Soranoha

消息一通

しょうそくいっつう

三木 清

新年お目出度う存じます。去年はハイデルベルクで迎へた正月を、今年はマールブルクで迎へました。大晦日の夜には悪霊を追払ふと云ふ意味で、昔独逸では戸外に盛んに発砲する習慣があつたさうです。今でも昔気質の人はこの夜十二時が打つと同時に、高い椅子の上から飛び降りると云ひます。新しい年の中へ勢よく飛び込むと云ふ意味ださうです。私は歳晩にあつて数年前に作つたひとつの歌をまた思ひ出しました。

つかのまの熱と光を求めんと象牙の塔を焼きし日もあり

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日本を出て来る前から、独逸ではヘーゲルの復興が行はれてゐることを私は聞いてゐました。いかにもヘーゲルに関する書物はかなり出てゐます。なるほど大学のゼミナールでは何処でも好んでヘーゲルを用ゐてゐます。しかし私たちを本当にヘーゲルの思想世界へ導いてくれる者はまだ見当らないやうに思ひます。――私にひとつの新しい独逸語を作らせて下さい――それらは凡てかの Hegelrei ではないでせうか。今の独逸でヘーゲルに関する学者としては、知識に於いてはミュンヘンのファルケンハイム、体系的な方面ではフライブルクのエビングハウスが第一流と見做されてゐます。第二線に立つ人々には、クローネル、ノール、ラッソン、ブルンシュテットなどがあります。ヴィンデルバントが『ヘーゲル主義の復興』と云ふ論文を書いたとき、彼はその頃新進気鋭のノールやエビングハウスを頭においてゐたと云はれてゐます。それ以来かなりの歳月は流れてゆきましたが、私たちのヘーゲルはカントがその当時もつたリープマン、ランゲほどの学者をさへもつ幸福にまだ逢つてゐないやうに思ひます。クローネル、エビングハウス、ハルトマンなどが等しくヘーゲルに就いての著述を企ててゐると云ふのも面白い現象です。これらの書物が出来ましたら、私も私たちのヘーゲルに関して纏つたことを書かせて戴きませう。

同じやうに日本を発つ以前、独逸では歴史哲学や精神科学の基礎的考察が盛んになりつつあることを私はひとから聞かされてゐました。しかし私はこの方面に於いてもあまり多くを期待してゐたかも知れません。シュプランゲル、シュペングレル、ヤスペルスなどのものは面白く読まれますが、方法的思惟に於いても、対象的思惟に於いても、執拗な、根強い思索の統一力が欠けてゐはしないでせうか。この間にあつて、マックス・ウェーベルの経済学の方法論に関する論文集とマックス・シェーレルの倫理学の本とは、共に多少鮮かな特色をもつてゐて、何物かを私たちに教へてくれることが出来るやうにみえます。永い間待つてゐたトレルチの歴史哲学の書物が出ました。この書は現今の独逸の歴史哲学的研究の状態に対して第一流の徴候的著述であると思はれます。トレルチは彼の博識をもつて近代の歴史哲学的思想のあらゆるものを批評してゐます。けれど歴史哲学が如何なる地盤に立ち如何なる方向に進むべきかと云ふことに就いて、彼自身明確な、徹底した洞察を欠いてゐるために、千頁に近いこれらの批評も凡て宙に迷つてゐます。謂はば彼は近代の歴史哲学的思想家たちのもろもろの Geister をひとところに集めて弔ひをしてゐるのです。彼がこの盛んな弔ひをしてくれたことは、私たちには教訓の深いことでした。精神科学や文化哲学の基礎附けはこれまで試みられて来たとは全然別の途によつて新しく始められなければなりません。科学の学的性質を明証の伴ふ普遍妥当性として規定し、その根拠を求めてゆくと云ふ形式的な方法は、ある種の科学にとつてはその本質的な特性を毀すことになり、それが自然に成育してゆく形態を曲げることになりはしないかを私は疑ふのです。たとへ明証とか普遍妥当性とか云ふ概念を保存するにしても、これらの概念は新しい方法によつて作り更へられねばならぬのではないかと私は思ひます。昨年の十一月二十九日、フランクフルテル・ツァイトゥングにフリッツ・シュトリヒが、『現代に於ける精神歴史の本質と課題』と云ふ論文を寄せてゐました。シュトリヒは若い歴史学、殊に文学史や芸術史の傾向が Stil の歴史を目差してゐることを述べ、その代表者としてウェルフリンとグンドルフとを挙げました。新しい歴史学は「根本概念のイデーと創造的発展のイデー」とによつて古いヒストリスムスを破壊しました。「根本概念」は永遠に人間的な、本質的な実体であつて、この実体は歴史的現象の中に無限の姿をとつて繰り返し現はれるのです。あらゆる時代、凡ての民族に於いて、相異なる、創造的なる実現の形式をとりながら、しかも絶えずめぐり来る統一がシュティルと呼ばるべきものです。「この精神的統一の認識が新しい歴史科学の精神」であるとシュトリヒは云つてゐます。若い歴史科学の問題は「嘗てひとたび在つたところのものでなく、つねに在るところのもの」であり、それは本質的に精神的なるもの、本質的に人間的なるもの、従つていつでも存在してゐるものに就いて物語ることである、と彼は主張します。シュトリヒの云ふところが新しいと云ふのではありません。しかしながらこの文学史家によつて新しく要求されてゐるものは、現代の多くの歴史哲学者がまた目差してゐるものであるやうに見えます。永遠に人間的なるものの生命のメロディーとリュトムスとを感得しようと云ふのが人々の切実な要求であるのでせう。若い人たちの間に切りにキェルケゴールが読まれてゐるのも私はこの要求のひとつの現はれであるとみたいのです。しかしながら歴史をひとつの生命の現はれであるとして考へるに当つても、ここにいふ生命は単なる生命ではなくて、ひとつの歴史的生命であると云ふこと、そしてこの「歴史的」と云ふことが恰も私たちの問題になるのだと思ひます。従つて歴史的生命をひとつの有機的生命のアナロギーに依つて考察すると云ふことは、やはり「本質的に歴史的なるもの」を取逃すことになりはしないでせうか。歴史科学の課題をひとつの Morphologie と解することは、その前提に於いて矛盾を犯してゐると思ひます。例へば有機体とのアナロギーに依つて、社会に目的関係の存在することを論断しようと云ふのは、むしろ正当な論理的順序に逆行するものではないでせうか。目的、機能または構造の関係は、歴史的社会的現実に於いてこそ実際に体験され、到る処追跡し得るに反して、有機体の領域に於いては却つてこれらの関係は、単に仮説的な補助方法に過ぎません。それ故に有機体の概念を歴史的事実の研究の指針とするのでなく、むしろ自然研究が社会的事実のアナロギーを用ゐるのが当然であるとみられねばなりません。自然哲学的思弁を歴史の解釈の中へ導き入れるほど危険なことはないでせう。

*

こちらへ来て私が特に感じるのは、学問が大きな根を張つて成長してゐると云ふことです。私は学問を視、学問に触れることが出来ます。それは多数の大学を視、沢山の書物に触れることが出来ると云ふ意味ではありません。恰も私たちがひとの顔に於いて感情を視、ひとの手に於いて欲望に触れることが出来るやうに、私たちは大学やゼミナールや書物に於いてひとつの学問的意識を視たり、それに触れたりすることが出来るのです。私が到るところ学問的意識にぶつつかるのは、この学問的意識が生命をもち、自然の力によつて成長してゐるからでせう。芝居の言葉に「芸が板につく」と云ふことがあつたと思ひます。私がこちらの学者をみていつも思ひ出すのはこの言葉です。彼等の学問に無理がなく、歪められたところがないのは、彼等が凡てひとつの学問的意識の中に育つてゐるがためでせう。このやうな学問的意識が自然に成長して、あらゆる学問的現象の中にはたらくやうになるためには、永い間の歴史的背景が必要なことは固より云ふまでもないことです。この意味に於いて例へばハルナックの書いたプロイセンのアカデミーの歴史を繙くことも興味のあることでせう。しかしまた学問的意識の自由な、自然な成長発達を可能ならしめるやうな制度が出来てゐると云ふことも肝要なことであると思はれます。独逸の大学で学生に転学の自由が与へられてゐるのはそのひとつです。学生に聴講科目の自由な選択が許されてゐるのもそのひとつです。そのためにこちらの学生では、例へば哲学の学生であつて単に哲学だけを勉強してゐる者は極めて稀で、多くは他に副科目として、或ひは数学や自然科学、或ひは神学や歴史などの特殊科学を傍らに研究してゐます。学生と教授とゼミナールの三つがいつでも親密な関係を保つてゐると云ふのもそのひとつです。凡てのものが綜合的にはたらかなくてはなりません。例へばひとつのゼミナールの文庫をよくするためには、成長しつつある学者を必要とします。本当の研究に役立ち得る文庫は、真面目な研究者が自分の研究を進めてゆくに随つて必要を感じる書物を系統的に調べ集めることによつて初めて出来るのです。私は学問的意識の綜合作用が学問の成長してゆく条件であると考へずにはゐられません。学問の綜合的精神を発揮するための綜合大学の制度が、単に経済的管理を便宜にするため、中央集権的支配を容易にするため、或ひは学者が彼等の墻壁を堅固にするための機関となつてしまふのは恐るべきことであります。学問的意識の自由な綜合作用がはたらくときにのみ――私はかの Vielwisserei またはディレッタンティスムスを云つてゐるのではありません――特殊の学問も栄えることが出来るのだと思ひます。アカデミケルが自己の本分を絶えず反省し、自覚してはたらくと云ふことは、学問的意識の発達のために単なる制度の問題以上に必要なことであるに相違ありません。フィヒテ、シェリング、シュライエルマッヘルなどの大思想家たちが、鮮かな人生観と世界観との上に立つて大学の本分に就いて論じてくれたことは、独逸の大学にとつてどれほど幸福な事実であつたでせう。中にもシェリングの『大学に於ける研究の方法』といふ講義は私の最も好んで読むもののひとつです。最近ヤスペルスが『大学のイデー』といふ冊子を世に出したのは面白いことでした。

私は学問的意識の綜合作用と云ひました。この綜合のはたらきを理解することは、やがてまたその分化のはたらきを理解することであるでせう。学問的意識は歴史の世界の中に成立してゐます。従つて悟性の技巧的な概念によつて、或ひは単に理論上の可能性を数へることによつて学問を分類しようと云ふのは不可能なことではないかと私は思つてゐます。凡て学問の位置は論理学によつて決定されることではなく、あらゆる学問が発生し成長して来たところの根源を尋ね、各々の学問の諸々の根源のなかにはたらいてゐるひとつの綜合のはたらきを求め、この綜合の構造に各の根源を関係させることによつて初めて決定されるのではないでせうか。凡ての分類に必要な「類概念」と云ふ言葉の根源は、ギリシア語の「ゲノス」です。ゲノスは「ギグネスタイ」と云ふ動詞から来たので、この動詞は「成る」「生ずる」と云ふ意味をもつてゐます。即ち同じ生れ、同じ由来をもつものが、ひとつの同じ類概念に包括される対象の領域を形作るのです。事物の由来は事物の本質に対して単に偶然的な事柄ではなく、むしろそれに対して構成的な意味をもつてゐると云ふのが、ゲノスと云ふ言葉に含まれてゐる「哲学」です。事物の由来が事物の実体的本質を構成すると云ふ謎を、私たちのアリストテレスは「ティ・エーン・エイナイ」と云ふ不思議な概念によつて解かうとしました。発生的方法は現代では心理主義若しくはヒストリスムスの名のもとに非難されてゐます。しかしながら私たちはなほ心理主義やヒストリスムスに陥ることなくして、しかもひとつの新しい発生的方法を考へ得ないでせうか。実在を fieri とみる道は論理的方法以外に不可能でせうか。ナトルプの心理学の方法が心理主義でないならば、歴史的社会的世界に成立する事実をそれの歴史的起源に還元することによつて歴史的意識の根源的なる形を構成し、この意識のはたらきを純粋に記述する学問は――若しかかる学問があつたとすれば――あながちヒストリスムスとして排斥すべきでもないでせう。私は言語学者が既にこれに近い方法を、無意識的であるにせよ、不完全であるにせよ、彼等の研究の種々の方面に於いて用ゐてゐることに気附くのです。学問論は学問の歴史の研究を前提とします。この意味で、自然科学の方面ではあの尊敬すべきフランスの学者デュエム、精神科学の方面では私たちに懐しいかのディルタイが、その方法は各々異るにせよ、試みた研究を拡げてくれ、進めてくれる人の出ることは本当に願はしいことです。

*

尊敬してゐる学者の中でも逢つてみたい人と逢つてみたくない人とがあります。例へばブレンターノやディルタイは、若し許されたことであつたら、どうしても逢つてみたかつた人です。ところがクーノ・フィッシェルやトレルチの家の門をくぐることは私には幾度も躊躇されたでせう。今の独逸で将来のある哲学者と云へば、多くの人がハルトマンとハイデッゲルとを挙げます。私は去年の秋マールブルクに来て、この二人に逢ひ、その講義に出たり、ゼミナールに加はつたりしてゐます。ハイデッゲルが新しくマールブルクへ来たのは私には嬉しいことでした。ハルトマンに対する感じを一口で云へば、彼は所謂「仕掛の大きい」人です。それがあるときは気取つた、あるときは芝居がかつた態度になるのは何の無理もないことでせう。講義はなかなか手際がよく、聴講者も非常に沢山あります。ゼミナールでは彼は自分の弱味をみせることを嫌がり過ぎてゐます。正直に云へば、私はハルトマンに直接学ぶやうになつてから、彼がそれほど将来のある人であるかどうか多少疑問にするやうになりました。少くとも今の私にはハルトマンの偉さが分りません。彼の著はした『認識の形而上学』もなかなか「仕掛の大きい」ものです。いかにも手際よく出来てゐます。しかしながらこの厳しい、堂々として構へが凡てひとつの機からくりの上に出来てゐるやうに私には感じられるのです。――若し貴方がこの書物を既に読んでいらつしやるならば、私の謂ふ機が何であるか、直に思ひ当られることと存じます。――彼は無造作に本体論や形而上学の成立の可能性と必要性とを説きます。認識は Erzeugen ではなく、Erfassen である。認識が把捉であるならば、把捉さるべきものが凡ての認識の前にそれから独立に成立してゐねばならず、そしてこのものは本体論的、形而上学的なものであるとハルトマンは云ひます。若しこの前提が正しかつたならば、本体論の成立の必然性も極めて手軽に証明の出来ることであるに相違ありません。しかし認識が把捉であると云ふことそのものが私たちには最も疑はしいことなのです。あらゆる立場の此方にあらうとする彼の哲学は、彼の所謂現象学に於いて現象の分析によつて、認識が実際に把捉であることを示さなければなりません。けれどそこで彼が事実行つてゐることは悉く認識は把捉であると云ふことを前提とした上での認識概念の分析であつて、この前提そのものは、何処にも具体的に示されてゐないと思ひます。かう云へばハルトマンの哲学は、この現象は我々の natürliche Einstellung に於ける認識の場合にはいつでも存在するものである、と恐らく答へるでせう。なるほど認識が把捉であると云ふことは私たちが自然的立場に於いて考へてゐることでせう。しかしながらそれは自然的立場に於ける抽象的な考へ方の上でのことであると思はれます。丁度それは私たちが認識に於いて最初現はれるのは感覚であると云ふのと同一の平面に於ける考へ方です。感覚が認識の最初のものであるとみるのは既に抽象的なことです。私が今眼を開くとき見るのは具体的な机であつて、黒の感覚ではありません。同じやうにそのとき私が考へるのは、むしろ直接に見ることは「机が現はれてをる」と云ふことであつて「私が机を把捉する」と云ふことではありません。そのときまた同時に私は私の前に自己を現はしてゐる存在に対して――言語学上の言葉を借りて云へば、――ひとつの interpretatio を行つてゐます。この存在を「机」として見ることが既にひとつの解釈です。それ故に存在と解釈とは唯抽象的に分つことが出来るばかりであります。この簡単な考察によつても、認識が対象の把捉であると云ふ前提は、立場の最小でなく却つて立場の最大を意味すること、特殊の立場に於ける特殊の考へ方にもとづく認識概念を本体論の予想とすることが、ひとつの冒険に過ぎないことは明かであります。歴史的に云つてもギリシア哲学には所謂 Gegenstand にあたる存在を現はす概念はなく、存在のうち第一のもの、直接なものは何よりも「プラグマ」であつたのです。プラグマと云ふのは私たちの扱ふもの、私たちのはたらきの相手となるものです。若しさうであるならば、ハルトマンが所謂現象学を論じ、所謂 Aporetik を論ずることも、つまりは宙に浮いてゐる人形を操ることになりはしないかを私は恐れるのです。アリストテレスのアポレティクは――若しこの言葉が許されるならば、――もつと深い洞察の上に立つてゐると信じます。同じ客観主義の人でもラスクなどの方が、同じ実在論的傾向の人でもキュルペなどの方が、もつと深いものをみ、もつと力強い基礎附けをやつてゐると思はれますが如何でせう。――貴方のお考へを承つた後に私はもつと詳しい批評をさせて戴くことにしたいと存じます。

それにも拘らず、何故にハルトマンが今の独逸で歓迎されてゐるか、貴方はかうお尋ねになるでせう。一夜私は数時間に亘つてひとりのハルトマンを信じる学生とハルトマンの哲学を論じ、私がこの哲学に於ける種々の困難を話しましたとき、彼は色々の答弁をした後で「それにも拘らず、ハルトマンの哲学ほど広い Horizont をもつてゐる哲学は現代にないではないか」と云ひました。折衷的であるにしても力強い統一を欠いてゐるにしても、少し仰山にものを云ふ嫌ひがあるにしても、とにかくハルトマンの哲学が広いホリゾントを目差してゐることだけは明かです。そしてこのやうに展望の広い哲学を今の若い学生は求めてゐます。複雑な経験を最近の歴史に於いて体験した来たこれらの青年のかかる要求には何の無理もないと思ひます。論理主義から一歩踏み出さうと云ふ努力や、Sache そのものに帰れと云ふ標語は、凡て広い、大きなホリゾントを求めようと云ふ要求の現はれであるともみられるでせう。しかしながらかの Sache とは一体何物なのでせうか。

ハルトマンのことを書いて思はず長くなつた私は、ハイデッゲルに就いては簡単な報告だけにとどめておかねばなりません。彼は最初リッケルトの弟子であり、後にはリッケルトを離れてフッサールに就き、今はまたフッサールに対しても批評的となつて、むしろディルタイなどの考へを進めてゆかうとしてをるやうに見えます。或る日私がリッケルトと話しましたとき、リッケルトが「ハイデッゲルは非常に天分の豊かな男であるから、彼の思想はこれから後もまだまだワルデルンするでせう」と云つたのを覚えてゐます。今の独逸に於ける唯ひとりのアリストテレス学者として、中世哲学に深い理解のある人として、ハイデッゲルを推す人はかなり多いやうです。それは例へばギリシア哲学史家のホフマンからも、言語学者フリードレンデルからも私が直接に聞いたことです。ハイデッゲルは殆どあらゆる点でハルトマンの反対をなしてゐます。貴公子然たるハルトマンに対してハイデッゲルは全くの田舎者です。無骨で、ぶつきらぼうで、しかもねばり強いことは、講義にも演習にも現はれてゐます。しかしそれと共になかなか利口で、気の利いたところのあるのは面白いことです。ハイデッゲルがフッサールのフェノメノロギーから新しく踏み出さうとする出発点、この努力の目差してゐる方向を辿つてみることは私には非常に興味のある仕事でありますが、他の機会を待つことにいたしませう。

*

外国へ来た者の恐らく誰もがぶつつかるのは「言葉」と云ふひとつの不思議な存在です。日本にゐるときには外国の書物を読んでも、言葉は思想の符号或ひは伝達器であると云ふぐらゐの気持しか実際私には出て来ませんでした。ところが、こちらへ来て少しでも外国語の「言葉の感じ」が呑み込めるやうになると、私はひとつの言葉の中に生きてゐる”Genie“と云つたものに気が附くのです。そして私は今更ながら言葉と存在との間の密接な関係を思はずにはゐられません。前に云つたやうに、私が眼を開いてひとつの「机」を見るときにも既にひとつの interpretatio が行はれてゐるのであつて、机と云ふ言葉は私の眼の前に現はれてゐる存在の意味を現はすはたらきをしてゐるのです。若し言葉がその表現の様々な方法に於いて、種々の方面から、存在の意味を現はして、存在を私たちに見ゆるものとすると考へられ得るならば、例へばアリストテレスが語法から範疇を導いたと云ふことにも深い意味があると思ひます。私たちはこのやうな思想の本当の意味を理解するために、言葉がただ読まれたばかりでなく、また単に聞かれたばかりでなく、また到るところ言葉を見、言葉に触れることが出来たギリシア、所謂「アッチカの雄弁」のギリシア、文法が生きてをり、言葉が裸のままで公に現はれて存在してゐた――私たちのギリシア人は言葉のこのやうな存在の仕方を恐らく「アレテスとしての存在」と呼んだでせう――ギリシアの生活を思ひ浮べなければなりません。言葉がひとつの生命をもち、特殊の Genie をもつてゐることに気附くとき、私が各々の民族の言葉の中にその民族の歴史が見出されると云つても、あながち無謀でもないでせう。かの天才フンボルトが、言葉は生産されたものでなく生産であり、出来上つたものでなく活動であると云つたのは、疑ひもない真理であると思はれます。そればかりでなく言葉に対する意識そのものがまた進歩してゆくのです。この意味で例へばヘルメノイティクの歴史、殊に聖書のヘルメノイティクの歴史を調べてみるのも有益な仕事であるでせう。すぐれた研究家ウーゼネルは、言語学者に必要なのは言葉の意識であると云ひました。言葉の意識と云ふのは文法のかたくななる形式を習得することを謂ふのではありません。言葉の意識はむしろ歴史的意識のひとつのはたらき、しかもその最も根本的なはたらきの形式であると私は思ひます。言語学の課題は人間的な、殊に精神的な存在の全体の広さと深みとの上に拡がつてをる、従つて言語学は歴史科学の根柢的な決定的なる方法である、と云つたウーゼネルの言葉には争ひ難い真理が含まれてゐると私は思ひます。言葉の意識が発達してゆく限り言語学上の interpretatio も決して終結することはないでせう。そして私には言語学者の行つてゐる recensio と interpretatio 或ひはクリティクとヘルメノイティクとを理解することが、歴史的意識の作用、歴史的認識の方法を理解する上に根本的な意義をもつてをるやうに感じられます。けれどこれらのことを明かにするためには何よりも言葉と存在、言葉と認識との関係に関する徹底した洞察を必要とします。これらの問題に就いて纏ったことを書かうと私は思つたのではありません。フンボルトの後シュタインタール、そして近くはパウルを失つた独逸の言語学の理論的研究も、今は何だか寂しく感じられます。

*

マールブルクの冬はなかなかよく冷えます。しかし私は好んで散歩に出ます。ラーン河の向うには兎の喜びさうな、日あたりのいい小高い丘があります。数日前もオットー教授に連れられてこの丘を歩きながら、私は日本の話をしました。白樺の森など人なつかしいものです。またラーン河に沿うてゆくのも面白いことです。今日も私は賀茂川の堤を思ひ出し、数年前の幼稚な詩を思ひ起しました。

憧れいでて野に来れば

草短くて 涙すに

よしもなけれど遥かなる

もう思ふゆゑ嘆かるる。

×

あかつき光薄うして

寂しけれども 魂の

さともとむれば川に沿ひ

道行きゆきて還るまじ。

それではいつまでも元気でゐて下さい。雪が降ればまたお便りしませう。

底本 / Source edition

底本:「日本の名随筆 別巻92 哲学」作品社
1998(平成10)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「三木清全集 第一巻」岩波書店
1966(昭和41)年10月
※底本では、「”」の二点は右下に、「“」の二点は左上に、置かれています。
入力:加藤恭子
校正:もりみつじゅんじ
2001年2月24日公開
2006年4月16日修正
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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三木 清「消息一通──一九二四年一月一日マールブルク」(新字旧仮名)、底本『日本の名随筆 別巻92 哲学』作品社、1998年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 001915_000218, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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