Soranoha

花二三

はなにさん

若山 牧水

梅のかをりを言ふ人が多いが、私は寧ろ沈丁花ぢんちやうげを擧げる。梅のいゝのは一輪二輪づつ枯れた樣な枝の先に見えそめた時がいゝので、眞盛りから褪あせそめたころにかけては誠に興ざめた眺めである。そしてその頃になつて漸く匂ひがたつて來る。もつとも一輪摘んで鼻の先に持つて來れば匂ふであらうがそれでは困る。何處に咲いてゐるのか判らない、庭木の日蔭に、または日向の道ばたに、ありともない風に流れて匂つて來る沈丁花のかをりはまつたく春のものである。相當な強さを持ちながら何處か冷たいところのあるのも氣持がよい。

どちらかと云へば沈丁花は日蔭の花。それを日向の廣場に匂ふものとして見るべきものに菜の花がある。この花の匂ふところには必ずこの花と同じい色の蝶々がまつてゐるであらう。そしてその近くの何處かには麥畑の青さがあるであらう。そしてまた必ずその上には一羽か二羽の雲雀の聲が漂うてゐねばならぬ。

月並でも梅の一輪二輪は矢張り春のおとづれを知らすものである。それほどに目立つことなく、そして恐らくこれは北國に限られた花かも知れぬが同じ樣に春意を傳へるものにまんさくの花がある。花と云つてもほんの粟粒ほどの大きさで、同じくこまかなしなやかな冬枯の枝のさきにつぶつぶとして黄いろく咲きいづる。根はまだ雪や氷にとざされながら、細々として入りみだれた枝のさきに咲き出づる。永い間雪に包まれた人たちにとつては嘸さぞかしこの見榮えのせぬさびしい花に心を惹かるゝことであらう。東京の植物園にも甘藷先生の碑のあたりに一本だかあつたとおもふ。

同じく北國で田打櫻と呼ばれてゐる辛夷こぶしの花も氣持のいゝ花である。木蓮に似てゐるがそれよりずつと小さく、木蓮の佛臭なく、色は白である。木蓮の樣にぶよ〱した枝でなく、まんさくに似た細い枝の、しなやかで而も雪に耐ふる強みを持つて落葉しはてた枝のさきに白々と咲くのである。枝がしなやかなせゐか、花の眞盛りとなると多くみな枝垂れて咲く。まんさくの寂しさなく、いかにもうらゝかな眺めを持つ。雪漸く消えて久し振に田圃の地面が見えだすころに咲くといふのでこの異名があるのださうだが、いかにもそれらしい心を語る花である。矢張り小石川の植物園の温室から向うに入つた樟の木の蔭、立ち竝んだくわりんの木の間にまじつて一本咲いてゐた姿を思ひ出す。

枝垂れて咲く花の中では枝垂櫻も私の好きな一つである。駿河灣の奧、靜浦から江の浦に續く入江の岸に三津みとといふ漁村があり、其處の海に臨んだ高みに何とかいふ古い寺がある。その門のところに相對して立つた二本の巨大な枝垂櫻がある。五六年前に見附けてから毎年私は見に行つた。昨年であつた、二抱へ三抱への大きな木のめぐりにこまかに垂れ下つた枝のしげみにいつもはしつとりと咲き匂つてゐる筈のうす紅いろの花が、その時に限つて甚だ少く、妙にさびしい氣がした。が、そのことを其處の僧に言ふと、僧は苦笑しながら、今年はどうしたのかこの裏山から奧にかけて鷽うその鳥が誠に多く、みな彼等に花の蕾をたべられてしまひましたといふ。へヱえ、鷽は櫻の蕾をたべますかと訊くと、えゝもう大好物ですとのことであつた。

底本 / Source edition

底本:「若山牧水全集第八巻」雄鶏社
1958(昭和33)年9月30日初版1刷
入力:柴武志
校正:小林繁雄
2001年2月3日公開
青空文庫作成ファイル:
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若山 牧水「花二三」(旧字旧仮名)、底本『若山牧水全集 第八巻』雄鶏社、1958年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002202_000162, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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