Soranoha

女の顔

おんなのかお

黒田 清輝

その時代によつて多少の相異はあるがクラシツクの方では正しい形を美の標準としてゐる。然し私には、このクラシツクの方でいふ正しい形は、どうも厳格すぎるやうな感じがする。

即ちこれを日本人に応用すると混血児あひのこになつてしまふ。嫌ひといふではないが絵にするには少し申分がある。眼のパツチリした、鼻の高い、所謂世間で云ふ美人は、どうも固すぎると思ふ。

と云つて又、口元に大変愛嬌があるとか、苦にがみばしつてゐるとかいふやうな、特に表情の著しい顔は好かない。一口に云ふと、薄ぼんやりした顔が好きです。

目の細い、生際はへぎはや眉がキツパリと塗つたやうに濃い顔はいけない。鼻筋の通りすぎたのも却つてよくない。中肉中背といふことも勿論程度問題ではあるが、どちらかといへば、中背は少し高い位、中肉は少し優形の方がいゝと思ふ。つまりスラツとした姿の美しい女がいゝ。

この絵は、ルネツサンス時代のフロオレンスの絵画によくあるやうな上品なスツキリとした優美――意気でない、野暮な優しさを描かうと思つて、頸なぞも思ひ切つて長くし、髪なども態わざと或る時代を現す一定の型に結はさないで、顔の輪郭なども出来るだけ自分の考へてゐるやうに直したが、どうも十分には私の心持ちが現れなかつた。

然し嬉しいとか、悲しいとかの表情のない処までは行つたと思ふ。難を云へば、顔が一体に行き詰つてゐるかと思ふ。優しみといふ点も欠けてゐる。品が十分でない。私としては、モウ少し間の抜けた上品な処がほしかつた。

一体に東京の女は顎が短くつていけない。尤もあまり長過ぎても困るが、どちらかと云へば少し長い位なのがいい。京都には、態と表情を殺してゐるやうな女がよくあるが、あれは中々いゝと思ふ。(画並談)

底本 / Source edition

底本:「日本の名随筆40 顔」作品社
1986(昭和61)年2月25日第1刷発行
1989(平成元)年10月31日第7刷発行
底本の親本:「絵画の将来」中央公論美術出版
1983(昭和58)年6月
入力:渡邉 つよし
校正:門田裕志
2002年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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黒田 清輝「女の顔──私の好きな」(新字旧仮名)、底本『日本の名随筆40 顔』作品社、1986年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 001425_000257, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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