Soranoha

月二夜

つきふたよ

与謝野 晶子

新涼の季節に入つて良い月夜がつづく。月暦の上でこそ閏のために中秋は来月に延びてゐるが、実際の気候から云へば例年のやうに今が中秋の月夜の後である。月は昔から東洋人により多く喜ばれる。欧洲でも詩人は月を歌ふが、一般人は月よりも太陽を際立つて喜ぶ。それは欧洲の風土が支那や日本のやうに豊かに日光に恵まれることが少いからである。この意味で日本人は日光の恩恵に慣れて少し太陽を粗末にしてゐるとも思はれる。我国の古典文学に太陽讚美の秀れた文学が無いのも其のためであらう。この十五夜は私の住んでゐる郊外の里の秋祭であつた。良人に誘はれて散歩に出ると、武蔵野の月が黒い杉の森と森との間の稲田の上に昇つてゐた。小川の水が高く靡いた草の中に隠見して白く遠方へつづいてゐる。三四町歩いて引返すと、宅に大学生の田中悌六さんが来て待つてゐられた。窓に射す月がますます良い。良人が祭に催す村芝居を覗いて見ようと珍しく気まぐれを云ふので、二三年帝劇へもどの芝居へも行かない夫婦が、常に芝居と音楽会へ行き慣れてゐる田中さんと三人で出掛けた。村芝居と云ふが実は武蔵野劇団と云ふ名で近郊の秋祭を当て込んで興行して廻る最下級の役者の芝居である。空地によごれた幕が引廻され、浅葱地に役者の名を白く染め抜いた幟が三本立ち、シヤツにズボン下を著けた男が声も立てずに露つぽい中に立つて木戸番をしてゐる。私は躊躇したが良人が入らうといふので一人十五銭の木戸銭を払つた。客はまだ子供を交ぜて十四五人しか来てゐない。舞台にきたない引幕が下がつて、幕の後ろに唯だ一つ電灯が薄暗くついてゐる。花道の揚幕に一つ附ける電灯の工合が悪いのを今工夫が来て直してゐる。場内には荒莚が五十枚ほど敷かれ、其の継目から草が食み出し、其上の申訳ばかりに薄い布を張つた天井を透して月が望まれる。月はすべてを美化すると云ふが、さうでも無い。鼻の欠けた中年の女が立つてゐて一枚五銭の座蒲団を勧めるけれども客は頭を振つて莚へぢかに足坐をかくか、携へて来た新聞を敷いてゐる。田中さんが「四谷怪談などは却てかう云ふ陰気な小屋で演じたら似合ふでせう」と云はれる。良人が鼻の欠けた女に聞いた所では、役者は浅草の公園劇場と映画俳優との下廻りであると云ふ。また此の小屋は其女の主人が五日間百五十円で座元に貸してゐるので、毎晩の木戸銭から其女が小屋代を厳重に差引いて帰る。此の小屋は一夜に参百人以上の客がないと小屋代さへ払へない。それが昨晩は八十人しか入らなかつた。此分では座元は非常な損で、屹度役者衆は弁当代も貰へまいと云ふ。其中に三十人程の客が集つたのでやつと幕があいた。何と云ふ芸題か知らぬが大五郎と云ふ主人公の活躍する侠客物である。映画劇に由つた物と見えて筋が早く簡単に運んで行く。大五郎に扮する座頭の外は科白も科しぐさも間に合せである。科白の中に「お客様がただのお神楽ばかりを観て此処へは来ない」と云ふやうなあてこすりが交る。役者は案外真面目に演じてゐるが、著附も隈取も科白も総てが吹き出したくなる事ばかりである。二幕が終る頃に客は八十人程になつてゐた。併し私達のやうな市内からの移住者は一人もゐない。すべてが農民と土地の町人達とである。悲劇だけに泣いてゐる女達も少くない。私達だけ笑つてゐる事が済まないやうに思はれたので、後の幕を見ずに帰つた。外へ出ると明るい月光の下に人通も無く郊外の町がひつそりとしてゐる。役者達があれだけ働いて給銀の貰へないのを思ふと、この月光さへうら寒く感ぜられたが、併し猶芝居の馬鹿馬鹿しかつたことを思出して笑はずにゐられなかつた。

それから数日して、昨晩はたまたま面白い月見をした。高島屋から其店の秋の「百選会」の新しい織物を批評して欲しいと望まれたので、私達夫婦は和田英作、山下新太郎、新居格、梅原龍三郎、中川紀元、堀口大学の諸家と、向島の水神の八百松へ午後四時から集つたのであつた。店の支配人小瀬氏を初め店員達が持参して陳列された織物の代表的な新作を諸家と一所に批評し終つたのは夜の十一時半。筆を擱いて気が附くと月が高く昇つて川を照している。宵に見た船の行き交ひも絶えて、対岸は光を帯びた霧にぼかされてゐる。帰路のために準備された発動機の遊船が迎へに来たので「八百松」と朱で書いた大きな名物の提灯と主婦や仲居達に見送られて、裏口から其れに乗つた。「江戸とまでは遡らずとも正に明治廿五六年頃の情景である」と良人が云ふ。批評会でお饒舌しやべりした一行も、夜の更けた上に此の世間ばなれのした河上の月光の下で誰も皆おとなしい。数人の芸妓達も皆上品にしてゐる。昼と違つて濁つた水が見えず、両岸の建築物と川幅とがテエムスの河口を聯想させない事もない。言問橋を初め新しく架つた多くの鉄橋が、夜目に見て聞いて居た程醜い形でもない。紅黄青白の灯光の倒影も高い建築物と共に異国的である。画家や詩人ばかりであるだけ、芸術的な談話はヹニスや巴里に及んだ。誰も江戸情調の失はれて行く隅田川を嘆かなかつた。柳橋の亀清が屋根一ぱいに電灯装飾をしてゐるのも不自然でなく、月もまた是等の水の街に適して新しい情調を漂はせてゐる。唯だ隅田川はセエヌ川でないから、永代橋まで来て、今夜の落潮に船を繋いで上陸する階段の設備がないのに困つた。やつと中川さんが親しい料理店「都川」の裏の桟橋を見附けて其処から匐ひ上り、主婦の既に寝てゐたのを呼び起し、座敷の横の廊下を通り抜けて、皆が主婦に礼を述べながら門を出るのであつた。午前一時半に郊外の宅へ帰り著くと、木立と壁を照してゐる月は異国的な隅田川の其れでなくて、やはり田舎びた村芝居の月であつた。

底本 / Source edition

底本:「日本の名随筆58 月」作品社
1987(昭和62)年8月25日第1刷発行
底本の親本:「定本 與謝野晶子全集 第二〇巻」講談社
1981(昭和56)年4月
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2006年9月21日作成
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書誌 / Bibliography
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与謝野 晶子「月二夜」(新字旧仮名)、底本『日本の名随筆58 月』作品社、1987年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002548_000885, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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