Soranoha

能とは何か

のうとはなにか

夢野 久作

二三年前の事、或る若いエスペランチストが私の処へ遊びに来ました序ついでに、瑞西スイスとかのエスペラントの雑誌へ「能」の事を投稿したいから、話してくれないかと頼みました。ところが生憎あいにく、私は能というものを外国人に紹介する程の頭も学問も持合わせておりません。東京で行われる一流の能さえもあまり見た事がないくらいの貧弱な一ファンに過ぎないのですから、そんな大それた話は出来ないと云ってあやまりましたら、それなら概念だけでもいいから、質問に応じてくれ。それを参考にして論文を書いて見るから……とナカナカ頑強で熱心なのです。そこで私は大胆にも承知をしまして、その青年の質問に答えたのですが、その質問が又、意外に組織立っているのに些すくなからず驚かされた事でした。しかもその青年は私の答えを一々速記して日本文に直しておりましたので、その原稿を程経てから私の留守中に持って来て「閑な時に見てくれ」と云いおいて帰って行きました。

ところがその青年は、それっ切りパッタリと来なくなりました。住所が分らなくなったばかりでなく、年賀状も来なくなりましたので、どうしたのかと思っておりますと、この頃の人の噂に、その青年は深刻な左傾運動に関係して外国に放逐されたとの事で私は余りの事に茫然となった事でした。そうして一人の頭のいい、情熱の深い友達を失った事を心から悲しんだ事でした。

この原稿はその青年の生き形見で、ほんの処々筆を入ただけです。その青年の頭のよさと、私の無学さとが到る処に曝露している事と思いますが、却かえってそうした点が一種の興味と共に何かの御参考になりはしまいかと思いまして編輯者のお手許に差出す事に致しました。一つにはその青年の思い出を葬り去るに忍びない私の或る気持ちが、こんな決心を敢あえてさしたのかも知れませぬけれども……。

長々しい私事を前置きに致しましたことを謹んでお詫び致します。

外人の能楽ファン

「能とは何ぞや」という標題は大き過ぎて気がひける。併しかし外に適当な題もないようだからこの題下に話をすすめる。

近来外国の芸術家、もしくは芸術愛好者たちが日本の「能」に着眼して、色々な研究をしていると聞いた。主として文学青年の噂を聞き噛かじったのであるが、主として英米独仏人だそうである。中にも米国人は、例の珍らしいもの好きから「能」に接近する傾向があるが、同じアングロ・サクソン人種でも英国人のはそんな単純な意味の研究ではないらしい。何とかいう詩人(イエーツと記憶する)は真正面から「能」を研究して批判しているし、ゴールドン・クレイグという劇通は裡面から英国の劇壇の新傾向を解剖して「劇の窮極の形の一つに仮面舞踊劇が存在する」というところから、日本の「能」の芸術的存在価値を裏書きしていると聞いた。又今から百年ばかり前に死んだ仮面劇の作者(名前は忘却)の墓石に刻み付けられた楽譜ようのものの正体が、どう研究しても分らなかったのが、この頃日本の能楽研究が盛んになるに連れて、その楽譜ようのものが打楽器の音譜である事が判明した……というような話も聞いている。その他にも能楽に就て論議された言葉が色々と発表されているので、そんな人々の意見を綜合すると概要こんな意味になる。

舞台という四角い、限られた枠の中に嵌はめ込まれるべき所作的表現である以上、その所作、扮装共に現実と同じものでは調和しないのが当然である。皿の絵はあくまで皿の絵式の非現実なものでなければならぬ。丸天井の絵はどこまでも丸天井式の夢幻的な構図着想でなければならぬ。その他、壁布の絵、衣裳の模様、人体の黥いれずみ、その他何でも、芸術作品というものは、その盛り込まれる相手の形状、用途、環境、対象等の各条件によって、それらしいノンセンス味を加味して行かれねばならぬ。そこに現実としての虚偽があると同時に芸術としての真実が存在する。この意味で現実の断片を、そのまま舞台にはめ込むのは芸術上の大錯誤である。

舞台という特別な世界に嵌め込まれて、鑑賞さるべき所作芸術は、舞台という四角い箱に百パーセントまで調和する扮装と所作でなければならぬ。このために芝居に於て、俳優は、顔の化粧を強調し、動作を極度に突込み、表情を思い切り誇張する。舞台を区切る強い直線の力、フットライトの威力、音楽の波動、又は筋や言葉の緊張度等に圧倒されまい。これを支配して、これに調和して行こうとする。そうすると、その所作は次第に非現実なものになり、その扮装は自から舞台向きの特殊なものとなって来る。

作者も同じ苦心をする。舞台の上で進行する事件を現実通りにゴチャゴチャさせたり、間延びにしたりする事は出来ない。その場面場面の印象は、出来るだけ重立った、上手な役者の所作、科白せりふ等によって強調させるようにしなければならぬ。その脚色と名付くる非現実な統制によって、初めて舞台上の出来事が、観客の頭に百パーセントの印象をあたえる事になる。

けれども一方に、それが芝居である以上、全然現実から脱却する事は出来ない。ストーリーの面白味、背景、扮装の迫真、史実との一致なぞいう非芸術な要素を喜ぶ低級な観客や、低級な通人、批評家の勢力はいつの世にも絶えない。従て芝居は常住不断に舞台表現と、現実的な表現との中間に狭迷さまよって行かねばならぬ。写実と非写実のチャンポンをやって行かねばならぬ。芝居芸術の悲哀はそこにある。

この煩悶を一掃するものは、舞台仮面劇、もしくは舞台仮面舞踏である。そうして日本の能楽はこの両者を打って一丸として渾然徹底したものでなければならぬ。舞台と仮面、仮面と打音楽器は、切っても切れぬ芸術的因縁を以て、一如に結び付いているものである。

吾人は希臘ギリシャの仮面舞踊劇を今一度、モットモット深くかえりみる必要がある……。

……というような考察は、英国の極めて高等な芸術家たちの論議に散見しているところだそうである。

その他、仏蘭西フランス人は直観的に能の表現の尖鋭さを推賞し、独逸ドイツ人は能楽のリズムを表現する間拍子が異常な発達を遂げているのに驚異して、これを科学的に分析研究しているという。

その他、曰いわく何、曰く何と色々な研究の話を聞いているが、外国語のわからない私には、直接に原書を読む事が出来ない。又訳書も無いらしいので、畢竟ひっきょう、噂の噂程度の引例にしかならないのを悲しむ。しかし、それでも、その研究や発表が上述の如く、能の根本義に触れている点は三嘆に価するので、日本人でもそんな風に能の根本精神に触れた考察をめぐらしているものはあまりあるまいと考えられる。

外国の最高知識階級に属する人々の能楽研究熱がコンナ風に盛んになるに連れて、日本来遊の外人達の間に、「日本に来て能ダンスを見なければ日本の芸術を語るに足らず」「キモノ、フジヤマ、ノウダンス」という傾向が高まって来た。中には自身で「能」を稽古して、西洋に帰ってから自国語で演出して見ようというような熱心家が出て来た。又は米国に行っている教授の世話で、在留邦人が年中行事として能を催す際に、米人のマダムや令嬢が囃方はやしかたを受け持つ事にきめている向きがあるという。殊にそんな婦人の中でも、日本人の男性でも掌の痛さと、気合いの烈しさに辟易へきえきする大鼓を引き受けている人が居ると聞くに到っては、感心を通り越して瞠若どうじゃくの到りである。

斯様かような調子で外国人の能楽研究が盛んになるに連れて、日本の芸術家は勿論、一般大衆が能に対して眼ざめて来た。ちょうど外人が日本の錦絵を賞讃して、その中に含まれている尖端的な芸術味を驚異玩味しつつ彼等の芸術に取り入れ初めて以来、日本の芸術家たちが足下から鳥が立ったように錦絵礼讃を初めたのと同一軌である。

こんな風潮がいい事か、わるい事かは別問題として、徳川時代に於ける錦絵画家の人知れぬ苦心は、かくして明治、大正、昭和の時代に於て酬いられつつある。同様に、足利時代以来五百年に亘って生れかわり死にかわりした代々の能楽師が、現在の能を完成するために費した底知れぬ苦心研鑽の努力は、今や漸ようやく酬いられむとしつつある。

私は無学な、お国自慢の一能楽ファンである。だから斯様に日本の芸術……特に能楽価値を認めて、日本人に指示してくれる外人諸氏に対して一も二もなく感謝の頭を下げるものである。

けれども、それと同時に、次のような放言をする事を許してもらいたい。

有あり体ていに云うと前述の錦絵は日本所産の芸術作品の中でもかなりに俗受け専門の低級浅薄なものであるが、それでもその中に含まれている画家と、彫刻師と、印刷者の苦心は、外国一流の芸術家たちを刺戟して、新生面を打開させるだけの偉大深刻な尖鋭さをもっている。

だから、純乎たる芸術価値のみを目標として、五百年の長い間俗家に媚こびず……換言すれば興行本位、金銭本位とせずに、代を重ねた名人達の手によって、洗練に洗練しつくされて来た能の表現の尖鋭さ、芸術的白熱度の高さは、到底錦絵の比でない事を、局外者と雖いえども容易に想像し得るであろう……と。

能ぎらい

日本には「能ぎらい」と称する人が多い。否。多いどころの騒ぎでなく、現在日本の大衆の百人中九十九人までは「能ぎらい」もしくは能に対して理解を持たない人々であるらしい。

ところがこの能ぎらいの人々について考えてみると能の性質がよくわかる。

目下日本で流行している音曲とか舞楽というものは随分沢山ある。上は宮中の雅楽から下は俗謡に到るまで数十百種に上るであろう。

ところでその中でも芸術的価値の薄いものほどわかり易くて面白いので、又、そんなものほど余計に大衆的のファンを持っているのは余儀ない次第である。つまりその中に「解かり易い」とか「面白い」とか「うまい」とか「奇抜だ」とか「眼新しい」とかいう分子が余計に含まれているからで、演者や、観衆、もしくは聴衆があまり芸術的に高潮せずとも、ストーリーの興味や、リズムの甘さ、舞台面の迫真性、もしくは装飾美等に充分に酔って行く事が出来るからである。

然るに能はなかなかそうは行かない。第一流の名人が演じても、容易に共鳴出来ないので、座り直して、深呼吸をして、臍下丹田せいかたんでんに力を籠こめて正視してもどこがいいのかわからない場合が多い。

「世の中に能ぐらい面白くないシン気臭い芸術はない。日増しのお経みたようなものを大勢で唸うなっている横で、鼻の詰まったようなイキンだ掛け声をしながら、間の抜けた拍子で鼓や太鼓をタタク。それに連れて煤すすけたお面を冠った、奇妙な着物を着た人間が、ノロマが蜘蛛くもの巣を取るような恰好でソロリソロリとホツキ歩くのだからトテモ退屈で見ていられない。第一外題や筋がパッとしないし、文句の意味がチンプンカンプンでエタイがわからない。それを演ずるにも、泣くとか、笑うとか、怒るとかいう表情を顔に出さないでノホホンの仮面式に押し通すのだから、これ位たよりない芸術はない。二足か三足ソーッと歩いたばかりで何百里歩いた事になったり、相手も無いのに切り結んだり、何万人も居るべき舞台面にタッタ二三人しか居なかったりする。まるで芸術表現の詐欺取財だ。あんなものが高尚な芸術なら、水を飲んで酔っ払って、空気を喰って満腹するのは最高尚な生活であろう。お能というのは、おおかた、ほかの芸術の一番面白くない処や辛気臭い処、又は無器用な処や、乙おつに気取った内容の空虚な処ばかりを取集めて高尚がった芸術で、それを又ほかの芸術に向かない奴が、寄ってたかって珍重するのだろう……」

というような諸点がお能嫌いの人々の、お能に対する批難の要点らしく思われる。

更に今一歩進んで、

「能というものは要するに封建時代の芸術の名残りである。謡も、舞も、囃子はやしも、すべてが伝統的の型を大切に繰り返すだけで、進歩も発達もない空虚なものである。手早く云えば一種の骨董芸術で、現代人に呼びかけるところは一つもない。世紀から世紀へ流動転変して行く芸術の生命とは無論没交渉なものである」

なぞと云うのは、まだ多少お能の存在価値を認める人々の言葉である。

「仮面を冠って舞うなんて芸術の原始時代の名残りだ。その証拠に能楽の謡の節ふしや、囃子の間拍子や、舞の表現方法までも幼稚で、西洋のソレとは比較にならない程不合理である。あんな芸術が盛んになるのは太平の余慶で、寧むしろ亡国の前兆である」

と云うに到っては、正に致命的の酷評と云っていいであろう。

能 好 き

ところがそんな能ぎらいの人々の中の百人に一人か、千人に一人かが、どうかした因縁で、少しばかりの舞か、謡か、囃子かを習ったとする。そうすると不思議な現象が起る。

その人は今まで攻撃していた「能楽」の面白くないところが何ともいえず面白くなる。よくてたまらず、有り難くてたまらないようになる。あの単調な謡の節の一つ一つに云い知れぬ芸術的の魅力を含んでいる事がわかる。あのノロノロした張り合いのないように見えた舞の手ぶりが、非常な変化のスピードを持ち、深長な表現作用をあらわすものであると同時に、心の奥底にある表現慾をたまらなくそそる作用を持っている事が理解されて来る。どうしてこのよさが解らないだろうと思いながら誰にでも謡って聞かせたくなる。処構ところかまわず舞って見せたくなる。万障繰り合わせて能を見に行きたくなる。

今まで見た実例によると、能ぎらいの度が強ければ強いほど、能好きになってからの熱度も高いようで、その変化の烈しさは実例を見なければトテモ信ぜられない。実に澄ましたものである。

しかし、そんな能好きの人々に何故そんなに「能」が有難いのか、「謡曲」が愉快なのかと訊いてみても満足な返事の出来る人はあまりないようである。

「上品だからいい」「稽古に費用がかからないからいい」「不器用な者でも不器用なままやれるからいい」なぞと色々な理屈がつけられている。又、実際、そうには相違ないのであるが、しかし、それはホンの外面的の理由で、「能のどこがいい」とか「謡の芸術的生命と、自分の表現慾との間にコンナ霊的の共鳴がある」とかいうような根本的の説明には触れていない。要するに、

「能というものは、何だか解からないが幻妙不可思議な芸術である。そのヨサを沁しみじみ感じながら、そのヨサの正体がわからない。襟えりを正して、夢中になって、涙ぐましい程ゾクゾクと共鳴して観ておりながら、何故そんな気持ちになるのか説明出来ない芸術である」

というのが衆口の一致するところらしい。

正直のところ、筆者もこの衆口に一致してしまいたいので、この以上に能のヨサの説明は出来ない事を自身にハッキリと自覚している。又、真実のところ、能のヨサの正体をこれ以上に説明すると、第二義、第三義以下のブチコワシ的説明に堕するので、能のヨサを第一義的に自覚するには、「日本人が、自分自身で、舞か、囃子をやって見るのが一番捷径しょうけい」と固く信じている者である。

これは、この記事の読者を侮辱する意味に取られると困るが決してそうでない。以下陳のぶるところの第二義以下の説明を読み終られたならば、筆者の真意の存するところを諒とせらるるであろう。

能という名前

「能」を説明しようとする劈頭へきとう第一に「能」という言葉の註釈からして行き詰まらねばならぬ。

「能」という言葉自身は支那語の発音で、才能、天性、効力、作用、内的潜在力、などいう色々な意味が含まれているようである。しかしそんなものの美的表現と註釈しても、あまりに抽象的な、漠然たる感じで、あの松の絵を背景とした舞台面で行われる「お能」の感じとピッタリしない。「仮面と装束を中心生命とする綜合芸術」と註釈しても、何だか外国語を直訳したようで、日本の檜ひのき舞台で行われる、実物のお能の感じがない。とはいえ「能」は事実上そんな物には違いないのであるが、云わば、そんなものを煎じ詰めて、ランビキにかけた精髄で、火を点つければ痕跡も止めず燃えてしまうようなものである。その感じ、もしくは、そのあらわれを「能」と名付けた……とでも云うよりほかに云いようがないであろう。

別の方面から考えるとコンナ事も云える。人間の仕事もしくは動作は数限りない。歩く。走る。漕ぐ。押す。引く。馬に乗る。物を投げる。鉄鎚を振る。掴み合う。斬り合う。撃ち合う……なぞと無限に千差万別しているのであるが、そんな動作の一つ一つが繰り返し繰り返し洗練されて来ると、次第に能に近づいて来る。

たとえば、剣術の名手と名手が、静かに一礼して、立ち上って、勝敗を決する迄の一挙一動は、その悉ことごとくが五分の隙のない、洗練された姿態美の変化である。極度に充実緊張した、しかも、極度に軽い精神と肉体の調和である。その静止している時には、無限のスピードを含んだ霊的の高潮度が感ぜられる。又は烈しく切り結んでいるうちに、底知れぬ霊的の冷静味がリズム化して流れている事を、客観的にアリアリと感ぜられる。……そうした決闘はそれ自身が「能」である。

弓を弾く人は知って居られるであろう。弓を構えて、矢を打ち番つがえて、引き絞って、的に中あたった音を聞いてから、静かに息を抜くまでの刹那刹那に、云い知れぬ崇高な精神の緊張が、全身に均衡を取って充実して、正しい、美しい、且つ無限の高速度をもった霊的リズムの裡うちに、変化し推移して行く事を、自分自身に感ずるであろう。能を演ずる者の気持ちよさはそこに根柢を置いている。能の気品はそうした立脚点から生れて来るのである。

こうした「能」のあらわれは、格風を崩さぬ物の師匠の挙動、正しいコーチと場数を踏んだスポーツマンのフォームやスタイルの到るところにも発見される。……否、そのような特殊の人々のみに限らず、広く一般の人々にも、能的境界に入り、又は能的表現をする人々が多々あるので、そうした実例は十字街頭の到る処に発見される。

千軍万馬を往来した将軍の風格、狂瀾怒濤に慣れた老船頭の態度等に現わるる、犯すべからざる姿態の均整と威厳は見る人々に云い知れぬ美感と崇高感を与える。その他一芸一能に達した者、又は、或る単純な操作を繰り返す商人もしくは職人等のそうした動作の中には多少ともに能的分子を含んでいないものはない。

筆者をして云わしむれば人間の身体のこなしと、心理状態の中から一切のイヤ味を抜いたものが「能」である。そのイヤ味は、或る事を繰返し鍛錬することによって抜き得るので、前に掲げた各例は明かにこれを裏書している。

畢竟ひっきょう「能」は吾人の日常生活のエッセンスである。すべての生きた芸術、技術、修養の行き止まりである。洗練された生命の表現そのものである。そうして、その洗練された生命の表現によって、仮面と装束とを舞わせる舞台芸術を吾人は「能」と名付けて、鑑賞しているのである。

右に就いて私の師匠である喜多六平太ろっぺいた氏は、筆者にコンナ話をした事がある。

「熊(漢音ゆう)の一種で能(のう)という獣が居るそうです。この獣はソックリ熊の形でありながら、四ツの手足が無い。だから能の字の下に列火が無いのであるが、その癖に物の真似がトテモ上手で世界中に有ありとあらゆるものの真似をするというのです。『能』というものは人間が形にあらわしてする物真似の無調法さや見っともなさを出来るだけ避けて、その心のキレイさと品よさで、すべてを現わそうとするもので、その能のうという獣の行き方と、おんなじ行き方だというので能と名付けたと云います。成る程、考えてみると手や足で動作の真似をしたり、眼や口の表情で感情をあらわしたり、背景で場面を見せたりするのは、技巧としては末の末ですからね」

「能」という名前の由来、もしくは「能」の神髄に関する説明で、これ位穿うがった要領を得た話はない。東洋哲学式に徹底していると思う。

能と芝居

能と芝居とを比較してみる。前述の六平太氏の話が具体的に説明されるばかりでなく、芸術界に於ける能の立場が一層ハッキリとなると思う。

誰でも知っている通り、一般の芝居の舞台面には写実の分子が夥おびただしく含まれている。……背景をパノラマ式にする。月を切り抜いて見せる。雨や雪を降らせる。前景には本物の家や木立を並べる。火を燃やし湯を沸かす。生きた猿や馬を曳ひき出す。風や浪の音。鳥や虫の声。汽車の音まで写実を利かせる。又、斬られると血を流し、死にかけると青い粉を顔に塗るなど、数えれば数限りもない。

併しかし遺憾ながら似せ物は本物に敵かなわない。小豆と石油缶の音は、実物の汽車よりも間の抜けた音を出す。人工のスパークは大空のスパークほど凄くない。結局するところ、そのような写実装置の真実味を観客に受け取らせるのはその中で芝居をやる俳優の技巧、心境、腕前という事になる。ドンナ立派な背景や大道具、小道具を使っても、役者がヘボだと、ただそんな物の並んでいるだけの、間の抜けた舞台面になる。これに反して名優が演ずると、すべての道具が生きて来る事が誰の眼にもわかる。

そこを悟ったものかドウかわからぬが、この頃の新しい劇で背景を白と黒の線、又は単純色幕の組合わせで感じだけ扱って行く研究が行われているとか聞いた。多分西洋の事と思うが、それでもその背景の感じを活いかすのがその出演者の腕一つである事は云う迄もない。

こうした出演者の表現能力のみをもって舞台面を一パイにして行く行き方に、日本では所作事式のものが色々ある。中には背景の代りに合唱隊や、囃方が、むき出しに並んでいるのもあるが、そんなものは出演者の表現力に掻き消されて、チットモ邪魔にならない。のみならずその合唱隊や囃子方の揃った服装や、気合い揃った動きは、気分的に厳粛な背景を作って、演舞者の所作があらわす気分を、弥いやが上にも引っ立てて行く。観客の観賞心理を深め、陶酔気分を高めて、純乎たる芸術の世界まで観客の頭を高めて行く。

そのようなものを見る観客のアタマは、写実一方の舞台に感心する観衆のソレよりも遥かに進歩している。芸術的に洗練、純化されている。それは人の好き好きで、どちらが高いの低いのというのは間違っているという意見も時々聞くが、芝居好きになればなる程、背景や所作の写実的なのが低級なものに感ぜられて来る……というのは衆口の一致するところである。そうしてこの傾向が進んで来ると、或る個人の一定の型による舞台表現によって、その人間の個性……すなわち芸力や持ち味が如何に発揮されるかを見て喜ぶという傾向になる。歌舞伎十八番なぞはその一例で、平生の芝居でも、誰の何々はこうこう……なぞいうところに観衆のこうした観賞欲が含まれている。

もっと進んだ芝居好きになると、扮装も背景も無い素舞いを見て随喜の涙をこぼすのがある。

能はこうした舞台表現の中でも、一番いい処……すなわち芸術的に格調の高い処ばかりを撰り抜いて綜合、研成して来たものである。

能の起原

能は今から数百年前……たしかな事は記憶しないが、日本が今の王政でなく、その前の徳川幕府以前の、戦国時代のモウ一ツ以前の足利将軍時代に出来たもので、その当時はこれを猿楽と云っていた。この猿楽が能の初まりである事は確実らしいので、能の曲目に選ばれている伝説や史実に、その以前の鎌倉時代以後の事がないのを見てもわかる。

猿楽の前身が何であったかに就いては、色々な学者の説があるそうであるが、私にはわからない。もしかするとその頃までに相当発達していたであろう芝居、物真似、田楽でんがく、狂言、民謡、又は神楽、雅楽、催馬楽さいばらなぞいうものの中から、芸術的に高潮した……イイナア……と思われる処だけを抜き萃あつめて、仮面舞踊として演出しているうちに一つの演出の型が出来上ったのかも知れない。たとえば主演者と助演者の科白や、所作の振り割りとか、舞、謡、囃子の演出に関する芸術的責任の分野とか、次第、道行き、一声いっせい、サシ、下歌さげうた、上歌あげうた、初同しょどう、サシクセ、ロンギ、笛の舞、切りというような演出の順序とかいうものが、舞、謡、囃子の舞台効果を目標として洗練されて行くうちに自から生れ出たものではないかとも考えられる。それに色々な出来事や、物語を嵌め込んで、能と名付けて興行したものかとも考えられるのであるが、しかし、これは要するに一ツの推量で、当てにはならない。正直に云うと私は只、猿楽と名の付いた以後の「能」に就いてしか考え得ないのである。

その猿楽という名前が、どこから来たものかという事に就いても、色々の説があるらしいが、私にはサッパリわからない。能はよく物の真似をして舞うために、よく人の真似をする猿の名を冠せたものではあるまいかという人もあるそうであるが、もしそうとすれば、現在の舞の手ぶりの中には、その真似の分子も沢山あると同時に、真似でなくて直接にその物(月なら月、風なら風)をそのままに現わす舞い方が又、非常に沢山あるのを考え合わせると、その原始的な物真似から蝉脱せんだつして来た表現の進化が、如何に甚しいかがわかる。

脚  本

能としての作曲の型が出来ると同時に、その型に当て嵌はまった脚本が沢山に出来たらしい。現在伝わっている曲の名前だけでも千何百とかいう位である。

しかし、そんな作者、もしくは脚色家は、極めて少数であったらしく思われる。すなわち作者の名前として伝わっているのが極めて少数である事……能に盛り込まれている人生観や、宗教観、又は、その文句や脚色にニジミ出している個性や癖なぞに、共通的なにおいがかなり多い事……なぞから、そうした事実があらかた察せられる。もしかすると、全部同一人ではないかとさえ疑わるる位である。

ところで、そんなに沢山に出来た能の曲目は、能の興隆と共に次第に減少して来た。すなわち、芸術的価値の低い……演やる方も、見る方も張り合いがない……という種類のものは、だんだん舞い捨てられて、遂に現在の二百番内外にまで減少してしまった。その二百番の中でも近来久しく上演されないもので、遠からず廃曲になりそうなのが何十という程ある。一方に、アトに残った芸術価値の高い、僅少な能の曲目は繰り返し繰り返し演出されて、益々洗練を重ねられる。演出価値と観賞価値とを同時に高められて行く。ほかの芸術が新作新作といって無限に殖ふえて行くのとは全然正反対の進化向上の仕方を「能」はして行くので、このような芸術は世界にあまり類例があるまい。事によると、世界唯一のものかも知れないと思われる。

なお、こうした珍らしい「能」の進化については、もっとよく考えてから今一度話してみたい。能の根本生命……即ち能のヨサはそこから生れて来るのだから……。

囃  子

能の初期時代は、能をやる人間が、現在の素人のように、めいめいに入れ代り立ち代り、舞ったり、謡ったり、囃したりしたものではあるまいかと思う。

ところがその後、各人の天分、好き嫌い等の色々な事情で次第次第に分業になって来ると同時に、その楽器の種類も太鼓、大鼓、小鼓、笛の四ツになってしまったらしい。しかもその一つ一つのために一人の芸術家が一代を擲なげうって修業する事になったものと考えられる。従ってその専門とする器楽の演出の、能のリズムに対するタッチが必然的に洗練され、且つ高められて来た事は云うまでもない。

尚、能の演出の中に鈴、琵琶、鼓の一種でカッコなぞいうものが取り入れてあるが、これは舞を助ける小道具、作物の一種とも見るべきもので実際には奏しない。尤もっとも鈴だけは音を立てて拍子を取るが、これは狂言方と云って能役者とは別種の、道化役みたようなものが、三番叟さんばそうという舞の中に限って使うに過ぎない。

尚、前述の太鼓、大鼓、小鼓の三種は能楽演出のリズムを、打音の間拍子で囃すのであるが、そのリズムに対するタッチは全然能楽一流の行き方である。科学的には全然説明出来ないと考えられる位で、容易に説明出来ないからここには略する。笛も亦また能楽独特の行き方で、謡の音階や間拍子に合わせるような事は絶対にない。謡の中で吹く時は、謡の音調と全然かけ離れた非音階音を引きまわしたり、波打たせたりしつつ、謡と三種の楽器とが作るリズムの裏を美しく取り扱って、舞台気分を高潮させるに止まる。しかし謡から離れて笛ばかりで舞台気分を作る時は、音階音の中間音を取り交ぜた、独得のリズムを以て舞のテムポに調和させつつ、三種の打音楽をリードして行くので、これとても科学的に的確な説明は出来ないと考えられる。唯、芸術的、もしくは批判的な説明で辛うじて理解されはしまいかと考えられる位だから、矢張りここには略する事にしよう。

これを要するに、謡に合わせて演奏する伴奏楽器は一つも無い事になるのであるが、これは謡というものの間拍子や節扱いが、極めて自由に、非論理的に、もしくは非科学的に出来ていて(芸術的には極度に厳密である。だから合唱が出来る)雑音を到る処に用いたり、調子を勝手に変改したり(たとえばA調からB調へ)する場合が非常に多いので、これと合奏する事は絶対に不可能だからである。一面から見れば音階音で以て声楽と合わせる伴奏楽器は舞台表現上極めて低級な役割りしかつとめ得ない……同時に能の楽器は現在の四種類以上に増加する必要は絶対にないという事が、能を見るたんびに直感される。

仮  面

仮面は装束と共に能の中心生命を支配するもので、主演者が着けている仮面と装束の舞台効果以外に能は存在しない。換言すれば仮面の芸術的生命がその曲の生命になるので、この目的を一刹那でも忘れた舞、謡、囃子は如何に上手でもその一刹那だけ舞台面上の邪魔な存在になる事が、観ている方で一々、手に取る如くわかる。あとでその演者がイクラ巧妙に弁解しても実際にそう感ずるのだから仕方がない。

これを逆に云うと、その曲の最高潮した、あらゆる感触を表現すべく、仮面は遺憾ないものでなければならぬ。無表情の中にあらゆる表情を含んでいなければならぬ。無気分のうちに、あらゆる気分を漂わし得るほどのものでなければならぬ……という最も不自然な……同時に最も自然な要求に合したものでなければならぬ。

そんな六ケしい芸術表現は理屈上この世に存在していよう筈がないのであるが、他国は知らず、日本には沢山に在るので、能を見るたんびに、思い半ばに過ぐるものである。ただ不思議というよりほかに仕様がないくらいである。

私の知っている大学生で、世界各国の仮面を研究している人があるが、その人の話によると、現在の能の仮面が生まれる迄には、いろいろな研究が遂げられたものらしい。奈良や京都に在る古代の仮面を見てもわかる事で、頭からスッポリ冠ったり、顔半分を突込んだり、鼻や、眼玉や、口が動くようにしたり、そのほか様々の舞台効果を目標とした極端な表情の仮面が行われた。そのあげくヤット現在の中庸を取った無表情式のものが生まれた訳で、能が生まれたのも多分それと一緒ではなかったかと考えられる。

能の仮面は、そうした高潮した芸術的要素を含んだものだけに、昔の芸術家が精英を尽して、続々と製作したものらしい。その種類も初めは随分多かったらしいが、これも、能の曲目が減るのと同様の意味……すなわち能式の進化の途中で振い落されて、現在では全く用いられないものや、殆んど用いられぬものが、そのままに夥しく残っている。

その代り、或る種類のものは盛んに使用される。たとえば処女、年増、武者、若い男、爺、天狗なぞで、これはそんなものを仕組んだ曲が割合に多く残っているせいでもある。

装  束

現在の能の扮装を見た人は、到る処に思い切った時代錯誤や、身分錯誤? を発見して驚き呆あきれらるるであろう。

芝居ならば裸一貫であるべき漁師が、大臣と同じ袴はかまを穿はいたり、キチガイの乞食女が宮女と同様のキモノを着ていたり、そうかと思うと大昔の軍人と、中昔の軍人とが同じ扮装であったりするので、話だけ聞くと嘘のようであるが、それでいて表現能率は充分に上って行く。否。史実なぞによって扮装を凝こらす芝居なぞよりも遥かに舞台効果が大きいのである。

こうした現象は、やはり扮装の能的単純化から来たものである。すなわち昔は、その役々によって色々の扮装をしたものが、舞台効果を主として洗練されて行くうちに、次第に単純化され共通化されてしまったもので、現在でも、そうした方向にドシドシ進化しつつある。譬たとえば大昔の軍人と中昔の軍人と、又は身分の高い狂女と低い狂女とを区別するために、写実的な服装を着せたとすると、仮面という非現実なものの表現とは全然照応しない事になる。服装が写実的ならば、顔も写実的に化粧でも塗って、それらしくメーキアップしなければならぬので、そうなると又パノラマ式の背景がなければならず、演者の挙動や言葉も写実式に行かなければウツラなくなる。すなわち、芝居になってしまって、「舞う」という事が不可能になり、「能」の本領を喪う事になって来るであろう。それよりも軍人なら軍人、狂女なら狂女という風に一定した……仮面に一番よくうつると同時に最も舞台効果ある服装の洗練純美化されたものを着せる。あれは軍人、あれは狂女と一眼でわかるようにする。すなわち観客に余計な頭を使わせないで、ただ仮面と、キモノと、舞台との非現実的に美しい調和の裡に、その主演者の表現能力のみを味わせた方が、はるかに舞曲らしいであろう。

造り物と小道具

これは能の舞台面に用いる家とか舟とか、樹木とか、又は演出を補助する糸車、鏡、桶、釣竿、なぞいうものであるが、これも初めはかなり写実的なもので種類も沢山あったのを、次第に単純化されたり、廃棄されたりして来た形跡がある。

たとえば船は一々布で張って、船の形にしていたのが、今日では只、四角い枠の前後に、半楕円形に曲げた竹を取りつけて、それから白い布で巻いただけである。丁度小児がチョークで描いた西洋浴槽バスみたようなもので、船の位置だけを見せるようなものである。それを船頭が一人で提げて来ても誰も笑わない。否いな。もう一歩進んで、その船さえも無しに海上の表現をした方が、仮面舞踊の表現としては自然だと考えられている位である。そのほかの家、門、車、樹木等も皆前の舟と同様な単純な、象徴的な形のもので、仮面の装束の象徴的な表現と如何にして調和させるかという舞台効果のみを主眼として選択、改廃されて来たものである。

その他、日月星辰、風雨明暗、山川草木等の森羅万象に関する背景、その他の大道具、小道具、舞台設備等いうものは絶無で、ひたすらに舞い手(主として主演者)の表現力によって、実物以上に深刻に美しく印象させられて行くばかりである。

一方から見れば、昔沢山にあった大道具、小道具は、次第に舞い手と謡い手と囃し手の表現能力(即ち仮面と装束の超自然的に偉大な表現力)の中に取り入れられて消滅してしまった……という事が出来る。

出 演 者

ここに云う出演者は地謡い(合唱隊)と囃方と後見とを除いたもので、扮装をして出て来る、曲中の人物のみを指す。

これも昔は必要に応じて、各種の人物を大勢出したものを、出来るだけ少数にして舞台効果を高めるべく努力して来た。多数の人間を登場さして舞台面の空弱な処を埋めたり、その人数の多さに依って演出の価値を向上させたりする行き方とは正反対である。

能楽では、何万という登場者があるべき舞台面を僅かに二人か三人で片付ける事が珍らしくない。そうしてその何万という群集の感じは演者の表現力……逆に云えば観客の芸術的直感力に訴えて現実以上に印象深く描き表わされるので、受ける感じの美くしさも亦幾層倍するのである。すなわち現実に何万人を並べた感じは、見物に客観的な事実感を与えるだけの力しかないが、それが舞い手……殊に仮面の舞台効果(面おもてのこうした不可思議な且つ偉大な表現力がどこから生れて来るか……という事は後に述べる)によって描きあらわされると、それだけの人間が居る気分、もしくは情緒だけが観客に受け取られるばかりで、そんな夥しい実在物の息苦しい、重々しい、且つ間の抜けた感じは絶対に受けない事になるのである。

現在の能で最も出演者の多いのは十四五名であるが、これは特別で、普通は五六名以下である。その中で見た眼に感銘が深く、演る方も気が乗って緊張した舞台面を作り得るのは二人切りのもので、曲そのものもよく出来ているのが多いし、曲の数も亦些すくなくない。

その出演者は、主演者一人(シテ)、主演者補助一人又は数人(シテツレ)、子役一人もしくは数名(コガタ)、助演者一人(ワキ)、助演者補助一人又は数名(ワキツレ)の五種類で、大別すると主演者の一団(シテ方)と助演者の一団(ワキ方)となる。二人切りの能は主演者と助演者と二人だけである。

能の曲目の大部分は主演者一人を舞わせるのを主眼としてあるので、その他の四種類の登場者は、その主演者の相手役、背景、もしくは主演者の舞を釣り出すべき舞台気分の演出役として登場して、主演者の演出を引立てる事のみに専念する。従したがって動き等も主演者より遥かに些いのが通例である。

尚この他に、狂言方という一種の道化役があって、能の一要素となっているが、こちらは私に体験がないから説明を略する。ただ、前述の助演者の一団と、狂言方の一団とは、主演者の一団と相対峙たいじして、それぞれ専門的の研究を遂げ、一家を成している事を付言しておく。

監  督

能を見ると、前述の舞い手、謡い手、囃方のほかに、謡い手と同じ礼装をした人間が一人もしくは二人、舞台の後方に座っている。これは後見(コウケン)というもので、二人居る場合には、向って左側に居るのが舞台監督、右側に居るのがその補助者である。

監督はその能の一曲の初めから終るまでの舞台面に対して一切の責任を持っている。

譬えば出演中の主演者とか、その他の登場者とかに事故が出来て演主が不可能になった場合は、礼服のまま代って勤める。だから監督は通常の場合、主演者と同等以上の芸力がなければならぬ。第一流の人が主演者となった場合には、止むを得ずその主演者の最高の弟子が監督を引き受ける。又監督はその能の舞台面に於ける凡ての欠点を、謡、舞、囃子、装束、道具、その他何によらず出来るだけ眼に付かぬように正さねばならぬ。すなわちその能の最後の責任は常に監督の双肩に在るので、監督が確しっかりしていないと主演者は安心して舞えない。

ここでチョット演出に関する出演者の責任関係を述べる。囃子のリズムをリードする責任者は普通太鼓で、太鼓が出ると、太鼓がリード役になる。そうして囃方は一団となって地謡い(合唱隊)や主演者、助演者の謡もしくは笛のリズムにくっ付いて行く。

合唱の責任者は中央(二列の場合は後方の中央……二列以上の場合はない)の一人で、合唱全部をリードしつつ、舞い手(主演、助演の各役)の舞いぶりや謡いぶりにリードされつつ調和し変化して行く。

舞い手は自分の仮面と装束とによって全局のリズムを支配しつつ、背後の監督に対して責任を負いつつ舞う。=註に曰いわく=これは私だけの考えかも知れない。しかし能はかくあるべきものと思う。何故かと云うと、観客に対して責任を負う芸術は必ずや極めて堕落したものに違いないからで、結局、向う受け本位の芸術となるからである。芸術のための芸術として能が存在している以上、舞い手は観客の観賞眼を本位としてはならぬ。自分の芸の欠点を最も看破し易い位置に座っている監督の耳目に対して責任を負いつつ舞い謡うのが正直と思う。

こう云って来ると、能の全局面で、観客に対して責任を負うている者は監督唯一人となる。しかもその演出が失敗した場合は全然監督の責任に帰するが、無事成功の場合は監督の手柄にはならない。唯楽屋に這入はいってから、舞い手にお礼を云われるだけである。馬鹿馬鹿しい話であるが、能の真面目はそこに在ると思う。

尚、前に述べたような間違いのない場合には監督の責任は極めて単純である。只常に緊張した注意を全局に払って居ればよい。そうして舞い手が扮装する場合、又は笠とか杖とか、刀とか扇とかを棄てる場合は一定しているから、その場合に眼立たぬ態度で拾って来る。又は造物つくりもの、床几しょうぎ等を出したり入れたり按配あんばいしたりする加減に注意するので、そんな仕事のない能では、初めからしまいまで唯座っているきりである。

いずれにしても能の舞台面で一番エライ人は、何と云っても監督で、その舞台面の現実的な守り神である。

能は常に以上の諸要素を以て、舞台面上に別乾坤けんこんを形成して行く。

彫刻のたとえ

能楽は過去現在未来を貫いて、如何なる方面に進化して行きつつあるか……という事は以上述べて来たところに依って、あらかた察せられた事と思う。

併しかし、尚ここに別項を設けて、今些すこしハッキリと私見を述べておきたいと思う。

すなわち、能楽の進化の中心を一直線にして云いあらわすと繁雑から単純へ……換言すれば外形的から内面的へ……客観から主観へ……写実から抽象へ……もう一つ突込んで云えば物質から精神へ……という事になる。

私は思う。すべての芸術の進化の方面は唯二つしかない……と……。

たとえば先ず、ここに一人の芸術家アルファがあらわれて、初めて彫刻という芸術を創始したとする。そうして一生の中にA、B、C、D、E……という風に色々の標題の彫刻を作って死ぬ。

そうするとその後を嗣ついだ弟子のビータは、師たり、先輩たるアルファの残した作品を観賞研究し、更に今一歩進んだ芸術的心境を盛り込んだL、M、N、O、P、Q……という数百千の彫刻を作って死ぬ。その次のガムマも亦同様の仕事を繰返して死ぬ……という順序で、人類世界に存在する彫刻作品の数は殖ふえるばかり。すなわち、その芸術が進歩向上して行くに連れて、新しい作品が無限に数を増して行く……という……これが芸術の進化の一方法で、現在地球の表面上に於ける大部分の芸術はこの方法によって進化向上しつつあるようである。

然るに今一つの進化の仕方はこれと正反対で、進歩すると共に減って行くという行き方である。

すなわち、第一代の彫刻家Aが作った甲乙丙丁以下数百千の彫刻を第二代のBが鑑賞し批判しつつ、毎日毎日精魂を凝らして眺めているうちに、どうも気に入らぬ処が出来て来る。あそこを削ったら……又は、あそこを今少し高めたら……とか思うようになる。そんな処を甲乙丙丁の一つ一つに就いて、慎重に研究しては直し、直しては研究しつつ、一生を終る。そのあとを第三代のCが引き受けて、やはり同じ仕事を繰り返しつつ、その彫刻の価値を益々向上させて死ぬ。一方に、BもCも手を入れる気にならぬような、つまらないものは、そのままに残って、第四代のDに渡る。

こうして代を重ねて行くうちに、第一代のAが作った数千の彫刻の中で、芸術的価値の高いものは益々手を入れられてよくなるし、手を入れる張合いのないようなものは、いつまでも放ったらかされて、忘れられてしまう。遂には廃棄せられて、毀こわれてしまう。すなわち現世に存在する彫刻の数が減って行くのであるが、そんな事は、些すこしも気にかけられずに益々よいものを良くして悪いものを棄てて行こうとする。最も芸術的に高潮した作品が一つでも残れば……という考えで進んで行く。

これは「減って行く進化の形式」であるが、これと正反対の「殖えて行く進化の形式」を執とる世界一般の芸術も、つまるところ同じ所に行きつくのであるまいか……只、その途中に於て、時間的、空間的に恐ろしく大きな無駄をする事は明らかな道理で、能のように減って行く式の進化の方法を執る方が遥かに有利ではあるまいか……芸術的に高潮して行く度合いが何層倍か早くはあるまいかと考えられる。従って世界中でただ独り? そうした形式で進化して来た能は、つまるところ世界中で最高度に洗練された芸術である。そうして常にその時代の芸術と格段な距離を作ってトップを切り、且つこれをリードして行く芸術であるという三段論法が大掴みながら考えられる。

こうした芸術進化の二方式の優劣論は暫くお預りとして、事実「能」は斯様かような進化の方法を非常な努力と自信の下に執って来た、世界に稀な芸術である。しかもそうした進化の方法の有利さを実際に証明しつつあり、且つ将来に於て益々証明せんとしている。云わば吾等日本民族が、先祖代々から、子々孫々に到るまで、総がかりで完成すべく努めている綜合芸術のエッセンスであろう。

ヘブライ文化が基督キリスト教を、支那文化が儒教を、印度文化が仏教をそれぞれ数千年がかりで生んだ。その通りに何千年か、何万年か生存すべき日本民族の一代がかりで能を完成しつつある。酔い易い日本民族が、終始一貫した努力を払って……。

能楽成立以前

能の曲の内容をよくよく翫味がんみしてみると、実に雑然として混沌たるものがある。乞食歌もあれば、お経文もある。純日本式の思想もあれば、支那、印度の思想も取り入れられている。装束の模様、彫刻の刀法、その他、何から何まで陳紛漢紛ちんぷんかんぷんのゴモクタ芸術であるが、それを純日本人式の芸術的表現力を以て、最高度に統一支配して、透きとおるほど切実に観る者、聴くものに迫って来る。そうした事実を尚深く遡って考えると、能が出来る迄には雅楽、幸若舞こうわかまい、田楽、何々舞、何々狂言なぞいう、能楽の前身とも云うべきものが非常に発達していたらしい。しかもそうした諸般の演出物は、或は芸術的の迷妄に陥り、又は民衆に媚びて堕落し、又は儀礼的に高踏し過ぎて、芸術的の迷妄や行き詰りに陥りつつも、何かしらより高尚な、より充実した……或るタマラナイ表現慾を満足させ得べき芸術……すなわち能を生み出すべく、生みの悩みを続けていたものらしい。

そのような慾求の中から生まれたものが能である事を信じたい。能は、こしらえたものでなく、出来たものである事を私は飽く迄も信じたい。

私は学者でないから、そのような事を如実に考証する力はないが、今日迄色々聞いた話や、又は能の各曲が「いつ頃、誰の手によって出来たものである」というハッキリした記録が無いらしい事実なぞを考え合わせると、どうもそんな気がしてならない。

能の作者は色々伝えられているようであるが、どれも彼かもが結び付けて伝えたらしい感じがする。且つ、義太夫なぞは、手を付けた三味線引きや、初めて興行された劇場の種類、初めて演出した俳優や人形使いの名前なぞと一所いっしょに、作者の名前が演出の手法の上に大きな影響をするものと聞いたが、能ではそんな事は絶対に顧慮されない。従って能の作者の名前は時代と共に忘れられて行く。

能の作者は、かくして結局、神秘的存在となって行くように思うのは私が無学だからであろうか。それとも思い做なしであろうか。

いずれにしても私は自分の無学と共に確信している。能は作ったものでない。自然と生れ出たものである。そうして事実上、生まれ出たものと同様の生命と進化力を持っている。進化の途中に在る色々な不完全さと、どこまで向上するかわからぬ溌溂さを持っている。

能は日本民族最高の表現慾が生んだものに相違ない。作者の有無に拘かかわらず……と……。

曲の進化

最初に能の曲目が千番か二千番存在していたとすると、能役者の表現慾は、その中でもいいものを今一度演やって見たいと要求する。一方に観客の観賞慾も亦同様に、あれを今一度見たいと願う。双方相俟あいまって、ここに真剣な芸術の研成機運が生まれる。即ち玄人くろうとと素人、芸術と批評、実際と理想……と、そうした裏と表の両面から篩ふるいにかけて選み出されたものはキット内容の充実した……舞台表現として成功した曲にきまっている。

そこでこれを幾度も幾度も繰返し繰返し演出してみると、まだ足りない処や余計な処があるのが発見される。全体から見てはいいけれども焦点がハッキリしない……重点の置き処がズレている。……出来過ぎた処がある……ダレた処がある……ああでもない、こうでもいけない……と演出される度毎たびごとに洗練され、煎じ詰められて来る。

こうして洗練されて来るうちに、洗練し甲斐のない事が判明して来た曲目は一つ一つに棄てられて行く。すなわちどこか喰い足りないために見物が見たがらないし、役者の方も張り合いがないというわけで、次第に演ずる度合いが些すくなくなって行く。それでも暫くは保存されているが、遂には廃せられてしまう。

これに反して、いいものはわるいものよりもはるかに度数をかけて洗練される結果、いよいよ立派なものになって行く。後世の人々の血も涙も無い観賞眼、又は演者の芸術的良心によって益々芸術的に光ったものとなされて行く。……全体の調和と変化が極く必要な部分だけ残されて、曲の緊張味とか、余裕とかいうものが、あくまでも適当に按配され、シックリさせられて行く。その装束の極めて小さな部分、舞の一手、謡の一句一節、鼓の手の一粒に到るまでも、古名人が代を重ねて洗練して来た芸術的良心の純真純美さが籠こもって来る。

かくして能の表現は次第次第に写実を脱却して象徴? へ……俗受けを棄てて純真へ……華麗から率直へ……客観から主観へ……最高の芸術的良心の表現へ……透徹した生命の躍動へと進化して行く。画で云えば、未来派、構成派、感覚派、印象派なぞいう式の表現のなやみは夙とっくの昔に通過してしまった。狩野派、土佐派、何々流式の線や色の主張も、飄逸ひょういつも、洒脱しゃだつも、雄渾も、枯淡も棄て、唯一気に生命本源へ突貫して行く芸術になってしまった。そうした遺跡が現在の能の中に重なり合い、閃めき合いつつ残っている。真剣な玄人は知、不知の中にそうした進化の跡を辿り味わいつつ自分の芸を向上させつつある。一心に能を渇仰かつごうし、欣求ごんぐしつつある。……技巧から魂へ……魂から霊へ……霊から一如へ……。

だから目下の能は、芝居なぞに比較すると、その表現が遥かに単純率直である。元始のままの処が残っている。元始の状態へ逆戻りしつつある処さえあるらしい。しかしその表現の内容、陰影、余韻などいう芸術的の要素は新作新作と大衆に迎合して行く他の芸術と比較されぬくらい深く、鋭く、貴く、美しく純化され、一如化されて来ている。

一方にその舞、謡、囃子は、手法が簡単であるために、あまり天分のない素人にまでも習われ易くなっている。そうしてこれを習ってみると、初め異様に、不可解に感ぜられていた舞の手、謡の節、囃子の一クサリの中から、理屈なしに或る気持ちのいい芸術的の感銘を受けられる。そこに含まれている古人の芸術的良心……すなわちそんな単純さにまで洗練された人間性の純真純美さが天分に応じ、練習に応じて、次第次第に深く感得されるようになっている。すなわち能は非常に高踏的な芸術であると同時に、一方から見ると、極端に大衆的になっている。貴族的であると同時に平民的であり得るところまで、単純素朴化され、純真純美化されている。

この道理は小謡の一節、囃子の一クサリ、舞の一と手を習っても、直に不言不語の裡にうなずかれる。昨日きのうの喰わず嫌いが、きょうは能狂になるくらい端的である。

尚、能の進化は家元制度を参考すると一層よく解る。

家元制度

能は日本の封建時代から生れて来たものであるから、能を職分とする者が世襲制度を執とるのは自然の傾向かも知れぬ。しかし、能楽が家元制度の下に発達したに就いては別にモット深い、万止むを得ない理由がある。

能楽の主演者の家元に五つの流派がある。金春、金剛、観世、宝生、喜多(発生の年代順)がそれである。

金春の流風は古雅なプリミチブな技巧を多く含んだ流儀で、極く昔の能楽の姿や精神を見るにはこの流儀の演出を見るがいいようである。

金剛流は金春を今些し世俗向きにしたようなもので、写実的要素やキワドイ変化の手法を多く取り入れられているようである。

観世流は以上の如く変化して来た能楽に、又一転期を劃したもので、部分的にも全体的にも華麗円満な演出を理想としている。金春を下絵、金剛を荒彫りとすれば、観世は彫り上げて磨きをかけて角々を丸くしたようなもので、見方によっては金春の古雅を転化して円満味とし、金剛の尖鋭さを消化して華麗味としたものかとも考えられる。能楽愛好者の九十何パーセントがこの流儀に属しているのは無理もない。

宝生流は観世流に次いで起ったものだそうである。その流風は観世の円満味を多角的に分解し、華麗味を直線的に引直して、威厳を増した……とでも形容しようか。その流儀の主張は謹厳剛直に在るらしく、殊にその謡方うたいかたにそうした特徴があらわれている。

観世は円満華麗という能の肉付を尊重し、宝生は謹厳剛直という能の骨格を見せていると評しようか。観世の下手がイヤ味になり、宝生の下手が滑稽味に陥り易いのを見ても二流の主張の相違がわかる。いずれにしても二者共にその流風は完成されたものとなっていて、その主張が一般の能楽同好者によく理解される。現在ポピュラーな流儀としてこの二流が動かすべからざる根柢を張っているのは当然である。

喜多流は最も新しく起ったものである。その主張は外面から見れば各流のいい処ばかり採ったもの……即ち各流の無駄な表現を除いて演出を単純化したもので、素直、玲朗をモットーとしている。内面的に云えば在来の能の表現を一層求心的にしたもので、喜多流の能が完成すれば最も単純な、最も透徹した仮面舞台表現が出現する訳である。

尚この他に梅若派というのが最近に観世流から分派したが、一流と認めるか認めないかで紛議中と聞くからここには略する。唯、その一派の芸風は観世の円満華麗を一層あらわにキワドくしたようなものである事を云い添えるだけにしておく。

以上の五流は、それぞれ家元制度によって分派され、守護され、洗練されて来たものであるが、その家元制度の内容はナカナカ複雑多様である。

家元の組織と仕事

家元の組織と仕事は、流儀によって異同があるが、ここではいい加減に取捨して話す。

能楽の家元はそれぞれ自流所属の舞台、楽屋、住宅を持ち、自流の能の演出、発表に必要な舞い手、又は謡い手として必要な内弟子を養っている。理想を云えば、助演者や、囃方、狂言方までも自流専属のものを養って、自流の主張と調和させ、演出を徹底せしむべく教養したいのであるが、これは色々な関係から中々実現し難い事情に在る。だから現在では何流の家元でも自流の内弟子だけしか養成していない。

その内弟子は日本国中の同流の愛好者から紹介されたり、又は自ら望んで来たり、又は内弟子の有力者や、家元自身が見込んで連れて来た者なぞ色々である。皆家元の家来もしくは書生同様に育てられるので、稚おさないうちは学校に遣ってもらう、傍かたわら兄弟子から芸を仕込まれたり、自分で研究したりする。つまり一種の天才教育である。

やがて一通り芸が出来るようになると、教授の資格を貰い、舞台に出演を許される。同時に家元の所に来る素人のお弟子にお稽古をつける事になるが、その収入は無論家元のものになる。その他に自分自身で素人のお弟子の家に出稽古に行くが、これは自分の収入となる。そうして軈やがて相当の年輩となり、独立の見込みが立つと、家元の寄食生活を出て、家を持つ。

家元は、これ等の内弟子を教養すると同時に、各地方地方でその流派の盛んな処へ自分の弟子を稽古に遣る。その振り割りは家元の責任であり且つ権利であるが、なるべく不平の起らぬようにしてやらねばならぬ。そうした地盤の事や何かで弟子仲間に紛擾ふんじょうが起れば、無論家元が裁判せねばならぬ。

又、家元は各地方に散在する教授とか師範とかいうものの芸道を取り締り、且つ指導せねばならぬので、これを怠るとその流儀の衰亡を招くわけになる。同時に、その師範や教授、又は内弟子が教えている素人弟子の免状を発行してその料金を取る。教えている師範や教授の免状も同様である。

又家元は自流の舞台で毎月、又は年に何回の能を催し入場料を取る。又、自流の名を冠した会を起し、会費を取り、いろいろの催しや、刊行物なぞを出しているのもある。

又、家元は自流に属する謡本や、その他、能楽関係の書類の刊行権、又は版権を持っていて、重要な収入として取扱っている。

又、家元は自分自身にも身分ある人々の処や何かの処へ稽古をつけに行く。又、中央都市や地方の定期の会、その他の催しに於ける演能の諾否を決定し、曲目を撰み、出演者の役割りをきめる。

又、家元は、自流の能楽の演出、維持、興隆その他に就いて、他流の主演者、助演者、狂言方、囃方等との極めて面倒な交渉の最後の決定権を握るほかに、流儀内の素人、玄人を通じて来る芸道上の質問その他に就いて最後の断定を与え、流儀の向上普及、堕落防止に努め、傍ら装束、仮面等を手入れ新調しつつ、能楽の向上研成を期せねばならぬ。

こう説明して来ると家元というものはなかなか大変なもので、生やさしい人物がなれるものでない。最高級の芸術家と、政治家と、興行家とを兼ねたような仕事が、実際上一人で兼ねられるものか知らんと思う人もあるらしいが、実際上出来ても出来なくても、能楽の家元となった以上そうしなければならぬ理由がある。

元来能楽の家元というものは、政治や何かの方で云う大統領とか、首相とか、親分ボスなぞいう実世間的な仕事をするものと違って、自流の芸術的主張を維持し研成する任務を持っている、芸術本位の世界の中心人物である。

ところで、政治や何かだと代議制度とか、共和制度とかでやって行けるかも知れないが、芸術の世界はそうは行かない。家元が自身鍛練した芸風によって、自流の世界を統一薫化すると同時に、他流の世界と闘って自流の流是を貫いて行かねばならぬ。だから、家元ばかりはドンナ事があっても衣食に困らないようにして、芸道の研究に生涯を捧げ、時流に媚びず、批評家に過あやまたれず、一意専心、自己の信念に向って精進せねばならぬ。

家元は自己の芸が能楽の向上進化の中心線に合致していると信ずる以上、自己の演出が天下一般に理解されなくともよい。自他の流儀の玄人、素人に笑われてもよい。自流の最上級の二三人に理解されるだけでよい。否、時としてはそのような人間最高の理解さえも求めずに、一意信念に向って邁進しなければならぬ。一切の他人から下手とか邪道とか認められて、自流の権威が地に堕ちても構わぬ決心さえ必要である。

実際そのような高級な芸術家が昔居たらしいが、後世からはなかなかわからない。

しかし普通の場合は家元の芸のよしあしに伴って流儀が盛衰興亡するのが原則となっていると同時に、自分の芸を中心とした弟子を養ったり、宣伝をしたり、家元としての体面を保ったり、交際を広めたりしなければ、その流儀は世俗の軽蔑を受けることになる。極めて上流の生活を営みつつ、所謂親分の仕事をやって行かねば結局喰えない事になる。

芸というものは人間の仕事として最後のもので、無用の閑事業中の無用の閑事業である。その中でも亦、最高第一等の閑事業と見られている能……非常に尨大で、しかも娯楽的の実用価値さえも含まぬと考えられている能を保存して、発展向上させるためには、色々の無理や矛盾が出来て来るのは止むを得ない。能楽家はこうした無理や矛盾と、寝ても醒めても闘わねばならぬ。わけても新興の流儀に属する人々は特にそうである。

前記の諸収入を基礎とした、芸術家、興行家、兼政治家式の家元中心制度が生まれるのは誠に是非もない事である。

各流の家元の中には、芸が下手なばかりでなく、品性や品行の点にも大きな欠陥を持った人も随分あった。随って前記の諸収入が「流儀のため」という目的以外の、家元の私的生活に濫費された例は珍しくないようである。しかしそれでも極端でない限り、家元として保護され、尊敬されて来た例が、やはり珍らしくない。この事実は吾国民の芸術愛好慾が、如何に底強いかを裏書しているとも考えられる。

又一面から見て、能楽は絵や彫刻なぞと違って、後に残らない。何月何日に何流の何某が舞った何々の曲は、それを見た人の印象に残り、話に伝わるのみである。今にトーキーか何かで伝わるようになるかも知れぬが……。だから、その流儀の勢力拡張のためばかりでなく、その流儀の保存のために、家元の世襲制度が必要となって来る。

家元の世襲制度

家元の世襲制度には実子後継と養子後継と二種類ある。実子後継の方は、どうにも工合がわるいらしい。どんな名人でも実子が自分の天分を受け継いでいるとは限らない。受け継いでいるように見えても実は単に、見慣れ聞き慣れ、見よう見真似に過ぎなかったりする。本当に受け継いでいるにしても、親の贔屓ひいき目という本能が邪魔をして徹底した教育鍛練が行われ難い。又、子は子で、親の威光や、お譲りの名前や技巧に依頼する心が無意識に働らくので、修業に弛ゆるみが出来るらしい。吾が子を思い切り仮借せずに鍛い上げた例話が芸界の美談として残っているが、その間にも親子の情愛が動くのは止むを得ない。純一な芸道教育にまで徹底し得なかった消息がたやすくうかがわれる。

これに反して養子制度の方は工合よく行くもののようである。ここに一人の名人があって、能楽はかくあるべきものと信じて苦心研鑽をして来た結果、前途に疑いもない大光明を認め、遂に一流の開祖となって旧来の各流と相対峙し、弟子を養い、流風を宣揚するとする。同時にその人は当時第一流の芸術家や名僧智識達にも容易に理解されない程の深遠な芸術の哲理を体得しているので、どうかしてこれを後世に伝えたいと思うが、これを理解するものが一人も無いとする。

普通の芸術だと、こうした玄妙を後世に伝えるのは不可能である。殊に色にも音にも残らないものならば、結局一人一代限りとなるべき筈であるが、能楽に限ってはこれを後世に伝える事が必ずしも不可能でない。

その方法が家元の養子制度である。

能は前にも述べたように、代々の名人上手によって洗練に洗練を重ねられて来た型(舞、謡、囃子等の全部を含む)に自己を当てはめて、更にソレを洗練に洗練した型を残す……という方法で、代を重ねて向上して来たもので、能とは要するに、人間の表現慾の極致、芸術的良心の精髄を、色にも型にも残らぬ型というものによって伝えて行くものである。だから、その型を理解し得ないものは、その型は舞えない事になっており、その一節、その一クサリと全曲との関係を味い得ないものには、その曲は謡えず囃はやせない事になっている(最も厳正な意味から云って)。

たとえば邯鄲かんたんという曲に於て、主演者の盧生という人物が、能を終って引っこみがけに、自分の持っていた団扇うちわを、舞台に置き忘れたまま幕に入る型がある(通常は持って引っ込む)。これは昔或る名人が、本当に人生を達観した盧生の気持ちになっていたために、本当に置き忘れて引っ込んだので、今以て、いい型として残っているが、サテ誰もこの型を再びやる者が居ない。何となれば、忘れようとして忘れたのは本当に忘れたのではない。真実の型とは云えないから誰一人として演るものが居ない。或はこの型が残ったために、後世に於ても永久にこの型をやる者が無くなるかも知れぬ。

能の型は、それ程に神聖なもので、その境地に本当に這入った者でなければ、その型の精神はわからない。その演者の個性がそこまで洗練され、その人間の芸術的良心が、そこまで高潮されなければ、絶対に体得出来ないのが能の型であるという事が断言出来る。この意味から、或る一流の家元となった名人は、色々な深刻な、高潮した型を残して、後世に伝えようとする。しかし生やさしい者には伝えられない。

こうなると吾児わがこの幸福なぞは問題でない。吾児以外の誰でもいい。若い、頭のある、見込みのある者を自身に教育して、その人間の「能」を自分の程度にまで向上させて、自分の型を理解させるよりほかに方法がなくなる。そこで、一所懸命になって、そんな人間を探し出して、自分の流派の後継者として、精彩を尽して薫育をする。

その教育方法は、随分、思い切って手酷いもので、時と場合によってはその養子の生命をさえかえりみない。これに堪え得ないような芸術的向上心の薄いものは、将来の流儀の精神と、物質的繁栄の根元たるべき家元の地位を預けるに足らぬ者と考えられているようである。

尤もっともかような厳しい教育は、凡すべての芸術教育に在り勝ちの傾向で、能楽に限った事ではないようであるが、しかし、能楽者の子弟の教育は特に斯様に厳格でなければならぬ大きな理由がある。

前にも述べた通り、「能楽」という芸術は、新作物を受け付けぬどころでなく、逆に旧作のものの中でも芸術価値の薄いものは、容赦なく自然消滅をさせつつ発達向上して行く芸術である。だから現在選み残されている二百番足らずの曲目のドレ一つとして古名人の心血を絞っていないものはない。その一節、一手、一句切りと雖いえども、実に古人の生涯を賭した百繰千練の賜でないものはないのである。能の隅々までも行き渡っている、云い知れぬ「アリガタサ」や「ヨサ」はかくして生み出され、伝えられたものに外ならないのである。

後に生れた者は素人も玄人も共に、そんな古人の苦心をソックリそのまま無代価で頂戴している。その「ヨサ」や「アリガタサ」を学ぶだけの苦労で、これを楽しみ、これによって衣食する事が出来るのである。よしや古人の苦心なぞ理解し得ずとも、習った通りに演じておりさえすれば、トニモカクニモおまんまが喰って行けるのである。

こうした「芸の祖先」の恩を知らない玄人は能を知らない者である。能楽師たる資格のない者である。素人と玄人との本当の区別はこの心がけの在る無しによって決定する。

新作物を出すなぞいう者は、やはり能の使命を理解し得ない芸術界の浅薄児、狂躁輩である。流石さすがに玄人にこのような企てをする人が居ないのはさもあるべき事である。

しかし玄人でも、こうして生まれた能のヨサ、有り難さが解かっていながらに、一と通り芸が出来るようになると、自分独りで豪えらくなったように思って、恣ほしいままに羽根を伸したり、新手を編み出したりする者があれば、それは能楽界の外道である。能の堕落の誘因にこそなれ、能楽向上の足しにはならない。

能を今日に伝えた先祖代々の苦心を察して、その恩を忘れない能楽師ならば、その芸は如何に下手でも、必ず能としての本当の品位を保っているものである。現代に於て名ある達者上手でも、この心掛けのない人の芸は、表面如何に立派でも、その奥に能楽独得の芸的高貴さが光らない。

「心を空しくして恩を感じ、身を励ます」という事は人間最高の心掛けである。この心を片時も忘るる時は、その片時から芸が堕落しはじめる。

能はかくして人間最高の心がけを要求する芸術である……その心掛けのみを唯一の中心生命として今日に伝わり、生きて輝やき、時代に超然として、時代芸術のトップを切って行きつつある。だから少し油断をすると直ぐに堕落し易い。況いわんや今日のように能楽師が各自にめいめいの芸を売って生活しなければならなくなれば尚更である。祖先が折角向上させた能を堕落させて大衆に媚びつつ生活して行くのを当然の権利と心得、結局能楽を自滅させるに到るであろう事は明白である。

能楽師の芸術教育が特に厳格でなければならぬ理由は最早説明を要しないであろう。

能楽師はこの意味でその子弟を鍛えねばならぬ。その型の仕込みの一つ一つに諸先輩の苦労を思い知らせねばならぬ。自分の相伝された時の艱難かんなんを覚らせねばならぬ。「先祖代々の形容に絶した苦心の集積を譲り受けて衣食するのだぞ。そのおかげで他人の師となって、尊敬を受けて行く事が出来るのだぞ。この恩のわからない奴は能のわからない奴だぞ」……という心をどこまでもタタキ込んで行かねばならぬ。

これが能楽師たる者の最高の職分である。

これが能の生命の根源である。

ところが能をやる者は人間である。人間である以上、めいめい自分の頭の程度に能を解釈して勝手に羽根を伸ばしたい。一番イヤな恩なぞは感じたくない……というのが人情である。そうして識らず識らずの間に自分の芸を堕落させて大衆に迎合して行く。能楽界の外道となって行くのが多い勝ちである。

これを喰い止めて行く最後の責任者は家元である。家元が祖先の恩を忘れたならば、その流儀の能は遠からず、あらゆる意味に於て滅亡して行く。否。その忘れた瞬間から滅亡し初める。

家元は、そんな事を考え得ない内弟子、囃方、狂言師、素人弟子の中心に立って、敢然としてこの精神を支持し宣揚して行かねばならぬ。

そうしてこの精神と、芸との両方を兼ね備え得る見込のある子供を養い取って、自分の後を継がせねばならぬ。

これが家元の職分の初め終りである。

能楽に家元制度が厳存している理由はここに在る。

養子の勉強

その家元の養子は初めは家元の厳しい教育によって一通りの事を習いおぼえる。

ところが、その養子が家元の見込通りに相当の天分を持った児であるとすれば、必然的に旧来の型なるものに疑問を起して、自分の個性もしくは哲学から出直して、研究のやり直しをはじめる。そうして人間最高の表現が能である。能の最高の表現が自流の家元、すなわち養父の型であるという事を徹底的に理解するまで研究する。

その養子の若い、元気な表現慾は、この間に、ありとあらゆる芸術的向上の過程を経る。たとえば象徴、写実、又は印象派、未来派、感覚派なぞいう、あらゆる芸術表現の行き方を、それと名は知らないままに色々と試みては行き詰まり、行き詰まっては又新しく試みる。他流のやり方を採り入れたり、打ち毀こわしたりして悶え、迷妄し、鍛練する。その苦しみが如何に悽愴たるものがあるかは門外漢の想像し得るところでない。

こうして苦しむ間が大抵、十五六歳から二十四五歳ぐらい迄の間ではないかと思われる。無論能の研究は一代がかりどころではない。今日の能と雖いえども、まだ甚しい未成品に相違ないので、行き止まりは絶対にないのであるが、ここに云うのは天才児が能―芸術、人生―霊というものに根本的に疑いをいだき、結局、本当に能の精神を理解して、自己の本来の面目にドカンとブツカリ得る時期を云うので、しかも、それは一般の少年少女が「世界苦」を懐いだいて憂悶、焦慮する時期と一致している筈と思われるから、斯かく推定するのである。

いずれにしてもその第二代の養子はかくして、第一代の家元がタッタ一人で相手なしに研究し向上して来た境域にまで、比較的若いうちに達する事が出来る。それは勿論その養父たる家元の鞭撻べんたつ指導の御蔭に相違ないのであるが、その時には、前に述べた芸の恩というものが、自分の嘗なめた苦心によってその養子の骨の髄にまで徹していると同時に、その養子は相伝された型を、養父家元の真似でなく、全然自分の本来の面目として表現し得る迄になっているので、その間にすこしの模倣も迷信もない。そうして更にその以上に自己の表現を洗練しよう……即ち自流の能楽の境地を高めようと苦心し修養する。

しかし古来の名人が、代を重ねて洗練して残した型は実に表現の極致、芸術的良心の精髄とも云うべきものである。これを理解するさえ容易でない。演出するのは尚更である。

それを更にそれ以上に洗練して、新しい型を残すのは尋常人の出来る事でない。僅に極く小さい一部分を改めて終るのは上乗の部で、大抵は流儀の番人で終るのが多い。ウッカリすると古人の型の理解し得ぬものを残して死ぬ家元も珍らしくない。そうしてその何代目かの後の英才が、その書き残された不可解の型の説明を見て、膝を打って感嘆する……というような事が多いらしい。

ところで、前に云った養子が幸いにして前代以上の芸を養い、第二代の家元を継ぐ事になると、層一層、自奮自励して流風を向上させ、倍一倍絶妙の境界に達する。そうすると彼は又、その境地に於て得た型を後世に残すべく然るべき器量の養子を求めるといった段取りになる。

家元制度の性質と、能楽の向上発達の径路の大要は以上述べた通りである。

能の定型

以上述ぶるような家元制度に依って、擁護され、洗練されて来た能楽は、現在どの程度まで発達して来ているか。その舞、謡、囃子の三大要素はどんな風に組み合わせられているか。その部分的要素である舞の手の一つ、謡の一節、囃子の一手は、全局とどんな表現的因果関係を持っているか……なぞいう事は、容易に説明が出来ないと思う。又、出来たと思っても結局一人呑込みになる虞おそれがあると思う。

それは何故か。

能の舞の型、節ふし、文句等には無意味なものが多い。皮相を見ると「ただ昔からそう伝えられているものを、そうやっているばかりである」という式のものが大部分を占めているかの観がある。又、能楽関係者も一般にそんな風に考えて、唯無暗むやみに習った手法をその通りに固守して、それを教えて飯を喰うのを本分と心得ている向きが多いらしい。筆者がここに書くような事を考えるのは「芸術の邪道」と考えているらしいので、そんなところから見ると「能」は伝統的な因襲一点張りなもので、昔の舞踊の残骸という評が相当の勢力を持っているのも無理はない。

笛は大部分定型的な呂律りょりつを、定型的なタイムを踏んで繰り返すに過ぎぬ。大鼓も小鼓も、太鼓も四ツか三ツかの僅少な音の変化によって八、六、四、二の拍子を扱って行くに過ぎぬ。しかも、それが何の意味も表情も成さぬもので、その原則の無味単調さ、到底西洋音楽の比ではない。表情や、模倣の変化が自由勝手に、無量無辺に許されているものとは比べものにならないくらい、一律簡単に定型的されている。

謡の文句も似たようなものが多いが、節に到っては類型の多い事呆るるばかりで、少数の例を除いては各曲共に二三十の同型の節で満たされていると云っていい。

舞の型も同様である。舞手の歩く道すじは十中八九まで舞台上の同じ線路コースで、その手ぶりも亦十中八九同じ定型である。装束、仮面等も同様で、大体に於て似たり寄ったりであるが、更にその脚色の類型と、進行の形式の各曲共に共通した点が多い事は、実に甚しいものがある。

だから能を好まない人は、能は何遍見ても聞いても同じ事ばかりやっているように見える訳である。

ところが、能を見慣れて来ると、この何等の変化もない定型的な演出の一ツ一ツ、一刹那一刹那に云い知れぬ表現の変化が重畳していることが理屈なしに首肯されて来る。能楽二百番――もしくは一曲の中に繰返される定型の、ドレ一つとして同一の表現をしていない事が、不言不語の中にわかって来る。そうしてその定型のすべてがあの四角い、白木の舞台表面上の表現として最高級に有効で、且つスピード的に、又は内面的に充実され得る最も理想的な表現形式である……すなわち何回繰返されても飽きないものである事が、鑑賞眼の向上と共に理解されて来る。無論説明の範囲外に於てである。

定型の表現作用

たとえば直立不動の姿勢から二三歩進み出て立ち止りつつ右手をすこし前に出す。次には足と手を、うしろへ引いてもとの直立不動の姿勢に還る……という極めて簡単な舞の手があるとする。そうしてその前半の進み出る方をシカケと名付け、後半をヒラキと名付けるとする。

このシカケ、開きという舞の手は、舞曲中の到る処に、繰り返して出て来る定型であるが、この定型があらわす意味は不可思議なほど沢山にある(厳密な言葉で云うと無限にあり得るので、他の定型も同様と考えられる)。或る時は、自分がこうこうな性格の者である……という意味を表現し、或る時はここはこうこうな処である……と描写して直感的に観客を首肯させる。又は……これから舞いはじめる……とか……これから狂う……とか……これが私の誇りである……境界である……悲しみである……喜びである……とか……ここが大切な処である……とか……これから曲の気分がかわる……とか……これで一段落である……とかいう心を如実に見せ、又は山川草木、日月星辰、四時花鳥の環境や、その変化推移をさながらに抽象して観客の主観と共鳴させるなぞ、その変化応用は到底筆舌の及ぶ範囲でない。

謡の節も同様である。

たとえばシオリと云ってその人の最高潮の音調を使う一節がある。そのシオリの最高潮の一部は非音階音にまで跳ね上げる位高いのであるが、これは咏嘆、賞讃、喜怒哀楽はもとより、曲の気分の転換、結末のしめくくり、曲中の最高、最美、最大、最深等の表現に用いらるるのみならず、シカケ、ヒラキの型と同じく、曲中の山川草木等のあらゆる背景、もしくは対象等の存在をこの一節によって深刻に抽象して直接聴者に霊的の感銘をあたえる。その応用の広い事は到底擬音的な音楽なぞと比較し得るところでない。

その他囃子の手の中でも只一回、指一本で、軽く鼓の表面に触れるだけで、宇宙間の森羅万象と喜怒哀楽、その他のあらゆる芸術表現の使命を達し得る。指一本の一接触で主観客観を超越した万象の感じを直感させ得るという、法螺話ほらばなしとしか思えない素晴らしい実例なぞが、まだいくらでもあるが、ここには煩を避ける。ただ、そんな表現実例が、能楽の舞台面に於ける日常茶飯の出来事で、微塵の誇張も含んでいない……能を見慣れている人が、いつもながら三嘆するところである事を念のために書き添えておく。

ところで……斯様に極めて簡単な定型によって、どうしてあのように色々な意味が表現出来るのであろう。または、あんな簡単、率直な定型が、どうしてあんなに色々に美しく感ぜられるのであろう……という事は、能楽愛好者の皆不思議がるところであると同時に、説明に苦しむところである。殊に能楽を、定型の伝統的な因襲とばかり考えている人々にとっては無理もない事である。

しかしこれと反対に、能の進歩向上を認め、現在に於ても日々夜々に洗練されリファインされつつあるもの、という事を認め得る人々に対しては容易に説明され得ると思う。

すなわち、あらゆる舞の手が、繰り返し繰り返し演ぜられて行くうちに、次第次第に洗練されて単純な緊張したものになって来る。対象物の形や動きを真似した客観的表現……自己の意志感情を表現した主観的なシグサ……又は自己の姿態美をあらわすだけの無意味な動作……そんな舞の手が、それぞれに、それぞれの目的に向って高潮し、洗練されて或る極点まで来ると、そのような意味を皆含んだ……そうしてそれ等の表現形式を超越した、或る一つの単なる定型に帰納されてしまう。たとえば「向うに木がある」「山がある」「月がある」なぞの指し示す型と、「これから私は……」「可哀相な私……」なぞと自分を指すシグサと、「ああ嬉しい」「この狂おしさ」なぞという意味で胸を押える型と……「俺は強いぞ」とか「サア来い」とかいう心で腕を張る型と……それ等の型のすべては前に述べたシカケ、ヒラキの型の一手によってあらわされ得ると同時に、それが最も緊張した、姿態美の精髄をあらわす舞台表現だという事が、洗練の結果わかって来る。同時に裡面から考えると、このシカケ、ヒラキが、そうした色々の表現を煎じ詰めた最高の表現という事が理解される事になるので、ここに「シカケ、開き」という定型が生れ出る事になる。

ところで斯様にして「シカケ、ヒラキ」という定型が生れ出ると、その応用の範囲が又、頗すこぶる広いことがわかる。

たとえば「俺は鬼である」という心を表わすのに、昔は両手を額の上に持って来て恐ろしい顔をして見せたかも知れぬ。しかし、それは鬼の形を真似したに止まるもので、「俺は鬼だぞ」という充実した心持ちはあらわされ得ない。寧むしろ、すこし前に進み出て右手を心持前にし、静かに退いて、もとの姿勢に復かえる方が「自分は鬼」という心持の表現に合致している。事実、演者がその心持でシカケてヒラクと、観者は主観的に演者を鬼と感じて終しまうので扮装の有無には拘かかわらない。扮装していれば尚鬼である。これに反して仮令たとい、鬼の姿をしていても、その心なしにシカケ、ヒラキをやれば、観者はチットモそんな感じを受けない。「鬼の姿をした者が手足を動かしている」程度の感じしか受けないのは無論である。

又は「あすこに山が見える」という場合に、向うを指して山の形を両手で描いて見せたのが昔の表現であったとする。今でも手踊りや何かの中にはこの程度の表現を見受けるが、しかし、それは単に山の形を真似ただけで何等の主観的表現を含まない。それよりも「ああ山が見える」という心で静かにシカケ、ヒラキの型を演じた方が充実した舞台印象を観客にあたえつつ、自己の表現慾を最高度に満たす事が出来る。平たく云えば観衆は、何も舞手に山の方向や形状を教えてもらわなくてもいいので、そんなものが実在していない事は皆知っている。指したとてその方をふり返るものは一人も居ない。それよりも、その舞手が山に対した気持を如何に描きあらわすか……はるかに山に対した人間の詩的情緒を、如何なる姿態美の律動によって高潮させつつ表現するかを玩味すべくあくがれ待っているので、その美的律動に共鳴して演者の美的主観と自分の主観とを冥合させ、向上させ、超越さすべく、あくがれ望んでいる……数百千の観衆が息を凝らしている……型の種類なぞは寧ろどうでもよろしい。期待するところはその演者の情緒の律動的表現から来る霊感である……というのが見物の心であると同時に舞手の心に外ならぬのである。

だから、もっと進歩した表現になると、只一歩不動の姿勢のまま進み出ただけで、あらゆる心持があらわされ得る事になる。否。更にもっと進んだ型になると、突立ったまま、もしくは座ったまま全く動かなくともいいことになるので、現に能の中には、そうした無所作の所作ともいうべき型によって、格外の風趣を首肯させて行くところが非常に多い。

又節調の例で云えばシオリとても同様である。

たとえば嬉しさを表現する時には躍り上るような音階を通じて最高音に達し、悲しみをあらわす事には嫋々じょうじょう切々として、ためらいつつ最高音に達するように節づけたとする。又最美の姿を咏嘆しあらわすには円味をもった、柔らかな変化を以て最高音に導き、曲の段落を高潮させるためには急角度の変化を以てしたとする。しかしそれはいずれも音でもって感情や風物の感じを模倣しただけのもので、芝居の科白せりふが悲しい時に泣き、腹を立て怒号する真似をするのと皮一重の相違でしかあり得ない。舞の芸的主観の洗練味を極度まで要求する能の舞台面では、それが却かえって不自然な、充実しない表現になって終う。曲の終末のクライマクスを現わす最高音でも同様で、ヤタラに高音を連続し、又は突然急調の変化を用いて観衆を刺戟するのは弱い方法であると同時に、そんな無茶な事は肉声では出来難い。だから、自然に、楽に発し得る肉声を次第に高くしてその一部に最高音……もしくは最高音を指す曲線をあらわし、又自然に平音に復する……という声の型を作ってこれをシオリと名付ける。そのシオリと名付ける声の型を、前に述べた色々の心持ちで謡う時は、その通りの気持が、前の模倣的な節扱いよりも遥かに自由自在に、且つ切実に、深刻にあらわれる。すなわち声の定型の妙味は、舞の定型の妙味と少しも違わない。

不自然、不調和、不合理の美

以上は能の舞、謡、囃子に定型的な……無意味なものが何故に多いか。それが何故模倣、写実の千差万別的な表現よりも変化が多いか。直説法式に深刻な舞台効果をあらわすか。演者と観者の主観を一如の美しさに結び付けるかという理由の一端を、辛かろうじて説明したものである。

しかし、能の各種の表現には、以上の如き説明も及ばない全然無意味、不合理、もしくは不調和と見えるものが決して些すくなくない。

何等の感激もないところに足拍子を踏む。美しい風景をあらわす場合に、観客に背中を向けて歩くという最も舞台効果の弱い表現をする。最も感激の深かるべきところを、一直線に通過する。そうかと思うと、格別大した意味のないところで技巧を凝らすなぞいう例がザラに在る。能楽が無意味の固まりのように思えるのは無理もない。

ところがよくよく味わってみると、その無意味な変化は、全体の気分の上から出て来たものであったり、又は不合理、不調和に見えたものは、表現の裏の無表現でもって全体の緊張味を裏書きしたものであったりする事が折りに触れて理解されて来る。そうしてその無意味、もしくは不調和な表現ほど能らしい、高潮した表現に見えて来るので、能はここまで洗練されたものかと、屡々しばしば歎息させられる。

欧米の近代芸術は単純、無意味、不調和、もしくは突飛な線や、面や、色彩を使って、人力で表現し得べからざるものを表現すべく試みているようであるが、そのような表現法も能は到る処に試みているので、寧ろ能楽の最も得意とするところである。

とはいえ、斯様かようにして洗練されて来た、舞、謡、囃子が、どんな風に集まり合って能を組み立てているか……という具体的の説明は依然として絶対に出来ないと思う。日本に生れて日本の詩歌伝説に共鳴し、日本語の光りと陰影に慣れ親しみ、八拍子の序破急に対する感覚を遺伝し、舞のリズムと打音楽の調和を喜び得る純日本人ですら、能を見物して唯よかったとか、悪かったとか云うだけで、何故という質問に答え得ない位だから――。

能のわかるアタマは特殊のアタマとさえ考えられている位だから……。

けれども、そもそも「舞」とか「謡」とか「囃子」とかいうものの本来の使命はどこに在るか……その本来の使命が「能」ではどんな風に果されつつあるか……という事に就いて、私一個人の無鉄砲な意見を述べる事は出来ようと思う。そうして、その意見を首肯……もしくは反対される人々が、各自の意見によりて能を考察されたならば、或は能をドン底から理解される事になりはしまいかと思う。私が説明し得ないところを氷解されはしまいかと思う。

これは私が好んでする奇矯ききょうな論法ではない。

「能」は如何なる方向からでも玩味、批判され得る一個の人格だから……。

「能」はアトムから人間にまで進化して来て、更に又もとのアトムにまで洗練、純化されつつある綜合芸術だから……。

定型の根本義

舞い、謡い、囃はやすという事は人間最高の仕事である。

人間文化が次第に向上して、一切の言葉が純化されて詩歌となって問答される。これに共鳴した人々が楽器で囃す。同時に人間の一切の起居動作が洗練されて舞となって舞うようになったならば、それは人類文化の最高のあらわれでなければならぬ。日本、支那、印度インド、西洋の各国に於ても、或る文化種族がその栄華を極めた時、即ちその文化的能力を極度に発揮した時、日常事にふれて詩歌を以て相語り、舞を以て仕事を行った時代があったそうである。

又、かような事も考えられる。

主観的に云えば蝶は蜜を求めて飛びまわっているのであろうが、人間の眼に映ずる蝶の生活は、春のひねもすを舞い明かし舞い暮しているとも考えられる。すくなくとも蝶が蜜を求めて飛びまわる姿は、その美しい翅はねと、変化に富んだ飛び方の曲節によって、春の風物気分とシックリ調和しているので「蝶は無意識に舞っている」と云えるであろう。

その蝶の舞を今一層深く観察してみる。

蝶のあの美しい姿は開闢かいびゃく以来、あらゆる進化の道程を経て、あの姿にまで洗練されて来たものである。同様にその飛びまわりつつ描く直線曲線が、全然無意味なままに相似ていて、バッタの一足飛びや、トンボの飛行機式なんぞとは比べものにならない程、美的なリズムに満ち満ちているところを見ると、蝶には他の翅虫たちよりも遥かに勝れた美意識があるように見える。そうしてその美意識によって春の野の花に調和し、春の日の麗うららかさを高潮さすべく、最もふさわしい舞い姿にまで、代を重ねて洗練されて来たのが、あの蝶の舞い型であると考えられる。

鳥の歌も同様である。

ある種類の鳥の唄う諧調は、全然無意味のまま、相似通っていて、春の日の麗らかさに調和し、駘蕩たいとうの気分を高潮さすべく、最もふさわしい諧調にまで、元始以来洗練され、遺伝されて来ている諧調の定型であるかのように思われる。

そうしてその蝶の舞いぶり、鳥の唄いぶりが、人間のそれと比べて甚しく無意味であるだけそれだけ、春の日の心と調和し、且つその心を高潮させて行くものである事は皆人の直感するところであろう。

人間の世界は有意味の世界である。大自然の無意味に対して、人間はする事なす事有意味でなければ承知しない。芸術でも、宗教でも、道徳でも、スポーツでも、遊戯でも、戦争でも、犯罪でも何でも……。

能はこの有意味ずくめの世界から人間を誘い出して、無意味の舞と、謡と、囃子との世界の陶酔へ導くべく一切が出来上っている。そうしてその一曲の中でも一番無意味な笛の舞というものが、いつも最高の意味を持つ事になっている。勿論多少は、劇的の場面を最高としてあるものもあるが、大部分は笛の舞を中心としている。

その曲の最もありふれた形式の一つを挙ぐれば、先ず日常生活に原因する悲劇的場面から初まって、その悲劇の主人公が次第に狂的、超人的な心理状態に入る。同時にその言、意味のある普通の文句から、次第に無意味な詩歌的気分と音調とを帯びて来る。その気分を数名の合唱隊が受けて謡う。それに連れて主人公が舞い出す。

かようにして舞台面の気持はやがて散文も詩も通り越し、劇も身ぶりも、当て振りも、情緒や風趣をあらわす舞も、グングンと超越して、全然無意味な、気分も情緒も何もない、ただ、能としての最高潮の美をあらわす笛の舞に入る。その時に謡が美しく行き詰まりつつ消えて行く。

この笛の舞は、よほど能の好きな人でもわからない退屈なものと見倣されている。それほど高い芸術価値を持っているものである。

すなわち能は、まず現実世界の人間に、分り易い簡単な劇を選み出して見せる。そうして観衆の頭を引き付けておいて、その中から気分と意味とを取り交ぜた舞踊を抽出して見せる。それから最後に、無意味な、無気分な、只美しい、品のいい、音と形ばかりの、笛の舞の世界をあらわして最高の芸術愛好者を酔わせて了しまうのである。

この笛の舞が最高潮に達して終りかける時、舞手は、笛の舞を舞い出した時の気分と照応した謡を謡い出す。そのうちに笛が止んで囃子の段落が来る。そのあとから謡手が謡い出して、劇でいう切りの気分に入り、調子よく舞い謡いつつ最高潮に達して終る。

以上は能の作曲の一つの定型と云っていいであろう。

底本 / Source edition

底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年12月3日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:小林 徹
2002年12月22日作成
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書誌 / Bibliography
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夢野 久作「能とは何か」(新字新仮名)、底本『夢野久作全集11』ちくま文庫、筑摩書房、1992年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 002144_000096, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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