Soranoha

義猴記

ぎこうき

田中 貢太郎

支那の万暦まんれき年中、毘陵びりょうに猿曳さるひきの乞児こじきがあって、日々一疋ぴきの猴さるを伴つれて、街坊まちに往き、それに技をさして銭を貰っていたが、数年の後にその金が集まって五六両になった。その乞児は某ある日知合しりあいの乞児といっしょに酒を飲んだが、酔って蓄えている金の事を誇り顔に話した。相手の乞児はそれを聞くと、急に悪心を起して酒の中へ毒を入れて飲ましたので、その乞児は死んでしまった。相手の乞児は猿曳の蓄えてあった金を奪い、その死骸を野外に運んで往って瘞うずめた。そのうえ、相手の乞児は猿曳の飼うていた猴も奪ってそれに技をやらそうとしたが、猴はその意に従わない。乞児は怒って鞭で打ったので、猴も渋しぶ技をやっていたが、隙を見て何処へか往ってしまった。

その時張廷栄ちょうていえいという、県尹けんいんが新たに任について、庁ちょうに升のぼったところで、一疋の猴が丹墀たんちの下へ来て、跪ひざまずいて号さけんだ。張廷栄は不思議に思って、隷官れいかんに命じて猴の後をつけさした。猴は養済院のほうへ往って、その門前に集まっている乞児の間を往来して何者か探す容ふうであったが、やがて其処を離れて往くので、隷官もまたその後からついて往った。往く途で、猴は人家へ入って餅を貰ってきて、それを隷官に喫くわし、また往って大市橋のある処へ出たが、その橋の袂にいる乞児を見つけると、隷官を曳きとどめるようにして、突然その乞児の肩に跳おどりあがり、頬を打ち面おもてを抓つまみだした。隷官はその乞児に意味があるだろうと思って、すかさず執とらえて庁に帰った。張廷栄は再三これを鞫問きくもんした。それは猴の主人を毒殺した相手の乞児であった。そこで張廷栄は乞児の死骸を掘らして、それを棺に入れ、火をもって焚かしたが、その火の燃えあがった時、かの猿は隷官の前に頭をさげ、そして、不意に火の中に飛び込んで焚死ふんししてしまった。張廷栄は大いに感じて『義猴記ぎこうき』という文章を作って石に刻んだのであった。

底本 / Source edition

底本:「中国の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年8月4日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年発行
※誤植を疑った箇所は底本の親本を参照して改めました。
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年9月25日作成
2005年11月23日修正
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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田中 貢太郎「義猴記」(新字新仮名)、底本『中国の怪談(二)』河出文庫、河出書房新社、1987年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 001646_000154, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite