Soranoha

沓掛より

くつかけより

寺田 寅彦

一 草をのぞく

浅間火山あさまかざんのすそ野にある高原の一隅いちぐうに、はなはだ謙遜けんそんなHという温泉場がある。ふとした機縁からそこでこの夏のうちの二週間を過ごした。

避暑という、だれもする年中行事をかつてしたことのなかった自分には、この二週日の間に接した高原の夏の自然界は実に珍しいものばかりであった。その中でもこの地方のやや高山がかった植物界は、南国の海べに近く生おい立った自分にはみんな目新しいもののように思われるのであった。子供の時分に少しばかり植物の採集のまね事をして、腊葉さくようのようなものを数十葉こしらえてみたりしたことはあったが、その後は特別に山野の植物界に立ち入った観察の目を向けるような機会もなくて年を経て来た。最近にある友人の趣味に少しかぶれて植物界への注意が復活しかけたのと、もう一つには自分の目下の研究の領域が偶然に植物生理学の領域と接触し始めたために、この好機会を利用して少しばかりこの方面の観察をしようと思ったので、まず第一の参考として牧野まきの氏著「植物図鑑」を携帯して行って、少しずつ、草花の名前でも覚えようと企てた。

毎朝五時には目がさめる。子供や女中などはまだ寝ている間に、宿の後ろの丘の細道や、付近の渓流けいりゅうのほとりを歩いて何かしら二三種の草の花を抜いて来る。そうして露台のデッキチェアーに仰向けになって植物図鑑をゆるゆる点検しながら今採って来た品種のアイデンチフィケーションに取りかかる。やっと一つぐらい見つかるころには、朝食の用意ができた、と窓の内から声がかかるのである。

図鑑を見ただけで、なんらの疑点もなく明確にこれだと決定できる場合は存外少ない。ほとんど同じではあるが、どうも少しちがうようだ、という場合がはなはだ多い。書物の記載も、見取り図も至極簡単であるからやむを得ない。

そういう場合における品種鑑別の正確度に関する疑いをいっそう強められるようになったのは、非常によく似ていて、しかも少しずつちがうというような草の種類が非常に多いという事実に気がついたからである。たとえば「いぬごま」とか「かわみどり」とかいうものの兄弟従兄弟いとこといったようなものだけでも、いったいどのくらいあるかちょっと見当がつかないくらいである。このへんにたくさんあってだれにもいちばんに目につく「ししうど」と称するものでも、みんながはたして同じものかどうか子細に見ていると疑わしくなって来る。

もう一つ気がついておもしろいと思ったことは、何か一つの植物があるときっとその近所にそれとよく似た別の植物が見つかるということである。たとえば「松虫草」と「なべな」、「ほたるぶくろ」と「つりがねにんじん」といったようなものである。そういう類縁関係をたどって行くと、はじめは全く似たところがないと思っていたものが、だんだんに少しずつ似たところを暴露して来るのである。これと同じようなことが、どうも、人間の相貌そうぼうなどについても、言われるような気がするのである。

「類をもって集まる」ということわざは植物にも当てはまるようである。しかし、それは、植物が意識して集まって来るのではなくて、同じ環境がおのずから同種の生命を養う、と言ったほうがもっともらしいように思われるのである。

そうかと思うとたとえば、紫紅色の「つりふね草」は湿潤な水辺に多いが、これとよく似て黄色い「黄つりふね草」は、少なくもこの地では、丘の上や山腹に多いように見える。

植物の果実のことだけを詳しく取り扱ったいわゆるカルポロジーの本を読んだときに、乾燥すると子房がはじけて種子をはじき飛ばすものの特例の一つとして Impatiens noli-tangere というものが引き合いに出ていた。インパチェンスは鳳仙花ほうせんかの類の一般的な名前らしいが、ともかくも「かんしゃく」である。ノリ・タンゲレは「さわられるのがいや」である。どんな植物だか知りたいと思いながら、ついついそのままになっていた。ところが、ここへ来てある朝「黄つりふね草」を見つけて、図鑑と引き合わせてみると、なんと、これがすなわち紛れもない「かんしゃく持ちのさわるな草」であったのである。そこでさっそくその有名な実を捜したが一つも見当たらない。時候がちがうのか、それとも実が実として存在する期間が短く、実がなるや否や爆裂して木こっ葉ぱみじんになるためなのか、どうか、よく確かめようと思っているうちに帰京の期が迫って果たさなかった。ただこの見ぬ恋の「かんしゃく草」にめぐり会い、その花だけでもつかまえ得たことに人知れぬ喜びを感じている次第である。

「あの草は、どれでもみんな二枚ずつ葉が紅葉している」と言って子供が注意したのを調べてみると、それは「たかとうだい」という植物であった。よく見ると必ずしも二枚とは限らないが、しかし数十の柳のような葉の二枚だけ紅葉しているのが多いということだけは事実であった。そうしてその二枚が必ずしも茎の上端とか下端でなく、中途の高さにあるのは全く不可思議である。そうしていっそうおもしろいのはこの草の花である。地上からまっすぐに三尺ぐらいの高さに延び立ったただ一本の茎の回りに、柳のような葉が輪生し、その頂上に、奇妙な、いっこう花らしくない花が群生している。肉眼で見る代わりに低度の虫めがねでのぞいて見ると、中央に褐色かっしょくを帯びた猪口ちょくのようなものが見える。それがどうもおしべらしい。その杯状のものの横腹から横向きに、すなわち茎と直角の方向に飛び出している浅緑色の袋のようなものがおしべの子房であるらしく、その一端に柱頭らしいものが見える。たいていの花では子房が花の中央に君臨しているものと思っていたのに、この植物ではおしべが中軸にのさばっていてめしべのほうが片わきに寄生したようにくっついているのである。ところが、また別の茎を取って点検してみると、花が盛りを過ぎてすでに受胎を終わったと思われるのがある。そういうのだと、結実した子房はちゃんと花の中心に起き直って、今まで水平の方向を向いていた柱頭が垂直に天上をさしている。すなわち直角だけ回転している。そうして、おしべはと見るとどこへ行ったかわからない。よく見ると子房の基底部にまっ黒くひからびた虫の糞ふんのようなものがある。それが役目を果たしたおしべの残骸ざんがいらしく思われる。それが、はち切れそうに肥大した子房の尻しりに敷かれて哀れをとどめているのである。

種の保存の任務を果たす前は雄が中央にのさばって雌を片わきに押しよせている。それが、役目がすむと直ちに枯死してしまった、あとは、次の世代を胎はらんだ雌のひとり天下になると見える。蜜蜂みつばちやかまきりの雄の運命ともよく似たところがあるのである。蜜蜂の雄虫は生殖の役目を果たすと同時に空中から石のごとく墜おちて死ぬ。かまきりの雄は雌に食われてその栄養になる。こういう現象の共通性はどうも偶然とは思われない。種族の保存上必要な天然の経済理法によるものかもしれない。人間の場合にこの理法がどういうふうに適用されるものか、それはわからない。しかし、妻子を食わせるために犠牲になって枯死する人間の多いことだけは事実である。しかし、結局人間でも昆虫こんちゅうでも植物でも、そうして死ぬることによって自分の生命を未来に延長させているのである。

ヴェランダの上にのせた花瓶かびん代用の小甕こがめに「ぎぼし」の花を生けておいた。そのそばで新聞を読んでいると大きな虻あぶが一匹飛んで来てこの花の中へもぐり込む。そのときに始めて気のついたことは、この花のおしべが釣つり針ばりのように彎曲わんきょくしてその葯やくを花の奥のほうに向けていること、それからめしべの柱頭はおしべよりも長く外方に飛び出してしかもやはり同じように曲がっているということである。それで、虻が蜜汁みつじゅうをあさってしまって、後ろ向きにはい出そうとするときに、虻の尻しりがちょうどおしべの束の内向きに曲がった先端の彎曲部わんきょくぶに引っかかり、従って存分に花粉をべたべたと押しつけられる。しかし弱い弾性しか持たぬおしべは虻の努力に押しのけられて、虻の尻がその囲みを破って、少し外方に進出するとそこにちゃんとめしべの柱頭が待ち構えていたかのように控えているのである。そんな重大な役目を他人のために勤めたとは夢にも知らない虻は、ただ自分の刻下の生活の営みに汲々きゅうきゅうとして、また次の花を求めては移って行くのである。自然界ではこのように、利己がすなわち利他であるようにうまく仕組まれた天の配剤、自然の均衡といったようなものの例が非常に多いようである。よく考えてみると人間の場合でも、各自が完全に自己を保存するように努力さえしていれば結局はすべての他のものの保存に有利であるという場合がかなり多いような気がする。人を苦しめ泣かせる行為は結局自分をいじめ殺す行為であるような気もするのである。

この数日間の植物界見物は実におもしろかった。もっともこんなことは、植物学者、あるいは学者とまでは行かずとも、多少植物通の人にとっては、あまりにも平凡な周知の事実であるかもしれないが、始めて知ったまるの素人しろうとには実に無限の驚異と、従って起こる無数の疑問を提供するものである。

こうして秋草の世界をちょっとのぞくだけでも、このわれわれの身辺の世界は、退屈するにはあまりに多くの驚異すべく歓喜すべき生命の現象を蔵しているようである。

今でも浅間の火口へ身を投げる人は絶えないそうである。そういう人たちが、もし途上の一輪の草花を採って子細にその花冠の中に隠された生命の驚異を玩味がんみするだけの心の余裕があったら、おそらく彼らはその場から踵くびすを返して再び人の世に帰って来るのではないかという気もするのである。

二 盆踊りとあひる

二度目に沓掛くつかけへ来たのが八月十三日である。ひと月前の七月十三日の夜には哲学者のA君と偶然に銀座の草市を歩いて植物標本としての蒲がまの穂や紅花殻べにばながらを買ったりしたが、信州しんしゅうでは八月の今がひと月おくれの盂蘭盆うらぼんで、今夜から十七日まで毎晩この温泉宿の前の広場で盆踊りがあるという。

盆踊りといえば生来ただ一度、それも明治三十四五年ごろ、土佐とさのあるさびしい浜べの村で一晩泊まった偶然の機会に思いがけない見物をしただけで、それ以後にはついぞ二度とは見たことがなかった。そのころにはこういうものは、「西洋人に見られると恥ずかしい野蛮の遺習」だというふうに考えられて、公然とはできないことになっていたように記憶する。それでも、都会離れたこの浦里などでは、暗いさびしい貴船神社きふねじんじゃの森影で、この何百年前の祖先から土の底まで根をおろした年中行事がひそやかに行なわれていた。なんの罪もない日本民族の魂が警察の目を避けて過去の亡霊のように踊っていたのである。それがこのごろでは、国民思想涵養かんようの一端というのであろうか、警察の許可を得て、いつのまにか復旧されて来たように見えるのである。

H温泉旅館の前庭の丸い芝生しばふの植え込みをめぐって電燈入りの地口行燈じぐちあんどんがともり、それを取り巻いて踊りの輪がめぐるのである。まだ宵よいのうちは帳場の蓄音機が人寄せの佐渡さどおけさを繰り返していると、ぽつぽつ付近の丘の上から別荘の人たちが見物に出かけて来る。はじめは小さな女の子など、それに帳場の若い人たちが加わって踊っているうちに、だんだんにおとなも加わって、いつとなしに踊りの輪が丸くつながる。そうしているうちに潮のさして来るように次第に興が乗り、次第次第に気合いがかかって来るのが、見ていてもおもしろいものである。

おかっぱに洋装の女の子もあれば、ズボンにワイシャツ、それに下駄げたばきの帳場の若い男もある。それが浴衣ゆかたがけの頬ほおかぶりの浴客や、宿の女中たちの間に交じって踊っている不思議な光景は、自分たちのもっている昔からの盆踊りというものの概念にかなりな修正を加えさせる。それに蓄音機のとる音頭の伴奏の中には、どうも西洋楽器らしいものの音色が交じっているらしい。これも盆踊りの進化の一つの相である。そうして日本現代の一つの象徴でもある。

蓄音機がぱたりとやむと、踊り子たちの手持ちぶさたを紛らすためにだれかが歌いだす。それに合わせて皆が踊り始めると途中で突然また蓄音機の音が飛び込んで来る。所かまわず歌の途中からやにわに飛び込んで来るので踊り手はちょっと狼狽ろうばいしてまた初手からやり直しになる。すると、拡声器の調節が悪いためか、歌がちょうど咽喉のどにでも引っかかるようにひっかかってぷつりぷつりと中断する。みんなが笑いだす。そういうことを何度も繰り返していた。

十五日の晩は雨でお流れになるかと思ったらみんな本館の大広間へ上がって夜ふけるまで踊り続けていた。蓄音器の代わりに宿の女中の一人が歌っているということであった。人間のほうが器械の声よりもどんなに美しいか到底比較にならないのであるが、しかしいわゆる現代人にはこの雑音だらけの拡声器の音でないと現代の気分が出ないというのであろう。夜のふけるに従って歌の表情が次第に生き生きした色彩を帯びて来た。手拍子の音が気持ちよくそろって来るのは妙なものである。

十七日は最終の晩だというので、宵よいのうちは宿の池のほとりで仕掛け花火があったりした。別荘の令嬢たちも踊り出て中には振袖姿ふりそですがたの雛様ひなさまのようなのもあった。見物人もおおぜい集まって来た。中には遠くから自動車で見に来る人もあるらしかった。

年の行かない令嬢が振袖に織物の帯を胸高にしめて踊るのがなんと言ってもこういう民族的の踊りにはふさわしく美しく見えたが、洋装のお嬢さんたちのはどうも表情体操でも見るようで、おかしくはないが全くなんの情味もないものに思われた。それからまた、浴衣ゆかたに頬ほおかぶりの男はいいが、その頬かぶりの中からロイドめがねの光っているのも不思議な見ものである。いちばん板について見えるのはやはりふだん着のままで踊る宿の女中や村嬢たちの姿であろう。

踊りの興がたけなわな最中を、全く無関心で静かに眠っている小さな生命があった。それは宿の前の池のあひるである。この前に来たときは橋より下流の大きい池にばかり泳いでいたのが、その後に一度下の池で花火を上げてから以来上の池へ移って、それきり、どうしても、橋一つ隔てた下の池へは行かなくなったそうである。そうして、一日じゅうの大部分は藤棚ふじだなの下の浅瀬で眠ったり泥どろの中をせせったりして暮らしている。夜になると下流の発電所への水の供給が増すせいであろう、池の水位が目に立つほど減って、浅瀬が露出した干潟ひがたになる。盆踊りを見ての帰りに池面のやみをすかして見るとこの干潟の上に寂寞じゃくまくとうずくまっていることもあり、何かしら落ち着かぬように首を動かしていることもあった。

このあひるが自身たちの室へやの前の道路に上がっているときに、パンやまんじゅうの皮の切れはしを投げてやると、はじめはこわそうに様子をうかがってはその餌えさをさらって急いで逃げ出す、そうして首を左右に曲げて人間なら横目づかいといったような格好で人間の顔色を見ながら、次のをくれるかどうかと待っているように見える。毎日やっているうちに次第に慣れて来た。朝早く起きてヴェランダへ出て見ると、もうちゃんと上がり口の階段の前へ来て待っている。人を見ると低い声でガーガーガーと三声か四声ぐらい鳴く。有り合わせの餌を一片二片とだんだん近くへ投げてやると、おしまいには、もう手に持っているカステイラなどをくちばしで引ったくって頬張ほおばる事を覚えてしまった。いくら食わせてもなかなかこの貪食どんしょくな小動物を満足させることはむつかしいように見える。それでいいかげんに切り上げて池の中へ追い込んでやると、またいつもの藤棚ふじだなの下へ帰って行って、そうしてきっと水を飲む。それが実にさもうまそうに、ひと口しゃくっては首をゆすり上げ、舌鼓を打って味わっているように見えるのである。そうして浅瀬のせせらぎに腹を洗わせながら、じっとして動かないでいる姿は実に美しいものである。あひるが陸おかへ上がってよちよち歩くときの格好は、およそ醜い歩行の姿の典型として引き合いに出るくらいであるが、こうしてその固有のおるべき環境にいるときの自然の姿はこのようにも美しく典雅なものである。固有でない環境に置かれれば錦繍きんしゅうでもきたなく、あるべき所にあれば糞堆ふんたいもまた詩趣があるようなものであろう。今の日本では毛色の変わったいろいろの環境と物とが入り乱れて、何が固有であるか見当がつかない状態にあることは、ちょうどここの盆踊りのようなものである。これが時の精錬器械にかかって渾然こんぜんとした一つの固有文化を形成するまでには何百年待たなければならないことか見当もつかない次第である。おそらくいつまでもそうならないところに日本文化の特徴があるかもしれない。

あひるは四五日の間に目に見えて肥ふとったようである。そうして一日のうちには何度となくヴェランダの前へ来て、ガーガーと来意を告げるのである。今に秋風が音ずれて、われわれのみならず、このへんの人たちがみんな引き上げて帰ってしまったあとでも、このあひるはやはりだれもいない明き家のヴェランダの前へ来て、首を左右にかしげて、小さな丸い目でのぞき込みながらガーガーと鳴いているであろうと想像するのはちょっとおかしくもあればあわれでもある。

驟雨しゅううが襲って来るとあひるは肩をそびやかしたような格好をしてその胸にくちばしをうずめたまま、いつまでもじっとしている。雨の落下の流れに対してあひるに可能な最小な断面を向けるような格好をしている。科学も何も知らないあひるは、本能に教えられて最も合理的な行動をすると見える。人間はどうかすると未熟な科学の付け焼き刃の価値を過信して、時々鳥獣に笑われそうな間違いをして得意になったり、生兵法の大けがをしてもまだ悟らない。科学はまだまだ、というよりはむしろ永久に自然から教えを受けなければならないはずである。科学の目的といえばもともと自然から学ぶということよりほかには何物もないはずであるのに、いつのまにかこの事を忘れ思い上がった末には、あべこべに人間が自然を教えでもするもののような錯覚を起こす。これもおもしろい現象である。こういう思い違いをすることも、しかし何かやはり人間に必要なことであるかもしれない。こういう自負心のおかげで科学が進歩し社会も進展するのかもしれない。

池にはめだかとみずすましがすんでいる。水中のめだかの群れは、頭上の水面をみずすましが駆け回っても平気で泳いでいる。この二つの動物の利害の世界は互いに交差しないと見える。しかし、めだかは人影が近づくと驚いてぱっと一度にもぐり込む。これに反してみずすましのほうは、人間を見ただけでは平気である。つかまえようとするとついと逃げる。めだかのほうは数千年来人間におどかされて来たが、みずすましのほうは昔から人間に無視されて来たせいではないかと思われる。

蚊ぐらいの大きさのみずすましの子供が百匹以上も群れていたのが、わずか数日の間にもうみんな一人前のみずすましになった。

めだかもみずすましも群居を好むものらしい。めだかやみずすましの世界にもやはり盆踊りがあるものと見える。

あひるがただ一羽とはあまりにさびしいと思っていたが、宿の人に聞いてみると、はじめは二羽いたそのうちの一羽が別荘の黒犬に食われたのだそうである。そのかわりに今雛鳥ひなどりを二羽、宿の裏手の鶏小屋とりごやの片すみの檻おりに養っている。それを時おり池へ連れて来ては遊泳の練習をさせている。もう少し大きくなったら放養するのだという。みずすましとちがってあひるの成長はなかなか骨が折れるのである。

うちの子供らがあひるを慣らしているのを見て、今まではいっこうにあひるに対する興味がないか、あるいは追い回す以外の可能性を考えなかった近所の子供たちも、とんぼをつかまえて来たりあき鑵かんにいっぱいいなごを取ってはあひるに食わせることを覚えて来た。

ある日大きな芋虫が路上をはっているのを、子供らが見つけて池の中へ投げ込んだら、あひるは始めのうちは見るには見ても、それが食物になるという事に気がつかないのか、いっこう無頓着むとんちゃくなように見えたが、しばらくしてから気がついてついばんではみたものの、長さ二寸ほどな大芋虫であるから咽喉のどにつかえて容易に飲み込めない。それでも結局はどうにかして嚥下えんかしてしまった。

この数日の間にあひるの生活にはずいぶん大きな変化があったが、しかしその変化が結局あひるのために有利であるかどうかはわからない。われわれ人間はただ自分たちの享楽と満足のために、かわいがるつもりで知らず知らずあひるに不自然な生活を強制している。しかし、こうして人間に慣れ過ぎて水を離れた陸上をうろついていると、いつかはまたどこかの飼い犬か以前の黒犬かが来て一口にかみ殺すようなことになるかもしれない。そういう機会を多くするようにわれわれ人間が仕組んでいるのではないかという疑いも起こって来る。やはり陸おかへ上がっているあひるは蹴飛けとばしなぐりつけて池の中へ追い込んでやるのが正当であるかもしれない。人間の子供でも時々いじめ苦しめ、かついだりだましたりするのがかえって現実の世の中に生きて行く道を授けることにならないとも限らないのである。飲んだくれの父の子に麒麟児きりんじが生おい立ち、人格者のむすこにのらくらができあがるのも、あるいはこのへんの消息を物語るのかもしれない。

盆踊りなども、青年男女を浮世の風にあてるという意味で学校などというものより以上に人間の教育に必要な生きた教育機関であるかもしれないのである。

(昭和八年十月、中央公論)

底本 / Source edition

底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年5月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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寺田 寅彦「沓掛より」(新字新仮名)、底本『寺田寅彦随筆集 第四巻』岩波文庫、岩波書店、1948年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002488_000042, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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