第五の男は語る。

「唯今は『酉陽雑爼』と『宣室志』のお話がありました。そこで、わたくしには其の<ruby><rb>拾遺</rb><rt>しゅうい</rt></ruby>といったような意味で、唐代の怪談総まくりのようなものを話せという御注文ですが、これはなかなか大変でございます。とても短い時間に出来ることではありません。勿論、著名の物を少々ばかり紹介いたすに過ぎないと御承知ください。就きましては、まず『白猿伝』を申し上げます。この作者の名は伝わって居りません。唐に<ruby><rb>欧陽詢</rb><rt>おうようじゅん</rt></ruby>という大学者がありまして、後に<ruby><rb>渤海男</rb><rt>ぼっかいだん</rt></ruby>に<ruby><rb>封</rb><rt>ほう</rt></ruby>ぜられましたが、この人の顔が猿に似ているというので、或る人がいたずらにこんな伝奇を創作したのであって、本当に有った事ではないという説があります。しかし〈志怪の書〉について、その事実の有無を論議するのは、無用の弁に近いかとも思われます。ともかくも古来有名な物になって居りまして、かの<ruby><rb>頼光</rb><rt>らいこう</rt></ruby>の<ruby><rb>大江山</rb><rt>おおえやま</rt></ruby>入りなども恐らくこれが<ruby><rb>粉本</rb><rt>ふんぼん</rt></ruby>であろうと思われますから、事実の<ruby><rb>有無</rb><rt>うむ</rt></ruby>を問わず、ここに紹介することに致します。

そのほかには、<ruby><rb>原化記</rb><rt>げんかき</rt></ruby>、<ruby><rb>朝野僉載</rb><rt>ちょうやせんさい</rt></ruby>、<ruby><rb>博異記</rb><rt>はくいき</rt></ruby>、伝奇、<ruby><rb>広異記</rb><rt>こういき</rt></ruby>、<ruby><rb>幻異志</rb><rt>げんいし</rt></ruby>などから、面白そうな話を選んで申し上げたいと存じます。これらもみな有名の著作でありまして、一つ一つ独立して紹介するの価値があるのでございますが、あとがつかえて居りますから、そのなかで特色のあるお話を幾つか拾い出すにとどめて置きます。右あらかじめお含み置きください」

白猿伝

<ruby><rb>梁</rb><rt>りょう</rt></ruby>（<ruby><rb>六朝</rb><rt>りくちょう</rt></ruby>）の<ruby><rb>大同</rb><rt>だいどう</rt></ruby>の末年、平南将軍<ruby><rb>藺欽</rb><rt>りんきん</rt></ruby>をつかわして南方を征討せしめた。その軍は<ruby><rb>桂林</rb><rt>けいりん</rt></ruby>に至って、<ruby><rb>李師古</rb><rt>りしこ</rt></ruby>と<ruby><rb>陳徹</rb><rt>ちんてつ</rt></ruby>を撃破した。別将の<ruby><rb>欧陽紇</rb><rt>おうようこつ</rt></ruby>は各地を攻略して<ruby><rb>長楽</rb><rt>ちょうらく</rt></ruby>に至り、ことごとく諸洞の敵をたいらげて、深く<ruby><rb>険阻</rb><rt>けんそ</rt></ruby>の地に入り込んだ。

欧陽紇の妻は<ruby><rb>白面細腰</rb><rt>はくめんさいよう</rt></ruby>、世に優れたる美人であったので、部下の者は彼に注意した。

「将軍はなぜ麗人を同道して、こんな蕃地へ踏み込んでお<ruby><rb>出</rb><rt>い</rt></ruby>でになったのです。ここらの山の神は若い女をぬすむといいます。殊に美しい人はあぶのうございますから、よく気をお付けにならなければいけません」

紇はそれを聞いて甚だ不安になった。夜は兵をあつめて宿舎の周囲を守らせ、妻を室内に深く閉じ籠めて、<ruby><rb>下婢</rb><rt>かひ</rt></ruby>十余人を付き添わせて置くと、その夜は暗い風が吹いた。<ruby><rb>五更</rb><rt>ごこう</rt></ruby>（午前三時―五時）に至るまで<ruby><rb>寂然</rb><rt>せきぜん</rt></ruby>として物音もきこえないので、守る者も油断して<ruby><rb>仮寝</rb><rt>うたたね</rt></ruby>をしていると、たちまち何物かはいって来たらしいので驚いて眼をさますと、将軍の妻はすでに行くえ不明であった。<ruby><rb>扉</rb><rt>とびら</rt></ruby>はすべて閉じたままで、どこから出入りしたか判らない。門の外は<ruby><rb>嶮</rb><rt>けわ</rt></ruby>しい峰つづきで、眼さきも見えない闇夜にはどこへ追ってゆくすべもない。夜が明けても、そこらになんの手がかりも見いだされなかった。

紇の痛憤はいうまでもない。彼はこのままむなしく<ruby><rb>還</rb><rt>かえ</rt></ruby>らないと決心して、病いと称してここに軍を<ruby><rb>駐</rb><rt>とど</rt></ruby>め、毎日四方を駈けめぐって険阻の奥まで探り明かした。こうしてひと月あまりを経たるのち、百里（六丁一里）ほどを隔てた竹藪で妻の<ruby><rb>繍履</rb><rt>ぬいぐつ</rt></ruby>の片足を見付け出した。雨に<ruby><rb>湿</rb><rt>ぬ</rt></ruby>れ朽ちてはいたが、確かにそれと認められたので、紇はいよいよ悲しみ怒って、そのゆくえ捜索の決心をますます固めた。

彼は三十人の壮士をすぐって、武器をたずさえ、糧食を背負い、<ruby><rb>巌窟</rb><rt>がんくつ</rt></ruby>に<ruby><rb>寝</rb><rt>い</rt></ruby>ね、野原で食事をして、十日あまりも進むうちに、宿舎を去ること二百里、南のかたに一つの山を認めた。山は青く<ruby><rb>秀</rb><rt>ひい</rt></ruby>でて、その下には深い<ruby><rb>渓</rb><rt>たに</rt></ruby>をめぐらしていた。一行は木を編んで、嶮しい巌や<ruby><rb>翠</rb><rt>あお</rt></ruby>い竹のあいだを渡り越えると、時に紅い<ruby><rb>衣</rb><rt>きもの</rt></ruby>が見えたり、笑い声がきこえたりした。

<ruby><rb>蔦</rb><rt>つた</rt></ruby>かずらを<ruby><rb>攀</rb><rt>よ</rt></ruby>じて登り着くと、そこには良い樹を植えならべて、そのあいだには名花も咲いている。緑の草がやわらかに伸びて、さながら<ruby><rb>毛氈</rb><rt>もうせん</rt></ruby>を敷いたようにも見える。あたりは清く静けく、一種の別天地である。

路を東にとって石門にむかうと、婦女数十人、いずれも鮮麗の衣服を着て歌いたわむれていたが、紇の一行を見てみな躊躇するようにたたずんでいた。やがて近づくと、かれらは一行にむかって、なにしに来たかと<ruby><rb>訊</rb><rt>き</rt></ruby>いた。紇は事情をつまびらかに打ち明けると、女たちは顔をみあわせて嘆息した。

「あなたの奥さんはひと月ほど前からここに来ておいでですが、今は病気で寝ておられます。来てごらんなさい」

門をはいると、木の扉がある。内は<ruby><rb>寛</rb><rt>ひろ</rt></ruby>くて、座敷のようなものが三、四室ある。壁に沿うて<ruby><rb>床</rb><rt>とこ</rt></ruby>を設け、その床は綿に包まれている。紇の妻は石の<ruby><rb>榻</rb><rt>とう</rt></ruby>の上に寝ていたが、畳をかさね、<ruby><rb>茵</rb><rt>しとね</rt></ruby>をかさねて、結構な食物がたくさんに列べてあった。たがいに眼を見合わせると、妻は急に手を振って、夫に早く立ち去れという意を示した。

女たちは言った。

「奥さんはこの頃お出でですが、わたし達の中にはもう十年もここにいる者があります。ここは神霊ある物の棲む所で、自由に人を殺す力を持っています。百人の精兵でも、かれを取り押えることは出来ません。幸いに今は留守ですから、還らない間に早く立ち去るが好うございます。しかし<ruby><rb>美</rb><rt>い</rt></ruby>い酒二石と、食用の犬十匹と、麻数十<ruby><rb>斤</rb><rt>きん</rt></ruby>とを持ってお出でになれば、みんなが一致して彼を殺すことが出来ます。来るならば必ず正午ごろに来てください。それも直ぐに来てはなりません。十日を過ぎてお出でなさい」

それでは十日の後に再び来ると約束して、紇の一行は立ち帰った。それから美酒と犬と麻とを用意して、約束の時刻にたずねて行くと、女たちは待っていた。

「かれは酒が大好きで、酔うと力が満ちて来ると見えて、私たちに言いつけて<ruby><rb>綵糸</rb><rt>いろいと</rt></ruby>で自分のからだを<ruby><rb>牀</rb><rt>ゆか</rt></ruby>に縛り付けさせます。そうして、一つ<ruby><rb>跳</rb><rt>は</rt></ruby>ねあがると、糸は切れてしまうのです。しかし三本の糸をまき付けると、力が不足で切ることが出来ません。それですから、<ruby><rb>帛</rb><rt>きぬ</rt></ruby>のなかに麻を隠して置いて縛ったらば、おそらく切ることは出来まいと思われます。彼のからだはすべて鉄のようで刃物などは透りませんが、ただ<ruby><rb>臍</rb><rt>へそ</rt></ruby>のした五、六寸のところを大事そうに隠していますから、そこがきっと急所で、刃物を防ぐことが出来ないのであろうと察せられます」

女たちは更にかたわらの<ruby><rb>巌室</rb><rt>いわむろ</rt></ruby>を指さして教えた。

「そこは食物<ruby><rb>庫</rb><rt>ぐら</rt></ruby>ですから暫く忍んでおいでなさい。酒を花の下に置き、犬を林のなかに放して置いて、わたし達の計略が<ruby><rb>成就</rb><rt>じょうじゅ</rt></ruby>した時に、あなた方に合図をします」

その通りにして、一行は息を忍ばせて待っていると、日も早や<ruby><rb>申</rb><rt>さる</rt></ruby>の刻（午後三時―五時）とおぼしき頃に、<ruby><rb>練絹</rb><rt>ねりぎぬ</rt></ruby>のような物があなたの山から飛ぶが如くに走って来て、たちまちに<ruby><rb>洞</rb><rt>ほら</rt></ruby>のなかにはいった。見れば、身のたけ六尺余の男で、美しい<ruby><rb>髯</rb><rt>ひげ</rt></ruby>をたくわえ、白衣を着て杖を曳いていた。かれは女たち大勢に取り巻かれて庭に出たが、たちまちに犬を見つけて驚き喜び、身を跳らせて引っ捕えたかと思うと、引き裂いて片端から<ruby><rb>啖</rb><rt>くら</rt></ruby>い尽くした。女たちは玉の杯で酒をすすめると、機嫌よく笑い興じながらかれは数<ruby><rb>斗</rb><rt>と</rt></ruby>の酒を飲んだ。

女たちはかれを<ruby><rb>扶</rb><rt>たす</rt></ruby>けて奥にはいったが、そこでも又笑い楽しむ声がきこえた。やや暫くして、女が出て来て紇の一行を招いたので、すぐに武器をたずさえて踏み込むと、一頭の大きい白猿が<ruby><rb>四足</rb><rt>しそく</rt></ruby>を<ruby><rb>牀</rb><rt>ゆか</rt></ruby>にくくられていて、一行を見るや慌て騒いで、しきりに身をもがいても動くことが出来ず、いたずらに電光のような眼を輝かすばかりであった。一行は先を争って刃を突き立てたが、あたかも鉄石の如くである。しかも臍の下を刺すと、<ruby><rb>刃</rb><rt>やいば</rt></ruby>は深く突き透って、そそぐが如くに血が流れた。

「ああ、天がおれを殺すのだ」と、かれは大きい溜め息をついた。「貴様たちの働きではない。しかし貴様の女房はもう<ruby><rb>孕</rb><rt>はら</rt></ruby>んでいる。必ずその子を殺すな。明天子に逢って家を興すに相違ないぞ」

言い終って彼は死んだ。その<ruby><rb>庫</rb><rt>くら</rt></ruby>をさがすと、宝物珍品が山のように積まれていて、およそ人世の珍とする物は備わらざるなしという有様であった。<ruby><rb>名香</rb><rt>めいこう</rt></ruby>数<ruby><rb>斛</rb><rt>こく</rt></ruby>、宝剣一<ruby><rb>雙</rb><rt>そう</rt></ruby>、婦女三十人、その婦女はみな絶世の美女で、久しいものは十年もとどまっている。容色おとろえた者はどこへか連れて行かれて、どうなってしまうか判らない。女を取り、物を取るのはすべて自分ひとりで、他に党類はない。朝はたらいで顔を洗い、帽をかぶり、白衣を着るが、寒さ暑さに頓着せず、全身は長さ幾寸の白い毛に<ruby><rb>蔽</rb><rt>おお</rt></ruby>われている。

かれが家にある時は、常に木彫りの書物を読んでいるが、その文字は<ruby><rb>符篆</rb><rt>ふてん</rt></ruby>の如くで、誰にも読むことは出来ない。晴れた日には両手に剣を舞わすが、その光りは身をめぐって飛び、あたかも円月の如くである。飲み食いは時を定めず、好んで<ruby><rb>木実</rb><rt>このみ</rt></ruby>や栗を食うが、もっとも犬をたしなみ、啖い殺して血を吸うのである。<ruby><rb>午</rb><rt>ひる</rt></ruby>を過ぎると飄然として去り、半日に数千里を往復して夕刻には必ず帰って来る。夜は婦女にたわむれて暁に至り、かつて眠ったことがない。要するに<ruby><rb>猳玃</rb><rt>かかく</rt></ruby>のたぐいである。

ことしの秋、木の葉が落ち始める頃に、かれはさびしそうに言った。

「おれは山の神に訴えられて、死罪になりそうだ。しかし救いをもろもろの霊ある物に求めたから、どうにか<ruby><rb>免</rb><rt>まぬ</rt></ruby>かれるだろう」

前月、書物を収めてある石橋が火を発して、その<ruby><rb>木簡</rb><rt>もっかん</rt></ruby>を焼いてしまった。かれは書物を石の下に置いたのである。かれは<ruby><rb>悵然</rb><rt>ちょうぜん</rt></ruby>としてまた言った。

「おれは<ruby><rb>千歳</rb><rt>せんざい</rt></ruby>にして子がなかったが、今や初めて子を儲けた。おれの死期もいよいよ至った」

かれはまた、女たちを見まわして、涙を催しながら言った。

「この山は険阻で、かつて人の踏み込んだことのない所だ。上は高くして<ruby><rb>樵夫</rb><rt>きこり</rt></ruby>なども見えず、下は深うして<ruby><rb>虎狼</rb><rt>ころう</rt></ruby>怪獣が多い。ここへもし来る者があれば、それは天の導きというものだ」

怪物の話はこれで終った。紇はその宝玉や珍品や婦女らを連れて帰ったが、婦女のうちには我が家を知っていて、無事に戻る者もあった。紇の妻は一年の後に男の子を生んだが、その容貌は父に<ruby><rb>肖</rb><rt>に</rt></ruby>ていた。

紇は後に<ruby><rb>陳</rb><rt>ちん</rt></ruby>の<ruby><rb>武帝</rb><rt>ぶてい</rt></ruby>のために誅せられたが、彼は平素から<ruby><rb>江総</rb><rt>こうそう</rt></ruby>と仲がよかった。江総は紇の子の聡明なるを愛して、常に自分の家に留めて置いたので、紇のほろびる時にもその子は難をまぬかれた。生長の後、その子は果たして文学に達し、書を善くし、名声を一代に知られた。（白猿伝）

女侠

唐の貞元年中、<ruby><rb>博陵</rb><rt>はくりょう</rt></ruby>の<ruby><rb>崔慎思</rb><rt>さいしんし</rt></ruby>が<ruby><rb>進士</rb><rt>しんし</rt></ruby>に挙げられて上京したが、京に然るべき<ruby><rb>第宅</rb><rt>ていたく</rt></ruby>がないので、他人の別室を借りていた。家主は別の<ruby><rb>母屋</rb><rt>おもや</rt></ruby>に住んでいたが、男らしい者は一人も見えず、三十ぐらいの<ruby><rb>容貌</rb><rt>きりょう</rt></ruby>のよい女と唯ふたりの女中がいるばかりであった。崔は自分の意を通じて、その女を妻にしたいと申し入れると、彼女は答えた。

「わたくしは人に仕えることの出来る者ではありません。あなたとは不釣合いです。なまじいに結婚して<ruby><rb>後日</rb><rt>ごじつ</rt></ruby>の恨みを残すような事があってはなりません」

それでは<ruby><rb>妾</rb><rt>めかけ</rt></ruby>になってくれと言うと、女は承知した。しかも彼女は自分の姓を名乗らなかった。そうして二年あまりも一緒に暮らすうちに、ひとりの子を儲けた。それから数月の後、ある夜のことである。崔は戸を閉じ、<ruby><rb>帷</rb><rt>とばり</rt></ruby>を垂れて<ruby><rb>寝</rb><rt>しん</rt></ruby>に就くと、夜なかに女の姿が見えなくなった。

崔はおどろいて、さては他に<ruby><rb>姦夫</rb><rt>かんぷ</rt></ruby>があるのかと、<ruby><rb>憤怒</rb><rt>いきどおり</rt></ruby>に堪えぬままに起き出でて室外をさまよっている時、おぼろの月のひかりに照らされて、彼女は屋上から飛び降りて来た。白の練絹を身にまとって、右の手には、<ruby><rb>匕首</rb><rt>あいくち</rt></ruby>、左の手には一人の首をたずさえているのである。

「わたくしの父は罪なくして郡守に殺されました。その仇を報ずるために、城中に入り込んで数年を送りましたが、今や本意を遂げました。ここに長居は出来ません。もうお<ruby><rb>暇</rb><rt>いとま</rt></ruby>をいたします」

彼女は身支度して、かの首をふくろに収め、それを小脇にかかえて言った。

「わたくしは二年間あなたのお世話になりまして、幸いに一人の子を儲けました。この住居も二人の奉公人もすべてあなたに差し上げますから、どうぞ子供の養育を願います」

男に別れて<ruby><rb>墻</rb><rt>かき</rt></ruby>を越え、家を越えて立ち去ったので、崔も暫くはただ驚嘆するのみであった。やがて女はまた引っ返して来た。

「子供に乳をやって行くのを忘れましたから、ちょっと飲ませて来ます」

彼女は室内にはいったが、やや暫くして出て来た。

「乳をたんと飲ませました」

言い捨てて出たままで、彼女はかさねて帰らなかった。それから時を移しても、<ruby><rb>赤児</rb><rt>あかご</rt></ruby>の啼く声がちっとも聞えないので、崔は怪しんでうかがうと、赤児もまた殺されていた。

その子を殺したのは、のちの思いの種を断つためであろう。昔の侠客もこれには及ばない。（原化記）

霊鏡

唐の貞元年中、漁師十余人が数<ruby><rb>艘</rb><rt>そう</rt></ruby>の船に小網を載せて漁に出た。<ruby><rb>蘇州</rb><rt>そしゅう</rt></ruby>の太湖が<ruby><rb>松江</rb><rt>しょうこう</rt></ruby>に入るところである。

網をおろしたがちっとも<ruby><rb>獲物</rb><rt>えもの</rt></ruby>はなかった。やがて網にかかったのは一つの鏡で、しかもさのみに大きい物でもないので、漁師はいまいましがって水に投げ込んだ。それから場所をかえて再び網をおろすと、又もやかの鏡がかかったので、漁師らもさすがに不思議に思って、それを取り上げてよく視ると、鏡はわずかに七、八寸であるが、それに照らすと人の<ruby><rb>筋骨</rb><rt>きんこつ</rt></ruby>から<ruby><rb>臓腑</rb><rt>ぞうふ</rt></ruby>まではっきりと映ったので、最初に見た者はおどろいて気絶した。

ほかの者も怪しんで鏡にむかうと、皆その通りであるので、驚いて倒れる者もあり、<ruby><rb>嘔吐</rb><rt>はきけ</rt></ruby>を催す者もあった。最後の一人は恐れて我が姿を照らさず、その鏡を取って再び水中に投げ込んでしまった。彼は倒れている人びとを介抱して我が家へ帰ったが、あれは確かに妖怪であろうと言い合った。

あくる日もつづいて漁に出ると、きょうは網に入る魚が平日の幾倍であった。漁師のうちで平生から持病のある者もみな全快した。故老の話によると、その鏡は河や湖水のうちに在って、数百年に一度あらわれるもので、これまでにも見た者がある。しかもそれが何の精であるかを知らないという。（同上）

仏像

<ruby><rb>白鉄余</rb><rt>はくてつよ</rt></ruby>は<ruby><rb>延州</rb><rt>えんしゅう</rt></ruby>の<ruby><rb>胡人</rb><rt>こじん</rt></ruby>（<ruby><rb>西域</rb><rt>せいいき</rt></ruby>の人）である。彼は邪道をもって諸人を惑わしていたが、深山の柏の樹の下に<ruby><rb>銅</rb><rt>あかがね</rt></ruby>の仏像を埋め、その後数年、そこに草が生えたのを見すまして、土地の人びとを<ruby><rb>欺</rb><rt>あざむ</rt></ruby>いた。

「昨夜わたしが山の下を通ると、仏のひかりを見た。日をさだめて<ruby><rb>精進潔斎</rb><rt>しょうじんけっさい</rt></ruby>をして、尊い<ruby><rb>御仏</rb><rt>みほとけ</rt></ruby>を迎えることにしたい」

定めの日に数百人をあつめて、ここらという所を掘りかえしたが、仏は見付からなかった。彼はまた言った。

「諸人が誠心をささげて<ruby><rb>布施物</rb><rt>ふせもつ</rt></ruby>を供えなければ、仏の姿を拝むことは出来ない」

集まっている男女はあらそって百余万銭を供えると、彼はさきに埋めたところを掘り起して、一体の仏像を示した。その噂が四方に伝わって、それを拝ませてくれという者が多くなると、彼はまた宣言した。

「尊い御仏を拝むと、万病が<ruby><rb>本復</rb><rt>ほんぷく</rt></ruby>する」

その計略成就して、数百里のあいだの<ruby><rb>老若男女</rb><rt>ろうにゃくなんにょ</rt></ruby>がみな集まった。そこで、紫や<ruby><rb>緋</rb><rt>ひ</rt></ruby>や黄の<ruby><rb>綾絹</rb><rt>あやぎぬ</rt></ruby>をもって幾重にも仏像をつつみ、拝む者があれば先ずその一重を<ruby><rb>剥</rb><rt>は</rt></ruby>いで見せる。一回の布施が十万銭、その正体を拝むまでには幾十万銭に及ぶのであった。

こんな<ruby><rb>詭計</rb><rt>きけい</rt></ruby>を用いているうちに、一、二年の後には土地の者がみな彼に帰伏した。彼は遂に乱をおこして、みずから<ruby><rb>光王</rb><rt>こうおう</rt></ruby>と称し、もろもろの官職を設け、<ruby><rb>長吏</rb><rt>ちょうり</rt></ruby>を置き、諸国の禍いをなすこと数年に及んだので、朝廷は将軍<ruby><rb>程務挺</rb><rt>ていむてい</rt></ruby>に命じてこれを討たしめ、かれらをほろぼして光王を斬った。（朝野僉載）

孝子

東海に<ruby><rb>郭純</rb><rt>かくじゅん</rt></ruby>という孝子があった。母を<ruby><rb>喪</rb><rt>うしな</rt></ruby>って彼は大いに<ruby><rb>哭</rb><rt>こく</rt></ruby>した。その哭するごとに、鳥の群れがたくさん集まって来るのである。官から使者を派して取調べさせると、果たしてその通りであったので、彼は孝子として村の入口に表彰された。

後に聞くと、この孝子は哭するごとに、地上に餅を<ruby><rb>撒</rb><rt>ま</rt></ruby>き散らして鳥にあたえた。それが幾たびも続いたので、その泣き声を聞きつけると、鳥の群れは餅を拾うために集まって来たのであった。（同上）

壁龍

<ruby><rb>柴紹</rb><rt>さいしょう</rt></ruby>の弟なにがしは身も軽く、足も<ruby><rb>捷</rb><rt>はや</rt></ruby>く、どんな所へでも身を躍らせてのぼるばかりか、十余歩ぐらいは飛んで行った。

唐の<ruby><rb>太宗</rb><rt>たいそう</rt></ruby>皇帝が彼に命じて<ruby><rb>長孫無忌</rb><rt>ちょうそんむき</rt></ruby>（太宗の重臣）の鞍を取って来いと言った。同時に無忌にも内報して、取られないように警戒しろと注意した。その夜、鳥のようなものが無忌の邸内に飛び込んで、二つの鞍を二つに切って持ち去った。それ逃がすなと追いかけたが、遂に捉え得なかった。

帝はまたかれに命じて<ruby><rb>丹陽公主</rb><rt>たんようこうしゅ</rt></ruby>（公主＝皇女）の枕を取って来いと言った。それは金をちりばめた<ruby><rb>函</rb><rt>はこ</rt></ruby>付きの物である。かれは夜半にその寝室へ忍び入って、手をもって睡眠中の公主の顔を撫でた。思わず頭をあげるあいだに、かれは他の枕と<ruby><rb>掏</rb><rt>す</rt></ruby>りかえて来た。公主は夜の明けるまでそれを覚らなかった。

又ある時、彼は<ruby><rb>吉莫靴</rb><rt>かわぐつ</rt></ruby>をはいて、石瓦の城に駈けあがった。城上の<ruby><rb>墻</rb><rt>かき</rt></ruby>には手がかりがないので、かれは足をもって仏殿の柱を踏んで、<ruby><rb>檐</rb><rt>のき</rt></ruby>さきに達し、さらに<ruby><rb>椽</rb><rt>たるき</rt></ruby>を<ruby><rb>攀</rb><rt>よ</rt></ruby>じて百尺の楼閣に至った。実になんの苦もないのである。太宗帝は不思議に思った。

「こういう男は都の近所に置かない方がよい」

彼は地方官として遠いところへ<ruby><rb>遷</rb><rt>うつ</rt></ruby>された。時の人びとは彼を称して<ruby><rb>壁龍</rb><rt>へきりゅう</rt></ruby>といった。

太宗は又かつて長孫無忌に七宝帯を賜わった。そのあたい千金である。この当時、<ruby><rb>段師子</rb><rt>だんしし</rt></ruby>と呼ばれる大泥坊があって、屋上の椽のあいだから潜り込んで無忌の枕もとに降り立った。

「動くと、命がありませんぞ」

彼は白刃を突き付けて、その枕の函の中から七宝帯を取り出した。更にその白刃を床に突き立てて、それを力に飛びあがって、ふたたび元の椽のあいだから逃げ去った。（同上）

登仙奇談

唐の<ruby><rb>天宝</rb><rt>てんぽう</rt></ruby>年中、<ruby><rb>河南緱子</rb><rt>かなんこうし</rt></ruby>県の<ruby><rb>仙鶴観</rb><rt>せんかくかん</rt></ruby>には常に七十余人の道士が住んでいた。いずれも専ら修道を怠らない人びとで、未熟の者はここに入ることが出来なかった。

ここに修業の道士は、毎年九月三日の夜をもって、一人は<ruby><rb>登仙</rb><rt>とうせん</rt></ruby>することを得るという旧例があった。

夜が明ければ、その姓名をしるして届け出るのである。勿論、誰が登仙し得るか判らないので、毎年その夜になると、すべての道士らはみな戸を閉じず、思い思いに独り歩きをして、天の迎いを待つのであった。

<ruby><rb>張竭忠</rb><rt>ちょうけっちゅう</rt></ruby>がここの県令となった時、その事あるを信じなかった。そこで、九月三日の夜二人の勇者に命じて、武器をたずさえて窺わせると、宵のあいだは何事もなかったが、夜も<ruby><rb>三更</rb><rt>さんこう</rt></ruby>に至る頃、一匹の黒い虎が寺内へ<ruby><rb>入</rb><rt>い</rt></ruby>り来たって、一人の道士をくわえて出た。それと見て二人は矢を射かけたが<ruby><rb>中</rb><rt>あた</rt></ruby>らなかった。しかも虎は道士を捨てて走り去った。

夜が明けて調べると、昨夜は誰も仙人になった者はなかった。二人はそれを張に報告すると、張は更に府に申し立てて、弓矢の人数をあつめ、仙鶴観に近い太子陵の東にある石穴のなかを<ruby><rb>猟</rb><rt>あさ</rt></ruby>ると、ここに幾匹の虎を獲た。穴の奥には道士の衣冠や金簡のたぐい、人の毛髪や骨のたぐいがたくさんに残っていた。これがすなわち毎年仙人になったという道士の身の果てであった。

その以来、仙鶴観に住む道士も次第に絶えて、今は陵を守る役人らの住居となっている。（博異記）

蒋武

唐の<ruby><rb>宝暦</rb><rt>ほうれき</rt></ruby>年中、<ruby><rb>循州河源</rb><rt>じゅんしゅうかげん</rt></ruby>に<ruby><rb>蒋武</rb><rt>しょうぶ</rt></ruby>という男があった。骨格たくましく、豪胆剛勇の生まれで、山中の巌窟に独居して、狩猟に日を送っていた。彼は<ruby><rb>蹶張</rb><rt>けっちょう</rt></ruby>を得意とし、熊や虎や<ruby><rb>豹</rb><rt>ひょう</rt></ruby>が、その<ruby><rb>弦音</rb><rt>つるおと</rt></ruby>に応じて<ruby><rb>斃</rb><rt>たお</rt></ruby>れた。蹶張というのは片足で弓を踏ん張って射るのである。その<ruby><rb>鏃</rb><rt>やじり</rt></ruby>をあらためると、皆その獣の<ruby><rb>心</rb><rt>むね</rt></ruby>をつらぬいていた。

ある時、甚だ忙がしそうに門を叩く者があるので、蒋は扉を隔ててうかがうと、一匹の<ruby><rb>猩々</rb><rt>しょうじょう</rt></ruby>が白い象にまたがっていた。蒋は猩々がよく人の言葉を語ることを知っているので、内から<ruby><rb>訊</rb><rt>き</rt></ruby>いた。

「象と一緒に来たのはどういうわけだ」

「象に危難が<ruby><rb>逼</rb><rt>せま</rt></ruby>って居ります。わたくしに人間の話が出来るというので、わたくしを乗せてお願いに出たのでございます」と、猩々は答えた。

「その危難のわけを言え」と、蒋はまた訊いた。

「この山の南二百余里のところに、天にそびゆる大きい<ruby><rb>巌穴</rb><rt>いわあな</rt></ruby>がございます」と、猩々は言った。「そのなかに長さ数百尺の<ruby><rb>巴蛇</rb><rt>うわばみ</rt></ruby>が棲んで居ります。その眼はいなずまのごとく、その<ruby><rb>牙</rb><rt>きば</rt></ruby>はつるぎの如くで、そこを通る象の一類はみな呑まれたり<ruby><rb>噬</rb><rt>か</rt></ruby>まれたりします。その難に遭うもの幾百、もはや逃げ隠れるすべもありません。あなたが弓矢を善くするのを存じて居りますので、どうぞ毒矢をもってかれを射殺して、われわれの<ruby><rb>患</rb><rt>うれ</rt></ruby>いを除いて下されば、かならず御恩報じをいたします」

象もまた地にひざまずいて、涙を雨のごとくに流した。

「御承知ならば、矢をたずさえてお乗り下さい」と、猩々はうながした。

蒋は矢に毒を塗って、象の背にまたがった。行けば果たして巌の下に二つの眼が輝いて、その光りは数百歩を射るのであった。

「あれが蛇の眼です」と、猩々は教えた。

それを見て、蒋も怒った。彼は得意の蹶張をこころみて、ひと矢で蛇の眼を射ると、象は彼を乗せたままで<ruby><rb>奔</rb><rt>はし</rt></ruby>り避けた。やがて巌穴のなかでは雷の吼えるような声がして、<ruby><rb>大蛇</rb><rt>だいじゃ</rt></ruby>は躍り出てのたうち廻ると、数里のあいだの木も草も皆その毒気に焼けるばかりであった。蛇は狂い疲れて、日の暮れる頃に<ruby><rb>仆</rb><rt>たお</rt></ruby>れた。

それから穴のあたりを窺うと、そこには象の骨と牙とが、山のように積まれていた。十頭の象があらわれて来て、その長い鼻で<ruby><rb>紅</rb><rt>あか</rt></ruby>い牙一枚ずつを捲いて蒋に献じた。それを見とどけて、猩々も別れて去った。蒋は初めの象に牙を積んで帰ったが、後にその牙を売って大いに資産を作った。（伝奇）

笛師

唐の天宝の末に、<ruby><rb>安禄山</rb><rt>あんろくざん</rt></ruby>が乱をおこして、<ruby><rb>潼関</rb><rt>どうかん</rt></ruby>の守りも敗れた。都の人びとも四方へ散乱した。<ruby><rb>梨園</rb><rt>りえん</rt></ruby>の<ruby><rb>弟子</rb><rt>ていし</rt></ruby>のうちに<ruby><rb>笛師</rb><rt>ふえし</rt></ruby>があって、これも都を落ちて<ruby><rb>終南山</rb><rt>しゅうなんざん</rt></ruby>の奥に隠れていた。

そこに古寺があったので、彼はそこに身を忍ばせていると、ある夜、風清く月明らかであるので、彼はやるかたもなき思いを笛に寄せて一曲吹きすさむと、<ruby><rb>嚠喨</rb><rt>りゅうりょう</rt></ruby>の声は山や谷にひびき渡った。たちまちにそこへ怪しい物がはいって来た。かしらは虎で、かたちは人、身には白い着物を<ruby><rb>被</rb><rt>き</rt></ruby>ていた。

笛師はおどろき<ruby><rb>懼</rb><rt>おそ</rt></ruby>れて、階をくだって立ちすくんでいると、その人は言った。

「いい笛の<ruby><rb>音</rb><rt>ね</rt></ruby>だ。もっと吹いてくれ」

よんどころなしに五、六曲を吹きつづけると、その人はいい心持そうに聴きほれていたが、やがておおいびきで寝てしまった。笛師はそっと抜け出して、そこらの高い<ruby><rb>樹</rb><rt>き</rt></ruby>の上に<ruby><rb>攀</rb><rt>よ</rt></ruby>じ登ると、枝や葉が繁っているので、自分の影をかくすに都合がよかった。やがてその人は眼をさまして、笛師の見えないのに落胆したらしく、大きい溜め息をついた。

「早く喰わなかったので、逃がしてしまった」

彼は立って、長くうそぶくと、暫くして十数頭の虎が集まって来て、その前にひざまずいた。

「笛吹きの小僧め、おれの寝ている間に逃げて行った。路を分けて探して来い」と、かれは命令した。

虎の群れはこころ得て立ち去ったが、夜の<ruby><rb>五更</rb><rt>ごこう</rt></ruby>の頃に帰って来て、人のように言った。

「四、五里のところを探し歩きましたが、見付かりませんでした」

その時、月は落ちかかって、斜めに照らす光りが樹の上の人物を映し出した。それを見てかれは笑った。

「貴様は雲かすみと消え失せたかと思ったが、はは、<ruby><rb>此処</rb><rt>ここ</rt></ruby>にいたのか」

かれは虎の群れに指図して、笛師を取らせようとしたが、樹が高いので飛び付くことが出来ない。かれも幾たびか身を跳らせたが、やはり目的を達しなかった。かれらもとうとう思い切って立ち去ると、やがて夜もあけて往来の人も通りかかったので、笛師は無事に樹から離れた。（広異記）

担生

昔、ある書生が路で小さい蛇に出逢った。持ち帰って養っていると、数月の後にはだんだんに大きくなった。書生はいつもそれを<ruby><rb>担</rb><rt>にな</rt></ruby>いあるいて、かれを<ruby><rb>担生</rb><rt>たんせい</rt></ruby>と呼んでいたが、蛇はいよいよ長大になって、もう担い切れなくなったので、これを<ruby><rb>范</rb><rt>はん</rt></ruby>県の東の大きい沼のなかへ放してやった。

それから四十余年の月日は過ぎた。かの蛇は舟をくつがえすような<ruby><rb>大蛇</rb><rt>だいじゃ</rt></ruby>となって、土地の人びとに沼の<ruby><rb>主</rb><rt>ぬし</rt></ruby>と呼ばれるようになった。迂闊に沼に入る者は、かならず彼に呑まれてしまった。一方の書生は年すでに老いて他国にあり、何かの旅であたかもこの沼のほとりを通りかかると、土地の者が彼に注意した。

「この沼には大蛇が棲んでいて人を食いますから、その近所を通らないがよろしゅうございます」

時は冬の<ruby><rb>最中</rb><rt>さなか</rt></ruby>で、気候も甚だ寒かったので、今ごろ蛇の出る筈はないと、書生は<ruby><rb>肯</rb><rt>き</rt></ruby>かずにその沼へさしかかった。行くこと二十里余、たちまち大蛇があらわれて書生のあとを追って来た。書生はその蛇の形や色を見おぼえていた。

「おまえは担生ではないか」

それを聞くと、蛇はかしらを垂れて、やがてしずかに立ち去った。書生は無事に范県にゆき着くと、県令は蛇を見たかと訊いた。見たと答えると、その蛇に逢いながら無事であったのは怪しいというので、書生はひとまず獄屋につながれた。結局、彼も<ruby><rb>妖妄</rb><rt>ようもう</rt></ruby>の徒であると認められて、死刑におこなわれることになった。書生は心中大いに憤った。

「担生の奴め。おれは貴様を養ってやったのに、かえっておれを死地におとしいれるとは何たることだ」

蛇はその夜、県城を攻め落して一面の<ruby><rb>湖</rb><rt>みずうみ</rt></ruby>とした。唯その獄屋だけには水が<ruby><rb>浸</rb><rt>ひた</rt></ruby>さなかったので、書生は幸いに死をまぬかれた。

天宝の末年に<ruby><rb>独孤暹</rb><rt>どっこせん</rt></ruby>という者があって、その<ruby><rb>舅</rb><rt>しゅうと</rt></ruby>は范県の県令となっていた。三月三日、家内の者どもと湖水に舟を浮かべていると、子細もなしに舟は俄かに顛覆して、家内大勢がほとんど溺死しそうになった。（同上）

板橋三娘子

<ruby><rb>汴</rb><rt>べん</rt></ruby>州の西に<ruby><rb>板橋店</rb><rt>はんきょうてん</rt></ruby>というのがあった。店の姐さんは<ruby><rb>三娘子</rb><rt>さんじょうし</rt></ruby>といい、どこから来たのか知らないが、三十歳あまりの独り者で、ほかには身内もなく、奉公人もなかった。家は<ruby><rb>幾間</rb><rt>いくま</rt></ruby>かに作られていて、食い物を売るのが商売であった。

そんな店に似合わず、家は甚だ富裕であるらしく、<ruby><rb>驢馬</rb><rt>ろば</rt></ruby>のたぐいを多く飼っていて、往来の役人や旅びとの車に故障を生じた場合には、それを<ruby><rb>牽</rb><rt>ひ</rt></ruby>く<ruby><rb>馬匹</rb><rt>ばひつ</rt></ruby>を<ruby><rb>廉</rb><rt>やす</rt></ruby>く売ってやるので、世間でも感心な女だと褒めていた。そんなわけで、旅をする者は多くここに休んだり、泊まったりして、店はすこぶる繁昌した。

唐の<ruby><rb>元和</rb><rt>げんな</rt></ruby>年中、<ruby><rb>許</rb><rt>きょ</rt></ruby>州の<ruby><rb>趙季和</rb><rt>ちょうきわ</rt></ruby>という旅客が都へ行く途中、ここに<ruby><rb>一宿</rb><rt>いっしゅく</rt></ruby>した。趙よりも先に着いた客が六、七人、いずれも<ruby><rb>榻</rb><rt>とう</rt></ruby>に腰をかけていたので、あとから来た彼は一番奥の方の榻に就いた。その隣りは<ruby><rb>主婦</rb><rt>あるじ</rt></ruby>の居間であった。

三娘子は諸客に対する待遇すこぶる厚く、夜ふけになって酒をすすめたので、人びとも喜んで飲んだ。しかし趙は元来酒を飲まないので、余り多くは語らず笑わず、行儀よく控えていると、夜の二更（午後九時―十一時）ごろに人びとはみな酔い疲れて眠りに就いた。三娘子も居間へかえって、扉を閉じて灯を消した。

諸客はみな熟睡しているが、趙ひとりは眠られないので、幾たびか寝返りをしているうちに、ふと耳に付いたのは主婦の居間で何かごそごそいう音であった。それは生きている物が動くように聞えたので、趙は起きかえって隙間から窺うと、あるじの三娘子は或るうつわを取り出して、それを蝋燭の火に照らし視た。さらに手箱のうちから一具の<ruby><rb>鋤鍬</rb><rt>すきくわ</rt></ruby>と、一頭の<ruby><rb>木牛</rb><rt>ぼくぎゅう</rt></ruby>と、一個の<ruby><rb>木人</rb><rt>ぼくじん</rt></ruby>とを取り出した。牛も人も六、七寸ぐらいの木彫り細工である。それらを<ruby><rb>竈</rb><rt>かまど</rt></ruby>の前に置いて水をふくんで吹きかけると、木人は木馬を牽き、鋤鍬をもって<ruby><rb>牀</rb><rt>ゆか</rt></ruby>の前の狭い地面を耕し始めた。

三娘子はさらにまた、ひと袋の<ruby><rb>蕎麦</rb><rt>そば</rt></ruby>の<ruby><rb>種子</rb><rt>たね</rt></ruby>を取り出して木人にあたえると、彼はそれを<ruby><rb>播</rb><rt>ま</rt></ruby>いた。すると、それがまた、見るみるうちに生長して花を着け、実を結んだ。木人はそれを刈って<ruby><rb>践</rb><rt>ふ</rt></ruby>んで、たちまちに七、八升の蕎麦粉を製した。彼女はさらに小さい<ruby><rb>臼</rb><rt>うす</rt></ruby>を持ち出すと、木人はそれを<ruby><rb>搗</rb><rt>つ</rt></ruby>いて麺を作った。それが済むと、彼女は木人らを元の箱に収め、麺をもって<ruby><rb>焼餅</rb><rt>しょうべい</rt></ruby>数枚を作った。

暫くして<ruby><rb>雞</rb><rt>とり</rt></ruby>の声がきこえると、諸客は起きた。三娘子はさきに起きて灯をともし、かの焼餅を客にすすめて朝の<ruby><rb>点心</rb><rt>てんしん</rt></ruby>とした。しかし趙はなんだか不安心であるので、何も食わずに早々出発した。彼はいったん表へ出て、また引っ返して戸の隙から窺うと、他の客は焼餅を食い終らないうちに、一度に地を蹴っていなないた。かれらはみな変じて驢馬となったのである。三娘子はその驢馬を駆って家のうしろへ追い込み、かれらの<ruby><rb>路銀</rb><rt>ろぎん</rt></ruby>や荷物をことごとく巻き上げてしまった。

趙はそれを見ておどろいたが、誰にも秘して洩らさなかった。それからひと月あまりの後、彼は都からかえる途中、再びこの板橋店へさしかかったが、彼はここへ着く前に、あらかじめ蕎麦粉の焼餅を作らせた。その大きさは前に見たと同様である。そこで、なにげなく店に着くと、三娘子は相変らず彼を歓待した。

その晩は他に相客がなかったので、主婦はいよいよ彼を丁寧に取扱った。夜がふけてから何か御用はないかとたずねたので、趙は言った。

「あしたの朝出発のときに、<ruby><rb>点心</rb><rt>てんしん</rt></ruby>を頼みます……」

「はい、はい。間違いなく……。どうぞごゆるりとおやすみください」

こう言って、彼女は去った。

夜なかに趙はそっと窺うと、彼女は先夜と同じことを繰り返していた。夜があけると、彼女は果物と、焼餅数枚を皿に盛って持ち出した。それから何かを取りに行った隙をみて、趙は自分の用意して来た焼餅一枚を取り出して、皿にある焼餅一枚と<ruby><rb>掏</rb><rt>す</rt></ruby>り換えて置いた。そうして、三娘子を油断させるために、自分の焼餅を食って見せたのである。

いざ出発というときに、彼は三娘子に言った。

「実はわたしも焼餅を持っています。一つたべて見ませんか」

取り出したのはさきに掏りかえて置いた三娘子の餅である。

彼女は礼をいって口に入れると、忽ちにいなないて驢馬に変じた。それはなかなか壮健な馬であるので、趙はそれに乗って出た。ついでにかの木人と木牛も取って来たが、その術を知らないので、それを用いることが出来なかった。

趙はその驢馬に乗って四方を遍歴したが、かつて一度もあやまちなく、馬は一日に百里を<ruby><rb>歩</rb><rt>あゆ</rt></ruby>んだ。それから四年の後、彼は関に入って、<ruby><rb>華岳廟</rb><rt>かがくびょう</rt></ruby>の東五、六里のところへ来ると、路ばたに一人の老人が立っていて、それを見ると手を<ruby><rb>拍</rb><rt>う</rt></ruby>って笑った。

「板橋の三娘子、こんな姿になったか」

老人はさらに趙にむかって言った。

「かれにも罪はありますが、あなたに逢っては堪まらない。あまり可哀そうですから、もう<ruby><rb>赦</rb><rt>ゆる</rt></ruby>してやってください」

彼は両手で驢馬の口と鼻のあたりを開くと、三娘子はたちまち元のすがたで跳り出た。彼女は老人を拝し終って、ゆくえも知れずに走り去った。（幻異志）