<ruby><rb>馮大異</rb><rt>ひょうたいい</rt></ruby>は<ruby><rb>上蔡</rb><rt>じょうさい</rt></ruby>の東門にある自分の<ruby><rb>僑居</rb><rt>すまい</rt></ruby>から近村へ往っていた。ちょうど元の順帝の<ruby><rb>至元丁丑</rb><rt>しげんていちゅう</rt></ruby>の年のことで、恐ろしい兵乱があった後の郊外は、見るから荒涼を極めて、<ruby><rb>耕耘</rb><rt>こううん</rt></ruby>する者のない田圃はもとの野となって、黄沙と雑草が<ruby><rb>斑</rb><rt>まだ</rt></ruby>ら縞を織っていた。<ruby><rb>兵燹</rb><rt>へいせん</rt></ruby>のために焼かれた村落の路には、<ruby><rb>礎</rb><rt>いしずえ</rt></ruby>らしい石が草の中に散らばり、片側が焦げて片側だけ生きているような立木が、そのあたりに点在して、それに鴉のような黒い鳥が止まって侘しそうに鳴くのが聞かれた。

<ruby><rb>斜陽</rb><rt>ゆうひ</rt></ruby>に影をこしらえて吹いてくる西風が、緑の<ruby><rb>褪</rb><rt>あ</rt></ruby>せた草の葉をばらばらと吹き靡かせ、それから黄沙を掻きまぜて灰のような煙を立てた。その風に掻きまぜられた<ruby><rb>沙</rb><rt>すな</rt></ruby>の中から<ruby><rb>髑髏</rb><rt>どくろ</rt></ruby>や白骨が覗いていることがあった。しかし、才を<ruby><rb>恃</rb><rt>たの</rt></ruby>み物に<ruby><rb>傲</rb><rt>おご</rt></ruby>って、鬼神を信ぜず、<ruby><rb>祠</rb><rt>やしろ</rt></ruby>を焼き、神像を水に沈めなどするので、狂士を以て目せられている大異には、そんなことはすこしも神経に触らなかった。

ただ大異の困ったのは、目的地がまだなかなかこないのに日が暮れかかって、宿を取るような人家のないことであった。大異は普通の人のようにあわてはしないが、寒い露の中で寝ることは苦しいので、どんな小家の中でも好い、また家がなければ<ruby><rb>野祠</rb><rt>のやしろ</rt></ruby>の中でも好いから、一泊して明日ゆっくり往こうかと思い思い、眼を彼方此方へやっていた。

森があり、丘があり、遥かの地平線には遠山の<ruby><rb>畝</rb><rt>うね</rt></ruby>りがあったが、家屋の屋根らしい物は見当らなかった。大異はそれでももしや何かが見つかりはしないかと思って、注意を止めなかった。薄い金茶色をして燃えていた陽の光がかすれて風の音がしなくなっていた。大異は西の方を見た。中の黒い緑の<ruby><rb>樺色</rb><rt>かばいろ</rt></ruby>をした靄のような雲が地平線に盛りあがっていて、陽はもう見えなかった。

鴉の声が騒がしく聞えてきた。大異はもうあわててもしかたがないから、このあたりで一泊しようと思った。<ruby><rb>栢</rb><rt>すぎ</rt></ruby>の老木が<ruby><rb>疎</rb><rt>まば</rt></ruby>らな林をなしているのが見えた。騒がしい鴉の声はその林から聞えていた。木の下なれば草の中に寝るよりはよっぽど好いと思った。大異は林の方へ往った。

林の外側に並んだ幹には<ruby><rb>残照</rb><rt>ゆうばえ</rt></ruby>が映って、その光が<ruby><rb>陽炎</rb><rt>かげろう</rt></ruby>のように<ruby><rb>微赤</rb><rt>うすあか</rt></ruby>くちらちらとしていたが、中はもう霧がかかったように暗みかけていた。大異は林の中へ入ってすぐそこにあった大木の根本へ坐って、幹に<ruby><rb>倚</rb><rt>よ</rt></ruby>っかかり、腰の袋に入れていた食物を<ruby><rb>摘</rb><rt>つま</rt></ruby>みだして<ruby><rb>喫</rb><rt>く</rt></ruby>いはじめた。

<ruby><rb>鵂鶹</rb><rt>ふくろう</rt></ruby>の鳴く声が鴉の声に交って<ruby><rb>前</rb><rt>むこう</rt></ruby>の方から聞えてきたが、どこで鳴いているのか場所は判らなかった。ふおうふおう、ふうふう、ふおうふおうというように鳴く鵂鶹の声の後から、また獣の鳴くような声も聞えてきた。心に余裕のある大異は、うっとりとそれらの声を聞きながら食事をしていた。

頭の上の方で騒がしく鳴いていた鴉が、急に枝葉をかさかさいわしながらおりてきはじめた。五羽、十羽、二十羽。それが鳴きながら一方の<ruby><rb>跂</rb><rt>あし</rt></ruby>だけで地べたをとんとんと飛ぶのもあれば、羽ばたきをしながら走るのもあって、それが大異の周囲をぐるぐると廻りだした。

鴉はみるみる数百羽になって、かあかあ、があがあと何か事ありそうに叫びながら廻った。大異はもう食事するのを<ruby><rb>輟</rb><rt>や</rt></ruby>めていた。不思議な鴉の容子を見ていた大異の眼は、すぐ左の方の鴉の群の廻っている所に、四つばかり干からびた死骸のあるのを見つけた。大異は今までなかったものであるのに、どういうものだろうと思って、やるともなしに右の方へ眼をやった。と、そこにも五つばかり死骸のあるのが見えた。大異はなんだか気になってきたので、自分は夢でも見ているのではあるまいかと思った。

冷たいしめっぽい風が枝葉に音をさして吹いてきた。大異が気が<ruby><rb>注</rb><rt>つ</rt></ruby>いて顔をあげたところで、大粒の雨がばらばらと落ちてきた。大異は驚いて顔をひいた。白いぎらぎらする光が林の中をかっと照らした。と、思う間もなく烈しい雷の音が頭の上でした。

大異は雨に濡れないように後頭をぴったり木の幹へくっつけた。横になっていた死骸が不意にむくむくと起きて、それが大異を見つけたようにして走りかかってきた。大異はこうしてはいられないとおもったので、そのままそこの木へのぼって往った。雨はざあざあと音を立てて降っていた。

大異は梢の高い所へ往ったが、ここなればいいだろうと思ったので、うまく足のかかった枝を足場として、下の方を透して見た。暗い雨の中でも不思議にはっきり見えている死骸の一つは、<ruby><rb>土蜘</rb><rt>つちぐも</rt></ruby>の足のような長い片手をこちらへ指して大声を出して何か罵っていたが、あわてている大異の耳には入らなかった。一つは鴉の<ruby><rb>嘴</rb><rt>くちばし</rt></ruby>のような口をこちらへ向けて差し出すようにして立っていた。一つは坐っていたがその長い足が青がらすのように透き徹って見えた。

「あがれ、あがれ、あいつを逃がしたら大変だ」

「今晩のうちに、あいつを取らないと、俺達がひどい目に逢わされる」

「<ruby><rb>何人</rb><rt>たれ</rt></ruby>か、あがれ、あがれ」

「あいつを逃がしたら、俺達に咎がある」

大異はあがってこられたら大変だと思った。彼は油断せずに死骸の行動をじっと注意していた。

急に<ruby><rb>四辺</rb><rt>あたり</rt></ruby>が明るくなって夜が明けたようになった。雨が<ruby><rb>竭</rb><rt>や</rt></ruby>んで月の光が射してきたところであった。大異はやっと気がおちついた。

死骸は依然として木の下で罵っていた。大異はさっきの鴉はどうしたろうと思って注意した。黒い鴉の影はもう一つも見えなくなっていた。

遠くの方で叫ぶとも呼びかけるとも判らない声が聞えた。大異はその方へ眼をやった。背の高い怪しい者が月の光を浴びて、こちらへ向いて大<ruby><rb>胯</rb><rt>また</rt></ruby>に歩いてくるのが木の間から見えた。

怪しい者はみるみる近くなってきた。それは額に二本の角のある青い体をした<ruby><rb>夜叉</rb><rt>やしゃ</rt></ruby>であった。大異の口元には嘲笑が浮んだ。大異はまたへんな奴がきやがったが、今度はどんなことをするだろうと思って、またたきもせずに見ていた。

夜叉は死骸の側へ来た。そこには木の上に向って何か言っている一つの死骸があった。夜叉はひょいと手を延べてその死骸の頭へやった。と、頭はぼっきりと折れたようになって夜叉の手に移った。それと同時に死骸は<ruby><rb>麻殻</rb><rt>あさがら</rt></ruby>のように倒れてしまった。

夜叉は手にした死骸の頭を大きな赤い口へ持って往ってむしゃむしゃと<ruby><rb>噉</rb><rt>く</rt></ruby>いだした。その噉う<ruby><rb>容</rb><rt>さま</rt></ruby>が瓜でも噉うようであった。大異はまた驚いて眼を瞠ったが、すぐその後から嘲笑が浮んできた。

夜叉の噉っていた死骸の頭はすぐなくなった。夜叉はまた手を出して次に立っていた死骸の頭を取って、またむしゃむしゃと噉いだした。その死骸も麻殻の倒れるようにもっそりと倒れてしまった。大異はこれからまたどんなことを始めるだろうと思って、不安な中にも後が待たれるような気がした。

夜叉はその頭を噉ってしまうと、また次の死骸の頭を取って噉いだしたが、その頭を取ることも噉うことも非常に早くなって往った。

夜叉は次から次へ死骸の頭を噉って往って、八つか九つかの頭を皆噉ってしまったが、噉い終るとそのまま木の下へ倒れるように寝てしまった。

その夜叉の<ruby><rb>鼾</rb><rt>いびき</rt></ruby>の声が聞えてきた。大異はこの間に逃げなくてはいけないと思った。大異は夜叉と頭をなくして倒れている死骸の方をつらつらと見た後で、そろそろと木をおりた。夜叉の鼾は林の中へ響きわたるように聞えていた。大異は跫音のしないように夜叉の<ruby><rb>枕頭</rb><rt>まくらもと</rt></ruby>を通って、すこし往ったところで走りだした。

大異は野の明るい所を選んで足の向くままに走った。百足ばかりも往ったところで、後の方で物の気配がした。大異は走りながらちょっと後の方を見た。かの夜叉が赤い大きな口を見せて追っかけてくるところであった。大異ははっと思って死力を出して走ったが、このままでは夜叉に追っつかれるので木へあがろうと思って、ちかちかする眼をせわしく動かして前の方を見た。五六本の木立があって、その下に家の屋根のような物が見えた。大異は喜んでその方へ走った。

<ruby><rb>簷</rb><rt>のき</rt></ruby>の傾いた荒寺が草の中に立っていた。夜叉の<ruby><rb>喘</rb><rt>あえ</rt></ruby>ぐ<ruby><rb>呼吸</rb><rt>いき</rt></ruby>づかいがすぐ<ruby><rb>背後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>で聞えた。大異はそのまま荒寺の中へ入って往った。

一条の月の光が朽ち腐れて塵の中に埋れている仏像などを照らしていた。大異はどこか隠れる所はないかと思って注意した。壇の上に<ruby><rb>仁王</rb><rt>におう</rt></ruby>のような仏像が偉大な姿を見せていた。大異は壇の上へ飛びあがって、その仏像の<ruby><rb>背後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>へ往った。仏像の背には人の入れるような穴が<ruby><rb>鑿</rb><rt>ほ</rt></ruby>ってあった。大異は身を屈めてその中へ這い込んで往った。

その穴は仏像の腹の所で拡がっていて、体を置くにはちょうどよかった。大異はここにおれば大丈夫だろうと思って、やや安心しながら穴の口へ注意していた。と、仏像の腹を外から木のような物で叩く音がした。

「あいつは、つかまえようとしてもつかまえられないが、俺はつかまえようともしないのに、むこうからつかまりにきたぞ」

それは仏像が両手で腹つづみを<ruby><rb>拍</rb><rt>う</rt></ruby>って嘲笑っているのであった。

「今晩は好い<ruby><rb>点心</rb><rt>てんしん</rt></ruby>にありついた、<ruby><rb>斎</rb><rt>とき</rt></ruby>はいらないぞ」

仏像は背延びをするようにしてのろりのろりと歩きだしたが、十足ばかり往ったところで<ruby><rb>閾</rb><rt>しきい</rt></ruby>に<ruby><rb>礙</rb><rt>ささ</rt></ruby>えられたようにひっくり返って大きな音をさした。仏像はそれがために砕けてばらばらになって、大異は外へ放り出されてしまった。大異は驚いて起きあがるなり、夜叉がそのあたりにいはしないかと思って見まわした。しかし、夜叉の姿はそのあたりに見えなかった。夜叉は仏の威光に恐れて寺の中などへこないだろうかと思った。

大異は夜叉の見ていない所から逃げようと思って、そこを離れようとしたが、自分を弄んだために禍を<ruby><rb>掇</rb><rt>と</rt></ruby>った仏像のことを思いだしたので、ちょっとそれを見返って言った。

「この<ruby><rb>胡鬼</rb><rt>ほとけ</rt></ruby><ruby><rb>奴</rb><rt>め</rt></ruby>、ふざけた真似をしやがるから、罰があたったのだよ」

大異はそのまま<ruby><rb>簷下</rb><rt>のきした</rt></ruby>へ出て月の下を透して見た。そこにも夜叉の姿が見えなかった。夜叉はやはり寺が怖いので逃げたものだろうと思った。

大異は寺から見当をつけて前へ前へと歩いた。その往っている方向に当って、月の陰になったように暗い所があって、そこから<ruby><rb>燭</rb><rt>ひ</rt></ruby>の光がきらきらと光っているのを見た。大異ははじめて人間の世を見つけたような気がしたので、夜叉への用心も忘れてその方へ急いだ。

燭の光の中に数人の人の動く影が見えた。その人びとは<ruby><rb>酒宴</rb><rt>さかもり</rt></ruby>でもしているような<ruby><rb>容</rb><rt>ふう</rt></ruby>であった。大異はその人びとの側に一刻も早く往きたかった。大異は足よりも心の方がさきになって往った。

人びとの面白そうに話す声が聞えてきた。大異はもうその人びとといっしょになったように思って、とかとかその側へ寄って往った。そして、大異はそこでまた恐ろしいものを見た。それは頭のない者や、頭があれば手の一本か足の一本かがないような者ばかりが集まっているところであった。大異はまた厭なものを見たと思ったので、そのままその傍をそれて走った。

背後の方から怒り罵る声が聞こえてきた。

「そいつを逃がすな、つかまえろ」

「俺達が飲んでいる所へ、やってくるとは大胆な奴じゃ、つかまえて<ruby><rb>脯￼</rb><rt>しおから</rt></ruby>にしろ」

「つかまえろ、逃がすな、俺達の邪魔をした奴じゃ」

背後からばらばらと飛んでくる物があった。それは人の骨のような物もあれば、牛の糞のような物もあった。大異は走りながらちらと背後に眼をやった。自分の物であろう片手に頭を持った頭のない者が、前にたって追っかけてきていた。

大異は一生懸命になって走った。小さな川の流れがすぐ前にきた。水は月の光を受けてちらちらと光っていた。大異は橋などを尋ねる暇がないので、そのまま水の中へ走り込んで、全身をずぶ濡れにしながらやっと<ruby><rb>前方</rb><rt>むこう</rt></ruby>の岸へあがった。

怪しい者たちは川の手前で罵り叫ぶだけで、水を渡ってくるらしい形勢がなかった。大異はそれでも走るのを止めなかった。二三町も往ったところで、<ruby><rb>諠譁</rb><rt>さわぎ</rt></ruby>の声がますます遠くなったので、やっと立ち停まって背後の方を見た。怪しい者たちの姿はもう見えなかった。

月が不意に入って<ruby><rb>四辺</rb><rt>あたり</rt></ruby>が急に真暗になってしまった。大異は驚いて歩いた。そこには深い深い<ruby><rb>坑</rb><rt>あな</rt></ruby>があった。大異の体はその中へ堕ちてしまった。

冷たい厭な物が骨にまで浸みたように思って大異は我に返った。そして、眼を開けて四辺を見ようとした。<ruby><rb>小沙</rb><rt>こずな</rt></ruby>のような物が入っていて開けるのが痛かった。それでも強いて耐えて開けたところで、数個の恐ろしい者に取り囲まれていた。額の左右に角のある赤い髪の者、青い髪をして翼の生えた者、鳥の<ruby><rb>喙</rb><rt>くちばし</rt></ruby>のような口をして<ruby><rb>獠牙</rb><rt>きば</rt></ruby>の生えた者、牛のような顔をした者、それらは皆<ruby><rb>藍靛</rb><rt>あいいろ</rt></ruby>の体をして、口から火のような焔を吐いていた。

「とうとう<ruby><rb>讐</rb><rt>かたき</rt></ruby>をつかまえた」

「そうだ、めでたいことじゃ」

「早速大王の前へ連れて往こう」

大異の頸には<ruby><rb>鉄組</rb><rt>くさり</rt></ruby>が<ruby><rb>繋</rb><rt>かか</rt></ruby>り、腰には<ruby><rb>皮繂</rb><rt>かわひも</rt></ruby>が<ruby><rb>￼</rb><rt>つ</rt></ruby>いた。大異はもうどうすることもできなかった。

「こっちへこい」

「歩け」

大異の体へひどい力が加わった。大異は痛いのでしかたなしに歩いて往った。

すぐ一つの庁堂があって、その正面には大王であろう、奇怪な姿の者が坐っていた。怪しい者たちはその前へ大異を連れて往った。

「吾が徒を凌辱する狂士を連れてまいりました」

大王は頷いて大異を睨みつけた。

「その方は五体を具えて、知識がありながら、どうして鬼神の徳の盛んなことを知らないのじゃ、孔子は大聖人であるけれども、なお敬して之を遠ざくと言ったではないか、<ruby><rb>大易</rb><rt>たいえき</rt></ruby>には鬼を一車に載すということを言い、小雅には鬼となし<ruby><rb>蜮</rb><rt>よく</rt></ruby>となすという文句がある、また左伝には<ruby><rb>晋景</rb><rt>しんけい</rt></ruby>の夢や<ruby><rb>伯有</rb><rt>はくゆう</rt></ruby>のことを書いてある、これは皆物があるからじゃ、その方は何者なれば、独り鬼神がないというのじゃ、俺はその方から久しい間、侮辱を受けていたから、今日こそその復讐をする」

大王はそう言ってから命令した。

「まず<ruby><rb>棰楚</rb><rt>むち</rt></ruby>をやれ」

大異は冠も衣裳も剥がれて、裸にせられて鞭を加えられた。みるみる肉が破れて全身は血みどろになった。大王はそれを見て言った。

「鞭が厭なら、泥を<ruby><rb>調</rb><rt>ね</rt></ruby>って<ruby><rb>醤</rb><rt>したじ</rt></ruby>をこしらえるか、それとも身のたけ三丈の鬼になるか、どっちでもその方のいい方にするがいい」

大異は早く鞭を逃れたいと思ったが、泥を調って醤をこしらえることはできないので三丈の鬼になろうと思った。

「どうか鬼にしてくださいますように」

大王は笑った。

「鬼になるか、よし、よし、では皆で三丈の鬼にしろ」

大異の体はそのまま石床の上へ横倒しにせられた。怪しい者たちは、その大異の体へそれぞれ両手をかけて<ruby><rb>搓</rb><rt>も</rt></ruby>みだした。俯向けにしたり、横にしたり、そうしてせっせと搓んでいると、その体がずんずんと延びてきた。

大異の体は皆の手に支えられて起された。それは竹竿を立てたような長い長い体になって、独りでは動くことも立っていることもできなかった。

「出来た出来た、<ruby><rb>長竿恠</rb><rt>ちょうかんかい</rt></ruby>」

皆が手を叩いて<ruby><rb>囃</rb><rt>はや</rt></ruby>したてた。大異はどうすることもできなかった。大王は笑って言った。

「それが苦しければ代えてやってもいい、石を<ruby><rb>煑</rb><rt>た</rt></ruby>いて汁をこしらえるか、それとも一尺の体になるか」

大異は自分独りで立っていられないよりも、一尺の体の方がいいと思った。

「どうか、一尺の体にしてくださいますように」

「よし、一尺の体になりたいのか、皆、その人間を一尺の体にしてやれ」

大異の体はまた石床の上へ引擦り倒されて、縮めるように頭と足を捺されたり、また<ruby><rb>麪</rb><rt>めん</rt></ruby>をこしらえるように<ruby><rb>按</rb><rt>も</rt></ruby>まれたりした。骨が折れて肉が破れるような痛みに包まれていた大異は、いつの間にか自分の体が小さな蟹のようになっているのに気が<ruby><rb>注</rb><rt>つ</rt></ruby>いた。

「<ruby><rb>彭蜞怪</rb><rt>ほうきかい</rt></ruby>」

「彭蜞怪」

皆が手を拍って笑った。大異は苦痛に耐えられないで体を<ruby><rb>悶掻</rb><rt>もが</rt></ruby>き悶掻きその辺を這った。

そこに年取った怪物がいた。怪物は掌を拍って笑って言った。

「お前さんは、<ruby><rb>平生</rb><rt>へいぜい</rt></ruby>鬼怪を信じないのに、何故にこんな体になったのだ」

老鬼はその後で皆に向って言った。

「この人間は無礼な奴だが、これくらい辱しめたなら充分だろう、赦してやろうじゃないか」

老鬼はそこで両手を延べて大異をつかまえて起した。起すと同時に大異の体は<ruby><rb>故</rb><rt>もと</rt></ruby>の体になった。大異は蘇生したように思った。

「どうか私を還してください」

皆が口々に言った。

「まだ返さないよ」

「ここまで連れてきた者を、ただは返さないよ」

「そうさ、人間に、我輩どもの有ることを知らす必要があるからな」

「皆で贈物があらあ」

大異を故の体にしてくれた老鬼が言った。

「贈物とはどんな物だ、どんな物を贈るのだ」

すると一つの怪物が言った。

「俺からは、<ruby><rb>撥雲</rb><rt>はつうん</rt></ruby>の角を贈るのだ」

その怪物は二本の角を持ってきて、それを大異の額に当てた。と、角はそのまま生えたようにくっついてしまった。

「俺からは、<ruby><rb>哨風</rb><rt>しょうふう</rt></ruby>の<ruby><rb>嘴</rb><rt>くちばし</rt></ruby>を贈ろう」

他の怪物の一つは、鉄の嘴を持ってきて大異の<ruby><rb>脣</rb><rt>くちびる</rt></ruby>に当てた。脣はまたそのまま鳥の<ruby><rb>喙</rb><rt>くちばし</rt></ruby>のようになった。

「俺は<ruby><rb>朱華</rb><rt>しゅか</rt></ruby>の髪を贈ろう」

次の怪物は赤い水を桶に入れてきて、それを大異の髪にかけた。髪は火のように赤い色になって、それが頭の周囲にまくれあがった。

「俺は碧光の<ruby><rb>睛</rb><rt>まなこ</rt></ruby>を贈ってやろう」

も一つの怪物は二つの青い珠を持ってきて、大異の両眼に<ruby><rb>篏</rb><rt>は</rt></ruby>めた。

「これで贈物はもう済んだらしいな、では、もうこの人間を帰してやろう、さあお前さん、帰るがいいよ、そこいらまで俺が送ってやろう」

大異は老鬼に促がされて歩いた。老鬼はことことと後から<ruby><rb>随</rb><rt>つ</rt></ruby>いてきた。

暗い坑の口が見えてきた。その坑の口へ往ったところで老鬼が言った。

「この坑はお前さんがきた坑だ、これを出ると、すぐお前さんの家だ、ずいぶん達者で暮すがいい、さっきお前さんはひどい目に逢ったが、もうあんなことは忘れてしまうがいいよ」

大異はそこで老鬼と別れて坑を出た。坑の<ruby><rb>前</rb><rt>さき</rt></ruby>は上蔡の市中であった。大異はその市中を通って東門にある自分の家へ帰ったが、撥雲の角、哨風の嘴、朱華の髪、碧光の睛、どうしても人間でないので、市中の者が<ruby><rb>聚</rb><rt>あつま</rt></ruby>ってきたが、近くへは寄らなかった。<ruby><rb>小児</rb><rt>こども</rt></ruby>などは<ruby><rb>啼</rb><rt>な</rt></ruby>いて逃げた。

そして、やっと家へ帰り<ruby><rb>著</rb><rt>つ</rt></ruby>いたが、細君や小児は恐れて逃げだした。いくら話してもほんとうにしない。大異は非常に憤懣して、それから人にも逢わず、食を絶って死んだが、死ぬる時家の者を呼んで言った。

「俺は鬼に辱しめられて死ぬるから、棺の中へたくさん紙と筆を入れて置け、俺は天に<ruby><rb>訟</rb><rt>うった</rt></ruby>えるのだ、俺が死んで数日したら、きっと蔡州に不思議な事が起る、その時は俺の勝った時だから、酒を<ruby><rb>瀝</rb><rt>そそ</rt></ruby>いで祝してくれ」

家内の者は大異の言う通り紙筆を棺の中へ入れたところで、三日過ぎて、白昼不意に暴風雨が起って、それに雷鳴が加わり、屋根瓦を飛ばし、大木を抜いて、翌日の朝まで荒れて、朝になってやっと<ruby><rb>霽</rb><rt>は</rt></ruby>れた。霽れた時にみると、大異の堕ちた坑のあたりが中心に大きな湖が出来て、それには赤い血のような水が溢れていた。

その時、大異の柩の中から声が聞えた。

「俺の訟えが勝って、鬼どもは<ruby><rb>夷滅</rb><rt>いめつ</rt></ruby>せられた、それとともに天では俺の正直を認めてくれて、俺を<ruby><rb>太虚殿</rb><rt>だいきょでん</rt></ruby>の司法にしてくれた、俺は職任が重くなったから、再びこの世にはこないのだ」

大異の家ではそこで大異を葬ったが、葬る時その柩の周囲に、大異の霊の<ruby><rb>髣髴</rb><rt>ほうふつ</rt></ruby>としているのを感じた。