<ruby><rb>多摩川</rb><rt>たまがわ</rt></ruby>の<ruby><rb>二子</rb><rt>ふたこ</rt></ruby>の渡しをわたって少しばかり行くと<ruby><rb>溝口</rb><rt>みぞのくち</rt></ruby>という宿場がある。その中ほどに<ruby><rb>亀屋</rb><rt>かめや</rt></ruby>という<ruby><rb>旅人宿</rb><rt>はたごや</rt></ruby>がある。ちょうど三月の初めのころであった、この日は大空かき曇り北風強く吹いて、さなきだにさびしいこの町が一段と物さびしい<ruby><rb>陰鬱</rb><rt>いんうつ</rt></ruby>な寒そうな光景を呈していた。<ruby><rb>昨日</rb><rt>きのう</rt></ruby>降った雪がまだ残っていて高低定まらぬ<ruby><rb>茅屋根</rb><rt>わらやね</rt></ruby>の南の軒先からは<ruby><rb>雨滴</rb><rt>あまだれ</rt></ruby>が風に吹かれて舞うて落ちている。<ruby><rb>草鞋</rb><rt>わらじ</rt></ruby>の<ruby><rb>足痕</rb><rt>あしあと</rt></ruby>にたまった泥水にすら寒そうな<ruby><rb>漣</rb><rt>さざなみ</rt></ruby>が立っている。日が暮れると間もなく大概の店は戸を<ruby><rb>閉</rb><rt>し</rt></ruby>めてしまった。<ruby><rb>闇</rb><rt>くら</rt></ruby>い<ruby><rb>一筋町</rb><rt>ひとすじまち</rt></ruby>がひっそりとしてしまった。<ruby><rb>旅人宿</rb><rt>はたごや</rt></ruby>だけに亀屋の店の<ruby><rb>障子</rb><rt>しょうじ</rt></ruby>には<ruby><rb>燈火</rb><rt>あかり</rt></ruby>が<ruby><rb>明</rb><rt>あか</rt></ruby>く<ruby><rb>射</rb><rt>さ</rt></ruby>していたが、<ruby><rb>今宵</rb><rt>こよい</rt></ruby>は客もあまりないと見えて内もひっそりとして、おりおり<ruby><rb>雁頸</rb><rt>がんくび</rt></ruby>の太そうな<ruby><rb>煙管</rb><rt>きせる</rt></ruby>で<ruby><rb>火鉢</rb><rt>ひばち</rt></ruby>の<ruby><rb>縁</rb><rt>ふち</rt></ruby>をたたく音がするばかりである。

<ruby><rb>突然</rb><rt>だしぬけ</rt></ruby>に障子をあけて<ruby><rb>一人</rb><rt>ひとり</rt></ruby>の男がのっそり<ruby><rb>入</rb><rt>はい</rt></ruby>ッて来た。長火鉢に寄っかかッて<ruby><rb>胸算用</rb><rt>むなさんよう</rt></ruby>に余念もなかった<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>が驚いてこちらを向く暇もなく、広い<ruby><rb>土間</rb><rt>どま</rt></ruby>を<ruby><rb>三歩</rb><rt>みあし</rt></ruby>ばかりに<ruby><rb>大股</rb><rt>おおまた</rt></ruby>に歩いて、<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>の鼻先に突ったッた男は年ごろ三十にはまだ二ツ三ツ足らざるべく、洋服、<ruby><rb>脚絆</rb><rt>きゃはん</rt></ruby>、<ruby><rb>草鞋</rb><rt>わらじ</rt></ruby>の<ruby><rb>旅装</rb><rt>なり</rt></ruby>で鳥打ち帽をかぶり、右の手に<ruby><rb>蝙蝠傘</rb><rt>こうもり</rt></ruby>を携え、左に小さな<ruby><rb>革包</rb><rt>かばん</rt></ruby>を持ってそれをわきに抱いていた。

『一晩厄介になりたい。』

<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>は客の<ruby><rb>風采</rb><rt>みなり</rt></ruby>を<ruby><rb>視</rb><rt>み</rt></ruby>ていてまだ何とも言わない、その時奥で手の鳴る音がした。

『六番でお手が鳴るよ。』

ほえるような声で<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>は叫んだ。

『どちらさまでございます。』

<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>は火鉢に寄っかかったままで問うた。客は肩をそびやかしてちょっと顔をしがめたが、たちまち口の<ruby><rb>辺</rb><rt>ほとり</rt></ruby>に<ruby><rb>微笑</rb><rt>ほほえみ</rt></ruby>をもらして、

『僕か、僕は東京。』

『それでどちらへお越しでございますナ。』

『八王子へ行くのだ。』

と答えて客はそこに腰を掛け<ruby><rb>脚絆</rb><rt>きゃはん</rt></ruby>の<ruby><rb>緒</rb><rt>ひも</rt></ruby>を解きにかかった。

『<ruby><rb>旦那</rb><rt>だんな</rt></ruby>、東京から八王子なら道が変でございますねエ。』

<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>は不審そうに客のようすを今さらのようにながめて、何か言いたげな口つきをした。客はすぐ気が付いた。

『いや僕は東京だが、<ruby><rb>今日</rb><rt>きょう</rt></ruby>東京から来たのじゃアない、今日は<ruby><rb>晩</rb><rt>おそ</rt></ruby>くなって川崎を<ruby><rb>出発</rb><rt>たっ</rt></ruby>て来たからこんなに暮れてしまったのさ、ちょっと湯をおくれ。』

『早くお湯を持って来ないか。ヘエ随分今日はお寒かったでしょう、八王子の方はまだまだ寒うございます。』

という<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>の言葉は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あいそ</span>があっても一体の<ruby><rb>風</rb><rt>ふう</rt></ruby>つきはきわめて<ruby><rb>無愛嬌</rb><rt>ぶあいきょう</rt></ruby>である。年は六十ばかり、<ruby><rb>肥満</rb><rt>ふと</rt></ruby>った<ruby><rb>体躯</rb><rt>からだ</rt></ruby>の上に綿の多い<ruby><rb>半纒</rb><rt>はんてん</rt></ruby>を着ているので肩からじきに太い頭が出て、幅の広い<ruby><rb>福々</rb><rt>ふくぶく</rt></ruby>しい顔の<ruby><rb>目</rb><rt>まな</rt></ruby>じりが下がっている。それでどこかに気むずかしいところが見えている。しかし正直なお<ruby><rb>爺</rb><rt>やじ</rt></ruby>さんだなと客はすぐ思った。

客が足を洗ッてしまッて、まだふききらぬうち、<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>は、

『七番へご案内申しな！』

と怒鳴ッた。それぎりで客へは何の<ruby><rb>挨拶</rb><rt>あいさつ</rt></ruby>もしない、その後ろ姿を見送りもしなかった。真っ黒な<ruby><rb>猫</rb><rt>ねこ</rt></ruby>が<ruby><rb>厨房</rb><rt>くりや</rt></ruby>の方から来て、そッと<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>の高い<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>の上にはい上がって丸くなった。<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>はこれを知っているのかいないのか、じっと目をふさいでいる。しばらくすると、右の手が<ruby><rb>煙草箱</rb><rt>たばこいれ</rt></ruby>の方へ動いてその太い指が煙草を丸めだした。

『六番さんのお<ruby><rb>浴湯</rb><rt>ゆ</rt></ruby>がすんだら七番のお客さんをご案内申しな！』

膝の猫がびっくりして飛び<ruby><rb>下</rb><rt>お</rt></ruby>りた。

『ばか！　<ruby><rb>貴様</rb><rt>きさま</rt></ruby>に言ったのじゃないわ。』

猫はあわてて<ruby><rb>厨房</rb><rt>くりや</rt></ruby>の方へ駆けていってしまった。柱時計がゆるやかに八時を打った。

『お<ruby><rb>婆</rb><rt>ばあ</rt></ruby>さん、吉蔵が眠そうにしているじゃあないか、早く<ruby><rb>被中炉</rb><rt>あんか</rt></ruby>を入れてやってお寝かしな、かわいそうに。』

<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>の声の方が眠そうである、<ruby><rb>厨房</rb><rt>くりや</rt></ruby>の方で、

『吉蔵はここで本を<ruby><rb>復習</rb><rt>さらっ</rt></ruby>ていますじゃないかね。』

お<ruby><rb>婆</rb><rt>ばあ</rt></ruby>さんの声らしかった。

『そうかな。吉蔵もうお寝よ、朝早く起きてお<ruby><rb>復習</rb><rt>さら</rt></ruby>いな。お婆さん早く<ruby><rb>被中炉</rb><rt>あんか</rt></ruby>を入れておやんな。』

『今すぐ入れてやりますよ。』

勝手の方で<ruby><rb>下婢</rb><rt>かひ</rt></ruby>とお婆さんと顔を見合わしてくすくすと笑った。店の方で大きなあくびの声がした。

『自分が眠いのだよ。』

五十を五つ六つ越えたらしい小さな老母が<ruby><rb>煤</rb><rt>くす</rt></ruby>ぶった<ruby><rb>被中炉</rb><rt>あんか</rt></ruby>に火を入れながらつぶやいた。

店の障子が風に吹かれてがたがたすると思うとパラパラと雨を吹きつける音が<ruby><rb>微</rb><rt>かす</rt></ruby>かにした。

『もう店の戸を引き寄せて置きな、』と<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>は怒鳴って、舌打ちをして、

『また降って来やあがった。』

と<ruby><rb>独言</rb><rt>ひとりごと</rt></ruby>のようにつぶやいた。なるほど風が<ruby><rb>大分</rb><rt>だいぶ</rt></ruby>強くなって雨さえ降りだしたようである。

春先とはいえ、寒い寒い<ruby><rb>霙</rb><rt>みぞれ</rt></ruby>まじりの風が広い<ruby><rb>武蔵野</rb><rt>むさしの</rt></ruby>を荒れに荒れて<ruby><rb>終夜</rb><rt>よもすがら</rt></ruby>、<ruby><rb>真</rb><rt>ま</rt></ruby>っ<ruby><rb>闇</rb><rt>くら</rt></ruby>な<ruby><rb>溝口</rb><rt>みぞのくち</rt></ruby>の町の上をほえ狂った。

七番の座敷では十二時過ぎてもまだランプが<ruby><rb>耿々</rb><rt>こうこう</rt></ruby>と輝いている。亀屋で起きている者といえばこの座敷の真ん中で、差し向かいで話している二人の客ばかりである。<ruby><rb>戸外</rb><rt>そと</rt></ruby>は風雨の声いかにもすさまじく、雨戸が絶えず鳴っていた。

『この模様では<ruby><rb>明日</rb><rt>あした</rt></ruby>のお立ちは無理ですぜ。』

と一人が相手の顔を見て言った。これは六番の客である。

『何、別に用事はないのだから<ruby><rb>明日</rb><rt>あした</rt></ruby>一日くらいここで暮らしてもいいんです。』

二人とも顔を赤くして鼻の先を光らしている。そばの<ruby><rb>膳</rb><rt>ぜん</rt></ruby>の上には<ruby><rb>煖陶</rb><rt>かんびん</rt></ruby>が三本乗っていて、<ruby><rb>杯</rb><rt>さかずき</rt></ruby>には酒が残っている。二人とも心地よさそうに<ruby><rb>体</rb><rt>からだ</rt></ruby>をくつろげて、あぐらをかいて、火鉢を中にして煙草を吹かしている、六番の客は<ruby><rb>袍巻</rb><rt>かいまき</rt></ruby>の<ruby><rb>袖</rb><rt>そで</rt></ruby>から白い腕を<ruby><rb>臂</rb><rt>ひじ</rt></ruby>まで出して巻煙草の灰を落としては、<ruby><rb>喫</rb><rt>す</rt></ruby>っている。二人の話しぶりはきわめて卒直であるものの<ruby><rb>今宵</rb><rt>こよい</rt></ruby>初めてこの<ruby><rb>宿舎</rb><rt>やど</rt></ruby>で出合って、何かの<ruby><rb>口緒</rb><rt>いとぐち</rt></ruby>から、二口三口<ruby><rb>襖越</rb><rt>ふすまご</rt></ruby>しの話があって、あまりのさびしさに六番の客から押しかけて来て、名刺の交換が済むや、酒を命じ、<ruby><rb>談話</rb><rt>はなし</rt></ruby>に実が入って来るや、いつしか丁寧な言葉と<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぞんざい</span>な言葉とを半混ぜに使うようになったものに違いない。

七番の客の名刺には<ruby><rb>大津弁二郎</rb><rt>おおつべんじろう</rt></ruby>とある、別に何の肩書きもない。六番の客の名刺には秋山松之助とあって、これも肩書きがない。

大津とはすなわち日が暮れて着いた洋服の男である。やせ<ruby><rb>形</rb><rt>がた</rt></ruby>な、すらりとして色の白いところは相手の秋山とはまるで違っている。秋山は二十五か六という年輩で、丸く肥えて赤ら顔で、目元に<ruby><rb>愛嬌</rb><rt>あいきょう</rt></ruby>があって、いつもにこにこしているらしい。大津は無名の文学者で、秋山は無名の画家で不思議にも同種類の青年がこの<ruby><rb>田舎</rb><rt>いなか</rt></ruby>の<ruby><rb>旅宿</rb><rt>はたごや</rt></ruby>で落ち合ったのであった。

『もう寝ようかねエ。随分<ruby><rb>悪口</rb><rt>あっこう</rt></ruby>も言いつくしたようだ。』

美術論から文学論から宗教論まで二人はかなり勝手にしゃべって、<ruby><rb>現今</rb><rt>いま</rt></ruby>の文学者や画家の大家を手ひどく批評して十一時が打ったのに気が付かなかったのである。

『まだいいさ。どうせ<ruby><rb>明日</rb><rt>あした</rt></ruby>はだめでしょうから夜通し話したってかまわないさ。』

画家の秋山はにこにこしながら言った。

『しかし<ruby><rb>何時</rb><rt>いくじ</rt></ruby>でしょう。』

と大津は投げ出してあった時計を見て、

『おやもう十一時過ぎだ。』

『どうせ徹夜でさあ。』

秋山は一向平気である。杯を見つめて、

『しかし君が眠けりゃあ寝てもいい。』

『眠くはちっともない、君が疲れているだろうと思ってさ。僕は<ruby><rb>今日</rb><rt>きょう</rt></ruby><ruby><rb>晩</rb><rt>おそ</rt></ruby>く川崎を立って三里半ばかしの道を歩いただけだから何ともないけれど。』

『なに僕だって何ともないさ、君が寝るならこれを借りていって読んで見ようと思うだけです。』

秋山は半紙十枚ばかりの原稿らしいものを取り上げた。その表紙には『忘れ得ぬ人々』と書いてある。

『それはほんとにだめですよ。つまり君の方でいうと鉛筆で書いたスケッチと<ruby><rb>同</rb><rt>おんな</rt></ruby>じことで<ruby><rb>他人</rb><rt>ひと</rt></ruby>にはわからないのだから。』

といっても大津は秋山の手からその原稿を取ろうとはしなかった。秋山は一枚二枚<ruby><rb>開</rb><rt>あ</rt></ruby>けて見てところどころ読んで見て、

『スケッチにはスケッチだけのおもしろ味があるから少し拝見したいねエ。』

『まアちょっと借して見たまえ。』

と大津は秋山の手から原稿を取って、ところどころあけて見ていたが、二人はしばらく無言であった。<ruby><rb>戸外</rb><rt>そと</rt></ruby>の風雨の声がこの時今さらのように二人の耳に入った。大津は自分の書いた原稿を見つめたままじっと耳を傾けて<ruby><rb>夢心地</rb><rt>ゆめごこち</rt></ruby>になった。

『こんな晩は君の領分だねエ。』

秋山の声は大津の耳に<ruby><rb>入</rb><rt>い</rt></ruby>らないらしい。返事もしないでいる。風雨の音を聞いているのか、原稿を見ているのか、はた遠く百里のかなたの人を<ruby><rb>憶</rb><rt>おも</rt></ruby>っているのか、秋山は心のうちで、大津の今の顔、今の目元はわが領分だなと思った。

『君がこれを読むよりか、僕がこの題で話した方がよさそうだ。どうです、君は<ruby><rb>聴</rb><rt>き</rt></ruby>きますか。この原稿はほんの<ruby><rb>大要</rb><rt>あらまし</rt></ruby>を書き止めて置いたのだから読んだってわからないからねエ。』

夢からさめたような目つきをして大津は目を秋山の方に転じた。

『詳しく話して聞かされるならなおのことさ。』

と秋山が大津の目を見ると、大津の目は少し涙にうるんでいて、異様な光を放っていた。

『僕はなるべく詳しく話すよ、おもしろくないと思ったら、遠慮なく注意してくれたまえ。その代わり僕も遠慮なく話すよ。なんだか僕の方で聞いてもらいたいような心持ちになって来たから妙じゃあないか。』

秋山は火鉢に炭をついで、<ruby><rb>鉄瓶</rb><rt>てつびん</rt></ruby>の中へ冷めた<ruby><rb>煖陶</rb><rt>かんびん</rt></ruby>を突っ込んだ。

『忘れ得ぬ人は必ずしも忘れてかなうまじき人にあらず、見たまえ僕のこの原稿の<ruby><rb>劈頭</rb><rt>へきとう</rt></ruby>第一に書いてあるのはこの句である。』

大津はちょっと秋山の前にその原稿を差しいだした。

『ね。それで僕はまずこの句の説明をしようと思う。そうすればおのずからこの文の題意がわかるだろうから。しかし君には大概わかっていると思うけれど。』

『そんなことを言わないで、ずんずんやりたまえよ。僕は世間の読者のつもりで聴いているから。失敬、横になって聴くよ。』

秋山は煙草をくわえて横になった。右の手で頭を<ruby><rb>支</rb><rt>ささ</rt></ruby>えて大津の顔を見ながら目元に微笑をたたえている。

『親とか子とかまたは<ruby><rb>朋友</rb><rt>ほうゆう</rt></ruby>知己そのほか自分の世話になった教師先輩のごときは、つまり単に忘れ得ぬ人とのみはいえない。忘れてかなうまじき人といわなければならない、そこでここに恩愛の契りもなければ義理もない、ほんの赤の他人であって、本来をいうと忘れてしまったところで人情をも義理をも欠かないで、しかもついに忘れてしまうことのできない人がある。世間一般の者にそういう人があるとは言わないが少なくとも僕にはある。恐らくは君にもあるだろう。』

秋山は黙ってうなずいた。

『僕が十九の<ruby><rb>歳</rb><rt>とし</rt></ruby>の春の<ruby><rb>半</rb><rt>なか</rt></ruby>ごろと記憶しているが、少し<ruby><rb>体躯</rb><rt>からだ</rt></ruby>の具合が悪いのでしばらく保養する気で東京の学校を<ruby><rb>退</rb><rt>ひ</rt></ruby>いて国へ帰る、その<ruby><rb>帰途</rb><rt>かえりみち</rt></ruby>のことであった。大阪から例の<ruby><rb>瀬戸内通</rb><rt>せとうちがよ</rt></ruby>いの汽船に乗って<ruby><rb>春海</rb><rt>しゅんかい</rt></ruby>波平らかな<ruby><rb>内海</rb><rt>うちうみ</rt></ruby>を航するのであるが、ほとんど一昔も前の事であるから、僕もその時の乗合の客がどんな人であったやら、船長がどんな男であったやら、<ruby><rb>茶菓</rb><rt>ちゃか</rt></ruby>を運ぶボーイの顔がどんなであったやら、そんなことは少しも<ruby><rb>憶</rb><rt>おぼ</rt></ruby>えていない。多分僕に茶を<ruby><rb>注</rb><rt>つ</rt></ruby>いでくれた客もあったろうし、甲板の上でいろいろと話しかけた人もあったろうが、何にも記憶に止まっていない。

『ただその時は健康が思わしくないからあまり浮き浮きしないで物思いに沈んでいたに違いない。絶えず甲板の上に<ruby><rb>出</rb><rt>い</rt></ruby>で<ruby><rb>将来</rb><rt>ゆくすえ</rt></ruby>の夢を描いてはこの世における人の身の上のことなどを思いつづけていたことだけは記憶している。もちろん若いものの癖でそれも不思議はないが。そこで僕は、春の日ののどかな光が油のような海面に<ruby><rb>融</rb><rt>と</rt></ruby>けほとんど<ruby><rb>漣</rb><rt>さざなみ</rt></ruby>も立たぬ中を船の<ruby><rb>船首</rb><rt>へさき</rt></ruby>が心地よい音をさせて水を切って進行するにつれて、<ruby><rb>霞</rb><rt>かすみ</rt></ruby>たなびく島々を迎えては送り、<ruby><rb>右舷</rb><rt>うげん</rt></ruby><ruby><rb>左舷</rb><rt>さげん</rt></ruby>の<ruby><rb>景色</rb><rt>けしき</rt></ruby>をながめていた。菜の花と麦の青葉とで<ruby><rb>錦</rb><rt>にしき</rt></ruby>を敷いたような島々がまるで霞の奥に浮いているように見える。そのうち船がある小さな島を右舷に見てその<ruby><rb>磯</rb><rt>いそ</rt></ruby>から十町とは離れないところを通るので僕は欄に寄り<ruby><rb>何心</rb><rt>なにげ</rt></ruby>なくその島をながめていた。山の根がたのかしこここに背の低い松が<ruby><rb>小杜</rb><rt>こもり</rt></ruby>を作っているばかりで、見たところ<ruby><rb>畑</rb><rt>はた</rt></ruby>もなく家らしいものも見えない。しんとしてさびしい磯の<ruby><rb>退潮</rb><rt>ひきしお</rt></ruby>の<ruby><rb>痕</rb><rt>あと</rt></ruby>が日に<ruby><rb>輝</rb><rt>ひか</rt></ruby>って、小さな波が<ruby><rb>水際</rb><rt>みぎわ</rt></ruby>をもてあそんでいるらしく長い<ruby><rb>線</rb><rt>すじ</rt></ruby>が<ruby><rb>白刃</rb><rt>しらは</rt></ruby>のように光っては消えている。<ruby><rb>無人島</rb><rt>むにんとう</rt></ruby>でない事はその山よりも高い空で<ruby><rb>雲雀</rb><rt>ひばり</rt></ruby>が<ruby><rb>啼</rb><rt>な</rt></ruby>いているのが<ruby><rb>微</rb><rt>かす</rt></ruby>かに聞こえるのでわかる。田畑ある島と知れけりあげ雲雀、これは僕の<ruby><rb>老父</rb><rt>おやじ</rt></ruby>の句であるが、山のむこうには人家があるに相違ないと僕は思うた。と見るうち<ruby><rb>退潮</rb><rt>ひきしお</rt></ruby>の<ruby><rb>痕</rb><rt>あと</rt></ruby>の日に<ruby><rb>輝</rb><rt>ひか</rt></ruby>っているところに一人の人がいるのが目についた。たしかに男である、また<ruby><rb>小供</rb><rt>こども</rt></ruby>でもない。何かしきりに拾っては<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>か<ruby><rb>桶</rb><rt>おけ</rt></ruby>かに入れているらしい。<ruby><rb>二三歩</rb><rt>ふたあしみあし</rt></ruby>あるいては<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しゃがみ</span>、そして何か拾っている。自分はこのさびしい島かげの小さな磯を<ruby><rb>漁</rb><rt>あさ</rt></ruby>っているこの人をじっとながめていた。船が進むにつれて人影が黒い点のようになってしまった、そのうち磯も山も島全体が<ruby><rb>霞</rb><rt>かすみ</rt></ruby>のかなたに消えてしまった。その後<ruby><rb>今日</rb><rt>きょう</rt></ruby>が日までほとんど十年の間、僕は何度この島かげの顔も知らないこの人を<ruby><rb>憶</rb><rt>おも</rt></ruby>い起こしたろう。これが僕の「忘れ得ぬ人々」の一人である。

『その次は今から五年ばかり以前、正月<ruby><rb>元旦</rb><rt>がんたん</rt></ruby>を父母の<ruby><rb>膝下</rb><rt>ひざもと</rt></ruby>で祝ってすぐ九州旅行に出かけて、<ruby><rb>熊本</rb><rt>くまもと</rt></ruby>から<ruby><rb>大分</rb><rt>おおいた</rt></ruby>へと九州を横断した時のことであった。

『僕は朝早く弟と共に<ruby><rb>草鞋</rb><rt>わらじ</rt></ruby><ruby><rb>脚絆</rb><rt>きゃはん</rt></ruby>で元気よく熊本を<ruby><rb>出発</rb><rt>た</rt></ruby>った。その日はまだ日が高いうちに<ruby><rb>立野</rb><rt>たての</rt></ruby>という宿場まで歩いてそこに一泊した。次の日のまだ登らないうち立野を立って、かねての願いで、<ruby><rb>阿蘇山</rb><rt>あそさん</rt></ruby>の<ruby><rb>白煙</rb><rt>はくえん</rt></ruby>を目がけて霜を踏み桟橋を渡り、路を間違えたりしてようやく<ruby><rb>日中</rb><rt>おひる</rt></ruby>時分に絶頂近くまで登り、噴火口に達したのは一時過ぎでもあッただろうか。熊本地方は温暖であるがうえに、風のないよく晴れた日だから、冬ながら六千尺の高山もさまでは寒く感じない。<ruby><rb>高嶽</rb><rt>たかたけ</rt></ruby>の<ruby><rb>絶頂</rb><rt>いただき</rt></ruby>は噴火口から吐き出す水蒸気が凝って白くなっていたがそのほかは満山ほとんど雪を見ないで、ただ枯れ草白く風にそよぎ、焼け土のあるいは赤きあるいは黒きが旧噴火口の<ruby><rb>名残</rb><rt>なごり</rt></ruby>をかしこここに止めて<ruby><rb>断崖</rb><rt>だんがい</rt></ruby>をなし、その荒涼たる、光景は、筆も口もかなわない、これを描くのはまず君の領分だと思う。

『僕らは一度噴火口の<ruby><rb>縁</rb><rt>ふち</rt></ruby>まで登って、しばらくはすさまじい穴をのぞき込んだり四方の大観をほしいままにしたりしていたが、さすがに<ruby><rb>頂</rb><rt>いただき</rt></ruby>は風が寒くってたまらないので、穴から少し<ruby><rb>下</rb><rt>お</rt></ruby>りると阿蘇神社があるそのそばに小さな小屋があって番茶くらいはのませてくれる、そこへ逃げ込んで<ruby><rb>団飯</rb><rt>むすび</rt></ruby>をかじって元気をつけて、また噴火口まで登った。

『その時は日がもうよほど傾いて肥後の<ruby><rb>平野</rb><rt>へいや</rt></ruby>を立てこめている<ruby><rb>霧靄</rb><rt>もや</rt></ruby>が焦げて赤くなってちょうどそこに見える旧噴火口の断崖と同じような色に染まった。<ruby><rb>円錐形</rb><rt>えんすいけい</rt></ruby>にそびえて高く群峰を抜く九重嶺の<ruby><rb>裾野</rb><rt>すその</rt></ruby>の高原数里の枯れ草が一面に<ruby><rb>夕陽</rb><rt>せきよう</rt></ruby>を帯び、空気が水のように澄んでいるので人馬の行くのも見えそうである。天地<ruby><rb>寥廓</rb><rt>りょうかく</rt></ruby>、しかも足もとではすさまじい響きをして白煙<ruby><rb>濛々</rb><rt>もうもう</rt></ruby>と立ちのぼりまっすぐに空を<ruby><rb>衝</rb><rt>つ</rt></ruby>き急に折れて<ruby><rb>高嶽</rb><rt>たかたけ</rt></ruby>を<ruby><rb>掠</rb><rt>かす</rt></ruby>め天の一方に消えてしまう。壮といわんか美といわんか<ruby><rb>惨</rb><rt>さん</rt></ruby>といわんか、僕らは黙ったまま一<ruby><rb>言</rb><rt>ごん</rt></ruby>も出さないでしばらく石像のように立っていた。この時天地<ruby><rb>悠々</rb><rt>ゆうゆう</rt></ruby>の感、人間存在の不思議の念などが心の底からわいて来るのは自然のことだろうと思う。

『ところでもっとも僕らの感を<ruby><rb>惹</rb><rt>ひ</rt></ruby>いたものは九重嶺と阿蘇山との間の<ruby><rb>一大窪地</rb><rt>いちだいくぼち</rt></ruby>であった。これはかねて世界最大の噴火口の旧跡と聞いていたがなるほど、九重嶺の高原が急に<ruby><rb>頽</rb><rt>おち</rt></ruby>こんでいて数里にわたる絶壁がこの窪地の西を<ruby><rb>回</rb><rt>めぐ</rt></ruby>っているのが眼下によく見える。<ruby><rb>男体山麓</rb><rt>なんたいさんろく</rt></ruby>の噴火口は<ruby><rb>明媚幽邃</rb><rt>めいびゆうすい</rt></ruby>の中禅寺湖と変わっているがこの大噴火口はいつしか五穀実る数千町歩の田園とかわって村落幾個の樹林や麦畑が今しも斜陽静かに輝いている。僕らがその夜、疲れた足を踏みのばして罪のない夢を結ぶを楽しんでいる<ruby><rb>宮地</rb><rt>みやじ</rt></ruby>という宿駅もこの窪地にあるのである。

『いっそのこと山上の小屋に一泊して噴火の夜の光景を見ようかという説も二人の間に出たが、先が急がれるのでいよいよ山を下ることに決めて宮地を<ruby><rb>指</rb><rt>さ</rt></ruby>して<ruby><rb>下</rb><rt>お</rt></ruby>りた。<ruby><rb>下</rb><rt>くだ</rt></ruby>りは登りよりかずっと<ruby><rb>勾配</rb><rt>こうばい</rt></ruby>が<ruby><rb>緩</rb><rt>ゆる</rt></ruby>やかで、山の尾や谷間の枯れ草の間を<ruby><rb>蛇</rb><rt>へび</rt></ruby>のようにうねっている路をたどって急ぐと、村に近づくにつれて枯れ草を着けた馬をいくつか<ruby><rb>逐</rb><rt>お</rt></ruby>いこした。あたりを見るとかしこここの山の尾の<ruby><rb>小路</rb><rt>こみち</rt></ruby>をのどかな鈴の音夕陽を帯びて人馬いくつとなく<ruby><rb>麓</rb><rt>ふもと</rt></ruby>をさして帰りゆくのが数えられる、馬はどれもみな枯れ草を着けている。麓はじきそこに見えていても容易には村へ出ないので、日は暮れかかるし僕らは大急ぎに急いでしまいには走って下りた。

『村に出た時はもう日が暮れて<ruby><rb>夕闇</rb><rt>ゆうやみ</rt></ruby>ほのぐらいころであった。村の夕暮れの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">にぎわい</span>は格別で、壮年<ruby><rb>男女</rb><rt>なんにょ</rt></ruby>は一日の仕事の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しまい</span>に忙しく子供は薄暗い<ruby><rb>垣根</rb><rt>かきね</rt></ruby>の陰や<ruby><rb>竈</rb><rt>かまど</rt></ruby>の火の見える軒先に集まって笑ったり歌ったり泣いたりしている、これはどこの<ruby><rb>田舎</rb><rt>いなか</rt></ruby>も同じことであるが、僕は荒涼たる阿蘇の草原から駆け下りて突然、この<ruby><rb>人寰</rb><rt>じんかん</rt></ruby>に投じた時ほど、これらの光景に<ruby><rb>搏</rb><rt>う</rt></ruby>たれたことはない。二人は疲れた足をひきずって、日暮れて<ruby><rb>路</rb><rt>みち</rt></ruby>遠きを感じながらも、<ruby><rb>懐</rb><rt>なつ</rt></ruby>かしいような心持ちで宮地を<ruby><rb>今宵</rb><rt>こよい</rt></ruby>の当てに歩いた。

『一<ruby><rb>村</rb><rt>むら</rt></ruby>離れて林や<ruby><rb>畑</rb><rt>はた</rt></ruby>の間をしばらく行くと日はとっぷり暮れて二人の影がはっきりと地上に印するようになった。振り向いて西の空を仰ぐと阿蘇の分派の一峰の右に新月がこの窪地一帯の村落を<ruby><rb>我物顔</rb><rt>わがものがお</rt></ruby>に澄んで<ruby><rb>蒼味</rb><rt>あおみ</rt></ruby>がかった水のような光を放っている。二人は気がついてすぐ頭の上を仰ぐと、昼間は真っ白に立ちのぼる噴煙が月の光を受けて灰色に染まって<ruby><rb>碧瑠璃</rb><rt>へきるり</rt></ruby>の大空を<ruby><rb>衝</rb><rt>つ</rt></ruby>いているさまが、いかにもすさまじくまた美しかった。長さよりも幅の方が長い橋にさしかかったから、幸いとその欄に<ruby><rb>倚</rb><rt>よ</rt></ruby>っかかって疲れきった足を休めながら二人は噴煙のさまのさまざまに変化するをながめたり、聞くともなしに村落の人語の遠くに聞こゆるを聞いたりしていた。すると二人が今来た道の方から<ruby><rb>空車</rb><rt>からぐるま</rt></ruby>らしい荷車の音が林などに反響して<ruby><rb>虚空</rb><rt>こくう</rt></ruby>に響き渡って次第に近づいて来るのが手に取るように聞こえだした。

『しばらくすると<ruby><rb>朗々</rb><rt>ほがらか</rt></ruby>な<ruby><rb>澄</rb><rt>す</rt></ruby>んだ声で流して歩く<ruby><rb>馬子唄</rb><rt>まごうた</rt></ruby>が空車の音につれて<ruby><rb>漸々</rb><rt>ぜんぜん</rt></ruby>と近づいて来た。僕は噴煙をながめたままで耳を傾けて、この声の近づくのを待つともなしに待っていた。

『人影が見えたと思うと「宮地ゃよいところじゃ阿蘇山ふもと」という<ruby><rb>俗謡</rb><rt>うた</rt></ruby>を長く引いてちょうど僕らが立っている橋の少し手前まで流して来たその<ruby><rb>俗謡</rb><rt>うた</rt></ruby>の<ruby><rb>意</rb><rt>こころ</rt></ruby>と悲壮な声とがどんなに僕の<ruby><rb>情</rb><rt>こころ</rt></ruby>を動かしたろう。二十四、五かと思われる屈強な<ruby><rb>壮漢</rb><rt>わかもの</rt></ruby>が<ruby><rb>手綱</rb><rt>たづな</rt></ruby>を<ruby><rb>牽</rb><rt>ひ</rt></ruby>いて僕らの方を見向きもしないで通ってゆくのを僕はじっとみつめていた。夕月の光を背にしていたからその横顔もはっきりとは知れなかったがそのたくましげな<ruby><rb>体躯</rb><rt>からだ</rt></ruby>の黒い輪郭が今も僕の目の底に残っている。

『僕は<ruby><rb>壮漢</rb><rt>わかもの</rt></ruby>の後ろ影をじっと見送って、そして阿蘇の噴煙を見あげた。「忘れ得ぬ人々」の一人はすなわちこの<ruby><rb>壮漢</rb><rt>わかもの</rt></ruby>である。

『その次は四国の三津が浜に一泊して汽船<ruby><rb>便</rb><rt>びん</rt></ruby>を待った時のことであった。夏の初めと記憶しているが僕は朝早く<ruby><rb>旅宿</rb><rt>やど</rt></ruby>を出て汽船の来るのは午後と聞いたのでこの港の浜や町を散歩した。奥に松山を控えているだけこの港の<ruby><rb>繁盛</rb><rt>はんじょう</rt></ruby>は格別で、分けても朝は<ruby><rb>魚市</rb><rt>うおいち</rt></ruby>が立つので魚市場の近傍の雑踏は非常なものであった。大空は<ruby><rb>名残</rb><rt>なごり</rt></ruby>なく晴れて朝日<ruby><rb>麗</rb><rt>うらら</rt></ruby>かに輝き、光る物には反射を与え、色あるものには光を添えて雑踏の光景をさらに<ruby><rb>殷々</rb><rt>にぎにぎ</rt></ruby>しくしていた。叫ぶもの呼ぶもの、笑声<ruby><rb>嬉々</rb><rt>きき</rt></ruby>としてここに起これば、歓呼<ruby><rb>怒罵</rb><rt>どば</rt></ruby>乱れてかしこにわくというありさまで、売るもの買うもの、<ruby><rb>老若男女</rb><rt>ろうにゃくなんにょ</rt></ruby>、いずれも忙しそうにおもしろそうにうれしそうに、駆けたり追ったりしている。<ruby><rb>露店</rb><rt>ろてん</rt></ruby>が並んで立ち食いの客を待っている。売っている<ruby><rb>品</rb><rt>もの</rt></ruby>は言わずもがなで、食ってる人は大概<ruby><rb>船頭</rb><rt>せんどう</rt></ruby><ruby><rb>船方</rb><rt>ふなかた</rt></ruby>の<ruby><rb>類</rb><rt>たぐい</rt></ruby>にきまっている。<ruby><rb>鯛</rb><rt>たい</rt></ruby>や<ruby><rb>比良目</rb><rt>ひらめ</rt></ruby>や<ruby><rb>海鰻</rb><rt>あなご</rt></ruby>や<ruby><rb>章魚</rb><rt>たこ</rt></ruby>が、そこらに投げ出してある。なまぐさい<ruby><rb>臭</rb><rt>にお</rt></ruby>いが人々の立ち騒ぐ<ruby><rb>袖</rb><rt>そで</rt></ruby>や<ruby><rb>裾</rb><rt>すそ</rt></ruby>にあおられて鼻を打つ。

『僕は全くの<ruby><rb>旅客</rb><rt>りょかく</rt></ruby>でこの土地には縁もゆかりもない身だから、知る顔もなければ見覚えの<ruby><rb>禿</rb><rt>は</rt></ruby>げ頭もない。そこで何となくこれらの光景が異様な感を起こさせて、世のさまを一段<ruby><rb>鮮</rb><rt>あざ</rt></ruby>やかにながめるような心地がした。僕はほとんど<ruby><rb>自己</rb><rt>おのれ</rt></ruby>をわすれてこの雑踏の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>をぶらぶらと歩き、やや物静かなる<ruby><rb>街</rb><rt>ちまた</rt></ruby>の<ruby><rb>一端</rb><rt>はし</rt></ruby>に出た。

『するとすぐ僕の耳に入ったのは<ruby><rb>琵琶</rb><rt>びわ</rt></ruby>の<ruby><rb>音</rb><rt>ね</rt></ruby>であった。そこの店先に一人の琵琶僧が立っていた。<ruby><rb>歳</rb><rt>とし</rt></ruby>のころ四十を五ツ六ツも越えたらしく、幅の広い四角な顔の<ruby><rb>丈</rb><rt>たけ</rt></ruby>の低い肥えた<ruby><rb>漢子</rb><rt>おとこ</rt></ruby>であった。その顔の色、その目の光はちょうど悲しげな琵琶の音にふさわしく、あの<ruby><rb>咽</rb><rt>むせ</rt></ruby>ぶような糸の音につれて<ruby><rb>謡</rb><rt>うた</rt></ruby>う声が沈んで濁って<ruby><rb>淀</rb><rt>よど</rt></ruby>んでいた。<ruby><rb>巷</rb><rt>ちまた</rt></ruby>の人は一人もこの僧を顧みない、家々の者はたれもこの琵琶に耳を傾けるふうも見せない。朝日は輝く浮世はせわしい。

『しかし僕はじっとこの琵琶僧をながめて、その琵琶の音に耳を傾けた。この道幅の狭い<ruby><rb>軒端</rb><rt>のきば</rt></ruby>のそろわない、しかもせわしそうな<ruby><rb>巷</rb><rt>ちまた</rt></ruby>の光景がこの琵琶僧とこの琵琶の音とに調和しないようでしかもどこかに深い約束があるように感じられた。あの<ruby><rb>嗚咽</rb><rt>おえつ</rt></ruby>する琵琶の音が巷の軒から軒へと漂うて勇ましげな売り声や、かしましい<ruby><rb>鉄砧</rb><rt>かなしき</rt></ruby>の音と<ruby><rb>雑</rb><rt>ま</rt></ruby>ざって、別に一<ruby><rb>道</rb><rt>どう</rt></ruby>の清泉が<ruby><rb>濁波</rb><rt>だくは</rt></ruby>の間を<ruby><rb>潜</rb><rt>くぐ</rt></ruby>って流れるようなのを聞いていると、うれしそうな、浮き浮きした、おもしろそうな、忙しそうな顔つきをしている巷の人々の心の底の糸が自然の調べをかなでているように思われた、「忘れえぬ人々」の一人はすなわちこの琵琶僧である。』

ここまで話して来て大津は静かにその原稿を下に置いてしばらく考え込んでいた。<ruby><rb>戸外</rb><rt>そと</rt></ruby>の雨風の響きは少しも衰えない。秋山は起き直って、

『それから。』

『もうよそう、あまりふけるから。まだいくらもある。北海道<ruby><rb>歌志内</rb><rt>うたしな</rt></ruby>の鉱夫、<ruby><rb>大連</rb><rt>だいれん</rt></ruby>湾頭の青年漁夫、<ruby><rb>番匠川</rb><rt>ばんしょうがわ</rt></ruby>の<ruby><rb>瘤</rb><rt>こぶ</rt></ruby>ある<ruby><rb>舟子</rb><rt>ふなこ</rt></ruby>など僕が一々この原稿にあるだけを詳しく話すなら夜が明けてしまうよ。とにかく、僕がなぜこれらの人々を忘るることができないかという、それは<ruby><rb>憶</rb><rt>おも</rt></ruby>い起こすからである。なぜ僕が憶い起こすだろうか。僕はそれを君に話して見たいがね。

『要するに僕は絶えず人生の問題に苦しんでいながらまた自己将来の<ruby><rb>大望</rb><rt>たいもう</rt></ruby>に圧せられて自分で苦しんでいる<ruby><rb>不幸</rb><rt>ふしあわせ</rt></ruby>な男である。

『そこで僕は<ruby><rb>今夜</rb><rt>こよい</rt></ruby>のような晩に<ruby><rb>独</rb><rt>ひと</rt></ruby>り夜ふけて<ruby><rb>燈</rb><rt>ともしび</rt></ruby>に向かっているとこの生の孤立を感じて<ruby><rb>堪</rb><rt>た</rt></ruby>え難いほどの哀情を催して来る。その時僕の主我の<ruby><rb>角</rb><rt>つの</rt></ruby>がぼきり折れてしまって、なんだか<ruby><rb>人懐</rb><rt>ひとなつ</rt></ruby>かしくなって来る。いろいろの古い事や友の上を考えだす。その時<ruby><rb>油然</rb><rt>ゆぜん</rt></ruby>として僕の心に浮かんで来るのはすなわちこれらの人々である。そうでない、これらの人々を見た時の周囲の光景の<ruby><rb>裡</rb><rt>うち</rt></ruby>に立つこれらの人々である。われと他と何の相違があるか、みなこれこの生を天の一方地の一角に<ruby><rb>享</rb><rt>う</rt></ruby>けて<ruby><rb>悠々</rb><rt>ゆうゆう</rt></ruby>たる行路をたどり、相携えて無窮の天に帰る者ではないか、というような感が心の底から起こって来てわれ知らず涙が<ruby><rb>頬</rb><rt>ほお</rt></ruby>をつたうことがある。その時は実に<ruby><rb>我</rb><rt>われ</rt></ruby>もなければ<ruby><rb>他</rb><rt>ひと</rt></ruby>もない、ただたれもかれも懐かしくって、忍ばれて来る、

『僕はその時ほど心の平穏を感ずることはない、その時ほど自由を感ずることはない、その時ほど<ruby><rb>名利</rb><rt>めいり</rt></ruby>競争の俗念消えてすべての物に対する同情の念の深い時はない。

『僕はどうにかしてこの題目で僕の思う存分に書いて見たいと思うている。僕は天下必ず同感の士あることと信ずる。』

その後二年<ruby><rb>経</rb><rt>た</rt></ruby>った。

大津は<ruby><rb>故</rb><rt>ゆえ</rt></ruby>あって東北のある地方に住まっていた。<ruby><rb>溝口</rb><rt>みぞのくち</rt></ruby>の<ruby><rb>旅宿</rb><rt>やど</rt></ruby>で初めてあった秋山との交際は全く絶えた。ちょうど、大津が溝口に泊まった時の時候であったが、雨の降る晩のこと。大津は<ruby><rb>独</rb><rt>ひと</rt></ruby>り机に向かって<ruby><rb>瞑想</rb><rt>めいそう</rt></ruby>に沈んでいた。机の上には二年<ruby><rb>前</rb><rt>まえ</rt></ruby>秋山に示した原稿と同じの『忘れ得ぬ人々』が置いてあって、その最後に書き加えてあったのは『<ruby><rb>亀屋</rb><rt>かめや</rt></ruby>の<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>』であった。

『秋山』ではなかった。