緒言

前年雨のために失敗した<ruby><rb>白峰</rb><rt>しらね</rt></ruby>山登りを、再びするために、今年（四十一年）は七月下旬<ruby><rb>高頭式</rb><rt>たかとうしょく</rt></ruby>、田村政七両氏と共に<ruby><rb>鰍沢</rb><rt>かじかざわ</rt></ruby>へ入った、宿屋は粉屋であった、夕飯の終るころ、向い合った室から、一人の青年が入って来た、私たちが、先刻から<ruby><rb>頻</rb><rt>しきり</rt></ruby>に白峰、白峰と話すのを聞いて、もしやそれかと思って、宿帳で、姓名を見てそれと知った、というので同行を申し込まれたのである、大阪高等工業学校の生徒、倉橋藤次郎氏である、一人でも同行者を増した心強さは、言うまでもない。

翌朝例の通り、人夫を<ruby><rb>僦</rb><rt>やと</rt></ruby>って、西山峠を越えた、妙法寺の裏から、去年とは違った道――北海とも、<ruby><rb>柳川</rb><rt>やかわ</rt></ruby>通りともいうそうだ――を登った、そうしてデッチョウの茶屋の前で、去年の登り道と一ツに合った。

このたびは霧がなかった、紫の花咲くクカイ草、蘭に似た黄色の花を垂れるミヤマオダマキが、肉皮脱落して白く立っている<ruby><rb>樅</rb><rt>もみ</rt></ruby>の木を、遠く見て、路傍にしなやかに<ruby><rb>俯向</rb><rt>うつむ</rt></ruby>いている、熊笹が路には多い。

四方の切れた谷を隔てて、近くに古生層の源氏山を見る、去年は、どうしてこの山が、気が<ruby><rb>注</rb><rt>つ</rt></ruby>かなかったろうと思う。

峠が上り下りして、森らしくなる、<ruby><rb>杜鵑</rb><rt>ほととぎす</rt></ruby>がしきりに啼く、湯治の客が、運んだ<ruby><rb>飜</rb><rt>こ</rt></ruby>ぼれ種子からであろうが、<ruby><rb>栂</rb><rt>つが</rt></ruby>の大木の下に、菜の花が、いじけながらも、黄色に二株ばかり咲いていた、時は七月末、二千<ruby><rb>米突</rb><rt>メートル</rt></ruby>の峠、針葉樹林の蔭で！

苔一面の幹を見せて、森の樹の蔭には、蘭が生え、シシウド、白山<ruby><rb>女郎花</rb><rt>おみなえし</rt></ruby>、衣笠草などが見える、しかし存外、平凡な峠だ、樹も思ったより小さいし、谷は至って浅い、去年の霧の中に<ruby><rb>炙</rb><rt>あぶ</rt></ruby>り出されたものは、梢一本さえ、どこに深く秘されたのだろう、夢から<ruby><rb>醒</rb><rt>さ</rt></ruby>めたようだ、これじゃあ、森林などというほどではなかった、霧の嘘つき！　と嘲った。

温泉はやはり、新湯に泊まった、去年（四十年）秋、笹子峠のトンネルを崩壊し、<ruby><rb>石和</rb><rt>いさわ</rt></ruby>の町を白沙の<ruby><rb>巷</rb><rt>ちまた</rt></ruby>に化して、多くの人死を生じさせた洪水は、この山奥に入ると、いかばかりひどく荒れたかということが解る。温泉附近の路が<ruby><rb>酷</rb><rt>ひど</rt></ruby>くくずれている、宿の前で<ruby><rb>嗽</rb><rt>うが</rt></ruby>いをした<ruby><rb>筧</rb><rt>かけひ</rt></ruby>の水などは、埋没してしまっている。

例の晃平を主として、四人の猟師を雇って出発した。

早川から<ruby><rb>黒河内</rb><rt>くろこうち</rt></ruby>、<ruby><rb>榛</rb><rt>はん</rt></ruby>の河原、それから<ruby><rb>白剥</rb><rt>しらはぎ</rt></ruby>山と、前年の路を<ruby><rb>辿</rb><rt>たど</rt></ruby>ったときに、洪水からの荒廃は一層甚だしかった、まるで変っている、川筋はもとより、山腹の道などは、<ruby><rb>捩</rb><rt>ね</rt></ruby>じり切って、棄てたように谷に落ちている、大村晃平、同富基、中村宗義などいう、土地で名うての猟師を連れたのだが、どのくらい路を損したり、無益に上下したかは解らぬ。

白剥山の入口などは、解らなくて、森の中を一行が、離れ離れに迷うばかり、<ruby><rb>滝上</rb><rt>たきのぼ</rt></ruby>りまでもやった、一時は絶望に近かった、しかし山腹に辿りついてからは、去年の路が、<ruby><rb>微</rb><rt>かす</rt></ruby>かに見分けが出来た、頂は存外変りがなかった。

そうして一行は東俣谷の、オリットの<ruby><rb>小舎</rb><rt>こや</rt></ruby>に着いた、私が恐い、怖ろしい<ruby><rb>念</rb><rt>おも</rt></ruby>いをしながらも、もう一遍後髪を引かれて見たいとおもった小舎の前の<ruby><rb>深潭</rb><rt>しんたん</rt></ruby>は、浅瀬に変って、水の色も、いやに白っちゃけてしまった。

ここを出立点として、改めて稿を次ぐ。

川楊（大井川の上流）

前夜は、東俣の谷へ下りて、去年と同じくオリットの小舎に野宿をした。

今朝は、四時半に眼がさめる。<ruby><rb>禽</rb><rt>とり</rt></ruby>の、朗かに<ruby><rb>囀</rb><rt>さえ</rt></ruby>ずる声は、峰から峰へと火がつくようである。寝泊りした小舎の頭の、白花の咲く、ノリウツギの間からも起る。サルオガセの垂れる針葉樹の間からも、同じように起る。この声の行くところ、水と、石と、樹と、調子を合せて、谷間の客を揺り起す。<ruby><rb>間</rb><rt>あい</rt></ruby>の<ruby><rb>岳</rb><rt>たけ</rt></ruby>（赤石山脈）の支峰だと晃平のいう<ruby><rb>蝙蝠</rb><rt>こうもり</rt></ruby>岳は、西の空に<ruby><rb>聳</rb><rt>そび</rt></ruby>えて、朝起きの頭へ、ずしりと重石を圧えつける。

小舎の前の渓水に<ruby><rb>嗽</rb><rt>くちすす</rt></ruby>ぐ。水は、南へと流れる。当面の小山を隔てて、<ruby><rb>向</rb><rt>むかい</rt></ruby>は、西俣の谷になる。私たちの、これから<ruby><rb>溯</rb><rt>さかのぼ</rt></ruby>ろうという、東俣の谷と、西俣の谷とは、下流三里のところで一つになり、初めて田代川――馬子唄で名の高い、海道一の大井川の上流――となって、西南の方向へと、強い傾斜を走って行くのである。

晃平は、前の川へ<ruby><rb>釣綸</rb><rt>つりいと</rt></ruby>を垂れて、<ruby><rb>岩魚</rb><rt>いわな</rt></ruby>一尾を得た。これをぼつぼつ切にして、<ruby><rb>麩</rb><rt>ふ</rt></ruby>と一緒に、味噌汁にして、朝飯を済す。それから、昼弁当の<ruby><rb>結飯</rb><rt>むすび</rt></ruby>をこしらえ、火に<ruby><rb>翳</rb><rt>かざ</rt></ruby>して、うす焦げにして置いて、小舎の傍から<ruby><rb>挘</rb><rt>むし</rt></ruby>って来た、一柄五葉の矢車草の濶葉に一つずつ包む。何という寛濶な衣であろう、それをまた……おそらく、谷初まって以来であろう、燃えるような、紫の風呂敷に包ませて、出かける。

谷といっても、<ruby><rb>旱</rb><rt>ひでり</rt></ruby>つづきの時は、水が<ruby><rb>涸</rb><rt>か</rt></ruby>れて、洲が<ruby><rb>露</rb><rt>あらわ</rt></ruby>れるし、冬になれば、半分ほども水が落ちるというのに、今までの雨つづきで、水は、<ruby><rb>嵩</rb><rt>かさ</rt></ruby>にかかって、<ruby><rb>蜥蜴</rb><rt>とかげ</rt></ruby>色に光りながら、<ruby><rb>迅</rb><rt>はや</rt></ruby>り切って流れている。<ruby><rb>膚</rb><rt>きめ</rt></ruby>の<ruby><rb>細</rb><rt>こまか</rt></ruby>い、<ruby><rb>黄</rb><rt>きいろ</rt></ruby>い石や、黒い石の上を<ruby><rb>辷</rb><rt>すべ</rt></ruby>ると、思いなしか、沈んだ、冴えた声をして、ついと通る。この谷を一回、大きい徒渉をやる、つづいて二回の小徒渉をやる。深いところは、稀に膝以上まで水が来るが、頭の平ったい、太鼓の胴のような大岩や、頭だけ、<ruby><rb>微</rb><rt>かすか</rt></ruby>に水面に露している石が、入り乱れて立ったり、座ったりしているから、大概は、石伝いで飛ばされる。そうして、水はこれらの石の間を潜り、上を辷って<ruby><rb>蜿</rb><rt>う</rt></ruby>ねる。細い<ruby><rb>皺</rb><rt>しわ</rt></ruby>が網を打ったようにひろがる。さざ波は綱の目のように、水面に織られる。その大網の尖端は、<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>のように太く揺れて、アール・ヌーボー式の図案に見るような、印象の強い輪廓を作って、幾筋となく繋がっては、<ruby><rb>環</rb><rt>わ</rt></ruby>を作る。やがて柔らかな大曲りをして消える。<ruby><rb>痕</rb><rt>あと</rt></ruby>を残さない、濃さと淡さの碧が、谷から舞い上る霧のほむらに、ぬらりと光る。さわると、<ruby><rb>鱗</rb><rt>うろこ</rt></ruby>でも生えていそうな水だ。いかにも足が冷たい。膝がざぶりと入った……その中に、尻まで深くなる。ここを「<ruby><rb>捩</rb><rt>ね</rt></ruby>じれ<ruby><rb>窪</rb><rt>くぼ</rt></ruby>」というそうだ。霧は、頻に、頭の上を飛ぶ。空気も、その重さに堪えないで、雨を、パラパラ落して来る。

次第に、谷が<ruby><rb>蹙</rb><rt>せま</rt></ruby>って来る、水は、大石の下に渦を巻く。深いところは紫を浅いところは藍を流している。白い<ruby><rb>沫</rb><rt>あわ</rt></ruby>が、その上を回転して、両崖の森林を振りかえりながら、何か、<ruby><rb>禍</rb><rt>わざわい</rt></ruby>の身に迫るのを、一刻も早く<ruby><rb>遁</rb><rt>に</rt></ruby>げたいというように、後から後から、押し合って、飛んで行く。潭石の下には、<ruby><rb>大</rb><rt>おおき</rt></ruby>さ針の如くなる魚が、全身、透き通るように、青く染って、ぴったりと、水底に沈んでいる。水の面には、生の動揺といった<ruby><rb>象</rb><rt>かたち</rt></ruby>が見えている中に、これはまた青嵐も吹かば吹け、<ruby><rb>碧瑠璃</rb><rt>あおるり</rt></ruby>のさざれ石の間に<ruby><rb>介</rb><rt>はさ</rt></ruby>まって、<ruby><rb>黙</rb><rt>だ</rt></ruby>んまりとした<ruby><rb>死の静粛</rb><rt>デッド・カアムネス</rt></ruby>！　それでいて、眠っているのではない、どこか冴え切って、鋭く物に迫るところがある。<ruby><rb>鰭</rb><rt>ひれ</rt></ruby>一つ動かすときは、おそらく、水紋が一つ描かれ、<ruby><rb>水楊</rb><rt>みずやなぎ</rt></ruby>の葉が一枚散り、谷の中には大入道のような雲がぬうっと立ち昇って、私たちを包んで、白くしてしまうときであろう。私は、この深谷の幾千本針の針葉樹よりも、はた幾<ruby><rb>万斛</rb><rt>ばんこく</rt></ruby>の水よりも、一寸の魚が、谷の感情を支配していないとは言えなかった。

<ruby><rb>潭</rb><rt>ふち</rt></ruby>が深くて、<ruby><rb>渉</rb><rt>わた</rt></ruby>れないから、崖に<ruby><rb>攣</rb><rt>よ</rt></ruby>じ上る。矢車草、車百合、ドウダンなどが、<ruby><rb>栂</rb><rt>つが</rt></ruby>や白樺の、<ruby><rb>疎</rb><rt>まば</rt></ruby>らな木立の下に、もやもやと茂っている。川床に突出する森の下蔭は、湿りっ気が、最も多いかして、蘇苔が、<ruby><rb>奇麗</rb><rt>きれい</rt></ruby>に<ruby><rb>布</rb><rt>し</rt></ruby>かれている。気紛れに、そこへ根を<ruby><rb>卸</rb><rt>おろ</rt></ruby>したような五葉松は、仰向けに川の方へ身を反らして、水と<ruby><rb>頷</rb><rt>うな</rt></ruby>ずき合って、何か合図をしている。崖下の<ruby><rb>黯</rb><rt>くろ</rt></ruby>い水も、何か<ruby><rb>喚</rb><rt>わめ</rt></ruby>きながら、高股になって、石を<ruby><rb>跨</rb><rt>また</rt></ruby>ぎ、抜き足して駈けている。崖の端には、車百合の赤い花が、ひときわ明るく目立つ。この花を、山家の少女の衣模様に染めたらば、などと思いながら、森を出て、河原に下り、太い<ruby><rb>逞</rb><rt>たくま</rt></ruby>しい樹の蔭に立った。

仰向いて見ると、その樹は、川楊である。<ruby><rb>章魚</rb><rt>たこ</rt></ruby>の足のような根を、川砂の上に露していながらも、倒れずにいる。シバヤナギ、タチヤナギ、いろいろな名があろう、幹の皮は、皺だらけで、永年洗い落したことのない垢……青苔が、厚くこびり<ruby><rb>粘</rb><rt>つ</rt></ruby>いている。夜になると、この筋の根に、一本一本神経が入って大手を振って、のさり、のさり、谷の中を歩きそうだ。川に<ruby><rb>沿</rb><rt>つ</rt></ruby>いて、両側に森がある。森には、<ruby><rb>樅</rb><rt>もみ</rt></ruby>や樺の類が茂っている。しかし、川の中まで足を踏み入れて、人間を嗅ぎ出して、突き倒し兼ねないのは、この川楊ばかりだ。何となく、いやな樹だ。

谷のことだから、水を横に切っては、右側へ移ったり、左側へ寄ったりする、私の前には、猟師が、鍋や米袋をしょって行く。腰に<ruby><rb>括</rb><rt>くく</rt></ruby>ってある紫の風呂敷が、揺れると、強烈な色彩の<ruby><rb>波動</rb><rt>バイブレーション</rt></ruby>が、流水の震動と一つになって、寂しい谷が、ぱっとなる。

と、眼の前に、ふわりと、雪の粉が落ちる……七月末の炎天である……直ぐ、水に吸い込まれて消える……また、頬を<ruby><rb>掠</rb><rt>かす</rt></ruby>めて、ふわりと飛ぶ。信濃の浅間山、飛騨の硫黄岳、遠くの火山から、吹きなぐれた灰でもあろうか……空は曇り切って、どんよりと、眠むそうな顔をしている。何だろう、今のはと、眼と眼を見合せる。<ruby><rb>鶺鴒</rb><rt>せきれい</rt></ruby>が、もの忘れから気が<ruby><rb>注</rb><rt>つ</rt></ruby>いたといった風に、石の上から、ついと飛ぶ。

ふと、頭の上を見ると、谷に冠さるようにのさばって、古い、大きな、先刻のと同類の楊の梢が一本ぶらりと垂れている。その梢に、一面のほうけた<ruby><rb>絮</rb><rt>わた</rt></ruby>が、風もないのに、氷でも解けるように、はらり、はらりと、落ち散るのであった。

その後、春になって、街道に青く<ruby><rb>角芽</rb><rt>つのめ</rt></ruby>ぐむ柳の糸を見るたびに、大井川上流の深谷に秘められて、黙々と、皺だらけな、深刻な顔を、水に覗かせている老楊が……ああ、今もなお、鮮やかに眼に。

前夜の小舎から半里ばかりの間は、水もかなり深くて色も鮮やかである。水成岩の峡間を流れるだけあって、どこか、赤石山下の、小渋川に似ている。小渋川よりも、川幅が狭くて、谷地が、かえって<ruby><rb>濶</rb><rt>ひろ</rt></ruby>いだけに、徒渉の回数は少い、深山の渓流としては、先ず安楽な方で、小渋川や、槍ヶ岳の<ruby><rb>蒲田</rb><rt>がまた</rt></ruby>谷などとは、深さと、急と、<ruby><rb>嶮</rb><rt>けわ</rt></ruby>しさとにおいて、到底、比べられない。

なお半里も来て、<ruby><rb>下氷瀬</rb><rt>しもひせ</rt></ruby>というところになると、枯木と、石の欠片の沙漠地で、水は、細く、片寄せられて、流れている。川は、やがて、左に折れて、農鳥山支脈の峡間に入って、<ruby><rb>益</rb><rt>ますま</rt></ruby>す狭く、石が次第に多い。うしろを振りかえると、そそり立つ山――森林で埋まる山にふさがれて、川は、全く、両山迫れる間の、凹流になってしまう。蝙蝠岳から来る瀬が一筋、ここで合う。これを<ruby><rb>上氷瀬</rb><rt>かみひせ</rt></ruby>という、バロメートルを見ると、実に海抜二千三百<ruby><rb>米突</rb><rt>メートル</rt></ruby>、あまり高過ぎるから多分狂っているのであろう。

深潭が、また一つある。川は、底を傾けて、水を震うので、森の中まで、<ruby><rb>吹雨</rb><rt>しぶき</rt></ruby>が迷い込んで、満山の樹梢を<ruby><rb>湿</rb><rt>うるお</rt></ruby>す。白樺や五葉松は、制裁もなければ、保護もなく、<ruby><rb>永</rb><rt>とこし</rt></ruby>えに静粛に、そして厳格に、造化の大法を、寸分容赦なく行ってゆくように、この自然の王国から、定まれる寿命を召されて、根こそぎに、谷の中にたわいなく倒れている。<ruby><rb>床几</rb><rt>しょうぎ</rt></ruby>代りにまた腰をかけて、少し休む。河原の砂に、点々として、爪痕のあるのは、水を飲みに下りた、鹿の足痕であると、猟師はいう。同行の高頭君は、退屈紛れに、杖を沙上に<ruby><rb>揮</rb><rt>ふる</rt></ruby>って、それを模写していた。自然は欺かれず、人間の智能は、鹿の足痕一つをだに描き得なかった。

昨夜は、この旅行で、初めての野宿で、睡眠不足であったためか、私は眠くなった。風は峡間にどこからともなく<ruby><rb>漲</rb><rt>みなぎ</rt></ruby>って来て、樹々の葉は、<ruby><rb>婆娑婆娑</rb><rt>ばさばさ</rt></ruby>と<ruby><rb>衣摺</rb><rt>きぬず</rt></ruby>れのような音を立てる。峡谷の水分を含んだ冷たい吐息が、<ruby><rb>頬</rb><rt>ほお</rt></ruby>や<ruby><rb>腮</rb><rt>あご</rt></ruby>にかかる。川の水が子守歌のように、高くなり、低くなって、私たちの足音を消して、後から追い冠せて来るときには、一行はまた、森の中の人となっていた。森の中には<ruby><rb>款冬</rb><rt>ふき</rt></ruby>の濶葉が傘のように高い。ドウダンツツジの葉と、背向きになって、<ruby><rb>翠</rb><rt>あお</rt></ruby>い地紙に、<ruby><rb>赭</rb><rt>あか</rt></ruby>っちゃけた<ruby><rb>斑</rb><rt>ふ</rt></ruby>が交ったようだ、何枚も、何枚も、描き捨てられた<ruby><rb>反古</rb><rt>ほご</rt></ruby>のような落葉が、下に腐って、半ば黒土に化けている。

また河原へ出た。もう時刻だから、紫の風呂敷を開ける。矢車草の葉包が<ruby><rb>釈</rb><rt>と</rt></ruby>かれて、昼のものが腹に入った。空は、もう泣き出しそうになって、日の眼を見ないから、手が<ruby><rb>凍</rb><rt>こご</rt></ruby>える。<ruby><rb>焚火</rb><rt>たきび</rt></ruby>に暖まっていると、きょうは、七月の二十三日だのに、という声が、一行の中から洩れた。

それから、幾度も川の水を避けて、森に入ったり、河床へ下りたりする。森の枯木は、白く尖って、路を塞いでいるので、猟師は、先登に立って、<ruby><rb>鉈</rb><rt>なた</rt></ruby>で切っ払う。太い、逞ましい喬木でも、<ruby><rb>心</rb><rt>しん</rt></ruby>が朽ちているから、うっかり<ruby><rb>捉</rb><rt>つかま</rt></ruby>ると枝が折れて、コイワカガミや、ミヤマカタバミの草の<ruby><rb>褥</rb><rt>しとね</rt></ruby>へ<ruby><rb>俯</rb><rt>のめ</rt></ruby>ったりする。また、幹には苔が蒸して、皮は土より柔く、ぼろぼろに腐っているから、生あるものの肌のようで、ぬらりと滑り、ぐちゃりと触れて、いやな気持がする。

谷は、<ruby><rb>益</rb><rt>ますま</rt></ruby>す迫って来る。手を伸し合う針葉樹は、<ruby><rb>格子縞</rb><rt>こうしじま</rt></ruby>を、虚空に組み合せている。その間を潜って、霧の波が、さっと寄せると、百年の古樹は、胴から上を、蝕ばまれるように、姿を持って行かれる。樹の下は、皆石である。石の上に、根を托さぬ樹は少い。その石も、樹も、皆、水の威力に牽引されているようで、<ruby><rb>濶々</rb><rt>ひろびろ</rt></ruby>とした河原に、一筋水が走っている。この水のみが、活物の緑を<ruby><rb>潜</rb><rt>ひそ</rt></ruby>めているかと思われる。およそ、山の中の氷の下から、数珠を<ruby><rb>手繰</rb><rt>たぐ</rt></ruby>るように落ちて来る、峡間の水ほど力の強い、自由の手も少いであろう。そうして、未だ、深秘の故郷にいるかのように、足踏して<ruby><rb>跳</rb><rt>おど</rt></ruby>り狂っている。根曲り竹も、楊の根も、樅の肌も、はた長くしな<ruby><rb>垂</rb><rt>だ</rt></ruby>れるサルオガセも、その<ruby><rb>柔嫩</rb><rt>じゅうなん</rt></ruby>の手に、一旦は、撫でられぬものはない。華麗と歓楽とを夢みるように、この雪白く、氷堅き北方の閉鎖から解かれて、南方の<ruby><rb>奢侈</rb><rt>しゃし</rt></ruby>を、立ち姿や、寝像にまで現して、昼となく、夜となく、おそらく、千年も万年も、不断の進みをつづけているのだ。ああ、本洲の比類のない水成岩山、その高きこと、一万尺、古生層地の峡間を流れる水！　この氷の解放に伴って、いくばくの犠牲を、要求されているかは、河原の荒涼粛殺を見たまえ。<ruby><rb>性</rb><rt>しょう</rt></ruby>なきまでに白げられたる、木の骨――というより外に、与える名がない――と、砂に埋まれた楕円石や、稜角の鋭いヒイラギ石やは、丁度、人間の屍骸が、<ruby><rb>木乃伊</rb><rt>ミイラ</rt></ruby>となって、<ruby><rb>木偶</rb><rt>でく</rt></ruby>か陶製の人物か、区別が見えないと同じように、原性を失って、唯一自然の平等相に復帰している。そのいたましい最後の均一！

私たちは、互に、言語もなく、眼と眼とを見合せて、すさまじい荒廃の姿に<ruby><rb>顫</rb><rt>ふる</rt></ruby>えた。

<ruby><rb>森谷沢</rb><rt>もりやさわ</rt></ruby>という一筋の小川が、左から流れて、落ちるところあたりから、谷というよりも、沢の方へ近くなり、両側の山の頭が低くなって、天が俄に高くなった。これらの山を踏まえて、<ruby><rb>農鳥</rb><rt>のうとり</rt></ruby>山の支峰、<ruby><rb>白河内</rb><rt>しろこうち</rt></ruby>岳が、頭を出す。名にし負う白峰、赤石、両大山脈が、東西に翼をひろげて、長大の壁をたてめぐらし、互に<ruby><rb>咫尺</rb><rt>しせき</rt></ruby>する間に、溝のように凹まった峡谷は、重々しい鉛色の空であるから、まだ一時半というのに、黄昏のように、うす暗い。前夜の小舎よりは、二里の余も来たろう。

とうとう大雨が降って来た。私たちは、森の下蔭に身を潜めて、小止みを待っている。雨嫌いな私は、<ruby><rb>鰍沢</rb><rt>かじかざわ</rt></ruby>で、万一の用心にと、買って置いた饅頭笠を冠り、<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>の結び方で苦心をしているうちに、意地の悪い雨は、ひとまず切り上げてしまって、下界を覗く空の<ruby><rb>瞳</rb><rt>ひとみ</rt></ruby>がいまいましいまでに冷たい。また、二回の徒渉をして、<ruby><rb>広河内</rb><rt>ひろこうち</rt></ruby>へと達した。

私は、このような狭苦しい谷の中で、このような広濶な地を見られようとは思わなかった。広河内のあるところは、東俣の谷の奥の、殆んど行き止りで、白峰山脈と、赤石山脈の間が、<ruby><rb>蹙</rb><rt>せばま</rt></ruby>って並行する間の、<ruby><rb>小</rb><rt>ちいさ</rt></ruby>い<ruby><rb>盆地</rb><rt>ベースン</rt></ruby>である。丁度、白峰山脈からいえば、農鳥山の支峰の下で、河原から、赤石山脈の<ruby><rb>間</rb><rt>あい</rt></ruby>の<ruby><rb>岳</rb><rt>たけ</rt></ruby>とは、<ruby><rb>真面</rb><rt>まとも</rt></ruby>に向き合っている。両山脈の相対する間隔は、直径約一里もあろうか、間の岳の頂までは、この河原から一里半で達せられる。岳の裾から河原へは、灰色の<ruby><rb>沙</rb><rt>すな</rt></ruby>が、幾町の長さの大崩れに押し出している。全く洪水よりも怖しい沙の汎濫である。絶頂から山越しに向へ一里半も下りると、中股というへ出られる。なお一里で、小西股の材木小舎に出て、そこから八里ばかりで、この旅行の発足点とした、湯島温泉へ下られるということであったから、もし天候が嶮悪で、白峰山脈縦断が、<ruby><rb>覚束</rb><rt>おぼつか</rt></ruby>なかったら、その路を取って、引き返すはずにして、きょうは天候も悪いし、これから農鳥山に登る間に、適当の露宿地がないというので、まだ早いが一泊することにした。猟師は楓の細木を<ruby><rb>伐</rb><rt>き</rt></ruby>り<ruby><rb>朴</rb><rt>たお</rt></ruby>し、枝葉を払わないままで、柱を立て、私たちの用意して来た、二畳敷ほどな油紙二枚を、人字形に懸けて、家根を作る。それから、樅や、栂の小枝を、<ruby><rb>鉈</rb><rt>なた</rt></ruby>で、さくりさくり伐り落して、鮮やかな、光沢のある、脂の香気が、鋭敏に鼻感を刺戟する、青葉の床を延べる。ふっくりと柔く、尻の落ちつきがいい。同行八人の寝室も、食堂も、ここで兼ねるのである。早速、焚火にかかって、徒渉に濡れた<ruby><rb>脚絆</rb><rt>きゃはん</rt></ruby>を乾すやら、大鍋を<ruby><rb>吊</rb><rt>つる</rt></ruby>して湯を沸かしたりする。

広河内の土地のありさまは、中央日本アルプスの聖境、上高地の中、<ruby><rb>島々</rb><rt>しましま</rt></ruby>方面から<ruby><rb>徳本</rb><rt>とくごう</rt></ruby>峠を下り切った地点に、よく似ている。大沢が、濶く、峡間に延びて、峡流の分岐したのが、幾筋となく<ruby><rb>蜿</rb><rt>う</rt></ruby>ねり、枯木が、踏み砕かれた、肋骨のようになって、何本も仆れている。水に漂流したまま、置いて行かれたのであろう。そうして、<ruby><rb>山榛</rb><rt>やまはん</rt></ruby>の木、<ruby><rb>沢胡桃</rb><rt>さわくるみ</rt></ruby>などが、<ruby><rb>悄然</rb><rt>しょうぜん</rt></ruby>と、荒れ沢の中に散在している。栂、樅、<ruby><rb>唐檜</rb><rt>とうひ</rt></ruby>、白樺などは、山の<ruby><rb>崕</rb><rt>がけ</rt></ruby>に多く、水辺には、川楊や、土俗、水ドロの木などが、<ruby><rb>疎</rb><rt>まばら</rt></ruby>に、翠の髪を<ruby><rb>梳</rb><rt>くしけず</rt></ruby>っている。七月の炎天も、この谷間までは迫って来ないと見えて、白剥山を一つ超えて、東俣の谷へ来ると、未だ若葉、青葉の新緑が、生々しかったが、ここまで溯ると、濶葉、細葉は、透明を含んだ、黄の<ruby><rb>克</rb><rt>か</rt></ruby>った、明るみのある<ruby><rb>嫩</rb><rt>わか</rt></ruby>い緑で、霧の<ruby><rb>雫</rb><rt>しずく</rt></ruby>にプラチナのように光った裏葉を翻えしている。峰には未だ、<ruby><rb>残</rb><rt>のこん</rt></ruby>の雪がかっきりと、白く浮き上って見えるほどである。一体に、谷は、四月の末か、五月頃の柔々しい呼吸で充ちていて、大きな声を出すのすら、いたいたしいようだ。しかし、駒鳥の<ruby><rb>錘</rb><rt>もり</rt></ruby>を投げるような鋭い声は、沈滞がちな、中層の空気を引っ掻き廻している。

飯の準備をしているうちに、<ruby><rb>驟雨</rb><rt>しゅうう</rt></ruby>が一としきりあって、雷鳴が近くに聞えたが、夜に入って、星が瞬いた……かと思うと、淡い、軽い霧が、銀河のように空に懸る。焚火の烟は、油紙の屋根の継ぎ目から洩れて、白い柱が立っては崩れ、風に折れて地を<ruby><rb>這</rb><rt>は</rt></ruby>いながら、谷中を転げてゆく。火が、ぴしぴし、音を立てて、盛に燃え出すと、樺の立木の葉が、鮮やかに、油紙の屋根に印して、劃然とした印画が<ruby><rb>炙</rb><rt>あぶ</rt></ruby>り出される。晃平が、先刻、未だ日の暮れないうち、朝飯の菜にとて、<ruby><rb>山款冬</rb><rt>やまふき</rt></ruby>数十茎を折って来たのを、みんなして、退屈<ruby><rb>凌</rb><rt>しの</rt></ruby>ぎに、<ruby><rb>繊維</rb><rt>すじ</rt></ruby>を抜いては、鍋へ投げ入れる。世間話がはずむ……夜半になると、焚火は、とろとろと消えかかる。寒気の強いのと、明日の天候が気になるので、眼がよく覚める。

露営地の外では、細長い<ruby><rb>爬行</rb><rt>はこう</rt></ruby>動物――この谷の主――東俣の川――が、<ruby><rb>蜿</rb><rt>う</rt></ruby>ねりながら太古の森林の、腐れ香に<ruby><rb>噎</rb><rt>むせ</rt></ruby>んで、どこまで這って行くことであろう。

白花石楠花と高根薔薇（白峰山脈の一角に立つ記）

ゆうべは、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まんじり</span>ともしなかった、油紙の天井を洩れる空に、星が<ruby><rb>閃</rb><rt>ひら</rt></ruby>めいていれば、明日の<ruby><rb>好霽</rb><rt>こうせい</rt></ruby>を<ruby><rb>卜</rb><rt>ぼく</rt></ruby>されるので、<ruby><rb>仰</rb><rt>おが</rt></ruby>むようにして悦ぶ、その次に<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>くと、星どころではない、漆黒の空である、人の心も泣き出しそうになる、しかし暁天までには、焚火のとろとろ火に<ruby><rb>伴</rb><rt>つ</rt></ruby>れて、穴へでも落ちたようにグッスリと寝込んでしまった、眼が覚めると鳥の声がする、谷間に「ひんから」「ひんから」と響きわたる、それが年久しく谷川の底に沈んでいる、透き通った、白い冷たい、磁器の魂が啼くのでもあるようだ。

起きて見ると、霧が<ruby><rb>団</rb><rt>まろ</rt></ruby>くなり、筋になり、樹の間から立つ、森からも、谷底からも、ふわりと昇る、例の<ruby><rb>山款冬</rb><rt>やまふき</rt></ruby>の茎を、醤油と鰹節とで煮しめて、<ruby><rb>菜</rb><rt>さい</rt></ruby>にする、苦味のない款冬である、それから昨夕の残飯に、味噌をブチ込んで「おじや」を<ruby><rb>拵</rb><rt>こしら</rt></ruby>えて<ruby><rb>啜</rb><rt>すす</rt></ruby>る、昼飯の<ruby><rb>結飯</rb><rt>むすび</rt></ruby>は、焚火に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あてて</span><ruby><rb>山牛蒡</rb><rt>やまごぼう</rt></ruby>の濶葉で包む、晃平の言うところによると、西山の村では、この牛蒡の葉を、餅や団子に<ruby><rb>捏</rb><rt>こ</rt></ruby>ね入れて、草餅を作るそうだ、<ruby><rb>蓬</rb><rt>よもぎ</rt></ruby>のように色が好くはないが、味は<ruby><rb>宜</rb><rt>よ</rt></ruby>いと。

一夜作りの屋根――樅の青枝を解き<ruby><rb>施</rb><rt>ほぐ</rt></ruby>して、焚火に<ruby><rb>燻</rb><rt>く</rt></ruby>ゆらしてしまう、どんなに山が荒れても、この谷底まで退かない決心である、脂の臭いのする烟は、シュウシュウと<ruby><rb>呻</rb><rt>うな</rt></ruby>りながら霧に交わって<ruby><rb>颺</rb><rt>あが</rt></ruby>ってゆく。

川に<ruby><rb>沿</rb><rt>つ</rt></ruby>いて、一、二丁も溯り、<ruby><rb>正東</rb><rt>まひがし</rt></ruby>の沢へと入る、石の谷というよりも、不規則に、石を積み<ruby><rb>累</rb><rt>かさ</rt></ruby>ねた<ruby><rb>階段</rb><rt>ステージ</rt></ruby>である、石からは水が声を立てて落ちている、石の窪みには澄んだ水が<ruby><rb>湛</rb><rt>たた</rt></ruby>えている、その上に、楢の葉が一枚、引き<ruby><rb>扯</rb><rt>ちぎ</rt></ruby>って捨てた紙片のように、浮いている、自然という無尽蔵は、何物をも、こうして惜しげなく、捨てるのだ、これからの深林もそれだ。

石の谷の中途から、路を奪って針葉樹林に入る、唐檜や栂やの純林である、樹は大きくはないが、ひょろひょろ痩せて丈が高い、そうして油気の失せた老人のように、はしゃいだ膚をして、立っている、十五、六年前に、一度伐採したことがあるのだそうで、その痕跡の<ruby><rb>仆木</rb><rt>ふぼく</rt></ruby>が、縦横に算を乱している、そうして腐った木に、<ruby><rb>羊歯</rb><rt>しだ</rt></ruby>だの、蘇苔が生ぬるく<ruby><rb>粘</rb><rt>こ</rt></ruby>びついて、唐草模様の厚い<ruby><rb>毛氈</rb><rt>もうせん</rt></ruby>を、円く<ruby><rb>被</rb><rt>かぶ</rt></ruby>せてある、踏む足はふっくらとして、踵が柔かく吸い込まれる、上へ上へと高くなるのであるが、段々暗い地の底へ吸い込まれるようだ。

向って<ruby><rb>蝙蝠</rb><rt>こうもり</rt></ruby>岳の残雪が、銀光りに輝いて、その傍に三角測量標が、空を突いて立っている、<ruby><rb>間</rb><rt>あい</rt></ruby>の<ruby><rb>岳</rb><rt>たけ</rt></ruby>（赤石山脈）は森に隠れて見えない、冷い風が、暗い穴からでも来るように、ひいやりと吹く、鳥はひんから、ひんからと、朗らかに囀ずる、登るに随って、蝙蝠岳はほぼ<ruby><rb>正西</rb><rt>まにし</rt></ruby>に、間の岳は北西に、いずれも残雪白く、光輝を帯ぶ。

稀に痩せた白樺が交って来た、傾斜は二十五度位であろう、幸いなことには、岩が少なくて、黒く滑らかな土ばかりだから、足の<ruby><rb>躓</rb><rt>つまず</rt></ruby>くおそれがない、<ruby><rb>白檜</rb><rt>しらべ</rt></ruby>も現われて来た、痩せ細って、痛々しい、どこを見ても、しッとりした、濡れたような、温味がない、日は天に<ruby><rb>冲</rb><rt>ちゅう</rt></ruby>して、頭の直上に来ているが、深林のために強烈な光線が、梢に遮られ、反抗されて、土まで落ちて来ない、峡谷の底は見えないが、サルオガセを長く垂らした針葉樹が、梢と梢とを抱き合い、すくすく<ruby><rb>躍</rb><rt>おど</rt></ruby>って、私たちに向って来る、その茂りの下から、水の声が、ザーッと、雨でも流すように、峰を伝わって追いかけて来る、間の岳と蝙蝠岳とは、いつしか峰つづきになって、蝙蝠岳の残雪は、下で仰いだような、一条や二条ではない、数斑の白が、結晶したように劃然と碧空を抜き、鮮やかに、眉に迫って来る。

今朝の小舎からは、もう一里余も来たであろう、深林の中に踏み<ruby><rb>均</rb><rt>な</rt></ruby>らした小径がある、晃平は「こりゃ鹿の路だあ」と言って、目もくれずに先へ立って登る、<ruby><rb>禿木</rb><rt>はげき</rt></ruby>の枯れ切った残骸が、<ruby><rb>蒼玄</rb><rt>あおぐろ</rt></ruby>い針葉樹林の間に、ほの白く見える、死んでも往生が出来ないという立ち姿だ、霧がフーッと襲って来て、樹々の間を二めぐり三<ruby><rb>巡</rb><rt>め</rt></ruby>ぐりして、白檜の梢に、分れ<ruby><rb>岐</rb><rt>わか</rt></ruby>れになり、ひそひそと<ruby><rb>囁</rb><rt>ささや</rt></ruby>き合いながら、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">こっち</span>を振り返って、消えてしまう、間の岳と蝙蝠岳の峰々の繋がりは、<ruby><rb>偃松</rb><rt>はいまつ</rt></ruby>であろう、<ruby><rb>黯緑</rb><rt>あんりょく</rt></ruby>の植物で、<ruby><rb>繍</rb><rt>ぬ</rt></ruby>ってあって、所々に白雪の団々が見える、この赤石山脈の大嶺は、始終私たちを<ruby><rb>瞰下</rb><rt>みおろ</rt></ruby>して、方幾里の空中を、支配する怖ろしい王さまででもあるように、蜿蜒と深谷を屏風立に<ruby><rb>截</rb><rt>た</rt></ruby>ち切っている、そうして肩から雲を吐く、雲は梢に支えられて、離れ離れではあるが、私たちの頭へと、<ruby><rb>徐</rb><rt>おもむ</rt></ruby>ろに集まって来るらしい、鳥はひんから、ひんからと啼く。

傾斜が次第に急になる、白檜も段々小さくなる、谷々の風が吹き<ruby><rb>荒</rb><rt>すさ</rt></ruby>んで、土をくずし、樹を吹き折り、上から押し流すので、傾斜がなお急になるのであろう、また一筋の路が深林の中を横ぎっている、何でも<ruby><rb>奈良田</rb><rt>ならだ</rt></ruby>の人が、材木を盗伐するために、拓いたので、この道は<ruby><rb>広河内</rb><rt>ひろこうち</rt></ruby>から一里半の上、池の沢というところから初まって、奈良田から四里もあるという、<ruby><rb>白河内</rb><rt>しろこうち</rt></ruby>の谷まで切ってあると、晃平は語った、唐檜の伐り痕の、比較的新しいのは、それかも知れない、彼らは盗伐して、板に<ruby><rb>挽</rb><rt>ひ</rt></ruby>いて、曲げ物のように組んで、里へ出すのである、林務官などが殺されたりするのも、こういう路で、不意に盗伐者に<ruby><rb>邂逅</rb><rt>かいこう</rt></ruby>するときである、野獣のような盗伐者は、思慮分別もなく、<ruby><rb>牙</rb><rt>きば</rt></ruby>を<ruby><rb>咬</rb><rt>か</rt></ruby>んで躍りかかり、惨殺して後を<ruby><rb>晦</rb><rt>くら</rt></ruby>ましてしまうのである。

白檜の丈も、四、五尺になった、山の頂は直ぐ額の上にあるかして、水分を含んだ冷たい空が、俄にひろくなる、樹影に白い花が、チラリと見えた、誰が叫ぶとなく、<ruby><rb>石楠花</rb><rt>しゃくなげ</rt></ruby>石楠花という声が伝わった、そりゃもう<ruby><rb>登山家</rb><rt>マウンティニアー</rt></ruby>でなくては、想像の出来ない、世間も、人間も忘却した、心底からこみ上げて来る嬉しい声が、この一株を<ruby><rb>繞</rb><rt>め</rt></ruby>ぐって起った、白峰の雪は白い、その雪解の水を吸って育った、石楠花の白花は、天風に芳香を散じて、深林の中に孤座している、西の国のアルプスの人たちが、石楠花を<ruby><rb>高山薔薇</rb><rt>アルペン・ローズ</rt></ruby>と呼ぶのも無理はない、私は何よりも懐かしい石楠花に、そっと接吻した、足許を見ると、黄スミレも咲いている、偃松が始めて見えた、久しぶりの知音が、<ruby><rb>踵</rb><rt>きびす</rt></ruby>を接して、ドヤドヤと霧の扉を開けて、顔を出して、手招きをしている。

偃松は、もう白檜帯と、一線を<ruby><rb>劃</rb><rt>かぎ</rt></ruby>った、その境目から下は灰色で、上は黯緑だ、黯縁の偃松は、山の峰へ峰へと、岩石を乗り越え、岩壁の筋目へと喰い入り、剃刀のような<ruby><rb>脊梁</rb><rt>せきりょう</rt></ruby>を這って、天の一方へと、峰のそそり立つところまで、這い上っている、偃松の中には、風で種子を飛ばされたと見える白檜が、一、二本、継子扱いをされたように、悄然とサルオガセを垂れながら、白く骨立っている、弱きものにも寄生する更に弱きものがある、顧れば白檜帯は、脚下に圧しつけられ、背丈を揃えた庭の短木のように、いじけて、それでも森厳として、太古ながらの座席を<ruby><rb>衛</rb><rt>まも</rt></ruby>っている、そして<ruby><rb>片唾</rb><rt>かたず</rt></ruby>を飲んだように、静まり返っている。

虚空の領分へ、人間が入ったときには、霧の使者が、先ず出迎えに来る、――先刻<ruby><rb>咡</rb><rt>ささや</rt></ruby>き合った、それだ、小雨のそば降るように来た、一行の中には偃松を見て、引き返すような男はいない、しかし<ruby><rb>素</rb><rt>も</rt></ruby>と<ruby><rb>素</rb><rt>も</rt></ruby>と、路でないところへ割り込んで来たのである、白檜の林はともあれ、偃松の<ruby><rb>犇々</rb><rt>ひしひし</rt></ruby>と隙間のない海原へ入っては、往くことも戻ることも出来ない、晃平は、<ruby><rb>鉈</rb><rt>なた</rt></ruby>で偃松を切ッ払い、切り落し、辛うじて路を作った、私は先登になった、偃松の大波に揺り上げられながら、岩のあるところを目懸けて、<ruby><rb>縋</rb><rt>すが</rt></ruby>りつく、倉橋君も、それから少し後れて、高頭君と中村君とが、みんなこの<ruby><rb>蒼玄</rb><rt>あおぐろ</rt></ruby>い波に、沈没したり、浮き上ったりして、つづいて泳いで来た、敢えて泳ぐという、足が土に着かないからだ。

岩の上には、浦島ツツジ、ツガサクラ、コケモモなどが、平ッたくしがみついている、私は岩角に身を<ruby><rb>倚</rb><rt>よ</rt></ruby>せて、眼下遥かに低い谷底を見た、雲と霧と入り乱れて、フツ、フツと山上目がけて来る、その裂け目から谷を隔てて赤石山脈の大嶺、その間に、また谷を隔てて早川の連嶺が、幾析となく重なって、不安な光輝を放っている。

幾重の雲の中から、名の知れない山の顔が……肩から肩へと、<ruby><rb>腮</rb><rt>あご</rt></ruby>を載せて、私を冷やかに見ている。

もう<ruby><rb>遁</rb><rt>に</rt></ruby>がすことではないぞよ。

耳許で<ruby><rb>嘲笑</rb><rt>あざわら</rt></ruby>いされたり、<ruby><rb>私語</rb><rt>ささや</rt></ruby>かれるような気がする。

私は先んじて上った、幸いに偃松が薄くなった、それを破って、岩石が<ruby><rb>醜恠</rb><rt>しゅうかい</rt></ruby>の面を<ruby><rb>擡</rb><rt>もた</rt></ruby>げている、その岩石のつづく先は、霧で解らない、私は岩伝いに殆んど直線にグングン這い上った、霧はもう深林の中でのように、キュッというような、<ruby><rb>柔</rb><rt>や</rt></ruby>さしい咡き方ではない、ヒューと<ruby><rb>呻</rb><rt>うな</rt></ruby>って、耳朶を<ruby><rb>掠</rb><rt>かす</rt></ruby>めて行くのだ、無論荒ッぽい風に伴って来るのである、私はその風を避けて面を伏せようとして、岩の<ruby><rb>罅</rb><rt>か</rt></ruby>け目に、<ruby><rb>高根薔薇</rb><rt>アルペン・ローズ</rt></ruby>が、紅を<ruby><rb>潮</rb><rt>さ</rt></ruby>して咲いているのを発見した、匂いがいかにも高い、私はこのときほど、高山植物の神秘に打たれたことはない、白花の石楠花は、潔いけれど、血の気の失せた老嬢のように、どこか冷たかった、今一と目、この花を見ると、もう堪まらなくなって、凍えても私は、この高根薔薇を胸に抱いて死にたいと思った、高山植物というものを、殆んど摘み取ったことのない私も、このときばかりは、――<ruby><rb>白峰赤石</rb><rt>しらねあかいし</rt></ruby>、峰々に住ませたまう荒神たちも許させたまえ――一輪を<ruby><rb>衣裏</rb><rt>ポッケット</rt></ruby>へと秘めた、そのときは霧中の<ruby><rb>彷徨</rb><rt>ほうこう</rt></ruby>で、考える余裕もなかったことだが、<ruby><rb>文芸復興期</rb><rt>ルネッサンス</rt></ruby>以後、<ruby><rb>伊太利</rb><rt>イタリー</rt></ruby>唯一の天才と呼ばれた山岳画家ジョヴァンニ・セガンチーニが、夏の初めアルプス山の雪中で、<ruby><rb>莟</rb><rt>つぼ</rt></ruby>める薔薇を発見して「<ruby><rb>薔薇の葉</rb><rt>エ・ローズ・リーフ</rt></ruby>」という名画を描いた、それは白い床の雪の中から髪の毛の柔かい、薔薇色の頬の愛らしい乙女が、顔を出して、涼しい眼をバッチリと瞬いている、<ruby><rb>背景</rb><rt>バック</rt></ruby>は未だ寂寥な眠から<ruby><rb>醒</rb><rt>さ</rt></ruby>めない、<ruby><rb>暗</rb><rt>やみ</rt></ruby>の空に、復活の十字架が、遠くに小さく見える、象徴の匂いの<ruby><rb>饒</rb><rt>ゆた</rt></ruby>かな作品である、あの高根薔薇は、私には永久に忘られない花の一ツである。

やっとこの山での最高点――と思う、霧で遠くの先は解らない――へ着いた、何だかこう俄に広い街道へでも出たような気がした、霧はフィューと虚空を<ruby><rb>截</rb><rt>き</rt></ruby>って、岩石に突き当って、水沫を烈しく飛ばす、この<ruby><rb>水球</rb><rt>みずたま</rt></ruby>はどこの谷から登って、どこの谷へ落ちるのか解らない、雷鳥だか山鳩だか、赤児のような啼声が、遠くなり、近くなって、偃松の原から起る、冥府の奥の、奥の方から、呼ぶようで、気が遠くなる、未だ後の人たちが来ないので、私は岩角に尻を据えて、黙って霧の中に座っていた、霧は鋭敏なる神経を有する触角のように、尖端を三角形にして、ヒューと襲って来る、霧ではない、もう雨だ、岩も偃松も、寂寞そのものの、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しわがれ</span>声を挙げる、私は孤独だ、天もなく、地もなく、ただ幾団が幾団に、絶えず接触して、吹き荒るる風と霧があるのみだ、宇宙におよそ蕭殺の声といったら、高原の秋の風でもなければ、工場の烟突の悲鳴でもない、高山の霧の声である。

その中に倉橋君が来る、晃平を<ruby><rb>殿</rb><rt>しんがり</rt></ruby>として、一行が揃う、こう霧がひどくては、方角も何も解らない、晃平は荷を卸して、路を捜索に出たが、無益に戻って来た、岩の間を点接して、トウヤクリンドウ、ミヤマキンバイ、ミヤマウスユキソウ、チングルマなどがあったが、風と霧と雨の中で、一々眼に止めていられない。

それでも石の河原のような小隆起を、二タ山ほど盲越えに越えた、高頭君はウラジロキンバイが多いと、指して驚いている、この高山植物は、白馬岳や八ヶ岳に産したものだが、今濫採されて、稀少になったものだそうで、今のところ、ここが最も<ruby><rb>豊饒</rb><rt>ほうじょう</rt></ruby>な産地であろうと語られた。

未だ時間はあるが、もうこの天候では泊まるより外はないことになった、路側の窪んだところに、猟師でも焚火したと見え、偃松の<ruby><rb>榾</rb><rt>ほだ</rt></ruby>が、半分焦げて捨ててあった、その近傍の窪地を選んで、偃松と偃松との間に、油紙を掛け渡し、夜営地を張り、即刻焚火をした、手でも、足でも、寒気に凍えて、殆んど血が通ってるとは思われない、晃平たち案内者は、さすがに甲斐甲斐しい、<ruby><rb>蓆</rb><rt>むしろ</rt></ruby>に雪をどっさり包んで、担い梯子でしょって来て、それから<ruby><rb>薬鑵</rb><rt>やかん</rt></ruby>の中で、湯を作る、茶を煮る、汁粉を作る、雪の臭いを消してうまかった、晃平は雨の小止みを待って、雷鳥を銃殺して、羽毛を<ruby><rb>挘</rb><rt>むし</rt></ruby>って、肉を料理する。

油紙の天幕の中に、私たちの金剛杖を、三本組み合せ、それへ縄を下げて、鍋を吊り、偃松の枝や根を薪材にして、<ruby><rb>煮炊</rb><rt>にたき</rt></ruby>をするのだ、山頂の風雨とはいいながら、焚火さえあれば、先ず生命に別条がないということを知っているから、連中懸命になって、薪材を山のように<ruby><rb>搬</rb><rt>はこ</rt></ruby>んで、火のそばへ盛り上げたものだ、それでも凍えてはならないと、有りったけの衣類を出して<ruby><rb>衣</rb><rt>き</rt></ruby>た、困ったことには雷鳴がいかにも強い、頭上五、六尺のところを、転がって行くようで、神経がピリピリするから、鉈でも、眼鏡でも、<ruby><rb>鉄物</rb><rt>かなもの</rt></ruby>は、<ruby><rb>凡</rb><rt>す</rt></ruby>べて包むことにした、雨は小止みになったり、また大降りになったりする、大降りのときは、油紙の天幕の中央が、天水桶のように深くなって、Ｕ字形に雨水の重味で垂れ下る、今にも底を突き抜きそうであるから、連中底の下から手で押し上げると、雨水は四隅から<ruby><rb>迸</rb><rt>ほとばし</rt></ruby>って、寝ているところへ流れ込む、空鍋を宛てがって<ruby><rb>承</rb><rt>う</rt></ruby>けたり、茶碗で汲みこぼしたり、騒ぎが大きい。

面白そうに笑って作業をしながらも、天外の漂流者という孤独の感が胸に迫る。

鼠色の印象（暴風雨前の富士山及び白峰山脈）

汽車の中は、蒸されるように混んだ、<ruby><rb>肘</rb><rt>ひじ</rt></ruby>と肘と触れ、背と背と合された人々が、駅ごとに二、三人ずつ減る、はてはバラバラになって、最後の<ruby><rb>停車場</rb><rt>ステーション</rt></ruby>から、大きな、粗い<ruby><rb>圏</rb><rt>わ</rt></ruby>を地平線に描いて散った、そうして思い思いの方向へと<ruby><rb>往</rb><rt>い</rt></ruby>った。

<ruby><rb>鳶</rb><rt>とび</rt></ruby>のように、虚空へ分け入ったのは、私たちである、あれから五夜で、私たちは海抜八千尺ほどの、甲州アルプスへ来た、山の上には多年雪に氷に磨り減らされて、<ruby><rb>鑢</rb><rt>やすり</rt></ruby>のように尖った岩が、岩とつづいて<ruby><rb>稜角</rb><rt>リッジ</rt></ruby>がプラットホームのように長い、甲府平原から仰いだ、硬い角度の、<ruby><rb>空線</rb><rt>スカイライン</rt></ruby>の、どれかの端を<ruby><rb>辿</rb><rt>たど</rt></ruby>っているのだ、何万という、下で寄り集まった眼球がみんな私たちを仰向いているような気がする、その稜角の窪んだ穴の中に、頭を<ruby><rb>駢</rb><rt>なら</rt></ruby>べて、横になったのが、私たち四人――人夫を合せて八人――<ruby><rb>偃松</rb><rt>はいまつ</rt></ruby>の<ruby><rb>榾火</rb><rt>ほだび</rt></ruby>に寒さを凌いで寝た。

霧が<ruby><rb>夜徹</rb><rt>よどお</rt></ruby>し深かった、焚火の光を怪しんで、夜中に兎が<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>い寄ったと、猟師は言ったが、私は寝ていて知らなかった、<ruby><rb>草鞋</rb><rt>わらじ</rt></ruby>も解かないで、両足をとろとろ火に突っ込んで、寝ていたとき、小坊主がちょこちょこと歩んで来て、人の寝息を窺ったのを、<ruby><rb>微</rb><rt>ほの</rt></ruby>かに知っている、眼を覚ますと、スーッと白い霧の中へと飛んで、羽ばたきの影が、焚火に映ったようだ。

寒いので仲間が、入れ代りに眼をさます。猟師は、<ruby><rb>焼木杭</rb><rt>やけぼっくい</rt></ruby>に<ruby><rb>烟管</rb><rt>キセル</rt></ruby>をコツコツ叩きながら、

今がた雷鳥が何羽も出来やした。

と話す。

霧はフツ、フツと渦巻く、偃松に白く絡んで、火事場の烟でも立つように、虚空を迷っている、<ruby><rb>天幕</rb><rt>テント</rt></ruby>の屋根の筋目から仰ぐと、暗灰色の<ruby><rb>虚空</rb><rt>そら</rt></ruby>が壁のように狭くなって、鼻の先に突っ立っている、雨と知りながらも、手を天幕の外へ出すと、壁から<ruby><rb>浸染</rb><rt>にじ</rt></ruby>み出る小雨に、五本の指が冷やりとする、眼がやっと<ruby><rb>醒</rb><rt>さ</rt></ruby>める。

ゆうべは月がちょっと冴えたのに……雨かなあ。

と仲間の一人が<ruby><rb>欠伸</rb><rt>あくび</rt></ruby>をして言う。

そのときは、富士山が、怖ろしく大きく見えたが、見ているうちに、細くなって<ruby><rb>莟</rb><rt>つぼ</rt></ruby>んでしまった。

……いやな、霧だなあ。

と、私は嘆息する、天地の間には、風が吹くのでなければ、霧が流れるのだ、そのたびに、天幕の中へ、ザアと小粒の雨がそそぎ入る、柱代りの金剛杖が、キュッと呻る、杭に<ruby><rb>纜</rb><rt>もや</rt></ruby>われた小舟が、洪水に飜弄されるように、油紙の屋根が、ペラペラ動く。

何時だか、時計を出すのも<ruby><rb>臆劫</rb><rt>おっくう</rt></ruby>だ、朝だか夜中だか解らない。

尻に敷いた<ruby><rb>褥</rb><rt>しとね</rt></ruby>は、可愛らしい高山植物で、チングルマの小さい白花、アカノツカサクラの赤い花などが、絨氈の斑紋になって、浮き上る、焚火の影に、鮮やかな織目を見せる。

早く日の目が見たい。

早く穴の中から這い出したい。

同じ思いが、仲間の顔色に読まれる、飯を炊くのに、未だ時間がある、思い切って天幕から一、二間歩き出した、岩を二ツ三ツ飛び越えて、次第に爪先が上る、無辺無限の<ruby><rb>単調</rb><rt>モノトニイ</rt></ruby>の線が、どこへ<ruby><rb>繋</rb><rt>つな</rt></ruby>がって、どこへ懸っているのか、解らない……やはりあの空線の一つを辿っている。

天幕が霧の中に、小さくぼんやり見える、四ツ柱に、油紙がぺらぺらとして、田舎の<ruby><rb>卵塔場</rb><rt>らんとうば</rt></ruby>のようだ、今まで、あそこに寝ていたのか知ら……この霧と雨の中を、たった紙一枚の下に……火光がパッとさす、霧の<ruby><rb>水球</rb><rt>みずたま</rt></ruby>が、美しい<ruby><rb>紫陽花</rb><rt>あじさい</rt></ruby>色に輝いたかとおもうと、消えた。

稜角の端まで這い出して、小さい<ruby><rb>阜</rb><rt>おか</rt></ruby>――古代の動物の骨のようにゴロゴロ転がっている石の堆積――の上に立った、石はビッショリと濡れて、草鞋が辷る。

朝明りか知らん大きな水平のひろごりが、足許に延されている、白い<ruby><rb>柔毛</rb><rt>にこげ</rt></ruby>のような雲が、波の連続するように――したが一つの波も動くとは見えない――<ruby><rb>凸凹</rb><rt>たかひく</rt></ruby>を作って、変化のある海が、水平線の無限に入っている、しかし正面は、霧が斜に脈を引いて、切れそうにもない、その間から<ruby><rb>彎弓</rb><rt>ひきゆみ</rt></ruby>のような線が、幾筋となく泳いで出た、ハッキリすると土堤ほどの大きさになった、山である、関東山脈の一端と、早川連嶺の一角とだけが、おぼろに見えたのである、山と山との間は、みんな空席で、濃厚な水蒸気が、その間に屯ろしている、山という山の各自は、厳しく守られている、生物は守られていない。

雲は凍っているのか、吐息を凝らしているのか、巨大の容積がしずまり返っている。

その深さが何万尺あるか測られない、この中に何か<ruby><rb>潜力的</rb><rt>ポーテンシアル</rt></ruby>な、巨大な物が潜んでいる、そうして生物を圧迫する――<ruby><rb>化性</rb><rt>けしょう</rt></ruby>の<ruby><rb>蝙蝠</rb><rt>かわほり</rt></ruby>でも舞い出そうだ。

あの底には、もしくは外には、都会がある、群集がある、<ruby><rb>燈火</rb><rt>ともしび</rt></ruby>、音曲、寄席、芝居がある、群集と喧噪の圧迫から<ruby><rb>遁</rb><rt>に</rt></ruby>げて、天涯の一角に立ったときに、孤独と静粛の圧迫！

少し明る味がさした、明る味のさした方角を東に定めている、その東の空が、横さまに白く透いた、奥の奥の空である、<ruby><rb>渋昏</rb><rt>しぶくら</rt></ruby>く濁った雲の海の<ruby><rb>面</rb><rt>プレーン</rt></ruby>が、動揺混乱するけはいが見える。

外套をふわりと脱いだように、眼の前の霧の大かたまりが、音もなく裂けて、谷へ落ちた。

富士山が、すッきりと立った。

名も歴史もない甲州アルプスに、対面して、<ruby><rb>零落</rb><rt>れいらく</rt></ruby>の壮大、そのものが、この万年の墳墓を中心にして今虚空を<ruby><rb>奔</rb><rt>はし</rt></ruby>る。

空々寂々の境で、山という山の気分が、富士山に向いて、集中して来る、谷から幾筋とない雲が、藍の腐ったような塊になって、立ち昇る、富士山はこの雲と重なって、心もち西へ西へと延びて来るようだ、<ruby><rb>蝕</rb><rt>むしく</rt></ruby>った雲の淵の深さが、何十尺かの穴となって、口が明く。

頭がようやく冴えて来た、足許の岩では、偃松が近くは緑に、遠くは<ruby><rb>黯</rb><rt>くら</rt></ruby>くなって、<ruby><rb>蜿</rb><rt>う</rt></ruby>ねっている、天外絶域の、荒れはてた<ruby><rb>瘠土</rb><rt>やせつち</rt></ruby>にまで、漂って来た、緑の垂直的終点を、私は今踏んでいるのだ。

空の気味の悪いほど、奥まで<ruby><rb>隙</rb><rt>す</rt></ruby>いて光っているだけに、富士山は<ruby><rb>繻子</rb><rt>しゅす</rt></ruby>でも<ruby><rb>衣</rb><rt>き</rt></ruby>たように、厚ぼったく<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふやけ</span>ている、いつもの、洗われたように浄い姿ではない、重々しい、鼠ッぽい色といったらない。

いつの間にか、仲間が一人来る、二人<ruby><rb>蹤</rb><rt>つ</rt></ruby>いて来る、岩の上には、黒いピリオドが、一点、二点、三点――視線は一様に、鼠色のそれに向う。

富士かね。

富士だよ。

あの山は眠ったことがないから、醒めたこともないというような、澄した顔つきをしている、私たちとの距離は、いよいよ遠くなった、その間を煙のように、眼先を霧が立って、右へ往きそうになったり、左へ思い出して、転がったりしている。

厚味の雲の奥で、日が<ruby><rb>茜</rb><rt>あかね</rt></ruby>さしたのか、東の空が一面に古代紫のように<ruby><rb>燻</rb><rt>くす</rt></ruby>んだ色になった……富士の鼠色は<ruby><rb>爛</rb><rt>ただ</rt></ruby>れた……淡赭色の光輝を帯びたが、ほんの瞬く間でもとの沈欝に返って、ひッそりと静まった。

フツ、フツと、柔くて、しかも鋭敏な音を立てて霧――雨が来た、偃松も、岩も、山も、片ッ端から白い紙になって、虚空に舞い上る。

富士も一息に吹き消された、土地という最大多数から、少量をつまんで、年代また年代と、築き上げて作製した、百万年の壁画が、落ちた。

寂しさは、人の心の空虚を占領した。

鼠色の<ruby><rb>凶兆</rb><rt>しらせ</rt></ruby>はあった、それから間もなく、疾風豪雨になって、一行は、九死一生の<ruby><rb>惨</rb><rt>みじ</rt></ruby>めな目に<ruby><rb>遇</rb><rt>あ</rt></ruby>わされた。

石・苔・偃松（白河内岳に登る記）

野営を撤して、濡れそうなものは油紙で包み、岩伝いに北を向いて、<ruby><rb>大籠山</rb><rt>おおかごやま</rt></ruby>と後で名をつけた一峰に達した、三等三角測量標が立っている、霧が<ruby><rb>吹雨</rb><rt>しぶき</rt></ruby>を浴びせかけて、顔向けも出来なかったが、白峰山脈で、初めての三角標に触れたのだから、ちょっと去りにくい気がした。

それから北西に向って、一つ支峰を越えると、鉢形に窪んだところがあって、<ruby><rb>白山一華</rb><rt>はくさんいちげ</rt></ruby>の白と、<ruby><rb>信濃金梅</rb><rt>しなのきんばい</rt></ruby>の黄とが、多く咲いている、チングルマの小さい白花、赤紫の<ruby><rb>女宝千鳥</rb><rt>にょほうちどり</rt></ruby>などで、小さい御花畑を作っている、霧の切れ目に、白河内岳が眼の前に、ぼんやり現われた、足許は<ruby><rb>偃松</rb><rt>はいまつ</rt></ruby>の<ruby><rb>大蜿</rb><rt>おおう</rt></ruby>ねりで、雲は方々の谷から、しきりに立ち登る、太古の雲が、初めて山の肌に触れたのは、この辺からではあるまいか、そうして執念深く、今もなおあの山に、つき<ruby><rb>纏</rb><rt>まと</rt></ruby>って、谷の住み家を去らずにいるのではあるまいか……前々夜泊まった広河内の谷が、乾からびたように見える、その附近の黒い森林は、一寸位ずつ這い上って来るようで、雲の<ruby><rb>揺籃</rb><rt>クレードル</rt></ruby>のように、水球をすさまじい勢いで吐き出す。

西に向いて、また一峰を超え、やや下ってまた北に向って上る、霧の中で目標にする山もないから、手に磁石を放さない、何でも北へ向けばいいのだ、北へ、北へと歩む。

ふと東北に地蔵鳳凰二山が見えた、鳳凰山の<ruby><rb>赭</rb><rt>あか</rt></ruby>っちゃけた膚に、蒼黯な偃松が、平ッたくなって、くッついている、うしろには駒ヶ岳が、<ruby><rb>蒼醒</rb><rt>あおざ</rt></ruby>めた顔をして<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>いている、前には白峰本岳から連続するらしい二枚の連壁が、低いながらも遮っている、今通過した大籠山は、<ruby><rb>駱駝</rb><rt>らくだ</rt></ruby>形をして、三角測量標が、霧の波に冠されながらも、その底から頂へと突き抜いて、難破船の<ruby><rb>檣</rb><rt>ほばしら</rt></ruby>のように出ている、見る見るうちに霧に<ruby><rb>喰</rb><rt>は</rt></ruby>み取られて、半分位持って行かれてしまったかと思ったが、また繋ぎ合わされて立っている、西に<ruby><rb>間</rb><rt>あい</rt></ruby>の<ruby><rb>岳</rb><rt>たけ</rt></ruby>（赤石山脈）が立ち、東に富士山が、二筋ばかりの白い雪を放射して、それが泥黒い雲を通過する光線に翳されて、何だか赤く<ruby><rb>銹</rb><rt>さ</rt></ruby>びた鉄のように見える、富士山の附近は、御阪山脈や、天守山脈だけを、小島のように残して、氷に<ruby><rb>鉋</rb><rt>かんな</rt></ruby>をかけたような雲が、ボロボロ転がっている、山という山の背景は、灰色で一面に塗り潰されている。

北方白峰の本嶺は、一切霧で秘められている、その一切を秘められた北へ北へと、私たちは見えない手に、グイグイ引っ張られて、否でも応でも行かなければならないのだ。

北西の一峰を<ruby><rb>踰</rb><rt>こ</rt></ruby>えたことを記憶している、そこに何があったかと言えば、白花の<ruby><rb>石楠花</rb><rt>しゃくなげ</rt></ruby>があったことだけが答えられる。

乱石で埋まった一峰を越したことも、憶い出される、雪が氷っていたことだけが、眼に<ruby><rb>泛</rb><rt>うか</rt></ruby>ぶ。

それほど霧で眼界を<ruby><rb>窄</rb><rt>せば</rt></ruby>められていた、それだけまた神経が鋭く尖っていた、自分たちから一間ばかり、先へ離れて、雷鳥がちょこちょこ歩いて行く、こっちで停まれば向うでも停まる、歩けば先へ立って行く、冥府から出迎いにでも来た悪鳥のように、この鳥の姿が消えるとき、自分たちの運命も<ruby><rb>終焉</rb><rt>しゅうえん</rt></ruby>を告げるように。

雄大なる白河内岳が、円く眼の前にボーッと立つ、この山を中心として、雲の<ruby><rb>大暈</rb><rt>おおがさ</rt></ruby>が、幻のように<ruby><rb>圏</rb><rt>わ</rt></ruby>を描いてひろがる、日輪の輪廓がひろがって黄色い葵の花のように、廻転するかと思われた。

風が<ruby><rb>錐</rb><rt>きり</rt></ruby>のように痛い、白河内岳の麓で、焚火をしていると、おくれがちの人夫も、あとから追いついて来た、その中の一人は、雷鳥を捉えて来た、少しは休んだが、風と霧と冷たいのと痛いので、落ちつく空はない、とかくに気の重い人夫どもを促して、登りかける、実を言うと、どの方面へ向いて、何処を登っているのだか、もう解らない、人夫もみんな初めての途で、<ruby><rb>茫然</rb><rt>ぼんやり</rt></ruby>しているばかりだ、ともかく眼の前の大山を登った、石片が縦横に<ruby><rb>抛</rb><rt>な</rt></ruby>げ出されている、しかし石と石とは、<ruby><rb>漆喰</rb><rt>しっくい</rt></ruby>にでも<ruby><rb>粘</rb><rt>く</rt></ruby>ッつけられたようで動かない、いずれも苔がべッたり覆せてある、太古ながらの石の一片は、苔に包まれた古都の断礎でも見るように、続々と<ruby><rb>繋</rb><rt>つな</rt></ruby>がって、爪先を仰ぐばかりに中天に高く斜線を引いている――もう白河内岳の上にかかっているのだ、この饅頭形の石山は、北アルプスの<ruby><rb>大天井</rb><rt>おてんしょう</rt></ruby>岳にどこか似ていると思いながら、<ruby><rb>喘</rb><rt>あえ</rt></ruby>ぎ喘ぎ登る、霧は大風に連れ、肉を<ruby><rb>截</rb><rt>き</rt></ruby>り<ruby><rb>削</rb><rt>そ</rt></ruby>ぐばかりの冷たさで、ヒューッと音をさせて、耳朶を掠めた、田村氏の帽子は、<ruby><rb>掠奪</rb><rt>ひった</rt></ruby>くられたように、向うの谷へ抛げ出された、製造場の烟突からでも出そうな、どす黒い綿のような雲が頭から二、三尺の上を<ruby><rb>呻</rb><rt>うな</rt></ruby>って飛び交う。花が光を、川は音楽を失った、ソラッ<ruby><rb>暴雨</rb><rt>しけ</rt></ruby>だッ、というときには、眼も口も開けられないほどの大雨が、脳天からかけて、人間を石角に縫いつけた、そうして細引のような太いので、人間を<ruby><rb>毬</rb><rt>まり</rt></ruby>のようにかがる、片足を<ruby><rb>擡</rb><rt>もた</rt></ruby>げれば、擡げた弱点から、足を<ruby><rb>浚</rb><rt>さら</rt></ruby>って虚空へ舞い上げそうな風が、西から吹きつける、誰だって血の気の失せない人はなかった、どこへ<ruby><rb>遁</rb><rt>に</rt></ruby>げようとか、どこが安全だとかいうような余裕が、この際誰にもなかったので、我がちに岳の下の偃松の穴へ――野営としてきわめて不適当ではあったが――一人ずつ飛びこんで、偃松の根許へ這い込んだ、この<ruby><rb>刹那</rb><rt>せつな</rt></ruby>は、私の頭の中も、暴風雨の<ruby><rb>荒</rb><rt>すさ</rt></ruby>むように不安であった、油紙の天幕を枝と枝との間に低く張って、四ツ足の人間を、この中に這わせた、寒さに手も<ruby><rb>凍</rb><rt>こご</rt></ruby>えて、金剛杖さえ持つ力がなかった。

焚火焚火、人々は手足の関節から、血の<ruby><rb>循環</rb><rt>めぐり</rt></ruby>が一秒一秒止まったように、意識された、今凍えて行くのだということも解る、早くどうかしろと神経が知らせてくれる、誰の顔を見ても、蝋のように白い、マッチ箱は<ruby><rb>燐寸</rb><rt>マッチ</rt></ruby>一本さえ、烟を立てることなしに、<ruby><rb>空</rb><rt>から</rt></ruby>になったほど、何もかも、ビショ濡れになった。

だが晃平一人はウンと踏ん張った、

心配するなッ、<ruby><rb>犢鼻褌</rb><rt>ふんどし</rt></ruby>を<ruby><rb>焚</rb><rt>や</rt></ruby>いたッても、お前方を殺すことじゃあねえぞ。

と、その赤銅色の逞ましい顔を、一行に向けて爛とした目から、電が走ったときは、一行に大丈夫という観念を与えた、彼は<ruby><rb>鉈</rb><rt>なた</rt></ruby>で杖を裂いた、杖の<ruby><rb>心</rb><rt>しん</rt></ruby>まで雨は透っていないから、細い<ruby><rb>粗朶</rb><rt>そだ</rt></ruby>が忽ち出来る、<ruby><rb>燻</rb><rt>いぶ</rt></ruby>してどうかこうか火が<ruby><rb>点</rb><rt>つ</rt></ruby>いた、そうすると白烟が低い天幕の中を、圧されて出る途がないので、地を這いずった、高頭君は息を<ruby><rb>窒</rb><rt>つ</rt></ruby>められて、ヒョロヒョロと<ruby><rb>仆</rb><rt>たお</rt></ruby>れた、避けようとした私はジリッと焦げ臭く<ruby><rb>髯</rb><rt>ひげ</rt></ruby>を焼かれた、<ruby><rb>堪</rb><rt>た</rt></ruby>まらなくなって天幕の外へ首を出すと、偃松の上は、<ruby><rb>吹雨</rb><rt>しぶき</rt></ruby>の柱が、烟のように白く立っている、また油紙の下へ引ッ込んでしまう、倉橋君は昨夜睡られなかったので、よくよく眠かったと見え、この騒ぎの中にもグッスリ寝込んでいる、白花の石楠花が、この生体のない人の頬に匂っている。

耳を澄まして、谷間に吹き<ruby><rb>荒</rb><rt>すさ</rt></ruby>ぶ風の声を聞くと、その怖ろしさといったらない、初めは雷とばかり思っていた、あまり雷にしては間断なく鳴るから、不審に思って聞くと、「大井川の七日荒れ」だという、その「荒れ」が、今の風雨で初まったのだという、谷の角から谷の角へと屈折し、反響して、空気の<ruby><rb>大顫動</rb><rt>だいせんどう</rt></ruby>が初まったのである、この山はいつ頃出来たのであろう、そうして何百万年もこうして寂として、いたのであろう、それが十年に一度、五年に一度、人間が入って来ると、谷間の底に潜んでいる風が、鎖を繋がれながらも、それからそれへと<ruby><rb>哮</rb><rt>たけ</rt></ruby>り狂って、のた打ち廻り、重い<ruby><rb>足枷</rb><rt>あしかせ</rt></ruby>を引き擦り引き擦り、大叫喚をしているのであろう、油紙の天幕の下は、朽木の体内のように脆くて、このまま人間は、生きながら<ruby><rb>屍</rb><rt>しかばね</rt></ruby>となるのではあるまいかと、思われた。

この暴風雨がいつまでつづくか解らぬ、それよりも、差し当りこんなところに、今夜野宿が出来るか、否かが疑問である、思い切って谷へ下りようか、谷へ下りれば、この旅行の中止を意味することになる、一行は思い悩んで決し兼ねた……何だか筋骨を抜かれたように、気落がして、私も眼が重くなった。

高頭君であったか、誰であったか、不意に<ruby><rb>消魂</rb><rt>けたた</rt></ruby>ましく、日本晴れだぞ、痛快痛快と、触れ廻るように叫んだ声におどろかされて、<ruby><rb>刎</rb><rt>は</rt></ruby>ね起きると、雨はいつの間にやら<ruby><rb>霽</rb><rt>は</rt></ruby>れ上り、西の方の空が一点の<ruby><rb>痣</rb><rt>あざ</rt></ruby>をも残さず、拭いて取ったように、透明に奥深く冴えわたっている、鼻ッ先には<ruby><rb>農鳥</rb><rt>のうとり</rt></ruby>山と<ruby><rb>間</rb><rt>あい</rt></ruby>の<ruby><rb>岳</rb><rt>たけ</rt></ruby>（白峰山脈）が、近く立っている、こんな大きな山々が、今まではどこに秘んでいたのだろう、天から降ったのかと思うように、出たのである、間の岳は頭がちょっと出ている。農鳥山の<ruby><rb>赭</rb><rt>あか</rt></ruby>ッちゃけた壁には、白雪がペンキでも塗ったように、べッたりと光って輝いている。

西の方には木曾御嶽が、緩斜の裾を引いて、腰以下を雲の波で洗わせている、乗鞍岳は、純藍色に冴えかえり、その白銀の筋は、たった今落ちたばかりの、新雪ででもあるかのように、<ruby><rb>釉薬</rb><rt>つやぐすり</rt></ruby>をかけた色をして、鮮やかに光っている。

槍ヶ岳以北は、見えなかったが、木曾駒ヶ岳は、雪の荒縞を着ながらも、その膚の碧は、透き通るように柔らかだ、<ruby><rb>恵那</rb><rt>えな</rt></ruby>山もその脈の南に当って、雄大に<ruby><rb>聳</rb><rt>そび</rt></ruby>えている。

もう「こっちのものだ」という、征服者の思いが、人々の胸に湧く、今までのように、<ruby><rb>悄気</rb><rt>しょげ</rt></ruby>た顔はどこにもない、油紙は人夫どもに処置させて、先刻<ruby><rb>遁</rb><rt>に</rt></ruby>げ込んだばかりの、白河内岳の頂上に立って、四方を見廻した、南の方、直ぐ傍近く間の岳（赤石山脈）と、<ruby><rb>悪沢</rb><rt>わるさわ</rt></ruby>岳が<ruby><rb>峻</rb><rt>けわ</rt></ruby>しく聳えて、赤石山がその背後から、顔を出している――ここから見ると、悪沢岳の方が、近いだけに、赤石山より高くはないかと思われた、甲府平原は、釜無笛吹二川の合流するところまでよく見える、直ぐ脚下には、岩壁多くの針葉樹を帯びて、山の「ツル」（脈）が、古生層岩山の特色を見せて、低く幾筋も放射している、脈と脈との間には、谷川が幾筋となく流れている、手近いのが広河内、一と山越えてその先のが荒川、最も遠いのが<ruby><rb>能呂</rb><rt>のろ</rt></ruby>川に当るのである、<ruby><rb>鮎差</rb><rt>あゆさし</rt></ruby>峠の頭もちょっと見えた。

峰から峰の偃松は、暴風雨のあとの海原のように<ruby><rb>凪</rb><rt>な</rt></ruby>いで、けろりと静まりかえっている、谷底の風の<ruby><rb>呻吟</rb><rt>しんぎん</rt></ruby>は、山の上が静粛になるだけ、それだけ、一層<ruby><rb>凄</rb><rt>すさ</rt></ruby>まじく高く響いて来る。

汽船・電燈（農鳥山に登る記）

白河内岳から西北へと向いて、小さな峰の塊を、二つばかり越えた、西の方面、木曾山脈が、手に取るように近く見える、三ツ目の峰の下の、窪んだところに、残雪が半ば氷っていた、<ruby><rb>岩高蘭</rb><rt>がんこうらん</rt></ruby>や岩梅がその<ruby><rb>界隈</rb><rt>かいわい</rt></ruby>に多い、踏む足がふっくりと、今の雨でジワジワ柔い草の床に吸い取られる、この辺から眼の前の農鳥山を仰ぐと、残雪が白い<ruby><rb>襷</rb><rt>たすき</rt></ruby>をかけて綾を取っている、荒川の峡谷を脚の下に<ruby><rb>瞰</rb><rt>み</rt></ruby>ながら<ruby><rb>偃松</rb><rt>はいまつ</rt></ruby>の石原を行く、人夫たちは遥に<ruby><rb>後</rb><rt>おく</rt></ruby>れて、私たち四人が先鋒になって登る。

農鳥山は<ruby><rb>大約</rb><rt>おおよそ</rt></ruby>三峰に<ruby><rb>岐</rb><rt>わか</rt></ruby>れているようだ、手近を私たちは――後の話だが――仮に<ruby><rb>南農鳥</rb><rt>みなみのうとり</rt></ruby>と名づけた、雪が二塊ばかり、胸に光っている、近づくほど、雪の幅が成長して大きくなる、雪の側はいわゆる御花畑で、<ruby><rb>四</rb><rt>よ</rt></ruby>ツ<ruby><rb>葉</rb><rt>ば</rt></ruby><ruby><rb>塩釜</rb><rt>しおがま</rt></ruby>、<ruby><rb>白山一華</rb><rt>はくさんいちげ</rt></ruby>、<ruby><rb>小岩鏡</rb><rt>こいわかがみ</rt></ruby>などが多い。

この大残雪を踏んで、南農鳥の傾斜を登ること半ば頃から、大なる富士山は、裾野から<ruby><rb>沙</rb><rt>すな</rt></ruby>を盛り上げたように高く、雪が粉を吹いたように細い筋を入れている、その下に山中湖、それから河口湖が半分喰い取られたようになって、山蔭の<ruby><rb>本栖</rb><rt>もとす</rt></ruby>湖の一部と、離れ離れに静かな水を伏せている、函根、御阪、早川連嶺などが、今の雨ですっきりと洗われて、鮮やかな<ruby><rb>緑靛</rb><rt>りょくてん</rt></ruby>色をしている、<ruby><rb>愛鷹</rb><rt>あしたか</rt></ruby>を超えて伊豆半島の天城山が、根のない霞のように、ホンノリと浮いて、それよりも嬉しかったのは、駿河湾に黒煙をかすかに一筋二筋残して走っている汽船！

<ruby><rb>黄花石楠花</rb><rt>きばなしゃくなげ</rt></ruby>が、岩角の間に小さくしがみついて咲いている、その間を踏んで、登れば、千枚沢岳と悪沢岳の間に、赤石山が<ruby><rb>吊鐘</rb><rt>つりがね</rt></ruby>を伏せたように円く立っている、支脈伝いに背面を見た時には、壮大だと思った白河内岳も、ここから見ると、可愛そうなほど、低くなって、下に<ruby><rb>踞</rb><rt>うず</rt></ruby>くまってしまった。

南農鳥の上に出た、足の下から大障壁をめぐらして、近く農鳥山の三角測量標を見たときは嬉しかった、しかし登り<ruby><rb>著</rb><rt>つ</rt></ruby>くと南農鳥の最高点は、まだここではなく、五、六町も先にあることが解った、これから<ruby><rb>截</rb><rt>き</rt></ruby>っ立った、ギザギザ尖った石が、堤防のように自然に築き上げられているところを伝わるのだ、偃松と、黄花石楠花の間を抜き足をして、やっと南農鳥山の二等三角測量標の下に来た、おそらく参謀本部陸地測量部員が、野営をした跡ではあるまいかと思われる、ちょっとした平地へ出た。

ここから見ると、石の<ruby><rb>剣</rb><rt>つるぎ</rt></ruby>の大嶺が、半円形に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">えぐ</span>られて、<ruby><rb>蜿蜒</rb><rt>えんえん</rt></ruby>として我が日本南アルプスの大王、<ruby><rb>北岳</rb><rt>きただけ</rt></ruby>に肉迫している、その北岳は、大岩塊が三個ばかりくッついて、その中の二塊は、楕円形をしているが、一塊は恐ろしく<ruby><rb>尖</rb><rt>とが</rt></ruby>っている、そうして<ruby><rb>四辺</rb><rt>あたり</rt></ruby>に山もないように、この全体が<ruby><rb>折烏帽子</rb><rt>おりえぼし</rt></ruby>形に切ッ立って、壁下からは低い支脈が、東の谷の方へと走っている、<ruby><rb>能呂</rb><rt>のろ</rt></ruby>川があの下から出るのだと、追及して来た猟師が、そう言ったが、実際私たちは、川などはどうでもよかった。

もう山という山が、みんな顔を出して来た、地蔵岳鳳凰山を隔てて、八ヶ岳の<ruby><rb>火山彙</rb><rt>かざんい</rt></ruby>が見える、<ruby><rb>上野</rb><rt>こうずけ</rt></ruby><ruby><rb>下野</rb><rt>しもつけ</rt></ruby>の連山は、雲を溶かして、そのまま<ruby><rb>刷毛</rb><rt>はけ</rt></ruby>で塗ったのではないかとおもうような、紺青色をして、その中にも赤城山と、榛名山が、地蔵岳と駒ヶ岳の間に、小さく潜んでいた、その最右端に日光連山、左の方に越後の連山がぼんやりとしていて、<ruby><rb>先刻</rb><rt>さっき</rt></ruby>吹き寄せられた雲の名残か知らん、氷のようなのが、幾片となく、その辺の頭をふわりと漂っている、<ruby><rb>午</rb><rt>ひる</rt></ruby>を過ぎたが、濃い透明の空は、<ruby><rb>硝子</rb><rt>ガラス</rt></ruby>で張り詰めたようだ、黄色の日光が、黄花石楠花を蒸して、甘酸ッぱいような、<ruby><rb>鼻神経</rb><rt>びしんけい</rt></ruby>をそそるような匂いとも色ともつかないのが、眼から鼻へと抜ける、頭がボーッとする、これでも踏む土の一部分だろうかと思うようだ、残雪は幾筋となく、壁間を放射して、緑の森林の中へ髪の毛を分けるように、筋目をつけて落ちている、ただ北アルプスの大山脈は、雲に閉じられてしまって、いつまで<ruby><rb>経</rb><rt>た</rt></ruby>っても出て来そうにもない。

金剛杖が石にカチリと当る、金属性の微かな短い音がしてコロコロと絶壁の下に転げ落ちる、どこを見ても絶壁！　墜石！

三角測量標の直下には、誰かが前に土を<ruby><rb>均</rb><rt>な</rt></ruby>らした痕のある、野宮地には<ruby><rb>誂</rb><rt>あつら</rt></ruby>え向きな、三間位な平地が出来ている、黄花石楠花、小岩鏡、チングルマ、岩梅などが、疎らに生えている、位置は東を向いて、富士山と対している、南へ向いた断崖には、数条の残雪があるから、溶かして水を獲ることが出来る、時間は<ruby><rb>猶</rb><rt>まだ</rt></ruby>早いが、これからまた峻しい山稜つづきで、適当な野営地が見つからぬかも知れないから、今夜はここで寝ることにした。

例の<ruby><rb>天幕</rb><rt>テント</rt></ruby>作りに取りかかる、古生層地は白峰までつづき、鳳凰地蔵一脈の間で、深谷にフツリと切れているのが、よく見える、人夫たちは雷鳥三羽を捕獲した、みんなして二羽を醤油飯に、一羽を焼いて喰った。

霧がまた少し来た、夜になると、甲府市の電燈が黄いろの珠のように、混沌の底から、ボーッと見えた、先刻の汽船といい、この電燈といい、人間に遇わずに、山から山を伝わって、野獣のような生活をつづけていた人々の胸をおどらせた。

夜も深くなった、焚火がとろとろと消えかかったとき、風が吹いて天幕の油紙が巻くられた、その<ruby><rb>隙間</rb><rt>すきま</rt></ruby>から<ruby><rb>潜</rb><rt>もぐ</rt></ruby>り込んだ風で、焔がパッと燃え上って光ったときは、寐込んだ油断に<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>に火がついたかと思って、一同夢うつつに<ruby><rb>駭</rb><rt>おどろ</rt></ruby>いて立ち上った、霧がいつの間にか深くなっていた、油紙は雨に遇ったように湿めっている、<ruby><rb>冷</rb><rt>ひ</rt></ruby>やりと手に触れたので眼が醒める。

山の肌（間の岳の雪田に到る）

朝起きて見ると、霧がまだ深い、西の方がまだしも<ruby><rb>霽</rb><rt>は</rt></ruby>れていて、うすくはあるが、明る味がさす、東天の山には、霧が立て<ruby><rb>罩</rb><rt>こ</rt></ruby>めて、一行はこの方面に盲目になった、日は霧の中をいつの間にか昇っている、冷たい白い月のように、ぼんやりとして、<ruby><rb>錫</rb><rt>すず</rt></ruby>色の円い輪が、空の中ほどを<ruby><rb>彷徨</rb><rt>さまよ</rt></ruby>っている、輪の<ruby><rb>周囲</rb><rt>まわり</rt></ruby>は、ただ混沌として一点の光輝も放たない、霧の底には、平原がある、平原の<ruby><rb>面</rb><rt>プレーン</rt></ruby>は<ruby><rb>皸</rb><rt>ひび</rt></ruby>が割れたようになって、銀白の川が、閃めいている、甲府平原は、深い水の中の藻のようにかすんで、蒼く<ruby><rb>揺</rb><rt>ゆら</rt></ruby>めいているばかりだ。

この連日、峰から峰を伝わっているので、水がないから、顔も洗われない、焚火で<ruby><rb>髭</rb><rt>ひげ</rt></ruby>を焼いたり、その焚火の煤煙や、偃松の<ruby><rb>脂</rb><rt>やに</rt></ruby>で、手も頬も黒くなったり、誰を見ても、化かされたような顔をしている、谷へ下りたい、早く谷へ下りて、自由に奔放する水音が聞えたら、まあどんなに愉快だろう――谷川の流れる末に、巣くう人里などは、考えるさえ、まだ遠いのである。

二等三角点に添って、西へと向き、見上げるような、岩の障壁を<ruby><rb>攀</rb><rt>よ</rt></ruby>じると、急に屏風が失くなったようになって、北の方から、待ち構えていた冷たい風が吹きつけて来る、強い風ではないけれど、遠くは北の方、飛騨山脈や、近くは西の方木曾山脈の山々の、雪や氷の<ruby><rb>砥石</rb><rt>といし</rt></ruby>に、風の歯は<ruby><rb>砥</rb><rt>と</rt></ruby>がれて、鋭くなり、冷たさがいや増して、霧を追いまくり、かつ追いかけて、我らの頬に噛みつくのである、我らは吹き込む風の中心になったようで、その冷たさと、痛さとに<ruby><rb>慄</rb><rt>ふる</rt></ruby>えながらも、<ruby><rb>山稜</rb><rt>リッジ</rt></ruby>を伝わって行く。岩は鋼鉄のように硬くなりながらも、イワベンケイ、ミヤマダイコンソウ、ムカゴトラノオなど、黄紫のやさしい花を、点々とその<ruby><rb>窪洞</rb><rt>うろ</rt></ruby>に<ruby><rb>填</rb><rt>う</rt></ruby>めながら、ギザギザに尖っている輪廓を、無数に空に投げ掛けている。

西へ西へと、伝わって、一山超えると、また一山が、鋭い<ruby><rb>鑿</rb><rt>のみ</rt></ruby>で<ruby><rb>穿</rb><rt>く</rt></ruby>りぬいたように、大曲りに<ruby><rb>蜿</rb><rt>う</rt></ruby>ねった<ruby><rb>山稜</rb><rt>リッジ</rt></ruby>を、連鎖にして、その果に突立っている、仰ぐと、西の天は雲が三万尺も高く、<ruby><rb>堆</rb><rt>うずたか</rt></ruby>くなって、その隙間には湖水のように澄徹した碧空が、一筋横に入っている、中農鳥とおぼしき一峰を超えると、また一峰がある、日が昇るに従って、雲や霧は、岩と空の結び目から、次第に離れて消えて行く、葉を一杯に荷った<ruby><rb>楡</rb><rt>にれ</rt></ruby>の樹のような積雲は、方々が<ruby><rb>頽</rb><rt>くず</rt></ruby>れて、谷底へと揺落してしまう、そうしてその分身が、水陸両棲の<ruby><rb>爬行</rb><rt>はこう</rt></ruby>動物のように、岩を蜿ねり、谷に下って、見えなくなる。

空は高くなって、四方は壮大な<ruby><rb>円形劇場</rb><rt>アムフィセアタア</rt></ruby>のように開展する……出た……出た……木曾御嶽は、腰から上、全容を現わした、木曾駒ヶ岳も近くに立ち上った、方々から頭を白く削った<ruby><rb>稜錐状</rb><rt>ピラミダル</rt></ruby>の山々が、波のように寄せて来た。

脚下の谷へ追い落された水蒸気の団々は、反曲の度を高めて、背を山に冷やさせ、顔を日光に向けて、ふわりと立って飛ぶ、それが長く<ruby><rb>繋</rb><rt>つな</rt></ruby>がって、日を<ruby><rb>截</rb><rt>た</rt></ruby>ち切ったかと思うとき、異常な光がチラリと岩角に落ちた、ふと見上げると、円い虹のようなものが、虚空の中に二輪も、三輪も結ばれた、その輪の中に、首を貫ぬいて五、六丈もあろうかと思うような、黒い巨人が、ヌーッと立っている、富士登りの道者のいう、三尊の阿弥陀の来迎はこれだ、<ruby><rb>侏儒</rb><rt>いっすんぼうし</rt></ruby>のような人間が、天空に映像されたときに、このような巨人となったのだ、我らが手を挙げると、向うでも挙げる、金剛杖を<ruby><rb>横縦</rb><rt>よこたて</rt></ruby>に振り廻わすと、空の中でも十字架を切る。暁を思わせるうす紅色で、雨気を含んだ虚空に、浸み透るように、<ruby><rb>暈</rb><rt>ぼか</rt></ruby>して描かれた自分たちの印画は、この大なる空間を<ruby><rb>跨</rb><rt>また</rt></ruby>いで、谷間へと消え落ちた。

この山の上で、朝から夕立に遇っては堪まらないと、多年山登りの経験から気がついて、呆れ顔の導者を促して路を急ぐ、岩角を上ったり、下ったり、偃松や黄花石楠花の間を転がるようにして走ったが、その間に幻影は消え消えながら、三度出た、しかし心配ほどもなく、霧は<ruby><rb>奇麗</rb><rt>きれい</rt></ruby>に拭われて、雨にはならなかった。

<ruby><rb>間</rb><rt>あい</rt></ruby>の<ruby><rb>岳</rb><rt>たけ</rt></ruby>は大断崖を隔てて北に聳えている、北岳はここからは見えない、峻急な山頂の岩壁を峰伝いに北に向けて直下する。間の岳はもう眼の前に立っている、山の空気が稀薄で透明になっているから、それが近いように見えていて、歩くに遠いのが解る。

雪で<ruby><rb>釉薬</rb><rt>つやぐすり</rt></ruby>をかけたように光る遠くの山々は、<ruby><rb>桔梗</rb><rt>ききょう</rt></ruby>色に<ruby><rb>冴</rb><rt>さ</rt></ruby>え渡った空の下で、互いにその何百万年来の、<ruby><rb>荒</rb><rt>すさ</rt></ruby>んだ顔を見合せた、今朝になって始めて見た顔だ、或るものは牛乳の皮のように、<ruby><rb>凝</rb><rt>こお</rt></ruby>った雪を<ruby><rb>被</rb><rt>かず</rt></ruby>いている、或るものは細長い雪の<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>で、腹の中を結えている、そうして尖鋭の岩を歯のように黒く露わして、ニッとうす気味悪く笑っている。

<ruby><rb>目的</rb><rt>めあて</rt></ruby>は間の岳にある、残んの雪は、足許の岩壁に白い<ruby><rb>斑</rb><rt>ぶち</rt></ruby>を入れている、偃松はその間に寸青を点じている、東天の富士山を始めて分明に見ながら、岩や松を踏み越えて、下りると、誰が寝泊したのか、野営地の跡が、二カ所あった、石を畳み上げて、<ruby><rb>竈</rb><rt>かまど</rt></ruby>が拵えてあるので、それと知れたのだ、偃松の<ruby><rb>薪</rb><rt>たきぎ</rt></ruby>が、半分焦げて、二、三本転がっている。

尾根を伝わって、東に富士山、西に木曾の御嶽を見ながら行くと、また野営地があった、そこはちょっとした草原になっていた、雪解の水で<ruby><rb>湿</rb><rt>しめ</rt></ruby>っているところへ、<ruby><rb>信濃金梅</rb><rt>しなのきんばい</rt></ruby>の、黄色な花の大輪が、春の野に見る<ruby><rb>蒲公英</rb><rt>たんぽぽ</rt></ruby>のように咲いている、アルプスの高山植物を、代表しているところから、アルプスの旅客が、必ず土産に持ちかえるものにしてあるエーデルワイス（<ruby><rb>深山薄雪草</rb><rt>みやまうすゆきそう</rt></ruby>）は銀白の<ruby><rb>柔毛</rb><rt>にこげ</rt></ruby>を<ruby><rb>簇</rb><rt>むら</rt></ruby>がらせて、同族の<ruby><rb>高根薄雪草</rb><rt>たかねうすゆきそう</rt></ruby>や、または赤紫色の濃い<ruby><rb>芹葉塩釜</rb><rt>せりばしおがま</rt></ruby>、<ruby><rb>四葉塩釜</rb><rt>よつばしおがま</rt></ruby>などと交って、乾燥した<ruby><rb>礫</rb><rt>こいし</rt></ruby>だらけの<ruby><rb>窪地</rb><rt>くぼち</rt></ruby>に美しい色彩を流している。

振り返れば、間の岳（赤石山脈）や、悪沢岳の間から、赤石山が見える、そうして千枚沢の一支脈は、<ruby><rb>兀々</rb><rt>ごつごつ</rt></ruby>した石の翼をひろげて、自分たちの一行を、遥かに包もうとしている。

東へ方向を取って、また北へと折れる、右にも左にも、雪田がある、ここから近く見た間の岳は、破れた石を以て、肉としている、おそらくその石を<ruby><rb>悉</rb><rt>ことごと</rt></ruby>く除けば、間の岳は<ruby><rb>零</rb><rt>ゼロ</rt></ruby>になるであろう、その石だ、老人の皺のように山の膚に筋を<ruby><rb>漲</rb><rt>みなぎ</rt></ruby>らせているのも、古衣の<ruby><rb>襞</rb><rt>ひだ</rt></ruby>のように、スレスレに切れたり、ボロボロに崩れたりしているのも、この石だ、それを<ruby><rb>針線</rb><rt>はりがね</rt></ruby>のように、偃松が幾箇処も縫っている。

急峻な登りを行く、雲は赤石山を包み隠して、西南にその連嶺の西河内岳の一角を現わした、さすがに富士山のみは、深くまつわる山を踏み<ruby><rb>踰</rb><rt>こ</rt></ruby>えて、ひとり高く半天に立っている。

石の急壁を登りかけていると、雷鳥が一羽、ちょこちょこと前を歩いている、晃平が、狙いをつけて一発放したが、<ruby><rb>禽</rb><rt>とり</rt></ruby>は横に<ruby><rb>逸</rb><rt>そ</rt></ruby>れて、<ruby><rb>截</rb><rt>き</rt></ruby>られた羽が、動揺した空気に白く舞った、一行手取りにするつもりで、暫く追いかけて見たが、掌中の物にはならなかった。

疲労の足を引き<ruby><rb>擦</rb><rt>ず</rt></ruby>って、石壁の上に登りついたとき、眼は先ず晶々<ruby><rb>粲々</rb><rt>さんさん</rt></ruby>として、碧空に輝きわたる大雪田、海抜三千百八十九<ruby><rb>米突</rb><rt>メートル</rt></ruby>の高頂から放射して、細胞のような小粒の雪が、半ば結晶し、半ば融けて、大気を含んだ、透明の泡が、岩の影に紫色を<ruby><rb>翳</rb><rt>かざ</rt></ruby>しているのに、<ruby><rb>眩</rb><rt>まば</rt></ruby>ゆくなるばかりに<ruby><rb>駭</rb><rt>おどろ</rt></ruby>いた、南方八月の雪！　白峰をして白からしめた雪！　我ら一行の手は、初めてこの秘められたる、白い肌に触れたのである。

羚羊・長之助草（北岳の絶巓に登る記）

それから尾根伝いに、間の岳の絶頂まで這い上り、三等三角測量標の下に立った、北西に駒ヶ岳（甲斐）の白い頭が、眼前の鋭い三稜形をしている北岳に、挟みつけられて見える、霧が来て散った。

この附近は<ruby><rb>偃松</rb><rt>はいまつ</rt></ruby>の原でなければ、暗礁のような岩角が立っていて、高山植物が点じている、なお北岳を見ていると、東の谷、西の谷、北の谷から霧が吹いて来て、その裾は深谷の方に<ruby><rb>布</rb><rt>し</rt></ruby>きながら、頂上を<ruby><rb>匝</rb><rt>め</rt></ruby>ぐって、渦を巻いている。西北の仙丈岳を前衛として、駒ヶ岳、鋸岳、木曾駒山脈の切れ間に谷が多いので、このように水蒸気も多く、そうしてこの山を目がけて、吹きつけるのであろう。

大雪田の石の峰を超えて、三角点の下に来た、木曾山脈を西に控えて、その間の高原を、天竜川が白く流れ、仙丈岳は渓谷を隔てて、その頂上の、噴火口と<ruby><rb>擬</rb><rt>まが</rt></ruby>いそうな欠けたところが、大屋根の<ruby><rb>破風</rb><rt>はふ</rt></ruby>のように<ruby><rb>聳</rb><rt>そび</rt></ruby>えて、霧を吐く窓になっている。駒ヶ岳の白い頭は、<ruby><rb>白崩</rb><rt>しろくずれ</rt></ruby>山の名を空しくせずに、白く<ruby><rb>禿</rb><rt>は</rt></ruby>げて光っている。

間の岳の峰から、北岳まで尾根が<ruby><rb>繋</rb><rt>つな</rt></ruby>がっていることは、ここで初めて確かめられた、我が三角測量標の下には、窪地があって、そこには雪田が白く塊まっている、一丁ほども歩いたかと思うと、また雪田がある、<ruby><rb>築土</rb><rt>ついじ</rt></ruby>の塀の蔭に、消え残った春の雪のようだが、分量は遥かに多い。

石の壁は南方から連なって、人の歩く路を<ruby><rb>窄</rb><rt>せば</rt></ruby>めている、もうこの辺からは、雪田が幾筋となく谷へと繋がっている、高頭君の説明するところによると、日本北アルプス中の白馬岳の雪とは、比べものにならないが、十月頃の白馬岳なら、この位なものであろうか、ということである、一体が暖かい南アルプスに、このように雪が多いのは、未だ山上では、春であるからであろう。

間の岳から北岳までは、北へ北へと、駿河甲斐の国境を、岩石の障壁が<ruby><rb>頽</rb><rt>なだ</rt></ruby>れをうって、肩下りに走っている、その峰は皆剣のように尖れる岩石である、麻の<ruby><rb>草鞋</rb><rt>わらじ</rt></ruby>が、ゴリゴリと、その切ッ先に触れて、一本一本麻の糸が引き截られるのが、眼に見るようで、<ruby><rb>静</rb><rt>しずか</rt></ruby>に歩くさえ、砂でも噛み当てたように、ガリガリ音がする、あまり<ruby><rb>峻</rb><rt>けわ</rt></ruby>しいから、迂回しようとして、足を踏み<ruby><rb>辷</rb><rt>す</rt></ruby>べらすと、石の<ruby><rb>谿</rb><rt>たに</rt></ruby>が若葉を<ruby><rb>敲</rb><rt>たた</rt></ruby>く谷風でも起ったように、バサバサと鳴り出して、大きい石や小さい石が、ひた押しに流れて、谷底へと墜落するのもある、中途で石と石と抱き合って、停まってしまうのもある、その石の壁の頂には、偃松が多く、高山植物の中にも、ミヤマオダマキがうす紫の花を<ruby><rb>簇</rb><rt>むらが</rt></ruby>して、岩角に立っているのが、色彩が鮮やかで、こんな寒い雪や氷の、<ruby><rb>磽确</rb><rt>こうかく</rt></ruby>な土地も、深碧の空と対映して、<ruby><rb>熱帯的</rb><rt>トロピカル</rt></ruby>に見えた。

峰伝いに下って、いよいよ北岳の直下まで来ると、雪田が二ツほどある、長さは二十町もあろう、その雪田の谷底に接触する尖端から、雪が融けて水になって、流れているのもある、この雪田は白馬岳のに、やや匹敵することが出来るが、厚味がそれほどないと、高頭氏は言った、それでもこんな大残雪があって見ると、日本北アルプスのみ、雪の自慢をさせて置けないと追加した。

ふと後から荷をしょって来た人足どもの、<ruby><rb>噪</rb><rt>さわ</rt></ruby>ぐ声がする、東の峡間に、一頭の<ruby><rb>羚羊</rb><rt>かもしか</rt></ruby>を見つけ出したのだ、なるほど一頭いるわいと気が<ruby><rb>注</rb><rt>つ</rt></ruby>くころ、中村宗義は銃を抱えて、岩蔭を岩蔭をと身を平ッたく伝わって、谷側まで下りた、円く肥えた羚羊は、キョトンとした顔をして考えている、その短い角が碧空に動かずに、シーンと立っている、晃平の采配で、人夫一同は石を上から転がす、シッシッと叫ぶものがある、ホーイ、ホーイ、ホーイと<ruby><rb>怒鳴</rb><rt>どな</rt></ruby>る声がする、羚羊は石の転がり方を冷たく見て、一、二尺ずつ<ruby><rb>退</rb><rt>すさ</rt></ruby>りながら、大石の側へ、寄って来る、そこには宗義が先刻から、銃を取り直して待っている、しかし火蓋の切りようが、狙った壺より少し早過ぎたために、羚羊はびっくりしながらも、驚くべき速力で、向うの山へと駈け上った、そうして偃松の傾斜の中へ入って、岩を楯にまたキョトンとして、こっちを見ている、角は木の枝のようで、体は岩のようにぴったりと静まる、宗義は銃を負って、岩から岩を殆んど四足の速さで、飛びながら追っかけたが、<ruby><rb>竟</rb><rt>つい</rt></ruby>に<ruby><rb>遁</rb><rt>に</rt></ruby>がしてしまった、もっとも羚羊は跛足を引いていたから、たしかに<ruby><rb>銃丸</rb><rt>たま</rt></ruby>が、足へ当ったろうとは後で言っていたが。

ここから仰いだ白峰の北岳は、峻急に聳えて、肩幅も、おもいの外広く、頂上は幾多のギザギザがありながら、大体において平ッたく切截したようになって、間の岳つづきの尾根から、<ruby><rb>抓</rb><rt>つま</rt></ruby>み上げられたように、北方の天に<ruby><rb>捏</rb><rt>こ</rt></ruby>ねられている、まるで<ruby><rb>麦酒</rb><rt>ビール</rt></ruby>の瓶を押し立てたようだと、高頭君は半ば恐怖を抱いて言った、その壮容は、殉教者や迷信者を作って、引き寄せるだけの価値があった、もう日は真ッ直ぐに照りつけるようになって、黄色の烈しい光線が、眼をチラチラさせる、未だ<ruby><rb>午前</rb><rt>ひるまえ</rt></ruby>であったが、これからいよいよ北岳登りになるのだから、一行は高山植物の草原に足を投げ出して、塩のない、皮の固い<ruby><rb>結飯</rb><rt>むすび</rt></ruby>を喰い初めた、福神漬の<ruby><rb>菜</rb><rt>さい</rt></ruby>に、茶代りの雪を噛んだが、<ruby><rb>喉</rb><rt>のど</rt></ruby>がヒリつくので、米の味も何もなかった。それでも東に甲府平原と、それを隔てた富士山、西に伊那平を踏まえている木曾駒山脈、北の仙丈岳と駒ヶ岳、近くに北岳を仰いで、昼飯を済ました心持は、悪くはなかった。

雪田に沿いて、北岳に向う、先に尖った筋と見たものは、皆一丈もあろうという岩石の重畳で、五つか六つ石が<ruby><rb>堆</rb><rt>うずた</rt></ruby>かくなっているように見えたのは、岩石で組んだ立派な<ruby><rb>峰</rb><rt>ピーク</rt></ruby>であった、その中でも、巨岩が垂直線に、鼻ッ先に立ちふさがっているところは、身を平ったく、岩と岩の間を潜ったり、<ruby><rb>這</rb><rt>は</rt></ruby>ったりした、およそ間の岳から北岳の峰までの、石の草原には、<ruby><rb>深山薄雪草</rb><rt>みやまうすゆきそう</rt></ruby>、<ruby><rb>深山金梅</rb><rt>みやまきんばい</rt></ruby>、トウヤク<ruby><rb>竜胆</rb><rt>りんどう</rt></ruby>、<ruby><rb>岩梅</rb><rt>いわうめ</rt></ruby>、<ruby><rb>姫鍬形</rb><rt>ひめくわがた</rt></ruby>、<ruby><rb>苔桃</rb><rt>こけもも</rt></ruby>などが多いが、その中で、誰の目にもつくのは、長之助草である、この<ruby><rb>偃地</rb><rt>えんち</rt></ruby>性の小灌木は、茎の粗い皮を、岩石に擦りつけるようにしている、<ruby><rb>槲</rb><rt>かしわ</rt></ruby>に似て、小さい、鈍い、鋸の歯のように縁を刻んだ葉を、<ruby><rb>眼醒</rb><rt>めざ</rt></ruby>めるように鮮やかな緑に色づけて、その裏面にはフランネルのような白い毛が、おもての緑と対照するために、密やかに<ruby><rb>布</rb><rt>し</rt></ruby>いている、<ruby><rb>恰度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby>一枚の葉で、おもては深淵の空を映し、裏は万年雪を<ruby><rb>象</rb><rt>かたど</rt></ruby>ったようである、卵形の白い花が八弁、一寸位の小さい花梗の頭に、同じく八個の<ruby><rb>萼</rb><rt>がく</rt></ruby>を台にして、安住している、同じ日本アルプスでも、他所の長之助草に比べて、花でも葉でも、一と際小さい方であるが、それでも殆んど草原を埋めるばかりに群って、<ruby><rb>白山一華</rb><rt>はくさんいちげ</rt></ruby>や、チングルマなどと交って、岩穴や<ruby><rb>山稜</rb><rt>リッジ</rt></ruby>の破れ目に、咲いている、<ruby><rb>皺</rb><rt>しわ</rt></ruby>のあるところに白い花がある、<ruby><rb>襞</rb><rt>ひだ</rt></ruby>の折れたところに白い花がある、溝の<ruby><rb>穿</rb><rt>うが</rt></ruby>たれたところに白い花がある、白い花が<ruby><rb>悉</rb><rt>ことごと</rt></ruby>く長之助草だとは言わないが、白い花の中に、この花を見ないということはないほどである、大籠山の裏白金梅と、間の岳北岳間の長之助草とは、我らの一行によって確められた、この高山植物の最大産地――今まで知られているところでは――であった。

倉橋君と私と一緒になって、石の峰を絶頂まで辿りついたころは、正午を少しばかり過ぎた、高頭君以下も、やがてつづいて来た、絶頂は大別すると、三つに<ruby><rb>岐</rb><rt>わか</rt></ruby>れていて、偃松が少しばかり生えている、初めのは四角張った石を畳み上げてある、中には三角測量標が立っている、高く抜き出る北岳の頂から、更に自分だけ高く抜いたこの三角点は、日本南アルプスの中で、<ruby><rb>縋</rb><rt>すが</rt></ruby>り得べき土地の垂直的突端である、それから上は絶対無限の空ばかりだ、三角標の基脚には<ruby><rb>黄花石楠花</rb><rt>きばなしゃくなげ</rt></ruby>、チングルマ、アオノツガサクラ、浦島ツツジ、四葉シオガマ、白山一華、偃松などが西の障壁へと、斜めに飛び飛びに漂っている。

小さい石祠がある、屋根には南無妙法蓮華経四千部と読まれた、<ruby><rb>大日如来</rb><rt>だいにちにょらい</rt></ruby>と書いた木札が建ててある、私たちの一行より、二十日も前に登山した土地測量技師や、昨年登山した東京の人たち、山麓<ruby><rb>蘆安</rb><rt>あしやす</rt></ruby>村でよく聞く名の森本某、名取某の名刺が散らばっている。

外にも壊れかかった石祠がある、中には神体代りの小鉄板が、<ruby><rb>鏽</rb><rt>さ</rt></ruby>びて腐蝕しながらも、奉納白根大日如来寛政七年乙卯六月と読まれた、白峰赤石両山脈の頂で、山の荒神たちと離れられない関係があるらしい、鉄の槍身が、赤<ruby><rb>錆</rb><rt>さ</rt></ruby>びになって<ruby><rb>仆</rb><rt>たお</rt></ruby>れていた。

山頂の眺めは、こうしている間にも、絶えず変っている、仙丈岳の頂上は、雲に包まれてしまった、赤石山脈は間の岳だけを残して、千枚沢岳と悪沢岳とが、消え失せた、脚の下は天竜川だけが認められて、木曾山脈は、紺の<ruby><rb>法衣</rb><rt>ほうえ</rt></ruby>を着た坊主が行列しながら、<ruby><rb>帳</rb><rt>とばり</rt></ruby>の中へ一人ずつ包まれるように、見えなくなった、<ruby><rb>大樺</rb><rt>おおかんば</rt></ruby>谷の左には、大樺池が森林の底に小さく、穴のように見える、末の梢と頭の枝とが、緑に濃淡の調子をつけて、森然として沈黙している。

測量標の直ぐ下は、野宿に適当な広い平地があって、それから<ruby><rb>凄</rb><rt>すさ</rt></ruby>まじいほど、垂直の断崖を<ruby><rb>作</rb><rt>な</rt></ruby>している、その下が雪田で、雪解の水は大樺の谷、それから小樺の谷へと、落ちているらしいが、そこまでは解らない。

ともかく北岳というところは、北は駒ヶ岳、北西は仙丈岳、西は木曾山脈、南が間の岳、農鳥、北東が地蔵岳鳳凰山などと、高度我に下りながらも、ほぼ等しい大山岳圏に<ruby><rb>囲繞</rb><rt>いじょう</rt></ruby>せられているから、北アルプスの高山で見るような、広々とした眺望は<ruby><rb>獲</rb><rt>え</rt></ruby>られない。

この白峰山脈縦断旅行も、これでおしまいになるのかと思うと、嬉しいような、気抜けがしたような、勝利の悲哀といったような、<ruby><rb>情</rb><rt>なさけ</rt></ruby>ない心持が身に沁み泌みと味われて来る。

信濃金梅・木賊（大樺谷に下る記）

北岳三峰中の最北端まで来ると、石で囲った木の<ruby><rb>祠</rb><rt>ほこら</rt></ruby>があって、甲斐が根神社と読まれた、そこから何百<ruby><rb>米突</rb><rt>メートル</rt></ruby>か低くなって、尾根の最北端に<ruby><rb>駱駝</rb><rt>らくだ</rt></ruby>の<ruby><rb>瘤</rb><rt>こぶ</rt></ruby>のような峰が、三個ほどある、これを私は仮に、三峰岳と名をつけた、この岳から谷が切れて、北に仙丈岳が聳えている、尾根伝いに北の方、甲斐駒を隔てて八ヶ岳と、その<ruby><rb>天鵞絨</rb><rt>ビロード</rt></ruby>のような大裾野を見た、下りがけに小さな雪田が、二ツばかりあった、人々は雪を爪でガリガリ掻きながら、うまがって喰べた、ツガサクラや、黄花石楠花の間を伝わって、三峰岳の方に向いながら、途中から<ruby><rb>偃松</rb><rt>はいまつ</rt></ruby>を横切って、大樺谷へと下りた、偃松が尽きると、春の低原地に見られるような、生々しい緑の草葉が、陰湿の土を包んで、その傾斜が森林の中まで落ちている、草ばかりではない、小さい切石や、角石が隠れていて、<ruby><rb>踵</rb><rt>かかと</rt></ruby>でも足の指でも噛まれて、傷だらけになる、<ruby><rb>信濃金梅</rb><rt>しなのきんばい</rt></ruby>の花は、黄色な珠を<ruby><rb>駢</rb><rt>なら</rt></ruby>べて、絶頂から裾までを埋めた急斜の、大黄原を作っている、稀に女宝千鳥や、黒百合も交っているが、このくらい信濃金梅の<ruby><rb>盛</rb><rt>さかん</rt></ruby>に<ruby><rb>団簇</rb><rt>だんそう</rt></ruby>したところは、外の高山では、見たことがない。

白樺の痩せた稚い樹が出て来て、その中から山桜の花が、雪のように咲いている、四月の色は北岳の北の尾根から、信濃金梅の傾斜を伝わって、この森林にまで、流れ込んでいる。

次第に喬木の森林に入った、白く光る朽木は、悪草の臭いや、<ruby><rb>饐</rb><rt>す</rt></ruby>えたような地衣の匂いの中に立ち腐れになっている、うっかり手が触れると、<ruby><rb>海鼠</rb><rt>なまこ</rt></ruby>の肌のような滑らかで、<ruby><rb>悚然</rb><rt>ぞっ</rt></ruby>とさせる、<ruby><rb>毒蚋</rb><rt>どくぶと</rt></ruby>が、人々の肩から上を、空気のように離れずにめぐっている、誰も<ruby><rb>螫</rb><rt>さ</rt></ruby>されない人はない、<ruby><rb>大樺池</rb><rt>おおかんばいけ</rt></ruby>を直ぐ眼の下に見て、ひた<ruby><rb>下</rb><rt>お</rt></ruby>りに下る。

森がちょっと途切れて、また草原になる、雪の塊が方々に消え残っている、大樺池は、この緑の草原の中で、針葉樹や白樺の<ruby><rb>稚樹</rb><rt>わかぎ</rt></ruby>に、三方を囲まれ、一方は原に向いている、水はうす汚なくて、飲もうという望みは引ッ込んだが、草影、樹影、花影が池に入って、長い濃い<ruby><rb>睫毛</rb><rt>まつげ</rt></ruby>が、黒い眼の<ruby><rb>縁</rb><rt>ふち</rt></ruby>に蓋をしている、緑晶のような液体の上を、水虫が這っている、それが原の中の「眼」から、転ぶように動く涙のようだ。鳳凰山地蔵岳の大花崗岩山は、その<ruby><rb>峻</rb><rt>けわ</rt></ruby>しい荒くれた膚を、深谷の空気に、うす紫に染めている。

それからまた針葉樹林を駈け下りる、水の音がするすると、樹の間を分けて上って来るようだ、水！　水！　連日味わなかった水！　一同は狂気のように躍り上って、悦んだ、そうして小さい谷川へ下りたときには、敷石の水成岩の上に、腹這いになって、飲む、<ruby><rb>嗽</rb><rt>すす</rt></ruby>ぐ、洗う、もう<ruby><rb>浸</rb><rt>つ</rt></ruby>かるばかりにして、やっと満腹した。

それから大樺谷を右左に、石伝いに徒渉すると、窮渓が開けて、林道となった、材木の新しく伐り倒された痕を見つけて、もう人がいると思った、<ruby><rb>羊歯</rb><rt>しだ</rt></ruby>や<ruby><rb>木賊</rb><rt>とくさ</rt></ruby>の多く生えている谷沿いの、湿地を下りてから、路も立派についている、能呂川の縁の、広河原というところへ出た、『甲斐国志』能呂川の条に「河側に木賊多し、残篇風土記に、巨摩郡西隈本木賊とあり、<ruby><rb>意</rb><rt>おも</rt></ruby>ふにこの川の古名なるべし」、今も木賊が、この辺到るところに自生している。

材木小舎があって、男女七、八人、精々と労作をしている、木は<ruby><rb>唐檜</rb><rt>とうひ</rt></ruby>が多く、<ruby><rb>飯櫃</rb><rt>めしびつ</rt></ruby>の材料に、<ruby><rb>挽</rb><rt>ひ</rt></ruby>き板に製している、晃平を使いに立てて、一泊を頼んで見たが、聞き入れない、一行は急流に架けた木橋を渡って、能呂川の対岸に出ると、北岳が頭を圧すように、近く空を<ruby><rb>劃</rb><rt>かぎ</rt></ruby>って、<ruby><rb>頭抜</rb><rt>ずぬ</rt></ruby>けている、「あの山の頂を踏んだ」という誇が、人々の顔にまざまざと読まれた。

十町ばかりも足をひきずって歩いたが、ここに川縁の広い沙原――<ruby><rb>下樺</rb><rt>しもかんば</rt></ruby>という――を見つけて、今夜の野営を張ることにした、床は<ruby><rb>栂</rb><rt>つが</rt></ruby>の葉で<ruby><rb>布</rb><rt>し</rt></ruby>き敷めた、屋根は<ruby><rb>例</rb><rt>いつも</rt></ruby>の油紙である、疲れた足を投げ出して、荷の整理にかかる、今日は殊に岩石の多い傾斜地を来たので、今までは一日一双か二双位の<ruby><rb>草鞋</rb><rt>わらじ</rt></ruby>が、平均五双ずつを費やした、最も堅固なものにしていた麻の草鞋も、大穴が明いて、棄てるより外はなかった、<ruby><rb>繃帯</rb><rt>ほうたい</rt></ruby>、<ruby><rb>絆創膏</rb><rt>ばんそうこう</rt></ruby>、衣服の修繕の糸や針、そういうものが、人々の手から手に取り交わされた、谷川の清い水で、鍋や茶碗が充分に洗われた、この日の<ruby><rb>夕餉</rb><rt>ゆうげ</rt></ruby>はうまかった。

夜になって空に星はあったが、電光が白い柱を、谷の中に投げては、夜営の人々をおどろかした、夜半には、秋雨が音なく注いだ、川縁に転がっている流材を焚火にして、寒さを<ruby><rb>凌</rb><rt>しの</rt></ruby>いだ、針葉樹の切崖で囲んだ、瓶のように<ruby><rb>窄</rb><rt>せま</rt></ruby>い谷底からは、天も谷川ほどの細さで流れている。