Soranoha

映画と生理

えいがとせいり

寺田 寅彦

ある科学者で、勇猛に仕事をする精力家としてまた学界を圧迫する権威者として有名な人がある若いモダーンなお弟子でしに「映画なんか見ると頭が柔らかくなるからいかん」と言って訓戒したそうである。この「頭が柔らかくなる」というのはもちろん譬喩的ひゆてきの言葉であるには相違ないが、しかしその言った先生の意味が正確にどういう内容のものであったか、当人に聞いてみなければ結局ほんとうのことはわからない。ただその先生の平生の勉強ぶりから推して考えてみると、映画の享楽の影響から自然学問以外の人間的なことに興味を引かれるようになり、肝心の学問の研究に没頭するに必要な緊張状態が弛緩しかんすると困るということを、こういう独特な言葉で言い現わしたのではないかと思われる。

この訓戒はこの学者の平生懐抱するような人生哲学からすればきわめて当然な訓戒として受け取られるのであるが、これとは少しちがった種類の哲学の持ち主であるところの他の学者に言わせると、それと反対に「映画でも見ないと頭がかたくなっていけないから時々見るほうがいい」とも言われうるからおもしろいのである。

それはとにかく、自分の関係している某研究所で時々各員の研究の結果を発表するための講演会が開かれる。その会の開催前になるとやはりどうしても平生よりは仕事が忙しくなって何かとよけいに頭を使う。そうしていよいよ当日の講演会に出て講演したり討議したり、たとえ半日でもとにかく平生とは少しちがった緊張興奮の状態を持続したあとでは、全く「頭がかたくなった」といったような奇妙な心的状態に陥ってそれが容易には平常に復しないで困ることがある。今まで注意を集注していた研究事項の内容がひとかたまりになって頭の中にへばりついたようなぐあいになってそれがなかなか消散しない。用がすんだら弛緩しかんしてもいいはずの緊張が強直の状態になってそれが夜までも持続して安眠を妨げるようなことがおりおりある。このような神経の異常を治療するのにいちばん手軽な方法は、講演会場から車を飛ばしてどこかの常設映画館に入場することである。上映中の映画がどんな愚作であってもそれは問題でない、のみならずあるいはむしろ愚作であればあるほどその治療的効果が大きいような気もするのである。

ちょっと考えると、たださえ頭を使い過ぎて疲れている上に、さらにまた目を使い耳を使いよけいな精神的緊張を求めるのであるから、結果はきわめて有害でありそうにも思われるであろうが、事実は全くその反対で、一、二巻のフィルムを見ているうちに、今まで頭の中に固定観念のようにへばりついていた不思議なかたまりがいつのまにか朝日の前の霜柱のようにとけて流れて消えてしまう。休憩時間に廊下へ出て腰かけて煙草たばこでも吹かしていると、自然にのどかなあくびを催して来る、すると今までなんとなしにしゃちこばってぎこちないものに見えた全世界が急になごやかに快いものに感ぜられて来て、眼前を歩いている見知らぬ青年男女にもなんとない親しみを感じるようになるのがわれながら不思議なくらいである。

このような不思議な現象は自分の想像によると半ばは心理的であるが、また半ばは全く生理的のものではないかと思われる。と言うのは、たとえばこんな空想も起こし得られる。学問の研究に精神を集注しているときは大脳皮のある特定の部分に或ある特定の化学的変化が起こる、その変化が長時間持続するとある化学的物質の濃度に持続的な異常を生じて、それが脳神経中枢のどこかに特殊の刺激となって働く、そうして元の精神集注状態がやんだ後までも残存しているその特殊な刺激物質のために、それによる刺激作用が頑固がんこに残留しているのではないか。そこで映画を見て目と耳との感覚に注意を集注し、その映像と音響との複合から刺激された情緒的活動が開始されると、今度は脳神経中枢のどこか前とはちがった部分のちがった活動がスタートを切って、今までとはまた少しちがった場所にちがった化学作用が起こり始め、そうしてまた前とはちがった化学物質が生成されたり、ちがったイオン濃度の分配が設定されたりする。それが今までに残存していた前の学問的な精神集注による生成物に作用してそれを分解し、あるいは復元し、それによって残存していた固定観念のようなものを消散させるのではないか。

これは全くの素人しろうと考えの空想であるが、しかし現代の生化学ビオヘミーの進歩の趨勢すうせいには、あるいはこんな放恣ほうしな空想に対する誘惑を刺激するものがないでもないように思われるのである。

これとは話が変わるが、若い人にはとにかくとしても、もはや人生の下り坂を歩いているような老人にとっては、映画の観覧による情緒の活動が適当な刺激となり、それが生理的に反応して内分泌ホルモンの分泌のバランスに若干の影響を及ぼし、場合によってはいわゆる起死回生の薬と類似した効果を生ずることも可能ではないかという、はなはだ突飛な空想も起こし得られる。

内分泌の病的異常が情緒の動きに異常な影響を及ぼす一方で、外的な精神的の刺激が内分泌の均衡に異常を生じうることも知られているようである。映画の場合でも、官能の窓から入り込む生理的刺激が一度心理的に翻訳された後にさらにそれが生理的に反応する例も少なくないようである。最も卑近な例をあげると、スクリーンの上にコーヒーを飲む場面が映写されるのを見て急に自分もコーヒーが飲みたくなるような場合もあるであろう。

それとほぼ同じようなわけで、もはや青春の活気の源泉の枯渇しかけた老年者が、映画の銀幕の上に活動する花やかに若やいだキュテーラの島の歓楽の夢や、フォーヌの午後の甘美な幻を鑑賞することによって、若干生理的に若返るということも決して不可能ではないように思われる。ことに、年じゅう研究室の奥にくすぶって人間離れのした仕事ばかりしているような人間にはそうした効果が存外に著しいかもしれないと思われる。昔の人間でも貝原益軒かいばらえきけんや講談師の話の引き合いに出る松浦老侯まつうらろうこうのごときはこれと同じ種類に属する若返り法を研究し実行したらしいようであるが、それらの方法は今日一般にはどうも実用的でない。これに反してここで言うところの「映画による若返り法」はきわめて実用的に安直であり、しかもなんらの副作用や後害を及ぼす危険がないようである。

兵隊の尿の中から、回春の霊薬が析出されるそうであるが、映画で勇ましい軍隊の行進や戦闘の光景を見たり、またオリンピック選手やボクサーの活躍を、見たりしているといじけた年寄り気分がどこかへ吹っ飛んでしまってたとえ一時でも若返った気分になることはたしかである。それが単に主観的な気分だけではなくて、生理的客観的にも若返る証拠と思われるのは、そういう映画を見たあとで鏡に映った自分の顔をながめて見るとひどく若々しく見えることが多い。少なくも半日研究室で仕事に没頭したあとで鏡の中に現われる自分の顔に比べるとまるで別人かと思われるように顔の色もつやもよく、顔全体の表情が明るく若やいで見えるのである。これは自分でそう感じるだけでなく、人が見てもそう見えるそうであるから実際客観的生理的に若干の差違があることには間違いないと思われる。

しかし、自分の場合にそうであるとしても、すべての老人にそうであるかどうかそれはもちろんわからない。それで、多くの人の実例について確かめない以上、以上の所説はなんら科学的の価値をもたない空想に過ぎないのであるが、しかし「映画の生理的効果」という一つのテーマを示唆する暗示ぐらいにはなるかもしれないのである。

もしも自分の以上の空想が多少でもほんとうに近いとすると、若い青年男女に対する映画の生理的効果を研究するのは将来内務省か文部省かのどこかの局ないしは課で取り扱うべきだいじな仕事の一つになるかもしれないのである。

(昭和十年八月、セルパン)

底本 / Source edition

底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年11月20日第1刷発行
1963(昭和38)年6月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年9月5日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:多羅尾伴内
2003年5月18日作成
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書誌 / Bibliography
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寺田 寅彦「映画と生理」(新字新仮名)、底本『寺田寅彦随筆集 第五巻』岩波文庫、岩波書店、1948年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002496_000042, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite