一

<ruby><rb>芭蕉</rb><rt>ばしょう</rt></ruby>の「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」はあまりに有名で今さら評注を加える余地もないであろうが、やはりいくら味わっても味わい尽くせない句であると思う。これは芭蕉の<ruby><rb>一生涯</rb><rt>いっしょうがい</rt></ruby>の総決算でありレジュメであると同時にまたすべての人間の一生涯のたそがれにおける感慨でなければならない。それはとにかく、自分の子供の時分のことである。義兄に当たる<ruby><rb>春田居士</rb><rt>しゅんでんこじ</rt></ruby>が夕涼みの縁台で<ruby><rb>晩酌</rb><rt>ばんしゃく</rt></ruby>に親しみながらおおぜいの子供らを相手にいろいろの笑談をして聞かせるのを楽しみとしていた。その笑談の一つの材料として芭蕉のこの辞世の句が選ばれたことを思い出す。それが「旅に病んで」ではなくて「旅で死んで」というエディションになっていた。それを、首を左右にふりながら少し舌の滑動の怪しくなった口調で繰り返し繰り返し詠嘆する。その様子がおかしいので子供はみんな笑いこけたものである。しかし今になって考えてみると、かなり<ruby><rb>数奇</rb><rt>すうき</rt></ruby>の生涯を体験した政客であり同時に南画家であり漢詩人であった義兄春田居士がこの芭蕉の句を酔いに乗じて詠嘆していたのはあながちに子供らを笑わせるだけの目的ではなかったであろうという気もするのである。そうしてそれを聞いて笑いこけていた当時子供の自分の頭にもこの句のこの変わったエディションが何かしら深い印象を刻んだということも今になって始めて自覚されるようである。

二

「落ちざまに<ruby><rb>虻</rb><rt>あぶ</rt></ruby>を伏せたる<ruby><rb>椿</rb><rt>つばき</rt></ruby>かな」漱石先生の句である。今から三十余年の昔自分の高等学校学生時代に<ruby><rb>熊本</rb><rt>くまもと</rt></ruby>から帰省の途次<ruby><rb>門司</rb><rt>もじ</rt></ruby>の宿屋である友人と一晩寝ないで語り明かしたときにこの句についてだいぶいろいろ論じ合ったことを記憶している。どんな事を論じたかは覚えていない。ところがこの二三年前、偶然な機会から椿の花が落ちるときにたとえそれが落ち始める時にはうつ向きに落ち始めても空中で回転して仰向きになろうとするような傾向があるらしいことに気がついて、多少これについて観察しまた実験をした結果、やはり実際にそういう傾向のあることを確かめることができた。それで木が高いほどうつ向きに落ちた花よりも仰向きに落ちた花の数の比率が大きいという結果になるのである。しかし低い木だとうつ向きに枝を離れた花は空中で回転する間がないのでそのままにうつ向きに落ちつくのが通例である。この空中反転作用は花冠の特有な形態による空気の抵抗のはたらき方、花の重心の位置、花の慣性能率等によって決定されることはもちろんである。それでもし虻が花の<ruby><rb>蕊</rb><rt>しん</rt></ruby>の上にしがみついてそのままに落下すると、虫のために全体の重心がいくらか移動しその結果はいくらかでも上記の反転作用を減ずるようになるであろうと想像される。すなわち虻を伏せやすくなるのである。こんなことは右の句の鑑賞にはたいした関係はないことであろうが、自分はこういう<ruby><rb>瑣末</rb><rt>さまつ</rt></ruby>な物理学的の考察をすることによってこの句の表現する自然現象の現実性が強められ、その印象が濃厚になり、従ってその詩の美しさが高まるような気がするのである。

三

漱石先生の<ruby><rb>熊本時代</rb><rt>くまもとじだい</rt></ruby>のことである。ある日先生の宅で当時高等学校生徒であった自分と先生と二人だけで戯れに<ruby><rb>十分十句</rb><rt>じっぷんじっく</rt></ruby>というものを試みたことがあった。ずいぶん奇抜な句が飛び出して愉快であったが、そのときの先生の句に「つまずくや富士を向こうに<ruby><rb>蕎麦</rb><rt>そば</rt></ruby>の花」というのがあったことを思い出す。いかにも十分十句のスピードの余勢を示した句で当時も笑ったが今思い出してもおかしくおもしろい。しかしこんな句にもどこか先生の頭の働き方の特徴を示すようなものがあるのである。たぶんやはりその時の句に、「<ruby><rb>槖駝</rb><rt>たくだ</rt></ruby>呼んでつくばい<ruby><rb>据</rb><rt>す</rt></ruby>えぬ梅の花」というのがあった。その「たくだ」がむつかしくてわからず、また<ruby><rb>田舎者</rb><rt>いなかもの</rt></ruby>の自分にはその「つくばい」がなんだかわからなくて聞いたのであった。また別なときに「<ruby><rb>筋違</rb><rt>すじかい</rt></ruby>に<ruby><rb>葱</rb><rt>ねぎ</rt></ruby>を切るなり都ぶり」という句を君はどう思うと聞かれたときも句の意味がわからなかった。説明を聞かされて事がらはわかったがどこがいいのか了解できなかったので、それは月並みじゃありませんかと悪口を言ったものであった。今考えてみるとやはりなかなか巧妙な句であると思う。

四

俳句がいわゆる「不易」なものの一断面「流行」の一つの相を表現したものである以上、人の句を鑑賞する場合における評価が作者と鑑賞者との郷土や年齢やの<ruby><rb>函数</rb><rt>かんすう</rt></ruby>で与えられるのは当然であろう。これは何も俳句に限ったことでもないと思われる。「おとろえや歯に食いあてし<ruby><rb>海苔</rb><rt>のり</rt></ruby>の砂」などという句でも若いころにはさっぱり興味がなくてむしろいやみを感じたくらいであったのが、自分でだんだん年を取ってみるとやはりそのむしろ科学的な真実性に引きつけられ深く心を動かされるようである。明治の昔ホトトギスの若い元気な連中が<ruby><rb>鳴雪翁</rb><rt>めいせつおう</rt></ruby>をつかまえてよくいじめた時代があったのを思い出すのである。

（昭和九年一月、東炎）