Soranoha

月

つき

上田 敏

むかしより月をめづる人多し。あるは歌に詠じ、あるは文に属し、語をつくして、ほめたゝふ。されど如何なる月をか、いとよしとするにやあらむ。いまだ定まりたる、言をきかず。人々おのがじゝ、好むところあれば此あらそひ、恐くは永劫つきじ。

兼好のほふしは云へり「望月の隈なきを、千里の外までながめたるよりも、暁ちかくなりて待ち出でたるが、いと深う青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれの程、又なく哀なり。」と、これも一きは理あるやうに見ゆれど、かたいぢなる論なり。たとへ如何なる月なりとも心ありて眺めたらんには、などてあはれならざるべき。されば茲に四時をり〱の月どもあげてながめ見ばや。

「てりもせずくもりもはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしくものぞなき」いとも静けき春の夕、梅が香そよと吹きくる風のまにまに匂ひ、あたりしみじみと見ゆるに、あるかなきかに白うかすみていでたる月影いとをかし。されど桜の花の今をさかりとさきいでたるが、隈なき光にてらされつ、をりから吹きくる風にあへなく花吹雪となる、もろもろのものの常なきもおもひいでられて、なほさら、哀れに見ゆ。

夏の雨のゝちの月こそ見所あれ、槇、しばなんどの、木の葉にきらめきて、こずゑ葉末に真珠の玉見ゆ。まへの池のおもにてる月波、風吹きて水うごくまゝに黄金の糸をしくにさも似たり。汀の草むら、露にぬれはてゝ、うつむき低れたるさまにて水にうつれるが、あきらかなる月の光に、あり〱と見ゆるもおもしろし。納涼はかゝる折こそよけれ。

秋は月の見どきなり。空いと澄みて、一むらの雲なく、夕つ方より東のかたを打ながめてあれば、しばしして山ぎは少しあかり、次第に光しげく、今少しすれば、大きやかなる、少しく赤みかゝりたる月さし昇る。みるまに山ぎは、はなれて中空にあがる、いつしか星のかげうせぬ。光みち〱てすきとほすばかりなり。事古りにたれど白居易の「二千里外故人心」の句よくもいひ出でたりと覚ゆ。よく月みざる人はもはや戸さす比、何くより来にけん、白雲月の前に横り、をりしも雁なきわたる。正にこれ

しらくもにはね打かはし飛ぶかりのかずさへ見ゆる秋の夜の月

あな面白の景色やなど眺めくらす。夜もいたうふけぬ。人定り、あたり静かになり行くにつけ、流の声か、砧のおとか、かすかに聞ゆ。兎角するうち、風さつと吹き来り、今まで知らざりしが、何時か空いとくろうなりぬ。月うせ、星きえ、いと凄じ。忽ちにして、ひぢかさ雨急にふりきぬ。前のさゝ原に玉霰ちり、幾千の軍馬押よすと見えたり。驚きて家に入り、あわたゞしう戸ざしす。雨いよ〱はげしく、雨戸を打ち凄じ。風さへましたるにや後なる丘の木立に落葉しげし。秋の習なればさまで驚くにあれねど、夜すがら、いもねられず、暁近くなりてしばし目どろみぬ。目覚めて窓の戸、おしあけ庭の面見やれば、色つきそめし叢、咲乱れし千草不残にも野分にふき乱され「つらぬき留めぬ玉ぞちりける」。

冬の月こそいとものすごきものなれ。老女の化粧したると比喩ふれど実にと覚ゆるなり。しはすの中の七日あたりの程こそ心ある人は見るべけれ。少しくもや四方にこもれど月かげ冴けく研ぎすましたる鎌の如し。枯枝の間にかゝれる比、はるか、へだたりて、氷はりたる地づらを、高履はきて、おとたて歩む聞ゆるいとものかなし。冬の月は人の多くめでざるものなり。ぬのこきて、月見んも如何なるを以てか、年のすゑとて人々物せはしう、うちのゝしりて行くを聞くにつけ、おのれもかく気ながきことす可からずと、戸ざし埋火かきおこしつ、文ども読む、折から向ひの寺の鐘今よひもいねよかしと告げ渡る。身に染みてかなし。嗚呼年の名残かなし。

前にかゝげるは四時の月なれど、時と場所に依りて景色かはるものなり。予の知れるうちにては海上の月をかしと思ふなり。おのれ、数年前駿河なる清水港にともづなときて横浜さしての海上此景色を望むをえたり。をりしも満月の比にて三保の松原のきは行くとき海上光りわたりて金波きら〱として舷を打つ、忽ちにして玉兎躍り出でぬ。をりよく雲なく気すみし夜なりしかば対岸の松影歴々として数ふべく、大波小波、磯をうち、うちてはかへすさま夜目にもしるし。船次第に沖に出づるからに陸やう〱遠ざかり、はては青き丸天井のみとなりぬ。甲板に出で、のけざまに椅子に臥して天象を仰ぎ、又と得がたき景色に気を奪はれたり。夜の寒にあたりては悪かりなんと云ふ母の言に降りて船室に臥しぬ。二時ばかり程経て突然と汽笛に覚され、何事ならんと甲板に走り出るに船は一の湾口にあり、驚きて傍への人に問へば下田港なりと答ふ。眼を転じて見れば既に暁ちかしと見え、先ほどまで高かりし月既に西の水際にかゝれり。又東方を見れば煙波中遥に一炬火の如きあり、これ伊豆の大島なりと。湾内漁火しめりて波音高かし。一ゆりして船うごく。月已に落にきとみえ、少しくくらうなりて星かげあらはる。もや立て籠めて遠くは見えず。相模灘に近きたりと覚しく波少しくはげしうなりて船も動揺するなり。

底本 / Source edition

底本:「日本の名随筆58 月」作品社
1987(昭和62)年8月25日第1刷発行
底本の親本:「定本 上田敏全集 第六巻」教育出版センター
1980(昭和55)年5月
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2006年9月21日作成
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書誌 / Bibliography
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上田 敏「月」(新字旧仮名)、底本『日本の名随筆58 月』作品社、1987年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002412_000235, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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