こういう事があったと<ruby><rb>梶</rb><rt>かじ</rt></ruby>は妻の芳江に話した。東北のある海岸の温泉場である。梶はヨーロッパを廻って来て疲れを休めに来ているのだが、避暑客の去った海浜の九月はただ<ruby><rb>徒</rb><rt>いたず</rt></ruby>らに砂が白く眼が痛い。――

別に面白いことではない。スイスのある都会にあった出来事だ。そのときは丁度ヨーロッパ大戦の最中で、非戦国のスイスは各国の思想家の逃避地のこととて、街は頭ばかりをよせ集めた<ruby><rb>掃溜</rb><rt>はきだめ</rt></ruby>みたいなものだ。スイスを一歩外へ出れば現世は<ruby><rb>血眼</rb><rt>ちまなこ</rt></ruby>の殺し合いだ。良いも悪いもあったものではない。何ぜ殺し合うのか誰も知らぬ。ただもう殺せばそれが正義だ。このようなヨーロッパの知性の全く地に落ちた時、スイスのその街ではシュールリアリズムという心理形式の発会式が行われた。その一団の大将はルーマニア人で詩人だ。一団は発会式に招待する街の有力者全部に招待状を発した。さていよいよその日になってシルクハット、モーニングの市長を初め、紳士淑女が陸続と盛装で会場へ詰めかけて来た。しかし、いつまでたっても会は一向に始まらない。そこで皆はぶつぶつ云い出した。夜はそのままいたずらに<ruby><rb>更</rb><rt>ふ</rt></ruby>けていくばかりだ。とうとう紳士淑女の怒りは爆発したが、怒ろうにも相手のシュールリアリストは一人も会場に来ていないのだから仕方がない。そのうちに<ruby><rb>瞞</rb><rt>だま</rt></ruby>されたと知った一同は怒りの持って行き場もなく不平たらたらでそれぞれ帰っていった。ところが、次ぎの日の新聞には大きくその夜の発会式の写真が一斉に出ていたのだ。つまりそれが発会式なのだ。

梶はそこまで話して妻の顔を見た。

「それからどうしたの」と芳江は<ruby><rb>訊</rb><rt>たず</rt></ruby>ねた。

「それだけさ」

「それがどういうことなの。世の中が無茶苦茶になったから、自分たちもそうしたっていうの」

「まアそれでも良い」と梶は云うより仕方がなかった。

梶は友人たちに<ruby><rb>逢</rb><rt>あ</rt></ruby>う<ruby><rb>度</rb><rt>たび</rt></ruby>にこの同じ話をしてみて相手の顔を<ruby><rb>眺</rb><rt>なが</rt></ruby>めてみた。すると、皆黙って真剣な顔になった。中にはだんだん<ruby><rb>蒼</rb><rt>あお</rt></ruby>くなるものと、しばらくしてから突然笑い出す者とあった。梶はヨーロッパを廻って来てこの話に一番興味を覚えたのだが、説明の出来る種類の話ではないから黙っていた。<ruby><rb>強</rb><rt>し</rt></ruby>いて説明を附けようとすれば、ドストエフスキイの<ruby><rb>悪霊</rb><rt>あくりょう</rt></ruby>の主人公であるところのスタブローギンのある行動の話を持ち出さねばなるまい。その土地第一の資産家の一人息子であるスタブローギンが故郷へ久し振りに帰って来て、街の上流階級の集合場所で、礼儀正しくにこやかに微笑しながら人人の話に耳を傾けているとき、一番有力者の市長の前へ静に出ていって全く理由もなく突然その市長の鼻を<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>んで振り廻すところがある。しかも、そのときのスタブローギンの表情はその動作を起す前と少しも違わずにこやかなのだ。この心理を説明する場合に作者のドストエフスキイは常に一言も語らない。全く後味の悪い作である。梶はスイスに起ったシュールリアリストの発会式の事実を確実にスタブローギンの影響と見ている。もし間違いであれば少くとも同質の心理脈の系統だと思っている。

梶は以上の話をして興味のない顔をする友人には次ぎのような話をする習慣を持っていた。この話も事実ヨーロッパに起った隠れた出来事であるが、この話には会社の重役や社長や政治家たちで一驚せぬ者は一人もなかった。ある重要な位置にいる大官で梶の知人の一人は、梶にその話を是非一度講演してくれと云ったものもあった。梶の話とはこうである。しかし、この話と前の話とは全く違った事件だが奇怪なところで<ruby><rb>関聯</rb><rt>かんれん</rt></ruby>があった。

梶がハンガリアへ廻ったのは六月の下旬であった。ある日一人のハンガリア人に梶はマッチを貸してほしいと頼むと、そのハンガリア人はすぐ小さなマッチをポケットから出して、これ一つの値段は一銭であるけれども政府はこれを六銭でわれわれに売っていると云う。梶はこの経済上のからくりに興味を感じたのでハンガリア人を使って種種の方面から<ruby><rb>験</rb><rt>しら</rt></ruby>べてみた。すると、そのマッチ一箇の値段の中から意外にも複雑なヨーロッパの<ruby><rb>傷痕</rb><rt>しょうこん</rt></ruby>が続続と露出して来た。しかもその事実は全く経済上のシュールリアリズムの発会式とも云うべきものであり、知性が最も非理智的な行動をとらざるを得ぬ現今ヨーロッパの見本のようでもあった。あたかもそれは事実を書くことが一番確実な<ruby><rb>諷刺</rb><rt>ふうし</rt></ruby>となるがごとき日本のロマンチシズムと一致している。もし日本に一人のスタブローギンがあれば市長の鼻を握って微笑しながら振り廻すことなど今は<ruby><rb>恰好</rb><rt>かっこう</rt></ruby>な時機であろう。

梶の験べたところによると先年スエーデンのマッチ王と呼ばれたイヴァアル・クロイゲルの自殺が話の結末である。彼の自殺は梶もヨーロッパへ渡る前から日本の新聞の報道で知っていた。しかし、世人の<ruby><rb>未</rb><rt>いま</rt></ruby>だに信じているクロイゲルの自殺は実は虚報であったのだ。このような<ruby><rb>嘘</rb><rt>うそ</rt></ruby>などは真相以上に真実な姿をとるものと梶は思っている。

イヴァアル・クロイゲル、このマッチ王はもとはスエーデンの名もない建築技師であった。ある時北国のスエーデンでは冬期に開催される<ruby><rb>勧工場</rb><rt>かんこうば</rt></ruby>建設の必要に突然迫られたことがあったが、冬期に於ける建築物の急造はこの国では不可能である。従ってすべての建築家はこの仕事を<ruby><rb>抛棄</rb><rt>ほうき</rt></ruby>した。そのとき現れたのがクロイゲルであった。彼は工事を引き受けると同時に家の外郭だけ急造してそれから仕事を外郭の中でした。そうしてこの建築法としては<ruby><rb>曾</rb><rt>かつ</rt></ruby>てなかった冒険に成功すると彼の名は<ruby><rb>忽</rb><rt>たちま</rt></ruby>ち有名になった。そのクロイゲルが建築家から実業家となり、世界のマッチ王と呼ばれるまでにのし上げた敏腕のほどは梶には分らなかったが、ヨーロッパの財界を引っ<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>き廻した彼の傍若無人の振舞いだけは人の<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>で知っていた。たしかにクロイゲルの頭の中には衆人が右を眺めているとき、同時に左をも眺め得られる大心理家の素質の潜んでいることだけは何人も<ruby><rb>頷</rb><rt>うなず</rt></ruby>くことが出来る。

千九百二十五年のあるとき、ハンガリアとユーゴスラビア、ルーマニアの三カ国がアメリカから金を借りねばならぬ事情にさしせまられたことがあった。この共同の借金の申込には担保が薄弱なためアメリカが応じなかった。この事実を知ると同時にクロイゲルは単身ニューヨークに渡った。そして、アメリカの銀行家と企業家三百人を招待して彼らの歓心を買うため八十人の踊子と金の葉巻入を振りまき、一割の利息で四億ドル借り受けに成功した。つまり、ハンガリア、ユーゴスラビア、ルーマニアの三国五千万人の信用よりもスエーデンの一マッチ王クロイゲル一個人の信用の方が絶大であったのだ。クロイゲルのこの信用がヨーロッパに拡がると、イタリアは彼から金を借りたいという証拠をヨーロッパの民衆に示して軍艦を造ったが、実はこれは虚偽であった。この虚偽のために作製した軍艦がエチオピアをいつの間にか奪っていたのである。一方クロイゲルはルーマニアとユーゴスラビアとハンガリアに四億ドルを貸し附け、三国から代りにマッチの専売権を取った。そのとき三千六百万ドルを借り受けたハンガリアは耕地整理に費した金額の残額を地主に<ruby><rb>頒</rb><rt>わ</rt></ruby>け与えて土地を取り上げ、小作人にそれを分配した。しかし、このからくりの結果は<ruby><rb>尽</rb><rt>ことごと</rt></ruby>くハンガリアの借財を小作人が引き受けさせられる羽目になった。つまり彼らが一銭のマッチを六銭で買わされているのはそれである。

万事イヴァアル・クロイゲルの<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>り口はこのような計算の結果であったが、彼の目算もついに破れるときが来た。彼とアメリカとの合同企業の確実さも、全ヨーロッパの眼を見張らせた一割の利息を払う破格な約束の履行には困難であったからだ。クロイゲルは再び北スエーデンで新しく金鉱を発見したと嘘を云ったが、も早や彼に金を貸すものはなくなった。<ruby><rb>巴里</rb><rt>パリー</rt></ruby>はクロイゲルの自殺を報じた。しかし、フランス政府はひそかに彼を南米に逃がしたと伝えられている。

クロイゲルの死の事実か否かは梶も目撃したわけではなかったから確実なことは分らないが、彼の親戚遺族はそれぞれ<ruby><rb>莫大</rb><rt>ばくだい</rt></ruby>な財産家となっていることだけは事実であった。

梶がハンガリアから巴里へ戻って来たときは七月の初めであった。ところが、全く偶然なことにも彼がハンガリアへ出発する一カ月ほど前に、巴里のモンマルトルにあるクロイゲルの娘の家を訪問したことがあった。そのとき梶はその婦人がクロイゲルの娘だとは少しも知らなかった。梶の友人が婦人の<ruby><rb>良人</rb><rt>おっと</rt></ruby>の詩人と知己だった関係からある夜友人につれられてその家へ遊びに行ったのである。しかも、一層梶にとって興味深かったことにはその夫人の主人である詩人は、スイスのシュールリアリストたちの発会式のとき彼ら一団の頭目であったトリスツァン・ツァラアだったことだ。ツァラアはクロイゲルの娘と結婚するまでは乞食詩人と云われていたほどの貧しいルーマニア人であったが、いつの間にか彼の生来の鋭い詩魂は<ruby><rb>光芒</rb><rt>こうぼう</rt></ruby>を現して、現在のフランス新詩壇では彼に追随するものが一人もないと云われるほど絶対の権威を持続するまでにいたっていた。全く詩壇と画壇の一部の者らはツァラアを空前絶後の大詩人と云うどころではない。ボードレールさえツァラアにだけは及ばぬとまで云っている。

モンマルトルの頂きからやや下った裏坂に、両翼を張った城壁のような石垣がある。その中央に古代の城門に似た鉄の黒い<ruby><rb>扉</rb><rt>とびら</rt></ruby>がいつもぴったりと<ruby><rb>閉</rb><rt>しま</rt></ruby>っているのを梶はしばしば通って見たことがあった。この建築は周囲一帯の壊れかかった古雅な趣きを満たしている風景の中では、丘の中堅をなしている堅固な支柱のごとき役目をしていた。これがツァラアの家だ。この建築は北欧風の鉄石のおもかげを保っているところから想像すると、あるいはイヴァアル・クロイゲルの設計になったものかもしれない。また彼の自殺が巴里で行なわれたからには、何事かこの家の鉄の扉がその秘密を知っているに相違あるまい。全世界を愚物の充満と見たクロイゲルの眼光がこの巴里を一望のうちに見降ろす丘の中腹に注がれたのは、いかにも革命児の<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>みである。しかし、ツァラアはその義父のごとき実業家の集団に対して、まんまとスイスで一ぱい<ruby><rb>喰</rb><rt>く</rt></ruby>わせた怪物だ。彼とクロイゲルとのこの家での漫然とした微笑は、ヨーロッパのある両極が<ruby><rb>丁丁</rb><rt>ちょうちょう</rt></ruby>と<ruby><rb>火華</rb><rt>ひばな</rt></ruby>を散らせた厳格な場であった。恐らくそれは常人と変らぬ義理人情のさ中で行われたことだろう。梶は知性とはそのようなものだと思っていた一人である。

夜の九時過ぎに梶は友人と一緒に<ruby><rb>門扉</rb><rt>もんぴ</rt></ruby>のボタンを押して女中に中へ案内された。中庭は狭くペンキの<ruby><rb>匂</rb><rt>にお</rt></ruby>いがすぐ登る階段の白い両側からつづいて来た。階上の二十畳もあろうと思える客室の床は石だ。部厚い<ruby><rb>樫</rb><rt>かし</rt></ruby>で出来ている<ruby><rb>床几</rb><rt>しょうぎ</rt></ruby>のような細長い黒黒としたテーブルが一つ置いてある。正面の壁には線描の裸像の額がかかっているきりであるが、アフリカ土人の埋木の黒い彫刻が実質の素剛さで室内に知的な光りを満たしていた。梶は室内を眺めていてから横のテラスへ出た。そこには沢山の椅子が置いてあった。有名なモンマルトルの風車はすぐ面上の暮れかかっていく塔の上で羽根を休めていた。梶はその上に昇っている月を眺めながら、出て来るツァラアを待っていると、また来客が四人ほどテラスの椅子へ集って来た。皆芸術家たちで詩人、作家、彫刻家、美術雑誌の女社長等であった。間もなく六人七人と多くなって梶は紹介されるに<ruby><rb>遑</rb><rt>いとま</rt></ruby>もないときツァラアが初めて現れた。

ツァラアは少し<ruby><rb>猫背</rb><rt>ねこぜ</rt></ruby>に見える。<ruby><rb>脊</rb><rt>せい</rt></ruby>は低いがしっかりした身体である。声も低く目立たない。しかし、こういう表面絶えず受身形に見える人物は流れの底を知っている。この受身の形は対象に統一を与える判断力を養っている準備期であるから、力が満ちれば<ruby><rb>端倪</rb><rt>たんげい</rt></ruby>すべからざる黒雲を<ruby><rb>捲</rb><rt>ま</rt></ruby>き起す。猫を<ruby><rb>冠</rb><rt>かぶ</rt></ruby>っているという云い方があるが、この猫は静な礼儀の下で対象の計算を行いつづけている地下の活動なのであろう。まことに受身こそ積極性を持つ平和な戦闘にちがいない。

梶はツァラアに紹介されてから集った紳士淑女たちの円形に並んだ椅子の中に身を沈めた。会話はすべて巴里に進行している<ruby><rb>大罷業</rb><rt>だいひぎょう</rt></ruby>の話ばかりだ。そのとき、左の方の円筒形をしている高い隣家のテラスから下の一団に向って犬がけたたましく<ruby><rb>吠</rb><rt>ほ</rt></ruby>え立てた。ツァラアを囲んだ芸術家たちも、初めの間は思想上の会話をつづけていたが、だんだん高まる犬の声にも早や会話が聞きとり難くなって来た。犬を追い立てようにも間には断層のように落ち込んだ他家の庭がひかえている。一同はしばらく小さな声で口を鳴らせていた。しかし、相手は犬である。狂気のように吠え立て始めては<ruby><rb>利</rb><rt>き</rt></ruby>くものではない。一同は苦笑をもらしてただ円塔の上を見上げているだけだ。

梶はこのときスイスに於けるツァラア一派の発会式の情景をふと思い浮べると、微笑が<ruby><rb>唇</rb><rt>くちびる</rt></ruby>にのぼって来るのを感じた。犬を<ruby><rb>鎮</rb><rt>しず</rt></ruby>めるには犬より大きな声を出さねば逃げるものではない。この紳士淑女たちの間で、誰があの犬より大声をはり上げるであろうか。梶は興味をもって犬を見上げながら、現実をお茶にしたツァラアのかつての行動はこの犬に似ていると思った。しかし、今は彼は一流のフランスの現実上の名士である。もし彼が何らかの意味で、現実という愚劣<ruby><rb>極</rb><rt>きわ</rt></ruby>まればこそ最も重要な<ruby><rb>沃土</rb><rt>よくど</rt></ruby>の意義をこの世に感じているものなら、今突如として<ruby><rb>湧</rb><rt>わ</rt></ruby>き上ったこの胸を刺す<ruby><rb>諷刺</rb><rt>ふうし</rt></ruby>の前で必ず苦杯を<ruby><rb>舐</rb><rt>な</rt></ruby>めているにちがいない。――

こう梶の思っているとき「しッ、しッ」と小さな声でツァラアは犬を追った。けれども、勿論彼の云いわけのような声では犬は鎮るものではなかった。もう一座は犬のますます高まる声で均衡がなくなり、焦燥した筋肉が顔面に現れて来て、このままではこの夜の集りはただ一同不満足のまま散って帰るより仕方がなくなった。すると、突然、梶の友人は円塔の上を仰いで、

「馬鹿ッ馬鹿ッ馬鹿ッ」

と続けさまに大声で怒鳴った。その声はたしかに犬の声よりも大きかった。犬はまだ二声三声吠えつづけたが家人が日本語の怒声を聞きつけると、初めてテラスへ出て来て犬を屋内へ引き<ruby><rb>摺</rb><rt>ず</rt></ruby>り入れた。再び梶の周囲のテラスでは談話が高級な問題をめぐってそちこちで始まったが、しかし、梶にはそれらの話よりも犬に向って発した友人の日本語の怒声の方が<ruby><rb>遙</rb><rt>はる</rt></ruby>かに興味深く尾を<ruby><rb>曳</rb><rt>ひ</rt></ruby>いて感じられるのであった。

犬の声が全く聞えなくなってからしばらくしてツァラア夫人が客たちの中へ現れた。絹の<ruby><rb>飛白</rb><rt>かすり</rt></ruby>のような服に紅いバンドを締めた夫人は、<ruby><rb>葡萄酒</rb><rt>ぶどうしゅ</rt></ruby>を一同に<ruby><rb>注</rb><rt>つ</rt></ruby>ぎながら梶の<ruby><rb>傍</rb><rt>そば</rt></ruby>まで来ると優しく梶に握手をして彼の横へ腰を降ろした。イヴァアル・クロイゲルの令嬢であるこのツァラア夫人は、集った婦人たちの中では最も優雅な人であったばかりではない、梶がそれまで見た多くのパリーの婦人たちの中でも第一流の美しい婦人であったが、その静な表情や品位のある眼もとは、あまり出歩かない日本の貴族のように血統の美しさを<ruby><rb>湛</rb><rt>たた</rt></ruby>えていた。まことに<ruby><rb>幽艶</rb><rt>ゆうえん</rt></ruby>な婦人である。

「どうぞ、これめし上れ」

夫人は梶にときどき葡萄酒をすすめて自分も飲んだ。広間からさして来る光りが夫人の横顔を鮮明に浮き上らせているものの、一同の話が罷業の臆測を<ruby><rb>赦</rb><rt>ゆる</rt></ruby>さぬ流れに不安の空気を流しているときとて、話につれて<ruby><rb>淑</rb><rt>しと</rt></ruby>やかな彼女の顔もどことなく沈んでいった。

「フランス政府は労働者に力を与えて罷業をすすめたものの、こんなに罷業がつづけば資本家は倒れてしまう。これを<ruby><rb>潰</rb><rt>つぶ</rt></ruby>せば労働者も潰れてしまう。しかし、罷業はしなければならぬというので、政府は四苦八苦の状態になって来ている」と一人の客が云った。

「しかし、政府は潰れた資本家に裏から資金を与えて起き上らせているともいうよ」とまた他の客が云う。

「そこへまた罷業を起すというわけか」

どっと笑う声の上った<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>からすぐまた不安な低声がつづいていく。集っている十人のものたちはそれぞれ誰もが左翼らしい<ruby><rb>雰囲気</rb><rt>ふんいき</rt></ruby>であるが、自分の身分が利子生活者のこととて罷業進行の結果は金利が引き下がり、日々直接身に響いていくばかりではない。物価の<ruby><rb>昂騰</rb><rt>こうとう</rt></ruby>につれて右翼の非常手段がいつ爆発するか分らぬ恐れがあった。つまり、梶の眼に映った一同の不安は思想と現実とののっぴきならぬ<ruby><rb>苦悶</rb><rt>くもん</rt></ruby>である。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>し、パリー人というものは自身や他人の金利のことについては口に出さぬ。もしこれに一口でも触れようものならパリー生活の秩序は<ruby><rb>根柢</rb><rt>こんてい</rt></ruby>から破壊されてしまうのだ。それは日本に於ける義理人情の如きものでこの生活を破壊して自由はないのであった。思想は生活の自由を尊重すればこそ思想である。しかし、その思想が市民の根柢をなす金利を減少せしめ、自由の生活を破壊に導く火を噴き上げている現在においては、市民の思想とはいかなる種類のものであろうか。こう梶の思っているときである。突然ツァラアは、

「もう良識は左翼以外にはない。それは決った」

と低くひとり<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>くように云って葡萄酒のコップを上げた。

梶はその言葉を聞くとある古い言葉を耳にしたときのような無表情な自分の心を見るのだった。十年前には梶はそれと同様な言葉でさんざん人人から突き刺された。今またその傷口を吹かれても通り脱ける風穴の身にすでに開いている日本人の梶である。しかし、梶はこの風穴を<ruby><rb>塞</rb><rt>ふさ</rt></ruby>ぎとめては尽く呼吸の断ち切れてしまう日本人の肉体を今さら不思議な物として眺め始めた。ここには何か人人のまだ発見しない完成された日本特有の知性があるのにちがいない。まことにそれは義理人情という世界に類例のない認識秩序の美しさの中にあるに相違ないと梶は思った。しかし、それにしてもかつてスイスにいるとき世の義理人情を踏み砕く無思想の発会式を行ったツァラアが、今その行為に内容を吹き与えたがごとき左翼の思想に新しさを発見したことは、再び完全に世の義理人情を否定する現実上の発会式を行ったようなものであった。つまり彼にあっては、彼の超現実主義と云う知性への反抗が一層反抗の度を強めた超現実主義になったまでだ。

集った者たちの間に葡萄酒が新しく注がれたとき、一人の女詩人が盛装して新しく<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>って来た。一同はその方を振り返って軽く手を上げると、またそれぞれの会話をつづけていった。すると、今まで梶の横で誰とも話さなかったむっつりした一人の婦人が不意に梶に向って、

「日本人はどうして腹切りをするのです」

と訊ねた。梶は<ruby><rb>咄嗟</rb><rt>とっさ</rt></ruby>のこととてすぐには返事出来なかった。もし外人の了解出来る適当な解釈をしようとすると、日本人の義理人情の<ruby><rb>細</rb><rt>こま</rt></ruby>やかさから説明しなければならなかった。梶の横に通訳のようにいた友人は、

「日本人の腹切りは<ruby><rb>見栄</rb><rt>みえ</rt></ruby>でやるのか責任を感じてやるのかと、この婦人が訊ねるんですよ」

と梶に説明した。梶は友人に向って云った。

「それは見栄でも責任でもない。世の中の秩序を乱したと感じるものが、自分の行為を是認するために行うものだと云ってくれ給え。日本人は社会の秩序を何より重んじるから、自然に個人を無にしなければならぬ。つまり、生活の秩序を完成さすためには人間は意志的に無になる度胸を養成しなければならぬ。日本文化の一切の根柢はこの無の単純化から咲き出したもので、地球上の<ruby><rb>総</rb><rt>すべ</rt></ruby>ての文化が完成されればこのようになるものだという模型を造っているような社会形態が、日本だと思うと云ってくれないか。つまり知性の到達出来る一種の限界までいっている義理人情の<ruby><rb>完璧</rb><rt>かんぺき</rt></ruby>さのために、も早や知性は日本には他国のようには必要がないのだと思う」

梶の言葉を通訳してくれている友人の顔を見ながら、婦人は何の感動も表わさずに黙ってしまった。事実、梶は日本の文化にとって欧米の知性が必要なら自然科学にあるだけと思った。しかし、それも早やヨーロッパの行き得られる限界まで行ききっている日本を梶は感じるのであった。それなら日本の進むべき方向はどこであろうか。こう考えているときまた一人の若い作家が梶に訊ねた。

「日本の現在の左翼の状態はどんな風ですか」

「左翼はなかなか繁栄したときもあります。しかし、日本は昔からそのときの思想状態を是非必要と感覚しないかぎり、どのような思想も行為も無駄となりますから、そのために秩序が乱れる恐れが生じると、これを枯らしてしまう自然という恐ろしい力があるのです。この自然力は物理的なもので、ヨーロッパの知性も日本へ侵入して来る度に、この自然力と争わねばならぬのです。つまり、日本はいかなる思想も物もそれを選択する場合に個人の意志では出来ません。自然力に任せてこれの命ずるままに従わねばならぬのです。個人の役に立たぬそのような日本では、従って第一番の芸術家や思想家は自然という秩序です。日本の左翼も自然発生から自然消滅の形をとって進行していますが、それは思想の無力というよりも、思想と同程度に整えられた秩序の強力なためなのです」

梶の友人は彼の言葉を通訳すると、若い作家は肩を縮め両手を上げて驚きの表情を現した。しかし、彼は何事も云わずにすぐ隣りの彫刻家と話をした。そのとき、一番最後に這入って来た女の詩人が興奮しながらツァラアに<ruby><rb>囁</rb><rt>ささや</rt></ruby>いた。

「今日ピカソに逢ったら、いよいよピカソも左傾しちまって、バスチイユ騒動の壁画を画くんですって」

「そうだ、それが正しい」

こういう声を包んで一同の話はだんだん低く不安そうな沈黙に変っていった。フランスの左翼の芸術家たちは今は自身のために芸術を滅ぼす危機にのぞんでいるのだった。それとは反対に今梶は秩序のために芸術を滅ぼしつつある日本を思い浮べた。しかしそれはただに芸術のみではなかった。たしかに世界の進行のカーブは類例のない暗転の舞台に入りつつあるのだ。しかも、舞台を停めようとする無数の手は押すべきボタンを探し廻って分らぬのである。ただ世界はあるがままの姿をとってひとり<ruby><rb>暗澹</rb><rt>あんたん</rt></ruby>と廻っているだけなのだ。梶はどこからか悪魔の笑声の聞えて来る思いのままに虚空を眺めているとき、人人は立ってツァラアに握手をした。それぞれ帰って行くのである。梶も友人と一緒に帰ろうとして握手をしようとすると、

「もうしばらくいませんか」

とツァラアは二人に云った。一同の姿が見えなくなるとツァラアは二人をつれて三階の自分の書斎に導いていった。そこにはテーブルの上と云わず壁と云わず無数のアフリカ土人の黒黒とした彫刻の面が置いてあった。梶は奇怪な覆面に取り巻かれた感じで部屋の中を見廻していると、ツァラアは梶と向き合って立った。

「来客が沢山で日本のお話を聞けませなんだが、日本はどういう国ですか。僕は他の国のことならどこの国でも多少は想像がついているのだけれども、日本だけは少しも分らない」

静に低く云いながら梶を見るツァラアの眼は射るように光っていた。物云うたびに、梶は自分が日本人であることを意識せずには何事も出来ぬ気苦労をヨーロッパへ来て新しく感じたが、殊に日本をどのような国かと訊かれる質問に対してはいつも一番彼は困るのであった。しかし、それでも梶は一口で日本を巧妙に説明しなければならぬ危い橋を渡るのだ。<ruby><rb>虚心坦懐</rb><rt>きょしんたんかい</rt></ruby>とは日本でこそ最も高貴な精神とされているが、ここでは最も馬鹿の見本であった。この二つの距離の間にはいったい何があるのであろうか。

「日本という国について外国の人人に知っていただきたい第一のことは、日本には地震が何より国家の外敵だということです。その外敵の侵入は歴史上に現れている限りでは二百七八十回ほどあります。一回の大地震でそれまで営営と築いて来た文化は一朝にして潰れてしまうのです。すると、<ruby><rb>直</rb><rt>ただ</rt></ruby>ちに国民は次ぎの文化の建設を行わねばならぬのですが、その度に日本は他の文化国の最も良い所を取り入れます。一世代の民衆の一度は誰でもこの自然の暴力に打ち負かされ他国の文化を継ぎたす訓練から生ずる国民の重層性は、他のどこの国にもない自然を何より重要視する秩序を心理の間に成長させて来たのです。そのため全国民の知力の全体は、外国のように自然を変形することに使用されずに、自然を利用することのみに向けられる習慣を養って来たのは当然です。このような習慣の中に今ヨーロッパの左翼の知性が侵入しつつあるのですが、しかし、これらの知性は日本とヨーロッパの左翼の闘争対象の相違について考えません。従って同一の思想の活動は、ヨーロッパの左翼の闘争が生活機構の変形方法であるときに、日本の左翼は日本独特であるところの秩序という自然に対する闘争の形となって現れてしまったのです。これはどうしたって絶対に負けるのは左翼です。つまり、それは自然に反するからなんです。ヨーロッパのはすでに自然に反したものを自然に返そうとする左翼であるのに対して、日本の左翼は自然に反そうとする運動です。日本に近ごろ二・二六事件という騒動の<ruby><rb>勃発</rb><rt>ぼっぱつ</rt></ruby>したのはよく御存じのことと思いますが、あれは左翼の<ruby><rb>撲滅</rb><rt>ぼくめつ</rt></ruby>運動でもなければ、資本主義の覆滅運動でもありません。ヨーロッパの植民地の圧迫が、日本の秩序にいま一重の複雑な秩序の要求を加えただけです」

ツァラアは梶の友人の通訳を聞くとただ<ruby><rb>頷</rb><rt>うなず</rt></ruby>いて黙っていただけだった。文化国が相接して生活しているヨーロッパ人には、東洋の端にある日本のことなど<ruby><rb>霞</rb><rt>かすみ</rt></ruby>の<ruby><rb>棚曳</rb><rt>たなび</rt></ruby>いた空のように、<ruby><rb>空漠</rb><rt>くうばく</rt></ruby>としたブランクの映像のまま取り残されているのだと梶は思うと、その一隅から、世界の<ruby><rb>隅隅</rb><rt>すみずみ</rt></ruby>に照明を与えて人人の眼光をくらましている日本の様が、<ruby><rb>孫悟空</rb><rt>そんごくう</rt></ruby>のように電光石火の早業を雲間でしているに相違ないと思われた。

「シュールリアリズムは日本では成功していますか」とまた<ruby><rb>暫</rb><rt>しばら</rt></ruby>くしてツァラアは<ruby><rb>訊</rb><rt>たず</rt></ruby>ねた。

「日本ではシュールリアリズムは地震だけで結構ですから、<ruby><rb>繁昌</rb><rt>はんじょう</rt></ruby>しません」

こう梶は云いたかった。しかし、彼はただ駄目だと云っただけでその夜は友人と一緒に家へ帰って来た。

フランスの全罷業が大波を打ち上げてようやく鎮まりかかったとき、スペインの動乱が<ruby><rb>火蓋</rb><rt>ひぶた</rt></ruby>を切った。梶はヨーロッパが左右両翼に分れて<ruby><rb>喧喧囂囂</rb><rt>けんけんごうごう</rt></ruby>としている中を無雑作にシベリアを突っ走り、日本へ帰るとすぐ東北地方へ引き込んだ。彼は妻の父と母とに「ただ今帰りました」とお辞儀をしてから早速仏壇の前へいって黙礼した。

「やれやれ」

梶は<ruby><rb>浴衣</rb><rt>ゆかた</rt></ruby>に着換えてから奥の十二畳の畳の上にひっくり返って庭を見た。日本人が<ruby><rb>血眼</rb><rt>ちまなこ</rt></ruby>になって騒いで来たヨーロッパの文化があれだったのかと思うと、それまで妙に卑屈になっていた自分が優しく哀れに曇って見えて来るのだった。梶の組み上げていた片足の冷え冷えする指先の方で、妻の芳江は<ruby><rb>羞</rb><rt>はずか</rt></ruby>しそうに顔を<ruby><rb>赧</rb><rt>あか</rt></ruby>らめながら、

「お手紙<ruby><rb>度度</rb><rt>たびたび</rt></ruby>ありがとうございました」と礼をのべた。

「そんなに出したかね」

芳江は返事に困ったような表情で黙っていた。梶は特に自分を愛妻家だとは思っていなかったが、外国で一人の女人の皮膚にも触れなかったのを思い浮べると、なるほどその点では愛妻家の中に入れられるところもあるかもしれないと思った。しかし、梶がヨーロッパの婦人に触れなかった理由は特に妻を愛していたが故ではなかった。ただあのようなおどけたことをしている人間がいつでもそれ相当に苦心をして造った<ruby><rb>理窟</rb><rt>りくつ</rt></ruby>に身を捧げているのが賛成出来なかっただけである。

「どうだ、君は日本人だというが、パリーの女は美しいだろう」

パリーで椅子を隣りにした外人が梶に訊ねたことがあったが、

「いや、日本の女はもっと<ruby><rb>綺麗</rb><rt>きれい</rt></ruby>だ」と梶は答えた。

「それじゃ、踊り場へ行ったことがあるか」

「日本人は女や踊り場を好かん」

と梶は云うと、外人はびっくりしたように小首をかしげながら考えていたことがあったが、梶は今その顔をふと思い出すと突然面白くなって笑った。

「日本の女は外国の女よりもっと美しいと虚勢を張って云って来たが、どうして満洲からこっちへ<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>って来ると、全く美しいのにびっくりしたね」

そう云って梶が何心なく足を組み変える拍子に、芳江の手に彼の足先きがふと触れた。初めて触れ合う皮膚であった。梶は思わず足を引いたが芳江のほッと赧らむ顔からも視線を避けて起き上ると、

「水をくれないか」と催促した。

度度前から芳江と視線が合うものの、その度に気まり悪げに<ruby><rb>俯向</rb><rt>うつむ</rt></ruby>く芳江と同じように、梶もそそくさと<ruby><rb>他所眼</rb><rt>よそめ</rt></ruby>をしながら、芳江の顔を正視しかねているのであった。いつもは家にいると怒鳴りつけるように大声で妻に用事を命じる梶の癖も、このときは何となく<ruby><rb>恰好</rb><rt>かっこう</rt></ruby>がつかずに庭の松の大木ばかりに眼が奪われるのを、どうも不思議な松だとじっと梶は眺めていた。

「世界を廻って来たお蔭で悟りがなくなってしまったぞ」

梶はにやにやしながら妻の持って来た水のことなど忘れているとき、<ruby><rb>馳</rb><rt>か</rt></ruby>け込んで来た四つになる子供が父の梶を見てびっくりしたらしく笑顔もせず急に立ち停った。

「おい、来なさい」

こう梶は云うと、子供は黙ったまま、<ruby><rb>冠</rb><rt>かぶ</rt></ruby>っていた帽子をずるずる鼻の下へ引き<ruby><rb>摺</rb><rt>ず</rt></ruby>り降ろして顔から取りのけようとしなかった。

「パパお帰りなさいっておっしゃいよ。羞しいの」

芳江に云われても子供は顔を隠しつづけている帽子の縁を<ruby><rb>噛</rb><rt>か</rt></ruby>みながら、矢張り立ちはだかったまま黙っていた。

梶は水を飲みつつ再びこれから前の定着した日常生活が始ろうとしているのだと思った。しかし、しばらく日本の時間を脱していた梶の感覚は自分の家族の生活がこの東洋の一角にあったのだと知って、不思議な物を見るように妻や子供を手探り戻そうとし始めた。それにしても、何と自分は大きな物を見て来たものだろう。あれが世界というものかと、梶は自分の子供の顔を眺めて初めて世界の実物の大きさにつくづく驚きを感じるのであった。虚無といい、思想というも、みな見て来たあの世界より他にはないのだと思うと、夢うつつのごとくあれこれと思い描いていた今までの世の中が、一瞬にしてかき消えたように思われた。

「いったい、どこを自分はうろうろしているのだろう。この自分の坐っている所は、これゃ何という所だろう」

梶は浦島太郎のように妻子の前であるにも<ruby><rb>拘</rb><rt>かかわ</rt></ruby>らず、ときどき左右をきょろきょろ見廻した。全く自分の見て来たものも知らずにまだ前と同じ<ruby><rb>良人</rb><rt>おっと</rt></ruby>だと自分を思っている妻の芳江が、このとき何となく梶には<ruby><rb>憐</rb><rt>あわ</rt></ruby>れに見えてならなかった。

「お前はいったい何者だ」

妻や子供を見ながらこう云う気持ちが起っては、以後の生活の不安も意想外なところに根を張っているものだと、梶は身の周囲を取り包んでいる<ruby><rb>漠</rb><rt>ばく</rt></ruby>とした得体の知れない不伝導体をごしごし<ruby><rb>擦</rb><rt>こす</rt></ruby>り落しにかかったが、ふと前に一足触った芳江の皮膚の柔かな感触だけが、<ruby><rb>嘘</rb><rt>うそ</rt></ruby>のようなうつつの世界から強くさし<ruby><rb>閃</rb><rt>ひらめ</rt></ruby>いているのを感じると、触覚ばかりを頼りに生きている生物の真実さが、何より有難いこの世の実物の手ごたえだと思われて、今さら子供の生れて来た秘密の奥も<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>かれた気楽さに立ち戻り、またごろりと手枕のまま横になった。

世界のどこかに自分の子供があるということは、全く捨て置き難い。この地を愛せずしてなるものか。――<ruby><rb>南無</rb><rt>なむ</rt></ruby>、天地、仏神、<ruby><rb>健</rb><rt>すこや</rt></ruby>かにましまし給え。敵や悪魔を払い給えと、梶は<ruby><rb>胡桃</rb><rt>くるみ</rt></ruby>の葉かげからきらめく日光に眼を射られながら、空の青さ広さに大の字となり、畳の上の喜ばしさに再びきょろきょろと飽かず周囲を見廻した。

今まで度度東北地方へ来たにも拘らず、梶はこの度ほどこの地方の美しさを感じたことはなかった。親子兄妹が同じ町内に住んでいながら、顔を合せば畳の上へ額を<ruby><rb>擦</rb><rt>す</rt></ruby>りつけて礼をするのも、奇怪以上に美しく梶は<ruby><rb>見惚</rb><rt>みと</rt></ruby>れるのであった。稲穂の実り豊かに垂れている田の<ruby><rb>彼方</rb><rt>かなた</rt></ruby>に<ruby><rb>濃藍色</rb><rt>のうらんしょく</rt></ruby>に<ruby><rb>聳</rb><rt>そび</rt></ruby>える山山の線も、異国の風景を眼にして来た梶には殊の<ruby><rb>他</rb><rt>ほか</rt></ruby>奥ゆかしく、遠いむかしに聞いた<ruby><rb>南無阿弥陀仏</rb><rt>なむあみだぶつ</rt></ruby>の声さえどこからか流れて来るように思われた。

梶はこの風景に包まれて生れ、この稲穂に養われて死ぬものなら、せめてそれを幸福と思いたかったのが、今にしてようやくそれと悟った楽しさを得られたのも、遅まきながら異国の賜物だと喜んだ。全くこの独特な小さい稲穂の中で、押し合いへし合い<ruby><rb>捻</rb><rt>ね</rt></ruby>じ合いつつ、無我夢中に成長して来たわれらの祖先の演劇は、何ものの中にも血となり肉となりしてこり<ruby><rb>塊</rb><rt>かたま</rt></ruby>っていることこそ争い難い事実であった。

笑わば笑え。真正真銘の悲劇喜劇もこれに増した痛烈な事件はあるまい。――こう梶の思う心の中で、ヨーロッパの知性に飛びついている顔が、足をぶらぶらさせていったい何を笑っているのか判然としなかった。

世の中はぜんたいどこへ行くのであろう。――深夜眠れぬままにときどきこのように思ったパリーでの<ruby><rb>瞑想</rb><rt>めいそう</rt></ruby>も、も早や梶から形をとり<ruby><rb>壊</rb><rt>こわ</rt></ruby>して安らかに<ruby><rb>鎮</rb><rt>しずま</rt></ruby>って来るのであった。このようなときには、梶に突き刺さって来た敵の<ruby><rb>槍</rb><rt>やり</rt></ruby>さきも、<ruby><rb>蹴脱</rb><rt>けはず</rt></ruby>す前に先ず槍を握って相手の顔を見たくなった。スペインの争乱が日日銃火を切って殺し合う図を思い描いても、思想の戯れの恐怖より銭欲しさの生活の<ruby><rb>頑固</rb><rt>がんこ</rt></ruby>さが盗賊のように浮んで来るのであった。

「全く右へ行くも左へ行くもあったもんじゃないですね。これゃ食える方へ行ってるだけだ」

梶はフランスの<ruby><rb>罷業</rb><rt>ひぎょう</rt></ruby>を目撃してからドイツ、オーストリア、イタリアを廻ってパリーへ帰ると友人に話したことがあった。

「そうですよ。みなそうですよ」

とヨーロッパの政治に明るい特派員の友人が彼に答えた。この人と梶が別れて東北の隅で新聞を見ていると、一カ月もたたぬのに、すでにこの紳士であるスマートな友人はスペインの動乱の上を飛行機で飛び廻り、空中からの彼の活躍のさまが手にとるように紙面に現れていた。

「日本の新聞記者ほど働く記者は世界のどこにもいませんよ。あまり働くので、われわれをペスト菌だと云ったポーランド人がおりますよ」と彼が苦笑をもらしたことがある。

又ある大学の優秀な政治学の教授は、パリーの左翼の<ruby><rb>旺盛</rb><rt>おうせい</rt></ruby>なさまを眼にしながら、

「自分は左翼に同情はしていたが、しかし、日本がこんなになられちゃ、これゃたまらないという気がして来ましたね。けれども、そうかと云って、生徒に君たちはファッショになれとは、どうしても云えませんからね。全く帰ったって、これじゃ生徒に教えようがなくなった。困ったことになって来た」

とつくづく梶に腕組みしながらこぼしたことがあった。しかし、思想は民族から離れてあり得ようがない。論理の国際性の重要なことは梶とて充分知っているが、それ<ruby><rb>故</rb><rt>ゆえ</rt></ruby>に知性は国際的なものだとは限っていない。民族の心理を飛び放れた科学者たちの知性が、国際性を何ものより最上としている現代の欠陥は、各民族の住する自然を同一視している彼らの理想の薄弱なところにあるのだと梶は思った。事実、自然の法則を発見する科学者たちの方法が各国共通の論理を根幹としている理由によって、その論理の対象とする自然と歴史の運動をも各国共通の自然と混同しているところに、現代という時間を忘れた知性の不明があると梶は思う癖があった。

梶がヨーロッパへ旅立つ前からうっかり民族という言葉を用いようものなら、ひどく知識階級のある種のものたちから矢を受けた。けれども、この<ruby><rb>明瞭</rb><rt>めいりょう</rt></ruby>な現実の<ruby><rb>根柢</rb><rt>こんてい</rt></ruby>であるところの種族を黙殺して、何の知性が種族の知性となるのであろうか。梶はこう思う。

「自分がこのように<ruby><rb>棲息</rb><rt>せいそく</rt></ruby>している種族の知性を論理の国際性より重んじるところは、自分が種族の国際性を愛するからだ」と。

全く今まで梶の一番混乱を起した抽象的な場所はここであった。またこれは梶一個人の混乱の場所だけではなく、日本の知識階級全部の混乱の源をなしている奇奇怪怪の場所でもあった。<ruby><rb>一度</rb><rt>ひとた</rt></ruby>び問題がここに触れようものなら知識階級は総立ちになって<ruby><rb>喧騒</rb><rt>けんそう</rt></ruby>を<ruby><rb>極</rb><rt>きわ</rt></ruby>めるのだ。今やまた梶が帰ってみればヒューマニズムの論議が沸き立ち上っている最中であったが、これも<ruby><rb>仔細</rb><rt>しさい</rt></ruby>に眺めていると、種族の知性と論理の国際性との分別し難い暗黒面から立ち昇っている<ruby><rb>濛濛</rb><rt>もうもう</rt></ruby>とした煙であった。

すべての知識階級の者たちは、頭の中にそれぞれこの暗い穴を開けられたまま歩いていた。歩く彼らの足つきや方角を見ていると、誰も彼も勝手の悪そうな顔をして煙っている他人の火元を見合いながら慰め合うのである。中には<ruby><rb>無闇矢鱈</rb><rt>むやみやたら</rt></ruby>と国際性という刀を振り廻して<ruby><rb>斬</rb><rt>き</rt></ruby>りつけてばかりいるのもあった。このような人人は覆面をして荒れ廻っている者に多かったが、面の中からも煙はぶすぶす立ち昇っているので、背中の後ろの<ruby><rb>捻</rb><rt>ね</rt></ruby>じ廻しがどこ製のものだかすぐ人人には分るのであった。

東北の海岸の温泉場には人の気配はもうなかった。梶は波頭の長く連り襲って来る海を前にした宿の部屋で、背後の水の<ruby><rb>滴</rb><rt>したた</rt></ruby>る岩山の方に向いて坐り、終日そこから動かなかった。<ruby><rb>驟雨</rb><rt>しゅうう</rt></ruby>がときどき岩庭に降り込んだ。彼は泉石の間から端正な<ruby><rb>真鯉</rb><rt>まごい</rt></ruby>の<ruby><rb>躍</rb><rt>おど</rt></ruby>り上るのを眼にしながら何をするでもなかった。このようなとき、四つの子供が村の子供たちに引っ<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>かれて泣きながら彼の部屋へ<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>って来て、黙っている父を見ると棒切れを拾い上げ、

「よし、<ruby><rb>殴</rb><rt>なぐ</rt></ruby>って来てやろ」

と云ってまた馳け出すのを見ると、梶はこ<ruby><rb>奴</rb><rt>いつ</rt></ruby>は日本人だと思ってひそかに喜んだ。梶の留守の間初めて村<ruby><rb>住居</rb><rt>ずまい</rt></ruby>をすることになったこの子供が、ある日村の大きな学校通いの子供たちから取り包まれ、皆から石を持って迫られても逃げないでじっとしていた話を芳江から聞かされると、梶はまたそれも喜んだ。彼はこのような子供が今日本に充満していて、年年歳歳それぞれ成長しつつあるところを考えると、これらの子供が何をやり出すか計り知れぬ興味を覚えた。梶はヨーロッパにいるとき、自分の子供と同じ年齢の子を見ると近づいて公園などで遊んでみたが、特に日本の子供がヨーロッパの子供たちから劣っているとは思えなかった。それぞれこの両洋の子供たちは、各自の国の知性をたどってそのレールの上を成長していくだけの相違であった。梶はここに暗黙のうちに敷かれたレールの両極は一致すべきものと信じていたが、今のところ、いかなる国際列車もまだ乗り換え場所が幾つも必要だと思わざるを得なかった。梶は国際列車のレールは各国共通に一本のものであるべき<ruby><rb>筈</rb><rt>はず</rt></ruby>だから、列車は乗り換える必要がないと教える学者たちには賛成出来なかった。殊に汽車には国国によって時間の相違があり、山川の相違によってレールに広軌と狭軌の差が明らかに存しているにも拘らず、レールの鉄材も日本製を使用すべからずと教えるものや、時間表まで各国同一の時間にすべしと主張する一派を見ると、ひどく<ruby><rb>暢気</rb><rt>のんき</rt></ruby>な隠居のように見えるのだった。

ある日、梶は自分のいる温泉場を中心とした地方のレールの敷き方を<ruby><rb>検</rb><rt>しら</rt></ruby>べてみた。一カ所を<ruby><rb>仔細</rb><rt>しさい</rt></ruby>に見れば、そのレールは全国共通に通じた個所があるにちがいないと思ったからである。すると、意外なレールの素質が梶の眼の前に現れて来た。

その市は人口三万ほどある市である。周囲は米の産地として有名な地味<ruby><rb>肥沃</rb><rt>ひよく</rt></ruby>の庄内平野に包まれているので主産物は米であった。この市の領主はむかし徳川家と特殊に親密な関係があったから、維新の革命のときには領内の士族は当然徳川とともに滅亡すべき運命を持っていた。そこで領内の士族は立って朝廷と一戦を交える覚悟のおり、西郷隆盛がひそかにこの地へ乗り込んで来たのである。このとき家中に一人の傑物の家老があって、これが西郷と会談の結果ともに人格が相映じ、<ruby><rb>鉾</rb><rt>ほこ</rt></ruby>を納めて無事家中を安泰ならしめた事実があった。しかし、このとき、<ruby><rb>謀叛</rb><rt>むほん</rt></ruby>の証左を無くするため人知れず軍用金をある信用すべき商人の一人の手中に隠した。領主を中心とする士族の一団の生活費は、以来この商人の手中にあって今に至っているというのである。この<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>はどこまで信用すべきものであるか誰にも分らない。どこまでも秘密から秘密へと落ち込んで消えていく筋合のものであった。しかし、領主をいまだに殿様と呼び、その前では平伏<ruby><rb>叩頭</rb><rt>こうとう</rt></ruby>する習慣を維持している士族一派を、市民たちは<ruby><rb>御家禄</rb><rt>ごかろく</rt></ruby>派と呼び特殊階級として許していることは明らかな事実であった。この御家禄派の現在の生活費は、その一党からなる地方第一の倉庫の所有権から上って来ていた。倉庫は平野の大産物である米穀の保管が目的であって、保管倉庫の完備と人心の素朴さでこの地の米穀は全国第一の実質を備えていた。

しかし、ここに新しい別の倉庫が建ち起って来た。それは農民を主体とする産業組合の活動である。この組合は農民の手でなる米穀類の保管から<ruby><rb>売捌</rb><rt>うりさば</rt></ruby>き交渉一切を引き受ける上に、金銭を貸し与えて肥料の供給までするのである。この便利な組織は自然に農民の心を引きよせるに充分であった。ところが、ここに困ったのは、その敵である御家禄派の衰微ではなく市の主要群団であるところの商人たちであった。農民たちの金銭がすべて産業組合の手中に落ちた結果は、市の商人の品物の売れなくなるのは当然である。たちまち商人の破産するものが続出して来た。梶の耳に這入って来た確かな<ruby><rb>検</rb><rt>しら</rt></ruby>べによると、ほとんど商人の九割までが破産状態に<ruby><rb>瀕</rb><rt>ひん</rt></ruby>しているということであった。しかし、さらに梶を驚かしたことは、その現象がこの地方のみならず日本全国に共通した農村都市の叫喚であるということだった。

梶は前からもそれは感じていたことであったが、それはこれほどまで深刻な変化をしているものとは思わなかった。政治季節になると、いつもの通り掲げられる米穀統制法という看板も、つまりは、地方の商人を破壊している産業組合の主態である農村を救えという声である。明らかに誰が見ても、農夫の作る米穀類をすでに存在している統一機関の手をもって統一し、仲介業者の手を無くすることの良い仕事であるのは分ったことだ。それにも<ruby><rb>拘</rb><rt>かかわ</rt></ruby>らずこの統制法が、いまだに議会を通過しないという事実の裏には、商人団の中央機関の必死の破壊運動があるのだった。

農民を救うべきか商人を救うべきかという難問の前で、明答の出て来る筈はない。どちらも救えというためには、秩序組織の改革以外に良法はない。これは誰が考えたとて定ったことだ。現状維持を最も安全な思惑と考える筋合は、実は最も危険思想であるという奇怪な進行をなしつつ満員列車は馳けているのだった。ところが、梶のいるこの地方には、新しい機関の発生を待ち望んでいる群衆以外に、これはまた変った形態が残っていた。それは領主の家老が隆盛の言に従い、明治政府の掌中に実権を譲ったとき、一戦を覚悟の決死隊の一団である。彼らは自身たちの領主がすでに明治に<ruby><rb>降</rb><rt>くだ</rt></ruby>ったと知ると、明治の飯を食わずと<ruby><rb>連袂</rb><rt>れんべい</rt></ruby>して山間の<ruby><rb>僻地</rb><rt>へきち</rt></ruby>に立て<ruby><rb>籠</rb><rt>こも</rt></ruby>り、今なお一団となって共産村を造っていた。ここでは一団が山野を開拓して田畑となし、共同の養蚕所を持ち、学校をその一部にあてた堅実質素な生活を維持しつつ、絶対に他の<ruby><rb>容喙</rb><rt>ようかい</rt></ruby>を入れない純然たる態度を守って世を<ruby><rb>睥睨</rb><rt>へいげい</rt></ruby>していた。誰が見ても、まさに共産党以上の<ruby><rb>牢固</rb><rt>ろうこ</rt></ruby>さと単純さとがここにあった。しかし、これさえ国家は保護している。義理人情という日本の知性のこの二つの形の純潔さに対して、ヨーロッパの知性のいかなる最高のものがこれを笑い得るであろうか。――

梶はこのように思いながら間もなく東京の自分の家へ帰って来た。

梶が東京の我が家へ初めて戻ったときは季節は寒さに向っていた。彼が帰って家の周囲を見渡すと今までの広い空地はどこにもなくなり、東西南北家がぎっしり建っていた。<ruby><rb>僅</rb><rt>わず</rt></ruby>か<ruby><rb>半歳</rb><rt>はんとし</rt></ruby>あまりにこのように人家の密集する都市の<ruby><rb>膨脹力</rb><rt>ぼうちょうりょく</rt></ruby>を思うと、半歳の間の日本の変化も実はこれと同じにちがいないと梶は思って驚いた。家の<ruby><rb>掃除</rb><rt>そうじ</rt></ruby>をさせている間、梶は久しぶりに一人市見物に出ていった。すると、あれほど大都会の中心を誇っていた銀座は全く低く<ruby><rb>汚</rb><rt>きたな</rt></ruby>く見る影もなかった。

「これが銀座だったのか」

梶はしばらく街を見廻して立っていたが、寒そうに吹く風の中をモダンな姿で歩く人影も、どこの国の<ruby><rb>真似</rb><rt>まね</rt></ruby>ともなく一種すすけた<ruby><rb>蕭条</rb><rt>しょうじょう</rt></ruby>とした<ruby><rb>淋</rb><rt>さび</rt></ruby>しさを<ruby><rb>湛</rb><rt>たた</rt></ruby>えていた。梶は日本の文化は物の中側にある知的文化が特長だと常に思っていたが、しかし、外から見かけたこの貧寒さを取り<ruby><rb>除</rb><rt>の</rt></ruby>けるためには、少なからざる虚栄心の<ruby><rb>濫費</rb><rt>らんぴ</rt></ruby>をしなければ西欧に追っつけるものではなかった。内充して外に現れることが形式の本然であるならまだまだ日本の内側は火の車だと思った。

梶は友人をある会社に尋ねて今日から東京へいよいよ落ちつくことを<ruby><rb>報</rb><rt>しら</rt></ruby>せにいった。この友人は幾つもの会社の重役をしていた上に関西の財界の大立物を親戚すじにひかえていたから、日本の財界の動きにかけては誰より確実な早耳を持っていた。重役室で梶は友人に逢うと、自分のいなかった間に変化して来た裏面の動きを<ruby><rb>訊</rb><rt>たず</rt></ruby>ねてみた。

「そうだ。君のいない間にがらりと変ってしまったぞ。たいへんな事になってしまったよ。税制改革で年に百万円<ruby><rb>儲</rb><rt>もう</rt></ruby>けるものは五十万円の税だよ。それも累進率だから、儲かれば儲かるほど出すのも上るわけさ、相続税だって財産の三分の二以上とられるんだ。こうなると二百万円の財産だって、孫の代には一文もなくなってルンペンになり下るという寸法になって来る。百円の収入以上のものには、もう皆かかって来るんだ。君も考えないといけないぜ」

こういう友人の言を寝耳に水のごとく梶は聞いていた。

「それゃ、大革命が起ってるんじゃないか。まだ誰にも聞かなかったが本当か」

「誰が嘘を云うものか、まだ誰も気が附かんだけだよ。この二三日財界は大騒動だ。関西からは電報ばかりだが、誰もどうしていいか知らんのさ。こうなれば君、財産の隠しようがないからね。おまけに儲けたって仕様がないから今までの財界の<ruby><rb>玄人</rb><rt>くろうと</rt></ruby>がみな尋常一年生になっちゃったんだ。現に新東が焦げつき相場でじっとしたままだよ。それが証拠じゃないか。上げも下げもならんのだよ。どうしていいんか分らないんだからね」

「しかし、それゃ、面白くなって来たね」

「面白いよ。僕の会社もこうなれば、機械に金をかけて良い品物を造るより仕様がなくなった。重役会議を昨日開いたんだが、僕はそれを主張したんだ。皆だい賛成だ。ボーナスもうんと出す。社員を遠足させたり、会をやって<ruby><rb>御馳走</rb><rt>ごちそう</rt></ruby>して楽しませたりする方に、金をどんどん使うんだ。しかし、やりよったなア。大蔵省、とうとうやりやがった。<ruby><rb>豪</rb><rt>えら</rt></ruby>いよ。もう金持連中、利子では食えなくなるからな。とにかく、ここ一週間どこの会社だって、それで重役会議ばかりだよ」

「議会はしかし通過するのかね」と梶もあまりの変化にまだ嘘のような気持ちだった。

「通過するさ。それゃもうちゃんと<ruby><rb>定</rb><rt>きま</rt></ruby>ってるんだ。財界の大立物が重役をみなやめちゃったのもそれなんだよ。あ<ruby><rb>奴</rb><rt>いつ</rt></ruby>らはそこがまた豪いとこなんだね。矢っ張りインテリの重役じゃなくちゃ駄目なんだよ。ヨーロッパはどうだね。近頃は」

「いや、そういう面白い話を聞いちゃ、ヨーロッパどころじゃないね。あっちの話はもう古くさいよ。ただフランスの左翼はトロツキイ派が多いんだが、スターリン派の左翼とどうなるかというのが、一番僕には面白いね。これは日本で考える以上にもっと性質の違った複雑な問題なんだ。僕がモスコーへ行ったとき聞いたんだが、この六月にチタで汽車の衝突事件があっただろう。汽車が衝突したというので、駅長から助役、機関手みな責任者を即決裁判で銃殺しちまったんだ」

「ふむ」と友人は眼を見張った。

「それもスタハノフ運動という貨物の能率増進運動を妨害しようとしたトロツキイ派の一味だからというのだが、しかし、日本の左翼はスターリン派かトロツキイ派か、どっちが有力なんだ。君聞かないか」

「それゃ聞かないね。しかし、無茶をしよるな」とまだ友人は考えている風だった。

「しかし、左翼の一番の強敵は右翼じゃなくて同じ左翼だというのが、今じゃ現実そのものになって来たんだから、思想もどこまでこ奴、<ruby><rb>悪戯</rb><rt>ふざ</rt></ruby>けるか底が知れないよ。現実を全くひやかしてるようなもんだからね。そこをユダヤ人がまた食いさがってにやにやするという寸法だ。良い加減に腹を立てる奴も出て来るさ。とにかく、もう世界の知識階級は云うこともすることも無くなったよ。知性が知性を滅ぼしておけさ踊りをしてるんだ」

「しかし、日本も累進率の税法で、これから文化がどしどし上る一方だよ。左翼のやれなかったものを、妙なところがやりよったのだ。面白いね。長い間金持ちが金を儲けすぎた罰がとうとう来たんだね」

重役でありながらこのようなことを云う友人の顔を見ながら、梶は日本の変化の<ruby><rb>凄</rb><rt>すさま</rt></ruby>じさを今さら見事だとまたここでも感服するのだった。

彼は事ごとにこのごろの日本に感服する自分をこれはどうしたことであろうかと思った。寝足りた朝のように平凡な雑草まで眼をとめて眺めたいのは、これは自分も一人前に成長して来たからだと思われた。

梶が友人と別れて帰って来たときはもう夜になっていた。家の掃除も引き越しも無事に出来上っていたので一同夕食をとろうとして茶の間へ集った。すると、それまで外で遊んでいた長男は帰って来たが、次男の四つになるのがいつまで待っても姿を見せなかった。どこへ行ったのかと梶が訊ねても誰も知らなかった。彼はすぐ人を四方へ走らせてみた。しかし、いずれも帰って来たものはみな要領を得なかった。初めのうちはそれぞれあまり気にもせずそのうちひょっこり帰るであろうと思っていたが、附近に遊んでいる子供たちに訊ねても誰も知らぬという返事に、一同だんだん顔色が変って来た。

「初めて帰って来たんだから、きっと道を迷って遠いところへ行ったんだわ。どうしましょう」

芳江は真っ青になったまま外の方へ馳けていった。彼女の後から出入の米屋や酒屋、手伝いの人三人に長男らが四方へまた探しに散った。梶も別動隊となって裏から一人で出ていったが外は全く暗かった。それに新しく前後左右にずっと建て込んだ家の小路の複雑した屈曲には、梶もしばしば迷って出口が分らず立ち停って考えたほどだった。家の尽きたあたりは一万坪あまりの野原で人一人通らなかった。梶は永らく<ruby><rb>田舎</rb><rt>いなか</rt></ruby>の祖父のもとで留守中いた四つの子供の頭を思うと、迷ったが最後帰路の困難が察せられた。道というものは小さくともどこまでも続いているのだから、迷いの末はどのあたりを遊び歩いているか知れたものではない上に、梶の家の周囲の道がまた八方についているのだった。

梶は<ruby><rb>真暗</rb><rt>まっくら</rt></ruby>な夜道を子供を尋ねて歩きながら、ふと自分も今自分の子供と同じような眼にあっているのではないかと思った。知らぬ間に全く考えもしなかった複雑な夜道が自分の八方についていて、どこを自分がうろついているのか分らぬのではないかと思われた。彼は子供を探しあぐねて戻ってみてもまだ子供の姿は見えなかった。附近の交番へ頼んでおいた返事も無益であった。芳江は門口で泣きながら探しに行った人人の戻って来るのを待っていた。けれども誰もぼんやり黙って帰って来た。いずれ戻って来るだろうと梶はまだ思っていたが、そのうちに気が気でなくなり、再び子供を探しに出かけた。しかし、馳けても目的が分らぬのであるからどちらを向いて馳けて良いか見当がつかなかった。

彼は<ruby><rb>空</rb><rt>むな</rt></ruby>しい思いであてどなくうろつきながら、

「これゃ、知識階級の苦しみという奴だ」

とこう思った。しかし、それは梶には笑い事ではなかった。日本へ帰って来るとこんな苦しみがあったのかと、彼は<ruby><rb>暗澹</rb><rt>あんたん</rt></ruby>となりまさる胸の中に顔を埋めるようにして幾つも坂道を上ったり降りたりした。ときどき立ち停って子供の名を呼んでみたが、子供も同様にどこかで立ち停っている<ruby><rb>筈</rb><rt>はず</rt></ruby>はないのだから返事はもとより聞えなかった。ただ遠くの方で子供の名を呼ぶ他の探し手の声が聞えて来ると、まだそれでは見つからぬのかと一層不安が増して来た。彼は歩きながらも、これから将来において幾度こんなことがあるかしれないのだと思うと、悲しみついでに今一度にどっと悲しみに襲われてしまいたいと思った。

梶が探し疲れて家へ戻って来ると、迷い子になった子供はゴム風船を持って一人ぼんやりと勝手元に立っていた。一同のものは何ぜだか誰も黙っていた。梶も子供の姿を見ると何も云わずにその傍を通りぬけて奥の間へ這入ろうとした。

「交番の椅子にぼんやりひとり腰かけていたんですって。早くお礼を云ってきてちょうだい」

こうしばらくして梶は芳江に注意された。しかし、梶は容易に身体が動かなかった。

「早く行ってらっしゃる方が良いですね」

と手伝いの人がまた云った。そんな事は梶とて百も承知であったが、全く空虚になっている現在の自分の楽しさを思うと、ヨーロッパ旅行の楽しさなど比較にならぬと思って<ruby><rb>恍惚</rb><rt>こうこつ</rt></ruby>としているときであったから、芳江や手伝いの人の言葉が梶には<ruby><rb>鞭</rb><rt>むち</rt></ruby>のように腹立たしく感じられた。

「しかし、これがわがままというのだろう」

梶は腰を重くあげて夜道を交番の方へ歩いていった。もうここの警官にだけは一生頭が上らないと彼は思いながら、夜気に湿った草原の中を勢い良く歩くのだが、世界の思想や状勢に頭を使い、日本のあれこれを思い悩んだ自分の考察も、根元から吹き上げられてはこのように無力なものになるのかと、今さらおかしく淋しくなって来た。

その夜梶は海外へ行く前に日日寝つけた自分の部屋で、以前のままに敷いてある寝床の中へ初めて身体を横たえた。彼は天井を仰いでみた。背中は<ruby><rb>蒲団</rb><rt>ふとん</rt></ruby>にぴたりとついて呼吸をする度にゆるやかに<ruby><rb>襟</rb><rt>えり</rt></ruby>もとの動くのが眼についた。すると、<ruby><rb>弛</rb><rt>ゆる</rt></ruby>んだ障子の根に添って見覚えの<ruby><rb>鼠</rb><rt>ねずみ</rt></ruby>がちょろちょろと這い出て来ると梶を見詰めたままじっと様子を伺っていた。

「あーあ、もとの<ruby><rb>黙阿弥</rb><rt>もくあみ</rt></ruby>か」

と梶は思わず口に出た。次ぎの部屋で床に這入ったらしい芳江は面白そうに声を立てて笑い出した。