頓死した。

御坊さんは少時しばらく無住むじうであつたが、翌年よくとしの八月道珍和上わじやうの一週忌「一週忌」はママの法事はふじが呉服屋の施主せしゆで催された後あとで新しい住職が出来た。是が貢みつぐさんの父である。此の住持じうぢは丹波の郷士がうしで大庄屋おほじやうやをつとめた家の二男だが、京に上つて学問が為したい計りに両親ふたおやを散々さん〲泣かせた上うへで十三の時に出家しゆつけし、六条の本山ほんざんの学林を卒業してから江戸へ出て国書を学び、又諸国の志士に交つて勤王論を鼓吹した。其頃岡崎から程近ほどちかい黒谷くろたにの寺中ぢちうの一室ひとまを借りて自炊じすゐし、此処こヽから六条の本山ほんざんに通かよつて役僧やくそうの首席しゆせきを勤めて居たが、亡くなつた道珍和上とも知合しりあひであつたし、然さう云ふ碩学せきがくで本山ほんざんでも幅はばの利きいた和上わじやうを、岡崎御坊へ招せうずる事が出来たら結構だと云ふので、呉服屋夫婦が熱心に懇望こんまうした所から、朗然らうねんと云ふ貢みつぐさんの阿父おとうさんが、入寺にふじして来る様やうに成つた。

其丈それだけなら申分まうしぶんは無かつたのだが、呉服屋夫婦は道珍和上に娶めあはせようと為た娘を、今度の朗然和上に差上さしあげて是非ぜひ岡崎御坊に住ませたい、最愛の娘を高僧かうそうに捧げると云ふ事が、何より如来様の御恩報謝ごおんはうしやに成るし、又亡く成つた道珍和上への手向たむけであると信じて居た。娘に此事を語り聞かせた時、娘は、わたしは道珍様が御亡く成りに成つた日から、もう尼あまの心に成つて居ますと云つて泣き伏したが、もう朗然和上と夫婦との間に縁談が決きまつて居つた後あとだから、親の心に従つて終つひに其年の十一月、娘は十五荷の荷にで岡崎御坊へ嫁入よめいつて来た。娘の齢としは十八、朗然和上は三十四歳、十六も違ちがつて居た。

此の婚礼に就いて在所の者が、先住の例ためしを引いて不吉ふきつな噂を立てるので、豪気がうきな新住しんじうは境内けいだいの暗い竹籔たけやぶを切払きりはらつて桑畑に為して了しまつた。

其それから十年許ばかり経たつて、奥方の一枝かずゑさんが三番目の男の児を生んだ。従来これまでに無い難産なんざんで、産の気けが附いてから三日目みつかめの正午まひる、陰暦六月の暑い日盛ひざかりに甚ひどい逆児さかごで生れたのが晃あきらと云ふ怖おそろしい重瞳ぢゆうどうの児であつた。ぎやつと初声を揚げた時に、玄関げんくわんの式台しきだいへ戸板に載せて舁かつぎ込まれたのは、薩州の陣所へ入浸いりびたつて半年も帰つて来ぬ朗然和上が、法衣を着た儘三条の大橋おほはしで会津方あひづがたの浪士に一刀眉間を遣られた負傷ておひの姿であつた。

傷きずは薩州邸やしきの口入くちいれで近衛家の御殿医ごてんゐが来て縫ぬつた。在所の者は朗然和上の災難を小気味こきみよい事に言つて、奥方の難産と併せて沼ぬまの主ぬしや先住やの祟りだと噂した。もともと天下を我家と心得て居ゐる和上わじやうは岡崎の土地などを眼中に置いて居ない所から、在所の者に対して横柄わうへいな態度たいども有つたに違ひ無い。其上そのうへ近年は世の中の物騒ぶつさうなのに伴つれて和上の事を色々いろ〱に言ふ者がある。最も在所の人の心を寒からしめた馬鹿々しい噂は、和上は勤王々々と云つて諸国の浪士に交際つきあつて居ゐる。今に御寺の本堂を浪士の陣屋に貸して、此の岡崎を徳川と浪士との戦場いくさばにする積りだらう、と云ふ事である。で何かに附けて在所の者は和上を憎んだが。檀那寺だんなでらの和尚では無いから、岡崎から遂ひ出す訳わけにも行か無かつた。

和上と奥方との仲は婚礼の当時から何どうもしつくり行つて居無かつた。第一に年齢としの違ちがふ故せゐもあつたが、和上は学者で貧乏を苦にせぬ豪邁がうまいな性質たち、奥方は町家の秘蔵娘ひざうむすめで暇ひまが有つたら三味線を出して快活はれやかに大津絵おほつゑでも弾かう、小児こどもを着飾きかざらせて一人々々ひとり〱乳母を附けて芝居を見せようと云ふ豪奢がうしやな性質たち、和上が何かに附けて奥方の町人気質かたぎを賎むのを親思おやおもひの奥方は、じつと辛抱して実家さとへ帰らうともせず、気作きさくな心から軽口かるくちなどを云つて紛まぎらして居る内に、三人目の男の児を生んだ。

此度このたびの難産の後あと、奥方は身体からだがげつそり弱よわつて、耳も少し遠く成り、気性までが一変して陰気に成つた。和上の傷きづは二月ふたつきで癒えたが、其の傷痕きづあとを一目見て鎌首かまくびを上げた蛇へびの様だと身を慄ふるはせたのは、青褪あをざめた顔色かほいろの奥方ばかりでは無かつた。其頃在所ざいしよの子守唄こもりうたに斯う云ふのが流行はやつた。

『坊主ばうずの額ひたひに蛇へびが居ゐる。

蛇へびから飛とび出でた赤児あかごの眼め。』

『赤児あかごの眼め』は重瞳ぢゆうどうの三男を指さしたのである。奥方は何と云ふ罪障つみの深い自分だらうと考へ出した。本堂の阿弥陀様計ばかりでは此の不思議な怖おそろしい宿業しゆくごふが除かれぬやうな気がするので、門徒宗でやかましい雑行雑修ざふぎやうざつしゆの禁制きんせいを破つて、暇ひまがあれば洛中洛外の神社仏寺へ三男を抱だいて参詣した。以前は気質きしつの相違であつたが、今は信仰しんかうまでが斯う違ちがつたので、和上は益々奥方が面白く無い。伏見の戦争が初まる三月みつき程前から再び薩州邸やしきに行つた切きり明治五年まで足掛あしかけ六年の間一度も帰つて来なかつた。伏見戦争の後あとで直ぐ、朝命てうめいを蒙つて征討将軍の宮みやに随従ずゐしうし北陸道の鎮撫に出掛けたと云ふ手紙や、一時還俗げんぞくして岩手県の参事さんじを拝命したと云ふ報知しらせは、其の時々とき〲に来たが、少すこしの仕送しおくりも無いので、奥方は嫁入よめいりの時に持つて来た衣服きものや髪飾かみかざりを売食うりぐひして日を送つた。実家さとの方は其頃両親ふたおやは亡くなり、番頭を妹に娶めあはせた養子が、浄瑠璃に凝こつた揚句あげく店みせを売払つて大坂へ遂転したので、断絶同様だんぜつどうやうに成つて居る。在所の者は誰も相手にせぬし、便たよる方かたも無いので、少しでも口を減へす為に然さる尼あまの勧すヽめに従つて、長男と二男を大原おほはらの真言寺しんごんでらへ小僧こぞうに遣やつた。奥方の心では二人の子を持戒堅固ぢかいけんごの清僧せいそうに仕上げたならば、大昔おほむかしの願泉寺時代の祟たヽりが除かれやう、沼ぬまの主ぬしも鎮しづまるであらうと思つたので、開基かいきと同じ宗旨しうしの真言寺しんごんでらと聞いて、可愛かあいい二人の子を犠牲いけにへにする気で泣き乍ら手放てばなした。

明治五年の夏、和上は官界を辞してぶらりと帰つて来た。フロツクコオトを着て山高帽ぼうを被かぶつた姿は固陋ころうな在所の人を驚かした。再び法衣を着たことは着たが、永ながの留守中荒あれ放題はうだいに荒れた我寺わがてらの状さまは気にも掛けず格別修繕しようともせぬ。毎日洋服を着て書類を入れた風呂敷包づつみを小脇こわきに挾はさんで、洋杖すてつきを突ついて、京都府下の富豪や寺院をてくてくと歴訪れきはうする。其れは隣村となりむらの鹿しゝヶ谷たにに盲唖院まうあゐんと云ふものを建てる趣意書を配つて応分の寄附金を勧誘くわんいうする為ためであつた。

其の翌年に貢みつぐさんが生れた。

(二)

今日けふは日曜なので阿母おつかさんが貢さんを起おこさずに静そつと寝かして置いた。で、貢さんの目覚めざめたのは朝の九時頃であつた。十歳に成る貢さんは独ひとりで衣服きものを着替へて台所へ出て来た。

『阿母おつかさんお早う。』

阿母さんはもう座敷の拭掃除ふきそうぢも台所の整理事しまひごとも済すませて、三歳みつヽになる娘の子を脊せなに負おひ乍ら、広い土間へ盥を入れて洗濯物せんたくものをして居ゐる。

『お早うでも無いぢや無いか。よく寝られて。昨夜ゆうべは。』

『ふん、寝坊をしちやつた。阿父おとうさんは。』

『涼しい間あひだにと云つてお出掛でかけに成つたの。』

『阿母さん、昨日きのふ校長さんが君ん家とこの阿父おとうさんは京の街まちで西洋の薬くすりや酒を売る店を出すんだつて、本当かて聞きましたよ。本当に其様そんな店を出すの。』

『阿父さんの事だから何を為さるか知れ無い。昔むかしから二言目ふたことめには人民の為だもの。』

『今日は何処どこへ入らしたの。』

『神戸の夷人ゐじんさん処とこ。委しい事は阿母さんなんかに被仰おつしやらないけれど、日本で初めて博覧会と云ふものを為なさるんだつて。』

『ふうん。』

『お前御飯ごはんは何どうする。』

『お昼と一処でいゝ。』

『ぢや然さうお為し。其それから阿母さんは今一枚洗つて、今日けふは大原おほはらまで兄にいさん達の白衣はくえを届けて来るからね、よく留守番を為してお呉れ。御飯ごはんには鮭さけが戸棚にあるから火をおこして焼いてお食たべ。お土産みやには山鼻やまはなのお饅まんを買つて来ませう。』

『お日様ひさんの暮れぬ内うちに帰つて頂戴よ。』

貢さんは井戸端へ下りて自分で水を汲んで顔を洗つた。其れから畳たヽみの破れを新聞で張つた、柱はしらの歪ゆがんだ居間ゐまを二つ通とほつて、横手の光琳の梅を書いた古ふるぼけた大きい襖子ふすまを開けると十畳敷許の内陣ないぢんの、年頃拭込ふきこんだ板敷いたじきが向側の窓の明障子あかりしやうじの光線で水を流した様に光る。幾十年と無く毎朝まいあさ焚たき籠こめた五種香しゆかうの匂にほひがむつと顔を撲つ。阿母さんが折々一時間も此処こヽに閉ぢ籠こもつて出て来ぬ事がある丈に、家中うちヾうで此この内陣計りは温あたヽかい様やうななつかしい様な処だ。貢さんは黒塗くろぬりの経机の前の円座ゑんざの上に坐つて三度程額ぬかづいた。

『南無、南無、南無阿弥陀仏。』

本尊の阿弥陀様の御顔おかほは暗くて拝め無い、唯たヾ招喚せうくわんの形かたちを為給したまふ右の御手おてのみが金色こんじきの薄うすい光ひかりを示しめし給うて居る。貢さんは内陣を出て四畳半の自分の部屋に入はいつた。机の上に昨日きのふ持つて帰つた学校の包つヽみが黒い布呂敷の儘で解きもせずに載のつて居ゐる。其れを見ると、力石様りきいしさんのお濱さん処へ遊びに行く約束だつた事を思出した。

『遅おそく成つた、遅く成つた。行いかう。』

独言ひとりごとを言つて吃驚びつくりした様に立上ると、書院の方の庭にある柿かきの樹で大きな油蝉あぶらぜみが暑苦あつくるしく啼き出した。捕つかまへてお濱さんへの土産みやげにする気で、縁側えんがはづたひに書院へ足音を忍ばせて行つたが、戸袋とぶくろに手を掛けて柿かきの樹を見上げた途端はずみに蝉は逃げた。

『阿房蝉あはうぜみ。』

斯う大きな声で云つて振返ると、書院の十畳の方の室まの障子が五寸程明あいて居ゐる。兄の晃あきらの居間だ。其の間あひだから長押なげしに掛けた晃の舶来の夏帽が目に附く。覗のぞいて見たが、晃あきら兄にいさんは居無い。台所の方はうへ走はしつて来た貢さんは、其処に阿母さんが見えないので、草履を穿はいて裏口うらぐちから納屋の後うしろへ廻つた。阿母さんは物干竿ものほしざをに洗濯物を通して居る。

『阿母さん、晃あきら兄にいさんが帰つたの。』

阿母さんは一寸ちよつと振返つて貢さんを見たが、黙だまつて上を向いて襁褓おしめの濡れたのを伸のばして居ゐる。

『晃あきら兄にいさんの帽が掛かつてましたよ。』

と鄭寧ていねいに云つて再び答こたへを促した。阿母さんは未だ黙だまつて居ゐる。見ると、晃あきら兄にいさんの白地しろぢの薩摩絣がすりの単衣ひとへの裾すそを両手で握つかんだ儘阿母さんは泣いて居る。貢さんは、阿母さんの機嫌を損じたなと思つたので、徐そつと背せなを向けて四五歩あし引返した。

『貢みつぐさん。』と阿母さんの声は湿うるんで居る。

『はい。』

『お前はね、よく阿母さんの言ふ事をお聞き。なんぼ貧乏な生活くらしをしても心は正直しやうぢきに持つんですよ。』

『はい。』

『晃あきら兄にいさんの様に成つては仕様が無いわね、阿母さんの衣服きものや頭あたまの物を何遍なんべんも持出して売飛ばしては、唯もう立派な身装みなりをする。こんな阿父さんも御着に成らん様な衣類きるゐや、靴や時計を買つてさ。学問でもする事か、フルベツキさんに英吉利西の語ことばを習つても三月足らずで止やめて了しまふし、何かなし若わかい娘さん達の中なかで野呂々々と遊んで居たい、肩上を取つたばかしの十八の子の所作しよさぢや無い。祟たヽつてる御方おかたがあつて為なさるのかも知らんけれど、あれでは今に他人様ひとさまの物に手を掛けて牢屋ろうやへ行く様な、よい親の耻晒はぢさらしに成るかも知れん。今度は阿父さんの財嚢かみいれから沢山たくさんなお金かね、盲唖院の先生方せんせいがたの月給に差上げるお銭を持出して二月つきも帰つて来ないんだもの。阿父さんは見附次第みつけしだい警察へ出すと被仰るけれど、其れでは明るみの耻に成る。阿母さんは大原おほはらの律師様りつしさまにお頼みして兄にいさん達と同じ様やうに何処どこかの御寺おてらへ遣つて、頭あたまを剃らせて結構な御経おきやうを習はせ度いと思ふの。ね、貢さん、阿母さんや此の脊中せなかの桃枝もヽえが頼たよりにするのはお前一人ひとりだよ。阿父おとうさんはあんな方かただから家うちの事なんか構かまつて下さら無い。此の下間しもつまの家うちを興すも潰つぶすもお前の量見一ひとつに在る。其れに阿母さんも此の身体からだの具合では長く生きられ相さうにも無いからね、しつかり為て頂戴よ、貢さん。』

『はい、解わかつて居ゐます。阿母さん。』

貢さんの頬にははらはらと熱い涙が流れた。阿母さんは萌黄もえぎの前掛まへかけで涙を拭ふき乍ら庫裡の中へ入はいつた。貢さんは何時いつも聞く阿母さんの話だけれど、今日は冷つめたい沼の水の底そこの底で聞かされた様な気がして、小供心に頼り無い沈んだ悲哀かなしみが充満いつぱいに成つた。で、蚯蚓みヽずが土を出て炎天の砂の上をのさばる様に、かんかんと日の照る中なかを歩あるいてづぶ濡れに冷え切つた身体からだなり心なりを燬やけ附つかせ度く成つたので、書院の庭の、此頃の旱ひでりに亀甲形きつかふがたに亀裂ひヾの入いつた焼土やけつちを踏んで、空池からいけの、日が目めを潰つぶす計りに反射はんしやする、白い大きな白河石しらかはいしの橋の上に腰を下おろした。

『阿母さんが死になさるのぢや無いか知ら。』

ふつと斯こんな事が胸に浮んだ。今日に限つて特別に阿母さんの身体からだが鉄色の銚子縮てうしちヾみの単衣ひとへの下に、ほつそりと、白い骨ほね計りに見えた様な気がする。『なあに。』と直ぐに打消したが、ぞつと寒く成つて身体からだが慄ふるへた。次いで色々の感想が湧いて来る。

『家うちでは阿母さんが一番気の毒だ。………併し阿父さんも、あんな羊羹色ようかんいろのフロツクしか無いんだもの、知事さんの前なんかで体裁きまりが悪るからう。…………阿父さんは、晃兄さんには仕方が無いけれど、阿母さんに何故あゝ慳貪けんどんに物を被仰るんだらう。…………晃兄さんも習字があの様に善く出来て、漠文の御本も善く読める癖に、何故なぜ真面目まじめに成つて夷人ゐじんさんの語ことばが習へないのかなあ。…………家うちの物ものを泥坊するのは良よく無いが、阿父さんが吝々けち〲してお銭あしをお遣りなさらんから、兄さんも意地に成るんだ。…………兄さんも阿母さんから、初中しよちう内密ないしよで小遣こづかひを戴き乍ら…………阿母さんが被仰る通り女の様に衣服きものなんか買ふのは馬鹿々々しい。』

果はてしなく斯こんな事を思ひ続けて居ると、何処どこかで自分を喚ぶ声がした。庫裡くりの方はうへ向いて、

『阿母さんなの。』

と大きな声で尋ねたが、返事が無い。立上らうとすると汗をびつしより掻いて居た。裏口うらぐちへ行かうとする時、又何なにか声が聞えた。桑畑の中からだ。途端にお濱さんを思ひ出した。約束の時間に自分が行か無いので、待まち兼ねてお濱さんが迎へに来たのだと考へた。

貢さんは兎うさぎの跳とぶ様に駆け出して桑畑に入つて行つた。畑はたけの中なかにお濱さんは居ない。沼ぬまの畔ほとりに出た。旱の為に水の減へつた摺鉢形すりばちなりの四方はうの崖がけの土は石灰色いしばいいろをして、静かに湛たヽへた水の色はどんよりと重く緑青の様に毒々しい。お濱さんは居なかつたがおなじ様に鼠色ねずみいろの無地むぢの単衣ひとへを着た盲唖院の唖者をしの男の子が二人、沼ぬまの岸の熊笹くまさヽが茂つた中に蹲しやがんで、手真似で何か話し乍ら頷うなづき合つて居た。其れが貢さんには、蛇の穴あなを発見めつけたので掘ほらうぢや無いかと相談して居る様やうに思はれた。

『悪わるい事なんか為ては行いかんよ。』

と、五六間けん手前てまへから叱しかり付けた。唖者をしの子等こらは人の気勢けはひに駭おどろいて、手に手に紅あかい死人花しびとばなを持つた儘まヽ畑はたけを横切よこぎつて、半町も無い鹿しヽヶ谷たにの盲唖院へ駆けて帰つた

貢さんは見送つて厭いやな気がした。

(三)

元気の無さ相さうな顔色かほいろをして草履を引きずり乍ら帰つて来た貢さんは、裏口うらぐちを入はいつて、虫むしの蝕くつた、踏むとみしみしと云ふ板の間まで、雑巾ざふきんを絞しぼつて土埃つちぼこりの着いた足を拭いた。

『阿母さん、阿母さん。』

二三度喚よんで見たが、阿母さんは桃枝もヽえを負おぶつて大原へ出掛けて居無かつた。貢さんは火鉢の火種ひだねを昆炉しちりんに移し消炭けしずみを熾おこして番茶ばんちやの土瓶どびんを沸わかし、鮭しやけを焼いて冷飯ひやめしを食つた。膳を戸棚に締つて自分の居間に来くると、又お濱さんに逢ひ度く成つた。一走ひとはしり行つて来ようかと考へたが、頭あたまが重おもく痛む様やうなので、次の阿母さんの部屋の八畳の室まへ来て障子を明放あけはなして、箪笥の前で横に成つた。暑い日だ、そよと吹く風も無い。軒に縄を渡して阿母さんが干ほした瓜うりの雷干かみなりぼしを見て居ると暈眩めまひがする。じつと目を閉ぢようと為たが、目を閉ぢると、此の広い荒れ果てた寺てらに唯つた独り自分の居ゐると云ふ事が、野の中なかで捨児すてごにでも成つた様に、犇々と身に迫せまつて寂さびしい。其れを紛まぎらす為ために目を開いて何か唱歌でも歌はうと試みたが、喉のどが硬張こはゞつて声が出無かつた。と、突然低い静かな声で、

『貢みつぐ、貢。』

『あ、晃あきら兄にいさん。お帰り。』

起上おきあがつて玄関げんくわんの方はうへ走はしつて出ようとすると、

『此処こヽだよ。貢みつぐ。』

『晃あきら兄にいさん、何処どこなの。』

貢さんは玄関と中の間の敷居しきゐの上うへに立つて考へた。

『此処こヽだよ。』

低い静かな声は本堂から聞える。其処そこは雨が甚ひどく洩るので、四方の戸を阿父おとうさんが釘附くぎづけにして自分の生れ無い前から開けぬ事に成つて居る。御参詣おまゐりの人も無い寺なので、内の者は内陣ないぢんで本尊様を拝む。本堂の五十畳敷だと云ふ広間ひろまは全く不用な塲処だ。内の者は皆此の広間の有る事を忘れて居ゐる。殊に貢さんは生れて一度も覗のぞいて見ないのだから、遠い遠い不思議な世界から声を掛けられた気が為する

『晃あきら兄にいさん、何どうして其そんな処へ入はいつたの。何処から入はいるんです。』

少時しばらく返事が無い。

『晃あきら兄にいさん。』

と、貢さんは大きな声を為して喚んだ。低い静かな声は、

『内陣へ廻まはりな。左から三枚目の戸だ。』

貢さんは座敷を通とほつて一段高い内陣へどんどんと足音をさせて上あがつた。

『左から三枚目。』

と、又声が為る。昔から釘附くぎつけに為てあると計り思つて居た内陣と本堂との区劃しきりの戸を開けると云ふ事は、少すくなからず小供の好奇かうきの心を躍らせたが、愈々いよ〱左から三枚目の戸に手を掛ける瞬間しゆんかん、何なんだか見無いでも可いいものを見る様な気が為て、怖こはく成つたが、思切おもひきつて引くと、荒い音も為せずにすつと軽く開あいた。

『あツ。』

貢さんが覗のぞいたのは薄暗うすぐらい陰鬱いんうつな世界で、冷ひやりとつめたい手で撫でる様に頬ほに当あたる空気が酸すえて黴臭かびくさい。一間程前けんほどまへに竹と萱草くわんざうの葉とが疎まばらに生はえて、其奥そのおくは能く見え無かつた。

『何処どこに居るの。晃あきら兄にいさん。』

『仏ほとけさんの前の蝋燭ろふそくに火を点つけてお出で。』

貢さんは兄の命令通いひつけどほり仏前ぶつぜんの蝋燭を取つて、台所へ行つて附木つけぎで火を点つけて来た。

『晃あきら兄にいさん、中なかは汚きたなか無くつて。』

『其処の直ぐ下に阿母さんの穿はきなさる草履があるだらう。』

蝋燭をかざして根太板ねだいたの落ちた土間どまを見下すと、竹の皮の草履が一足いつそくあるので、其れを穿はいて、竹の葉を避よけて前に進むと、蜘蛛の巣が顔に引掛る。根太ねだも畳たヽみも大方おほかた朽くち落ちて、其上そのうへに鼠ねずみの毛を挘むしり散ちらした様やうな埃ほこりと、麹かうじの様な黴かびとが積つて居る。落ち残つた根太ねだの横木よこぎを一つ跨またいだ時、無気味ぶきみな菌きのこの様やうなものを踏んだ。

『此処こヽだよ。』

中央ちうあうの欅けやきの柱はしらの下から、髪の毛の濃こいゝ、くつきりと色の白い、面長おもながな兄の、大きな瞳ひとみに金きんの輪わが二つ入はいつた眼が光つた。晃あきら兄にいさんは裸体はだかで縮緬ちりめんの腰巻こしまき一つの儘後手うしろでに縛しばられて坐つて居る。貢さんは一目見て駭おどろいたが、従来これまで庭の柿の樹や納屋なやの中に兄の縛しばられて切諌せつかんを受けるのを度々見て居るので、こんな処へ伴つれて入はいつて縛つて置いたのは阿父さんの所作しわざだと思つた。阿母おつかさんが裸体はだかの上から掛けて遣やつたらしい赤い毛布はずれ落ちて居た。

『貢みつぐ、お前、兄にいさんの言ふ事を諾きいて呉れ無いか。』

『晃あきら兄にいさん、御飯ごはんでせう。御飯ごはんなら持つて来こよう。阿母さんが留守だから御菜おさいは何も無いことよ。』

『今いま握飯にぎりめしを食くつたばかりだ。御飯ごはんぢや無い。』

『ぢや、お茶。』

『お茶も飲まして貰もらつた。』

『衣服きものを持つて来て上あげようか。』

『衣服きものは自分で着きるがね。』

『何なになの。晃あきら兄にいさん。』

『お前まへ本当ほんたうに諾きいて呉れるか。』

兄が此様このやうに念ねんを押おし辞ことばを鄭寧にして物ものを頼んだ事は無いので、貢さんは気の毒に思つた。

『ふん、何んでも諾ききます。』

『難有ありがたいな。ではね、包丁はうちやうを取つて来てね、此の縄なはを切きつて御呉おくれ。』

『宜いいとも。』

元気よく受合つて台所から庖丁を取つて来た。左の手に蝋燭ろふそくを持つて兄の背後うしろに廻まはつたが、三筋みすぢの麻縄あさなはで後手に縛しばつて柱はしらに括くヽり附けた手首てくびは血が滲にじんで居る。と、阿父おとうさんが晃兄さんを切諌せつかんなさる時の恐こはい顔が目に浮うかんだので、此の縄を切きつては成らぬと気が附いた。

『之これを切きつて、僕、阿父おとうさんに問はれたら何なんと云ふの。』

『お前にも阿母おつかさんにも迷惑めいわくは掛け無い。わしの友人ともだちが来て知らぬ間まに連つれ出したとお言ひ。』

『晃あきら兄にいさんは又また逃にげて行く積つもりなの。』

『此処はわしの家うちぢや無い、仇かたきの家うちぢや。兄さんの家は斯こんな暗い処ぢや無くて明あかるい処に有るんだ。』

『明あかるい処つて、何処どこ。大坂か、東京。』

『そんな遠方ゑんぱうぢや無い。何なんでもいゝ、早く縄を切きつて自由に為してお呉れ。痛くて堪たまら無いから。』

阿母さんも居ない留守るすに兄を逃にがして遣つては、何どんなに阿父さんから叱しかられるかも知れぬ。貢さんは躊躇ためらつて鼻洟はなみづを啜すヽつた。

『切れ無いかい。貢さん。意久地いくぢが無いね。約束したぢや無いか。』

『だけれど、みんな留守るすだから。』

『お前、解わからないなあ。』

兄は歎息といきをついた。

『あゝ、阿父さんの所為せゐでも無い、阿母さんの所為せゐでも無い、わしの所為せゐでも無い。みんな彼奴あいつのわざだ。貢みつぐ、意久地いくぢがあるなら彼奴あいつを先さきに切きるがいゝ。』

兄が頤おとがひで示した前の方の根太板ねだいたの上に、正月の鏡餅おかざりの様に白い或物が載のつて居る。

『何なに。』

と、蝋燭ろふそくの火を下さげて身を屈かゞめた途端とたんに、根太板ねだいたの上の或物は一匹いつぴきの白い蛇へびに成つて、するすると朽くち重かさなつた畳たヽみを越こえて消きえ去つた。刹那せつな、貢さんは、

『沼ぬまの主ぬしさんだ。』

斯かう感かんじて身をぶるぶると慄ふるはした。

『貢さん、貢さん。』

と、お濱さんが書院しよゐんの庭あたりで喚よんで居る。貢さんは耳鳴みヽなりがして、其の懐なつかしい女の御友達おともだちの声が聞え無かつた。兄はにつと笑つて、

『驚いたか。』

貢さんは黙だまつて蛇へびの過ぎ去つた暗くらい奥おくの方かたを眺めて居る。

『暗くらい家うちには彼奴あいつの様な厭いやなものが居ゐる。此の家うちの者は皆彼奴あいつの餌食ゑじきなんだ。』

よくは解わからぬけれど、兄の言つて居る事が一一道理いちいちもつともな様に胸に応こたへる。斯んな家に皆が一日も居ては成らぬ様な気が為た。

『晃兄さん、早くお逃にげなさい。縄を切きりますから。』

『難有ありがたう。お前もね、わしの年齢としに成つたら、兄さんが明あかるい面白い処へ伴つれてつて遣やらう。』

『本当ほんたうに面白いの。』

『面白いとも。』

『単独ひとりでは行かれ無いの。』

『行かれる。兄さんは単独ひとりで行くんだ。』

『屹度きつと伴つれてつて下さい。』

『わしの年齢としに成つたら。其れ迄は辛抱しんぼうして吉田の学校を卒業するんだよ。』

『女をんなでも行かれるの。』

『行かれるとも。其処そこは女の方が多おほいんだ。』

『阿母さんも伴つれてつて上あげなさい。』

『諄くどいね。早く縄を切きつてお呉くれ。』

貢さんは勇々いそ〱として躊躇ためらふ所なく麻縄あさなはを切り放つた。お濱さんは玄関の方へ廻まはつて来た。

『貢みつぐさん、貢さん。』

『お濱さんが先刻さつきからお前を探さがして居る。早く行つてお出で。』

兄は柱はしらに倚よつて立上り、縄の食ひ込んだ、血の滲にじんだ手首てくびを擦さすり乍ら言つた。貢さんは、

『今行きます、お濱さん。』と甲高かんだかな声で言つて、『晃あきら兄にいさん、お濱さんも僕と一緒に伴れてつて上げて頂戴ちやうだい。』

『馬鹿。よその人に其そんな事を言ふんぢや無いよ。』

兄の睨にらむのも見返みかへらずに、貢さんは蝋燭と庖丁とを持つて内陣ないぢんへ跳とぶ様に上あがつて行つた。

お濱さんは裏口うらぐちから廻つて、貢さんの居間ゐまの縁えんに腰を掛けて居た。眉の上うへで前髪を一文字に揃そろへて切下げた、雀鬢すゞめびんの桃割もヽわれに結つて、糸房いとぶさの附いた大きい簪かんざしを挿して居る。腫はれぼつたい一重瞼ひとへまぶたの、丸顔の愛くるしい娘だ。紫の租あらい縞しまの縒上布よりじやうふの袖の長い単衣ひとへを着て、緋の紋縮緬もんちりめんの絎帯くけおびを吉弥きちやに結んだのを、内陣ないぢんから下おりて来た貢さんは美うつくしいと思つた。洗晒あらひざらしの伊予絣いよがすりの単衣ひとへを着て、白い木綿の兵子帯を締めた貢さんは肩を並べて腰を掛けた。お濱さんは三つ年上としうへで十三に成るが、小学校は病気の為に遅おくれて同じ級きふだ。お濱さんの父は、もと越前の藩士で今は京都府の勧業課長を勤めて居る。

『お濱さん、僕、朝から行かうと思つてたけれど。』

『あたし待つててよ。しどいわ。』

『悪わるかつた。僕、留守番を云ひ附かつたの。』

『あたし、そんな事は知らないでせう。待つて待つて、泣いて、阿母さんに叱しかられたのよ。』

『泣くなんて、可笑しいなあ。』

『でも、貢さんが嘘うそをつくんですもの。』

『嘘うそをつくものか。僕は行きたかつたけれど。』

『あたし、先刻さつきから喚よんでたのに、あなた何処どこに入らしつたの。』

『さう、先刻さつきから喚んでたつて。僕、聞えなかつた。』

『お昼寝ひるねでせう。』

『昼寝なんか為しない。』

『お雲隠はゞかり。』

『晃あきら兄にいさんと話してたんだ。』

『晃あきら兄にいさんが入らつしやるの。』

『ふん。』

お濱さんは、一寸手で桃割を撫でて、頬を赤くしながら、

『貢さんは矢張やつぱり嘘うそを御吐おつき為さるのね。晃兄さんが入らつしやるのに、留守番だなんて。』

と云つた。貢さんは困こまつたらしく黙つて俯向うつむいた。此時前まへの桑畑の中に、白い絣かすりを着て走はしつて行く人影ひとかげがちらと見えた。

『あら、あたし、ちよいと用があつてよ。』

とお濱さんは云つて、不意に駆け出した。貢さんも急いで草履を穿はいて、お濱さんの跡を追つて行つた。二人が桑畑を抜けて街道へ出た時には、二町も先さきの路を、晃あきら兄にいさんが洋杖すてつきを手に夏帽を被つて、悠々ゆう〱と京の方へ出て行ゆくのであつた。

――(完)――

底本 / Source edition

底本:「新声」新声社
1909(明治42)年3月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にをあらためました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:武田秀男
校正:門田裕志
2003年1月24日作成
2012年1月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/002561_000320/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/002561_000320/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/002561_000320/

与謝野 寛「蓬生」(新字旧仮名)、底本『新声』新声社、1909年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002561_000320, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite