<ruby><rb>菊萵苣</rb><rt>きくぢさ</rt></ruby>と和名はついているが、原名のアンディーヴと呼ぶ方が食通の間には通りがよいようである。その<ruby><rb>蔬菜</rb><rt>そさい</rt></ruby>が姉娘のお千代の手で水洗いされ<ruby><rb>笊</rb><rt>ざる</rt></ruby>で水を切って部屋のまん中の<ruby><rb>台俎板</rb><rt>だいまないた</rt></ruby>の上に置かれた。

素人の家にしては道具万端整っている料理部屋である。ただ少し手狭なようだ。

若い料理教師の<ruby><rb>鼈四郎</rb><rt>べつしろう</rt></ruby>は<ruby><rb>椅子</rb><rt>いす</rt></ruby>に踏み反り返り<ruby><rb>煙草</rb><rt>たばこ</rt></ruby>の手を止めて戸外の物音を聞き澄ましている。外では初冬の風が町の雑音を吹き<ruby><rb>靡</rb><rt>なび</rt></ruby>けている。それは都会の木枯しとでもいえそうな<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎや</rt></ruby>かで寂しい音だ。

妹娘のお絹はこどものように、姉のあとについて一々、姉のすることを<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>いて来たが、今は台俎板の傍に立って笊の中の蔬菜を見入る。蔬菜は小柄で、ちょうど白菜を中指の丈けあまりに縮めた形である。しかし胴の<ruby><rb>肥</rb><rt>ふと</rt></ruby>り方の<ruby><rb>可憐</rb><rt>かれん</rt></ruby>で、貴重品の感じがするところは、<ruby><rb>譬</rb><rt>たと</rt></ruby>えば<ruby><rb>蕗</rb><rt>ふき</rt></ruby>の<ruby><rb>薹</rb><rt>とう</rt></ruby>といったような、草の芽株に属するたちの品かともおもえる。

笊の目から<ruby><rb>湑</rb><rt>した</rt></ruby>った蔬菜の<ruby><rb>雫</rb><rt>しずく</rt></ruby>が、まだ新しい台俎板の面に<ruby><rb>濡木</rb><rt>ぬれぎ</rt></ruby>の肌の地図を浸み<ruby><rb>拡</rb><rt>ひろ</rt></ruby>げて行く勢いも鈍って来た。その間に、棚や、戸棚や<ruby><rb>抽出</rb><rt>ひきだ</rt></ruby>しから、調理に使いそうな道具と、<ruby><rb>薬味容</rb><rt>やくみい</rt></ruby>れを、おずおず運び出しては台俎板の上に並べていたお千代は、並び終えても動かない料理教師の姿に少し不安になった。自分よりは教師に容易く口の利ける妹に、用意万端整ったことを教師に告げよと、目まぜをする。妹は知らん顔をしている。

若い料理教師は、煙草の<ruby><rb>喫</rb><rt>す</rt></ruby>い殻を<ruby><rb>屑籠</rb><rt>くずかご</rt></ruby>の中に投げ込み立上って来た。じろりと台俎板の上を<ruby><rb>見亙</rb><rt>みわた</rt></ruby>す。これはいらんという道具を二三品、<ruby><rb>抽</rb><rt>ぬ</rt></ruby>き出して台俎板の向う側へ黙って<ruby><rb>抛</rb><rt>ほう</rt></ruby>り出した。

それから、笊の蔬菜を白磁の鉢の中に移した。わざと<ruby><rb>肩肘</rb><rt>かたひじ</rt></ruby>を張るのではないかと思えるほどの横柄な所作は、また荒っぽく無雑作に見えた。教師は左の手で一つの<ruby><rb>匙</rb><rt>さじ</rt></ruby>を、鉢の蔬菜の上へ控えた。塩と<ruby><rb>胡椒</rb><rt>こしょう</rt></ruby>と<ruby><rb>辛子</rb><rt>からし</rt></ruby>を入れる。酢を入れる。そうしてから右の手で取上げたフォークの<ruby><rb>尖</rb><rt>さき</rt></ruby>で匙の酢を<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>き混ぜる段になると、急に神経質な様子を見せた。狭い匙の中でフォークの尖はミシン機械のように動く。それは卑劣と思えるほど小器用で<ruby><rb>脇</rb><rt>わき</rt></ruby>の下がこそばゆくなる。酢の面に<ruby><rb>縮緬皺</rb><rt>ちりめんじわ</rt></ruby>のようなさざなみか果てしもなく立つ。

妹娘のお絹は彼の矛盾にくすりと笑った。鼈四郎は手の働きは止めず眼だけ横眼にじろりと<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>んだ。

姉娘の方が肝が冷えた。

匙の酢は鉢の蔬菜の上へ<ruby><rb>万遍</rb><rt>まんべん</rt></ruby>なく<ruby><rb>撒</rb><rt>ま</rt></ruby>き注がれた。

若い料理教師は、再び鉢の上へ銀の匙を横へ、今度はオレフ油を<ruby><rb>罎</rb><rt>びん</rt></ruby>から注いだ。

「酢の一に対して、油は三の割合」

厳かな宣告のようにこういい放ち、匙で三杯、オレフ油を蔬菜の上に撒き注ぐときには、教師は再び横柄で、無雑作で、冷淡な態度を採上げていた。

およそ<ruby><rb>和</rb><rt>あ</rt></ruby>えものの和え方は、女の化粧と同じで、できるだけ<ruby><rb>生地</rb><rt>きじ</rt></ruby>の新鮮味を<ruby><rb>損</rb><rt>そこな</rt></ruby>わないようにしなければならぬ。掻き交ぜ過ぎた和えものはお<ruby><rb>白粉</rb><rt>しろい</rt></ruby>を塗りたくった顔と同じで<ruby><rb>気韻</rb><rt>きいん</rt></ruby>は生動しない。

「揚ものの衣の粉の掻き交ぜ方だって同じことだ」

こんな意味のことを<ruby><rb>喋</rb><rt>しゃべ</rt></ruby>った鼈四郎は、自分のいったことを立証するように、鉢の中の蔬菜を大ざっぱに掻き交ぜた。それでいて蔬菜が底の方から<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">むら</span>なく<ruby><rb>攪乱</rb><rt>かくらん</rt></ruby>されるさまはやはり<ruby><rb>手馴</rb><rt>てな</rt></ruby>れの<ruby><rb>技倆</rb><rt>ぎりょう</rt></ruby>らしかった。

アンディーヴの戻茎の群れは白磁の鉢の中に在って油の照りが行亙り、<ruby><rb>硝子越</rb><rt>ガラスご</rt></ruby>しの日ざしを鋭く<ruby><rb>撥</rb><rt>は</rt></ruby>ね上げた。

蔬菜の浅黄いろを眼に<ruby><rb>染</rb><rt>し</rt></ruby>ませるように香辛入りの酢が<ruby><rb>匂</rb><rt>にお</rt></ruby>う。それは初冬ながら、もはや早春が訪れでもしたような<ruby><rb>爽</rb><rt>さわや</rt></ruby>かさであった。

鼈四郎は今度は匙をナイフに換えて、蔬菜の群れを鉢の中のまま、ざっと<ruby><rb>截</rb><rt>き</rt></ruby>り<ruby><rb>捌</rb><rt>さば</rt></ruby>いた。程のよろしき部分の截片を<ruby><rb>覗</rb><rt>うかが</rt></ruby>ってフォークで<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぐざ</span>と刺し取り、

「食って見給え」

と姉娘の前へ突き出した。その態度は物の味の試しを勧めるというより芝居で<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しれ</span>者が<ruby><rb>脅</rb><rt>おど</rt></ruby>しに突出す白刃に似ていた。

お千代はおどおどしてしまって胸をあとへ引き、妹へ譲り加減に妹の方へ顔をそ向けた。

「おや。――じゃ。さあ」

鼈四郎はフォークを妹娘の胸さきへ移した。

お絹は滑らかな<ruby><rb>頸</rb><rt>くび</rt></ruby>の奥で、<ruby><rb>喉頭</rb><rt>こうとう</rt></ruby>をこくりと動かした。煙るような長い<ruby><rb>睫</rb><rt>まつげ</rt></ruby>の間から<ruby><rb>瞳</rb><rt>ひとみ</rt></ruby>を凝らしてフォークに眼を<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>り、瞳の焦点が截片に<ruby><rb>中</rb><rt>あた</rt></ruby>ると同時に、小丸い<ruby><rb>指尖</rb><rt>ゆびさき</rt></ruby>を出してアンディーヴを<ruby><rb>撮</rb><rt>つま</rt></ruby>み取った。お絹の小隆い鼻の、<ruby><rb>種子</rb><rt>たね</rt></ruby>の形をした鼻の穴が食慾で拡がった。

アンディーヴの截片はお絹の口の中で慎重に<ruby><rb>噛</rb><rt>か</rt></ruby>み砕かれた。<ruby><rb>青酸</rb><rt>あおずっぱ</rt></ruby>い滋味が<ruby><rb>漿液</rb><rt>しょうえき</rt></ruby>となり<ruby><rb>嚥下</rb><rt>のみくだ</rt></ruby>される<ruby><rb>刹那</rb><rt>せつな</rt></ruby>に、あなやと心をうつろにするうまさがお絹の胸をときめかした。物憎いことには、あとの<ruby><rb>口腔</rb><rt>こうこう</rt></ruby>に淡い苦味が<ruby><rb>二日月</rb><rt>ふつかづき</rt></ruby>の影のようにほのかにとどまったことだ。この淡い苦味は、またさっき<ruby><rb>喰</rb><rt>た</rt></ruby>べた昼食の肉の味のしつこい記憶を軽く<ruby><rb>拭</rb><rt>ふ</rt></ruby>き消して、親しみ返せる<ruby><rb>想</rb><rt>おも</rt></ruby>い出にした。アンディーヴの截片はこの効果を起すと共に、それ自身、食べて食べた負担を感ぜしめないほど軟く口の中で尽きた。<ruby><rb>滓</rb><rt>かす</rt></ruby>というほどのものも残らない。

「口惜しいけれど、おいしいわよ」

お絹は<ruby><rb>唾液</rb><rt>だえき</rt></ruby>がにじんだ<ruby><rb>脣</rb><rt>くちびる</rt></ruby>の角を手の甲でちょっと押えてこういった。

「うまかろう。だから食ものは食ってから、文句をいいなさいというのだ」

鼈四郎の小さい眼が得意そうに輝いた。

「ふだん人に難癖をつける娘も、僕の作った食もののうまさには一言も無いぜ。どうだ参ったか」

鼈四郎は追い討ちしていい放った。

お絹は<ruby><rb>両袖</rb><rt>りょうそで</rt></ruby>を胸へ抱え上げてくるりと若い料理教師に背を向けながら、

「参ったことにしとくわ」

と笑い声で応けた。

ふだん言葉かたき同志の若い料理教師と、妹との間に、これ以上のうるさい口争いもなく、さればといって因縁を深めるような意地の張り合いもなく、あっさり済んでしまったのをみて、お千代はほっとした。安心するとこの姉にも試しに食べてみたい気持がこみ上げて来た。

「じゃ、あたしも一つ食べてみようかしら」

とよそ事のようにいいながらそっと指尖を鉢に送って小さい截片を一つ撮み取って食べる。

「あら、ほんとにおいしいのね」

眼を空にして、<ruby><rb>割烹衣</rb><rt>かっぽうい</rt></ruby>の端で口を<ruby><rb>拭</rb><rt>ぬぐ</rt></ruby>っているときお千代は少し顔を<ruby><rb>赭</rb><rt>あから</rt></ruby>めた。お絹は姉の肩越しに、アンディーヴの鉢を覗き込んだが、

「鼈四郎さん、それ取っといてね、晩のご飯のとき食べるわ」

そういった。

<ruby><rb>巻煙草</rb><rt>まきたばこ</rt></ruby>を取出していた<ruby><rb>鼈四郎</rb><rt>べつしろう</rt></ruby>はこれを聞くと、煙草を口に<ruby><rb>銜</rb><rt>くわ</rt></ruby>えたまま鉢を<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>み上げ<ruby><rb>臂</rb><rt>ひじ</rt></ruby>を伸して<ruby><rb>屑箱</rb><rt>くずばこ</rt></ruby>の中へあけてしまった。

「あらッ！」

「料理だって音楽的のものさ、同じうまみがそう晩までも続くものか、<ruby><rb>刹那</rb><rt>せつな</rt></ruby>に充実し刹那に消える。そこに料理は最高の芸術だといえる性質があるのだ」

お絹は屑箱の中からまだ<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>いているアンディーヴの早春の色を<ruby><rb>見遣</rb><rt>みや</rt></ruby>りながら

「鼈四郎の意地悪る」

と口惜しそうにいった。「おとうさまにいいつけてやるから」と若い料理教師を<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>んだ。お千代も黙ってはいられない気がして妹の肩へ手を置いて、お<ruby><rb>交際</rb><rt>つきあ</rt></ruby>いに睨んだ。

令嬢たちの四つの<ruby><rb>瞳</rb><rt>ひとみ</rt></ruby>を受けて、鼈四郎はさすがに<ruby><rb>眩</rb><rt>まぶ</rt></ruby>しいらしく小さい眼をしばたたいて伏せた。態度はいよいよ<ruby><rb>傲慢</rb><rt>ごうまん</rt></ruby>に、<ruby><rb>肩肘</rb><rt>かたひじ</rt></ruby>張って口の煙草にマッチで火をつけてから

「そんなに食ってみたいのなら、晩に自分たちで作って食いなさい。それも今のものそっくりの模倣じゃいかんよ。何か自分の<ruby><rb>工風</rb><rt>くふう</rt></ruby>を加えて、――料理だって独創が肝心だ」

まだ中に<ruby><rb>蔬菜</rb><rt>そさい</rt></ruby>が残っている紙袋をお絹の前の<ruby><rb>台俎板</rb><rt>だいまないた</rt></ruby>へ<ruby><rb>抛</rb><rt>ほう</rt></ruby>り出した。

これといって学歴も無い素人出の料理教師が、なにかにつけて理窟を<ruby><rb>捏</rb><rt>こ</rt></ruby>ね芸術家振りたがるのは片腹痛い。だがこの青年が身も魂も食ものに殉じていることは確だ。若い身空で女の<ruby><rb>襷</rb><rt>たすき</rt></ruby>をして<ruby><rb>漬物樽</rb><rt>つけものだる</rt></ruby>の<ruby><rb>糠</rb><rt>ぬか</rt></ruby><ruby><rb>加減</rb><rt>かげん</rt></ruby>を<ruby><rb>弄</rb><rt>いじ</rt></ruby>っている姿なぞは頼まれてもできる芸ではない。生れ附き飛び離れた<ruby><rb>食辛棒</rb><rt>くいしんぼう</rt></ruby>なのだろうか、それとも意趣があって懸命にこの本能に<ruby><rb>縋</rb><rt>すが</rt></ruby>り通して行こうとしているのか。

お絹のこころに鼈四郎がいい捨てた言葉の切れ端が<ruby><rb>蘇</rb><rt>よみがえ</rt></ruby>って来る。「世は<ruby><rb>遷</rb><rt>うつ</rt></ruby>り人は代るが、人間の食意地は変らない」「食ものぐらい正直なものはない、うまいかまずいかすぐ判る」「うまさということは神秘だ」――それは人間の他の本能とその対象物との間の魅力に<ruby><rb>就</rb><rt>つい</rt></ruby>てもいえることなのだが、鼈四郎がいうとき特にこの一味だけがそれであるように受取らせる。ひょっとしたらこの青年は性情の片端者なのではあるまいか、他の性情や感覚や才能まで、その芽を<ruby><rb>捥</rb><rt>も</rt></ruby>ぎ取られ、いのちは止むなく食味の一方に育ち上った。鼈四郎が料理をしてみせるとき味利きということをしたことが無い。身体全体が舌の代表となっていて、料理の所作の順序、運び、拍子、そんなものの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">カン</span>から味の調不調の結果がひとりでに見分けられるらしい。食慾だけ取立てられて人類の文化に寄与すべく運命付けられた<ruby><rb>畸形</rb><rt>きけい</rt></ruby>な天才。天才は大概片端者だという。そういえばこの端麗な食青年にも愚かしいものの持つ美しさがあって、それが素焼の<ruby><rb>壺</rb><rt>つぼ</rt></ruby>とも造花とも感じさせる。情慾が食気にだけ偏ってしまって普通の人情に及ぼさないためかしらん。

一ばん口数を利く妹娘のお絹がこんな考えに<ruby><rb>耽</rb><rt>ふけ</rt></ruby>ってしまっていると、もはや三人の間には形の上の<ruby><rb>繋</rb><rt>つなが</rt></ruby>りがなく、鼈四郎はしきりに煙草の煙を吹き上げては<ruby><rb>椅子</rb><rt>いす</rt></ruby>に踏み反って行くだけ、姉娘のお千代は、<ruby><rb>居竦</rb><rt>いすく</rt></ruby>まされる<ruby><rb>辛</rb><rt>つら</rt></ruby>さに堪えないというふうにこそこそ料理道具の後片付けをしている。一しきり風が<ruby><rb>窓硝子</rb><rt>まどガラス</rt></ruby>に砂ほこりを吹き当てる音が<ruby><rb>極立</rb><rt>きわだ</rt></ruby>つ。

「天才にしても」とお絹はひとり言のようにいった。

「男の癖にお料理がうまいなんて、ずいぶん<ruby><rb>下卑</rb><rt>げび</rt></ruby>た天才だわよ」

と鼈四郎の顔を見ていった。

それから<ruby><rb>溜</rb><rt>たま</rt></ruby>ったものを吐き出すように、続けさまに笑った。

鼈四郎はむっとしてお絹の方を見たが、こみ上げるものを飲み込んでしまったらしい。

「さあ、帰るかな」

としょんぼり立上ると、ストーヴの角に置いた帽子を取ると送りに立った姉娘に向い

「きょうは、おとうさんに会ってかないからよろしくって、いっといて<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れ給え」

といって御用聞きの出入り口から出て行った。

靴の裏と大地の堅さとの間に、さりさり砂ほこりが感じられる初冬の町を歩るいて鼈四郎は自宅へ帰りかかった。姉妹の娘に料理を教えに行く荒木家蛍雪館のある芝の<ruby><rb>愛宕台</rb><rt>あたごだい</rt></ruby>と自宅のある京橋区の中橋広小路との間に相当の距離はあるのだが、彼は<ruby><rb>最寄</rb><rt>もより</rt></ruby>の電車筋へも出ずゆっくり歩るいて行った。

一つは電車賃さえ倹約の身の上だが、急いで用も無い身体である。もう一つの理由はトンネル横町と呼ばれる変った<ruby><rb>巷路</rb><rt>こうろ</rt></ruby>を通り<ruby><rb>度</rb><rt>た</rt></ruby>いためでもある。

いずれは明治初期の早急な洋物輸入熱の名残りであろう。街の小道の上に<ruby><rb>煉瓦</rb><rt>れんが</rt></ruby>積みのトンネルが幅広く架け渡され、その上は二階家のようにして住んでいるらしい。<ruby><rb>瓦屋根</rb><rt>かわらやね</rt></ruby>の下の壁に切ってある横窓からはこどもの着ものなど、竹竿で干し出されているのをときどき見受ける。

<ruby><rb>鼠色</rb><rt>ねずみいろ</rt></ruby>の瓦屋根も、黄土色の壁も、トンネルの紅色の煉瓦も、<ruby><rb>燻</rb><rt>いぶ</rt></ruby>されまた<ruby><rb>晒</rb><rt>さら</rt></ruby>されて、すっかり原色を失い、これを舌の風味にしたなら裸麦で作った黒パンの感じだと鼈四郎はいつも思う。そしてこの性を抜いた豪華の<ruby><rb>空骸</rb><rt>なきがら</rt></ruby>に向け、左右から両側になって取り付いている二階建の小さい長屋は、そのくすんだねばねばした感じから、<ruby><rb>鶫</rb><rt>つぐみ</rt></ruby>の<ruby><rb>腸</rb><rt>わた</rt></ruby>の塩辛のようにも思う。鼈四郎はわたりの風趣を強いて食味に翻訳して味わうとではないが、ここへ彼は来ると、裸麦の<ruby><rb>匂</rb><rt>にお</rt></ruby>いや、鶫の腸にまで<ruby><rb>染</rb><rt>し</rt></ruby>みている木の実の匂いがひとりでにした。佐久間町の<ruby><rb>大銀杏</rb><rt>おおいちょう</rt></ruby>が長屋を<ruby><rb>掠</rb><rt>かす</rt></ruby>めて<ruby><rb>箒</rb><rt>ほうき</rt></ruby>のように見える。

彼はこの横町に入り、トンネルを抜け横町が尽きて、やや広い通りに折れ曲るまでの間は自分の数奇の生立ちや、燃え盛る野心や、ままならぬ浮世や、<ruby><rb>癪</rb><rt>しゃく</rt></ruby>に触る現在の境遇をしばし忘れて、<ruby><rb>靉靆</rb><rt>あいたい</rt></ruby>とした気持になれた。それはこの上<ruby><rb>墜</rb><rt>お</rt></ruby>ちようもない世の底に身を置く<ruby><rb>泰</rb><rt>やす</rt></ruby>らかさと現実離れのした高貴性に魂を提げられる思いとが一つに中和していた。これを<ruby><rb>侘</rb><rt>わ</rt></ruby>びとでもいうのかしらんと鼈四郎は考える。この巷路を通り抜ける間は、姿形に現れるほども彼は自分が素直な人間になっているのを意識するのであった。ならば振り戻って、もう一度トンネルを<ruby><rb>潜</rb><rt>くぐ</rt></ruby>ることによって、靉靆とした意識に浸り<ruby><rb>還</rb><rt>かえ</rt></ruby>せるかというと、そうはゆかなかった。感銘は一度限りであった。引き返してトンネル横町を<ruby><rb>徘徊</rb><rt>はいかい</rt></ruby>してもただ汚らしく<ruby><rb>和洋蕪雑</rb><rt>わようぶざつ</rt></ruby>に混っている<ruby><rb>擬</rb><rt>まが</rt></ruby>いものの感じのする街に過ぎなかった。それゆえ彼は、蛍雪館へ教えに通う往き来のどちらかにだけ日に一度通り過ぎた。

土橋を渡って、西仲通りに歩るきかかるとちらほら町には灯が入って来た。鼈四郎はそこから中橋広小路の自宅までの<ruby><rb>僅</rb><rt>わずか</rt></ruby>な道程を不自然な曲り方をして歩るいた。表通りへ出てみたりまた横町へ折れ戻り、そして露路の中へ切れ込んだりした。彼が<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>き込む要所要所には必ず大小の食もの屋の店先があった。彼はそれ等の店先を通りかかりながら、店々が<ruby><rb>今宵</rb><rt>こよい</rt></ruby>、どんな品を特品に用意して客を<ruby><rb>牽</rb><rt>ひ</rt></ruby>き付けようとしているかを、じろりと見検めるのだった。

ある店では、紋のついた油障子の蔭から、赤い<ruby><rb>蟹</rb><rt>かに</rt></ruby>や大粒の<ruby><rb>蛤</rb><rt>はまぐり</rt></ruby>を表に見せていた。ある店では、ショウウィンドーの中に、<ruby><rb>焼串</rb><rt>やきぐし</rt></ruby>に<ruby><rb>鴫</rb><rt>しぎ</rt></ruby>を刺して<ruby><rb>赤蕪</rb><rt>あかかぶ</rt></ruby>や<ruby><rb>和蘭芹</rb><rt>オランダぜり</rt></ruby>と一しょに皿に並べてあった。

「どこも、ここも、相変らず月並なものばかり仕込んでやがる。<ruby><rb>智慧</rb><rt>ちえ</rt></ruby>のない奴等ばかりだ」

鼈四郎は、こう<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>くと、<ruby><rb>歯痒</rb><rt>はがゆ</rt></ruby>いような、また得意の色があった。そしてもし自分ならば、――と胸で、季節の食品月令から意表で<ruby><rb>恰好</rb><rt>かっこう</rt></ruby>の品々を物色してみるのだった。

彼の姿を見かけると、食もの屋の家の中から声がかけられるのであった。

「やあ、先生寄ってらっしゃい」

けれども、その<ruby><rb>挨拶振</rb><rt>あいさつぶ</rt></ruby>りは義理か、通り一遍のものだった。どの店の人間も彼の<ruby><rb>当身</rb><rt>あてみ</rt></ruby>の多い講釈には参らされていた。

「寄ってらっしゃいたって、僕が食うようなものはありやしまいじゃないか」

「そりゃどうせ、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しがない</span><ruby><rb>垂簾</rb><rt>のれん</rt></ruby>の食もの屋ですからねえ」

こんな応対で通り過ぎてしまう店先が多かった。無学を見透されまいと、<ruby><rb>嵩</rb><rt>かさ</rt></ruby>にかかって人に立向う癖が彼についてしまっている。それはやがて敬遠される基と彼は知りながら自分でどうしようもなかった。彼は寂しく自宅へ近付いて行った。

表通りの呉服屋と畳表問屋の間の狭い露路の溝板へ足を踏みかけると、<ruby><rb>幽</rb><rt>かす</rt></ruby>かな音で溝板の上に<ruby><rb>弾</rb><rt>は</rt></ruby>ねているこまかいものの気配いがする。暗くなった夜空を振り仰ぐと古帽子の<ruby><rb>鍔</rb><rt>つば</rt></ruby>を外ずれてまたこまかいものが冷たく顔を<ruby><rb>撫</rb><rt>なで</rt></ruby>る。「もう<ruby><rb>霰</rb><rt>あられ</rt></ruby>が降るのか。」彼は一瞬の間に、伯母から<ruby><rb>令押被</rb><rt>おっかぶせ</rt></ruby>の平凡な妻と小児を抱えて貧しく暮している現在の境遇の<ruby><rb>行体</rb><rt>ぎょうたい</rt></ruby>が胸に<ruby><rb>泛</rb><rt>うか</rt></ruby>び上った。いま二足三足の足の運びで、それを眼のあたりに見なければならない運命を思うと<ruby><rb>鼈四郎</rb><rt>べつしろう</rt></ruby>は、うんざりするより<ruby><rb>憤怒</rb><rt>ふんぬ</rt></ruby>の情が胸にこみ上げて来た。ふと蛍雪館の妹娘のお絹の姿が<ruby><rb>俤</rb><rt>おもかげ</rt></ruby>に浮ぶ。いつも<ruby><rb>軽蔑</rb><rt>けいべつ</rt></ruby>した顔をして冷淡につけつけものをいい、それでいて自分に<ruby><rb>肌目</rb><rt>きめ</rt></ruby>のこまかい、しなやかで寂しくも調子の高い、文字では書けない若い詩を夢見させて<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れる不思議な存在なのだ。

「なんだって、自分はあんなに好きなお絹と一しょになり、好きな生活のできる富裕な邸宅に住めないのだろう。人間に好くという慾を植えつけて置きながら、その慾の欲しがるものを<ruby><rb>真</rb><rt>ま</rt></ruby>っ<ruby><rb>直</rb><rt>すぐ</rt></ruby>には与えない。誰だか知らないが、世界を慥えた奴はいやな奴だ」

その<ruby><rb>憤懣</rb><rt>ふんまん</rt></ruby>を抱いて敷居を<ruby><rb>跨</rb><rt>また</rt></ruby>ぐのだったから、家へ上って行くときの声は<ruby><rb>抉</rb><rt>えぐ</rt></ruby>るような意地悪さを帯びていた。

「おい。ビール、取っといたか。忘れやしまいな」

こどもに向き合い、五<ruby><rb>燭</rb><rt>しょく</rt></ruby>の電灯の下で、こどもに<ruby><rb>一箸</rb><rt>ひとはし</rt></ruby>、自分が二箸というふうにして夕飯をしたためていた妻の逸子は、自分の口の中のものを見悟られまいとするように<ruby><rb>周章</rb><rt>あわて</rt></ruby>て<ruby><rb>嚥</rb><rt>の</rt></ruby>み下した。口を<ruby><rb>袖</rb><rt>そで</rt></ruby>で押えて駆け出して来た。

「お帰りなさいまし。篤がお腹が減ったってあんまり泣くものですから、ご飯を食べさせていましたので、つい気がつきませんでして、済みません」

いいつつ奥歯と<ruby><rb>頬</rb><rt>ほお</rt></ruby>の間に挟った嚥み残しのものを、口の奥で仕末している。

「ビールを取っといたかと<ruby><rb>訊</rb><rt>き</rt></ruby>くんだ」

「はいはい」

逸子は、握り箸の篤を、そのまま斜に背中へ<ruby><rb>抛</rb><rt>ほう</rt></ruby>り上げて<ruby><rb>負</rb><rt>おぶ</rt></ruby>うと、霰の溝板を下駄で踏み鳴らして東仲通りの酒屋までビールを<ruby><rb>誂</rb><rt>あつら</rt></ruby>えに行った。

もう一突きで、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">カッ</span>となるか涙をぽろっと滴すかの悲惨な界の気持にまで追い込められた硬直の表情で、鼈四郎はチャブ台の前に<ruby><rb>胡坐</rb><rt>あぐら</rt></ruby>をかいた。チャブ台の上は少しばかりの皿小鉢が散らされ抛り置かれた<ruby><rb>飯茶碗</rb><rt>めしぢゃわん</rt></ruby>から飯は傾いてこぼれている。五燭の灯の下にぼんやり照し出される<ruby><rb>憐</rb><rt>あわ</rt></ruby>れな<ruby><rb>狼藉</rb><rt>ろうぜき</rt></ruby>の有様は、何か動物が生命を<ruby><rb>繋</rb><rt>つな</rt></ruby>ぐことのために<ruby><rb>僅</rb><rt>わず</rt></ruby>かなものを必死と食い<ruby><rb>貪</rb><rt>むさぼ</rt></ruby>る途中を<ruby><rb>闖入者</rb><rt>ちんにゅうしゃ</rt></ruby>のために追い退けられた跡とも見える。

「浅間しい」

鼈四郎は吐くようにこういって腕組みをした。

この市隠荘はお絹等姉妹の父で漢学者の荒木蛍雪が、中橋の表通りに画帖や拓本を売る蛍雪館の店を開いていた時分に、店の家が狭いところから、斜向うのこの露路内に売家が出たのを幸、買取って手入れをし寝泊りしたものである。ちょっとした庭もあり、十二畳の本座敷なぞは唐木が使ってある床の間があって<ruby><rb>瀟洒</rb><rt>しょうしゃ</rt></ruby>としている。蛍雪はその後、漢和の辞典なぞ作ったものが当り、利殖の才もあってだんだん富裕になった。表通りの店は人に譲り邸宅を芝の愛宕山の見晴しの台に普請し、蛍雪館の名もその方へ持って行った。露路内の市隠荘はしばらく戸を閉めたままであったのを、鼈四郎が蛍雪に取入り、荒木家の抱えのようになったので、蛍雪は鼈四郎にこの市隠荘を月々僅な生活費を添えて貸与えた。但し条件附であった。掃除をよくすること、本座敷は滅多に使わぬこと――。それゆえ、鼈四郎夫妻は次の間の六畳を常の住いに<ruby><rb>宛</rb><rt>あ</rt></ruby>てているのであった。一昨年の秋、夫妻にこどもが生れると蛍雪は家が汚れるといって嫌な顔をした。

「ちっとばかりの宛がい<ruby><rb>扶持</rb><rt>ぶち</rt></ruby>で、勝手な熱を吹く。いずれ一泡吹かしてやらなきゃ」

それかといって、急にさしたる工夫もない。そんなことを考えるほど眼の前をみじめなものに感じさすだけだった。

鼈四郎は舌打ちして、またもとのチャブ台へ首を振り向けた。懐手をして掌を宛てている胃拡張の胃が、<ruby><rb>鳩尾</rb><rt>みぞおち</rt></ruby>のあたりでぐうぐうと鳴った。

「うちの奴等、何を食ってやがったんだろう」

浅い皿の上から<ruby><rb>甘藷</rb><rt>いも</rt></ruby>の煮ころばしが飯粒をつけて転げ出している。

「なんだ、いもを食ってやがる。貧弱な奴等だ」

鼈四郎は、軽蔑し切った顔をしたけれども、ふだん家族のものには廉価なものしか食べることを許さぬ彼は、家族が自分の<ruby><rb>掟</rb><rt>おきて</rt></ruby>通りにしていることに、いくらか気を取直したらしい。

「ふ、ふ、ふ、いもをどんな煮方をして食ってやがるだろう。一つ<ruby><rb>試</rb><rt>ため</rt></ruby>してみてやれ」

彼は甘藷についてる飯粒を振り払い、ぱくんと開いた口の中へ抛り込んだ。それは案外上手に煮えていた。

「こりゃ、うまいや、ばかにしとらい」

鼈四郎は、何ともいいようのない<ruby><rb>擽</rb><rt>くすぐ</rt></ruby>ったいような顔をした。

霰を前髪のうしろに溜めて逸子が帰って来た。こどもを支えない方の手で提げて来たビール<ruby><rb>壜</rb><rt>びん</rt></ruby>を二本差出した。

「さし当ってこれだけ持って参りました。あとは小僧さんが届けて呉れるそうでございますわ」

鼈四郎はつねづね妻にいい含めて置いた。一本のビールを飲もうとするときにはあとに三本の用意をせよ。かかる用意あってはじめて、自分は無制限と豪快の気持で、その一本を飲み干すことができる。一本を飲もうとするときに一本こっきりでは、その限数が気になり伸々した気持でその一本すら分量の<ruby><rb>価打</rb><rt>ねう</rt></ruby>ちだけに飲み足らうことができない。結局損な飲ませ方なのだ。<ruby><rb>罎詰</rb><rt>びんづめ</rt></ruby>のビールなぞというものは腐るものではないから余計とって置いて差支えない。よろしく気持の上の後詰の分として余分の本数をとって置くべきであると。いま、逸子が酒屋へのビール注文の仕方は、鼈四郎のふだんのいい含めの旨に<ruby><rb>叶</rb><rt>かな</rt></ruby>うものであった。

「よしよし」と鼈四郎はいった。

彼は妻に、本座敷へ彼の夕食の席を設ることを命じた。これは珍しいことだった。妻は

「もし、ひょっとして汚しちゃ、悪かございません？」と一応念を押してみたが、<ruby><rb>良人</rb><rt>おっと</rt></ruby>は<ruby><rb>眉</rb><rt>まゆ</rt></ruby>をぴくりと動かしただけで返事をしなかった。この上機嫌を損じてはと、逸子は子供を<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>で負い替え本座敷の支度にかかった。

畳の上には汚れ<ruby><rb>除</rb><rt>よ</rt></ruby>けの渋紙が敷き詰めてある、<ruby><rb>屏風</rb><rt>びょうぶ</rt></ruby>や<ruby><rb>長押</rb><rt>なげし</rt></ruby>の額、床の置ものにまで<ruby><rb>塵除</rb><rt>ちりよ</rt></ruby>けの布ぶくろが<ruby><rb>冠</rb><rt>かぶ</rt></ruby>せてある。まるで座敷の中の調度が、住む自分等を異人種に取扱い、見られるのも触れられるのも<ruby><rb>冒涜</rb><rt>ぼうとく</rt></ruby>として、極力、防避を申合せてるようであった。こうしてから自分等に家を貸し与えた持主の蛍雪の非人情をまざまざ見せつけられるようで、逸子には憎々しかった。

彼女は<ruby><rb>復讐</rb><rt>ふくしゅう</rt></ruby>の小気味よさを感じながらこれ等の覆いものを<ruby><rb>悉</rb><rt>ことごと</rt></ruby>く<ruby><rb>剥</rb><rt>は</rt></ruby>ぎ取った。子供の眼鼻に<ruby><rb>塵</rb><rt>ちり</rt></ruby>の入らぬよう<ruby><rb>手拭</rb><rt>てぬぐい</rt></ruby>を<ruby><rb>冠</rb><rt>かぶ</rt></ruby>せといて座敷の中をざっと<ruby><rb>叩</rb><rt>はた</rt></ruby>いたり掃いたりした。何かしら今夜の<ruby><rb>良人</rb><rt>おっと</rt></ruby>の気分を察するところがあって、電灯も五十<ruby><rb>燭</rb><rt>しょく</rt></ruby>の球につけ替えた。<ruby><rb>明</rb><rt>あかり</rt></ruby><ruby><rb>煌々</rb><rt>こうこう</rt></ruby>と照り輝く座敷の中に立ち、あたりを<ruby><rb>見廻</rb><rt>みまわ</rt></ruby>すと、逸子も久振りに気も晴々となった。しかし<ruby><rb>臆</rb><rt>おく</rt></ruby>し心の逸子はやはり家の持主に対して内証の隠事をしている気持が出て来て、永くは見廻していられなかった。彼女は<ruby><rb>座布団</rb><rt>ざぶとん</rt></ruby>を置き、傍にビール<ruby><rb>罎</rb><rt>びん</rt></ruby>を置くと次の茶の間に引下りそこで中断された母子の夕飯を食べ続けた。

この間台所で<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎ</rt></ruby>やかな物音を立て何か支度をしていた<ruby><rb>鼈四郎</rb><rt>べつしろう</rt></ruby>は、<ruby><rb>襖</rb><rt>ふすま</rt></ruby>を開けて<ruby><rb>陶器鍋</rb><rt>とうきなべ</rt></ruby>のかかった<ruby><rb>焜炉</rb><rt>こんろ</rt></ruby>を持ち出した。白いものの山型に盛られている<ruby><rb>壺</rb><rt>つぼ</rt></ruby>と、茶色の塊が入っている鉢と白いものの横っている皿と香のものと配置よろしき<ruby><rb>塗膳</rb><rt>ぬりぜん</rt></ruby>を持出した。<ruby><rb>醤油注</rb><rt>しょうゆつ</rt></ruby>ぎ、手塩皿、ちりれんげ、なぞの載っている盆を持出した。四度目にビールの<ruby><rb>栓抜</rb><rt>せんぬ</rt></ruby>きとコップを、ちょうど<ruby><rb>士</rb><rt>さむらい</rt></ruby>が座敷に入るとき片手で提げるような形式張った<ruby><rb>肘</rb><rt>ひじ</rt></ruby>の張り方で持出すと、洋服の腰に巻いていた妙な覆い布を剥ぎ去って台所へ<ruby><rb>抛</rb><rt>ほう</rt></ruby>り込んだ。襖を閉め切ると、座敷を歩み過し<ruby><rb>椽側</rb><rt>えんがわ</rt></ruby>のところまで来て<ruby><rb>硝子障子</rb><rt>ガラスしょうじ</rt></ruby>を明け放した。<ruby><rb>闇</rb><rt>やみ</rt></ruby>の庭は電燭の光りに、小さな築山や池のおも影を薄肉彫刻のように浮出させ、その表を<ruby><rb>僅</rb><rt>わずか</rt></ruby>な<ruby><rb>霰</rb><rt>あられ</rt></ruby>が縦に<ruby><rb>掠</rb><rt>かす</rt></ruby>めて落ちている。幸に風が無いので、寒いだけ室内の焜炉の火も、火鉢の火も穏かだった。

彼は座布団の上に<ruby><rb>胡座</rb><rt>あぐら</rt></ruby>を<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>くと、ビール罎に手をかけ、にこにこしながら壁越しに向っていった。

「おい、頼むから今夜は子供を泣かしなさんな」

彼は、ビールの最初のコップに口をつけこくこくこくと飲み干した。掌で唇の泡を<ruby><rb>拭</rb><rt>ぬぐ</rt></ruby>い払うと、さも甘そうにうえーと<ruby><rb>噯気</rb><rt>おくび</rt></ruby>を吐いた。その誇張した味い方は落語家の所作を<ruby><rb>真似</rb><rt>まね</rt></ruby>をして遊んでいるようにも妻の逸子には壁越しに取れた。

彼は次に、焜炉にかけた陶器鍋の<ruby><rb>蓋</rb><rt>ふた</rt></ruby>に手をかけ、やあっと掛声してその蓋を高く<ruby><rb>擡</rb><rt>もた</rt></ruby>げた。大根の<ruby><rb>茹</rb><rt>ゆだ</rt></ruby>った<ruby><rb>匂</rb><rt>にお</rt></ruby>いが、汁の煮出しの匂いと共に湯気を上げた。

「細工はりゅうりゅう、手並をごろうじろ」

と彼は抑揚をつけていったが、蓋の熱さに堪えなかったものと見え、ち、ちちちといって、蓋を急ぎ下に置いた様子も、逸子には壁越しに察せられた。

じかに置いたらしい蓋の<ruby><rb>雫</rb><rt>しずく</rt></ruby>で、畳が損ぜられやしないか？　ひやりとした懸念を押しのけて、逸子におかしさがこみ上げた。彼女はくすりと笑った。世間からは<ruby><rb>傲慢</rb><rt>ごうまん</rt></ruby>一方の人間に、また自分たち家族に対しては<ruby><rb>暴君</rb><rt>タイラント</rt></ruby>の良人が、食物に係っているときだけ、<ruby><rb>温順</rb><rt>おとな</rt></ruby>しく無邪気で子供のようでもある。何となくいじらしい気持が<ruby><rb>湧</rb><rt>わ</rt></ruby>くのを泣かさぬよう添寝をして寝かしつけている子供の上に<ruby><rb>被</rb><rt>かず</rt></ruby>けた。彼女は子供の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ちゃんちゃんこ</span>と着ものの間に手をさし入れて子供を引寄せた。寝つきかかっている子供の身体は性なく軟かに、ほっこり温かだった。

本座敷で鼈四郎は、大根料理を<ruby><rb>肴</rb><rt>さかな</rt></ruby>にビールを飲み進んで行った。材料は、<ruby><rb>厨</rb><rt>くりや</rt></ruby>で僅に見出した、しかも平凡な練馬大根一本に過ぎないのだが、彼はこれを一汁三菜の<ruby><rb>膳組</rb><rt>ぜんぐみ</rt></ruby>に従って調理し、品附した。すなわち<ruby><rb>鱠</rb><rt>なます</rt></ruby>には大根を卸しにし、煮物には大根を輪切にしたものを<ruby><rb>鰹節</rb><rt>かつおぶし</rt></ruby>で煮てこれに<ruby><rb>宛</rb><rt>あ</rt></ruby>てた。焼物皿には大根を小魚の形に刻んで載せてあった。鍋は汁の代りになる。

かくて一汁三菜の献立は彼に於て<ruby><rb>完</rb><rt>まっと</rt></ruby>うしたつもりである。

彼には何か<ruby><rb>意固地</rb><rt>いこじ</rt></ruby>なものがあった。<ruby><rb>富贍</rb><rt>ふせん</rt></ruby>な食品にぶつかったときはひと<ruby><rb>種</rb><rt>いろ</rt></ruby>で満足するが、貧寒な品にぶつかったときは形式美を欲した。彼は明治初期に文明開化の評論家であり、後に九代目団十郎のための劇作家となった<ruby><rb>桜痴居士</rb><rt>おうちこじ</rt></ruby>福地源一郎の生活態度を聞知っていた。この旗本出で江戸っ子の作者は、極貧の中に在って客に食事を供するときには家の粗末な<ruby><rb>惣菜</rb><rt>そうざい</rt></ruby>のものにしろ、これを必ず一汁三菜の膳組の様式に盛り整えた。従って焼物には<ruby><rb>塩鮭</rb><rt>しおじゃけ</rt></ruby>の切身なぞもしばしば使われたという。

彼は料理に関係する実話や逸話を、諸方の料理人に、例の高飛車な教え方をする間に、聞出して、いくつとなく耳学問に貯える。何かという場合にはその知識に加担を頼んで工夫し出した。彼は独創よりもどっちかというと記憶のよい人間だった。

彼は形式通り膳組されている膳を眺めながら、ビールの合の手に鍋の大根の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ちり</span>を<ruby><rb>喰</rb><rt>た</rt></ruby>べ進んで行った。この料理に<ruby><rb>就</rb><rt>つい</rt></ruby>ても、彼には基礎の知識があった。これは西園寺陶庵公が好まれる食品だということであった。彼は<ruby><rb>人伝</rb><rt>ひとづ</rt></ruby>てにこの事を聞いたとき、政治家の傍、あれだけの趣味人である老公が、舌に於て最後に到り付く食味はそんな簡単なものであるのか。それは思いがけない気もしたが、しかし<ruby><rb>肯</rb><rt>うなず</rt></ruby>かせるところのある思いがけなさでもあった。そして彼には、いわゆる偉い人が好んだという食品はぜひ自分も一度は味ってみようという念願があった。それは一方彼の英雄主義の現れであり、一方偉い人の探索でもあった。その人が好くという食品を味ってみて、その人がどんな人であるかを<ruby><rb>溯</rb><rt>さかのぼ</rt></ruby>り知り当てることは、もっとも正直で容易い人物鑑識法のように彼には思えた。

鍋の煮出し汁は、<ruby><rb>兼</rb><rt>かね</rt></ruby>て貯えの彼特製の野菜のエキスで調味されてあった。大根は初冬に入り肥えかかっていた。七つ八つの泡によって鍋底から浮上り漂う<ruby><rb>銀杏形</rb><rt>いちょうがた</rt></ruby>の<ruby><rb>片</rb><rt>き</rt></ruby>れの中で、ほど良しと思うものを彼は<ruby><rb>箸</rb><rt>はし</rt></ruby>で選み上げた。手塩皿の<ruby><rb>溜醤油</rb><rt>たまり</rt></ruby>に片れの一角を浸し熱さを吹いては喰べた。

<ruby><rb>生</rb><rt>き</rt></ruby>で純で、自然の質そのものだけの持つ<ruby><rb>謙遜</rb><rt>けんそん</rt></ruby>な滋味が片れを口の中へ入れる度びに<ruby><rb>脆</rb><rt>もろ</rt></ruby>く柔く溶けた。大まかな菜根の匂いがする。それは案外、<ruby><rb>甘</rb><rt>あま</rt></ruby>いものであった。

「成程なア」

彼は、<ruby><rb>感歎</rb><rt>かんたん</rt></ruby>して独り言をいった。

彼は盛に煮上って来るのを、今度は立て続けに吹きもて食べた。それは食べるというよりは、吸い取るという<ruby><rb>恰好</rb><rt>かっこう</rt></ruby>に近かった。土鼠が食い<ruby><rb>耽</rb><rt>ふけ</rt></ruby>る飽くなき態があった。

その間、たまに彼は箸を、大根卸しの壺に差出したが、ついに煮大根の鉢にはつけなかった。

食い終って一通り<ruby><rb>堪能</rb><rt>たんのう</rt></ruby>したと見え、彼は焜炉の口を閉じはじめて霰の庭を眺め<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>った。

あまり酒に強くない彼は胡座の左の<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>に左の肘を突立て、もう上体をふらふらさしていた。噯気をしきりに吐くのは、もはや景気附けではなく、胃拡張の胃壁の遅緩が、飲食したものの刺激に遭いうねり戻す本もののものだった。ときどき甘苦い粘塊が口中へ<ruby><rb>噎</rb><rt>む</rt></ruby>せ上って来る。その中には大根の片れの<ruby><rb>生噛</rb><rt>なまが</rt></ruby>みのものも混っている。彼は食後には必ず、この噯気をやり、そして、人前をも<ruby><rb>憚</rb><rt>はばか</rt></ruby>らず<ruby><rb>反芻</rb><rt>はんすう</rt></ruby>する癖があった。壁越しに聞いている逸子は「また、始めた」と浅間しく思う。家庭の食後にそれをする父を見慣れて、こどもの篤が<ruby><rb>真似</rb><rt>まね</rt></ruby>て仕方が無いからであった。

噯気は不快だったが、その不快を克服するため、なおもビールを飲み<ruby><rb>煙草</rb><rt>たばこ</rt></ruby>を<ruby><rb>喫</rb><rt>す</rt></ruby>うところに、身体に非現実な美しい不安が起る。「このとき、僕は、人並の気持になれるらしい。妻も子も<ruby><rb>可愛</rb><rt>かわい</rt></ruby>がれる――」彼はこんなことを逸子によくいう。逸子は寝かしついた子供に布団を重ねて掛けてやりながら、「すると、そのとき以外は、良人に蛍雪が<ruby><rb>綽名</rb><rt>あだな</rt></ruby>に付けたその<ruby><rb>鼈</rb><rt>すっぽん</rt></ruby>のような動物の気持でいるのかしらん」と疑う。

鼈四郎は、煙草を喫いながら、彼のいう人並の気持になって、霰の庭を味っていた。時刻は夜に入り<ruby><rb>闇</rb><rt>やみ</rt></ruby>の深まりも増したかに感ぜられる。庭の構いの板塀は見えないで、無限に地平に抜けている目途の闇が感じられる。小さな築山と木枝の茂みや、池と庭草は、電灯の光は受けても薄板金で張ったり、針金で<ruby><rb>輪廓</rb><rt>りんかく</rt></ruby>を取ったりした小さなセットにしか見えない。<ruby><rb>呑</rb><rt>の</rt></ruby>むことだけして吐くことを知らない<ruby><rb>闇</rb><rt>やみ</rt></ruby>。もし人間が、こんな<ruby><rb>怖</rb><rt>おそ</rt></ruby>ろしい暗くて鈍感な無限の消化力のようなものに<ruby><rb>捉</rb><rt>とら</rt></ruby>えられたとしたならどうだろう。泣いても<ruby><rb>喚</rb><rt>わめ</rt></ruby>き叫んでも、追付かない、そして身体は<ruby><rb>毛氈苔</rb><rt>もうせんごけ</rt></ruby>に粘られた小虫のように、徐々に溶かされて行く、溶かされるのを知りつつ、何と術もなく、じーじー鳴きながら捉えられている。永遠に――。<ruby><rb>鼈四郎</rb><rt>べつしろう</rt></ruby>はときどき死ということを<ruby><rb>想</rb><rt>おも</rt></ruby>い見ないことはない。彼が生み付けられた自分でも仕末に終えない激しいものを、せめて世間に理解して貰おうと彼は世間にうち<ruby><rb>衝</rb><rt>つか</rt></ruby>って行く。世間は<ruby><rb>他人</rb><rt>ひと</rt></ruby>ごとどころではないと素気なく<ruby><rb>弾</rb><rt>は</rt></ruby>ね返す。彼はいきり立ち<ruby><rb>武者振</rb><rt>むしゃぶ</rt></ruby>りついて行く。気狂い<ruby><rb>染</rb><rt>じ</rt></ruby>みているとて今度は体を更わされる。あの手この手。彼は世間から拒絶されて心身の髄に重苦しくてしかも<ruby><rb>薄痒</rb><rt>うすがゆ</rt></ruby>い<ruby><rb>疼</rb><rt>うず</rt></ruby>きが残るだけの性抜きに<ruby><rb>草臥</rb><rt>くたび</rt></ruby>れ果てたとき、彼は死を想い見るのだった。それはすべてを清算して<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れるものであった。想い見た死に身を横えるとき、自分の生を眺め返せば「あれは、まず、あれだけのもの」と、あっさり<ruby><rb>諦</rb><rt>あきら</rt></ruby>められた。潔い苦笑が唇に<ruby><rb>泛</rb><rt>うか</rt></ruby>べられた。かかる死を時せつ想い見ないで、なんで自分のような激しい人間が三十に手の届く年齢にまでこの世に生き永らえて来られようぞと彼は思う。

生を顧みて「あれは、まず、あれだけのもの」と諦めさすところの彼の想い見た死はまた、生をそう想い諦めさすことによってそれ自らを至って性の軽いものにした。生が「あれは、まず、あれだけのもの」としたなら、死もまた「これは、まず、これだけのもの」に過ぎなかった。彼は<ruby><rb>衒学的</rb><rt>げんがくてき</rt></ruby>な口を利くことを好むが、彼には深い<ruby><rb>思惟</rb><rt>しい</rt></ruby>の素養も脳力も無い<ruby><rb>筈</rb><rt>はず</rt></ruby>である。

これは全く押し詰められた体験の感じから来たもので、それだけにまた、動かぬものであった。彼は少青年の頃まで、拓本の職工をしていたことがあるが、その拓本中に往々出て来る死生一如とか、人生一<ruby><rb>泡滓</rb><rt>ほうさい</rt></ruby>とかいう文字をこの感じに於て解していた。それ故にこそ、とどのつまりは「うまいものでも食って」ということになった。世間に<ruby><rb>肩肘</rb><rt>かたひじ</rt></ruby>張って暮すのも左様大儀な芝居でもなかった。

だが、<ruby><rb>今宵</rb><rt>こよい</rt></ruby>の闇の深さ、粘っこさ、それはなかなか自分の感じ捉えた死などいう潔く諦めよいものとは違っていて、不思議な力に<ruby><rb>充</rb><rt>み</rt></ruby>ちている。絶望の空虚と、残忍な愛とが一つになっていて、捉えたものは<ruby><rb>嘗</rb><rt>な</rt></ruby>め溶し溶し尽きたら、また、原形に生み戻し、また嘗め溶す作業を永遠に、繰返さでは満足しない<ruby><rb>執拗</rb><rt>しつよう</rt></ruby>さを持っている。こんな力が世の中に在るのか。鼈四郎は、今迄、いろいろの食品を<ruby><rb>貪</rb><rt>むさぼ</rt></ruby>り味ってみて、一つの食品というものには、意志と力があってかくなりわい出たもののように感じていた。<ruby><rb>押拡</rb><rt>おしひろ</rt></ruby>げて食品以外の事物にも、何かの種類の意味で味いというものを帯びている以上、それがあるように思われている。だが、今宵の闇の味い！　これほど無窮無限と繰返しを象徴しているものは無かった。人間が虫の好く好物を食べても食べても食べ飽きた気持がしたことはない。あの虫の好きと一路通ずるものがありはしないか。

これは天地の食慾とでもいうものではないかしらん、これに<ruby><rb>較</rb><rt>くら</rt></ruby>べると人間の食慾なんて高が知れている。

「しまった」と彼は<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>いてみた。

彼は久振りで、自分の嫌な過去の生い立ちを点検してみた。

京都の由緒ある大きな寺のひとり子に生れ幼くして父を失った。母親は内縁の若い後妻で入籍して無かったし、寺には寺で法縁上の<ruby><rb>紛擾</rb><rt>ふんじょう</rt></ruby>があり、寺の<ruby><rb>後董</rb><rt>ごとう</rt></ruby>は思いがけない<ruby><rb>他所</rb><rt>よそ</rt></ruby>の方から来てしまった。親子のものはほとんど裸同様で寺を追出される形となった。これみな<ruby><rb>恬澹</rb><rt>てんたん</rt></ruby>な名僧といわれた父親の世務をうるさがる性癖から来た結果だが、母親はどういうものか父を恨まなかった。「なにしろこどものような方だったから罪はない」そしてたった一つの遺言ともいうべき彼が誕生したときいったという父の言葉を伝えた。「この子がもし物ごころがつく時分わしも<ruby><rb>老齢</rb><rt>とし</rt></ruby>じゃから死んどるかも知れん。それで苦労して、なんでこんな苦しい<ruby><rb>娑婆</rb><rt>しゃば</rt></ruby>に頼みもせんのに生み付けたのだと親を恨むかも知れん。だがそのときはいってやりなさい。こっちとて同じことだ、何でも頼みもせんのに親に苦労をかけるようなこの苦しい娑婆に生れて出て来なすったのだお互いさまだ、と」この言葉はとても薄情にとれた、しかし薄情だけでは片付けられない妙な響が鼈四郎の心に残された。

はじめは寺の弟子たちも故師の遺族に恩を返すため順番にめいめいの持寺に引取って世話をした。しかしそれは永く続かなかった。どの寺にも<ruby><rb>寄食人</rb><rt>かかりゅうど</rt></ruby>を息詰らす家族というものがあった。最後に厄介になったのは父の碁敵であった拓本職人の老人の家だった。貧しいが<ruby><rb>鰥暮</rb><rt>やもめぐら</rt></ruby>しなので気は楽だった。母親は老人の家の煮炊き洗濯の面倒を見てやり、彼はちょうど高等小学も卒業したので老人の元に<ruby><rb>法帖</rb><rt>ほうじょう</rt></ruby>造りの職人として仕込まれることになった。老人は変り者だった、碁を打ちに出るときは数日も家に帰らないが、それよりも春秋の頃おい小学校の運動会が始り出すと、彼はほとんど毎日家に居なかった。京都の市中や近郊で催されるそれを<ruby><rb>漁</rb><rt>あさ</rt></ruby>り尋ね見物して来るのだった。「今日の××小学校の遊戯はよく手が<ruby><rb>揃</rb><rt>そろ</rt></ruby>った」とか、「今日の△△小学校の<ruby><rb>駈足</rb><rt>かけあし</rt></ruby>競争で、今迄にない早い足の子がいた」とか<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>して<ruby><rb>悦</rb><rt>よろこ</rt></ruby>んでいた。

その留守の間、彼は<ruby><rb>糊臭</rb><rt>のりくさ</rt></ruby>い仕事場で、法帖作りをやっているのだが、墨色に多少の変化こそあれ<ruby><rb>蝉翅搨</rb><rt>せんしとう</rt></ruby>といったところで、<ruby><rb>烏金搨</rb><rt>うきんとう</rt></ruby>といったところで再び生物の上には戻って来ぬ過去そのものを色にしたような非情な黒に過ぎない。その黒へもって行って寒白い空閑を抜いて浮出す拓本の<ruby><rb>字劃</rb><rt>じかく</rt></ruby>というものは少年の鼈四郎にとってまたあまりに寂しいものであった。「雨降りあとじゃ、川へいて、<ruby><rb>雑魚</rb><rt>ざこ</rt></ruby>なと、取って来なはれ、あんじょ、おいしゅう煮て、食べまひょ」継ものをしていた母親がいった。鼈四郎は<ruby><rb>笊</rb><rt>ざる</rt></ruby>を持って堤を越え川へ下りて行く。

その頃まだ加茂川にも小魚がいた。季節季節によって、<ruby><rb>鮴</rb><rt>ごり</rt></ruby>、<ruby><rb>川鯊</rb><rt>かわはぜ</rt></ruby>、<ruby><rb>鮠</rb><rt>はや</rt></ruby>、雨降り揚句には鮒や鰻も浮出てとんだ獲ものもあった。こちらの河原には近所の子供の一群がすでに<ruby><rb>漁</rb><rt>あさ</rt></ruby>り騒いでいる。むこうの土手では摘草の一家族が水ぎわまでも摘み下りている。<ruby><rb>鞍馬</rb><rt>くらま</rt></ruby>へ<ruby><rb>岐</rb><rt>わか</rt></ruby>れ路の堤の辺には日傘をさした人影も増えている。境遇に負けて<ruby><rb>人臆</rb><rt>ひとおく</rt></ruby>れのする少年であった鼈四郎は、これ等の<ruby><rb>人気</rb><rt>ひとけ</rt></ruby>を避けて、土手の屈曲の影になる川の枝流れに、芽出し柳の<ruby><rb>参差</rb><rt>しんし</rt></ruby>を盾に、姿を隠すようにして漁った。すみれ草が甘く<ruby><rb>匂</rb><rt>にお</rt></ruby>う。<ruby><rb>糺</rb><rt>ただす</rt></ruby>の<ruby><rb>森</rb><rt>もり</rt></ruby>がぼーっと霞んで見えなくなる。おや自分は泣いてるなと思って<ruby><rb>眼瞼</rb><rt>まぶた</rt></ruby>を閉じてみると、<ruby><rb>雫</rb><rt>しずく</rt></ruby>の玉がブリキ<ruby><rb>屑</rb><rt>くず</rt></ruby>に落ちたかしてぽとんという音がした。器用な彼はそれでも少しの間に一握りほどの雑魚を漁り得る。持って帰ると母親はそれを巧に煮て、春先の夕暮のうす明りで他人の家の留守を預りながら母子二人だけの<ruby><rb>夕餉</rb><rt>ゆうげ</rt></ruby>をしたためるのであった。

母親は身の上の素性を息子に語るのを好まなかった。ただ彼女は食べ意地だけは張っていて、朝からでも少しのお<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">なまぐさ</span>が無ければ飯の<ruby><rb>箸</rb><rt>はし</rt></ruby>は取れなかった。それの言訳のように彼女はこういった。「なんしい、食べ辛棒の土地で<ruby><rb>気儘放題</rb><rt>きままほうだい</rt></ruby>に育てられたもんやて！」

鼈四郎は母親の素性を<ruby><rb>僅</rb><rt>わずか</rt></ruby>に他人から聞き貯めることが出来た。大阪<ruby><rb>船場</rb><rt>せんば</rt></ruby>目ぬきの場所にある<ruby><rb>旧舗</rb><rt>しにせ</rt></ruby>の主人で鼈四郎の父へ深く<ruby><rb>帰依</rb><rt>きえ</rt></ruby>していた信徒があった。不思議な不幸続きで、店は<ruby><rb>潰</rb><rt>つぶ</rt></ruby>れ娘一人を残して自分も死病にかかった。鼈四郎の父はそれまで不得手ながら金銭上の事に関ってまでいろいろ面倒を見てやったのだがついにその<ruby><rb>甲斐</rb><rt>かい</rt></ruby>もなかった。しかし、すべてを過去の罪障のなす業と<ruby><rb>諦</rb><rt>あきら</rt></ruby>めた病主人は、罪障消滅のためにも、一つは永年の恩義に<ruby><rb>酬</rb><rt>むく</rt></ruby>ゆるため、妻を失ってしばらく<ruby><rb>鰥暮</rb><rt>やもめぐら</rt></ruby>しでいた<ruby><rb>鼈四郎</rb><rt>べつしろう</rt></ruby>の父へ、せめて身の周りの世話でもさせたいと、娘を父の寺へ上せて<ruby><rb>身罷</rb><rt>みまか</rt></ruby>ったという。他の事情は語らない母親も「お罪障消滅のため寺方に上った身が、食べ慾ぐらい断ち切れんで、ほんまに済まんと思うが、やっぱりお罪障の残りがあるかして、こればかりはしようもない」この述懐だけは亦ときどき口に<ruby><rb>洩</rb><rt>もら</rt></ruby>しながら、最小限度のつもりにしろ、食べもの<ruby><rb>漁</rb><rt>あさ</rt></ruby>りはやめなかった。

少青年の頃おいになって鼈四郎は、諸方の風雅の<ruby><rb>莚</rb><rt>むしろ</rt></ruby>の手伝いに頼まれ出した。市民一般に趣味人をもって任ずるこの古都には、いわゆる琴棋書画の会が多かった。はじめ拓本職人の老人が出入りの<ruby><rb>骨董商</rb><rt>こっとうしょう</rt></ruby>に展観の会があるのを老人に代って手伝いに出たのがきっかけとなり、あちらこちらより頼まれるようになった。才はじけた性質を<ruby><rb>人臆</rb><rt>ひとおく</rt></ruby>しする性質が<ruby><rb>暈</rb><rt>ぼか</rt></ruby>しをかけている若者は何か人目につくものがあった。薄皮仕立で桜色の皮膚は<ruby><rb>下膨</rb><rt>しもぶく</rt></ruby>れの顔から胸鼈へかけて<ruby><rb>嫩葉</rb><rt>わかば</rt></ruby>のような<ruby><rb>匂</rb><rt>にお</rt></ruby>いと潤いを持っていた。それが拓本老職人の古風な着物や<ruby><rb>袴</rb><rt>はかま</rt></ruby>を仕立て直した衣服を身につけて座を<ruby><rb>斡旋</rb><rt>あっせん</rt></ruby>するさまも趣味人の間には好もしかった。人々は戯れに千の与四郎、――茶祖の利休の幼名をもって彼を呼ぶようになった。利休の少年時が果して彼のように<ruby><rb>美貌</rb><rt>びぼう</rt></ruby>であったか判らないが、少くとも利休が与四郎時代秋の庭を掃き<ruby><rb>浄</rb><rt>きよ</rt></ruby>めたのち、あらためて一握りの紅葉をもって庭上に<ruby><rb>撒</rb><rt>ま</rt></ruby>き散らしたという利休の趣味性の早熟を物語る逸話から<ruby><rb>聯想</rb><rt>れんそう</rt></ruby>して来る与四郎は、彼のような美少年でなければならなかった。与えられたこの戯名を彼も<ruby><rb>諾</rb><rt>あまな</rt></ruby>い受け<ruby><rb>寧</rb><rt>むし</rt></ruby>ろ少からぬ誇りをもって自称するようにさえなった。

<ruby><rb>洒落</rb><rt>しゃ</rt></ruby>れたお弁当が食べられ、なにがしかずつ心付けの銭さえ貰えるこの手伝いの役は彼を<ruby><rb>悦</rb><rt>よろこ</rt></ruby>ばした。そのお弁当を二つも貰って食べ抹茶も一服よばれたのち、しばらくの休憩をとるため、座敷に張り<ruby><rb>廻</rb><rt>めぐ</rt></ruby>らした紅白だんだらの<ruby><rb>幔幕</rb><rt>まんまく</rt></ruby>を向うへ<ruby><rb>弾</rb><rt>は</rt></ruby>ね潜って出る。そこは庭に沿った<ruby><rb>椽側</rb><rt>えんがわ</rt></ruby>であった。<ruby><rb>陽</rb><rt>ひ</rt></ruby>はさんさんと照り輝いて満庭の青葉若葉から陽の<ruby><rb>雫</rb><rt>しずく</rt></ruby>が滴っているようである。椽も遺憾なく照らし暖められている。彼はその椽に大の字なりに寝て満腹の腹を<ruby><rb>撫</rb><rt>な</rt></ruby>でさすりながらうとうとしかける。智恩院聖護院の昼鐘が、まだ鳴り止まない。<ruby><rb>夏霞</rb><rt>なつがすみ</rt></ruby>棚引きかけ、眼を細めてでもいるような<ruby><rb>和</rb><rt>なご</rt></ruby>み方の東山三十六峯。ここの椽に人影はない。しかし別書院の控室の間から演奏場へ通ずる中廊下には人の足音が地車でも続いて通っているよう絶えずとどろと鳴っている。その控室の方に当っては、もはや、午後の演奏の支度にかかっているらしく、尺八に対して音締めを直している琴や<ruby><rb>胡弓</rb><rt>こきゅう</rt></ruby>の音が、音のこぼれもののように聞えて来る。間に混って盲人の鼻詰り声、娘たちの若い笑い声。

若者の鼈四郎は、こういう景致や物音に遠巻きされながら、それに煩わされず、逃れて一人うとうとする<ruby><rb>束</rb><rt>つか</rt></ruby>の<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>を楽しいものに思い<ruby><rb>做</rb><rt>な</rt></ruby>した。腹に満ちた<ruby><rb>咀嚼物</rb><rt>そしゃくぶつ</rt></ruby>は陽のあたためを受けて滋味は油のように溶け骨、肉を潤し<ruby><rb>剰</rb><rt>あま</rt></ruby>り今や身体の全面にまでにじみ出して来るのを<ruby><rb>艶</rb><rt>つや</rt></ruby>やかに感ずる。金目がかかり、値打ちのある肉体になったように感ずる。心の底に<ruby><rb>押籠</rb><rt>おしこ</rt></ruby>められながら焦々した怒ろしい<ruby><rb>想</rb><rt>おも</rt></ruby>いはこの豊潤な肉体に対し、いよいよその豊潤を刺激して引立てる内部からの香辛料になったような気がする。その快さ甘くときめかす匂い、<ruby><rb>芍薬畑</rb><rt>しゃくやくばたけ</rt></ruby>が庭のどこかにあるらしい。

古都の空は<ruby><rb>浅葱色</rb><rt>あさぎいろ</rt></ruby>に晴れ渡っている。和み合う<ruby><rb>睫</rb><rt>まつげ</rt></ruby>の間にか、<ruby><rb>充</rb><rt>み</rt></ruby>ち足りた胸の中にか白雲の一浮きが軽く渡って行く。その一浮きは同時にうたた寝の夢の中にも通い、<ruby><rb>濡</rb><rt>ぬ</rt></ruby>れ色の白鳥となって翼に乗せて過ぎる。はつ夏の哀愁。「与四郎さん、こんなとこで寝てなはる。用事あるんやわ、もう起きていなあ、」鼻の<ruby><rb>尖</rb><rt>さき</rt></ruby>を摘まれる。美しい年増夫人のやわらかくしなやかな指。

鼈四郎はだんだん家へ帰らなくなった。貧寒な拓本職人の家で、<ruby><rb>女餓鬼</rb><rt>めがき</rt></ruby>の官女のような母を相手にみじめな暮しをするより、若い女のいる派手で<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎや</rt></ruby>かな会席を渡り歩るいてる方がその日その日を面白く<ruby><rb>糊塗</rb><rt>こと</rt></ruby>できて気持よかった。何か一筋、心の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しん</span>になる<ruby><rb>確</rb><rt>しっか</rt></ruby>りした考え。何か一業、人に優れて身の立つような職能を<ruby><rb>捉</rb><rt>とら</rt></ruby>えないでは生きて行くに危いという不安は、殊にあの心の底に伏っている<ruby><rb>焦々</rb><rt>いらいら</rt></ruby>した怒ろしい想いに<ruby><rb>煽</rb><rt>あお</rt></ruby>られると、居ても立ってもいられない悩みの<ruby><rb>焔</rb><rt>ほのお</rt></ruby>となって彼を焼くのであるが、その焦熱を感ずれば感ずるほど、彼はそれをまわりで<ruby><rb>擦</rb><rt>こす</rt></ruby>って<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>き落すよう、いよいよ雑多と変化の世界へ紛れ込んで行くのであった。彼はこの間に持って生れた器用さから、趣味の技芸なら大概のものを田舎初段程度にこなす腕を自然に習い覚えた。彼は調法な与四郎となった。どこの師匠の家でも彼を歓迎した。棋院では初心の客の相手役になってやるし、琴の家では琴師を頼まないでも彼によって<ruby><rb>絃</rb><rt>げん</rt></ruby>の緩みは締められた。生花の家でお嬢さんたちのための花の下慥え、茶の湯の家ではまたお嬢さんや夫人たちのための点茶や懐石のよき相談相手だった。拓本職人は石刷りを<ruby><rb>法帖</rb><rt>ほうじょう</rt></ruby>に仕立てる表具師のようなこともやれば、石刷りを版木に模刻して印刷をする彫版師のような仕事もした。そこから自ずから彼は表具もやれば刀を採って、木彫<ruby><rb>篆刻</rb><rt>てんこく</rt></ruby>の業もした。字は宋拓を見よう<ruby><rb>見真似</rb><rt>みまね</rt></ruby>に書いた。画は彼が最得意とするところで、ひょっとしたら、これ<ruby><rb>一途</rb><rt>いちず</rt></ruby>に身を立てて行こうかとさえ思うときがあった。

頼めば何でも間に合わして<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れる。こんな調法人をどこで歓迎しないところがあろうか。

彼は紛れるともなく、その日その日の憂さを忘れて渡り歩るいた。母は鼈四郎が勉強のため世間に知識を<ruby><rb>漁</rb><rt>あさ</rt></ruby>っていて今に何か<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>んで来るものと思い込んでるので<ruby><rb>呑込</rb><rt>のみこ</rt></ruby>み顔で放って置いたし、拓本職人の<ruby><rb>老爺</rb><rt>ろうや</rt></ruby>は仕事の手が欠けたのをこぼしこぼし、しかし<ruby><rb>叱言</rb><rt>こごと</rt></ruby>というほどの叱言はいわなかった。

師匠連や有力な弟子たちは彼を取巻のようにして瓢亭・俵やをはじめ市中の名料理へ飲食に連れて行った。彼は美食に事欠かぬのみならず、<ruby><rb>天稟</rb><rt>てんぴん</rt></ruby>から、料理の秘奥を感取った。

そうしているうち、ふと鼈四郎に気が付いて来たことがあった。このように諸方で歓迎されながら彼は未だ<ruby><rb>嘗</rb><rt>かつ</rt></ruby>て尊敬というものをされたことがない。大寺に生れ、幼時だけにしろ、総領息子という格に立てられた経験のある、<ruby><rb>旧舗</rb><rt>しにせ</rt></ruby>の娘として母の持てる気位を伝えているらしい彼の持前は頭の高い男なのであった。それがただ調法の与四郎で扱い済されるだけでは口惜しいものがあった。彼の心の底に伏っていつも焦々する怒ろしい想いもどうやら一半はそこから起るらしく思われて来た。どうかして先生と呼ばれてみたい。

人中に<ruby><rb>揉</rb><rt>も</rt></ruby>まれて<ruby><rb>臆</rb><rt>おく</rt></ruby>し<ruby><rb>心</rb><rt>ごころ</rt></ruby>はほとんど除かれている彼に、この衷心から頭を<ruby><rb>擡</rb><rt>もた</rt></ruby>げて来た新しい慾望は、更に積極へと彼に拍車をかけた。彼は高飛車に人をこなし付ける手を覚え、<ruby><rb>軽蔑</rb><rt>けいべつ</rt></ruby>して鼻であしろう手を覚えた。何事にも批判を加えて己れを表示する<ruby><rb>術</rb><rt>すべ</rt></ruby>も覚えた。彼はなりの<ruby><rb>恰好</rb><rt>かっこう</rt></ruby>さえ<ruby><rb>肩肘</rb><rt>かたひじ</rt></ruby>を張ることを心掛けた。彼は手鏡を取出してつくづく自分を見る。そこに映り出る青年があまりに若く美しくして先生と呼ばれるに<ruby><rb>相応</rb><rt>ふさわ</rt></ruby>しい老成した貫禄が無いことを嘆いた。彼はせめて言葉附だけでも<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">いか</span>つく、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ませ</span>たものにしようと骨を折った。彼の取って付けたような<ruby><rb>豹変</rb><rt>ひょうへん</rt></ruby>の態度に、弱いものは<ruby><rb>怯</rb><rt>おび</rt></ruby>えて敬遠し出した。強いものは<ruby><rb>反撥</rb><rt>はんぱつ</rt></ruby>して<ruby><rb>罵</rb><rt>ののし</rt></ruby>った。「なんだ石刷り職人の癖に」そして先生といって呉れるものは料理人だけだった。

「与四郎は変った」「おかしゅうならはった」というのが風雅社会の一般の評であった。彼の心地に宿った露草の花のようないじらしい恋人もあったのだけれども、この<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>に<ruby><rb>脆</rb><rt>もろ</rt></ruby>くも破れて、実を得結ばずに失せた。

若者であって一度この<ruby><rb>威猛高</rb><rt>いたけだか</rt></ruby>な誇張の態度に身を任せたものは二度と沈潜して<ruby><rb>肌質</rb><rt>きめ</rt></ruby>をこまかくするのは余程難しかった。<ruby><rb>鼈四郎</rb><rt>べつしろう</rt></ruby>はこの目的外れの評判が自分のどこの辺から来るものか自分自身に向って知らないとはいい徹せなかった。「学問が無いからだ」この事実は彼に取って最も痛くていまいましい反省だった。そして今更に、悲運な境遇から上の学校へも行けず、秩序立った勉強の課程も踏めなかった自分を<ruby><rb>憐</rb><rt>あわれ</rt></ruby>むのであった。しかしこれを恨みとして、その恨みの根を何処へ持って行くのかとなると、それはまたあまりに多岐に<ruby><rb>亘</rb><rt>わた</rt></ruby>り複雑過ぎて当時の彼には考え切れなかった。嘆くより<ruby><rb>後</rb><rt>おく</rt></ruby>れ<ruby><rb>走</rb><rt>ば</rt></ruby>せでも<ruby><rb>秘</rb><rt>ひそ</rt></ruby>かに学んで追い付くより仕方がない。彼はしきりに書物を読もうと努めた。だが才気と<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">カン</span>と苦労で世間のあらましは、すでに結論だけを摘み取ってしまっている彼のような人間にとって、その過程を煩わしく<ruby><rb>諄</rb><rt>くど</rt></ruby>く記述してある書物というものを、どうして<ruby><rb>迂遠</rb><rt>うえん</rt></ruby>で<ruby><rb>悪丁寧</rb><rt>わるていねい</rt></ruby>とより以外のものに思い<ruby><rb>做</rb><rt>な</rt></ruby>されようぞ。彼は<ruby><rb>頁</rb><rt>ページ</rt></ruby>を開くとすぐ眠くなった。それは努めて読んで行くとその<ruby><rb>索寞</rb><rt>さくばく</rt></ruby>さに頭が痛くなって、しきりに<ruby><rb>喉頭</rb><rt>こうとう</rt></ruby>へ味なるものが恋い慕われた。彼は美味な食物を<ruby><rb>漁</rb><rt>あさ</rt></ruby>りに立上ってしまった。

結局、彼は<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>り慣れた眼学問、耳学問を長じさせて行くより仕方なかった。そしていま迄、<ruby><rb>下手</rb><rt>したで</rt></ruby>に<ruby><rb>謙遜</rb><rt>けんそん</rt></ruby>に学び取っていた仕方は今度からは、争い食ってかかる<ruby><rb>紛擾</rb><rt>ふんじょう</rt></ruby>の間に相手から<ruby><rb>捥</rb><rt>も</rt></ruby>ぎ取る仕方に方法を替えたに過ぎなかった。それほどまでにして彼は尊敬なるものを<ruby><rb>贏</rb><rt>か</rt></ruby>ち得たかったのであろうか。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>り。彼は彼が食味に於て意識的に人生の息抜きを見出す以前は、実に先生といわれる敬称は彼に取って恋人以上の魅力を持っていたのだった。彼はこの仕方によって数多の旧知己をば失ったが、<ruby><rb>僅</rb><rt>わず</rt></ruby>かばかりの変りものの知遇者を得た。世間には<ruby><rb>啀</rb><rt>いが</rt></ruby>み合う<ruby><rb>鑼</rb><rt>どら</rt></ruby>、<ruby><rb>捩</rb><rt>ねじ</rt></ruby>り合う<ruby><rb>銅鈸</rb><rt>にょうばち</rt></ruby>のような騒々しいものを混えることに於て、<ruby><rb>却</rb><rt>かえ</rt></ruby>って知音や友情が通じられる支那楽のような交際も無いことはない。鼈四郎が向き<ruby><rb>嵌</rb><rt>はま</rt></ruby>って行ったのはそういう苦労<ruby><rb>胼胝</rb><rt>たこ</rt></ruby>で心の感膜が厚くなっている年長の連中であった。

その頃、京極でモダンな洋食店のメーゾン檜垣の主人もその一人であった。このアメリカ帰りの料理人は、妙に芸術や芸術家の生活に渇仰をもっていて、店の監督の暇には油画を描いていた。寝泊りする自分の室は画室のようにしていた。彼は客の誰彼を<ruby><rb>掴</rb><rt>つかま</rt></ruby>えてはニューヨークの<ruby><rb>文士村</rb><rt>グリンウィッチビレージ</rt></ruby>の話をした。<ruby><rb>巴里</rb><rt>パリ</rt></ruby>の芸術街を<ruby><rb>真似</rb><rt>まね</rt></ruby>ようとするこの街はアメリカ人気質と、憧憬による誇張によって異様で刺激的なものがあった。主人はそれを語るのに使徒のような情熱をもってした。店の施設にもできるだけ応用した。<ruby><rb>酒神</rb><rt>バッカス</rt></ruby>の祭の夕。<ruby><rb>青蝋燭</rb><rt>あおろうそく</rt></ruby>の部屋、新しいものに<ruby><rb>牽</rb><rt>ひ</rt></ruby>かれる青年や、若い芸術家がこの店に集ったことは見易き道理である。この古都には若い人々の肺には重苦しくて<ruby><rb>寂寥</rb><rt>せきりょう</rt></ruby>だけの空気があった。これを<ruby><rb>撥</rb><rt>は</rt></ruby>ね<ruby><rb>除</rb><rt>の</rt></ruby>け<ruby><rb>攪</rb><rt>か</rt></ruby>き壊すには極端な<ruby><rb>反撥</rb><rt>はんぱつ</rt></ruby>が要った。それ故、一般に東京のモダンより、上方のモダンの方が調子外れで薬が強いとされていた。

鼈四郎はこの店に入浸るようになった。お互いに基礎知識を欠く弱味を見透すが故に、お互いに吐き合う<ruby><rb>気焔</rb><rt>きえん</rt></ruby>も圧迫感を伴わなかった。<ruby><rb>飄々</rb><rt>ひょうひょう</rt></ruby>と<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">カン</span>のまま雲に上り空に架することができた。立会いに相手を<ruby><rb>傲慢</rb><rt>ごうまん</rt></ruby>で<ruby><rb>呑</rb><rt>の</rt></ruby>んでかかってから<ruby><rb>軽蔑</rb><rt>けいべつ</rt></ruby>の歯を<ruby><rb>剥出</rb><rt>むきだ</rt></ruby>して、意見を<ruby><rb>噛</rb><rt>か</rt></ruby>み合わす無遠慮な談敵を得て、彼等は<ruby><rb>渾身</rb><rt>こんしん</rt></ruby>の力が出し切れるように思った。その間に<ruby><rb>狡</rb><rt>ずる</rt></ruby>さを働かして耳学問を盗み合い、捥ぎ取る利益も彼等には<ruby><rb>歓</rb><rt>よろこ</rt></ruby>びであった。鼈四郎が東洋趣味の幽玄を<ruby><rb>高嘯</rb><rt>こうしょう</rt></ruby>するに対し、檜垣の主人は西洋趣味の<ruby><rb>生々</rb><rt>なまなま</rt></ruby>しさを誇った。かかるうち知識は交換されて互いの<ruby><rb>薬籠中</rb><rt>やくろうちゅう</rt></ruby>に収められていた。

いつでも意見が一致するのは、芸術至上主義の態度であった。誤って下層階級に生い立たせられたところから<ruby><rb>自恃</rb><rt>じじ</rt></ruby>に相応わしい位置にまで自分を取戻すには<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">カン</span>で<ruby><rb>攀</rb><rt>よ</rt></ruby>じ登れる芸術と称するもの以外には彼等は無いと感じた。彼等は鑑識の高さや広さを誇った。この点ではお互いに許し合った。琴棋書画、それから女、芝居、陶器、食もの、思想に<ruby><rb>亙</rb><rt>わた</rt></ruby>るものまでも、分け<ruby><rb>距</rb><rt>へだ</rt></ruby>てなく味い批評できる彼等をお互いに褒め合った。「僕らは、天才じゃね」「天才じゃねえ」

檜垣の主人は、胸の病持ちであった。彼が独身生活を続けるのも、そこから来るのであったが、情慾は強いかして彼の描く<ruby><rb>茫漠</rb><rt>ぼうばく</rt></ruby>とした油絵にも、雑多に<ruby><rb>蒐</rb><rt>あつ</rt></ruby>められる<ruby><rb>蒐集品</rb><rt>しゅうしゅうひん</rt></ruby>にも何かエロチックの<ruby><rb>匂</rb><rt>にお</rt></ruby>いがあった。<ruby><rb>痩</rb><rt>や</rt></ruby>せて青黒い<ruby><rb>隈</rb><rt>くま</rt></ruby>の多い長身の肉体は内部から慾求するものを<ruby><rb>充</rb><rt>みた</rt></ruby>し得ない悩みにいつも<ruby><rb>喘</rb><rt>あえ</rt></ruby>いでいた。それに<ruby><rb>較</rb><rt>くら</rt></ruby>べると中背ではあるが異常に強壮な身体を持っている鼈四郎はあらゆる官能慾を<ruby><rb>貪</rb><rt>むさぼ</rt></ruby>るに堪えた。ある種の<ruby><rb>嗜慾</rb><rt>しよく</rt></ruby>以外は、貪り<ruby><rb>能</rb><rt>あと</rt></ruby>う飽和点を味い締められるが故に<ruby><rb>却</rb><rt>かえ</rt></ruby>って<ruby><rb>恬淡</rb><rt>てんたん</rt></ruby>になれた。

檜垣の主人は、鼈四郎を連れて、鴨川の夕涼みの<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ゆか</span>から、宮川町辺の赤黒い<ruby><rb>行灯</rb><rt>あんどん</rt></ruby>のかげに至るまで、上品や下品の遊びに連れて歩るいた。そこでも、味い<ruby><rb>剰</rb><rt>あま</rt></ruby>すがゆえにいつも<ruby><rb>暗鬱</rb><rt>あんうつ</rt></ruby>な未練を残している人間と、飽和に達するがゆえに明色の恬淡に<ruby><rb>冴</rb><rt>さえ</rt></ruby>る人間とは極端な対象を做した。鼈四郎は檜垣の主人の暗鬱な未練に対し、本能の浅間しさと共に本能の深さを感じ、檜垣の主人は鼈四郎の肉体に対して<ruby><rb>嫉妬</rb><rt>しっと</rt></ruby>と驚異を感じた。二人は<ruby><rb>心秘</rb><rt>こころひそ</rt></ruby>かに「あいつ偉い奴じゃ」と互いに舌を巻いた。

起伏表裏がありながら、また最後に認め合うものを持つ二人の交際は、縄のように<ruby><rb>絡</rb><rt>から</rt></ruby>み合い段々その結ぼれを深めた。正常な教養を持つ世間の知識階級に対し、脅威を感ずるが故に、<ruby><rb>睥睨</rb><rt>へいげい</rt></ruby>しようとする職人上りで頭が高い壮年者と青年は自らの孤独な階級に<ruby><rb>立籠</rb><rt>たてこも</rt></ruby>って脅威し来るものを<ruby><rb>罵</rb><rt>ののし</rt></ruby>る快を貪るには一あって二無き相手だった。彼等は毎日のように会わないでは寂しいようになった。

鼈四郎は檜垣の主人に対しては<ruby><rb>対蹠的</rb><rt>たいしょてき</rt></ruby>に、いつも東洋芸術の<ruby><rb>幽邃高遠</rb><rt>ゆうすいこうえん</rt></ruby>を主張して立向う立場に立つのだが、<ruby><rb>反噬</rb><rt>はんぜい</rt></ruby>して来る檜垣の主人の西洋芸術なるものを、その範とするところの名品の複写などで味わされる場合に、<ruby><rb>躊躇</rb><rt>ちゅうちょ</rt></ruby>なく感得されるものがあった。檜垣の主人が持ち帰ったのは主にフランス近代の巨匠のものだったが、本能を許し、官能を許し、享受を許し、肉情さえ許したもののあることは東洋の<ruby><rb>躾</rb><rt>しつけ</rt></ruby>と道徳の間から僅にそれ等を<ruby><rb>垣間</rb><rt>かいま</rt></ruby>見させられていたものに取っては驚きの外無かった。恥も外聞も無い<ruby><rb>露</rb><rt>む</rt></ruby>き出しで、きまりが悪いほどだった。「こいつ等は、まるで素人じゃねえ、」鼈四郎は檜垣の主人に向ってはこうも押えた口を利くようなものの、彼の肉体的感覚は発言者を得たように<ruby><rb>喝采</rb><rt>かっさい</rt></ruby>した。

彼はこの店へ出入りをして食べ増した洋食もうまかったし、主人によっていろいろ話して聴かされた西洋の文化的生活の様式も、便利で新鮮に思われた。

鼈四郎はこれ等の感得と知識をもって、彼の育ちの職場に引返して行った。彼は書画に携る<ruby><rb>輩</rb><rt>やから</rt></ruby>に向ってはデッサンを説き、ゴッホとかセザンヌとかの名を口にした。茶の湯生花の行われる<ruby><rb>巷</rb><rt>ちまた</rt></ruby>に向っては、ティパーティの催しを説き、アペリチーフの功徳を説き、コンポジションとかニュアンスとかいう洋名の術語を口にした。

東洋の諸芸術にも実践上の必需から来る自らなるそれ等にあって、ただ名前と伝統が違っているだけだった。それゆえ、鼈四郎のいうことはこれ等に携る人々にもほぼ察しはつき、心ある者は、なんだ西洋とてそんなものかと<ruby><rb>嵩</rb><rt>たか</rt></ruby>を<ruby><rb>括</rb><rt>くく</rt></ruby>らせはしたが当時モダンの名に於て新味と時代適応性を西洋的なものから採入れようとする一般の風潮は彼の後姿に向っては「<ruby><rb>葵祭</rb><rt>あおいまつり</rt></ruby>の竹の<ruby><rb>欄干</rb><rt>てすり</rt></ruby>で」青く<ruby><rb>擦</rb><rt>す</rt></ruby>れてなはると蔭口を利きながら、この古都の風雅の社会は、彼の前に<ruby><rb>廻</rb><rt>まわ</rt></ruby>っては刺激と思い付を求めねばならなかった。彼の人気は<ruby><rb>恢復</rb><rt>かいふく</rt></ruby>した。三曲の演奏にアンコールを許したり、裸体彫像に生花を配したり、ずいぶん突飛なことも彼によって示唆されたが、<ruby><rb>椅子</rb><rt>いす</rt></ruby>テーブルの点茶式や、洋食を緩和して懐石の献立中に含めることや、そのときまで、一部の間にしか企てられていなかった方法を一般に流布せしめる<ruby><rb>椽</rb><rt>えん</rt></ruby>の下の力持とはなった。彼は、ところどころで「先生」と呼ばれるようになった。

彼はこの勢を駆って、メーゾン檜垣に集る若い芸術家の仲間に割り込んだ。彼の高飛車と粗雑はさすがに、神経のこまかいインテリ青年たちと肌合いの合わないものがあった。彼は彼等を吹き<ruby><rb>靡</rb><rt>なび</rt></ruby>け、煙に巻いたつもりでも最後に、沈黙の中で拒まれている<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">コツン</span>としたものを感じた。それは何とも説明し難いものではあるが彼をして現代の青年の仲間入りしようとする勇気を無雑作に<ruby><rb>取拉</rb><rt>とりひし</rt></ruby>ぐ薄気味悪い力を持っていた。彼は考えざるを得なかった。

春の宵であった。檜垣の二階に、歓迎会の集りがあった。女流歌人で仏教家の夫人がこの古都のある宗派の女学校へ講演に頼まれて来たのを幸、招いて会食するものであった。画家の<ruby><rb>良人</rb><rt>おっと</rt></ruby>も一しょに来ていた。テーブルスピーチのようなこともあっさり切上がり、内輪で<ruby><rb>寛</rb><rt>くつろ</rt></ruby>いだ会に見えた。しかし<ruby><rb>鼈四郎</rb><rt>べつしろう</rt></ruby>にとってこの夫人に対する気構えは兼々雑誌などで見て、納らぬものがあった。芸術をやるものが宗教に<ruby><rb>捉</rb><rt>とら</rt></ruby>われるなんて――、夫人が仏教を提唱することは、自分に幼時から辛い目を見せた寺や、境遇の肩を持つもののようにも感じられた。とうとう彼は雑談の環の中から声を皮肉にして<ruby><rb>詰</rb><rt>なじ</rt></ruby>った。夫人が童女のままで大きくなったような<ruby><rb>容貌</rb><rt>ようぼう</rt></ruby>も苦労なしに見えて、何やら<ruby><rb>苛</rb><rt>いじ</rt></ruby>め付けたかった。

夫人はちょっと無礼なといった面持をしたが、怒りは<ruby><rb>嚥</rb><rt>の</rt></ruby>み込んでしまって答えた、「いいえ、だから、わたくしは、何も必要のない方にやれとは申上ちゃおりません」鼈四郎は<ruby><rb>嵩</rb><rt>かさ</rt></ruby>にかかって食ってかかったが、夫人は「そういう聞き方をなさる方には申上られません」と繰返すばかりであった。世間知らずの少女が意地を張り出したように鼈四郎にはとれた。

一時白けた雰囲気の空虚も、すぐまわりから歓談で埋められ、苦り切り腕組をして、不満を示している彼の存在なぞは誰も気付かぬようになった。彼の怒りは縮れた長髪の先にまでも<ruby><rb>漲</rb><rt>みなぎ</rt></ruby>ったかと思われた。その上、彼を<ruby><rb>拗</rb><rt>こじ</rt></ruby>らすためのように、夫人は勧められて「京の四季」かなにかを、みんなの余興の中に加って<ruby><rb>唄</rb><rt>うた</rt></ruby>った。低めて唄ったもののそれは<ruby><rb>暢</rb><rt>のび</rt></ruby>やかで楽しそうだった。良人の画家も列座と一しょに手を<ruby><rb>叩</rb><rt>たた</rt></ruby>いている。

すべてが自分に対する<ruby><rb>侮蔑</rb><rt>ぶべつ</rt></ruby>に感じられてならない鼈四郎は、どんな手段を採ってもこの夫人を圧服し、自分を認めさそうと決心した。彼は、檜垣の主人を語って、この画家夫妻の帰りを待ち捉え、主人の部屋の画室へ、作品を見に寄って<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れるよう懇請した。その部屋には鼈四郎の制作したものも数々置いてあった。

彼は<ruby><rb>遜</rb><rt>へりくだ</rt></ruby>る態度を装い、強いて夫人に向って批評を求めた。そこには額仕立ての書画や<ruby><rb>篆額</rb><rt>てんがく</rt></ruby>があった。夫人はこういうものは好きらしく、親し気に見入って行ったが、良人を顧みていった。「ねえ、パパ、美しくできてるけど、少し味に傾いてやしない？」良人は気の毒そうにいった。「そうだなあ、味だな」鼈四郎は<ruby><rb>哄笑</rb><rt>こうしょう</rt></ruby>して、去り気ない様子を示したが、始めて人に<ruby><rb>肺腑</rb><rt>はいふ</rt></ruby>を<ruby><rb>衝</rb><rt>つ</rt></ruby>かれた気持がした。良人の画家に「大陸的」と<ruby><rb>極</rb><rt>き</rt></ruby>めをつけられてよいのか悪いのか<ruby><rb>判</rb><rt>わか</rt></ruby>らないが、気に入った批評として<ruby><rb>笑窪</rb><rt>えくぼ</rt></ruby>に入った檜垣の主人まで「そういえば、なるほど、君の芸術は味だな」と<ruby><rb>相槌</rb><rt>あいづち</rt></ruby>を打つ苦々しさ。

鼈四郎は肺腑を衝かれながら、しかしもう一度<ruby><rb>執拗</rb><rt>しつよう</rt></ruby>に夫人へ反撃を密謀した。まだ五六日この古都に滞在して春のゆく方を<ruby><rb>見巡</rb><rt>みめぐ</rt></ruby>って帰るという夫妻を手料理の昼食に招いた。自分の作品を無雑作に味と片付けてしまうこの夫人が、一体、どのくらいその味なるものに鑑識を持っているのだろう。食もので試してやるのが<ruby><rb>早手廻</rb><rt>はやてまわ</rt></ruby>しだ。どうせ有閑夫人の手に成る家庭料理か、料理屋の形式的な食品以外、真のうまいものは食ってやしまい。もし彼女に鑑識が無いのが判ったなら彼女の自分の作品に対する批評も、<ruby><rb>惧</rb><rt>おそ</rt></ruby>れるに及ばないし、もし鑑識あるものとしたなら、恐らく自分の料理の<ruby><rb>技倆</rb><rt>ぎりょう</rt></ruby>に頭を下げて感心するだろう。さすればこの方で夫人は征服でき、夫人をして自分を認め返さすものである。

幸に、夫妻は招待に応じて来た。

席は加茂川の堤下の知れる家元の茶室を借り受けたものであった。彼は呼び寄せてある指導下の助手の料理人や、給仕の娘たちを指揮して、夫妻の<ruby><rb>饗宴</rb><rt>きょうえん</rt></ruby>にかかった。

彼はさきの夜、檜垣の歓迎会の<ruby><rb>晩餐</rb><rt>ばんさん</rt></ruby>にて、食事のコース中、夫人が何を選み、何を好み食べたか、すっかり見て取っていた。ときどき聞きもした。それは努めてしたのではないが、人の<ruby><rb>嗜慾</rb><rt>しよく</rt></ruby>に対し<ruby><rb>間諜犬</rb><rt>かんちょうけん</rt></ruby>のような<ruby><rb>嗅覚</rb><rt>きゅうかく</rt></ruby>を持つ彼の本能は自ずと働いていた。夫人の食品の好みは専門的に見て、素人なのだか玄人なのだか判らなかった。しかし嗜求する虫の性質はほぼ判った。

鼈四郎は、献立の定慣や和漢洋の種別に関係なく、夫人のこの虫に向って満足さす料理の仕方をした。ああ、そのとき、何という人間に対する哀愛の気持が胸の底から<ruby><rb>湧</rb><rt>わ</rt></ruby>き出たことだろう。そこにはもう勝負の気もなかった。征服慾も、もちろんない。

あの大きな童女のような女をして眼を<ruby><rb>瞠</rb><rt>みは</rt></ruby>らせ、五感から<ruby><rb>享</rb><rt>う</rt></ruby>け入れる人の世の満足以上のものを彼女をして無邪気に味い得しめたなら料理それ自身の手柄だ。自分なんかの存在はどうだってよい。彼はその気持から、夫人が好きだといった、季節外れの<ruby><rb>蟹</rb><rt>かに</rt></ruby>を解したり、一口<ruby><rb>蕎麦</rb><rt>そば</rt></ruby>を松江風に<ruby><rb>捏</rb><rt>こ</rt></ruby>ねたりして、献立に加えた。ふと幼いとき、夜泣きして、<ruby><rb>疳</rb><rt>かん</rt></ruby>の虫の好く、<ruby><rb>宝来豆</rb><rt>ほうらいまめ</rt></ruby>というものを欲しがったとき老僧の父がとぼとぼと夜半の町へ出て買って来て呉れたときの気持を<ruby><rb>想</rb><rt>おも</rt></ruby>い出した。鼈四郎は捏ね板へ涙の<ruby><rb>雫</rb><rt>しずく</rt></ruby>を落すまいとして顔を反向けた。<ruby><rb>所詮</rb><rt>しょせん</rt></ruby>、料理というものは<ruby><rb>労</rb><rt>いたわ</rt></ruby>りなのであろうか。そして労りごころを十二分に発揮できる料理の相手は、白痴か、子供なのではあるまいか。

しかし鼈四郎は夫人が通客であった場合を予想し、もしその眼で見られても恥しからぬよう、坂本の諸子川の<ruby><rb>諸子魚</rb><rt>もろこ</rt></ruby>とか、鞍馬の<ruby><rb>山椒皮</rb><rt>からかわ</rt></ruby>なども、<ruby><rb>逸早</rb><rt>いちはや</rt></ruby>く取寄せて、食品中に備えた。

夫人は、大事そうに、感謝しながら食べ始めた。「この子附け<ruby><rb>鱠</rb><rt>なます</rt></ruby>の美しいこと」「このえび<ruby><rb>藷</rb><rt>いも</rt></ruby>の<ruby><rb>肌目</rb><rt>きめ</rt></ruby>こまかく煮えてますこと」それから唇に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">から</span>揚の油が浮くようになってからは、ただ「おいしいわ」「おいしいわ」というだけで、専心に<ruby><rb>喰</rb><rt>た</rt></ruby>べ進んで行く。鼈四郎は、再び首尾はいかがと張り詰めていたものが食品の皿が片付けられる毎に、ずしんずしんと減って、気の衰えをさえ感ずるのだった。

夫人も<ruby><rb>健啖</rb><rt>けんたん</rt></ruby>だったが、画家の良人はより健啖だった。みな残りなく食べ終り、<ruby><rb>煎茶茶椀</rb><rt>せんちゃぢゃわん</rt></ruby>を取上げながらいった。「ご<ruby><rb>馳走</rb><rt>ちそう</rt></ruby>さまでした。御主人に申すが、この方が、よっぽど、あんたの芸術だね」そして夫人の方に向い、それを皮肉でなく、好感を持つ批評として主人に受取らせるよう夫人の<ruby><rb>註解</rb><rt>ちゅうかい</rt></ruby>した<ruby><rb>相槌</rb><rt>あいづち</rt></ruby>を求めるような笑い方をしていた。夫人も微笑したが、<ruby><rb>声音</rb><rt>こわね</rt></ruby>は<ruby><rb>生真面目</rb><rt>きまじめ</rt></ruby>だった。「わたくしも、警句でなく、ほんとにそう思いますわ。立派な芸術ですわ。」

鼈四郎は図星に<ruby><rb>嵌</rb><rt>は</rt></ruby>めたと思うと同時に、ぎくりとなった。彼はいかにふだん幅広い口を利こうと、衷心では料理より、琴棋書画に位があって、先生と呼ばれるに<ruby><rb>相応</rb><rt>ふさ</rt></ruby>わしい高級の芸種であるとする世間月並の常識を<ruby><rb>無</rb><rt>な</rt></ruby>みしようもない。その高きものを前日は味とされ、今日低きものに於て芸術たることを認められた。天分か、教養か、どちらにしろ、もはや自分の生涯の止めを刺された気がした。この上、何をかいおうぞ。

加茂川は、やや<ruby><rb>水嵩</rb><rt>みずかさ</rt></ruby>増して、ささ濁りの流勢は河原の上を<ruby><rb>八千岐</rb><rt>やちまた</rt></ruby>に分れ下へ落ちて行く、<ruby><rb>蛇籠</rb><rt>じゃかご</rt></ruby>に阻まれる花<ruby><rb>芥</rb><rt>あくた</rt></ruby>の渚の緑の色取りは昔に変りはないけれども、魚は少くなったかして、<ruby><rb>漁</rb><rt>あさ</rt></ruby>る子供の姿も見えない。堤の芽出し柳の煙れる<ruby><rb>梢</rb><rt>こずえ</rt></ruby>に春なかばの空は晴れみ曇りみしている。

しばらく沈黙の座に聞澄している<ruby><rb>淙々</rb><rt>そうそう</rt></ruby>とした川音は、座をそのままなつかしい国へ押し移す。<ruby><rb>鼈四郎</rb><rt>べつしろう</rt></ruby>は、この川下の対岸に在って大竹原で家棟は隠れ見えないけれども、まさしくこの世に一人残っている母親のことを思い出す。<ruby><rb>女餓鬼</rb><rt>めがき</rt></ruby>の官女のような母親はそこで食味に執しながら、一人息子が何でもよいたつきの業を得て帰って来るのを待っている。しばらく家へは帰らないが、拓本職人の親方の老人は相変らず、小学校の運動会を漁り歩き遊戯をする児童たちのいたいけな姿に老いの迫るを忘れようと努めているであろうか。

鼈四郎は、笑いに紛らしながら、幼時、母子二人の<ruby><rb>夕餉</rb><rt>ゆうげ</rt></ruby>の菜のために、この河原で小魚を<ruby><rb>掬</rb><rt>すく</rt></ruby>い帰った話をした。「いままで、ずいぶん、いろいろなうまいものも食いましたが、いま考えてみると、あのとき母が煮て<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れた<ruby><rb>雑魚</rb><rt>ざこ</rt></ruby>の味ほどうまいと思ったものに食い当りません」それから彼は、きょう、料理中に感じたことも含めて、「すると、味と芸術の違いは<ruby><rb>労</rb><rt>いたわ</rt></ruby>りがあると、無いとの相違でしょうかしら」といった。

これに<ruby><rb>就</rb><rt>つ</rt></ruby>き夫人は早速に答えず、先ず彼等が外遊中、<ruby><rb>巴里</rb><rt>パリ</rt></ruby>の名料理店フォイヨで得た経験を話した。その料理店の食堂は、扉の合せ目も床の敷ものも物音立てぬよう軟い<ruby><rb>絨氈</rb><rt>じゅうたん</rt></ruby>や毛織物で用意された。色も刺激を抜いてある。天井や卓上の燭光も調節してある。総ては食味に集中すべく心が配られてある。給仕人はイゴとか男性とかいういかついものは取除かれた品よく<ruby><rb>晒</rb><rt>さら</rt></ruby>された老人たちで、いずれはこの道で身を滅した人間であろう、今は人が快楽することによって自分も快楽するという自他移心の術に達してるように見ゆる。食事は<ruby><rb>聖餐</rb><rt>せいさん</rt></ruby>のような厳かさと、ランデブウのようなしめやかさで執り行われて行く。今やテーブルの前には、はつ夏の澄める空を映すかのような薄浅黄色のスープが置かれてある。いつの間に近寄って来たか給仕の老人は輪切りにした牛骨の載れる皿を銀盤で捧げて立っている。老人は客が食指を動し来る呼吸に<ruby><rb>坩</rb><rt>つぼ</rt></ruby>を合せ、ちょっと目礼して<ruby><rb>匙</rb><rt>さじ</rt></ruby>で骨の中から髄を掬い上げた。汁の真中へ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">大切</span>に滑り浮す。それは乙女の<ruby><rb>娘生</rb><rt>きしょう</rt></ruby>のこころを玉に凝らしたかのよう、ぶよぶよ透けるが中にいささか青春の<ruby><rb>潤</rb><rt>うる</rt></ruby>みに<ruby><rb>澱</rb><rt>よど</rt></ruby>んでいる。それは和食の鯛の眼肉の<ruby><rb>羮</rb><rt>あつもの</rt></ruby>にでも当る料理なのであろうか。老人は恭しく一礼して数歩退いて控えた。いかに満足に客がこの天の<ruby><rb>美漿</rb><rt>びしょう</rt></ruby>を<ruby><rb>啜</rb><rt>す</rt></ruby>い取るか、成功を祈るかのよう<ruby><rb>敬虔</rb><rt>けいけん</rt></ruby>に控えている。もちろん料理は精製されてある。サービスは満点である。以下デザートを終えるまでのコースにも、何一つ不足と思えるものもなく、いわゆる善尽し、美尽しで、感嘆の中に食事を終えたことである。

「しかしそれでいて、私どもにはあとで、<ruby><rb>嘗</rb><rt>な</rt></ruby>めこくられて、扱い<ruby><rb>廻</rb><rt>まわ</rt></ruby>されたという、後口に少し嫌なものが残されました。」

「面と向って、お褒めするのも気まりが悪うございますから、あんまり申しませんが、そういっちゃ何ですが、今日の御料理には、ちぐはぐのところがございますけれど、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まこと</span>というものが徹しているような気がいたしました。」

意表な批評が夫人の口から次々に出て来るものである。料理に向って<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まこと</span>なぞという言葉を使ったのを鼈四郎は<ruby><rb>嘗</rb><rt>かつ</rt></ruby>て聞いたことはない。そして、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まこと</span>、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まごころ</span>、こういうものは彼が生れや、生い立ちによる<ruby><rb>拗</rb><rt>す</rt></ruby>ねた心からその呼名さえ耳にすることに反感を持って来た。自分がもしそれを持ったなら、まるで、変り羽毛の<ruby><rb>雛鳥</rb><rt>ひなどり</rt></ruby>のように、それを持たない世間から寄って<ruby><rb>蝟</rb><rt>たか</rt></ruby>って突き<ruby><rb>苛</rb><rt>いじ</rt></ruby>められてしまうではないか。弱きものよ<ruby><rb>汝</rb><rt>なんじ</rt></ruby>の名こそ、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まこと</span>。自分にそういうものを<ruby><rb>無</rb><rt>な</rt></ruby>みし、強くあらんがための芸術、偽りに堪えて慰まんための芸術ではないか。歌人の芸術家だけに<ruby><rb>旧臭</rb><rt>ふるくさ</rt></ruby>く<ruby><rb>否味</rb><rt>いやみ</rt></ruby>なことをいう。道徳かぶれの女学生でもいいそうな芸術批評。<ruby><rb>歯牙</rb><rt>しが</rt></ruby>に懸けるには足りない。

鼈四郎はこう思って来ると夫妻の権威は眼中に無くなって、<ruby><rb>肩肘</rb><rt>かたひじ</rt></ruby>がむくむくと平常通り<ruby><rb>聳立</rb><rt>そびえた</rt></ruby>って来るのを覚えた。「はははは、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まこと</span>料理ですかな」

車が迎えに来て、夫妻は<ruby><rb>暇</rb><rt>いとま</rt></ruby>を告げた。鼈四郎はこれからどちらへと<ruby><rb>訊</rb><rt>き</rt></ruby>くと、夫妻は<ruby><rb>壬生寺</rb><rt>みぶでら</rt></ruby>へお<ruby><rb>詣</rb><rt>まい</rt></ruby>りして、壬生狂言の見物にと答えた。鼈四郎は<ruby><rb>揶揄</rb><rt>やゆ</rt></ruby>して「善男善女の慰安には持って来いですね」というと、ちょっと<ruby><rb>眉</rb><rt>まゆ</rt></ruby>を<ruby><rb>顰</rb><rt>ひそ</rt></ruby>めた夫人は「あれをあなたは、そうおとりになりますの、私たちは、あの狂言のでんがんでんがんという単調な鳴物を地獄の音楽でも聞きに行くように思って参りますのよ」というと、<ruby><rb>良人</rb><rt>おっと</rt></ruby>の画家も、実は鼈四郎の語気に気が付いていて<ruby><rb>癪</rb><rt>しゃく</rt></ruby>に触ったらしく「君おれたちは、善男善女でもこれで地獄は一遍たっぷり通って来た人間たちだよ。だが極楽もあまり永く<ruby><rb>場塞</rb><rt>ばふさ</rt></ruby>ぎしては済まないと思って、また地獄を見付けに歩るいているところだ。そう甘くは見なさるなよ」と<ruby><rb>窘</rb><rt>たしな</rt></ruby>めた。夫人はその良人の肘をひいて「こんな美しい青年を<ruby><rb>咎</rb><rt>とが</rt></ruby>め立するもんじゃありませんわ。人間の芸術品が壊れますわ」自分のいったことを興がるのか、わっわと笑って車の中へ<ruby><rb>駈</rb><rt>か</rt></ruby>け込んだ。

鼈四郎はその後一度もこの夫妻に会わないが、彼の生涯に取ってこの春の二回の面会は通り魔のようなものだった。折角設計して来た自分らしい楼閣を<ruby><rb>不逞</rb><rt>ふてい</rt></ruby>の風が<ruby><rb>浚</rb><rt>さら</rt></ruby>い取った感じが深い芸術なるものを通して何かあるとは感づかせられた。しかし今更、宗教などという<ruby><rb>黴臭</rb><rt>かびくさ</rt></ruby>いと思われるものに関る気はないし、そうかといって、夫人のいった<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まこと</span>とか<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まごころ</span>とかいうものを突き詰めて行くのは、安道学らしくて<ruby><rb>身慄</rb><rt>みぶる</rt></ruby>いが出るほど、<ruby><rb>怖気</rb><rt>おぞけ</rt></ruby>が振えた。結局、安心立命するものを<ruby><rb>捉</rb><rt>とら</rt></ruby>えさえしたらいいのだろう。死の外にそれがあるか。必ず来て総てが帳消しされる死、この<ruby><rb>退</rb><rt>の</rt></ruby>っ<ruby><rb>引</rb><rt>ぴき</rt></ruby>ならないものへ落付きどころを置き、その上での生きてるうちが花という気持で、せいぜい好きなことに殉じて行ったなら、そこに出て来る表現に味とか芸術とかの<ruby><rb>岐</rb><rt>わか</rt></ruby>れの議論は立つまい。「いざとなれば死にさえすればいいのだ」鼈四郎は幼い時分から<ruby><rb>辛</rb><rt>つら</rt></ruby>い場合、不如意な場合には逃れずさまよい込み、片息をついたこの無可有の世界の観念を、青年の頭脳で<ruby><rb>確</rb><rt>しか</rt></ruby>と積極的に思想に<ruby><rb>纏</rb><rt>まと</rt></ruby>め上げたつもりでいる。これを裏書するように檜垣の主人の死が目前に見本を示した。

檜垣の主人は一年ほどまえから左のうしろ<ruby><rb>頸</rb><rt>くび</rt></ruby>に<ruby><rb>癌</rb><rt>がん</rt></ruby>が出はじめた。始めは痛みもなかった。ちょっと悪性のものだから切らん方がよいという医師の意見と処法に従ってレントゲンなどかけていたが。癌は一時小さくなって、また前より<ruby><rb>脹</rb><rt>は</rt></ruby>れを増した。とうとう痛みが来るようになった。医者も隠し切れなくなったか<ruby><rb>肺臓癌</rb><rt>はいぞうがん</rt></ruby>がここに吹出したものだと宣告した。これを聞いても檜垣の主人は驚かなかった。「したいと思ったことでできなかったこともあるが、まあ人に<ruby><rb>較</rb><rt>くら</rt></ruby>べたらずいぶんした方だろう」「この辺で節季の勘定を済すかな」笑いながらそういった。それから身の上の精算に取りかかった。店を人に譲り総ての貸借関係を果すと、少しばかり余裕の金が残った。「僕は<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎや</rt></ruby>かなところで死にたい」彼はそれをもって京極の裏店に引越した。美しい看護婦と、気に入りのモデルの娘を定まった死期までの間の<ruby><rb>常傭</rb><rt>じょうやと</rt></ruby>いにして、そこで彼は彼の自らいう「天才の死」の営みにかかった。

売り惜んだ彼が最後に気に入りの<ruby><rb>蒐集品</rb><rt>しゅうしゅうひん</rt></ruby>で部屋の中を飾った。それでも狭い部屋の中は一ぱいで<ruby><rb>猶太人</rb><rt>ユダヤじん</rt></ruby>の古物商の小店ほどはあった。

彼はその部屋の中に彼が用いつけの<ruby><rb>天蓋附</rb><rt>てんがいつき</rt></ruby>のベッドを据えた。もちろん<ruby><rb>贋</rb><rt>にせ</rt></ruby>ものであろうが、彼はこれを南北戦争時分にアメリカへ流浪した<ruby><rb>西班牙</rb><rt>スペイン</rt></ruby>王属出の吟遊詩人が用いたものだといっていた。柱にラテン文字で詩は彫付けてあるにはあった。彼はそこで起上って画を描き続けた。

<ruby><rb>癌</rb><rt>がん</rt></ruby>はときどき激しく痛み出した。服用の鎮痛剤ぐらいでは利かなかった。彼は医者に<ruby><rb>強請</rb><rt>せが</rt></ruby>んで<ruby><rb>麻痺薬</rb><rt>まひやく</rt></ruby>を注射して貰う。身体が弱るからとてなかなか<ruby><rb>注</rb><rt>さ</rt></ruby>して<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れない。全身、<ruby><rb>蒼黒</rb><rt>あおぐろ</rt></ruby>くなりその上、<ruby><rb>痩</rb><rt>やせ</rt></ruby>さらばう骨の<ruby><rb>窪</rb><rt>くぼ</rt></ruby>みの皮膚にはうす紫の<ruby><rb>隈</rb><rt>くま</rt></ruby>まで、漂い出した中年過ぎの男は<ruby><rb>脹</rb><rt>は</rt></ruby>れ<ruby><rb>嵩張</rb><rt>かさば</rt></ruby>ったうしろ<ruby><rb>頸</rb><rt>くび</rt></ruby>の<ruby><rb>瘤</rb><rt>こぶ</rt></ruby>に背を<ruby><rb>跼</rb><rt>くぐ</rt></ruby>められ<ruby><rb>侏儒</rb><rt>しゅじゅ</rt></ruby>にして餓鬼のようである。夏の<ruby><rb>最中</rb><rt>さなか</rt></ruby>のこととて彼は裸でいるので、その見苦しさは覆うところなく人目を寒気立した。痛みが襲って来ると彼はその姿でベッドの上で<ruby><rb>踠</rb><rt>もが</rt></ruby>き苦しむ。全身に水を浴びたよう脂汗をにじみ出し長身の細い肢体を<ruby><rb>捩</rb><rt>ねじ</rt></ruby>らし擦り合せ、<ruby><rb>甲斐</rb><rt>かい</rt></ruby>ない痛みを<ruby><rb>扱</rb><rt>こ</rt></ruby>き取ろうとするさまは、蛇が難産をしているところかなぞのように想像される。いくら認め合った親友でも、<ruby><rb>鼈四郎</rb><rt>べつしろう</rt></ruby>は友の苦しみを<ruby><rb>看護</rb><rt>みと</rt></ruby>ることは好まなかった。

苦しみなぞというものは自分一人のものだけでさえ手に<ruby><rb>剰</rb><rt>あま</rt></ruby>っている。殊に不快ということは人間の感覚に<ruby><rb>染</rb><rt>し</rt></ruby>み付き易いものだ。芸術家には毒だ。避けられるだけ避けたい。そこで鼈四郎は檜垣の病主人に<ruby><rb>苦悶</rb><rt>くもん</rt></ruby>が始まる、と、すーっと病居を抜け出て、茶を飲んで来るか、<ruby><rb>喋</rb><rt>しゃべ</rt></ruby>って来るのであった。だが病友は許さなくなった。「なんだ意気地のない。しっかり見とれ、かく成り果てるとまた痛快なもんじゃから――」息を<ruby><rb>喘</rb><rt>あえ</rt></ruby>がせながらいった。

鼈四郎は、手を痛いほど握り締め、自分も全身に脂汗をにじみ出させて、見ることに堪えていた。死は<ruby><rb>惧</rb><rt>おそ</rt></ruby>ろしくはないが、死へ行くまでの過程に嫌なものがあるという考えがちらりと念頭を<ruby><rb>掠</rb><rt>かす</rt></ruby>めて過ぎた。だがそういうことは病主人が苦悶を深め行くにつれ<ruby><rb>却</rb><rt>かえ</rt></ruby>って消えて行った。あまりの<ruby><rb>惨</rb><rt>いた</rt></ruby>ましさに<ruby><rb>痺</rb><rt>しび</rt></ruby>れてぽかんとなってしまった鼈四郎の脳底に違ったものが映り出した。見よ、そこに<ruby><rb>蠢</rb><rt>うごめ</rt></ruby>くものは、もはやそれは生物ではない。<ruby><rb>埃及</rb><rt>エジプト</rt></ruby>のカタコンブから掘出した<ruby><rb>死蝋</rb><rt>しろう</rt></ruby>であるのか、<ruby><rb>西蔵</rb><rt>チベット</rt></ruby>の<ruby><rb>洞窟</rb><rt>どうくつ</rt></ruby>から運び出した<ruby><rb>乾酪</rb><rt>かんらく</rt></ruby>の<ruby><rb>屍体</rb><rt>したい</rt></ruby>であるのか、永くいのちの息吹きを絶った一つの物質である。しかも何やら律動しているところは、現代に<ruby><rb>判</rb><rt>わか</rt></ruby>らない巧妙繊細な機械仕掛けが仕込まれた古代人形のようでもある。蒼黒く<ruby><rb>燻</rb><rt>くす</rt></ruby>んだ古代人形はほぼ一定の律動をもって動く、くねくね、きゅーっぎゅっと踠いて、もくんと伸び上る。<ruby><rb>頽</rb><rt>くずお</rt></ruby>れて、そして絶息するようにふーむと唵く。同じ事が何度も繰返される。モデル娘は惨ましさに泣きかけた顔をおかしさで<ruby><rb>歪</rb><rt>ゆが</rt></ruby>み返させられ、妙な顔になって<ruby><rb>袖</rb><rt>そで</rt></ruby>から半分<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>かしている。看護婦は少し怒りを帯びた深刻な顔をして<ruby><rb>団扇</rb><rt>うちわ</rt></ruby>で<ruby><rb>煽</rb><rt>あお</rt></ruby>いでいる。

鼈四郎は気付いた。病友はこの苦しみの絶頂にあって遊ぼうとしているのだ。彼は痛みに対抗しようとする肉体の自らなる踠きに、必死とリズムを与えて踊りに慥えているのだ。そうすることが少しでも病痛の紛らかしになるのか、それとも友だちの、ふだんいう「絶倫の芸術」を自分に見せようため骨を折っているのか。病友はまた踊る、くねくね、ぎゅーっ、きゅ、もくんもくんそして頽れ絶息するようにふーむと唵く。それは回教徒の<ruby><rb>祈祷</rb><rt>きとう</rt></ruby>の姿に擬しつつ実は、聞えて来る活動館の安価な楽隊の音に合わせているのだった。

鼈四郎が、なお<ruby><rb>愕</rb><rt>おどろ</rt></ruby>いたことは、病友は、そうしながら向う側の壁に姿見鏡を立てかけさせ、自分の悲惨な踊りを、自ら映しみて効果を味っていることだった。映像を引立たせる背景のため、鏡の縁の中に自分の姿と共に映し入るよう、青い壁絨と<ruby><rb>壺</rb><rt>つぼ</rt></ruby>に夏花までベッドの傍に用意してあるのだった。鼈四郎に何か常識的な怒りが燃えた。「病人に何だって、こんなばかなことをさしとくのだ」鼈四郎はモデルの娘に当った。モデル娘は「だって、こちらが<ruby><rb>仰</rb><rt>おっ</rt></ruby>しゃるんですもの」と不服そうにいった。病友はつまらぬ<ruby><rb>咎</rb><rt>とが</rt></ruby>め立をするなと<ruby><rb>窘</rb><rt>たしな</rt></ruby>める眼付をした。

三度に一度の願いが<ruby><rb>叶</rb><rt>かな</rt></ruby>って医者に注射をして貰ったときには病友は上機嫌で、へらりへらり笑った。食慾を催して鼈四郎に何を作れかにを作れと命じた。

<ruby><rb>葱</rb><rt>ねぎ</rt></ruby>とチーズを<ruby><rb>壺焼</rb><rt>つぼやき</rt></ruby>にしたスープ・ア・ロニオンとか、<ruby><rb>牛舌</rb><rt>オックス・タング</rt></ruby>のハヤシライスだとか、<ruby><rb>莢隠元</rb><rt>アリコベル</rt></ruby>のベリグレット・ソースのサラダとか、彼がふだん好んだものを<ruby><rb>註文</rb><rt>ちゅうもん</rt></ruby>したので鼈四郎は慥え易かった。しかし<ruby><rb>家鴨</rb><rt>あひる</rt></ruby>の血を絞ってその血で家鴨の肉を煮る料理とか、大鰻をぶつ切りにして酢入りのゼリーで寄る料理とかは鼈四郎は始めてで、ベッドの上から病友に差図されながらもなかなか加減は難しかった。家鴨の血をアルコールランプにかけた料理盤で<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>き混ぜてみると上品なしる粉ほどの濃さや粘りとなった。これを<ruby><rb>塩</rb><rt>しお</rt></ruby><ruby><rb>胡椒</rb><rt>こしょう</rt></ruby>し、家鴨の肉の截片を入れてちょっと煮込んで食べるのだが、鼈四郎は味見をしてみるのに<ruby><rb>血生臭</rb><rt>ちなまぐさ</rt></ruby>いことはなかった。<ruby><rb>巴里</rb><rt>パリ</rt></ruby>の有名な鴨料理店の家の芸の一つでまず凝った<ruby><rb>贅沢</rb><rt>ぜいたく</rt></ruby>料理に属するものだと病友はいった。鰻の寄せものは<ruby><rb>伊太利</rb><rt>イタリア</rt></ruby>移民の貧民街などで<ruby><rb>辻売</rb><rt>つじうり</rt></ruby>している食品で、下層階級の食べものだといった。うまいものではなかった。病友はそれらの食品にまつわる思い出でも楽しむのか、慥えてやってもろくに食べもしないで、しかし次々にふらふらと思い出しては註文した。鴨のない時期に、鴨に似た若い家鴨を探したり、夏<ruby><rb>長</rb><rt>た</rt></ruby>けて<ruby><rb>莢</rb><rt>さや</rt></ruby>は硬ばってしまった中からしなやかな<ruby><rb>莢隠元</rb><rt>さやいんげん</rt></ruby>を求めたり鼈四郎は、走り<ruby><rb>廻</rb><rt>まわ</rt></ruby>った。病友はまたずっと<ruby><rb>溯</rb><rt>さかのぼ</rt></ruby>った幼時の思い出を懐しもうとするのか、フライパンで文字焼を焼かせたり、<ruby><rb>炮烙</rb><rt>ほうろく</rt></ruby>で焼芋を作らせたりした。

これ等を鼈四郎は、病友が一期の名残りと思えばこそ奔走しても望みを叶えさしてやるのだが、病友はこれ等を<ruby><rb>娯</rb><rt>たの</rt></ruby>しみ終りまだ薬の気が切れずに上機嫌の続く場合に、鼈四郎を遊び相手に<ruby><rb>労</rb><rt>わずらわ</rt></ruby>すのにはさすがの鼈四郎も、病友が憎くなった。病友は鼈四郎にうしろ頸に脹れ上って今は<ruby><rb>毬</rb><rt>まり</rt></ruby>が<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>いているほどになっている癌の瘤へ、油絵の具で人の顔を描けというのである。「誰か友だちを呼んで見せて、<ruby><rb>人面疽</rb><rt>じんめんそ</rt></ruby>が出来たと<ruby><rb>巫山戯</rb><rt>ふざけ</rt></ruby>てやろう」鼈四郎が辞んでも彼は<ruby><rb>訊入</rb><rt>ききい</rt></ruby>れなかった。鼈四郎は渋々筆を執った。<ruby><rb>繃帯</rb><rt>ほうたい</rt></ruby>を除くとレントゲンの光線<ruby><rb>焦</rb><rt>や</rt></ruby>けと塗り薬とで<ruby><rb>鰐皮色</rb><rt>わにがわいろ</rt></ruby>になっている<ruby><rb>堆</rb><rt>うずたか</rt></ruby>いものの中には<ruby><rb>執拗</rb><rt>しつよう</rt></ruby>な反人間の意志の固りが秘められているように思われる。内側からしんの<ruby><rb>繁凝</rb><rt>しこり</rt></ruby>が円味を支え保ち、そしてその上に程よい張度の肉と皮膚が覆っている<ruby><rb>腫物</rb><rt>はれもの</rt></ruby>は、鋭いメスをぐさと刺し立てたい衝動と、その意地張った凝り固りには、ひょぐって<ruby><rb>揶揄</rb><rt>やゆ</rt></ruby>してやるより外に術はないという感じを与えられる。腫物の皮膚に油絵の具のつきはよかった。彼は絵の具を介して<ruby><rb>筆尖</rb><rt>ひっせん</rt></ruby>でこの怪物の面を押し擦るタッチのうちに病友がいかにこの腫物を憎んだか。そして憎み剰った末が、<ruby><rb>悪戯</rb><rt>いたずら</rt></ruby>ごころに気持をはぐらかさねばならないわけが判るような気がした。「思い切り、人間の、苦痛というものをばかにした顔に描いてやれ、腫物とは見えない人の顔に」彼は、人の顔らしく地塗りをし、<ruby><rb>隈取</rb><rt>くまど</rt></ruby>りをし鼻、口、眼と描き入れかけた。病友はここまで歯を食い縛って我慢していたが、「た　た　た　た　た　た」といって身体をすさらせた。彼はいった。「さすがに<ruby><rb>堪</rb><rt>たま</rt></ruby>らん、もう、ええ、あとはたれか痛みの無くなった<ruby><rb>死骸</rb><rt>しがい</rt></ruby>になってから描き足して<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れ」それゆえ、腫物の上に描いた人の顔は<ruby><rb>瞳</rb><rt>ひとみ</rt></ruby>は一方しか入れられずに、しかも、ずっている。鼈四郎は病友がいった通り、彼が死んでからも顔を描き上げようとはしなかった。隻眼を<ruby><rb>眇</rb><rt>すがめ</rt></ruby>にして<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>みながら<ruby><rb>哄笑</rb><rt>こうしょう</rt></ruby>している<ruby><rb>模造人面疽</rb><rt>もぞうじんめんそ</rt></ruby>の顔は、ずった偶然によって<ruby><rb>却</rb><rt>かえ</rt></ruby>って意味を深めたように思えた。人生の不如意を、諸行無常を眺めやる人間の顔として、なんで、この上、一点の描き足しを附け加える必要があろう。

鼈四郎は病友の<ruby><rb>屍体</rb><rt>したい</rt></ruby>の<ruby><rb>肩尖</rb><rt>かたさき</rt></ruby>に大きく覗いている未完成の顔をつくづく<ruby><rb>見瞠</rb><rt>みい</rt></ruby>り「よし」と独りいって、屍体を棺に納め、共に焼いてしまったことであった。

病友に痛みの去る暇なく、注射は続いた。流動物しか<ruby><rb>摂</rb><rt>と</rt></ruby>れなくなって、彼はベッドに横わり胸を喘ぐだけとなった。鼈四郎は、それが夜店の<ruby><rb>膃肭獣</rb><rt>おっとせい</rt></ruby>売りの看板である膃肭獣の乾物に似ているので、人間も変れば変るものだと思うだけとなった。病友は口から入れるものは絶ち、苦痛も無くなってしまったらしい。医者は臨終は近いと告げた。看護婦もモデルの娘も涙の眼をしょぼしょぼさせながら帰り支度の始末を始め出した。病友は<ruby><rb>朦々</rb><rt>もうもう</rt></ruby>として眠っているのか覚めているのか判らない場合が多い。けれども<ruby><rb>咽頭奥</rb><rt>のどおく</rt></ruby>で<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>くような声がしているので<ruby><rb>鼈四郎</rb><rt>べつしろう</rt></ruby>が耳を近付けてみると、<ruby><rb>唄</rb><rt>うた</rt></ruby>を唄っているのだった。病友がこういう唄を唄ったことを一度も鼈四郎は聞いたことはなかった。<ruby><rb>覚束</rb><rt>おぼつか</rt></ruby>ない節を強いて聞分けてみると、それは子守唄だった。「ねんころりよ、ねんころりねんころり」

鼈四郎の顔が自分に近付いたのを知って病友は努めて笑った。そして<ruby><rb>喘</rb><rt>あえ</rt></ruby>ぎ喘ぎいう文句の意味を理解に<ruby><rb>綴</rb><rt>つづ</rt></ruby>ってみるとこういうのだった。「どこを見渡してもさっぱりしてしまって、まるで、何にもない。いくら探しても<ruby><rb>遺身</rb><rt>かたみ</rt></ruby>の品におまえにやるものが見付からないので困った。そうそう伯母さんが東京に一人いる。これは無くならないでまだある。遠方にうすくぼんやり見える。これをおまえにやる。こりゃいいもんだ。やるからおまえの伯母さんにしなさい。」

病友は死んだ。店の旧取引先か遊び仲間の知友以外に京都には身寄りらしいものは一人も無かった。東京の伯母なるものに問合すと、年老いてることでもあり葬儀万端<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るべくという返事なので鼈四郎は、主に立って取仕切り野辺の煙りにしたことであった。

その遺骨を携えて鼈四郎は東京に出て来た。東京生れの檜垣の主人はもはや無縁同様にはなっているようなものの<ruby><rb>菩提寺</rb><rt>ぼだいじ</rt></ruby>と墓地は赤坂青山辺に在った。戸主のことではあり、ともかく、骨は菩提寺の墓に埋めて欲しいという伯母の希望から運んで来たのであったが、鼈四郎は東京のその伯母の下町の家に落付き、埋葬も終えて、<ruby><rb>序</rb><rt>ついで</rt></ruby>にこの巨都も見物して京都に帰ろうとする一ヶ月あまりの間に、鼈四郎はもう伯母の<ruby><rb>擒</rb><rt>とりこ</rt></ruby>となっていた。

この伯母は、女学校の<ruby><rb>割烹教師</rb><rt>かっぽうきょうし</rt></ruby>上りで、草創時代の女学校とてその他家政に属する課目は何くれとなく教えていた。時代後れとなって学校を退かされてもこれが<ruby><rb>却</rb><rt>かえ</rt></ruby>って身過ぎの便りとなり、下町の娘たちを引受けて嫁入り前の<ruby><rb>躾</rb><rt>しつけ</rt></ruby>をする私塾を開いていた。伯母も身うちには<ruby><rb>薄倖</rb><rt>はっこう</rt></ruby>の女で、<ruby><rb>良人</rb><rt>おっと</rt></ruby>には早く死に<ruby><rb>訣</rb><rt>わか</rt></ruby>れ、四人ほどの子供もだんだん欠けて行き、末の子の婚期に入ったほどの娘が一人残って、塾の雑事を<ruby><rb>賄</rb><rt>まかな</rt></ruby>っていた。貧血性のおとなしい女で、伯母に<ruby><rb>叱</rb><rt>しか</rt></ruby>られては使い<ruby><rb>廻</rb><rt>まわ</rt></ruby>され、塾の生徒の娘たちからは姉さんと呼ばれながら少しばかにされている気味があった。何かいわれると、おどおどしているような娘だった。

伯母はむかし幼年で孤児となった甥の檜垣の主人を引取り少年の頃まで、自分の子供の中に加えて育てたのであったが、以後檜垣の主人は家を飛出し、外国までも<ruby><rb>浮浪</rb><rt>さまよ</rt></ruby>い歩るいて音信不通であったこの甥に対し、何の愛憎も消え<ruby><rb>失</rb><rt>う</rt></ruby>せているといった。しかし、このまま捨置くことなら檜垣の家は<ruby><rb>後嗣</rb><rt>あと</rt></ruby>絶えることになるといった。

甥の檜垣の家が宗家で、伯母はその家より出て分家へ嫁に行ったものである。伯母はいった、自分の家は廃家しても<ruby><rb>関</rb><rt>かま</rt></ruby>わぬ、しかし檜垣の宗家だけは名目だけでも取留めたい。そこで相談である。もし「それほど嫌でなかったら――」自分の娘を<ruby><rb>娶</rb><rt>めと</rt></ruby>って<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れて、できた子供の一人を檜垣の家に与え、家の名跡だけで復興さして貰い<ruby><rb>度</rb><rt>た</rt></ruby>い。さすれば自分に取っては宗家への孝行となるし、あなたにしても親友への厚い志となる。「第一、貰って頂き度い娘は、檜垣に取ってたった一人の<ruby><rb>従兄弟女</rb><rt>いとこめ</rt></ruby>である。これも何かのご縁ではあるまいか。」

始めこの話を伯母から切出されたときに鼈四郎は一笑に附した。あの<ruby><rb>颺々</rb><rt>ようよう</rt></ruby>として芸術<ruby><rb>三昧</rb><rt>ざんまい</rt></ruby>に飛揚して<ruby><rb>没</rb><rt>う</rt></ruby>せた親友の、音楽が済み去ったあとで余情だけは残るもののその<ruby><rb>木地</rb><rt>きじ</rt></ruby>は実は空間であると同じような妙味のある片付き方で終った。その病友の生涯と死に対し、伯母の提言はあまりに月並な世俗の義理である。どう<ruby><rb>矧</rb><rt>は</rt></ruby>ぎ合わしても病友の生涯の継ぎ伸ばしにはならない。伯母のいう末の娘とて自分に取り何の魅力もない。「そんなことをいったって――」鼈四郎はひょんな表情をして片手で頭を抱えるだけてあったが、伯母の説得は間がな<ruby><rb>隙</rb><rt>すき</rt></ruby>がな<ruby><rb>弛</rb><rt>ゆる</rt></ruby>まなかった。「あなたも東京で身を立てなさい。東京はいいところですよ」といって、鼈四郎の才能を鑑検し、急ぎ蛍雪館はじめ三四の有力な家にも小使い取りの職仕を紹介してこの方面でも鼈四郎を引留める<ruby><rb>錨</rb><rt>いかり</rt></ruby>を結びつけた。伯母は蛍雪館が下町に在った時分姉娘のお千代を塾で引受けて仕込んだ関係から蛍雪とは<ruby><rb>昵懇</rb><rt>じっこん</rt></ruby>の間柄であった。

何という無抵抗無性格な女であろうか。鼈四郎は伯母の末の娘で檜垣の主人の<ruby><rb>従姉妹</rb><rt>いとこ</rt></ruby>に当るこの逸子という女の、その意味での非凡さにもやがて<ruby><rb>搦</rb><rt>から</rt></ruby>め捕られてしまった。鼈四郎のような生活の<ruby><rb>些末</rb><rt>さまつ</rt></ruby>の事にまで、タイラントの<ruby><rb>棘</rb><rt>とげ</rt></ruby>が突出ている人間に取り、性抜きの薄綿のような女は<ruby><rb>却</rb><rt>かえ</rt></ruby>って引懸り<ruby><rb>包</rb><rt>くる</rt></ruby>まれ易い危険があったのだった。鼈四郎の世間に対する不如意の気持から来る八つ当りは、横暴ないい付けとなって手近かのものへ落ち下る。彼女はいつもびっくりした愁い顔で「はいはい」といい、<ruby><rb>中腰</rb><rt>ちゅうごし</rt></ruby><ruby><rb>駈足</rb><rt>かけあし</rt></ruby>でその用を足そうと努める。自分の卑屈な役割は一度も顧ることなしに、また次の申付けをおどおどしながら待受けているさまは、鼈四郎には自分が電気を響かせるようで<ruby><rb>軽蔑</rb><rt>けいべつ</rt></ruby>しながら気持がよいようになった。世を<ruby><rb>詛</rb><rt>のろ</rt></ruby>い<ruby><rb>剰</rb><rt>あま</rt></ruby>って、意地悪く吐出す罵倒や<ruby><rb>嘲笑</rb><rt>ちょうしょう</rt></ruby>の<ruby><rb>鋒尖</rb><rt>ほこさき</rt></ruby>を彼女は全身に刺し込まれても、ただ情無く我慢するだけ、苦鳴の声さえ聞取られるのに憶している。<ruby><rb>肌目</rb><rt>きめ</rt></ruby>がこまかいだけが取得の、無味で冷たく弱々しい哀愁、<ruby><rb>焦</rb><rt>じ</rt></ruby>れもできない馬鹿正直さ加減。一方、伯母は薄笑いしながら説得の手を緩めない。鼈四郎としては「何の」と思いながら、逸子が必要な身の廻りのものとなった。結婚同様の関係を結んでしまった。ずるずるべったりに伯母の望む如く、鼈四郎は、東京居住の人間となり逸子を妻と呼ぶことにしてしまった。そして檜垣の主人が死ぬ前に<ruby><rb>譫言</rb><rt>うわごと</rt></ruby>にいった「伯母をおまえにやる。おまえの伯母にしろ」といった言葉が筋書通りになった不思議さを、ときどき<ruby><rb>想</rb><rt>おも</rt></ruby>い見るのであった。

京都に一人残っている生みの母親、青年近くまで養ってくれた拓本の老職人のことも心にかからないことはないけれども、鼈四郎の現在のような境遇には、彼等との関係はもとからの因縁が深いだけに、それを考えに上すことは苦しかった。この撥ぜ開けた巨都の中で一旗揚げる慾望に燃え盛って来た鼈四郎に取り、親友でこそあれ、他人の伯母さんを伯母さんと呼ぶぐらいの親身さが抜き差しができて責任が軽かった。責任感が軽くて世話をして呉れる老女は便利だった。しかし生きてるうちは好みに殉じ死に向ってはこれを遊戯視して、一切を即興詩のように過したかに見えた檜垣の主人が譫言の無意識でただ一筋、世俗的な糸をこの世に<ruby><rb>曳</rb><rt>ひ</rt></ruby>き<ruby><rb>遺</rb><rt>のこ</rt></ruby>し、それを友だちの自分に<ruby><rb>絡</rb><rt>から</rt></ruby>みつけて行って、しかもその糸が案外、生あたたかく意味あり気なのを考えるのは嫌だった。

伯母が世話をして呉れた下町の三四の有力な家の中で、鼈四郎は蛍雪館の主人に一ばん深く取入ってしまった。

蛍雪館の主人は、江戸っ子漢学者で、少壮の頃は、当時の新思想家に違いなかった。講演や文章でかなり<ruby><rb>鳴</rb><rt>なら</rt></ruby>した。油布の支那服なぞ着て、大陸政策の会合なぞへも出た。彼の説は時代遅れとなり妻の変死も原因して彼は公的のものと一切関係を断ち、売れそうな漢字辞典や、受験本を書いて独力で出版販売した。当ったその金で彼は家作や地所を買入れ、その他にも貨殖の道を講じた。彼は小富豪になった。

彼は<ruby><rb>鰥</rb><rt>やもめ</rt></ruby>で暮していた。姉のお千代に塾をひかしてから主婦の役をさせ、妹のお絹は<ruby><rb>寵愛物</rb><rt>ちょうあいぶつ</rt></ruby>にしていた。蛍雪の性癖も手伝い、この学商の家庭には檜垣の伯母のようなもの以外出入りの人物は極めて少かった。新来とはいえ蛍雪に取って<ruby><rb>鼈四郎</rb><rt>べつしろう</rt></ruby>は手に負えない清新な怪物であった。琴棋書画等趣味の事にかけては大概のことの話相手になれると同時に、その話振りは思わず熱意をもって蛍雪を乗り出させるほど、話の局所局所に、逆説的な弾機を仕掛けて、相手の気分にバウンドをつけた。中でも食味については鼈四郎は、実際に食品を作って彼の<ruby><rb>造詣</rb><rt>ぞうけい</rt></ruby>を証拠立てた。偏屈人に対しては妙に心理洞察の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">カン</span>のある彼は、食道楽であるこの中老紳士の舌を、その方面から<ruby><rb>暗</rb><rt>そら</rt></ruby>んじてしまって、<ruby><rb>嗜慾</rb><rt>しよく</rt></ruby>をピアノの<ruby><rb>鍵板</rb><rt>けんばん</rt></ruby>のように操った。鰥暮しで暇のある蛍雪は身体の中で脂肪が燃えでもするようにフウフウ息を吐きながら、一日中炎天の下に旅行用のヘルメットを<ruby><rb>冠</rb><rt>かぶ</rt></ruby>って植木鉢の植木を<ruby><rb>剪</rb><rt>き</rt></ruby>り<ruby><rb>嘖</rb><rt>さいな</rt></ruby>んだり、飼ものに凝ったり、猟奇的な<ruby><rb>蒐集物</rb><rt>しゅうしゅうぶつ</rt></ruby>に浮身を<ruby><rb>俏</rb><rt>やつ</rt></ruby>したりした。時には自分になまじい物質的な利得ばかりを与えながら昔日の尊敬を忘れ去り、学商呼ばわりする世情を、気狂いのようになって<ruby><rb>悲憤慷慨</rb><rt>ひふんこうがい</rt></ruby>することもある。そんな不平の反動も混って蛍雪の<ruby><rb>喰</rb><rt>た</rt></ruby>べものへの執し方が激しくなった。

蛍雪が姉娘のお千代を<ruby><rb>世帯染</rb><rt>しょたいじ</rt></ruby>みた主婦役にいためつけながら、妹のお絹に当世の<ruby><rb>服装</rb><rt>みなり</rt></ruby>の<ruby><rb>贅</rb><rt>ぜい</rt></ruby>を尽させ、芝の高台のフランスカトリックの女学校へ通わせてほくほくしているのも、性質からしてお絹の方が気に入ってるには違いないが、やはり、物事を極端に偏らせる彼の凝り性の性癖から来るものらしかった。彼は鼈四郎が来るまえから<ruby><rb>鼈</rb><rt>すっぽん</rt></ruby>の料理に凝り出していたのだが、<ruby><rb>鼈鍋</rb><rt>すっぽんなべ</rt></ruby>はどうやらできたが、鼈<ruby><rb>蒸焼</rb><rt>むしやき</rt></ruby>は<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>り損じてばかりいるほどの手並だった。鼈四郎は白木綿で包んだ鼈を生埋めにする熱灰を<ruby><rb>拵</rb><rt>こしら</rt></ruby>える薪の選み方、熱灰の加減、蒸し焼き上る時間など、慣れた調子で苦もなくしてみせ、蛍雪は出来上ったものを<ruby><rb>毟</rb><rt>むし</rt></ruby>って<ruby><rb>生醤油</rb><rt>きじょうゆ</rt></ruby>で食べると近来にない美味であった。それまで鼈四郎は京都で呼び付けられていた与四郎の名を通していたのだったが、以後、蛍雪は与四郎を相手させることに凝り出し、手前勝手に鼈四郎と呼名をつけてしまった。娘の姉妹もそれについて呼び慣れてしまう。独占慾の強い蛍雪は、鼈四郎夫妻に住宅を与え<ruby><rb>僅</rb><rt>わずか</rt></ruby>に食べられるだけの扶養を与えて他家への職仕を断らせた。

鼈四郎は、蛍雪館へ足を踏み入れ妹娘のお絹を一目見たときから「おやっ」と思った。これくらい自分とは縁の遠い世界に住む娘で、そしてまたこれくらい自分の好みに合う娘はなかった。いつも夢見ているあどけない<ruby><rb>恰好</rb><rt>かこう</rt></ruby>をしていて、そしてかすかに皮肉な苦味を帯びている。青ものの走りが純粋<ruby><rb>無垢</rb><rt>むく</rt></ruby>でありながら、何か<ruby><rb>捥</rb><rt>も</rt></ruby>ぎ取られた将来の生い立ちを不可解の中に蔵している一つの権威、それにも似た感じがあった。

お絹は人出入<ruby><rb>稀</rb><rt>ま</rt></ruby>れな家庭に入って来た青年の鼈四郎を珍しがりもせず、ときどきは傍にいても、忘れたかのように、うち捨てて置いたまま、ひとりで夢見たり、遊んだりした。母無くして権高な父の手だけで育ったためか、そのとき中性型で高貴性のある寂しさがにじんだ。鼈四郎が<ruby><rb>美貌</rb><rt>びぼう</rt></ruby>であることは最初から<ruby><rb>頓着</rb><rt>とんちゃく</rt></ruby>しないようだった。姉娘のお千代の方が顔を<ruby><rb>赭</rb><rt>あから</rt></ruby>めたり戸惑う様子を見せた。

鼈四郎は絹に向うと、われならなくに一層<ruby><rb>肩肘</rb><rt>かたひじ</rt></ruby>を張り、高飛車に出るのをどうしようもない。その心底を見透すもののようにまたそうでもないように、ふだん伏眼勝ちの煙れる<ruby><rb>瞳</rb><rt>ひとみ</rt></ruby>をゆっくり上げて、この娘はまともに青年を<ruby><rb>瞠入</rb><rt>みい</rt></ruby>るのであった。すると鼈四郎は段違いという感じがして身の卑しさに心が<ruby><rb>竦</rb><rt>すく</rt></ruby>んだ。

だが、鼈四郎は、蛍雪の相手をする傍ら、姉妹娘に料理法を教えることをいい付かり、お絹の手を取るようにして、仕方を授ける間柄になって来ると、鼈四郎は心易いものを覚えた。この娘も料理の<ruby><rb>業</rb><rt>わざ</rt></ruby>は普通の娘同様、あどけなく手緩かった。それは着物の<ruby><rb>綻</rb><rt>ほころ</rt></ruby>びから不用意に現している白い肌のように愛らしくもあった。彼は娘の間の抜けたところを悠々と味いながら<ruby><rb>叱</rb><rt>しか</rt></ruby>りもし<ruby><rb>罵</rb><rt>ののし</rt></ruby>りもできた。お絹はこういうときは負けていず、必ず<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>り返したが、この青年の持つ秀でた<ruby><rb>技倆</rb><rt>ぎりょう</rt></ruby>には、何か関心を持って来たようだった。鼈四郎は調子づき、自己吹聴がてら彼の芸術論など<ruby><rb>喋</rb><rt>しゃべ</rt></ruby>った。遠慮は除れた。しかしただそれだけのものであった。この娘こそ虫が好く虫が好くと思いながら、鼈四郎は、逸子との変哲もない家庭生活に思わず月日を過し子供も生れてしまった。もう一人檜垣の家の<ruby><rb>後嗣</rb><rt>あとつぎ</rt></ruby>に貰える<ruby><rb>筈</rb><rt>はず</rt></ruby>の子供が生れるのを伯母さんは首を長くして待受けている。

<ruby><rb>今宵</rb><rt>こよい</rt></ruby>、霧の夜の、<ruby><rb>闇</rb><rt>やみ</rt></ruby>の深さ、粘りこさにそそられて鼈四郎は珍らしく、自分の過ぎ来た生涯を味い返してみた。死をもって万事清算がつく絶対のものと思い定め、それを落付きどころとして、その無からこの生を顧り、<ruby><rb>須臾</rb><rt>しゅゆ</rt></ruby>の生なにほどの事やあると軽く思い<ruby><rb>做</rb><rt>な</rt></ruby>されるこころから、また死を眺めやってこれも軽いものに思い取る。幼児の体験から出発して、今日までに思想にまで<ruby><rb>纏</rb><rt>まと</rt></ruby>め上げたつもりの考え。

しかる上は生きてるうちが花と定めて、できることなら<ruby><rb>仕度</rb><rt>した</rt></ruby>い<ruby><rb>三昧</rb><rt>ざんまい</rt></ruby>を続けて暮そうという考えは、だんだんあやしくなって来た。何一つ自分の思うこととてできたものはない。たった一つこれだけは<ruby><rb>漁</rb><rt>あさ</rt></ruby>り続けて来たつもりの食味すら、それに<ruby><rb>纏</rb><rt>まつわ</rt></ruby>る世俗の諸事情の方が多くて自分を意外の方向へ押流し、使い<ruby><rb>廻</rb><rt>まわ</rt></ruby>す<ruby><rb>挺</rb><rt>てこ</rt></ruby>にでもなっているような気がする。

<ruby><rb>霰</rb><rt>あられ</rt></ruby>が降る。深くも、粘り濃い闇の中に。いくら降っても降り白められない闇を、いつかは降り白められでもするかと、しきりに降り続けている。

夜も更けたかして、あたりの家の物音は静り返り、表通りを通る電車の<ruby><rb>轟</rb><rt>とどろ</rt></ruby>きだけがときどき響く。隣の茶の間で寝付いたらしい妻は、ときどき泣こうとする子供を「おとうさんがおとうさんが」と<ruby><rb>囁</rb><rt>ささや</rt></ruby>いて乳房で押て黙らせ、またかすかな寝息を立てている。鼈四郎が家にいる間は、気難しい父を<ruby><rb>憚</rb><rt>はばか</rt></ruby>り、母のいうこの声を聞くと共に、子供は泣きかかっても幼ごころに歯を食い縛り、我慢をする癖を鼈四郎は今宵はじめて<ruby><rb>憐</rb><rt>あわ</rt></ruby>れに思った。<ruby><rb>没</rb><rt>な</rt></ruby>くなった父の老僧は、もし子供が不如意を<ruby><rb>託</rb><rt>かこ</rt></ruby>って「なぜ、こんな世の中に自分を生んだか」と、父を恨むような場合があったら、「こっちが頼みもしないのに、なぜ生れた。お互いさまだ。」といって聞かせと、母にいい置いたそうだが、今宵考えてみれば、亡父は考え抜いた末の言葉のようにも思える。子供にも彼自身に知られぬ意志がある。

お互いさまでわけが判らぬ中に、父は自分を<ruby><rb>遺</rb><rt>のこ</rt></ruby>し、自分はこの子を遺している。父のそのいい置きを伝えた母は、また、その実家の罪滅しのためとて、若い身空ですべての慾情を断ったつもりでも、食意地だけは断たれず、嘆きつつもそれを自分の慾情の上に伝えている。少年の頃、自分がうまいものをよそで<ruby><rb>饗</rb><rt>よ</rt></ruby>ばれて帰って話すとき、母は根掘り葉掘り詳しく聞き返し、まるで自分が食べでもしたような満足さで顔を生々とさしたではないか。そして自分が死水を取ってやった唯一の親友の檜垣の主人は、結局その姪を自分に<ruby><rb>妻</rb><rt>め</rt></ruby>あわして、後嗣の<ruby><rb>胤</rb><rt>たね</rt></ruby>を取ろうとする仕掛を、死の断末魔の無意識中にあっさり自分に伏せている。こう思って来ると、世の中に自分一代で片付くものとては一つも無い。自分だけで成せたと思うものは一つもない。みな亡父のいうお互いさまで、続かり続け合っている。はじめて気の付くのは、いつぞや京都の春で、二回会ったきりの画家と歌人夫妻のいった言葉だ。「おれたちは、極楽の<ruby><rb>場塞</rb><rt>ばふさ</rt></ruby>げを永くするのも済まないと思って、地獄の席を探しているところだ」と。そうしてみると、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">せんせいたち</span>もこの断ち切れないお互いのものには、ぞっこん苦労した連中かな。夫人のいった、まこと、まごころというものも、安道徳のそれではなくて一癖も二癖もある底の深い流れにあるらしいものを指すのか。それは何ぞ。

夜はしんしんと更けて、いよいよ深みまさり、粘り濃く潤う<ruby><rb>闇</rb><rt>やみ</rt></ruby>。無限の食慾をもって降る<ruby><rb>霰</rb><rt>あられ</rt></ruby>を、下から食い<ruby><rb>貪</rb><rt>むさぼ</rt></ruby>り食い貪り飽くことを知らない。ひょっと見方を変えれば、永遠に、霰を上から吐きに吐くとも見える。ひっきょう食いつつ吐きつつ食いつつ飽き足るということを知らない闇。こんな<ruby><rb>逞</rb><rt>たくま</rt></ruby>しい食慾を<ruby><rb>鼈四郎</rb><rt>べつしろう</rt></ruby>はまだ<ruby><rb>嘗</rb><rt>かつ</rt></ruby>て知らなかった。死を食い生を吐くものまたかくの如きか。

闇に身を任せ、われを忘れて見詰めていると闇に<ruby><rb>艶</rb><rt>つやや</rt></ruby>かなものがあって、その潤いと共に、心をしきりに<ruby><rb>弄</rb><rt>なぶ</rt></ruby>られるような気がする。お絹？　はてな。これもまた何かの仕掛かな。

大根の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">チリ</span>鍋は、とっくに煮詰って、<ruby><rb>鍋底</rb><rt>なべぞこ</rt></ruby>は潮干の潟に<ruby><rb>芥</rb><rt>あくた</rt></ruby>が残っているようである。台所へ出てみると、酒屋の小僧が届けたと見え、ビールが数本届いていた。それを座敷へ運んで来て、鼈四郎は酒に弱い癖に今夜一夜、霰の夜の闇を眺めて飲み明そうと決心した。この逞しい闇に<ruby><rb>交際</rb><rt>つきあ</rt></ruby>って行くには、しかし、「とても、大根なぞ食っちゃおられん。」

彼は、穏に隣室へ声をかけた。

「逸子、済まないが、仲通りの伊豆庄を起して、<ruby><rb>鮟鱇</rb><rt>あんこう</rt></ruby>の肝か、もし<ruby><rb>皮剥</rb><rt>かわはぎ</rt></ruby>の肝が取ってあるようだったら、その肝を貰って来て<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れ、先生が欲しいといえばきっと、呉れるから――」

珍しく丁寧に頼んだ。はいはいと<ruby><rb>寝惚</rb><rt>ねぼ</rt></ruby>け声で答えて、あたふた逸子が出て行く足音を聞きながら、鼈四郎は<ruby><rb>焜炉</rb><rt>こんろ</rt></ruby>に炭を継ぎ足した。傾ける顔に五十<ruby><rb>燭</rb><rt>しょく</rt></ruby>の球の光が当るとき、鼈四郎の<ruby><rb>瞼</rb><rt>まぶた</rt></ruby>には今まで見たことの無い露が一粒光った。