一　昼顔

いくつぐらいの時であったかたしかには覚えぬが、自分が小さい時の事である。<ruby><rb>宅</rb><rt>うち</rt></ruby>の前を流れている濁った<ruby><rb>堀川</rb><rt>ほりかわ</rt></ruby>に沿うて半町ぐらい上ると川は左に折れて旧城のすその茂みに分け入る。その城に向こうたこちらの岸に広いあき地があった。維新前には藩の調練場であったのが、そのころは県庁の所属になったままで荒れ地になっていた。一面の砂地に雑草が所まだらにおい茂りところどころ昼顔が咲いていた。近辺の子供はここをいい遊び場所にして<ruby><rb>柵</rb><rt>さく</rt></ruby>の破れから出入りしていたがとがめる者もなかった。夏の夕方はめいめいに長い竹ざおを肩にしてあき地へ出かける。どこからともなくたくさんの<ruby><rb>蝙蝠</rb><rt>こうもり</rt></ruby>が蚊を食いに出て、空を低く飛びかわすのを、竹ざおを振るうてはたたき落とすのである。風のないけむったような<ruby><rb>宵闇</rb><rt>よいやみ</rt></ruby>に、蝙蝠を呼ぶ声が対岸の城の<ruby><rb>石垣</rb><rt>いしがき</rt></ruby>に反響して暗い川上に消えて行く。「蝙蝠来い。水飲ましょ。そっちの水にがいぞ」とあちらこちらに声がして時々竹ざおの<ruby><rb>空</rb><rt>くう</rt></ruby>を切る力ない音がヒューと鳴っている。にぎやかなようで言い知らぬさびしさがこもっている。蝙蝠の出さかるのは宵の口で、おそくなるに従って一つ減り二つ減りどことなく消えるようにいなくなってしまう。すると子供らも散り散りに帰って行く。あとはしんとして死んだような空気が広場をとざしてしまうのである。いつか<ruby><rb>塒</rb><rt>ねぐら</rt></ruby>に迷うた蝙蝠を追うて荒れ地のすみまで行ったが、ふと気がついて見るとあたりにはだれもいぬ。仲間も帰ったか声もせぬ。川向こうを見ると城の<ruby><rb>石垣</rb><rt>いしがき</rt></ruby>の上に<ruby><rb>鬱然</rb><rt>うつぜん</rt></ruby>と茂った<ruby><rb>榎</rb><rt>えのき</rt></ruby>がやみの空に物恐ろしく広がって<ruby><rb>汀</rb><rt>みぎわ</rt></ruby>の茂みはまっ黒に眠っている。足をあげると草の露がひやりとする。名状のできぬ暗い恐ろしい感じに襲われて夢中に駆け出して帰って来た事もあった。広場の片すみに高く小砂を盛り上げた土手のようなものがあった。自分らはこれを天文台と名づけていたが、実は昔の射的場の玉よけの跡であったので時々砂の中から長い鉛玉を掘り出す事があった。年上の子供はこの砂山によじ登ってはすべり落ちる。時々戦争ごっこもやった。賊軍が天文台の上に軍旗を守っていると官軍が攻め登る。自分もこの軍勢の中に加わるのであったが、どうしてもこの砂山の頂まで登る事ができなかった。いつもよく自分をいじめた年上の者らは苦もなく駆け上がって上から弱虫とあざける。「早く登って来い、ここから東京が見えるよ」などと言って笑った。くやしいので懸命に登りかけると、砂は足もとからくずれ、力草と頼む昼顔はもろくちぎれてすべりおちる。砂山の上から賊軍が手を打って笑うた。しかしどうしても登りたいという一念は幼い胸に巣をくうた。ある時は夢にこの天文台に登りかけてどうしても登れず、もがいて泣き、母に起こされ<ruby><rb>蒲団</rb><rt>ふとん</rt></ruby>の上にすわってまだ泣いた事さえあった。「お前はまだ小さいから登れないが、今に大きくなったら登れますよ」と母が慰めてくれた。その後自分の一家は国を離れて都へ出た。執着のない子供心には故郷の事は次第に消えて昼顔の咲く天文台もただ夢のような影をとどめるばかりであった。二十年後の今日故郷へ帰って見るとこの広場には町の小学校が立派に立っている。大きくなったら登れると思った天文台の砂山は取りくずされてもう影もない。ただ昔のままをとどめてなつかしいのは放課後の庭に遊んでいる子供らの勇ましさと、<ruby><rb>柵</rb><rt>さく</rt></ruby>の根もとにかれがれに咲いた昼顔の花である。

二　月見草

高等学校の寄宿舎にはいった夏の末の事である。明けやすいというのは寄宿舎の二階に寝て始めて覚えた言葉である。寝相の悪い隣の男に踏みつけられて目をさますと、時計は四時過ぎたばかりだのに、夜はしらしらと半分上げた寝室のガラス窓に明けかかって、さめ切らぬ目にはつり並べた<ruby><rb>蚊帳</rb><rt>かや</rt></ruby>の新しいのや古い<ruby><rb>萌黄色</rb><rt>もえぎいろ</rt></ruby>が夢のようである。窓の<ruby><rb>下框</rb><rt>したがまち</rt></ruby>には<ruby><rb>扁柏</rb><rt>へんばく</rt></ruby>の高いこずえが見えて、その上には今目ざめたような裏山がのぞいている。床はそのままに、そっと抜け出して運動場へおりると、広い<ruby><rb>芝生</rb><rt>しばふ</rt></ruby>は露を浴びて、素足につっかけた<ruby><rb>兵隊靴</rb><rt>へいたいぐつ</rt></ruby>をぬらす。ばったが驚いて飛び出す羽音も快い。芝原のまわりは小松原が取り巻いて、すみのところどころには月見草が咲き乱れていた。その中を踏み散らして広い運動場を一回りするうちに、赤い日影が時計台を染めて<ruby><rb>賄所</rb><rt>まかないしょ</rt></ruby>の井戸が威勢よくきしり始めるのであった。そのころある夜自分は妙な夢を見た。ちょうど運動場のようで、もっと広い草原の中をおぼろな月光を浴びて<ruby><rb>現</rb><rt>うつつ</rt></ruby>ともなくさまようていた。淡い夜霧が草の葉末におりて四方は薄絹に包まれたようである。どこともなく草花のような香がするが何のにおいとも知れぬ。足もとから四方にかけて一面に月見草の花が咲き連なっている。自分と並んで一人若い女が歩いているが、世の人と思われぬ青白い顔の輪郭に月の光を受けて黙って歩いている。<ruby><rb>薄鼠色</rb><rt>うすねずみいろ</rt></ruby>の着物の長くひいた<ruby><rb>裾</rb><rt>すそ</rt></ruby>にはやはり月見草が美しく染め出されていた。どうしてこんな夢を見たものかそれは今考えてもわからぬ。夢がさめてみるとガラス窓がほのかに白んで、虫の音が聞こえていた。寝汗が出ていて胸がしぼるような心持ちであった。起きるともなく床を離れて運動場へおりて月見草の咲いているあたりをなんべんとなくあちこちと歩いた。その後も毎朝のように運動場へ出たが、これまでにここを歩いた時のような<ruby><rb>爽快</rb><rt>そうかい</rt></ruby>な心持ちはしなくなった。むしろ非常にさびしい感じばかりして、そのころから自分は次第にわれとわが身を削るような、<ruby><rb>憂鬱</rb><rt>ゆううつ</rt></ruby>な空想にふけるようになってしまった。自分が不治の病を得たのもこのころの事であった。

三　栗の花

三年の間下宿していた<ruby><rb>吉住</rb><rt>よしずみ</rt></ruby>の家は<ruby><rb>黒髪山</rb><rt>くろかみやま</rt></ruby>のふもともやや奥まった所である。家の後ろは狭い裏庭で、その上はもうすぐに<ruby><rb>崖</rb><rt>がけ</rt></ruby>になって大木の茂りがおおい重なっている。傾く年の落ち葉木の実といっしょに<ruby><rb>鵯</rb><rt>ひよどり</rt></ruby>の鳴き声も軒ばに降らせた。自分の借りていた離れから表の門への出入りにはぜひともこの裏庭を通らねばならぬ。庭に臨んだ座敷のはずれに三畳敷きばかりの突き出た<ruby><rb>小室</rb><rt>こべや</rt></ruby>があって、しゃれた丸窓があった。ここは宿の娘の居間ときまっていて、丸窓の障子は夏も閉じられてあった。ちょうどこの<ruby><rb>部屋</rb><rt>へや</rt></ruby>の真上に大きな<ruby><rb>栗</rb><rt>くり</rt></ruby>の木があって、夏初めの試験前の調べが忙しくなるころになると、黄色い<ruby><rb>房紐</rb><rt>ふさひも</rt></ruby>のような花を屋根から庭へ一面に降らせた。落ちた花は朽ち腐れて一種甘いような強い香気が小庭に満ちる。ここらに多い大きな<ruby><rb>蠅</rb><rt>はえ</rt></ruby>が勢いのよい羽音を立ててこれに集まっている。力強い自然の<ruby><rb>旺盛</rb><rt>おうせい</rt></ruby>な気が脳を襲うように思われた。この花の散る窓の内には内気な娘がたれこめて読み物や針仕事のけいこをしているのであった。自分がこの家にはじめて来たころはようよう十四五ぐらいで桃割れに結うた額髪をたらせていた。色の黒い、顔だちも美しいというのではないが目の涼しいどこかかわいげな子であった。主人夫婦の間には年とっても子が無いので、親類の子供をもらって育てていたのである。娘のほかに大きな三毛ねこがいるばかりでむしろさびしい家庭であった。自分はいつも無口な変人と思われていたくらいで、宿の者と親しいむだ話をする事もめったになければ、娘にもやさしい言葉をかけたこともなかった。毎日の食事時にはこの娘が<ruby><rb>駒下駄</rb><rt>こまげた</rt></ruby>の音をさせて迎えに来る。土地のなまった言葉で「御飯おあがんなさいまっせ」と言い捨ててすたすた帰って行く。初めはほんの子供のように思っていたが一夏一夏帰省して来るごとに、どことなくおとなびて来るのが自分の目にもよく見えた。卒業試験の前のある日、<ruby><rb>灯</rb><rt>ひ</rt></ruby>ともしごろ、復習にも飽きて離れの縁側へ出たら<ruby><rb>栗</rb><rt>くり</rt></ruby>の花の香は慣れた身にもしむようであった。<ruby><rb>主家</rb><rt>おもや</rt></ruby>の前の植え込みの中に娘が白っぽい着物に赤い帯をしめてねこを抱いて立っていた。自分のほうを見ていつにない顔を赤くしたらしいのが薄暗い中にも自分にわかった。そしてまともにこっちを見つめて不思議な<ruby><rb>笑顔</rb><rt>えがお</rt></ruby>をもらしたが、物に追われでもしたように座敷のほうに駆け込んで行った。その夏を限りに自分はこの土地を去って東京に出たが、翌年の夏初めごろほとんど忘れていた<ruby><rb>吉住</rb><rt>よしずみ</rt></ruby>の家から手紙が届いた。娘が書いたものらしかった。年賀のほかにはたよりを聞かせた事もなかったが、どう思うたものか、こまごまとかの地の模様を知らせてよこした。自分の元借りていた離れはその後だれも下宿していないそうである。東京という所はさだめてよい所であろう。一生に一度は行ってみたいというような事も書いてあった。別になんという事もないがどことなくなまめかしいのはやはり若い人の筆だからであろう。いちばんおしまいに<ruby><rb>栗</rb><rt>くり</rt></ruby>の花も咲き<ruby><rb>候</rb><rt>そうろう</rt></ruby>。やがて散り申し候とあった。名前は母親の名が書いてあった。

四　のうぜんかずら

小学時代にいちばんきらいな学科は算術であった。いつでも算術の点数が悪いので両親は心配して中学の先生を頼んで夏休み中先生の宅へ習いに行く事になった。<ruby><rb>宅</rb><rt>うち</rt></ruby>から先生の所までは四五町もある。<ruby><rb>宅</rb><rt>うち</rt></ruby>の裏門を出て小川に沿うて少し行くと村はずれへ出る、そこから先生の家の高い松が近辺の<ruby><rb>藁屋根</rb><rt>わらやね</rt></ruby>や植え込みの上にそびえて見える。これにのうぜんかずらが下からすきまもなくからんで美しい。毎日昼前に母から注意されていやいやながら出て行く。裏の小川には美しい<ruby><rb>藻</rb><rt>も</rt></ruby>が澄んだ水底にうねりを打って揺れている。その間を<ruby><rb>小鮒</rb><rt>こぶな</rt></ruby>の群れが白い腹を光らせて時々通る。子供らが丸裸の背や胸に<ruby><rb>泥</rb><rt>どろ</rt></ruby>を塗っては小川へはいってボチャボチャやっている。付け木の水車を仕掛けているのもあれば、<ruby><rb>盥船</rb><rt>たらいぶね</rt></ruby>に乗って流れて行くのもある。自分はうらやましい心をおさえて川沿いの岸の草をむしりながら石盤をかかえて先生の家へ急ぐ。寒竹の生けがきをめぐらした<ruby><rb>冠木門</rb><rt>かぶきもん</rt></ruby>をはいると、玄関のわきの坪には<ruby><rb>蓆</rb><rt>むしろ</rt></ruby>を敷き並べた上によく繭を干してあった。玄関から案内を請うと色の黒い奥さんが出て来て「暑いのによう御精が出ますねえ」といって座敷へ導く。きれいに<ruby><rb>掃除</rb><rt>そうじ</rt></ruby>の届いた庭に臨んだ縁側近く、低い机を出してくれる。先生が出て来て、黙って床の間の<ruby><rb>本棚</rb><rt>ほんだな</rt></ruby>から算術の例題集を出してくれる。横に長い黄表紙で木版刷りの古い本であった。「甲乙二人の旅人あり、甲は一時間一里を歩み乙は一里半を歩む……」といったような題を読んでその意味を講義して聞かせて、これをやってごらんといわれる。先生は縁側へ出てあくびをしたり勝手のほうへ行って大きな声で奥さんと話をしたりしている。自分はその問題を前に置いて石盤の上で石筆をコツコツいわせて考える。座敷の縁側の軒下に<ruby><rb>投網</rb><rt>とあみ</rt></ruby>がつり下げてあって、<ruby><rb>長押</rb><rt>なげし</rt></ruby>のようなものに<ruby><rb>釣竿</rb><rt>つりざお</rt></ruby>がたくさん掛けてある。何時間で乙の旅人が甲の旅人に追い着くかという事がどうしてもわからぬ、考えていると頭が熱くなる、汗がすわっている足ににじみ出て、着物のひっつくのが心持ちが悪い。頭をおさえて庭を見ると、<ruby><rb>笠松</rb><rt>かさまつ</rt></ruby>の高い幹にはまっかなのうぜんの花が熱そうに咲いている。よい時分に先生が出て来て「どうだ、むつかしいか、ドレ」といって自分の前へすわる。ラシャ切れを丸めた石盤ふきですみからすみまで一度ふいてそろそろ丁寧に説明してくれる。時々わかったかわかったかと念をおして聞かれるが、おおかたそれがよくわからぬので妙に悲しかった。うつ向いていると<ruby><rb>水洟</rb><rt>みずばな</rt></ruby>が自然にたれかかって来るのをじっとこらえている、いよいよ落ちそうになると思い切ってすすり上げる、これもつらかった。昼飯時が近くなるので、勝手のほうでは<ruby><rb>皿鉢</rb><rt>さらばち</rt></ruby>の音がしたり、物を焼くにおいがしたりする。腹の減るのもつらかった。繰り返して教えてくれても、結局あまりよくはわからぬと見ると、先生も悲しそうな声を少し高くすることがあった。それがまた妙に悲しかった。「もうよろしい、またあしたおいで」と言われると一日の務めがともかくもすんだような気がして大急ぎで帰って来た。<ruby><rb>宅</rb><rt>うち</rt></ruby>では何も知らぬ母がいろいろ涼しいごちそうをこしらえて待っていて、汗だらけの顔を冷水で清め、ちやほやされるのがまた妙に悲しかった。

五　芭蕉の花

晴れ上がって急に暑くなった。朝から手紙を一通書いたばかりで何をする元気もない。なんべんも机の前へすわって見るが、じきに苦しくなってついねそべってしまう。時々涼しい風が来て軒のガラスの風鈴が鳴る。床の前には<ruby><rb>幌蚊帳</rb><rt>ほろがや</rt></ruby>の中に俊坊が顔をまっかにして<ruby><rb>枕</rb><rt>まくら</rt></ruby>をはずしてうつむきに寝ている。縁側へ出て見ると庭はもう半分陰になって、陰と<ruby><rb>日向</rb><rt>ひなた</rt></ruby>の境を<ruby><rb>蟻</rb><rt>あり</rt></ruby>がうろうろして出入りしている。このあいだ<ruby><rb>上田</rb><rt>うえだ</rt></ruby>の家からもらって来たダーリアはどうしたものか少し芽を出しかけたままで大きくならぬ。戸袋の前に大きな広葉を伸ばした<ruby><rb>芭蕉</rb><rt>ばしょう</rt></ruby>の中の一株にはことし花が咲いた。大きな厚い花弁が三つ四つ開いたばかりで、とうとう開ききらずに朽ちてしまうのか、もう少ししなびかかったようである。<ruby><rb>蟻</rb><rt>あり</rt></ruby>が二三匹たかっている。俊坊が急に泣き出したからのぞいて見ると<ruby><rb>蚊帳</rb><rt>かや</rt></ruby>の中にすわって手足を投げ出して泣いている。勝手から妻が飛んでくる。坊は牛乳のびんを、投げ出した膝の上で自分にかかえて乳首から息もつかずごくごく飲む。涙でくしゃくしゃになった目で両親の顔を等分にながめながら飲んでいる。飲んでしまうとまた思い出したように泣き出す。まだ目がさめきらぬと見える。妻は俊坊をおぶって縁側に立つ。「<ruby><rb>芭蕉</rb><rt>ばしょう</rt></ruby>の花、坊や芭蕉の花が咲きましたよ、それ、大きな花でしょう、実がなりますよ、あの実は食べられないかしら。」坊は泣きやんで芭蕉の花をさして「モヽモヽ」という。「芭蕉は花が咲くとそれきり枯れてしまうっておとうちゃま、ほんとう？」「そうよ、だが人間は花が咲かないでも死んでしまうね」といったら妻は「マア」といったきり背をゆすぶっている。坊がまねをして「マア」という。二人で笑ったら坊もいっしょに笑った。そしてまた芭蕉の花をさして「モヽモヽ」といった。

六　野ばら

夏の山路を旅した時の事である。峠を越してから急に風が絶えて蒸し暑くなった。狭い谷間に沿うて段々に並んだ山田の縁を縫う小道には、とんぼの羽根がぎらぎらして、時々<ruby><rb>蛇</rb><rt>へび</rt></ruby>が行く手からはい出す。谷をおおう黒ずんだ青空にはおりおり白雲が通り過ぎるが、それはただあちこちの峰に<ruby><rb>藍色</rb><rt>あいいろ</rt></ruby>の影を引いて通るばかりである。<ruby><rb>咽喉</rb><rt>のど</rt></ruby>がかわいて堪え難い。道ばたの田の縁に小みぞが流れているが、金気を帯びた水の面は青い皮を張って鈍い光を照り返している。行くうちに、片側の茂みの奥から道を横切って田に落つる<ruby><rb>清水</rb><rt>しみず</rt></ruby>の細い流れを見つけた時はわけもなくうれしかった。すぐに<ruby><rb>草鞋</rb><rt>わらじ</rt></ruby>のまま足を浸したら涼しさが身にしみた。道のわきに少し分け入ると、ここだけは特別に<ruby><rb>樫</rb><rt>かし</rt></ruby>や<ruby><rb>楢</rb><rt>なら</rt></ruby>がこんもりと黒く茂っている。<ruby><rb>苔</rb><rt>こけ</rt></ruby>は湿って<ruby><rb>蟹</rb><rt>かに</rt></ruby>が<ruby><rb>這</rb><rt>ほ</rt></ruby>うている。<ruby><rb>崖</rb><rt>がけ</rt></ruby>からしみ出る水は美しい<ruby><rb>羊歯</rb><rt>しだ</rt></ruby>の葉末からしたたって下の岩のくぼみにたまり、余った水はあふれて苔の下をくぐって流れる。小さい<ruby><rb>竹柄杓</rb><rt>たけびしゃく</rt></ruby>が浮いたままにしずくに打たれている。自分は柄杓にかじりつくようにして、うまい冷たいはらわたにしむ水を味おうた。少し離れた崖の下に一株の大きな野ばらがあって純白な花が咲き乱れている。自分は近寄って強いかおりをかいで小さい枝を折り取った。人のけはいがするのでふと見ると、今までちっとも気がつかなかったが、茂みの陰に<ruby><rb>柴刈</rb><rt>しばか</rt></ruby>りの女が一人休んでいた。背負うた柴を<ruby><rb>崖</rb><rt>がけ</rt></ruby>にもたせて<ruby><rb>脚絆</rb><rt>きゃはん</rt></ruby>の足を投げ出したままじっとこっちを見ていた。あまり思いがけなかったので驚いて見返した。継ぎはぎの着物は<ruby><rb>裾短</rb><rt>すそみじ</rt></ruby>かで<ruby><rb>繩</rb><rt>なわ</rt></ruby>の帯をしめている。白い手ぬぐいを<ruby><rb>眉深</rb><rt>まぶか</rt></ruby>にかぶった下から黒髪が額にたれかかっている。思いもかけず美しい顔であった。都では見ることのできぬ健全な顔色は少し日に焼けていっそう美しい。人に<ruby><rb>臆</rb><rt>おく</rt></ruby>せぬ黒いひとみでまともに見られた時、自分はなんだかとがめられたような気がした。思わずいくじのないお辞儀を一つしてここを出た。<ruby><rb>蝉</rb><rt>せみ</rt></ruby>が鳴いて蒸し暑さはいっそうはげしい。今折って来た野ばらをかぎながら二三町行くと、向こうから柴を負うた若者が一人上って来た。身のたけに余る柴を負うてのそりのそりあるいて来た。たくましい赤黒い顔に<ruby><rb>鉢巻</rb><rt>はちまき</rt></ruby>をきつくしめて、腰にはとぎすました<ruby><rb>鎌</rb><rt>かま</rt></ruby>が光っている。行き違う時に「どうもお邪魔さまで」といって自分の顔をちらと見た。しばらくして振り返って見たら、若者はもう<ruby><rb>清水</rb><rt>しみず</rt></ruby>のへん近く上がっていたが、向こうでも振りかえってこっちを見た。自分はなんというわけなしに手に持っていた野ばらを道ばたに捨てて行く手の清水へと急いで歩いた。

七　常山の花

まだ小学校に<ruby><rb>通</rb><rt>かよ</rt></ruby>ったころ、<ruby><rb>昆虫</rb><rt>こんちゅう</rt></ruby>を集める事が友だち仲間ではやった。自分も母にねだって<ruby><rb>蚊帳</rb><rt>かや</rt></ruby>の破れたので捕虫網を作ってもらって、土用の日盛りにも恐れず、これを肩にかけて毎日のように<ruby><rb>虫捕</rb><rt>むしと</rt></ruby>りに出かけた。<ruby><rb>蝶蛾</rb><rt>ちょうが</rt></ruby>や<ruby><rb>甲虫</rb><rt>かぶとむし</rt></ruby>類のいちばんたくさんに<ruby><rb>棲</rb><rt>す</rt></ruby>んでいる<ruby><rb>城山</rb><rt>しろやま</rt></ruby>の中をあちこちと長い日を暮らした。二の丸三の丸の草原には珍しい蝶や<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ばった</span>がおびただしい。少し茂みに入ると樹木の幹にさまざまの甲虫が見つかる。玉虫、こがね虫、米つき虫の種類がかずかずいた。強い草木の香にむせながら、胸をおどらせながらこんな虫をねらって歩いた。<ruby><rb>捕</rb><rt>と</rt></ruby>って来た虫は熱湯や<ruby><rb>樟脳</rb><rt>しょうのう</rt></ruby>で殺して菓子折りの標本箱へきれいに並べた。そうしてこの箱の数の増すのが楽しみであった。虫捕りから帰って来ると、からだは汗を浴びたようになり、顔は火のようであった。どうしてあんなに虫好きであったろうと母が今でも昔話の一つに数える。年を経ておもしろい事にも出会うたが、あのころ珍しい虫を見つけて捕えた時のような鋭い喜びはまれである。今でも城山の奥の茂みに蒸された朽ち木の香を思い出す事ができるのである。いつか城山のずっとすそのお<ruby><rb>堀</rb><rt>ほり</rt></ruby>に臨んだ暗い茂みにはいったら、一株の大きな<ruby><rb>常山木</rb><rt>じょうざんぼく</rt></ruby>があって桃色がかった花がこずえを一面におおうていた。散った花は風にふかれて、みぎわに朽ち沈んだ<ruby><rb>泥船</rb><rt>どろぶね</rt></ruby>に美しく散らばっていた。この木の幹はところどころ虫の食い入った穴があって、穴の口には細かい木くずが虫の<ruby><rb>糞</rb><rt>ふん</rt></ruby>と共にこぼれかかって一種の臭気が鼻を襲うた。木の幹の高い所に、大きなみごとなかぶと虫がいかめしい<ruby><rb>角</rb><rt>つの</rt></ruby>を立てて止まっているのを見つけた時はうれしかった。自分の標本箱にはまだかぶと虫のよいのが一つもなかったので、胸をとどろかして網を上げた。少し網が届きかねたがようよう首尾よく<ruby><rb>捕</rb><rt>と</rt></ruby>れたので、腰につけていた虫かごに急いで入れて、包みきれぬ喜びをいだいて森を出た。三の丸の石段の下まで来ると、向こうから美しい<ruby><rb>蝙蝠傘</rb><rt>こうもりがさ</rt></ruby>をさした女が子供の手を引いて木陰を伝い伝い来るのに会うた。町の良い家の妻女であったろう。傘を持った手に薬びんをさげて片手は子供の手を引いて来る。子供は大きな新しい<ruby><rb>麦藁帽</rb><rt>むぎわらぼう</rt></ruby>の<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>をかわいい<ruby><rb>頤</rb><rt>あご</rt></ruby>にかけてまっ白な洋服のようなものを着ていた。自分のさげていた虫かごを見つけると母親の手を離れてのぞきに来たが、目を丸くして母親のほうへ駆けて行って、<ruby><rb>袖</rb><rt>そで</rt></ruby>をぐいぐい引っぱっていると思うと、また虫かごをのぞきに来た。母親は早くおいでよと呼ぶけれども、なかなか自分のそばを離れぬ。しいて連れて行こうとすると道のまん中にしゃがんでしまってとうとう泣き出した。母親は途方にくれながらしかっている。自分はその時虫かごのふたをあけてかぶと虫を引き出し道ばたの<ruby><rb>相撲取草</rb><rt>すもうとりぐさ</rt></ruby>を一本抜いて虫の<ruby><rb>角</rb><rt>つの</rt></ruby>をしっかり縛った。そして、さあといって子供に渡した。子供は泣きやんできまりの悪いようにうれしい顔をする。母親は驚いて子供をしかりながらも礼をいうた。自分はなんだかきまりが悪くなったから、黙ってからになった虫かごを打ちふりながら駆け出したが、うれしいような、惜しいような、かつて覚えない心持ちがした。その後たびたび同じ<ruby><rb>常山木</rb><rt>じょうざんぼく</rt></ruby>の下へも行ったが、あの時のようなみごとなかぶと虫はもう見つからなかった。またあの時の親子にも再び会わなかった。

八　りんどう

同じ級に<ruby><rb>藤野</rb><rt>ふじの</rt></ruby>というのがいた。夏期のエキスカーションに演習林へ行く時によく自分と同じ組になって測量などやって歩いた。見ても病身らしい、背のひょろ長い、そしてからだのわりに頭の小さい、いつも前かがみになって歩く男であった。無口で始終何かぼんやり考え込んでいるようなふうで、他の一般に快活な連中からはあまり歓迎されぬほうであった。しかしごく気の小さい好人物で柔和な目にはどこやら人を引く力はあった。自分はこの男の顔を見ると、どういうわけか気の毒なというような心持ちがした。この男の過去や現在の境遇などについては当人も別に話した事はなし、他からも聞いた事はなかったが、何となしに不幸な人という感じが、初めて会うた時から胸に刻みつけられてしまった。ある夏演習林へ林道敷設の実習に行った時の事である。藤野のほかに三四人が一組になって山小屋に二週間<ruby><rb>起臥</rb><rt>きが</rt></ruby>を共にした。山小屋といっても、山の<ruby><rb>崖</rb><rt>がけ</rt></ruby>に斜めに丸太を横に立てかけ、その上を<ruby><rb>蓆</rb><rt>むしろ</rt></ruby>や<ruby><rb>杉葉</rb><rt>すぎば</rt></ruby>でおおうた下に板を敷いて、めいめいに毛布にくるまってごろごろ寝るのである。小屋のすみに石を集めた<ruby><rb>竈</rb><rt>かまど</rt></ruby>を築いて、ここで木こりの人足が飯をたいてくれる。一日の仕事から帰って来て、小屋から立ちのぼる青い煙を<ruby><rb>岨道</rb><rt>そばみち</rt></ruby>から見上げるのは愉快であった。こんな小屋でも<ruby><rb>宅</rb><rt>うち</rt></ruby>へ帰ったような心持ちになる。夜になると天井の丸太からつるしたランプの光に集まる虫を追いながら、必要な計算や製図をしたり、時にはビスケットの<ruby><rb>罐</rb><rt>かん</rt></ruby>をまん中に、みんなが腹ばいになってむだ話をする事もある。いつもよく学校のうわさや教授たちのまねが出てにぎやかに笑うが、またおりおり若やいだなまめかしいような話の出る事もあった。こんな時藤野は人の話を聞かぬでもなく聞くでもなく、何か不安の色を浮かべて考えているようであるが、時々かくしから手慣れた手帳を出してらく書きをしている。一夜夜中に目がさめたら山はしんとして月の光が竈の所にさし込んでいた。小屋の外を歩く足音がするから、蓆のすきからのぞいて見ると、青い月光の下で藤野がぶらりぶらり歩いていた。毎朝起きるときまりきった<ruby><rb>味噌汁</rb><rt>みそしる</rt></ruby>をぶっかけた飯を食ってセオドライトやポールをかついで出かける。目的の場所へ着くと器械をすえてかわるがわる観測を始める。藤野は他人の番の時には切り株に腰をかけたり草の上にねころんだりしていつものように考え込んでいるが、いよいよ自分の番になると急いで出て来て器械をのぞき、熱心に度盛りを読んでいるが、どういうものか時々とんでもない読み違いをする。ノートを控えている他の仲間から、それではあんまりちがうようだがと注意されて読み違えたことに気がつくと、顔をまっかにして非常に恥じておどおどする。どうも失敬した失敬したと言い訳をする。なるべく藤野には読ませぬようにしたいとだれも思ったろうが、そういうわけにも行かぬのでやはり順番で読ませる。すると五回に一度は何かしら間違えてそのたびに非常に恥じて悲しい顔をする。そしてズボンのひざをかかえていっそう考え込むのである。こんなふうで二週間もおおかた過ぎ、もう引き上げて帰ろうという少し前であったろう。一日大雨がふって霧が<ruby><rb>渦巻</rb><rt>うずま</rt></ruby>き、仕事も何もできないので、みんな小屋にこもって寝ていた時、藤野の手帳が自分のそばに落ちていたのをなんの気なしに取り上げて開いて見たら、山におびただしいりんどうの花が一つしおりにはさんであって、いろんならく書きがしてあった。中に<ruby><rb>銀杏</rb><rt>いちょう</rt></ruby>がえしの女の頭がいくつもあって、それから Fate という字がいろいろの書体でたくさん書き散らしてあった。仰向きに寝ていた藤野が起き上がってそれを見ると、青い顔をしたが何も言わなかった。

九　楝の花

一夏、脳が悪くて<ruby><rb>田舎</rb><rt>いなか</rt></ruby>の親類のやっかいになって一月ぐらい遊んでいた。家の前は清い小みぞが音を立てて流れている。狭い村道の向こう側は一面の青田で向こうには徳川以前の小さい城跡の丘が見える。古風な屋根門のすぐわきに大きな<ruby><rb>楝</rb><rt>おうち</rt></ruby>の木が茂った枝を広げて、日盛りの道に涼しい陰をこしらえていた。通りがかりの行商人などがよく門前で荷をおろし、門流れで顔を洗うたぬれ手ぬぐいを口にくわえて涼んでいる事がある。一日暑い盛りに門へ出たら、木陰で<ruby><rb>桶屋</rb><rt>おけや</rt></ruby>が<ruby><rb>釣瓶</rb><rt>つるべ</rt></ruby>や桶のたがをはめていた。きれいに掃いた道に青竹の削りくずや<ruby><rb>鉋</rb><rt>かんな</rt></ruby>くずが散らばって<ruby><rb>楝</rb><rt>おうち</rt></ruby>の花がこぼれている。桶屋は黒い<ruby><rb>痘痕</rb><rt>とうこん</rt></ruby>のある一癖ありそうな男である。手ぬぐい地の<ruby><rb>肌着</rb><rt>はだぎ</rt></ruby>から黒い胸毛を現わしてたくましい腕に<ruby><rb>木槌</rb><rt>こづち</rt></ruby>をふるうている。槌の音が向こうの丘に反響して静かな村里に響き渡る。稲田には強烈な日光がまぶしいようにさして、田んぼは暑さに眠っているように見える。そこへ<ruby><rb>羅宇屋</rb><rt>らうや</rt></ruby>が一人来て<ruby><rb>桶屋</rb><rt>おけや</rt></ruby>のそばへ荷をおろす。古いそして小さすぎて胸の合わぬ<ruby><rb>小倉</rb><rt>こくら</rt></ruby>の洋服に、腰から下は<ruby><rb>股引脚絆</rb><rt>ももひききゃはん</rt></ruby>で、素足に<ruby><rb>草鞋</rb><rt>わらじ</rt></ruby>をはいている。古い冬の中折れを<ruby><rb>眉深</rb><rt>まぶか</rt></ruby>に着ているが、頭はきれいに<ruby><rb>剃</rb><rt>そ</rt></ruby>った坊主らしい。「きょうも<ruby><rb>松魚</rb><rt>かつお</rt></ruby>が<ruby><rb>捕</rb><rt>と</rt></ruby>れたのう」と羅宇屋が話しかける。桶屋は「捕れたかい、このごろはなんぼ捕れても、みんな蒸気で<ruby><rb>上</rb><rt>かみ</rt></ruby>へ積み出すからこちらの口へははいらんわい」とやけに桶をポンポンたたく。門の屋根裏に巣をしているつばめが田んぼから帰って来てまた出て行くのを、羅宇屋は<ruby><rb>煙管</rb><rt>きせる</rt></ruby>をくわえて感心したようにながめていたが「鳥でもつばめぐらい感心な鳥はまずないね」と前置きしてこんな話を始めた。村のある旧家につばめが昔から巣をくうていたが、一日家の主人がつばめに「お前には長年うちで宿を貸しているが、時たまにはみやげの一つも持って来たらどうだ」と戯れに言った事があった。そしたら翌年つばめが帰って来た時、ちょうど主人が飯を食っていた<ruby><rb>膳</rb><rt>ぜん</rt></ruby>の上へ飛んで来て小さな木の実を一粒落とした。主人はなんの気なしにそれを庭へほうり出したら、まもなくそこから奇妙な木がはえた。だれも見た事もなければ聞いた事もない不思議な木であった。その木が生長すると枝も葉も一面に気味の悪い毛虫がついて、見るもあさましいようであったので主人はこの木を引き抜いて<ruby><rb>風呂</rb><rt>ふろ</rt></ruby>のたきつけに切ってしもうた。その時ちょうど町の医者が通りかかって、それは惜しい事をしたと嘆息する。どうしてかと聞いてみると、それはわが国では得がたい<ruby><rb>麝香</rb><rt>じゃこう</rt></ruby>というものであったそうな。ここまで一人でしゃべってしまってもっともらしい顔をして煙を輪に吹く。ポンポン桶をたたきながら黙って聞いていた<ruby><rb>桶屋</rb><rt>おけや</rt></ruby>はこの時ちょっと自分のほうを見て変な目つきをしたが、「そしてその<ruby><rb>麝香</rb><rt>じゃこう</rt></ruby>というのはその木の事かい、それともまた毛虫かい」と聞く、「ウーン、そりゃあその、麝香にもまたいろいろ種類があるそうでのう」と、どちらともわからぬ事をいう。桶屋はしいて聞こうともせぬ。桶をたたく音は向こうの丘に反響して<ruby><rb>楝</rb><rt>おうち</rt></ruby>の花がほろほろこぼれる。

（明治四十一年十月、ホトトギス）