市街に住まっているものの不平は、郊外がドシドシ<ruby><rb>潰</rb><rt>つぶ</rt></ruby>されて、人家や製造場などが建つことである、建つのは構わぬが、ユトリだとか、<ruby><rb>懐</rb><rt>くつ</rt></ruby>ろぎだとかいう気分が、<ruby><rb>亡</rb><rt>な</rt></ruby>くなって、堪まらないほど窮屈になる、たとえ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">やにこく</span>ても、隙間もなく押し寄せた家並びを見ていると、時々気が詰まる、もし人家の傍に、<ruby><rb>一寸</rb><rt>ちょっと</rt></ruby>した畠でもあれば、それが<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>に些細なものであっても、何だか緩和されるような気になる、そうして庭園のように、<ruby><rb>他所</rb><rt>よそ</rt></ruby>行きの<ruby><rb>花卉</rb><rt>かき</rt></ruby>だの、「見てくれ」の装飾だのがしてないところに、又しようとも思わない無造作のところに、思いさま両手を伸ばして<ruby><rb>欠</rb><rt>あく</rt></ruby>びでもするような気持になれる。

少なくとも、市街は接近した、もしくは市街を前景とした畠は、野菜を作って、食膳に供給するという実用的の意味に於てよりも、人間と人間との間に踏み固められない、柔かい黒い土を割り込ませて、庇の連続や、肱の突き合いを緩和させるという点だけで、保存して置きたく思う、そういう意味で、保存するとなれば、何も月末の八百屋の払いを、幾分か助けるつもりで、胡瓜や茄子を作る必要はない、黒土のままで残して置いて、春の温気が土のかおりを蒸し上げるのを、ぼんやり眺めていてもいいのであるが、それではあまりサッパリし過ぎるから、春ならば先ず私は、何を置いても、そこに菜の花を観たい。

春の花の中でも、私はなぜか、梅や桜や、<ruby><rb>董</rb><rt>すみれ</rt></ruby>だの<ruby><rb>蒲公英</rb><rt>たんぽぽ</rt></ruby>だのよりも、その他の何よりも、菜の花に執着を持つ、少年の時代から、この花が好きで、野外遠足は、菜の花の多そうなところを選んで歩いたものだ、今でも春の景色と云うと、菜の花のそれが眼に浮ぶ、菜の畑の中に<ruby><rb>跼</rb><rt>かが</rt></ruby>んで、<ruby><rb>虻</rb><rt>あぶ</rt></ruby>のブンブン<ruby><rb>呻</rb><rt>うな</rt></ruby>るのを聴きながら、本を読んだり、<ruby><rb>所謂</rb><rt>いわゆる</rt></ruby>「空想」に<ruby><rb>耽</rb><rt>ふけ</rt></ruby>ったりしたこともある（その時分は至ってセンチメンタルな気分を悦んだものだ、今でもとかく脱け切らないが）、東海道藤沢の松並木の間から、菜の花の上に<ruby><rb>泛</rb><rt>うか</rt></ruby>ぶ富士山を、おもしろい模様画に見立てて、富士山と菜の花の配合などを考えたことがある、中にも私の好む菜の花の場所は、相模大山の麓、今は<ruby><rb>烟草</rb><rt>たばこ</rt></ruby>の産地として名高い秦野付近で、到るところ黄の波を<ruby><rb>列</rb><rt>つら</rt></ruby>ねていた――併し此頃往って見たら、それも大方桑畑などに変って、今じゃあ夢になった、近頃は不思議なほど、菜の花が郊外から影を隠した、物価も租税も高くなって、菜種の油などを、搾っていては、割に合わぬから、もっと金の儲かるものを植えるのに、何も不思議はないが、私は何だか、夢を喰われたような気がする。

関西地方は知らず、東京横浜間や、その付近の郊外では、今では菜の花を見ると、珍しく振り返るほどだ、そうやって振り返るのも、私ぐらいなものかも知れない、大阪の郊外に住んでいる友人画家織田一磨氏は、「大阪付近では、到るところに金色をした菜の花の光が、太陽の光線を反射している、菜の花の盛りの時は、<ruby><rb>総</rb><rt>す</rt></ruby>べての物が、皆黄色となる、反射光線の強いのは、ちょうど雪のようだ、そして黄色の野原の末に、紫に烟って見える遠山の色、悪くはおもわぬコントラストだ、そしてその黄色い海の内を、赤い絵日傘の娘が通る」と言って、大阪の自然の誇りにされたが、東京付近では、そういう自然は、もう見たくとも見られない。「菜の花や月は東に日は西に」「菜の花の中に城あり郡山」などいうのは、春げしきの中で、私が永久に保存したく思っている風景画である。

人に依ると、あの花の<ruby><rb>馨</rb><rt>かおり</rt></ruby>は、糞ッ臭いから、いやだと言うようだが、幸いに私の嗅覚は、それほど過敏でない故か、ちっとも苦にならないどころか、臭いからして、私はこの花が好きだ、梅の匂いのように上品でないかも知れないが、土臭いのが<ruby><rb>堪</rb><rt>た</rt></ruby>まらなくいい。

併しながら「亡び行く生物」の中に、この菜の花が、次第に加わるのではなかろうか、それとも都落ちの仲間に入って、次第に我等の付近から、影を隠してしまうのではあるまいか、場末の<ruby><rb>旅籠</rb><rt>はたご</rt></ruby>屋などで、食膳の漬け菜の中から、菜の花の<ruby><rb>蕾</rb><rt>つぼみ</rt></ruby>が交って出ることがあるが、偶然だけに、どんなにか私を悦ばすことだろう。

私の机上には、有り合せの玻璃瓶に、菜の花が投げ込んである、これは弟に捜させて、採って来たものである、<ruby><rb>天鵞絨</rb><rt>ビロード</rt></ruby>のように、手障りの柔らかな青い葉が、互い違いになって、柱のような茎を取りまいて居る、此柱の頭から、<ruby><rb>莟</rb><rt>つぼ</rt></ruby>みが花傘なりに<ruby><rb>簇</rb><rt>むら</rt></ruby>がって、<ruby><rb>蛹虫</rb><rt>さなぎむし</rt></ruby>の甲羅のように、小さく青く円くなっている。莟みの集団の下から、房になった黄色い四弁花が、いま電燈の蒼い光にきらびやかに匂っている、茎は一皮下には、青い血が通っているのではないかと思われるほど透き通って、<ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>らゆる春の緑の中で、最も練り抜かれた緑である、見つめていると、早春の名残といったような淡い哀愁に加えて、物の末期の惨酷を思わせる姿である。

それにしても、我家の庭に、菜の花の畠が欲しい。